( 217017 )  2024/09/30 16:06:22  
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仕事は必要最低限 「静かな退職」に職場はどう向き合えばいいのか?

ITmedia ビジネスオンライン 9/30(月) 6:35 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/c040c9019513f507c039fc0f22c1ea9f69b09068

 

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日本でも「静かな退職」が話題になっており、仕事を最低限だけこなして距離を置くスタンスを選択する働き手が増えています。

このスタンスには賛否両論があり、職場にとっては前向きな姿勢を求めるが、個人のワークライフバランスを尊重すべきという意見もあります。

また、静かな退職に対する受け止め方は様々であり、実際の仕事への取り組み方によって「円満タイプ」「ゆとりタイプ」「疑似サボりタイプ」「真正サボりタイプ」の4タイプに分類されます。

仕事へのモチベーションや成長機会にも影響が及ぶため、適切な対応が求められます。

(要約)

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「静かな退職」を職場はどう受け止めればいいのか。 

 

 米国で広がったとされる「静かな退職」(Quiet Quitting)という言葉を耳にする機会が、日本でも徐々に増えてきました。しかし、その受け止め方には賛否両論が見られます。 

 

【画像】静かな退職をめぐる状態は大きく4つのタイプに分類できる(筆者作成) 

 

 実際に辞めるわけではなく、必要最低限の仕事だけこなしてそれ以上は頑張らず、心の中で職場に対して距離を置く静かな退職。言葉としては新しい表現ではあるものの、仕事を人生の中心に据える価値観とは一線を画したスタンスを選択する働き手は、近年になって突然現れたわけではなくずっと以前からいました。 

 

 ただ、職場は基本的に仕事に対して前向きであることを求めます。後ろ向きな人がいると、職場の士気が下がったり雰囲気が悪化したりしかねません。 

 

 「24時間戦えますか」という強烈なキャッチコピーが流行語になった猛烈サラリーマン時代と対極に位置する静かな退職。そんなスタンスの働き手を、職場や同僚たちはどのように受け止めればよいのでしょうか。 

 

 静かな退職という言葉から受けとられるイメージは、大きく2つに分かれます。 

 

 1つは、ほとんど仕事をせずサボっているというスタンス。それなのに、もらうものはもらう給料ドロボーのような働き手には反感が生じることになりそうです。 

 

 もう1つは、自分のやるべきことしかせず、それ以上の仕事はしないという割り切ったスタンス。自分の仕事が終わったら、周囲の人に声をかけて「何か手伝えることはありませんか?」と積極的に仕事に取り組む姿勢が求められる職場では、そんな消極的なスタンスの働き手に対する反感が生じるかもしれません。 

 

 静かな退職が本来意味するところは後者の方ですが、仕事をしない給料ドロボーのような前者の意味合いで使われるケースもしばしば目にすることがあります。しかし、後者は必要最低限の仕事はこなしているだけに、給料ドロボーとは言えないはずです。また、仕事一辺倒にならないというスタンスは、いまの時代に即していると言えるかもしれません。 

 

 例えば、過労死の問題。長時間労働といった業務の過重な負荷や強い心理的負荷などが原因で働き手が亡くなるという痛ましい事態を避けるためには、仕事中心の生活に偏りすぎて健康を害さないよう注意することが必要です。 

 

 家事や育児、介護、趣味など、生活のために大切な時間とうまく調整しながら仕事するワークライフバランスを重視する傾向も強まっています。24時間戦う企業戦士を求めるハッスル・カルチャーへのアンチテーゼだと捉えると、静かな退職は過去に対する反省によってもたらされたスタンスと言えるかもしれません。 

 

 

 必要最低限の仕事はキッチリしているのに、「必要最低限の仕事しかしていない」と非難されるとしたら変な話です。一方で、必要最低限の仕事さえしていないとなると話は違ってきます。給料は労働の対価ですから、給料に見合う労働を提供していなければ契約不履行です。 

 

 しかしながら、中には必要最低限の仕事を「している」「していない」の認識について職場側と働き手側とでズレが生じていることがあります。そのズレによって静かな退職に対する受け止め方は変わってきますし、職場と働き手の間で生じるトラブルの原因にもなり得ます。 

 

 認識のズレが生じるメカニズムを確認するために、必要最低限の仕事をしているか否かの職場側の認識を縦軸、働き手側の認識を横軸にとって整理してみると、静かな退職をめぐる状態は大きく以下の4タイプに分類されます。 

 

 職場側も働き手側も必要最低限の仕事をしていると認識しているのは「円満タイプ」。この場合は双方の認識が一致しているので基本的に問題は生じません。一方、職場の方は最低限の仕事をしていると認識しているものの、働き手側はしていないと認識しているのが「ゆとりタイプ」。この場合、職場側には特段不満は生じないものの、働き手側には余力があるだけに罪悪感を持ったり、仕事が物足りずに「こんなんでいいのかな」と不完全燃焼になったりしがちです。 

 

 それに対し、職場側は最低限の仕事さえしていないと認識しているのに働き手側はしていると認識しているのは「疑似サボりタイプ」。職場側からするとサボっていると見えるので不満ですし、働き手は自分なりにきちんと仕事はしていると思っているので職場が認めてくれないことに不満を覚えます。 

 

 職場側も働き手側も、必要最低限の仕事をしていないと認識しているのは「真正サボりタイプ」。双方にとって望ましいとは言えない状況のはずですが、もしも働き手側が開き直って居座っているとしたら「してやったり」かもしれません。一方、職場としては戦力にならないのでマイナスでしかなく、労働に見合わない対価を受けとっていればまさしく給料ドロボーです。 

 

 以上のように4分類すると円満タイプを除いて望ましい状態とはいえず、何らかの改善が必要です。 

 

「ゆとりタイプ」への処方箋 

 

 ゆとりタイプの場合は、全出力でなくともそこそこ仕事ができてしまうほど能力が高い働き手が疲れてしまっていたり、スランプに陥っていたりするような状況かもしれません。それならば、無理はせず自分のペースで働き続けながら時間をおくことで徐々に回復していくことがあります。 

 

 しかし、働き手の興味関心が他に移ってしまい、仕事に物足りなさを感じているような状況であれば異動を申し出るか、社内に望ましい仕事が見当たらなければ転職して仕事を替えないとストレスが蓄積していくことになります。職場にとっては戦力になる存在ではあるものの、何も手を打たないままでいると離れていく可能性のある人材です。 

 

「疑似サボりタイプ」への処方箋 

 

 疑似サボりタイプの場合は、まず職場側が求める仕事内容を明確に伝えて働き手と目線を合わせる必要があります。「言わなくても分かっているはず」などと曖昧(あいまい)にしておくと、働き手との認識のズレは日に日に大きくなっていきます。目線合わせがうまくいかない場合は、異動や転職などで職場を替えないと、職場側も働き手側も不幸です。 

 

「真正サボりタイプ」への処方箋 

 

 真正サボりタイプは、互いに不幸な状態であることがはっきりしています。求められている仕事をしないのですから、職場側としては解雇も含めた厳しい対処を考えざるを得ません。長く在籍すればするほど働き手のモラルが崩れ、モラルハザードや負のオーラが同僚たちにも波及して、職場全体に深刻な悪影響を及ぼすこともあり得ます。 

 

 

 ここまで見てきたように、静かな退職は円満タイプを除き、職場側にとっても働き手側にとってもさまざまなマイナスがあります。一方で、職場の中に静かな退職をしている人がいることで、明らかに得する働き手がいます。仕事に対するモチベーションが高い人です。 

 

 仕事のモチベーションが高い人が静かな退職をしている人と一緒にいると、日々のちょっとしたやりとりだけでも目立つ存在になります。能力では後塵を拝したりミスが多めだったりしても、「すみません、頑張ります!」「もう一度やらせてください!」などと、モチベーション高くイキイキと仕事をしている人は、周囲から好感を持たれやすくなります。 

 

 「じゃあ、こんな仕事があるけどやってみるか?」と新たなチャンスを獲得し、成長機会を広げていきます。一方、静かな退職をしている人はそんなチャンスに遭遇しにくく、遭遇したとしても断ってしまうため、仕事を通しての成長が止まってしまいがちです。 

 

 静かな退職を5年、10年と長く続けていくほど、チャンスを獲得し続けた人との成長機会の差は開いていきます。円満タイプの静かな退職であれば問題なさそうですが、その場合も後輩に先を越されるといったことが起り得ることは認識しておく必要があります。 

