( 211360 ) 2024/09/13 16:01:20 2 00 オリンピアンを先生に 文科省、採用促進へ定数増共同通信 9/13(金) 2:00 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/e9127a4c12739dcb60f89550926847b7672b34f5 |
( 211363 ) 2024/09/13 16:01:20 0 00 文部科学省
文部科学省が、オリンピアンやパラリンピアンらを教員として採用するための新たな促進策を始めることが12日、関係者への取材で分かった。「特別免許」を与えて公立学校に配置する場合は、その分の教員定数を増やすほか、教職に関心があるアスリートのリストを作成する。来年度からの採用を想定しており、13日に都道府県教育委員会などに通知する。
【写真】小学教員倍率、5年連続で最低 秋田県と大分県は1.3倍 22年度
特別免許は、多様な教員の受け入れを目的に、高い専門知識を持つ社会人に教科を限定した免許を与える制度。アスリートが保健体育や部活動を担当することなどを想定しているが、これまで五輪経験者らの採用は広がっていなかった。
|
( 211362 ) 2024/09/13 16:01:20 1 00 この文章群からは、オリンピアンや元アスリートを教員として採用する議論について、以下のような傾向や論調が見受けられます。
- オリンピアンや元アスリートを教員として採用することには賛否が分かれており、一部では適材適所を考える必要性や教員としての専門性を持たない可能性、スポーツに特化していることが教育に適していない可能性などが指摘されている。 - 教員の役割は単にスポーツを指導するだけではなく、保護者対応や学校業務全般への対応が必要であり、その点でオリンピアンが適しているかどうかに疑問が投げかけられている。 - 学校現場でオリンピアンが教育活動をする際の実務や教育指導の点での懸念が多く挙がっており、オリンピアンが主に競技に特化しているため他の教科や教育活動に適さない可能性が指摘されている。 - また、多くの人が教員採用試験の難しさや教員待遇の改善、児童・生徒のために教育環境を整備することの重要性などについて言及しており、オリンピアン採用以外のアプローチや施策の必要性を指摘している。
(まとめ) | ( 211364 ) 2024/09/13 16:01:20 0 00 =+=+=+=+= なれたらすごいけど。 嫌な予感もします。 オリンピアンは多分大多数が、一つの競技に多くの時間を捧げてきた人だと思います。
先生って仕事は、1日のほとんどを生徒や保護者や雑務の対応に捧げる仕事です。
文化がまず違うんじゃないかな
たとえば、体操選手が体育教師になったとして、器械体操の授業は1ヶ月もやらないよ。 その他の種目は勉強しないといけない。
バドミントン選手なら尚更、カリキュラムにすらないよ。努力してオリンピックに出たのに、自分の専門でない種目によって、あの先生は大したことないよとか言われたら嫌なんじゃないのかな。
=+=+=+=+= 美術で特別講師枠で教えたことがありますが、学校に常駐するわけではなく、専門の授業の時に行くだけでした。あまり、役に立っている感触はなく、私一人の受け入れに管理職の先生が担う手続きが多くて気の毒でした。場当たり的な配置をしても現場が混乱するだけだし、生徒への認知度も期待できないと思います。
=+=+=+=+= 体育教師はまだ人気があり、結構倍率もあって人手不足まではないって、学校の体育の先生が言っていたのですが、オリンピアンはやはり体育教師が多くなるのでしょうか? 子供たちにとって素晴らしいことである一方、教師はコーチとは違うというギャップをどのタイミングで埋めるのかなと気にもなりました。
それか、教員免許を取るにあたっていくつかの大学の単位を免除するという形なのでしょうか?であれば賛成です!
ただ、オリンピアンの知り合いはいませんが選考会にかかる選手を何人かみていると、学校でやるスポーツと全く次元が違うところで競技しているので、種目は同じでも考え方や取り組み方は素人と全然違います。人によっては何事にも熱意がこもりすぎるか、子供達のレベルに失望して、結局自分の練習中心生活(感覚)から抜け出せないってとこになりそう。
=+=+=+=+= 私の経験からですが、柔道の金メダリストが大学の教員に迎得られた時の、人は、クラブの監督に居ました。工業大学の中には、観ない方で先生の意味は、強化の監督と部員の確保で名を知る人の集まりを誘う方でした。 今は、部を優先する時代でも無いので気にならない学校です。かといってほかの分野にも、効果の有る学部が存在できる時代の今です。けど、何処からも認めて貰える物には為らない。私学は難しくない入学基準ですから、上層部の考え方も判らないといけない様に学力は要るでしょう。
=+=+=+=+= オリンピアンが教育に向いているかどうかは別として、オリンピックに出場しても、それがマイナー競技だったりすると就職先も限られている。山際淳司氏の著作「たった一人のオリンピック」はそういった競技のオリンピアンを取り上げてましたが、そのに出てくるような選手たちが教員の立場になって子どもたちに伝えられるものもあるでしょうね。 ちなみに子供が通っていた学校の先生があるメダリストと姉弟で、その伝手で学校に講演に来てくれてましたが、子どもは喜んでましたね。
=+=+=+=+= 小学校は基本的に全科指導が大前提。 中学校は専門教科と担任が必須。 校務分掌(避難訓練、不審者対応など)、遠足、修学旅行、運動会(体育祭)、文化祭、社会科見学等の引率…。 各クラスに2割前後のグレーゾーンの子(暴力、授業中の立ち歩き、叫び等のトラブルや支援が必要な子、1割前後のブラックな子や保護者トラブルや研修研究発表…。 「オリンピアンだから」を理由に大事な子どもの命を任せられますか?
