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「とても無礼」「載せたスタッフが問題」 女性同士の恋を描くドラマで“出演者コメント”に物議…… “ある一文”への批判に公式が弁明

ねとらぼ 10/3(木) 19:59 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/7612052a23f44594f33c0202cf2612d02e23de76

 

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11月8日からTOKYO MXで放送されるドラマ「きみの継ぐ香りは」の主演を務める加藤ローサさんのコメントが物議を醸しました。

原作は小川まるにさんの同名漫画で、女性同士の恋愛を描いた作品です。

加藤さんの発言に対してSNS上で批判の声が上がり、その後番組公式がコメントについて弁明する文書を公開しました。

「役者として演じきれるかどうか不安だった」という意図だったと説明し、今後の発信内容に気を配る姿勢を示しました。

(要約)

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主演を務める加藤さん(画像は「きみの継ぐ香りは」公式サイトから引用) 

 

 TOKYO MXで11月8日から放送開始予定のドラマ「きみの継ぐ香りは」の公式X(Twitter)アカウントが10月3日、主演を務める加藤ローサさんのキャストコメントについて弁明する文書を公開。1日に公開された加藤さんのコメントには、一部から批判の声が上がっていました。 

 

【画像】物議を醸したコメント(全文) 

 

 小川まるにさんが手掛ける同名漫画を原作とした同ドラマは、女性同士の恋愛を描いた作品です。1日には加藤さんと星野真里さんのW主演によるドラマ化が発表され、各キャストの意気込みコメントも公開されました。 

 

 しかし、加藤さんの「お話を頂いた時は、ほんの少しだけ抵抗があった私ですが、台本と原作を読んでいくうちに新しい私になるような、、、そんな感覚がありました」というコメントにSNSでは疑問の声が。 

 

 “抵抗があった”という一文に、「何に対して抵抗があったの?」「同性愛だから(抵抗があった)ということなら、現実に生きてる同性を愛する人たちにとても無礼」「率直というか、配慮がないというか」「この文言をなんの疑いもなく載せたスタッフに問題の大きさを感じる」といった批判の声が上がりました。 

 

 このような声を受けて、翌々日の3日に番組公式Xはキャストコメントについて弁明する文書を公開。「当コメントは、『役者として演じきれるかどうか不安だ』という意図であるという認識のもと、公開に至りました」と説明しました。 

 

 合わせて、「誤解を与えかねない表現であるというご指摘についてはきちんと受け止め、ドラマ公式として、今後はよりいっそう発信内容に気をつけて参ります」「本作はキャスト・スタッフ一同丁寧に描き、多くの方に届けたいという姿勢はずっと変わりありません」としています。 

 

※当記事では、X社が定める「ユーザーの権利およびコンテンツに対する権利の許諾」に基づいてポストを利用しています。 

 

ねとらぼ 

 

 

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様々な率直な意見があり、同性愛やマイノリティーに対する配慮や理解についてさまざまな視点が示されています。

一部の人々は「抵抗があった」という言葉に批判的な意見を持っている一方で、現実的な視点や多様性を尊重する意見も見られました。

内容に対する批判を過剰と感じる意見や、セクシャリティに関連した抵抗感の自然さを理解する声もあります。

意見は多岐にわたりますが、個々の感情や考え方の多様性を尊重する姿勢が示されました。

 

 

(まとめ)

( 218442 )  2024/10/04 02:59:19  
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=+=+=+=+= 

率直な意見でいいじゃないですか。 

なぜそこまで遠慮しないといけないのでしょうか? 

相手を誹謗中傷する意見は断じて許せませんが役者が役を演じるにあたって葛藤や不安があって当たり前だと思います。 

もっと心を広く穏やかに行きませんか。 

 

=+=+=+=+= 

マイノリティーよりの報道。 

敏感すぎませんか? 

もはやマイノリティーハラスメントだよ。 

観る側では考えられない葛藤もあるだろうし 

演じるにしても実生活、子供もいるんだろうし。 

揚げ足取り、もうやめようよ 

 

=+=+=+=+= 

繕ったところで、実際の本心は世間が最初に抱いた方だろうと思う。 

受け入れがたいと思う人がいても、それは多分ありえる話で、恋愛が個人の自由である様に、同性愛を否定はしないまでも、拒否や嫌悪感を持つ事も個人の自由だと思う。それこそ多様性でしょ。 

誰も彼もが受け入れろって強制するのは違うとも感じる。 

ただ、今回はメディアを通しての発言であり、個人の思いや感じている事が内輪ではなく外に発信されてしまった事に問題があると思う。 

 

=+=+=+=+= 

もし「異性愛者が同性愛を演じることに抵抗を感じた」のだとしたら 

それは、とても誠実な想い・考えの持ち主なのではないかと思う。 

 

トランスジェンダーの役を当事者キャスティングでなければならない、 

シスジェンダーでは務めてはならない、なんとことはないけれど、 

昨今、鈴木亮平さんの好演とその役作りや挑み方、そして葛藤と配慮などが 

結構話題となっていたからこそ、 

俳優さんであればトランスジェンダー役のオファーが来たら 

「私がやるべきか?」「オファーしてあげるべき役者さんが他にいるのでは」 

と一旦距離をおいて考えるのは、想像に難しくない。 

 

その上で挑んでくれたと考えると(実際どうかわからないけど) 

応援したいし、とても誠実だと思う。 

 

=+=+=+=+= 

今までにない役をやることは、それはチャレンジでもありますが、抵抗も少なからずあると思います。 

それが自分にないものならなおさら。 

悪くとらえすぎですよ!言葉足らずとかもあるだろうけど、有名人や成功者を落とそう落とそうと監視してる人がいるような気がします。 

 

=+=+=+=+= 

マイノリティに配慮するあまりマジョリティは自分の素直な意見さえ言えない。 

今回の言葉は特に誰かを傷付けるような言葉とも思えないし、それこそありのままの自分の言葉でしょう。 

マイノリティに何か言うとマジョリティが非難される。 

こんな事では「全ての人が生きやすい社会」なんてできる訳がない。 

 

=+=+=+=+= 

言葉の配慮が足らなかったって事でしょうか? 