 

 一方、静かな退職とは異なるものの、家事や育児など家庭の制約によって、必要最低限以上の仕事をするのが難しいケースもあるでしょう。また、男性育休取得者が急上昇していることに象徴されるように、それは女性だけの課題ではなくなってきています。 

 

 さらには副業も推進される傾向にある中、仕事と何かとの両立に取り組むことが、誰にとっても当たり前の時代となりつつあります。 

 

 以前書いた記事「週3日や時短勤務に「後ろめたさ」を感じる理由 柔軟な働き方を実現するヒントとは?」の中でも指摘したように、時代は誰もが最適な働き方を選択する「ワークスタイル4.0」へと向かっています。しかし、どんな働き方が最適なのかに決められた正解などありません。 

 

 それは人によって異なりますし、置かれた環境やライフイベントによっても変わってくるものだからです。また、さまざまな経験をしてたどり着くものでもあります。 

 

 そう考えると、働き手にとって静かな退職には、最適な働き方を探す時間を確保したり、心身の状態を整えて自分自身を冷静に見つめるために必要な、クールダウン期間という意味もあるのではないでしょうか。あるいは、文字通り退職するのであれば、新たな職場に移って仕切り直すための助走期間と位置付けられるものなのかもしれません。 

 

 

 ワークスタイル研究家。1973年三重県津市出身。愛知大学文学部卒業後、大手人材サービス企業の事業責任者を経て転職。業界専門誌『月刊人材ビジネス』営業推進部部長 兼 編集委員、広報・マーケティング・経営企画・人事部門等の役員・管理職、調査機関『しゅふJOB総研』所長、厚生労働省委託事業検討会委員等を務める。雇用労働分野に20年以上携わり、仕事と家庭の両立を希望する主婦・主夫層を中心にのべ約50000人の声を調査したレポートは300本を超える。NHK「あさイチ」他メディア出演多数。 

 

 現在は、『人材サービスの公益的発展を考える会』主宰、『ヒトラボ』編集長、しゅふJOB総研 研究顧問、すばる審査評価機構 非常勤監査役の他、執筆、講演、広報ブランディングアドバイザリー等の活動に従事。日本労務学会員。男女の双子を含む4児の父で兼業主夫。 

 

ITmedia ビジネスオンライン 

 

 

( 217019 )  2024/09/30 16:06:22  
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日本の会社において、業務分掌が不明確で、働きの差によって仕事が集中する傾向が見られます。

業務命令に従うことが当たり前とされ、優秀な社員や頑張り屋が過重労働になりがちです。

さらに、管理職と実務職の役割分担が曖昧で、管理職も実務を行うことが求められる状況が多いようです。

 

 

一部の意見では、静かな退職を選ぶことや、給料に見合わない労働を強いられる状況に対して疑問が持たれています。

企業側が能力や成果に見合った給与を払うことや、管理職の役割を見直すことが必要とする指摘もあります。

 

 

一方で、AIや自動化の進展により、人と機械の役割分担が進む中、DXによる会社の差別化が重要視されるという意見もあります。

給与や労働環境について、働き方の多様性や生産性向上を考える必要性が指摘されています。

 

 

(まとめ)

( 217021 )  2024/09/30 16:06:22  
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=+=+=+=+= 

日本の会社は業務分掌が不明確で、仕事のできる人、早い人、熱心な人、とにかくサクサクこなしてくれる人にどんどん仕事が集まる所が多い傾向があると思う。 

同じ賃金で、これを業務命令だから当然とされると優秀な社員でひとのいい人が過重労働で倒れることになる。 

自分の身を守るためには転職するか、静かな退職を選ばざるを得ないと思う。 

或いは、きちんと会社と個人が交渉できる人事制度を構築するべきだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

組織の中での仕事って実務と管理に分けられるけど、企業としては管理職=上級職という概念を振り払った方がいい。管理職を実務職とフラットにした組織形態も考えて行った方がいいと思うんだよね。 

管理職を「命令職」にするのではなく、現場の後方支援とする。あくまで職務分担という考え方。そういう風にしないと今の若い世代は管理職を敬遠するだろうし、企業としても管理職も実務を行う面で重要。管理職を育てていくことも企業として大切なこと。 

管理職がしっかり機能すると、こういった「静かな退職」は減ってくるとは思う。ただ昔から言われるように、ゼロには出来ないとは思う。 

 

=+=+=+=+= 

働き盛りの頃、過重労働のため鬱になってしまい、しばらく休むことになった経験があります。 

 

それ以降、あまり無理をしなくなりました。 

依頼された業務も、打ち込むような姿勢はなくなりましたが、それまでの経験を踏まえ、仕事の質を高めることで信頼を維持してきました。 

 

また業務改善については、しっかり意見はしますが、同僚を含め、業務に無理がないやり方(つまり、その後も改善内容を維持できるやり方)を提案するようになりました。 

 

長い目で見ると、結局そのほうが、職場にも職員にも役に立つということがわかりましたので。 

 

わたしはそのような形で、仕事のやり方を「静かに」していきました。 

 

=+=+=+=+= 

最低限の仕事さえしていればいいと思う 

意欲的に働いて欲しいなら、見合った給料でそういう人を採用すべきだろうし、意欲的に働き続けるような環境づくりやインセンティブを用意できなかった経営サイドに問題があるのではと思うね 

むしろ物価が上がる中、十分に給料上がらなかったり、実力主義という名目で給料あげなかったりした静かなる減給な方が問題視されるべきだと思うけどな 

 

=+=+=+=+= 

間もなく自律的にタスクをこなせるAIエージェントが、大手の企業にまで普及し始めます。 

AIのミスや達成度のチェックなどもAIがやり、AIの誤作動によるミスもなくなる。間接的な仕事、人間の意志が主体的にかかわらなくても作業すれば終わるような仕事の殆どはAIや、それに指図されたロボットなどの自動機械がやるように、徐々に置き換わっていきます。 

残された部分が人の仕事になります。 

ただ、AIの導入率や何をAIにさせ何を人にさせるかの判断は会社により異なり、その違いがビジネスの結果に大きな差を生むことになって行く。 

DXによる利益を享受できる会社と、そうでない会社とに分かれて行きます。 

お役所みたいなところの進歩は遅いと思いますが、そういう仕事さえも変化します。避けられない大きな流れなのです。 

 

=+=+=+=+= 

頑張っても給料が上がらず、逆に降格される心配もないなら、静かな退職が一番コスパはいいのでは。やる気ない人と一緒にいるとモチベーション下がりますが、彼らから見たら頑張ってる人は熱くてうっとうしいと思われてる感じですよね。やればいい業務に気付きながら、必要最低限しかやらずに何年もいたら、個人的にメンタルやみそうではあります。が、会社側から何かアプローチしても、給与アップなどしない限り、この様な人々がやる気を取り戻すことはないと思います。 

 

=+=+=+=+= 

働きのリターンが何故か返ってこない人事制度のおかげでやる気を失ってチャンスが有れば転職しようとする人は多いと思われます。 

組織なので優劣が付くのは致し方なしですが、だいたい課長クラスくらいで差が付きだして評価されないので諦めてしまえば勝ちの心境になるんでしょうね。決して最初から静かなる退職をした訳ではなく、多分、能力と成果に正しい対価を払わない会社制度が見限られているだけですね。 

 

=+=+=+=+= 

昔は漫画もドラマも青年向け作品では仕事バリバリ系の話が多かったが、最近は明らかに逆。仕事はそこそこ、趣味や仕事以外の日常を中心に描いている作品が多い。 

社会や時代が求めているんだろう。 

国も昇給よりも副業や投資を激推ししてる。給与に見合わない場合の選択肢として、①転職、②副業・投資、③静かな退職で余暇を充実と、複数選べるのは良い傾向だと思う。 

 

=+=+=+=+= 

過労とプレッシャーで鬱を発症し、自ら人生を終わらせようとしたところまで行った経験があります。鬱自体が寛解することもなく、元気にはなったものの、昔のように働くことはもうできなくなりました。 

今は合理的配慮をしてくれる企業で非正規として働いています。昇給もそんなにはありませんがボーナスももらえています。 

それなりに仕事を任せてもらえても出世することもなく、あとから入ってきた若手の正社員に給料も抜かれたりしてますが、プレッシャーもなく、残金もほとんどしないので心身ともにそこそこ安定しています。 

