( 217720 )  2024/10/02 15:15:06  
00

この談話群は、主に以下の点が共通しています。

 

 

1. 加害者の精神状態や責任能力に関して議論が展開されており、事件の重大さや被害者への配慮が共有されている。

 

2. 弁護側の戦略や精神鑑定に対する疑問、法制度や裁判の長期化に対する不満が見られる。

 

3. 被害者や遺族の感情や立場に焦点を当て、その立場からの視点が強調されている。

 

4. 死刑制度や再犯率、被害者支援、法改正への期待が述べられている。

 

 

(まとめ)

( 217722 )  2024/10/02 15:15:06  
00

=+=+=+=+= 

36人も亡くなり、その他、多数の負傷者、物損を考慮するとどんな理由があろうと極刑は免れないです。加害者の育った環境はむごく、その親の無責任さはひどいと思います。ただ、その不満を赤の他人にあたるのは間違いです。そのとばっちりなんて誰も食らいたくない。今の世の中、きちんとした人、その真逆の人、その差が明確になってきてます。今後、無敵の人が起こすこのような事件は増えますね。防ぐ手立ては現状ないと考えます。 

 

=+=+=+=+= 

多くの民を苦しめた極悪人が最期の砦となる精神鑑定でも計画的に犯罪を進めた事は事実。それまでに何回となく留まる気持ちもあったはず、遺族にむかっては残虐な行いで罪を犯しながら、自分は絞首刑が残虐だと言う、なんと勝手な人間なのか、呆れますとともに、弁護側ももう姑息な手立てしか持ち合わせていない。犯罪者を助けると云うより社会的にきちんとした裁判に持って行くのが、弁護側の使命と思います。 

 

=+=+=+=+= 

殺人罪など一定の犯罪について時効が廃止されたのと同じように、例え精神鑑定の結果、善悪を区別する能力・責任能力がなかったとしても、犯した犯罪の結果の重さによっては実刑を課すべきだと思います。 

この事件で亡くなった人、重軽傷を負った人の数を見れば、責任能力があろうがなかろうが責任を問えず不起訴なんて誰も納得できないでしょう。 

未成年の犯罪だろうが、精神疾患者、或いはアルコールを含む薬物等の影響による心神喪失・心神耗弱者の犯罪だろうが、加害者の権利より、被害者の権利を守る法制度になってほしい。 

 

=+=+=+=+= 

弁護人が控訴するのはまぁ仕方ないかと思うけど、被告自らが控訴しているのは個人的には到底納得できない。自らの罪に対しどう考えているのか?死刑に相当する行ないであったとは考えていないのか。 

それと、もう精神状態による争いは無くして欲しい。どんな状態であろうと罪は罪、で良いではないか。刑法の抜本的改正を強く求める。 

 

=+=+=+=+= 

自らの足でガソリンを購入していますからね 

意思がなければ出来ないことだと思うが 

危ないものか、危なくないものか 

分かると思うが 

弁護人は仕事だからやむを得ないが 

無理がありましよね 

被害者側遺族の感情考えると 

どうかなと思います。 

 

=+=+=+=+= 

初めの精神科医の鑑定書がダメだったから、別の精神科医の鑑定書を準備する。 

いつまで続ける気なんでしょうか。 

弁護側に都合が良い結果が書いてある鑑定結果が出るまで繰り返すつもりなんでしょうか。 

意味ないですよね。 

都合の良い鑑定結果を書いた精神科医だけが独自の判断基準を持っていたとなれば、鑑定書の信頼性が著しく下がります。 

雑な参考資料なんていくら提出したところで誰も見向きもしませんよ。 

公判で提出された精神科医の鑑定結果は、弁護側検察側共に結果は同じ事を伝えていたと感じたので、弁護側はいい加減にしなさいよと思います。 

命が掛かっているから見苦しくても生に執着してるんでしょうが、判決を覆せるほどの新証拠なんて出ない様に検察は抜け穴を塞いでいたんです。 

元被告が反省していない証拠にはなりましたね。 

 

=+=+=+=+= 

そもそも、医師によって判断が変わるような精神・心理状態云々を刑罰の判断の参考にすること自体に問題があるような気がする。 

心神耗弱だろうが、知的・認知的な障害がある状態だろうが、道具を使って他人を殺める意志が存在した、不慮の事故ではなかった場合、その結果に応じた刑罰が科された方が、被害者や遺族の感情にも沿うものだと思う。 

こうした精神鑑定のような制度自体が、近代法体系そのものを欺瞞的なものにしてしまっている気がする。 

 

=+=+=+=+= 

特に凶悪で、犯人性の争いもなく、事実もはっきりしてるこういう事件は、 

外部の民間人を入れた検察審査会のような合議体を作って、そこの評決で、 

裁判を簡略化、省略して、 

すぐに執行できる法整備を進めて欲しい。 

 

時間、費用が莫大にかかっていて、 

あまりにも無駄が多すぎて、 

それを国民が負担してるというのは許せない。 

 

=+=+=+=+= 

被害者の数が一人二人でもどうかと思うのに、このような人数ではねえ。 

おまけにこの事件のせいでガソリンの販売方法に制限がかかってしまい、社会全体に及ぼした影響は計り知れない。 

日本の司法の賢明な判決を望みます。 

 

=+=+=+=+= 

突発的に起こした事件ではありません 

埼玉から京都まで移動し、ガソリンを準備しての犯行 

 

それだけじゃないですからね 

実行こそしなかったが大宮でも無差別殺人を計画していた 

実行しなかった理由がの密集度が低く、大きな事件にはならないと確認したから 

 

そこまで計画・判断し行動しておいても精神的な問題だと言うなら、故意に殺人を起こした人はみんな何等かの精神的問題を抱えている人になってしまう 

 

かねてからの危険な思考と実際に実行した内容とその結果を考慮して、どこに情状する余地が残っているんでしょうか? 