=+=+=+=+= オリンピックやパラリンピックの選手だった方々が活躍出来るような環境を整備するのは、非常に良い試みだと感じます。 ただ学校の教員となると、部活動の指導以外にも各種様々な日常業務もこなさなくてはならなくなるため、これまでやって来たことの無い業務から負担が大きくなると思います。 近年は部活動での教員負担が問題視されていますので、部活動の外部指導者として学校側が雇用する形にしたら良いかと感じます。
=+=+=+=+= 元教員です。 この免許には教育実習または就労前のインターンなどが義務づけられているのでしょうか。おそらくそうではないと思います。
教員の多くは、現場での実体験を経てこの職に就く決意を新たにします。 いくら保健体育や部活動に特化したものであっても、この体験が無い教員が生まれることは現場にもアスリートの方にも不安材料が大きいのではないでしょうか。
アスリートの方たちが児童•生徒の頃に比べ、教育をとりまく様々な事情が変わってきていると思います。ミスマッチでお互いが不幸なことにならないように、何らかのかたちで採用前にアスリートが現場を数週間(できれば数ヶ月)体験して、自他ともに適性をみておいた方がいいと思います。
=+=+=+=+= 日体大でも採用試験が通らず悩み鬱になっている方がいるのにね。 パラリンピアンってすごいなって思うけど、実際車椅子の方が跳び箱を飛んだり鉄棒したりマット運動したりできないですよね。走り幅跳びや高飛びもできませんし。それに、車いすでトイレにも行けないと思うし体育館までの渡り廊下や入口の段差など階段もあるし、学校側の施設が対応できていないんじゃないかなと思う。
=+=+=+=+= オリンピックに出られたということはそれだけで稀有な経験や才能ではあるけど、それだけをもって教育に相応しいと判断するのはいささか単直すぎない?
多くの教員は大学で教職科目履修して、学校実習して、教員試験受けて…とその道のために必要とされている多くの課題をクリアしているわけで。
オリンピック出たという経験一つでそれらの要件をすっ飛ばすのは少し違うかと。
=+=+=+=+= これは既に文科省が言わなくても、かなり前からやっている都道府県がありますが対象はほぼ高校です。私も同僚に複数五輪経験者がいて、特別免許だったり、大学で教員免許取得していた保健体育科でしたが、他の教科でも特別採用は募集しています。研究職にいた人で理科なども。学校で仕事がしたい、という思いで応募され、他県ではまだ広まっていなかったこともあり、倍率も高い中選ばれたのがわかる熱心で真面目な方々でした。大学での教職課程履修の有無は、正直現場にいた者から言うと、教員の適性として絶対条件ではないと感じています。部活は外部へと言う流れに逆行する、と書いておられる方もいらっしゃいますが、外部化は中学校wp想定しています。高校教員は自分が経験した部活指導に関わりたい、が動機の方は多いですし、私学が甲子園出場にあれだけ投資していることからも外部化の話はありません。
=+=+=+=+= オリンピアンのような特別な経験をした人を採用することは生徒にとってはいいことだと思います。ただ今部活動の外部委託等が叫ばれておりオリンピアンが学校現場に入れば当然部活指導がしたい人が多いはず。同じ文科省が言ってるのは矛盾がある。そのことを踏まえた上で応募する人がどれだけいるのか疑問です。大学のコーチやスポーツクラブの指導者等になりたい人の方が多いのではないか。給与面でもそちらの方がいいと思う。メダリスト等であれば待遇面を考えれば他の道に進むのが普通だと思う。
=+=+=+=+= 「名選手、名監督にあらず」という格言があります。 例えば、若いころから世界を舞台にして活躍したF1ドライバーが、引退後直ぐに自動車教習所の教官になり、運転技能や日本の交通法規の授業ができるか疑問です。 アスリートに限らず、広く社会人を対象にした教員養成所を造り、1~2年座学や教育実習をして教師を育成するようなことはどうでしょう。
=+=+=+=+= ドイツは地域ごとにスポーツ・センターのようなところがあって、市民がけっこう安い利用料金で専門的な指導を受けることができるとか。それらは将来有望なアスリートを見つけ出し、代表候補に選抜し、高度なトレーニングを施す場にもなっているらしい。日本にもそうした場を作って元オリンピック選手を雇用し、中学高校の部活動の比重は小さくしていくべきだと思うな。
=+=+=+=+= 引退後のアスリートの就職難と教員不足の解消が裏のねらいとして考えられます。 小学校現場としては、英語やプログラミング、通級指導など、現役の教員も経験不足の分野が多くあります。 一から人材を育成する視点で現場は取り組んでいく必要が求められるでしょう。
=+=+=+=+= オリンピックの選手ってそれまでの時間の全てを自分の競技に捧げてきた印象がある。
一般常識や事務処理能力が不足している人も多いのではなかろうか。
部活の顧問なら務まるかもしれないけど、旧来の体育会系のノリで指導してしまいパワハラは体罰で失職する人も出るのではなかろうか。
野球の監督でもそうだけど、一流のプレーヤーが必ずしも良い指導者でないということは良く有ること。
=+=+=+=+= オリンピック選手のセカンドキャリア対策としては、結構なことかも知れないが、いざ、現場に配属された時の使い方は難しいと思う。種目によっては、宝の持ち腐れになることもあり得る。学校というのは、教科指導、部活指導だけでなく、その他いろいろがあり、そういうことにも積極的に取り組まないと、校内で浮いた存在になりかねない。また、メジャーな競技でなく、特殊な競技だと、その経歴が生かせないし、オリンピック選手の栄光もやがて賞味期限がくる。それまでに教員としてキャリアを積むことは要求されるだろうね。
=+=+=+=+= 止めた方が良い。アスリートとして大成しても、教育現場は別物。授業以外に保護者対応などハードルの高い物が沢山ある。それより、教員採用試験になかなか受からずに講師で頑張っている人に採用枠を広げて就業のチャンスを与えてあげてほしい。
