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IQ70で軽度知的障害の女性、いじめや不登校よりも「障害を受け入れることが一番難しい」 ”境界”にいるからこその苦悩

エルザ 9/26(木) 11:30 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/c7aa51c465758a46efe2ddabad5fb70abeb8649b

 

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高校3年生で軽度知的障害と診断されたえりかんさんは、幼少期から通常学級で過ごしてきました。

学習面やいじめに苦しんできた彼女は、自分の障害を受け入れることが一番の苦しみだったと話します。

中学生まで通常学級で過ごし、高校入学後に通信制高校に移り、学校生活を楽しめるようになりました。

現在は障害についての情報発信を通じて、同じような悩みを持つ人々に励ましを送っています。

(要約)

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高校3年生で軽度知的障害と診断された、えりかんさん 

 

 IQ70で軽度知的障害を持つ、えりかんさん(23)。保育園から高校まで、加配や個別指導計画なしの”通常学級”で過ごし、集団生活でのいじめ、学習面での”高いハードル”を感じていました。「周りの子と何かが違う」と違和感がありながらも、目をそらして生活する日々…。一番切実な課題だったのは「自分の障害を受け入れること」だったと言います。「私には、通常学級の選択肢しかなかった。私のような失敗はしてほしくない」と話す彼女に、障害を受け入れるまでの苦しみや葛藤を聞きました。 

 

【画像】「学習障害だと思っていたのに…」えりかんさんが高3で知った、衝撃のIQ検査の結果 

 

 えりかんさんは4歳の時に療育手帳を取得するも、通常の幼稚園・保育園で幼少期を過ごしました。「言葉が出てこない」など、発達の遅れは見られましたが、特に問題視されなかった理由には「保育園に入って、各段におしゃべりができるようになったこと」「妹が重度の知的障害で、家族が妹の世話にかかりきりになっていたこと」が背景にあると話します。 

 

「なぜ普通の幼稚園、保育園に入れたのか、実は今でもよく分かっていないのが現状です。保育園に入って、だんだん言葉が話せるようになって。ゆっくりではあるけれど、成長が見られたので『頑張ればできるから』と。おしゃべりができるようになったことが、大きなポイントだったかもしれないですね」 

 

 小学校入学時も、支援学級に行く話は出ず、通常学級で過ごすことに。担任の先生からも「お話がすごく上手」と言われ、特に問題が起こることもなし。勉強の遅れは少なからず感じていましたが、暗記すれば良いものは、頑張れば覚えることができます。この時は「周りの子より、多少時間がかかるだけだ」と楽観的にとらえていましたが、小学校中学年(小3・小4)になると学習面で違和感を抱くように。小学校3年生の時、初めて支援学級への移動が検討されました。 

 

「1週間のうち、決まった曜日の決まった時間だけ支援学級で体験授業を受けていました。当時“漢字”や“計算”を習っていた私からすると、支援学級の授業内容は簡単すぎるもので、通常学級で受けていた内容との大きな差を感じました。ここで問題になったのは、同じ小学校に姉が通っていたことです。私が学級を移ることで目立ってしまうので、本当に移動していいか不安がありました。 

 

 私がとてもショックだったのは、当時よく遊んでいた友達に『私が支援級に移ったら、どう思う?』と聞いたところ、『えっ…無理。友達止める。一緒に遊ばない』と言われたことです。お友達と遊ぶことが唯一の楽しみだった私は、余計に踏み出せなくなりました。これらの問題は、小1の最初から私が支援級に行っていれば、感じることのなかった悩みだったと思います」 

 

 その頃から「自分が普通じゃない、ということは分かっていました」とえりかんさん。「でも自分の“障害”については、良く分からなかった。普通級で頑張りたい。『なんで?』という思いだけ、ありました」。 

 

 

学生時代のえりかんさん 

 

 中学生で通常学級を選択したのも、「それが当たり前だと思っていた」とえりかんさん。しかし同級生たちと学習面での差は開くばかりでした。「高校受験を控え、受験勉強をするのが一番つらかった」と言います。 

 

「塾の先生が、数学の方程式を付きっ切りで教えてくれるんです。それでも、1ミリも解けなかった。『はぁ~』とため息をつかれて。頑張って勉強しても、30点しかとれない。学年順位もすべて出てしまう。努力しても、塾で頑張っても、偏差値は20~27ぐらいでした。障害特性もあると思うのですが、クラスから浮いていたので。生きること自体がイヤだと思っていた時期でしたね」 

 

 「それでも、中学3年生の冬までは、なんとかやり切った」とえりかんさん。普通高校に合格することができましたが、授業にまったくついていけず、学校の環境にも馴染めず、不登校に。高校1年生の10月に通信制高校に移ったことで、学校生活を楽しめるようになりました。 

 

「最初は『高校を辞めたい。中卒でいいから』と親に話したんですが、『高校を卒業したほうがいいよ』と言われて。本来なら中卒のはずでしたが、親が通信制高校に入れてくれたので、感謝しています。今まで学校で楽しい思い出は無かったんですけど、高校では気の合う友達ができました。楽しく学校生活が送れて、性格も明るくなりました」 

 

 「これからの未来を生きていく人たちには、私のような失敗をしてほしくない」とえりかんさんは振り返ります。高校3年生のときに”軽度知的障害”の診断が下りても、「障害を受け入れるのには、長い時間がかかった。信じたくない、認めたくない気持ちがいっぱいありました」。 

 

 えりかんさんのように、成長して環境が整えられていくほど「境界知能を受け止めることがつらい」現状があります。これは「子どもにどう障害を伝えるか?」という親御さんが抱える課題にもつながります。えりかんさんは親御さんから障害について明言はされず、医師からの診断が下りるまでは濁されていたといいます。 

 

「中学になっても定期的に児童精神科に行くので、『え、なんで?』と聞いたり。親からは、『大丈夫だって』と返され、そうなのかと。高3で診断されてから、障害を受け止めるには、ものすごい時間がかかりました。当時は、割り切れなかったけど、いまは時間をたくさんかけて、ようやく”しっくりきた”というか…。自分の周りで起こっていたことも、許せた感じです。色々…憎めないですね」 

 

 現在えりかんさんは働きながら、YouTubeやTikTokで障害について発信するインフルエンサーとして活動しています。同じ障害を持つ人、様々な特性を持つ人と知り合うことができ「世界が広がった」と話します。 

 

「色々な人の話を聞くなかで、中学から支援クラスに入って、障害者枠の公務員で働いて上手くいっている方もいますし、特別支援学校を卒業して働いて、結婚している人もいます。支援学級や特別支援学校がすべて悪いわけじゃないことは、今になって分かりました。どんな選択をしても、日常を過ごせるんだって」 

 

 過去に戻れるならどんな選択をするか? と問うと、「早めに受け止められていたら、自分の得意な分野を伸ばすことができたかもしれない」とえりかんさん。 

 

「あらためて、普通学級に行くなら、先生たちには特性をちゃんと伝えるのは大事だと思います。そしたら無駄に怒られることもないですし、その人にあった配慮も受けられる。得意な分野を伸ばしていくこともできた。それがあるのとないのでは、大人になった時の自己肯定感も違ってきます。自尊心を人並みに保つことができたんじゃないかと思います。 

 

 今は楽しく笑って、のほほんと生きていい。なにかの参考になればと思って、動画を発信しています。同じような悩みを抱える人がいたら、不安でいっぱいいっぱいにならないで、笑って安心して生きてほしい。そういった想いをSNSでの発信を通してみんなに届けていきたいです」 

 

 

( 215702 )  2024/09/26 17:29:18  
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この記事では、軽度知的障害を持つ子供や大人について、その個々の経験や周囲の人々の意見が述べられています。

親や支援者として悩みを抱える人々がいる一方で、その障害を受け入れたり、適切な支援を受けられたりして、前向きに生きている人たちの声もあります。

 

 

一つの意見として、障害の受け入れや適切な支援が重要で、早い段階で対処すれば将来の生活がより楽になることが強調されています。

また、障害者のジョブコーチなどのサポートも、就職や社会参加の面で効果的であるとの意見もあります。

 

 

さらに、社会全体での障害者の受け入れや理解が進んでいること、ICTの活用が障害者支援に役立つ可能性があることが指摘されています。

訓練やサポートが必要ながらも、障害を持った個人が自分らしく自立して生活するために、個別でのサポートや柔軟な教育環境が求められているようです。

 

 

最後に、「必要なのは、ポジティブ思考」というメッセージもあり、障害を抱えている人々に対しては、その個々の力を活かす支援と理解が大切であることが示唆されています。

 

