( 215075 ) 2024/09/24 23:54:50 2 00 「人を殺している実感」死刑執行に関わった元刑務官の苦悩 矯正教育との矛盾共同通信 9/24(火) 18:04 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/54970d5101c96464e54f23a308a217758310500b |
( 215078 ) 2024/09/24 23:54:50 0 00 死刑執行に立ち会った経験を話す、弁護士の野口善国さん=2024年7月、神戸市
神戸市で弁護士事務所を開く野口善国さん(78)は、刑務官として東京拘置所に勤務していた1971年の冬、死刑執行に関わった。執行されたのは40代くらいの男性で、強盗殺人の罪を犯し、死刑が確定していた。 東京拘置所では当時、死刑囚に執行の告知を前日に行っており、死刑囚は遺書を書き、家族と面会することもできた。「死刑執行の前日、拘置所からの電報で駆け付けた男性の妻は、テーブルを挟んで向かい合う男性の手を握り、涙を流していました」。野口さんは、その模様を鮮明に覚えている。 男性は取り乱す様子もなく、泣いている妻に「自分が責任を取って死ぬのは当然のこと。平静な気持ちでいるから、どうか悲しまないでほしい」と語りかけた。妻は最後の別れとなる間際、男性に「あなたの子どもが、あなたの顔に似てきた」と伝えた。様子を見守っていた刑務官の中には、涙ぐむ者もいたという。(共同通信 佐藤大介)
東京拘置所=東京・小菅
死刑執行当日の朝、野口さんは男性を房から刑場に連行する任務を命ぜられた。男性は4階の房からいったん屋外に出て、黙ったまま敷地内の刑場に誘導されていった。そこはコンクリートの塀で囲まれた小さな平屋の建物で、幹部職員が待機していた。 男性は職員らに「お世話になりました」と礼を述べて握手をした後、目隠しと手錠をされると、絞首のロープがある場所まで、刑務官に誘導されながら歩いて行った。 踏み板を開くレバーが引かれると、大きな音がして男性は地下に落下していった。野口さんは「バーン!と激しい音がして、男性の体が一瞬跳ね上がったように見えた後、すぐに落下していきました」と言う。 開いた踏み板からはぴんと張ったロープが大きく揺れていた。野口さんはその揺れを止めようと、とっさにそのロープを握りしめた。下をのぞくと、医師が死刑囚の胸をはだけて、聴診器を当てているところだった。心臓の辺りがどくどくと動いているように見えた。 「ロープを握りしめながら、それが無理だとはわかっていても、今何とかしたらこの人は助かるんじゃないかというような、そんな気持ちで見ていました」。その時、野口さんはこう感じた。「正当な職務の執行ではあっても、人を殺しているという実感がありました」 10分程度の時間だったが、ひどく長く感じた。執行後、ぼうぜんとしている野口さんに、男性の死亡を確認した医師が「死人より顔が青いぞ」と声をかけた。刑務官たちは遺体をロープから外して体をふく作業に移ったが、野口さんが命ぜられることはなかったという。
20代前半で死刑執行に携わったその時の経験は、半世紀以上たっても脳裏に焼き付きいている。「一種のトラウマ」と表現する野口さん。「何度も立ち会った幹部職員は、精神的な負担が大きいと思います」。だが、刑務官が死刑のことを口にするのはタブーで、執行後も「お互いになかったことのような雰囲気」だったという。 「矯正教育の考えと死刑は矛盾します。受刑者の更生を志して刑務官になった人が死刑に関わるのは、相当につらいことでした。だから、触れたくないという空気が生まれるのではないでしょうか」。野口さんは、そうおもんぱかった。
死刑執行は、それに携わる刑務官に大きな心理的負担を与えると話す、滋賀県立大准教授の櫻井悟史さん=2024年7月、滋賀県彦根市
死刑を執行する刑務官の精神的負担を、どう考えるべきか。 死刑の歴史を研究する滋賀県立大准教授の櫻井悟史さん(41)は「刑務官が死刑執行を担うのは、職業倫理の観点から問題がある」と、死刑の運用に疑問を投げかける。刑務官の職務は受刑者の立ち直りを支えることにあり、社会復帰を想定しない死刑は正反対なことだから精神的に大きな苦痛を与えると言う。 櫻井さんは、死刑執行を「働く立場に身を置いて考えるべきです」と話す。「死刑は、日常的に死刑囚と接する刑務官に、殺すことも命じるということです。命令に従う根拠もなく、慣習で行われています」。その慣習の中で、執行する側の人権が見過ごされていると指摘する。 そうした現実を踏まえ、櫻井さんは一つの代案を示す。「執行を含めた死刑に関わる職務を、命令を下す法相や検察官が担うべきではないでしょうか」。刑務官に死刑執行を担わせることで「死刑という刑罰がどういうものかという、根本的な議論が封じられてしまった」と話す。
死刑の当日告知は違法と訴えた裁判の敗訴を受け記者会見する原告側の弁護人=2024年4月、大阪市
また、死刑が確定すると外部との面会や文通が厳しく制限され、孤独の中で執行の恐怖におびえる日々を送ることも、死刑という刑罰に含まれるのかという疑問もある。 死刑執行の告知に関する法令はないが、少なくとも1970年代までは前日までに行われていたとみられる。当時は東京拘置所でも、運動や俳句などで死刑囚同士の交流が認められていた。野口さんは「独房内で小鳥を飼い、花を生ける死刑囚もいました。現在よりも人間的な処遇だったと思います」と話す。 だが現在、死刑は当日の執行1~2時間前に知らされている。法務省は「事前に告知すれば、本人の心情に著しく害を及ぼすおそれがある」とし、前日に告知して死刑囚が自殺したケースがあると説明するが、方針変更の時期や詳細は明らかにしていない。 これに対し、当日に告知するのは不服を申し立てることができず違法だとして、死刑囚2人が2021年11月に大阪地裁へ提訴した。 原告の代理人は「死刑囚は、毎朝死ぬかもしれないとおびえている。極めて非人間的だ」と批判した。だが、2024年4月の判決は「死刑囚は現行の運用を含めた刑の執行を甘受する義務がある」とし、訴えを退けている。
報道機関に公開された東京拘置所の刑場。三つのボタン(中央左)が押されると、そのどれかが作動して絞首台の踏み板(奥の囲み部分)が外れる=2010年8月、東京・小菅
関西大教授の永田憲史さん(48)は「生命を奪うこと以外、死刑囚への負担はできる限り小さくすべき」と、現在の運用を批判する。 永田さんは死刑存置の立場だが、死刑制度には「国家は人を殺すなと言いつつ、刑罰として殺すという矛盾がある」と指摘する。その矛盾を小さくするため、恐怖や苦痛は最小限にし、生命を奪うことにとどめるべきだとの考えだ。 「被害者を苦しめた死刑囚に恐怖や苦痛を与えるのは当然、という意見はもっともです。しかし、それを国家が刑罰として行うことには賛成できません」 米国では、絶命までの苦痛を少なくするため、執行方法が絞首刑から電気椅子、薬物注射へと変わっていった。永田さんは「日本は米国の2周か、それ以上遅れています」と評した。
