( 219673 )  2024/10/07 17:02:35  
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日本「バブル崩壊」の裏に隠された大蔵省と日銀の失態…“常識では考えられない”政策の末路【森永卓郎の見解】

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) 10/7(月) 11:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/d0261c571b40ec1e42081c75da1229ac5eee276e

 

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1990年初頭から10年にわたって続いた長期不況と景気後退が「失われた10年」と呼ばれた。

その原因は、1990年代初頭に起きたバブル経済の崩壊に遡る。

日本経済はバブル崩壊後、政府と日本銀行が大規模な経済対策を行ったが、その過程でバブルが発生した最大の原因は、日本銀行の「窓口指導」だと指摘されている。

バブル期に日銀が銀行に大幅な貸出枠を与えたことで、銀行が不動産や株式投機に融資し、バブルを生んだとされる。

バブル崩壊後、財務省と日銀が金融引き締めを続け、市場価格や地価が急速に下落し、10年にわたる経済不況に繋がった。

(要約)

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(※写真はイメージです/PIXTA) 

 

1990年初頭、バブル崩壊からの10年は長期不況と景気後退が続いたため「失われた10年」と呼ばれています。バブルが崩壊してから、10年ものあいだ日本経済が回復しなかったのはなぜなのでしょうか。森永卓郎氏の著書『書いてはいけない 日本経済墜落の真相』(三五館シンシャ発行、フォレスト出版発売)より、バブル発生から崩壊後の流れを詳しくみていきましょう。 

 

プラザ合意による超円高が訪れた後、日本経済は深刻な景気後退に突入した。政府と日銀は景気悪化を食い止めるため、大きな財政出動と大胆な金融緩和を重ねる大規模経済対策に打って出た。 

 

まず財政政策を見ると、公共事業費(実質公的固定資本形成)の伸びは、1986年が3.9%、1987年が5.1%、1988年が5.5%、1989年は▲0.4%となっている。高いといえば高いのだが、とてつもなく大きいというわけではない。 

 

一方、日銀は、それまで5.0%だった公定歩合を1986年1月に4.5%に引き下げた。その後、同年3月に4.0%、同年4月に3.5%、同年11月に3.0%と急激な引き下げを行ない、1987年2月に2.5%の最低水準まで引き下げた。急激な金融緩和によって、円高不況に対抗しようとしたのだ。 

 

そのなかで、日経平均株価は1985年末に1万3,113円だったのが、1986年末に1万8,701円、1987年末に2万1,564円、1988年末に3万159円、1989年末に3万8,915円と、株価は4年間で約3倍に値上がりした。 

 

不動産価格も急騰した。全用途平均の市街地価格指数(2010年3月末=100)は、1985年に159.4だったのが、1990年には46%高の233.3となり、翌1991年には257.5と最高値となった。 

 

世間では、財政出動と日銀の金融緩和がバブルをもたらしたと言われていて、私もそうだと思っていたのだが、財政出動の規模はたいしたものではないし、公定歩合も2.5%まで下げただけだ。それでバブルになってしまうなら、近年のゼロ金利政策はもっと大きなバブルを引き起こしているはずだ。 

 

私はバブルを引き起こした最大の原因は日銀の「窓口指導」だったと考えている。日銀は、それぞれの銀行ごとに貸出の伸び率の上限を指示する「窓口指導」をずっと行なってきた。バブル期には、表向き1980年代後半には廃止されたことになっていたが、それが存続していたことを私は知っていた。 

 

というのも、私が勤めていたシンクタンクが銀行の子会社で、私が入社したころは、研究員の多くが銀行からの出向者だったからだ。そして、バブル期の窓口指導がとてつもない圧力を銀行に与えていたことが最近になって次々と明らかになってきた。 

 

たとえば、『最後の頭取─北海道拓殖銀行破綻20年後の真実』(河谷禎昌著、ダイヤモンド社、2019年)で、「バブル期には、日銀の窓口指導で各行に前期比3割増といった大きな貸出枠が与えられた」と河谷元頭取は証言している。 