 

 

=+=+=+=+= 

事件の解明につながるなら精神鑑定はあってもいいかもしれないけど、鑑定の結果によっては責任が問われないことがありますが、如何なる理由があろうと、行為に対する責任がなくなるなどということはないと思う。 

どこまで加害者に優しくすればいいのか、責任能力の有無など被害者にとっては何の関係もない話であって、能力の有無によって罪に問われないことがある今の法律はおかしいと思う。 

 

=+=+=+=+= 

控訴審も被告の刑事責任能力が最大の争点となる見通し。これ、日本の司法がいかに加害者に有利かがよく分かる。加害者の刑事責任能力?経緯?状態? 

違うでしょ。結果で審議じゃないの。結果とは亡くなられた36名の命はどれだけ尊いものなのか、それを上回る遺族の方々の言葉に表せない思いの中で日常を過ごす辛さとはどんなものなのか。被害者、その遺族の方々の現実を以てして裁くべきだし、無駄な時間をかけるべきじゃないとつくつぐ思います。 

 

=+=+=+=+= 

この事件だけではありませんが、善悪の判断が付かないことがある時点で一般社会で過ごすことは不可能だと思います。 

同情すべき点もありますが、もし刑務所から出てきた後に隣の家に引っ越してきて安心して過ごせますか? 

 

刑務所から出た方の再犯率の高さも鑑みて、刑務所自体のあり方と、更生の方法、出所後の一般社会との関わり方を見直しすべきだと思います。 

 

=+=+=+=+= 

この事件はともかく被告の刑事責任能力が極刑に至るまでは無かったという方向で争うしかないので、こういう展開は想像できますけどね。被害者遺族の感情とか考えてしまうと極刑しかありえない。被告の境遇による猶予もないでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

善悪の判断が出来ない者が犯罪を犯してもおとがめがないというのであれば、善悪がつかない位に精神を病み、かつ、他人を傷つける可能性が高い者が一般社会の中で自由に行動出来ないようにしないとおかしいと思う。例えば、犬の散歩はリードが必要を付けないといけないし、動物園では猛獣を厳格に管理していますよね。 

 

=+=+=+=+= 

まあ、弁護側は心身喪失を認めてもらうしか手がないからそこを徹底的に攻めてくるだろうけど、事件の重大さから見て極刑以外ないでしょうね。この被告を懸命に救った医療チームの人達も、色んな葛藤があったと思いますが「生きて罪を償わせたい」の一心で頑張った人もいると思います。遺族や治療に携わった人達の為にも、早く決着つけて欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

弁護側のやり方もわからないではないが、その主張が世間に通るとは思えないです。自身でガソリンを購入できる判断力があれば犯行を思いとどまる判断力もあると考えるのが普通。 

 どうしても死刑反対を主張したいのであれば、裁判とは死刑制度に代わる方法を提起するみたいな活動をすすめるでべきでは。 

 

=+=+=+=+= 

その時精神に問題なのは、ある意味そうでしょうね。そうでないとこんな事出来ませんから。しかし、その原因は自身の勝手な思い込みからの恨みから来ている事で、到底か全体的な流れからみて、そこを問うのは観点がズレていると思う。いずれにせよ、こんなに長引かせる事が、果たして必要な事なのだろうか?事件の究明がこのような事件が次にない為になるようにって言っても、一定数の者が必ず理解し難い理由で問題を起こすのだから、スピーディーに進めて、遺族の方が少しでも前に進めるようにした方が良いと思う。 

 

=+=+=+=+= 

善悪を判断できない動物は人を傷つけると殺処分になる。 

人を殺傷できる道具を購入できる意志と実行できる行動力がある時点で責任能力はある。 

貧困の中、空腹でパンを盗む人と同じ感覚で弁護しないでほしい。 

 

=+=+=+=+= 

これだけの事件を起こして、これだけの被害を出して犠牲者を出して。死刑を免れようとするなんて甚だしいですね。検察側も長い時間をかけて、慎重に調べて、起訴して、それを踏まえて、死刑判決が出たのだから、潔くしてほしいです。 

弁護側は被告を守るのが仕事だろうけど、被告まで控訴して死刑を回避しようとするなんて、言語道断です。 

おそらく最高裁でも同じ結果だと思いますが、素直に判決を受け入れて罪を償ってほしいですね。 

 

 

=+=+=+=+= 

この裁判もそうですが、司法による裁判では、精神錯乱状態とかが判決の判断材料となるようですが、どのような人間でも、他人に危害を加えようとした瞬間は、正常な精神状態ではないでしょう。まして殺害となれば、どのような憎しみによるものだとか、単に娯楽的な行動にしても、どちらもどこかに精神異常が生じているでしょう。つまり、精神錯乱状態だとかが判決の判断材料にしてはならないと思っています。罪は罪です。人は生き返りません。 

たとえばこの事件の加害者が精神錯乱状態だったから無罪とされたとして、今後二度と精神錯乱状態になることはないのでしょうか? だれが証明します。責任取ります。簡単に殺人事件を起こした人ですよ。日本の司法は加害者に優しすぎませんか? 人権は被害者にもあったのですよ。 

 

=+=+=+=+= 

法律論と感情論になりがちですが、この事件だけでなく無差別通り魔殺人など「追い詰められた無敵の人」の犯罪は枚挙にいとまがない事も事実です。 

 

「追い詰められた無敵の人」を出さないためには、どうするのが良いのかを知るためには「追い詰められた無敵の人」を知るしかないと思います。 

 

裁判で被告を根掘り葉掘りで調べる事がこう言った事件の防止に繋がるなら検証の機会はあってしかるべきだと思いますし、感情論は横に置いて裁判以外の方法でも詳細に調べる必要があるのではないでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

いつから精神疾患が免罪符の様になってしまったんだろうね・・・ 

生い立ちには同情するけれど、犯した罪が大きすぎるよ。 

 

