( 208815 ) 2024/09/05 14:34:33 2 00 殺人を犯しても生き続けられる“無期懲役刑”…「本当はこの手で殺してやりたい」苦しみ続ける遺族弁護士ドットコムニュース 9/5(木) 11:03 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/c5db9546eaa47481ce330adffafdb04fa15e426d |
( 208818 ) 2024/09/05 14:34:33 0 00 2015年1月2日に東武動物公園で撮影された加藤さんの家族写真(左から次女・春花さん、長女・美咲さん、妻・美和子さん)。3人はこの約8か月後に殺害された(加藤裕希さん提供)
日本の刑法で定められている最も重い刑罰は「死刑」、次にくるのが期限の定めがない「無期懲役刑」だ。殺人などの凶悪事件ではこれらの判決が下されることが珍しくないが、両者の間には生と死という果てしない深さの溝が存在する。
【動画】「人間の最期は恐ろしい」殺人犯が語る事件当時の心理
人を殺めながらも生き続けられる加害者と、当然に来ると信じていた明日を奪われた被害者。判決が確定した後も、残された家族はその狭間で苦しみ続ける。「この手で殺してやりたい」。妻子3人を殺された男性はやり場のない怒りを力のない声で吐露した。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
妻と2人の娘を殺害された加藤裕希さん(2024年8月24日、埼玉県熊谷市で、弁護士ドットコムニュース撮影)
「仕事を終えて帰宅をすると、家族の中で生きているのは私1人だけでした」
2015年9月に埼玉県熊谷市で発生した「熊谷6人殺害事件」。妻・美和子さん(当時41歳)、長女・美咲さん(同10歳)、次女・春花さん(同7歳)の3人を一度に奪われた加藤裕希(ゆうき)さん(51)は、警察の対応に問題がなかったかを問う民事裁判でそう述べた。
事件から9年。時間が解決することは何もない。生き地獄の中で感情の浮き沈みが続く。昨年3月からの1年間は休職した。今も1日1日をなんとか生き延びている状態だ。
「本心を言えば、もう死にたいという気持ちです。でも死ぬのは怖い。事件のことを四六時中考えていると自分の身が持ちません。一方で、事件と距離を置くことに罪悪感みたいなものがあります」
左から次女・春花さん、妻・美和子さん、長女・美咲さんの遺影。3つの位牌にはそれぞれ同じ日付が刻まれている
2階建て住宅のリビングには、ゲーム機や子どもが描いた絵などが置かれ、家族4人が暮らす生活感が残る。しかし、かつて室内に響きわたっていた声が聞こえることはない。
<平成二十七年九月十六日>
仏壇に並べられた3つの位牌に刻まれた同じ日付が事件の惨状を物語る。
「私は全部を失って生きる希望がありません」
事件が起きる約8カ月前の2015年1月2日、東武動物公園に遊びに行った時に撮った加藤さん家族の写真(加藤裕希さん提供)
ことの始まりは2015年9月13日、警察による任意の事情聴取を受けていたペルー国籍のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン受刑者(当時30歳)が熊谷警察署から逃げ出したことだった。
翌9月14日、熊谷市内に住む夫婦2人を殺害。さらに2日後の9月16日、84歳の女性に加えて、加藤さんの妻と娘2人の命を奪った。
裁判員裁判として審理された1審のさいたま地裁は2018年3月、ジョナタン受刑者に死刑を言い渡した。
加藤さんは「当然だと思っていた」が、2審の東京高裁は2019年12月、死刑判決を破棄し無期懲役の判決を下した。ジョナタン受刑者が事件当時、責任能力が著しく低下した心神耗弱(しんしんこうじゃく)の状態だったというのが主な理由だった。
加藤さんは判決が下された瞬間をいまだに忘れることができない。
「結局は無期懲役にするための理由しかくみ取られておらず、納得できない。裁判官が同じ目にあったら、『あなただったら飲み込めるのか?』と言いたい」
妻と娘2人の遺影が並ぶ仏壇に体を向ける加藤さん。家族全員を失い、「生きる希望がありません」と話した
追い打ちをかけたのは、検察が上告を断念したことだった。
「我々の味方だったはずの検察が一方的に上告できないと決めて、本当に失望しました」
裁判員裁判は国民の感覚が司法に反映されることを期待して導入された。国民から選ばれた裁判員が悩み抜いて選んだ死刑判決が覆されたことで、加藤さんは「本当に人間が嫌いになってしまった」という。
無期懲役囚の多くが獄死している今、無期刑は”終身刑”化していると言われる。だが、被害者や遺族にとって死刑との間には埋めることのできない差が存在する。
死刑囚は毎日が死と隣り合わせの生活に置かれる一方、無期懲役囚は明日も生きることが許される。そして、再び社会に戻れる「仮釈放」の可能性が残されている点も大きな違いだ。
「死刑になったとしても救われません。ただ、加害者が今生きていることに比べれば少しは救いになるかもしれません。本当はこの手で殺してやりたい」
言葉は強いものの、加藤さんは力のない声で伏し目がちに語った。
2004年10月5日、面識のない鹿嶋学・無期懲役囚から殺害された北口聡美さん(当時17歳)
受刑者の仮釈放は、本人に改善更生の意欲があるかなどを基準にして地方更生保護委員会が決める。その審理には被害者や遺族の意見を聞き取る手続きもある。
ジョナタン受刑者が将来、仮釈放の審査に入った場合、殺害された家族3人の意思を代弁できるのは加藤さんしかいない。
ただ、無期懲役囚は近年、仮釈放されたとしても刑務所の平均在所期間が30年を超えており、これから数十年先も加藤さんが健康でいられる保証はない。加藤さんが亡くなれば、遺族の生の声を仮釈放の判断に反映させることもできなくなる。
ジョナタン受刑者の仮釈放について、加藤さんは「考えたこともない。1日も早く死んでくれと思う」と率直な心境を明かした。
娘の聡美さんが殺害された事件について話す北口忠さん(2024年7月16日、広島市で、弁護士ドットコムニュース撮影)
「なんで娘がおらんなってお前が生きているのか。生きていること自体、許すことができない」
そう話すのは、広島県廿日市市(はつかいちし)に住む北口忠(ただし)さん(66)。2004年10月5日、長女の聡美さん(当時高校2年生の17歳)を殺人事件で失った。
北口さんはいつも朝が苦手だった聡美さんを起こして出勤していたが、その日、聡美さんは高校で試験があり早く家を出たため顔を合わせなかった。
病院で再会した娘は眠っているようにみえたが、体を揺り動かしても目を開けることはなかった。火葬を終え、聡美さんの骨を骨つぼに入れる時、拾い上げた骨の軽さが娘の死を突きつけた。
事件から13年が経った2017年10月5日に北口さんがブログに書いた投稿。この半年後、被疑者逮捕の知らせが飛び込んでくる
事件は長い間、未解決だった。命日を迎えるたびに強まる苦痛と焦り。
そんな年を12回も繰り返していた2018年4月、突如、被疑者逮捕の一報が入った。