共同通信 佐藤大介
絞首のロープがある執行室には、複数のボタンが並ぶ部屋がある。死刑囚の首にロープがかけられると幹部職員が合図を送り、待機していた刑務官が自分の前にあるボタンを押す。すると踏み板が開き、死刑囚の体は地下に落下していく。踏み板につながっているボタンは1つしかなく、複数の刑務官が同時にボタンを押すことで、自分が命を奪ったのではないかという精神的負担を緩和させる狙いがあるという。 しかし、執行に立ち会ったことのある元刑務官は「ボタンを押した刑務官の全員が、〝自分では〟という精神的な負担を抱えることになる」と話す。別の元刑務官は「刑務官は死刑執行を命令されると、拒否することができない。職務として当然のことと考える」と言うが、命を奪う行為に関わることが、心に重くのしかかることは想像に難くない。死刑執行に立ち会った野口善国さんが、その経験を「一種のトラウマ」と述べていたことが印象的だった。 死刑囚を収容する拘置所の中では、死刑囚が直前までいつ訪れるかわからない執行に神経をとがらせ、刑務官は命令を受ければ、死刑囚の命を絶つ作業に関わらなくてはならなくなる。死刑判決の先には、死刑囚が国家による強制的な死を迎えるまでの、さまざまな場面がある。死刑の是非を議論する前に、そうした現実に目を向ける必要があるのではないだろうか。 ※この記事は、共同通信とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
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( 215077 ) 2024/09/24 23:54:50 1 00 (まとめ) 刑務官になった刑務官は、死刑執行の責務を果たすことが当然の仕事と捉える声や、その重責に耐えられないと感じる刑務官に理解を示す声がありました。 | ( 215079 ) 2024/09/24 23:54:50 0 00 =+=+=+=+= 人様を殺害して法で裁かれ死刑囚になった者に対して、仕事として刑務官になったのだから執行する事は当たり前の事。 嫌だったら退職する自由があるのだから辞めれば良いだけの話し。 そんな事より突然人生を終わらせられた被害者や残された遺族の事を考えるべきだ。
=+=+=+=+= 執行官のお仕事は大変な事はわかります。 ちょっと違うかもしれないけど、豚や牛、鳥の解体作業もある意味同じだと思う。これも命。 私たちは手を汚さず、血を見る事なく命をいただいている。 要は色んなお仕事があり大変な内容のものは多くあり、執行官は執行官としての職務として、世の中のために仕事をする必要があると思います。
=+=+=+=+= 矯正して、自分の罪を認識してもらいながら死刑執行する事に意味があると考えるので、矯正自体も必要であり矛盾しているとは思えません。その上で、死刑執行が嫌なら職を変えるべきなのではないでしょうか? また、アメリカを含む他国は、日本より人口当たりの殺人率が高い国ばかりですので、逆に日本の法制度の方が進んでいると考えるの方が正しいと思います。何でも日本が遅れていると考えるのは間違いであり、むしろ、日本の低い殺人率を参考にしてもらいたいくらいですね。
=+=+=+=+= これってさ、自衛官になったけど、戦争には参加しません。行くのは災害派遣だけです! 消防士になったけど、危ないので火災現場には行きません!って言ってるのと同じだろ。 刑務官は刑の執行を受ける人間を監督する義務があり、服務の宣誓もしてるはず。 安定した収入は欲しいけど、執行には関与したくないというのは、ちょっと違うだろ。
=+=+=+=+= 昭和46年当時は死刑囚に執行前日に翌日の執行を教えていたことはありません。弁護士になるような刑務官が執行に直接携わることもありません、執行は看守・看守部長が直接携わります。この記事は偏向しています刑務 官は2万に位おりますが執行に携わるのは 年間10人程度です。執行も分業制になっています。部屋から連行する人、死刑囚を縛る人、首に縄をかける人、ボタンを押す人、号令をかける人、死体を検視する人、それぞれ自分の任務を追行していますので、マスコミが煽るほど精神的に負担を感じている人はいません。
=+=+=+=+= 薬丸岳さんの『最後の祈り』をごく最近読みました。限りなくノンフィクション小説であると読み終わった後、刑務官の苦悩に強い衝撃を受けました。死刑制度の是非は被害者遺族の感情と凶悪犯罪の抑止などを考えると現在の日本国内の凶悪犯罪率は世界でも少なく安全度の高い国として位置づけられているようです。それ故に刑罰のあり方が時代背景に則しているか矯正教育を考え直す機会があるのではないかと思います。
=+=+=+=+= これは「刑務官になったんだから当たり前」という簡単な話ではないと思う。
私の友人も刑務官になって久しいですが、幼少期に彼の父親が犯罪に走ってしまい、そこから中々社会復帰がうまく行かず家族がバラバラになってしまった過去があります。それで彼は「道を踏み外した人がしっかり更生できるような社会にし、そんな思いをする家族を減らしたい」って思いから刑務官になりました。 そんな志を持って任官した刑務官が「お前の配属は刑場のある拘置所だ。」となったら、当然葛藤やモヤモヤはあると思う。実際に死刑を担当する日が来たらどう思うだろう。犯罪者をしっかり更生させたいという思いで任官したのに、今自分の目の前には死刑執行のボタンがある。そりゃ苦悩するよ。
少なくとも刑の執行にあたって、刑務官の負担という面で改善の余地はまだまだあると思う。
=+=+=+=+= 執行の実行だけじゃなく執行日の決定も含めて機械にやらせていいと思う。そもそも6か月以内に刑を執行するという法律が守られてなく現在進行形で違法状態なんです。執行ボタンのONだってセンサーカメラ等で判定できるだろう、無人でコンビニが運営できるレベルなんですから。できる限り人間の心情が介在しないようにして「機械的に」実行する仕組みを設けることが、刑務官にとっても良いと思う。
=+=+=+=+= 刑罰の目的は受刑者の矯正だけではありません。凶悪犯罪を犯した犯人を社会から隔離する事も大きな目的。その究極が死刑。凶悪犯を完全に社会から隔離し再犯の可能性も皆無とする唯一の刑罰です。死刑の執行に拘わる刑務官の内心は他人に推し量る事は出来ないかもしれません。しかしその職を選んだ以上、職務は遂行しなければなりません。それが無理なら職を辞する事も出来るのですから。
=+=+=+=+= これは凄いですね!
