( 210015 ) 2024/09/09 01:51:37 2 00 「どこから撃たれた!?」パリ市民がパニック! 100年前のドイツが造った“驚愕の戦略兵器”とは乗りものニュース 9/8(日) 18:12 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/04f98c8be583b20b3c74ed77034cf37198062aa5 |
( 210018 ) 2024/09/09 01:51:37 0 00 パリ砲の全体を映した状態。砲身が異常な長さであることが確認できる(画像:帝国戦争博物館)。
第一次世界大戦では、航空機や戦車など実に様々な新兵器が登場し、それまで歩兵主体だった戦場を変えてしまいました。ただ、この戦争は新兵器の登場だけではありません。既存兵器も劇的に変化を遂げました。その代表が火砲でしょう。
【突然大きな爆破が…】パリ砲の弾が着弾した場所の様子です(写真)
なかでも最先端を行っていた国がドイツです。同国は、第一次世界大戦初期に「ベルタ砲」や「マックス砲」と呼ばれる大型火砲を次々と投入し、敵として対峙したフランス軍を震撼させました。そして、第一次世界大戦の後半、持てる技術のすべてを結集し完成させたのが、カイザーウィルヘルム砲、通称「パリ砲」です。
火砲(大砲)は、第一次世界大戦以前からある大型兵器でしたが、この時代に、火薬や弾、鋳造技術などが進歩したことで、より大型の火砲が生み出されるようになったのです。「小型のものより大型のものの方が威力もスゴイ」というのは事実で、敵の要塞や塹壕を潰すため、火砲はどんどん大型化していきました。
やがて大口径かつ長砲身の砲を用いて、敵が陣取る前線よりも、はるか後方を狙ってはどうかとドイツ軍の火砲を製造していたクルップのフリッツ・ラウゼンバーガー技師が友人で陸軍参謀だったマックス・バウアーに提案し、陸軍参謀本部で承認されます。
パリ砲の総重量は256t、全長は28mにも及ぶ巨砲でした。砲弾は約94kg、発射されると弾道はなんと高度40000mにまで到達し、成層圏を突破したといいます。100年以上前、まだ人工衛星や宇宙船などが開発されていないこの時代、この砲弾は、成層圏に到達した世界初の人工物とも言われています。
パリ砲を正面からみた状態。中央に写った人間のサイズと比較すると、その大きさがわかる(画像:パブリックドメイン)。
この弾道を描いて砲弾は高度40000mまで到達しますが、ここまで高高度だと空気が薄いため、その抵抗も少なく、結果、射程が非常に長くなります。ゆえに、当時の基準ではけた違いの射程130kmを誇りました。
1918年の春、大攻勢を控えたドイツ軍は、同砲をフランスの首都パリから約120km離れた森の中に設置しました。もちろん敵国の首都を直接攻撃するためです。最初の砲撃は遠方すぎるため、飛行船での爆撃と勘違いされたほどで、砲だと判明すると一転してフランス国内をパニックに陥れました。「ドイツは一撃でパリを壊滅させられる大砲を開発した」そんな噂がまことしやかに流れたことで、次第にこの砲は「パリ砲」と呼ばれるようになったのです。
しかし、このパリ砲。思った以上に「難」があり、運用は困難を極めました。まず大きすぎるうえに重すぎたため、運ぶためには鉄道輸送が可能な特別な台車に乗せるしかありませんでした。そして、砲を設置する場所の手前まで敷設されたレールで移動した後、ターンテーブルを備えたコンクリート製の砲台に移され、ようやく射撃体勢をとれるようになります。ただ射撃の準備も大変で、80人ほどの砲兵や工兵、民間のエンジニアなどが関わることで。ようやく射撃できるようになったといいます。
砲身の内部は、施条(ライフリング)があり、これで発射時の弾道安定が図られていました。ただ、砲弾の初速が1600m/秒(音速の約5倍)という、とんでもない高速のため、砲弾によって砲身内部のライフリングはゴリゴリと削られてしまい、一度砲弾を発射すると、2発目はそれよりも少し大きな砲弾でないと砲芯と合わなくなってしまうという信じられない不具合も起こりました。
