( 209543 )  2024/09/07 16:32:39  
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日本海軍の潜水艦「伊58」。終戦まで生き残った数少ない潜水艦だ(写真・時事) 

 

 太平洋戦争で日本海軍は壊滅するまで戦った。軍艦大和、武蔵以下の艦隊戦力や航空部隊は、すり切れるまで戦い終戦を迎えた。 

 

 中でも、潜水艦はことごとくが沈む結果となった。合計174隻のうち131隻が沈没している。生き残った43隻も多くは終戦直前の完成であり未出撃である。つまり作戦に参加した潜水艦は、ほぼ沈んだのである。 

 

 なぜ、日本潜水艦はこれほどまでの数が沈んだのか。 

 

 その最大の原因は、空調不備である。日本潜水艦も潜航していれば、アメリカ駆逐艦の攻撃をかわせた。ただ、二酸化炭素除去ほかの能力を欠いており長時間の潜航はできず、2日目には浮上しなければならなかった。そこを沈められてしまったのである。 

 

■潜水艦作戦の失敗 

 

 日本の潜水艦作戦はなぜうまくいかなかったのか。その原因はすでに尽くされている。 

 

 なによりも、潜水艦を戦略用途に使わなかったことである。本来ならアメリカ沿岸などへの後方撹乱に投入すべきだった。そうすればアメリカ海軍は、後方防衛をせざるをえなくなる。戦力分散を強要できたのだ。 

 

 しかし、日本海軍はそれをせずアメリカ艦隊攻撃といった目先の作戦に投入してしまった。 

 

 また、整備方針も誤っていた。航空機搭載型や水上高速型といった手間がかかる潜水艦ばかりを作った。しかも、開戦以降だけでも合計15形式も建造する多品種少数生産の非効率であった。 

 

 そして、作戦指揮も不適切であった。潜水艦は自由に行動させるのが一番よい。それにもかかわらず、日本海軍はよく命令や指図をしていた。しかも、そのために潜水艦との通信はひんぱんにせざるをえず、よく逆探知で概略位置をあばかれてしまった。 

 

 そのうえで、英米の技術に圧倒された。日本潜水艦は、逆探知器材や暗号解析で概略位置をつかまれ、浮上移動中の状態を駆逐艦や飛行機のレーダーで発見され、潜航しても駆逐艦の音響探知機ソーナーや航空機の磁気探知装置で捕捉され、爆雷や対潜爆弾の攻撃を受けて沈んだのである。 

 

 

 これは50年前に、鳥巣建之助さんという方がまとめている。元潜水艦部隊の参謀として、海上自衛隊OBなどが加入している「水交会」の会誌『水交』などで、日本潜水艦作戦の失敗について書き尽くされている。 

 

 現在において、これは海上自衛隊における反面教師でもある。潜水艦は敵国の後方撹乱と戦力分散の強要に用いる。整備方針もそれに最適化させている。活動も艦長一任とする。これはすべて日本海軍の失敗を踏まえた方針である。 

 

■潜航こそ最大の防御 

 

 ただし、どちらかといえば日本潜水艦が活躍できなかった原因を述べたにすぎない。日本潜水艦は戦果を挙げられなかった。対してアメリカ側は日本潜水艦をよく攻撃できた。それを説明する材料でしかない。 

 

 潜水艦のことごとくが沈んだ理由からは、実はやや離れた説明だ。いずれも日本潜水艦がアメリカ海軍の攻撃をかわせなかった、逃げ切れなかった理由でもないからである。 

 

 では、その理由はなにか。 

 

 それは、潜航状態を長く続けられなかったためだ。水中活動時間が短すぎたため、アメリカの駆逐艦や航空部隊の攻撃をかわし続け、逃れ切るまでには至らなかった。 

 

 潜航すれば、日本潜水艦でもアメリカ海軍の攻撃は回避できた。浮上状態で見つかっても、攻撃を受ける前に潜ってしまえば簡単には沈められなかった。 

 

 今でもそうだが、ソーナーには確実性はない。当時、水中にいる潜水艦の発見は今でいうアクティブ方式のソーナーに頼っていた。駆逐艦から音を出し潜水艦から反射して戻るのを探知するやり方である。ただ、原理的に探知不能の状態も発生する。また当時の技術水準から探知距離もあまり長くはなかった。 

 

 しかも、午後には利きが悪くなった。理論の説明は省くが、昼間の日差しにより海水温が上昇するためである。 

 

 海表面から始まる温度上昇がソーナーの深さまで達すると、潜水艦は探知できなくなる。当時の駆逐艦は、午後になるとそのような状態に達した。 

 

 潜水艦の騒音探知も容易ではない。駆逐艦は聴音機、今でいうパッシブ式ソーナーも装備していた。ただ、当時の駆逐艦は小さいため聴音機と騒音源の距離は取れない。駆逐艦自身のエンジンやスクリュー音で聞こえなくなる事態が生じていたのだ。 

