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〝安楽死〟は家族のため―― 「死にたい」娘のエゴ、「生きてほしい」親のエゴ 涙ながらに口に入れた致死薬

TBS NEWS DIG Powered by JNN 9/14(土) 18:01 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/bfb578c731293878e69ccd86319060aff9628e31

 

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くらんけさん(仮名)はスイスで安楽死することを決意したが、最後の瞬間で安楽死を取り止める。

身体に病気を抱えながらも、家族への思いや罪悪感が葛藤を生んでいる様子が描かれている。

彼女は家族との時間を優先し、後悔する日々も経験する。

家族との絆が強く、安楽死の選択を巡る苦悩が深く描かれている。

(要約)

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くらんけさん(仮名) スイス 

 

完治の見込みがない難病と闘い続ける日本人女性・くらんけさん(仮名、当時30)は、安楽死するためにスイスにやってきた。これまで抱えてきた心のうちを医師に明かした。 

 

【画像をみる】「死にたい」娘のエゴ、「生きてほしい」親のエゴ 涙ながらに口に入れた致死薬 

 

「私が死にたい気持ちを優先するのがエゴなのか、生きてくれと頼む両親の気持ちがエゴなのか。その狭間でずっと悩んできました。しかし、私は死にたいのです」 

 

医師とくらんけさん スイス・バーゼル 

 

全身全霊をかけて闘病生活を支えた両親は、安楽死に強く反対していた。そんな両親を説得したくらんけさんは、医師から処方されたコップに入った致死薬入りの液体を、ストローで吸い込んだ。口の中で強い苦みが広がっていく。 

 

「やっと楽になれる」 

 

傍らでは父親が娘の手をぎゅっと握り、目を真っ赤にしながらもその最期を見届けようとしていた。 

 

記者である私の目の前で、1人の若い女性が自らの意思で命を終えようとしている。安楽死について、私は彼女と2年近くにわたってやりとりを続けてきたが、今はなすすべもなく、ただ立ちすくむしかない。 

 

「本当にこのまま亡くなってしまうのか」 

 

(TBSテレビ 西村匡史) 

 

くらんけさん 九州地方 

 

2019年11月、待ち合わせ場所の九州地方のあるカフェに、車椅子に乗ったくらんけさんが姿を見せた。娘の身なりを整え「待ってるからね」と退出する母親と、「ありがとう、終わったら電話するからね」と優しく声をかけるくらんけさん。互いを思いやるやりとりから、母娘の仲睦まじさが垣間見えた。 

 

難病のCIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)を患うくらんけさんは、手首から先と足を動かすことができない。両親に介護されながら一日の大半をベッドで過ごしているが、この日は私の訪問に合わせて、外出してくれた。 

 

「介護する両親は老いていく一方で、私は強い罪悪感を感じながら生活を続けています。安楽死が認められたことで、ようやく人生を終えることができ、解放感でいっぱいなんです」 

 

くらんけさんと父親 

 

両親と2人の姉をもつくらんけさんは、末っ子として家族から溺愛されて育った。しかし、6歳の時にCIDPと診断されたことで、幼くして壮絶な闘病生活が始まることになる。 

 

ステロイド薬の大量投与と免疫療法など、あらゆる治療を尽くした。その度に頭痛や発熱、吐き気などの副反応に襲われた。 

 

全てをなげうって支えてくれる両親に「悲しい顔をさせてはいけない」との思いから、どんなに痛みが伴う治療や検査でも涙を流さずに耐えた。小学生の頃から「全ての感情に蓋をしてきた」という。 

 

6歳から20年以上にわたる治療は、激しい苦痛にも関わらず目立った効果がなく、心を徐々に蝕んでいった。 

 

検査に伴う副反応で鼻の粘膜を削り取る手術をした際は、激痛がトラウマとして残り、パニック障害にまで発展してしまったという。 

 

幼い頃から感情に蓋をして「頑張り屋さん」と認識されていたくらんけさんが、泣きわめく姿を周囲に見せるようになる。彼女がこれ以上の治療を望まないことを伝えると、主治医からは完治の見込みはないと、はっきり告げられた。 

 

 

スマートフォンを操作するくらんけさん 

 

この頃から、安楽死の選択を考え、家族にも伝えるようになった。CIDPは投薬を続ければすぐに命に関わる病気ではないが、終わりが見えないことが何よりも辛かったという。 

 

家族全員が安楽死に強く反対した。特に両親は「一生懸命育ててきたかけがえのない存在。どうしても死んでほしくない」と懇願した。 

 

だが、くらんけさんにとっては、そんな大切な家族だからこそ、「両親や2人の姉に介護させる一生なんて、絶対に嫌だ」と譲らない。 

 

最終的には両親も「親のために生きてくれとまでは言えない。賛成はできないが、自分たちのエゴで反対もできない」と折れてくれた。  

 

くらんけさんは、海外で安楽死を認めてくれるスイスの団体に申請し、2019年10月に許可が下りた。「これで全てが終わる」と解放感に包まれる一方で、家族への一抹の不安を心の奥底にしまい込んだ。 

 

「私がいなくなった後、この両親はちゃんと生きていけるだろうか」 

 

筆者(左側)とくらんけさん父娘 チューリッヒ空港 

 

新型コロナウイルスの流行に伴う渡航制限が緩和された2021年8月、くらんけさんは父親に伴われて、スイスのチューリッヒ空港に到着した。私との2年ぶりの再会に笑顔を見せるくらんけさんに対し、父親は終始、沈んだ表情のまま私の前で言葉を発することはなかった。 

 

母親は「自分の娘を看取ることなんてできない」として、同行を拒否して自宅にとどまった。出発の日、2人の姉も家で見送ってくれたが、傍らでは母親が泣き崩れていたという。 

 

くらんけさんは、スイスまでの付き添い人を雇うことも検討していた。だが、父親が「他人に娘を連れていかれるくらいならば、自分で最期を見届けたい」として、同行を決断した。 

 

くらんけさんと父親 

 

スイスに到着した翌日、安楽死を認める最終審査の結果が出ると、それまで平静を保とうとしていた父親に変化が生じた。深夜、突然、震え出して、娘に隠れて泣いていた。 

 

「発狂しそう」と呟き、寝ている娘に「手をつないでほしい」と頼むこともあったという。父親の傍らでは、くらんけさんもほとんど眠ることができなかった。 

 

どんなに高額な医療でも、娘の回復を信じて治療の選択をし、働き続けた父親。娘を叱咤激励し、テニスボール大の円形脱毛症を作りながらも笑顔を絶やさずリハビリをサポートしてくれた母親。 

 

「自分の命は、自分だけのものではない」。そう感じているくらんけさんは、家族の行く末を心配して心が揺れていた。 

 

「こんなに仲の良い家族を残して、彼女は本当に安楽死を遂げることはできるのだろうか」。私にはそんな疑問が徐々に強くなってきていた。 

 

記者が他人の生死に口を挟む資格などない。それでも、私は安楽死予定日の前日、意を決してこう切り出した。 

 

「もう1度、日本に戻って、考え直してみることはできないかな」 

 

しかし、くらんけさんは、少しあきれたような表情で私をたしなめた。 

 

 

くらんけさんとプライシック医師 

 

安楽死当日、安楽死団体「ライフサークル」(現在は新規会員の受け入れ終了)の施設で、代表のエリカ・プライシック医師と最後の意思確認が行われ、父親も同席した。 

 

「心の準備はできていますか」と尋ねるプライシック医師に対し、くらんけさんは「まだ迷っています。自分1人だけならば100%死にますが、どうしても両親の顔を浮かべてしまいます」と涙をこぼした。 

 

ここでプライシック医師は、父親に意見を求めた。 

 

「親が娘の安楽死を許さないのがエゴなのか。それとも娘が死にたいと思うことがエゴなのか。お父さんはどう思いますか」 

 

「少しでも生きる可能性を見出してやる。それが親の務めです。日本ではその責任もあるし、そういう社会です」 

 

答えを濁す父親に対し、くらんけさんは苛立ちや悔しさから慟哭し、怒気を含めて言った。 

 

「もう回答になっていない。私は安楽死します」 

 

ライフサークルの施設 

 

安楽死の準備が整った。くらんけさんは父親の手を借りて、リクライニング式のベッドに上がった。 

 

傍らに立った父親は「再生医療とかいろいろ試したかったけれど、それを待つにはもう先が長すぎるかもしれないね。あなたの気持ちを尊重するよ」と言った。そして、娘の手を取り感謝の思いを告げた。 

