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〝虎ハンター〟小林邦昭さんが68歳で死去 度重なるがん闘病 初代タイガーマスクの好敵手

東スポWEB 9/10(火) 9:26 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/495631bc574656b9e6bfd0e497e9368a21d79c42

 

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新日本プロレスのレスラーで「虎ハンター」として知られる小林邦昭さんが、68歳で亡くなっていたことが分かった。

小林さんは1972年に新日本プロレスに入門し、初代タイガーマスクとの抗争や全日本プロレスでの活躍などで人気を博した。

現役中に大腸がんや肝臓がんを患いながらも復帰し、引退後は後進の指導に携わっていた。

世界最大団体WWEで活躍する中邑真輔も小林さんを追悼し、教えを受けたことへの感謝を述べた。

(要約)

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小林邦昭さん(2023年10月) 

 

 新日本プロレスで〝虎ハンター〟の異名を取った名レスラーの小林邦昭さんが9日に死去していたことが分かった。68歳だった。 

 

【写真3枚】三沢光晴もエジキ…“虎ハンター”小林邦昭「マスク剥ぎの歴史」 

 

 小林さんは1972年に新日本プロレスに入門。翌年2月にデビューし、80年からメキシコに武者修行した。82年に帰国すると、初代タイガーマスクとの抗争で一躍ブレークした。 

 

 絶大な人気を誇った初代虎のライバルとなった小林さんは「虎ハンター」と呼ばれ、マスクを剥ぐ無法ファイトは当時のファンを熱狂させた。84年には新日本を一時離脱し、全日本プロレスでも二代目タイガーマスクを相手に虎ハンターとして抗争を展開。86年11月には世界ジュニアヘビー級王座を獲得した。 

 

 87年4月に新日本に戻ると、8月にIWGPジュニアヘビー級王座を奪取。89年4月には獣神サンダー・ライガーのデビュー戦をの相手を務め、ヘビー級転向後は平成維震軍で活躍した。2000年4月のライガー戦で現役を引退。引退後は新日本道場の管理人として後進の育成にも励んだ。 

 

 現役中の92年に大腸がんを患いながら手術を経て復帰していた小林さんは、99年には肝臓にも転移していたことを明かしている。現役晩年は肝臓がんの手術痕を隠すためにタンクトップを着て試合をしていたが、これが引退を決意するキッカケとなっていた。その後も肺がんの手術を二度受けたことを公表していた。 

 

 世界最大団体WWEで活躍する中邑真輔はXを更新。「当時、道場の管理人になられた小林さんには自分を含め同期全員が道場でのイロハ、チャンコの作り方、時に稽古も…たくさんの事を教えていただきました。ご冥福をお祈りいたします。合掌」と小林さんを追悼していた。 

 

東スポWEB 

 

 

( 210542 )  2024/09/10 18:14:08  
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1980年代からプロレス界を盛り上げた偉大な選手、小林邦昭選手に関する多くのエピソードが挙げられています。

彼が初代タイガーマスクとの戦いや他の選手たちとの試合でどれだけファンを魅了し、感動を与えたかがうかがえます。

また、引退後もプロレスに対する情熱を持ち続け、ファンサービスを行う姿勢も多くの人々に愛された理由の一つでしょう。

彼のフィッシャーマンズ・スープレックスや後ろ回し蹴りなどの技も多くのファンに記憶されているようです。

悲しみを覚えるファンが多い中、小林邦昭選手の偉業と人柄が称賛され、彼に対する尊敬と感謝が示されています。

(まとめ)

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=+=+=+=+= 

中学生時代が丁度タイガーマスクはじめプロレス黄金期。 

多摩川沿いの新日道場によく行ってました。 

当時いつ行っても練習していたのが、小林邦昭さんでした。 

私たち中学生にも丁寧に対応してくれて、一気にタイガーマスクよりも小林邦昭選手のファンになりました。 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

=+=+=+=+= 

プロレスブームの最中、タイガーマスクの好敵手として現れ、マスク剥ぎをして憎悪を一身に集め、マットの上ではフィッシャーマンと後ろ回し蹴りであわやの場面を何度も見せてくれて熱狂したものです 

 

馳のデビュー戦やライガーのデビュー戦、三沢タイガーに初めて土をつけたインタージュニア戦 

 

そんな偉大な選手が何度も病に打ち勝ってきたのは知ってましたが、突然のニュースが訃報で、本当に残念でなりません 

 

一報を知った時、仕事中でしたが泣きそうになりました 

 

あの時代の選手たちがどんどん他界していくのを聞いて本当に悲しくなります 

 

ご冥福をお祈りします 

 

たくさんの名勝負、ありがとうございました 

 

=+=+=+=+= 

1980年代、初代タイガーが大人気になった頃、海外修行から帰国した小林さんが虎ハンターとしてタイガーと激しい試合を見せてくれました。タイガーへの憎しみを表現される様は、見ていて恐ろしくなる程でした。 

後になって、小林さんと佐山さんはとても仲が良く、近場の試合のときは、二人乗りの自転車で一緒に移動してたと聞き、とても驚いた記憶があります。 

ファンに何度も素晴らしい試合を見せてくれまして、ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。 

 

=+=+=+=+= 

引退してもすぐに現役復帰したり、 

引退後にブクブク太りだしたりするレスラーに苦言を呈していました。 

小林さんは、引退後も体づくりをされていて、本当にかっこよかったです。 

私が子供の頃に熱狂したタイガーマスクとライバルたちの名勝負。 

栄光のジュニアヘビー級の歴史は、タイガーマスクだけではなく、小林さんをはじめとする偉大なライバルたちの存在あってこそでした。 

当時は、本気で小林さんを憎たらしく思っていましたけれどね。 

あまりに早すぎる訃報に、衝撃は隠しきれません。 

謹んでご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

もう30年近く前の話になりますが、後楽園ホールのトイレで用を足してる時に「どこから来たの?」と右隣に来た小林さんに声を掛けられました。私の「小林さんのフィッシャーマンを観たいです」に「今日出せるとイイね」と笑顔で答えてくれたのを今でも覚えております。 

数多くの試合の中で私は全日本での石川敬士 

さんとの対戦が一番印象に残ってます。 

 

フィッシャーマンは永遠です。 

 

御冥福をお祈り致します。 

 