そして、これからこういう人間を生み出さないためにこども家庭庁に期待するのは、こどもが駆け込めるDVシェルターみたいなものを作ることかな。 

 

家庭内暴力やいじめどで家を捨てたい、環境を変えたいと思った時に、とにかくそこにいけばすぐに保護してもらえて、今の環境から切り離してもらえるようなところ。 

 

=+=+=+=+= 

世界的に責任能力の有無が犯罪の有無を判断する材料になってますけど、そろそろ責任能力というものを判断するのに精神病だから責任能力がないみたいな判断をすること自体、考え直した方が良いと思います。 

 

やってしまった事実は精神病だからという謎の理由で無罪になるのではなく、あくまでも事象の因果関係のみで判断されるべきです。 

 

=+=+=+=+= 

この事件に限らず、精神鑑定を元に減刑を求めるのを目にししますが、人を傷つけたり、殺めたり、壊したりなど取り返しのつかない事をしたのに、精神鑑定の結果で刑罰が軽くなるというのには納得は出来ません。 

 

精神状態に問題があれば、社会復帰後に同じ過ちを起こさないように治療、管理等を行う指標とすれば良いとは思います。 

精神的な障害でも認知症でも、責任能力が低いからと言って刑罰も軽くする必要性は無いように感じます。 

 

=+=+=+=+= 

弁護側としては犯行時の被告の精神状態を根拠に弁護するしかないのでしょうが、医師による判定が別れている状況では説得力に欠けるように思われます。やはり誰が考えても極刑は逃れられないと思われるのですが、寧ろ被告が心から反省や後悔の念を抱くことが弁護側に求められる課題ではないでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

被害者の結果は、もう変わることがないのに、 

加害者の精神状態、責任能力を根拠に、刑が軽くなるという今の司法判断はそろそろやめにしませんか?裁判長の方々。 

これから生きていく、被害者、および被害者遺族の精神を踏みにじる、いじめにほかなりません。 

過去の判例を持ち出した事務的に思えるような判決ばかりではなく、目の前の現実を見にした個々の状況を判断した判決をして欲しいです。 

 

=+=+=+=+= 

新資料とはこの人数の被害者がおられる状況を覆す事ができる内容なのか 

 

例えば加害者の過去の苦しみが5年から6年への変更くらいでは意味がないですよ 

 

裁判が続く事は被害者の苦しみが続くという事ですよ 

弁護側も総合的な判断をして欲しい 

 

=+=+=+=+= 

法律や裁判のしくみの存在は、人がしあわせに生きるための仕組みなのだと思います。 

 

加害者が不当に重い罰を受けないように弁護することは解りますが、被害者や遺族のしあわせが踏みにじられて良いものでは無いでしょう。 

 

ガソリンを入手して撒いて火を放てば殺傷できると解ってやったのだから殺意はあったんですよね。 

 

加害者の精神状態を過度に考慮し、被害者や遺族の精神状態を蝕んでしまうことっておかしいですよね。 

 

個人的には裁判だなんぞやらなくていいと思います。 

 

加害者の精神状態がどうであろうと、被害者や遺族の方々の心が少しでも晴らせるのなら、加害者を囲んで思う存分晴らさせてあげたいと思いました。 

 

加害者の判断力に問題があると言うのなら、加害者は、いずれ何かしらまたやるでしょう。 

 

今の司法の仕組みでは、世の中が良くなるわけがないと思います。 

 

=+=+=+=+= 

精神的なものがあるからと何十人もの命を奪っているのに減刑はあり得ない話だと思う。 

重篤な精神疾患を持っていてもここまで酷い事件を起こさない者がほとんどだと思う。法曹界関係者もそろそろ考えたほうがいいと思うよ。精神状態云々という理屈は。いまは障害を持つ者でも社会に出しましょうという世の中になってきているが、責任能力が一時的にないから減刑とすることがまかり通るとそのこと自体法曹界関係者自体が精神障害を持っていてもここまで酷い事件を起こさない者に対する差別をしているようなものだと思うよ。 

 

 

=+=+=+=+= 

心神喪失状態でも、犯罪行為を行ったという外観だけで裁かれるということにしないと、万一これで無罪などということになったりしたら、精神疾患のある人は皆監禁しておかなければならないなどという論議が沸騰してしまうことになり、そのほうが恐ろしい。精神疾患があっても薬を飲むことで日常生活に全く支障なく健全に過ごしている人のほうが大半を占めるというのに、こういうのが争点になるたびに苦しい思いをさせられることになる。 

 

=+=+=+=+= 

いつも思うけど 精神鑑定って 不必要だと思います。 

精神が どうであろうと 犯した行為は変わらない。誰だって犯行を強行する時は平常心では無いはず。 

法の改正を 強く望みます。 

被害者側の身に全くなってない。 

これで 無罪とかになる例もあるから 信じられない。 

しっかり罪は償って貰いたい! 

 

=+=+=+=+= 

罪を犯す者はその瞬間は善悪の判断を超越するから犯行に及ぶ。 

ほとんどの人は憎しみや怒りを持つことがあり、他人に危害を加える衝動に駆られることもあるかと思うが、様々な事を考え思いとどまる。 

重要なのは犯行前に留まる選択が出来たか否か、その判断に他者の悲しみとかを考えたかどうかではないかな。 

 

=+=+=+=+= 

心身喪失状態だから、精神疾患だから、未成年だから、で減刑や無罪になっては被害者が報われない。 

 

日本の司法制度は加害者に甘すぎるし、被害者にはやたらと厳しい。 

 

モラルが完全に崩壊している「モンスター」は少なからずいる訳で、被害に遭ってからでは遅いし、被害者は大概、救済はされにくいのが実情。 

 

勿論、余りにも酷い場合に民事で相手を訴える手もあるが、労力や手間を考えると、現実には泣き寝入りするしかない場合がほとんど。 

 

「やったもん勝ち」や「イジメたもん勝ち」はおかしいし、被害者や被害者家族のサポートはもっと充実させるべきだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