 

「パパの娘で生まれてくれてありがとうね」 

 

一瞬たりとも娘の姿を見逃すまいとする父親の視線に、くらんけさんは「パパ、恥ずかしいから、あんまり、じろじろ見ないでよ。みんなによろしく、と伝えてね」と精一杯の笑顔で返す。彼女の目からは、大粒の涙が溢れていた。 

 

スイスでは医師が患者に薬物を投与して、死に至らせる行為は禁止されているため、処方された致死薬を、患者本人が体内に取り込む必要がある。 

 

くらんけさんは、プライシック医師から処方されたコップに入った致死薬入りの液体を、ストローで吸い込んだ。口の中で1滴、2滴と強い苦みが広がっていく。「やっと楽になれる」。 

 

父が娘の手を握り、目を真っ赤にしながらもその最期を見届けようとしていた。 

 

くらんけさんはその時ふいに、痛いほど自分の手を強く握る父親の気持ちを想像して、いたたまれない気持ちになった。さらには日本に残してきた母親や2人の姉、かわいがっていたペットの顔が走馬灯のように甦り、急激な罪悪感に襲われた。それ以上、涙でむせて、致死薬入りの液体が飲み込めなくなった。 

 

 

ライフサークルの施設 

 

異変に気付いたプライシック医師が、泣きじゃくるくらんけさんに尋ねた。 

 

医師:「どうしたの」 

 

くらんけさん:「私は両親や家族を無視することができません」 

 

医師:「ストップして。あなたはお父さんと一緒に家に帰るべきよ。あなたは心の準備ができていない。今、死んではいけないわ」 

 

くらんけさん:「ごめんなさい」 

 

医師:「大丈夫。あなたは両親にこんな仕打ちをしたくないと思っているのよ。とても勇敢だわ。運命があなたにもう少し生きることを望んだのよ」 

 

くらんけさん:「はい」 

 

その瞬間、父親は嗚咽しながら、娘を目一杯の力で抱きしめた。 

 

安楽死を取りやめた直後のくらんけさん 

 

安楽死を直前で取り止めたくらんけさんは、口に含んだ致死薬を吐き出し、1時間ほど横になった後、私に話をしてくれた。 

 

「今まで家族に助けてもらったことが、揺らぎの要因です。今日死ななかったことを悔やむ日が絶対に来ると思います。それでも、家族との時間を優先しようと思うのも私の選択です」 

 

筆者(手前左側)と帰国するくらんけさん 

 

2度と来ることはないと思っていたチューリッヒ空港には、くらんけさんと車椅子を押す父親の姿があった。スイスに降り立って以来、終始、強張った表情をしていた父親は、別人のような笑顔を見せた。 

 

TBSテレビ 西村匡史 

 

スイスで安楽死しようとしたくらんけさんが、日本に戻ってから3年。私は2024年2月、再び九州地方に住む彼女のもとを訪ねた。 

 

「あの時、死んでおけばよかったという思いは日増しに強くなっていて、ただ後悔するばかりの日々です。死ななかったからといって病気が治るわけではないし、あらためてそれを突きつけられた気がしました。今も安楽死したい思いは、全く変わっていません」 

 

そう話すくらんけさんは、帰国後に自身のこれまでの人生と体験を記した1冊の本(「私の夢はスイスで安楽死」(彩図社))を出版した。そこには、安楽死を選択する「娘の意思を理解しなければならない」と思いながらも、「それでも生きてほしい」と切実に願う両親の苦悩の言葉が紹介されている。 

 

「可能な限り『娘が望む人生の送り方』を、親としてこれまで以上に支え受け入れる努力をしたいと思っています」(父) 

 

「私の願望が娘の苦悩を上回ってしまっている自覚はある」「できる限りずっと私が支え、一緒に過ごしたい思いは変わらない」(母) 

 

筆者とくらんけさん 2024年2月 

 

私は初めてくらんけさん(当時28)と会った際、このケースで安楽死が認められるのは適用範囲が広すぎるのではないかと、内心思っていた。 

 

しかし、20年以上にわたる闘病生活が彼女の人生に与えたダメージの重さは、私の想像をはるかに超えていたことを、5年にわたる取材を通して痛感している。 

 

彼女は今も「死にたい自分」と「生きてほしい家族」の狭間で生きている。そんな彼女に、私は「あなたにとって、家族とは何ですか」と尋ねた。 

 

「家族は私の生命線の最後の砦です」 

 

※この記事は、TBS テレビと Yahoo!ニュースによる共同連携企画です 

 

 

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(まとめ) 

このテキストでは、安楽死に関する難しい問題について、様々な立場や感情が述べられています。

記事の主人公やその家族、または筆者ご自身が直面している苦悩や葛藤がリアルに描かれており、安楽死を選ぶことの難しさや重さが強く伝わってきます。

家族の愛情と、自己の苦しみや希望が対立する中で、正解や理想の答えはないという共通の認識がうかがえます。

また、安楽死を認める制度が社会に求められる声や、個人の尊厳を尊重し選択肢を広げてほしいという意見も多く含まれています。

今後もこのようなリアルな声や考えが積極的に受け止められ、議論や法整備が進むことが望まれるでしょう。

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=+=+=+=+= 

以前、安楽死を選んだ女性の番組をNHKで観たが、そこでスイスの女性医師が彼女にかけていた言葉が 「自分が死にたいからといって、家族を傷つけてはいけません」というものだった。この記事の女性はまさにそれが影響したんだよね。  

ご家族は彼女を愛しているからこれからも尽くしてくれるだろう。でも彼女は家族に尽くされる事が辛い。お互いにお互いを思いやっているのは間違いないのに、どうにもならない。  

安楽死をするしないという事に限らず、彼女とご家族が納得出来る状況になる日が来てほしい。 

 

=+=+=+=+= 

命に関わるものではないですが、自分も障害を抱えています。 

どんな生き方をするのかは、どんな死に方をするのかと同義です。生きる苦しみを分かち合うことは死の悲しみを分かち合うことです。この方たちはその器から溢れ出した感情に揺さぶられ続けているのだと思います。 

そこに正しさは必要なく、ありのままの感情で結びつく家族の絆の強さを感じました。どうか今日を生きる喜びに値する何かが降りますようにようにと願います。 

 

=+=+=+=+= 

日本においても安楽死を合法化する時期に来ていると思う。厚労省の自殺統計だと、遺書等で原因の特定できた件数は健康問題が一番多い。一人で孤独に自殺を覚悟させ痛みの恐怖に怯えながら実行させるのではなく、安楽死を合法化して少しでも周りが介入できるようにした方が良い。 

最終的には安楽死になってしまう例もあるだろうが、安楽死のカウンセリングの中で自殺を思いとどまることもあると思われる。安楽死の制度がある事で生きる希望を見つけることができて、結果的に自殺者+安楽死数を減らせるかもしれない。生きる事を強制される事は辛いことでもあり、選択肢を広げてあげてほしい。 

 

=+=+=+=+= 

自殺と安楽死の違いを履き違える一部の方々がいる限りこの問題は解決しない。自分も病気して入院していた時に何故一気に死ななかったのだろうか?と、自身で呼んた救急車に乗って病院について検査し始める所まではなんとなく記憶があるけど、気がついたら点滴等に繋がれて病院の天井を眺めていた時に、今後、自分はどうなるのだろうと不安がよぎった。半身麻痺となったり゙何かと不便な日常だけど今だ生活出来ていることには感謝している。だけど、安楽死という選択はあっても良いと考える。この先、再発したり、寝たきりになった場合はより多くの方々に迷惑をおかけすると考えると、親不孝者でもあり、子供達に誇れない父親の私は、生きるという意味をしみじみ考える。 

 

=+=+=+=+= 

難しい問題です。両親は病気が完治する可能性がとても低くても我が子には生きて欲しい。子供としては完治する可能性がとても低い事実を知れば両親に精神的、経済的、時間的負担を負わせる上に親も子供も歳を重ねる。若い内はまだ精神的にも体力的にも無理がきく範囲内であっても両親も高齢になれば子供の事だけでは無く自分達の健康面にも不安が出て来るでしょう。 

自分自身は両親に「治る見込みが無い病気であれば治療の必要は無い」と伝えてます。親不孝ではありますが肉体的、金銭的負担をかけたくなかったのと日々弱っていく姿を見せたくなかった。身内でも日々治療により衰えて行く姿を見て精神的にも不安定になり最後を看取りました。正解の回答は無いんでしょうね。 

