( 210778 )  2024/09/11 16:28:17  
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息子が応募していた東京オリンピックチケットが当選したと電話連絡があった女性。約束の時間に電話をかけてきた相手からの指示で振り込みを進めたが……(写真はイメージです) PhotoPIXTA 

 

● 申し込んだ記憶がない オリンピックチケットが「当選」 

 

 「日本オリンピック協会、JOCの三浦と申します。おめでとうございます!お申し込みいただいた東京オリンピック最終日、陸上競技の観戦チケット、当選です!」 

 

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 「えっ?チケット?申し込んでないわよ」 

 

 「いや、当選されましたよ。きっとお子様がお母様の名前を使って申し込み、驚かせようとしたんじゃないでしょうか。今朝から250件近く電話をしていますが、皆さんそう仰って驚かれています」 

 

 「息子は広島に住んでいるんで、なかなか私のいる横浜には…」 

 

 「あー、皆さん、そう仰いますね。間違いありません。当選ですよ、よかったですね。いやあ、息子さんは親孝行ですね。4枚、申し込まれてますよ」 

 

 「嫌だあ、あの子。そんなこと何も言ってなかったわ」 

 

 「チケット代は今日の午後3時までに振り込んでもらえますか?息子さんからは申し込み時に4枚分で各5万円、合計で20万円を保証金としてお預かりしてるんですよ。でも、本日の銀行が営業している時間までに、残りの代金を振り込んでいただかないと、チケットの権利がなくなってしまうんですね」 

 

● 4席分80万円のチケット代を ATMから振り込むよう要求 

 

 「いくら振り込めばいいの?」 

 

 「1席25万円ですから、保証金20万円を差し引くと4席なので80万円ですね」 

 

 「は、80万円?そんなに高いの?」 

 

 「オリンピックですから、それなりにはしますよ。今日のお支払いが確認できないと、棄権となり次の方に権利が移ります。息子さんへのご返金も、かなり先になりますね。来年になるかも知れません。オリンピック委員会は外国にありますから、そのくらいにはなってしまいますね」 

 

 「だけど、銀行に行かなきゃ、そんなお金ないわ」 

 

 「銀行には何時ごろ行けますかね」 

 

 「1時ごろかしら?」 

 

 「では、その時間にこちらからお電話します。ATMだとすぐに着金の確認が取れるので、ATMからお振り込みいただけますか?」 

 

 「機械はよく分からないわ」 

 

 「電話で説明いたしますので、ご心配いりませんよ」 

 

● 銀行に早く到着したことが のちに明暗を分けることに 

 

 午後1時前。はやる気持ちを我慢できず、銀行に早く到着した女性は時間をもてあましたのか、約束の時間までロビーで待つことになった。この時間が、のちに明暗を分けることになろうとは想像もしなかった。 

 

 「何かお手伝いしましょうか?受け付けをいたしますので、キャッシュカードをご用意ください」 

 

 

 ロビー担当の飯塚さんが、いつものように声をかける。私の銀行には入り口に関所のようなカウンターがある。入店時に用件を聞き、持っているキャッシュカードを受付端末へ挿入することになっている。来店客の属性、金融資産の残高、担当者の有無を確認し、誰が相手をするか見極める。使い道のない預金を投資信託や外貨預金に仕向け、手数料を稼ぐのが本当の狙いだ。 

 

 残高が多いとセールス担当の鼻息が一気に荒くなり、何としてでも成果を挙げたくなる。来店客にとっては迷惑な話だろう。振り込みや税金の納付を済ませてさっさと帰りたいところを引き留められるからである。 

 

● スマホ片手にATM操作という 典型的な詐欺被害の行動 

 

 「ええ、当たったのよ!オリンピック!」 

 

 「は?」 

 

 「オリンピックのチケットよ。息子が応募してくれてたの」 

 

 「まあ!よかったですね。それはそれは楽しみですね!」 

 

 「そうなのよ!その代金、振り込みしに来たのよ」 

 

 「振り込み先は分かりますか?お手伝いします」 

 

 「それは大丈夫。連絡下さった協会の方が、これから電話くれるの。教わりながらATMで振り込みするの。分からなかったら声かけるわ」 

 

 「かしこまりました」 

 

