( 209568 ) 2024/09/07 17:04:16 0 00 自民党総裁選挙に立候補を表明した小泉進次郎・元環境大臣。盛り上がりそうな総裁選をよそに、筆者は「経済政策は政治に何の関係もない」と言う(写真:ブルームバーグ)
自民党総裁選挙(9月27日開票)が、思いのほか盛り上がっている。私のもとには「経済政策について、どのような論点があるか議論してほしい」という依頼がいくつかのメディアから寄せられた。
そんなものはない。
そう言ってしまうから、私の仕事は増えないのかもしれないが、事実だから仕方がない。経済政策は自民党総裁選においては、まったく関係ない。いや、衆議院選挙だろうが何であろうが、要は政治の世界に経済政策はもはや何の関係もないのだ。
■巷で言う「経済政策」の4つのカテゴリーとは何か
ここで、経済政策の定義をしておくことが必要だ。
ちまたで経済政策と呼ばれるものの多く(第1のカテゴリー)はバラまき、つまり、有権者の買収的なものである。定額給付金、一時的な定額減税などがこれに当たる。
2番目のカテゴリーは、いわゆる景気対策である。景気対策と称して、第1のカテゴリーのバラまきを行うというのが近年のほとんどの例である。
本来、景気対策とは、マクロ経済の景気循環を均(なら)すことにより、長期的には価値のある企業や雇用を守るというものである。しかし、企業においては、価値がある企業に関しては、銀行や株主が自己利害から支援するはずであるから、政策対応は必要でない。
守るべきは、雇用と個人企業に近い小企業である。失業、とりわけ若年層の失業は、経済的にだけでなく社会的に損失が大きいため、何としても守る必要がある。だから景気対策は、要は失業対策なのである。
第3のカテゴリーは、政策論争で最も華やかな、いわゆる「成長戦略」である。さらに第4のカテゴリーは、実はまったく日本では議論されることはないが、経済に対する考え方を変え、経済の構造そのものを変えることを意図する経済政策である。これは最後に議論することにしよう。
まず、第1のカテゴリー、バラまきは経済政策ではない。有権者のうち誰をターゲットとするかという選挙戦略政策であり、経済とは無縁だ。しかし、昨今の経済対策とはほとんどがこのカテゴリーに入ってしまう。物価対策もガソリン対策を中心に明らかにそうである。子育て支援もこれに入る。
■財政再建と経済成長は「二者択一」ではない
そうすると、第2の景気対策が重要な政策の争点になりそうに見えるが、現実にはそうではない。なぜなら、現在、景気対策が必要かどうか、どれほど大規模なものが必要かどうかという点は、政治的なイシュー(論点)ではなく、純粋に技術的なエコノミストの判断に依存する。
現在のデフレギャップがいくらあるかなどはエコノミスト間では論争するべき問題であるが、政治家により公約として論争されるものではない。必要な景気対策はやるということであり、それは論点にならない。
この点でよく論点として挙げられるのが、「財政再建か、経済成長か」というもので、究極の選択を政治家(あるいは論戦相手)に突きつけて喜ぶ人々がいる。この論点を設定する時点で、財政再建は後回しですべては経済成長からという主張をして、究極の選択のように論戦を挑み、「財政再建も重要だ」とでも言おうものなら、「財務省の回し者」とレッテルを貼り、国賊扱いをする戦法なのである。
この小賢しさはともかく、この論点の設定は無意味である。なぜなら、そもそも財政と経済成長は二者択一でなく、別の論点であり、どっちが重要という問題ではなく、どちらも考慮せざるをえないのである。財政再建に関しては、どのような手段でどのくらいのペース、時間的な目標でというのは議論すべきことであるが、テクニカルな戦術問題であり(後回しという無視戦術も含めて)、経済成長戦略はそれとは別個に議論するべきものである。
財政再建は経済成長の障害にはならない。なぜなら、経済成長戦略と、より整合的な増税あるいは歳出削減をすればいいのであり、「とにかくマクロ経済を拡大しなければならない」というのであれば、それは成長戦略ではなく、大規模景気対策という第2のカテゴリーのものであり、それは景気判断に基づきやるべきものである。
したがって、経済政策として取り扱うべきものは、いわゆる「成長戦略」に限られることになる。この話は、この連載でも議論したことがあると思うが、現在の成熟国の経済において政府による国家経済成長戦略というものは存在しない。あるいは、絶対にうまくいかない。なぜなら、世界経済における国家の役割が低下しているからだ。
財政健全化もかつては、国債の格付けが下がると、どんな優良企業でも国家の国債の格付けを超えられないから、すべての企業に影響があると言われてきたが(今でもそう信じられているが)、実際には日本国債よりもトヨタ自動車の社債のほうが信用力が高いのは誰の目にも明らかだ。そして、ストレートな社債でなくともさまざまな手法が存在するので、自国国家と企業の依存関係は薄まっていく一方だ。