驚きました。刑務官は素晴らしいですね。
ただ死刑囚は人を意図的に殺さなければ絶対に死刑にならいわけで、その途轍もなく簡単な事を出来なかった人たちなので、罪を償うのは当然。執行の時は死刑囚にスポットライトを当たるのではなく被害者にしっかりと謝罪して最後の最後まで罪を償う気持ちを持たせる事が大事と思いますね。自分のした事を復唱させるくらいで良いと思う。それでも被害者は帰って来ませんが。
=+=+=+=+= 刑の執行を待つ時間がそれほど苦痛なら、もっと執行を早めるべきである。今はいたずらに執行が延ばされている。刑務官の心理的負担を気の毒に思うが、刑務官の中には社会正義を実現できる自分の仕事に誇りを持っている人も多数いるだろう。死刑になるのは、多くの場合、凶悪な目的で複数の人を殺したためである。犯罪の犠牲になり命を落とした人の無念を晴らしてあげたい。
=+=+=+=+= 死刑囚は人間に違いありませんし、他の人と同様に妻もいれば子もいれば、一般人と変わらない感情を持っている人もいるでしょう
しかし憎むべきは人ではなく、犯した罪であることを忘れてはいけません 「罪を憎んで人を憎まず」といいますが、犯した罪は法で決められた手続きに沿って処分されるべきで、本人も刑務官もそれを理解しているはずです
利害関係がない人を殺す苦痛、執行される側の苦痛がそれぞれあると思いますが、それらは自分が選んだ道だと思います
=+=+=+=+= 特別の権限を与えられた職員が、法令に則り職務を遂行する。たとえ個人の感情があっても職務は確実に遂行しなければいけない。個人に判断を求めていないならなおさら。公務員にとって当たり前の行動だと思います。
=+=+=+=+= 共同通信の連日のキャンペーン 死刑囚に関する本よく読んでいます。 矯正教育との矛盾。 申し訳ないが死刑判決を受けるということは複数人殺害している。その人に対する矯正教育は、心穏やかにそして反省して執行されることでは? 最近は受刑者や死刑囚の人権に対して、寛大にすべきとの訴訟がよく起こされているが、被害者や遺族心情をないがしろにしすぎ 自分たちは被害者を傷つけ中には命を奪っておいて「俺たちは大事にしろ」ってそれこそ矛盾 死刑反対の裁判官の方が家族を殺害され容認になった 共同通信もその方を取材し記事にしないと不公平です
=+=+=+=+= 刑務官などの精神的負担を考えるなら、死刑執行の多くの部分を機械化するなどで良いのでは? 法務大臣が承認した時にスタートし、決まったスケジュールで死刑執行・片付けまでをロボットが行うようにすれば良い。 ロボットにAIなどは搭載せず、粛々とスケジュールをこなすだけ。
=+=+=+=+= 死刑に問題がある等というが、この文章には死刑判決を受けた人は何をして死刑が確定したか何も書いていない 刑務官からの視点で書かれているなら、被害者についても書くべきです 死刑判決を受けた受刑者に全てを奪われた被害者について書くべきですね 正当な職務で生命を奪う刑務官の方々を尊敬しますが、刑務官になる人はその事を理解している 刑務官の方々には自信を持って職務を行なって欲しい
=+=+=+=+= 死刑判決を言い渡されるだけの残虐非道な犯罪を犯してるからこそ死刑囚として収監される訳だから、それが冤罪で無い限り至極真っ当な行為だと思うけどね。 それでも残虐だと言うなら死刑制度を廃止するしか無い。 しかし、死刑制度が制定されてもう何百年も廃止にならないのは、死刑制度が必要不可欠な刑罰で有る事の表れだと思う。
=+=+=+=+= 刑務官という仕事を選んだのは自分自身でしょとしか思えないんですよね。執行にあたり誰が手をかけたのかわからないような方法に変えるなど検討の余地はあるかと思います。
=+=+=+=+= 刑務官に就くと言うことはそうゆうことなんじゃ無いのかな?清掃員になったけどトイレ掃除がイヤとか、消防士になったけど火の中はイヤだ!と言っているのと同じじゃなくて?
だが刑務官の心の負担を〜…、という気持ちは分かる。これの解決は、今残っている死刑囚にその業務を与えれば良い。次は自分の番だと身にしみて分かるだろうし、毎日反省するだろう。そして自分の執行を毎日待ち続ける日常を送れば良いと思う。 死刑囚を順繰りに送り出せば最後の一人にならない限りは解決する。
=+=+=+=+= 犯した罪が死を持て償う必要があるものならば、死刑は必要だとおもいます。 日本には言葉通りの終身刑がないというのも問題点なのではないかと思う。 とはいえ、罪人に掛かる経費が税金から出ていることを考えれば永く収監することが国民の負担になる。 罪を犯すにはそれなりに事情があるにしろ、死刑の判決がでたならば、速やかに執行すべきだと思う。 法務大臣にはその職務がある、刑務官にも死刑執行の際に関わる職務があることを就く者は承知しているはず。 被害者やその遺族の感情に優先して寄り添って欲しい。
=+=+=+=+= 矯正教育も必要だと思いますが、犯した罪のない重さや再犯の可能性を考えると、矯正はどこまでが効果が有るのか考えます。
個人的な意見ですが、被害者の事や社会の事を考えると、刑の役割は犯した罪の償いと犯罪の抑止効果であり、死刑以外に極刑の方法が無いならば死刑も罰と抑止の為に必要だと思いますし、矯正はその次だと思います。
そのうえで、死刑執行は、刑務官だけでなく、法務省など多数の人で、誰か特定出来ない方法を考えて、刑務官に思いを残さない様にしてはどうでしょうか。
=+=+=+=+= 私が仮に死刑執行のスイッチを押す刑務官であったとしましても、良心の呵責等は一切感じないと思います。何の躊躇いも無くスイッチを押すでしょう。なぜなら、それは正当な職務であるからです。そして刑の執行は日本国の法律に則って裁定されたものであり、そこに責められるべき謂れなど全くもってありません。何も後ろめたいことなど無いです。ぜひご自身の職務に誇りを持って、務めていただければと思います。 この様な刑務官の方の声は以前からよく聞きますが、執行係は志願制にしたらどうでしょうか。
=+=+=+=+= 死刑執行に携わる人の苦悩は想像を絶するものだと思います。ただ、執行する側の人権とか言いだすと違うと思います。まず刑務官は仕事でその職に就いていて職業選択の自由はあります。人権はあるが配慮する必要はあるしそれをする人がいないと困るのも間違いない。死刑を無くすかどうかはともかく死刑判決が出るほどの極悪な事をしているわけで死刑相当の厳罰は不可欠。執行方法、執行前後のケア、手当などの見直しなどは考えてみるべきなのかもしれません。
=+=+=+=+= 人を故意に殺めたことにたいして、その償いとして死刑が執行されるのは至極当然のことだと思います。 そして、その大変な任務を遂行してくださっている刑務官の方々には心より御礼申し上げます。 日本の秩序を守ってくださりありがとうございます。 死刑囚は自身が犯した罪によって被害者はもちろん、こういった任務にあたられてる方々も含めどれだけの人を苦しめたか、しっかり考えて自らの命と向き合ってもらいたい。
=+=+=+=+= 死刑反対派の元刑務官や弁護士が語る苦悩や葛藤は、被害者遺族にとって無意味です。最愛の人を奪われた遺族にとって、加害者がどれほど苦しもうが、その痛みは癒されません。死刑執行によってのみ、法の正義が示され、犯人が社会から永久に排除されることで、遺族は一定の安堵を得られるのです。「人権」や「悔悟」を優先する議論は、被害者と遺族の尊厳を無視しています。残虐な犯罪には、それに見合う罰が必要であり、死刑制度がなければ再犯が生まれ、新たな被害者が生じる恐れがあります。
刑務官や弁護士がどれほど苦悩しようとも、被害者遺族にとっては、加害者が存在し続ける限り、その痛みが癒えることはありません。そして、死刑制度が存在しない国々で、再犯を重ねている事例も多くあります。これをどう説明するのでしょうか?