 

=+=+=+=+= 

まさに医師の言葉の通り、致死薬内服を途中で辞めたことは勇敢な選択だったと思います 

そして現在はその選択を悔やまれているとのこと 

ご家族の愛情への感謝の気持と先の見えない不安の板挟みの思い 

そして耐え難い長年にわたる身体的苦痛 

読んでいて、もがき苦しんでおられるご様子が伝わりとても複雑な思いです 

 

=+=+=+=+= 

完治が見込めない難病、幼少からの長い闘病生活、歳を重ねるたび親も歳をとる。 

先の見えない毎日は苦しいですね。 

この方もう心の限界なんでしょうね。 

毎日が苦痛の日々なんです。 

わかります。メンタルも下がります。 

私も病名は違いますが、身体中の痛みが毎日激しくなる度もう楽になりたい、もういいかなと思います。完治出来ない苦しさは辛いです。 

人間いつかは死にます。でも死ぬときくらいは自分の好きな様にさせて欲しいのが本音です。 

安楽死を自ら選択するのは考えて考えての最終決断でしょう。 

 

=+=+=+=+= 

しっかりとカウンセリングをして本当に望むのなら安楽死は賛成です 

 

寝たきりで身動きもできなくて食事もできない状態でも生かされてるのが現状です 

 

なぜ、無理矢理に生かされているのか、そこに本人の意思はあるのか?と思う 

 

周りの同意も必要ですが最後は本人の意思を尊重してあげてほしいです 

 

=+=+=+=+= 

とても難しい問題ですが、私は子供が居ないので体が不自由になったり認知症になったら他人様にご迷惑をかけてただ、息をして訳もわからず生き延びるそんな無様な最期はとてもじゃ無いが耐えられないです  

夫に下の世話をさせるのも忍びなく、医療が進み生きる屍となっても医療的な存命をさせられるよりも、私は生きる権利もとても大事だと思いますが、生きる屍になる前に気持ちよく愛する家族と別れを言いあの世に行く権利があってもいいんじゃないかと思ってます。 

私があの世に行く前に法整備が整う事を切に願います 

 

=+=+=+=+= 

手術で1週間程入院したことがありますが、スマホいじって食事ができる状態でも苦痛でした、自分で体を動かせない意思決定できないというのは人の尊厳を傷つけます、そうなる前に事前に臓器提供意思表示だけでなく、安楽死を希望するかも合わせて記入できるようにしてもらいたいです、誰しもが苦しくても生きたいと思っているわけではないし選択の自由はあるべきです 

 

 

=+=+=+=+= 

固い決意でスイスにまで行って、それでも死にきれず直前で思い留まったというのがすごくリアル。 

人が生きたいと思う気持ちも、親が子に生きて欲しいと願う気持ちも、きっと理屈じゃないんだろう。 

安楽死を選べる世の中になればいいと私は漠然と思っている派だし、自分がその立場なら、その選択肢は心を救うとも思っているけれど、直面したらまた違うのかもしれないな。 

 

=+=+=+=+= 

実際、どこまで生きることを頑張ればいいんだって考えながら1日1日を過ごすことはとても辛いですよね。 

安楽死実行の日を決めれば、ここまで頑張れば自分は終われるんだと思えますよね。生きる事を実行の日まで、今迄以上に頑張れて、一生のうちで1番その期間が、自分自身に満足出来るかもしれません。 

加えて、安楽死自体とても大きな決断ですので、実行日になっても、医者に「期限を延長して欲しい」と言えることが出来たらいいですね。 

自分自身がとても満足のいく日常を送ることが、その期間出来たのなら、「やっぱり後もう少し生きてみようかな。」と思える事もあるかもしれないですからね。 

生きていくことが辛く、とても悩んで苦しんでいる人達にとって、「生きているのも悪くないかもしれない」と考えれる可能性のある世界になってほしいと考えます。 

 

=+=+=+=+= 

30年前にCIDP慢性炎症性脱髄性神経根炎 が緩解したものです。 

筋力がなくなり缶ジュースもあけられない、立ち上がれない状態10年から 

ステロイドパルス、血清療法、ガンマグロブリン、治療してもらい今自力で歩いています。 

あれから新しい治療法はないのか、すべて試されたのか気になります。 

これだけ医学が進歩している時代、諦めないで生きておられるうちに、効果がある治療にどうか出会ってほしい。 

 

=+=+=+=+= 

この手の記事だとそのまま安楽死してしまったという結末を多く見ます。 

しかしこの勇敢な方のように、一時的にだとしても最後までにしても生きる選択をした人もいるんだ、というのを記事にするのは非常に意義のある事と思います。 

同じように安楽死を望んでいる人への一つの選択肢の提示になるのではないでしょうか。 

 

奇跡が起こりこの方が回復することを祈ります。 

 

=+=+=+=+= 

現在どんな風に生活されているか分からないが、この方は家族と離れて生活された方がいいと思った。自分の世話をする両親を見ると自己嫌悪になる、両親も我が子のそばにいないと不安になる、で共依存関係になっていると思う。双方離れてくらすと、この方も、もしかしたら生に対して見方が変わるかもしれないし、変わらなくても両親の負担軽減に少しホッとするかもしれないと思う。両親も離れてみて気が休まなかった以前と比べて思う所あると思う。姉2人の精神的負担も気になる。家族でカウンセラーに相談できる環境になっているといいと思った。 

 

=+=+=+=+= 

「今まで家族に助けてもらったことが、揺らぎの要因です。今日死ななかったことを悔やむ日が絶対に来ると思います。それでも、家族との時間を優先しようと思うのも私の選択です」というくらんけさんのコメントが大変重く、とにかく家族との時間を優先し、生きる選択をしたくらんけさんを周りの家族の方が温かく見守ることが一番必要だと感じます。 

 

=+=+=+=+= 

健康な身体で健康な子供を育てているどこにでもいる自分が言う資格などないかもしれませんが…。 

途中から涙が溢れてきました。 

ご家族のことを思うと…そして、それでも娘を尊重したいと思うお父さん。 

勝手ですが、最後の最後でご本人が「死ねなかった」ことに安堵してしまいました。 

 

この問題は、私のような人間に語る資格はないと思いました。 

 

よく「安楽死ができる制度があれば」という人がいらっしゃいますが、この言葉は、20年に及ぶ介護生活、トラウマになるような激痛に耐え忍んで、それでもご家族と共に戦った人だから言える資格があるのではないかと思います。 

 

あまりにも難しい問題を突きつけられた気がします。 

もっと簡単な問題だと思っていた自分を恥じました。 

自分のような健康体の者では、すべての人が幸せになるベストな答えは、考えても出せませんでした。 

 

=+=+=+=+= 

私も難病でそのことについて希望してます。 

老いと、病状で更に動けなくなり、 

主人や子どもの手を煩わせ…などを考えると、 

もうこれ以上の苦しみから早いうちに楽になりたいです。 

何度オペしようが、現状維持… 

でも、再発し、また辛いオペの繰り返しです。 

何のために生きているのか?生きる意味がわからなくなります。スイスまで行かず、生まれた日本で安楽死を認めて欲しいです。 

 

=+=+=+=+= 

死にたいくらい思い詰めた事がない人からしたら、安楽死を望む人の気持ちが分からないのかもしれないが安楽死を望む人も望まない人も正常なんだと思う。 

死んだ方がマシなレベルまで、相当な苦痛を感じながら生き続ける事は文字通りの生き地獄なんだと思う。 

中には思いとどまって良かったというケースもあるから医師による慎重な見極めが必須だけど、本当にこの世の何処にも救いが無ければ安楽死する権利を尊重したい。 

 

=+=+=+=+= 

終わりが見えないと言う事が何よりの苦痛だと思います。例え激痛に耐えるとしても、あと1年、あと数ヶ月、と終わりまでカウントダウン出来れば何とか精神を保てるかもしれませんが、それが生涯に渡って続くとなるとまともな心を持ち続けられないでしょう。 

私だったらと考えると、最期の時を自分で選べるのなら、逆に日々を前向きに過ごせると思います。終わりの見えない恐怖も無くなります。 

無理をしてでもやりたい事をやって、行きたい所に行って、会いたい人に会って、本当に耐えがたい苦痛に襲われたら逃げる術があるのだと思えば、それが心の支えになります。 

わざわざ莫大な費用を掛け遠いスイスまで行かずとも、日本国内で安楽死の選択が出来る様になって欲しいです。 

 

