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善意で成り立つ“こども食堂”をどう支えるか 食べ物を転売する子、貧困を隠して行かせない親 当事者に聞く現状

ABEMA TIMES 10/7(月) 12:04 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/188c2c210e8ae61ce5754a8f6f98d9a17321c62e

 

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「こども食堂」は貧困や孤食対策になる食事を提供しつつ、子どもや保護者の交流の場でもある。

しかし、利用者の問題に直面することもある。

大阪の「たこば」では、10円のたこ焼を100円で転売する行為が起き、ルールが変更された。

一方で、貧困層の中にこども食堂を利用したくない親もいる。

NPO法人によると、こども食堂は年々増加し、2023年には9132カ所が存在し、運営者は市民活動やボランティアが多い。

資金は企業や自治体の支援、クラウドファンディング、寄付、補助金などで賄われている。

(要約)

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こども食堂 

 

 子どもや保護者が食事しながら交流する「こども食堂」は、貧困や孤食対策にもなっているが、困った利用者も増えている。大阪のたこ焼店「たこば」では、通常6個480円のたこ焼を期間限定で10円にしたところ、「中学生が10円のたこ焼を、小学生に100円で転売していた」「一緒に来店した親からも『10円にして』と言われた」といった問題が起き、ルール変更を余儀なくされた。 

 

【映像】6個で10円!→転売で100円 こども食堂で出されたおいしそうな「たこ焼き」 

 

 一方で、貧困層の中には「他人の施しを受けたくない」「貧しいと思われる」などを理由に、こども食堂を敬遠する親もいる。『ABEMA Prime』では、善意で成り立つこども食堂を支えるためにどうすればいいか、「たこば」店主らと考えた。 

 

こども食堂 

 

 こども食堂は2012年に東京都大田区で誕生した。都では「子どもや保護者がバランスの取れた食事をとりながら相互に交流する場」と位置づけられている。利用対象は、子どもだけ、保護者も、誰でもなどがあり、実施方法も月1回、毎週日曜日、毎日などがある。いずれも無料または低額での提供が一般的だ。「こどもの貧困対策」「孤食・個食などの回避」「世代間交流」「地域交流・地域づくり」といった役割を担っている。 

 

 こども食堂の数は年々増加し、認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえの提供資料によると、2023年には9132カ所が存在している。参加人数の累計は1584万人、うち、こどもは1091万人(いずれも推計)にのぼる。 

 

 むすびえによると、運営者は市民活動・ボランティア55.1%、NPO法人16.6%、個人13.0%、社団法人4.5%、社会福祉法人4.0%などの割合だ。運営形態は、会食(参加者が会場に出向く)、弁当持ち帰り、フードパントリー(食材を会場に取りに来る)、宅配(弁当・食材・日用品を届ける)といったものがある。 

 

 運営資金や物資はどこから来るのか。まずは、企業・団体の物資支援・クラウドファンディング・寄付などがある。また、規模など条件はあるが、国・自治体からの補助金も存在する。例えば、東京都では月額4万円(上限年間48万円)の「子供食堂推進事業」があり、大阪府でも運営者に対し食品セットを配布している。 

 

 

大阪のたこやき店によるこども食堂 

 

 「たこば」店主の島田良太さんは、「いろんな人からの助けがあって続けている状態だ。食材費が圧倒的に苦しい」と語る。たこばのこども食堂は「月1回ペースで、たこ焼6個が10円や50円になる」。SNSでも告知して、「8月は1日100人くらい来た」という。 

 

 親からは「電気代などが高く、ちょっとでも食費を抑えたいから」と喜んでもらえた。しかしながら、材料費の負担や「1人でやっているため、たくさん来ると困る」といった悩みもある。また、「うちでは中学生以下だけが対象だが、理解してもらえずトラブルが起きた」とも明かす。 

 

