( 219048 ) 2024/10/05 23:53:54 2 00 【訃報】料理評論家・服部幸應さん(78)死去 都内の専門学校で突然気を失って倒れる 「料理の鉄人」にも出演FNNプライムオンライン(フジテレビ系) 10/5(土) 20:07 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/c125a24f21b9c4128be7e9c36c41d73d01e8f030 |
( 219051 ) 2024/10/05 23:53:54 0 00 FNNプライムオンライン
料理評論家として知られる服部幸應さんが、4日、校長を務める東京都内の専門学校で倒れ、その後、搬送先の病院で亡くなったことがわかりました。病死とみられています。78歳でした。
関係者によりますと、服部幸應さんは4日夕方、校長を務める東京・渋谷区の服部栄養専門学校で倒れ、病院に搬送されましたが、その後まもなく、亡くなったということです。
服部さんは学校内で作業をしていたところ、突然気を失って倒れたということで、病死とみられています。
服部さんは1977年に服部栄養専門学校の校長に就任し、料理人の育成に尽力してきたほか、フジテレビの「料理の鉄人」など多くのテレビ番組に出演するなど、様々な分野で活躍していました。
フジテレビ,社会部
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( 219050 ) 2024/10/05 23:53:54 1 00
服部幸應先生は、料理や食文化に対する熱意や知識、教育者としての姿勢が多くの人々に感銘を与えました。
彼の突然の訃報に多くの人々が驚きや悲しみを表しており、彼が最後まで料理の現場で活躍していたことや、調理学校で倒れたことに関する驚きや敬意が表されています。
彼の人間性や料理への熱意が多くの人々の心に残り、彼が生涯を通じて培った知識や経験が後世に受け継がれることが期待されています。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
(まとめ) | ( 219052 ) 2024/10/05 23:53:54 0 00 =+=+=+=+= 調理学校にいらした時に倒れたのか。 最後まで料理の現場に立たれてたんですね。 穏やかな笑顔が見れなくなるのはさみしいです、お安らかに。
=+=+=+=+= 料理の鉄人の解説を務めていた時に自らが挑戦者となって道場六三郎と対決したエピソードを思い出す。プロの手際の良さや発想力などを学ばせる為に自分が校長を務める料理学校の生徒達を沢山見学に招いたそうです。結果は負けてしまいましたが、勝負の後に鉄人の料理を生徒達に見せながら、「こんな調理法もあるんだね」と一流の技の凄さを生徒達が少しでも吸収して帰ってくれたらという校長としての姿を見て、彼のことを尊敬するようになりました。
=+=+=+=+= 服部先生はいつも間近にいる温かい存在感のある料理評論家でした。料理専門学校で亡くなったのはある意味役者が舞台で死ぬのが本望という気持ちが服部先生にすれば料理専門学校で亡くなるのは本望であったのかも知れない。日本の料理界に偉大な財産を残して頂き、ありがとうございました。「料理の鉄人」で共演した道場六三郎氏や石鍋裕氏も服部先生の訃報には驚きと悲しみで一杯であろう。偉大な料理評論家、服部幸應先生、ご冥福をお祈り申し上げます。あの優しい眼差しが見れなくなるのはとても悲しいものである。
=+=+=+=+= 年齢を考えれば何かあってもおかしくない年齢なのかもしれませんが、最近もテレビで元気な姿をお見かけしたばかりだったので本当にビックリしました。
料理学校で倒れられたという事で、生涯現役でおられたというのは本当に素晴らしいことだと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= 踊るシリーズでワクワクしていたとこに ほぼ同時期にブラウン管の中で活躍された素敵なおじさんの訃報…。 他の様々なニュースで「昭和が」っていう惜しむ声がありますが、 これからは時間とともに 服部先生のように、「平成初期」「バブル」に活躍された方が徐々に旅立たれていくんだろうな。 寂しくなるね。 何より、先生の素敵な笑顔、ありがとうございました。
=+=+=+=+= 亡くなり方に良い悪いはないのかも知れません。でも、あえて言わせていただければ、お見事な最期であったのではないでしょうか? ご自身が永年にわたって心血を注いで来られた場所で倒れ、生涯を終える。まだまだ、成し遂げたいことがあったやも知れません。それにしても長い間、お疲れ様でございました。 ご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= 服部先生と言えば鍋、大学入学時に服部先生が宣伝に出られていた鍋(今でも販売中)を買ってから色々な料理を作ってみたくなり、そのお陰で自炊が好きになり、20年以上過ぎた現在でも壊れることなく使っています。煮物やカレー、パスタを茹でる時に重宝しています。合掌