 

(まとめ)

( 215704 )  2024/09/26 17:29:18  
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=+=+=+=+= 

記事の女性と同じIQ70で軽度知的障害を持つ中学生の娘がいるので他人事とは思えませんでした。 

うちの娘は幼児期から療育園に通い、小学校から現在まで特別支援学級に在籍しています。 

穏やかな性格で集団行動での問題は目立ちませんでしたが、言語面の課題が大きく指示の理解や文章の内容を読み取ることが特に苦手なので就学時に支援級を選択しました。 

可能な限り通常級の交流にも行っていますが、幸いなことに回りの子は娘に優しくしてくれる子が多いようで楽しい学校生活を送れているそうです。 

何が正解なのかは最後までわからないので常に手探りですが、病気や障害を抱える子どもたちが少しでも生きづらさの少ない人生が送れることを願います。 

 

=+=+=+=+= 

今の自分や今までの自分が受け入れられない「自己現実」とか「自己肯定感」の見方が「その事を知る事」で、 

覆されてしまう不安は、例えようが無い。それを更に「自分から見た自分と他人から見た自分」の、違いの大きさに気がつくと、いきなり「自己否定」になってしまったり、自分から気力を無くして、坂道を転げ落ちる気持ちだと思います。 

IQは人が決めた「概念」でしかないので、考え方を変えて挑むことを工夫すると良いです。自分もいつも視点を多角化して何とか乗り切ってます。 

頑張ってください。 

何とかなります。 

「必要なのは、ポジティブ思考」 

過去に学んで、過去に囚われない事にしてます。 

 

=+=+=+=+= 

このご家庭は親御さんが気づいて診断が下りてますから、まだマシです。遅きに失してますが。問題は周りが気付くほどなのに、親御さんが頑なに我が子可愛さに手を打たない場合です。 

小さな頃から療育に通う子は小学校高学年くらいになると、かなり環境に溶け込んで社会生活も問題なく過ごせるまでになる子もいます。が、手を打たないまま社会に放り出されて、我が子が苦労するのを目の当たりにしても、世間体やプライドが先に立ってしまうそこの親御さん。お子さんを幸せにできるかどうかはあなた次第ですよ、と言いたいです。 

 

=+=+=+=+= 

私は小学生の時はIQ120くらいありましたが、中学と高校の成績は常に下から5人くらいの落ちこぼれでした。 

いじめっ子は沢山いましたが、周囲の人よりも早くコンピューターに興味を持ち、いじめっ子が入ってこない図書館に入り浸って電子工学や電子計算機の専門書を読みあさって楽しみました。その後、専門学校から電子工学系の企業へ就職できました。 

その経験から言うと、1番の問題は家庭不和とお金でしたが、図書館や本屋に行けば問題は少くなり、流行りの電子機器に触りたい時は、それを持ってる知人を探して友達になった上で貸してもらっていました。 

だから困った時は、社会の何処に行けばお金を掛けずに済むかを考える事が一番大事だと思っています。 

IQの高低とは関係なく、結局は変わった人を受け入れない社会なので気にせずに、自分が何をすべきか、何がしたいか、を起点に考えて工夫して活きると、精神的に楽になると思います。 

 

=+=+=+=+= 

軽度知的障害は、早い段階でその子に見合った環境を提供してあげた方が良いと思います。 

なんとか無理して高校を卒業し就職しても、周囲の人と「同じ」仕事を求められても「出来ない」わけですから、社会参画が難しくなってしまいます。 

早い段階で(親が)障害を受け入れ、障害者に見合った環境を提供してあげることで、就職するにしても「障害者雇用」という法に守られた道に進めますから、ずっと生きづらさや負担は減ると思います。 

「障害者雇用」は景気に左右されることなく、確保されています。 

 

=+=+=+=+= 

データ上どうか知らないが、自分の周りではかなり経済的に安定してからじゃないと結婚しない人が増え、そのため昔より高齢出産が増えたためか障害や遅れが発生してるのを目にする機会が非常に多い。 

無計画な子作りを締め付けすぎた結果、計画に余裕ができた時には適齢期を過ぎて母子共に不健康な出産が増えている。 

 

=+=+=+=+= 

とくに…女性の軽度知的や境界性知能持たれてる方は 

大半が天然系女子や、ちょっと不思議ちゃんみたいな感じで…周りから見られてしまい気付かれにくいんだよね。社会にでてもそれが若いうちならまだ若さや愛嬌などで上手く社会に溶け込んでいる人もいる しかしだんだん年を重ねていくといろんな壁にぶつかり自身の障がいに向き合う事の生きづらさが増していく女性もいる。 

 

=+=+=+=+= 

しゃべらない、表情が乏しい、笑わない、読み書きができないので小学校低学年は特殊学級で過ごしました。私のせいで姉がいじめにあいました。特殊学級できちんと指導してもらったらできる事が増え集団生活に馴染めるようになったので3年から普通学級、中学と高校を経て就職。女性特有の人間関係が苦手、変わった人だと言われますが資格を取ってスキルを磨き仕事を頑張ってます。 

 

=+=+=+=+= 

彼女も言うように最初から支援級だったらよかったのに、と思います。知人で早くから療育へ行った子と療育へ行かなかった子(正確には親が行かせなかった)との差が歴然としているので療育の意味をとても感じています。早くから訓練することで学習に関しても遅れをとっていませんし。 

 

ところで妹が重度の知的障害ということですが、知的障害は遺伝なのでしょうか? 

 

=+=+=+=+= 

うちの子もおそらく境界知能です。 

境界知能なので何の診断もつかず、障がい者枠で就職することもできません。 

 

今は小学校の通常級に在籍していて本人もとても楽しく通えているのですが、学習面では問題を解くのに周りの子の2倍時間がかかる等、今後差が開いていってしまうのでは?という不安が常にあります。 

 

支援学級も勿論検討しましたが、そちらは『知的障がい者としてどう生きるか?』という世界だと感じました。算数でいうと、一番上のクラスで九九をやっていました。 

将来、何の支援の対象にもならない子がそのようなレベルの学習でどうやって自立するのでしょうか? 

学校内での適切な支援も将来の福祉的なサポートもなく、どうやって生きていったらいいのか、、常に心配です。 

 

 

=+=+=+=+= 

「境界にいるからこその苦悩」 

障害は違えど、多少なりともわかります。 

私は片耳が難聴で、もう片方は健聴な為、健常者として生きていますが、人とのコミュニケーションの部分で、両耳健聴の人より遥かに苦労してきました。 

まず他人に理解されないし、いちいち関係値の低い人に説明するのも面倒。 

この方も、人知れず苦労されていると思います。 

 

=+=+=+=+= 

かつて小学校で通常級も特別支援学級も担任した経験から言うと、保護者の障害受容ができないために、心理検査や支援級への在籍替えを打診しても断られる、そもそも取りつく島がないようなケースは少なからずありました。 

気の毒なのは通常級で十分な支援を受けられずにやりづらさを感じる子ども本人で、それを日々目にしている教員たちは少ないリソースを割いて個別支援等のフォローをするしか術がない状況でした。 

お子さんの特性によっては学級全体が荒れたり担任が病んだりするパターンもあり、本当にキツイです。 

逆に入学前から適切な療育を受け、支援級で学習を積み重ねられた子の中には、中学からは通常級に通えるまで成長した子も何人も見てきています。 

子どもに適切な療育を受けさせないのは、はっきり言って虐待です。 

この方ももっと早くに支援の手があれば、あまり抵抗感なくご自身の特性を受け入れることができたかもしれませんね。 

 

=+=+=+=+= 

私は若い時から心理学などに興味があり、自分自身発達障害などはグレーゾーンの気がありますし、知的障害や心の病に関して診断がつくことに何の特別な感覚も無いのですが(骨折の診断とかと変わらないイメージ)、こういう話で思うのは、当の当事者や家族が、知的障害や心の病に対して強い偏見を持っている場合が少なく無くて、それで不必要に傷ついたり、不要な遠回りをしているのではないかといつも思っています。 

 

健常者と言われる人でも、脳の外傷などで知的障害になる可能性はありますし、心の病なんか環境が変われば誰しも簡単になり得ます。また程度も重度軽度グレーゾーンと様々です。非常に身近であり、すぐそこにある当たり前の問題であることを、どこか、学校は忙しいかもしれませんが、どこかで全国民に教えられないものかと思います。 

 