仕事だけが人生ではなく、余暇を楽しんだり、休みに好きなことをして過ごしています。 

今は今で最高の人生ではなくても過ごしています。 

 

=+=+=+=+= 

以前勤めていた職場で、新しく役職が上がった上司とどうしても意見が合わず、仕方なく必要最低限の仕事しかしなくなったことがありました。 

「しなくなった」と言うより「できなくなった」と言った方が合ってるかもしれない状況でしたけどね。 

7年勤めてたけどそんな状態が続いてしまって、これじゃどうしようもないから退職する旨を伝えたら、その時になってから役職を上げるとか給料を上げるとか引き止めてきましたが、先が見えなかったので結局転職しました。 

今考えたら、その期間中は「静かな退職」の状態だったのかもしれません。 

 

別に働いてなかったわけではありませんが、積極的に業務に関わらなくなった人というのは、その人だけに原因があるとは言えないのでは?と感じます。 

 

 

=+=+=+=+= 

よく知られた「働きアリ」の法則というものがありますが、人間社会にもよくあてはまると言います。 

 

よく働く:標準:働かない=2:6:2 

 

この記事でいう、「静かな退職」にあてはまるのは、「働かない」でしょうか。 

 

特に大きな組織であれば、一定数の「働かない」人はいるでしょう。それで、バランスを保っているとも言えます。 

業務上のパフォーマンスは劣っていても、職場の雰囲気を良くする人がいます。そういう人は、ある意味、貴重です。 

 

初めから「静かな退職」状態の人はそんなに多くないと思います。 

職場の待遇、人間関係、諸々の要因で、徐々にその状態に移行していったのではないかと。 

 

そもそも、「生きるため」に仕事をしている人がほとんどです。「仕事のため」に生きている人は少ない。 

 

その現実を踏まえ、企業も対策を考えるしかないかと思います。 

 

=+=+=+=+= 

企業もそういう事態に備えていて等級が上がらないと給与が増えずに生活出来ず辞めざるを得ない人事制度を作っています。  

 

私の勤めた全国展開の大手小売業がそうでした。人事制度は8等級に分けられ上司の推薦を貰い昇格試験を受けて等級が上がらない限り勤続年数がいくら増えても給与が増えません。 それどころか標準以下の評価を受けるとどんどん降格されて給与が減ります。 

年齢を重ねるほど評価は厳しくなり本人の病気や親の介護等で勤務地が限定されると 給与が減り降格が増えていきます。  

但し連合系列の労働組合幹部はいつも最高評価を与えられて社長や部長になります(笑) 

 

50代でも基本給が20万円以下の人がかなりいました。 頑張ればいいと思う人もいると思いますが部長クラスでも50代になると役職定年で降格されて生活出来なくなり辞めざるを得ません。勿論転職しても年収大幅ダウンです。私は退職しました。 

 

=+=+=+=+= 

私の仕事は1年の間に3回繁忙期があり、その時期は残業、休日出勤が続き体力的にもかなりキツいです。 

逆にその時期以外はかなり楽で長期の休みも取れるし残業も全くありません。 

その楽な時期に仕事を取りに行って売り上げを増やせば会社の為にもなるのですがそうしてしまうと1年中忙しくなってしまい体調を壊すと思いセーブしています。 

 

=+=+=+=+= 

私は働き手としては若くない年になり、給料もそれなりにもらっていますが、出世や昇進といったことにもう全く興味をもっていません。 

幸い若い頃にがむしゃらに仕事をしたおかげで専門職といわれる仕事なので、会社から与えられる仕事はきっちりこなしほぼノー残業で帰宅。帰宅後や休日の一部を副業にあてて出世や昇進では得られない収入を得ています。 

 

こういった働きかたをする人はこれからも増え続けるんじゃないかなぁ。 

 

=+=+=+=+= 

問題なのは、給料に見合う労働をしているかどうか。逆に言うと労働に見合う給料となっているか。 

年功序列、横並びが多い、日本企業ではやったもん負け、やらないもん勝ち、の給料体系になっている。私の勤めている企業もまさにそう。。で、仕事ができる人が辞めていってます。 

 

=+=+=+=+= 

以上のことを求めるのは必ずしも正解ではない。 

まず給与に見合った仕事をするのは大前提の上で安月給であれば当然ながら意欲はない(会社都合で本人都合ではない)。安月給で志気が上がらないのは当然のこと。 

 

オンオフの切り替えがしっかりできてるという見方もできる。ズルズル、ダラダラ職場にいるのではなく自分の時間を有効活用してイキイキ生きる選択。 

 

やることやっていれぼ良いに一票です。 

趣味やオンオフ切り替えが下手な人に付き合う必要はないと思う 

 

=+=+=+=+= 

以前勤めていたところで、標準化されていない業務が多く、Excelなどを整備し標準化に取り組んだところ「誰でもできるようになった」ことから、人員を減らすようになってその対象になったことがあるから、余計な改革などはせず大人しく従来通りの業務をやろうと思うようになった。 

辞めたあとExcelを管理する人がいなくなったかもしれませんがそれも知りません。 

 

=+=+=+=+= 

公務員の職場には多いですね。 

公然の秘密でしょうが。 

人が足りていないのではなく、稼働していない人がたくさんいて、一部の稼働する人に業務集中するが稼働してもしなくても給与は変わらないので、特に稼働してる人からしんどくて去っていくという様子を何度か見ました。 

そんな様子を見て若手は辞めましたが、「給与が低いから」ではなく、仕事の割り振りや不公平感が出ないようにするかなどマネジメントの問題なので、給与を上げたところで働かない人がより肥えるだけなんですよね。 

 

=+=+=+=+= 

好きな事を仕事にできてる人なんてごく一部だろうし、基本的に仕事は生きるために仕方なくやるもの。 

だから本来このぐらいのスタンスで良いはずなんだけどな。 

会社側が求めるものが多すぎるのよ。 

 

=+=+=+=+= 

20年程前主人がアメリカに転勤となり家族で5年住みました。ほぼ現地人ばかりのオフィスでは皆5時になるとパッと席を立ちオフィスを出ていくのは当たり前。仕事の内容にもよるかもしれないが、まず自分の受け持ちの仕事以外はやらないのが普通で上司も部下が自分より先に帰ってもなんとも思わない。主人もそのやり方に慣れて心身ともにストレスが減ったのか体重が増えた。(単純に食べ物のせいかもしれないが) といっても流石に仕事をサボっていたり、出来が悪ければアメリカは首をにすることは日本より容易だ。やはりそこでいかに合理的に仕事ができるかどうかが重要になってくる。そういう意味では日本人の働き方は長い間合理性に欠けると言われ続けていますから、ただ一生懸命仕事をしているだけではダメなんでしょうね。 

 

 

=+=+=+=+= 

「出世も昇給も望まないから、残業無しで働いて有休もしっかり取りたい」というサラリーマンは、以前から一定数いました。むしろ、そういう働き方が許されない空気に問題があるのだと思います。  

もちろん、勤務時間内はしっかりと自分の役割を果たしてもらわなければ困ります。しかし組織で働く限り、その評価すらも周りの同僚が下せるものではありません。ある社員の働きが少ない事で周囲の負担が増えるのであれば、それは個人の責任ではなく、社員を雇って配置する、会社組織の問題なのです。  

まずは組織に雇用される事の意味を、社会の皆が共有する必要があると思います。 

 

=+=+=+=+= 

仕方ないんじゃないですかね。全員が意欲的に仕事するなんてことはある程度大きな組織ではありえませんし。さすがに企業も織り込み済みだと思いますけどね。 

私はたくさん働きたいし、会社にも社会にも貢献したいので(お金もほしいし)たくさん働きますが、明らかに「静かな退職」の人はいます。 

でも別にずるいとか思いません。正直、それがこの国のサラリーマンの唯一の「うまみ」だと思います。経営者は生産性下がって困るからいろいろ対策する必要はあると思いますが、それは、会社の意思決定にかかわる社員の仕事で、「静かな退職」がゆるされる末端の社員がやることではないですし。 

既にこの国では欧米型の実力主義がなじまないことは過去の様々な施策で証明されており、「新しい日本型の資本主義」を発明するしかないのですが、、思いつかないですけど、、。首相にそういう意味では期待してたんですけどね。。だめでしたね。。 

 