=+=+=+=+= 確かに、学校の外の世界を知っている人たちが入り込むことで風通しが良くなる状況もあると思う。実際に企業に勤めた後に教職に転職するケースも報じられている。 どのような形での働きを想定しているだろうか。教職を目指すなら、本来なら指導法や心理学など教職として必要となる学びを行い、模擬授業を繰り返したり、実際の学校現場での教員実習も行わねばならないが特別免許ではどこまで省略されるだろうか。 霊長類最強と言われたレスリングの五輪選手の親族が営む教室で教え子に対して不適切指導を行ったことが問題になったことも報じられていたが、同様の不適切指導によって処分を受けるということも考えられる。 さらに、体育が嫌いな子どもたちに対しても例外なく考慮しない指導法を展開することで一層体育が嫌いになり、するのも観るのも嫌になるという悪影響も起こりうるのではないか。
=+=+=+=+= 自分が競技で成果を出すのと、大勢の子供を教育するのとは全然スキルが別物だと思いますが。むしろ真逆?成果さえ出れば何やってもいいと思ってそう。どの教科を担当するのか知りませんが、学校の体育って心身の健全な育成のためにやるもので成績出すためのもんじゃないんですよね。トップクラスのアスリートが高い地位について社会的にあちこちで問題起こしてるのももうよく見る光景です。
=+=+=+=+= 教員免許を取るためには、大学の講義で専門科目の教育法(模擬授業)だけでなく、介護実習、教育実習、心理学なども受講する必要があります。いくらオリンピック出場者とはいえ、そういった実習や授業を受けずに免許が与えられるのなら、教員免許にそれらの授業は必要ないという事になります。 アスリートはその競技のスペシャリストではあるものの、教員とは無関係な仕事だとおもいます。例えばクラブの外部指導員なら、わからないでもないですが。
=+=+=+=+= もちろん教育学部では教育のことを学ぶんだけど,板書の仕方,保護者対応の仕方,授業の進め方,宿題の出し方,掲示の仕方,係活動の仕組みなど技術的なことはあまり学ばない。 もちろん模擬授業の練習はするけど,授業外のような扱いで,大学の授業の中で体系的に授業の作り方を学ぶことがない。
初年度の教員がいきなり担任もたされて3ヶ月でやめることがあるのもなんとなく分かる。
オリンピアンを先生にするのは面白いけど,ある意味,専門職としての教職を軽く見ているような気もするし,別の意味では肝心の教育学部を出た人ですら専門職としての技術的な学びをしていないから同じスタートラインに立てるということを示しているようにも思う。
=+=+=+=+= 以前直近のオリンピックに出たばかりの 派遣さんを雇ったことがあったけれど、 社会性がないのか、仕事に対する姿勢が 全くなくて、30歳前だったけれど 中高校生のバイトか?と思う人も。
自分の持ち分の仕事が終わったら、 一日2回以上トイレに30分こもってゲーム。
仕事中でも隙間時間にゲームやメール
言われたこと以外はしないする気もない
話しや考えの内容が中学生で自分本位などなど
個人差や環境によるとは思うけれど、
小さな時からひたすらスポーツだけに 打ち込んで来て、ある程度親が世話をしてきて 勉強もそこそこで、 バイトや社会に出ることもなかったから 仕方がないかもしれないけれど、 仕事としては成り立ってなかったね。
就職先としては良いけれど、 採用する側は見極めた方がいいかも。
=+=+=+=+= 確かにオリンピック経験者を教員に採用する事は将来の子供の為に良い事だとは思います、しかし現在の教員の所得で満足出来るかが問題だと思います、私も日体大卒で多くの仲間が教員をしていますが そもそもの給料が安い 更には放課後の練習 土日の練習や試合 などでも手当てが出なかったり 出てもほんの僅かです、やはりオリンピック経験者を教員にするならそれなりの待遇じゃないと来てくれない様な気がします。
=+=+=+=+= 子供の教育に携わりたいと考えてに学んできた人を採用してほしい。オリンピアンが凄いのはわかるけど、その権威を使って特例で枠を増やすなんて邪道でしょう。効果があるのかないのかわからないけど耳目を集めるストーリーを作らないと増枠(人件費増)を認めない体制はどうやったら直せるのか。まず、明らかに足りてない普通の教職員の定員を増やして、そのあとにプラスアルファでこういう特殊な施策を打つべき。
=+=+=+=+= 体育の授業だけとか部活動のコーチとかならわかるけれど、教員として働くというなら、他のちゃんと教員としての必要な教育課程の履修などはしてきてからにして欲しい。その上で教員やってもらえるなら良いと思うけど、特別扱いしすぎるのはいいことではないと思う。
=+=+=+=+= 教員の応募が少ないということは、その質も低下しているということ。将来の日本を担う子供の教育にとって好ましくない。大学の教育学部に学ぶ学生の優遇措置をとり、優秀な学生を集めることを真剣に考えるべきだ。もちろん学資は無償。その上で、教員の待遇の向上も考える。その昔、「でもしか先生」とかいう言葉が流行ったことがあった。他の職に就けないから、「先生にでもなるか」という言葉である。最近の教員の質は、その当時よりさらに低下していると聞く。既存の教育学部(学芸学部)の質の向上と併せて、教員養成の専門大学・大学院を作ることも文科省は検討すべきだと考える。今の子供たちの学力の低下は、絶対に阻止し、さらに向上を図らねばならない。日本の国は沈没する。
=+=+=+=+= おそらく期待値としては一つのことに取り組むことの重要性とその過程での苦労をもとに生徒への種にモチベーション面での指導を実施するのがよいのだろうと思う。高い専門性を持った人材の特別免許とはそういうものではないかと思う。
=+=+=+=+= まずそういう人がなってくれるか。という状況なのか。というのが問題でしょう。環境が明確に変わりますし、アスリートで教員になる人も出てきますが、私の過去の経験上では、当然一生懸命の人もいますが、何か学校がらみの話には関係せず職員の体育活動やその方面に一生懸命な感じがしました。
生徒には夢が生まれますが、実際にはやってもらえる環境でしょうか?
