( 217095 )  2024/09/30 17:30:13  
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決選投票で高市早苗経済安保担当相を逆転し、自民党総裁選に勝利した石破茂氏(写真:JMPA) 

 

 9月27日、自民党総裁選で岸田文雄首相の後継に石破茂元幹事長が選出された。今回は史上最多の9候補の争いとなり、1回目投票で2位の石破氏が、決選投票での逆転勝利で、1位だった高市早苗経済安保担当相を破った。 

 

【写真を見る】田中角栄元首相の引きで政治の世界に入った石破茂氏 

 

 石破氏対高市氏の決戦となった「ポスト岸田」の総裁選は、実は戦後保守政治の2つの潮流の選択という一面もあった。それは「田中角栄流政治」と「岸信介流政治」である。 

 

■高市氏は「岸政治の継承者」 

 

 石破氏は「角栄流の再現者」、高市氏は「岸政治の継承者」という隠れた顔を併せ持っている。もしかすると、総裁選の勝敗の決め手となったのは、保守政治の在り方をめぐる自民党内の伝統的な路線対立だった可能性もある。 

 

 高市氏については、3年前の2021年9月30日、岸田総裁誕生となった総裁選の翌日に安倍晋三元首相をインタビューしたときの「高市評」が印象深い。 

 

 安倍氏は祖父の岸元首相を、「日米安全保障条約の改定実現」「改憲提唱」などで現在の自民党政治の骨格を築いた、と強く意識し、もし岸氏が今の自民党の状況を見れば、「自民党の本来の役割と目指す方向をしっかりともう一度、見つめ直せ、と思うのでは」と唱えた。 

 

 そのうえで、「私はそのために総裁選では高市氏を擁したのですが」と語った。安倍氏は高市氏を「岸政治の継承者」と見立てて全面支援していたのである(『文藝春秋』2022年1月号掲載の塩田潮執筆「100年の100人 岸信介(証言・安倍晋三)」より)。 

 

 他方、石破氏は、10年前の2014年9月24日にインタビューで聞いた回顧談が今も鮮明に記憶に残っている。 

 

 石破氏は政治家になる前、銀行員だった1981年に元鳥取県知事の父・石破二朗氏と死別した。他界の直前、鳥取の病床で「死ぬ前に角さんに会いたい」と漏らした父親の願いを、直接、田中元首相に電話で伝えた。 

 

 田中氏は鳥取に出向く。「田中派葬」で葬儀委員長も引き受けた。さらに石破氏に「すぐに銀行を辞めて選挙に出ろ」と命じた。石破氏は田中氏を「魔神」と呼び、自ら「政治の師」と評する。「田中さんの根幹にあったのは親切心」と説明した。石破氏は「魔神」の魔力に引き寄せられるように政治の道に進んだ(『週刊東洋経済』2014年11月8日号掲載の塩田潮執筆「ひと烈風録・第1回 石破茂」)。 

 

 

■石破氏は田中角栄直系の現役政治家 

 

 石破氏は田中氏から「民意を知り、民意を実現するのが政治、という姿勢を学んだ」と語った。田中政治といえば、「金権」「派閥第一」「利権政治」の残像が強い。半面、「戦後民主主義」「民意重視」「列島改造」といった角栄流政治も見落とせない。今も「角栄人気」が根強いのは「プラス面での角栄流」が支持されているという背景があるからだ。 

 

 石破氏は小沢一郎元民主党代表らと並んで、今や数少ない田中直系の現役政治家で、角栄流を肌身で知る政治リーダーである。「民意との結託」や「地域活性化による日本再生」などの石破氏の姿勢と路線は角栄流の影響が色濃いと映る。 

 

 一方、石破氏は「安保・軍事オタク」と呼ばれるように、自他共に認める政界有数の安保問題専門家だ。もう一つの特徴は「理詰めの人」である。インタビューでも「何でも自分で抱え込む。どうしても理屈が先に立つ。理屈で納得しなければやりませんので」と自己分析を披露した。 

 

■これまで石破氏には「運」がなかった 

 

 「理屈の壁」が災いした感もあって、石破氏は安倍内閣時代の2016年8月以降、計8年、無役となり、「冬の時代」を送った。2012年9月の総裁選の決選投票で安倍氏に逆転負けして政権を逃してからは、「不運の政治家」のイメージが定着した。 

 

