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「教育なめてる」文部科学省の五輪アスリートを『免許なしで教員』方針にネット猛反発「何のための教員試験?」

中日スポーツ 9/15(日) 20:38 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/8124b2a6cf4725310a317c9124c59b8f03fbc423

 

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文部科学省が五輪やパラリンピック経験のあるアスリートを教員として採用する方針を固めたが、SNS上で批判が巻き起こっている。

文科相は外部人材に特別免許を与えて採用し、教員不足や多様性確保に対応する考えを示した。

批判では、「教員として優秀でないかもしれない」「教育を軽んじているのでは?」などの声があがっている。

一方で教員の激務やアスリート側の心配も指摘されている。

(要約)

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盛山文科相 

 

 文部科学省は、五輪やパラリンピックに出場経験があるアスリートを、学校の教員として採用を促進する方針を固めた。しかし、この案にSNS上では「教育をなめてる」「人を指導する能力は別物」「何のための教員試験?」などと猛反発が起きている。 

 

 盛山正仁文部科学相が13日の記者会見で明らかにした。教員免許を持たないが、高い専門性を持つ外部人材に与える「特別免許」という従来からの制度を活用し、来年度からの採用を想定。教員不足や現場の多様性確保に対応するため、教員の定数とは別に学校に配置できる。採用されたアスリートは、体育や部活動の担当を見込む。 

 

 だが、この方針がX(旧ツイッター)で炎上している。「選手として優秀だった人が、必ずしも指導者として優秀とは限らない」「きちんとした人権教育を受けないまま、教育現場に体育会カルチャーを持ち込んだらいかん…」「なんで文科省はここまで教育というものを蔑ろにするのか」「日本大丈夫?アスリートから国会議員になった人達見てると、子どもたち預けるの不安なんだけど…」「まず教員免許を持ってる人間が教員になりたいと思える労働環境づくりが必要では?」など、否定的なコメントが相次ぐ事態となった。 

 

 加えて、教員は激務として知られることから「薄給で使い倒す気満々じゃねえかよ」「必要な科目履修や教育実習もなく現場に入れるのかね。リアリティギャップですぐに辞める人も出てしまうのではないか」など、採用されるアスリート側を心配する声も。一方で「これ批判する人が圧倒的なんだけど、小学校に体育専科が1人確保できれば、どれだけの先生にコマ数の余裕が生まれることか」「アスリートのセカンドキャリアが学校の先生ってのはあながち間違いじゃないと思うから、いきなり採用するんではなく大学に再入学できる機会を増やすような方向性を検討してほしい」など、一定の理解を示す意見もある。 

 

中日スポーツ 

 

 

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このテキストには、教員としての資質やプロセスに関する懸念や疑問が幅広く述べられています。

多くのコメントが、アスリートが教員として採用される際には、適性や教員としての経験・スキルが備わっているかどうか、教員免許の重要性、教員としての倫理観や法律知識の必要性などを強調しています。

また、一部のコメントでは、教員不足への対策としてアスリートを特別扱いすることへの疑問や、教員免許取得の重要性、現場の負担増加への懸念が示されています。

 

 

(まとめ)

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スポーツに集中・専念してオリンピアンにまでなったとしても、それをそのまま職業に出来るのは人気選手のほんの一部。多くのアスリートがセカンドキャリアに苦しんでいる。とは言え、体育大学とかで教員免許を所持している人もいる中で、いきなり優遇措置を出すのは違うかなと思える。 

 

教員を志望する人が少ない事情と、職に困るアスリートを無理やりつなげても、困るのは現場だと思うんです 

 

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これが成り立つのであれば、音楽や書道、美術や工芸などの芸術分野で国際的に活躍した場合も、教員として採用されるべきだと思います。なぜ、体育分野でのみ議論が交わされるのかが分かりません。学校教育には、技能教科含め、多くの教科・領域があります。それらの学習内容を子ども達に教え伝えるために、指導技法を大学で学び、試験を突破し、実務経験を積みながら、ノウハウを高めていきます。そのプロセスを通らない教員はいないと思います。 

 

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免許を出すことと、その免許を持っている人物を専任で採用することと同義では無いのに、それ分かっているはずにもかかわらず筆者はネット上の反響を引用しているように見える。 

 

元々教職課程だけ履修していても教員としての適性が備わるわけではないし、アスリートのセカンドキャリアの充実や専門性の活用の観点からしたら悪手と談ずることが全てではないのでは? 

特別免許与えるだけで不足するのなら、その後の研修を充実させるとか余人を以て替えがたい人材を前向きに活用する方法を考えるべきと思う。 

 

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五輪アスリートを教員にするのは就職活動を犠牲にして頑張ったアスリートへの特典と考えたのだろう。ただ五輪アスリートが教員になりたいかどうかは別だろうし、採用されたら講師だったり非常勤講師、部活動指導員なら”なんだろなー””という状況だと思う。体育施設勤務などの常勤公務員の資格を与えてほしい。 

さて国会議員になるには資格試験を必修にして免許制にすればよいかと思う。なんだったら議員になる前に適性試験程度は実施した方がよいようなひっ迫した状況になっていると思うのだが・・。議員は資格試験の重要さと大変さが同時に理解できるのではないか。 

 

=+=+=+=+= 

教員にする必要はない。 

それなら部活動の指導者とか他に雇用と収入を保証する方法はある。 

私立の部活動の指導者の中には教員免許を持ってない人もいるし、それと同じようなことをメダリストや代表クラスの選手にも担って貰えば良い。 

それができたら教員が部活動を担当しなくなり負担を減らす第一歩になるかもしれない。 

 

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大学の教員に限れば、文科省の認可が必要です。で、大学教員に足る能力があるか。ここが問題。普通は大学院卒、論文や学会発表、著書の数などが必要です。それが実績になります。大学院までは何とかなっても、学会発表や著書となると運とタイミングもあるので結構ハードル高くなります。 

教員免許ですが、高校までは教員免許があるんですが、大学教員免許ってないんです。文科省の判断になるようです。という事で、五輪金メダリストはその時の世界一ですから、実績充分。ほぼ100%で教員認可になると聞きました。もちろん体育系ですけど。 

 

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プロ野球選手も引退後直ぐに学校のコーチや監督になることができず、資格の習得や研修を受けてなっていることを聞く。部活動指導員ですら一定の研修が義務付けられている。 

オリンピック選手も同様の扱いでよいのではないか? 