 その一例が“転売”だ。「中学生が『代わりに買いに行く』と言って、10円のたこ焼きを100円で売って90円の利益を得ていた。買った子が『本当なら10回買えたのに』と母親に言って、連絡を受けた。転売したのは毎日来ている子で、『あかん』と正直に注意した」。 

 

 開始当初は「1日に何度来てもいい」としていたが、トラブル後は「1日1回」に変えた。「できれば店内で食べてほしいが、店内に中学生がいて、中学生が怖いなどの場合は『持って帰ってもいいが、家で食べて』と言う。少しでも怖い言い方をすると、すぐ泣いてしまうので、できる限りやさしく、こども目線で話すようにしている」と説明する。 

 

 山梨県立大学講師の関屋光泰氏は、自身でもこども食堂を運営しているが、同じく転売被害にあったことがあるという。「メーカーから食料品の提供を受けて、配布する“フードパントリー”を行ったら、直後にフリマサイトで転売された。事情があるのかもしれないが、メーカーの厚意や信頼があってのもので困ってしまう」。 

 

こども食堂とは 

 

 ギャルタレントのあおちゃんぺは、「こども食堂は、空腹を満たす場よりも、ひとりぼっちで食べている子が、周囲の大人たちと一緒に食べることに意味がある。食卓を囲んで、学校や友人の話をすることが大事だ」と語る。 

 

 加えて、「見えない貧困」ではなく「見せない貧困」の存在を指摘する。「親にプライドがあると、『かわいそう』と見られたくない葛藤もある。貧乏だと思われたくない親を、どうつなげていくかが重要だ」。 

 

 モデル・商品プロデューサーの益若つばさは、こども食堂に「貧困のこどもたちに届けたい」といったイメージが付いている現状があると考察する。「貧困の子が『恥ずかしい』と思ったり、親が行かせたくなかったりする話があるなか、たこばの試みは“たこ焼パーティー”のようで素敵だ。階層に関係なく、いろんな人が参加できる」と評価する。 

 

 こども食堂には「支え合いの意味合いもある」と関屋氏は説く。「ボランティアを行う側も、子育てやシングルマザーのように、自分自身にも余裕がない人たちは多い。支え合っている趣旨を伝えながらやっていこうとしている」。 

 

 

こども食堂 継続に不安? 

 

 島田さんがこども食堂を始めたのは、「こどもたちがたむろできる場所がない」という危機感からだった。「昔は学校や塾の帰りに来てくれる子が多かったが、今は学校も塾も『ダメだ』と言い、それを真面目に守る」と時代の変化をなぞる。 

 

 お笑い芸人のケンドーコバヤシは、まさに「たこ焼屋でたまっていた不良少年」だった。「そういう場で、こどもの社会すべてを学んだ。逆に公的な支援があるところには、顔を出しづらい。子どもたちが集まって、自由にルールを作る場所は楽しい」。 

 

 あおちゃんぺは「貧困のループで、お金の稼ぎ方がわからなくて、転売をする子や親もいる」と考える。益若も「周囲の常識が、自分の常識になる子も居るのでは」と問いかける。これらに関屋氏は「貧困の世代間連鎖にならないよう、違う大人とも対話できる場としても、こども食堂には意義がある」と返した。 

(『ABEMA Prime』より) 

 

 

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子供食堂に寄せられた意見や事例では、善意の支援から転売や節約目的の利用、親子での利用の問題や、経済的な側面や社会の問題が取り上げられています。

また、子供食堂を利用する側には審査や取り組みの見直し、参加型や交流の場としての発展などの提案もあります。

 

 

こども食堂を通じた地域の交流や支援の重要性、貧困対策や子どもの食事に対する課題、善意の行動の限界などが議論されています。

また、個人や地域での取り組みに対する肯定的な意見や、より良い運営や参加体制の模索などが示唆されています。

 

 

(まとめ)