 

貸出枠の伸び率は銀行によって大きく異なる。統計があるわけではないが、私が聞いた話では、少なくとも1割増程度の枠は各行に与えられていたようだ。 

 

銀行は、日銀から与えられた貸出枠は必ず消化しなければならない。そうしないと翌年の貸出枠を減らされてしまうからだ。役所が獲得した予算を必ず消化しようとするのと同じ行動原理だ。 

 

ところが、世の中は円高不況の嵐が吹き荒れていて、新たな資金需要はほとんどない。本来、銀行は不動産や株式の投機にカネを貸すことを許されていないのだが、そんなことは貸出の稟議書を書くときにうまく誤魔化せばよい。結果的に、銀行は投機に手を貸す形で、融資を拡大させていった。そのことがバブル発生の最大の要因になったのだ。 

 

しかもこの投機資金への融資はしばらくはうまくいった。株価や地価が急騰したことで、十分なリターンを獲得したからだ。 

 

しかし、バブルは必ず弾ける。暴落は1990年の年初から始まった。 

 

 

市場最高値となった1989年12月末の日経平均株価は3万8,915円だった。以降、1年ごとに年末の株価を見ると、1990年は2万3,848円、1991年は2万2,983円、1992年は1万6,924円と、株価は「つるべ落とし」で下がっていった。誰の目にもバブル崩壊は明らかだった。 

 

本来ならバブル崩壊を財政金融政策で緩和しなければならない。ところが、ここでじつに不思議なことが起きたのだ。 

 

不動産向け融資の伸び率を金融機関の総貸出の伸び率以下に抑えるように大蔵省が指導する「総量規制」を導入したのは1990年3月27日で、バブルが崩壊してから3カ月も経ってからだった。 

 

しかもこの総量規制が解除されたのは翌1991年の12月だった。バブルを抑制するために導入するのならともかく、バブル崩壊後にこんな指導をしたら、バブル崩壊後の谷を深くするに決まっている。実際、不動産の価格、とくに大都市商業地の地価は、バブル解消を通り越して、はるか深い谷(逆バブル)に沈み込んでいった。 

 

逆噴射をしたのは日銀も同じだ。バブル崩壊後の1990年3月20日、日銀は公定歩合をそれまでの4.25%から5.25%に引き上げている。さらに1990年8月30日に公定歩合を6.0%まで引き上げた。 

 

さすがに公定歩合は6.0%をピークに1991年7月1日に5.5%に引き下げ、その後1995年9月8日に0.5%となるまで、段階的に引き下げている。ただ、バブル崩壊後1年以上にわたって逆噴射を続けたことは事実だ。 

 

それどころか、資金供給の面ではもっと恐ろしいことが起きている。日銀が自由にコントロールできる資金供給量をマネタリーベース(現金+日銀当座預金)と呼ぶ。 

 

そのマネタリーベースの対前年伸び率を各年の12月の数字で見ていくと、1989年が12.6%だったのに対して、1990年は6.6%、1991年は▲2.8%、1992年は1.4%、1993年は3.7%、1994年は4.0%、1995年は6.1%となっている。 

 

つまり、バブル崩壊の後、資金供給という面からいうと、日銀は少なくとも5年にわたって金融引き締めに走ったことになる。 

 

なぜ、大蔵省と日銀は、常識では考えられない引き締めをバブル崩壊後も続けたのか。その理由は、正直言って、よくわからない。財務省と日銀が罹患している「引き締め病」のためか、アメリカからの圧力に屈したのか、明確な証拠はどこにもない。 

 

ただ、はっきりしていることは、「市街地価格指数」で見ると、6大都市圏の商業地の地価は、1990年から2000年にかけての10年間で、5分の1に大暴落した。そして、戦後の日本経済を支えてきた「株式の持ち合い」と「不動産担保金融」が崩壊に向かったのだ。 

