( 210008 ) 2024/09/09 01:43:42 0 00 リリーフカー。日産自動車の公式X 2024年8月5日分より(画像:日産自動車)
プロ野球の試合が行われるスタジアムの一部では、「リリーフカー」と呼ばれる車両が使われることがある。これは、ピッチャーが交代する際に、救援投手をブルペンからマウンドまで運ぶための車両だ。
【画像】「え…!」これが60年前の「甲子園球場」です(計13枚)
“スタジアムのモビリティ”であるリリーフカーには、主に
●試合の進行をスムーズにするため スタジアムによっては、ブルペンがマウンドから遠く離れていることがある。野球は「間」を楽しむスポーツだが、投手の移動時間が長くなると試合のテンポが悪くなることがある。特に、ショートリリーフが続く場合は、移動時間が冗長になりがちだ。それを避けるためにリリーフカーが有効に使われる。
●救援投手の登板を盛り上げるため 派手に装飾されたリリーフカーで救援投手が登場すると、観客の視線が自然とその車両に集中し、試合の緊張感や期待感が高まる。特に、チームの守護神であるクローザーが登場する際には、その効果が一層際立つ。また、リリーフカーは球場を盛り上げるためにも使用され、エンターテインメント性を高める重要な役割を果たしている。
といった、ふたつの目的がある。
ES CON FIELD HOKKAIDOに導入されたリリーフカー。2023年3月プレスリリースより(画像:ファイターズ スポーツ&エンターテイメント)
リリーフカーは和製英語であり、米国のMLBでは
・Bullpen Car ・Bullpen Cart
と呼ばれる。リリーフカーが最初にMLBに初登場したのは1950年、クリーブランド・インディアンス(現・クリーブランド・ガーディアンズ)の本拠地だったクリーブランド・ミュニシパル・スタジアムでのことだとされる。その後、多くのスタジアムでリリーフカーが採用されたが、
「1980年代」
になると姿を消していく。1995年にミルウォーキー・ブルワーズが廃止したのを最後に、MLBでリリーフカーは見られなくなる。しかし、2018年にアリゾナ・ダイヤモンドバックスがチェイス・フィールドでリリーフカーを復活させ、さらにデトロイト・タイガースやワシントン・ナショナルズが追随したことから、再び注目を集めるようになった。この復活は、リリーフカーの
・ノスタルジックな魅力 ・試合の演出効果
が再評価される機会となった。
阪神甲子園球場リリーフカー。2022年3月プレスリリースより(画像:阪神電気鉄道)
リリーフカーが初めて日本で導入されたのは1964(昭和36)年だ。読売ジャイアンツのV9が始まる前年で、セントラル・リーグの覇者は阪神タイガースだった。
この年の阪神は、大エース小山正明とのトレードで大毎オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の主砲・山内一弘を獲得。投手陣は村山実とジーン・バッキーが主力で、ショートは吉田義男が守っていた。そんな時代の阪神の本拠地である阪神甲子園球場でリリーフカーが使用されたのである。
当時、甲子園球場のブルペンは外野にあるラッキーゾーンに設置されており、マウンドまでの距離は約70mと遠かった。そのため、移動時間を短縮し、試合の進行をスムーズにするためにリリーフカーの登場となった。しかし、当初は4輪ではなく2輪で、阪神の関連会社が所有するスクーターが使用された。初めてリリーフカーに乗った投手はバッキーだったと される。
1970年代になるとリリーフカーは多くの球場で導入され、2輪から4輪に変化した。各球場が独自のリリーフカーを生み出していき、1980年代にかけては、チームロゴやマスコットキャラクターが描かれることで視覚的な楽しさが増していった。
・甲子園球場:ビオフェルミン ・広島市民球場:そごう
のようにスポンサーロゴが入る場合もあった。また、ドライバーに若い女性が起用される流れもあった。リリーフカー自体が球場での演出の一部として扱われるようになり、球団のマスコットキャラクターを乗せるショータイムが設けられるケースもあった。
1980年代から1990年代にかけて、リリーフカーの主流は簡素なカート型の車両だったが、次第に後部座席のドアが省略された
「オープンカー型」
の自動車へと移行していった。また、企業の環境問題への意識が高まり、電気自動車(EV)の採用が増えていった。その一方で、1980年代以降に続々と誕生した新球場ではブルペンがベンチの近くに設置されることが多くなったため、リリーフカーを使用するスタジアムの数は減少していった。
では、セパ12球団それぞれのリリーフカーとの接点について、検証してみよう。