=+=+=+=+= 

自分も「自分の障害を受け入れること」がとても難しかった。「頑張れば出来る!」や「怠けているだけ」にはとても苦しめられた。 

数学も公式を理解しても、当てはめることができず常に欠点だった。 

小学生までは勉強面以外も評価されたけど、中学からはそうもいかず悩みまくった。 

違和感を覚えていても、親や教師は「努力不足」と片付けられた時代。彼女の用に発信して、少しでも理解者が増えれば良いなと思う。 

 

=+=+=+=+= 

例えば私はどんなに頑張っても宇宙飛行士や数学博士にはなれなかっただろう。 

 

けれど、IQでは測れない私にしかない魅力や、それを発揮できる場はあるだろう。 

 

身体だってどれだけ鍛えてもボブサップみたいにはならないだろう。 

或いは相応の性能を秘めていたとしても、経済環境等で叶わないこともあるだろう。 

 

知的障害のない皆が同じところからスタートする訳ではないし、したいことの全てができたり叶うわけじゃない。 

 

それでも目指すこともできる。 

 

部分的に見れば私より不自由している人が、別の角度から見れば私より豊かな生活をしている人もいる。 

私が自身を幸せだと感じていても、他者から見ればただの貧乏人かもしれない。 

 

IQがどうか、障害があるかどうかはモノサシの一つに過ぎず、その一つのモノサシで人より 

劣っているからと言って、全てで劣っていると言うわけじゃない。 

 

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支援学級と通常学級の差が大きいのも問題だと思います。 

障害者といっても身体障害、知的障害、精神障害とあり、もちろんその中でもレベルは人それぞれです。 

この方の様にその間の微妙な方もいる。 

障害を持っていると言う人を一括りにする事自体無理があると思います。 

障害者学級での教育方法を根本的に見直し、個人のレベルに合った勉強が出来るよう枠組みを考えれないかなぁと思います。 

教室だけでなく福祉職も入りる事で、よりオープンで幅広く、個人の知的度合いにあった教育が出来るのでは??と思ったりします。 

 

あの閉ざされた空間もイジメや差別の原因だろうなと思います。 

 

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保護者にも罪悪感や葛藤はあるけれども、世間体というか見栄が結果的に子供を苦しめているのかもしれません。 

年長クラスの六月ごろに、こども園や保育園と保護者と園の担当者、自治体の発達相談でそれとなくサインを出してくれるのです(おそらくはっきりいうと激怒する保護者がいると考えられます)。ただし自治体の教育委員会で取りまとめる支援級や支援学校の締め切りが7月末などかなり厳しめでした。来年度の教員や指導員の手配があるから早い締め切りにしているのですが、あまり自治体のWebサイトでは見つけにくいところに書いてあるのでもう少し周囲に情報が目立ちやすいようにしてくれたらな、と思いました。 

 

=+=+=+=+= 

たくさんいると思います。同級生にもいました。お勉強は苦手だったけど、とても優しくて、私は大好きでした。得意なことを伸ばせる環境があると良いですね。 

何事も訓練だと思います。充分に社会で活躍できるのですから、頑張ってほしい。 

みんなに、理解ある大人や友達や先生とであるようにお祈りしています。 

 

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診断はうけていませんが、身内に境界知能ではないかと思われる者がいます。10回以上もペーパーテストをうけましたが、なんとか自動車運転免許を取得することができましたし、派遣で薄給ですが仕事も得ています。勉強ができないことは仕方がないとして、中高生時代には人を疑う能力が足りないようで、だまされて犯罪に加担させられて逮捕されこともありました。このように境界知能であることを利用する輩もいます。そういうことへの注意は一生続きますし、周囲もみはっておく必要があります。 

 

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甥っ子がパニック障害になり検査したところIQはグレーゾーンで自閉症と診断されました。お友達の輪に入りたがらないそんなことがあったそうですが、英語の才能はピカイチ、作曲活動もしていて海外のアーティストとコラボしてあるそうです。やはり失敗などは2次障害に発展すると思います。親や学校が連携をとって特性をいかせたらと思います。 

 

 

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普通学級か支援学級かの二択ではなく、個人の学習能力によって細かく学級を分けて良いと思う。もちろん学校規模によって差が出てしまうが、それはそれで構わない。今時、勉強が得意な子は校外でハイレベルな学習をするのでむしろ校内では無駄な学習時間を過ごしてる。そして基礎分野で落ちこぼれた子は、それ以降は問題を解くコツだけしか学べず無意味な時間を過ごすことになる。 

 

思考速度を上げるために応用問題を10問やるクラスがあれば、基礎問題1問に1時間かけるクラスがあっても良い。基礎理解はゆっくりで構わないが重要だ。基礎を溢したら、そこから先は多くが無意味な時間になる。それをひとくくりな支援学級に落とすのではなく、できる限りマッチしたクラスに移れることが望ましい。 

 

今時、無理して全員を平均化する必要はないと思う。科目によって得意な子や不得意な子がいて構わない。 

 

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うちの息子は高校まで普通級で過ごしましたが、対人関係のトラブルが多々あり、高校は中退しました。それが知的障害のグレーゾーンとは親も周りもまったく気づかず。行動や言動がおかしくなって警察に保護されたあと、措置入院になり統合失調症と判断されたのと同時にIQが平均より低いことがわかりました。 

もっと早くにわかって、支援級にいったりできていたら違う人生になっていたのにと後悔しています。 

 

子供の障害を認めたくなかったから、というのとは違う理由で今に至る家庭もあると思います。本当に気づかなかったんです。男の子だからこういうもんなのかと思っていたし。ただ幼稚園の年配の先生が「この子はお母さんがしっかりみてあげてね」と言った一言が今でも忘れられません。 

 

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還暦迎える者ですが、小学校の時いつも近所の女の子と手を繋いで学校へ行ってました。 

所謂当時特殊学級と言われる知的障害を持つ子でしたが、いつも笑顔で優しい女の子でした。少し大きくなるとからかいやイジメがあり、僕も少し遠ざけて放っておくようになってしまいました。四年か、五年生位、夏休みか憶えてないですが長期休みの後、彼女が学校へ来なくなり、地区の代表で先生とか、親とか、これもうろ覚えなのですが見舞いに行き、何か色々話して結局僕がまた一緒に登校するようになりました。彼女は小学一年位の幼い顔で僕の手を握り笑顔で学校へ行くようになりました。中学に上がるとどこか別の施設か何かに行ったようで会うこともなくなりましたが未だに彼女の笑顔を思い出すときがあります。 

元気でどこかで暮らしていてくれたらなと思います。 

弱いものに優しく生きやすい国になって欲しいです。 

 

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長男がIQ80前後です。小・中学校は手はかかるが普通学級でした。高校は専門性のある高校へ進学しましたが実習が多い学校でみんなと同じ事が出来ないことが多くなり躓きました。夏休み後は実習がほぼ無い通信制高校に編入しました。高校在学中に自分の得意な部分を伸ばすのと自分の不得意なことを認識し、補う方法を確立できればと思っています。今回、このような状況になりいろいろ調べましたが最近は同じような子供が多い様で昔と比べて選択肢が多い事に驚いています。 

 

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知り合いに重くも軽くもない知的障害の子を持つ人がいます。親が無理して普通学級に入れると授業について行けず友だちも出来ず孤立します。中学年から支援教室に移り、親はつきっきりで勉強を教えますが高校進学は無理で特別支援学校に行きます。ところが障害が重い子が多いため、自身も知的障害がありながら、あの子たちと自分は違うというプライドが生じてきたようで、他人に対する思いやりや、やさしい気持ちを失っていきました。特別支援学校を卒業してB型作業所に通う頃になるとその傾向はさらに強くなり、作業所が職場ではなく知的障害者の施設であることを理解すると作業所にも行かなくなりました。障害は中程度なのでA型作業所や企業の障害者枠では働けません。自分の殻に閉じこもるようになり家族に暴言を吐くようになり親は疲弊していきますが、グループホームに行かせる踏ん切りは付かないようです。境界性知能の人にとって一番大切なのは友達です 

 

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これは、子供でも大人でも言えますが、脳に関わる障害を素直に認めることが出来ない方々は多くいます。 

MCIや認知症なんかもそうですが、まず自分が頑なにそうではないと意固地になり、病院に検査に行きたがらないのが現状で、MCIであれば、病院に検査に行くのが遅くすで、MCIより認知症を発症している。なんてことはよくあるそうですし、認知症であれば、より認知症が進んでしまい、家族が変わって色々な手続きをするのに難儀してしまう。なんてこともよくあるそうです。 