 

=+=+=+=+= 

正解はないなと思ったし、どちらも正解かもしれないとも思った。 

障害がある人でも、生きていける世の中になっているから、こういう難しい問題が起きてるいる。 

人には生きる権利もあるし、死ぬ権利もある。 

皆、人生山あり谷ありで、悪い時でも希望が見えれば頑張れる。 

でもこの人はずっと辛くて、希望が見えないのだろう。 

想像できない辛さがあるんだろう。 

 

これから先、医療が進歩してくれるしか解決方法はないのかな。 

 

=+=+=+=+= 

こんなハードな人生をが生きている人たちがいたんですね。 

本人もご両親も、 

わたしが想像できることができないような辛さなんだと思い、 

読みながら涙が出てきました。 

五体満足で健康であることが、いかに幸せなことであるか。 

ちゃんと朝になって目が覚めて、内臓や脳がちゃんと動いてくれること。 

これを当たり前だと思わず、感謝して生きていくようにします。 

 

=+=+=+=+= 

不治の病ではないけど、うちの娘もそこそこ長い闘病生活をしてました。 

「もう無理、死にたい」という事もありました。 

親としてどうする事もできず、妻と2人で、「元気に産めなくてごめん、楽しい思い出を作ってあげなくてごめん、でも、元気になるためには何でもするから。」と言い続けた事を思い出します。 

親は子供が何が何でも生きて欲しいと思うものだと思いますが、ご本人にはそれもプレッシャーなのがよく理解できました。 

答えが出ない問題だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

治る見込みのない、身体的苦痛が日に日に強まるような病気をしている人が、早くそこから逃れたいと願っていて、そうできる方法があるのに、「家族を傷つけてはいけない」なんて詭弁でただでさえ病気で苦しんでいる当人に罪悪感を抱かせるのって、酷い話だよ。 

 

家族の方に「本人の選択を尊重すべき」と言うところだと思う。 

 

そりゃ、自分の手で命を終わらせる家族を目の当たりにするのは辛いけど、命が終わる方がまだマシと思えるほどの苦痛にずっと苛まれ、それを取り除く望みはゼロだと毎日突き付けられている家族の望みなら叶えたい。 

 

安楽死を反対するのって美談っぽく言われがちだけど、要は「私はあなたに生きててほしいから、自然に死ぬ日まで苦しんでてね」と暗に言っちゃってるようなものじゃん。 

 

エゴなんてもんじゃない。 

 

=+=+=+=+= 

難病の方の末路を看護師として関わってきて、御本人の気持ちも分かるし御家族の気持ちも分かります。安易に安楽死を選んだわけではなく、想像を絶する葛藤の末に下した結論だから、尊重したいと思いますよ。他人が賛否を論ずる資格はないとも思ってます。このような報道を見て、それぞれが自分の最期について考える機会になれば良いと 

 

=+=+=+=+= 

私は白血病で死にかけた時、大きな後遺症を背負っても一か八かで移植したほうがいいと考える親と、家族に迷惑をかけるくらいなら治療せずに死にたいと思ったことがあり、このかたほどつらい思いはしていないが、気持ちは少し想像できる。自分の意識はしっかりしてるのに、働けないし、家族に金銭的、肉体的に迷惑をかけるのは、心がつらい。私は最終的に親の意見に従って治療を受けたが、自分の人生を生きてもよかったのかもしれないと思う。日本では安楽死が認められていない以上、一度見送ると、次また簡単にできるわけではないのが、辛いところでもある。日本でも人間の尊厳を守るために、安楽死を認めてほしい。 

 

=+=+=+=+= 

ご本人にとっても家族にとっても苦しいですね。親であればどんな状態でも生きていて欲しいと思うでしょう。 

数年前にアルツハイマーで看取った父は常々呆けたら施設に入って迷惑はかけないが口癖でしたがいざその時点では施設入所では揉めました。入所後は月に1度父を訪ねる遠距離介護を6年ほどしましたが父の意思を尊重し最後は酸素吸入を除き全ての延命治療を拒否しました。この経験から自分は治療法がない不治の病や認知症で経口摂取が出来ず意識も混濁する時点で安楽死を選択するつもりで準備中です。自分が同年代の時より経済的に不遇、深く考えて物事を決めない、重度身体障害の子供を抱え離れて住む息子にはその旨伝えています。 

父が施設入所の際に「もう自分の時代は終わった。おまえは自分のことを第一に考えなさい。私がそれを望むならそれに従う」との言葉が今も心に重く残っていますが折々の選択時に苦悩しつつも後悔はしていません。 

 

=+=+=+=+= 

安楽死はあっていい。 

日本でもあるべきものだと思う。 

 

ただ、鬱になったから、生活にちょっと困ったから、生きていて面白くないからという理由で、選択できるものにしてはいけない。もちろん自分以外の誰かが勝手に決めたり、洗脳に近い形の誘導で選択させるものであってはならない。 

 

きちんと議論して、法整備をぬかりなく行って、それでも悪用するものの実例を細かに把握し、体制を整え実行できるようにすべき事だと感じる。 

 

=+=+=+=+= 

難しい問題ですが、選択肢として日本でも法整備するべきと思いますね。不治の病に限らず、超超超高齢化する日本。日本全体、介護される人とする人しか居ないんじゃないかみたいな社会になる気がします。自分の子供には私の介護で子供の足枷にはなりたくないですね。将来の不安から貯蓄の為に仕事する様な状態。経済にとっても悪循環ですね。将来自分の最期を選択出来るとしたら将来の不安は大分なくなるから、お金も躊躇なく使えるし、日本経済も良くなる気がしますね。 

 

=+=+=+=+= 

とてもとても難しい問題です。 

家族の気持ちもわかります。もし、自分の子供が難病だったらどう考えるでしょう。 

またいつ終わるかわからない痛み、吐き気、痛み止めも効かない辛さも何回か味わったから、あんな痛みが続くなら死んで楽にになりたいと心から思った気持ちもわかります。生きていくのは大変だ。治療薬ができず苦しむだけなら安楽死というひとつの逃げ道を作って欲しい。 

 

 

=+=+=+=+= 

私は20代から、脳腫瘍で悪性転化して浸潤がんと言われていて、治療済みですが3回再発していてしぶとい病です。今は元気だけど、再発したらまた放射線治療です。 

この人は病でなければ、本心は生きて色々やりたいこともあったと思います。 

治る見込みがなくて、両親に介護されて、親に迷惑をかけて心苦しかったと察します。 

両親はそれでも生きていて欲しいと思うけど、娘さんは病で死にたいと思うくらい辛かったんですね。 

この先医療が発展して、治らない病がなくなるように切に願います。 

 

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とても重いテーマだが、安楽死はあってもいいと心から思っている。難病で耐えられない痛みがあるとか、モルヒネなどの痛み止めが効かない末期癌の患者とか本人の意思が確認できて、親兄弟子の同意があることを前提に日本でも認められるように法改正をお願いしたいと思う。 

 

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誰から見ても正しい答えになる答えはないです。私がこの人なら死にたいと思うと思います。私がこの人の両親の立場ならこの人に生きてほしいと思います。私がこの人の立場なら死んでいたと思うけれど、両親の愛に包まれて生活しているのを深く実感して生活していたとしたら死ねないという答えになるかもしれないです。日本にも安楽死の選択ができるようになることを望みますが、 

安楽死のハードルは非常に高いと思います。 

 

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私の父親が4月に膵臓癌のステージ3で手術不可能の告知受けました。 

抗がん剤も最初は弱いのから開始予定でしたが血圧が低かったり体調が悪かったりでなかなか抗がん剤も出来ない状態です。 

で8月下旬から体調崩し2週間ほど入院し先日退院しましたが、入院前は自分で風呂やトイレ普通に出来てましたが更に窶れ自力では何も出来なくなり「治る見込み無いのでこのまま死にたい」と気力無い声で何度も言ってきます。 

治る見込み無いのに病院通院したりと家族としては長生きしてほしいけど父本人は早く死にたいと、長生きしてほしいって思うのは家族のエゴなんですかね。 

 

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病院で難病患者を看護しています。 

以前ある患者に急変時に心臓マッサージや人工呼吸器はやるのか確認をしました。患者本人は苦しい思いをしたくないからと拒否しました。 

しかし、奥さんは人工呼吸器つないでほしい…どんな状態でも生きていて欲しい…と。 

急変時には患者本人との意思疎通が困難なので家族が決めることになります。本人の意思を尊重してほしいです。 

 

