( 214673 )  2024/09/23 16:28:06  
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「バリバリの金融実務家であった私が、わからないことがあれば一番頼りにし、最初に意見を求めたのが山本謙三・元日銀理事です。安倍元総理が、もし彼がブレインに選んでいたら、今の日本経済はバラ色だったに違いない」 

 

【写真】財政規律の厳しい国だった日本は、いまや世界最悪レベルの借金大国に! 

 

元モルガン銀行・日本代表兼東京支店長で伝説のトレーダーと呼ばれる藤巻健史氏が心酔するのが元日銀理事の山本謙三氏。同氏は、11年にわたって行われた「異次元緩和」は激烈な副作用がある金融政策で、その「出口」には途方もない困難と痛みが待ち受けていると警鐘を鳴らす。 

 

財政ファイナンスに酷似する日銀の国債買い入れによって財政規律は弛緩し、予算の膨張に歯止めがかからなくなった。異次元緩和の終了による金利上昇によって、今後、国債の利払い費の急増が予想される。はたして、世界最悪レベルにある日本の財政は持ちこたえることができるのか。 

 

※本記事は山本謙三『異次元緩和の罪と罰』から抜粋・編集したものです。 

 

写真:現代ビジネス 

 

ニューヨーク・マンハッタン島の中心地に、借金時計(National Debt Clock)と呼ばれるデジタル表示の時計がある(写真)。米国の国家債務の総額が、時間の経過とともに増えていく様子を示す時計だ。 

 

1980年代末に民間人が国の債務の増加を懸念して設置したという。設置の場所は何回か変わったが、今も時を刻む。だが、時計が示す米国の借金は増え続け、減少に転じる気配はない。日本でも、インターネット上の個人サイトなどに、日本の借金時計を見つけることができる。 

 

この手法を用いて、2023年度までの過去11年間の借金時計を計算すると、日本政府の借金残高(国債および借入金)は1分当たり約5300万円の増加となる。凄まじいスピードだ。スピードが緩み、マイナスに転じる気配は見られない。 

 

国の借金は子や孫の世代に引き継がれる。まだ生まれていない将来世代が、今の私たちを眺めることができるならば、何というだろうか。 

 

 

写真:現代ビジネス 

 

IMF(国際通貨基金)のデータによれば、日本の一般政府(国および地方)の総債務残高対GDP比率は257%(2022年実績見込み、図表4-1)と際立って高く、OECD諸国中、断トツの第1位にある。世界全体でみても、比較可能な約190の国・地域の中で第2位の高さにある。ちなみに、第1位はレバノン、第3位はスーダン、第4位ギリシャである。このうち200%を超えるのは、レバノンと日本だけだ。終戦直前期の総債務残高の対GNP(国民総生産)比率が約200%だったとされているので、数字の上では、現在の日本は、それよりも悪い財政状況にある。 

 

OECD諸国中第2位(世界でも第4位)のギリシャとの差も、最近は広がっている。2010年代に深刻な債務危機に苦しんだギリシャの同比率は、2020年に210%を超えたあと、財政再建が奏功し低下に転じており、22年には179%と、2010年代半ばの水準まで低下した見込みである。一方、日本の同比率は、新型コロナ対応で一段と高まったあと、他の先進国とは違って明確な低下に転じる気配がない(図表4-1)。 

 

なぜこのようなことになってしまったのか。財政赤字と財政規律の系譜を振り返ってみよう(図表4-2)。もともと日本は財政規律に厳しい国だった。1960年代半ばに戦後初めて国債が発行された際も、発行は建設国債に限っていた。国債は、返済負担を将来の世代に課すものである。国債発行で賄った資金を道路や橋などの社会インフラ整備のために使うのであれば、子や孫の世代も恩恵を受ける。したがって、建設国債であれば、将来世代に一定の返済負担を課すことも許されると考えられたものだった。 

 

しかし、1975年度になると、特例公債、いわゆる赤字国債が発行されるようになった。第1次石油危機後の景気の落ち込みに対し政府は減税を行い、歳入不足を赤字国債で賄った。当時赤字国債は緊急避難として認識され、並行して「1980年度までに赤字国債から脱却する」との財政健全化目標が掲げられた。しかし、目標はなかなか達成されず、達成時期の先送りが続いた。 

