( 216700 )  2024/09/29 16:47:27  
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※写真はイメージ(写真: ペイレスイメージズ1(モデル) / PIXTA) 

 

浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか? また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか?  自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。 

今回は1浪して関西大学に合格。その後、岡山大学に編入し、株式会社ABABAを設立。ABABA代表取締役であり、2024年の「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」を受賞した起業家の久保駿貴さんにお話を伺いました。 

 

【写真】「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」を受賞した久保さんの授賞式の写真。 

 

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■ForbesJAPANのUNDER30に選ばれる 

 

今回お話を伺った久保駿貴さんは、起業家として、就活の最終面接で落ちた人のそれまでの頑張りを評価し、ほかの企業からのスカウトが届くサービス「ABABA」を、就活生に向けて提供しています。 

 

 その活動が評価されて、次世代を牽引する30歳未満の才能に光を当てるアワード「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」を受賞しました。 

 

 そんな彼には、現役・浪人のときに第1志望だった神戸大学に受からなかった挫折経験がありました。1浪で受験を失敗した後に「電車に飛び込もうと思った」ほど思い悩んだ時期もあったそうです。 

 

 それでも今では多くの就活生の役に立つサービスを生み出した彼は、「浪人経験者は起業したほうがいい」と自身の挫折経験を前向きに振り返ります。 

 

 はたして、浪人の経験が彼の半生をどう変えたのでしょうか。 

 

 久保さんは1997年4月21日、兵庫県明石市で鉄道関係の仕事をする父親と、英語教室を営む母親のもとに生まれました。 

 

 

 「子どもによいと思うこと、子どもが興味があることはできるだけやらせてあげよう」という家庭の方針で、幼少期は野球・習字・ピアノ・水泳・空手など、たくさん習い事をさせてもらっていました。 

 

 「両親はやりたいって言ったことは全部やらせてくれました。小4から塾に通い始めたことで、当時のテストはほぼ100点で、野球はエースピッチャーの優等生キャラでした」  

 

 彼が生まれ育った明石市・江井島にある学校は、幼稚園から中学校までを同じ仲間たちと一緒に過ごす環境でした。 

 

 久保さんは、中学校に上がってからも、小学校から通っていた塾に通い続けた結果、「中学校からは成績が出るようになったのですが、学年で10番以内には入っていました」。 

 

 その一方で生徒会に所属し、やんちゃな同級生たちとも仲良くして、コミュニケーションを取っていたために、先生からも「あそこの子、なんとかならん?」といった相談をよく受けて対応していたそうです。 

 

 優等生だった久保さんの成績は、たまに4だった美術を除くとオール5。それでも、自分よりもできる人はまだまだいると、謙虚に過ごしていたそうです。 

 

■難関校に合格し、厳しい競争の中に… 

 

 高い内申点を維持し続けた彼は、市内でいちばんの兵庫県立明石北高等学校の自然科学科を受験して、合格しました。 

 

 「明石北高校はスーパーサイエンスハイスクールに指定されていて、NASAやハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、MIH(アメリカ国立衛生研究所)などに訪問できるアメリカ研修があったり、日本の研究施設や大学の先生を招いて講義が受けられる環境でした。当時の私は気象・宇宙が好きで、大学でもそういう分野の勉強をしたいと思っていたため、いい学校だなと思っていました」 

 

 しかし、高校に入学してからは、中学よりもさらに勉強ができる人たちの中に身を置いて、厳しい競争を経験することになります。 

 

 高校に入ってからも野球部に入った久保さんは、最初のほうこそ、そこそこの成績を維持できていましたが、厳しい練習のため次第に勉強時間が確保できなくなり、成績が下降し始めました。 

 

 「最初の成績はクラスで7/40番だったと思います。でも、野球部の練習がとても厳しくて、疲れて勉強に集中できない日々が続きました。明石北高校自然科学科は、クラスの半分くらいが神戸大以上か、医学部に行くため、みんな頭がよすぎて、(このままでは自分は)やばいと感じましたね。勉強に全振りしていたら、みんなにもついていけたと思いますが、部活も真剣にやっていたので、両立が難しく、いちばん悪いときには38/40位まで成績が落ちました」 

 

 

 1年生のときにはもう肌感覚で「東大や京大に行くのは不可能だ」と感じた久保さんは、神戸大学の理学部を第1志望にして、理系の問題を中心に勉強を続けました。 

 