=+=+=+=+= 

一度だけ小林さんが初代タイガーのマスクを破るシーンが生中継でアップで映し出されたことがあり、たまたまビデオ録画していたので、スローで何度も見返したことを懐かしく思い出します。パンタロンタイツもブラック&ホワイトのタイツも、カッコよくて好きでした。子供時代に熱狂した昭和プロレス、その中心にいたレスラーのひとり。たくさんの思い出ありがとうございました。安らかにお眠りください。合掌。 

 

=+=+=+=+= 

絶対の人気者・初代タイガーマスクを盛り上げたのは絶対的なライバルのダイナマイト・キッド、そして絶対のナチュラル・ヒールだったこの小林さんでした。 

 

ソバットで腹部を蹴り、思わず前屈みになったところを仕掛けるフィッシャーマンズ・スープレックス・ホールドはとても印象的でしたね。 

 

ご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

マスク破りなど人気絶頂の初代タイガーに対して個人的な恨みでもあるのかとさえ思わせる攻撃ぶり 凄まじかった 長州さん達と新日本を一時離れたが 後 新日本プロレスに貢献し続けたらしたのは知ってましたが 突然の訃報に驚きました 

ご冥福をお祈りします 

 

=+=+=+=+= 

タイガーマスクがあれだけ人気を博したのは、ライバルのレスラーに恵まれたからであり、そのベスト3を上げるなら、ダイナマイトキッド、ブラックタイガー、そして同じ日本人である小林邦昭氏であることは間違いない。前者の二人と違い、若手時代からしのぎを削ってきた同年代の二人による意地の張り合いが、試合の最大の醍醐味だったし、赤いパンタロン姿の小林選手のフィッシャーマンスープレックスはタイガーを大いに苦しめた。また、馳浩選手の国内デビュー戦の相手を務め、相手の良さを存分に引き出した小林選手のプロレスの上手さには舌を巻いた。青春時代に新日黄金期のジュニア戦線を観れたことは私の財産であり、その中で相手を光らすことに徹した小林選手は、「真のプロレス巧者」として後世に語り継がれることであろう。合掌。 

 

=+=+=+=+= 

当時タイガーの宿敵として活躍、本気で憎々しく感じておりました笑 

なんでマスクをはがそうとするんだ!なんてお茶の間で家族中ヒートしてましたよ。マスクが良いところで剥がしきれないのも職人芸でしたね。 

悪役レスラーがいるから善玉レスラーが引き立つ。 

本当に盛り上げてくれてありがとうございました、家族みんなであなたの雄姿を見ていたことも思い出し温かい気持ちになりました。 

 

 

=+=+=+=+= 

絶対的なヒーローだった初代タイガーマスクに対するダークヒーロー的な小林邦昭さん。 

私は断然小林邦明派でした 

だって当時としては珍しいマーシャルアーツパンタロンを履いて颯爽とリング上を躍動する小林さん。 

 

サインをねだったら「本当に俺ので良いの?タイガーのじゃなくて良いの?」と困惑した顔で念を押す小林さん。 

「いいんです。僕は小林邦明さんが大好きだから」と言ったら嬉しそうにサインを書いてくれた。 

 

あの時のサインは今でも宝物です。 

小林さんありがとうございました。 

小林さんは私の永遠のヒーローです。 

 

=+=+=+=+= 

ケロちゃん筆の旅日記ではツアー中の小林選手の面白さや優しい一面も記されていて、新日本にいなくてはならない存在でした。タイガーマスクとの抗争、誠心会館とくに斎藤彰俊との激闘も印象深いです。つい先日、木戸選手が亡くなった悲報があったと思ったら小林選手まで…。早すぎますね。安らかに休んでください。ご冥福をお祈り致します 

 

=+=+=+=+= 

絶大な人気を誇った初代虎のライバルとなった小林さんは「虎ハンター」と呼ばれ、マスクを剥ぐ無法ファイトは当時のファンを熱狂させたということですが、実は小林さんは初代タイガーマスクの佐山サトルさんと仲が悪くはなく、マスク剥ぎの行為も佐山さんと事前に打ち合わせてのことでしたから、何かタイガーマスクのマスク剥ぎのファイトも観ていて悲壮感というものはそれほどなく、ファンも熱狂出来たのだと感じます。 

 

=+=+=+=+= 

私は、初代タイガーが新日本を離脱した後くらいからの、地元では月曜の深夜放送だったワールドプロレスリング中継を観るようになりました。当時の新日本のジュニアヘビー級はダイナマイトキッドやデイビーボウイスミスが衝撃的だと思いながら見ていましたが、今でも試合の様子が記憶に残るのは「ザ・コブラ対小林邦昭」です。ロープに振ってからのあまりジャンプしないで片足を軸にローリングソバットを繰り出す小林邦昭選手、マーシャルアーツのタイツに、ブルース・リーやジャッキー・チェンの香港映画に敵役で出てきそうな風貌、個人的には、まだまだ弱いといわれていたコブラを応援していましたが、それだけ小林選手が強く見えました。 

その後ジャパンプロレスに移籍?して全日本で2代目タイガーとも名勝負を繰り広げましたね・・話が逸れました。プロレスが大好きだったそのころを思い出してしまいました。ご冥福をお祈りします 

 

=+=+=+=+= 

新日本プロレス全盛期の王道プロレスラーでスピードとファイテングスプリット溢れたファイター。猪木会長亡くなる2年前に新日本仲間が集まって会長を励ます酒盛りに参加して楽しそうに近況を話していた動画が有りますが、会長の2年後に亡くなるなんて、新日本プロ50年余りで生粋のレスラーが亡くなって行くのは寂しい限りです。ご冥福をお祈りいたします。 

 

=+=+=+=+= 

佐山タイガーが無双中、刺客として現れて 

タイガーが凄い実力だとしっぽを巻いた相手 

後ろ回し蹴り、フイッシャーマンスープレックス️男前だし当時衝撃を受けた。 

レスラーは鍛えタフのイメージがあるが 

主観では、一流になると豊かになり 

毎晩飲みに出歩くようなイメージがある 

小林さんは割合節制していたイメージは 

ありますが、病には皆苦戦します。 

脳裏にスープレックスや後ろ回し蹴りが 

焼き付いています。 

 

=+=+=+=+= 

昭和プロレスのファンです。 

小林邦昭と言えば、真っ先に初代タイガーとの抗争を思い出すけど、個人的に印象深いのは山崎一夫が小林邦昭にブチキレて暴走した不穏試合ですね。  

この試合は、山ちゃんが第二次UWFに行く前に、ファンに何か強烈なインパクトを残した方がいいという小林さんからの提案があっての喧嘩試合だったのがコトの真相らしい。  

ともすると、自分はボコボコにされて弱いイメージがついて回るかも知れないのに、本当に情がある優しい人なんだと思いました。 

 

=+=+=+=+= 

小林さんといえば、昭和時代の雑誌、週刊ザ・プロレスの「小林邦昭のグルメホールド」だな! 