=+=+=+=+= 大学での活動などではトレーニングなどに時間を裂かれるでしょうから、特別免許取得は良いと思う。ただ別枠として採用する、というのは何故なのだろうか。
「なかなか教師の言う事を聞かない生徒・保護者もオリンピアン、パラリンピアンに偉大さを感じ言う事を聞くのでは」と考えたのだろうか。
また、特別免許なので大学での教職は一切受けていない、指導法についても単位を納めていない。さらに言えば高校、大学等での学習も必要が無い。でも教壇に立てることは学歴による差別解消に良いと思うのだが、立場を変えて見ると「教職過程や大学での学びって、教師に必要なかったんだ…」っとならないだろうか。
考え方によっては都道府県に籍を置き、普段はトレーニングに励んでもらう中で、体育の教科指導の場面で専門の単元に近い単元で、要請に応じて各校を訪問し、その単元のコツ等を授業の中で子どもに伝える、と言うのであれば良いのかも。
=+=+=+=+= 若手支援っていうけど,子供の数自体はどうせ少子化で先細り. どうして採用を極少絞り切った氷河期世代をきちんと雇用してあげないのか? 採用試験が300倍500倍といった世代の人たちが報われなさすぎるよ. 非常勤で週6日掛け持ちで最低時給以下で働くような教員はごろごろいて,年間200万円台の給与しかなくしかも国保.なんでそこを改善しない?ベテランだし体力もあるし,何ならどんな辛いことも乗り越えてきた人生経験値はものすごく高い. なんなら若手と違って少ない給与の中から子供を複数人育て上げ,世間に氷河期と足蹴にされながらもきちんと自分の夢を実現している人たちがめちゃめちゃ多いよ. 殆どのオリンピアンより経験値豊富だし精神的にはずっと上だと思う.
=+=+=+=+= オリンピアンに限らず、スポーツや芸術に携わってきた人々のセカンドキャリアとしての教員という選択肢は制度化されるべきだと思う。
現状では、小学校の体育の授業と、中高の体育の授業及び部活動が想定されているとのことだ。 これだけでなく、担任や校務分掌も広く担えるようにするべきだと思う。 そのためには、特例としての措置ではなく、そういうカテゴリーの免許を発行し、制度として成立させるべきだ。
一方で、扱いとしては定員外とのことで、予算の確保が自治体任せになることが懸念される。 学校業務が多岐に渡る中で、明らかに人手が足りていない現状、義務標準法を改正し、学校に配置される教員の定数そのものを増やさなくてはならない。
=+=+=+=+= 中高一貫校の教育改革や成果の見える化等、制度的な対応も重要な課題です。しかし、スポーツ界が求める人材は、「夢」や「感動」を与えることのできる人材です。それは、スポーツ界が長い年月をかけて育成し、磨き上げてきたものです。 そのことは、学校教育に置き換えても同じだと思います。学校教育は、社会に有為な人を育てることを目的とします。
=+=+=+=+= 大丈夫かなあ。教師の仕事は授業だけではないし。むしろ,保護者対応とか雑務的ななものも多い。体育教師だとしても多くの場合、専門外であったり技術が高度すぎたりしそう。また、髪型とか髪色とかちょっと子どもにまねして欲しくないアスリートもいる。それで、ちょっとお客さんになってしまいそうだけど、1校に限らず、同じ区内、市内の学校を月に一度まわって模範演技を見せるとか色々と工夫しないとうまくいかないのでは。
=+=+=+=+= オリンピアンを先生にすることは、結構だが、何を教えるのかな? サッカーだけ?水泳だけか?自分の競技は、詳しく教えても、他の競技は素人だろう。ましてや、朝から晩まで競技練習一筋で、勉強もしていないオリンピアンもいるだろう。教師は、教養や社会常識も生徒たちを指導しなくてはいけない。セクハラパワハラなどもってのほかだ。簡単に採用せずに、教諭や倫理観を含め厳重に選抜して欲しい。
=+=+=+=+= 知人から聞いた話ですが。 知人が以前、某公立中学校で講師をしていた時、同じ学校に某競技で日本代表クラスの選手をしている先生が赴任されていたそうです。が、その先生は常に練習、合宿、試合、遠征等のため、学校に来ることはほとんどなく出張扱い。結果、本来その先生が担当しなければならない教科を残された先生が負担しなければならず大変だったと言ってました。 オリンピアンが先生になり常に学校にいて子どもたちに指導するなら賛成ですが、さっきの先生みたいになるのでしたら、ちょっと考え直したほうがいいのでは?
=+=+=+=+= プライドをもってオリンピックやパラリンピックに出場した選手が、児童・生徒のために自分の主張を抑えて毎日を費やすことができるのだろうか?
子どもたちのための細々とした雑事、保護者とのやりとり、生徒指導などで思いがけない嫌なこともたくさんあり、地味な日常である。
人寄せパンダのようなお飾りにするのは気の毒だと思う。
=+=+=+=+= 教育の場を引退選手生活支援に転用すべきでない。オリンピアンつまり買った人はほんのひと握り、代表戦までに負けた人が大多数、教育も秀才は一握り、大多数の子供は負け組、彼らの心にオリンピアンは寄り添えると思わない。成功はその人の才能と出会いと努力の合わせ技、他人には参考にならない。失敗は理由探れば避ける参考にできる。起業家の話よりガード破産の話の方が役立つ。教育にはむしろ敗者の経験こそ大切に思う
=+=+=+=+= 教員の仕事内容は、スポーツを教えるだけでなく多岐に渡ります。
オリンピアンであることは、教員の適性を保証しません。※過去には少年への犯罪の事例もあります。
ですので、『保健体育』や『総合』の時間を受け持つだけの教師ということなら、賛成ですが、一般の教師と同じような採用は、止めたほうがよいと思います。
=+=+=+=+= オリンピック代表に選ばれるレベルの人にとって適材適所とは感じられません。
次世代トップ選手やチームのコーチといかなくても、中堅クラスまでのコーチならまだわかりますが、学校という不特定多数が集まっている場所で、まずはその競技と出会う程度の初心者集団だなんて。名プレーヤーが名コーチではないことは常識です。
