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人の命奪う死刑制度、国際社会からは批判の声 決して一様ではない被害者遺族たちの思い

共同通信 9/23(月) 18:01 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/4b667ec957b128d6ecbce7e21e8d686594acdc03

 

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磯谷富美子さんは、娘を殺害された事件で死刑反対を主張しており、死刑の代替刑として終身刑を提唱しています。

被害者遺族の一方である元警察官の土田猛さんも人の命を奪うと死刑という考え方を支持しています。

一方、片山徒有さんは、犯罪を犯した人も更生の機会を与えるべきだとして死刑に反対しています。

国際的な視点からは、死刑を廃止するよう求める声もあります。

日本の死刑制度については、様々な意見が存在し、被害者の心の回復や社会の安全を考えながら議論が進められています。

(要約)

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磯谷富美子さん 

 

 「愛する家族の命を奪った加害者に対しても、死刑反対と言えますか」 

2007年に起きた闇サイト事件で、当時31歳の長女を殺害された磯谷富美子さん(72)は訴えた。 

 車に拉致、監禁され、現金を奪われた上、ロープで首を絞められて山林に遺棄された。「娘は、本当にむごい殺され方をしました」。3人の男に暴行されて無残に命を奪われ、変わり果てた姿となった娘に対面した時のことを語る磯谷さんの言葉に、会場は静まりかえった。 

 ただ、被害者の考えは決して一様ではない。死刑制度を維持する日本に対して、国際社会からは厳しい視線も向けられている。(共同通信 佐藤大介) 

 

 2024年7月4日、東京・霞が関の弁護士会館で行われた「日本の死刑制度について考える懇話会」の会合。磯谷さんは犯罪被害者遺族の立場から死刑に関する意見を述べるため参加した。 

 事件では関わった男3人のうち、主犯格の男は死刑が確定して2015年に執行され、残る2人は無期懲役となった。 

 出席者に向かって磯谷さんは「むごい内容をお話ししたのは、死刑反対と軽々しく口に出してほしくないからです」と、言葉を続けた。「残された遺族が前を向いて生きていくためにも、死刑は必要なのです」と力説し、死刑の代替刑としての終身刑導入には「被害者遺族が支払う税金も彼らの生活の足しになってしまう」と批判した。 

 死刑判決は実質的に、「誰かの生命を奪ったこと」の結果として下されている。そこには被害者がいて、その被害者には家族や親族といった遺族がいる。 

 磯谷さんをはじめ、殺人事件の被害者らでつくる「宙(そら)の会」特別参与で元警察官の土田猛さん(76)は「人の命を奪えば、命をもって償うべきだ」とし、殺人罪には死刑適用を原則とするよう求めている。「人を殺せば死刑というのが日本文化。犯罪の抑止効果も大きい」。そのためにも死刑制度は不可欠だと、土田さんは強調する。 

 残された被害者遺族にとって、加害者への怒りは当然の感情だ。「犯人は死をもって償うべき」という遺族の訴えに、共感する人は少なくないだろう。 

 2019年の内閣府による世論調査では「死刑もやむを得ない」と答えた人が8割に上り、そのうちの6割近くが、理由として「被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」ことを挙げている。 

 

 

片山徒有さん 

 

 一方で、1997年に8歳の息子をひき逃げ事故で亡くした片山徒有さん(67)は「どんな罪を犯した人でも更生し、社会の中で果たすべき役割がある。厳罰ではなく、同じような被害者を出さないことが一番の望み」と述べ、死刑には反対の考えだ。被害者遺族の立場から、懇話会にも委員として参加している。 

 片山さんは2000年から刑務所や少年院で「被害者の視点」を語るようになった。受刑者との対話を重ねる中で、自らの罪と向き合うなどの変化が見えるという。「悲しさと苦しみの中で犯人を許せないと叫ぶ被害者像が、メディアを通じてつくられている。しかし、被害者は変わり得る存在であり、それは加害者も同じだと思うのです」 

 「殺人の被害者遺族と交通事故の遺族では、立場が違うかもしれない」。片山さんはそう思いながらも、家族の命を突然奪われた悲しみや怒りを同じ被害者遺族として共有し、手を差し伸べたいと考えている。それだけに、被害者遺族の感情や不安をいたずらにあおり立てる風潮には違和感を抱く。 

 罪を犯した人を死刑にしてしまえば更生はできず、なぜそうした事件が起きたかを社会が知る機会も永遠に奪われてしまう。 

 「犯罪は社会の痛みそのもの。再び起こさないために、時間とコストをかけてでも加害者と向き合うことが必要で、それが被害者の心の回復にもつながります」。片山さんは、そう信じている。 

 

英NGO「死刑プロジェクト」の共同設立者ソール・レーフロインド氏 

 

 死刑制度を維持し、死刑執行も続けている日本に対して、見直しを強く求めているのが欧州の国々だ。EUは基本権憲章で「何人も死刑に処されてはならない」と規定し、EUを離脱した英国も死刑を廃止している。欧州で死刑が残るのはベラルーシだけだ。 

 英非政府組織「死刑プロジェクト」の共同設立者ソール・レーフロインド氏は「日本は世論を理由に死刑を続けるべきではありません」と話す。英国は1969年に死刑を廃止したが、当時は8割近くの世論が死刑を支持していたという。 

 日本の世論調査でも死刑を支持する回答が多数を占めている。だが、レーフロインド氏は「情報がほとんど公開されていない中での調査は不十分です」と指摘し、政府から独立した国際的な専門家が調査を行うべきだと提案した。 

 死刑よりも必要なことは「被害者への精神的・経済的なサポートの充実」とし、死刑によって国際的な日本の評価が低下することを訴える。 

 

 

ジュリア・ロングボトム駐日英国大使 

 

 また、2024年8月29日に懇話会で意見を述べたジュリア・ロングボトム駐日英国大使は「英国政府はいかなる場合でも死刑には反対の立場です」と明言し、その理由として3点を挙げた。 

①死刑が人間の尊厳を奪うこと 

②死刑が犯罪を抑止する決定的な証拠がない 

③冤罪の場合は取り返しのつかない事態になる 

 ロングボトム氏は、日英は人権など共通の価値観を尊重しているとしつつ、日本が死刑制度を維持していることが世界の中で目立っていると指摘する。「残念なことに死刑存置国という観点から見ると、日本は中国、北朝鮮、シリア、イランなどの国と同じグループに入ってしまいます」 

 ロングボトム氏は、死刑制度があることにより「日本が掲げる人権外交の理念と行動の間に、どうしても隙間があるように感じてしまいます」と、苦言を呈した。 

 

鈴木貴子氏 

 

 こうした国際社会からの視線に、自民党の衆院議員で外務副大臣も務めた鈴木貴子氏(38)は、日本に死刑制度があることよる外交上の懸念を抱く。日本が覇権国家を批判しても、死刑があるため「同盟国からは、価値観のダブルスタンダードに映る」と指摘する。 

 国際人権団体アムネスティの2023年の統計では、死刑執行が10年以上ない国なども含めると、死刑を廃止したのは144カ国で、日本は少数派だ。 

 「日本は同盟国に対して『価値観を共有するパートナー』と強調するけれど、死刑については全く共有できていないことが多い」。鈴木氏は、超党派の「日本の死刑制度の今後を考える議員の会」で事務局次長を務め、死刑に批判的な立場を取る。 

 「死刑は外交や安全保障に関わる重要な国政のテーマだ」と、議論の必要性を強調する。だが、国会での動きは低調なのが実情だ。 

 

共同通信 佐藤大介 

 

 海外の人たちと話をする中で、死刑制度について話題が及ぶと、日本に死刑制度があり絞首刑が続いていることに驚かれることが少なくない。「安全な国」との印象がある日本で死刑が行われていることに加え、絞首刑は残虐であるとのイメージが強いからだ。 

 日本のほか、米国の刑務所での取材経験が豊富な映画監督の坂上香さん(59)は「米国人にとって絞首は、黒人へのリンチや公開処刑を想起させ、死刑賛成派でも抵抗を覚える」と言う。「150年以上も絞首刑のままで、執行の詳細が伏せられていることに、なぜ社会的に議論されないのかと不思議がられる」とも語る。 