そのため、1発発射するごとに、徐々に直径の大きな砲弾が用意され、その発射順番まで細かく決められていたそうです。砲弾の大きさが変われば弾道も変化しますから、射程も着弾位置もまた計算し直さなければなりません。
また砲身も、1発撃つごとにライフリングが削られるため長くは使えませんが、かといって砲身内部のライフリングを切り直したり、砲身を交換したりとなると、とても手間がかかりました。
発射する際にも問題がありました。発射時には非常に大きな音が出るため、敵にすぐその位置を察知されてしまうのです。そのため、パリ砲の周辺には、通常の火砲をたくさん設置し、同時に発射して、雑音でパリ砲の位置を隠そうとしました。また夜間は発射時の閃光で場所がばれてしまうので、射撃は日中に限られたといいます。
第二次世界大戦後にアメリカで試射されたV-2ロケットの後継「パンパーWAC」。ドイツ長距離攻撃兵器への野心的設計は、技術の進歩によって世界中で活用されるようになる(画像:NASA)。
このような苦労を乗り越え射撃しても、レーダーや観測装置などが発達していない時代のため、130km先の着弾地点を確認することができませんでした。狙った地点に着弾したのか、どのくらいの損害を与えたのか。全くわからないまま、射撃は続けられ、その効果は翌日以降の新聞や、敵陣営に入り込んだスパイからの報告で確認していたそうです。
このように問題を多く抱えたパリ砲でしたが、第一次世界大戦終盤の1918年3月に、パリから120kmの森に設置されて以降、計300発以上の砲弾が発射され、死傷者は700名以上、また多くの家屋が倒壊するという被害をパリに与えました。
しかしそれ以降、このパリ砲が使用されたという報告は残されていません。終戦間際にドイツ軍の手によって破壊されたものと考えられています。砲座だけはアメリカ軍によって接収されたそうですが、それ以上は何も残されませんでした。
また、大戦の終結に伴い、このような巨大火砲はしばらく造られることはなくなりました。ある意味では、後の戦略兵器のさきがけともいえますが、後の時代に登場する、爆弾を大量投下可能で、着弾観測も容易な大型爆撃機とは比較にもならない使い勝手の悪さでした。
しかし、ある意味「ロマン兵器」とも言えるこの長距離射撃兵器への夢を、まだドイツは捨てていませんでした。30年後の第二次世界大戦では、巨大な列車砲「ドーラ」と「グスタフ」を生み出しただけではなく、その後の弾道ミサイルの発達に大きく貢献することになるV-2ロケットを開発することになるのです。
※一部修正しました(9月9日20時17分)。
凪破真名(歴史ライター・編集)
|
( 210017 ) 2024/09/09 01:51:37 1 00 このテキストは、巨砲や列車砲に関する歴史的な話題に焦点を当てており、主に日本やドイツの砲について触れられています。
日本軍やドイツ軍の列車砲に関する事実やエピソードに言及されており、特に大砲の射程や砲弾の重量など、数値や技術面に関する詳細が多く挙げられています。
一方で、正確性に関する一部間違いや誤解に対する読者からの指摘や批判も多く見受けられます。
このテキストは、特定の兵器に関する技術的な情報を詳細に取り上げつつ、読者からのフィードバックを受けて正確性を確認する重要性や、歴史的な兵器開発における国家間の競争や研究開発に対する姿勢についても考察しています。
(まとめ) | ( 210019 ) 2024/09/09 01:51:37 0 00 =+=+=+=+= 〉パリ砲の総重量は256t、全長は28mにも及ぶ巨砲でした。砲弾は約94kg、発射されると弾道はなんと高度4000mにまで到達し、成層圏を突破したといいます。100年以上前、まだ人工衛星や宇宙船などが開発されていないこの時代、この砲弾は、成層圏に到達した世界初の人工物とも言われています。