教員ではなく、町のスポーツ交流や文化を開拓していく存在として頑張れる道を支援していくことだと思う。 

 

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世の中の保護者は公立学校のこういったシステムをよく理解した方がいい。なんのスキルもない人が教育をする時代が来ました。特別支援学校の肢体不自由校なんかでは教員雇うとお金がかかるから、介護職員って看板つけてなんの資格も持たない人々を雇って授業やらせている。教員数を減らして介護職員増やしてる。東京都がそれです。今に特別支援学校以外にも、できるだけ世の中にわからないように無免許の人に授業させるようになりますよ。いい教育を受けたければ私立しか選択肢がなくなります。 

 

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なんとなく、かつての「試験免除のJRA調教師」みたいなイメージ。今はその制度は廃止されているが、その理由は「試験を免除された騎手出身の調教師が不祥事を起こした」から。今回の話もそういう未来がちょっと見えてしまう。やるのであれば「免許取得と同等のライセンス制度」を設定するべき。 

 

=+=+=+=+= 

部活動の顧問が不足している場合に地域の競技指導者として指導する分にはいいと思いますし、プロから教わるなら子供たちも伸びるでしょう。 

あぁ、もちろん免許を持ってる人に限りますよ。 

ただ、公立の中高の子供たちは昔と違い、真面目に毎日部活動に参加する子も減っていますし、厳しい指導はパワハラと捉われかねません。 

とりあえず文科省やその他政府の思いつきによって現場を混乱させないでほしいものですね。 

 

 

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教員になるには、ある程度の範囲で知識や学力は必須です。 

 

教材を作るためにはパソコンを使い、授業の中では会話力はもちろんプログラミングや人工知能(生成AI・チャットGPT)への理解も必要です。 

 

知能だけではなく、体力も必要で上記以外の業務をこなす効率の良さも求められます。 

 

社会では、教員という仕事がブラックや社会人として常識がないと批判されることが多いですが、能力は明らかに一般社会より求められ、誰しもができる仕事ではありません。 

昼休みもなく、ましてや平日に飲みに行く時間や体力もないくらい忙しく、ほとんどの教員が誇りと責任をもって子どもと向き合っています。 

 

教員という職を蔑まないでください。 

 

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オリンピック選手が小学・中学・高校の教員になるのは現状では難しいかと思います。 

というのも教育にとってはオリンピック選手の経験は計り知れない可能性があるかと思いますが、現状の教育方法ではオリンピック選手の方々が苦労されるかと思われます。個人的にはお勧めできません。 

大学の先生もしくは、国が小中高の地域の部活動の外部指導者として立場を確立(指導者の方が十分に生活できる給料を保証出来る)してもらえるのなら、そちらでご活躍された方がより大きな意味がでてくるとは思います。 

ただ、教員を確保するだけの策であるなら、どうかと疑問に思います。 

 

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アスリートが優秀な先生になれる。嘘でしょ。そもそもアスリートの中にもいろいろな人がいて、えげつない生き方をしてきた人もいる。いや、スポーツの世界でも、きれいごとだけではすまないことはたくさんあるのではないか。そういう裏面を生徒に伝えることも認めたうえで、文科省は、アスリートを採用しようとしているのか?世の中には、スポーツも芸術も勉強でもも挫折したり、うまくいかなかつたりする人が多い。教員になる人は、この挫折、コンプレックス、思い通りに行かない人生を歩んできた人こそがなるべきである。教員はエリートではない。泥臭く、挫折しながらも生きることの大切さ生き方を教える仕事だと思う。そういう意味では、社会人経験者の教員は大いに歓迎したいが、スポーツアスリートの成功者など単なる技能人に、特に義務教育の先生にはなつてほしくない。 

 

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五輪やパラリンピックに出場経験がある人を特別免許で採用する・・ 

 

意図は分かりますが、出場経験はその特定スポーツに対する優れた能力を持っているだけであり、教師として教える技能・能力とは別物でしょう。 

 

入学試験の特別枠は入学しても本人だけの問題だが、教員は周囲に影響与えるので次元が全く異なります。 

 

出場者の能力を何らかの形で活かしたいのであれば、最初はアドバイザーやサポーターの役目で採用し、その間に本来必要な試験を受けて貰うなど、ステップを準備すれば、指導者・される側、双方にとって良いのでは? 

 

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部活の担当や特別授業みたいな形でスポーツの楽しさを子どもに伝えるっていう形ならいいのではないでしょうか。プロから教わると子どもの意識も変わります。 

ただ、優秀なプレイヤーが必ずしも優秀な指導者である訳ではないので、そういう面での試験や基準は必要だと思いますけど。 

 

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確立された制度に特例を設けては、立場や扱い方もややこしくなりかねませんし、こうした事態は避けるべきではないかと感じます。 

わざわざ教員という厳格的な資格がもう確立されている部門に、アスリートを就かせる必要はないと思う。 

それなら、学校関連で働かせるとしても、部活の指導員などの別の雇用方法があるように思えるし、こうしてもう確立された教育制度をもう一度見直してまで教育にさせる必要はないと思います。 

 

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しかもこの仕組み、「体育科」の教師限定ということではないようですね。そしてメインとなるのは小・中学校ということだそうです。 

百歩譲って授業だけや部活指導だけの非常勤講師ならまだしも、専任教諭となって担任や分掌、受験指導を受け持つとしたら、スポーツマンシップだけではやっていけません。 

部活動指導に困っている教員だけがニュースで話題に上がりますが、反対に部活指導ばかりして授業、分掌業務、その他生徒指導(発達障害ある生徒への対応はとくに大変)など本来の仕事ができない教員が多いのも事実です。 

五輪アスリート教員が誕生して上記のような困った教員が生まれると言い切りませんが、彼らの経験が活きる場面が多い仕事とは思えません。仮に本当に導入されるとしても、研修を徹底するか(そもそも教採合格者と同じ初任研を受けるのか?)、当たってもらう職務を限定するべきだと感じます。 

 

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オリンピックに出場したってのはもちろん素晴らしい経験だし、それを子供に伝えるっても悪くはない。ただ教育現場はアスリートの経験した競技の世界とは違うってことも理解はしてないと危険かな。当たり前だけど運動、スポーツが苦手、嫌いって子もかなりいるわけで。技術面でも精神面でも指導の方法、方針ってのは講習した方が良いと思うが。免許なしにするなら、アスリートはアシスタントとかにしてカバーできる人はつけるべきではないかな。 

 