 日本で死刑を語るとき、犯行の残忍さと厳罰を求める被害者遺族感情に焦点が当たりがちだ。磯谷さんの怒りや悲しみは想像に絶すると思うが、片山さんのような加害者の更生を求める考え方もある。どちらが正しいという答えはない。国際社会の視点や被害者遺族にどういった支援の手を社会が差し伸べるかを考えながら、議論を進めていくことが必要と痛感した。 

※この記事は、共同通信と Yahoo!ニュースによる共同連携企画です。 

 

 

( 214752 )  2024/09/23 23:54:29  
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この文章群からは、日本国内での死刑制度を維持する意見が多く見られます。

日本の死刑制度を批判する国際的な視点についても触れられており、一部の人は欧米の死刑なしの方針との比較や、死刑執行における慎重な姿勢を強調しています。

また、被害者や遺族の感情や社会的な安全を重視する意見も多く、「命には命を」という立場が多く示されています。

他方で、冤罪や裁判の公正さ、処遇の人道性に対する懸念もあり、警察や司法制度の問題点に触れる声も見られます。

最終的には、日本人の文化や考え方、犯罪に対する厳格な姿勢が、死刑制度を支持する理由として示されています。

 

 

(まとめ)

( 214754 )  2024/09/23 23:54:29  
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=+=+=+=+= 

欧米では、魔女裁判や人種差別故に多くの無実の人たちを処刑してきた黒歴史があるから余計そう思うだろう。冤罪だったら困るというのはその裏返し。 

逆に欧米であれば、殺人の現行犯などは裁判もなしにその場で射殺されて終わることもしばしば。 

死刑の運用を慎重に行ってきた日本とは異なる。 

冤罪を防ぐというのであれば、すべての証拠を検察が独占するのではなく、弁護側にも全て公開し公平性を確保するなどすればいい。 

 

=+=+=+=+= 

三人の容疑者に殺意を持って惨殺された殺人事件の被害者と、ひき逃げ事故の犠牲になり亡くなった犠牲者とで、同じに並べるのは正しいのかね。何度も繰り返し轢いて人の形状をとどめないまでやり尽くしたなら分かるけど、監禁され恐怖の底に落とされ現金を奪われ絞殺され遺棄された事件と並べて、こっちは同じ遺族なのに死刑反対です、というのはフェアな記事なんだろうか。 

捜査中に抵抗したら銃器を使って制圧することもあるしそのせいで容疑者側が犠牲者になる場合があります、くらいまで日本の警察の運用が変わらないと欧米と同じ土俵にならないんじゃないかしら。彼ら死刑制度を廃止していても、逮捕前に射殺したりしてますよね。あれ日本ではやってないと思うのですよ。 

 

=+=+=+=+= 

日本は死刑判決が出ても法務大臣の意向で直ぐには執行しないため長く留置されて病死する受刑者がいる死刑制度は宗教などの影響で世界的に廃止する国が多いが日本人の意識は殺人罪は死を持って償うのが歴史的に続いているが遺族の心情を大切にする日本人の考えは間違ってないと思います、犯罪抑止にも大きな意義があると思います、アメリカなどのように銃社会では殺人を犯さなくても抵抗するだけで射殺する国も多い日本は凶悪犯であれ先ずは逮捕して裁判を受けさせ適正な償いを与えるのが人命尊重の基本だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

自分の身内、特に配偶者や子が、何かしらの事由により亡くなったことに対する悲しみや苦しみに変わりは無いのだろう。 

しかし、どのように亡くなったのかによって、遺族の心情は大きく変わると思う。 

ひき逃げで亡くなった身内がある方と、拉致監禁、暴行により亡くなった身内がある方とでは、被害者である身内への感情は同じでも、加害者に対する心情は大きく違うと思う。 

 

=+=+=+=+= 

死刑制度自体は必要なものとの認識でいますが、執行日までの期間が人によって違うということが、人権的な観点からの問題になっているように思います。刑事訴訟法では判決確定から原則6ヶ月以内の執行を明記していますが、実際は様々な理由から長引く傾向にあるようです。 

いつ死ぬか分からないという大きな心理的負担を抱えながら、人によっては何年も生かされる事が、単なる死以上に本人を苦しめることになるでしょう。耐えられずに自死を選ぶことも許されず、死に怯えながら余生を過ごす苦痛。それらを含めての刑だとする声もあるでしょうが、それならば期間についても量刑との明確な整合性が説明できるものであるべきだと思います。 

死刑制度について外国からの批判が大きいようですが、当の日本国民が死刑をどう思うかが最重要です。その価値観は時代によって変化しうるものだとすれば、絶えず広範な議論を続けていく事が求められていると思います。 

 

=+=+=+=+= 

欧米では死刑制度はないけど、警察官が犯行現場で犯人を射殺する事例は多いですね。日本の警察官は、どんな凶悪犯でも発砲もしませんね。 

日本と欧米、どちらが犯罪者の人権を重視しているのでしょうか?。 

日本が何でも欧米に習う必要はないと思います。死刑制度は必要だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

こうした法的にのみならず、人々の安全、安定に危害を与えかねない者には、法において与えられる最大限の刑罰が必要だと思います。 

もしそれが出来ないのなら、法のあり方が問われるでしょうし、法の抑止が働かない社会では、再犯や模倣犯にも憂慮しなければなりませんし、捕まった者が自分の行った行為に関して、一生涯をかけて後悔するような刑罰を与えられるような法と司法でなければ、同じようなことが繰り返されてもおかしくないとは思います。 

 

=+=+=+=+= 

先進国で死刑制度が残る国は非常に少ない、さらに残虐と言われる絞首刑はもっと少ない。家族を殺された悔しさは日本人だけのものではないのにだ。さらに国内で殺人事件が起こる度に死刑制度の抑止力にも疑問が残る。被害者感情なら死刑を望む気持ちも理解できるが、「希望されるなら執行現場をご覧になりますか?」と問えば多くは「ノー」だと想像する。それほど死刑執行に関わる人の負担と負荷が大き良いことを意味している。 

凶悪犯罪者への私の考えは、殺して楽になどさせない、生涯苦しめ。と思ってます 

 

=+=+=+=+= 

死刑反対派がいるのは確か。しかし、死刑がなくなればその犯人はどうやって生きていくのか?無期懲役であれば、若ければいつか社会に出て来るだろう出てきたら、また同じ罪を犯すという可能性は多大にある。だから終身刑か?私達の税金でその犯罪者を死ぬまで面倒見るなんてまっぴらごめんです。被害者やそのご家族の気持ちを少しでも思いやることが出来るのなら、死刑反対とは決して言わない。反対派には思いやりがないのだろうなと私は思う。 

 

=+=+=+=+= 

そうですね。自分も死刑は無くすべきではないと思う。凶悪犯罪は書籍になったりして読む機会があるが、自分の家族が 自分の子供が と思うとやはりこの遺族の方と同じ意見になります。国や司法が加害者を擁護するなら自分が仇を取ると なるかもしれない。何の落ち度もない人をなぶり殺して許せるほど自分は尊大な人間ではない。 

 

 

=+=+=+=+= 

死刑制度は必要なものだと思います。 

欧州からの批判などと書いてありますがスイスなど尊厳死のある国もあり、批判されている立場で他国の制度への批判はいかがなものか。 

人の生死に関することには賛否あるものですが、私自身は死刑も尊厳死も必要なものだと思いますし、他国からの希望者にも対応してくれた尊厳死に関しては素晴らしい制度だと考えますので批判なんてする気もありません。 

死刑制度に関しては、死刑確定犯の犯罪の重さを考えれば仕方が無いと思います。 

 

=+=+=+=+= 

ヨーロッパは人権先進国のようなことを言っているけど、移民問題(肌の色)等で、日本以上に極右的な考えの人も多い。日本の死刑制度は抑止力として必要。彼らはジレンマに陥っている。死刑制度を適用しないからと言って、色々な違いから引き起こす凶悪犯罪を減らす根本的な解決策は見出せていない。 

 