のちに無期懲役が確定した鹿嶋学受刑者(事件当時21歳)は、聡美さんを強姦しようと家に侵入し、抵抗されたためナイフで何度も刺して殺害。姿を見られた聡美さんの祖母も刺し、その場に居合わせた妹にも手をかけようとした。
犯行の直前、寝坊による遅刻で勤務先の会社に行くのが嫌になって逃げ出し、住んでいた山口県から東京方面に向けて原付バイクを走らせていた。その際に下校中だった聡美さんを偶然見かけて狙ったのだった。
事件後に逃走し、14年近くの間、自首することなく生活していたが、別の暴行事件で取り調べを受けた際にDNA型や指紋が現場に残されたものと一致し、聡美さん殺害への関与が発覚した。
北口さんは極刑を願ったが、現行の法律や判例では無期懲役が限界だった。
「家族を奪われた人間にとって死刑以外はありません。なんで娘がおらんなってお前が生きているのかと。詐欺や傷害事件であれば、加害者に『悔い改めてやり直しなさい』と言えます。でも人の命を奪った人間に『立ち直り』という考えはありません」
かけがえのない家族を殺された人は、加害者が生き続ける無期懲役という刑罰をどう受け止めているのか。
「犯人を世間と隔離するための刑じゃないかと思います。なので、無期懲役刑がまた塀の中から出てくるための刑罰だと考えたら、残された家族は悲しい思いしかしません」
「無期」の懲役刑であるのに刑を受けた人がまた社会に戻ってくるかもしれないという現実に、北口さんら遺族の感情は追いつかない。
「せめて無期懲役刑と死刑のあいだに、終身刑のような刑がほしい」
死刑と無期懲役刑、命を奪った加害者と奪われた被害者。そのあいだにある”生と死”という深い溝は決して埋めることができない。
17歳で殺害された聡美さんが生きていれば、今年7月で37歳になっている。
※この記事は弁護士ドットコムニュースとYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
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( 208817 ) 2024/09/05 14:34:33 1 00 これらのコメントから、日本の司法制度に対する懸念や批判が多く見られます。
法による罰の厳しさや再犯を防ぐ仕組みの重要性が議論されており、被害者や被害者家族の痛みや無念さを和らげるための措置が求められています。
さらに、警察の証拠捏造や脅迫といった問題にも触れられ、警察内部の改革やホワイト化が必要との声も上がっています。
(まとめ) | ( 208819 ) 2024/09/05 14:34:33 0 00 =+=+=+=+= 法治国家だから法に従って裁くというなら、その法を国民が納得行くように改正すべきでは? 現在の被害者の人権や命より、加害者の命が優遇される法律なんて要らない 個人的には殺人でなくても凶悪犯罪を犯すような奴らは、そもそも社会に必要ないから一生隔離で良いと思う
=+=+=+=+= 法律を変えるべきと思う。 犯罪って犯人・被害者だけでなく同じ日本というコミュニティに属するその他の人間としてどうかって立場もあると思うんですよ。 殆どの人間は加害者の更生自立や幸せな将来などどうでも良く、むしろ望むのは被害者と被害者家族に与えた苦痛以上の因果応報だと思う。 このギャップは裁判員制度では埋まらないと思う。
あとそもそもこういう事件を減らすためにも自らの意思で安寧を乱すことを是とする見た目と素行でわかる悪を放置せず善良な日本国民が「被害者」にされる前に回収して欲しいかな。
=+=+=+=+= 日本の司法制度は加害者に甘すぎるし、被害者にはやたらと厳しい。
モラルが完全に崩壊している「モンスター」は少なからずいる訳で、被害に遭ってからでは遅いし、被害者は大概、救済はされにくいのが実情。
勿論、余りにも酷い場合に民事で相手を訴える手もあるが、労力や手間を考えると、現実には泣き寝入りするしかない場合がほとんど。
「やったもん勝ち」や「イジメたもん勝ち」はおかしいし、被害者や被害者家族のサポートはもっと充実させるべきだと思う。
=+=+=+=+= 同じ裁判官でも、その考え方が応報刑論か目的刑論かで判決が違ってくると思います。 正直ご遺族からしたら判事の考えなどどうでもよく、できればこの手で応報的に事の終結を望む等、当然の感情であると思います。
そもそも裁判所は、公平な裁判を通して不法な侵害から私たちの権利と自由を守り、社会の正義を実現するための司法機関であるにも関わらず、判事の思惑で社会正義を歪められたらたまったものではないです。 その予防策としても期待されていた裁判員制度も実質二審以降は機能しませんので、もっと大きな司法改革が必要と思いますし、そう願っています。 そうでないとお亡くなりになった方への手向けすらできません。
=+=+=+=+= 熊谷の事件はなぜ無期懲役なのか納得がいかない。ましてや可愛い子たちに酷いことをして。遺族の気持ちを考えると想像を絶する辛さなのだろうと。なぜ犯罪者ばかりが守られるのだろうか、しかも3食付きで不思議でならない。
=+=+=+=+= 今に始まった事ではないから、ほんとに釈然としない。 今話題のパワハラも一緒。 被害を受けた側があまりにも気の毒過ぎる。証拠があってもこれだもんね。 わたしもパワハラを受けてきました。 会社からは揉み消されました。 どうせ訴えるお金もないし、泣き寝入りです。。 わたしは今もパワハラが原因の病気を患って生きています。 ほんとに殺してやりたいと思った事も何度もあります。 なんとか理性を保ちながら生きてます。
=+=+=+=+= 他の方も書かれてますが、日本の司法制度は被害者に寄り添うべきだと思います。この事件も取り調べ室でなぜ逃げ出せたかも警察側の責任。ちゃんと鍵や逃げ出せないようにしてれば6人という尊い命も奪われなかった。精神喪失で無期懲役って奪われた命被害者の命は戻って来ないのに奪った加害者の命はのうのうと生きてる。被害者遺族はどう生きればいいのか……もっと被害者、被害者遺族に寄り添うべき
=+=+=+=+= 法定で無期懲役を言い渡されて万歳三唱をした輩もおりましたね。無期懲役とは残虐な犯行を起こした輩に一生無償で住居・食事・医療・介護・ある程度の娯楽を与えるということです。受刑者にかかる経費は年間300万円程だと聞いています。それらは私達の血税で賄われます。ご遺族の無念は計り知れないものがあります。裁判所は被害者救済の場ではないということなのですね。
=+=+=+=+= 精神疾患を理由に刑が軽くなることがありますが、被害者にとっては何の関係もない話であり、そもそもがそのような精神疾患にしたって、何も理不尽な外圧によって発症したものではなく、気質や体質、遺伝因子など本人に因るところのものが大きいであろうに、責任の所在ということに話に及ぶと、あたかもそれが他人事ででもあるかのように刑が減免されることがあるというのは、被害者側からしたら到底納得のいくものではないと思います。
=+=+=+=+= この事件をよく覚えて居ます 犯人の容赦無い残虐な手口 子供2人を含む6人も殺して無期懲役とは酷い 何て裁判官なんだ!! 上告もしない検察は何をやってるんだ?! 一審が死刑だったのに何で覆ったのか?! 情状酌量なであるはず無い!! 心神耗弱とか何なんだ? 人を殺した時点で人でなしで鬼正気じゃない 何の罪も無い子供や奥さん殺され無期懲役? 6人も殺しているんですよ! しかも仮釈放の可能性も有ると、ふざけてる