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神奈川県の公立高校の現役の教員です。 

自分が高校生のとき周りには頭がいい人や成績のいい人はたくさんいましたが、教えるのが上手なのはまた別の能力です。そういう人が教員になっているのだと思います。(ですから私は教えるのが下手な人は免職でいいと思っています)スポーツもトッププレーヤーでかつ教えるのも上手なのはおそらく極少数でしょう。ましてや学校で教えるのは経験のないこれから始める生徒たちです。トッププレーヤーだった人をすぐに学校現場に送り込んでも、一時的には話題になったり生徒のモチベーションが上がったりするかもしれませんが長く定着する制度とは思えません。(問題がある制度かもしれませんが)現行の教員免許を取得したほうがいいでしょう。ただ採用のときにはプレーヤーとしての実績が加味されるのはいいと思います。 

 

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昔、国体開催に合わせて採用が行われたのを知っている。国体開催後はその部のある学校間で転勤を繰り返し、体育連盟関係な事務局をやっていたりしてた。その方々をみる限り、事務局があることで校内の他の仕事を回しにくく、転勤も配慮され、その分野のドンみたいな感じになっていた。採用の歪さもあった。 

特定の競技で力を発揮するのは良いが、体育という教科の目的はもっと別のところにあるのを忘れないでほしい。勝利至上主義に陥りやすい弊害もある。学校にはその競技に関係のない生徒の方が多いので、特化しすぎるのもいかがなものかと思う。 

 

 

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オリンピックでメダルを取ったような人が学校の先生になる必要はないと思います。あらゆる企業から引く手あまたではないでしょうか?しかし、学校の先生になりたいのであれば指導要領をよく勉強して学年別に各学期に何を教えなきゃならないかとか授業中に生徒が倒れたらどうするとか、圧倒的な体力差がある生徒たちをどう公平に評価すべきかとか、訓練を受けるべきことが多々あると思います。それと例えば体操でメダルを取ったような人でも柔道初段ぐらいは取らないといけませんし、水泳やサッカー、ラグビーといった専門外の競技も薄く広く経験しておく必要があります。また、生活指導やいじめの問題とかおよそ学校で問題となっているようなことの対処法も勉強しておく必要があります。 

 

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基本的には賛成。ある特定の分野で世界的な結果を出した事実はそれ相応の努力に伴うもので、そこに至る過程で得た多くの感情を教育現場で役立てることに価値はあると思う。教員免許に国の担保あるのか?無いよね。国が与えた教員免許を持つ教員の犯罪も目につくが、文部科学省が責任持ったことある?無いよね。つまり教員免許はひとつの資格に過ぎず、他の資格を持った人間が教壇に立つ事を阻害することは出来ない。アスリートに限らず、それこそ社会には子供たちの成長に役立つ能力を持つ人間は多くいる訳で、ありとあらゆる人が教壇に立って子供たちにいろんな生き方の教育を行った方が豊かな教育になるはず。そう言えば、世の中の変化に合わせ道路交通法も改正されるそうだ。学校教育法も手遅れかもしれないが、大幅に見直すべきでは?教員をなめてきた子供が社会に出てきているぞ。明らかに学校教育の失敗だ。お膳立てしないと何も出来ない人間が目につくぞ 

 

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個人的に実技なら賛成しますね。如何に身体を巧く使い、故障を避けつつ 

自身の身体能力を成長させられるか。教員試験も確かに大切ですが、最近の 

教育現場をご覧なさい。教員試験を潜り抜けてきたはずの教員が、不祥事を 

起こす事例もあります。必ずしも教員試験が良い教員を育てるとは限らない。 

特にそれは実技なら言えると思いますし、心配なら補佐で副教員を当てれば良い話。そのくらいの財政なら何とか確保できるはずです。 

 

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まぁ、貴重な経験をしてやりとげた人としてその経験を生かすためというのはわからんでもないが、それも外部講師としてまでだろう。講師あるいは教諭として日々の授業や生徒指導等をするというのであれば、少なくとも大学で半年か1年ぐらいは教育について学習して単位をとるべきだと思う。 

 

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私が中学の時、オリンピック教室というものがありました。貴重な体験だったらしく、スポーツ嫌いで、興味もない私も少し楽しみにしていました。 

 

当日は、クラス内での対抗形式で軽い運動をしたのですが、とにかく出来ないグループを煽る煽る。 

 

講師としては、もっと頑張ってほしいという感じで煽ったのかもしれませんが、スポーツができない私からすると非常に不快で、私のスポーツ嫌いをさらに加速させました。 

 

もちろん、このようなアスリートだけではないのは十分理解していますが、このようなリテラシーのないアスリートが無免許で教師になる可能性があるので、私は大反対です。 

 

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タイトル見て普通の教員になるのかと思いそれは問題だと思ったけど、現在の教員枠には影響せずに特定分野ならありだと思う。 

 

一般学部で教員免許取得した(教員経験は無)けど、別にそこまで履修科目に意味があったとは思えない。 

当たり前だけど免許取ったからといって適性があるわけではない。大変だけど普通に真面目にやってたらとれる。 

 

もちろん子どもの教育に関わることなので実運用に関しては色々注意することはあるだろうけど、人手不足という現実があるなら試みとしてはいいと思う。 

 

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近年の教員の不人気に対する文部省の安易な挽回策のような気がする。私は元教員だが、教科指導と生徒指導、後は学校の教職員との協力をいかに図るかが大切な条件だと思う。体育ならとおもうが、様々なスポーツの知識、体験が必要でこれも勉強が必要、生徒指導はオリンピック選手であったこととはほぼ無関係、特別扱いする理由はない。あと人権教育や一般教養はあるかなどどうするのか?さまざまな能力や知識がないと生徒も困るし、本人もいろいろな悩みに対処できるかどうかと思う。オリンピック選手になることは素晴らしいことに間違いはないが、教えることはまったく別のことである。仕事として安易な対応は生徒や本人によくない結果をもたらすケースが多いとおもわれる。 

 

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もはや教員不足をなんとかしようとしてるけど空回りしてるような、あまりにも短絡的な発想ですね。国が言ってることなのが信じられない。まあ、教育界に一切入れるなとは言わない。そういう人材も活用したいということなら、全国の公立学校の中高の先生方の部活指導強制を廃止して、希望制にし、そして外部コーチとしての配置を全ての学校に約束してください。それ以外の業務をやってもらおうとなんて考えてるとしたら大きな過ちです。 

 

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学校の先生って、社会人になったら先生って方が多いと思います。学生からいきなり先生で社会に出ていなく常識外れな方が多いと思います。それと比べて小さい時から1つの事を極めて、ひとつひとつクリアーして登り詰めた人たちです、よっぽど学生上がりの先生より、生徒に受けると思います。体育会育ちで上からも下からも扱いに馴れていると思います。 

