( 218976 ) 2024/10/05 17:13:26 0 00 「石破首相は早くも変節した」と言われる。だが、筆者の主張する「社会資本・主義」への動きはすでに始まっている(写真:ブルームバーグ)
自民党の石破茂総裁は経済音痴であると悪口を言われる。「石破政権で株は暴落する」とハヤす人も多い。
間違いだ。
9月27日に行われた自民党総裁選挙の決選投票で、逆転で石破氏が勝った瞬間、株価は大きく変動、日経平均株価の先物価格は2000円を超える暴落となった。しかし、これはトレーダーの遊び、いわばイベントデイトレにすぎない。
■石破政権誕生の意味とは?
それどころか、日本株式市場、日本経済、日本社会は、転換点を迎え、新しい発展段階に入るだろう。この事実には、私以外、誰もまだ気づいていない。石破氏本人でさえわかっていないだろう。しかし、これは、石破政権が成功した長期政権にならず、何もできずに短命に終わったとしても、歴史的な転換点になる。
なぜなら、これらの転換は、石破氏によって起こされたものではなく、社会が起こしたものだからだ。つまり、社会が変わることへマグマが溜まっていたところに、「石破政権誕生」という偶発的な事件が、これに点火したからである。
この結果、石破政権誕生という2024年は、分水嶺となる可能性がある。パラダイムシフト(物の見方や枠組みが転換すること)だ。
なぜか。
第一は日本政治のパラダイムシフト。それは、自民党総裁選において、初めて「好き嫌い」では決まらなかったことだ。
これまでは、ほぼ全員、仲間として好かれているかで決まった。安倍晋三氏は、政策はともかく、休日を過ごすにはいい友人であり、小泉純一郎氏も変人ではあるが、嫌われてはいなかった。岸田文雄氏もいい人だった。
実は、これは自民党総裁選だけのことではなく、日本のリーダーシップとは、ほぼ常に好き嫌いで評価されているのである。いいやつ、仲間内のアニキ分、そういう人がリーダーになっている。だから、チームのキャプテンであって、ヒエラルキー(階級)の頂点ではない。今回の総裁選は、小泉氏が脱落したことで、決選投票は、好き嫌いの観点でいえば、究極の選択となったが、違う要素で決まった。
■実は画期的だった自民党総裁選挙
違う要素とは、「政策」である。当たり前に聞こえるが、これは画期的だ。初めてのことだ。リーダーは、政策は持たず、みんなの意見をよく聞く、という人が望まれてきた。プレゼンとしては主張を出しても、それはプレゼンだけのための政策であり、評価する側も、政策の中身ではなく、政策の「響き」で決めた。しかし、今回は「もし高市早苗総理となったら、外交が不安だ。日銀や財政が不安だ」ということで、拒否されたのだろう。これは、自民党総裁選では、近年にはなかったことだ。
さらに、世界的に右傾化する政治の世界で、自民党では、右が破れ、左寄りが勝った。これは世界のトレンドを反転させる動きである。また、ネットで強いほうが負けた。これも近年のトレンドに反する。世界中の有権者から、日本の政治リーダーの決定は羨まれる、21世紀の急激な政策論争の堕落を止める、反転の動きとなったのではないか。
これらをひとことで言うと、「正常化」である。日本において、久々に、政治リーダーが、「普通に」、良識的に決まったのである。21世紀の退廃した、政治、経済、社会、文化の中で、正常化へ逆行した、画期的な転換なのである。
株式市場は、今後、短期的だけでなく、中期的にも下落するかもしれない。しかし、これは、長期的には株式市場の真の発展となるのである。現在の株価は、膨張した持続不可能なものであり、金融緩和に依存した金融相場、ムードによる上昇である。
そして、株主への迎合で上昇した分、PBR(株価純資産倍率)の改善を目指すだけでは、企業の中身は何も変わらない。株主還元を増やし、これまでの企業が蓄積してきた消費者や社会からの信用を、来年の営業利益に置き換えることに邁進し、長期の持続性、発展性を二の次にすることで、株主の利益、評価を高めるだけに終わってきた。
■「正常化」に向かい、膨張部分は剥落へ
これが、本当のファンダメンタル改善、企業の長期持続へと向かう可能性がある。これこそ、株式市場、企業価値最大化の「正常化」である。バブルやムードでもなく、プレゼンだけでもなく、真に中身で勝負となるのである。
だから、膨張している部分は剥落するだろう。短期のキャピタルゲインを目指すアクティビストも減っていくだろう。世界中でブームを探してバブルを作り、それに乗るファンドも減るだろう。だから、短期には株価は、今後も下がるだろう。しかし、それは企業にマイナス、経済にマイナスであるからではない。長期の経済発展、企業発展のための「正常化」なのである。
日本経済に関しては、それ以上の転換点だ。石破氏の演説、インタビューを聞いていると、キーワードは「守る」である。
国を守る。災害から守る。国民を守る。地方を守る。農業を守る。これは、一見、消極的で、拡大・バブル戦略のアベノミクスに比べ、辛気臭く聞こえる。経済成長よりも分配。パイの拡大よりも格差縮小と聞こえる。
しかし、その「政策」が選ばれたのだ。これまでなら、メディアにこのような議論は徹底的に叩かれ、そして、人々はその雰囲気に流され、石破総裁候補は失速していただろう。「守る」ことを、社会がいまや求めているのである。したがって、これは社会全体が選好する、新しい経済発展政策、パラダイムシフトなのだ。
新しいパラダイムとは何か。それは、「社会資本・主義」である。
■「社会資本・主義」とは何か?