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介護の仕事してます。お年寄りを見てて、自分が老後を迎える際には安楽死が出来る世の中であって欲しいと強く願ってます。 

認知症になれば、まだいいです。頭がしっかりしてるが、歩くことも立つことも出来ない方々は本当に辛そうです。 

先日、安楽死を選択した方の番組を見て、もし家族が泣いてる姿を見たら、、、自分だけではなく、周りのことも考えてしまいました。 

正解は、わからないけど、、、やっぱり選択出来る時代が来て欲しい。 

 

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命に関わる様な病では無いですが…子供の頃からと有る皮膚病と戦っている者です。 

もう何十年も痛み、痒み、睡眠不足…他の人には解らない「日常」が有ります。 

精神的に年々辛さが蓄積されています。 

レベルは違うので…「死」に対して直面はしないですが…日々戦う毎日が終わって欲しいと思う気持ちは解る様な気がします。 

自分だけで何とか成るならまだしも?家族が心配する姿は辛いです。なるべくその辛さは見せない様にして生きていますが…精神の限界を越えたら?同じ思いをするかも知れないです。解り得ない「病」は、本人にしか道が見えないです。一つの選択肢として認められて居れば…逆に砦に成るかも知れないですが…「生きる」大切さも大事にはしたいです。 

 

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わたしも人の親です、この記事を親の立場で心境を重ねて読みました。 

自分が同じ立場だと想像しただけで目頭が熱くなりました。 

支え続ける大変さと子どもへの申し訳なさを思うと色々な感情が入り混じって答えが出せない。 

土壇場では理屈抜きで生きて欲しいと願ってしまうでしょうし、闘病中の子どもに恨まれてもそれでも生きて欲しいと願ってしまう。 

そう思うといまある身近な幸せをチカラの限り守っていきたいと思いました。 

 

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自分も身近な大切な人を不治の病で亡くしました。数年間の闘病でした。 

 

人それぞれと言ってしまえばそれまでなのですが、自分の寿命を知らず生きている者と、死期を悟りながら日々衰えてゆく自分と闘う人。自分にはいくら寄り添いたいと願っても越えられない世界の境目が見えました。 

 

闘う側、支える側の双方とも永遠に正解はわからない中で生きる辛さに読んでいて心が苦しくなりました。 

 

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読んでいて涙が出ました。彼女の優しさ、家族愛を強く感じました。私自身は家族のために死ぬことは多分できると思います、しかし家族のために“寿命まで終わらない苦痛”を耐えられるかと言うと不可能に感じます。 

私が彼女なら死を望みます。一方で彼女の両親なら生きて欲しいと望み、その死は耐えられない苦痛に感じるでしょう。 

この絶対に折り合わない感情の中で、彼女はその両親の“自分の死の後の苦痛”まで思い、自らの終わらない苦痛を耐える決断・・・どこかに両者が救われる未来がないのかと願ってしまいます。 

 

 

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いくら親でも本人の激痛は代わってやれないし、本人しかわからない痛みだと思う。 

一度は考え直したが問題は解決したわけではなく、一時的に先送りしたに過ぎない。 

スイスに行っての安楽死、せっかくのチャンスを逃がした後悔も良くわかる気がする。 

日本でも早く安楽死を検討してほしい。 

 

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娘の意志を尊重したいと思う気持ちと失いたくない気持ち、どちらも本当だから、どっちに転んでも辛いんだろうな。 

娘さんの気持ちもそうなんだろうし。 

でも途中でやめても安楽死は逃げるわけじゃない。 

安楽死という選択肢があるってだけでいつでも楽になれる、まだ耐えられるって気持ちもあると思う。 

問題はたくさんあるだろうけど、日本でもこういう患者に選択肢を増やしてあげてほしい。 

 

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安楽死がいいか悪いかは置いておいて、 

「選択肢がある」というのはいい事だと思う。それが本人にとっては生きていく糧になる事もきっとあるし、陰鬱とした自分の心を救ってくれたりもするだろう。 

後悔すると分かっていても安楽死を踏みとどまった事で出版できた本や、この記事でたくさんの人に考える機会を与えてくれた。 

この方が行かれたスイスの病院の医師はきちんと患者の機微や家族に寄り添ってくれて素晴らしい方ですね。日本ではまだまだというかこの先も認められる事はないかもしれないけど、「やろうと思えばできる」というのがこれまでもこれからも希望になると思う。 

 

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私は人の親です。くらんけさんの両親の気持ちが痛いほど分かる。まだ言葉も話せない頃から子どもは必死に生きようとしているし、必死に育ててきた。 

そんな子どもから「死にたい」と言われたら、その原因が他人からもたらされたものではなかったら、それでも私は親として生きて欲しいと願ってしまう。絶対に肯定できないと思う。きっと私も後を追うと思う。 

私は両親の子でもある。親にひどい言葉をぶつけた事もある。 

 

人の親になって、親の心が理解できるようになってようやく、私は両親が両親である事を理解できてきた。 

それを以て安楽死について考えると、人を生きる理由って他人のためであって、死ぬ理由よりも生きる理由がたまたま大きいし、それは日々変化するもの。 

だから今日は死ぬ理由が大きいけど明日は生きる理由が大きいかもしれない。 

そういうスイングする気持ちを前提に安楽死は考えてほしい。 

そう思う。 

 

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親の気持ちも分かるし、子の気持ちも分かる。鬱で自殺しなかった理由が、逆縁はダメだって気持ちのみ。ある意味死なない支えであった。いま子を持つ親になって、子を守るってのが、支えになっていると思う。気持ちだけじゃなく、体力・経済力すら抱える問題になる。周りの人たち全てが、擦り切れていく思いだろう。 

せめて経済的な面だけでも、この方の将来に渡って親や姉が安心出来る支援が公的にあることを願うし、そういう社会であって欲しい。難病の方々は看護だけでも擦り切れていく。そこに経済問題まで抱えれば、それこそ一家心中もの。生活保護者には明らかに不適当な人がいる。生活保護者の医療費は無料だ。そう考えると、恐ろしく不公平だと思ってしまう。 

 

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どちらの気持ちも痛いほどわかります。 

身内に自殺者がいますが、きっと本当に辛かったんだろうと思うし、わかってあげられなくて助けられなかった自分が許せなくて、、、 

でも、辛い思いを分かりながらも私のために生きていて欲しいと言うのもわがままなのか。 

でも生きていてさえくれればほんの数%だけでも生きられる可能性があればかけてみたい。 

ご両親もお子様もお互いを愛する気持ちがあるからこそ、辛いのだと思います。 

それぞれの正解があっていいと思いますがこの問題はどの選択をしても辛く苦しい道だと思います。 

 

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興味深い記事。安楽死制度は、再来年に導入される予定の離婚後共同親権制度や、現在議論されている選択的夫婦別姓制度と、本質的には同じ問題を抱えているのだということがよく分かった。つまりいずれも、個人の自由と家族の都合のどちらを優先すべきかというのが問題の本質だということ。共同親権で子どもは親の都合と関係なく両親とつながりを持てるようになり、夫婦別姓も導入されれば結婚という都合により姓を変える必要がなくなる。安楽死も、宗教的・倫理的な問題として捉えられがちだが、最終的には、個人が家族の気持ちに束縛されず死を選ぶのが是か非かという問題に行きつく。 

 

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世界中で、今この瞬間にも重い病気と戦っている人達が沢山いるはずです。改めて普通の生活がいかに幸せか考えさせられます。また『安楽死』というテーマは非常に難しそうです。生涯誰かのサポートが必要な場合、どういった方法で生涯生活出来るのか参考になる家族に聞いてみるのも1つの手段ですね。仲間を作るのも生活を豊かにするかもしれません。 

 

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この問題で1番難しいのはそれが一切の外的要因が無く100%本人が望んでるかどうかって事なんですよね 

気遣いある人優しい人程周りに迷惑かけるのは忍びないって気持ちが強いだろうから本音は生きたいのに生きている事がプレッシャーになってしまう事もある 

もっと最悪の場合、身内から「早く消えてくれないかな」なんて促される事によって仕方なく死を選びたくなるケースすら出てくる可能性すらある 

安楽死したい人の気持ちを尊重ってだけの単純な問題じゃないと思います 

 