そこまで気を遣わないとダメなんですね。 

素直な気持ちで良いんじゃないでしょうか。 

人それぞれ思う事はありますよ。 

その言葉で誰かが傷付いて誰かが喜んで…。 

全員が全員納得する言葉なんて絶対にありません。 

最近はコメント出すのも緊張する世の中になりましたね。 

 

=+=+=+=+= 

そもそも最近同性愛のこういうの多いけど、こんな番組作る必要あるか? 

本人達は多様性がとかいうけど、抵抗があるってのも多様性の意見ですよね。 

多様性がって言う人に限って否定的な意見を言う人を批判するけどそれって多様性を無視してるってわかってないのか? 

多様性っていろんな生き方、考え方を受け入れるってことですよね。 

 

=+=+=+=+= 

同性を愛するのはもちろん自由だし、それを演じることに抵抗を感じるのも自由では?同性愛を否定や批判したわけじゃなかろう。マイノリティ側は多様性を尊重しろと声高に言う一方で、マジョリティ側のほんのささいな抵抗感すら許さないのはダブルスタンダードだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

多様性と言う割に、ノーマルな人の正直な言葉の揚げ足取りは、いかがな物だろう。 

多様性と言うからには、普通の人も尊重すべきだと思う。 

 

 

=+=+=+=+= 

「抵抗ある」のが自然な感情であり、その上で互いが歩み寄る事が大切だと思う。が、「抵抗ある」感情を頭から否定する動きがあるなら、もはや歩み寄る必要はなく、とことん対決してやろうという感情を掻き立てられる。 

 

=+=+=+=+= 

黒人役を白人が演じるとホワイトウォッシングと言われて問題視される時代。 

異性愛者が同性愛を演じるのも問題になる可能性はそこそこあるよ。 

日本ではわりと大丈夫かもしれないけど危険はゼロじゃない。 

だから抵抗を感じる方が誠実な俳優さんだと言える。 

 

=+=+=+=+= 

この女優さんは「台本を読んで抵抗があったので降りました」といったわけではないですよね。 

そもそも同性愛については自然に受け入れられない人のほうが多数派だと思います。その現状を変えるのが、こうしたドラマ(と言っても今回の場合、原作を知らないのですが)だと思っています。だとすれば、演者自身が、これまでの「その存在を受け入れるのに抵抗がある」自分から、「新しい」自分になることで、自然に受け入れられるようになった、というのは全く良きことであって、批判されるべきではないと思います。 

人は変化するもの。変化する前の自分がいたこと自体を無かったことにすることはできません。率直に変化前の自分を見つめ、新しい自分を見つめられるのはよいことだと思います。 

 

=+=+=+=+= 

出演者は同性愛者ではないから抵抗がある。 

別に異性愛も同性愛ももはや自然のことだと思いますが、異性愛者は同性愛者の演技をする際に抵抗があってはダメだというのはどういう了見なんでしょうか。 

本当の同性愛者の方がこれを気にされるのであれば、それこそ排他的ではないですか。 

そこにマジョリティだから、とかマイノリティだから、とかは関係ないですよね。 

逆に同性愛者が異性愛者の演技をするなら、少し抵抗があるのではないですか? 

 

=+=+=+=+= 

多様性を受け入れることが個人の本音を言う機会を妨げてしまっては、生きづらい社会になると思ってしまいます。異性愛者が自分ではない周りの同性愛者を社会の一員として受け入れることは、多様性を受け入れることだと思いますが、異性愛者である自分が同性愛者の役を演じることに抵抗感を抱いても、何の不思議もないように思います。むしろ、それが自分が異性愛者であるということだと思います。同性愛者に限らず、性自認なども初めは違和感や(着る服などへの)抵抗感から、気付くものであると思います。「抵抗」という言葉が独り歩きして発言者の意図を無視し、悪い印象を与えているかのようなSNS等での拡散に私は強い抵抗感を抱いてしまいます。 

 

=+=+=+=+= 

性に限らず、色々な人がいることを認め合う多様性は良いことだと思います。その上で全ての価値観や感覚を全員が理解することは不可能です。分からない、抵抗がある、受け入れられない、などそれも一つの多様性として「色々な考え方がある」と捉えることこそが多様性ではないのでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

なんでもかんでも、言葉尻を捕らえて、どうこうとケチをつけるのは止めた方が良いと思います。 

逆に同性愛者の人が、異性との恋愛を演じることには戸惑いはあるはずですし、加藤ローザさんも自分の中にはない感情を演じることに対して、戸惑いを感じたということを「抵抗があった」と表現したであろうことは、文章全体を読めば理解できるはずです。 

 

性的マイノリティーの方は、どうしても異性との恋愛といったものが考えられず、性的マジョリティな恋愛を演じきれないからこそ、カミングアウトに至ったという人も多いはずです。 

それを踏まえて考えてみれば、ローザさんのコメントも極々、自然な感情によるものだと思いませんか? 