「命の大切さ」について語るのであれば、まず被害者の命が何よりも尊重されるべきです。
=+=+=+=+= この元刑務官の方は、死刑囚と親しくなり情を重ね親しくなっていたようだ。 一方、殺された被害者の親族とは会ったことも無く何らの情も無いということのようだ。 この方は刑務官としての本来の役割(死刑執行業務も含む)に疑問を持っているようなので、刑務官になるべきではなかった方ではなかったか。 このような、死刑囚と情を重ねる刑務官も居るようになので、冤罪の可能性の全く無い死刑囚に対しては、早期の死刑執行が必要なのかと思う。
=+=+=+=+= 苦悩を感じるという刑務官もいれば、仕事だと割り切って職務遂行している刑務官もいるはず。 刑務官とはそのような仕事だと覚悟したうえでこの職を選んだのだから、刑務官時代に死刑執行に携わることを苦しみ、抵抗があったというのはそのことのほうが矛盾しているのではないのか。 矯正教育は罪を犯しても十分更生できる受刑者に行われる、いわば国からの施しであり、受刑者が社会復帰するための重要な役割を果たしている。 しかし、重大事件を犯し死刑は免れないという被告がいれば、いつかは死刑執行される日が来る。そしてそれを担うのが刑務官であり、重要な仕事。 だから国も刑務官のメンタルケアを充実させ、死刑囚を殺めてしまったなどと苦しまずに済むよう、サポートする必要がある。 死刑廃止論者の主張に「人が人を殺すことが正しい罰なのか」というものがある。ならばそうならない形で死刑囚にも人権を与えながら執行する手段を考えればいい。
=+=+=+=+= アメリカは死刑制度が無い州があり、刑法もなるべく罪にならないような運用をするので、殺人も多く、死刑制度が無いことにイライラしている米国民は多い。 だからダーティーハリーみたいな刑法を無視して犯人を殺害する刑事の映画が人気が出る。 警察に射殺権の裁量を広く認めることで死刑制度廃止とのバランスをとる、というのが法思想的に妥当なんだろうと思う。
=+=+=+=+= 死刑囚は罪を犯したので致し方ないが刑務官は職務とは言え人を殺す事なので、罪悪感はあるだろう。犯罪者でもない刑務官にそこまで負担強いるのは少し酷な気がします。たとえ悪いが戦時中に特攻隊員に死んで来い、これは命令の範囲超えてると言ってる司令官いたそうです。刑務官の職務は矯正教育だけが妥当だと思う。執行はできるだけ機械的にボタン押すのではなくセンサーなどで自動化するのがいいと思う。車も自動で運転できる時代何か工夫してほしい。
=+=+=+=+= 実際に執行にあたる刑務官の方の重責は凄まじいモノだろうし、罪人とはいえ他人の生命を停止させるのだ、苦悩されるのも当然だろう。ただ、現代日本の刑務官は、廃業の自由がなかった、江戸時代の首斬り浅左衛門でも、仏革命時の首斬りサンソンでもない。職業選択の自由がある戦後日本で、自ら選択し公務員試験を受けて合格して就業した人たちだ。 刑務官の方たちには、日本国家と、社会の正義を執行する誇りをもっていただきたい。
=+=+=+=+= 刑務官の気持ちは理解できるし、確かに今の執行のやり方には疑問を感じる。死刑執行も職務の一つと理解して、刑務官になったとしても、どんな悪人と理解していても、普通の人間の感情からすれば、死刑執行は精神的苦痛がらともなうのは当然かと思う。 しかしながら、日本の裁判ではよほどのことをしない限り死刑の判決はでないわけだから、被害者遺族、関係者の心情を考えると執行しないわけには行かない。 であれば、執行のやり方を変えれば良いだけと思うし、今の時代いくらでもやり方はあると思う。そういう議論ができると良いと感じました。
=+=+=+=+= 例えばだが、執行のボタンを遺族が押すことに変更出来ないだろうか?少なくとも、一般的に言われる3つのボタン分の刑務官の負担は軽減される。 また、おそらくだが、死刑囚になるくらいだから、かなり悪質で残忍な事をして、裁判を経た上で下された判決と思われるが、被害者は問答無用に命を奪われたケースがほとんどかと思われる。当日の告知が人権侵害に当たるとの加害者の主張に、とても同情は出来ない。 現代、これだけ刑務官の仕事に死刑執行が含まれると認知度も高い事だと思うのだが、精神的に耐えられないと思うのなら、別の職業を選択すればいい。 法務大臣も、執行命令書にサインしたくないなら、総理からの就任要請を拒否すべき。 にしてもですよ、死刑に関わる職業といえば、裁判官や検察官も含まれるが、この方々は職務をしっかり理解されてて覚悟の上だからか、廃止論を唱える方は聞いた事ないですね。
=+=+=+=+= 刑務官になる以上は、当然に、粛々と執行して欲しいものです。その覚悟がないのであれば、職務怠慢だし、それこそ「公務員として失格」だし、そのような公務員を我々の税金は求めていません。退場いただいて結構です。目の前の死刑囚は、理不尽にも他人の命を奪った。命を奪う事件の中でも「極刑の選択を回避する余地がない」という極悪非道の認定をされたことを、一時たりとも忘れずに日々職務に当たって欲しいものです。
=+=+=+=+= かなり前に、絞首刑に立ち会う刑務官の話を文庫本で読んだことがあるので、刑務官達の苦悩を考えると死刑については複雑な思いはある。 が、実際に知り合いが殺人事件に遭い命を落としているので死刑には反対の立場にはならない。 動物に例えるのはどうかとは思うが、私自身、小さい時から動物の命を助けたかったので高校生まで獣医になりたかったが、獣医になる為には生きている生き物も殺す必要があることに気づき獣医になることを断念した。 刑務官も公正へ向けて罪人を導く仕事だけでなく、遺族のためにも死刑制度が必要と思える人が職につくべきだと思う。 死刑制度に反対の立場なら、刑務官になるのは諦めた方が良いのかも。
=+=+=+=+= 刑務官の方には、死刑執行には犯罪被害者の復讐感情の抑制・沈静化という重要な機能があることをお伝えいただきたい。 刑務官の方が、苦しくとも死刑執行してくださるおかげで、日本は他国よりも凶悪犯罪がすくないのだから。 社会的に有意義な業務、犯罪被害者の感情に一区切りをつけ、未来を大きく方向転換せざるをえなくなった方が再出発するための必要不可欠な業務だから。
=+=+=+=+= 他に仕事が無くて仕方なく刑務官になったわけでもあるまいし、そのような職務を負わなければならないことを承知の上で自ら選んだ仕事であるはず。 ならば覚悟をもって職務に当たるのが刑務官としての責務ではありませんか。 嫌なら退職して去ればいい。職業選択の自由を保障された国家ですから。 拘置所を管轄する法務省は、執行に前向きで志願する気持ちがある刑務官を選出するべきです。
=+=+=+=+= 刑務官のこの仕事を、殺された被害者の関係者が代わりにできる仕組みがあってもいいんじゃないでしょうか。死刑にかかわる刑務官に苦悩や心理的な圧迫を与えている状況から、被害者の関係者が希望すれば、刑務官の仕事を代わって行える仕組みがあってもいいじゃないかと。
=+=+=+=+= 死刑執行に対する刑務官の仕事だけを見れば、非常に辛い仕事だとは思う。 しかしながら死刑囚というのは想像を絶する事件を犯し長い裁判を経て死刑が確定しているのであるから、死刑執行が命じられたのであれば業務命令として受け止めて死刑の執行を行うべきだ。 当然のことながらPTSDなどになることもあるだろう。 しかしながらそれが「刑務官」としての仕事だということを自覚するべきではないかと思う。 死刑制度がある限り誰かが執行しなければならない現実に目を向けるべきだと思う。 特に日本においては死刑確定から執行までの期間が相当長い。 これは死刑囚に対しても、毎日毎日の恐怖を与えるものであって言い方を変えればイジメそのものだと思う。 死刑が確定すれば決められた期間内に執行することが、死刑囚にとっても、また刑務官にとってもいいことだと思う。 出来れば年内に残っている死刑囚100人余りの執行をすればどうかと思う。