高度は4,000ではなく40,000mでは? 成層圏はそんなに低くありません。
=+=+=+=+= 記事では触れられていませんが我が国の陸軍もこういった長射程砲の開発に熱心でした。特に24cm列車砲は大和型戦艦の射程を上回る50km先の目標を攻撃することができたと言われます。これらの砲は主に満州に配備されており一部の砲はソ連の満州侵攻の際に実戦投入されました。虎頭要塞の41cm榴弾砲の活躍はよく知られているかと思います。
=+=+=+=+= 当時は既に爆撃機が運用されていたので絶対的制空権が無ければ使えない代物。 もっとも、二次大戦のイタリアでは連合軍からアンツイオ・アーニーと呼ばれたドイツの28センチ列車砲が活躍しました。連合軍の懸命な捜索をあざ笑うかのようにドイツ軍の巧みな運用と偽装で最後の一発まで撃ち尽くしたそうです。そして連合軍がようやく発見したのは破壊された砲の残骸だったと言うから恐れ入ります。
=+=+=+=+= 普通の大砲は仰角45度で最大射程を発揮しますが、パリ砲は55度の仰角で最大射程となります。 空気の薄い成層圏を長く飛ぶことで射程が伸びるそうです。
第二次大戦時に登場した21cmK12(E)列車砲は同じ原理を利用しており、イギリスへの砲撃が行われています。 射程は115Kmとやや下がってますが、パリ砲の欠点である「少しずつ大きな砲弾を順番に撃つ」という煩雑さを解決しています。
余談ですがドイツの大型砲は人名で通称されることがあり、有名な80cm列車砲「重グスタフ」はクルップ社社長の名前が由来で、第一次大戦中の42cm榴弾砲「大ベルタ」はグスタフ氏の妻(先代社長の令嬢でもある)にちなんでいます。
=+=+=+=+= パリ砲の砲弾重量は94Kgと軽いですね。 口径が21cmですから威力は限られます。 例えば戦艦大和の主砲は46cmで砲弾重量は1460kgですから威力は大違いです。 パリ砲の威力は戦艦大和の主砲の3倍以上の射程距離でしょう。 当時は120km先から撃たれているとは想像出来なかったのでは。
=+=+=+=+= 巨大砲は無理があるとは言え、「兵士の安全圏から攻撃できないか?」と言う発想は素晴らしい。旧日本軍の命と引き換えでも必殺の間合いに飛び込んで足りない射程を補え、と言う考え方とは真逆。 だからこそ世界に先んじてVロケット弾の開発に成功したのだろう。
=+=+=+=+= 巨大砲の運用には多大な労力を必要とすることは、このパリ砲で分かったはずなのに、列車砲とすれば解決すると思ったのか、ヒトラーは、巨大砲の開発に執着していた。 記事のカールやグスタフといった巨大列車砲だけでなく、V3高圧ポンプ砲という代物も。
=+=+=+=+= パリ砲の致命的な欠点は文中にもある弾頭重量の軽さ。言い換えれば威力が弱いという事です。ただ、当時の技術では迎撃は不可能。協商側としては発射場所を制圧するしか無くこの砲自体が協商側の攻勢を誘うという皮肉な結果にもなっています。これは第二次世界大戦でも同じ。ドイツのV2ロケットは連合国軍の攻勢を誘引してしまいました。
=+=+=+=+= 高度4,000mで成層圏? 成層圏は極地で高度8,000m、赤道付近高度15,000mを超えるとのこと、ドイツフランスでは高度10,000前後となるのではなかろうか。 wikiで調べると、当該砲の最高高度は40kmと書いてあった。40,000mであれば成層圏に達すると言えるだろう。 何が本当かはわからんが、この記事には間違いがあることはわかった。
=+=+=+=+= 巨砲が有効なのは日露戦争時の203高地攻略で昼夜問わず28サンチ榴弾砲ぶっ放し続けた成果見たら納得できるわな。 突撃している日本兵は後ろから弾飛んでくるから生きた心地しなかっただろうに。 その後の航空機の発達からミサイル、今はドローンと有効な遠距離攻撃はどんどん変わっているけど。