いつも思う事だが、このような凶悪犯罪が起こるたびに出される精神鑑定。 

しかし普通に考えて、このような凶悪事件を起こすような人間が問題のないような精神状態で有る筈はない。 

しかも事件から時間も経ち、事件時の本当の精神状態は推測に過ぎないと自分は思うのだが。 

事の大小にかかわらず、万引き犯でも殺人犯でも犯行に及ぶ時には逸脱した精神状態に変わりはないはず。 

普通に考えて、まともな精神状態で人を殺せるような人間はそうそういない。 

戦争状況においても冷静に人を殺せるだろうか。 

やらなければ、やられる恐怖から異常な状態に陥っている。 

弁護士にしても、仕事ながら無理筋を通そうとしているようにしか自分には思えない。 

情状酌量はまだ理解出来るが、精神鑑定は意味わからない。 

 

=+=+=+=+= 

どんなに犯人が悲惨な環境で育とうと精神を病んでいたとしとても人として日常生活を送り36人の人権を奪い多くの犠牲者を出したことは許されることにはならない。 

弁護団は必ずといえるほど凶悪犯でも減刑や無罪を主張するが裁判が長引くほど犠牲者親族の痛みが増すことを考慮すべきです。 

命を天秤にかけれないが日本では死刑が一番重い量刑である以上は生きて償うことは認められない。 

司法制度は被害者遺族の意向を十分聞き入れた判決を出せるよう改正すべきだと思います。 

犯罪を犯したならば倍返しの刑を受けなければならない制度を望みます。 

 

=+=+=+=+= 

地裁の判断は裁判員制度によるもの 国民の良識により判断した。 

つまり弁護側は国民の判断が間違っていると言いたいのか。 

精神鑑定がどうのこうのと言うのならばなぜ弁護側も精神鑑定をして 

証拠資料として提出しなかったのか。死刑になる確率は相当高い事件だからね。話し戻して、こうなると検察側と弁護側の精神鑑定の結果が違うわけですよね。つまり鑑定する人で結果が変わるものは証拠として意味がなくなるので 

はないでしょうかね。 

 

=+=+=+=+= 

この方の罪は、相当重い。 

ガソリンをビル内で使用するなどで、各方面に多大な悪影響を与えた。 

亡くなられた方はもちろん、携帯するにも難易度を格段に高めた。 

旅行や山奥での使用、はたまた農業機械から身近な小型除雪機の使用にも影響と、全国民にとは云わないが影響を与えたのではなかろうか。 

早急な即執行も良いですが、日々強制労働など苦痛を与え続ける事も一つかもしれません。 

 

=+=+=+=+= 

やることやったのだから、きちんと受け止めないと。 

精神鑑定で新資料って後でならなんとでも出来るんじゃないのかな。 

世話をしてくれた看護師さんに惚れたりしてたって聞いた事あるけど、そんな事で生きたいという希望を持ったのだろうか。 

 

生きたかった多くの人の命を奪ったのに。 

 

たとえ新資料出したところで、認められたとして、奪われた命の数を思えば結果は見えてると思います。 

 

無駄に裁判伸ばさないで粛々と進めて欲しいです。 

 

=+=+=+=+= 

この事件に冤罪はない。 

意思能力が問えないから無罪という主張は無理がありすぎるでしょう。それも踏まえて、どうやって情状酌量を取るかが弁護団の方針でしょう。裁判官が少しでも検察の主張に疑義を持つように。でも、1人の加害者の情状酌量で36人の殺人と多くの負傷者への犯罪を酌量するのは困難でしょう。被害者・被害者家族の情状はどのように酌量されるのでしょう? 

 

 

=+=+=+=+= 

やることやったのだから、きちんと受け止めないと。 

精神鑑定で新資料って後でならなんとでも出来るんじゃないのかな。 

世話をしてくれた看護師さんに惚れたりしてたって聞いた事あるけど、そんな事で生きたいという希望を持ったのだろうか。 

 

生きたかった多くの人の命を奪ったのに。 

 

たとえ新資料出したところで、認められたとして、奪われた命の数を思えば結果は見えてると思います。 

 

無駄に裁判伸ばさないで粛々と進めて欲しいです。 

 

=+=+=+=+= 

この事件に冤罪はない。 

意思能力が問えないから無罪という主張は無理がありすぎるでしょう。それも踏まえて、どうやって情状酌量を取るかが弁護団の方針でしょう。裁判官が少しでも検察の主張に疑義を持つように。でも、1人の加害者の情状酌量で36人の殺人と多くの負傷者への犯罪を酌量するのは困難でしょう。被害者・被害者家族の情状はどのように酌量されるのでしょう? 

 

=+=+=+=+= 

ほぼ現行犯逮捕に近い形で身柄を確保されているから、事実関係に関しては争いようがない。 

 

弁護側としては、犯行時の精神状態を争点にするしかしか減刑の可能性はないとなると、死刑の違憲性を主張しないだけまだマシだろう。 

 

弁護士が必ずつかないといけない罪状の刑事裁判とは言え、弁護士も厄介な弁護を引き受けたと思うよ。 

 

=+=+=+=+= 

もう、こういう判断がつかない、決着がつかない裁判ごっこ辞めない? 

刑罰に関しては動機がどうとか、精神状態がどうとか、反省しているとか、更生がどうとか、、、そんなの被害者には一切、微塵も関係ないでしょ。事実関係以外の調査は不要。刑罰は単純に法律、ルールに照らして即決する。実際の刑罰も受刑態度によって刑期が変わるなど曖昧な運用は無し。勿論、再発防止のための法律作り、改訂や施策は別物としてテーマを決めて実施する。京アニ事件、いったい何年、裁判ごっこを続けてるの?これも税金ですよね。本当、いい加減にしろっていいたい。 

 

=+=+=+=+= 

刑事責任のない14歳未満なら今回の事件は無罪になるのが世間一般の認識からして正しいのか? 