なかなか、受け入れるのは精神的にも難しく 

本人を説得して受け入れて貰うのは本当に 

心を砕きます。しかし、本人も苦しいが周りの家族も苦しいことは知って置いて欲しいです。 

 

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自分のことかどうかは伏せますが、例えば強度の色盲であっても、結局清眼の方が期待するような生活の支障は出ません。すべて位置と濃淡、周囲の動きで察することができます。難聴の方は運転席から身を乗り出すように周囲を視覚で捉え、それが原因でほとんど事故を起こされません。記憶であれば古くは表計算ソフトやAccess、今は検索エンジン、思考であっても今やAIがほぼ完全に補完すると思います。問題は本人が、ほぼ敵といってもよい「普通」に合わせられるかどうかです。私の経験では、社会的存在である人間は普通には勝てず、屈服するしかありません。普通って、周辺の存在には心地好いものではないんですよね‥ 

 

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昔、支援施設に仕事で行った時 

本当に色々な障害の人がいて、1つの障害のその中でもグラデーションのように細かく能力が違ったりしていたので、これはとても難しい問題なんだなと思いました。 

何でここに居るのって思える程普通に会話出来る人と、明らかに障害があるなって人が同じ施設にお世話になっている状態。 

聞けば家庭環境だったり、見えにくい部分で常識を逸脱していたり、事情も様々でした。 

 

施設側もなるべく人それぞれに合った支援を目指してはいるものの、予算や人材・施設規模の問題で、ある程度ひとくくりにしないとやっていけないと聞いた。 

 

IQ70辺りが境界というのも、 

じゃあ75ならば、80ならばどうかという難しい部分があると思う。 

そしてIQだけでは計れない能力や技能も必ず有るのだろうし。 

正解が無い問題なんだろうね。 

 

=+=+=+=+= 

知的障害で負い目を感じる必要は無い……、負い目を感じ、「良くしなければ!」と改めなければならないのは、性格に問題を抱えている者。 

以前勤務していた工場に、知的障害を抱えている若年層を収容する施設から3名の若者 (10歳代後半) が働きに来ていたが、作業を教えても容易には身に付かなかったものの、何とか覚えようとする努力は見受けられ、教えた後も、「有り難う御座いました。頑張ります!」と元気に笑顔で応える姿を目にしては少なからぬ好感が持てたものであり、その者が苦労している様子… ( “ 10 ” 以上の数字が理解するのが難しく、 “ 10 ” までを繰り返して数を揃えていたり、積み重ねが上手く出来ず、積んだモノが崩れそうになる等 )…を目にすると、よく手伝っていたものである。 

 

「人間が人間として生きて行くのに一番大切なのは、頭の善し悪しではなく、心の善し悪しだ」(by 中村 天風) 

 

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考えさせられます。 

うちにもグレーの子がいるので。 

支援級も考えたことがあります。 

うちは高校まで普通級で来ていますが、これまで先生方には本当に助けられました。 

得意なことを伸ばしてくれる先生が多く、勉強はできませんが「学習への意欲」は評価してくれたり、活動の班長やクラブ部長など本人が好きなことで褒めて伸ばそうとしてくれました。 

 

専門家と話したときに、本人が苦手とするところを認めて(←ここがいちばんむずかしい)自ら対処法を試行錯誤したうえで編み出せると生きやすくなる。社会人になるまでの学生時代がそういう時間です、と言われました。 

人とちがう=障害がある、ということを本人がネガティブにとらえてしまうと、なかなかむずかしいです。 

傷付くとより意固地になりやすいし、プライドが傷付いて身近な人にももごまかしたり隠したりするようになると大変です。 

こじらせて二次障害に陥る子もたくさん見ました。 

 

 

=+=+=+=+= 

50代ですが多分この方と同じような状況だったんですよね。 

就学前検診で、小児科の先生にもしかしたら…?ということは言われたそうです。 

ただ母は「人んちの子どもに失礼な!」と言いノータッチでした。でも母にもずっと叱られ褒められたこともないので、普通の子どもでないことはわかっていたのかもしれません。 

母も子育てを失敗していると周囲に思われたくなかったのでしょうね。必死に怒鳴ったりして矯正しようとはしてくれていました。 

お互いにこの障害のことを知っていたら、もっと楽に生きてこられたんじゃないかと思います。  

 

これからの若い人は一人でも多く救われますよう。 

 

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知能も大事なことかもしれませんが、えりかんさんのように努力家であり、頑張り屋さんであるということも生きていく上ではとても大切なことだと思う。えりかんさんがここまで来れたのは、えりかんさんが頑張ってこられたからだと思います。インフルエンサーなんて誰もがなれるもんじゃないです。 

えりかんさんは障害を受け入れることが出来て良かったです。障害のある自分だってえりかんだと思うので、これからは障害のある自分とも仲良くして、頑張っていってほしいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

子供のうちに気づけたなら良かったと思う。 

気づかないまま大人になって社会に出た方がもっと大変。 

就職したはいいが仕事をこなせず居場所を失うってケースはたくさんありそう。 

周りは薄々気づいても本人に言えるわけもなく、本人もなぜできないのかわからず。 

ただできない奴のレッテルを貼られて絶望してしまう。 

最初から本人が分かっていればできる仕事を選ぶこともできるのに。 

 

親として認めたくないという感情もあると思うけど、子供のうちに親や周りの大人が気づいてあげることはその子の人生にとってもとても大切なことだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

親が認めたくない人も多いですよね。 

知的障がいだけでなく、発達障がいも多い。 

大切なのは否定することではなく、その子がどんな力があって、どんな力がないのか正確に知った上で、選択肢を増やすことが大切だと思う。 

しかし、親も学校も就職が一番良くて、施設はダメ。 

施設でも作業しているところが良くて、デイサービスのようなところはダメ。 

お金をもらっても自分で使うことがうまくできない人にお給料もらってるんだから!と意味のわからないことを言う人たちもたくさんいます。 

本当に大切なのは一人ひとりにあった支援が受けられる場所であること。 

もちろん働ける環境を作ってもらい、働くことも大切だとは思います。 

でも、もっと大切なのは、自分らしく生きられることだと思う。 

障がいを受け入れるって、できなことを認めることですから、とても難しいとは思いますが、まずは知ることからだと思います。 

 

=+=+=+=+= 

こういう障害者のために、 

ICTなどがあるのでは無いか。ただ便利なだけではなく、困ってる人の支援にならなくちゃ進化とは言えない。 

無理に出来ない計算をやらせなくても良い、 

社会にでたら基本的にパソコンがほとんどの計算をしてくれるし、 

これから軽度なら出来る仕事もあるだろう、 

YouTubeや情報発信など、インターネットの普及で障害者福祉の理解もどんどん深まっていく。 

 

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軽度知的障害なのに親の意向で普通科高校に進み、その後の人生が猛烈に厳しくなったケースを見ている。 

社会に出たらすぐに言い寄ってくる職場の人全員を好きになってしまって問題になって退職。飲食店のホールはかろうじて勤められるがその他の仕事が一切できなくて、詐欺師や悪い人の養分になるばかり。支援級に行って、しっかり就労訓練を受けて社会に出たならそんな苦しみはなかった。親も子も障害を受け入れてできることをやって生きていけるよう訓練することが必要。 

 

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私も言葉の発達が遅くて、小学校入学前に言葉の教室というところに母親と通いました。発達障害もあったと今は思います。小中高と当たり前のように普通学級に行きましたが、イジメられたり、小学校のテストは感覚でいい点数をもらったりしました。中学校の勉強は全くわからないに等しかったです。高校は普通科でなかったけど、普通科目もあって正直わかってなかったです。就職して自動車教習所に行ったときには今までの何とか生きてきたものがボロボロ崩れ落ちるような感覚に襲われました。妹には「私は努力してるの!」と言われ、その努力がわからずにキツかったです… 

 

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うちの子の同級生にも軽度知的障害の子が何人かいます。 

子どもによって差があるようですが、一日のうち何時間かだけ支援級に通うようなスタイルで、基本的には通常級にいます。 

給食時だけ別の場所で…という子も。 

 

記事にあるような「疎外的」な雰囲気はなく、話したり遊んだりしている様子もごく普通です。 

私が子どもだった頃と比べると支援の選択肢も増えていると思います。 

また、記事の女性のように自分のことを発信するのも簡単な世の中になったので、周りの理解も進んでいるのかもしれません。 

 