=+=+=+=+= 

日本の刑法の在り方については日本人が決めることで、外国からの内政干渉は排除すべきだ。日本の世論は、死刑制度の維持・存続が多数を占めており、今後もこの方向で進めるべきだ。一部の死刑制度廃止論者が外国勢力と結託して、外圧によって日本の死刑制度の廃止を企んでいるようだが、世論を無視するこのような非民主的なやり方は容認できない。この記事もその一部と思われるが、このような意見が出てくるたびに死刑制度の存在意義を改めて声を大にして申し合わせる必要がある。外圧に影響されて日本の世論が間違った方向へ誘導されるのは断じて防がなければならない。 

 

=+=+=+=+= 

国際社会からの批判と言うけどいつもの一部の声の大きい人達の声ではないんでしょうか。無期に懲役をさせるのは不謹慎かもしれないけど税金の無駄だと思う。凶悪な犯罪を犯して衣食住困らずのうのうと人生を謳歌させるのは被害にあった方や事件被害者や被害者遺族のことを考えたら考えられないんじゃないんでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

個人的には死刑は廃止してはいけないと思う。 

犯罪の抑止力にもなると思うし、殺人事件の場合、犯人は人の命を奪っておいて自分は死にたくないとか言えた立場じゃないと思っている。 

遺族からしても家族の命が奪われたのに、加害者は何年かしたら普通に世間に戻ってるなんて考えられないでしょ。 

もちろん事件は一律じゃないから裁判があるのであって、その正常な判断はそれぞれの裁判で裁いてもらうのだが、もし何の落ち度もない方が殺されてしまうような事があれば、裁判官は遺族に寄り添う判決をしてほしいと思う。 

 

=+=+=+=+= 

それなら死刑廃止国の国民は皆死刑に反対しているのだろうか?絶対にそんな事は無いはず。日本の様に死刑存知国(但し、2年以上執行されておらず廃止国になりつつあるが)でも死刑反対派がいるのと同じで、廃止国だって復活を望んでいる国民は一定数いるはずだ。とにかく、死刑は絶対に必要。死刑になりたくなければ、そんな重罪を犯さなければいいだけの事。 

 

=+=+=+=+= 

イギリスがやってるからEUがやってるからと日本もそうあるべきだというなら、日本は戦前の文化財建築をぶっ壊しまくり、京都や奈良などの古都の街並みもめちゃくちゃだ、そういったぶっ壊しや景観破壊を欧米は規制してできないようにしている、フランス、イタリア、イギリスなんて好き放題家を壊したり外観を変える個人に対して罰則まで与えている、だからエディンバラのような古都の街並みが守られている、それをなぜ欧米にならえと言わないのか?好き放題目先の金儲けのためにぶっ壊す日本人を非難しないのか?結局は自分の都合がいいところだけを欧米が正しいと言っているにすぎないため、欧米が云々言っても説得力が皆無 

 

=+=+=+=+= 

被害者の遺族からすれば、亡くしたのは大事な人であることには違いはない筈だが、重過失でも事故での死傷事件と、端からの故意による犯罪被害を同列にして訴えるのは、公平な記事ではない。 

 

知る限りの外国では、裁判を受けるでもなく、現場犯罪者を射殺したりする国もあるようだけど、日本は違う。 

他人の命を奪えば、きちんとした裁判を経て、自らの命を以て償う事もあるというのをとやかく言う前に、そちらを批判するべきではないだろうか。 

 

冤罪の可能性のない者に関しては、「死をもって償う」あって然るべきだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

死刑になるような犯罪は人の命を奪うような犯罪をしなければ下されないものですし、被害者遺族が犯人に対して死刑を望まないとしても終身刑がない日本では出所する可能性があります。 

死刑になるほどの犯罪をした人物が死刑や終身刑がない為に出所して、その後誰かを傷つけないといえるでしょうか? 

仮に終身刑があったとしても税金で生かされる事になる訳ですし、死刑制度は必要だと思います。 

もっとも、日本は死刑判決がくだってから執行されるまで信じがたい時間がかかりますが。 

 

=+=+=+=+= 

死刑反対派の考えには、論理的な部分が少ないな。世界で見ると少数派だとか、よくわかんない理由が出ているようだ。 

駐英大使が述べる反対理由3つについては、 

①人間の尊厳が失われる→殺人などの犯罪がそもそも被害者の尊厳をないがしろにしているので、加害者が同様な目にあっても自業自得宇と言えるのでは。 

②犯罪抑止になるという根拠がない→現状の生易しい死刑制度だからなのでは。殺人=死刑となれば、さすがに減ると思うが。 

③冤罪だと取り返しがつかない→死刑制度というより捜査の問題では。交通事故が起きるから車を廃止にするって理論と同じになってしまっている。 

 

とにかく腹が立つのが、死刑に値する犯罪者を、みんなの税金で生かして更正までさせるってのが、我慢ならない。 

 

 

=+=+=+=+= 

死刑制度の本質は、日本という国家の維持のためにあると思います。刑の性質上、死刑囚の更生を目的とするものではなく、また犯罪被害者や遺族の救済を目的とした物でも無いと思います。死刑という生命を奪う刑罰の目的を突き詰めると、日本という国家の維持にたどり着くと私は思うのです。 

 

死刑制度の継続について、国際社会から批判の声があるのも事実です。世界には多種多様な考えが存在しており、その中で生命を奪う死刑について反対意見が出るのも当然だと思います。 

 

日本においても、死刑制度の存続が許されるかは、日本国憲法と照らし合わせて残虐な刑罰に当たらないかなどは、法定でも議論されてきた点となります。 

 

死刑は極めて特殊な刑です。この刑が存在する意義を考えるとき、日本という国家に、重犯罪を犯した人間の命を奪う機能が備わっていると考えると、特定の誰かの為で無く、国家を維持するために存在していると私は思います。 

 

=+=+=+=+= 

国際社会から批判というが、欧米では逮捕の前に犯人射殺するケースもあるがそこはどう折り合いをつけるのか? 

日本の場合、警察による攻撃で犯人が死亡するケースはあまり聞かない。(拳銃使用されたら必ずニュースになり、警察がコメントを出している) 

裁判になる前に殺害されてしまう国に、批判される筋合いはないと思う。 

裁判は犯人が言い分を述べることができる場でもあり、被害者遺族が知りたいと思うことを知る場でもあると思う。 

死刑判決が出たとしても、どんなに極悪非道な犯人とはいえ、そこに至るまでに可能な限り人権は尊重されていると思う。 

 

=+=+=+=+= 

死刑制度だけではなく、司法そのものに問題がある。 

刑事裁判になると、必ず加害者を庇う方向に法律が立ちはだかる。 

犯罪を犯したのは幼少期のいじめやトラウマが原因だとか、精神疾患によるものだとか、おおよそ被害者には何の関係も無いことを必ず持ち出される。 

「加害者に人権無し」 

司法は加害者に恩恵を与えるよりも、被害者とその家族の苦しみを十分理解する必要がある。先ずは被害者に目を向けることだ。 

 

=+=+=+=+= 

欧米で死刑が撲滅した背景には、根本的に冤罪の可能性が排除できないことがある様だ。そして極刑である死刑を実施しても、殺人事件の抑止にはならないというデータ。また英国では時代にそぐわないとして廃止された国もある様だ。米国ではこれら以外にも人種差別問題も横たわり国による事情があると思われるが、根本的に特に西側諸国で死刑が廃止されている背景には、やはりキリスト教の影響があるのではないか。 

汝、人の罪を許せとの教えや、キリストを信じれば罪は許される等、基本的に人の罪を許すという宗教の教えの礎があるので、それに立脚した刑事処罰となっているのではないかと個人的には考えますが。 

日本には宗教面や文化の違いがあり、なかなか他国の思想は受け入れられない面があるのではないか。 

 

=+=+=+=+= 

まずは刑法改正です。 

改正されて死刑がなくなれば支持します。 

改正されないなら制度を支持します。 

倫理観は人それぞれで統一なんかできません。 

世の中の隅っこで反対だの騒ぐのなら刑法改正法案を出せばいい。 

また判決が出た時に騒がずに執行されてから騒ぐのも醜いものですね。 

国際社会も死刑復活を望んでいる国もあるはずです。 

これも逆の立場で法改正できない。 

で、警察官や軍隊の現場処理なんかは問題にならない。 

 