●阪神タイガース「初のリリーフカー使用球団 阪神の本拠地とする阪神甲子園球場は、前述のようにリリーフカーが初めて使用されたスタジアムである。しかし、1992(平成4)年にラッキーゾーンが撤去され、ブルペンがベンチ横に移動したため、リリーフカーの使用はなくなった。ところが、1999年にブルペンがアルプススタンド(外野席と内野席の中間にあるゾーン)の真下に移設されたことによりリリーフカーが復活。ダイハツのミゼットIIのEV仕様が使用された。2011年からは、メルセデス・ベンツがスポンサーとなり、ダイハツ車にメルセデス・ベンツのロゴを施していた時期を経て、系列のスマート・フォーツーのEV仕様が使用されるようになった。復活後は甲子園球場の試合進行を支えるだけではなく、試合後のヒーローインタビューで選手を運ぶなどファンサービスとしての役割も果たすようになった。2022年からは、トヨタのC+podの特別仕様車が新たなリリーフカーとして導入された。
●広島東洋カープ「かつては無線操縦カーを使用 現在の本拠地であるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(新・広島市民球場)は、ブルペンがベンチ裏に設置されているため、救援投手は徒歩でマウンドに移動する。しかし、旧・広島市民球場が本拠地だった時代にはリリーフカーが使用されていた。球団のメインスポンサーは自動車メーカーのマツダであるため、リリーフカーはその技術をアピールする場でもあったのだ。1980年代の広島球場の名物だったのは、投手のみを乗せて走行していた無線操縦タイプのリリーフカーである。その後は、運転手付きのEVにチェンジしている。なお、現在のMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島にはリリーフカーはないが、マスコットキャラクターのスラィリーが乗る「スラィリーカート」という電動カートが稼働している。
●横浜DeNAベイスターズ「日産のEVを使用中 横浜DeNAが本拠地とする横浜スタジアムは、現在でもリリーフカーが用いられる数少ない球場のひとつだ。かつては、“ハマの大魔神”佐々木主浩がリリーフカーに乗って登板する際、盛り上がりは最高潮に達したものである。もともと、大洋ホエールズ時代のホームグラウンドであった川崎球場にはリリーフカーは存在しなかった。しかし、1978(昭和53)年に本拠地となった横浜スタジアムでは、ブルペンが外野スタンドの下に配置されたためリリーフカーがお目見えとなった。これまで使用された車両は、主に地元横浜に拠点を持つ日産自動車の車種が多かった。具体的にはブルーバード、パイクカーとして人気だったBe-1、エスカルゴなどがある。一時期トヨタのMR-Sも使用されていたが、現在は日産のEV・リーフの特別仕様車が使われている。オープンカーで、投手が乗る後部座席が運転席より高く設定されているのが特徴だ。EVの導入は、スタジアムの環境問題への関心の高さを示す役割も果たしている。
次に読売ジャイアンツ、東京ヤクルトスワローズ、中日ドラゴンズについて説明する。
●読売ジャイアンツ「本塁打世界記録の王貞治も運んだ 巨人が長らく本拠地としていた後楽園球場では、1970年代前半にリリーフカーが登場。ホンダ・シビックをベースにしたオープンカーが使用されていたとされる。そして、1976(昭和51)年に日本のスタジアムで初めて人工芝が導入されると、日産丸紅製のゴルフ用カートが使用されるようになった。通常、リリーフカーは投手が乗るものだが、1977年9月3日に王貞治がハンク・アーロンの本塁打世界記録を抜いた際には、堀内恒夫が運転するこのリリーフカーに乗ってグラウンドを一周しファンの声援に応えた。その後、1979年から1987年まで使用されたスバル製のリリーフカーは、フロントが野球ボール、リアが野球帽をかたどったエンターテインメント性の高いデザインだった。しかし、1988年に開場された日本初のドーム球場である東京ドームでは、ブルペンがベンチのすぐ後ろに配置されたため、リリーフカーの出番はなくなった。
●東京ヤクルトスワローズ「新球場ではどうなるか? 東京ヤクルトは、国鉄スワローズ時代から一貫して明治神宮野球場を本拠地としている。この球場ではリリーフカーが使用されたことがなく、ヤクルト在籍時に通算286セーブを記録した高津臣吾がリリーフカーに乗って登場する場面はなかった。これは、ブルペンが外野側のファウルゾーンに設置されており、リリーフ投手がすぐにマウンドに出られるように配置されているためである。ただし、現在神宮野球場は改築計画が進んでおり、新球場の細部がどのように変わるかについては2024年8月現在未発表である。つまり、新球場でリリーフカーが導入される可能性はゼロではない。
●中日ドラゴンズ「リリーフカー使用歴ナシ 日本プロ野球史上最多の通算407セーブを記録した岩瀬仁紀は、本拠地でリリーフカーに乗ることがなかった。1997(平成9)年から中日の本拠地となったナゴヤドーム(バンテリンドーム ナゴヤ)では、リリーフカーが使用されていないからである。もともと中日はリリーフカーと縁がない球団であり、以前の本拠地である中日スタヂアムやナゴヤ球場でも未使用だ。また、中日スタヂアムが建設中だった1948年に限り後楽園球場を本拠地としたことがあったが、当時リリーフカーは導入されていなかった。
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