  

 

 

  

 

 

  

 

森永 卓郎 

 

経済アナリスト 

 

獨協大学経済学部 教授 

 

森永 卓郎 

 

 

( 219675 )  2024/10/07 17:02:35  
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バブル期について、株価や不動産市況の関連性、金融市場への資金流入や不動産投機、そしてバブルの破綻が必然であると指摘する声があります。

公定歩合の低い金融政策や不動産価格の影響、日銀や大蔵省、民間金融機関の政策や管理の問題、いわゆる「護送船団方式」が功罪を生んだという意見も見られます。

 

 

バブル崩壊後の対応について、政府や金融機関、銀行の対策が適切でなかったとの批判や、日経平均最高値の状況など、当時の経済状況や行政の判断が疑問視されています。

その後のデフレに対する政策やアベノミクス、円高デフレなどの経済状況に関する分析や批判も見られます。

 

 

さらに、個人レベルでの体験や観察を通じて、不安定な時期の影響や政府の対応に対する意見や疑問が述べられています。

また、経済学者の責任や、国の方針による影響など、様々な視点が存在しています。

 

 

総じて、バブル期やその後の経済状況について、政策、金融機関、個人の責任など幅広い視点からの意見が寄せられています。

(まとめ)

( 219677 )  2024/10/07 17:02:35  
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=+=+=+=+= 

少し認識が違う点があります、株価と不動産は分けて考える必要があります、しかし現実は不動産を担保に金を借りて、株式市場に流れ込んでるお金がかなりありました、不動産も投機の対象となってお金を借りて土地を買い、それを担保にまたお金を借りて土地を買うという土地転がしが行われてました、株も土地もお金を借りてババ抜きが行われてたのです、これは必ず破綻します 

 

公定歩合の2.5%は当時のインフレ率と潜在成長率を考えると、デフレ時代のゼロ金利より低い可能性があります、金を借りて利息を払っても株価や不動産はそれ以上に上がるのです、当然皆がこぞって投資に向かいます 

 

当時のCPIは円高による輸入物価の押し下げで低かったのですが、資産バブルは起きてました、日銀はここを見逃したのです、また民間金融機関の与信管理がズサンだったこと、この2点が主な要因と思います 

 

中国が同じような状況です 

 

=+=+=+=+= 

これが「護送船団方式」の功罪なのです。 

他にも、海外へ、日本の金融市場、保険事業など、開放してしまった事もあります。 

高い金利は、海外の投資家の食い物にもなりました。 

ブラックマンデーで海外市場は、僅か、数か月で回復をしたが、日本は逆の対策を行ったために、失われた10年に突入してしまった。 

また、アメリカからの介入、圧力も忘れてはならないと思います。 

 

=+=+=+=+= 

>> 私はバブルを引き起こした最大の原因は日銀の「窓口指導」だったと考えている。 

 

裏にこのような今では予想出来ない日銀裏指導が当時はあったんだと驚きました、 

たしか記憶で地銀も借り手が足りないとアナウンスしていたことがよみがえる行き場のない資金が実体経済をこえていた。 

 

当時銀行は不動産担保で湯水のごとく融資していたのには指導があったのかと改めて思い起こされます。 

 

バブルの崩壊は諸説あるが1992年だという事がよく言われますがこの記事をみると1990年末ごろなのかと改めて感じます。 

バブル崩壊後の経済も1995年ごろまでは緩やかに動いていた記憶もあるが 

事実は逆バブルにアクセルを踏んでいたんだと改めてわかります。 

 

=+=+=+=+= 

1990年初頭は不動産取引のみ規制すれば良かった物を 

投資全般を規制したのが失敗の始まり 

その後需要不足に陥るも金利政策の方向は変えず 

需要不足に苦しむ 

そこでも公共投資でカバーしなければならなかったが 

今日に至る現在迄需要不足があるにも関わらずに継続 

 