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職場にいた子がたぶん、軽度知的といわゆる大人の発達障害でした。私は1週間で違和感を感じたのですが、半年たったころあまりにも仕事覚えの悪さと高校生でもできるであろう簡単な作業が出来ないというのがあまりにも多くなり手に負えなくなり、社内で会議をしましたがその時に何かしらの障害があるのでは?となりました。親御さんが知ってる会社の社員だったため、オブラートに包みながら身体の悪いとこがないか聞きましたが、「覚えるのに時間がかかるだけ」とのこと。ただ周囲は明らかにそれだけではないなと感じてました。親御さんも本人もた『普通』だと思って今まで生活してきたのでしょう。最終的に手に負えず彼女はやめましたが、家族も本人も気づかない状態なので今どんな仕事をしてどうやって過ごしているのか気になるところです。 

 

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自分は大学生の時障害者支援もテーマにする教育系のゼミに入ってましたが、その時度々話題になったのが、統合教育か分離教育か。障害者も健常者と同じ教育を受ける権利があるとの主張で、活動している人が結構いました。果たしてそれが障害者にとって、そして健常者にとって幸せか?と考えたとき、私は分離教育の方が理想だと思っていました。自分は50代半ばなのですが、大きな小学校でしたが、学年に一人か二人は少し軽度知的障害であったろう児童がいました。特殊教室に入る程ではないが、とにかく勉強についてこれない。そしてやはりいじめというか、授業中にからかわれます、本読みやミスの真似をされます。本人は照れ笑いみたいに誤魔化してましたが、可愛そうだったなあ。 

 

 

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仕事柄、成人された当事者の方の感想は非常に勉強になりました。またコメント欄には保護者の書き込みも多く、そちらも学びながら読ませていただきました。 

軽度知的障害〜境界知能の方は日常会話はできるので幼少期はさほど目立たず、中〜高学年以降の学習や就労する際に苦労されることが多いと思われます。可能性を信じたい親心もよくわかりますし、受け入れ難いご本人の気持ちもわかります。 

正解がわからない中で、お子さんの成人後の幸福度や生活の安定まで見据えて、悩みながら、小さいうちから色々と手を打とうとされている保護者の姿には頭の下がる思いです。 

 

(知能という言葉に代表される物事の理解力ももちろん生きていく助けにはなりますが)、"智恵"や"スキル"はある程度つけられますし、挨拶ができる、物事に真面目に取り組む、困ったときには人を頼れる、といった社会適応力がついているとご本人の助けになるのかなと思っています。 

 

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小学生の息子は発達障害で80。 

運動も勉強も周りと同じようには出来ませんが、知的障害にはならないし手帳は発行されません。  

検診や幼稚園で指摘されたので、やるなら早いうちにと療育に取り組んでも…障害が重い人や問題を多く抱える人が優先で断られることもしばしば。 

なんなら療育を受けるための手続きの段階で相談した義両親や友人から「まだ成長段階だし気にしすぎ」「子供をそんなに障がい者にしたいのか」と言われ、小学校で支援学級にいることも伝えてはいるものの今だに納得できていない様子。  

息子自身も入学当初は「どうしてみんなと一緒に教室で勉強できないの?」と言って登校を嫌がったりして大変でしたが、息子のためにも周囲のためにもそれがベストだと思ってやっていくしかありません。。いずれこの記事のように息子視点の話をきける日もあるのかな… 

 

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通常クラスと支援クラスの2パターンしかないから、苦しむ子がいるんだよね。 

その真ん中にグレーゾーンのレベルぐらいのクラスがあると、もう少し自分に合った選択肢が増えて、子供も適した環境で学校生活ができるんだろうけど、実際にはこれ以上先生が確保できないから無理なんだろうね。 

昭和の頃は、クラスに2、3人は少し変わった子や大変そうな子がいて、支援学級と言ったら本当に障害のある子しかいないイメージだったから、その時代からしたら少しずつアップデートしているんだと思うけど。 

 

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うちの子も72でグレーゾーンです。5歳の時に気が付いたのと、それと同時期に幼稚園の先生からも指摘があったので療育に通いました。 

小学校ではバカの子と言われイジメにあい、不登校にもなりました。友達も1人もいませんでした。また療育で出来ないこと、苦手なことを延々とやることで「自分は何をやっても上手くいかない、バカだから何も出来ない」と自分を責めるようになり、イジメのこともあってチック症になってしまいました。 

療育をやめさせて勉強も諦めさせて、自分が得意なこと(プラモ作りとゲーム)しかやらせないようにしたらチックも収まり、中学2年生の時にプラモ好きのクラスメイトが何人もいたお陰で初めて友達が何人もできて表情も明るくなりました。 

現在高校2年生でアルバイトもして、高校では生徒会に入るまでになりました。 

しかし息子には出来ないことは沢山あります。しかし、生きていくには【自信】なんだと思いました。 

 

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うちの子はIQ85で、障害があるとは診断されていませんが、特別支援学級を選択しました。普通学級は全く考えませんでした。むしろ特別支援学校の方が良いのではと思いましたが、療育手帳がないため入学はできませんでした。幼稚園は障害のある子が通う療育園で過ごしました。現在は国語と算数を特別支援学級で学んでいます。本人が無理なく自己肯定感を維持して人生を歩める環境を今後も常に考えていきたいと思っています。 

 

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小学校に入る前やもっと幼い幼少期で記事のような障害が見つかれば、それらを支援してくれる学校や施設に入ろうという選択肢も今では難しくないだろう。 

しかし、小中学校に入った後では、今のままで居たい自分と別の環境で支援を受けた方が良いかもしれないという気持ちで悩む事になる。 

 

学校で人間関係の問題を抱えていない場合、命や生活に支障をきたさない場合は検査しない方がいいと私は思う。 

中学卒業前に検査をし、それから今後の進路を考えても遅くはないとも思う。 

中卒後は選択肢も多くなる。 

 

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元中学校教諭です。この方のような境界知能の場合はいろいろ大変だと思います。普通に生活はできるが、勉強の習慣づけや高度な知識の習得が難しいので。 

小学校で支援級にいて、中学は普通学級在籍の生徒を担任しましたが、彼は小学校時代、個別指導で勉強をしっかり見て貰えていたおかげで、中学校での成績は下の上、工業高校に進学し、手に職をつけることができました。 

無理矢理普通級にいる生徒の方が大変です。小学校の学習内容が定着していないので(九九もあやしい場合すらある)、中学校で勉強についていくことはできないし、高校に進学はしましたが、ついていけず中退してしまうこともありました。 

親御さんの対応で大きく彼らの将来が変わります。一番難しいが重要なのは、親御さんの特別支援教育に対する偏見をなくすことだと思います。 

 

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親がどのタイミングで、こどもに軽度知的障害か教えるのかは非常に難しいです。記事の方はしっかりと自身のことを受け入れられたから良かった。でも、受け入れなかった場合は、早期にこどもに教えることがマイナスになることだって十分ありえますよね。 

正解があるなら教えて欲しい。 

 

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4歳の時に療育手帳を取得しているので、まだ周りからの理解はあったかもしれません。WISCなどの検査をしないで大人になり、手帳も取れるのに、そのことを知らない家庭や本人の場合はもっと大変です。昔と比べて特別な配慮や支援が行われることが普通になってきてインクルーシブ教育が推進されてきているのはいいことだと思います。 

 

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無理矢理普通に合わせる必要なんて、そもそもないんです。 

出来ないことに無理してチャレンジし続けることで、生きがいを失ってしまいます。 

また、支援級に移ったら友達をやめるなんていう人も、初めから相手にしてはいけません。 

自分を大切にしてくれる人だけを大切にしましょう。 

大人になってからは、自分が出来ないことを客観的に証明してもらい、セーフティネットもうまく活用しながら、幸せの中で生きていければそれでいいんだと思います。 

出来ない人に、普通を求めることはあまりに酷で、解決することのない問題だと思います。 

 

 

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職場にも軽度障害がありそうな人がいるんですが、 

本人はわかっていないようです。 

周りはいつも正直かなり迷惑しています。 

本人もどうして自分はこんなにも仕事ができなくて 

迷惑をかけてしまうのかと悩んでいることもあるようです。 

それこそ占い詐欺にあいかけるくらいに。 

本人の為にも周りの為にも 

障害の有無を調べる機会を子どものうちから義務化してもいいと思います。 

差別だ~とか言う方もいますが、 

受けられるべき支援を受けず社会に出されてしまった方が 

後々職場のいじめなどもっと深刻な本当の差別が待っています。 

 