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私は、通信制の高校を卒業しました。 

首から下が動かない人や、軽度の障害がある方と知り合いになりました。軽度の方が生きるのに苦しんでいました。健常者と同じ事ご両親が望んでいた為です。 

病気の重い方の方がリミットを感じているのか、眩いばかりに、日々を一生懸命生きている感じがしました。 

さて、私自身は中高年になった今でさえ、悩みは尽きぬ日々です。多分、自分と言う枠の中での戦いがそれぞれの形でずっと、死ぬまであると思われます。 

喜怒哀楽の繰り返し。 

 

他人はどう思おうが、自分だけの気に入った事を楽しんでいただければ幸い。もう私の人生こんな感じです。 

 

私は何故か耳かき動画を延々と見られます。 

多分身近では理解してもらえない笑 

 

 

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難しい問題ですが、いずれ年老いた親は自分より先に亡くなっていくので、親が亡くなった時には親のためという大義名分は無くなります。 

高額の費用をかけてスイスに行かなくても日本国内で安楽死を選択できる制度を整備した方が良いと思います。 

 

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どちらにしても辛いし、どちらを選ぶにも勇気がいる。一歩踏みだして、そこから戻ることも勇気がいったことでしょう。自分の願望よりも、ご家族の気持ちを尊重された想いも相当でしょう。それを分かっていても尚、生きていて欲しいと自分の苦労を顧みずにいうご家族も同じでしょうね。 

生死はこれで終わりと思ってしまうととても辛いですが、その先に輪廻があり、魂自体に絆が結ばれていると思うと辛いだけでなくその先の希望も見えてくると思います。何が本当なのか分からないけれど、経験してみないと分からないから、自分が納得できる形を自分で決めないといけないと思います。だから私は魂で繋がっていて、輪廻転生しても結局違う形でまた会えると思うようにしています。生きている間に、お互いのことが分かり合えているから、目の前にいなくなってもその反応や笑顔や態度が手に取るように分かるのです。でないとやってられません。また会えるよ。 

 

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せめて小さい頃に沢山遊んだり楽しく駆け回ったり、友達と笑いあったり何かに挑戦して失敗したり成功して達成感を味わったり自由に自分らしく子ども時代をのびのび過ごせていれば、人生は辛いだけではないと思えたかもしれない 

 

でもたった6歳から重荷を背負い続け、痛みや不安、苦しみや孤独や絶望の中、ひとすじの光に一度も出会えなかったら心が折れるのは当然だろう 

むしろこれまでよく頑張ったとびっくりする 

 

この難病を、誰か治せないだろうか 

 

蛇足ですが親が老いようが親の世話になって全然かまわない 

親によってこの人生を背負わされているのだから 

もし親の世話になるのが申し訳ないからというのが死を選ぶ1番の理由であれば、死なずに生き続けて!頂きたい 

 

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考え方は人それぞれ。その人の立場にならんと答えなんて出ないだろう。 

 

自分は色々と考えて、安楽死賛成派です。今はもちろんまだまだ生きていたいが、ただ生きるだけの状態になってしまったら、尊厳を持って旅立ちたいですね。 

 

人生、いつか終わりは訪れますから。状況によっては、死に方を自由に選べるのことは、ある意味幸せだと思うのです。 

 

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生を受けた時から自分もいずれ死ぬ順番が必ず回ってきて、それが早いか遅いかの違いだけ。 長生き=幸せってことではないし。  

難病や末期がんのように手の施しようがない毎日想像絶する痛みを死ぬまで耐えて生き続けることがどれだけ辛いことか、そういう人には安楽死を認めてあげてほしい。  

日本はよく生きてればいいことあるとか、命を大切にって精神論ばっかりで口だけ言って誰も助けてはくれない。  

日本も安楽死制度を見直すのは大切だなと感じる。 

 

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進行性の難病の場合、 耐えがたい痛みもそうなのでしょうが、前途に希望を見いだすのが難しいことから、人生に終止符を打ちたい気持ちになるのでしょう。 

安楽死という選択肢があることが生きる 希望につながることもあるのかもしれません。ただその場合でも、安楽死の条件は相応に厳しく設定されなければならないのでしょう。 

 

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この父親の気持ちはわかる。 

生まれた時からずっと見てきたかわいい娘なんだから、親のエゴと言われても死んでほしくはないだろう。 

でもいくら親とはいえ当人の気持ちは当人でないとわからない。 

今までさんざん悩んできたあげく「死のう」と決めたのは、あらゆることを考えた末の決意だろう。 

「生きてほしい」という親の心でスイスから日本に連れ戻すことは、結局今までと同じ苦しみを今後も娘に強いることになる。 

肉親の深い愛情が逆に苦しみを与えることにつながる。 

母親や姉たちですら出発時涙ながらにこの世のお別れしたんじゃないか。 

あっさり死なせてやれなんてことは言いたくないが、父親として心を鬼にして笑顔でさよならを言うべきじゃなかったのかという気がする。 

 

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毎日のように人身事故が起きる小田急線沿線に住んでいます。ホームドアがある駅でも飛込む方がいます。たまに今ここで飛込んだら楽になれるのかなと頭をよぎることもあります。 

私は独身で兄弟とも疎遠。友人もいないしパートナーもいません。癌や難病など治る見込みのない病気が判明したら安楽死したい。病気が判明しなくても毎日働かないといけない毎日。もう辛いです。疲れました。安楽死が制度化されないとますます人身事故が増える一方だと思っている。 

 

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私も難病があるので、そのうち寝たきりになる恐怖は常にあります 

日本で安楽死が認められたら、それだけで安心でギリギリまで頑張って生きてみようと思えるけど、日本は安楽死制度が認められてないので、安楽死を選ぶ場合はスイスに渡る余力を残して早く決断しなくてはなどなど色々考えています。そういうことを考えず、気が楽に生きられるためにも日本でも安楽死を認めてほしいです 

安楽死は決してマイナスなものではありません。 

もちろん治る見込みのない病気を抱えていることなどが条件なので、ただ死にたいという理由では安楽死は出来ないということも知ってほしい。 

 

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死ななければつらいこともある。難病の方々は十分病と闘っています。両親に対してご本人は罪悪感ありますが、両親は今は生きてくれるだけで良いと必死です。 

私の母も心臓病の息子(私の兄)を治すために、生きているだけでよいと思っていたそうですが、重い障害が残ると言われたそうです。息子は亡くなり、母も80歳、最近、亡くなってよかったと言っています。生き伸びても、重い障害が残ると本人も私も辛かっただろうと。 

安楽死は難しい問題ですが、結局、当事者方が後悔しない、後にこれでよかったと納得できるなら有りかなと思います。 

 

 

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安楽死の是非がよく問題にされますが、なぜ安楽死を選択しようと思うのか、そこが大事な点だと思います。 

記事にも書いてありましたが、苦しい闘病生活を続けていると心が蝕まれていく。特に幼少期から闘っている人はメンタルが崩れやすいと思う。でも他人にはそれが理解出来ないし、そもそもそんなこと自体知らない人も大勢だと思う。私も国の指定難病を患っているけど、幼い頃から辛い目にあってきたことはいくら言葉で語っても伝わらないし、誤解される場合もある。 

肉体にダメージがあるのはもちろんだが、人間の本体である精神や魂といったものが壊れていくのは経験したものにしか分からない境地です。 

 

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この時のドキュメンタリー番組を視ていました。くらんけさんが抱えている、心の痛みや葛藤や、闘病の辛さは想像を絶するけれど、赤の他人の勝手な意見だけれど、生きていて欲しいです。くらんけさんが安楽死を思い止まった時、とってもとっても嬉しかった。 

ドキュメンタリー番組の放映後も、くらんけさんが元気で居てくれたら良いなぁ、と時々思うことがあります。 

たぶん私以外にも、あのドキュメンタリーを視た人の中で、くらんけさんが生きていてくれて嬉しいと思っている人たちが沢山いると思います。 

だから生きていて欲しいです。勝手なお願いだけれど、生きていて欲しいです。 

 

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最近は毎日の様に列車の人身事故が報道されている。記事の内容とは異なる点もあるが安楽死を認める事でより良くなる未来もあるかもしれないと、昨今のニュースを見て色々考えさせられる。まずは目の前の、身の回りの身近な人を大切にしながら生きる。それくらいしか自分にはできないが他人事と思わず生活していきたい。 

 

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胸が締め付けられた、事故で胸から下が完全麻痺し死にたいと呟いてた友人を思い出す。 

連絡とれなくなって28年生きていて欲しいけど頑固な奴だったから・・・ 

当時何も支えれなかった事が今でも後悔、この方は周りに支えてくれる人が沢山いるから乗り越えられるといいですね! 