=+=+=+=+= 私の妹が服部先生の専門学校を出て調理の道に進み、7年くらい前に亡くなった母も私も専門学校の学祭に行き、学生さんたちが作って美味しいご飯を食べさしてくれ、食の大切さを学校の雰囲気から伝わってきて、毎年行くのがたのしみでした。コロナで中止になったりと色々と大変な中、先生なりの力で色々な生徒さんがついて行ったのだと思います。 心よりご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 服部卒業生です。 20年ほど前で当時からメディア出演など忙しかったと思いますが、代々木の校舎でよく会いました。 学校で倒れ搬送とのことで、最後までご自身の学校で活躍されていたようですね。 私は料理人の道とは違う世界に進むことになりましたが、非常に良い経験、思い出です。 ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= つい先日道場六三郎氏のYouTubeに出ていて、見たばかりだった。 確かに年齢相応にお年は召されていたけど、お元気そうだったが。かなり急な話だったのだろう。 学園の話はいろいろあったりもしたが、料理の鉄人の解説者としても、いつもマオカラースーツを着た人の良さそうな話しぶりは好きだった。ちゃんと間違っていたら自己否定するところも好感が持てた。
=+=+=+=+= 服部先生は、料理の鉄人の料理対決で食番組に一石投じた一役者だと思ってます。 現代の子供達に【食の楽しみ】を伝えていただきたかったです。 お悔やみ申し上げます。 本当にお疲れ様でした
=+=+=+=+= 木村拓哉さんのYouTubeかな?動画が流れてきて学校で木村さんが料理してて服部さんが突然来て料理たべるってのを最近見ました。 以前よりお年めされてたけど、お元気そうだったのに、残念です。 品のある話し方とか素敵でした。 ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 服部さんが校長を務める専門学校で倒れてからのこのような結果は急すぎると思う。どこまでご自身で自覚があるものだったのだろうか。 NACK5で毎週日曜昼にレギュラー番組を持っているおり、明日ももちろん放送される予定だと思うが、どこまでストックがあるだろうか。 2000年代前半に服部さんが考えたレシピが詰まった分冊百科が発売されたことがあったが、この発売を知らせるCMでの照り焼きの黄金比について語られていた様子が特に印象深かった。
=+=+=+=+= 凄く淋しいです テレビでしか拝見したことはありませんでしが どこか身近に感じられてお料理に関して話されているお姿を安心して長年拝見してきました 親世代がまた逝ってしまい哀しいです 78歳、最後までお仕事されていらしたのはさすがですね 素晴らしいです どうか、ゆっくり休んで下さい お疲れさまでした そしてありがとうございました
=+=+=+=+= これは驚き意外の何物でもありません。 先月、『料理の鉄人』で鉄人シェフとして君臨していた道場六三郎氏や坂井宏行氏のタフネスぶりがニュースになった直後だけに、多くの対戦の解説を務め、更に鉄人の方々と対戦された姿が記憶の底から甦りました。 その後も後進の育成を続けてこられた中での訃報とのことなので衝撃は大きいです。 『料理の鉄人』だけでなく『SMAP×SMAP 』の料理監修もされていたので、フジテレビ・関西テレビのFNS・FNNの記事がトップリンクにきたのはYahoo!の配慮かなとも思いました。 ご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= 不定期ながら日曜お昼の『服部幸應 WELL TASTE」聴いてます。保田圭さんとのコンビネーションが素敵でテンポもゆっくり。とても聴きやすい番組でした。日曜のリラックス出来るひとときを有難う御座いました。 御冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= 昔であれば戦場で死にたいとか言われていたそうだが服部先生は最後まで調理学校にいたんですね。メディアで食文化の発展にかなりの貢献をなさった方だと思うし、多くの優秀な調理師を育ててきたのでしょう。その功績は次世代にもきっと受け継がれていくと思う。ご冥福をお祈り申し上げます。
=+=+=+=+= 20年前服部専門学校に通ってました。 有名人としてテレビによく出られてた時でしたが、学校にもちゃんと来ていらっしゃいました。 先生が授業でデモンストレーションで作ったお料理も全て服部先生が味見チェックしてるとのことでびっくりしました。そのため先生方もデモンストレーションで本当に一生懸命料理を作って学生たちに全力で料理を教えてくださいました。先生たちは本当に熱心で、大学の4年間よりも忙しくハードな専門学校生活で充実感でいっぱいでした。 有名になられても本業を一生懸命やっておられました。
御冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= もう二十年位前になるが 老年医学会で口内調味の講義を 興味深く聞いたのを今でも覚えています
日本独自の文化と仰ってました。
無駄に騒ぐ人間が増えているこの時代に 大切なことを伝えていただいたことに 感謝して生きていこうと思います。
知識って大切ですね···
=+=+=+=+= カーラジオで、私の良く作る麻婆豆腐について服部さんが語っているのをたまたま聴いたことがあり、ボリュームを上げたことがあります。 1.「豆板醤は豚ひき肉と炒める際にしっかり熱して辛味を引き出すと旨い」 2.「木綿豆腐は切った後、1分くらい茹でてから一旦ざるにあげたものを中華鍋に投入すると、豆腐の水分が抜けて旨い」 これは聞いてすぐに実践したのですが、効果は絶大でした。 1.はいつも心がけるようになりました。 2・は余裕のある時にだけやりますが、良いことを教わったものだと思いました。 人柄の良い先生だったように思います。 ご冥福をお祈り申し上げます。
=+=+=+=+= 昭和大医学部博士課程で学位を取得した。父の服部道政氏が創設した日本初の栄養士・調理師学校「服部学園」を引き継いで「食育」文化の普及に心血を注いだ。 全国調理師養成施設協会の会長など、役職も多数歴任し。20年、旭日小綬章。
凄いよなぁ。優しい感じだけど苦労と経験が。保田圭さんとのラジオも聴いてた。年齢とすればわからんでもないが。ただ最期は料理の世界ってところも、現役貫いた。素晴らしい人物でした。お悔やみ申し上げます。
=+=+=+=+= テレビで拝見するたび穏やかな人柄に惹かれ、明快で受け入れやすいながらも決して強い口調で他者を批判非難しないそのお姿を尊敬しておりました。
これから先も日本の食文化のためにご尽力下さると思っておりましたが、残念でなりません。 先生が世を去られたことは、日本の料理界関係者のみならず食文化を享受する我々にとっても大きな損失だと思います。
先生は多くの後進の方をお育てになりました。 今後は後進の方が先生の意を受け継ぎ活躍されることでしょう。 きっとこの先も、多くの料理人と食文化を見守って下さるものと確信しております。
今までありがとうございました。ゆっくりとお休みください。
=+=+=+=+= 最後の最後まで料理教室で生徒さん達に教鞭をとっていらっしゃったのですね。 服部さんらしいです、本当に。 よく畳の上で死ねたら本望と言うが、 やはり料理を教えている場で倒れられてしまいましたが、先生には本望だったと思いました。
数々の料理番組を拝見いたしました。 穏やかな口調がとても印象深いです。
心よりご冥福を御祈りするのと同時に 本当にお疲れ様でした。
=+=+=+=+= NACK5のウェルテイスト聴いてて、滑舌や反応が少しおかしいなぁと思っていました。ご年齢もあるのかなと思ってましたが、本当に残念です。記憶に間違いなければ15年以上前から聴いてたと思いますが、毎回本当に楽しく拝聴していました。どうか安らかにお休みください。お疲れ様でした。 悲しい…
=+=+=+=+= 料理の鉄人みてました。鉄人と挑戦者には敬意をもって、解説をしておられ、興味深くみていました。中学生だった私にイタリアン幅広さと、和食の奥深さを教えてくれたような気がします。料理人にはなれませんでしたが、素材の旨みを知り、うまい店を探すきっかけになったのも事実です。お疲れ様でした。
=+=+=+=+= FM NACK5で毎週日曜日のお昼に1時間番組をされていて仕事の昼休みに車内でランチしながら聴くのが楽しみでした。 最近の服部先生は声が弱々しくなり、張りがないなぁ、と思っていた矢先でした。 これから番組で声が聴けなくなると思うと淋しいかぎりです。 御冥福をお祈りします。 先生今までありがとうございました、お疲れ様でした、、、
=+=+=+=+= なんか、グルメブームの中で活躍した人としては珍しいくらい嫌味のない人だったなという印象。教育者としての幅広い知識を披露することは多かったが、テレビでは常に視聴者側の目線に寄り添ったコメントをなさっていたと思う。旨いものを素直に旨いと言い、眼鏡に適わないものを冷淡にこき下ろす様なことはしない。食べ物に関する世界を牽引する人としてはこの上なく適した方だったんじゃなかろうか。
=+=+=+=+= 服部幸應さんは テレビ朝日の芸能人がぶっつけ本番で、与えられた食材で料理を作る
『愛のエプロン』でも評論家として出演されていました。
中にはとても料理と言えない様な物も口にされ
「う..ん、いや...、料理の世界と言うものはいろんな発見があるなと改めて感じます。」
と困惑顔ながらも笑顔でコメントされてたのが印象的でした。 数多くの料理番組の礎を築いた人と言っても過言ではないと思います。
長い料理人生お疲れ様でした!