=+=+=+=+= 最近思うのだが、そもそも全体的に刑罰が軽すぎるのではないでしょうか。 被害者やその家族からしたら到底受け入れることができない判決となっています。加害者の人権や更生よりも、被害者本人やご家族の心情になって刑罰を重く変更してはいかがでしょうか。 犯罪を犯してもすぐに出てきたり、執行猶予がついたりなど納得いかないことが多すぎます。
=+=+=+=+= いつものように学校に通っていただけなのに、男に目をつけられて家まで追いかけられて。体を目的に襲われて、命まで奪われて。 被害者の方、なぜ自分がっていう思いと悔しさでいっぱいだっただろうな。こんな男にこんな理由で。女の子に生まれただけで。読んでいる自分まで悔しくなってくる。 こんな理由で人の命を奪える男が、本当に悔い改めることなんてあるの。それを待つ必要なんてあるの。亡くなった本人も、子供を奪われた家族もそんなことは望んでないだろうな。
=+=+=+=+= 危険な考えかもしれませんが、1つの犯罪に対して罪の総量は不変とするという観点が必要だと思います。例えば、殺人を100とするならば、単純な殺人であれば犯人に100の罪を負わせる、仮に心身衰弱などで本人の罪を50に減らすのであれば、残りの50は心身衰弱状態の犯人を放置したものなどが罪に問われる、というようにすべきだと思います。もちろん複数犯の場合にはそれぞれに100を課すべきです。現状ではむしろ、複数犯の時に、罪の重さを頭割りしていると思います。いずれにしても司法が被害者の感情から乖離しすぎているのが問題だと思います。あと、話は変わりますが、日本(他国もだとおもいますが)では判例が重視されていますが、判例を重視することに対しての法源は何でしょうか、憲法では裁判官は良心と憲法・法律のみ従うとあり判例に従うとはされていませんが、なぜ判例主義なのですか?どなたかご教授いただけないでしょうか。
=+=+=+=+= 特に一審裁判員裁判で死刑として、上告して高裁の裁判官が覆して無期とする事例が多い気がする。これでは全く裁判員制度を導入した意味がない。裁判官も前例踏襲ばかりでなく、世の中どんな事でも時代とともに変わって行くものなのだから、過去に囚われず現代にあった判決を出す努力をして欲しい。それをしないなら裁判官なんか不要でAIで充分となってしまう。
=+=+=+=+= 極刑が行われているのは 実際数か国しかないし、死刑というのはなくなりつつある。殺された被害者や家族はいたたまれない思いだが 無期懲役になれば恩赦や仮釈放なんていうのもあるかもしれない。実際 このペルー人だって不法滞在とかになれば 強制送還とか ペルーでの裁きとか になるかもしれんし。国は個々の家族どうのこうのではなく その法や 国の立場で動くから、その辺は民事ってことになる。だから 悔しいけどいわゆる日本での立場で賠償金を争う裁判を起こして、その加害者の家族 親族のすべての財産をはぎ取るくらいの請求をする。できるのかどうかは別にしても 妻と子供が殺されているんだから その請求は認められるのでは?加害者側が自死するしかないくらい 法で身動き取れないように というやり方はありそうな気がするが。
=+=+=+=+= 自分は死刑制度に賛成の立場。 日本の無期懲役は、死刑判決に近いような凶悪事件の場合50年経っても仮釈放されないので実質終身刑と言うのはわかる。 だけど獄中とは言え加害者が生きていると言う事実に代わりはない。 法治国家で加害者にも人権が、とか言うけど 昔の仇討ちではないが、目の前に居たらどうにかしてしまいたくなるような被害者感情も組み取る必要があると思う。
=+=+=+=+= 今の刑法だと無期懲役と死刑(必ず執行されるという前提で)の間に差があり過ぎ。無期懲役が実質無期限の生活保護みたいな位置づけになっている。他人の命を4人も奪っている鬼畜にはもっと厳しくしていい。結果に対する責任を負わせるのが刑罰であるなら、心神耗弱とか関係ないと思うが。これでは全くの頃され損。
=+=+=+=+= 無念に殺された被害者や、その遺族よりも、加害者の人権や生きる権利が優先されているのが納得いかない。 精神疾患を理由に極刑が回避されたりすることがあるが、そんなことは遺族には関係ないし、人を殺めることに繋がるような疾患が今後治癒する保証もない。それなのに仮釈放の可能性があったりすることは遺族にとっては地獄の苦しみであると同時に、社会にとっても脅威だと思う。
=+=+=+=+= 精神疾患があるから、を理由にしない法改正が必要ですよね。 薬を使用していた、酩酊していた、精神疾患があった、生まれつきなんらかの障害があった、未成年だから、は通りすがりに被害にあったり、家に押し込まれて被害を受けたりした側になんの責任もありません。 受けるべき罪は犯した背景を考慮するべき時もありますが、だからといって関係ない第三者に被害をもたらしていい理由にはならないはずです。 精神疾患があるから、未成年だから、を罪を逃れるための方便に使われる状況は、罪を犯すためのハードルを下げているのではないか、とこのような事件を聞くたびに思うのです。
=+=+=+=+= 話は逸れてしまうかもしれないですが、自分はドラマの「必殺シリーズ」が好きで再放送なども録画しながら視聴しています。 いまは1年に1度2時間ドラマが制作されるくらいで、ジャニーズ問題以降もう制作されないかもしれません。 前置きが長くなりましたが、必殺シリーズ、やはり根強い人気があるから現在も制作されるのですが、その人気の一遍を担っているのは余りにも非現実的ではあるけれども「はらせぬ恨みをはらす」というストーリーの根幹であると思うのです。 御上に任せておいては埒があかない。 荒唐無稽ではあっても、こういう存在があれば頼りたくなる。 全てとは言いませんが、これが人気の一部には含まれていると思います。
さて、方や現実世界ですが、被害者感情を汲みし過ぎるのもどうかとは思いますが、一般人が疑問に思うような判決を下す裁判官は裏で何かよからぬことでもしているのではないかとすら勘ぐってしまいそうです。
=+=+=+=+= このような凶悪犯に無期懲役?、終身に亘り塀の中で衣食住付きで過すことになる、その費用というのは全て国民が納付した税金である
凶悪犯の人権をドウコウいうのであれば、理不尽にも殺された人の人権はどうなる、被害者を忘れ加害者に対して甘いのが法律のようである
税金は事件も起こさず社会の底辺で真面目に生活してる人になどに対して使うべきだろう、何か間違った判断をしてる
=+=+=+=+= 昔は届出れば自分の手で敵討ちが可能だった。 生きている中で一番の被害者とも言えるのが遺族だと思うけど、その遺族が置いてけぼりのまま裁判が進んでいく。この犯人の場合普通に日本で働いて生活するよりずっといい獄中生活になっているのでは? それに裁判員制度で参加する一般市民も多大な労力犠牲を払って参加している。裁判員裁判を採用する事件なら、その判決をもって最終判決とすべきなのでは?