特段セオリー通り、数字に着目した政策をすれば良かったが 

数字を信頼してなかったのか何なのかは不明だけど 

結果としたら官製不況と言えるのかと 

 

=+=+=+=+= 

三洋証券だったかな?倒産?を大蔵省が軽く見てその後に金融市場が凍り付いたと聞いた。 

大蔵省のエリートも優秀ではないなとその時思った。 

 

日銀の三重野総裁も、「平成の鬼平」と称賛されて舞い上がって利上げに邁進し、バブルが崩壊した。 

 

=+=+=+=+= 

政治家も日銀も銀行もバブル崩壊後の対処法をイマイチよく分かってなかったんだろう。友人もある時払いでいいよ〜って仕入れしてた物がある時今月中に今までの買掛金全額払えって言われて資金繰りに走り回ったって言ってたし。全国でそんな事が起こっていたんだろう。銀行を信用しなくなった企業は内部留保を貯めに貯めて現在に至る。もともと心配性の国民性も相まって政府が国債を発行して信用創造をおこしても民間は貯蓄してしまう悪循環に陥ってしまった。 

 

=+=+=+=+= 

バブル崩壊時の日銀総裁は三重野さん、その前任は澄田智という人でした。澄田智さんの父親は、陸軍中将の澄田𧶛四郎という人。父方の先祖は伊予国宇和島藩士の家系です。陸軍軍人の澄田𧶛四郎さんは、フランスにも留学した事のある陸軍のエリートでしたが、中国山西省日本軍残留問題に関わっています。終戦時、自分の部下であった日本兵2,600名に対し大陸に残るよう残留命令を出し、中国国民党系の閻錫山の配下で戦闘を続けるよう命じたというのです。澄田𧶛四郎は飛行機で日本に帰国しましたが、残された日本兵2,600名は、敗戦後も中国で国共内戦を戦い続けたのです。この残留は澄田𧶛四郎と閻錫山との密約に基づくものだったという説があります。 

 

=+=+=+=+= 

こんにちは、バブルが崩壊して山一が倒産したのは、漸く日本が、今の世の中に追いついて来ようとした私が、高校の時で、それ迄は、銀行にお金を預けると金利がちょっとだけついて増えていましたが、社会人に成る頃には、それも無くなっていて、自分達の時代から就職が厳しくなり、就職氷河期と呼ばれる様に成りました 

 

=+=+=+=+= 

バブル崩壊で内需が減退した所へ緊縮財政をブチかましたからでしょ。加えてバブルへの過剰な反省から日本国はデフレ「政策」を維持し経済成長を放棄。物価を抑え込む事を至上命題にしてしまいました。それを転換する機会もありました。小渕恵三元総理がそう。彼のゼロ金利政策や財政出動で日本経済に立ち直りの兆しも見えたのですが残念な事に志半ばで急逝。日本はまたデフレ政策に逆戻り。そして安倍政権がアベノミクスを提唱し今度こそ、と思っていたら直ぐにアベノミクスを放棄。金融では大規模金融緩和というフルアクセルを踏んでくれたけれど財政では消費税増税と緊縮財政でフルブレーキを踏み日本国はまたもデフレ脱却に失敗してしまいました。 

 

=+=+=+=+= 

円高デフレはアメリカと日本の公務員に都合が良かったから30年も続いた。 

円高は日本からの輸出を抑え、逆に日本からアメリカに工場を移設できる。 

デフレは、日本の公務員の実質賃金を上昇させる。 

この二つの理由が、円高デフレを30年間も財務省が続けた理由。 

 

 

=+=+=+=+= 

バブルは銀行や証券や不動産が、価格には天井が無い永久に上がり続けると笛や太鼓を叩いて踊ったのは自ら招いた事ですよ。バブルが弾けて破綻は当然ですね。破綻した彼らに金融緩和して更に金を貸して行くはずが有りません。その後は銀行を救うために公的資金=税金を投入し更には銀行の預金者への利息を限りなくゼロにして負担を減らしました。 