=+=+=+=+= かなり前にマニラの空港のレストランで見かけたことがあります。 数人のお付きの人達に囲まれて歩いていましたが、その時も黒のマオカラースーツを着ていたのですぐに「服部先生だ!」とわかりました。 カミさんが 「何を食べるのかな?でも(マニラ空港のレストランでは)服部先生が満足する食事なんかできないんじゃない?」 と言っていたのを思い出しました。 謹んでご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 専門学校で倒れられて旅立たれたという事で本当にびっくりしてます。今の100年時代、70代はまだまだお若いです。学校でそうした事になったという事は、まだお元気で普通に活動されていたのでしょう。突然の出来事だと思われ、言葉もありません。料理の鉄人に出演された事での、この分野での貢献は多大なものであり惜しい方を失いました。ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 服部学園を36年前に卒業したものです。 突然のことですごくびっくりしています。 校長先生をテレビやYouTubeでも時々拝見していますが、何年経っても変わらずお元気でお若いなぁと思っていました。 78歳とのことで、元気ならまだまだこの先もご活躍できる年齢だと思うので本当に残念でなりません。先生の最期が学校内だったというのも…。 心よりご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= 突然の訃報で驚いています。死因は不明ですが、校長職でかなり無理されて いたのだろう。78歳という高齢も関係していると思う。
服部先生は以前、こちらの地域のイベントに出演され、お目にかかったこと があります。テレビ番組で拝見するより優しい印象でした。
「料理の鉄人」も4分の1世紀前。あの頃のテレビは本当に面白かった。 服部先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 お疲れ様でした。
=+=+=+=+= 「愛のエプロン」の審査員としての服部先生が強く印象に残っています。 あのやわらかい口調ではあるけど厳しいコメントにはいつも笑わせてもらうのと同時に並々ならぬ説得力を感じました。 亡くなったことは大変残念ですが、最後の最後まで料理に携わることが出来たのは服部先生としては本望だったかもしれません。 心よりご冥福を申し上げます。
=+=+=+=+= 料理の鉄人でのお姿を鮮明に記憶しております。 鉄人「道場六三郎」との戦いの際に今となっては珍しくありませんが、白いセラミック包丁を持参して挑まれていらっしゃいました。 何だかスゲ〜と思ってました。
様々な料理の用語や手法の解説に当時、中学生だった自分は新しい知識が入ってきてとても楽しめていました。
いつも明治通りを通る度に、ここに服部先生がいらっしゃるんだなと思っていました。 ご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= お亡くなりになられとても残念です 人間には死が必ずつきまとう事は避けられません しかしこれほど多くの人々が服部先生の死を悲しんでおられます 生前の先生のお姿、コメント、生き方に笑顔....本当に素敵な方でした 食べ物を美味しくいただける、作った人、生産者さん漁師さんにそれらを運ぶ運送業に小売店の方々があっての事と教わりました ありがとうございました 心から御冥福を祈らせていただきます
=+=+=+=+= ナックファイブの番組を10年以上欠かさず聞いていました。パレスホテル大宮での武蔵野銀行50周年パーティが当選して公開収録で唯一質問をさせて頂き放送もされ、貴重な体験でした。 あの時、学生食堂で働く私が学生向けにオススメのメニューはありますか?との質問に先生は「個人的にFAXしましょーか笑、最近は新大久保で韓国料理が人気なのでビビンパとかはどうですか?」とアドバイスくれました。先生が監修した食育インストラクターの資格も取りました。 思い出が沢山で本当に信じられません。ついこの間のラジオが最後なんて、、、 心からご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 料理の鉄人という番組で審査員を長年務めていらっしゃいましたね。料理そのものやその具材やレシピに至るまで先生の知識と造詣が深く鉄人や挑戦者の料理に対しても非常に味わい深い人間味のあるコメントに先生の温かいお人柄を感じました。慎んでご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 「有名料理評論家で専門学校の要職を務める先生は調理師免許を持っていない」、とゴシップ週刊誌が取り上げてマスコミが殺到した際に、「わたし調理師免許試験の問題作る側の人間なんでね・・・自分で作っている試験の免許を今さら取ってもね・・・」と会見で回答して有無を言わさず皆を納得させたのを覚えています。ご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= 10年程前イベントの懇親会で少しだけお話しさせていただいたことがありました。 とても穏やかな方でしたが、料理の話からはとても真摯で真剣に取り組んでこられたことが感じられました。若者の話もにこやかにでも真剣に聞かれていた姿にとても感銘を受けました。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。