=+=+=+=+= 全ての犯罪に対してでは無くていいから、この様な殺人事件とかはもっと被害者や関係者の意向を汲む判決にしてもいい気がする 最近どうも裁判員・検察官・弁護士だけで裁量を決めるのには疑問というか納得のいく判決というのが余りにも少な過ぎな気がする それが出来ないから法律上でなんとかしてもらうワケなんだけど、人生のやり直しを期待するのは全ての犯罪に対してじゃなくていいと思うし、こんなこと言うと角が立つかもしれないけど産まれつき精神疾患があるのであれば長年生きてきて一般的な社会に馴染めなかった…という結果でもあるから、それだけで減刑とか無罪にまでするのはとても意味が分からない その内ドラマじゃ無いけど、犯罪が犯罪を生む現象が起きてもおかしく無いところまで近づいて来てる気もします
=+=+=+=+= 刑務所で生活している無期懲役囚は、しばらくは社会に戻ることは諦めているのがほとんどです。
しかし、共に生活している周りの受刑者達が、次第に社会復帰していってしまい、ひととき打ち解けた仲間も、誰も居なくなってしまう。
数年、数十年と受刑生活を送っているうちに、「いつか自分も娑婆に戻りたい」という夢を持つようになる。
そして、被害者遺族が決して忘れることができない事件のことさえも、いつしか過去のことと忘れていってしまう。
無期懲役と死刑との違いは、想像以上にとても大きな差があることは間違いない。
=+=+=+=+= 無期懲役刑の上に死刑が有るのです…… ここに死刑の存在そのものの制度にも大きな問題が有ると考えます……仮に最高刑が無期懲役となり〜その無期懲役の制度をもっと細分化して……死刑に近い無期……仮釈放の無い無期とか……やはり犯罪の内容に於いて区別する様に……現行でも確かに有ることは有りますがインパクトに欠けると思います…… このような被害者遺族〜家族の苦しみと無念の思いが少しでも和らげる方向を模索しなければと強く思う一人です。
=+=+=+=+= 日本の刑法は加害者の人権保護という趣旨で作られているので、被害者のことをは考えられていません。 私人に対して国家が人権侵害を合法的に行うための法律という建付けです。 世界的に先進国で死刑は廃止される流れがあり、刑務所の運用も受刑者を番号ではなく名前で呼んだり懲役を科すだけでなく更生に重きを置いたプログラムに変わりつつあります。 加害者が心神喪失・耗弱状態であれば責任面で減刑されて死刑になる可能性も下がる。 刑法を勉強すると、一般人の感覚とはズレを感じる事もありますが、裁判官や検察官など法律のプロはその感覚を身に着けて実務に出るので、刑法のセオリーを無視した判断はしにくいでしょう。 できることは法律を作ることのできる国会への呼びかけくらいでしょうか。 被害者救済という点で、法制度が整備されていく事を望みます。
=+=+=+=+= こう言ったら元も子もないのかも知れないけど、被害者やその家族からしたら犯人が心神耗弱だろうが幼少期に何かしら問題があったかなんて関係ない。家族3人の命を理不尽に奪われた人が犯人に極刑を求めることさえ叶わないなんてむしろ特別扱いと言う名の差別でしょ。どうしても特別扱いして欲しかったら日頃から「私は罪を犯しても無罪又は減刑されます」とでも言うなり示せばいい。差別反対、平等を求めると言いながら裁判の時には特別扱いして欲しいと言うことにこそ問題があると思う。
=+=+=+=+= 今はあまりにも判決が罪を問わない方向に行き過ぎていると思います。 弁護士事務所の実績として並べられた例を見て行けば、再犯事件の被害の事など全く気にされていないと感じられるのではないでしょうか。 法はまず誰かの飯の種ではなく社会の平和を保つためにあって欲しい。 再犯しない可能性も無くはないから、程度なら懲役で無くても保護観察など再犯防止があるべき。
=+=+=+=+= この事件はずっと心にあります。自分も当時同じ年頃の娘が2人でした。ニュースを初めてテレビで見た時、すごく胸がしめつけられました。以降しばらくはこのニュースを見聞きできませんでした。今でも会社にいてふとこの事件がよぎったりします。自分のいない所で家族がこんな目にあっていたら。。家に帰って家族が普通にいるのは実は幸せなことなんだと思います。
=+=+=+=+= アメリカのように重大・複数犯罪に対する刑期加算の仕組みは実質的な死刑、終身刑に等しく、1つの解決方法だと思うが、犯罪者の収容数増加は費用がかさむこととなり、結果的に国民の負担増につながると言うジレンマを生んでしまう。また、自らの欲求で働きたくないから刑務所に入りたいというような輩に絶好の機会を与えてしまう。その結果の死刑であり、裁判員の仕組の採用だと思う。冤罪を生んではいけないのは大前提だが、いわゆる永山基準は拠り所ではあるが、より被害者に重きを置く量刑判断に変化することが、一般的な民意なのだと思う。
=+=+=+=+= 無期懲役と終身刑はまったく違う。 無期懲役は受刑者からすると仮釈放されるという希望がある。終身刑はその名の通り死ぬまで刑務所から出られない。 死刑と無期懲役の間には大きな違いがあるが、終身刑と死刑は、死ぬまで刑務所で罪と向き合うかその前に殺してもらうかだから、終身刑より死刑を望む受刑者もいると思う。 受刑者の中には自分のやったことの罪深さに気づくものも出てくるだろう。 もし冤罪だったとしたら、その時点で解決できるし、終身刑は結構いいと思う。
=+=+=+=+= この事件の時にすぐ近くで働いていて衝撃的すぎてかわいそうで今も定期的に思い出し、犯人への怒りやご遺族の方の事を思うと胸が痛くなる。どうしてこんな事があったのに無期懲役という事がありえるのか。到底理解できない。 ご遺族は本当に、日々辛いと思う。 なんで被害者ではなく加害者に甘いの? どんな理由があっても人を殺めたのならば、それ相応以上の罰が無いと気持ちのやりどころがない。これは本当に許せない事件のひとつ。 残されたご遺族の気持ちが少しでも穏やかであって欲しいです。
=+=+=+=+= アメリカって無期懲役じゃなく終身刑で 殺人とかだと年数が400年とかあるんだよね 罪によっては自分の寿命を超えた年数に 処されるので実質の死刑
あと1人殺した場合とかだと終身刑でも 刑務態度が良ければ仮釈放の可能性が 出てくるんだけど 被害者遺族がNOと言えば仮釈放は絶対にされないという法律もある 日本もそうすれば良いんじゃないかと思います
=+=+=+=+= 時代共に考え方やあり方がだいぶ変わっている。昔はパワハラ、モラハラ等無かったが、今は当たり前の時代 しかし残念ながら犯罪に対しての刑罰が全く昔ながらの考え方やあり方が全く変わっていないような気がする。 加害者に対して、更生刺させる為の判決ばかり もうその考え方ばかりを推すのはやめませんか? 犯罪を犯したらまず罪を命に変えても償う法改正にして下さい。 被害者の無念やその関係者家族の精神的な痛みを少しでも取り除く為に、被害者が少しでも納得する為の裁判に向かうようにして欲しいものです。
この改正に動いてくれる、議員や政党が有れば全面的に応援します。 どなたかお願いします。
=+=+=+=+= 加害者と無関係な被害者にしてみれば、加害者が精神疾患であろうとうなかろうと関係ありませんし、殺人という大罪が許されるものではありません。また、精神疾患や自分の欲をコントロールできずに犯す犯罪(例えば性犯罪など)は矯正不能なものが多いのが現状です。日本は被害者や加害者疑いにはかなり厳しいと思いますが、何故か完全な加害者になると、いきなり矯正の道を閉ざすべきではないとか甘い傾向があります。むしろ、このような犯罪での罪のない被害者に沿った体制が必要で、絶対加害者に対する温情はそのあとです。日本の司法やその倫理観は現状に沿って機能していないので、さらなる改革が必要だと思います。