最近も、先生の不祥事も絶えないので、2年くらい社会人をやってからでないと先生は出来ないみたいな、ルールにした方が良いと思っています 

 

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五輪アスリートは教員ではなく、定期的に学校で、どのような努力をして夢を叶えたかを話しにくれば良いと思います。 

人生勉強の1つにしてください。 

後は同じ競技の部活動などあったら、アドバイスなどしてもらうと良いと思います。 

学習の一貫で来てもらうと良いと思います。 

今でも、学校等で話しをしたりしている選手がいますが、そういった機会を増やすのも教育として良い事だと思います。 

教員は無理だと思います。 

 

 

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私は長らく教員をしているが、免状を持つ教員は、憲法、教育基本法、学校教育法などに記載された内容を具現化するために、検定に合格した教科書の内容を標準時間で教えるものだと思ってきた。当然、学習指導要領を踏まえて。もしアスリートを教員に採用するなら憲法はじめ各種法令内容を教授し、一定の理解が得られたものに限定するべき。 

 

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オリンピック選手が教育に携わるのは意味があると思うが、すぐに教員になるのは無理でしょう。体育は、自分の専門の競技ばかりしているわけじゃない。例えばサッカー選手が何の理論を学ぶこともなく、水泳やテニス、柔道、器械体操を教えられますか?保健分野とかの座学もありますよ。教育学部の入試を免除するとか、学費を免除するとか、そのくらいは良いが、ちゃんと免許をとってから教員になってもらいたい。 

 

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教員免許はさほど難しい資格ではありません。大学できちんと授業に出席し(実習含め)単位さえ取れれば取得が可能な免許です。 

各単位のテストもありましたが、さほど難しくありません。勉強した記憶がないのに単位は取れてました。 

なので、教員免許があれば必ずしも優秀な教員とは限らないと思います。 

大変なのは教員採用試験です。ここが狭き門で、本当に教員になりたいと思い、必死に試験勉強、対策した情熱ある人しか通りません。 

そして、教員が続きません。 

なのでオリンピアだから簡単に教員になれても教育に情熱を持ってないと続かないと思いますし、そもそもその道に入ろうとしないでしょう。 

 

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オリンピックに出た事でアスリート枠として、試験の一部を免除や加点などの多少の優遇は構わないと思うが教員免許なしは違うと思う 

 

警察官や消防士などの体力などが必要な職種もある程度の試験は必要だが、採用に対してアスリート枠で加点されたりすればセカンドキャリアにも繋がるのでは? 

 

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恐らくスポーツ推薦で体育系大学、学科に進み、その過程で教育免許を取ったであろう教員に我が子が高校2,3年で当たりましたが、彼らは一般入試を受けた事がないので、懇談でも適切な受験の仕方すら教えてもらえませんでした。多分知らないんだと思う。 

進学校なのに、部活の成績はどうなんだとかそんなのばかりで、学力面でのコメントはほぼ無し。業者テストの結果はこうでした、と見せるだけで、なんもアドバイス無し。 

 

教員免許を持っていても、体育系教員の資質はそんなもんなんだなと、今となっては残念に思います。 

 

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目の前にいる子どもたちを理解するために、発達に関すること、心理に関すること、教育に関するとこ、子ども・教育に関する法律など、学ぶべきことは多岐にわたるのに、そこをとばして教育の場に立つということは、アスリート本人も、子どもたちも不幸なことだと思う。 

本当にセカンドキャリアとして教員を目指すのであれば、教育学の基礎は学んだほうがよい。 

 

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特別免許というのはもともとあった制度で、博士号所持者やアスリートなど特別な知識や能力に秀でた人を活用することが想定されています。 

普通の教員の仕事をするというよりは、教育現場に多様な人材を入れようというものであり、この記事やコメントの雰囲気はちょっとズレているように思います。 

教育学部などを出てすぐに教員になった先生はもちろん教育の理論や技法を修め教科の知識に秀でた素晴らしい人たちですが、均質な教師という大人像をみせるだけでは子どもたちの視野は狭くなるとも思います。 

まさか文科省も、メダリストなら誰でも採用するわけではないでしょうし、必要に応じてさまざまな研修やサポートもあるはず。 

あくまでも多様な経験をもつ大人を教育現場に迎える従来から進んでいる取り組みの一環として、メダリストが例に挙がったものだと感じました。 

 

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もう20年ぐらい前に、中学校の部活動を社会体育に移すことがが議論されたことがある。このとき体育局の猛反対で今に至る。中学校部活動をなくしたら日本の競技スポーツが成り立たないということだ。これに一部の体育系部活動指導者も同調した。今の学校現場の多忙さの背景の一つである。部活動指導の見直しの機運が高まる中で、またまた同じことが起こりそうである。 

 

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教員でアスリートで頑張っている方がいます。 

国体等で、行かれます。 

そういう方が行く時に、多くのサポートが必要です。学校現場では、相当自習を授業にしたり、自習を対応したりとしてもらっています。教師の人数を増やしてほしいです。五輪アスリートの方を否定しません。ただ免許あってのことにしてください。もしよかったら、現場に来てほしいです。そして、学習指導要領も見直しをお願いします。本当に現場は簡単じゅないんです。 

 

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今いる教員のプラスアルファとしての採用ならまだ話はわかるが、希望者が減ったことで本来とるべき教員の代わりに採用されるとしたら大問題だ。まず、現場の負担は圧倒的に増える。その道のスペシャリストに担任としての仕事や保護者対応など務まらないだろう。本人たちも嫌だろうし。だから、担任を持たずに教科だけ入る。で、最初に言ったプラスアルファで教科に入ってくれるのなら助かるが、本来担任を持てる教員1人分を減らし、教科しか持てない人を採用したら現場の負担は増大する一方だ。文科省はいつまで現場を苦しめれば気が済むのだ? 

 

 

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一定のプロセスを踏んだ上で、かつ範囲を特定してお任せし、免許を持つ通常の教員待遇に鑑みて不公平が生じない、これらの要件がしっかり整備されることが前提で、教育現場のリソース拡充としても、アスリートのセカンドキャリアとしても有用な制度になり得る気はする。 

 

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まずは、一流アスリートであっても教員免許を取って初めてスタートラインに立つべきだと思います。 

現職のモチベーションは確保できますか? 

すでに部活動は、民間に委託する道があるのではないでしょうか? 

現場軽視ではないでしょうか?どういう経緯でこのような制度が制定されたのですか? 