 

寧ろ、自分にないものを演じることに対して、真摯に向かい合ったからこそ、出てきた表現だったのではないかと思いますが。 

 

=+=+=+=+= 

「抵抗があった」というのは、同性愛者を否定しているわけではなく、異性愛者なのに同性とのラブシーンを演じるのに「抵抗があった」という意味だと私は受け取りました。 

 

批判する同性愛者の人は想像して欲しい。同性にしか好きにならないのに異性とラブシーンをやれと言われたら、多少たりとも戸惑うと思う。そして、それが異性愛者を否定することとは繋がらないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

私も多くの人と同じように異性愛者なので、同性愛者の気持ちや苦悩は本当のところでは理解できません。 

でも、不倫とか浮気でないなら誰が誰を好きになっても自由にしたら良いと思ってます。 

 

演じられるほどの理解に至らないだろうという意味での抵抗感があるのも、例え否定的な抵抗感だったとしても(自分には無い感情=同性愛の)理解できる範囲は人それぞれなので分かります。 

 

しかし、もしも同性愛者を公言しているタレントや役者が異性愛者を演じた場合は、どうなんでしょう。 

 

最近のマイノリティの考えなどが社会的に認知される動きは、単純に知り得なかったので勉強・参考になるなぁ。と思いますが、マジョリティを許容してくれない空気感は多様性とは真逆ですよね。 

 

“一般的”な人も多様性の中に入れてください。 

 

=+=+=+=+= 

性的少数者の恋愛の自由に関しては多様性として受け入れるような流れにしてるなか、多数派の多少の抵抗感など個人の受け止めにはすぐに規制をかけようとするのは疑問でしかない。 

少数派に多様な考えがあるならば、当然多数派側も受け止め、考えなどで多様な意見があるわけであり、少数派ばかりの多様性を認めて、多数派の意見の違いは考え、思考の自由に関する多様性は認めない風潮ならば、ダブルスタンダード以外の何者でもないと感じる。 

 

 

=+=+=+=+= 

初めこの文章の詳細を読まずに加藤さんのコメントだけ見ました。 

え?何かおかしいところあった??という感じで特に何も引っかからなかったのですが、よくよく読むと「抵抗があった」の部分を各々が色んな解釈して批判されているようですね。 

ここでのコメントに対してもそうですが何をどんな風に書いても賛否両論はあります。 

大らかな人もいれば少しのことでも敏感にネガティブに捉える人もいます。 

確かに言葉足らずな部分はあるかもしれませんが謝るほどのそこまで大した問題では無いよなと個人的には思います。 

 

=+=+=+=+= 

DV夫の役を演じた俳優さんが「自分の中に全く無い人格を演じる不安」みたいなものを語っていたけど、今回の加藤さんのコメントもそういうことでしょ。 

誰も実際に生きてるDV夫に対して失礼なんて言わないのに、ことマイノリティには敏感な人が多すぎる。そして、“声を挙げた私は正義”みたいな風潮が高まり過ぎな気がする。 

自分の知らない感情に対して不安と葛藤を感じながら役作りに挑もうとする、役者としてすごく真っ当な方じゃないですか。 

 

=+=+=+=+= 

これだけ多様性と世間が叫んでいるけど、物事を平等に公平に考えるならば、同性の恋愛について違和感や嫌悪感を持つ人もその多様性の中の一選択肢だと思っている。 

 

加藤さんの言葉が正確にはどこを指していたのかは定かではありませんが、ごく普通の発言であり、批難されるべきでは無いです。むしろ加藤さんを批難する方が、真の多様性を理解していないように思います。 

 

=+=+=+=+= 

同性愛に対して抵抗感を持つ人は一定数いると思うし、それについて他人がとやかく言う権利はない。 

加藤さんが素直な感想を述べることはそんなに責められることなのか? 

生きにくい世の中が加速している。 

 

=+=+=+=+= 

そこまで配慮してしまうと、自分の気持ちすら表現出来なくなってしまうと思います。 

 

ダイバーシティとは多様性。 

実際人は様々な事に抵抗を感じているはず。 

色んな感じ方がある事をみんなで知っていかないと、どんどん生きづらい世の中になってしまい気がします。 

 

=+=+=+=+= 

異性愛者なら抵抗感があってもおかしくないのでは?全ての人が同性愛をすんなり受け入れられるかというとそうではない訳ですし。 

明らかに非難してるならわかりますが、これはちょっと過剰に反応しすぎじゃないかと思いますが…。とはいえこのコメントで傷ついた人もいるかもしれませんが、この程度の言い回しで傷ついてたらキリがないというか、全ての人に自分の全てを理解してもらうのは不可能ですし、あらゆる事に賛否は付きものですから、いちいち反応する必要無いと言いたい。 

 

=+=+=+=+= 

同性愛が嫌いな人だっているでしょ。 

理解しようと歩み寄る人もいれば完全拒否の人もいる。拒否する人に、何で理解しようとしないんだ?差別だ!って言ったらそれこそ個人の思考への干渉であり悪だと決めつけた差別になると思うんだが。 

加藤さんは役を引き受けた時点で歩み寄ろうとしてんだから同性愛賛成派の人たちは逆に温かく迎えてあげるのが一番の平和だと思うんだがね。 

 

=+=+=+=+= 

そりゃ抵抗あるんじゃない? 

 

寛容な社会になればいいと思ってるけど、自分がその役をやり、同性を恋愛感情を持って演じるのは、寛容な社会をつくる話とは少し違うと思う。 

 

オレは男性だし、誰が誰を好きでもなんでもいいと思ってるけど、それでも自分がもし男性と見つめあったり抱き合ったりする役だとしたら...めちゃくちゃ抵抗あるぞ.... 