心神喪失なら刑事的にノーリスクで人を殺せるのか? 

あくまでパフォーマンスとして審議する分にはいいけど、裁判官が本気で心神喪失を争点としているなら、責任主義は見直す方がいいと思う。 

 

=+=+=+=+= 

精神鑑定で医師によって判断や結果が違うことがあるのに、複数の視点を判断する必要があるのではないのか。 

精神が耗弱していたなら、事件そのものを起こすにも障害が出て、起こさなかったこともあり得ると思う。 

 

=+=+=+=+= 

本当に36人もの人を酷い方法で殺める程の精神障害があるのなら2度と社会に出してはいけない。ましてや無罪は天と地が変わっても絶対にあり得ない。日本の法は加害者の利にありすぎ、弁護士たるものはもっと被害者側に立っての職とすべきです。法改正を望みます。 

 

=+=+=+=+= 

この手の事件の加害者側の弁護士って、社会正義がどうたらこうたらとかよく言われる訳だけど、仮に自分の息子や娘が同じ被害に遭わされても、同じことを言って犯人を弁護できるのでしょうか?そこまでやれるなら本当に評価するけど、実際はそんな人いないでしょうね。 

 

=+=+=+=+= 

弁護側の「善悪を区別する能力があったなどとした地裁の判断に誤りがある」という主張には、大きな矛盾を感じます。 

 被告は、京アニが自分の作品のアイディアを盗用したという妄想を抱き、盗用を「悪」と感じたからこそ殺意を抱いたのです。彼の心の中には明らかに、彼なりの「善悪の区別」が存在しますし、犯行は計画的で、そのための行動も一定の常識に沿っています。 

 問題はそこではなく、妄想を抱いた点でしょう。弁論方針はボタンを掛け違えているのでは。 

 更に大きな問題は、判断力が正常でないとされた場合に、責任を問う方法がないこと。かといって予防的な逮捕拘禁などを行えば、もちろん大変な人権問題になります。かつてナチスは国策により、自国の精神病患者を大量に安楽死させましたが、これも当然間違い。さて、どうしたらいいのでしょうね。 

 

=+=+=+=+= 

埼玉の自宅から公共交通機関を利用して、現場付近で放火する為の道具を購入して。本当に善悪の判断のつかない人間だったら、車を盗んだり無賃乗車したりして現場まで行って、放火する為の道具も盗んだりするんじゃないんですかね。都合の良い部分だけ判断能力無し、責任能力無しは無理筋な言い逃れでしかないと思う。弁護を引き受けた以上は本人の希望するような形で弁護しなきゃならないんでしょうけど。 

 

 

=+=+=+=+= 

まず最初に精神科医が正常なのか、そして弁護士も正常なのかを確認すべきだ。 

精神科医の娘が首を切断した事件もあったが、父親は精神科医だった。 

だから、まずは精神科医の心理状況や世界観、宗教的な嗜好も確認してほしい。 

何の罪もない亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。 

 

=+=+=+=+= 

精神病者は、その存在自体が社会公共に与える危険が大だから、一般より重く罰することも刑事政策としてあり得ると、刑法の授業で聴いた記憶があります。心神喪失者等に関する規定は、憲法に規定する基本的人権のような永久不可侵な人類普遍の原理ではなく、その時代時代で適切な運用を考えればいい範疇の話というのがその趣旨でした。 

当初は被害者側の重大な落ち度に起因して正気を保てなくなって犯行に及んだ人を救済するための規定だったはずが、「何でも鑑定団」みたいな運用をしたから、猫も杓子も精神鑑定して処罰から逃れようとする状況になっています。 

誰でも精神病者になり得る現代社会において、精神病者を特別扱いする意義や必要性はなくなっています。心神喪失等を理由に一律に刑を減軽免除するのではなく、犯行当時の犯人の精神状態については、個別の事件に則して裁判官(員)が円満な常識に基づいて判断し、量刑に反映すればいいことです。 

 

=+=+=+=+= 

当時、善悪の判断ができる精神状態だったか否か。いつまでもこんな線引きのハッキリしないものを判断材料にしていないで、何人をどうやって殺めたののか、誰が見ても明白な結果で量刑が決めるのが最も透明性のある方法だと思う。裁判官のさじ加減を許すのは軽犯罪だけで良い。 

 

=+=+=+=+= 

「こんなやつを弁護する必要はない」などと幼稚な事を言うつもりはない。この状況でもきちんと然るべき手順を踏む事の重要性は理解しているつもりだ。どんな残忍な犯行だろうときちんと是非を問うのが日本の司法だ。 

 

なのでこれは単なる個人的かつ率直な感想だが、いくら「それが日本の司法だ」と言われてもちょっと限度を超えている。 

過失なんてありえないし、心神喪失だろうが責任能力が無かろうが超えちゃいけないラインがある。 

この件はどれだけ犯人に事情があろうが、そんなもんで揺らぐような罪じゃない。 

 

情状酌量込みでも死刑確定。 

くらいの気持ち。 

 

=+=+=+=+= 

毎度焦点になると思うけど「精神的な部分」ってどうにかならないのかね? 