そもそも、この制度の本当の目的は何でしょうか? 

十分な議論されて制定されたとは到底思えないと感じました。 

 

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教員に対する価値の見方で分かれる問題だと思っています。 

教員採用試験を通った人がとても優秀で素晴らしいと考える人は反対するでしょうし,その逆はその逆なんでしょうね。 

 

個人的には後者かなと。教員採用試験を通過した人にどんな専門性があるんだろうとか。時代は変わっても教員が追いついていない事実があるとか。そもそも私立の学校で教えるのに教員採用試験は必要ないわけで。 

 

そういう意味ではすでに実施されているにもかかわらず、採用試験にこだわるのは既得権益を守りたいだけの方便じゃないの?と。 

 

世の中教員よりもポテンシャル,専門性を高めた人はいくらでもいるわけで、そういう人を教員として活用できないのは既得権益で守られている人以外には損失でしかないのでは? 

 

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オリンピック選手がいきなり学校に教員として採用された結果、担任、学級経営、教科指導、いじめ対応、荒れる生徒や指導に従わない生徒への指導、ADHD対応、モンペ対応等でどの程度、即戦力として機能するかどうか。 

 

以前、TV番組で次の内容が放送されたことがあった。 

ある体育会系部活で全国大会や国際大会にも出場経験がある首都圏の有名国立大学を卒業した方が、新卒教員として中学校に着任し、希望に胸膨らませ教員としての生活がスタートした。 

 

体力にも自信があったので長時間勤務が連続する教育現場で、担任、教科指導、いじめ指導、不登校指導、荒れる生徒指導、指導に従わない生徒対応、モンペ対応、学校学年行事、部活スポンサーとして頑張る毎日だった。 

しかし、 

2学期半ば以降、連日の激務による精神的ストレスから体調不良を訴えて休みが増え長期入院することになった。 

 

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現場が懸念するのは、部活指導のためにこの制度を使うケース。そもそも昨今の部活地域移行の流れに反する。現状でも部活指導をするために教員になった方々がいるが、そういった動機で教職に就くのはやめて欲しい。スポーツ指導をしたいならスポーツクラブに就職していただきたい。教員の本務は教科指導と児童生徒理解であり、その他にも業務は山積みなのに部活に力を入れられてはたまらない。部活にエネルギーを割く教員の業務の尻拭いは現場の暗黙の了解となっており、これ以上の負担は御免だ。 

 

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同じようにど素人に国家資格を与えてしまった例がある。公認心理師という資格制度です。元々「臨床心理士」という立派なカウンセラー資格が30年以上前からあり(心理系修士卒でようやく受験できる資格(昔は大学心理学科卒+5年実務でもOK)。だから専門性が高い)、30年前から国家資格化の動きがあったが厚労省と医師会が反対し続け(自分たちと同格の専門家を嫌ったから)、厚労省がひねり出したのが公認心理師制度。 

看護師や福祉士に数日の研修に参加させ、それだけで取らせてあげる、という安易な国家資格でした(配下の看護師や福祉士に研修に参加させて確実に下の立場の心理士を濫造)。結果、心理学を専攻したことがなくかつ心理カウンセリングを一回も経験したことががない素人が大量に「心理師」になりました。おかしいでしょ? 元看護師で精神保健の会社に事務職で5年勤務し研修に参加しただけで「心理師」になった人もいます苦笑 

 

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後付けでもいいので、教員免許に必要な単位を取得することを義務付けることが必要だと思います。 

例えば初年度は仮採用として週3回勤務にして残りは研修や講義を受けるなど。今の時代ならオンラインでの受講もできるだろうし、レポート提出で単位認定も可能では? 

ある程度の資質があると教育委員会などで判断されたら本採用とか。 

そういう背景がないと、いくらアスリートとはいえ競技以外は何もできない、人間性に問題のある変な人が紛れ込んでしまいそうで怖いです。 

もし部活と体育オンリーで担任などは持たないのなら、教員という名称は使わず違う役職名にしないと周囲が混乱すると思います。 

 

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私立であれば、教員採用試験はその学校にまかされています。教員免許だって大学で講義聞いてテスト受けて、教育実習いけばとれるものです。しかし「教員」ってことは、部活動のコーチだけじゃなくて授業も学級経営も生活指導も進路指導も保護者対応もしてくれるんですよね?それならなんの取り柄もない並の教員としては助かります。ぜひ、矢面に立っていただきたい。 

 

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簡単に体育の授業と言うが、怪我をするというリスクが1番高い教科であることを文科省はわかっているのか。万が一があった時の責任を赴任してきた五輪アスリートが理解できるのか。体育が苦手な子ども達に対して理解を持った授業がてきるのか。親の立場としては、学校でやるからにはプライベートで有名人に会うのとは全く違うクオリティを求める。免許のない人間に子どもを預けようとは思わない。 

 

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小学生は体育の授業中にトラブル多いです。喧嘩の仲裁したり怪我で保健室まで走ったり、先生結構大変ですよ。体育専科は賛成ですけど、教員免許ない先生はどうかな。中高生ならまだいいかもしれないけど、小学校はきついと思います。技術指導ばかりじゃないですよね。指導というなのしつけもありますし。先生の態度ひとつで学校行けなくなる子供もいるし、親からのクレームが入ることもある。やっぱり学校教育学んでいないと色々大変だと思います。教員ではなく外部指導員という立場がいいと思います。(結局担任は授業に付き添うことになるかもしれないけど) 

 

 

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これ新しいことやってるようで、何十年も前から似たようなことは行われてる。 

 

免許取得に関しては、スポーツ推薦で進学できる大学の多くは教員免許を取得でき、取得要件は単位取得のみなので大学教授の采配次第で可能。 

採用試験に関しても、賞罰欄のところに国体出場歴や甲子園出場経験を書くと採用されやすい。五輪が近い年だとなおさらその傾向が強かった。 

実際、教員に元国体選手や甲子園球児は多い。 

ただし、そういう教員は体育の免許を取得することが多いので採用試験の倍率は高いので正規採用はやや難しいのが実態。 

 

それと体育教師は現役寿命が短く、早々に教育委員会入りする人が多く、教育委員会や管理職は元体育教師だらけだったりする。そういう人が採用試験をやるもんだから、教育界は未だに体育会系の傾向が強い。 

 

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部活動の外部指導者や体育の初任者でも教育現場に馴染まない人(勉強を軽んじたり根性論の脳筋類だったり)がいたりする。スポーツアスリートのセカンドキャリアを否定する気はないが、それなりの教育や研修を受けて教員として現場の戦力になって欲しい。 