=+=+=+=+= 

静かな退職というより、単に働き方の話かと思う。 

昇格や昇給を目指してガツガツと働く働き方も、昇格も昇給も要らないから必要最低限だけ働くという働き方も両方とも認められるべき。 

重要なのは会社の許容出来る範囲で、従業員の働き方を選べること。 

同時に会社に従業員を比較的簡単に首にしたり、給与を大幅に減らす権利も与える必要もある。 

従業員には会社を選ぶ権利があり、会社には従業員を選ぶ権利がある。 

その緊張関係の中で提供する労働力と給与とのバランスが合う人だけが残っていくという形が望ましいと思う。 

当然、少ない給与で優秀な人は残らないし、採用も出来ないので潰れる会社も出てくるが、それは会社経営の問題。 

給与に見合った能力を提供しない人が給与を下げられたり首になるのも従業員の問題。 

 

=+=+=+=+= 

難しい問題ですが、仕事を必要最低限はちゃんとこなしていればいいですよ。 

私は生きる為に仕事をしているのであって、仕事の為に生きている訳ではないと思っています。 

やる気のある人は頑張ってお給料もその分上げて貰えればいいのですが。 

これが理想だと思いますが、世の中なかなか上手くは出来てないのでしょうね。 

 

=+=+=+=+= 

使い捨てられるなら、自分から会社を使い捨ててやろうという発想なのだろう。私もかっての同僚で居た。最近の仕事相手の若い社員で同じような対応を感じた。そういう仕事は、社員の成績が数字で計測される仕事が多い。社員のやる気の計測は数字次第、給料も成績で決まる。そうしたら、一定期間給与補償の間在籍し、その間副業まがいで次に備える。今度の総裁選でも働き方改革と称して、労働時間も賃金決定方法も規制緩和する意見があった。今後、社員を使い捨てにする企業が増加するか、それとも社員に見捨てられる企業がふえるのか。日本の経済発展に重要な問題ではないか。 

 

=+=+=+=+= 

職場に期待できたり、好感が持てている内は自分の仕事が終わったあとに他の人の元へ手伝いに行くことが出来るのかもしれません。しかし、努力しているのに年功序列等が原因で評価(や給料)が上がらないことや、そのような自己犠牲が当然と思われることのような職場に疑念抱く要素が出来たら「静かな退職」をする人が増えるのではないでしょうか。 

 

氷河期の時代とは異なり、今は能力さえあれば割りと自由に転職活動等が出来ると思うので、会社への依存度合いはそこまで高くないと思います。 

 

なので、会社も徹底的に絞り尽くしていた昔の価値観を社員と共に生きるという今の価値観にアップデートする必要があるかもしれませんね。 

 

=+=+=+=+= 

数十年前に比べれば増えてはいると思うが、今に始まったものではない。原因と対策も分かっている。 

業務の目標が明確で無く、上司の評価がきちんとできていないことが原因。すなわち会社側がやらなければならないことができていないだけ。やるべきことをやれば上司も本人も職場もに納得できる。 

 

成果が同じなら給料が同じなのは法律で決まっているが、それができていない。 

成果にプラスがあれば給料が上がり出世もする。 

逆に目標の成果が得られなければ給与は下がり、続けば降格や退職(やめさせる)だけです。 

公正な評価ができていれば職場の人も納得できる。 

 

=+=+=+=+= 

サボりや報酬以下のパフォーマンスしか出せていない人は論外ですが、働き方の多様化というか、最低限のやるべき仕事はちゃんとやっているのでしたら、会社側や職場もそれを悪いことのように捉えるのではなく、柔軟にそういう働き方も受け入れてあげればいいんじゃないでしょうか。一方で、会社への貢献が大きい人には報酬、昇進などでちゃんと報いて評価する、それでいいと思います。 

 

世の中のみんなが「今日もバリバリ仕事頑張るぞ!」っていうタイプでもないですし、社員を馬車馬のごとく働かせるのが容認される時代でもないです。 

 

=+=+=+=+= 

40代で転職しました。 

専門職の管理職で人数が少ないから仕事は忙しいのに、管理職として考える事も多くなってきて会社も大してフォローしてくれず面倒くさくなって辞めました。 

管理職でもやる気が出ない人もいるし、仕事にモチベーションが低い人もいます。 

かと言って能力が低いわけではないんですよね。 

業務はきちんとこなしています。 

静かな退職をせざる得なかった背景を会社にはしっかり考えて欲しいです。 

私は意見できるタイプですが、世の中には言えない人が沢山います。 

友人も色々言えずに溜め込んて体調を壊した人もいます。 

 

給料は20%ほど下がりましたが、今は無役で若い人達に色々教えてもらって楽しく過ごしています。 

 

=+=+=+=+= 

正当な評価さえしていればいいのでは? 

最低限の必要しかしていない人については最低限の給与、それ以上しているのであればそれに応じた給与を支給する。賞与などについてもそれ相応の評価額を。もうそうするしか無い時代なんだと思います。 

会社も社員を正当に評価できるようにならないと、人情だけでは仕事できない時代ですからね。そういった意味では、ドライな関係性も必要になってくると思います。 

評価制度が確立していれば、会社としても社員としてもメリットは多いと思いますが、その評価制度がなかなか難しいんですよね・・・。 

 

 

=+=+=+=+= 

これは静かでも、退職でもない。 

当たり前の働き方の一つだと思う。 

仕事に意義を見出だせる人は、そうすれば良いし、賃金は労働の対価とする人はこれでいい。 

色んな人がいてもいいと思う 

 

=+=+=+=+= 

私の場合は全然静かな退職が許されるような職場じゃなかったですね。 

以前勤めてた会社は期初に目標設定してましたが、適切な仕事量や難易度の1,2割増を無理矢理設定されて、必死にやって達成しても普通の評価しかもらえません。その上、期中に新規で新しい仕事を押し込まれ期初の設定した仕事は中途半端で終了になり評価されなかったりと、どう目標設定しても受ける側が損という定額働かせ放題だったので、早期退職制度利用して転職しました。私が抜けたら他の人に仕事が行って、その人は過負荷で病んで長期休職するし、その人が休むことで更に他の人へ仕事の負荷がかかり退職し、連鎖的に人員が減って、最後は管理職と働かないおじさんしか残らなかったのでその部署はなくなりました。 

 

=+=+=+=+= 

今の働き盛り…30代~40代の方は氷河期世代とリーマン世代に該当してます。 

親の背中、社会情勢、色々見ていますからリスク管理をしているだけだと思います。 

過重労働、ストレスで身体を壊す親世代も多かったので、健康>お金。 

お金をかけない趣味、趣向もインターネットで広まりましたので、趣味趣向>お金。 

実質賃金は横ばい。の一方でコンピュータの導入で労働は高度化。成果主義でコスパが叫ばれましたので、それを自身の生活に取り入れるのは自然な事かと。無駄とリスクをそぎ落とした形が今なんだと思います。 

 

職場はそれを捻じ曲げる事はできませんので、頭数を多くするなり仕事の体系化をしたりとか、現実的な無理ない解を見出すしか無いでしょう。近道はありません。この世代が上の世代になる頃、労働人口こそ今より大幅に減っていますが、日本の生産性って良い方に変わっている気はしますよ。 

 

=+=+=+=+= 

二十余年同じ会社に勤めています。 

盛大に退職を祝う風習は無くなってきましたね。人事異動が盛んだったり、転職者も多く途中離脱も多くなって、社内のコミュニケーションが十分でないまま次の春を迎え新たなメンバーと仕事するというシーンが多くなりました。 

昔のように異動者はごく稀で部署が家族のようにずっと固定メンバーではなくなってきましたからね。希薄と言えば希薄だし、接点がほとんど無かった方の退職祝いも中々しにくい現実もありますね。 

 

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ライフワークバランスが叫ばれる、今静かな退職が理想です 

ボランティアで働いているわけではありません。給料をもらって働いているのです。給料に相当する労働をすれば何の問題もないと考えます。 

会社はスキルアップを望みますが、親会社から天下りで出世は頭打ちです。 

出世する望みもないのに社員にスキルアップを望むのはいかがなものでしょう 

 

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休みがしっかりもらえること、給料に不満がなく将来への不安や日々の生活のストレスが無いこと、職場や取引先に問題のある人がおらずメンタルが安定することは本当に大事です。 

ストレスで鬱状態や慢性的な疲労状態になると、やる気があったり仕事ができる人でも静かな退職をするようになってしまうと思います。 

ただただ「少しでもホワイトな会社であること」、「上司が誠実であること」を大切にすべきなのではないかという当たり前の意見しかありません。 

 