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中高の親友が恐らく学習障がいでした。中学受験のある学校でしたから、頭のいい子ばかり集まったから悪く見えるだけ、お嬢様ぼけしてるだけだと高校に入るまでは気付きませんでした。『コレとアレが宿題なんだって。あと先生が△△を持って昼休みに来るようにって言ってたよ。』など一気に情報を伝えられるとパニックになり、1つも覚えられないと言ってました。彼女は手元にメモを必ず用意してたり、手の甲にボールペンで書いたり大変そうでした。居眠りもせずノートもしっかり取って真面目に頑張ってるのに全科目赤点でいつも彼女だけ怒られてました。再試験では本試験と同じ問題が出ることが多く、丸暗記で乗り切ってましたね。丸暗記は出来てしまうから、やればできるのにやらない子と烙印押されて本当に辛そうでした。中学受験に受かった子が学習障がいがあるとは親も教師も思わない。卒業後は仕事が出来ない奴と職場でいじめられたと悩んでました。 

 

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ウチの子も、かなりの早産で700gで産まれてしまい、幸いにも元気ではあるが、言語含め、運動機能も他の子より大きく差がある。 

療育を行っており、本人は楽しく通えてるようでなにより。 

人間には向き不向きがある。 

たとえ、何かが十分にできなくても、他人の気持ちがわかる人なら、それで良い。 

本人が楽しく幸せに過ごせるならそれで良い。 

周りの環境も大事だね。 

 

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履歴書に「養護学校」の学歴があると、 

とたんに就職が困難になるので 

無理しても通常学校に通わせる親も多い。 

 

しかし、知的障害が早期に発見できた場合には 

人員も多く手厚く面倒を見てくれる養護学校の方が、 

むしろ可能性があるということがある。 

 

幼稚園児の頃にIQ70でも、 

適切に本人の歩調に合わせた学習メニューをこなしていくと 

発育と共に発達の遅れが解消されて 

高校卒業ごろに100前後になって 

普通に仕事できるようになれる生徒もいるのだ。 

 

そういう生徒もいるからと言って、 

ワンチャン通常学校で頭を鍛えればと思ってしまうと 

本文のような人が出てきてしまう。 

 

親は目の前の小さい子供に焦ることなく本人と向き合って欲しい。 

 

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この女性の感情がよくわかります。 

自分もずっと周りと違うことを感じていました。 

自分の場合も支援学級に行くことなく普通学級で授業を受けました。 

数学や社会の点数は割と良かったのですが、国語が特に酷く理解ができないのです。 

文書を読むのに時間がかかり、意味を理解するまでが苦でした。 

数学も計算問題は解けても文章問題になった途端に意味がわからず、 

本を読んでも状況が思い浮かばない、ただ文字を追いかけているだけ。 

しかし映画などはしっかりと理解できるのです。 

今はなんとか社会人になり社会に溶け込む事ができていると感じていますが、まだ小さい子供が2人おり、自分と同じだった場合が不安で仕方ありません。 

 

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わたしの長女が軽度の知的障害を持っています。 

生まれつきではなくて幼少期に事故で頭を強打して軽度の知的障害になりました。 

小学6年の時に学校に行けなくなって変だなぁ~と感じて、中学もそのまま近くの学校にいくか別の学校に行くか娘に話しをしました。 

娘は近くの中学を選びましたが、やはり1年の途中から行けなくなって児童相談所に相談してからIQを調べてみたらグレーゾーンだといわれました。 

フリースクールに通わせた時もありましたが、自主学習になるのでそれが不安になって児童相談所の人に話したら支援学校のコトを紹介されて見学をし、娘と話しをしたら『行ってみたい』と言ったので1週間の体験入学をしてから編入しました。 

支援学校を卒業してからはA型就労支援施設で働き、先月他県に住む大好きな彼の所にお嫁に行きました。 

今は療育手帳の更新手続きをしていまして、新しい療育手帳が出来たらA型就労支援施設で働く予定です 

 

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今の時代、特定の場所に通ってどうのしなくても、ネットやオンラインで優秀な子も天然な子も利用できるような子育てサービスができたらいいね。少子化で兄弟や親戚のいない親は、育児書通りに成長して二歳三歳から何も問題なく素直でわがまま言わず勉強も全部できて全部百点なのを基準にしたがるので、昔より他人と比べがちになると思う「みんなも使ってる」と思えば素直に子供と利用できたり。大人も大人になっても出来ないことを改善できるかもしれない。ゲーム感覚ならすんなり利用できそう。そういうサービスをどこかで作ってくれないかな。 

 

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障害の有無に関わらず、本人が楽しめるということが大切。身近に障害者がいるが、とても穏やかで優しい人やが、勉強や仕事が上手くできないことをとても悔しく思っているようやった。障害があることを自覚はしていても、周りにできる人がいればどうしても比較してしまうんやろな。当然やわな。周りにいる人はできることをしてあげるしかないが、行政は予算を上手く付けて欲しいと思う。できることは沢山あるので、社会にも十分貢献できるわけやし。 

 

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私の周りでは、ご本人以上に親御さんが「障がいを認めたくない」ようです。境界にいるからこそのことですね。私の娘は重症心身障害者でしたので、その姿を見ればすぐにわかります。逆に親は開き直って「障がいの理解啓発」をしてきました。周囲に障害児者がいない世間の方たちに障害をわかってもらうにはそこからだと思っています。誰もが暮らしやすい世の中になってほしいと思います。 

 

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IQ74で僕も軽度の知的です。小、中と女の子からいじめにあってました。机を離されたり、触れた時にほろわれたりなど辛いいじめでした。何より辛かったのは幼少期に仲が良かった子と引っ越した先の中学校で再会して、相手は僕を覚えてないままずっといじめを続けられたことです。障害は28歳の時診断結果で分かりましたが、障害者として、誇りを持って生きていこうと受け入れました。仕事や対人関係で大変なこともあるかと思いますが、自分に自信を持って受け入れる勇気を強く持って頑張って下さい。応援しています。 

 

 

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この記事内の言葉がご本人の言葉そのままだとしたら、私が持っている知的障害の子のイメージと随分違います。小学校の先生にお喋りが上手と言われたのも納得。こういう場合、親御さんも一緒になってなんとか通常学級に!とゴリ押しするパターンもありそうですが、そんなこともなさそうで。妹さんが重度で耐性があったとか、その妹さんにかかりきりであまり構う時間がなかったこともあるかもしれませんが、いい親御さんな気がします。 

 

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20代の娘2人が2人とも軽度知的障害だということが最近になりわかった親です。 

子供の頃は集団生活に馴染めなかったり、時々なにか問題はありましたが、勉強は得意な科目は普通に良かったで、軽度でも知的障害とは思いませんでした。 

子供が自分自身の日常的におかしいと思う事を調べ、検査を受けたところ2人ともに診断されました。 

親としてはまさか、自分の子供2人ともが…というショックと今まで生きにくかった事もあっただろうなと気づいてあげれなかったことに申し訳なく思っているところです。 

 

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まず最初にこのインタビュー記事を読んで感じたのは、自分の置かれている現実を簡潔にとまとめ、自分を客観視されている点に驚きました。失礼ながら「軽度知的障害」という言葉からもう少し深刻な状況を予測していました。 

私は自分の事をこんなに的確に説明出来ません。 

確かに学校ので勉強は苦手かもしれませんが、この方が活躍出来る場所は世の中にいくらでもあるでしょう。写真を見ても今どきのチャーミングなお嬢さんですね。 

これからは、同じ様な境遇の方達の希望となって、益々ご活躍される事と思います。 

 

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自分自身も軽度知的障害はあります。軽度知的障害かどうか受け入れるのはとても苦労しました。 

 自分も昔は頭が悪いとは思っていなかったのでその時は知的障害にかかわらずいろんな障害や社会的な評価が低い人たちを心の中で下に見てましたし他人事のように思ってました。他人のことだから自分の事を受け入れろとか簡単に言えるけど当事者目線になるとなかなか難しいです。 

 自分自身は大学の実習でどんなに努力しても無理で初めて気づきました。そしてIQ検査受けて気づきました。それまでは割と努力でなんとかなるのですがどうしても無理な事はあるのだと思ってかなりしんどかったです。それから15年たちますがやっぱり自分はできないことがあって劣ってると思った時は鬱病のような感じになりました。最近は知能は低くても劣ってはいないと思ってなんとか頑張ってます。 

 

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自分の友人も軽度知的障害があり、小、中学校の時は特別学級に入っていました。 