 

=+=+=+=+= 

日銀財務省は過去の金融政策財政政策を総括し国民に提示してもらいたい。 

明らかな失敗を認めるべきだ。 

ほとんど金融素人の財務官僚、日銀理事、新聞記者。 

私は内外の金融機関にいたがかなり差を感じる。 

アメリカではマスターやドクターがやる専門職。 

日本経済をここまで低成長にした責任は多大。 

 

=+=+=+=+= 

バブル後の経済政策の失敗が大きかった。政府と日銀は得意満面で引き締めを行ったが大間違いだった。これを反面教師として米国はリーマンショックをうまく乗り切った。日本人はロジックに弱く雰囲気に流される。 

 

=+=+=+=+= 

周辺諸国が発展途上国だったから、円安で大きな利益に繋がったんでないの? 

現在は環境が異なるよね?円安=コスト高なんで、喜んでばかりいられないです。人口爆増させない限りはジリ貧で真っ暗な未来しかないでしょ。 

円安も円高も外的要因が多いのだから、一喜一憂してないで足下をよく見て政治するのが正解だと考えます。 

自民党と統一教会…法律で強制的に結婚させて子供作らせる気かな?合同結婚式とかやってたよね。 

 

=+=+=+=+= 

>大蔵省と日銀は、常識では考えられない引き締めをバブル崩壊後も続けたのか。その理由は、正直言って、よくわからない。 

 

これ本気で思っているのであれば、経済の勉強し直すレベルの無知さですけど。 

バブルで銀行が倒産寸前になったことは、周知のことでしょ。 

引き締めどころか、貸し剥がしを進めましたよね。自分達が生き残るために。 

今、各企業が内部保留を高めている理由の一つですよ。 

銀行は、会社の危機には、真っ先に資金を引き上げます。 

会社が生き残るためには、自己資金を十分確保する必要があるのです。 

 

=+=+=+=+= 

プラザによる円高不況、と余剰資金の行き場が原因なのでしょうね。そもそも円高は不況の一因ともなるのに、今回は円安でギャーギャー騒いでた。あほかと。元大蔵の髙橋先生も崩壊の原因となった通達に関わったと言ってたな。崩壊後にバカの一つ覚えのように引き締めが優先されてきたのも、デフレの原因でしょう。なんで流動的に機敏に動けないのかね~。で、1997年に3大引き締めで平成不況を不動のものにした。低成長が続き世界に置いて行かれたという。アメリカも半導体協定でプラザと同時期に日本潰ししてたし、仕組まれた観もあり、ATMと実験場を兼ねていたのでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

最近ひさびさにバックトゥザフューチャーを観たが、主人公が「日本製が最高なんだぜ」って言うシーンがあった。バブル期は、当時アメリカの名作にまで宣伝できるほど金があり、異常だったと思う。日本の国力低下は意図してでしょう。 

 

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後出しじゃんけんかな? 

総量規制を導入したのは1990年3月27日でバブル崩壊してから三ヶ月も経ってからだと書いてあるが、株価よピークが1989大納会の日だったのがわかるのは後のこと 

1990の3月の時点でバブルが崩壊したなんて大半が思ってなかったのでは? 

まだまだ地下は上昇を続けていて地下をなんとかしろってのは国民の声だったのは事実 

森永さんは経済評論家としてはすばらしい部分あると思いますが日航123便墜落事故で陰謀論信じてしまっているのは残念です 

 

=+=+=+=+= 

よくこんな知識で経済評論家を名乗れる。相変わらず憶測、推測の域をでない話しばかり。 

バブルとは後になってからあの時がそうだったんだと分かる話しで、その渦中では分からない。 

1989年末の日経平均最高値が下がった3ヶ月後なんて世間はバブル景気真っ只中でバブル崩壊を口にする者等、誰もいなかった。元々、当時の日本には不動産価格は下がらないと言う神話が有った。理由は、経済成長するに連れて人口は右肩上がりで増加し、平地面積の限られている日本の土地は需要を賄えない。従って、不動産価格は下がらないと信じられていた。バブル崩壊の張本人は間違いなく総量規制だが、不動産価格の大幅下落で貸し付け担保が下落し、それが原因で銀行の財務内容が悪化。それに連動して貸し付け条件が厳しくなり、企業の資金繰りも悪くなり経済活動が停滞。それらが、全ての投資商品に波及してバブルが崩壊した。山一証券破綻で金融不安が表面化した。 

