( 214373 ) 2024/09/22 16:54:21 0 00 by Gettyimages
コメ不足が混乱をもたらしている。備蓄米はこうした時にこそ放出すべきだが、政府は応じない。放出すると米価が低下し、米作農家の所得が減るためだ。政府の米作政策の基本は、米価を高く維持することで米作農家の所得を保証するというものだが、その基本構造が破綻している。
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夏の終わり頃から米不足が問題となっている。スーパーに行くと、棚に米がない。あっても、「家族1パックにしてください」との貼り紙.慌てて米穀店に電話をかけまくってみると、状況は厳しい。 調査によると、 問題なく仕入れている米穀店は15%しかなく、「仕入れ量が少ない」が66.4%、「できない」が18.6%だという。
家庭の食卓では、子供たちが「今日もまたパン。ご飯が食べたい」と不満を言う。
飢餓状態というほどの深刻な食料不足になっているわけではないし、9月中旬からは、新潟県の農協がコシヒカリを県外に出荷するため、品薄は解消に向かうともいわれている。ただ、全国の家庭に不安と不満をもたらしていことに間違いはない。そして、同じような事態が、来年も起きると予測されている。
これについて誰もが不思議に思っているのは、政府は備蓄米を保有していることだ。
今年の6月末の時点で91万トンと、1600万人が1年間食べられる量を、緊急の用途に必要なものとして備蓄している。
だから、今回のようにコメ不足になったら、政府が備蓄米を放出すれば良いだろうと、多くの人が考えている。ごく当然の考えだ。備蓄米とは、まさにこうした事態でこそ活用すべきものだ。そうすれば、米騒動も一気に収まるだろう。大阪府の吉村知事も、政府に備蓄米の放出を求めている。
ところが、政府はこれを認めないのである。
認めない理由は、備蓄米は緊急の事態に対応するためのもので、今回のような状況ではその要件を満たさないからだと言う。つまり現在の状況は、不足ではないという判断だ。
では、備蓄米を今回のような事態に使わず、備蓄を続けると、どうなるのか? 5年間は倉庫に保存される。そして5年経つと、家畜の飼料などに使われるのである。
これを知ると、唖然としてしまう。米不足の世の中には放出せずに、5年間費用をかけて後生大事に保存し、その挙句に家畜の飼料に使うとは!
しかも、このように処分されるために、費用がかかる。年間約500億円程度の財政負担が生じる。それは当然国民の負担になる。
人間は望むだけの米が食べられず、多額の費用をかけて、家畜の飼料にするために備蓄するというのは、どんなブラックジョークも敵わない高度のブラックぶりだ。
備蓄米を放出しないもう一つの理由として挙げられているのは、備蓄米を放出すると米の価格が下がってしまうということだ。
これには2つの意味がある。第一に、今年産米については、農家などに支払う金額の 概算額がすでに決まっており、仮に放出して価格が下がると、混乱が生じるというものだ。
確かにそうかもしれないが、これはそれほど重要な理由だとは思えない。
より大きな問題は、米の市場価格が傾向的に下がることである。これは、農水省の基本方針に反するものなのだ。
実は、この点こそが、現在の米問題の根源なのである。これについて、以下に説明しよう。
米作農家の所得を保証するために、農水省は生産を制限し、米価を引き上げる方策をとってきた。
衰退産業の所得を保証するためには、基本的に2つの方策がある。第一は、米価の場合にそうであるように、市場価格を何らかの方法でコントロールし、収入を保証する方法だ。
第二は、市場価格はマーケットの決定に任せ、所得を直接に保証する方法だ。
経済学の基本的な立場は、第1の方策をとってはならず、所得保証は第2の方策によるべしというものだ。
このように考える理由は、市場価格をコントロールすると、価格が資源配分のための適切な指標にならず、そのため、最適な資源配分が実現されないということである。
生産性が低いために所得が低下する衰退産業に対する措置についての経済学の基本的な原則は、「価格を操作することによって救済してはならない」ということだ。価格はマーケットに任せ、救済が必要であれば、直接的な所得保証によるべきだ」とする。
ところが、米作に関しては、この原則を犯す制度が、ずっと昔から行なわれてきた。
生産者米価を消費者米価より高く維持し、それによって農家の所得を維持しようという政策だ。本項の最初に述べたコメ不足をめぐる混乱の原因も、所得保証を価格操作を通じて行おうとしていることから生じている。
直接所得保証によらず、価格をコントロールすることによって間接的に所得を維持しているという意味で、経済学の基本原則に反する典型例となっているのだ。
米の市場価格を高く維持するためには、米の生産量を制限しなければならない。これは「減反政策」と呼ばれてきたものだ。1971年から本格的に始まり、2018年まで続いた。
米の生産額を削減し、代替的な作物の生産を進める。この結果、米の価格は3年前の水準から約5割も上昇した。
しかし減反政策をとっているために、米作の大規模化や機械化が十分に進まず、労働生産性が上がらない。家族規模の小規模な米作から脱却できないのだ。
2024年米については、価格が高騰するとも言われている。しかし、本来であれば、減反政策が終了したのだから、生産が増加してもよいはずだ。それにもかかわらずな供給不足が予測されるのは、誠に不思議な事態だとしか考えられない。
また、米価が高騰すれば、消費者のコメ離れをもたらすだろう。だから、米の需要が長期的に減少するのは避けられない。
市場メカニズムを無視した政策がいかに困難な問題をもたらすかを、この事例は典型的に示している。
経済学の基本原則を無視して市場価格に介入する政策は、日本では他にも行われている。
コロナ禍で会食や旅行者が急減したため、飲食店や旅館の収入が激減した。これに対処するため、政府は、Go To キャンペーン政策を導入し、旅行や飲食費用を補助した。本来であれば、価格に介入するのでなく、事業主体への補助金を支出すべきだった。
また、2022年にロシアのウクライナ侵攻をきっかけとして原油源価格が上昇し、ガソリン価格が上昇したため、ガソリン代補助策が導入された。さらに、電気・ガス代についても同じように、価格のコントロールが実施された。
家計を補助する必要があるのなら、価格をコントロールするのではなく、家計に直接補助する政策が必要だ。
野口 悠紀雄(一橋大学名誉教授)
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