 

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オリンピック選手が教員、素晴らしいと思いますよ。訓練を受けるとか受けないとか、超越するくらい、素晴らしい経験をしている方々です。生徒からしたら訓練受けている一般の先生よりも、オリンピック選手から教えてほしいと思うと思います。生徒は求めていると思いますよ 

 

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競技でトップになった人が教えるのがうまいとは限らない。しかも体育教師はなかなか空きが無くて若い人がなれないのが現状です。 

体育に限っては採用試験の倍率も高く何年も挑戦している人がたくさんいます。 

そういう努力をしている人を差し置いてトップアスリートってだけで簡単に教師になれるなら、今まで頑張って教師になろうと努力してき人はばかばかしくてやってられないってなるでしょうね。 

 

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アスリートでもプロの選択肢がない方は将来を見通して勉学も努力して教員資格を取得しています 

オリンピックは偉業中の偉業だと思いますが、教師も資格が必要な専門職なのでしっかりと勉強してなった方が良いと思います 

 

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以前から特別免許状と言う制度があるのだから、問題ないと思います。小中高校の全科目が対象になっているので、体育に限った話ではありません。教育をなめていると憤慨している人は、特別免許状で検索すればいいと思います。 

 

昭和の話しですが、私が通っていた中学の技術の先生が教員免許を持ってなかったですね。教員免許は持ってないけど教えることが出来る人だと、他の先生から聞いた記憶があります。現在の特別免許状と同じものなのかは分かりません。 

 

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現在の低倍率の採用試験では、十分に有効な人材が集められるか心配な面もある。一つのことに打ち込んできたアスリートの精神的な強さは新採用教員の中で劣るものではないかもしれない。研修は必要だろうが、それは他の新採用教員も同じだ。 

アスリートにフォーカスしすぎず、学校現場での教員不足に目を向ければ有効な政策かもしれない。 

 

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五輪アスリートだけでなく、プロ野球選手や大相撲力士なども引退後に職が無いという人は多い 

五輪出場した人はまだマシな方でトップアスリートなのにマイナー競技だと引退後に本当に仕事に困っている人は多い 

こういう状況なのでマイナー競技はますますマイナー化している状況があり、せっかくのその人の個性が伸ばせない環境になっていると思う 

結局はスポーツや芸術分野よりも勉強ができる子の方がいいという風潮にもつながっていると思う 

いきなり免許無しで教員になるのもどうかと思うので適性検査や面接くらいはすべきだと思う 

個人的には、有名な元トップアスリートが小学生や中学生に授業をしてくれるというのはうれしいと思う 

 

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アスリートに限らず、一般企業からの転職も受け入れたらいいのではないか。もっと言うと普通の転職市場に「教員」があってもいいとさえ思う。 

教育学部を卒業して(教職が取れる単位が取れる学部も他にもありますけどね)、新卒で教員になり、一般社会とは違う特殊な世界だけで良い年齢を重ねていった人だけの世界だけがいいとは思わない。 

 

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教員は、知識や技術のみを教えるのではなく、人としての心を育てる教育が大事なんだと教わりました。人を育てる能力と学習指導の能力の両立が求められる。盛山さんのような人がトップでは日本の教育界は暗いね。教員が不足していることは誰もが知っている。その原因は労働環境の悪さと待遇の悪さでしょ。それを解決することなく採用条件を広げましょう、というのは安直すぎる。毎年、持ち回りで国体が開かれるが、その開催県では、どういう訳か国体後、体育の教師が増える。 

優秀な人材を集めるには、給料を出して、仕事内容を明確にすることでしょ。 

盛山さん本当にこれって恥ずかしい案だと思うよ。 

 

 

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意味が分からない。 

アスリートが教える教科は、体育のみ? 

 

そもそも部活は、教師の仕事としては、ボランティア活動であり、業務ではない。 

部活を強くするために、採用したいのであれば、筋が違うだろう。 

 

とはいえ以前からすでに、私学は特に部活指導できる人を優先的に採用している。 

部活以上に、学力を伸ばせるのでならば、大卒や、免許が無くてもいいと思うが、期待できないだろう。 

オリンピックに出るには、勉強時間を削って練習しなければならないので、大学教員ならいいと思いますが、中高教員はいい施策とは思えません。 

 

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ある程度教員としての研修を履修すればアスリートだけでなく社会人でも免許なしでも教員にしてもいいんじゃないかな。 

教員免許と言っても、大学などで授業を履修して教育実習を経験すれば教員免許はとれる。あとは、各自治体の採用試験に合格すればいいだけ。しかも、なぜか日教組とすぐに行動できる人間が受かるんだよね。 

変だけど社会経験がない人間が教員になるよりも社会の様々な分野を経験しているほうがいいんじゃないかな。 

教員からすればそんな素人に教えられるはずはないとしたいんだろうか。 

 

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まぁ教員免許という資格があるのですから、それをないがしろにするのは問題が有りますかね。 

ただ昔から教員の現状って似たようなものでしたけどね。 

大学にスポーツ推薦で入り、そのスポーツだけに専念し、取り敢えず教員免許だけは取る。 

で、成績は良くないが中学や高校の部活を指導することが条件でコネで試験の成績優秀者を差し置いて教師になれる。 

だから例え資格無しで教員になっても実務的には問題ないでしょう。 

ある意味その分野でトップクラスに行った人から好影響を受けるかもです。 

 

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優秀な選手が必ずしも優秀な指導者ではないことはこれまでのプロ野球やサッカーの世界を見てもわかりきったことなのに、なぜこのような発想に至るのか疑問です。 

教員になれば定期試験の作成・採点や1クラス3~40人ほどの生徒個人個人の適性や家庭の事情などを踏まえた指導や、あげくモンペからのクレームとか、「得意な科目を教える」だけでは済まない諸々の実務があり過ぎると思うのですが。 

 

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これは技能者と、技術者の区別に近いかなと。 

どちらもエンジニアっていったらそれまでなんだけど、この場合は技能者が局所的な教育を得意とするエンジニアで、幅広い知識のある教員は管理監督者とするのが正しいかも。 

だからこそ試験があるわけで、その線引きは曖昧にするのはおかしいですね。 

 

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各校毎の部活動という考え方を捨て、複数の中学校区で部活動をする形にし、指導者にはそれなりの報酬を出せばよい。ボランティアではなく、勤務時間を割り振って、働いてもらえば良い。それと、免許があっても、教員の不祥事が多い昨今、免許が無い方が働くとなると、もっと不祥事が増えることも念頭に置いておくべきである。 