 しばらくすると、女性のスマホが鳴る。約束していた午後1時を少し回ったところだった。事の成り行きを全く理解していないものの、飯塚さんはすかさず女性に注意を向けた。スマホで話しながらATMを操作している高齢者は、銀行の教科書通り「振り込み詐欺に引っかかっている」典型的な事例であることを思い出した。 

 

● 利用限度額の制度変更により 80万円の振り込みができず 

 

 ただし、先般行われた制度変更により、それらは杞憂に終わる。私の銀行では、75歳以上の高齢者の口座にひもづいているキャッシュカードについて、一日の利用限度額を一律20万円に制限しているため、この振り込みができなかったのだ。 

 

 このATM制限のおかげで、我々現場の行員たちは毎日たくさんのクレームに悩まされてきた。 

 

 「年寄りを馬鹿にしている!やり方が汚いぞ」 

 

 「何も知らせずいきなり限度額を下げるなんて乱暴すぎないか?」 

 

 「事前に知らせろよ!物事には順序ってもんがあるだろ?」 

 

 確かに十分な告知はなかった。はじめのうちは年齢70歳以上、特に振り込め詐欺の被害が多い地域の顧客に限定して、ATMの利用限度額に制限をかけていた。しかし詐欺被害は減らず、全国一律に75歳以上の顧客口座に対して1日の利用限度額を20万円に減額した。 

 

 告知はホームページやATMの画面上で行ったが「聞いていない」「知らなかった」といった不満が続出した。高齢者にとっては、インターネットに触れる機会はかなり少ないだろう。顧客保護のために施した措置が、皮肉にもクレームの火種に繋がった。しかし今回は、悪名高い限度額制限が役に立ったわけだ。 

 

● 私が騙されているとでも言うの? 失礼じゃない、あなた! 

 

 「ちょっと!」 

 

 女性を注視していた飯塚さんが手招きで呼ばれた。 

 

 「振り込みしたいんだけど、何だか進まないのよ」 

 

 

 「本日はおいくらの振り込みでしたか?」 

 

 「80万円よ」 

 

 「その金額ではATMの振り込みは出来かねます。窓口でお手続きしますので、どうぞこちらへお越し下さい」 

 

 記帳台で振込伝票に記入してもらおうとするのだが、女性はスマホから手を離さず誰かと通話したままだ。 

 

 「あなた、メモ用紙ないかしら。振り込み先をメモしたいのよ」 

 

 「電話の相手はどちら様ですか?」 

 

 「日本オリンピックなんとか」 

 

 「メモを見ますと、個人名になってますね。こういった振り込み先は日本オリンピック協会といった法人名が普通ですが。おかしいですね」 

 

 「息子が内金で20万円払っていると聞いたわ。間違いないわよ」 

 

 「息子さんには確認しましたか?」 

 

 「何かしら?私が騙されているとでも言うの?そこまでもうろくしていないわよ。失礼じゃない、あなた!」 

 

● オリンピック見れなかったら 訴えるわよ! 

 

 声が大きくなってきたため、課長の私が間に割って入った。 

 

 「先ほどからお話を伺っていたのですが、まずはご子息と連絡を取っていただけませんか?確認されてからでも遅くはないと思いますが」 

 

 「息子は仕事中だから出ないわよ。3時までに振り込まないとオリンピックがダメになっちゃうのよ!何とかしてちょうだい!」 

 

 「奥様?日本オリンピック協会からの購入であれば、個人名の口座に振り込みをさせることはあり得ないんですよ」 

 

 「何とかしてよ、もう!オリンピック見れなかったら、訴えるわよ!」 

 

 分かるように説明しているつもりでも、興奮している相手にはなかなか伝わらない。これこそが振り込め詐欺に引っかかってしまう被害者の心理なのだろう。心配して声を掛ける銀行員の言葉など、迷惑にしか思っていないのかも知れない。 

 

 「分からず屋なおばあさんなんか、相手にしなければいいじゃないか」と思われる方もいるだろうが、私は放っておけない。何よりも、詐欺師集団を許すことができないのだ。人様のなけなしのお金を搾取してのうのうと遊んでいるやからに鉄槌を下し、根絶させてやりたい。こんなことは、営業担当の頃の自分では考えもしなかったのだが、預金担当課として窓口で仕事をするようになってから、その思いが強くなった。 

 

● 口座凍結依頼が届くまで 行動しない「銀行の保身」 

 