ただ、元からやる気や向上心が希薄なタイプの人に対しては、どうすればよいのかはわかりませんが…。 

少なくとも、「頑張れば成長できる」「真摯に取り組めば報われる」「仕事が面白い」とどうにか思ってもらえる環境づくりを少しでも意識し、社員の意欲を少しでも引き出す努力は必要なのではないかなと思いました。 

 

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有給、生理休暇など全ての休みを駆使して使い果たし、出勤しても次の休みの取得手続きだけして勤務を終える人と一緒に働きました。会社は、休みを使うことは当然だからと認めてましたが、籍はあるので増員はなく常に欠員状態。他の社員は気持ちを鬼にしないと休めない。自分の仕事+αだから、時間が足りないし、失敗もする。休む人にどの仕事をどう振るかも相談しないといけない。 

 

静かな退職をつづけた方は、早期退職制度が終わる最後の年に多めの退職金をもらって本当の退職をされました。退職の挨拶はこんな人とこんな仕事をして…という華々しいお話でした。 

 

その後、異動した部署にも同じような人がいます。 

 

有休とれず、やりたい仕事に手をつけられず、財政難で給与は上がらず、仕事でミスした気まずさを抱え、持病は悪化し…私が退職する時の満足度はこの人たちより低いんだろうな、職場も事務的に追い出すんだろうなと思う。 

 

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基本はいただいている賃金に仕事を合わせているだけです。 

ただ、企業と同じく労働者も利益極大化したいので原価低減(つまり効率化してラクする)には努力します。 

ラクできるようになったことを周囲に悟られると追加で仕事が降ってきて原価低減した意味が無くなるので忙しいフリはしますし、異動する時は自力で考案した効率化プログラムは引き継がず、自分が新任当時に教わったマニュアルで引き継ぎます。会社としてはそれで問題ないはずです。 

 

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張り切って仕事をしてる同僚を見ていると本当に余計なことするなよと思います。 

仕事をやり切っても給料は上がらず仕事を増やしてくるだけ。 

その増えた仕事ができなければなんでできないのだと怒ってくる始末。 

仕事は必要最低限をするに限る。 

頑張っても雇用主だけがいい思いするだけです。 

なんならその一歩手前で能力の限界を演じるくらいがちょうどいい。 

 

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これはリーダーがしっかりチームとしてそれぞれの役割や目的を明確に示して、想定外の事まで考えたチーム作りをする事が大事なはずと思う。 

担当の客質や内容にもよるけど、仕事の進捗具合は必ずしも能力だけでは計れない事も多い。またそれぞれの仕事に対して各人が段取り持って取り組み、例えばまとめて休日取るとかや早目に終わらせたい日などの為などがモチベーションとなって効率化や計画的に進める人もいる訳で、その人の計画に自分都合の計画を織り込んで、手伝ってもらう事を前提に仕事してしまう人も中には出てくる。それを放置するとモチベーション低下にも繋がるし結果的に全体の生産性も上がらなくなる。想定外の事態以外は基本的に前者の静かな退職と呼ばれる仕事のやり方は間違ってないと思う。 

 

 

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この仕事がやりたいって思って就職した人は頑張って働いた方がいいと思いますけど、そうじゃない人達はこれでいいやって思える仕事を探した方が幸せなんじゃないかなと思います。 

一生懸命働く目標や目的がないなら、プライベートを楽しむためにそれなりの働き方をした方が精神的にいいと思って働いてます。 

 

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仕事に対する価値観は人それぞれ。一方で、ほとんどの企業が働きに応じた処遇になっていないことが一番の問題だと思う。転職しやすいようなセーフティネットを充実させれば能力主義・給与(所得)向上に繋がるはず。 

政府の仕事は「給料上げろ」と企業に圧力を掛けることではなく、上げざるを得ない労働力市場を作ることである。 

 

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出世しなくても勤続年数で昇給する会社においては、それなりに周りを見てフォローしたり、教育したり、キャプテンシーを発揮してくれないと困るわけです。部活動などして育ってきた人は普通それに気がつくと思うのですが、「普通」を一方的に期待するのが、もう今の時代に合わないということで、著者の指摘のとおり、こちらの期待をしっかり伝えたいと思います。 

 

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成果給システムだったり、必達ノルマがあれば、業務の進捗度に応じて雇用契約の見直しもありうるとは思います。でも、必要最低限の仕事をこなしているのなら、どこに問題があるのでしょうか。逆に無理を重ねて心身に不調を来しても、労災認定してくれるかも保証がない気がします。 

効率よく自分の仕事を早々に終えても、人の仕事を回されるけど給与は変わらないのが現実だと思います。静かな退職は、そうした働きに見合う報酬が受け取れない体制への忌避行為だと思います。 

 

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それって昔はフリーターの領域だったよね。必要最低限の仕事をして社員の抱える責任も義務も競争も負わなくて良い位置の人たち。私もその中の一人から社員になったくちですが、社員になって初めて両者の温度差というものを痛切に感じました。仕事で目一杯忙しい時間を過ごした後である部署に行くとそこだけ違う時間が存在しておりそのあまりの違いに驚いたことがあります。別の部署がどんなに忙しくても彼らの口癖は「そんなん知らんよな〜」でした。私も少し前まではそこにいたのです。現代は社員の中にもそんな温度差が歴然と存在しており難しいと思います。 

 

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会社って千差万別だから一概には言えないけど、個人が考えるライフワークバランスの中で最低限の仕事しかしないという選択肢はありだと思う。 

一方で、会社や同僚のことを考えて色々とフォローしている人や、会社の利益を増大させてくれる人を会社は評価する必要がある。 

頑張ってもミニマムしか仕事しなくても給与も評価も一緒では、不公平感が出てしまうから。 

 

「静かな退職」をする年齢も重要だと思う。 

50代くらいならいいけど、20代や30代は会社のためではなく自身のスキルアップのためにも少し背伸びする気持ちがあってもいい。 

伸びしろの大きいときに漫然と最低限の仕事をしていると、年齢が上がった時に何の取り柄もない人になってしまう。 

 

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『自分の仕事が終わったら、周囲の人に声をかけて「何か手伝えることはありませんか?」と積極的に仕事に取り組む姿勢が求められる職場』 

これは新人に求められる精神論の様なもので実際に実践している人などそうそう居ない。「周囲」では無く人事権を持つ上司などへのアピールだ。 

 

組織が向き合うべきなのは「仕事が集中する社員」と「ヒマそうな社員」の格差是正「属人化する仕事への適切な対応、定期的なローテーション」「人事制度の柔軟性」だ。 

仕事が出来る人に「周囲に何か手伝えることはありませんか?」などと仕向ける職場では出来る人から居なくなってしまい、役立たずしか残らない。 

 

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多くの人が「生活するため」に働くのであって、会社のためや仕事のやりがいで自分を犠牲にしようとは思っていない。 

これまでの会社が個人に期待しすぎていた部分もあるんじゃないか? 

私は氷河期世代だけど「オマエの代わりはいくらでもいる」なんて言われた時代で仕事を手放す危機感みたいなものがある時代だったけど、今は自分の生活を大切にする人のほうが多いという。 

同じ給料なら楽に過ごしたいのは人の性。 

 

将来の出世を取るのか、自分の生活を取るのか。 

会社も同様に仕事を頑張っているのか、最低限だけの働きなのかは見極めているはず。 

働かないのに「出世できない」って本人嘆くわけでもないなら仕方ないことかと。 

まあ人手不足もあるから仕事がない危機感も昔ほどないんだろうし。 

 

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日本の場合はそもそも企業側が、就職、じゃなく、就社、なんだと思います。そして総合職とか意味不明な職種で入社させた人間に対して企業側が最低限の仕事の定義すらないから、働く側も指示待ち人間になるのも仕方ないんじゃないですかね。ただ新入社員でも最初から働くって意味を理解してる人は能動的に行動しますし、そういった人は人に慕われ必要とされ、その好循環で成長すると思いますし、静かな退職なんてする必要すらないと感じてると思います。 

 

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必要最低限の仕事量で、その給料や待遇に満足していればそれでよいのではないだろうか。 

 

ただ、必要最低限の仕事量が職場によって違うので、最低限の仕事量で一杯一杯の人もいれば、余裕を感じる人もいる。 

 