 

逆で考えると同性愛の人に異性愛の役をやらせるようなことでもあり、それも抵抗あると感じるんじゃないかな。 

 

むしろこの状況で抵抗ないってどういうことだろ。 

 

=+=+=+=+= 

現実でそういう方達をどうこう思う訳ではないけれど、自分にはない感性だから演じる事に抵抗があったって事でしょ?何も批判することではないと思うけど。無礼とか失礼とか何?抵抗=気持ち悪いと思っていると捉えたのなら、その人達こそ少なからずそう思ってるからそういう発想になるのでは? 

 

=+=+=+=+= 

我が家は母がバイセクシャル、姉がレズビアン、私はヘテロで既婚子持ちです。 

我が子含めて、家族がどんな性別の方と恋愛していても全く抵抗はありません。しかし、自身が非恋愛対象の生物と恋愛を演じるのは抵抗あってしかるべきでは?と思います。 

わざわざコメントするかを、「配慮」と言われればそれまでですが… 

セクシャルマイノリティへの「抵抗」って意味と捉えて批判するのは、敏感すぎると思う。 

 

 

=+=+=+=+= 

多様性多様性と言いすぎて、そちら側の人達ばかりが守られてしまう現実… 

そちら側を否定するつもりは全くありませんが少数派ばかり守らず多数派の意見も守ってください。 

受け入れろと言うばかりで、そちら側を受け入れることに抵抗を感じる人だって一定数いるはずです。そういう少数派の人たちの生き辛さはどうすればいいのでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

抵抗があったのは本当のことなんだろうし、ケチをつけるほどのことじゃない。 

やっぱり同性愛者以外は抵抗あると思いますよ。そして圧倒的多数の人が同性愛ではないのでね。マイノリティーであることは明確なのに、マジョリティーに配慮を求めるのなら、抵抗があるというマジョリティーの意見にも配慮して頂かないとね。お互いを認めるってそういうことでは? 

 

=+=+=+=+= 

抵抗があったと言ってはいけませんか? 

女性同士の恋愛以外でも、自分が関わった事のない物事を何でも抵抗なく受け入れられる人なんていないのだし、正直な気持ちでしょう。 

それでも女優さんは理解して演じようとしてるんですよね。 

こういう発言に過剰に反応する人たちは、どこまで配慮を求めるのでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

この人にとっての恋愛対象が男性だから、女性を相手にそれを演じる事への抵抗があっても別に不思議ではないし、それを素直に言う事の何がいけないのか 

じゃあマイノリティーの人達の、自分の心が女性(男性)なのに男性(女性)の体でいる事へ抵抗があったとかの告白は、男性側(女性側)に対して失礼にはならないんですかね 

自分達、または自分の周りのマイノリティーの人達とかには配慮しないとダメだってのはわがままでしょ 

多様性と謳うからには、色んな意見があって、それに理解するもしないも多様性だし、それを受け入れるにしたってすぐには無理な人だっているのだから、抵抗があったと言うのはその一歩目としてなんら問題はないと思うけど 

こんな言葉狩りみたいな事をして、自分達にとって心地のいい言葉以外は受け付けないで、自分達を理解しない人達は排除されても仕方がないと言う今のマイノリティー側の一部の人の反応は目に余るものがある 

 

=+=+=+=+= 

同性愛を否定までしませんが、同性よりも異性を愛するのが一般的なのは明らか。加藤さんも別に非難しているわけではないし、男性と結婚して家庭を持たれているのですから、女性がパートナーという役に違和感を持っても何も悪くないと思います。 

LGBTQだ多様性だと騒ぐなら、異性への愛を基本にした考えも否定するべきではない。 

誰に認めてもらわなくたって、自分が大切だと思う相手をただ愛せばいいでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

これって清純派系アイドルが平成ギャルの役をやるにあたって「最初は抵抗がありましたが~」って言うのと同じじゃね? 

ある意味社交辞令な気がするんだが、、、まあ確かに下げ上げ構文にはなるから最適とは言い難いが、、 

 

=+=+=+=+= 

一般的には異性に惹かれるもの。だから、抵抗があっても何の不思議もないのですよ。 

一般的な人が同性愛を完全に理解することなんて、限りなく不可能に近いと思うのです。同性愛者が存在することを事実として認め否定することなくいれば、それでいいと思うのです。 

同性愛者に無礼などと言っている方が、余程無礼に思えてならないのです。 

 

=+=+=+=+= 

逆の立場だったらどうなのだろう? 

同性愛者の役者さんが異性愛者の役を頼まれたと仮定されたら、抵抗があるのではないだろうか? 

そこで、抵抗があったら異性愛者への配慮がないとか同じようにいうのだろうか? 