=+=+=+=+= やはり大口径・長砲身巨砲は漢の浪漫ですよね。
そんな巨砲を陸上で迅速に運用すべく発達した列車砲は、鉄道網が整備(地域による軌間の相違は台車の交換が必要でしたが。)された欧州で航空機の驚異的な発達以前は超長射程戦略兵器として認識され、今日でも類似のコンセプトを北朝鮮軍の列車発射式弾道ミサイルが継承していると感じています。
=+=+=+=+= ドイツはこういう費用対効果を度外視したスーパー兵器が好きだよな。概して戦局には何の影響もないのだけど。レオポルドやカールグスタフのような列車砲より普通の榴弾砲を100門運用した方が効率が良いのに。戦は数だよ兄貴。でも浪漫はある。
=+=+=+=+= ガンタンクの120ミリ砲も射程260㌔もあるけど、ミノフスキー粒子散布下でどうやって命中させるんだろ?って思った
大和の46㌢砲の射程40㌔が位まで(40㌔先は水平線に隠れて見えないのか?20㌔位が限界か?)が現実的に使えるギリギリのところかなあ
=+=+=+=+= ホント当時のドイツって兵器の設計思想が斜め上をいってたよねポルシェ博士が設計した完全電動戦車エレファント(ろくに動かず故障だらけ)
世界初といえば聞こえはいいけどジェット戦闘機Meー262(アクセルを開けてもすぐには加速せず 遠方からの一撃必殺にしくじれば相手戦闘機の格好の的)
あとドイツ陸軍の象徴みたいな重戦車ティガー 終電末期国内の工業生産力が著しく低下したドイツでこういう戦車を少量戦地に送り込んでも大した戦果は上げられるはずもなく総合力で劣るが補給部品供給の潤沢な敵戦車シャーマンやロジーナの餌食になっていた まだ総合力では劣るけどパンターやPzK‐4f2などに生産を集中して本土防衛のみに運用した方が連合国側ははるかに手こずったはず。
=+=+=+=+= 「命中すれば効果絶大」ということに魂を奪われた人が、命中率や運用効率を考えずに開発を進める。 日本海軍の酸素魚雷も命中すれば効果絶大でも、誘導技術のない時代なんで 結局は相手に接近する必要があり、長い射程も無駄になってた。 米軍は戦後、酸素魚雷を調査して採用しなかかったのは この辺が理由なんでしょうね。
=+=+=+=+= ドイツがスゴイのはこの砲身の鋳造法を確立しただけでなく、その長い砲身にライフリングするための超大型旋盤を開発製造したことだろう。
=+=+=+=+= スターリンが出てこないと思ったら別の人やったんかいな。 てのはともかく、WWⅠとWWⅡのそれはコンセプトがまったく違うからね。 パリ砲が目指したのは超長射程で、戦艦の主砲ですら30キロ内外やったときの120キロやし。 一方、のちに作られるようになったのは大口径で投射弾量が多いもの。
=+=+=+=+= 10km~50kmは成層圏 こっから後が Wikipedia の文章「この砲からは約94kgの砲弾が発射され、弾道は高度40kmにまで達し成層圏に届いた。40kmという高度を通過することで空気抵抗が減少するため」コピペして書くだけなのに なぜ間違う
=+=+=+=+= 当時にこれだけ離れて砲撃して、パリへどれだけの被害を与えられてたかってどうやって確認するやろ。敵の首都に飛行船や航空機で砲撃観測をするわけにはいかないだろうし。
=+=+=+=+= ドイツはWW2でセヴァストポリ要塞破壊用に80cm砲ドーラを作って運用してるから巨砲大好きだね ドーラの運用はパリ砲どころの騒ぎではないほどの大人数とも大量の機材が必要だったそう。 ちなみにドイツ軍はV3 15センチ高圧ポンプ砲、通称ムカデ砲という変態兵器まで作ってるほどの火砲大好き民族ですよ
=+=+=+=+= >射程が非常に長くなります。ゆえに、当時の基準ではけた違いの射程130kmを誇りました。
ガンタンクの射程は260km、やっぱり成層圏到達してるのかな? ってかこの射程ってパリ砲×2で設定してるのか?