 2024年8月14日に岸田首相が9月の総裁選への不出馬を表明したとき、真っ先に思い出したのは、2022年7月8日に不慮の死を遂げた安倍氏がその約1カ月前、都内の会合でのスピーチで口にした言葉だ。政治のトップリーダーが具備すべき条件として、笑いながら「運と多少の人柄」と述べた。 

 

 首相の座を担うには、「運」「人柄」だけでなく、「実力」が必要だが、安倍氏の言葉どおり、「運」と「人柄」も不可欠の要件だろう。その点でいえば、今回の2人は総裁選前、政界では石破氏は「運がない」、高市氏は「人柄に難あり」という評が多かった。 

 

 

 石破氏は長い「冬の時代」、「人間改造」を心掛け、「理詰め」を超克したのか、それとも「理詰め」を逆手に取ってそれを政治生命維持の武器にしてきたのか、その点は今も不明だが、思いがけず「春」がやってきた。 

 

 2023年秋、「派閥とカネ」の問題で、自民党が沈没寸前の漂流政党に落ち込むという大危機に直面する。病根は派閥政治だから、派閥を解散して無派閥に転じていた石破氏は好機を手にした。奇跡的にワンチャンスをものにして政権の座に到達したのである。 

 

 「不運」イメージだった石破氏になぜ突然、好運が舞い込んだのか。何よりも総裁選のほかの候補と違って、これが唯一・最終のワンチャンスと見定めて臨んだ石破氏の「本気度」が決め手となったのは疑いない。 

 

 ただし、「自民党は今なぜ石破氏を選んだのか」という疑問が消えない。カギは自民党史の裏側に潜んでいる。2025年11月に結党70年を迎える自民党で、総裁選は第1回の鳩山一郎元首相を選出した1956年4月から数えて今回が35回目であった。 

 

 そのうち、17回は無投票選出か実質的に無投票の信任投票で、18回が投票で勝敗を決する総裁選方式によって選ばれた。過去18回の実質投票による総裁選で、決選投票が計8回あり、そのうち、逆転勝利は1956年12月の石橋湛山元首相(敗戦は岸氏)、2012年9月の安倍氏(敗戦は石破氏)に次いで、今回が3回目である。 

 

■首相を使い捨てて与党であり続ける 

 

 過去の総裁交代劇を振り返ると、自民党には、党が沈没寸前の大危機に陥ったとき、「いつもこの手で危機脱出」と見る常套手段の「奥の手」が一つある。それは「表紙の取り替え」と「首相の使い捨て」だ。 

 

 危機で立ち往生する総理・総裁は、有無を言わせずにさっさと交代させ、トップをすげ替える。そうやって、国民の批判の嵐をくぐり抜け、新時代を装って新型のリーダーを担ぎ出す。党の体質や構造など、本質部分の変革が不可欠とわかっていても、変革に伴う失敗や党分裂のリスクを巧妙に避け、いわば古本の表紙だけを替えて、新本に見せる。 

 

 2024年8~9月の沈没の危機で、自民党は今度も「奥の手」に頼った。新しい表紙は無派閥政治家に、という大合唱に乗って、石破氏、高市氏、小泉進次郎元環境相が浮上した。 

 

 

 万年与党にこだわる自民党には、大危機に遭遇したときにさっと発想を変えて、党内少数派に属する新型のリーダーの中で危機の乗り切りを託せるのはこの人物、と判断する伝統的な「知恵」が存在する。 

 

■「捨て駒」を承知のうえで勝負した石破氏 

 

 今回は、「冬の時代」も含め、長年の孤軍奮闘、七転八起、艱難辛苦を乗り越えて生き抜いてきた石破氏の生命力と遊泳力を見て一本釣りするという選択にたどり着いた。その自民党の手法が最後に党内で多数の支持を得ることに、石破氏は気づいていたに違いない。 

 

 課題は、国民が自民党の「奥の手」や「知恵」を容認するかどうかだ。2023年後半以降の自民党政治を見ている限り、今回の国民の自民離れは、予想をはるかに上回る厳しさである。 

 

 民意は、「表紙の取り替え」と「首相の使い捨て」を自民党の常套手段と見透かし、本物の「解党的出直し」でなければ承知しないという判定を下す展開は大いにありえる。答えは次期衆院選で明らかになる。石破氏はこの逆風を乗り越えることができるかどうか。 

 

塩田 潮 :ノンフィクション作家、ジャーナリスト 

 

 

 
 

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