そもそもの恋愛対象が違うのだから仕方がないと思う。 

抵抗があるのは自然なことだと思うよ。 

 

=+=+=+=+= 

私は女性で、恋愛対象は男性です。 

もし仮に同性愛者の女優さん(…この言い方もよくないんでしたっけ?)が異性愛者の役を演じることになって「抵抗があった」と言っても「そうだよね〜」としか思わないです。 

でも、それは私がマジョリティーだからかもしれないですし、本当のところは同性愛者じゃないので分からないです。当然、同性愛者のなかでも意見は分かれるのでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

私はこの文面を見た時、ローサさん自身がこの役柄を演じるまでそういった色んな個性を尊重できなかった、そういった上辺だけのことに抵抗があった自分を恥ずかしいと思っているような、赤裸々な文章に見えました。 

 

自分に全くない感性、考え方、言動、細かい日常(仕事していて、電車に乗っていて、買い物していて、etc...)のことまで言い出したらキリがないくらい、自分に無いものに対して抵抗が少なからずある、ということは批判している人も、そうじゃない人も、誰もが経験があるように思います。 

 

なので、個人的にはこの言葉自体ではなくて、もし問題になるとすればその抵抗からの行動かと思います。 

例えば、抵抗があることから拒絶してのイジメなど個々を尊重できないことであれば許されないように感じますが、今回そういったことでも無く、配慮に欠けたという部分は理解できなくもないですが、言葉を狩るほどでもないように思いました。 

 

 

=+=+=+=+= 

自分のセクシャリティと違う役をやるんだから抵抗を感じるのは当然でしょう。差別意識とかでは無いと思う。レズビアンの性的指向の方が男性とのラブシーンを演じるのに抵抗感がある、と言うのと何も変わらないと思います。 

むしろ、こういう反応すら封じて仕事を断ることができない空気を作ってしまったらセクハラだと思うのですが 

 

=+=+=+=+= 

そりゃ数で言ったら異性愛の人の方が多いんだし、演者さん自身も異性愛なら同性愛の役に抵抗感があるのも理解出来るよ。 

逆に同性愛の役者さんが異性愛の役を演じろって言われたらやっぱり抵抗感あるだろうし、同じことだと思うんだけどなんでマイノリティ寄りに発言しないと叩かれるんだろう。 

抵抗感感じる人がいるのも多様性の一部ではないんだろうか。 

今回だって別に同性愛の方を貶めたり傷付けるような発言してる訳ではないんだから、「個々の感じ方よね」程度の受け止めで良いだろうに。 

 

=+=+=+=+= 

「この程度のことで批判するのはおかしい」という意見が、狭量に過ぎる。「抵抗がある」という「表現」では批判が出てくるのは当然。役を演じるにあたり、上手くやれるか不安ということであれば、「そのように」コメントすれば良かっただけのこと。この表現に文句を言わないのであれば、この表現に批判を加える人に対しても文句を言わないのが、「大人の作法」ではないか。 

 

=+=+=+=+= 

もし同性愛者であると公言している俳優が、「ストレートの役に対して最初は抵抗があった」と言ったらどうなるのだろうか?ストレートだと認識しているは人たちから、「配慮が足らない」と非難の声が上がるのだろうか?「役とは言え大変だろうな」で終わる話しだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

多様性というなら、同性愛に理解をしめす方の考え方も、理解に苦しむ方の考え方も同じように受け入れるべきなのでは? 

少し抵抗があったけど作品に関わって新しい自分になる感覚…と書いてあったので、無礼な発言とも思わなかった。 

この発言がダメなんて窮屈な世の中になったなって思う。 

 

=+=+=+=+= 

同性愛の人が性愛の対象として異性を受け入れられないように、異性愛の人が性愛の対象として同性を受け入れられないのは当然。もし同性愛の人が異性愛の役を演じるのに「抵抗がある」と言った場合にそれはけしからん、と言えばたぶん差別と扱われるだろう。だから逆も差別になるのでは。 

 

=+=+=+=+= 

マイノリティの一部の人って、マジョリティに対して意識しすぎてない? 

人間という生物として、物理的、本能的、効率的に多数派が出来てしまうのはしょうがない事。 

実際は個人一人ひとりの考えは複雑で少しずつ違う事を、マイノリティの人達は知ろうとして欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

多様性を認めろ、みたいなことを言うならば、性的マイノリティーに対して抵抗がある人も多様性の一つなのだから、そういう人のことも認めないとおかしくない?中には性暴力をキッカケに拒否感や嫌悪感を持ってる人もいる。そういう人に認めろ!って言えます?抵抗がある人も、無い人も、互いに無理せず、良い距離感で居るにはどうすればいいかを考えて行く方が余程建設的ではないかと思う。 

 

=+=+=+=+= 

この人自身はマイノリティではないんだし、結婚もして子供もいるんじゃなかったっけ?だったら抵抗があるのも分かるけど。 

何でもかんでも噛み付いて良いわけじゃないし、この手の問題って本当に分かり合う事自体が難しい。 

人の価値観ってそれぞれ違うものだと思うけど、批判してる人はそれが解ってるのかな。自分の中だけの正義感を人に押し付けてるような気がするけど。 

 

=+=+=+=+= 

同性愛の人の気持ちはそうなんだと受け取める必要はあると思うけど、同性愛に対する抵抗感についても感じるのは自由だと思う。要は、本人たちが同性愛がいいと言う生き方を否定したり邪魔しなければ言い訳で。自分がどう思うかは人それぞれ。 

 

 

=+=+=+=+= 

公式はいちいち反応するな、ウェブ媒体もいちいち記事にするな、と思う。一部のポリコレ警察を相手にするから、なんでもないことが問題として認識されてしまう。 

公式として反応する必要があるならせめて弁明ではなく強気で言い返してほしい。 

 

=+=+=+=+= 

異性愛者にとって同性愛の役って抵抗が多少あってもおかしくないんじゃないの?ならば同性愛である事を公言している俳優がいたとしてあえて異性愛の役がきたとして無抵抗なもん?性別じゃなくとも自分の恋愛観とは違う例えば上でも下でも20も30も離れた相手との恋愛やラブシーンも抵抗がある人がいると思う。それをこのような表現した時に「歳の差恋愛している人に失礼」ってなる?ならなくない?そりゃ役だとしても考えるよね、そうだよね、ってならない? 