=+=+=+=+= 自分に置き換えて考えて、悪意を持ってつきまとわれた挙げ句に被害にあった場合と、たまたま犯罪に遭遇した被害とでも違ってくるだろうと思う。 いじめとかだと、悪意を持ってつきまとってくる方だから、徹底的な報復を試みるだろうと思う。 収監中の囚人に与える罰を毎週被害者、あるいは被害者遺族がアラカルトで選択する仕組みなどはどうだろうか。 あまりの苦痛、絶望感から、囚人から赦しを請うような苦痛を与える危害はあるが生命の危険はない罰が選べるとき、囚人は日々、恐怖するかもしれない。
=+=+=+=+= この問題に興味があり、本を読んだり、ネットで調べたりしてますが、遺族が本当の意味で救われる事はかなり難しいと思います。仮に死刑になっても完全には救われないだろうし、司法に期待せずに自身で犯人を成敗したとしても救いには程遠いだろう。 かといって死刑を多発するのも違うと思うし…。考えれば考えるほど分からなくなります。 記事に出てきた被害者のご家族が少しでも心安らかにすごしと欲しいと願います。
=+=+=+=+= このような事件があると、死刑賛成と思うのだけど。一方で警察が証拠を捏造したり脅迫して自白を強要した例が後を絶たない事を思うとそれも恐ろしい。無実の人が警察で追い詰められる侮辱も魂の殺人。はっきりとした物的証拠や現行犯逮捕の場合のみ死刑という道も今後討論されては。警察内部のホワイト化、可視化も求めて欲しい。
=+=+=+=+= こういう事件で自分が家族を殺されたなら何が何でもこの手で犯人を殺したいと考えるし実行に移す計画をいくつも練るでしょう。そういう復讐が行われたという報道は見ないし被害者家族の皆さんはどれだけ人間が出来た人たちなのだろうと尊敬します。
=+=+=+=+= 私も家族や大切な人の命を奪われたら自分が報復したいと必ず思うと思います。精神疾患があって無期懲役になるのも意味がわかりませんが 仮に刑務所内で食事、運動、労働が整った環境で回復して出所しても、根本的に自己管理ができない人間でしょうからまた自分から悪い環境にして他人のせいにして同じことを繰り返すと思います。実際今年の6月にも保護師が殺害される事件が発生しており、更生のためを思う生きているべき命が奪われています。ただ、このようなニュースを見て悲しい気持ちになる反面そんな世の中を変えることができないのが悔しいです。
=+=+=+=+= 日本は犯罪者に対して刑罰が軽すぎる 被害者からしたら身内を殺されたら、殺してやりたいと思うのが自然であり、それが家族3人も殺されて1人になり犯人が無期懲役でまだ生きてると思うだけでやりきれないだろう! それに警察のあり方も考えるべきだ! 事件が起きなければ何もできないとよく聞くけど 防げた事件は山ほどあるように思う 刑法も見直しが必要だろう!
=+=+=+=+= 最高刑を望むのには同意できるけど、死刑が最高刑なのかというのは疑問が残る。 出所できるかもしれないという儚い希望を抱かせて長期の無駄な努力を強いるというのは、死刑や終身刑では与えられない苦しみだとも考えられる。 それはともかく、もう少し被害者の希望を反映できるような制度になればいいなと思う。
=+=+=+=+= 法律や憲法を生業にしてる人たちって付き合うと本当におかしいです。これは付き合いのある人だと本当にわかると思いますが…なんというか空白が読めないというか気持ちが読めない。リアルで付き合うと本当にしんどい。そういう人でないと法律や憲法に関わる仕事が出来ないのかもしれません。自分の発言で他人の人生を決められる重圧に耐えるには人の心は邪魔なのかもしれない。でも人の心がわかる人に法律や憲法があって欲しいと思います
=+=+=+=+= 極刑が多くなると捕まらないように逃げる犯罪者が増えるという理由だったと思うので、一概に悪いとは言えない。刑がどうであれ、被害者の感情は絶対に癒えることはないと思う。 ただ、39条はなくしてもらいたい。減刑になるなんてもってのほか。 堤真一さんの39を見てからずっと思っています。精神障がいのある方と話したところ、病気だろうがなんだろうが、良い奴は良いし、悪い奴は悪いと言われていました。障がいがあれば善人なんてことはないと。罪まで平等ではないのだと仰っていたのを覚えています。
=+=+=+=+= そもそも刑罰とはそれを恐れさせて犯罪の抑止とするのが一つの目的。今回のような自分から進んで刑罰を受けたいという者にはその効果は期待できない。 これは死刑にならず無期懲役になるよう犯行を調節したということから注目されたが、自死の手段として死刑制度を利用したり、社会に馴染めないという理由で「刑務所に入りたい」と犯罪を犯す者が後を絶たない。 以前から言っていることだが『自ら希望すれば、罪を犯さなくても刑務所に入れる』という制度を作ってみてはどうだろうか。少なくともこのような犯罪をする危険な人物を社会から隔絶も出来るし、それで「刑務所っていいものでは無い」と少しでもおもわせられたら、犯罪抑止の効果も出るのでは
=+=+=+=+= 法治国家というのはなんと無情な世界なんだろうか。人を殺したら自身の死を持って償うのが当たり前だと考えるのは普通の事だろ。それが叶わないと分かったら絶望しかないよね。無期懲役刑は終身刑とは異なり仮釈放の可能性がある。一審では死刑、二審で無期懲役、裁判では被告の心身疾患が考慮されて死刑を破棄し無期懲役に減刑されている。検察は上告せずに刑が確定したが当然だが被害者家族は納得出来ないだろう。被害者の無念とその家族の恨みはどこにぶつければよいのだろうか。心身疾患が減刑されるべき事情に相当するとは思えない。
=+=+=+=+= 遺族の言葉から、「人の命を奪った加害者には立ち直りの機会を与えるべきではない」という強い拒絶感が表れている。この意見は、殺人という重大な犯罪に対して、社会が加害者にどのような対応を取るべきかという倫理的な問いを投げかけている。特に、「再犯防止」や「更生」といった考え方に対して、被害者遺族の立場から見た場合の違和感や反発を感じることができる。無期懲役刑について「犯人を世間と隔離するための刑」という見方が述べられているが、これも加害者が社会に戻る可能性を残した刑罰制度への不満を示している。犯罪者を社会から隔離することの意義や、再び社会に戻すかどうかの判断基準について、社会全体で議論する必要がある。
=+=+=+=+= 殺人事件で家族を奪われた遺族の無念さは計り知れません。加害者が生き続けられる一方で、被害者の人権が軽視されているように感じられます。この記事を読んで、遺族の深い悲しみと怒りが伝わってきました。
無期懲役刑と死刑の間には大きな隔たりがあり、遺族にとっては二重の苦しみとなっています。加藤さんや北口さんの言葉からは、やり場のない怒りと絶望感が伝わってきます。特に、裁判で死刑判決が覆されたことへの失望は大きいようです。
現行の刑罰制度では、遺族の感情に十分に応えられていないのではないでしょうか。終身刑の導入など、被害者の人権にもより配慮した制度を検討する必要があるのではないかと思います。同時に、遺族へのケアや支援も重要だと感じました。
この問題に簡単な解決策はありませんが、被害者と加害者の両方の人権を尊重しつつ、より公平で納得できる司法制度を目指すべきだと思います。
=+=+=+=+= 無期懲役とはつまり、凶悪犯罪者に対して「安心安全な環境で健康的な生活を一生涯保証」しているのと一緒なわけで。
もし災害が起きても、職員が真っ先に避難させて安全な場所で身柄を確保し続けるんでしょうね。
司法の直轄下にいるがゆえに一般市民より余程良い待遇で守られるだろうことが想像できる。
日本の司法は本当に異様な状況だと思う。