料理上手な小林さんの料理教室的なコーナーでね。「ケンタッキーフライド卍鍋」「味噌炊きバトルロイヤル」等、ネーミングも秀逸だったし、とてもウマそうだった。 

虎ハンター、誠心会館との抗争の火種等で、荒々しいイメージを持たれがちかも知れないね。 

でも会場に観に行くと、タッグマッチですごくコミカルな面も見せていた。実は多才な人なのかもね。 

本当に楽しませて頂きました。有難うございました。 

 

=+=+=+=+= 

ご冥福をお祈りします。 

小林邦昭選手は、ガンとの闘病始まったのが1992年で、大腸がん、肝臓がん、肺がんとなりますが、それらに屈さず2020年時点では薬も服用なかったとのことでした。 

引退後も体を鍛え続けてきたその姿勢が、30年以上病気と戦える心身を作り上げていたんでしょうね。 

虎ハンターのときも反選手会同盟のときも格好良かったです。 

 

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初代タイガーマスク 

小林邦昭 

ダイナマイトキッド 

デイビーボーイスミス 

 

どハマりしてました 

まさに熱狂してました 

 

赤のロングタイツが今も目に焼き付いてます 

 

キッドと小林さんが毎回タイガーマスクのローリングソバットをくらう姿は鉄板でした 

 

御冥福をお祈りします 

 

 

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当時はまだプロレスラーが本格的なキック技を使っていない時代で、そこに佐山タイガーが本格的なキック技を使い出して驚いてた時代にライバルとして現れたのが同じ本格的なキック技を駆使する小林選手でした。佐山タイガーのアクロバティックなキックに対して小林選手は派手さはないんだけど空手っぽいドスンとした重いキックで、2人の対決は剛VS柔みたいな感じで本当面白かった。そして先ほど言ったように本格的なキックを使うプロレスラー同士が戦うというのは当時としてはすごく新鮮だった。 

 

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小林邦昭さんと聞くと白と黒のツートンカラーのコスチュームを思い出します!ちょうどその頃に「黒白半分」というチューインガムが流行っていた頃(確か堺正章さんがCMをやっていた記憶があります)だったので、よく会場に来ていたファンから「黒白半分」という野次をもらったと語っていたのもよく覚えています 

 

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初代タイガーマスクあたりからプロレスにのめり込んだ新参者(?)です。マーシャルアーツコスで、タイガーマスクとの試合になると必ずマスクの紐をほどいてプレッシャーを掛けるのを思い出します。フィッシャーマンズスープレックスの名称はその時の試合で覚えました。全て懐かしい。闘病ご苦労様でした。安らかにお眠りください。 

 

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高校生の頃地方の小さな会場に当時のジャパンプロレスの興行を観に行ったとき、選手を間近で見たくて試合前に控え室の前をうろうろしてました。当時怖い雰囲気を醸しだしていた長州力選手やアニマル浜口選手を遠目に見てたら、「おーい、もし良かったらちょっと(控え室に)入るか?」と声をかけてくれたのが小林邦昭さんでした。たまたま周りに人がいなかったことや、地方興行ってことで少しいい意味で緩い雰囲気もあったのでしょうね。ただその時、いきなり声をかけられたことに驚いたのと、緊張のあまり「いえ!なんか…ありがとうございます!」と挙動不審みたいになってしまって、結局控え室に入らずその場を去ろうとしたら、呼び止められて「応援してくれよ」って握手をしてもらいました。その時の小林邦昭さんの握手の感覚と優しい笑顔は、今も忘れていません。 

ご冥福を心より申し上げます。 

 

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子供の頃、小林邦明ほど憎まれた選手もいなかった。 

それほどまでに佐山タイガーマスクを際立たせる素晴らしい悪役を演じていたという事でしょう。 

全日に移籍した後も今度は三沢タイガーの好敵手となり、新日に戻ってライガーのデビューの相手を勤めて間違いなく昭和から平成にかけてのジュニアの歴史を作ってきた偉大な選手です。 

ヘビーに転向してからは反選手会同盟からの平成維震軍での活躍で別の魅力を見せてくれた。 

間違いなく自分の思い出の1ページを作ってくれた素晴らしい選手です。 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

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小林邦明さんは私が一番プロレスに熱中していた頃、初代タイガーマスクのライバルレスラーの一人でした。虎ハンターの異名で活躍されました。当時はマスクに手を掛け本当に憎い嫌なヤツと思っていました。今思うと、タイガーマスクの敵役としてプロの仕事をしていたのですよね。敵役は如何に観客を煽りヒートさせるか?敵役、悪役は本当に実力者でないと出来ないのだと後々に知る事になり、改めて小林邦明さんのレスラーとしての力量に感心しました。決め技フィッシャーマンズ・スープレックスを決めた時の見事なブリッジは今でも忘れません。古き良き時代のプロレスファンとして、小林邦明さんのご冥福を心よりお祈りします。 

 

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現役時代のタイガーマスク戦等を見ていた世代です。当時は絶大な人気を誇った初代タイガーマスクのライバルとして今でも熱戦を覚えています。当時は「コノヤロー憎らしい小林め!」等と思っていましたが、晩年の新日本プロレス道場管理等若手の育成に務めておられた記事などを見てお元気なのだなぁと思っていました。あなたの活躍は皆の記憶に深く刻まれています。フィッシャーマンズスープレックス! 