 

=+=+=+=+= 

逆に。 

同性愛者の方が、異性愛者の役をすることになれば、やはり少しは抵抗があるのじゃないか?本当の自分とは違う役柄をするんだから、多少の抵抗感があったって不思議ではない。 

 

=+=+=+=+= 

批判してる人々は、 

全てのことを両手を広げて無抵抗で受け入れることができる「出来た」ニンゲンなのでしょうね。 

経験したことのない世界の話を、 

役者だからといって考えもせずに演じる方がよっぽど無礼では? 

しっかりと受け入れた様子もコメントしてますよね? 

同調圧力にもほどがある。 

こういう批判がおこるから、 

余計にそういう方々が肩身が狭くなるんだとなぜわからないんだろう。 

 

=+=+=+=+= 

最近よくある言葉狩りのような批判は好きではないし、これも批判されるほどの内容かな?とも思ったけど、でももし当事者の方が発言してるのだとしたら敏感に反応しちゃう気持ちは否定できないかなぁ。 

コンプレックスや人に打ち明けにくくて心の内に留めていることって不安や敏感になりやすいから言葉のちょっとした部分も気になったりするので…。 

 

=+=+=+=+= 

自分の価値観と違う事は最初っから何でもかんでも許容できるものではないと思う。 

すんなり受け入れられる人もいれば時間がかかる人もいる、それだって多様性のひとつだと思います。 

 

=+=+=+=+= 

いや、「抵抗ある」って気持ちは不謹慎ではありませんよ。セクシャリティーが違うってそういうことでしょう。 

お互い認めあうなら「嫌い」も「好き」も尊重しあわないと。 

ドラマで演じるのはあくまで芝居なんだし。 

もし「抵抗ある」のが許されないなら同性愛の物語は同性愛者が演じなければならないのでしょうか。 

もうなにも表現できない社会になりそう。 

 

=+=+=+=+= 

多様性を強調する意見がありますが、自分と違う感性を認めることも多様性と言えるのではないでしょうか。 

この女優さんの抵抗感に対する批判においてマイノリティーの存在をことさらに強調することは逆に多様性を否定することにはならないのでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

そうはいっても、異性愛者が同性愛者の役を演じる、その逆もまた違和感があって当然では? 

カムアウトしていない同性愛者だって異性愛者のフリをするのが大変で辛いわけで、役とはいえ心を込めるなら葛藤があってもおかしくはない。 

 

=+=+=+=+= 

たとえ公式の弁明と違い「女性同士の恋愛に抵抗があった」としたら、何がいけないのか? 

抵抗があるのに演じる事がいけないのか? 

 

「同性愛者役には実際の同性愛者を」 

「トランスジェンダー役には実際のトランスジェンダー」 

欧米でよく聞くようになった主張ですが、役者を何だと思ってるんだろう。 

同性愛者やトランスジェンダーの役者の道を狭める事に繋がると思うが。 

 

 

=+=+=+=+= 

同性愛に限らず 

直接の経験がないことや 

想像したことのない環境の役は 

抵抗があったと言っても、ただの感想では…。 

 

逆に。 

同性愛の方々は 

異性愛の役を演じる時に、まったく抵抗はないんですかね? 

 

役だから気にならない人 

上手く演じられるだけが不安で抵抗のある人 

自分個人として経験しない分野だから抵抗のある人 

恋愛対象に関係なく、感覚は、人それぞれでしかなくて。 

 

年齢差の大きい年の差カップルや 

不倫恋愛ドラマの役柄で 

抵抗があると感想を言う人と同レベルと思えないなら 

加藤ローサさんへの非難は 

むしろ、多様性を認めない人達の意見に見えちゃいます。 

 

同性愛は特別なことですか? 

数は少ないながらも、それなりにフツーにあることですか? 

 

=+=+=+=+= 

最近マイノリティー側の意見ばかりが尊重され過ぎな気がします。加藤ローサのコメントには別に差別的な意図はないと思うし、同性愛者じゃなければそう思う事は当たり前のことなんじゃないかな? 多様性とは名ばかりでマイノリティー側の都合しか考えないのは如何なものか? 

 

=+=+=+=+= 

逆に、男性同士の恋愛模様を描いた作品で、男性俳優が同様に、「お話を頂いた時は、ほんの少しだけ抵抗があった」とコメントしたとしても、無礼だとか問題だとか不謹慎だとか、今回と同じ様に問題視されるのでしょうか? 

 

もしくは、トランスジェンダーの為に葛藤する役柄のオファーを受けた俳優さんが、同様の事を言った場合は? 

 

学園物やホームドラマで、教師と生徒の年齢差恋愛カップルの役をオファーされた俳優さん達が、同じコメントをしたとしたら? 

 

或いは、「相棒」などの刑事ドラマで、殺人犯とかサイコパスとかテロリストとかの役柄を貰った俳優さんのコメントだったとしたら? 

 

例え俳優さんであっても、自分が体験して来なかった生い立ちを持つ役とか、現実では死ぬまで体験しないだろう立場の役を演じる事に不安や葛藤が出て来てしまって不思議はないし、それを率直に吐露する事が、そんなに物議を醸すほどの事でしょうか。 

 

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役者としてその役に入り込めるかどうかの自信の問題であって、それは殺人犯をやるにしても詐欺師をやるにしても偉人をやるにしても聖女をやるにしてもどんな役であろうとも、そこに自我の入り込みへの抵抗は存在しうるのだから、この表現や心情をなにも否定する話ではないだろう。 

 

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彼女がマジョリティだとしたらマイノリティの役に対して不安を覚えるのも不思議ではない。芸人が男性同士でのラブシーンを嫌がるのも失礼なのだろうか。マイノリティに共感することができない人が多いのは当然であり、差別や誹謗中傷と区別する必要があると思う。 

 

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本当の意図はわからないけど、仮に「異性愛者である自分が同性愛者の役を演じることに抵抗があった」という意味だとして、なんの問題があるのでしょうか? 