どういう精神病だろうとそんなもの被害者には何の関係もないし、なんでそれで刑の軽重が変わるのか理解できない。それで無罪になるなら殺人者を野に放つのと一緒。いい加減普通に生活している人に責任を持たせるような判決は無くなって欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

殺人や重大な傷害事件を起こすような輩は、大なり小なり精神的に不安定な状態だったり、被害妄想の傾向を持っているのではないか。 

殺人を犯しておいて、あの時の自分は正常な精神状態では無かったと言われても、そりゃそうだよね、でも犯した罪は罪なので償いましょう、という司法でなければ、安心して暮らすことができない。 

精神鑑定など、弁護側検察側で鑑定結果が異なるほど正確さには程遠い。言い方は悪いがいい加減だし科学的ではない。 

札幌の首持ち去り事件のように、家族が隠していれば、異常者が近くに住んでいても気づかない。 

我々は実は危険と隣り合わせに生きているのかもしれない。 

 

=+=+=+=+= 

道具を準備し居住生活地から離れた京都に来るまでに犯行を思い止まる時間は相当にあったはず。強い思い込みを心神耗弱などと量刑判断の材料にしていたら世の中のほとんどの犯罪が無罪になるようで恐ろしい。まさか、放火によって70人以上の方々を死傷させることが予想外だったと言うなら、もし被害者が1人であっても罪は罪で、その被害者とその関係者にとっては許せない気持ちに変わりはない。 

 

どのような屁理屈をこねても、被告への一審判決を覆す理由は皆無と思います。被告には死刑執行の時まで被害者の皆様への反省とご冥福を祈る以外は何もさせなくてよいくらいだ。 

 

=+=+=+=+= 

精神鑑定とかその前に多くの人が犠牲になっているんだから、相応の罰は受けなくてはいけないと思います。 

精神がとかいって、あわよくば無罪とかされるなら、今後はグレーな人もそれなりの対応をして区分けされると国が指針を出してくれないと穏やかに生活出来ませんよね。 

 

加害者ファーストでは無く、やはり被害者ファーストだと思いますけどね。 

 

=+=+=+=+= 

鑑定結果で量刑が大きく変わるなら、AIによる判定にでもしてもらわない限り永遠に納得できない。 

病気を詐称していないかどうかとか、精神に異常をきたしたのは犯行に及んだ後で罪の意識から逃れるためなのではないかとか、完全に証明できるのだろうか。 

そもそも犯罪というどう考えても割に合わない行為に走る人間に、まともな精神状態のものがいるのだろうか?そういう意味では犯罪者は全員精神疾患患者ではないのという疑問がわいてくる。 

 

=+=+=+=+= 

弁護士は徹底的に減刑のための努力を尽くすべき。 

将来、「凶悪犯罪だったから、裁判は感情に流されて進行し、弁護士もテキトーだった」なんて評価を下されたらたまったもんじゃない。 

様々な鑑定結果、意見、証拠が示され、裁判官がフラットな視点から審理を尽くした結果として極刑となった、ということは変な輩が出てこないためにも大事なプロセス。 

 

 

=+=+=+=+= 

そもそも罰ってなに?って考えると 

精神状態がーとか家庭環境がーとか関係なく 

犯した罪に対して、等価もしくはそれ以上を持って罰とするのが当たり前。 

情状酌量ってのは被害者側のみ被告に対して差し伸べられるものであるべき。 

放火殺人を犯したのを認めてるのであれば、極刑以外あり得ないと思うんだけど。 

それこそ、被害者全員の遺族、家族から情状酌量を求めるような声があれば別だけど。 

 

=+=+=+=+= 

犠牲になった36人もの命、そしてその家族の悲しみ怒りを考えると、極刑以外ありえないと思いますね 

精神状態が普通ではなかった、では済まされないと思います 

加害者の保護よりまず、被害者と遺族第1の法であって欲しいと願ってます 

 

=+=+=+=+= 

>善悪を区別する能力があったなどとした地裁の判断に誤りがある 

 

善悪を判断できる人間であれば、こういう事件は起こさないでしょう。 

その意味で、弁護側の主張は正しいと思います。 

 

しかし、だからといって無罪にして良いはずがありません。 

命を失ったり、心身に傷を負ったり、その家族や恋人・友人が黙っていないし、神仏すら許してくれないでしょう。 

 

弁護人も仕事である以上、全力で被告の盾となろうとするでしょうが、本音では辛いと思います。良心的サボタージュをして、一日も早い控訴審の判決が下されることを願います。どのみち上告はするでしょうが、最高裁が控訴審判決を破棄するとは思えません。 

 

早期に刑の確定、執行をし、被害者の遺族・家族に心の平穏をもたらして欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

火遊びもそうだけど放火を軽く見てる人が一定数いると思う 

だからその気は無かったとか言い訳が出てくる 

放火は犯罪の中でも重罪なのだから義務教育中に火の危険性を学ばせて何かあった際は「強い殺意が認められるので言い訳無用」とはっきり言えるくらいにしてほしい 

 

=+=+=+=+= 

確かに!弁護士さんは、被告を弁護するのが「職務とは」理解してるが。此の事件に関しては、被告側へ精神鑑定さえもする必要性無いです。あれだけ「用意周到に」準備迄行った被告です。どれだけの新たな資料を提出されたとしても、「棄却」間違い在りません。速やかに裁判を進めるべきだと感じた次第だ。勿論「死刑判決」その後は徒に時間を掛けないで速やかに執行を願いたい。 

 

=+=+=+=+= 

弁護士は精神の状態を問うていますが、これは責任能力や心神喪失とはほぼ無関係です。 

精神は誰でも常に揺らぐもので、私も菩薩のような寛容さを持つ反面、他人の何気ない発言に殺意を覚えたりもします。全ての色は3つ〜5つの原色で表現出来ますが、精神の表現は原色が100個くらいあり、個々人で原色が異なるイメージです。 

近年の裁判戦術として用いられる心神喪失(責任能力の有無)は、原色のコレとソレの組み合わせでは人は善悪を判別できない、故に責任を問えない、だから無罪である(あるいは減刑すべし)、という論法です。 

しかし、本来の心神喪失は全く別のもので、ビリー・ミリガンのように1つの身体に2つ以上の精神が混ざっているのが明らかで、その内の1つが罪を犯した、もう1つはどうしようも出来なかった、故にその精神に関して罪には問えないというもので、この評価はとんでもない困難が伴います。 

 