カッコよかったよ!合掌 

 

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初代タイガーマスク、ダイナマイト・キッド、小林邦明、ブラック・タイガー(マーク・ロコ)によるWWFジュニアヘビー級王座戦線党、あの頃はヘビー級よりもジュニアヘビー級のほうが面白かったな。 

ご冥福をお祈りします。 

 

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お元気にされてるのかと思ってましたので驚きました。小学生の頃、地元の巡業で休憩時間にばったり出くわしてポカーンと見上げてたら優しく頭を撫でてくださいました。それ以来ファンになりました。引退された後にも後楽園で少しお話しさせて頂いた事があります。想い出のプロレスラーです。ご冥福をお祈りします。 

 

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小学生の頃にタイガーマスクの四次元殺法に憧れてプロレスファンになり、毎週金曜日にプロレスをテレビ観戦するのが日課になったが、タイガーマスクがいつも勝つので多少マンネリ感が出てきた時に小林邦昭選手が対戦相手となり、互角の戦いになりました。マスク剥ぎを毎回やって寺西勇選手と共闘してJrヘビー級を盛り上げましたね。 

その後ジャパンプロレスに移籍して二代目タイガーマスクと対戦してフィッシャーマンズスープレックスでピンフォールを奪いました。 

会場で小林邦昭選手を見ると腕が太くて凄かったですね。 

本当に残念です。冥福をお祈り致します。 

 

 

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初代タイガーのローリング・ソバット対小林の回し蹴り…今でも鮮明に覚えている。 

三沢タイガーのタイガースープレックス85を初めて食らったのも小林だったよね。 

三沢も亡くなり、小林も亡くなって、初代タイガーは難病と闘っている…昭和のプロレスファンにとっては寂しいね。 

赤のパンタロンのマーシャルアーツスタイル、サイドバッグの光っていた髪、回し蹴りとフィッシャーマンズ・スープレックス…また昭和の味のある選手を失ってしまった。どうか安らかに。 

 

=+=+=+=+= 

メキシコ遠征から帰国し、虎ハンターとして正しいヒールレスラーでした。 

小学生だった当時、タイガー小林戦は熱狂して見てました。 

小林選手は、強かった。 

ヒールレスラーはこうであるべき、強さと悪さと憎たらしさ。 

帰国時の赤いマーシャルアーツタイツが、違反だとかリング上で揉めてたよね。 

小林選手が、コスチューム概念を変え、今の派手で個性ある物に変えてくれた気がします。 

新日黄金時代を支えてくれた、偉大な選手に感謝と哀悼の念を捧げます。 

プロレス大好きになったきっかけをくれて、ありがとうございました。 

 

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40年以上も昔のプロレスラー、タイガーマスクが今でも語り継がれるほど輝けたのはダイナマイトキッドと小林邦明の存在が大きかった。二人ともいなくなってしまって寂しいな。 

 

タイガーマスクの常人離れした才能に対応できたのはこの二人だけだったと思う。特に小林邦明との対戦はマスク剥ぎの緊張感があって、子供心に毎回ドキドキしてTVにかじり付いて観ていた。ご冥福をお祈りします。佐山聡も体調があまり良くないようだから心配だ。 

 

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ダイナマイト・キッドと並んでタイガーマスクのヒール役として、なくてはならない存在でした。戦い方がどこかキッドの方がタイガーにクールにキレのいいソバットや寝技を掛けるのに対して、小林邦昭は、執拗にネチっこくマスクに手を掛けたり、その冷徹さはキッドの上をいっていて、とても怖い存在でした。普段はとても穏やかでユーモアに溢れた優しい人だったと他のレスラーが言っていました。まだまだ若いのにとても残念です。御冥福をお祈り致します。 

 

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タイガーマスクと小林邦昭は何度も対戦して度々TV中継されてたけど、見ていて全然飽きなかったよね。誰と対戦してもしっかり見せ場を作るし、ほんとに相手の良さを引き出すのが上手い真のプロレスラーだったと思います。 

 

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初代タイガーの一番のライバルと言われているけれど、本人が言うには実は思ったよりも対戦回数は少なかった。 

テレビマッチでシングルが多かったのでいつも対戦しているかと思いきや、ノーテレビの地方大会では殆ど絡みが無かった。ただ少ない対戦だったのでその時は緊迫感があり記憶に残る試合が出来たみたい。 

逆に2代目タイガーは地方でも頻繁に当たっていたので新鮮味がかけて緊張感が生まれにくいものとなったみたい。 

 

=+=+=+=+= 

幼少の頃からプロレスを見ていて、何十年も経てば当時の選手も老いる訳なんだが… 

病気とはいえ、この名前が出てくるのは早いやろ…  

 

初代タイガーでプロレスファンになった方々も多いと思うけど、タイガーファンなら誰でも知ってる選手だろうしめっちゃ盛り上げてくれたよね。 

 

リングでは常に何か狙ってるような鋭い眼光で、タイガーがやられてる時はちょっと憎たらしかった。  

 

でも、病気には勝てなかったかぁ…  

ありがとう、小林邦昭選手。 

本当にお疲れ様でした。 

 

=+=+=+=+= 

初めて全日本に参戦したときのパンタロンスタイルがかっこよくてファンになった。 

現役時代もさることながら、近年はSNS発信に積極的。 

引退するとメディアが来なくなるから自分から発信してるんだよということで 

イメージとは裏腹のかわいい写真をUPしたり、 

一番はFacebookで来るもの拒まずで友達申請は全部OK。 

そしてファンの誕生日には全員にメッセージくれるんですよ。 

私も毎年貰ってました。いつまでもファン一人一人を大切にしていた小林さん。 

60代は若いですよ。 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

=+=+=+=+= 

初代タイガーマスクがあそこまで人気になったのは、小林さんというライバルがいたからだと思う。 

テレビでタイガーマスクと小林さんが対戦する時は、今日はタイガーの素顔が見れるんじゃないか 

という、期待と不安でかじりついて観てたわ。 

タイガーが、必死で隠した素顔を欽ちゃんのどこまでやるのって番組でゲスト出演してあっさりマスク脱いで自分から素顔を見せた時は衝撃的だった 

 

=+=+=+=+= 

熱狂して見てた世代 

猪木、馬場は少し上の世代で 

自分らは初代タイガーマスク世代だった 

当然アニメも見てたのでハードルは上がってたがアニメをリスペクトした空中殺法はワクワクした。 

その好敵手が小林邦昭さん 

タイガーマスクに負けず劣らずの身体能力は 

コノヤロー!と思うほどいい試合が多かった 

小林邦昭、ダイナマイト・キッド、ブラックタイガー辺りとの対戦は楽しみだった。 

 

御冥福をお祈りします。 

 

 

=+=+=+=+= 

入場時にタイガーがトップロープでポーズを決めようとした瞬間に引きずりおろして、怒って向かっていったタイガーの首に返り討ちのドロップキックして急所に入ったのか、タイガーがダウンしてしばらく悶絶して立ち上がれなかったシーンが記憶に残っています。 

