( 216750 )  2024/09/29 17:44:29  
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〔PHOTO〕GettyImages 

 

「バリバリの金融実務家であった私が、わからないことがあれば一番頼りにし、最初に意見を求めたのが山本謙三・元日銀理事です。安倍元総理が、もし彼がブレインに選んでいたら、今の日本経済はバラ色だったに違いない」 

 

【写真】「日本最大の株式投資家」は株を高値で売り抜けることができるのか? 

 

元モルガン銀行・日本代表兼東京支店長で伝説のトレーダーと呼ばれる藤巻健史氏が心酔するのが元日銀理事の山本謙三氏。同氏は、「異次元緩和」は激烈な副作用がある金融政策で、その「出口」には途方もない困難と痛みが待ち受けていると警鐘を鳴らす。 

 

「黒田バズーカ」として、内外にサプライズを与えた異次元緩和では、多額のETFの買い入れを通じて、市場から大量の株式を購入した。リスクの高い株式買入は、金融政策のタブーと言われて、世界中の中央銀行が避けてきた「禁断の手法」である。 

 

日銀は10年以上にわたりETF買い入れを続けた結果、2024年3月末には日銀の保有残高は約37.2兆円まで拡大した。今や、日銀は国内における最大の株式投資家である。植田日銀は、ようやく2024年3月にETF買い入れを停止したが、いまなお売却する気配はない。大量に買い入れたETFは日銀に巨大な含み益と配当金をもたらしたが、株式市場における「巨大なクジラ」となった日銀が撤退すれば、市場に波乱をもたらすのは間違いない。はたして日銀は、保有株を高値で売り抜けることができるのだろうか? 

 

※本記事は山本謙三『異次元緩和の罪と罰』から抜粋・編集したものです。 

 

日銀による市場への介入は、多額のETFの買い入れを通じて、株式市場にも及んだ。 

 

世界の中央銀行は、市場から買い入れる対象資産として、①信用力の高い資産であること、②元本の保証があり、償還期限のある資産であること、③原則として短期の資産であること、④市場流動性の高い資産であること(いつでも市場に売却できる資産であること)、などの原則を設けている。 

 

この原則に従えば、短期国債が中央銀行にとって最もふさわしい売買対象であり、償還期限のない株式や土地はこの原則に当てはまらない。資産の健全性の原則は中央銀行の財務の健全性維持と金融政策の機動的な運営を確保するためのものであり、通貨の信認確保のために不可欠の原則と考えられてきた。 

 

日銀は、2000年代に2度、金融システムの安定を目的に金融機関から直接株式を買い入れたことがあるが、物価の安定を目的とする株式買い入れは一貫して避けてきた。この原則を緩め、初めてETFやJ-REITの買い入れに踏み切ったのは、2010年10月だった。 

 

当時、2008~09年に襲ったリーマンショックからの景気回復が十分でなく、短期金利の引き下げ余地はすでになくなっていた。これを踏まえ、日銀は、「長めの市場金利の低下と各種リスクプレミアムの縮小を促す」ためとして、バランスシート上に「基金」を創設し、銀行券ルールを適用しない長期国債を購入するとともに、ETFやJ-REITの買い入れを決定した。しかし、2010年の時点では、あくまで異例の措置であることを意識し、「基金」という名の特別な枠組みのもとで上限を設けてETFやJ-REITの買い入れを実行していた。 

 

2013年4月に開始した異次元緩和は、この「基金」を撤廃し、長期国債やETF等の買い入れの制約を取り払った。当初「2年程度」での物価目標実現を掲げたが、目標を達成できないまま、ETFの買い入れも10年以上続いた。 

 

異次元緩和の当初は、年間約1兆円相当と、従来比約2倍のETF購入規模だったが、その後追加の増額を繰り返し、2020年5月には年間約12兆円相当とした。異次元緩和開始当初の買い入れ予定の実に12倍である。 

 

2021年度以降、ETFの買い入れはペースダウンしたが、図表5-5に示すように、それでも日銀のETF保有残高(簿価)は2013年3月末の約1.5兆円から2024年3月末には約37.2兆円まで拡大した。今や、国内における最大の株式投資家である。 

 

しかも、日銀は、これらの買い入れを定期的、かつ同量ずつ行ったわけではなかった。株価が下落する都度買い入れを行い、さらに大きく下落したときは、買い入れ上限の引き上げを実施した(図表5-6)。 

 

こうした日銀の買い入れ姿勢を眺め、市場はETF買いを「株価支持の一種」と受け止めるようになった。株価の大幅下落時には、必ず日銀が出動すると信じるようになった。市場参加者の予想に、日銀による市場介入が完全に組み込まれた。 

 

株式市場は、成長性の高い企業を選び出し、経済の新陳代謝を促す機能を担う。異次元緩和のもとでの日銀のETF買い入れの結果、市場では、企業の業績予測とは別に、日銀がどの程度株価が下落すればETFの買い入れに踏み切るかを見極める時期が続いた。これは、株式市場の機能を損なう。その危うさを承知しているからこそ、ほぼすべての中央銀行は株式市場から距離を置いてきた。 