国際社会社会からの批判の声なんか聞いたことありません。 

内政干渉になるんで国家として公式に言えないはずです。 

海外の、わけのわからん団体が騒ぐだけで、こんなの国際社会ではありません。 

 

=+=+=+=+= 

批判している国と日本どちらが犯罪率は高いんでしょうね。 

命には命で償う、当たり前のことです。命をもってしても償いきれないことをしたのは加害者です。 

今の日本で、殺人事件の冤罪の可能性は限りなく低いと思いますし、不服なら控訴することもできます。 

本来、人の死は望ましいものではありません。 

だからこそ、死刑を行わないといけないような凶悪事件を減らさないといけない。 

犯人の年齢や育った環境など、同情する面はあるかも知れません。ですが、それと罪の重さはしっかりと分けて考えるべきです。 

それは被害者には関係ないことですから。 

 

=+=+=+=+= 

EU諸国は確かに裁判における死刑制度はないかもしれないが、事件によっては、現場判断で射殺される。これが日本と違うところで、日本では、どんな凶悪犯罪でも、仮に銃撃戦になったとしても原則現場判断で射殺はできない。そのことで警察官が命を落とす可能性があってもです。実際、銃を持っての立てこもり事件で警察官が犯人に撃たれて死亡した事件も起こっている。でも、その犯人は死刑になっていない。 

EU諸国では、おそらく即射殺となるだろう。そう考えればEU諸国に死刑制度は存在する。 

日本の死刑制度を廃止するのであれば、警察官の銃使用についても議論すべきだと思います。 

 

=+=+=+=+= 

諸外国では、裁判なしに現行犯の射殺が行われてますね。 

犯罪事実だけを元に有罪無罪を決めるなら、裁判制度を無くしてしまい、殺人だろうが重過失だろうが結果責任だけを追及して現場の警察官(=行政府の職員)の判断で権力を国民に行使している。 

日本は極力犯人を捕らえて、司法府による裁判制度でコストをかけても事実関係を明らかにしようと努力する傾向が強いのだと思います。 

コストはかかるが、権力分立の観点からは適切とも言える。 

 

=+=+=+=+= 

裁判も何もなく、その場で射殺する様な国に言われたくないですね。日本の警察は自らの命を危険に晒してまで、確保する事を優先しています。その犯罪が如何にして生まれたのかを裁判で明らかにする事で、多くの犯罪を未然に防げていると思います。日本の治安はその様な積み重ねの上で、成り立っている様に思います。司法制度や警察を批判するのは簡単ですが、もっと奥深い議論が必要ではないかと思います。 

 

=+=+=+=+= 

よく言われることですが、欧米では凶悪犯罪の現行犯はその場で射殺されることがよくあります。 

しかし、心神喪失と判断された場合、欧米では無罪となり、精神医療施設に収容されるのが一般的です。 

現場で射殺をされた犯人が心神喪失だった場合は取り返しがつきませんが、そこはどのような理屈になっているのでしょうか? 

冤罪と同等かと思います。 

 

 

=+=+=+=+= 

刑法は死刑を含め代理処罰の目的もある。日本はどっかの国のように権力者の都合や宗教的意図での死刑はなく、現実には殺人事件ばかり。死刑判決が相当の裁判では、希望する遺族に死刑か無期の選択を求めるのもありかと思うね。その無期の場合は特定凶悪犯専用刑務所をつくり、特段に厳しい刑を科すのもありでしょう。そこに収監されれば5年もたたずに出られる。しかし生きて出た人はいないとかね。死刑より怖い刑罰があれば、これまで以上に犯罪抑止も期待できる。 

いまの受刑者は1日の労働時間が8時間以内、土日祝日は完全休み。民間より甘い。食事も管理栄養士が献立を作るようで、環境は緩すぎだね。 

 

=+=+=+=+= 

日本の死刑判決における問題点は冤罪、つまり警察の初動調査、取り調べ方法、自白強要が重要なポイントだろう。 

袴田事件のように有罪ありきの捜査方法が取り返しのつかないことになる。 

しかし平和な日本で残虐な事件が起こり、遺族の気持ちを考えると死刑制度は必要だ。殺された身内は戻らないがせめて遺族が前を向いて生きていくためにも無念さをはらすことができなければ心のよりどころがない。捜査方法に問題がある場合は警察はメンツにこだわらず再捜査に踏み切る体制を作って欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

普通に過ごす人でも何かの感想を聞かれたら 

すごくためになりました。 

こんなことに活かしたいと思います。 

またこんな研修があったら受けたいです。 

 

なんてステレオタイプな回答をするでしょう。 

 

同じことなんじゃないですか? 

 

受刑者に被害者の声をとか言ったところで正しく日本人気質の部分が出て 

とても有意義な会になるのではないでしょうか… 

 

罪には罰を。 

奪った物の重さを理解させながら。 

 

万が一自分の家族が被害にあった時 

わたしは自分の手でそれをするだろうと思います。 

 

=+=+=+=+= 

死刑の議論になると必ず外国との比較になる、死刑廃止国が多いと言うが、死刑は無くとも私刑はある、特にフランスやアメリカなどでは逮捕前に射殺する事案は非常に多い、此れも一種の私刑では無いか、そして日本の私刑よりひどいと思う、裁判なしの私刑なんだから、日本も廃止するなら私刑を認めるのか?。 

私はどちらかと言うと私刑の方がコスト的にもいいと思うが、どうなんだろう国民に問うてみたい。 

そして私刑は被害者遺族だけのものではない、国民全員のものである被害者遺族が死刑に反対したからと言って廃止できるものでは無いし、そもそも被害者感情はどうなんだ、無残な最期を遂げた無念さを遺族と言えども無視は出来ないだろう。 

 

=+=+=+=+= 

要は人を殺した殺人者でも赦せよ、という事なのでしょうけども今は海外でも凶悪犯罪者も増えてしまって刑務所が収容出来るキャパシティが足りなくなるような状況が慢性化していたりするという事も聞きます。 

それで刑務所をどんどん増設したとして、改心した事はどうやって判断し、周りの安全を担保すれば良いのでしょう? 

再犯率も高止まりしてしまっている状況で、自分らが更正出来たという証明、保証を全責任を以て担保出来るのでしょうか? 

万が一再犯した場合にその指導、カウンセリングに当たった人間も罪に問われるなら百歩譲って認めようとも思いますが、本人らがやりっ放しで責任が取れないならばやめておいた方がいいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

国内での突き詰めた法律を諸外国にとやかく言われる筋合いはない。法律は我が国の文化、今は極刑は支持されてると知る。これは最高裁に関する事も選挙で民意が出ている。 しかし、刑法と執行に関しての矛盾が存在するのも事実。 

これが問題の種子かもしれない。 

民主主義の中でも極刑を支持する日本は、歴史から見て正義と復讐や仇討ちの感情が複雑に絡み合う。 

今現在の線引きから鑑みれば、大臣は速やかに職務を遂行するべきだ。 

 

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国際社会から日本の死刑制度に批判の声があるように受け取れる見出しでは、日本が数少ない死刑制度を維持する国の様な印象を持ってしまう。これは、メディアが多用する外部からの批判に弱い日本人の特徴を利用した書き方。 

犯罪発生時、警察による銃器使用に慎重な日本では、犯人の射殺例が少ない。そのため、凶悪犯でも生きたまま逮捕・起訴されるケースが多い。諸外国と比較して凶悪犯罪発生率が低い社会に生きる日本人の心情として、平穏な社会を乱す凶悪犯罪者に死刑が適用されるのは至極当然だと思う。 

咥えて、日本は司法の独立が確保されている。どこかの国の様に、為政者の思惑で、闇から闇へと不都合な人間が葬られる例もない。 

かねがね死刑に限らず、日本の司法下では量刑が軽いと思っている。もっと、重くすべきとさえ思っている。 

 