体が少し硬くてゴツゴツした動きだったんだけど、ジュニアにありがちな、カスッたような軽い技は無く、見た目は地味だけれどドンっと響くような重たくしっかりダメージのある技を繰り出す選手だった。 

今考えても、三沢タイガー戦で小林が勝つブックだったとは思えず、ガッチリとフィッシャーマンで3カウントをあの三沢から奪ったのは凄い実力だと思う。 

解説の馬場が「正直、小林クラスに負けてほしくなかったんだけれど・・・」とぼやいていたのを覚えています。 

 

=+=+=+=+= 

子供の頃初代タイガーマスクのライバル選手として戦ってた頃は凄く憎たらしい存在でした。でもその後2代目タイガーマスクやダイナマイトキッドとかライガーとか長きに渡ってジュニアヘビーを盛り上げ子供の頃のプロレスブームの中には地味だけど玄人好みの選手でした。 

御冥福をお祈りいたします。 

 

=+=+=+=+= 

小林渋いレスラーだったな。ジュニアの選手としてはさほどアクロバティックな動きはせず、スープレックスもフィッシャーマンくらい(ジャーマンとか見たことない)、マーシャルアーツ風パンタロン履いてたが、蹴りの鋭さは佐山タイガーに劣った。だけどなんというか試合運びが上手く、誰とやっても相手の良さを引き出す。新日で初代タイガー、全日で二代目タイガーのライバルとして活躍し、また新日戻って高田山崎の旧UWF勢や越中を抑えてトップオブスーパージュニアで優勝してベテラン健在を示したのが印象に残る。合掌 

 

=+=+=+=+= 

あの赤色のパンタロンが懐かしい。 

当時は、人気絶頂だった佐山サトルのタイガーの 

好敵手だった。 

徹底的なヒールだったが、実力はタイガーと双璧 

だった。 

しかし、当時は憎かった小林邦昭さんだったが 

その後の話しを聞くと、優しく面倒見の良い 

ジェントルマンだったんですよね。 

上田馬之助さんやラッシャー木村さんなど 

義理に厚い人格者だからこそ徹底的なヒールを 

演じられるのだと思う。 

御冥福を御祈り致します。 

 

=+=+=+=+= 

タイガーマスクとの抗争、あれが一番面白かったですね。派手な技の応酬からタイガーマスクがやや優勢に試合を進めると、小林選手が覆面に手をかけ、そうなるとあのタイガーが防戦一方になるという…。 

「虎ハンター」と名付けたのは古館アナだったと思います。フィッシャーマンズという独特のスープレックスも格好良かったですね。ご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

当時タイガーマスク相手だと覆面剥いだりマジで痛そうな蹴りとか喰らわせてて、何か恨みでもあるのかというくらいメチャクチャセメント攻撃してましたね。 

当時小中学生だった俺は当然タイガーの方を応援してたけど、小林選手のフィッシャーマンズ・スープレックスが決まった時の美しさはカッコいいと思ってたし、今でも鮮明に覚えてるなあ。 

ご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

代名詞のフイッシャーマンズスープレックスが頭をよぎるなぁ。 

子供の頃は新日の正規軍と維新軍に別れていて、猪木ファンの私はアンチ維新軍でした。 

よく兄からフイッシャーマンズスープレックス食らってましたよ。 

プールの授業でも、誰のフイッシャーマンズスープレックスが一番美しいか勝負とかしてたな。 

 

少し前は、再ブレイク前の有吉さんとの交流があったと思います。 

あの時ほど、プロレス界の温かさを感じたことはなかったな。 

 

御冥福をお祈りします。 

お疲れ様でした。 

 

=+=+=+=+= 

当時お茶の間でゴールデンタイムで新日が放映されていた頃、初代タイガーマスクが大嫌いだった私は、彼にマスク破り等の嫌がらせを執拗に仕掛ける小林邦昭氏を心の底から応援していました。 

十数年後の佐山聡氏の述懐では、 

「タイガーマスクとしての私の最大の宿敵はダイナマイトキッド でもブラックタイガーでもなく、小林邦昭でした。彼からマスクを守り切る事が現役時代に私に課せられた最大の使命でした。現役時代に彼と話をした事は殆どありませんでしたが、私の宿敵として新日を盛り上げてくれた小林氏には敬意を表します。」 

との事でしたが、後に2人が初代タイガーマスクのデビュー前からの大親友であった事を知り、初心な私はとても裏切られた気分だったのを覚えています。(笑) 

それも含めて小林邦昭氏は私にとって永遠のレジェンドでした。 

御冥福をお祈り致します。 

 

=+=+=+=+= 

高校時代がちょうど初代タイガーマスクの絶頂期で、金曜の中継が楽しみでした。 

必ずタイガーのマスクを剥ぎに掛かってなんてヤツだと思っていました。 

 

当時買ったタイガーマスクのMOOKに、小林さんがタイガーのマスクを被ろうとしているスナップ写真が載っていて、プライベートは仲が良いと知って驚いたのも良い思い出。 

そりゃあ巡業とかは敵も味方も同じバスに乗っていくんだもんね。 

 

まだ亡くなるお年じゃないのに、ご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

改めて昔の映像や写真見ると凄い身体してましたよね!覆面剥ぎデスマッチでは憎たらしくてたまらりませんでしたが… 実は後輩の佐山さんとは仲良しで事前の打ち合わせがあったという、まさに当時の子供達を熱狂させるプロレスだったんですね(笑) 

曲者揃いの新日の中でも人格者で有名! 

大変お疲れ様でした。天国では猪木さん小鉄さん達と宴をあげる頃ですかね。 

 

 

=+=+=+=+= 

初代タイガーマスクの人気が凄かったのは、もちろん本人の才能もあるが、ライバルに恵まれていたこともある。ダイナマイトキッド、ブラックタイガー、そして小林邦昭。維新軍団の斬り込み隊長的な存在でもありましたね。 

ロン毛に筋骨隆々な身体、そしてパンタロン。マーシャルアーツを得意としたファイトスタイルとも相まって本当にカッコよかった! 