そこに同性愛者をバカにする要素なんて一つもないし、礼を失しているとも思わない。 

同性愛者についてどう感じるかも人それぞれですし、例えば「自分は同性愛には抵抗がある」という発言をしたからといって問題視するのは違うと思う。 

差別やいじめ、侮辱発言や誹謗中傷をするのは問題ですが、それは相手の尊厳を踏みにじる行為であるからです。 

 

ローサさんのおっしゃっているのって、例えばドラマでアメリカ人の役があって、それをイアン・ムーアさんにオファーした時に「(自分はイギリス人だからアメリカ人役は)抵抗があるかも」って言うのと同じような話ではないでしょうか? 

前者は批判されて後者は批判されないとしたら、まさにマイノリティーハラスメントです。 

 

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正直なのはいいと思うけど、制作サイドは困るだろうね。配役ミスでは? 

だって、同性でも異性でも、ラブストーリーの主役が「あの人の恋人役はちょっとね」なんて言ってしまったら、視聴者はシラケますよ。いくらお芝居とわかっていても。 

制作サイドからしたら、営業妨害レベルだったのでは? 

そもそも、主演俳優達が「絶対にこの役をやりたくて、その為に努力した」という作品とそうでない作品とでは出来上がりが全然違うので、ドラマ制作するなら面倒でも1本1本しっかりオーディションするべきだと思います。 

今時、惰性で売れないドラマを10本作るより、売れるドラマ1本作って全世界展開して稼いだ方がいいですよ。 

 

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なんかもうさあ…何言っても文句言われる時代なんだなと思う。そりゃ異性愛者の俳優からすれば同性愛者の役作りは大変だと思いますよ。逆もまた然りで。じゃあ違和感感じない同性愛者の俳優しかこういう役を演じてはいけないという理屈ならば、同性愛者は異性愛者を演じてはいけないという差別に繋がると思うのですが。 

 

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抵抗があって当たり前。逆に同性愛者を公言している役者さんが男女カップルを演じろと言われても抵抗あるのでは。当たり前の感情を口に出してはいけないという事自体が多様性を否定していると思う。 

 

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抵抗あるのって別に当たり前じゃない? 

演者さんは同性愛者じゃないんだから、ドラマの内容的に同性とのキスシーンやラブシーンがあるんでしょうから。 

私だって恋愛対象じゃない性別の人とラブシーンするのには抵抗ありますよ。 

逆に考えてレズの人が男性とキスシーンやラブシーンあったら抵抗ないんでしょうか? 

LGBTQ+とか関係なく、異性愛者の意見も同性愛者の意見もどちらも抵抗は有れど受け入れてこそ多様性なんじゃないのかな? 

多様性を声高に言ってる人達こそが、自分とは異なる、もしくはマイノリティに対しての差別意識が強いように思います。 

個人的には「多様性」と言う言葉自体が一番差別的なので嫌いです。 

無理に押し付けるのではなく、「多様性」と言う言葉を使わなくても、普段から自然に相手を理解し、受け入れることが大切なんじゃないでしょうか? 

 

 

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何でも認めるのが多様性みたいな風潮あるけど、認めないのも多様性やと思うけどね。今回にしても同性愛を描いてるなら女性同士のキスシーンがあるかもしれないけど抵抗あるっていうのは率直な感想でしょう。否定してる訳じゃないのに敏感に反応しすぎ 

 

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いや、率直に素直なコメントでしょ。 

LGBT否定派ではないけど、いきなり私は理解あるので、この役は嬉しいです!とか言い出されたら、おい?ってなるわ。 

LGBTに限らず、万人が受け入れるものってないと思う。 

世界の人がみんなパンダが好きとは限らないでしょ。それと同じで、戸惑いだってあるんだよ。それを無礼?私は理解あるのに理解ない人が演じるの?ってこと? 

じゃあLGBTの当事者とかじゃないとその役は出来なくなる。アメリカで今、それが物議となってるけど、本当に馬鹿馬鹿しい。 

 

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同性愛の人が異性愛をできないのと同じで、異性愛の人は同性愛ができないから、異性愛の人が同性愛を演じることが難しいのではないかというくらいの意味合いだったんじゃないのかな。 

 

ならば同性愛の人に演じてもらえばいいという流れに欧米ではなっているようだけど、日本ではまだそうなってない。 

 

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言葉狩り以外の何物でもない。仮にそうだとしても、生物学的にも自認においても女性であることに違和感をもたない(と思われる)加藤氏が同性愛に若干でも戸惑いをみせるのは至極当然で、マイノリティの言い分をあたかも正論のように報じる姿勢は如何なものかと思う。 

 

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自分がラブシーンを演じなければいけないのなら、同性愛者じゃないので、異性ならばまだ受け入れられるけど、同性は嫌だなと思うかもしれない。素直な気持ちだと思う。 

 

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いわゆる「ストレート」の人がお芝居とは言え「LGBTQ」の人を演じるのだから、なかなか難しい心境になるのは当たり前だと思います。別に差別意識とか偏見からではないように感じました。逆にレズビアンの俳優が男を好きになる役のドラマだって、これからの時代に絶対ないとは言い切れませんし。 

 

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過敏になりすぎ。 

異性愛者が役者の仕事とはいえ同性愛者の役をやるんだから抵抗があるのは何もおかしなことじゃない。 

ラブシーンだってあるかもしれないし。 

役者魂だなんだと言ったって、自分とは性癖の違う役や場面を演じるんだから抵抗があって当たり前じゃないの? 