=+=+=+=+= 小学生の料理コンテストの審査委員長が服部先生だった。 「きみは天才だね」「この料理は素晴らしいね」と、子供を傷つけることを決して言わない優しい人だった。 子供の脳は家庭の食卓で決まるというのが持論の、本当に素晴らしい教育者で、日本の食育の第一人者だった。
心からご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 服部さんといえば、自分とすれば料理の鉄人の審査員ですね。もう終わってから年月がたちましたし、知らない人が多いと思いますけどね。あと子供に対しての食育の活動も有名だったと思います。上品な方で穏やかな性格の方でした。 非常にさみしいことです。 ご冥福お祈りいたします。
=+=+=+=+= たけし軍団と素人女性がペアを組み、服部栄養専門学校にてテーマに沿った料理を作る「料理の凡人」という番組の服部先生が大好きでした。料理のあまりの不味さに激怒したり。豚肉を生焼けで提供されて怯える姿がとても良かったです。真面目な料理番組の良いのですが、思い出すのはこの番組での服部先生の面白いコメントと料理が得意でない人への優しいコメントでした
=+=+=+=+= 料理の服部先生。お名前までは存じ上げて居らず、写真を拝見し只々びっくりしています。 いつ拝見しても、とても穏やかで心の優しい方。 心から食材や食に携わる方々を大切にされている印象でした。
未だ信じられずに実感が湧きませんが、食に携わる沢山の方々の輩出をありがとうございました。心安らかに。
=+=+=+=+= テレビにもよく出ていらっしゃいましたが、服部先生は優しさと厳しさをちゃんと持ち合わせた教育者でした。 以前、調理師学校関係のイベントに出席させていただいたとき、ゲストの方の歌のコーナーで生徒たちが私語でざわざわしていたところ、一喝して場の雰囲気を締められたのを思い出します。 安らかにお眠りください。
=+=+=+=+= 服部先生の料理に沢山お世話になりました。とても感謝しております。 人生最後が、ご自身の調理学校であるのが、先生にとって最高の最後だと思います。
=+=+=+=+= かつて、「料理に鉄人」での的確な解説に感心していたものです。ラジオの番組もよく聞いていますが、(録音はいつか不明ですが)先日の放送でいつもの切れがなく、あまり話さない事に違和感があり、心配していました。天国でもあの名調子で皆さんを楽しませて下さい。ご冥福をお祈ります。
=+=+=+=+= まさに4日の18時ごろに代々木駅から新宿方面へ歩いていた時に服部先生の専門学校の前を通りました。 その時は学園前に貼られているポスターがなんとなく目について「ここにあるんだ」くらいしか思わなかったのですが、その裏では大変なことになっていたなんて。
なんとも不思議な偶然を感じますが、なにより服部先生のご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 驚きました。
服部先生、とても品のある素敵な語り口で、いろんな料理を監修してみえましたね。 個人的に、実父によく似ており、勝手に娘気分で見ていました。
最期まで現役だったのが、服部先生らしいです。 突然のことで驚いていらっしゃるだろうけど、きっと先生は、落ち着いて受け入れて、旅立たれたのでしょうね。
お疲れさまでした。 ご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= 本当に今までありがとうございました。 何の番組か忘れましたが、芸能人の人が作った料理の点数?批評?があったとき、審査員が皆生焼けでバケツに戻したりしている中、服部先生だけは料理を飲み込み、味の感想をしっかり話したのを見てプロ根性凄い、また料理に真摯的と感じたのを覚えています。 本当に料理に対して真っ直ぐで、服部先生の味の感想は本当に信頼に足る素晴らしいものだったと思います。 本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= もうだいぶ前に亡くなってしまった父と同世代です。 顔や姿も似ているのもあり、いろんな感情がこ み上げ、悲しみが大きいです。 最後まで料理の現場にいらしたんですね。 上手く書けませんが、テレビ世代なので、活躍していた方が次々この世を去るのが、とても寂しいです。 服部先生、料理の楽しさを教えてくださり、ありがとうございました。 ご冥福をお祈り致します。