ご冥福をお祈りいたします。合掌 

 

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プロレスが好きで良くテレビで拝見してました。 絶対的な新日の人気者初代タイガーマスクと最高の好敵手関係にあった小林邦昭さんの試合を食い入る様に良く見てた事を思い出します。 あの時、初代タイガーマスクが居たからこそ小林さんが光りまた、小林さんが居たからこそ初代タイガーマスクが光ってた。 

 

お二人共に最高に格好良かったです。  

 

今も忘れない小林さんのムーブ。  

ソバットからのフィッシャーマンズスープレックス。 

 

心より御冥福を祈ります。 

 

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当時、タイガーマスクが繰り出すジャーマンスープレックスを見て「すごい!」とか「かっこいい!!」とは思ってましたが、フィスシャーマンズスープレックスを初めて見た時は小学生ながら、度肝を抜かされたのを思い出しました。 

また、引退後のブログにカレーの作り方があって、カレーに椎茸が入ってたのが個人的には斬新でよく真似て作ってました。 

多摩川の土手でも何回か見かけた事はありますが当時は話し掛ける度胸が無く、今となってはめちゃくちゃ後悔してます。 

 

こんな感じなので、直接的な接点は全くありませんが、間違いなく一時代を作った方だと思っており、当時はタイガーマスクブームの中、小林邦昭のカッコ良さに憧れてました。 

 

今までありがとうございました。 

 

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少年時代に小林選手から貰ったサイン色紙に『努力』と書かれていたのがとても印象に残ってます。 まさに小林選手を象徴するような言葉でした。 色紙は当時、部屋に飾り自分自身へのメッセージと受け止め青春時代を過ごしました。 小林邦明さん、 ご冥福お祈り申し上げます。 

 

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赤いパンタロンが印象的だった。虎ハンターとして初代タイガーのダイナマイトキッドと並ぶ好敵手だったが維新軍に組みしても常に主役というよりは脇を固めるいぶし銀的な選手だった。キッドも小林さんも天国に召され佐山さんも体調不良が続く…。プロレスラーは身を削って人々に夢や勇気を与えているんだなと思う。小林さんの事で思い出したが昔、新幹線の食堂車のメニューを全部食べたとかあったな。今日辺り向こうで猪木さん、荒川さん、星野さん、山本さん、永源さんらと天国のリングで再会しているんだろうな。ご冥福をお祈りします。 

 

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ご冥福をお祈り致します。 

私も初代タイガーマスクとの抗争をよく見ていました。あの時はタイガーマスクが強すぎて小林選手に凄く期待していました。 

結局、一度も勝てなかったけど、負け方が丸め込みとかが多かった記憶があり、小林選手の価値を落とさなかった試合だったと思います。 

一度だけ得意技のフィッシャーマンズスーフレックスをかけた時にレフェリーがわざとカウントを遅らせた記憶があります。 

その時が唯一のチャンスだった気がします。 

本当に素晴らしい選手でした。 

 

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どんなに鍛えても、内臓や細胞までは鍛えられない。 

規則正しく健康的な生活でも病気になってしまう人もいるし、不摂生でヘビースモーカーでも長生きする人もいる。 

うちの両親も小林さんと同じ年齢。 

いつまでも居るとは思えないけど、悔いのないように生きてもらいたいです。 

なかなか親孝行もできませんが、私も後悔のないようにしたいです。 

小林さんの御冥福をお祈り致します。 

 

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小林邦昭さんと言うと、タイガーマスクのマスクを剥ぎ、リングから走って持ち去りした試合の直後の試合を、当時小学生だった私は観戦しに行きました。 

選手控室前で腕組してタイガーマスクの試合を見ている小林選手。 

「サインください」と話しかけても「待ってろ」といって待たされ、終わったあと笑顔でサインに応じてくれました。 

あの笑顔が忘れられないです。 

御冥福をお祈りいたします。 

 

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子供の頃に初めてサインを貰ったのが小林邦昭選手。  

 

母校の小学校に放課後に訪問に来てて、当時から図っといるという保健室の保健の先生に挨拶に来てた。 

皆、保健室覗いて「サインもらえるかな?」ってテレビで見る大きな体格のスターの訪問にソワソワしてて、 

「してくれるって!」となったらブワーッてノート取りに帰って大集合で何十人だったか、保健室で即席のサイン会になっててた。 

あの時のノートにもらったサインは今でも宝物です。 

そこまでは地元が一緒とも知らなくて、テレビではタイガーのマスクを剥がそうとする悪い人みたいだったのが、「行けっ剥がせっ!」って応援するようになってた。 

 

お疲れ様でした。 

御冥福をお祈り致します。 

 

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言葉でなくリング上のファイトとにじみ出る情念で観客を熱狂させた名レスラーが,また1人この世を去ってしまい寂しい、 

新日の寮を取り上げた番組で、折り紙などを巧みに使った自作の和風オブジェを作り洗面所などに飾っていて、レポーターに褒められると照れ臭そうに笑っていたのが印象的だ。それがあることで散らかったり汚したりするのを防ぐために作ったそうだ。清潔さときめ細かい美を愛する人だなあと思った。 

ご冥福をお祈り致します。 

 

 

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小林邦昭と言えば自分が中学高校の頃プロレスを良く見ていたが、ヒールで、フィッシャーマンスープレックスを決め技に活躍していた。 

初代タイガーマスクとの対戦は熱くなり見ていたなぁ。 

ダイナマイトキッド、デイビーボーイスミス等とJrで戦いを繰り広げていたのが懐かしい。 

「スミスもキッドも亡くなってしまったが。」 

 

最近は全くプロレスを観なくなったけど、昭和〜平成初期にテレビで見ていたレスラーが亡くなるのは寂しいですね。 

 

御冥福をお祈り申し上げます。 

 

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レスラーとしては世間の存在感は薄かったかとしれないけどマスクマンハンターや技巧派として多くのプロレスファンを魅力し、新日本プロレスでは道場長として若手育成に尽力するなど新日はおろか日本プロレス界に大きくされました。 

小林さんがいなければプロレス界もここまで発展していなかったでしょう。 

小林邦昭さんのご冥福をお祈りします。 

 

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また、昭和の名プロレスラーの訃報に驚き、落胆しています。 

小林さんは、初代タイガーと名勝負を幾つも残されていますし、ここにダイナマイトキッドがいてジュニアヘビーは、大盛り上がりでした。 

 

ジュニアヘビーって前座のようなイメージでしたが、藤波選手も最初はジュニアからでしたし、タイガーが登場してからは前座のイメージは完全に払拭された勘がありました。 

 