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=+=+=+=+= 

子供食堂で今は材料の手配から料理、配膳、後片付け、全て善意の第三者がやっているが、その仕事がどれだけ大変か、子供達にもやらせてみれば良いと思う。 

お客さんの立場でやってもらえるものだと思ってから、その意味もわからない。 

包丁の使い方を教え、ご飯の炊き方を覚えさせたて子供達にできる所は参加してもらえば将来の自立にも役に立つのではないかと思う。 

 

=+=+=+=+= 

金銭的な善意、場所提供の善意、時間の善意によって成り立っているにも関わらず、こういった行為が起きていることが残念で仕方ない。 

 

善意の支援者の気持ちを考えた時「支援を止めよう」と思わせることがないように「気持ちよく善意を受けてほしい」と感じる。 

 

一部の子ども食堂だけなのか、大半なのかは分からないが、大切な善意のセーフティネットを無くさないため、包括ルールと個別ルールをしっかりと決めて、皆が気持ちよく暮らせる社会を作っていきたい。 

 

=+=+=+=+= 

善意と言えども、この善意のボランティア(こども食堂)を利用するルールとして、無償又は低価で得た弁当等を転売してはいけない!などの取り決めをして利用者へ説明し、ルール違反があった場合は出禁にする!などのことまで周知すればよいのかなと思います。特に子供にはなぜこども食堂で得た弁当等を転売してはいけないのか、理由(教育)も含めて説明することが大切だと思います。 

 

=+=+=+=+= 

割と近所に食材など無償提供を募って非常に安価にお弁当を提供しているところがあって、夏休みの時に、うちの子どもが興味を持って買いに行ったのだけど、 

なぜ安いのか、なぜそんなところがあるのかを子どもに説明した。 

その理解をしてもらったうえで、普通の子どもも積極的に行って、そこからおいしかったよと周りに拡散してあげると、きっと必要としているところにも届くだろうという話もした。 

 

ちょっとしたことでも、善意の行動が広まってやさしい世界になれば良いと思う。 

 

=+=+=+=+= 

先日お蕎麦屋さんで昼食を取っていたら、隣に座ったサラリーマンの2人組の片方の人が、「節約したい時は家族で子供食堂に行き、奮発したい時は高級レストランに行く」という話をしていて、ちょっと耳を疑いました。子供食堂ってそういう人達のためのものではないのでは?親子で利用することは構わないけれど、節約のために使われる場所ではないはず。そんな使われ方をしている人がいるのかと思うと、ちょっと悲しくなりました。 

一方で、本当に利用してい欲しい人が行くことを躊躇しているということも、何とかしなければいけない課題だと思います。まともに3食食べられない子供が6人に1人もいる状況、貧困国でもないのにおかしいです。 

 

=+=+=+=+= 

私は、人間の本質は悪であると思っている。だから、子どもが食べ物を転売したとしても「まぁ転売する子どももいるだろうなぁ」と思うだけで、あまりショックは受けない。排除アートのような方法だが、たこ焼きを持ち帰り禁止にして、その場で食べる終わらせるようにすればどうだろうか。物理的に転売出来ないようにするのだ。 

もちろん、子どもの善意を信じて、たとえ転売されたとしても販売を続けるのも、それはそれで尊い。しかし、注意したとしても転売は無くならないのではないだろうか。せどりのシステムはもはや小学生にまで浸透している。あいつらポケモンカードで何万も稼いでるんだぜ。そのうち、転売をする子どもに対して怒りが湧いてくる。 

だから、提供する側にも神父のような寛大な心と覚悟が必要になってくる。しかしそんな人徳を持てる人間は限られてくる。私には無理だ。やはり、物理的に制約を設けるしかないのだろう。 

 

=+=+=+=+= 

うちもひとり親。子ども食堂の案内と、就労支援の案内と共に役所から届く。 

 

先日、たまたま子ども食堂が空いている日に前を通った。とてもじゃないけど子どもだけで行かせられる雰囲気ではなく、覗いた限り大人しかいなかった… 年金が少ないとか生活保護とかなのか事情は分からないけれど。 