=+=+=+=+= 「死刑囚の人権」法治国家では当然論じられねばならない問題ではありますが、死刑囚になった人達はほぼ間違いなく複数の他人を殺害しています。心情的にはなかなか賛同は得られないでしょう。 あと、最後のボタンはAIや遠隔でいいというコメントがありますが、その「セッティング」(死刑囚を誘導し、首に縄を掛ける等々)はどうしても刑務官の方々がやらねばならず、完全に機械化は難しいのでは。 最後のボタンから解放されるだけでも精神的負担が軽くなるのなら検討すべきとは思います。
=+=+=+=+= 過酷な仕事であることを覚悟して刑務官になったのではないかと思いました。 刑務所に入れられるような人たちは、重い犯罪をすれば死刑になることを分かっていながら凶行に及び、たくさんの方々の人生を狂わせているのです。 犯罪被害とは無縁の国民も、すでに被害者遺族という立場になってしまった方々も皆が納得できる死刑に変わる制度を整えられたとき、死刑を廃止する方向に向かってもいいと思います。
=+=+=+=+= 死刑囚に対して死刑執行をするのは犯した罪に対する罰だからある意味当然だとは思う。死刑囚ってことは人の命は少なくとも1人以上奪っているのは確実なのだから。
刑務官が死刑執行を行う業務があるのも事実だし、そもそも刑務官になる際にそこは自分で理解してなっているのではないかと思う。 死刑囚といえども死刑執行を自らの手で行いたくないのであればそもそも刑務官にならなければいいのではないだろうか? 人の命を奪っているのだから大なり小なりメンタルにくることはわかっているはず。
とはいえ刑務官というのは誰もがなりたがる仕事ではないと思うし、実際に従事している方は素晴らしい方達だと思ってます。 そういう方のメンタルが少しでも和らぐようなシステム作りがあればいいなとは思いますね。
=+=+=+=+= 刑務官は仕事の一環として死刑にかかわることは分かってたでしょう。ただ仕事に適不適があるとすればこの刑務官は職種を誤ったと感じます。死刑囚とはいえ、長いあいだ接触はあったわけで情も移るでしょう。一方でこの男の手にかかって無念の最期を遂げた被害者がいること、そして遺族がいることは片時も忘れないでほしい。感情などいらない与えられた任務を粛々と遂行するだけです。
=+=+=+=+= 賛否有ることは理解した上で投稿してみます。
極論かもしれませんが、裁判員制度のようなイメージで「最後のスイッチを押す」のは、「それを望んだ被害者遺族」に「参加機会を与える」ということを考えてみました。
刑務官は「矯正教育」に携わることが重要であり、トラウマを持ってまで刑務官が「終わらせる」のは違和感があります。かといって「誰」が適切かと考えた時に「被害者遺族の心理」を慮ると、一つの解決策かなと。
凶悪事件で被害者遺族の心理を考えた時に、もちろん死刑自体が解決策にならないことは理解しています。
また、被害者遺族にも色々な関係性がありますので、具体的に「誰が」としたときに、被害者遺族でも意見が分かれる可能性も考えられます。
また、「その場」に立った瞬間に「気持ち」変わることで、死刑執行を止まる可能性も考えられます。
あくまで私見ですが、皆さんからのご意見も伺いたいところです。
=+=+=+=+= 自ら刑務官になったんだから、なんで苦悩するのかわからない。 まさか、何をするか知らないまま、だまされて刑務官になったわけじゃあるまいし。 それに、死刑が残酷的な内容があるが、被害者は何の落ち度もなく人権など言っている間もなく殺されているのに、加害者の人権は尊重しようというのは、まったく意味が分からない。
=+=+=+=+= 難しいのはわかりますけど。
やっぱり、命を奪う瞬間の苦痛よりも、それまでの経緯、「いつ執行なの?」「どうおわるのかな?」という、そのかたちが奪った命の苦痛・叫びを自分に置き換えて、執行されて始めて、残された遺族は、あぁ彼らも絶望のなかで絶命してくれたかな、と少し線引きができるのかと、遺族感情を想像しました。
加害者の人権を尊重する記事が多くて、なんか腑に落ちないのは、自分だけでしょうか。 被害者やその関係者をもっとケアしてほしいです。
=+=+=+=+= 刑務官の方々の苦悩は当然だと思います。 会ったことも見たことも無い凶悪犯をニュースの犯罪内容でその残酷な所業を知る私たちとは違い、仕事とはいえ常に接することになるのです。生い立ちや背景、苦しみや悲しみ、そして何よりいくら凶悪犯とはいえ良いところもあるのだと思います。 おそらく、誰もがその状況ならば苦しみ抜くと思います。きっと、死刑囚とはいえ人間一人の人生が終わることにあたり様々な理由があるのかと思いますが、何より刑務官の方々はこれ以上苦しむべきでもありません。
とすると、死刑執行時は死刑囚個人と全く面識の無い他の刑務所刑務官をその時招集、実行というシステムに変えていく方が良いとも思います。 というか、もし今そうじゃなければ死刑囚と刑務官を出来るだけ接しないようにするしかありません。死刑囚とは、更生を目的としていないからです。 その償いきれない罪をせめて自らの命で償うことに意味があります。
=+=+=+=+= 法相や検察官が担ってしまっては、公正な判断ができなくなる可能性があると思う。刑務官の方々にはかなり辛いことをしていただいていると思うが、死刑判決を下す人もまた辛かろうと思う。 刑務官が少しでもトラウマにならないように、痛み苦しみの少ない方法をとり、オートマで刑が執行される仕組みなどあるといいけど。
死刑の判断基準の永山基準には遺族感情というのがあり、死刑の是非の話でも必ず遺族感情を考えるとやむなしという意見が多数出るけど、じゃあ天涯孤独な人が被害者なら死刑にならないのか?といつも思う。または遺族が極刑を求めていない場合、被害者自身の無念はどうなるのか。社会的影響の大小も判断基準になるとか。 どうももやる。
=+=+=+=+= 凶悪犯に家族を奪われた遺族が、死刑判決にならなかったときの無念さ、というのも容易に想像できる。もちろん被害者本人の無念さも。 最近の判例で死刑になるのは相当凶悪な犯罪に限られると思うし、遺族の無念を考えたら、刑務官なら死刑には躊躇なく臨むべきです。 正義感の強い人ほどそう思うのではないか、と自分はそう思います。 どうしてもできない、という人の為に「志願制」にはできないのでしょうか。 もし、自分が刑務官であれば、必ず志願すると思います。凶悪犯の為に人生を遮断された被害者の無念を晴らすためにも。
=+=+=+=+= 本来、刑の確定から執行まで6ヶ月と法律で決まっているはず。それを延ばしに延ばして何年もやらないから執行を待たされる側もいつくるのかと苦痛になる。待たされる間の精神的苦痛も罰に含むならば執行時期を1年ほどに延ばして予定執行をすべきでは。 刑務官の精神的負担についてはやり方に一考の余地はあるように思うし、改めて議論はされるべきではないだろうか。
=+=+=+=+= 刑務官は家族や大切な人を殺された訳ではないから 死刑執行に携わることに抵抗を覚えるのは仕方ない事です。 でも大切な人を殺された人達の気持ちを考えれば 誰かが執行しなくてはならない事とおもいます。 執行者のメンタルが守られる方法で執行出来る様になる様に願ってます。
=+=+=+=+= 死刑囚の立場や家族にとっては、その最後は辛いのかもしれないと想像もつきます。が、死刑と言う極刑を言い渡されるほどの犯罪を犯したのですから死刑囚に同情は微塵も思いません。そして、その死刑囚と長く接したのならば刑務官も人の子ですから少しは同情してしまうのでは?でも勘違いしないでほしいのは極悪人は檻の中では大人しいのは当たり前の話で世に放たれればまた善良な国民が犠牲になる可能性がある。 刑務官の人権を言うならば、今は令和の時代。ボタンで執行では無く、大臣の一声で機械が作動するシステムにすれば、現場の刑務官の罪悪感は無くなるのでは?逆に大臣は負担になるでしょうが、それが責任者のあるべき立場なのでは。 最期にこの記者は、自身のご家族がそのような犯罪者に命を奪われても同じような記事が書けるのか?