小林さんは、赤いタイツにサイドバックをばっちり決めてカッコよかった。 

どうせ、試合中に髪型は崩れるのだが登場した際は、バッチリ決めて。 

木戸修選手もそう。 

そのまま、スーツしたら結婚式行けそうに決めてたもんね。 

カッコよかった。 

 

天国で山本小鉄さんや猪木さんが待っていてくれていたと思います。 

新日メンバーでトレーニングして、その後乾杯してるんじゃないかな。 

 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

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小林邦昭・・爆発的な人気だった初代タイガーマスクの好敵手として、ダイナマイトキッドやブラックタイガーと並んで輝いてました。中でも、タイガーマスクのマスクを破ったり剝ぎ取ったりするヒール役。赤いパンタロンに強烈な回し蹴りと、実力もあってカッコよかったです。お疲れ様でした。 

 

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初代タイガーのライバルと言えばまずキッドが浮かぶけど、小林邦昭戦もキッドやブラックタイガーとは違ったピリピリした感じが好きだったなぁ。 

 

特にマスク剥ぎしての2戦目?だったか小林のキックをタイガーがガードして一切受け付けずキックで返す攻防が凄まじい緊張感でこっちも緊張した。 

 

ご冥福をお祈りします。 

 

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初代タイガーマスクの好敵手としてはもちろん、小林さんの活躍ぶりには素晴らしいものがありました。 

対戦相手の持ち味を引き出して生かすスタイルこそ小林さんの妙味でした。 

ショービジネスであるプロレスでは、スター選手がより光輝く為に無くてはならない立ち位置でした。 

在りし日の活躍に感謝しつつ御冥福をお祈りします。 

 

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初代タイガーマスクの人気は凄まじかった。只今思い返すとライバルに小林氏、ダイナマイトキッド、ブラックタイガー他個性の強い選手がいたこともタイガー人気に拍車をかけたと思う。彼らがいなければあの熱狂はなかっただろう。 

 

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今では脇腹にパンチしたらすぐ解ける繋ぎ技みたいに使われる 

フィッシャーマンズスープレックスの元祖だけど説得力が違ったよね。 

繋ぎで使われるのは持ち上げ方が低いけど 

小林さんの元祖は持ち上げが高くて弧を描く大きさが違った。 

 

道場の管理人をされててちゃんこに定評があったけど 

亡くなられたらライガーの負担が増えそうだね。 

 

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初代タイガーマスクの大ファンで熱中しプロレスを見出した頃の 

良きライバル、D・キッド選手B・タイガー選手そして小林邦明さん... 。 

最初マスク剥ぎばっかりするので大嫌いでした。 

でも後々にお聞きすると佐山選手のあの天才的なレスリングに 

自分は如何にインパクトを残せるか!と考えてマスク剥ぎと言うのを 

思いついたそうです。小林さんのベストバウトは何でしょうか? 

83年6月のタイガーマスク戦、85年の勝利した三沢タイガー戦、 

後はやはり誠心会館の斎藤彰俊戦でしょうか! 

レスラーを離れた小林さんは本当に心優しく物凄く面倒見がある方だと 

お聞きしました。小林邦明選手たくさんの思い出有り難う御座いました。 

長い間お疲れさまでした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 

 

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一時期は、道場長として、バラエティなどで紹介されることも多く、特製のちゃんこ鍋を振舞われる穏やかな姿が印象的でした。 

また、1.4のニュージャパンランボーで久々にフィッシャーマンズスープレックスを繰り出した姿も忘れません。 

虎ハンターよ、永遠に。 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

 

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初代タイガーマスクの好敵手といえばダイナマイトキッド、ブラックタイガー(マークロコ)、そして小林邦昭さん。 

聞いた話によると、佐山聡と小林邦昭さんはもともと仲が良く、2人の対戦がどうすれば盛り上がるか話し合ったりしていたそうですね。 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

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ロープに振ってカウンターの後ろ回し蹴りでかかとを喉にラリアットみたいに当てる奴(技名知りません)がとことん痛そうで、決まる度にタイガーを心配してました。お袋と弟は覆面を剥ごうとする小林さんをTVの前で罵っていました。しかし、自分は虎ハンターをしっかり応援。金曜8時は食卓の雰囲気が不穏だったのも良い思い出です。ご冥福をお祈りします。 

 

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新日本プロレス  

ジュニアヘビー級の試合を楽しませてくれた初代タイガーマスクの好敵手でした。タイガーマスクの覆面を剥がそうとするヒールな役柄をリングでみせて視聴者をハラハラさせるところはさすがでした。まさかこんなに早く永眠されるとは大変残念でならないです。安らかにお眠りください。ご冥福をお祈りします 

 

=+=+=+=+= 

新幹線の食堂車のメニューを全部食ったとか、植木鉢みたいなどんぶりで飯を食った(藤波談)とかエピソードに事欠かない人だったが、やはり内臓に無理がかかっていたのかな?昔は新日本の小林と言えばストロング小林の事で、もう一人若手で小林がいるらしいくらいの認識だったがタイガーマスクとの試合であっという間にのし上がった。プロレスにあまり興味ない知り合いがタイガーマスクの噂を聞いてビデオを見たいと言うので貸してあげたところ、タイガーの動きを絶讃していたが、小林邦昭のマスク剥ぎにはガチギレしていた。わざとらしいとかプロレスを斜めに見てた人だったが…それくらい小林選手には鬼気迫る迫力があった。初代タイガーマスクが伝説のレスラーになったのも素晴らしい相手がいたから。御冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

世界最高のフィッシャーマンズスープレックスの使い手で、タイガーマスクに当時魅せられた子供の自分にとっては最高のヒールでした。嫌いだったけど、子供心に「マスク剥がせ!」という期待に応えてくれる最高のプロレスラーでした。 

ご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

ソバットからのフィッシャーマンズ・スープレックスが代名詞だったね。 

初代タイガーの好敵手だった事ばかりが取り沙汰されているが当時の日本人レスラーとしては珍しくボディビルにも造詣が深かった。 

フィジカル的にもカッコいいレスラーの一人だったね。 

 

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小林さんと言えば前蹴りからのフィッシャーマンズスープレックスでしたね。 