一概に「静かな退職」が良い悪いと第三者が判断できないだろう。 

 

プア充という言葉もあるが、今の時代、多様性の一つとして職場は認めるべき考え方だと思う。その上で職場と労働者の思いにギャップが出ないよう、定期的なすり合わせが必要に感じる。 

 

 

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静かな退職、初めて聞いた。 

50歳目前。子育てもあと少しで終わり、このまま働き走り抜けるかどうするか考えた。 

ふと身内で60代で亡くなる人が多くはないが、居なくはないことに気がつき、自分が60代で死ぬ可能性があると認識。だったら元気なうちにやりたいことをやれるだけしようと決め、勤務日数が少ない職場に転職した。給料はかなり下がったが、時間ができた。 

職場に慣れたらやりたいことをやって...と計画していたが、慣れてくると同時にいろんな仕事を任されるようになり、結局以前の仕事とさほど変わらずなことをやる羽目になっている。そうなると、時短がネックに。フルタイムに切り替えなきゃ終わらない。週3が4になり、5にしようか悩んでいる。 

おかしいな、静かにのんびり働くはずが何故こんなポジションになったのか。 

 

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これができるのは仕事がそこそこできる人だろう。 

アルバイト的な考えたけど、雇用は保障されているんだから、長く勤めるつもりならちょっと虚しいね。 

社畜にはならないけど自分なりに工夫して、お客や会社のためになる合理的な仕事をすれば良い。 

組織とはぶつかるから、そこは妥協するか、合理性を説明して採用されればやりがいになる。 

組織と戦う道もあるけど、こういう人には向かない。 

でも会社が変わる事もあるから、しんどいけどやりがいがあって面白いぞ。 

 

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自分は円満タイプかな。今までいろんな仕事してきたけど、プライベート(趣味や遊び、欲しいものを買う、生活の為)の為に働いてるって感じ。 

好きでその仕事をしてるってこともないし、最低限必要な仕事してればいいだろうと。 

だから他の同僚が一生懸命働いていて、温度差を感じることも多々あったり。 

それでも周りには一生懸命働いているように見せながら頑張ってはいるんだけどね。 

 

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最低限の仕事ってなんでしょうね。 

 

無理な目標を立てさせて、それに達成していないから最低限の仕事すらできていないじゃないかと思う経営者はとても多いと思います。 

 

現場からすると無理な目標は絵に描いた餅ですし、実現できない目標は逆にモチベーションを下げて、目標の意味がない。 

さらに目標を立てるための、無駄な会議、打ち合わせをするなどと、訳が分からない管理者も心当たりがあるんじゃないかと思います。 

 

最近、ネットでやたらPDCAやら横文字を使いたがる人が増え、実行を伴っていないところも増えている感じがします。 

そもそも、好景気時代はモチベーションだけでなんとかやってこれたのに、今更何いってんだと思います。 

 

経営層、管理者は現場のモチベーション、維持管理だけで良いんですよ。まじで。 

モチベーションを上げた大人なら放っておいても色々やってくれます。 

無駄に管理すること自体が無駄なのです。 

 

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まさに自分は静かなる退職から本当の早期退職へと移行しました。 

地方公務員として平成10年から働きはじめたが、組織になじめない体質 

でもあり、いずれ退職して起業しようと考え準備をしていた。 

静かな退職は平成13年の秋から始まり、定時出勤定時退勤、残業はしない 

必要最低限の業務しかしないという勤務態度だった。 

ヒマな部署に回されていたので、それで問題はまったくなかった。 

しかし、平成21年に忙しい部署へ移動となったことから早期退職を決意。 

窓際公務員の生活も楽で悪くはなかったが、このへんが潮時と思った。 

結果同年6月に辞表を提出して起業。 

今は不動産業と金融投資を生業としているが、収入も時間も公務員時代 

とはけた違いの生活に満足している。 

強いて不満を言えばやりがいがあまりないことか。 

 

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こういことって個人の勤労意識や価値観の変化の問題というより、構造的・必然的に生み出されている「現象」と見た方が正しいはず。当事者としては合理的に環境に適応した結果だから。 

「ブルシットジョブ」という言葉が一時流行したけど、世の中の仕事なんて「クソ」と呼びたくなるようなものも多いし、倫理的にも経済的にも、最低限の義理を果たして最低限の報酬をもらう、という生き延び方に共感できる人は多いと思う。人生をささげるほど意味ある仕事なんて、ほんの一握りの人が運よく巡り合うだけ、というのが個人的感想です。 

 

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静かな退職はコロナと、コロナで在宅勤務が増えたのも要因かと 

 

周りの友人・知人をみても、静かな退職がかなり増えている印象だが 

仕事一辺倒の生き方に疑問を持つようになったうえ 

在宅勤務ならノルマ、ルーティーンをこなすだけで 

自身のスキルアップはやっても、会社の成長を考えるなんてことはない 

 

米のアマゾンでは週5の出社を義務付けるそうだが 

リモート勤務を維持する会社はますます静かな退職が増えるだろう 

管理職でないワーカーにとってはありがたいが 

 

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「生産性」という観点がありますが、業務上の生産性ではなく、個人の人生の豊かさに対する生産性が重要なのだと思います。具体的にに言えば、やりがいと収入。やりがいは満足感や自尊心等により、人生を豊かにするでしょうが、人それぞれですので、測ることは難しいです。収入は簡単に測れます。給料が少ないから、その人の人生における仕事のウェイトが低いのではないかと考えます。特に日本人は仕事に実直に取り組むタイプだと思うので、今の低給与で、人生をかけて24時間戦え(生産性を上げろ、人件費を抑えろ)という考え自体がナンセンスで間違っていると思います。生産性を上げるために、業務分掌をしっかり行い、専門職についでの事務仕事を分配したりせず、分業することで生産性を上げられる環境を会社側が作らなければならないと考えます。生産性の向上は、人員削減や人件費削減を念頭に行われれば、単なるブラック企業化に他なりません。 

 

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賞与なしの時給で頑張っているアルバイトやパートの方々にしても、いくら頑張っても貰えるのは決まった金額のみで、扶養の範囲を超えれば働き損になる国の制度にも問題がある。 

また営業系などの成果報酬の職種ではない多くの中小企業にしても、いくら頑張っても年数が経たないと給料が上がらないし、能力関係なく他のテキトーに仕事をしている人とさほど変わらない給与であるなら、そうなるのも無理はない。 

結局、こういった人々が増えるのは国の制度と従業員に還元できないケチな社長さんが多いからこういう会社が増えるのだと思う。 

上手く会社が回っている所はみんな活き活き働いてますからね。 

 

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流れ作業的な業務であれば、作業量を定量化することが可能だろうけど、所謂管理部門や店舗販売部門では、業務難度も異なり作業量を測ることも難しい。 

日本の場合は、業務と言うか、作業を自ら考え取り組む傾向が強い。外聞になるが、米国の場合には、個々人が為すべき業務が明確になっている由。これは、仕事に対する意識と言うか、労働に対する文化が根本的に異なるので、安易に比較して云々すべきではないのではないか。 日本の場合、作業手順・方法を示さず「任せる的」な働きが多いのではないか。以上は、飽く迄一般論。 

 

 

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静かな退職実践してます。40代以降は管理職おろしてもらって平社員満喫してます。労働収入だけに頼るから中年以降の仕事がきつくなると思います。 

収入増やしたいなら20~40歳までは多少仕事頑張って所得を増やし贅沢をせず余剰資金をつくって米国株や世界株のインデックスに分散積み立て投資をし、以後は金融所得の恩恵が受けられます。NISAという素晴らしい制度があるのでお薦めです。下手な管理職の手当よりはるかに稼げますよ。しかも不労所得で。資本主義の原則をうまく利用した方が良いです。r>gです。 

 

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静かな退職。結局は企業側の「お金は出したくないけど会社にとって都合良く働く人材が欲しい」というところから生まれたと思います。 

都合良く働いて欲しいなら対価を支払うべきですよね。 

会社で頑張って働いてきたけど「自分の給料はこれだけしかない」という思考になると仕事をセーブするのは当たり前の事だと思います。 

 

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静かな退職に移行する前段階もあると思います。 

初めから皆が最低限の仕事とモチベーションだった訳ではなく、意欲的に時には無茶をしてでも頑張っていた時期もあったかと。その働きぶりを正しく評価されなかったり、給与にも反映されず、会社が社員を都合よく働かせて対価を与えずに裏切った結果かもしれない。会社と労働者は対等といいつつも、人事権と給与査定を握られている労働者が強く出れる立場は少ないですからね。 