 

1980年代に入ると、鈴木善幸内閣は「増税なき財政再建」を掲げ、行財政改革への具体策を積極的に論じるようになった。第2次臨時行政調査会(会長の土光敏夫氏の名をとって「土光臨調」と呼ばれる)が改革の象徴的な存在となり、いわゆる三公社──日本国有鉄道、日本電信電話公社、日本専売公社の民営化などが推進された。 

 

1982年に政権を継いだ中曽根康弘内閣も財政再建路線を踏襲し、予算の総額抑制の方針を明示した。この間、増税なしでの財政再建は難しいとの見方が強まり、続く竹下登内閣のもとで3%の消費税が導入された。こうした経緯を経て、1990年度の当初予算でついに「赤字国債からの脱却」を実現した。 

 

 

だが、長続きはしなかった。バブルの崩壊から税収の落ち込みが顕著となり、1994年度から再び赤字国債が発行されるようになった。1996年に政権の座に就いた橋本龍太郎内閣は、翌年に財政構造改革法を成立させ、財政健全化目標を法定化するとともに、社会保障関係費や公共投資関係費の量的削減目標を設定した。しかし折からの金融危機もあり、同法は1998年に早くも施行停止に追い込まれた。 

 

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2000年代に入り、財政健全化目標は「赤字国債の脱却」から「基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)の黒字化」に書き換えられた。小泉純一郎内閣は「聖域なき構造改革」を掲げ、郵政事業や道路公団の民営化を主導した。一連の改革は、歳出の肥大化に一定の歯止めをかけることに成功したが、歳入の減少を食いとどめるには至らず、財政収支の悪化が続いた。 

 

2011年の東日本大震災後に政権を担った民主党野田佳彦内閣は、財政再建に積極的に取り組んだ。復興支援のために巨額の事業を行う一方で、東日本大震災復興特別会計を創設し、支出と収入の一元管理を行った。国債の一種である「復興債」を発行しつつ、償還財源に新たに導入した復興特別税と政府保有株式の売却収入を充てることを決めた。復興債は、2037年度までに全額償還される予定にある。 

 

また、野田政権は5%の消費税率を8%、さらに10%へと段階的に引き上げる法案を成立させるとともに、「社会保障・税の一体改革」に関する三党合意を取り付けた。しかし、2012年冬の総選挙で自民党に敗れ、政権を去った。 

 

2012年末に野田政権のあとを継いだ第二次安倍晋三内閣は、法律に従い、2014年4月に消費税率を5%から8%に引き上げた。しかし、当初2015年秋に予定していた10%への引き上げは先送りし、結局4年後の2019年10月に実現させた。同時に「機動的な財政運営」を掲げ、積極的な拡大路線を展開した。 

 

財政健全化目標の「基礎的財政収支の黒字化」の達成時期も、2020年度から2025年度へと先送りされた。さらに2020年度には新型コロナの感染拡大を受け、175兆円という巨額の予算(三次補正後)が組まれた。政権は2020年秋に菅義偉内閣へ、さらに翌21年秋には岸田文雄内閣へと受け継がれたが、毎年度多額の予算が組まれ続けてきた。 

 

岸田政権は、2024年の経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)に、「25年度の基礎的財政収支の黒字化を目指す方針」の堅持を明記した。ただし、大事なのは当初予算よりも、補正後の実績としての財政収支である。このところ当初予算を抑制気味に設定したのち、多額の補正予算を追加するやり方が常態化しており、真の財政運営は実績値をみないと分からない。 

 

 

写真:現代ビジネス 

 

新規国債の各年度の発行額を示したのが、図表4-3である。見て取れるのは、「階段状に発散する」財政赤字の姿だ。 

 

新規国債(年金特例債、復興債などを含む)は、1990年代前半の年10兆円前後から、1998年度から2000年代前半にかけて年30兆円台へ、その後、2009年度に52兆円に膨らんだあと、2010年度から13年度にかけても年40兆円台が続いた。さらに2020年度から22年度の3年間は、年平均72兆円へと飛躍的に増大した。 