 

=+=+=+=+= 

よく倒産した企業の経営者が、この当時のことについて大蔵省が~日銀が~という話を持ち出すが、基本的には経営者の失敗だ。 

 

当時、銀行や系列のいわゆるノンバンクとの業務上の取引が多かったが、破綻した会社には甘い見通しのもと勝手なストーリーを描いて猛進したという共通点があり、これを〇〇が悪かったと誰かのせいにしたいというのも共通点。 

 

森永さんの話も、大蔵省が~日銀が~という類のものが多く経営者の行動をきちんと分析していない。 

 

 

=+=+=+=+= 

日銀で止められたか? 

政府でも日銀でもバブルは止められなかったし、その後も銀行を守ったのは仕方が無いだろう。 

バブルの影響が無かった人は、崩壊後の悪影響も無かった。 

そもそも金融政策で日本を変える事は不可能。 

評論家も自分のビジネスを優先するように延命しているだけ。 

 

=+=+=+=+= 

森永さんはこういう素晴らしい分析やリポートを書ける極めて有能なエコノミストなのです。 

なのに根拠のない投資敵視や暴落煽りをするのは解せない。とても損しています。まあ息子さんが真っ当なので良いですけど。 

 

=+=+=+=+= 

お役人様方は金融系企業を手玉に取って、右向け右ってな具合でうまいこと操りながら、付いてこれなそうなところを見せしめにぎゃふんといわせて市場を操作してきたってところか 

その頃から始まった間違いが今のこの国を貧しくさせたと感じる 

結局政治家の無知から官僚の良いようにやられたってところかなと 

いずれにしてもその罪は軽くないと思うけどね 

 

=+=+=+=+= 

当時はバブルという認識自体が希薄だったのよ。 

実際、数年間はそれなりに景気は維持されてたし、まあ、一過性のものであるという雰囲気が強かったよね。 

 

この人は、今更カビの生えた時代の問題を掘り返して何したいんだろうね。死ぬ前に財務省への恨みを吐き出したいのかな。 

 

=+=+=+=+= 

大藏省の総量規制は前年末の株取引に対する通達と合わせてべつに悪くはないと思う。 

この二つでバブルを軟着陸は出来ないまでもなんとか着陸軌道に乗せた。 

不動産と株という資産市場のバブルに対して守備範囲外の日銀がしゃしゃり出て逆噴射(金融引き締め)をかましたから墜落して大惨事になった。 

三重野の大罪だよ。 

 

=+=+=+=+= 

アメリカの不景気対策を助けるために、引き締めが出来なかったことの反動だろうね。原因を内側だけに求めるのは病気だね。外圧との関係が見えなくなる。 

 

=+=+=+=+= 

バブルと崩壊は仕組まれたということらしい。急激な株高にも関わらず、利上げのペースを遅らせ市場を沸騰させておき、下がった後は利下げを遅らせ回復させない様にした。何のために?日本潰しに決まってます。誰が?グローバリストたちです。ザイム心理教もその手下。と教わったよ。 

 

=+=+=+=+= 

しかも相続税は1990年なら1月1日の地価最高値で税金計算し土地売買は数年後が実態である…延滞税がかかり資産持ちは壊滅状態になったのである 

 

=+=+=+=+= 

世界各国が金利上げない中で金利をあげないで円の価値を落としたのも大失態と言われる時期が来るやろうな。 

日本だけ賃金もあがらんないしな。 

 