 

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静かな退職といっても、仮病で休職して傷病手当金せしせめるようなやり方から、最低限とは言いつつやるべきことはやって、業務時間外の自己研鑽とか上司の過剰な要求から身を守る考え方を指すまで、幅広いみたい。若者の定時帰りを静かな退職に含めて、「仕事で健康を害するまで努力してきた先輩たちのように、自分を絶え間なく磨かねばいずれ後悔するぞ」みたいなアツい論調の別記事も見たけど、しっかり自分の健康やメンタルを守ってる若者の方が賢く見えてきた。 

 

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最初のスタートは一緒でも、仕事の成果や姿勢を見て水面下で差をつければ良いと思う。 

 

僕の会社でやっているのは、仕事で成果を出した社員や仕事に対して熱意を持って臨んでいる社員にはその内容に応じて年2回の賞与の他に個別で金一封を渡している。もちろん「静かな退職」をしている者にはビタ一文出さないし、そういった者に対してはベースアップも雀の涙だ。 

 

そうやって差別化を図っているが、まだまだ課題は山積している。 

 

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労働力を定量化して考えていれば、働く人のモチベーションが平坦になることは、職場が生み出す価値そのものに大きな影響を与えることはありません。 

 

つまり、1の報酬(インプット)で2の仕事(アウトプット)を求められている人材が、5の予算(インプット)で10の成果(アウトプット)を求められる職場に5人いれば、企業としては充分なのです。 

 

ただ、それだと余裕がありません。ひとり欠けるとアウトプットが減ります。 

そこで、企業が採れる手段は  

1.職場の予算にバッファを持たして、インプットを6人にする 

2.個のインプットを増やして、個のアウトプットの期待値を2.5に上げる 

3.部課をなくし人材の異動を流動化するアメーバ型に変える 

が現状考えられる解決法です。 

 

日本の職場は大抵の場合、2.の選択肢です。しかもインプットは増やさないので、ブラック化します。 

 

そして日本の経営者は、経営の定量化が苦手です。 

 

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うちの会社に限って言うとむしろそこそこに文句言わず最低限仕事してハッピーな人を求めてる気がしますが。みんなをマネージメント、リーダーシップにすることはできないけど、手のかかる若い人を雇うより40そこそこで経験があってそこそこに仕事をこなしてくれてそこそこの給料でハッピーな出世欲のない人が重宝されてる印象。ただそれで50歳までは生き残れないだろうけど。 

 

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最低限の線引きは周りが決める事で、自分の誤った判断でやると評価を著しく下げてしまうのは仕方ないですね。 

100仕事を与えて、時間内に100出来た人と50しか出来なかった人には、それなりの評価がされるべきですから。 

その辺も踏まえて、のんびり働くのも自由だと思います。のんびり焦らず、昇進望まず定時退社、アリだと思う。心的負担ない働き方が1番だと思うので。 

 

=+=+=+=+= 

ブラック企業に該当する会社でボロボロになってから独立しましたが独立後の苦労はあの頃に比べて大した苦労に感じなかった。 

会社は今でも憎いのにあの頃の苦労は肯定出来てしまうのは複雑でした。 

 

ブラック労働は無くなって欲しいが、若い時その働き方してると年取って確実に苦労すると思う。 

 

=+=+=+=+= 

失われた30年とか40年になるとか少し前に良く聞きました。 

この間、女性の社会進出促進、派遣法改正、転職エージェントの隆盛、外国人労働者の増加など労働市場の変化、能力評価への以降や同一労働同一賃金、コンプライアンスなどの職場環境の変化が、ざっくりですが、あったと認識しております。 

 

同時に役員報酬と株主への配当は増加傾向にあり、実質賃金は2年停滞、労働分配率は過去最低を記録したとの報道も確認しました。 

 

特に若い時分に安い賃金で馬車馬の如く働いてきた人などは途中で気が付いてしまったんだと思います。奉公しても御恩はないと。 

「静かな退職」は安い労働力を求めすぎた当然の帰結かなと個人的には感じています。 

 

「人材」という言葉、要するに材料なんです。 

材料と看做され御恩と人心をお座なりにされたら、それ以上のモノ作りや働きはしなくなる、そんな側面もあるのではないでしょうか? 

 

 

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最初からモチベーションが低く、やる気のない人も存在します。 

しかしやる気はあっても不当な扱われ方、 

押し付けられて割に合わない、 

正しい事をやろうとしても、職場環境が理解を示してもらえない、 

凝り固まった固定概念で体制が古い、 

上司や同僚に手柄を横取りされる、 

部署やチーム全体での評価体制、自分の担当を明確にされていなく、実績アピールが難しい、 

評価体制が明確でない、もしくは上司や同僚の都合の良い解釈をされる、 

時代の最先端の考えで、周りが付いていけない。 

ハラスメントが無くならない、 

やる気の芽を摘まれる、 

過剰量の作業で嫌気を差す、 

評価をされても賃金と作業量のバランスが合っていない。 

 

要はやる気があるのにバカらしくて、能力を抑えている人もいるのです。 

失われた30年、労務が機能せず、人件費削減しかして来なかったツケです。 

同じ給料ならば、楽をした方が良いと考えても仕方がありません。 

 

=+=+=+=+= 

必要最小限だけって訳では無いけど、今の自分は静かな退職という立場に近いかな。 

昔と今と、大きく価値観は変わってしまったし、職場も若い人が中心になって運営している。変に口出しても軋轢が生じるだけなら、自己の世界で仕事したほうが双方の為。専門職で、数年以内に退職を迎える人ほど、こういう方は多いのではないかな。 

 

=+=+=+=+= 

会社が好きなのか、仕事が好きなのか、を分けて考える事。好きな仕事を一生続けられることがストレスは無い。会社(金)を選べばいろんな人間関係で無駄な時間や詰まらない考えも起こる。会社はある意味飴と鞭を使い分けている。労働者はいつまでたっても使い捨ての役割。昭和が終わり資本家の考えたかも変わって来た。自分の生活を第一に考えればこんな事は考えなくても良いこと。与えられた業務に対する報酬が合っていればいい。 

 

=+=+=+=+= 

競争社外において戦力的に魅力がなくなれば会社に所属出来なくなるので、リスク込の生き方なので周囲がとやかく言う話では無いと思う。規模を問わず倒産などの可能性はあるので、仕事以外に生き甲斐があるなら選択としては有りだと考える。趣味や子育てなど仕事以外に頑張っても私は応援は出来るな。 

 

=+=+=+=+= 

静かな退職。そんな状態に至った過程について、会社側はどの程度把握して、その人間を評価しているのだろうか。意外と、かつては前向きで多大な努力をして会社の貢献のために働いてきた人も多いのではないか。そんな人間をきちんと処遇出来てきたのか、また処遇出来なくても納得できる対話をしてきているのだろうか、、、。そこがなく、処遇の担保や補償もないまま、社員にその行動や態度まで、求めていくのは筋違いな気がする。 

 

=+=+=+=+= 

一旦最低賃金まで下げさせてくれるならいいんじゃない?その人が今やってる仕事に似合った賃金に出来るならいいと思う。でも上がっていった給与を下げることはほとんど出来ないような状態だし、最低賃金も勝手に上がっていく。そうなれば、その賃金に似合う仕事は最低限行ってもらわないと企業側も困る。最低賃金上げていくってイコール従業員のプレッシャー増やしてると思うんだけど。 

 

=+=+=+=+= 

まず、必要最低限の仕事もしないようなのは、本来は解雇でしょ。それが今の日本だと簡単にはできない。だから、この部分に関する解雇規制の見直しには、企業も労働者も反対しないだろう。 

 

あとは、職場の上司の力量に左右されます。 

まず、仕事の割り振りですよね。ここをある程度能力を見極めて行う、そしてそれに応じて評価して次年度の給与アップとかボーナス査定に反映させる。ところが、多くは出来る人、もしくは文句言わない人にどんどん仕事を押し付け、評価は職場全員平均に…となれば、そりゃ、やってる人はたまらないよね。 

 

職場見ても、残業する人がほぼ決まってる。もちろん、この中には単に能力不足で定時で終わらないで持ち越し残業の人もいれば、残業しなくちゃ回しきれない人仕事を抱えてる人もいる。 

 

企業が景気に左右されて単純な固定費削減のためにリストラしやすくするのはダメだけど、正規社員だからと解雇できないのが問題。 

 

=+=+=+=+= 

やる気なくなる原因は本当に本人だけにあるのか、かと言って他の社員は頑張ってるわけで、、、 

優秀なのは2割 

これはどこまでいってもそうで、優秀な人ばかり集めてもそうなる。 

なら、自分がそうならない様に努力はするべきであるし、心情とは裏腹にその2割なってしまったら本当は仕事が出来る人なら転職するのも一つの手。 

その場にいると腐るしレッテルに悩まされる。 

 

我こそはと思うなら自分の真なる居場所を求めて転職をおすすめする 

 

=+=+=+=+= 

それでいいと思いますよ 

そうあるべきだとも思う 

日本人もこのあたりは見習うべきじゃないですかね 

コンビニのバイト店員が強盗に抵抗したり、 

万引き犯を追いかけたり、声をかけたりなんて正気とは思えませんわ 

逆上した窃盗犯に刺されでもすればどうするつもりよ? 