 

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批判のご意見が多数ですが、考えてみれば大学教授になるのに教員免許免許は必ずしも必要ではありませんよね。求められるのはその分野に精通した知識と指導者としての素養な訳で。従来から存在する『教員免許を持たないが、高い専門性を持つ外部人材に与える「特別免許」』の枠組で採用されて各々の専門分野の高度な知見が活かせる体育や部活動等で指導を行うのなら何の不都合があるんでしょう?必要であれば本採用前に研修や教育実習を積んでもらっても良い訳で。大学で教育学部でなくても教職課程で必要な単位を取得すれば科目や課程によっては教員免許は得られる訳で、教員免許を持っているというだけで教育のプロと言う訳ではないでしょうに。それよりも競技のトップ水準まで行った人材なら脳みそが筋肉な訳がなくて指導に対する理解力も高いでしょうし散々コーチングとか受けてる訳で指導教育の知見も相当豊富なのではないかな?と思いますが。 

 

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たぶん体育が得意で教えるのが好きな先生は、子どもの頃から運動能力が秀でた人が多いと思う。オリンピック選手なんて尚更だよね。子どもなら誰でも、体を動かすのが好き、という訳ではないことをきちんと理解した上で教壇に立ってほしいですね。 

 

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体育専科講師のみとしての採用ならありだと思う。 

特に小学校の教員は体育が専門でない人も多いので、空き時間確保の目的としてもメリットはあると思う。 

産休前の体育代行も必要なくなるし。 

ただ、やはり研修体制は充実させておかないと、問題を起こしたり、モンペの格好の餌食になる可能性もありうる。 

 

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教諭(教師)ではなく講師とするならまだ許容範囲だが、特別免許なる物を新設してまでアスリートを教員に押し込もうとする動機は何だろうか? 

また最終学歴が中卒や高卒のアスリートも対象にするつもりなんだろうか? 

問題が多すぎるから反対、本人が教員になりたければ教職課程を経て教員試験を受けさせるべき。 

 

 

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学校の多くは、採用試験の通っていない非正規教員を採用している。採用試験を通ったとしても、ハラスメントなどの記事はよく見かける。何かに長けた人は、きっと子供達にとってカリスマ的な存在に見えるはず。そんな人たちが、今子供達がなりたい職業がyoutuberから変えてくれると思う。 

 

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どの分野も試験を課しているものは、公平な試験をパスした人だけがその資格を得る というのが当たり前 

 

よく大学院にアスリートが行く人いますけど、文献をコツコツ読みあさり、論文を自分の手で書きまとめている人ってどのくらいの割合でいるのだろうか 

大学院は大卒でなくてもはいれるのでしょうか 

 

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教員免許を所有してますが、今も昔も教職課程を履修したところで、いじめを解決できるプロみたいなスキルは身につかないし、かと言って教科指導において無資格でもできる塾講師にも負けるような教員が多いです。 

これは学校の教諭・教師を見下しているのではなく「そういう専門の訓練は別に受けてないまま教員になる」現実があるのです。 

事実、皆さんも義務教育期間中に「あんな奴が教師でいいのか」と思わされるような先生にどこかで必ず出会ってきたと思います。 

 

五輪アスリートを招くのは「教育なめてる」という意見はごもっともですが、現行の教職課程に欠陥が多いこと、そして有能な人ですら現場に入れば業務の負担が多すぎて教育そのものに集中できない劣悪な環境が目立ち教師そのものが壊れるケースも目立つことを考えれば、新しい風を吹かせるのは悪くはないかもしれません。 

それより何より制度の改革が優先ですが、文科省は全く動きません。 

 

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いろいろな経歴の教員がいることは、生徒にプラスになることも多いと思います。 

 

でも、現職教員からすると、教育実習と、一般教養の試験くらいは受けて欲しいな・・・。お客様的に特別授業だけやってもらうとか、部活動指導員ならともかく、担任して、保護者と面談して、給食指導やって、分掌やって・・・と普通に働くなら最低限どんな仕事か知っておいた方が良いと思う。世間一般の人は(文科省の人も?)、皆学校を卒業しているから、学校について良く知っているつもりかも知れませんが、児童生徒や保護者に見えない色んなことがあります。(毎日コンビニで買い物しているからって、コンビニ店員の仕事を理解していることにはならないですよね。) 

 

それにしてもトップアスリートが、こんな地味で忙しくて文句言われてばっかでサービス残業てんこもりの仕事に来てくれるのかな。 

 

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オリンピックに出場する選手はその種目では突出した能力があると思うが、教員として指導できるかどうかは別である。体操選手は筋肉量が多いため、水の中では沈んでしまい、水泳は不得意な人がいるということを聞いたことがある。体育の教師は、その種目だけを教えればよいのではなく、いろいろな種目を教える必要がある。ましてや、小学校で教えるとなると、体育の指導だけでなく、他の教科の方が圧倒的に多くなる。教職をとっていない人、教育実習に行っていない人がすぐに教壇に立ってやっていけるものなのかはいささか疑問である。 

 

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非常勤で学科担当だったら別に良いのでは? 

教育学部を出ている先生で構成されている小学校は流石に難しいけれど、中高なら、いいと思う。 

当然、教える学科の知識と、教員課程終了か試験合格は必要だが。 

排他意識が強烈だね。 

先生の中にも正規採用になったことがない人もいて、免許を持っているだけでしょ。 

中高の教員免許取得だけなら、そんなに難しいことではない。 

本当に排他意識が強すぎる。 

 

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免許なしで教員は、違うと思う。ましてや正規教員として採用しようとするなら尚更。教員免許を取得しても何年も講師のまま努力しやっと正規教員採用され、頑張っている人もいるのに。アスリートでもキチンとしている人は自身で将来を見据えている。進学したり、し直したり、何をしたいのかも。 

 

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私は地方国立大学の教育学部を卒業して、学校現場で勤めていますが、それほど教育学部の講義で役立つことはありませんね。 

まず、大学の教員自体か教壇に立ったことがない方が多く、実際小中高高校の教員免許を持っていない方がほとんどですから。。 

児童心理学、指導方法論等、全て机上の論理でほとんど現場では役に立ちません。 

むしろ大学の座学よりも、学校現場で教員を煩わせない程度に実習したほうが学ぶことが多いと思います。 

現場教員の手を煩わせないというのは、指導案作成や実習日誌や文言評価、実習生向けの研修会を設けると、学校運営に支障をきたせるからです。 

現場教員の補助をしているだけで、随分勉強になると思います。 

教員も助かります。 

まあ、その大変さを目の当たりにして志願者が減らなければいいですが・・・。 

アスリートさんは、体育科と今課題の部活動指導に当たってくれれば助かります。 

 