=+=+=+=+= 犯罪をすることが、どれだけ迷惑な行為か。
この方も、ある種の被害者。
犯罪なんて、無いに越したことない。
0に近づけば近づくほど「加害者」も「被害者」も少なくなる。刑務所運営、捜査する警官など、それにかかるコストも下がる。
だから「未然防止」の観点から、死刑も無期懲役も賛成です。 法務省は、もっと厳罰化に舵を切るべきです。
犯罪を考える者にリスクを負わせるべきた!
=+=+=+=+= 日本では自らの命をもって罪を償うという考え方があります。元をたどれば腹切りで、その時代には介錯をする人が立ち会い、苦しまないようにしてあげるのが武士の情けだったのでしょう。 国家は命を殺すなと言いながら・・・の文節を読んだとき、一般人と死刑を言い渡されるだけの罪を犯した人を同列に扱うのはおかしいと思いました。人権を扱うとそうなってしまうのかもしれませんが、やはり一般人と死刑囚では同列に扱ってはいけない気がします。 第三者的な立場から見ると様々な考え方があるとは思いますが、死刑囚に家族を殺されたりした遺族からしてみれば、死刑が執行されるまでは1つの区切りとして踏ん切りがつかないとも思います。まして無期懲役となり何らかの事情により刑務所から出れるようになったら、それこそ遺族は痛まれない気持ちになるでしょう。
=+=+=+=+= 刑務官のボタン押したくない気持ちはわかります。刑務官はその死刑囚を執行までみるのですから情が出てくるというか複雑な気持ちになると思う。あのボタン式は早期に改善すべき。もしくは大臣自ら押すとかね。あとは死刑確定してから執行までの期間が長い。冤罪の可能性がある場合はともかく、明らかに確実な犯人の場合は早期に執行すべきと思います。ただ遺族側からしたら早期に執行して欲しい気持ちと執行されても戻らない命、そして自分が死ぬまで一生苦しい思いをするのです。
=+=+=+=+= 制度を変えたければ政治家になればいい。行政は法の執行者であって、そういう仕事だと認識して職に就いたはずで、誰に強制された訳でもない。更に、職業選択の自由があるのだから、合わないと感じたのなら職を変えればいいだけなのでは? 人生で「思っていたのと違う」ことは、結構多いと思う。『被害者』になるのは簡単だけど、皆それぞれの事情を抱えて踏ん張っている。
=+=+=+=+= 恵まれた環境で生まれ、幸せの中にいる人は決して人を殺そうなどと思わないでしょう。 人を殺めて仕舞う人の多くは 荒んだ生い立ちなのだと思う。 人間で有る限り情というものがありますから、毎日犯罪者と向き会うなかでこの手で執行し、結果目の前の人の生命を奪う。 そう考えた時に職を放棄したくなる。それでも誰かは請け負わなくてはならない大事な仕事です。本来なら殺された被害者、自ら仕返しの釦を押せれば一番良いのだろう。しかし、それも酷な話だと思う。だから被害者の無念。家族の大きな悲しみ。 その気持ちを一身に受けて職務を全うしなければならないのです。希望の無い仕事とはおもいますが、決して帰って来ることの出来ない被害者の事を想い、やるしかないのです。 死刑を宣告されたと言うことは これ以上生かしておくことが出来ない非情なひとなのですから。
=+=+=+=+= 死刑執行に携わる刑務官の心理的負担は、制度設計の大きな欠陥を示しています。彼らは受刑者の更生を支援する立場にありながら、命を奪う行為に関与することで「人を殺す」という矛盾に直面し、その影響が長期的なトラウマを引き起こすことがあります。この現場の苦悩は、制度全体の見直しを必要とする重要な要素です。
さらに、死刑の実行に関与する命令者も倫理的ジレンマや責任感に苦しみ、心理的ストレスやトラウマが生じる可能性があります。こうしたことから、死刑制度は関与するすべての人に影響を与え、倫理的な葛藤を引き起こします。
したがって、死刑制度の維持が倫理的に正当化されるのか、深く議論する必要があります。執行の責任を明確にし、命令者や執行者の心理的負担を軽減する仕組みを導入することで、根本的な問題に対処する道が開かれるかもしれません。制度の見直しは、社会全体の倫理観にも影響を与える重要なステップです。
=+=+=+=+= 執行者が行うのではない。あくまでも国家の代わりである。やりたくない出来ないのであるのなら刑の執行を粛々と行える人が役目に就けばよい。その気持ちを執行しない理由にしないでいただきたい。そこには凶悪犯罪の被害者や家族がいて執行を心待にしている人もいることを忘れないで欲しい。それはそうである。それだけの非人間的なことをしたのだから当然の報いだ。
=+=+=+=+= ヤバい考えと言われると思うが、死刑廃止ならめちゃくちゃ辛い終身刑ぐらいがないと、いくらなんでも遺族の心情が収まらない気がする。 死刑は執行されない限り本質的には刑罰を受けていない現状と、刑務所に入りたかった、なんて希望を叶える訳にもいかないと思う。 また、個人的にはやっぱり冤罪で死刑判決が出されたケースはそれなりにあると思う。 特に確定的な証拠もなく状況証拠だけで冤罪の可能性があるような事件の人を執行しなければならない立場の人には思う事があって当然な気もする。 なので遺族の立場を考えれば、自分で命を絶ちたくなるほどの辛い終身刑とかにして、万が一冤罪なら国がその人に莫大な補償と名誉回復に全力に取り組むなどの国が償う手段をとるしか無いと思う。
=+=+=+=+= 刑務官を取材した漫画で、死刑囚になってから聖人のようになるような人もいると聞きます。 犯罪傾向が進み、罪悪感や躊躇なく残忍な連続殺人ができるような人でも、死刑囚として特殊な環境に身を置かれることで、悟りを開いて穏やかになり、罪と向き合い、刑務官に対しても気づかいのできる態度になったりするのだとか。 そういう人であれ、問題行動著しいままの人であれ、身近で世話する立場で死刑を執行するのは確かに心理的負担がありますよね。 法相が執行するとなると、それによって執行をためらう法相が増えそうなので現実的じゃないし、執行が決まったら他の拘置所に勤務して接点のない刑務官を派遣するのが妥当な気がします。
=+=+=+=+= 確かに絞首刑って見てる側にとってはきっと衝撃的なシーンだよね。死に際の抵抗で「死にたくない」と大声で叫んだり暴れたりするかも知れない。床が開いて落下すると大きな音がするし、死ぬまでに時間がかかって呻くかも知れない。死体がぶら下がったロープが揺れてジリジリと音がするだろう。死刑囚の歪んだ死に顔も見ることになる。舌は出るのだろうか?顔色はどんなかんじなのだろうか? 想像は簡単だけれど、実際に自分が見たらとても嫌な気分になると思う。やっぱり絞首刑は立会人にはかなり負担が大きいと思う。 一方で薬物投与で執行できるなら比較的穏やかだろうし、立会人にとっても多少の負担軽減になるんじゃないかな。でもそれを採用しない理由って何なのだろう。その薬品を製造する人達にも精神的負担がかかってしまうからなのだろうか? よく分からないけれど、自分ならそのくらいは許容範囲内かな。
=+=+=+=+= 執行するのは大きな精神的負荷がかかるのは理解したうえで 刑務官採用試験を受けて拝命されたのだから当然です。
警察官や自衛官が上官から合法的な命令を受けたら 武装した敵兵や被疑者に射撃するのと同じで、 刑の執行が刑務官の職務です。 刑の執行に耐えられないなら退職して他の職業を選択する自由があります。