 

2023年度の新規国債発行額(建設国債〈4条債〉および赤字国債〈特例債〉)は、当初予算では2019年度並みの36兆円まで圧縮されたが、秋の補正予算による積み増しで計44兆円に拡大した。 

 

多くの政権が財政再建に取り組んできたが、それでも財政赤字の拡大に歯止めをかけることはできなかった。アベノミクスを唱えた第二次安倍政権以降は、政治の場で財政再建が真剣に語られることも減った。政治には財政支出拡大への慣性がある。 

 

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財政収支をもう少し深掘りしてみよう。財政収支の悪化の底流には、高齢化を背景とする社会保障費の増大がある。同時に、ここで注目したいのは「危機への対応」をきっかけとする支出拡大の慣性である。 

 

前掲図表4-3が示すように、日本では「100年に一度」と呼ばれる危機が起きる都度、大量の国債が発行され、危機収束後も十分に圧縮されないまま、次の危機を迎えてきた。 

 

この「100年に一度の危機」が、近年は10年に一度に満たない頻度で起きている。2008~09年のリーマンショックは、当時のリスク管理の理論モデル上100年に一度しか起きない金融リスクが顕在化したといわれた。2011年の東日本大震災は、国内観測史上、最大規模の地震だった。2020年からの新型コロナは、世界の死者数が、感染症としてスペイン風邪以来約100年ぶりの水準に達した。 

 

個々の事象は100年に一度であっても、社会全体で見れば、しばしば起きる事象の一つだ。ならば、その理解と覚悟をもって、あらかじめ危機の想定を広げ、被害と支出を最小化する準備が必要である。 

 

そうは言っても、すべてのリスクと被害を予測するのは難しい。したがって、危機時の財政出動はやむをえない。だが、その際には将来の国債償還の道筋を明確にしたうえで、是非を判断するのが肝心である。危機時にこそ、場当たり的な対応とならないよう、冷静な判断が求められる。それが政治の仕事のはずである。 

 

しかし現実は、「危機」という名のパニックのもと、償還財源を問うことなく巨額の国債が発行されてきた。こうなると、収束後に財源議論を蒸し返すのは難しい。選挙が意識される政治の世界では、いったん昇った階段を降りるのは至難の業だ。 

 

前述のように、2023年度の新規国債発行額(建設国債および赤字国債)は当初予算で約36兆円と、2019年度並みの水準に圧縮されたが、秋の臨時国会で大規模な経済対策が盛り込まれ、補正後の新規国債発行の合計額は結局約44兆円となった。危機の収束とともに、いったんは危機前の水準に戻るかに見えた新規国債の発行だったが、やはり階段を一段昇ることになった。 

 

政治には「危機への対処」をテコに支出拡大に向かう慣性がある。財政支出の拡大は選挙民に分かりやすく、手っ取り早い集票の手段として利用される。これまでは投票率の高い高齢層や、国民の多くが働く中小企業に向けた財政支援策が、多く盛り込まれてきた。そこに、防衛予算や少子化対策が追加された。このままでは、財政赤字は拡大が続くばかりだ。 

 

こうした情勢のもとで、日銀は異次元緩和と称して大量かつ長期にわたり国債を買い入れてきた。政府はみずからの資金繰りを心配する必要がなくなり、金利もゼロ近傍で資金調達できるようになった。金利がゼロであれば、いくら借金を重ねても、当面は懐が痛まない。支出を拡大しようとする政治の世界にとっては、これほど有難い状況はなかったわけである。 

 

*本記事の抜粋元・山本謙三『異次元緩和の罪と罰』(講談社現代新書)では、異次元緩和の成果を分析するとともに、歴史に残る野心的な経済実験の功罪を検証しています。2%の物価目標にこだわるあまり、本来、2年の期間限定だった副作用の強い金融政策を11年も続け、事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日本銀行の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか。 

 

山本 謙三 

 

 

 
 

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