■産業政策の有効性も今やほとんど皆無
さらに、かつての日本の経済政策の中心と思われていた産業政策、これも現代においては有効性はほとんどないといえるだろう。政府が特定の産業を選んで、そこに集中投資をする(それを促す)というのは通用しない。
民間セクターに十分な資本があり、成功するとわかっている分野には過剰なまでに融資も資本も集まる。それでも政府が援助する必要があるのは、何らかの産業側に思惑がある場合だ。
例えば、EV(電気自動車)がその典型だ。欧州は「打倒トヨタハイブリッド」という下心や、ディーゼル分野での不正がばれて、ほかに選択肢がなくなったので、今度は環境問題を利用してEVオンリーにして世界を支配しようとしたが、補助金が続かず、また実用性にも大きく劣り(誰もがわかっていたことだが)、アメリカの離反だけでなく、中国に正面から対決されて負けてしまった。
半導体への補助が盛んだが、これも経済安全保障の名の下に、企業サイドにうまく補助金をかすめ取られているだけのことだ。
また、漫画アニメが成功したのは、経済産業省に漫画課もアニメ課もなかったからで、政府がクールジャパンなどと言い出してから雲行きが怪しくなり、政府のクールジャパンは見るも無残なことになった。
国が方向性、ヴィジョンを示すというが、そんな人材は政府にいないし、審議会に出てくる人はお人よしか暇人か、セミリアイアした方々が主体で、気鋭の人々は政府とかかわる暇がない。だから政府のヴィジョンは業界で最も遅れているヴィジョンである。
■「規制改革」も経済政策にはならない
そもそも、現在はドッグイヤー、不透明な時代で、ヴィジョンがない時代であり、起きた変化にすばやく対応することがすべてであり、これからの世界はこうなるというヴィジョンタイプのカリスマコンサルタントは、コンサル業界では食っていけず、政府か大学で養ってもらっている。
一方、規制緩和も経済政策としては論点にならない。例えば、ライドシェアを改革マインドの試金石のように言う自称政策通の人がいるが、そんなものは、ライドシェアをしたほうがいいに決まっているが、利権があるといったって、そんなものはそこらじゅうにあり、それだったら、例えば薬の処方箋利権とでも戦ったほうがよっぽど国のためになる。タクシーは日本の弱点の1つだが、それだけのことだ。
また、かつて郵政民営化ができるかどうかが国家の将来の天下分け目のようなことを言っていた首相がいた。実際、民営化したが、単に日本郵政は苦戦していて、民間にはかなわず、公的機関的な良さも失われ、何が天下分け目だったのか、まったく意味不明だ。ただ1つの大きな金融機関(および運送会社)が衰退しているだけのことだ。
だから、規制改革というのも経済政策にはならない。これは官僚たたきと一緒で、ただのスケープゴート(贖罪のヤギ)作りで、郵政民営化を唱えた首相はその政治的センスが優れていただけで、経済とは無関係だ。
こうしてみると、政治家の経済政策の公約や主張はすべて意味のないものであり、つまり、政治的には経済政策は論点としても仕方がないのだ。
読者の多くは「じゃあ、急に話題となった、金融所得課税はどうなんだ?」ということになるかもしれない。自民党総裁選に立候補を表明したある有力議員が、所得格差、資産格差是正(主に、所得格差および「1億円の壁」と日本では言われてきた、勤労所得に対して金融所得の税率が低い問題)として、この問題を発言したところ、ちょっとした騒ぎになり、金融所得課税に言及した議員は「経済政策音痴」として、いわば袋叩きにあった。
彼は、確かに正直すぎて権力闘争音痴かもしれないが、経済政策音痴とはこの件ではいえない。なぜなら、この金融所得課税の問題は、経済政策の問題ではなく、まさに格差社会に対する社会政策、あるいは、富裕層とそれ以外との所得移転の問題であり、選挙に直結するとすれば、有権者の層ごとに損得が分かれる問題である。
もう少し高次元の話をすれば、日本社会のあり方に関する問題で、格差を均す社会か、稼ぐ力があるものがその恩恵をフルに受けるべきか、という論点になろう。だから、これは経済政策の問題ではないのだ。
■アベノミクスとは何だったのか
では最後に、「もっと大きなヴィジョンである、デフレ脱却をキャッチコピーにしたアベノミクスはどうなんだ?」という疑問に対して、議論しておくことにしよう。
もちろん、これはキャッチコピーにすぎず、郵政民営化と同じ類いのもので、デフレをスケープゴートにして「財務省の緊縮財政が悪い」「日本銀行が金融緩和を渋るのが悪い」「日本の問題はデフレに尽きる」という戦法にすぎないことは、読者には百も承知だろう。
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