=+=+=+=+= 

善悪の判断が焦点になるけども、本人にどういう気持ちがあろうとやったことは「悪」なのよ。取り返しのつかないことをやったのよ。それを判断能力ナシだと仮に言うならば、動物と同じなのでは?熊は人を襲ったら、善悪の判断されずに撃たれるよね?それと同じでいいのではと思うのだけど。 

 

=+=+=+=+= 

死刑は間違いないとして執行は2040年以降でしょう。現行犯で逮捕された死刑囚は冤罪の可能性がない為かえって執行しにくいのです。廃止論の最大の論拠は冤罪の可能性がある事で現行犯逮捕の死刑囚を平均より早く執行した場合、やはり他の死刑囚は冤罪ではないかとの疑いを抱かせる事になります。最高裁で確定するまであーでもないこーでもないと不毛な論議で時間稼ぎをします。 

 

=+=+=+=+= 

日本の裁判って誰の為にあるものなのかわからなくなりますね。 

責任能力とか言いてますが、自分の足で、そして自分の意志で現場に向かい、ガソリンを入れるための容器購入、ガソリン購入…。 

この犯罪を犯すための判断はしっかりできているじゃなか。 

それなのに妄想的なんちゃらみたいな病名付けて罪を軽くする?ばかげている。 

被告の弁護人も仕事だとはいえ、新しい証拠を出してくるとは…。 

とにかく、被害者遺族の納得いく判決がでることを願っています。 

 

=+=+=+=+= 

精神に異常があると証明できれば、如何なる罪を犯しても極刑を免れるということですかね。酔っ払いも、薬物中毒者も同様ですかね。一生懸命生きてきた人たちが命を奪われても、犯人は命を長らえるのが法律ですか。仕方がないということですか。刑法のその部分が納得できません。 

 

 

=+=+=+=+= 

弁護方針の中に、精神疾患と絞首刑の惨虐さを訴えると有るが、罰としてくだされる絞首刑と放火による大量殺人・傷害を同列に扱うのは違うでしょう。犯人を治療した医師も、罪をきっちり償わせる為に命を繋ぎ止めたはずなのに、 

精神が・惨虐だ等の理由で、僅かでも減刑されたら、遺族・医師共にやり切れないだろう。 

 

=+=+=+=+= 

結果が一番重要と思う。人生のあらゆる場面においては過程が考慮されることなんてほぼ無いのに、罪人に限ってはやたらと過保護な程にそれを重視するのが、昔から腑に落ちない。 

ある程度の運みたいなものは仕方ないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

普通なら極刑は免れないのに、心神喪失、或いは、心神耗弱を弁護側が主張して、無罪又は減刑を要求する。 

それだけ、時間も費用もかかる。弁護費用は本人が負担出来ないだろうから税金。 

被害に遭われた方々の親族は、何故、被害にあうことになったのか事実が知りたいだろうけど、一方で、こんな裁判経過になるのなら、被告人は自分自身に火をつけて自死しようとしたのに、何故、助けたのだろう。 

これで再審請求がしやすくなるのなら、本末転倒だと思う。 

 

=+=+=+=+= 

善悪の判断が出来ないとしましょう。 

わからずにこれだけの大量殺人をするならば、二度と世には出せないですね。 

弁護側はこの希代の殺人犯を有期刑にでもしたいのか? 

どれだけ罪深いか弁護側とはいえども考えて欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

精神状態はどう鑑定しようと普通にあったでしょ? 

殺そうと思ってそのための準備をして実行したんだから、そのどこに罪になる行為ではないと思い違いをすることがあるのか? 

心神喪失とか心神耗弱って、それが犯罪になるかどうかすらわからないほどの意識状態の人が狂って暴れた結果、犯罪行為にあたるけど、刑務所で罪と向き合わせるのではなくて、精神病で社会から隔離するようにするためですけどね。 

だって自分がやってることが何なのかがわからないんだから反省や更正できるはずないでしょ? 

逆にいえば、自分が何を目的に何をしようとしたかが普通の人でも理解できるなら、精神鑑定するまでもなく刑事責任能力はあるのです。 

そう考えられないようなら、司法関係者にはならないで欲しい。 

社会の迷惑ですから。 

 

=+=+=+=+= 

ガソリンを撒くとしても突発的に自分の車から抜いたとかではなく普通の人はあまり知らない携行缶使ってガソリンスタンドから現場まで長距離徒歩で移動していますからねこの犯人は。極めて計画的としか言いようがないでしょう。この犯人が無罪にでもなったら司法の信頼は更に失われる。 

 

=+=+=+=+= 

多くの生命を奪っておいて自分が死刑になるのは残虐だと。あの状態からここまで回復できたのは医師や看護師達の医療従事者としての善意ではある。が、それとこれとはまた違う話で。仮に死刑を回避できたとして、どう償うつもりなのか……。明らかに意識的に行動しているのは当時の動向から明らかで、その結果が重大過ぎるのだから死刑は不可避。 

これを精神的な状態の問題であっても、むしろそんな状態であればなおのこと必要では。 

 

=+=+=+=+= 

>関係者の説明では、弁護側は控訴審で、起訴後の精神鑑定結果そのものは問題とせず、意見書を基に、地裁による鑑定結果の評価に誤りがあると主張する方針。また、絞首刑が残虐な刑罰にあたり、憲法違反だとする主張も一審に続き行うとみられる。 

 

弁護側は本件を利用して精神鑑定の評価の仕方や絞首刑についての批判がしたいだけで、本件そのものについてはどうでもいいというか、無理に決まっているとさじをなげている気がする。 

 

=+=+=+=+= 

弁護士はそれが仕事だし、間違いではないと思うが、どういう状態でやったとしても、被害の規模があまりにも大きすぎること、そして亡くなった方々は戻らないことによる遺族感情を考えるとね。 

 

=+=+=+=+= 

罪を犯した者を弁護しなければならない弁護士というのも、役割としては仕方ないとは思いますが、これだけの人数が理不尽にも亡くなられている。 

被害者遺族としては、加害者に救う手を差し伸べる弁護士にも怒りを抱きますよね。もはや心情的な負の連鎖です。 

 

これで精神を理由に無期懲役になろうものなら、まして無罪にでもなろうものなら、亡くなられた方々の命の重さとは? 