オリンピアンが活かされるのは、一般的な指導ではこれ以上対応できないレベルの選手に対する指導ではありませんか?そういう仕事が望めない上に個人のツテでの就職も難しいなら一般的な公務員職をある程度あてがう制度くらいはあってもいいと思いますが、学校だなんて現職教員からハラスメントを受けかねないと思います。教員同士でさえ陰湿なイジメをするのに。
オリンピアンの引退後処遇に困ったから学校にでも放り込んどけということかな…と感じました。学校で働かせるなんて政治家になるよりもっと止めて欲しいです。
=+=+=+=+= オリンピアンを経験した金メダルダンサーなどは、特別教師として、各都道府県の学校を巡回するなどしたら、ダンス好きな子供達も喜ぶだろう。 体操やバスケット、野球、サッカー、テニス、ゴルフだって、特別な教員免許があれば、全国や各都道府県などで学校と調整して巡回スケジュールを組めば、補助的にも子供達にさまざまな練習方法や怪我をしない練習、技術的なことなども、アドバイスができる。
都道府県や各市町村の教員ではなく、国を背負ってきた人々なんだから、国家公務員待遇でいいと思うけど。
=+=+=+=+= 言い方が雑になるけれど、行政が学校教育を下に見ていると思う。特別講師なら教育としての意義はあると思うが、オリンピアンだから公教育の教員にするのは違う。 学校教育に携わるとなると、子供の心に寄り添えるか、膨大な法律や通知等を理解できるか、周りと歩調を合わせられるかは最低必要な能力だと思う。オリンピアンの能力=教育に必要な能力ではないと思う。
=+=+=+=+= やって見るのはいいと思いますが、バランスが大切だと思います。オリンピアンで政治家になってあんまりな人いますよね。個人によると思いますが、ものごころつく前からトレーニングで考える時間を奪われ人間として成熟してない人、狭い世界で組織の論理に従う習慣の染みついた善悪の判断の出来ない人もいるので、オリンピアン🟰素晴らしい教育者になれるとは限らないと思います。もちろん選手としても人間的にも素晴らしい人はいますが。
=+=+=+=+= 部活動は地域移行って言われているのに、なぜ学校部活の指導者づくりを目指すのでしょうか。
正直、授業的な負担よりも、生活指導や保護者対応の負担・しんどさが大きすぎるのでオリンピアの方の競技専門性よりもその対応力を期待したいです。
=+=+=+=+= オリンピアンに限らず、社会で活躍する人や専門的な知見を持った人が教壇に立つことは有意義だと思う。 もっとも、教員の仕事は教壇に立つだけではなく、生活指導や進路相談、いじめ等の対応や保護者らとの折衝など多岐にわたり、それらはオリンピアンの能力とそれほど関連しないので、色々と課題はあると思う。
=+=+=+=+= 部活動って現状はまだ教員がやっているのがほとんどだがそれを地域なり外部なりに移行する方針じゃないの? 文科省矛盾してない? 現状でも教員の中にはインターハイ、国体、稀に日本選手権出場経験者は教科に限らず存在する。単発的に講演を聞くとかでなければそれで十分だと思う。というよりそのくらいの人達が普通に採用試験を通り教員をしてる方が生徒にとっても有益だと思う。勉強ばかりして採用試験を通った人とスポーツでもある程度の結果を残し、採用試験もクリアした人では人間の幅が違うような気がする。そういうところで人間としての生徒への影響力は違うような気がする。ただそういう人は部活指導もしたいと思う。しかし今後部活が教員から離れる方向に向いているのでそういう人達は教師を目指さなくなるのではないかと思う。オリンピック選手ならなおさらである。
=+=+=+=+= 体育や部活に限定するとの事ですし、基本的には賛成ですが、待遇をどうするのでしょう。 オリンピックにまでいった人を一般の教職員と同じ賃金で雇うのかな。 この制度を利用して、子供たちのためにと現場に入るオリンピアンたちのやりがい搾取のような事だけにはならないで欲しいかなと思います。 それと、現実的にはオリンピアン限定なのかそのコーチやサポート陣も対象にするのか、教える事、始動する事、栄養管理なども含めれば、そちらのほうが適任な気もしますけどね。
=+=+=+=+= そりゃオリンピアンにも色々いて、それこそスパルタで力をつけてきた選手が、全ての子供に自分の感覚で接せられるのは問題が出るので、選別が必要ですが、生徒にとっては世界的に活躍したスターが教えてくれるのは大きな刺激となり、突然進化する子供も出てくると思うので、とても有意義だと思います。 ただ正規教員として採用するのはどうですかね。 スター選手が突然眼の前に現れたら子供の気も引けますが、それがずっと続くとなるとどうかで、何十年も経てば「へえ、そんな人だったんだ」としか思われなくなるから、一時職員ならいいとは思うんですけどね。 そこまで上り詰めた人は指導力もあるというのは、オリンピアンでも一般人でも同じ話で、それは採用する側の能力の問題
=+=+=+=+= 先生には向かないと思います。努力して頂点を極めた様な人に正直教わりたく無い人の方が多いのでは無いでしょうか?昔、ハローワークに通ってた時、宇宙飛行士の毛利さんのポスターが貼ってあり、細かくは忘れましたが「努力すれば夢は叶う」の様なメッセージでした。「ここに貼るか?!」と腹が立った記憶があります。
=+=+=+=+= 金メダルのオリンピック選手が、小学生の先生になれば、人気、信頼感があってとても良いです。保護者も、普通に先生よりも、信頼して頼もしいと思うでしょう。良い政策ですね。オリンピック選手が算数や国語を教えるとよく分かると思う。 出来れば、メダルを首からぶら下げて授業をしてください。たまにかじってくれると児童は、喜びます。保護者も喜びます。 銀メダル、銅メダルの選手の先生が担任になると、ちょっと、保護者は、残念な気がしそうです。でも、頑張ってください。