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凶悪犯罪に対しては死刑は必要とは思う。冤罪は無くさないといけないのだけれど、日本は死刑執行でもかなり慎重に実施しているのかなとは思います。 

仮に死刑が廃止とのこととすると、欧米の様な累積刑となる必要はあると思う。 

アメリカのニュースとか見てると、仮釈放なしの終身刑何百年みたいな判決があると思うけど、全ての罪を累積しているので寿命以上の長期刑なのかなと思います。 

 

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死刑は廃止すべきではありません。被害に遭い残酷に命を簒われた被害者の無念・残された遺族の怒りに応えられる唯一の方法、それが死刑です。そもそも死刑が科せられるのは一部の凶悪犯罪のみです。 

 

日本の刑法が死刑を刑罰として選択したのは、死刑そのものが日本人の死生観に合っているからなのではないでしょうか。死刑の代わりに終身刑を導入したとしても、それで被害者の無念をはらせるものとは思えません。国際基準という幻想に惑わされず、日本らしい刑罰の在り方を大事にするべきです。 

 

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全ての人間に尊厳が守られるべきは正しいとは思う。事件の場合、被害者が第一に考えられるべきで、命を奪われた関係者や家族、そしておそらく被害者本人も犯人が生きていることに嫌悪感を抱く人間のほうが多いと思う。 

どんな理由があれど人の命を奪うという事は自分もおなじ目に遭うことは覚悟しなきゃ。 

性善説が本当に人の心を救うとは限らない。 

 

 

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テーマが命ですから賛否ありましょうが。国際社会(欧州)では行っていないから、、だけで卑屈になることはなく日本は日本、というスタンスでよいと思う。 喧嘩をふっかけてくるようであれば、その制度がなぜなくなったのか・なくしてしまったことの長短などしっかり国間で意見交換してみて、その上で 日本が必要であると考えるのであれば堂々と「それならあなたの国でも必要なのでは?」「では、環境が違いますからそれぞれですね」など、戦わせてみればよいと思う。もちろん、冤罪などは日本では無い!と言い切れる前提がなければいけませんけれど。 

 

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欧州は魔女狩りと言う名の司法による多くの殺人を行ってきた経緯もあるので死刑に対して敏感になのかもしれないが、だからと言って日本に死刑があるから三流国かのように言われる筋合いは全く無い。また交通死亡事故と殺人の加害者は同じでは無い。そもそも交通事故では死刑は無いし。飲酒運転による死亡事故は論外だが。とにかく死刑って訳ではないが、外国から言われて死刑制度廃止議論をするのではなく、日本国内でしっかり議論すべきだと思う。しかし、被害者やへの精神的・経済的なサポートの充実は、今すぐに検討すべき。 

 

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死刑賛成派です。殺され方にもよりますが酷い殺され方をされて犯人はのうのうと生きていると思うと胸が張り裂けそうです。死刑が叶わなければ、同じ事を犯人にできる法律にして欲しいです。被害者はどれだけ辛く悔しかったかを理解させるのも刑罰ではないでしょうか。 

それでなくても最近は命を軽視した犯罪が多い。 

人は簡単に命を落とす事を考え行動しなくてはいけないと思います。 

 

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死刑廃止論者が言うように死刑制度は犯罪の抑止力にはならないかも知れません。それは、凶悪な殺人を犯す者は、既に殺せば死刑になるかも…と考えるような通常の思考回路ではないからだと思います。しかし、死刑廃止論者の主張で大きく抜けているのは被害者家族の感情ではないでしょうか?被害者家族は自分の手で犯人を殺したいと思うのが普通の感情ではないでしょうか?それができないので、死刑制度が必要になると思います。それも無くなればもう絶望しかありません。大切なのは死刑ではなく、被害者家族の支援と言う意見もありますが、どんな支援をしても、決して被害者家族の心は満たされないと思います。死刑廃止論者は自分の大切な人が、酷い殺され方をしても、犯人が生きる権利を奪うべきではないと思うのでしょうか? 

 

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死刑が確定してから執行されるまでの期間に、死刑囚自身が人間として悟りを開くのは大切だと思う。 

ただその気持ちを犯罪を犯す前に幾分でも養ってほしかったと思います。 

 

死刑の是非は遺族とは関係ない所で常に議論されている事に違和感を覚えます。 

殺された方だって死にたくなかった。 

死に方を知った被害者の遺族は、その最後を知ったままその後も生きなければならない。 

 

死刑反対の人達は遺族が100パーセント納得する考えを伝えてから、いくらでも反対を唱えたらいい。 

 

順序が逆です。遺族第一です。 

 

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欧米は犯行現場で簡単に射殺することが多いですよね。日本では犯罪者であってもできる限り生きて確保して裁判によって刑罰を与えることを重んじています。 

しかも日本は治安がいいのに、死刑制度のない欧米諸国は日本に比べて犯罪率は相当高いですよね。死刑制度が一定程度犯罪の抑制に繋がっているのでは? 

命が平等であるなら、いかなる理由があっても人を殺めたら死を持って償うこと、これが刑罰の原則であるべきです。日本ではひとり殺しただけでは死刑にはなりません。まだまだ甘いと思います。 

 

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ハンムラビ法典にもあったと思うが、眼には眼を、歯には歯をもって償えとあるように、死や同等の罪に対しては死刑執行が行われることは至極当然の事だと思う。もし他人に死をもたらす事をしたなら、自分も確実に同様になると分かっていれば、軽々しく行動する輩も減ると思う。罪を犯さなければ死刑にはならないのだから、死刑存続は世界的流れに反しているかもしれないが、日本人の社会には必要な制度だと思う。だからこそ、法曹界の不手際や怠惰は徹底して追及されるべきだと思う。何でもかんでも世界標準に合わせれば良いという考えは危険性が高い。 

 

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死刑制度について欧米などが日本を批判しているというけど死刑を廃止してる国の現場での警官による射殺率についてはどう考えるのか 

少なくとも日本では警官による犯人射殺なんてどんな凶悪犯であってもほぼ無いといっていい 

それに冤罪の可能性云々ともいってるようだが日本における死刑判決では確定後6か月以内に執行するという規定になってるはずだがそんなもの守られたことの方が少数で確定後何年も執行されずに再審請求などが繰り返されているのが日本の現状 

少なくとも現場の判断で犯人を射殺することを容認してる国よりは日本の方が犯人の人権を守ってると思うんだがね 

 

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1時の間、米国に居ましたが、街のど真ん中、目の前で犯人は警官に射殺されました。抵抗したかは定かではないですが、通行人が重症だと聞きました。結局捕まえて裁判にまではどうやら到達しない過程がみられます。日本は法律が軽いし、死刑はあったとしても、まだまだ世界に比べて残忍な加害者でも日本は優しい方です。もっと遺族や被害者側寄りに裁判も審議して欲しい。 

 

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重大事件ではかなり多くの場合、検察が被疑者を鑑定留置をして起訴前精神鑑定を行って責任能力の問題は解決済みとして起訴して厳しい求刑をしますが、こういう場合は検察が選んだ鑑定人になる精神鑑定だけではなくて裁判所が選んだ鑑定人による2回目の精神鑑定も行うべきです。 

優秀な裁判官は職権で3回目の精神鑑定を行って被告人は心神耗弱なので一審の死刑判決を破棄して無期懲役を言い渡したケースもありますし、裁判所が選んだ鑑定人による精神鑑定で殺意はなかったので刑罰には問えないと判断されたケースもあります。 

裁判所が選んだ鑑定人による2回目の精神鑑定は大切です。 

 

 

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共同通信の記事だからそのまま受け取るものでも無い。確かにEU諸国は過去に死刑廃止に踏み切り公的には日本にも死刑廃止を求めている。が一般人やメディアの中には日本は先進国なのに未だに死刑制度を維持していることを高く評価する姿勢が多い。それは彼らが死刑を廃止した事による犯罪の抑止が効かなくなった反省が根底にある。 

 

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銃社会も含め、力が正義、強いものが多くを語るという文化の国は、そういう声がより強くなるんだろうなという気はする。 

 

日本はその代わりではないが、報復をしたいという気持ちを前面に出す人は少ないし、そもそもの死刑になるような自国民の凶悪犯罪の件数も少ない。 

 

では懲役200年とか非現実的な事に意味があるのかも考えてもいいと思う。 

刑務所で自由に携帯や麻薬を扱ったり、刑務官に賄賂を公然と渡さないとやっていけない国と比べれば、むしろ死刑になるようなことをする人以外には随分まっとうな扱いだと思うが。 

 

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死刑だけでなく、刑務所内で拘束した上で被害者や被害者遺族による拷問報復を認めなければ足りないような犯罪者もいる 

自ら死刑を求めて犯行に及ぶような反社会性精神を有する犯罪者もいる中では、短時間で終わらせる処刑も実は不足するのではないか? 