=+=+=+=+= 最近、死刑廃止に関するニュースが頻繁に報道されているが、その論調には偏りが目立つ。マスコミは安全な立場から、加害者の人権や国際社会からの要請ばかりを強調し、犯罪被害者やその遺族の心情、犯罪抑止効果など、国民の安全を守る観点が軽視されている。また、イスラエルの蛮行には目をつむり、国際的な人権問題を都合よく選んで報道する姿勢にも疑問が残る。この一方的な報道では、公平な議論が妨げられ、社会全体にとって有害である。私たちは、多角的で公正な報道を強く求める。
=+=+=+=+= 死刑執行に携わるのが嫌な人がいるということを死刑廃止の理由に挙げるのは、人を牢屋に閉じ込めるのが嫌な人がいるから懲役を廃止するのと変わらない。 加えて言えば、刑務官のトラウマは気の毒でもあり、改善できるならそれがいいと思うが、何の非もない最愛の人を残酷に殺された遺族にとって、犯人がのうのうと人生を営み続けるという苦痛はトラウマのレベルをはるかに超え、なおかつ一切のそしりを受けるべきものではないと思う。
=+=+=+=+= 刑務官は気の毒かと思うけど、執行するかもしれないという覚悟のもとでは? 辛いなら別の仕事をすれば良い。
死刑囚の訴えなんか却下されるに決まってるし、むしろ却下すべき。
絞首刑で数秒苦しむこと以上に、 被害者はもっと酷い形で命を奪われ、遺された遺族も命尽きるまで悲しくつらい日々を送る。 人を殺めて死刑囚になるということは被害者と遺族以上に苦しまなければいけないと思う。
=+=+=+=+= 警察官だって守る為に射殺する事もある。 決して気持ちのいいものでもないだろうけど 間違った事はしてないと思う。 これ以上罪を増やさない 被害者や被害者家族を増やさなかったと思ってもいいと思う。 それに耐えられないなら職を変えるしかない。 無理やりにさせられる仕事ではないので 選ぶ権利は自分にあると思うけどな。
=+=+=+=+= 確かに執行する人は精神的に負担だと思う。
賛同はされないとは思うが、 死刑囚に殺害された被害者の遺族が、死刑執行時のボタン?を押すときに 混ざるのはどうだろう。 もちろん希望すればだが。
日本は敵討ちが制度的に禁止されている。 しかし被害者遺族としては何ともやりきれない気持ちの人も多いだろう。 せめて執行時にボタンを押す役目の数人のうちの一人になれば、 多少は仇討ちしたことで被害者へ墓前報告になるような気もする。 死刑囚というのは、そうなるだけの罪を犯した人だということを 忘れてはいけない。
=+=+=+=+= 仕事なんだからやれって言う方の気持ちはわかりますが、このような命に直面する仕事は部外者が想像できる範疇を超えた強いストレスがかかるんだと思います。 なので、いやなら辞めればいいなんてことを言うのはやめていただきたいです。人を深く傷つける言葉だと思います。そのような葛藤がある中でも職務を全うしている方々に感謝しかありません。 少しでもこの仕事に関わる方々のストレスが和らぐ方法が検討されることを期待したいです。 あと率先して執行したいですって言ってる人がいたらその方がちょっと怖くないですか?
=+=+=+=+= 気持ちは痛いほどお察しします。が、仕事です。嫌なら辞めればいい。ただそれだけ。 強盗殺人で殺された方はたまったもんじゃないことを決して忘れてはいけません。 当然の刑執行です。それ以上、それ以下もありません。そのことだけは忘れず仕事をしてください。あなたたちが苦しいけど仕事をしてくださるので、決して癒えない心の傷も少しは荷が降りるのです。感謝してるんです。
=+=+=+=+= 裁判員裁判のように広く国民に呼び掛けてみるか応募にするか試した方がよいと思います。意外と手を上げる人がいるかもしれませんしそうなれば日当も出るし刑務官の負担も減らせますしいいことだらけだと思います。 裁判員裁判のように執行別に呼び掛けても参加してもらえれば世の中の犯罪抑止にもなるかもしれません。
=+=+=+=+= 日本では死刑賛成派が多いと聞く。それはつまり、多くの国民が、仮に刑務官全員が死刑執行を拒むような事態が発生した場合、自ら死刑執行に関わる覚悟があるということだ。なので、裁判員制度に倣って、死刑執行員制度を導入すればいい。そうすれば、刑務官の精神的負担も多少は和らぐと思う。
=+=+=+=+= 被害者や遺族の無念さに比べたら、刑務官の苦悩なんてへみたいなもの。 裁判所で充分な審理を経て法務大臣も慎重な上にも慎重な検討を重ねた上で矯正不可能と判断し決断したのが死刑執行。 公務負担を考慮すれば2万円の執行手当ては安すぎるので10万円位に引き上げたら良い。税金の有効活用をして欲しい。
=+=+=+=+= 元刑務官の苦悩はなんとなく理解はできますが、法治国家としての職務に就いた者の仕事と割り切るしか無いと思います。 病死でも事故死でも葬儀社の方は死化粧したり死装束に着替えさせたりしていますしね。 確かに刑罰を執行する側としての心情は察するに余りあります。 矯正教育の考えと死刑は矛盾しているとの事ですが、そもそも、死刑囚になるような人間が矯正教育を受けて何の意味があるんでしょう。 死刑囚でなくとも犯罪者の多くは刑期を終えて社会に出ても再犯率が高い事は数字に出ているわけで。 矯正教育なんて奇麗事を建前にして、政治家がこういった事を議論しないのは議員と言う職を失うのが怖いからです。
=+=+=+=+= 極々一部の例外もいるかと思いますが、死刑囚ということは不当に誰かの命を奪った、ということなので、どの口で人権を口にするのか、と思う。
もちろん、死刑囚にも人権はあるけど、人を殺した人間が人権を説いても、響かない。
普段から接しているから情が移るのであって、普段、死刑囚と接していない別の刑務所の職員が死刑執行のボタンを押せばいいのでは?それくらい今の通信技術をもってすれば可能だと思う。
=+=+=+=+= 確かに、刑務官の負担減、と言う意味では、アメリカの様に薬物に変えた方が良いのかも。
ただ、記事見てると、加害者に寄り添った内容であり、やはり被害者の記載が全く無い。
当時の様子や、人生狂わされた被害者遺族の現状を併記すれば、恐らく間違いなくこの記事読んで抱く感情は変わると思う。
記事の内容とは少しズレるが、死刑になりたくなければ罪を犯さなければ良いだけの話。死刑制度がある事を認識した上での卑劣極まりない犯罪を犯しているのだから、犯罪者に同情の余地など1ミリも無い。
=+=+=+=+= 刑務官は善良な人がしてる仕事だから、確かにつらく、苦しい仕事の一面があると思います。 でも、死刑になるくらいだから最低でも殺人は犯していて、犯人は最後に家族と言葉を交わし、別れができただろうけど、いきなり殺された人は何も言えずいきなり人生を強制終了された方で。 やっぱりそれを思うと、同情できない。
=+=+=+=+= 江戸時代には首切り役人がいました。刑執行後は御手当と休みが貰えました。また新撰組内でも切腹の介錯後は3両ほど貰えて気晴らしを許されたみたいです。古来より役目とはいえ人を殺す立場の事は精神的に少なからず異常をきたします。絞首刑よりかは米国が率先している薬剤投与での死刑の方がやる方の描写、受刑者にとっても人道的にうつります。