「社会資本・主義」というワードは「小幡造語」で、左寄りすぎるように聞こえるかもしれないが、違う。社会主義と資本主義のハイブリッドという意味ではまったくない。「社会資本」の主義、という意味であり、社会資本が社会・経済においてもっとも重要となる世界がやってくる、ということだ。
19世紀の「産業資本・主義」から20世紀の「金融資本・主義」そして、22世紀の「社会資本・主義」へ向けて、21世紀は移行期(混乱期)になるのである。
この「社会資本」とは、宇沢弘文氏のいう「社会的共通資本」をも含むが、もっと広く、かつ価値観的にニュートラルであり、1990年代に少し流行した”Social Capital”という概念のほうが近い。
つまり、経済発展は、需要の拡大によるものでもなく、供給サイドの生産力の拡大だけではダメで、社会という基盤がしっかりすることで初めて、真の地に足のついた経済発展が始まる、ということである。そのためには、需要政策でも生産性向上政策でもなく、何よりも健全な社会という土台を作り直す、という「経済」政策である。なぜなら、社会という土台がしっかりすれば、経済は長期的には持続的に自然と発展していくからである。
これは、長年の私の主張でもあるが、アメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)教授であるダロン・アセモグル氏は、現在の起きている大半のイノベーションは、一部の利害関係者が利益を独占することになっていて社会に望ましくない、だから、社会全体の豊かさをもたらす「正しい」技術革新のためには、政治による正しい方向付けが必要だ、と主張しているが(『技術革新と不平等の1000年史』)、この議論とも整合的である。
マルクス的な「経済という下部構造」という考え方とは逆であり、政府は、「正しい」方向へ社会を導くことにより経済の自律的な発展を促すのである。
そして、これは、経済至上主義、市場至上主義、金融至上主義と、どんどん倒錯してきた世の中を、社会至上主義(「社会主義」よりも本当の意味での「社会」主義)という正しい姿に戻す、つまり、これまた、膨張しすぎた近代資本主義社会の「正常化」なのである。
すなわち、政治・金融市場・経済の「正常化」へのパラダイムシフトが起きたのである。
さらに、現実的に言っても、石破政権の誕生は、日本の立て直しの最終局面、集大成となる可能性がある。すなわち、安倍氏の「デフレ脱却」、岸田政権の「新しい資本主義」、そして、石破氏の「社会資本・主義」として、3段階の日本経済発展政策は完結するのである。
■「新しい資本」主義=「社会資本」主義
岸田政権の「新しい資本主義」とは何だったのか? という疑問を多くの人が持っただろう(そして今では忘れているだろう)。これを、「新しい」資本主義、と捉えるのではなく、「新しい資本」主義、と捉えなおすのである。
では「新しい資本」とは何か。それは株主資本ではなく「社会資本」である。株主資本だけでなく、社会資本をも重視する政策、それが「新しい資本主義」であったのだ。
社会資本は英語ではまさにSocial Capitalである。日本の学界では、アカデミックな意味でのSocial Capitalは「社会関係資本」と訳すのが多数派のようだが、ここではアカデミックよりももっと広くSocial Capitalを捉え、社会資本としている。1990年代の議論では、これには、人々の信頼、社会における関係性、そして民主主義を含む社会の制度が含まれるとされた。
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