いい子でしたよ。 

特別学級に通っているからといっても全部の授業がそうだった訳でもなく、特定の教科だけを別で受けている感じでした。 

 

一緒に登下校したり、休みの日には遊んだり、いたって他の子達と何ら変わらなかったです。 

少し考える時間が長かったり、少し話をする速さがゆっくりだったり。 

だけど、その分穏やかな性格だったし、誰かを傷つける様な言動や行動もしないし、一緒にいて優しい気持ちになれる子でした。 

 

中には差別する子もいたと思うけど、多分親や周りの大人が偏見持っていると子供も大人にならって偏見を持つのかなと思います。 

 

今思うと事ある毎に差別や虐めは恥ずかしい事だって皆教わっていたし、先生達も特別扱いしないで同じ様に接してくれていたから同じ学年の子達は割と受け入れられていたのも良かったのかなと思います。 

 

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いくら保育園入ったらお喋り上手になったからって、療育手帳まで取得していたのに加配もつかず、通常学級だったのは何でなんだろう… 

ウチの息子たちも知的障害はなくても、軽い自閉とADHDなので…純粋に疑問で。よくある、親が気づいてない、認めない!ならわかるんですが、親御さんはそんなことなかったようなので。 

長男は支援級3年生。入れて良かったです。次男は来年1年生ですが、診断も降りてないけどやっぱり支援級を希望しています。『頑張ればできる』では長い小学校生活厳しいと思ってます。 

この記事読んで、やっぱりこの方も、入学時から支援級だったらね!って思ったから。逆ならともかく普通級から支援級の在籍替えって本人もかなり勇気がいると思う。ついていけない子の烙印押されるみたいで。 

てか支援級だったら遊ばないとかヒドイし。 

 

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母が障害を持つ幼児の支援施設で働いていたことがあったけど。 

目が見えない子の保護者が「いつか見えるようになるから」と普通学級に拘って、支援もなかなか受けれなかったらしい。 

その子が、障害の部分をフォローしてもらえる機会をずっと失っていることを母が気にしていて、早くにフォローしてあげれば成長が違うのにって心配していた。 

本人よりも親が受け入れないと教育は始まらないけどそれが一番難しいハードルなんだよね。 

 

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学習塾をしていましたが、発達障害、軽度知的障害、と思われる子の親御さんも認めたがらず、検査をしたくない人が多い。学校も検査するようにとは言わない学校もある。言われてもしなくない、とかのパターンも多い。隠して塾に入れてくる事も多い。中には検査の結果が出だけれど、この結果は学校にも伝える気はないし、本人にも伝えたくないという親御さんもいる。そういう親御さんに限ってテスト前だけ怒りながら勉強させ、点数にこだわる。障害を受け入れたほうが逆に高校を決める際や就職など有利になる事もあったり生活する上で優遇される仕組みもあるのに、どうにか隠していきたいと言う。親が死んだら兄弟に託すのだろうか?本人が生きる道を見つけてあげる方が幸せだと思うのだけど。 

 

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私も今から考えると境界知能のようでした。若い時の失敗談を思い出して頭を抱えることもありますが、笑、しかし気にすることはありません。不毛な人間社会で身を腐らせるより、境界知能の人特有の人にやさしい気持ちを持ち続けることが大事ですよ。また、境界知能の人は一つのことに特化した才能を発揮する人が多いようです。それを見つけ出すとよいでしょう。 

 

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小学校までは公立だったので、こんな感じの子いたなぁ…。すごく真面目に宿題とか勉強しているのに、全然勉強できないし教科書読むのもつっかえつっかえ。子ども心にも、頑張っているのに結果繋がらない子もいる、そういう子は支えたいなと思って勉強教えたり教科書読むときは漢字でつっかえていたら囁きサポートしていたことを思い出した。 

こういう子は、年頃になると性的搾取の対象になりやすそうで心配ですよね。その点においても健常児以上に保護者の強いフォローが要るのだろう。 

 

 

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小学校までは公立だったので、こんな感じの子いたなぁ…。すごく真面目に宿題とか勉強しているのに、全然勉強できないし教科書読むのもつっかえつっかえ。子ども心にも、頑張っているのに結果繋がらない子もいる、そういう子は支えたいなと思って勉強教えたり教科書読むときは漢字でつっかえていたら囁きサポートしていたことを思い出した。 

こういう子は、年頃になると性的搾取の対象になりやすそうで心配ですよね。その点においても健常児以上に保護者の強いフォローが要るのだろう。 

 

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昔は「障害」でなく「個性」として、その個性が気に入らないってところでいじめが始まったりしたんだろうな、と思う。 

「障害」って切り分けられて、いじめられなくなるのかもしれないけど、それは「障害」なのかなぁともちょっと思う。 

「うまくできないこと」が「障害」になるのだとしたら、「人をいじめる」人こそが「障害」として真っ先に扱われるべきだと思う。 

 

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本人さんの事しか書いてありませんが、療育手帳を早くに取得できる、いじめにあう、勉強を頑張っても20点とか。 

 

ご両親から、支援級や支援学校にいったほうがいいという話はされなかったのでしょうか? 

息子と同じ病気の子の親が普通級にこだわり、高校も偏差値30くらいのところに入れました。でも、就職先はみつかりませんでしたね。 

 

普通の高校と言っても私立の偏差値30ぐらいの高校だと思います。 

支援学校に行き、障碍者枠で一般就労すればよかったのにね。 

 

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うちの娘も発達障害で手帳持っています。 

妻が保育士なのですが、保育園にもそんな子が沢山いて色々教えてあげたいが、向こうから相談されない限り絶対に言わないし教えないのだそう。下手に言うと訴えられて辞めさせられるそうです。障害児を持つ親ならすぐわかります。親が色々相談する事によって判明し良い知恵やそういう学校を紹介してくれるので間違ってもそういう子が普通校でいじめられる前に親が気づいてやる事が大事です。 

こう言っている自分も詳しく調べたら発達障害かも知れませんね。 

英語なんて中学、高校。大学と約10年やってるのにペラペラじゃないですもの。 

 

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うちは幼稚園から違和感を感じ、小2で診断され、療育と医療とつながっています。全体の知能は85くらいで、中2ですが、理数と英語はよいのですが…書字障害で字が暗号化されており、漢字も小3レベルしかできません。今のご時世パソコンがあるので読めればいいとは思いつつ、定期テストやノートの字は苦労してます…部分的に劣るところがあると大変生きづらそうです 

 

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自分が受け入れることができない、そういう人たくさんいるのではないでしょうか。 

並以下であると自分を認める事が難しい。 

今は大人だから多少の不出来も認められるけど、子供というコミュニティの中ではさらに困難ではないでしょうか。 

親は適切なサポートを行い、また1番の理解者でなくてはならず、更に難しいと思う。 

私も勉強高校は全くダメで、楽しいことなんて一つもない時期だった。 

その先は、それなりに好きなことに打ち込んで、幸い仕事もそこそこで、まあマシになったけど。 

なかなか、今の境地に至るまではいろいろあるよ。 

 

=+=+=+=+= 

私は聴覚障害者ですが、障害者手帳がもらえるほんの少し手前の聴力の時期が長く続き、障害者でもない健常者でもない中途半端さに非常に苦しみ、また、傷付きました。手帳をもらっても見た目は健常者なので不作法な言葉が遠慮なく飛んできたり。境界線上の軽〜中レベルの知的、聴覚、内部障害者は行政の支援が全くないので、改善してほしいです。 

 

=+=+=+=+= 

医師の診断を受ければ病名が付くし、受けなければ、何か違う?ぐらいだし、どこでラインを引くかなんて難しいですね。一般的な成長を基準として学年を分けたり、学力を数字化するのが今の世の中。成長の個人差とかあるんだから、そこは勉強や生活しやすいように親、学校、団体、法人、行政!、が 上手くサポート出来ればな。 

 

=+=+=+=+= 

私自身も障害者のひとりであり、その障害が認められるまでにかなり時間が掛かりました。 

幼い頃から幼稚園か忘れましたが、昼寝時間でも眠れずに帰るまで居残り昼寝されたり、小学生の頃は友達が作れず、児童館ではチーズが食べられず無理やり食べさせられ、中学・高校はいじめにあい、よく悩んだせいで神経性胃炎になり内科で注射されました。大学は締切間際のレポート提出も多かったです。 