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「まず教員免許を持ってる人間が教員になりたいと思える労働環境づくりが必要では?」という意見に賛同したいものであり、アスリートを免許なしで教員にするということは、他の教員試験に合格して教員免許を取得した人たちを蔑ろにするもので、益々教員不足が進む心配が出てくるものと想像されます。 

 

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例えば長嶋茂雄さんが小中学で、子供たちに野球を教えられるとは思えないんだよね…。 

オリンピック選手になるほどの選手は、もちろん並々ならぬ努力の積み重ねなんだろうけど、その根本に素質がある。 

普通の人は頭で理解できても、体が思うように動かせないのがスポーツ。極めるところまで到達できた人たちに、体を上手に動かせない人たちを理解するのは難しい。生徒と選手、両方に不幸だと思う。 

 

うちの子供は企業の実業団所属だけど、高校の時、同じ部の先輩や同級生にアドバイスを求められ、自分では当たり前だと思って言ったアドバイスが、実はコーチにも簡単にできないことだったらしいと困惑してた。 

当然、うちの子は絶対コーチになれない、なったら困ると、部員の中で意見が一致してた。 

 

 

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教職員の業務が多く、時間外労働になるため「部活動を教職員の業務から外して欲しい。」という意見が多い。 

その中で、体育の教科と部活動担当という。そのために「五輪アスリートに免許なしで教員」は、いかがなものだろうか? 

体育科の教員には、特定のスポーツを教えるだけではなく、その他の運動や保健体育の知識も教えなければならない。 

体育大学で、教員免許を取得してからでも遅くないのではないだろうか? 

教職員の質が低いと教員免許講習で散々教員を育成した大学で、同じようなことをする無駄なことをした訳だが、今度は、五輪アスリートには、そのようなことさえも考えずに免許を出すということなのだろうか? 

アスリートの次は、専門の知識を持つ人たちの免許なしの教員採用になりそうで心配である。そうなれば、教員免許そのものの意味もなくなって行くように思う。教育大学や教員養成大学がある意味も考えて政策を実行して欲しいと思う。 

 

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本当、何のための免許ってなる。 

あえて教員にする必要あるのかな。 

教員ではなく指導者になるにしても、それが相応しいかの試験のようなものはあってもいいと思う。 

勉強出来るけど人に教えるのは苦手という人がいるように、アスリートとして優秀でも指導者として向いてないこともあるだろうから。 

 

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なんの資格もいらない知名度だけの国会議員とは違います。 

四大短大通信教育で、教育や専門教科に関するさまざまな教科を学び、教育実習をこなし、その上で採用試験を突破した人が、教育現場に立つことが許されます。 

文科省は、この学生の努力をどう考えているのでしょうか。 

これらの学生の教育現場への道を狭くするのでしょうか。 

そして、その競技に努力を重ねてオリパラで活躍した選手を、安い給与のブラック職場に放り出すのでしょうか。 

オリパラ選手に対しても、学校現場の教職員に対しても、リスペクトはまったくありません。大反対です。せめて教員免許は必要です。 

 

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とある競技で日本一は10回ほど経験し 

世界選手権にも複数回出場し 

優秀選手にも選ばれています。 

そんな私は 

33歳で教員免許を取得した後 

指導者としても日本一に恵まれました。 

そして10年以上を費やし 

やっとこさ監督の立場になった高校教員です。 

 

難しいですよ 

教育現場は。本当に難しいですよ。 

 

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子供と接する以外の業務もあるしその場面では必要な専門知識がない訳で、正規の教員の負担になるだけじゃないかな。 

例えば、免許持たない教員は担任になることはないと思うが保護者対応とかどうなんでしょう。 

残酷だけど、努力すれば必ずかなうと言う呪文じゃなくて、かなわないこともある事を教えなきゃいけない場面も出てくるでしょう。 

 

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いつでもそうだが政権と文科省はまったく現場の意見を聞こうとしない。あるとき突然始まった免許更新制度、悪評にもかかわらず10年以上も制度が続き、突然、廃止が宣言された。一度法制度化されたら何が何でも10年は存続させないとメンツが保てないようだ。アスリートを教職員に?こんなの実現されたら、免許更新制度と同じく諸問題を連発しながらメンツのためだけに10年くらいは現場の声無視で続けられるだろう。現場は日々知恵を絞ってやっている。真政権と文科省は真面目に打開策を考えているのだろうか?そもそもこの20年で教育界を下げ続けてきた功罪に気づいていないのである。 

 

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専門性としてはとても魅力的だと思います。ただ、学校の体育はそれ以外の専門的な種目も教えるってなると違うかなーと思います。 

クラブチームの方がより実用的かと。 

それに、教えるだけが教員の仕事ではないですからね。保護者対応や生徒トラブル対応など様々なスキルは必要とされます。そこまで考えてらっしゃいますか? 

 

=+=+=+=+= 

「夢授業」と言って、教育現場では様々な分野で活躍している人を学校へ招いて講義をしてもらっている。 

もちろん教職免許があるかないかを問わない。 

それに教職免許は単位を履修し申請すれば取得できるものであり、教育に熱意を持っている者であれば、取得は困難ではないだろう。 

五輪アスリートを採用後、後追いで単位指導すれば、さほど問題は無いと思うが………。 

いずれにしても熱意の問題。頭から否定するのは良くないと思う。 

 

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特別扱いをするべきではないです。 

勝利至上主義になってしまう危険性もあるので、反対です。 

現役の時に教員免許を取るべきだと思います。 

勝ち負けではない、スポーツの楽しさも伝えることも大切なことです。 

 

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オリンピアンは、一流の競技者だが、体育教師や部活の指導者として、1流かどうかは分からない。 

 

名選手名監督にあらずとよく言われる。 

 

それに卓球のメダリストが、バドミントン教えることはできないし、小学校では体育で卓球はないです。マット運動や鉄棒も教えるし、鬼ごっこやドッチボールをしないといけない。 

 

競技の専門性を活かせる場はかなり限られる。昔は国体が地元に来ると急に体育教師の採用が増えていた。ちゃんと免許も取らないと免許更新忘れて、失職し、生徒が補習を受けた件との整合性が取れない。 

 

トップが思いつきでペラペラ喋っていたんでは、教育の未来はない。もしこれが考えられて出されたものなら、日本の教育終わった… 

 

 

 
 

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