=+=+=+=+= 娘が服部先生の学校に通っていました。料理のことだけでなく、例えば、エレベーターに乗り合わせた時も、乗り方、立つ場所など、周りの生徒さんに、パッと教えて「気遣い」の大切さを教えて下さったそうです。 たくさんの後進を育てられた服部先生のご冥福をお祈りします。合掌。
=+=+=+=+= 服部さんといえば私も料理の鉄人で知りました。 私の住んでいる北海道の夕張メロンゼリーのCMにも出演されていたことが思い出されます。 最後まで料理一筋で来られたことに畏敬の念を表したいです ご冥福をお祈りします
=+=+=+=+= この人が調理師免許の問題作ってるって知らなかった週刊誌が「服部幸應は調理師免許を持っていない!」って騒いだけど服部幸應さんが「問題作ってるの俺なんだけど...免許取らなきゃいけないの?」って話してて笑った覚えがある。ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 服部先生と言えば、料理の鉄人での解説者としてレギュラー出演されてましたが、料理対決がスタートすると毎回、鉄人と挑戦者がどんな料理を作るのか予想するのですが、その予想が殆ど当たりませんでしたね。 でもまぁそこが面白かったし服部先生のユニークな部分でも有ったのかなとも思いますが。 突然の訃報に残念で仕方有りません。 服部先生のご冥福をお祈り致します。
=+=+=+=+= 服部さんは各方面で活躍されていたけれど、自分にとっては「料理の鉄人」でのご活躍が一番印象に残っています。毎週見るのが楽しみでした。このニュースがFNN発信なのも(蛇足ながら料理の鉄人はフジテレビ系で放送)その縁なのかな。ご冥福をお祈り致します。
=+=+=+=+= 私も服部栄養専門学校の卒業生です、入学直後に服部校長の「耳かき一杯の塩で味が変わる」ような話をしていたのを未だに覚えてます。1番のインパクトあったのは雨の日にこうもり傘・長靴姿で学校の1階エレベーター待ちをしていたシーンです、テレビのまんま飾らない人柄だったな。 ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= 以前にイベントでご一緒したことがありました。 すごく気さくで写真も一緒に撮っていただき、仕事へのエールも送ってくださいました。
食と料理に全力でエネルギッシュにご活躍されて、日本の食業界に多大な功績を残されました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
=+=+=+=+= 岸朝子さん、陳さん、服部さんまで旅立たれたか… 道場さんもショックだろうな。自分より若い人が先に逝ってしまうのは。 服部さん、まだまだ情熱感じるくらい精力的に活動されていたものな。 まだ頑張りたかったろうな。
=+=+=+=+= 陳建一さんのときもそうですがショックが大きいです… 料理人というより食育教育者といった印象が強かったです 味の楽しみ、食べる楽しみだけではなく料理、食の様々な可能性や意義を番組を通じて示していただきました また教育者として日本の食を支える後進の方を育ててくださりありがとうございました
=+=+=+=+= 長生きされ、亡くなる直前まで病魔に襲われたり闘病生活もすることもなく、ある日突然倒れて亡くなるという、人間として理想的な死に方であり、幸せな人生であったと思います 服部幸應先生の笑顔と温和なお人柄が本当に忍ばれます 本当にご冥福をお祈りします
=+=+=+=+= 調理師学校のお偉いさんなのに調理師免許やら料理に関わる近しい免許を一つも持ってなくて肩書が料理評論家に変わるという事がありましたが、免許なんて最後まで関係ない料理を愛する人でしたね。
=+=+=+=+= 話は違ってしまうかもしれませんが、 初めてコメントを書かせて頂きます。
自分の父親は数年程前に肺癌で亡くなりましたが 大学を出てから、訳あり実家の大阪に戻り調理師学校で神田川俊郎さんが先生で教わっていたと聞きました。
もっと話を聞いていればと今では思う事も多々有りますが、服部先生の事の話も聞いた事も有ります。 何人かは料理の事を話してくれている時に毎回出ていたのを覚えています。
自身も若い頃違う職種ですが、近くに勤めていた事も有り何度もお目に掛かったりする事が有りました。
御親族や学校の方たち含め大変かとは思いますが、心からご冥福をお祈り致します。
=+=+=+=+= 50代の自分だと……… 本当に料理の鉄人は面白かったです 鹿賀丈史さんの大袈裟な司会でしたが………なぜかそれが全然大袈裟に見えず 岸朝子さんの【おいしゅうございます】 そして服部先生の解説 時代にニーズしていたのかも知れませんが、もうあれ以上の料理番組は後にも先にも出来る事はないと思っています 自分の学校でお亡くなりなったのは本当に最後まで料理に携わってお亡くなりになったんだなと ご冥福をお祈りいたします