 その当時は、19時に部活が終わって20時くらいから2~3時間ほど代ゼミサテライン予備校で授業を受けたり、自主的に勉強をしていました。 

 

 しかし、神戸大学の判定は進研模試で一度B判定が出たのみで、あとはE判定が続く状況でした。 

 

 甲子園を目指して頑張った野球も、3年生の夏に佐藤輝明選手(現在、阪神タイガースに所属)がいた仁川学院に負けてその生活を終えます。 

 

 それからは、より受験モードに切り替えて毎日12~13時間の勉強を続けました。それでも、本人の中では手応えはなく、夏くらいにはもう受からないと思っていたそうです。 

 

■野球優先してしまった結果、浪人が確定 

 

 「勉強はしていたのですが、野球を優先したことで高1からの勉強不足が響きました。もうこの頃には浪人するしかないと思っていましたね」 

 

 この年の久保さんは、センター試験の点数で7割取れなかったものの、神戸大学の理学部に出願し、不合格に終わります。「2次試験はもう落ちることがわかってて受けました」と語る久保さんは、すぐに浪人を決意し、次年度に切り替えました。 

 

 浪人を決めた理由は、「プライドと世間体と、『まだ(上に)いけるだろう』という過信」が大きかったそうです。 

 

 「さすがに1年あれば、勉強を頑張れば神戸大に行ける」と考えていた久保さんは、実家から神戸のコロンビア学院に通って、毎日勉強に励みました。 

 

 「7時に起きて用意して、30分かけて通学し、8時半~9時の間には登校しました。20時から21時まで授業を受けたり、自習をして、22時までには帰宅しました。そこから復習をして、深夜12時には就寝していました。勉強はトータルで15時間くらいやっていたと思います」 

 

 前年の失敗を生かしながら、この年は「ちゃんと基礎から理解しよう」と意識し、あとはひたすら問題をこなした久保さん。 

 

 その甲斐あって、河合塾の全統模試では神戸大学でB判定を取ることができました。それでも「成績は伸びたけれども、余裕で受かるレベルにはいけなかった」ことで、不安がよぎったそうです。 

 

 この年のセンター試験は前年より100点ほど上がったものの、2次での挽回に望みをかけて、この年も神戸大学理学部に出願しました。 

 

 

■2度目の挑戦も不合格に終わる 

 

 「センター試験の結果は2次試験で逆転できると思っていました。試験が終わったときの感触としては、(合格か不合格か)どっちかわからんな……くらいで、自信はなかったのですが、まぁ大丈夫だろうと思っていました」 

 

 しかし、残酷にも、この年も久保さんは神戸大学からの不合格通知を受け取ります。それも合格最低点からわずか3.6点差の悔しい結果でした。 

 

 幸い、滑り止めで関西大学と、センター試験利用入試で出願した関西外国語大学には合格していたので、関西大学の環境都市工学部に進学することに決めます。 

 

 しかし、浪人をしたのに神戸大学に受からなかったことは、久保さんにとっては「人生の中でも最も大きな挫折」だったそうです。 

 

 「関西大学は世間的にはすばらしい大学です。でも、僕が通っていた明石北高校のクラスにはあまり浪人する人がいませんでした。だから、SNSから消えて、成人式にも顔を出せませんでした。学歴コンプレックスがすごくて、電車に飛び込もうかなと本気で思ったこともあります」 

 

 そんな中で、いろいろと制度を調べるうちに「編入」という制度に気づいた久保さんは、より学びたい勉強・研究をするには岡山大学が適切であったこと、私立大学理系学部の学費が高いこと、学歴コンプレックスを払拭したいなどの思いがあり、岡山大学の理学部地球科学科の3年次編入試験を受けて見事合格しました。 

 

 思い悩んでいた関西大学での出会いも、現在につながっています。関西大学2年生のとき、サークルで知り合った先輩の中井達也さん(後のABABA共同代表)と仲良くなって、在学中に一緒に起業。岡山大学に編入してからも、中井さんとさまざまなサービスを一緒に作りました。 

 

 2社起業してクローズした後に、大学4年生になった久保さんは3度目の起業で、最終面接までの「頑張り」を評価した企業から特別選考フローでスカウトが届くサービス「ABABA」を生み出しました。 

 

 

 
 

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