 

 

 そのうえ、どちらの方法も潜水艦が冷水層に入り込むとお手上げである。ほどんどの条件で、音響は温度変化層を通過できない。駆逐艦からの捜索音波は潜水艦には届かないし、潜水艦側の騒音も駆逐艦には届かなくなるのである。 

 

 攻撃の成功率も低かった。 

 

 基本となる爆雷攻撃は面倒であり、不確実でもあった。3分後に潜水艦がいる場所を推測し、そのわずかに先に駆逐艦を移動させ、そのうえで爆雷を投下する必要がある。 

 

 さらに、その将来位置の推測もいまひとつであり、投下する爆雷の弾道や沈下速度にもブレがあった。いきおい、攻撃は不確かとなるため1度や2度の攻撃では潜水艦は沈められなかった。 

 

 潜水艦も攻撃回避に努めた。針路の急変更や加減速で将来位置を変化させれば、照準を外せた。爆雷も水圧設定爆発なら深度変更でかわせる可能性もあった。 

 

 連続攻撃もできなかった。爆雷攻撃のあとには潜水艦は探知不能となるからである。爆発で生じる水泡と残響の影響からソーナー探知や雑音探知は不可能となり、しばらくの間は再探知や再攻撃はできない。 

 

 つまり、潜航さえしていれば潜水艦はそれなりに生き残れたのである。 

 

■2日間の潜航が限界だった 

 

 ただ、日本潜水艦の場合は2日間の潜航が限界であった。船体規模によるが20時間から40時間で限界を迎えてしまう。頑張っても50時間を超える潜航はできなかった。 

 

 そのため探知や攻撃をかわし続けても、最後には浮上せざるをえなくなる。浮上中に爆雷攻撃を受けて沈む。あるいは浮上後に砲撃や爆撃を受けて沈んだのである。 

 

 では、なぜ潜航を続けられなかったのか。 

 

 それは、空調機能が貧弱だったためだ。なによりも戦争最末期まで、現実的な二酸化炭素除去ができなかった。艦内の冷房除湿は最後までできていない。そのため短時間で艦内環境は生存限界に達してしまうのである。 

 

 これは、名古屋経済大学の中西昌武教授が「厄介な乗り物としての潜水艦(2)」としてまとめている。日本の潜水艦では1時間あたり0.2~0.3%の割合で二酸化炭素濃度が上昇する。そのため、長くとも35時間後には失神濃度の7%に到達する。 

 

 その頃には湿度100%のままで室内温度も40度を超えている。そのままでは窒息死、ないし熱中死してしまう。だからアメリカ駆逐艦との砲戦を覚悟のうえで、浮上を選択する旨が説明されている。 

 

 

■空調さえ完備されていたなら 

 

 この空調不備が潜水艦損失にいたる最大の原因である。これは、空調が充実した状態と比較すれば分かりやすい。 

 

 空調により長時間の潜水ができたらどうなっただろうか。原始的な水酸化ナトリウム系資材の利用でも、二酸化炭素を除去できた。その際に生じる発熱を含めて冷房除湿で対応できていたとすればどうなっただろうか。 

 

 相当数の潜水艦が生き残ることになる。その理由を整理すれば次の3つである。第1に、アメリカの駆逐艦から逃げ切る可能性が高まること。次に、潜水艦乗員のミスも減ること、そして生存数増加によりアメリカの駆逐艦への対応ノウハウの蓄積も進むことである。 

 

 第1に、アメリカの駆逐艦から逃げ切る機会が増える。空調により日数2倍となる4日間ほどの潜航ができれば、その可能性は一気に高まる。 

 

 繰り返すが、当時の潜水艦は潜航さえしていれば簡単には沈められない。アメリカの駆逐艦を出し抜く機会もありえた。冷水層に入り込めなくとも、ソーナーから逃がれられる可能性もある。 

 

 基本的に日本の潜水艦はアメリカの米駆逐艦から遠ざかるが、これは艦尾をソーナーに向ける姿勢であり音響反射面積は最低限となった。つまり見つかりにくくなるのである。仮に見つかって攻撃を受けても攻撃回避はできた。そのようにして午後まで凌げばソーナー探知も難しくなる。 

 

 一度、出し抜けば脱出も難しくはない。アメリカの駆逐艦は、最後に探知した地点を中心にして再捜索する。その間に逃亡を図る。吸気筒や潜望鏡はレーダ探知の可能性があるので上げない。逆探知されるので、アンテナを上げての無線通信もしない。 

 

 それから2日も経てば逃げ切れる。アメリカの駆逐艦はそれほど長くは居座らない。最後に水中探知してから2日間、50時間も経つと潜水艦であっても100キロメートル近くは移動している。その頃には、見当違いの場所を探している可能性が高い。そう判断して立ち去る。 

 

 

 
 

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