 すぐに、所轄の警察署の生活安全課に対応を依頼した。駅前交番の警察官が駆けつけ、彼女を説き伏せる。その間に、私が振り込み先の銀行店舗に電話をする。 

 

 もっとも相手銀行への電話は、行内の手続きで定められている訳ではない。相手銀行の口座保有者が詐欺グループかどうか分からない、シロかクロか判別できないグレーな段階では、とかく銀行員という人種は保身に走るものだ。 

 

 口座利用を一方的に止めても、シロであれば営業妨害となり、損害賠償を請求されかねない。だから、クロである確証がないまま動くことはあり得ない。会ったこともない、しかも他行の銀行員の情報など信用できないというのが本音だろう。口座名義人とトラブルになった時、責任を取ってくれるのか?何の保証もないのだ。 

 

 

 ただ、そうした情報を入手した時に、敏感に反応し行動することこそ、詐欺被害を食い止める数少ないチャンスに繋がるものだ。銀行員が重い腰をやっと上げるのは、警察や弁護士から書面での口座凍結依頼が届いた時。その頃には、詐欺グループはとっくに現金を引き出し、山分けしている頃だろう。 

 

 この辺りの「銀行の保身」については、拙著「メガバンク銀行員ぐだぐだ日記」に記してある。FX(外国為替証拠金取引)投資と称し騙し取られたシングルマザーの金を取り返す話である。 

 

● 振り込まれた約2億円は 全額ビットコイン業者へ 

 

 「貴重な情報をいただきありがとうございました。今後の取り引きの参考にします」 

 

 受け取り先銀行の預金担当者が、受話器の向こうで淡々と返事をした。感謝の言葉は含まれているものの、面倒臭いというニュアンスが明らかに感じられた。 

 

 「おばあちゃんさ!東京オリンピックはやらないんだよ!コロナなんだからさ。延期なの!さっき発表されたの!」 

 

 「3時までに振り込まないといけないのよ!」 

 

 ロビーの隅に設置した小さなテーブルを挟んで、警察官と女性が怒鳴り合っている。30分近く続いた頃、3人の制服警察官が応援に駆けつけた。観念したのだろうか、やっと語気が落ち着いてきた。 

 

 「おばあちゃん、今日はもう帰ろうか。私ら家まで送るからね」 

 

 4人の警察官に促され、うつむきながら女性は支店を後にした。夕刻、生活安全課の刑事から電話があった。 

 

 「目黒課長、先ほどは通報ありがとうございました。おかげさまで未然に回避できました。すぐに相手銀行へ口座凍結の要請をいたしましたが、それまであった2億円近くの振り込みは全額ビットコイン業者に流れてしまいました。時すでに遅しとはこのことですかね、全く」 

 

 「私、その銀行に電話したんですよ」 

 

 「そうだったんですか。その時にすぐ口座を凍結してくれていたら、被害は減らせたでしょう」 

 

● オリンピックを題材にした さまざまな詐欺被害 

 

 電話ではあったが、刑事の言葉を聞きながら大きくうなずく。2回目の東京オリンピック。特に高齢者にとっては、若い頃にテレビで見ていたあの熱戦を、再び日本で見られるとは願ってもいなかったこと。観戦チケットが手に入るという口車に、こんなにも容易に引っかかってしまうことを思い知った。 

 

 私が見たオリンピックを題材にした詐欺手口には、他にもこんなものがあった。どれも普通に聞けば、明らかにウソとわかる話だが、オリンピックというワードに日本人は盲目になってしまうのかも知れない。 

 

 「オリンピアンの陸上選手が、貴方が早く走れるように出張講師をします」 

 

 「金メダル選手を指導したカリスマコーチが講演します」 

 

 「あなたの土地が東京オリンピックのマラソンコースに採択された道路の周辺にあり、拡張が決まったので売却の手伝いをします」 

 

 パリオリンピック、パラリンピックが開催中だ。これだけ情報社会が進んでも騙される人はいるし、こんな情報社会だからこそ騙す手段はなおさら多様化しているのかも知れない。 

 

 この銀行に勤め、数十年という時が過ぎた。毎日、たくさんの来店客の悲喜交々が交差する。それでも今日も私はこの銀行に感謝し、懸命に業務を遂行している。 

 

 (現役行員 目黒冬弥) 

 

目黒冬弥 

 

 

 
 

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