 

日銀は、24年3月の異次元緩和解除とともに、ETFとJ-REITの買い入れを停止した。しかし、今後、株価が大きく下落するときには、市場や政治から日銀に対し再びETFの買い入れを求める声が高まるだろう。これに、日銀はどう対処するか。また、積み上がったETFをどう減らしていくのかが、今後の焦点となる。 

 

保有するETFの圧縮は、株価の動きに大きな影響を与えないよう、細心の注意が払われなければならない。最も考えやすい手法は、毎営業日、あらかじめ公表した小規模の金額相当分をコンスタントに市場で売却することだろう。前もって明らかにされた少額のコンスタントな売却であれば、市場価格への影響を最小限に抑え込むことができる。 

 

試算は難しいが、東証プライム市場の1日当たり売買金額の0.1%ないし0.2%の金額をコンスタントに売却しようとすれば、すべてのETFを売り終えるのに、それぞれ60~70年ないし30~40年かかる計算結果となる。試算は相当の幅をもってみる必要があるが、それほど時間のかかる厄介な課題であることは間違いない。 

 

 

以下、市場機能の低下が、各経済セクターにどのような影響を及ぼしたかを見てみよう。国の財政規律の緩みについては、前章で詳しく述べた。ここでは、企業の新陳代謝の遅れと金融システムの弱体化を取り上げる。市場機能の低下が長く続いただけに、その影響は甚大である。 

 

第1に、長期にわたる超低金利と大量の資金供給は生産性の低い企業の温存につながった。低生産性企業が多数残存すれば、経済の活性化は進まない。資本主義に本来内包されたメカニズムは、良質の製品やサービスを提供する企業に労働力や資本が集まり、経済全体として生産性が上がるプロセスだ。 

 

しかし、新陳代謝が阻害されると、値下げ競争が活発になり、イノベーションが起きにくくなる。労働力などの移動も起こりにくい。低生産性企業であっても市場に残れるので、働く人々もとりあえず職場を変えずに済むからだ。 

 

もちろん、低生産性企業の温存は、異次元緩和だけに原因があるわけではない。政治も、多くの企業を温存しようとして、補助金や給付金の提供、低利融資の供給策を講じてきた。 

 

新型コロナの感染拡大時のような緊急の場合には、それもやむをえない。過去の緊急時にも、こうした措置はしばしば採用されてきた。しかし、いったん緊急措置が講じられると、いつまでも解除されないまま続くのが、わが国の慣性である。 

 

一例として、リーマンショック後に導入された「中小企業者等に対する金融の円滑化を図るための臨時措置に関する法律」(以下、「中小企業金融円滑化法」)の経緯をとりあげてみよう。 

 

中小企業金融円滑化法は、リーマンショック後の厳しい金融経済情勢を踏まえ、金融機関に対し、貸し付け条件の変更などで中小・零細企業や住宅ローンの借り手への支援を求めるものだった。 

 

この法律は時限立法で、2013年に法律の期限が切れた。しかし、金融庁はその後も貸し付け条件変更にかかる実施件数の報告を金融機関に求め、実務を継続した。この報告徴求は2019年になってようやく解除されたが、2020年の新型コロナショックを受けて再開され、現在に至っている。 

 

2009年から2023年までの14年の間に、同報告が解除された期間はわずか1年しかない。ちなみに、2020年3月の報告徴求再開後、2024年3月までの4年間に、中小企業から金融機関が受け付けた条件変更申し込みは約156万件。うち金融機関が条件変更に応じた割合は98.9%とされている(図表5-7)。異様なまでの比率の高さが、日本がいかに資本主義システムから逸脱してしまったかを示すもののように見える。 

 

企業の資金繰り支援措置は、いったん始まるとなかなか止まらない。企業倒産の抑制は、短期的には社会の安定をもたらすが、長い目で見れば新陳代謝を遅らせ、経済の生産性を低下させる。 

 

異次元緩和による超低金利と資金の大量供給は、そうした動きを後押しした。異次元緩和の期間中の企業倒産件数は、それ以前の20年間に比べてはるかに少なく、1980年代のバブル期並みの低さとなった(図表5-8)。新陳代謝が進まなかったことの証しである。 

 

著者は、物価が上がりにくい環境が続いた理由には、生産性の低い企業の温存が恒常的な値下げ競争を生み出してきたことにあるとみている。ある産業に生産性の低い企業が複数残存すれば、一部の企業がどんなに生産性向上の努力をしても、生産性の低い企業が主導する値下げ競争に巻き込まれやすい。 

 

物価を押し上げようとして行った異次元緩和だったが、生産性の低い企業の温存を通じて、むしろ過当競争を引き起こし、経済の停滞を長引かせたように見えてならない。 

 

*本記事の抜粋元・山本謙三『異次元緩和の罪と罰』(講談社現代新書)では、異次元緩和の成果を分析するとともに、歴史に残る野心的な経済実験の功罪を検証しています。2%の物価目標にこだわるあまり、本来、2年の期間限定だった副作用の強い金融政策を11年も続け、事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日本銀行の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか。 

 

山本 謙三 

 

 

 
 

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