=+=+=+=+= 教員採用試験の得点に多少加点するぐらいで良いのではないか。保健体育の教員になる人が多いと思うが、体育実技は様々なものを教えなければいけないし、保健の授業もやらなければいけない。教員として知っておかなければいけない、法律や教育学の内容もある。名選手必ずしも名指導者ではないのである。スポーツしかやっていなくて、簡単な漢字が書けなかったり読めなかったり、簡単な計算もできないような人材では困るのである。。
=+=+=+=+= いじめ問題や不登校問題に精通した教員を積極的に採用するべきだと思います。スポーツばかりに目を向けてもらっても困るし、教育委員会を解体して都道府県市町村長主導の組織を作るのを促進するべきです!教育委員会は誰の為の組織? 教育委員会、学校の不祥事を聞かない日は無いぐらいです。文部科学省は直近の課題から目を背けている!義務教育の根底が崩れています。
=+=+=+=+= 自分の得意分野を子ども達に教えてあげたい、っと思う人もいるだろうが、現実の教師は、教科指導に時間を割けないでいる。独特の多様な活動や対応できる力をのほうが大事。
今でもオリンピアンで、体育の教員免許を取っている人はたくさんいる。それでいいと思う。
昔、柔道のオリンピアンが教え子複数に性加害を加えていた事件は、衝撃だった。
オリンピアンをつい神格化して見ることも危険だ。教育に対しての知識や配慮や責任について学んでおいてほしいと思う。
教員不足に対処するのは、泥縄の手段ではなく、 業務の分割をし、 教師が、教科指導や生徒の生活指導や相談に注力できる環境を整えることだと思う。
何でも屋として多忙を極め、何かとクレームを受けて、責任を問われる。 そのブラックさが知れ渡っているから教員不足を招いているのだから、 手を入れるのはそっちでないと。
=+=+=+=+= オリンピアンだとしても、そのことが注目されるのは最初だけで、1週間も経てば学校の日常の中で淡々と実務をこなしていかなければなりません。子どもはシビアですから、教え方が下手だったり、専門分野以外の知識があまりにお粗末だったりすればすぐに騒ぎ出す。日々繰り返される授業時間において、学級の形や規律を維持していくことは簡単ではありません。
特別免許の発想が安易すぎるように思います。教育の専門性を侮っていると感じます。
=+=+=+=+= 一芸に秀でたという意味では良いですが、人としての素養は見極めてほしい。全てとは言いませんが、スポーツ選手全員が教育者に適しているかという懸念はあります。
教育受け試験やら受けて教員になってもやらかす方々もいるのは事実ですが、誰がどうやって見極めるのか、ですかね。。
=+=+=+=+= 先生に値するだけの能力があればよいことだと思います。講師とかなら問題ないですが、オリンピックに出られる人は並外れた努力をされていると思うので、それを求められたら参ってしまう子供もいるので。その程度でいいんじゃない?という寛容さがあるかどうかというところもあるかな。
=+=+=+=+= 専科の教員もいるしそれは問題ないのだが、これはオリンピアンであるならば相当昔とった杵柄であってもよいのだろうか。 また、あくまで免許を与えるだけで採用は別なのだろうか。 例えば犯罪行為や倫理的に問題があった元選手の場合はどういった扱いにするのかがわからないので未知な構想に感じる。
=+=+=+=+= 特に教科毎に指導が別れるような段階ならばスポーツだけでなく、英語、音楽、科学、文学等博士号取得者や世界的コンクールの入賞者等のスペシャルも採用対象にして良いのではないか。大谷翔平の元通訳水原一平も出所後は教員として再起できるかもしれない。
=+=+=+=+= もともと小中学校に教員免許が必要なのか 疑問です ある程度の試験に合格したら 採用でもいいのかと思います 学校には教員補助 事務職 作業職の校務員等がいますが 適性があって ある程度の知識があれば 採用してもいいと思います 教員より いい人はたくさんいますよ 学校勤務していて つくづくそう思います
=+=+=+=+= 例えば、普段ADHDの子どもに接しない素人の先生は、言うことを聞かないことに腹を立てるでしょうから、校内の対応として現職の先生がサポートすることになります。せっかく人が増えても、現職の先生の拘束時間は変わりません。つまり、この取り組みは先生の負担軽減にはほぼ寄与しません。 文科省のビルドアンドビルドが国家的問題を引き起こしているのが明らかになった今でも、まだそれを続けるつもりでしょうか。貴重な財源をどこに使うつもりしょうか。新しいことや発展的なことはできるだけ控えて、まともな授業ができる学級を一つでも増やしていくのが今するべきことのはずです。 国は無駄遣いせずに、現状維持に力を入れるべきです。
=+=+=+=+= オリンピアが全員なる訳じゃないからね。。 本当にやりたい方々だけでしょ、良いと思う。。 大卒の方だけではなく、高卒の方でも部活動のコーチや監督などできますよね。 今まで顧問していた先生の負担も減るよね。
子供達の未来、日本の未来のスポーツ振興に大いに役立つ。 いったい誰がアイデアを考えたの?凄く良いです。
全国の学校でオリンピアが振興に貢献している事をネットワークで問題点や良き事を共有し、エビデンスを残し、次に繋がるようするとか。いいですね。 問題点が出た場合、そのつど解決し、前に進む。 スポーツは楽しく高め合うのがいいですね、心の成長にも役立つ。 スポーツっていろいろ学べますよね。 例えば、コミュニケーション能力や、分析力、瞬時に判断する力、栄養学、その他・・・。 私は65歳以上なので昔と今では教育内容はどんどん良くなっている。 羨ましいな。。
=+=+=+=+= 日本トップクラスの人材を、現在の待遇で働かせようというのか。 非常に複雑な気分。
良さ・楽しさ・やりがいのある仕事だけど、現在の労働環境は悪すぎる。教職を考えている学生にさえ、積極的に勧めるのを迷うくらい。
一方で、副業+メセナでやっとこさ競技を続けている人も少なくないだろう。教職は、安定っちゃ安定してる、、、
理想はわかるけど、今の働き方じゃ理想どおりにできそうもない。 しかし、安定のほしい選手もいる。
文科が選手の足下見てるんじゃないよね?