加害者ばかり優先され、被害者や遺族が蔑ろにされる報道、刑の執行が繰り返されればされるほど、この傾向は強くなると感じる 

被害者及び遺族こそ保護、尊重され、いかなる理由があろうと犯罪の内容によっては極刑、拷問の対象になりうるという厳しい姿勢こそが、重大犯罪を抑止すると感じる 

 

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信賞必罰で良いと思う。それより法律を改正して極刑の言渡しの後に執行日も指定したら良いと思う。刑事訴訟法の前に日本国憲法が執行手続きを阻止しているのを理解して欲しい。戦争反対だけではなく憲法改正の重要性を理解して欲しい。 

 

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宗教観の違いが根底にありますよね。西洋の考えはキリスト教やイスラム教、ユダヤ教など、旧約聖書から始まった一神教の教えに基づいているため、日本人の感覚には合わない部分があるのではないかと感じます。つまりは「人間の命は神のもの。人が手を出していい領域ではない」という解釈です。 

一神教は、いわば神と人間の契約関係です。神は救いを与える代わりに、人間は神の命令に従う。そして善悪の判断は神の権限に属します。人間が神のように振る舞うことは根源悪とされます。たとえば殺人罪についても、正当防衛など特殊な場合があり得るので、絶対的根拠に基づく断罪は人間には不可能だとされているんですね。日本での道徳的な観念は神道や仏教に大きく影響を受けています。刑事司法政策を日本人一人ひとりの肌感覚に近付けるには、日本の伝統的な精神を踏まえた上で、世界に対して普遍的に訴えられる内容を再構築していく必要があると考えています。 

 

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国際社会では反対だと言う声は良く聞きます。 

ただ裁判を行って死刑ではなく、その場で射殺というのも殺すということは同じ事の様に思います。 

 

反対を訴える方達は家族が居なくなっても犯人は生き続け許す事が出来るのでしょうか? 

自分がそういう立場になったら目には目をじゃないですが、自分が捕まってもいいから犯人に同じ事をして復讐してやりたいと思います。 

 

死刑は抑止力にもなっていると思いますが、他国に比べ日本は加害者にとても緩いです。 

死刑以外も厳罰化する必要があると思います。 

 

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こういう議論をする際、考えの浅はかな連中は決まって他国の状況を持ち出してくる。大切なのは日本の国民性と歴史・習慣において、極刑と言うものをどう考えるか。犯罪の抑止になるかどうかが基本的な観点だが、他方、仮に冤罪で死刑執行した場合に取り返しがつかなくなるという点では、慎重な司法判断を行う理由にもなる。 

 

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死刑は無くすべきでは無と思います。 

犯罪の抑止にもなりますし、例えば大量殺人をして全く反省の意思を見せない殺人者を血税をつかって死ぬまで、面倒みろということでしょうか? 

自分の家族や友人が殺されたら、私は犯人を許せる自信がありません。 

 

後はっきりと言って、死刑の執行まで時間かけすぎだと個人的には思っています。 

冤罪などもあるので簡単に執行できないのはわかりますが、オウムの麻原などは誰が見ても情状酌量の余地もないのに、死刑が確定してから執行されるのに12年かかってます。 

 

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死刑の有無よりも量刑の判断を変えてほしい 

人の人生終わらせといてなんでそんな年数で出てこられるのか疑問や憤りを感じる判決が多々見られる 

社会に戻したらまた凶悪な犯罪を犯すように思われる者は終身刑にして社会から隔離するとどれだけの人が救われるか 

死刑の有無に関しては冤罪もあり得るので基本的には無しで明らかに罪を犯している者のみ適用他は終身刑がいいと思う 

 

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確かに死刑になったからといって被害者が生き返るわけでもないが、加害者が生きていて同じ空気を吸うだけでも遺族は嫌だと思う。もし私だったら絶対に許さない。もし死刑などなく刑期を終えて出てくれば私は復讐する。復讐したい。でもそれがいいことだとも思わない。難しい。本当に難しいと思う。だからこそ命を持って償うのがベストだと思っている。 

 

 

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ロングボトム氏の挙げる3つの例の他に、もう一つ考えさせられる点がある。 

殺人を否定する国家が死刑をもって個人を処分する制度は、殺人を「是」とするに他ならない。 

これは、国家は個人の集合体であり、国民の総意が死刑を「是」とするならば、死刑制度もあって然るべきと言うロジックも成り立つ。しかし、片や殺人を否定しておきながら、死刑を国家が執行することは、何かあればその被害者の命をも国家が握ることにならないだろうか。 

問題は、国家と個人の立場は違う故に、冷静で一歩引いた考え方が必要ではないか。 

 

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まず冤罪は絶対にあってはならない。 

しかし、犯罪というものは被害者と被害者家族の気持ちを第一優先にするべき。そして、死刑を含む、刑は犯罪を犯さないための抑止力であって、死刑を反対する者は、なぜ犯罪を犯す前提でものを言っているのか意味不明である。もちろん犯罪はなくなるどころか、日本政府のせいで不景気になったこの日本では犯罪は凶悪化するばかり、だからといって犯罪は犯してはならない。そして、強い抑止力も必要だ。 

 

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死刑は犯罪抑止に効果がないというが、死刑が制度として存在するからこそ、そもそも犯行を思いとどまっているというケースはあるだろう。測定が難しいためデータ化されにくいだろうが。それから被害者感情の慰撫のみならず、あまりに凶悪な犯罪者に対して、我が国の国民はそのような凶悪犯とともに生きることを選択しないという意思表明でもある。死刑を廃止した英国はじめ欧州諸国は、今後国民感情が行き詰まり、際限なく落ち込んでゆくことだろう。 

 

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日本は被害者や遺族への支援は薄く、無いようなもので、しかし加害者への支援は非常に厚いというおかしな状況になっている。 

もし死刑を廃止するのであれば、終身刑を創設すべきで、終身刑の受刑者は人権等も大幅に制限され、食事も必要最小限、日々の生活も制限される等、今の人権擁護派が見たら卒倒しそうな内容で実施されるべきだ。それができないなら死刑は廃止すべきではない。それより支援も弁済も何もなく泣きながら暮らしている遺族に対してもう少し支援を増やすべきだ。 

 

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欧米に左右させられる問題では無いのでは? 

 

もちろん今現在の判決の出し方にも時代にそぐわなかったり、前例が無いと求刑からかけ離れた刑罰になったり、被害者や遺族の思いに寄り添わず、犯罪者に重きを置かれていると思わざるを得ない判決になったり、改善点は山ほどある。 

 

記事のように、意図的に犯罪を犯し酷い殺され方をした遺族と、轢き逃げ事故の遺族では 

感情にも個人差が出てるのは理解出来ます。 

 

だからこそ、死刑は遺族が望むのであれば、そこが唯一形だけでも仇を打てる心の拠り所になりうる刑罰なので、残すべきではないかなと、思ってしまいます。 

 

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まず凶悪な強盗犯とひき逃げ犯を同じ論評で比べようとする記事に意図を感じます。 

ひき逃げは計画的にというより突発的に発生して逃げ出してしまった事に対して強盗は最初から悪意を持って犯行に及んでます。 

ここを比べるのは如何かと思います。 

また欧米で死刑に反対していますが、日本の警察官は滅多に発砲しません。海外では現行犯や疑わしい人に躊躇なく発砲します。これは裁判をする前に相手の命を奪っています。 

日本ではきちんと裁判をした上で死刑の判決を下しています。また死刑があることによって犯罪の抑止効果が一定程度あるのは明確であり、国民性もあるかと思いますが日本が死刑のない海外に比べて平和なのは周知の事実です。 

また死刑が無く遺族が出所した被告に復讐(被告を襲撃)をしてしまうリスクを減らせるかと思います。様々な意見はあると思いますが、私は死刑制度を維持した方が良いと思います。 

 

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よく、「それは海外では有り得ない。」と言う人がいますが、果たしてそれが正しいのでしょうか? 