=+=+=+=+= 法の下の平等という考え方があります。憲法14条の規定で不当に差別されないことです。意味は違いますが、他者を殺害した犯人を死刑に処せば、生命を奪った側も奪われた側も文字どおり法の下の平等に思えます。冤罪の可能性が高いとか故意ではなく過失の場合は別ですが。生存の権利を奪った代償が死刑です。死刑執行をためらう社会なのであれば米国のように銃の所持を認めて自衛の権利を認めるべきです。
=+=+=+=+= 法の下の平等という考え方があります。憲法14条の規定で不当に差別されないことです。意味は違いますが、他者を殺害した犯人を死刑に処せば、生命を奪った側も奪われた側も文字どおり法の下の平等に思えます。冤罪の可能性が高いとか故意ではなく過失の場合は別ですが。生存の権利を奪った代償が死刑です。死刑執行をためらう社会なのであれば米国のように銃の所持を認めて自衛の権利を認めるべきです。
=+=+=+=+= 前から思っていた事だが日本の法律は多くの先進諸国(独裁国家以外)の法律と比較して甘すぎると思っている。 特に罪もない人の命を奪う凶悪犯・重罪犯の判決に長い時間を要し、結果的にはとても被害者側の納得が出来ない様な判決となるケースが多く目立つ。 (特に先進国で同じような犯罪での判決と比較すると日本の刑の軽さを痛感)
現状の法律ではこの判決が仕方ないとしないで、時代変化を踏まえ少しでも被害者側の気持ちに沿った判決を更に早く出せる様に法改正するべきと思う 此のことは犯罪を減少させる事にも繋がると思われる
=+=+=+=+= 難しい問題ですね。。 冷たい言い方をすれば、 裁判は加害者を裁く場所で、被害者を救済する場所ではないんですよね。 あと法律は、抑止力になってる面もあるけど、事後の罰則に過ぎない。
仮に、死刑になったからといって、遺族は救われるのかな?死刑になって、遺族の手で死刑執行して良いって法律があったら、遺族は救われるのかな? 個人的には、遺族が救われることはないし、救われることがあるなら、被害者が戻って来ることだけだと思ってる。
そうならないためにも、事前に防止出来るように法律を厳しくするとか、事前に悪さしようとしてる情報のタレコミがあって証拠が固まれば報奨金出すとか。
ドライな考えで書いてますが、こういう想いをする方々が減ってほしいと思ってる。
=+=+=+=+= 無期懲役と死刑の差が激しいんだよ その間の刑罰が無い。 無期懲役とは言え長くても30年位で出てくる その間人を殺める程の罪を犯したにも関わらず 生活自体は保障される。それも税金で 3食しっかり食べられて雨風しのげてきちんと寝具を使い寝れる。加えて風呂に入れて衣服も支給されるさらには病気になれば病院へ それが一切当人はお金がかからない なんなら出所する時には施設まで紹介され 懲役である以上いくばくかの金まで貰える。 それと命をもって償う事との差が激しすぎる これじゃ被害者や被害者家族、親族、関係者は納得出来ないのは当たり前。 そろそろ刑法も古いままの部分もあるし 考え時じゃないの?
=+=+=+=+= 日本の司法制度は今の時代にあっていない。優先されるべきは被害者である。ましてや本件のように被害者に一切過失がない案件では凶悪犯に死刑判決、早期執行を行うべきだ。被害者な納得できない判決が相次ぐと司法制度の崩壊、また復讐をせざるおえない状況に追い込まれる。 本件被害者のご冥福をお祈りいたします。犯人が許せません。
=+=+=+=+= 心神耗弱っていうは本当に減刑の理由になるのだろうか?逆に言えばその状態なら人を殺してしまっても仕方ないよね。と国が認めてるわけで。実際には医療刑務所で不自由な暮らしをするみたいだけど、記事にあるように犯人が生きてる、死んでるっていう違いは被害者遺族にとっては大きな違い。 弁護もすぐに心神耗弱を狙うようになってきてるし、司法のあり方を見直す必要はあるんでないかな。
=+=+=+=+= 日本の司法は基本的に「死人に口なし」を事実上、認めるような判決が多い。また、それに基づく法律もしかり。これは結局その法律を作ったり、判決を言い渡す立場の議員や判事が逃げ腰だからと言われてもおかしくない。社会的立場は高く認められている分、その責任は重いはずだが、現在の法律は国の骨格を骨抜きにしている。だからこのような被害者が2次的、3次的な被害を受けることになる。憲法では基本的人権の尊重を謳っているが、その「基本的人権の尊重」はこのようなケースなどの場合、誰の人権を尊重すべきなのか?それは被害者本人やご家族、または遺族に他ならない。犯した罪に対してそれと同等かそれ以上の刑罰を与えて贖罪させてこその加害者側の人権がある。そんな基本的な人の思いもわからないようなことをしているから犯罪の低年齢化も進むのだろう。速やかな法改正をしなければ、本当に国の骨格が歪んでしまう。
=+=+=+=+= 殺人の場合には罪の大小を決めるのに遺族の声を聞いても意味がない。 遺族は完全に被害者の気持ちを読み取れないし、被害者は遺族の所有物ではなく、天涯孤独の人間なら殺しても罪が軽くなるというのは現代の価値とはかけ離れているからだ。 殺人犯の罪の重さを決めるのは国民がどんな社会を望むかという価値観によって決めるべきもの。
=+=+=+=+= あまり詳しくないのですが……。 結局、量刑裁判で決められるのは禁固刑や懲役刑の振り分けと、その期間くらいで、収監されたあとはどの囚人も扱いは同じという事なのでしょうか。 いかに凶悪かつ非道極まる犯罪を犯したとしても、日々の労苦はあくまで常識的な範疇であり、自由が制限されているという一点を除けば、下手をすれば社会生活を送る労働者よりも楽に生きていける(しかも生活が保証されている)という事ですよね。 生活力のないお年寄りが刑務所に入りたくて(生活の面倒を見て欲しくて)再犯を繰り返す話を以前に読んだことがあります。 実際に刑務所の暮らしは、慣れてしまえばそう悪いものでは無いのでしょうね……。
=+=+=+=+= 身勝手な犯行は断じて許すべきではない。 無関係な人を殺めた奴は当然のこと、飲酒、逆走などで相手を死亡させたなら同じことが言えると思う。 人を殺めたなら同じ形で償うべき。それでも残された遺族が癒される事は一生ないのだから。 裁判官は全てを自分に置き換えて考えるべき。 判例ではなく、もしあなたの身に同じ事が起こったら、一人の人間としてどう考えるか。 きっと遺族と同じ思いになると思います。 裁判はもっと遺族感情を取り入れるべき。
=+=+=+=+= 今日の日本にはプリンシプルというものがない。事故、不可抗力、正当防衛などの諸事情があれば量刑を計る要素となると思うが、法の原則は「目には目を」ではないのか。命を奪った代償は命であがなうしかないと思う。 加害者の命を奪ったところで被害者が戻るわけではないと人権派は言うが、「目には目を」の原則にのっとれば、被害者の生存権を奪った以上、加害者の生存権を失ってしかるべき。人を殺めても生きながらえることができるとなっては、同様の犯罪の抑止にはつながらないのではないだろうか。
=+=+=+=+= 私もこの判決には納得がいかない。当時福岡県に住んでいた頃、小郡で元自衛隊員が妻、子供2人を殺害し状況証拠から死刑判決が出た。三人もの生命を奪っておいて無期懲役とは司法において前例となる基準を全く否定する形となってしまい、こんな前例を作ってしまっては後々同様の犯罪を繰り返す事に繋がってしまうのではないか?と考える。この判決に対して恐らく相当の批判が出るのではないか。
=+=+=+=+= ハンムラビ法典に「目には目を歯には歯を」という有名な条文があります。やられて悔しい人は、同じ程度の復讐をする程度でとどめなさいという抑止の意図でつくられた、と考えられるのです。
『ハンムラビ法典』の後書きには、王の願いとして「強者が弱者を虐げないように、正義が孤児と寡婦とに授けられるように」との文言も記載されています。
この精神は全ての人類が引き継ぐべき価値観だと思います。
無期懲役が本当に妥当なのでしょうか?