トラハンターに始まり維新からジャパン軍、新日にUターンして暫くし反選手会同盟からィ平成維新軍といつも反体制側で光っていた選手でした。 

特に青柳との一戦が印象に残っています。 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

=+=+=+=+= 

ライガーさんのYouTubeで道場の管理人をされてる姿を見て、引退しても凄い身体つきだなと感心してましたし。小林さんが花をいける姿にほっこりしました。子供の頃に見ていた虎ハンターが今でも脳裏に残っています。改めて小林邦昭さんの御冥福をお祈りいたします 

 

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とにかく殺気の凄かった選手と記憶している。 

初代タイガーマスクにも2代目三沢タイガーにも獣神サンダー・ライガーにも臆することなく全力て立ち向かう姿がカッコよかった選手でしたね。 

それに新幹線内の食堂のメニューを、端からすべてたいらげた逸話は有名。 

68歳はまだ早いですよ。故人のご冥福をお祈りいたします。 

 

=+=+=+=+= 

悪役のイメージがあるけれど、タイガーマスクのスピードとテクニックに対応できた唯一の日本人レスラーだったと思う。 

 

電光石火のキックから繰り出されるフィッシャーマンズ・スープレックスが最高にカッコよかった。 

 

心から哀悼の意を表します。 

 

 

=+=+=+=+= 

今から40年ほど前は毎週金曜に新日本プロレス、土曜に全日本プロレスがゴールデンタイムに中継されていて、当時小学生だった私は初代タイガーマスクのファンでとにかく小林邦昭との対戦では『今回完全にマスクをはがされちゃうかも(TT)』と本気でびびっていたのも今となっては良き思い出です。 

 

ご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

えーーーって普通に声にでてしまった。 

当時は子供の誰もがタイガーファンで小林さんを憎んでいたけど少し成長すると小林さんの渋いプロレスに魅せられ小林さんのファンになる子も多かった。ダイナマイト・キッドとの対戦後タイガーを際立たせたのは小林さんでした。 

最近は寮長として優しくシャイな人柄がピックアップされていてまたそれも良かった。 

残念です。ゆっくり休まれてください。先ずはあちらでダイナマイト・キッドと対戦してファンを沸かせてください。 

 

=+=+=+=+= 

タイガーマスクを応援していた自分は小林さんが憎くて仕方なかった、当時まだ中1だったので単純だったからで後々タイガーマスクの人気は強いライバルの存在が不可欠だと気づいた。 

小林さんの方が佐山さんより歳上だったこともこの記事で知りました、ご冥福をお祈りします。 

 

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タイガーマスクのライバルとしてどうしてもヒール的立ち位置を強いられた小林邦昭…でも確かにいいレスラーだった。 

他のコメントを読んでいると木戸修も亡くなってるんだね。 

木戸は木戸で正統派中の正統派だったけどサブミッションを前面に押し出すまでは前の方の試合が多かった気がする。 

2人とも決して派手さで際立つタイプではなかったけど実力は申し分なかった。 

今までありがとう!! 

 

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この人はいい人エピソードが多くて… 

というか悪い噂聞かなかったね 

引退後は道場と寮の管理人を任せられる位 

きっちりしてた常識人だった 

(プロレスラーはトンパチと言われるめちゃくちゃな人が少なくなかったので) 

あと、新幹線に食堂車があった頃 

山本小鉄さんの奢りで 

メニュー左端から右端まで 

全部食べたエピソードが一番好き 

 

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小学生の頃見たなあ。 

やはり一番印象深いのは代名詞のフィッシャーマンズスープレックスと覆面剥ぎ。どちらかというとタイガーよりコブラとの対戦をよく見た気がする。田舎だったのでTV放映も少なくて。 

でも諸兄の書き込み見てると、ファンには優しく接してくれる方だったんですね。 

確かにプロレスの人たちは結構ファンを大事にするイメージ強いですもんね。ヒールでも人気のある人多かったもんなあ。 

でももうあの覆面剥ぎは見れないんですね。 

昔の思い出がまた一つ消えてしまった。 

と同時に、自分が歳を取ったのを思い知らされる。 

でも68は早すぎますよ・・・・ 

 

ご冥福をお祈りします。 

 

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生前、小林さんが寮長をしていた時、とある選手に頼まれ、当人のバイクに乗って道場まで届けたことがある。 

とても大きなバイクで、こっちはそのバイクに似合わない小柄(免許はあった)。 

無事に着き、鍵を小林さんに預けて欲しいと頼まれていたのでインターホンを押し、事情を話すと【よくそんなの乗ってきたなぁ】って笑われたのを思い出す。 

それからも、自分の生活圏と道場が近かったからか、よく、スーパーでお肉を買っていたのをお見かけしていたが、それからもう10年以上経って、この訃報。 

吹き出すように笑ったあの日の笑顔が過った。 

 

どうか安らかに…合掌。 

 

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相手を挑発して騒ぐタイプの騒がしいヒールとは一線を画する存在。 

寡黙なのにヒールというのは異色だった。 

マスク剥ぎは徹底していた。 

相手の弱点や故障箇所への執拗な攻撃。 

ヒールレスラーとしての資質は高くて徹頭徹尾貫いていた。 

反対側の勢力下にいてもどこか一匹狼。 

タッグ戦でヘヴィ級に混ざって対戦すると概ね標的となってピンを獲られる事が多かったがその負け方も孤立したところを仕留められるヤラレ方に哀愁を感じた。 

今のプロレスにこういう選手はいない。 

プロレスの楽しさを教えてくれた功労者。 

小林邦昭よありがとう。 

安らかに。 

 

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虎ハンター 

 

子供たちのスーパースタータイガーマスクのマスクを執拗に剥ぎとろうとする姿が子供ながらに怖かったし憎かった 

しかしそれだけテレビに釘付けになった 

 

ヒールとして大ブレークしたがその大ブレークを一番喜んだのが宿敵であるタイガーマスク佐山聡なのもこの人の人柄なんだよな 

 

レスラーにもファンにも慕われ女性にもモテた名レスラー 

子供の頃のスターが亡くなってく 

寂しいね 

ご冥福をお祈りします 

 

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昨年、フジテレビの「THEスピリット~闘魂レスラー発掘プロジェクト」に出演されているのを見て、懐かしく思い、激闘を思い出したりもしていたのに。 

度々の癌もありますし、2022年の猪木さん逝去もありますし、それでも頑張っているのだと思っていたのですが、突然で驚きました。 

ご冥福をお祈り申し上げます。 

 

 

 
 

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