もちろん、海外の意見を最初から排除するのではなく、よく理解し検討する必要はありますが、その上で、日本としてどうするのかを考えることが大切と思います。 

もし世界の中で日本だけ異なった意見となっても、正しいと思えばそれで良いと思います。 

 

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国民の選挙によって選ばれた代表が法律を作り、国家権力から独立した司法が法律に基づき、冤罪の可能性や量刑を考慮して判決を下す。他国にとやかく言われる筋合いはない。冤罪の際に取り返しがつかないのは懲役や禁錮も同じ、失った時間は帰ってこない。時間や命は平等に与えられたもの、相手の命を弄ぶ殺人犯には、慈悲を与える必要はない。 

 

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スポーツの世界でも欧州は「勝ちたい」と思い始めると、まずルールを変える。スキーのジャンプ種目や柔道をみるとわかりやすい。 

捕鯨の問題も、言わば欧州の自己都合ルール。牛、豚、鶏は食して問題ないが、なぜ鯨だけに過剰反応を示すのか。しかも、感情論で。 

自己都合を押しつけるのが欧州のやり方。日本には、武士道精神や道徳心などの文化が根付いている。それぞれの国の成り立ちや歴史などを尊重しあうほうが大切なのかなと思う。 

 

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他国の法制度への干渉は、行っても害のない所にしかやらない。日本には何を言っても良いという認識なんだろう。捕鯨もEV(CO2削減)も原発と死刑制度廃止、性同一婚容認など。 

犯罪者を裁判に掛けず、逮捕時に射殺する割合の多い他国と一概に論じないで欲しいです。それより、取調べ時の可視化など冤罪の未然防止をまずは進めて頂きたい。宗教観や政治的な背景等ではない純粋な法による支配を切に望みます。 

 

 

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日本の場合、死刑制度に対しては、冤罪の可能性が高い人も処刑してしまう問題がある。捜査機関による証拠隠しや捏造、思い込み捜査、長期間拘留して自白させる人質司法、捜査機関からマスコミへの一方的な情報リークと被疑者に不利な世論形成など、冤罪が作られる背景がそろっている。これまで、足利事件や免田事件、袴田事件、大川原化工機事件などさまざまな冤罪が発覚してきた。 

 

特に、飯塚事件では久間三千年さんという方が死刑判決を受けたが、これは冤罪の可能性が非常に高いとされる。久間さんの裁判では、足利事件で菅谷さんを有罪にする決め手となった1990年代初頭の未熟なDNA鑑定が使われており、菅谷さんが冤罪だと発覚したときは、久間さんも当然冤罪が疑われたが、菅谷さんが釈放されて数日後に久間さんの刑が執行された。 

 

私の憶測だが、久間さんの冤罪が発覚するのを恐れて、口封じのために刑を執行したのではないだろうか。 

 

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殺人事件の発生率で言えば欧州の国々は軒並み日本より高いのが現状。 

冤罪だけを見れば、魔女狩りや人種差別による山の様な冤罪を発生させてきた国ならではの思想だと個人的には思います。 

また、抑止力としての決定的な証拠は逆もまたしかりで、抑止力になっていない証拠も無いでしょう。 

尊厳などは論外で、被害者と遺族の尊厳は無視するのですかと。 

最優先で推し量るべきは、被害者の無念で有り、自己的な理由で大罪を犯した加害者の権利ではないでしょう。 

 

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2007年に起きた闇サイト事件はショックでした。 

被害者の人に落ち度はないのに、事件に巻き込まれてしまって本当に悲しい。 

飲酒運転の事故、ひき逃げ、日本の刑は軽すぎる部分があると思います。 

それに冤罪を裁判官が怖がるとかも言われます。 

一応日本の検察が起訴した事件は99,9パーセント有罪になると言われますが、冤罪でチカンに間違われた人などはつらいでしょうし、認めなければもっと重くするぞと検察官にまくしたてられるそうですから、渋々認めたりして問題になっています。 

国際社会と一概にいってもどこからどこまでが国際社会なのでしょうか。 

愛する家族を理不尽に奪われる、後遺症を負わせられるなどしたら、ご家族様の人生も大きく狂わされてしまうのです。 

宝塚の事件もありましたが、被害者様はこの世にいないのに、加害者は実名を明かされることもないままであり、被害者にとってはあまりにひど過ぎる怒りを覚えます。 

 

=+=+=+=+= 

日本の司法や行政は犯罪被害者を置き去りにする。結果として被害者は感情として「加害者に厳罰を与える」ことで贖いとすることになる。犯罪被害給付制度があるのでは?という人もいるだろうが、これは日本お得意の名前だけ立派な詐欺のような制度で、実際のところ満額給付されるケースは非常に少なく、被害者やその家族にもかかわらず給付の対象外となる例もかなり多い。国にしてみれば死刑は「拘置に必要な税金が減らせ、少ない保証でも被害者を納得させやすい」お得な制度なのかもしれない。ノルウェーのように専門省庁を置き十分に被害者を支援することで被害者の更生と被害者の感情と補償をバランスすることもできるかもしれないが、日本の行政にそれができるとは思えないので、日本で死刑制度を排したとしても犯罪者に恩恵を与えるだけになってしまう気がする。 

 

=+=+=+=+= 

西欧で死刑制度を続けている国はありません。人権尊重、個人の自由、平等を重視するリベラリズムが死刑制度を廃止しました。日本のリベラルが死刑制度の廃止を要求しないのは自己矛盾です。死刑は人間の基本的な権利である「生きる権利」を奪うものであり、人道に反すると考えるだろうからです。一方、「和」の精神を重んじる日本の集団主義が、犯罪者を「集団の和を乱す存在」と見なし、特に重大な犯罪者に対して厳しい処罰を求めるのも理解できます。死刑制度は「秩序維持の象徴」と考えることができるからです。 

 

ところで、選択的夫婦別姓制度導入の根拠として「~していないのは日本だけ」などと発言する人は、日本の死刑制度をどう捉えるのでしょうか。西欧で死刑制度を続けている国はありません。 

 

=+=+=+=+= 

3人に拉致、監禁、暴行された挙げ句娘さんを失った磯谷さんと、ひき逃げで息子さんを失った片山さんとでは犯人に対する憎しみの感情は全く違うと思いますが。国際社会からどんなに批判を受けても、日本では死刑制度は必要だと思うし、今後も継続していかなければならない制度だと思います。 

昨今は執行が行われていないようだが、このまま廃止の方向に向かうことだけは何としても避けるべきでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

死刑制度が欧州にないのは知っている。ただ順番として加害者を守る死刑制度廃止を訴えるよりも、むごいやり方で殺された被害者を助ける方法を考え、そういう被害に遭う方をどれだけ少なくできるかを考えたほうが懸命だと思う。死刑制度で死ぬ苦しみより前に、放火や毒殺など様々なやり方で苦しんでいる被害者がいるから。今死刑になり執行されていない人が100人以上いると言う。それだけ被害者の数もいるのだから、殺人の少ない国になるために方法を考えることは肝要と思う。 

 

=+=+=+=+= 

ここは日本です 

イギリスの駐日大使、イギリスの非政府組織の共同設立者の意見も尊重しますが、定期的に日本政府が行うアンケートでも8割の回答者が死刑制度に賛成してます。外国では死刑制度は廃止になっていても、凶悪犯は現場で射殺されるケースも多いようです。 

今の司法制度のなかで裁判官が終身刑ではなく死刑という苦渋の判決をくだした結果は優先されるべきです。 

死刑制度が堅持されている以上未執行者が百名近くいるのも私は異例と思います 

 