=+=+=+=+= もうこれは被害者との距離感の問題だからその感覚や意志の差というのはどうしても生じてしまう。
聞くところによると、 裁判で極刑が求刑されたが判決が無期懲役となった場合、その囚人の仮釈放の検討の際には検察側からはそれを承知しない或いは同意しないという意見が出され、仮出所のハードルは限りなく高くなるらしいとあうかほぼ可能性がないとか。
ちょっと気になるのは、 例えば熊谷の事件のような無期懲役囚に対して収監中に何かしらの治療は施されるのだろうか?ということ。 まぁ積極的な治療は施されないと思うけれど。
=+=+=+=+= これは確かに遺族にしてみれば、納得できない判決。 なぜ検察は諦めたのか。 その理由は遺族には知る権利があるだろう。
生きる望みを失い、さらに判決で人を信じられなくなったという遺族を生み出した事件だよ。
検察も裁判官もご自身ごとと思って判決を下したのか。
確かに法は法。情だけではないかもしれんけど。。
被害者に寄り添う法であって欲しい。
=+=+=+=+= 悔しいけど、死刑に難色を示す人が居るのはある程度理解できる。無期懲役乱発も致し方ない。が、死刑制度は、制度としては必要だと思う。 ふざけてると思われるかもしれないが、無期懲役中の態度が悪ければとか、過去の余罪が出てきたら、死刑という刑罰があっても良いと思う。
無期懲役の問題点は、慶事があったとか勤務態度が良かったとか、懲役中減刑(恩赦)制度があるのが何より許せない。 一度はきっちと判決されたものだ、無期懲役は無期懲役。犯罪者の減刑(恩赦)するなら、その分金銭に換算して遺族に追加で賠償するべきだと思う。
=+=+=+=+= 被害者に寄り添うということでは、いじめもDVも犯罪という海外のような法律に変えてほしいです。転校したり シェルターに入ったり 被害者が日常を変えるのではなく、加害者が転校し DV をした者がシェルターに入るべきです。そして、「魂の殺人」といわれる性犯罪を犯した者はチップを入れるとか(何らかの印)周囲がわかるようにしてほしい。そんなことしても誤魔化すことは出来るのかもしれないけど。性的嗜好の再犯が多いのは事実です。
=+=+=+=+= 責任能力の考慮については法律学を少しでもかじれば理論上やむを得ないことは分かるが、絶対にあってはならない事件でもあるので、危険な兆候が明らかな統合失調症の人物については事件を起こす前に社会から隔離できる制度はあって欲しいと思う。もちろんしっかり審査した上で隔離する必要はあるだろうけど。
=+=+=+=+= 司法制度に厳刑を求めるなら何処に被害者遺族は訴えればよいのでしょうか。被害者遺族が置き去りなら気の毒過ぎます。 近年、特殊詐欺が絶えず、強盗犯も減らない。さらには、警察官の懸命の逮捕でも、現在の刑事罰は反省や初犯なら加害者寄りで刑罰が緩く、結果再犯性もある状況では、司法の考えを現実に厳しくする必要があります。厳しくする事にデメリットはないですし。一度でも犯罪に手を染めると改心をこころ覚える程に手厳しく罰する法改正をすべきです。 税金を使ってでも収容が出来る刑務所も整備、しかし刑務所受刑者には厳しい生活環境にて刑に服す期間にすべきも考える方が良いです。雨がしのげて三食なんて環境は整えるべきではなく刑務所は厳しい環境と認識させるものに。刑法と飲酒運転の厳しい法改正を願いたいです。
=+=+=+=+= かつての光市母子殺人事件が思い出される。一審で検察は死刑を求刑したが、被告が未成年であったことなどから無期懲役の判決が下りた。判決後の記者会見で、被害者家族の父親が、「すぐに釈放してほしい。私が・・・する」と衝撃のコメントしたことが忘れらない。結局、最高裁まで争われ、被告は最終的に死刑が確定したのだった。法曹関係者といえども所詮は人間である。さらには、その中の個々人は、限界ある人類の中にあって相対的に有能な人物であるか否かも定かでない。
=+=+=+=+= 日本もイスラム教でなくイスラム法にのみ改正を望む、一番世界に適したイスラム法の一部、交通すべて違反反無、相手を交通事故で死亡させたら同じ用に事故自己責任で同じ場所で再現事故即死亡、又殺人同じ用に刺され放置時間も同じ即殺される、すべて犯罪全く同じように検証し犯罪の判決で終わる。これで現在の犯罪数より間違いなく犯罪は防げます。
=+=+=+=+= 人間は善であり悪を犯した人でも更生するという考え方が根本にあるが、そんなのは人それぞれであり一律に決められるものではない。 それぞれのケースを審議し量刑を法に基づかず決め裁くようにならないとこういった事は無くならないけれど、それでいい社会になるかどうかはね。
=+=+=+=+= 世間の失敗に対する厳しさと、法のぬるさにギャップがあることが気になります。 法を厳しくするなら世間の厳しさが味方すると思いますが難しいのでしょうか。 世間は基本的に厳しすぎると思いますが、せめてこういうときくらい利用してはどうでしょうか。 国会議員の方々には、ぜひ刑を厳しくしていただきますようお願いしたいです。
=+=+=+=+= 刑罰は法秩序を守るためにある訳で、ましてや極刑は復讐のためにあるわけではない。なので刑務官は復讐代行をやっているわけではない。法令と判例が無期懲役相当であったならばそのような判決が出るのは当然であり、それで納得がいかないのであれば法改正が必要である。ただそれでも刑務官が復讐代行をするわけではないし、世界的に見ても極刑は廃止される傾向にある。それでもって極刑に範囲を広げることが国際社会の一員である日本が取るべき道なのだろうか。 まぁ被害者遺族という立場になったら真逆の事を言い出すかもしれませんがね。
=+=+=+=+= 気持ちはわかるなんて軽々しく言うことではないのはわかってます。 その上で。 極刑になったところでじゃあ遺族の苦しみがなくなるかというと、そんなことはないと思います。 あくまでも無期懲役と極刑を比較するからそう感じるのであって、極刑でももっと苦しむかもしれない。 遺族の心の問題というのは、その刑の重さとはまた別のところで考えられることではないかと思います。
=+=+=+=+= 無期懲役って終身刑と違う解釈ですが、そろそろ解釈変更しませんか? 例えば無期懲役の判決なのに、30年後に保釈されて保護観察となれば、それは有期懲役になってしまうと思う国民が多いのではないでしょうか? 法改正なり解釈変更なり、国会議員にはプロセスを経て進めてもらいたい。 多くの国民は、無期懲役=終身刑を望んでいると思いますので、やろうと思えば「エイヤッ」っと出来ていまうと思います。
=+=+=+=+= 日本の無期懲役は、服役態度が良ければ年に最低一回は有る恩赦を合わせ10数年~30年で仮釈放となる。無期と言いながら実際は有期であり、そもそもこれがおかしい。 法務省の「無期刑受刑者に係る仮釈放審理に関する事務の運用について」という通達(2014年)によって、無期刑受刑者が刑の執行を開始した日から30年が経過したときは、同法35条の必要があると認めて仮釈放審理を開始する(不許可の場合は更に10年後再審理)。この通達以前は服役後10年後に仮釈放の審理を行なっていた。裁判で結審した罪状を国が勝手に変えてよいのか。 ならば、諸外国のように無期懲役を廃止し、懲役数百年以上の刑にすれば、いくら恩赦で年に数年の減刑があろうと、死ぬ前に仮釈放が来ることはなく、遺族側も納得するだろう。 または、この法務省通達を満80歳を超えかつ30年以上服役した受刑者だけに適用するよう改正するか、廃止することだ。