=+=+=+=+= 死刑制度ある国で、刑務官になりたくて試験を受けてなったのだから、そういった仕事も回ってくるということありきで、それを苦悩と思うのはどうかと思う。罪を犯した挙句の最期なのだから、制度がある割には執行が少ないのだから、一回携わる程度と思います。今いる死刑囚は精査して早く執行すべきです。そして刑務官も一回は経験すべきです。その経験すらなく定年退職を迎える方もいるはずです。それではこの国の制度がいかがなものかと。
=+=+=+=+= 昭和時代には冤罪の死刑判決が再審で取り消されたことが多々あり、死刑制度に疑問を持ったことがありましたが、近年の凶悪犯罪者は死刑に処されて当然だと思います。冤罪の可能性が少しでもある場合はともかく、現行犯で逮捕され、冤罪の余地が無いようなケースはなおさらです。それを執行する刑務官の方の精神的負担には配慮しなければなりませんが、凶悪な悪事は生命を持って償わせるほかありません。逆にロシアなどのように過酷な環境の刑務所に死ぬまで拘束されるという方がよほど犯人の人権を踏み躙る拷問だと思います。
=+=+=+=+= 死刑制度には反対の立場です。
しかし、現状の制度で廃止するんじゃなく、一生自分の犯した罪と向き合う環境で償いの日々を送るようには制度設計してほしい。終身刑を導入するなら恩赦や特赦は絶対無しで。
刑務官になった以上、死刑執行する立場になる覚悟はしているはずという声もあるかもしれないけど、いざその場に臨めば精神的な負担は計り知れない。
死刑を執行した人、災害で大事な人を失った人、性被害に遭った人、戦争で酷い経験をした人、辛い思いをした人は思い出したくないから経験を語りたくないものです。
でも、そこに辛い気持ちがあることは確かです。刑務官をどうこういうのは、セカンドレイプにも似たものを感じます。
=+=+=+=+= 日本の死刑制度は 例え現行犯で逮捕されて居てもキチンと裁判を行って 容疑者の罪を調べて死をもって償うしかないと判決が出た上での事。死刑制度が無い国で 現行犯を追いかける警察が銃を撃って そこで犯人の生命を終わらせている事が結構多いと聞くので 果たしてどちらが容疑者(犯人)の人権を重んじているのだろうと思う。
=+=+=+=+= >そうした現実を踏まえ、櫻井さんは一つの代案を示す。「執行を含めた死刑に関わる職務を、命令を下す法相や検察官が担うべきではないでしょうか」。刑務官に死刑執行を担わせることで「死刑という刑罰がどういうものかという、根本的な議論が封じられてしまった」と話す。 素晴らしいアイデアだと思う。 近代の法治国家は被害者やその遺族による自力救済、つまり復讐を禁じているがそれは国家が被害者やその遺族に代わって加害者が犯した罪に見合うだけの刑罰を与え、償わせるというのが大前提で、加害者の更生云々は刑罰を与え、償わせた後の話。 その意味では、死刑という刑罰で償わせるのが相応しい罪を犯した加害者については、もはや更生云々を考慮すべきではなく、矯正教育の必要も無いので、死刑の執行は刑務官ではなく、法相や検察官が担うのがあるべき姿でしょう。
=+=+=+=+= 刑務官を退職する自由があるのだから人権は守られてますよね。 そもそも刑務官になる時点で、内容は理解してるはずですし、安定した収入は欲しいけどその仕事はやりたくないと言ってるみたいで残念です。 罪を憎んで人を憎まずと言いますし、犯した罪を憎むつもりであくまでも粛々とお願いします。 被害者の無念や被害者遺族の為にもと言うつもりでもお願いしたい。 自分なら粛々とやれそうな気がするが、いざ任命されると怯むものなんでしょうね。 大変な仕事だとは思いますがよろしくお願いします。
=+=+=+=+= こういう話を見て思うのは、死刑執行が嫌なら刑務官にならなければいいだけです。 職業選択は自由です。この人は国家の命令で強制的に刑務官にされたのではないでしょう。 刃物を持って通行人を何人も刺している通り魔に銃を向けるのは嫌だなんて警察官はいないでしょう。 市民の命が脅かされているとき、殺人鬼の命を奪うかもしれない覚悟で向かう志はあるでしょう。 また、感動話みたいに描かれていますが、この死刑囚が殺した罪のない人は家族とゆっくりと別れの言葉を交わせたでしょうか? 死刑に対する論点が大きくずれています。
=+=+=+=+= この職種に就く際になぜ死刑執行の業務を考えなかったのかな? そういった業務を責任を持って遂行する事が国家公務員の刑務官であり今更、嫌な業務でグチグチ言うのは甘いと思います。 執行業務手当も貰っているのに… 死刑執行される原因となった悲惨な人殺し事件の事を被害者樣の思いを忘れない、優先させ業務にあたるべき。
=+=+=+=+= 個人には職業選択の自由があるわけで死刑執行という任務が嫌だと言うのなら刑務官になるべきではないし即刻辞めるべき 死刑執行が遅いという問題については法務大臣の怠慢と言わざるをえない 最高裁判決から6ヶ月以内の執行という決まりに則って粛々と執行していただきたい というのは建前だが冤罪問題がある以上なかなか難しい選択を迫られるのもしかたのないことかな
=+=+=+=+= 刑務官に採用される時に、業務上、人を殺すことに関わることがあるという承諾は取っているのだろうか。また、そのような縛りは有効なのかね。 現状、大量執行されてるわけではないのだから、必要人数は限られているわけで、希望しないものは外し、従事を承諾したものには十分な慰労金と休息を与えて欲しいね。現状は、微々たるものだったはず。
=+=+=+=+= 刑務官になったら死刑執行に携わる可能性があるかどうか、その職を選んだ時点で分かるんじゃないの?辛かったら違う仕事につけば良い。 記事の最初に、強盗殺人犯と妻の涙の別れの挨拶に皆が涙した、っていう話があるけど、強盗されて殺された人は家族にさよならをいうことも許されず、理不尽に急に犯人に殺されてるのに、殺した方は妻にお別れも言えるなんて恵まれてるよね、としか思えなかったんだけどなぁ。 死刑執行のボタンは何人かの刑務官が押すんだろうし、人を殺すのは耐えられないというなら殺された被害者の家族で強い恨みを持つ人もその場に加わるとかどうだろう。
=+=+=+=+= 確かに刑務官が執行する必要はないのかも知れない、彼等は普段から受刑者に接している分どうしても感情移入してしまうだろうしトラウマになってしまうのも理解できる。死刑執行人は刑務官ではなく専門職にした方がよさそう。ただこの問題も含めて判決から執行までをスムーズに行えば全て解決する気がする、何年も執行せずダラダラしてるから受刑者と刑務官の間に一定の関係性が生まれるし人権がどうのと下らない主張が出てくる。さっさと執行できないのならいっそ死刑は廃止にした方がいい仮釈放なしの終身刑か有期刑の上限を80年くらいまで上げればいい
=+=+=+=+= 刑務官は拘置所で日頃の世話をし、本人の性格も把握している。 情がうつらないようにとは考えていても、死刑執行まで長く付き合えば、多少の情を持つなと思っても難しい。 せめて、ボタンは本人とは別の拘置所の刑務官であって欲しい。
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