=+=+=+=+= 職業選択の自由は誰にでもあるから、機会を増やすことは良いと思う。オリンピアンといえどいろいろな境遇がありますから、一概に学校の先生はどうですか?というのは文科省の自由でもあるが、果たしてオリンピアの肩書で教師になるほどの魅力があると勘違いしているのは、文科省のお花畑感が否めない。だったら文科省の役人の先生方が、地方へ出向して現場の実態を知ったうえで提案していただくのが一番良い。給与も、時間外労働も、部活指導も、書面や実態の数値化したものを見て判断するのではなく、オリンピアンならこの場面を解決できると思っているなら、やめたほうが良いと思う。オリンピアンの方々は芸能界や観光大使という魅力ある職を目指されると思うので。
=+=+=+=+= 何のためにオリンピック選手を教師にするのだろう。学校教育のなかで世界レベルのアスリートに何を期待するのだろう。
その体育競技や自分を鍛錬するためのメンタルのもち方等を教えるための特別授業を設けるためになら分かる。でもそのためだけに教員免状は要らないだろう。
オリンピアンが普通に教員になっても世界レベルの技術を持て余し、安月給で、その競技しか知らないだろうから授業は物凄く偏った教師になる可能性がある。学校のお飾り程度にしか使えない。
オリンピアンは社会で価値のある専門技術や精神論を持っている。それをどう使って彼ら自身と社会全体の幸せに結びつけるのか、セカンドキャリアを考えるべきだ。
=+=+=+=+= オリンピアを、教員として採用促進を考えるなら、その前に、大学教育の見直しが必要だ。 日本のスポーツ選手は、大学でほとんどスポーツしかしていないため、はっきり言って学力がない。 それで、教員になろうとしても体育教師になるのが関の山で、採用枠が少なすぎる。 日本も、学生スポーツに対し文武両道をさせるべきだろう。 これまで、勉強はできないが運動は得意だから、スポーツで学校へ行きスポーツで就職して・・当たり前にやってきたが、プロ化されていないスポーツの選手は、指導者になれければ大した就職先もなかったはず。 文武両道で、スポーツをやめても次の道が有るよう、教育の見直しをお願いしたい。 体育しかできない人には、体を鍛えてそれを使える職業について貰えばいい。そんな仕事の。求人は多いはずだから。
=+=+=+=+= 人気だけで 畑違いの仕事が きちんとできるか疑問 オリンピック経験者の 国会議員を見ていると思う
一定期間の研修を 形だけにならず しっかり受けてもらう必要は 絶対ある 国のとんでも施策という印象 一石二鳥を狙ったつもりかも知れんが 問題が多数発生することは 火を見るより明らか
現行制度の現場に合わせた 良い方向への緩和や修正をしっかりやるべき 閉鎖的教育委員会や県庁、国とのつながりを もっと改善すべき
=+=+=+=+= どのような形態で採用するのかによりますがオリンピアンであれば専門分野での後続の育成が出来ることがベストでしょうから教員というポジションでそれが出来るのか、また本来教師が行うべき教育も出来るのかが気になりますね。
=+=+=+=+= オリンピック選手が先生なら先生と生徒とのよからぬ関係で問題が多発しそう・・・
オリンピック選手よりも一度は社会に出て働いたことがある人に教員採用枠を設けた方が良い気がする。
例えば、教員免許を持っていなくても1年間、講師(教師補、副担任、補助員等)といった具合で実務経験を学んだら大学の教員免許課程を履修したものとみなして、教員免許採用試験を受けることが出来るようにする方がオリンピック選手よりもよっぽど良いと思う。
=+=+=+=+= オリンピアンはいわば成功者。教師はむしろ成功者ではなく、不登校の経験者とか人生の挫折を味わってきた人の方が子どもたちの心情に寄り添える。目標を持って生きる大切さとかは話を聞くだけで良い。教育の専門性とスポーツの専門性を混同してはならない。
=+=+=+=+= 残念ながら公立小中学校の教員は授業だけでなく児童生徒の指導や学級事務、校務分掌に基づく事務処理などたくさんの業務があります。講話していただくなら良いかと思いますが、一教員として配置してもオリンピアンと学校でさまざまなギャップにお互いしんどい思いをするのではないでしょうか。
=+=+=+=+= 娘が、中学校の保健体育の教員採用試験を受けましたが、女性なんて片手で数える人数しか1次試験が受かりませんでした。とても狭き門の中でオリンピアンの先生なんて、保険体育の教員を目指している人にっとっては脅威です。教員が不足なんて言っていますが、教員を目指している人はいっぱいいます。ほとんどの人は臨時採用の教員になっているのが現状です。文科省は各地方の実態をしっかり見て教員不足なんて言ってはいられない現状を確認をいしてください。
=+=+=+=+= コンセプトは面白いけど…学校の先生って教科指導以外の事に労力取られている気がしますね。免許がなくても出来る仕事を仕分ける事が出来てないと宝の持ち腐れです。 文科省は、教員が担う仕事とそうでなくてもできる仕事を分け、人員採用を進め、学校運営の体制を考えるべきだと思いますよ。目立つ企画を打ち出して、教員の定額働かせ放題を放置は、違和感あります。
=+=+=+=+= オリンピック選手がいると聞けば、その学校に行きたいと願う子どもが増えるし オリンピック選手の教室に通いたいけど、遠いから、指導料が高いからと諦めていた子が進学とともに夢を叶えられるならこれからどんどん将来有望な選手がたくさんでてくるのではないでしょうか!