 

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生きる自由があるなら死を選ぶ自由もあると思うんだよね。家族はどんな形であれ生きていてほしいと願う、延命治療などはそのわかりやすくい形だしね。ただ本人の精神的、肉体的な苦しみや苦痛などは本人にしか分からないからね。個人的には色々な選択肢を持てる国になれば良いと思うね。 

 

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非常に難しい問題です。 

本人の意識がなく、回復の見込みもないという状態であれば、経済的肉体的精神的負担のかかる家族が選択できるというのはありかなと思います。 

実際私も義母がそうでした。色々あって、幸い経済的負担はなかったのですが、本来かかる費用とかを考えると、ほぼ先が見えない状態でいつまで続くかわからない、それを続けるとなったら… 

この話題は本人の意思ですから、どちらがいいなどちょっと言えません。 

ただ、安楽死云々より、このような状態の方でも生きがい持てるような社会になることを願ってやみません。 

 

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どうか生きることで、同じように苦しむ人達に家族の温かさ、生きる希望を伝えて行って欲しい。きっとスイスで命を絶たなかったのはまだやるべき事が残されているのだと思います。この方が生きることは少なくともご両親の力にはなっています。言葉で言うには簡単過ぎて、本人からしたら腹立たしいことでしかないと思いますが、それでもいつの日か再生医療で治る日を夢見て頑張って欲しいです。 

 

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私には安楽死に関しては難し過ぎて何も意見が言えませんが、私は71歳の前立腺がん患者です。2年前の7月に体調不良にて検診したところ 

癌が見つかり手遅れとの事、肺や骨への転移も有り、PSA数値も1700との事、ステージ4.手術不可、直ぐに抗がん剤治療を始めましたが、最初のはアレルギー症状がでて、今は、二種類目です。副作用も無く順調です。妻との二人三脚、人の体は食べ物で出来ているから、薬だけに頼らずに、自分で出来る事はと考えて、サバ缶水煮、キャベツ、茄子、炒りヌカ、納豆、もずく酢、松の茶、ナッツ類等も、ほぼ毎日に取り入れています。今では肺癌も小さくなり、前立腺癌の検査数値PSAも0.04位まで下がっていて、 

アルバイトも週4〜5日程度まで回復し頑張っています。 

 

=+=+=+=+= 

この問題の本質は「安楽死の是非」ではなく、「弱者に対する社会の受容性」の問題だと思います。 

誰にだって、自分や家族が重い難病や障害になる可能性はあるのに、その看病は、ご家族が一生をかけて大変な負担を背負い込みことになる。看病される側にとっては、それが精神的な重荷となって“生きること”を継続しない判断になる。 

重い難病や障害のある人を、もう少し社会全体で受け止めて、みんなでサポートするようになれば、ご家族の負担も減るし、患者にとっても、生きてみようかなと思えるのではないか。 

もし「家族の負担」を理由に“死”を選ぶ方がいるとすると、それは悲し過ぎるので、みんなでサポートできる世の中にしていきたい。 

 

=+=+=+=+= 

生きる選択をとれて良かったなんて言葉は決して言えるわけがなくて、当人が、死という後戻り出来ない場所に行く直前で、合ってようが間違ってようが、自身が願うことを本能のままに選択することができて良かった、というのが感想かな。でも苦しみの中で答え合わせの毎日になってしまうことにもなるから、周りの家族のフォローが更に必要になっていくと思う。でもその為には当人はもっともっと弱音を吐かないといけないし、そうすると生きる気力を更に無くしていくことにもなるかもしれないし、結局誰のために何のために生きてるのか分からなくなってしまうだろうから、生であっても死であっても本人が良いと思える未来へ導いてくれる方法や人と出会えることを切に願う。 

 

 

=+=+=+=+= 

命が残ったこと、自ら死を選べなかったことの決断にこの方の優しさと辛さと、安堵した家族の気持ちを想像して涙が出てきた。みんなエゴのぶつかり合いやバランスで生きている。エゴで良いと思う。自分は大切な人には寝たきりになっても生きてて欲しいって思ってしまう。自分のときは勝手にどうぞと言わわれるかもしれないけれど。こんなに生きてて欲しいと思われる命、思う命の存在や関係はそれだけで有り難いと思う。どこかでお会い出来たらありがとうございますと伝えたい。 

 

=+=+=+=+= 

「肉体の機能」と「魂(意思、心)」は別の問題です。日本でも植物状態になれば安楽死が認められるように、魂の方が大切だと考えられています。 

 

病気で弱っていく影響や、病気への恐怖で、魂が悪い方向に変化したら、それを日々消失する本来の自分が理解していたら、耐えられないと思います。 

 

恐怖で混乱して周囲の人々に酷い言葉を吐いたり、楽しかったものが無価値に見えたり、すっかり魂が別の何かに変質するまえに、本来の自分が残っている間に、死にたいと思うことは間違いでしょうか。 

 

魂が死ぬ前に肉体の機能を止める。自分が自分で居られる間に死ぬという選択は、消極的でネガティブな行為だと簡単に決められないと思います。 

 

=+=+=+=+= 

誰も批判なんか出来ないし、本来なら何も言えないと思います。 

あえてもし私なら親が生きてる間は生きようとします、仮に先端医療にすがってもそうしないとと思います。 

今日も親より先に逝かない様にと生きてます。 

息絶える瞬間に出来るだけ悔いが残らない様に十分考える事が大切だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

胸が痛くなった。 

私の従兄もALSという病気で44歳という若さで亡くなった。家族に医者がいたけど治せないことがどれだけつらかったかなと思う。 

難病になり、私の母と仲が良かったので一生懸命書いた絵ハガキが届いてて、どんどん読めない字になってって、私の母はハガキが届くたびに泣いていました。最後のハガキには解読が難しい文字が並んでいたけどたぶん「いきているのがつらい」という言葉でした。 

どちらのエゴとは言えないけれど、「治らない」病気なのだとしたら、日本でも安楽死を認めて欲しいと思う。 

ヤフコメでは高齢者の医療費負担が大きくなっていることで、まるで生きていることが罪かのようなきつい言葉を高齢者に投げる人がいます。 

元気な高齢者は本人も努力して、家族に迷惑をかけないように生きています。 

でも、今は医療が進み過ぎて延命してほしくなくても生かされてしまう。本当の最期は自分で選ばせてほしいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

苦しいですね……。このケースの場合、どれが一番正しい選択なのか。 

 

色々大変な工程を経てスイスまで行ったけれども、死ぬ間際で迷いがあったのは事実。 

しかし帰ってきてからも苦しみは何も変わらない日常。 

 

もしも本人が日々の痛みに耐えられないという理由なら死が肯定できるだろう。 

しかし介護負担をかけたくないという理由なら、このケースのように何が最良か難しくなってしまう。 

 

この方とご家族の明日が、ささやかでも良い日であることを願う。 

 

=+=+=+=+= 

自分なら…と想像する。エゴとかじゃなく、両親は望みをまだ探し続けている。ご本人は限界を迎えながらも、家族への思いが勝るから、まだ生きておられる。それでも、その苦痛は、ご本人にしか分からないだろうから、どちらの選択が適していたかは、亡くなられる前にしか分からないと思う。ただね、親は子が先に亡くなるなんて、絶望でしかない。代わりに死ねるなら、自分が代わってやりたいとすら思っていると思う。それでも代われないから、出来る限りのことをしたいと望む。生きて、一日を過ごす。そして翌日も。親は負担などと思わないから、一日でも、長生きして欲しいと願っていると思う。 

 

=+=+=+=+= 

娘さんが親を思う気持ちは伝わりますが、親が娘の気持ちを思う気持ちは、もっともっと強いものです。娘さんが私が死んだら親は生きていけるだろうかという心配は、両親から受ける愛情を十分享受していたということです。娘さんが安楽死で命を絶つことを伝えたときの両親の思いは想像がつきます。娘さんは死を思い止まったことで、父親の笑顔が戻った。良い家族です。 

 