社会人になっても、社風になじめず辞めてアニメ業界の制作の仕事をしました。しかし、上手く仕事がこなせずにうつ病になり辞めました。なかなか病気は改善せず、今の主治医で発達障害と診断され、睡眠外来で睡眠時無呼吸症候群と最近は睡眠覚醒相後退障害と診断されました。 

締切のある仕事には向いていない、過集中しがち、現実的考えが難しい等多く特性があり、50代という中どう生きるべきかとても難しいです。実家ではなく、今いる東京で生き抜くしかないです。 

 

=+=+=+=+= 

自分にもIQ50後半の軽度知的障害の息子がいます。療育を受けて良く成長してますが、来年からは支援学級入る予定でいます。 

 

親としては息子が楽しく学校生活迎えられたらと願いますが、気持ちをまだ上手く言葉にできない事もあるのでこういう記事は本当に参考になります。 

兄弟児が後ろ指刺されることもあると聞き、今からもう心配でしかないですが・・・ 

 

ある程度は自立できるようになってほしいですがどうしても困難な事がある時は人に助けを求められるようにもなって欲しいと思います。 

 

 

=+=+=+=+= 

子ども達の支援者です。 

頑張ればできるっていうのが厄介で見過ごされがちなんですよね… 

70で高校受験は非常に辛かったと思います。頑張りすぎだし、頑張らせすぎ。 

ただ妹さんが重度だからご家族もえりかんさんを見る余裕がなかったのかもね。 

また普通→支援級は書かれているけど随分葛藤があったと思います。 

小学生であれば支援級に転級するなら友だち無理なんていう子は本当の友達じゃないからま、イッカなんて思えないですしね。 

もし私が彼女の近くにいたら、お話が得意なのだからクラスのホームルームで1分間スピーチ(私は大嫌いでしたが)の場を設けるとかして成功体験を積ませて上げたかった。 

その後で弁論大会に出ても良いじゃないですか?いまの時代人前で話せる能力は重宝されるようですよ。暗記メインの勉強は骨が折れたでしょう。 

彼女に限らず失敗体験、セルフエフィカシーの低下が招く二次障害を防ぐ必要があると思います! 

 

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大変でしたね 

言葉では、簡単に聞こえますが記事の方が思い悩んだことを思いました 

自分にも、息子に軽度の知的障害の子どもがいます 

息子は、幼稚園の年少の頃から健常の子どもとなにが違う事を感じていたようで色々と聞いてきた時期がありました 

そんな事があって、小学校に上がる時に「どこを選べば楽しく学校に通ってくれるか?」を考え特別支援学級を選び学校側と教育委員会に掛け合いました 

それでも、入れるまでに3年間かかりました 

中学も特別支援学級で通い、高校は特別支援高校に入ることができ今は、就職までさせて頂き、今も仕事を頑張らせて頂いています 

学校に、通うのは子ども達ですどうか周りの事を気にせず子どもにとっていい方法を考えてください 

 

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IQ81の小1の娘がいます。支援級(情緒)に通ってます。勉強はギリギリです。なんとかやっています。 

私もホントは普通級に行かせたかったです。今でも普通行っていいと言われたらすぐにでも行かせたい勢いです。 でも、子どもの居場所も大事だと思うので本人が徐々に普通に行けれればいいなと思ってます。 

けれど、実際 支援級に入れたことによって他の親からの偏見差別もあるしお友達が離れていきました。本人や親にとってはとても辛いことです。 

この日本の教育としてまず差別や偏見をなくすことをした方がいいと思うし、子どもより親の方が 障害者のところに行かない方がいいと言う親が多いです。 

そこらへんはなんとかしてほしいです。 

支援級だってみんながみんな好きでいくわけでもないし、サポートがあればいくだけです。 

 

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刑務所経験者がドキュメントタッチで書いた、刑務所内の障害者についての本の中で、軽度知的障害者の女性が、子ども時代から特別な支援教育を受けずに成長して、犯罪に染まっていったことが描かれていますね。 

また、風俗関係者のスカウトは、そのような女性を意図的に狙っている。 

特別支援学校の管理職経験のある方は、見た目には、障害があるようには見えないが、実際には障害がある女性が狙われると語っていました。 

日本の「インクルージョン教育」は、健常者も含めて、個々の能力や習熟度に応じた個別学習を否定するような傾向があります。 

能力や習熟度に差があっても、同じ教室で同じ学習をすることを「目指す」 

結果として、障害も含めた個々の子どもへの特別な配慮や支援が行き届かないし、配慮や支援を求める声もだしにくい場合がある。 

教育の中身よりも、「形式」にこだわり、「形式」さえあれば満足する… 

 

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親が世間体を気にして無理矢理普通学級に入れさせることが多々ありますが、進学・就職に関して特別な対応は取られませんので、卒業後が苦労されるかなと。 

特別支援学級・支援学校は授業内容でも特別な対応や教員数が充実しており、卒業後の進路についても学校側で施設や就職先を見つけてくれるので、進路に不安がある場合は絶対こちらの方が良いと思います。 

 

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うちの息子は軽度のスペクトラム障害で保育園年長の頃に小学校で普通学級に入るかどうかで小学校の教頭先生や支援学級担当の先生を頻回に話し合いをしました。なんとか普通学級でも対応できるという結論で普通学級に入りました。学業面では単純な計算問題や漢字の書き取りはテストで平均以上の点が取れるほどの学力でしたが、国語の長文読解問題とか社会の問題とかは苦手でかなり低い点を取ります。自分が興味を持つ車の種類とかの知識はすごく、いつ何をしたかというカレンダーの日付は驚くほどよく覚えています。問題はうちの子ではなく同様の様態の同級生の子どもの母親、その母親はうちの子は病気ではないとカウンセリングとかメンタルクリニックの受診とかを断固拒否。うちの息子よりも落ち着きがなくクラスで迷惑をかけることも多い子です。この子がしっかり審査されて通常学級以外の支援を容認されれば職員の加配の適応にもなる状況なのに協力しないこと 

 

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私もささやかながら障害者支援をしていますが、いつも疑問に思う事があります。障がい者は増加するいっぽうなのですが、なぜ増加しているのか、という事にほとんど意識がいっていないように感じます。調べると、農薬や薬、添加物等の影響があるようです。障がい者を守る事は当然必要ですが、なぜ、私達の子供が障がいを持って生まれたのか、知る必要があるのではないでしょうか。 

 

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私はADHDですが、障害だと分かった時は正直ホッとした。 

なぜなら「親の教育が悪い」と親が責められなくてよくなったから。 

 

私の脳の問題であって親の問題ではない。そして先天性のものは誰も選べないし責められない。何より人は生物であって工業製品ではない。画一的なものなど存在しないし、誰もが多かれ少なかれ問題をもって生まれてくる。その問題が社会にとって良いものであるか悪いものであるかは別の問題。 

このように頭の整理ができ鬱からも回復できた。私にとって自分の障害を知ることは抗鬱剤よりもはるかに重要なことだった。 

 

記事とは直接関係ないけど、こんなこともあるという一例です。 

 

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ダブルワークで事務のバイトをしているが、最近週5のパートで入ってきたバツイチ子持ち女性がこのボーダーの疑いある。 

 

まず漢字の読み書きが不得手、伝言メモはひらがなばかり、お客様からの電話で地名や英語の名称がわからない、簡単な仕事のルールも理解できない…とかなりやばいんだけど、本人は結構美形で感じもよく、頑張っているのはわかる。 

 

けど、能力がないと何が分からないのか本人が分かってないのを見る方も辛い。私は本業で福祉の仕事をしているので、そういう人を見る機会が多いので無理してほしくないが、本人が「頑張ればできるはず」と根拠なく考えているのが…自分で受け入れられないんだろうね。事務は無理だって。 

 

子どもの頃は特に大変と思うけど、自分の能力を客観的に評価分析して、自分に合った仕事や環境を選ぶって人生においてすごく大事なのは間違いない。 

 

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境界知能であっても高度な知能を有していても、それぞれ善人と悪人はいます。ただ、世の中で生きていて、反射的に「バカじゃないの」と思うあまりに不可解な行動をする人々に遭遇することが多々あります。その多くは境界知能でありかつ悪い方向に働いている可能性が極めて高いのではと、常々思っています。 

 

別に全くそういう人たちのことを罵る意味合いはなく、むしろだからこそそういう人たちの状況を社会がより鮮明に認識して、それに寄り添えるような社会制度を作っていくことがとても重要であると思います。この点は意外と社会が言語化できていないが故に制度化もできていない、現代社会の盲点ではないでしょうか。それができれば、もっとお互い生きやすくなるはず。 

 

 

 
 

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