=+=+=+=+= 五輪出場の選手だったからと言って「一般教養」もあるわけではあるまい。一般教養もないのに、学校の先生になって、教えられる生徒の方にどんな影響があることやら心配だ。円盤投げの選手だっただけで、スポーツ庁だったかの政府機関の長官に任命した日本政府だから、学校「教育」に対して実に安易な考え方をしているのではないか。
=+=+=+=+= 今は頭が悪いとトップアスリートにはなれない時代。 悪くは無いと思うけど、 オリンピックに出るような人って 常人には耐えられないような厳しさを持った人だよ。 その厳しさを自分に向けるだけならいいけど、 生徒に要求すと大変な事になるんじゃないかな。
=+=+=+=+= 反対です。 偏見かもしれませんが、スポーツしかやってこなかった人たちです。 子供への接し方もスポーツ選手の時とは真逆になりますし、最低でも他の先生方、保護者などと連携して物事を進めていかなければなりません。
勿論オリンピックにでるくらいですから、相当な努力と精神力を必要とする方たちでしょうが、高校大学と先生になりたくて一生懸命勉強してきた人たちの門を狭めることに繋がります。 ただでさえ少子化で教師が余っている時代に愚策だと思います。
適した言い方が浮かびませんが、スポンサーの様に年に何回か学校に顔を出さし、授業をする程度で良いと思います。
=+=+=+=+= オリンピアンであったとしても、教員資格を得るのに他の人と差をつけるのはよくない。すなわち、大学で教員養成系の単位取得は必須とするべきと思う。オリンピアンで性犯罪者だったものだっているのだから、すべてのオリンピアンが手放しで教職に向いているかのような誤認を与えるような政策には反対です。スポーツ選手として、オリンピックの出場を果たしたという経験は生徒にもいい影響を与えるでしょうが、それを伝えるには「教員」である必要はないのです。
=+=+=+=+= 部活動の外部移行が更に遅れる、というか移行の話すらなくなる?可能性が高くなることが想定されるのでオリンピアンの採用には反対です。 一般的な採用試験を経て採用される教師のように、教科指導、生徒指導、学級運営、保護者対応、校務分掌…をする人手として採用ならば賛成です。
=+=+=+=+= オリンピアンが実際に教職に就くその前に、その適性を判定するとか教育原理等の研修、一般教養の習得、或いは教育実習に最大限の時間をかけて欲しいですね。オリンピアンは良い意味で、極めて特殊な環境下で誕生するのだろうし成長を遂げるものと感じてます。教師になって目前にするのはごく普通のお子さんたちだから、その辺りのギャップは結構生じる可能性が高いと思いますね。お子さんたちは偉い人を見たくて授業に参加する訳じゃないし、その辺りは充分に周囲の配慮が必要でしょう。でも制度としては良いと思います。オリンピアンたちって想像を絶する様な鍛錬や努力を続けたにも関わらず、意外と社会的に活躍する場は狭い様な気がしますね。オリンピアンを目指す子どもたちを増やすためにも良い制度と思います。
=+=+=+=+= プロ野球などでの実績をみると優秀な選手が優秀な指導者になるとは限らないことは明らか。優秀な運動能力遺伝子を持つ人が集まるプロスポーツの世界でそうなるのだから、運動できない子の気持ちを理解できる良い指導者になれる確率はさらに低くなりそう。
=+=+=+=+= オリンピアンを教員にとのことですが反対です。根拠は「オリンピアンだからと言って教育学を学んだわけではない、こどもたちを好きだとは限らない」からです。自分は自らも教員を務めたこともあり、家族にも教員がおりますが、現場に立っていちばん教員に必要な資質は「こどもたちが好きである、どんな子にも良い箇所を見出すことが出来る」ことであり、知識が豊富であることよりも優先です。陸上、水泳のオリンピアン、スキーのオリンピアン、いろいろいますがその競技だけを授業で教えればよいという話ではないのです。小学校なら基本全教科、中学高校でも日常の雑用に進路相談、教育相談、そういう「普通の学生が目指すであろう人生設計」について、競技中心で生きてきた方々にどれだけの内容の話が出来ますでしょうか?本当に文科省というか官僚は勘違いしているとしか思えません。その前に講師を何年もさせられている実務にたけた人材を採用してください。
=+=+=+=+= スポーツエリートは、運動しているだけで良い子良い子と育てられた人が 多いので、勉強とかは二の次になっている人がほとんどで、常識的な感覚もちょっと?と思われる方もいる。全部が全部とは言わないが、教員としての資質はしっかりチェックして欲しい。
=+=+=+=+= 日本の教育制度は小手先の改善ではどうしようもないほど老朽化が進んでいる。基本的に役目によって明確に業務内容を変えるべき。学業(理系、文系別)生活指導、運動指導、メンタル保全、学内保安等に分けて実施する。その中でオリンピアンが適していることが有れば導入すれば良い。今の教育システムの中に単純にオリンピアンを入れても失敗するのは明らか。何故なら今の教育制度自体が破綻しているから。
=+=+=+=+= 本人よりも学校側の活かし方の問題。ただ据えただけでは大したプラスにもなるまい。かといって他の教員と同じ仕事を期待しても無理。結局宙ぶらりんの地位に置かれて、本人も周囲も「どうしたものか・・・」という空気になりそう。子供たちに慕われるなら、価値がないとは言えないが。
=+=+=+=+= 素晴らしいスポーツ選手、素晴らしい監督に成るとは限りません。過去の歴史からが物語っています。採用するに当たっては教育者、指導者の資質を十二分に見極めが必須条件です。そうしないと事故や事件が必ず発生する。
=+=+=+=+= オリンピアンから国会議員になった自民党の先生方の今日を見るとスポーツマンシップなど無きに等しく、一概にオリンピアンだからと言って指導者にふさわしいとは言えない。かえって世間知らずで危うい事もあると思う。ただ適切な方が採用されれば子供たちにもオリンピアンにも素晴らしい事だと思う。
=+=+=+=+= 正直に言いますが、、体育教員とオリンピック選手とは全く違います。現場の仕事がまた増えるばかり、、あれだけ教員免許にこだわって無意味な更新制度まで自費で行かせておきながら、、この期に及んで免許なしでもとは、、怒りしかありません。オリンピアン(この言葉は特別視する言い方で嫌いですが)の中にも適性のある方は少数でもいるかも知れませんし、経験を聞くことはメリットがあるかもしれません。ただ、それは今やっているように講演で十分、、今の現場のいじめ、MP対応、IT教育、倫理観の維持、、その他、、絶対に彼らにはつとまりません。人生で中心に据えてきたものが一般の生徒たちとは違いすぎます。
=+=+=+=+= 自分がやっている種目ではなかったけど、オリンピアンが実際に高校に来て、跳んでいるのを見たことがある。専門外でも、その圧倒的に洗練された動きや、肉体の完成度、競技に向ける精神は一目で分かるものだった。上を目指す生徒にとって、これ以上ない教師だと感じた。
=+=+=+=+= 教員として何をさせるかによりますね。専門種目のコーチ、アスリートとしての体つくり、心の持ち方、などに特化すれば素晴らしい案でしょうが、一般の教員と同じことをさせるのであれば、教育課程を経ていないので見劣りして、期待外れだとの評価になる可能性があります。文科省はそこをよく検討する必要があります。
=+=+=+=+= オリンピアンのための就職あっせんなのか、教師不足を補うためなのか、多様性(ダーバーシティやインクルーシブ)の導入及び促進なのかイマイチよく分からないが、文科省の考えそうなアイデアである。 オリンピアンが身近な存在になること自体は悪いことではないが、高い専門性が子供たちにどれだけの教育効果を寄与するのかこれまたイマイチのような気がする。また、どれほどの需給関係にあるのか不明ながら、特定の公立学校に常駐するとなると、その効果は限定的で偏在的になるものと想定される。
|
![]() |