=+=+=+=+= 

死刑制度を存続か廃止かの議論で、個人的に 最も難しいと思う所は、やはり『冤罪で処刑されてしまうケースがゼロとは言いきれない』という点かな。 

まあそれは、現行の司法当局と制度の問題とも言えることだが。 

 

次に思うのは、制度存続か廃止かによって 殺人などの凶悪犯罪の抑止効果への影響… 

 

仮に死刑が廃止されれば 被害者遺族などによる『仇討ちや制裁の為』といった殺傷が続発なんて事も充分考えられるのでは。 

 

まあ個人的には 現在の日本の治安状況には、死刑制度の存続が必要なのではないかと思うが。 

 

=+=+=+=+= 

その苦言を言う欧州においては現場での射殺数は日本の比ではなく、命を奪う選択がダメだというならまずは警官が何人殉職しようが捕まえるべきだ。 

命を奪うことが許されない行為なら、その許されない行為をした犯人は消して許されないはずだが、それを許すというなら法の下命を奪うことがあっても許されなければならない。 

つまりそもそも矛盾しているのです。 

もちろん情状酌量や正当防衛などにより救われる余地のあるものは裁判において判断されますから。 

 

 

=+=+=+=+= 

その苦言を言う欧州においては現場での射殺数は日本の比ではなく、命を奪う選択がダメだというならまずは警官が何人殉職しようが捕まえるべきだ。 

命を奪うことが許されない行為なら、その許されない行為をした犯人は消して許されないはずだが、それを許すというなら法の下命を奪うことがあっても許されなければならない。 

つまりそもそも矛盾しているのです。 

もちろん情状酌量や正当防衛などにより救われる余地のあるものは裁判において判断されますから。 

 

=+=+=+=+= 

日本はどんな凶悪犯でも裁判を行い、弁明の余地も与えられ、過去の判例と照らし合わせた上で適切な量刑を言い渡されます。 

死刑判決もその内の一つであり、ちゃんと犯罪者の権利も行使した上での結果。 

随分と優しいじゃないか、日本は。 

 

死刑に反対している欧米諸国なんか、死刑こそしなくたって犯罪者をその場で射殺したりするでしょう。 

日本はどんな凶悪犯でも、その場で射殺はしないんだよね。 

そのために殉職する警官すらいるのに。 

 

日本はどんな凶悪犯にも裁判を受ける権利をちゃんと与える。 

その上で妥当だと判断された結果の死刑。 

欧米諸国よりも、犯罪者に対しよっぽど人道的なプロセスを日本は踏んでいますし、私は死刑は必要だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

加害者にも人権あるから死刑は辞めろと言われて仮に死刑廃止したら、次は加害者にも人権あるから拘禁刑を廃止するとでも言いますか? 

際限なく要求が大きくなるばかりではありませんか。 

刑罰とは罪の代償です。 

犯罪の事実、被害者が被害を受けた事実は変わらないけれど、適切なお咎めがなければ被害者の人権が蔑ろにされてしまいます。 

冤罪の疑いが有るものは再捜査を、冤罪の疑いの余地もないものは粛々と法律に則って裁判し、下された刑をしっかり与えることが健全な司法だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

単に死刑を廃止するだけでは被害者側の心情に報えない部分もあるだろう 

ならば死刑に代わるものとして「終身刑」を作るべきでしょう 

つまり二度と生きて刑務所を出ることができない刑罰が必要かと 

 

現在、死刑の1段階下の刑は「無期懲役」で、これは刑務所での態度次第で釈放される可能性がある刑罰 

しかしそれでは逆恨みで関係者を襲うなんて可能性を否定できない 

だからこそ「死ぬまで刑務所を出られない刑罰」が必要 

それが現在では死刑なのだが、国際的にNOというのであれば死刑に代わる刑罰として「終身刑」を制定するのがベストではないだろうか 

 

=+=+=+=+= 

まず、欧米からの批判について。 

欧米と日本では、人の死生に関する考え方が大きく異なると思います。 

・命の尊さを知っているから、 

 死をもって償う、死ぬことにより 

 誰もが神仏になる。 

・宗教の為に、人を殺害しない。 

 →そのような事をしてきた人に 

  言われたくない。 

死刑の要否については、議論すべきだと思いますが、国際的な云々は別問題だと思います。 

 

次に、どなたかも記載されていましたが、被害者がどのような経緯で死に至ったかによって、遺族や加害者親族の心情は異なってくると思います。"罪を憎んで人を憎まず"という言葉がありますが、どうしても受け入れ難い状況もあるのではないでしょうか? 

 

受刑者を税金で養う件。 

現行の制度をよくは知らないのですが、 

受刑者もちゃんと労働をしそこから生活費は国庫へ、余剰は被害者へ支払うべき。被害者への弁済ができるまでは、国の管理のもとで働く必要があるのでは? 

 

=+=+=+=+= 

死刑は難しい問題です。遺族感情を考えても存続はやむを得ないと思います。その一方で一番の懸念は冤罪です。以前は死刑存続は当然と思っていましたが免田事件は死刑囚が無罪になりその当時大きな衝撃を受けました。死因や科学的検証結果は犯罪の重要な証拠です。冤罪を少しでも少なくするために被害者の検死を警察から独立した機関が行い中立なものにするなどさらに改善する余地があることは事実です。 

 また日本は歴史的に死を持って責任を取る文化がありました。切腹はその象徴です。それを見て驚愕した欧米と当然としていた日本では刑罰に対する考え方が異なって当然です。パリオリンピックでは開会式で生首パフォーマンスがありました。それを国際イベントで世界中に公開する方が死刑存続より死者を冒涜し残酷で異常です。 

 

=+=+=+=+= 

立ち戻ると、そもそも死刑は何のために行われるのかと問わねばなるまい。 

 

よく言われるのが、犯罪の抑止と被害者感情。ただ、抑止と言った場合にその効果を疑問視する意見もあり、被害者感情というなら、殺人以外にも被害者感情として死刑を望むのを叶えるべきかという話にもなる。(危険運転致死の最高刑を死刑にすべきか、と問うて見るのがよいかも。) 

 

私も一概に死刑を否定する気はないが、ここで一度死刑の意味を問い直す必要はあると思う。 

 

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制度の議論も大切ですが、裁判において遺族の感情を強く出しすぎるのは問題です。もちろん遺族の気持ちは絶望的に悲観にくれその気持ちに沿うことは重要です。しかし、日本が法治国家として裁判において法の定めによって判決を捻じ曲げられません。障がい者への赴任手術の強制裁判におけるように法律そのものが憲法に反している。また、被害が当事者にとって残酷すぎる例のように法律を超えて判決があるのは合理的ではありますが、刑事裁判において 

そんなことはないとは思いますが遺族の感情によって法律を逸脱することがあってはなりません。日本の刑法も戦前から継続しており現在の法の研究の到達点にたった改正の議論も国会で始める時期かと思います。 

 

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これは日本国民の問題だから、外国の真似というか意見を聞くことはないように思います。身内が残虐な殺され方をされて私なら絶対に許しません。死刑でも足りないのに被害者の税金で生かされているのですよ。加害者もそのあたりのことも考えてもらわないと。それに刑期の短い方は何時出所できるなどの報道もないし、更生したと確証がどこにあるのでしょう。本来なら、報道してもいいと思います。凄い怖い思いをさせられてトラウマになった方もいるでしょう。警察は、事件が起きなければ守ってくれません。わが身は自分で守らないと。死刑は日本国民にとって必要だと思います。きれいごとでは済まされない世の中に今はなってきています。これからますます犯罪は増えると思います。 

 

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OCED加盟国では日本、アメリカ、韓国しか死刑制度が残って無いからその批判的な現れだと思います、但しその国により人々考え方も全て違う為に一概に死刑制度を無くせとは言えないし その必要性も肯定出来ないのが個人的意見 

思う所は沢山有るけど賛成するなら その人達の中から執行者を選び重い責務を負わせたら良いと思います、それが賛成する人達の責任であると思います 

 

 

 
 

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