防犯カメラもあるんだから警察と店長に電話したらそれで充分な仕事だと思いますけどね 

 

=+=+=+=+= 

必要最低限の仕事って、何か。アメリカでは、決められた仕事に対して決められた賃金となっていて、賃金を上げようとすると上司に認めてもらって一つ上の仕事で契約できるか、賃金の高い他社へ転職するかです。上を目指さず、現在の賃金で、与えられた仕事をこなすことが、静かな退職っていうことになるんでしょう。 

日本では、経験年数である程度賃金が上がります。昇職しなければヘッドキャップを掛けられる会社もありますが、ある程度賃金が上がった状態で、最低限の仕事をするという状態になり、仕事の割に賃金が高い状態となります。そういう状態でも賃金を下げたり、解雇したりすることのハードルはかなり高いです。このような働き方が広がってくれば、ジョブ型のような働き方を導入せざるを得なくなるんでしょうか。 

 

 

=+=+=+=+= 

黄色と黒は勇気の印! 

馬車馬のように働いて楽しかったな。 

上昇志向で負けられない戦いを繰り返す日々。 

社会人として過ごす時間45年間の内、数年~十年程度はガムシャラに頑張る時期があっても良いと思う。 

その経験があってこそ「静かな退職」に価値を見出せると思う。 

 

努力をして得た勝利と努力せずして得た勝利…前者の喜びは格別だよね。 

最初から最低限の仕事だけをこなしてプライベート優先でしょ。なんて言ってる人たちは心底かわいそう。 

 

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何が原因かですよね。 

そもそもそういう働き方が良いと思っているのか、または仕事の裁量度が低い等でやる気を削がれているのか。 

業務に積極性がないなら人事評価に影響するだけですが、後者の原因なら環境を改善する必要があると思います。 

その仕事が好きではなく退職してしまうなら仕方ないけど、やる気を削いでしまい静かに見切りをつけられるなら人材確保の点でもったいないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

これややこしい問題だよね。多様性とか個人の価値観などが尊重される時代になって、下手すれば仕事をしない人たちが正しいという理解になりかねないので。仕事を最低限していれば、またはしているふりをしていれば、それを注意することも逆にハラスメントとされる危険性もあるわけで、本当に難しい時代になったよな。基準が全くない世界で、現場統制をしなければいけないのだから。 

 

=+=+=+=+= 

日本の場合は給与水準が先進国とは言えないほど低くなってしまったので、 

ちょっと違う話かなと思う。 

 

世間並みの1.5倍~報酬をいただくのであれば、 

静かな退職など許されないが・・・ 

 

バブル崩壊以降の経営・管理層の順法意識の無さや、社会的責任感の薄さが積み重なって現状を生んでいるということは認識しておかないと、世の中がよくなることはないし、活力ある働き方をしてもらうことも難しいと思う。 

 

「お前の代わりなんかいくらでもいる」と言われてきた氷河期世代が、40代~50代の管理層になって、あの頃と同じ過ちを繰り返したくないと思っている事はわかってほしい。 

 

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これが出来るのは低評価による給与のカットが制度的にやりにくいから。就業規則では罰則規定のようなものは設定できないので給与体系を見直して基礎部分と付加部分にわけてないと難しい。多くの大企業ではメンバーシップ雇用が多いためその人が給与に値しない仕事ぶりでも簡単には下げることができない。 

 

静かな退職はやや年齢的に高めの印象があるが、そうなると給与に見合わない人材が増えてくる。残念だが意欲を高めることが一定の企業の責務とはいえ、雇う人のマインドをいちから引き上げることが責務とは流石に言えない。 

 

結果話が解雇条件の話にいくわけだが、これはアメリカでも起きているため緩和=解決にもならない。 

 

必要最低限であれば必要最低限の給与と話になるのが必然と感じる人と、 

ポジションを取ったんだから最低限こなせば責務を果たしたと思う人。 

 

これはもうポジショントークに近く本人次第としかいえない。 

 

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そもそも、仕事にみあう適切な給料を出していない所が多い。だいたい時給換算して最低賃金なみしか払っていない人に経営者は何を求めるのか意味不明です。 

 

だいたい、将来性がどうのこうの言っている割に短期的な収益にこだわり、組織開発や人材育成が破綻しているケースも多い。 

 

既に、労働力が足りず、AIも現業には役に立たない。需要の先細りも見えている。そんな時代です。また、自分の仕事がテレワーク中心となって会社の業務に無駄が多い、他者のカバーにずいぶんと手を取られていたと感じました。 

 

Quiet Exitingではなく、適正化といった方がいいのではないでしょうか。 

 

なお、親ガチャと少子化のせいで、そもそも会社には所属できていればいいという層も都市部では着実に増えています。ほとんどの会社はその程度の存在でしかないとも感じます。 

 

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病気を売りものにする人」というのもいます。確かに何らかの持病を抱えておられるので、適切な配慮をすることは当然ですが、中には、自分の仕事のスタイルを変えることを拒絶し、提案や意見を言おうものなら、持病を盾に一切の発言を封じます。 

このタイプにはかなり苦しめられました。 

とことん話を聞いてあげれば、心を開いてくれるケースもありましたけれど。 

 

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働き手としては、求職時に「何時から何時までの拘束時間中、この業務をしてほしい」 

と求めた以上をこなさせる事を前提としている雇い主が多すぎないかと思う 

もし常習的に定時を超過する残業をさせているのであれば、 

その時間を拘束時間として求人を出すべきであり、 

それができないというなら法に反しているということ 

必要最低限をこなして定時で帰る、なんの規則違反もしていない社員が「静かな退職」なら、 

残業や関連業務を当然のように強要する職場は「隠れた治外法権」である 

自分は静かな退職者だけど、給料が発生している時間中は誰よりもモチベーションが高い 

休みの日に出なければならない社命での研修の存在は、 

例え給料が発生したとして訴えたいほど納得感がない 

働き手の意欲を削いで、尽くす気持ちを踏みにじっているのは企業側である事を理解した方がいい 

 

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現在メンタルを病み休職中です。 

過去に4人の上司の元で仕事をして来ましたが、3人からは最高の業務評価を貰っていましたが直近の上司は平均の評価。 

その上司との人事考課面接の際に何が足りないのか、どんなアウトプットを望んでいるのかを聞いても自分で考えろの一点張り。業務効率向上の提案等をしても全否定。 

2年で管理職は交代が多いのでそれまで最低限の仕事で頑張ろうと思いましたが、4年経っても変わらず。とうとう体調に限界が来て休職する事に。 

休職前に部署異動を願い出て他部署に異動しましたが、業務を覚えられなかったり単純なミスを繰り返したり、以前のように働かなくなってしまいました。 

心の病は自分が思っているより遥かに根深いです。 

無理をして続けるより自分の体と心を大切にして下さい。 

私は休職期間が満了した後は、自己都合という退職になります。 

 

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失礼な表現ですね。ほとんどの人こうだと思いますよ。自分のやりたい仕事に付けている人は、この表現にはならないと思いますが、そうでない人の方が多いと思います。やる気なんて若い時しかありませんよ。頑張った所でたいして評価もされない、安月給のまま。仕事を増やす意味がわかりません。役上がったら責任だけ増えて昇給もなくなるから、会社的には実際、経費削減ですよね。そして経営者はなによりも人件費が高いと言う。 

 

 

 
 

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