( 216715 ) 2024/09/29 17:07:44 0 00 (写真:Toru Hanai/Bloomberg)
アメリカで実用段階になっている自動運転技術が、日本では利用できない。それは、日本に高度な技術者がいないからだ。これは、日米技術者の給与を比較してみると、確かめられる。 日本の自動車メーカーを動かしているのは、高度な技術者というよりは、熟練工だ。日本では、学歴の差にこだわるのに、新技術を開発できるような学力の差を問題としていない。昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──。野口悠紀雄氏による連載第130回。
■AIにおける「日米格差」は著しい
日本では、運転手不足のため路線バスの減便が余儀なくされ、タクシーにも乗れず、多数の交通難民が発生している。しかし、アメリカでは、AIが運転する完全自動運転タクシーがすでに利用されている。前回の本欄で、このように述べた。
アメリカでは、運転手不足問題を、AIという強力な技術が解決してくれる。ところが、日本で運転手不足を解消しようとしても、残念ながら、自動タクシーを導入することができない。必要な技術を保有していないからだ。
AI分野における日米間技術格差は著しい。それが、日常生活においてもこのような差を生むに至っている。
では、アメリカでは自動運転が可能になっているのに、なぜ日本では利用できないのか? それは、自動運転技術を開発するだけの高い能力を持つ技術者が、アメリカにはいるが、日本にはいないからだ。
自動運転を開発できるだけの技術をもった者が、アメリカにいて日本にいないことは、日米技術者の給与を比較すると、よくわかる。
トヨタ自動車の従業員の平均年収は、899万円だ(Yahoo! Financeによる)。
アメリカではどうか? 転職情報サイトlevels.fyiのデータによれば、ソフトウエア・エンジニアの年収(円換算値)は、次のとおりだ(基本給の他、ボーナス、ストックオプションなどを含む)。
ウェイモ(サンフランシスコの無人タクシーを開発・運用している企業)のL5(5段階のうち、下から3番目のランク)の年収は、5795万円だ。
テスラについてみると、P3(6段階の下から3番目のランク)の年収が2997万円となっている。
■日米の技術職の給与差は3~6倍程度
以上のデータから、大雑把に言えば、アメリカのハイテク自動車会社の技術者の給与は、日本の3倍から6倍程度と考えてよいだろう。きわめて大きな差だ。
日本の場合の平均賃金を決めているのが主として工場労働者であるのに対して、上で見たのは、技術開発を行っているエンジニアであるから、対象となっている人材の質が異なり、そのために、差が生じるのだ。
つまり、企業の中でどのような従業員が支配的かという構造が、日米間で違うのだ。ウェイモやテスラの場合に付加価値を生みだしているのは、工場労働者というよりは、新しい技術を開発している技術者なのである。
そして、アメリカのハイテク自動車メーカーで自動運転技術を開発しているレベルの技術者が、日本のメーカーにはいない(少なくとも、支配的な存在ではない)。
日本の自動車メーカーは、すでに確立された技術を用いて、これまでと基本的には同じ構造の自動車を生産している。それに対して、テスラやウェイモは、新しく開発した技術を用いて、これまでとはまったく違う構造の自動車を生産している。本稿の冒頭で述べたこと(アメリカでは自動運転車が利用できるが、日本では利用できない)は、まさにこの違いによって生じているのである。
■高度技術者が日本にいない2つの原因
では、自動運転を開発できる高度エンジニアが、アメリカにいて、日本にいないのはなぜか? 原因は2つある。
第1は、大学など高等教育機関の問題だ。アメリカでは、AIは重要な教育・研究分野であり、大学の中で大きな比重を占めている。そして、潤沢な教育・研究費を使って、高度なAIエンジニアを育成している。
それに対して、日本の大学では、AIや情報処理技術は、名目的には教育・研究分野になってはいるが、人員も予算も不十分だ。日本の工学部は、いまになっても、ものづくり中心の製造業を支える人材を育成し続けているのである。その反面で、AIや情報関連の高度エンジニアを育成していない。
第2は、企業側の問題だ。日本の自動車メーカーも自動運転技術の開発・研究を行っているのだが、そのための投資額は、アメリカ先端的IT企業に比べれば、遥かに少ない。このため、人材が養成できていない。
国の豊かさを示す指標として最も頻繁に使われるのは、「1人当たりGDP」(GDPを人口で除した値)だ。これを見ると、2024年において、アメリカの8万5372ドルは、日本の3万3138ドルの2.8倍だ。
ところが、すでに見たように、自動車メーカの年収比較では、日米間の格差はこれより大きい。なぜだろうか?
1人当たりGDPの分子には、家計消費や企業設備投資など、支出面のGDPの計数が用いられる。ところで、支出GDPは、分配面の国民所得と資本減耗(減価償却)の和に等しい。そして、国民所得は賃金と営業余剰などからなる。
GDPに対する国民所得の比率も、国民所得に対する賃金所得の比率も、国によって差はあるが、さほど大きな差はない。だから、所得分布が日米で大差がなければ、技術者の給与格差は、1人あたりGDPの格差と大差がないはずなのだ。
すでに見たように技術者の年収に大きな差が生じてしまうのは、賃金所得の分配が、アメリカの場合には高度技術者に偏った形になっているためだと思われる。それに対して、日本の場合には、賃金所得が比較的平等に分配されている。
つまり、日本の場合には、高度技術者と一般的労働者との間で、あまり大きな年収格差がないのに対して、アメリカの場合には、格差が大きい。このために、先に述べたような現象が発生するのだ。
こうなるのは、日本の場合には、技術者と一般労働者との間で、生産性にあまり大きな違いがないのに対して、アメリカの場合には、技術者は、一般労働者に比べて、新しい技術の開発などの点で、生産性向上に大きな役割を果たしているからだと考えられる。
このような生産性の差がなくて年収の差だけがあるのでは、非効率的な賃金配分ということになってしまい、長期的な継続性がないはずだ。
つまり、先に述べたように、日本の場合には、一般的な労働者と技術者との間であまり大きな能力の差がないので、年収の差が小さい。そのために、日本では新しい技術が生まれないのである。
■日本が新しい技術に対応できなくなった真因
高度成長期においては、新しい技術を日本で開発しなくとも、欧米諸国で開発された技術を日本に導入すればよかった。そのために、格別に高度の技術や知識が必要とされることはなかった。
オンザジョブ・トレーニングで対応していくことが十分可能であった。このため、日本型の企業体制であっても、新しい技術に対応していくことが可能だったのだ。
しかし、IT革命以降、そうしたことが機能しなくなった。新しい技術に対応するためには、高い専門的知識が必要になったのだ。ところが日本では、そうした知識を持つ技術者が不足していた。このために、新しい技術を導入できなかった。
日本では、多くの人が学歴にこだわる。しかし、大学卒とは、大企業に入社し、その企業の幹部に昇進するためのパスポートにすぎないのである。それは、必ずしも実力のあることを示すものではない。
学歴にはこだわるのに学力を軽視する社会構造が、日本の発展にとって深刻な桎梏になっている。
野口 悠紀雄 :一橋大学名誉教授
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