=+=+=+=+= サダム・フセインも似たような兵器を作っている。使用はされなかったが、湾岸戦争やイラク戦争て、1発でも発射していたらどうなっていたか?
=+=+=+=+= アホーな記事だこと。高度4000mだと成層圏でもないし、飛距離も一桁は短くなるだろう。 大砲が大きい?割に砲弾は小さいですが、これでは威力は大した事も無い。
=+=+=+=+= 優秀なメーカーがあるとはいえ、大型砲が好きすぎるドイツ。射程や威力はともかく取り回し (運用の手間) が悪すぎるのに……。
=+=+=+=+= チャップリンの「独裁者」の冒頭にも、この砲をモデルにした巨砲が出てたよね。
=+=+=+=+= Wikiのパリ砲の内容とほとんど一緒。完全にコピペしていないく配置を多少アレンジするから数値を間違える。 でも、内容はコピペ。
=+=+=+=+= 文中で「砲弾は高度4000mまで到達」となっているが、それは成層圏ではないので、40000mの間違いでしょうか?
=+=+=+=+= wikiを読んでくださいね。
でおよそ済む記事ではあるが、知るきっかけにはなった。ありがとう。 これでまたひとつ、仕事用の脳みそが失われたが……
=+=+=+=+= 高度4,000mで成層圏は低すぎるんじゃね? 一万m以上が成層圏だと思ってたけど、、、
=+=+=+=+= パリ砲の後のクルップK5列車砲にも触れてほしかった。
=+=+=+=+= 弾丸の高度4,000mにもかかわらず、射程が130Km、記事書いてる奴ダメだ。
=+=+=+=+= 富士山あたりの高さが成層圏のわけないw 理系のスペックを語るレベルにないライターだな。
=+=+=+=+= これ系で有名なのはドイツのドーラ砲だと思うんだけどな。
=+=+=+=+= 40000m(40km)な。
4000mだと普通の航空機でも飛べる
=+=+=+=+= 良くもこんなデカいの作る気になったよな~ 砲身の寿命は何発だったんだろう?
=+=+=+=+= パリ方、カールとグスタフ、46サンチ砲…
負けた方の兵器なんだよね。
=+=+=+=+= 高度4000mで成層圏は突破出来ないよ
=+=+=+=+= コスパは榴弾砲>戦車>爆撃機>戦闘機>巡航ミサイル>ミサイル>極超音速ミサイル、なのかな、知らんけど。
=+=+=+=+= ※一部修正しました(9月9日20時17分)
ライターは未来からやってきたのか
=+=+=+=+= 4000mって機関砲?数字は桁間違えてはいけない。
=+=+=+=+= ドイツは工業大国って事を思い知らされるね
=+=+=+=+= 40000mでしょ・・・・
=+=+=+=+= 40000mの間違いだろ?
=+=+=+=+= > 高度4000mにまで到達し 高度40,000m、40kmだね。
=+=+=+=+= 高度4000メートル
=+=+=+=+= 4000mは成層圏では無い…
=+=+=+=+= 40000mだと思う。
=+=+=+=+= こういうの見ると(不謹慎なのは重々承知で)やっぱゲルマン民族スゲーわ!って思う。 いかに自らの血を流さずに敵対する相手に出血を強いるかを徹底的に理詰めで探求し圧をかけてくる。 知恵を絞らず特攻兵器に縋り付いて、人の命をも部品にしてしまった我々日本人の狂気は、永遠に封印しなくてはならない。
=+=+=+=+= 流石、人類史上最大の火砲を運用した国だ…。
|
![]() |