=+=+=+=+= 

銀行が採算なんか考えずに貸しまくったら返せなくなった、それで銀行が潰れたんじゃないか、だいたい金貸しが借金を回収しないのが悪いし採算考えずに貸しまくったらそりゃ借金踏み倒すやろ、借金踏み倒す奴らに甘すぎだろ 

 

 

=+=+=+=+= 

財務省が積極財政に抵抗するのはこのときの失敗があるからではないか 

自分たちで仕掛けておいて失敗したら国民に責任を押し付けて緊縮財政を固持することになっているように思う 

そういう官僚のプライドで日本が停滞しているのは愚行だ 

 

=+=+=+=+= 

この頃、郵便局の定額貯金の利率は、8%だった。株に手を出さなくても10年預けておけば、ほぼ、2倍になった。古き良き時代。 

 

=+=+=+=+= 

三重野さんが完全に失敗した結果、潰れなくてもいい企業まで潰してしまった。自分に酔って、大きなトレンドを見失った。 

 

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当時の財務省日銀の政策担当者は、国民に当時の政策について説明する義務があると思う。 

 

=+=+=+=+= 

日本の経済学の間違いで、日本国民は地獄を見ました。この失敗は未だに改善されていません。 

 

=+=+=+=+= 

なんや原因知らんのかい_(┐「ε:)_ズコー 

俺はなぜバブル崩壊したか知ってるけどな、あの当時崩壊すると当てた極わずかな人間の1人だからね。 

 

=+=+=+=+= 

ドバイの平均年収一千万円、日本の平均年収四百万円、どこでどう間違えたのか 

 

=+=+=+=+= 

当時の日銀の三重野康、アメリカいいなりの宮澤首相この2人の罪は限りなく重い。 

日本を二流国家にした元凶と言っていい。 

 

=+=+=+=+= 

円高不況と言う言葉もある。 

だから日本は円安志向になったか 

 

=+=+=+=+= 

これ、失態ではなくわざと(◯◯に言われ?)という噂も流れましたよね、日本国を衰退させるため 

 

 

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引き締めをやった、日銀三重野総裁をマスコミは絶賛してたんだがw 

 

=+=+=+=+= 

おかげで地価が適正価格になったともいえる 

 

=+=+=+=+= 

失われた10年…今もまだ続いてる気がするんですが 

 

=+=+=+=+= 

何だか結果論を述べている様にも見える。 

 

=+=+=+=+= 

平成の鬼平ならぬS級第戦犯三重野康日銀総裁 

バーナンキ氏や高橋洋一氏が聞いたら大笑いするようなデタラメ”インフレなき経済成長”とか意味不明の発言をし続けバブル崩壊後も緊縮財政を続けた結果デフレスパイラルを招いてしまった 

ところが今でもこの発言を是として動くためにせっかく安倍首相が進めてデフレ脱却路線のリフレ政策の結果が表れつつある状況で元に戻そうとする木(金利上げろと言う銀行)を見て森(国民生活)を見ないこの状況は財務省の経済オンチ状態は実に馬鹿なところなんだよなぁ(溜息) 

 

さらにゲルは経済はからっきしだから財務省のいいなり 

ホントヤバイ 

 

=+=+=+=+= 

景気後退局面で金融引き締めって、学生時代には知らなかったことを記事で初めて知ったのですが、大蔵省も日銀も東大出身ばかりなのにアホ丸出しですね。あ、経済学部でなく法学部ばっかだからお金を扱うの経済オンチばかりなのかな。 

 

=+=+=+=+= 

平成の鬼平成と呼ばれた三重野日銀総裁は 

ブレーキを踏んで減速しても尚且つブレーキをベタ踏み。 

火盗改方長官ならず、経済火付け役であった。 

 

白方日銀総裁もアカンやつやったなぁぁ~ 

 

今の植田日銀総裁もアカンだろう️ 

 

三大日銀ア○総裁を見たよぉぉ️ 

 

 

 
 

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