=+=+=+=+= 

痛みや苦しみが完治する事がなく家族の助けをずっと借りなければならない人生なら早くそこから逃れて迷惑かけず楽になりたいと思うのは当然です。 

ただこれまでずっとケアをして支えた親がまして我が子の安楽死を認められない気持ちも分かります。 

病の彼女の立場か親の立場かどちらかに立つ事は困難で生死と親子の感情と倫理感の狭間でどちらかどこへ感情移入するべきなのか分からなくて辛い気持ちです。 

 

=+=+=+=+= 

電車の中で読んでいて、涙が出てしまい、隠すのが大変だった。 

 

親の気持ちがよく分かる。大切な子どもが死にたいと言うのを、子どもの気持ちなのだからと尊重しなくてはいけないと思うけれど、そんなの嫌だ!ずっと大切にするから、世話なんて負担でも何でもないから、何でもするんだから、お願いだから死ぬなんて言わないでって気持ちなのではないかなと思う。 

 

でも、生きるのが辛いって、本当に地獄だろうなと思う。自分が死んだ後に親がどうかなっちゃうんじゃないかって、その罪悪感とか心配から、思いとどまったのだろうと思うけど…。でも、安楽死を選んだ人も、病気が一瞬で治る薬と、一瞬で死ねる薬を並べられたら、絶対に治る薬を選ぶと思うんだ。そう考えると切なくなる。神様がいるなら、そういう薬がすぐに開発されるように魔法をかけてくれないかなって思う。 

 

=+=+=+=+= 

多分1億人に1億人分の答えがあると思うので、僕ごときが 何かを言える立場ではないです。 

ただ、スイスのお医者さんが迷ってる事実を受け止め、ちゃんと止めた事が良かったと思いました。 

 

今日もこの方は、終わらない苦痛と両親への(から)思いで板挟みになってる事実は変わらないし、理想と現実の残酷な違いを恨めしく思っていると思うと、気の毒でなりません。 

 

固定観念や常識を捨てて、娘さんの幸せが何なのか、考え続ける日々 なのだと思いますが...。 

 

 

=+=+=+=+= 

ここ数年で、激痛や手術麻酔の幻覚や不快感、自分ではどうにも出来ない痛みや体を動かせないことへの恐怖を味わい、生と死に対する考え方が随分変わりました。 

数年前に父を病気で亡くしたときは、もう俺は死んでもいいんだけどなぁと弱音を吐いた父に、泣きながら生きて欲しいと言ってしまったが、本当にキツいことを言ってしまったなと今は後悔しています。 

3年間闘病して、私はその3年があったから父の死を受け入れられたけど、大分無理をさせ、痛く苦しい思いをさせてしまったなと亡くなってからよく思い出します。 

今は娘も生まれ、親の気持ち、死んでほしくない家族の気持ちはよく分かりますが、本人の苦しみは本当に味わった本人しか分からない。経験しないと、想像も出来ないんだなと愚かな私の過去を省みて思います。 

24年間も苦しみに耐え、家族を思い死ねなかった娘さん。辛すぎます。彼女の意思を認めることも愛情と思います。 

 

=+=+=+=+= 

耐え難い苦痛が有るのであれば、安楽死は積極的に選択していいと思ってる自分から見て、この患者がそうなのかは読み取れなかった。治療の副作用としての激痛はあったようだが、緩和治療について触れられていない。 

 

20年以上にわたる闘病生活が彼女の人生に与えたダメージの重さ、か。 

5年間取材を重ねた記者がそう言うんだから、そうなんだろう。そこはもう、その立場にならないと分からないし、報道が伝えるにしても限界を超えてる様に思う。 

 

=+=+=+=+= 

安楽死は日本でも早く取り入れるべきだと思う。 

もちろん人生が上手く行かなくてとか、彼氏に振られてなんて理由で死にたい人は別。 

この世の全ての病気が治る万能薬でもあればいいけど、残念ながらそういう魔法のような薬は無いし、いくら医学が進歩した現代であっても治せない病気はたくさんある。 

薬で痛みを和らげられるのはほんの一時で、薬まみれになればその内効かなくなってより強い薬を投与する事になったりもする。 

痛みや苦しさに耐えて治らない病気と日々共にしなければいけないのって本当に辛いと思う。 

どれぐらいの痛みで、どれぐらいの苦しさでなんて他人には分からない。 

親からしたらどんな形でもしっかり生きててほしいと思うが、苦しむわが子に「それでも生きろ」とは私なら言えない。 

 

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自分1人なら100%死を選んだ 

この言葉は凄く重い 

 

家族は彼女にとって凄く大切な存在であり生きる為の理由である 

が同時に彼女に苦痛を与え続ける存在でもある 

 

家族の悲しむ顔今まで一生懸命介護してくれた事への裏切りと言う罪悪感で心が苦痛を感じる 

 

体の苦痛と心の苦痛の2択を迫られている状態 

 

本当なら体も心も苦痛を感じないように安楽死を選ぶ彼女を否定してはいけないのだろうけど 

そう簡単ではない 

 

これは親としては究極の選択だと思う 

 

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パニック障害の一番ひどいとき「もうこんな発作が死ぬまで続くなら今死んでしまいたい」と思った事がある。人の辛さや苦しみは家族だろうと誰にも分からない。幸い私は症状が軽減するものだったが、良くならない病なら尚更そう思っても不思議ではないと思うし、特に高齢者の尊厳死と安楽死は前向きに検討してもらいたい。 

 

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近い人に助けられてるからこそまた辛さがあると思う。 

家族の垣間にみえるしんどそうな顔、疲れてる顔、心配かけている顔。 

迷惑かな、、と思っちゃう。 

親にイライラしても助けてもらっている以上本音ぶつけて不仲になる事も出来ず感情に蓋。 だって何も出来なかったら立場弱いから、、 

 

留まった時の 家族が自分の為に傷つくのが悲しい。の気持ちも分かるし帰っても死にたい気持ちが消えないのも分かります。 

 

せっかく取り留めた命。 

あの時死ななくて良かった。と思える時があってほしい 

 

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安楽死は絶対の正解がない問題だが、制度としてはあっていいと思う。しかし、そこには何重もの検討と確認がなければならない。 

 

そして、現実に合法的に自分の命を終わらせる現場を取材するのもいいが、以前も実際に安楽死した日本人のドキュメンタリーをやってるし、日本人が安楽死のためにスイスに行くたびに取り上げるのでしょうか。 

 

安楽死を考えるという名目のもと、安楽死を宣伝してるように見えるので、報道自体、構成を含めよっぽど慎重に製作してほしい。 

 

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高齢者施設で働いています。要介護5で全介助の高齢者も多いです。自分で動くことはほとんどできないです。移動、食事、入浴、更衣、排泄など全て職員介助です。言葉は単語レベルの発語はありますがその人の意思を聞くことができません。イベントなどで生活に変化を加えていますがその人にどれだけ思いが届いているか判断できないです。くらんけさんのように意思をはっきり伝える事ができたらこの高齢者は何て言うのだろうと、、 

 

何のために生きるのか少し考えさせられる記事でした。 

 

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パワハラやセクハラは、このケースに比べて簡単に個人の気持ちが尊重されている。しかも、このケースに個人のウソや偽りが無く、精神的にも肉体的にも疲弊し切っているのは明らかなのに。人に生きて欲しいと思うことは自然なこと。人が自ら死ぬことを許容できないことも自然なことやが、それを認めること以外に彼女を救う道は無い。死ぬ時ぐらい、幸せな気持ちになってもらえるように支えることも大切やろ。 

 

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私はスイスでの安楽死を望んでいます 

2022年5月31日 

胸椎手術後に血腫が出来て再度傷口を開けて血腫除去手術をしたそうです 

翌日麻酔から覚めた私は今までに無い痛みで何が起きたのか理解出来ませんでした 

主治医からの説明「脚が動きません」「再度傷口を開いて髄液の通りを広げたら脚が動くかもしれません」 

3度目の手術になりました 

結果 脊髄損傷下半身麻痺で歩く事が出来なくなりました 

主治医から「医原性脊髄損傷」 

つまり医療行為をした事による脊髄損傷の下半身麻痺 

病院側は第3者を入れてもらって構わない 

保険かけていますのでとの事 

カルテ開示をして弁護士さんに相談しましたが勝てないと 

外傷では無いので治験も脊髄損傷センターにも断られました 

退院して自宅に戻っても介護ベッドで寝たきりで朝から夜中までヘルパーに入ってもらいの生活 

1人暮らしで手術して回復したら転職予定でした 

生きている意味が無いです 

 

 

 
 

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