=+=+=+=+= 大好きな料理に携わりながら、むしろもし苦しまずに亡くなったのなら本望なのではと思います。 料理の鉄人の際にはエンターテイメントとしっかりした解説とをどちらも重んじている姿を感銘を受けました。笑顔を一生忘れません。
=+=+=+=+= 亡くなった事自体はとても残念ですが、長期入院する事もなく誰かにずっと看病される訳でもなく倒れてそのまま天国に召されるのは人生の最後として理想的な形に思えます。 どうか服部先生には天国でも美味しい料理を楽しんで欲しい。 ご冥福をお祈り申し上げます。
=+=+=+=+= ご冥福をお祈りします。
NACK5の保田圭さんとの番組をよく聴かせて貰ってます。 ここ最近、服部先生の声が弱々しく感じていたので心配していましたが亡くなられてしまうとは、、、 食育の大切さを説いていた良い番組でした。
=+=+=+=+= 番組「愛のエプロン」で、料理に慣れていない芸能人の人らが作る手料理に顔を引き攣らせながらも、誰より懇切丁寧に料理の仕方を指導していたのが人柄出てました。他が毒舌吐きながら試食していた中で、服部さんは一切悪く言ってなかったし。 そういうとこ本当大事すよね。
しっかり休んでください。
=+=+=+=+= 服部先生、誰かの料理を食べた時のコメントで、否定的なことを一切言わないのよね。良いところと、もっと改善できるところやそのためのアドバイスは話されるけど。 そんな服部先生のようになりたいなぁ、と思って生きているところですが、できているかどうか、、 ご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= 驚きました。元々持病をお持ちだったのかは存じないですが、学校で倒れたのであれば、自覚症状などはなかったのでしょう。不謹慎と言われるかもしれないが、ご本人には幸せな亡くなり方をされたと思います。 長年楽しませていただきありがとうございました。
=+=+=+=+= 料理の評論番組全盛の頃から好きでした。必ず良いと思うところと良くないと思うところの両方の意見をお持ちでした。
なぜか忘れられないのが、何かの番組(確か一般人の方々も参加してたと思う)で「マヨラー料理対決」っていうのがあって、野菜のオイスターソース炒めみたいのを作るのに、いきなり中華鍋にマヨネーズを3回しくらいブチューって入れたのを見て悲鳴をあげてた。でも出来上がった料理を一口で食べて「うわー、こーれーはー。美味しいですねぇ」って言ってモリモリ食べててのが忘れられないです。マヨネーズの半分は油だし、卵のおかげでコクが出て、とかなんとかちゃんと分析しながらずっとニコニコ食べてましたwwww。
=+=+=+=+= 学校の中で倒れられて亡くなられたとの事なら、生涯料理評論家として全うをされて亡くなられたという事なんでしょうね 服部さんといえば料理の鉄人の解説ですねぇ あれがとても印象的でした 謹んでご冥福をお祈りいたします
=+=+=+=+= 服部先生と言えば、やはり料理の鉄人の印象が強い。 手厳しい論評ではなくて、いつもニコニコしながら本当に美味しそうに料理を食べて、その料理の良い所を評価する姿勢はTV越しからも本当にその料理が美味しそうに見えて、料理を食べてない視聴者としても本当に見ていて楽しかった。 あの笑顔がもう見れなくなると思うと寂しくなるね。
=+=+=+=+= 私が子供のころからよくTVで料理の楽しさを広めた方と認識しています。 私も食べることに興味がわきました。 78歳でまだ専門学校で働かれていたんですね。料理にささげた人生素晴らしいと思います。ご冥福お祈りいたします。
=+=+=+=+= 芸能人の数少ないプライベートで見かけたことある人の1人です。若い頃東京行った時に歩いていたというだけですが面白いご縁というか思い出です。お疲れさまでした。ゆっくりされてください。
=+=+=+=+= 埼玉のFMラジオ局 NACK5でこの前の日曜日も保田圭ちゃんとご自分の冠番組やっておられたので衝撃です。 明日も普通に番組表には出演予定になっているので本当に突然だったんでしょう。。 ご冥福をお祈り申し上げます。
=+=+=+=+= 大阪の辻、東京の服部といえば 日本の包才を排出し続けた名門校でした。
「料理の鉄人」も 今、世界で活躍する料理人に 大きな影響を与えたと思います。
ご冥福をお祈りします。。