=+=+=+=+= 記事の中でも触れられていますが、現在は凶悪犯罪で無期懲役になった受刑者は仮釈放の申請をしても通らない運用になっており、実質的な終身刑となっています。
しかし、あくまで運用でそうなっているだけで、法的にそうなっているわけではありません。
法的に「終身刑」を作り、今の無期懲役は「懲役15年」とか「懲役20年」に置き換えた方が色々とスッキリするのですけどね。
=+=+=+=+= 被害者家族の苦しみは計り知れないはずです。 一審の死刑判決から二審で無期懲役となったが理由も納得できませんね。犯罪を犯している時は自らの意志で実行しているわけですし、責任能力がどうこうの問題ではない。世の中同じような精神疾患の方は皆同じ様な犯罪を犯しても同じ判決となるのでしょうか️ 後付けの理由にしか感じません。鑑定も精神疾患を装っているだけかもしれません。
人を殺したという事実のみが確定要因です。一審の判決が最善だと思います。
軽々しく言うつもりは御座いませんが、亡くなられた方の御冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 昔、法律勉強してたころ刑法の専門家やら司法の人たちは、「刑罰は重くすればいいもんじゃない。感情的になる愚民と我々は違う」「被害者感情なんて法理論の枠外の下等なもの」みたいな思想になった人々が多いのに違和感をいだきました。
たしかに法理論やら刑法の歴史とか学ぶとエリート感覚みたいなもの、「野蛮な感情でいてはダメ」が芽生えてくるんですよ。
でも、それが正しいのかは別。それで見えなくなるものも多いです。司法関係者は、「あなた達が正しいと信じてるものは本当に正しい?」と問いたいです。
=+=+=+=+= 本当に、この方の絶望を思うと、今でも心が痛む。 光市の事件から、家族を失い、残された者の絶望について、矛先の無い憎悪について、考えてしまう。もし、自分だったらと想像することしかできない無力さに、情けなく思う。 どうすれば救えるのか…そのような理不尽な犯罪を完全に消し去ったとして、救いにはならない。家族は帰って来ない。 だが、我々も怒りを持ち続けることだけは決して忘れないと、主張したい。
=+=+=+=+= 心神耗弱が免罪符となって極刑を免れる事案がとても多い気がする。被害者遺族はとてもじゃないが承服出来ないだろう。極刑はそれに値する理由があり、犯した事実は例え心神耗弱でも免れるものではない。日本の無期懲役は必ずと言っていい程、何年かで社会に出てくる。この無期ではないのに無期懲役とする事自体が間違ってはいないだろうか。
=+=+=+=+= 日本はおかしいんですよね 何故だか加害者に寄り添ってる判決ばかり。死んだ人より生きでる人?それが例え命を奪った犯人だとしても 生きてる犯人に寄り添うのが日本 そりゃ 被害者遺族にしたら もう自分の手で殺してやりたいって思っても不思議じゃないよなと毎回思う 自分が同じ立場になったら そう思うよなと 実行してしまうかもしれないくらい追い詰められるよなと思う 日本の犯罪に対する考え方 法律を見直すべきでは 誰か偉い人 頑張ってくれないかな
=+=+=+=+= 刑法の殺人罪は何人殺したら死刑になるとかは書いていない。 あくまで人を殺した場合について量刑を定めているだけである。 永山基準は最高裁が死刑基準を示したものだが、この最高裁判断自体が違法ではないのか。もしこの永山基準で裁くのなら死刑の適用について刑法を改正しなければならないのではないか。つまり永山基準で死刑にするしないを判断する事は違法となるのではないか。司法が法律を守っていない事にはならないか。
=+=+=+=+= まず、凶悪犯罪を犯した被疑者に人権があるのですか。人権を擁護するのは、被疑者ではなく被害者や被害者遺族です。警察が護送の際にフードを被せて顔を隠すのは被疑者の人権への配慮のつもりですか。被害者の顔はマスコミによって、問答無用さらされる。判例に基づいて裁判官が判決を下すのも分からなくもない。しかし、特に尊い命を奪われた被害者ご遺族の処罰意見が裁判に反映されてしかるべきではないか。 極刑を望んでいる被害者ご遺族に対して、事情はともあれ、無期懲役の判決を突き付けるのは、痛手を負ったところに更なる追い討ちを与える事に対する 裁判官の良心の呵責はないのか。 想像しただけでもご遺族の心痛察し余る。
=+=+=+=+= 裁判員裁判は国民感情を裁判に取り入れるため 採用された制度なはず。裁判員も場合によっては 惨劇の画像を見なければならずかなりストレスを 背負って判断してるはず。 一方、裁判官は過去の判例に従って判決を出す。 結局、裁判員の考えと過去の判例には大きな差が あるということ。 また、裁判官も新たな判例を作ろうとはしない。 既に裁判員裁判は形骸化している。 外国の裁判を真似て作った制度が ホントにただのマネになってしまい 全く機能していない。 裁判員の判断を裁判官が容易に覆すことが 出来てしまう制度はもう見直すべき。
=+=+=+=+= 日本の司法制度は被害者になったことがないお気楽官僚が作ったから、加害者に甘く、また裁判官も普通の感覚を持った人が少ないし、そのために裁判員制度導入したのに何の機能もしてない。これを作った官僚も普通の感覚ではないから仕方がないとは思うけど、本当にもし、自分の家族がされたらと思う気持ちで法律を作ってほしい
=+=+=+=+= 心神喪失や心神耗弱があったということは要は反省もできず自分をコントロールできないわけだけら、人を殺した人はそれこそまた心神喪失や心神耗弱で同じように人を殺すかもしれない。
責任能力がないとして刑罰は減免するとしても、心神喪失や心神耗弱がなければ死刑に値するような罪状であれば終身、無期懲役や有期懲役になるような罪状であればそれに相当する期間は完治するかどうかにか変わらず、強制的に隔離すべきだと思う。
=+=+=+=+= 被害者に寄り添うとの意見が多いけどそれだけは反対。 被害者に依存する報復の観点ではなく、国民主体の意思に依存して「許されざる犯罪」として厳格に裁いてほしい。
特に意図的に命を奪う犯罪については「死刑ありき」で考える必要があり、長年虐待を受けていたなどの目を覆いたくなるような境遇を目の当たりにした場合に初めて死刑より下の刑が検討されなければならない。
ましてや凶器を手にしたり、明確に命を奪う方法を選択して犯行に及んでいる場合は、冷静に手段を選んでいることから刑法39条なんて適用されないはずであり、これまでの運用について司法関係者の猛省と運用方針の修正をお願いしたい。
=+=+=+=+= 犯罪被害者はマイノリティなので、マイノリティに寄り添う事が必要な一方で、マイノリティ中心に政策や法律が作られるとどうなるかは、昨今のスポーツ選手の性自認の問題のように懸念がある。そもそも政策や法律は最大公約数のルールなので。
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