 

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同性愛を受け入れるも自由、受け入れないも自由だと思うけど。それに「抵抗があった」と言っただけで批判も差別もしていない。 

全てのマイノリティを受け入れろと言うのは違うと思う。 

色々な人がいる様に色々な意見があるのが当たり前かと。 

 

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この件に限らずだけど、有名人がセンシティブな話題にコメントしたとき、それを読んだ100人のうち99人が何も思わなかったり肯定的な意見を持ったとしても、1人でも否定的な意見があると、ことさらそれを取り上げるよな。 

否定的な意見を言うのは個人の自由だから全然構わないが、問題なのはあたかもそれが多数であるかのように報道するマスコミ。 

 

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同性愛を抹消面から否定しているわけじゃないし、そもそもどう思うかも勝手だし。結果演じることになったんだからいいでしょ。 

 

同性愛の人も、そんな小さなこと気にせず、好きに恋愛したらいいと思う。 

 

 

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同性愛に対して抵抗があるといのは彼女の素直な気持ちだろうし、そういう人がいるのも当たり前。 

同性愛を否定した訳ではないしね。 

多様性だなんだと言いながら、彼女個人の気持ちは尊重されないんですかね… 

 

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抵抗がある、という人が多いのはわかってるんだろうに。差別だなんだ言ってるようだけど、世間にわかってほしいのか、わかってない人を否定したいのか、どっちなんだろ? 

前者なら、理解できない人がいる前提なんだからそこをとやかくいうのはおかしいし、後者ならそのまま否定が返ってくるだけでしょうね。 

そもそも、異性愛?に抵抗があってそうなるんじゃないの? 

 

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自分が異性愛者なら同性愛者に抵抗感があるのはごく自然じゃない?なんでなんでもかんでも受け入れないといけないの?逆に同性愛者が異性愛者には抵抗感があるんです。。とか言うと、そうだよね!マイノリティーは大変だよね!しかたないよ!とかなるんでしょ?寛容って何ですか? 

 

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同性愛がテーマということに不安があるというコメントのどこが失礼なのか?同性愛を認めないというならば、失礼だが。 

どんな演技をしたらいいかやどんなシーンがあるのかとか、同性同士でのラブシーンに抵抗があっても仕方ないともいますし、それがまだまだ普通です。 

 

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性自認の自由を声高に訴える割に、異性を好きになる自由は容認できない人がいるんでしょうね。 

 

実際の自分と違う性的志向のある人物を演じることに、抵抗を「ほんのちょっと」感じると発言することが、それほど問題なんでしょうかね? 

 

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例えば、生理的に無理な食べ物でも多様性のある社会だから、みんな受け入れなきゃダメなんて言われたらどう思う? 

批判をしたなんてないと思うよ。 

加藤さんにとって、はじめて触れる事だったから抵抗はあったというのは当たり前じゃないかな。 

 

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普通でしょ異性に恋する人にとって 

反対もあるんじゃないの? 

自分が同性に惹かれる人は、もしかしたら異性と恋愛する演技をするのには抵抗があるかもしれないし 

これ系は個人の意見に反論するのは間違ってると思う 

 

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このコメントは色眼鏡で見なければ、例えるなら悪役ばかりを演じてきた俳優さんがヒーローや警察官など基本的には善側に見られる役のオファー貰った時のコメントと同じだと思いますよ。今までの役のイメージから離れた立ち位置の役を貰えば「自分でいいのか?」と思うでしょうがそれと同じことで、それだって「最初は若干の抵抗を感じたが台本を読んでからやらせてほしいと思うようになった」となるでしょうし。 

 

もちろん不快に思う方も居るでしょうが、いちいち気にしてはおちおち発信もできないでしょうに。無礼なら同性愛者であることを公表している役者さんも居るだろうに、それらの方に依頼せず彼女に依頼した方もまた責められるべきでは? 

まあ誰も責めを負うべき話でもないと思うのですが、ね。 

 

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当事者が非難しているならまだしも、無関係の人間がいろいろ邪推して批判するのは少々やりすぎでは。 

 

 番組公式Xのコメントが全てでしょう。役者として素直な感想を言っただけであり、そこに他意や悪意は一切感じられない。そんなことでいちいち揚げ足取りをしてたらキリがないというか、魔女狩りに近いものを感じて恐怖さえ覚える。なんとも息苦しい世の中になったもんだ。一芸能人の私見に目くじらを立てる暇があるなら、そのエネルギーを巨悪に向けたらいいのに、そっちのほうは見て見ぬふり。ダブスタとも言える都合のいい正義感は百害あって一利なし。 

 

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任侠映画の主役に抜擢されて「大変光栄です」って言ったら、反社会勢力礼賛になるっていちゃもんつけるのか? 

物議を醸した方がオカシイだろうによ。 

マイノリティは(反対勢力の)マジョリティ側が必ず居るって事をもっと意識して発言しなきゃいかんわな。 

公平で平等って事はマイノリティを優遇するって事では断じて無い。 

不当にマジョリティ側を貶めるって事でも無い。 

 

 

 
 

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