=+=+=+=+= 人生100年時代なんてマスコミで言ってたの聞いたことあって確かに百歳超えてる人は増えてるんだろうけど、個人的な感覚としては、男性はやっぱりこの70代が最大の難関のような思いでいる。そんなに長生きしたいとも思わないのもある。身体も思うように動かないし、毎日歩くのも疲れるようになり階段も避けたくなる。同年代の友人に孫とかいるから成長楽しみで長生きしたいんじゃないか?と聞いたが、もう大きくなって勝手に生きてるからそんなこと思わんよと。よく老後は楽しみを見つけてとか言うがそういうのは無理やり見つけられるものでもないだろう。好きなものがあるなら自然とそれをやってるはず。 服部さんとなんの関係もないことを書いてしまったが、学園の経営もきっと後進に委ねていただろうし、78歳はまだ若いと言う人もあるかも知れないが、ご本人はもう十分だと感じてたかもしれない。しっかり時代築いたしね。
=+=+=+=+= 亡くなったことは惜しいと思いますし、残念ですが、羨ましい亡くなられかたです。無くなる直前までお元気ですか気を失われて、そのままとか。何年も闘病して痛い思い、苦しい思いをして亡くなる方が多い中、苦しまれなかったのは、せめてもの幸いかと。
=+=+=+=+= 自分も中年になったせいか、子供の頃からテレビで見ていた有名人の死亡記事に触れることが多くなった。元気に70代を過ごして80代を迎えるのってハードル高いんだなと思う。うちの両親もまさにその年代なんだけど。
=+=+=+=+= 日常的な健康状態はわかりませんが、仕事できる元気な状況でポックリ。 本人の苦痛や精神的、金銭的な負担を考える限り理想的な人生の終え方ではないでしょうか。
長年の日本の料理界への恩恵は言葉で表現しうるものではない多大なもの、ゆっくりお休みください。
=+=+=+=+= 肌つやのいいお元気な姿しか浮かばない方で驚きました。 男性の78歳で逝去というのは平均寿命より短いですがでも健康寿命 よりは8年ぐらい長いです。 仕事場で最期を迎えられたのはきっと本望だったと思いたいです。
=+=+=+=+= 確か安芸高田焼きコンテストの時に安芸高田へ行かれてるのをYouTubeで拝見したのですが、かなり弱られてる印象を受けました。 とはいえ最期まで現場にいらっしゃったのは尊敬しかないです。 心よりご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= むかーし、30年近く前の話ですが、学研から出ている「◯年のかがく」っていう子ども向けの月刊購読誌?があったんです。1年だったか、2年だったか……そのなかで、ある月に料理特集(ケーキの膨らみ方など科学的な話)があって、そこに服部先生が出ておられました。 私の母は料理が苦手でしたので“料理=難解なよくわからんもの”という認識でしたが、その特集を読んで「もしかしたら料理って面白いのかも?」と思った記憶があります。 30年近く前なので、当時40代半ばでいらしたのかな、でも今と変わらずの優しい笑みでした。ご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= 陳建一さんより長生きされたけど、この訃報が残念な事には変わりがない
料理の鉄人で料理人がやってる事や食材の特徴を素人にもわかりやすく解説してくれてたよね やはり先生をやってる人は違うなと当時は感心しながら見てた
=+=+=+=+= 【料理の鉄人】の解説で有名な方だった。 ある回では、鉄人に挑戦し敗北。とても悔しそうだったのが印象的でした。
とある特番で、【料理が出来ない芸能人対決】で同じく解説していて、あまりにも酷い料理の出来栄えに眉をひそめ『食いたくねぇなぁ』と正直にリアクションしていた。
ご冥福をお祈りします。
=+=+=+=+= TOKIOの城島茂が司会してた料理バラエティ「愛のエプロン」の審査員として出てましたよね。どんな失敗した料理でもちゃんとコメントを出してアドバイスする姿には料理評論家の中で一番好きでした。
=+=+=+=+= 料理の鉄人見てました、適切な解説でとても分かり安くこの材料とこの材料はよく合うんですよとか色々とか説明してくださったりして見ていたそうなんだと納得しながら見ていた事を覚えていますご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= 卒業生です。
免許ない事で色々批判的な意見もあったけど個人的に素晴らしい先生だったと思う。
先生の料理に傾ける熱量は半端ない物があり、最期を職場で迎えたのは先生らしいなと感じました。
ご冥福をお祈り致します。
=+=+=+=+= 20年近く前になりますが、学校の卒業式の時に一人一人に握手して送り出してくれました。あの温かい手は今でも忘れません。 料理に対する考え方、料理人としての考え方を教えて下さりました。 本当にありがとうございました。
=+=+=+=+= 卒業生です…。 先週末のラジオの声を聞いた時に、ちょっと元気が無くなったのか?微妙に喋りのおぼつかなさを感じ、年齢から来るのもかと思っていたのですが…。学生時に何度もエレベーター内で言葉を交わしたのを思い出します。 校長先生のご冥福をお祈りします。
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