 

この事件の背景的なもの、事実関係はもう出たと感じる。 

弁護士に対しても聖人君子であれと思ってしまいます。 

 

 

=+=+=+=+= 

そもそも精神鑑定の結果で刑事責任能力が無いから減刑や無罪になるのが間違っていると思うのですが。 

犯罪の認識が無くとも窃盗や傷害、殺人は罪でしょう。 

半身不随等で実際に何もする事ができないならまだしも目に見えない精神的なもので罪が軽くなる意味がわかりません。 

 

=+=+=+=+= 

弁護側の主張を聞くに、もう手段が無いので採れる最後の論点をということですね。 

精神鑑定にしても、まあ殺害意思はきちんと存在しているし、心神耗弱での所業ではないですから証拠採用される可能性は限りなくゼロですね。 

次に、憲法違反の論点はそもそも最高裁で絞首刑が残忍な刑罰というのは否定されていて、これを弁護側が持ち出す時は確定判決を遅らせる目的だと言うのが一般的な解釈です。 

要は、手詰まりでやる論拠も無くなったので一か八かに掛けるという事ですね。 

 

=+=+=+=+= 

>絞首刑が残虐な刑罰にあたり、憲法違反だとする主張も一審に続き行うとみられる。 

これはもう裁判そのものの話なのでひとつの事件で話をしたところで…なんだけど、弁護士仕事としては死刑よりは懲役20数年や執行猶予をつけられるようにすることが大事なのかな。 

善悪の区別については精神障害があろうがなかろうが極限状態だったらそんな区別はつかないし心神喪失か耗弱状態なのは当然。逆にそんな状態になる人を安易に社会に戻しちゃいけない。医療関係者が頑張って生かしたのが死刑のため、となってしまうのは残念ではあるけど。 

「精神障害者であればどんな残酷な事件を起こしても極刑にならない(できない)のか」を問う裁判だと思う。…犯人にとっては極刑と20数年ずっと動けずに同じ天井を眺めている方のどちらが辛いかはわからないけど。 

 

=+=+=+=+= 

被告自身が計画し実行した放火殺人なんだから精神鑑定とかどうでもいい。 

遺族への賠償も不可能なんだから処罰感情を満たすくらいにしか身柄の使いようがない。 

まるで釣り合いは取れないが、犠牲者へのせめてもの手向けとして実刑判決と速やかな執行を望む。 

 

=+=+=+=+= 

裁判制度の本来の目的は事実を明白にし公平に量刑することだから、目に見えない精神状態を測る事自体に無理がある。しかし事実として今回の犯行準備状況ではいつでもそれを止める機会はあったのに強行している。 

弁護側は真実を見ようとせず検察側との勝負のための揚げ足を取るような主張は恥ずべき事だ。 

 

=+=+=+=+= 

あらためて36人死亡、という数字を見ると、大量殺戮兵器を使わずに一般人がここまでの死者を出せるものなのか、と愕然とする。 

そのうえで、妄想性障害で責任能力なし、となるならば、申し訳ないが、同レベルの妄想性障害を持つ方全員、ただちに病棟に閉じ込めて外出禁止としてくれ、と言いたくなってしまう。 

それは「やりすぎ」、「おかしい」と思う人が多数なんじゃなかろうか。 

であれば、安易に減刑はしないでほしい。 

 

=+=+=+=+= 

「絞首刑が残虐な刑罰にあたり、憲法違反だ」と弁護人は主張してるようだけど、じゃあガソリン撒いて火を付けての大量殺人は残虐ではないとでも言うのでしょうか? よくこういう事件があると、加害者の精神状態が不安定な状態だったとか弁護側は言うけど、まともな擁護理由が無いからって何でもかんでも精神不安定状態だから仕方なかった的な文言で片付けようとするのやめなよ。 ガソリンに火を付けて殺害しようというのは、明らかに殺害を目的とした計画的な犯行なのに、判断力が著しく低下してたと主張し減刑しようする弁護は無理にも程がある。 ここ何年も被害者の関係者や身内の方々がどれだけ辛い想いをしてきたか考えたら、極刑でも足りないほどの想いだと思うよ。 

 

=+=+=+=+= 

加害者は生きて司法の場では厳刑を争う事が出来るが被害に遭われた方々、ご遺族の方々は量刑を裁判所に委ねる事しか出来ない。 

どうか司法に携わる方々は加害者の人権ばかりを尊重するこの理不尽な現状を理解し被害にに遭われた方々の気持ちを汲んで裁きを下して頂きたいと願うばかりです。 

個人の短絡的かつ非道な行動で多数の命を奪い、その周りの方々の心も殺し、1つの日本文化をも殺し、それでも加害者個人の人権主張を優先する。こんな事が罷り通るなんて誰の為の司法なのか… 

 

=+=+=+=+= 

精神鑑定は大事かもしれないけど、許されない罪を犯したら償うべきだ。 

担当弁護士の一家の責任で生涯365日24時間監視での共同生活でもするならともかく。 

同じ事件起こしたらまた精神鑑定するのか?? 

被害者の気持ちを考えるべき。 

 

=+=+=+=+= 

弁護士としての仕事をしようとしているのであろうが、精神鑑定という物自体にあやふやなものを感じます。 

そもそもガソリンを自身の意思で購入して放火に至ってるので心神喪失などで減刑は考えられないし、遺族の感情を逆なでするしかない。 

絞首刑の可否なども今までそれが行われてきた判決を全て否定するものであって、ただでさえ加害者に甘い現在の制度で極刑すら無かったら犯罪数増えますよ? 

さっさと結審させて罪を償わないと遺族は報われる事は無いと思います。 

 

 

 
 

IMAGE