うちは利用する予定はないけれど、意地悪な見方をすれば あそこに出入りするのを同級生に見られたら……イジられそうだとも思った。 

 

本来の目的を達成出来ているのか疑問なのと、親は子どもの衣食住に対して責任があると思った。 

 

=+=+=+=+= 

テレビで子ども食堂のニュース見た時、両親と子供2人の家族4人で来てて「安くて助かります〜」って言ってるの見たとき、これは違うんじゃない?と思いました。安く済ませるために人の善意を利用してるだけな気がしました。 

こんな言い方をしては何だが、「行けば安く食べ物がもらえる場所」という位置付けではよくない気もする。苦労しなくても人の善意で生きていけることを覚えて欲しいわけでもないでしょうし、実際にされている方はホント、たくさん食べて欲しい、食べるもので困って欲しくないという善意だと思う。 

 

CMで「魚をくれるのか、釣り方を教えてくれるのか」みたいなのあったけど、食べ物をもらうだけじゃなくて、それがどうやって作られているとか、そういうのも教えられる場所なら少し違うのかなと思います。単純に行けばもらえるとか、人からの善意をお金にするとかそういう、善意がためにならない方向に向かうのは避けたいですね。 

 

=+=+=+=+= 

こども食堂を利用する人達みんなに、ボランティアして貰ったら良いんじゃないのかな。 

人は皆何処かでプライドが有ると思ってる。無償提供に気が引けるのは理解できるし、転売する様な人達もいるなら尚の事、自分達で人の役に立つ事で食事提供して貰える事も学びに繋がる。 

 

社会に出れば、働かなきゃ生きていけない。皆が皆生活保護になったら国家破産するよ。 

人の役に立つ事が身に付いた大人達を日本社会は、育てる事が先決だ。 

 

=+=+=+=+= 

自分が食べた後の片付けとか皿洗い、食堂の掃除とかそういう事を手伝わせてやった子に食事を食べさせるようにしたらどうかと。 

最近は上げ膳据え膳で何でも施して貰って当たり前の感覚の子供が多いように感じる。 

別に子供に奉仕させるとかじゃないけど、生きていく上で当たり前の「勤労」を少しでも子供のうちから学ぶべき場所であっても良いんじゃないかと思います。 

付き添いの親は別問題だよね、子供と一緒に来たから何だというのかと。 

他人の善意を都合よく解釈する大人は実費精算で良い。 

 

 

=+=+=+=+= 

モラルの問題ですね。買える人だけの引換券とか身分証明書とかの提示にしないとまた起きますね。本当に困っている人に行き渡らない。中には親の金銭感覚問題で子供が惨めになっていることもありますよね。親が真面目に働かなくて困っている子供もいますよね。結果、やはり親のモラルだと思ってます。 

 

=+=+=+=+= 

発足当初の貧困家庭やネグレクトの子に食事を提供するという理念から 

大人も子供も誰にでも食事を提供する方に方針転換した時からこうなると思ってました 

たまにニュース番組内でも放送されていたが大人がいくつも弁当を袋詰にして持ち帰ったりして 

さすがにこれは酷いな…という印象でした 

 

CMのように大人も子供も利用できる喫茶店やファミレスのような形は本来の食事支援とは違うと思う 

 

=+=+=+=+= 

学校の先生に弁当を受け取った事を伝えて良い子に限定してるお弁当屋さんがある。親には内緒でも良いルールで。 

 

行政の救いの手に引っかかる仕組みを持ってて、先生達から困ってそうな子供に「長期休みで困った時、合言葉と名前を伝えると、あの店の人にお弁当で助けてもらえる」と声をかけるらしい。 

 

その店には、そのための小さな募金箱があるんだけど仕組みを常連は知ってるから、みんなしれっと入れていく。時には先生も。年末年始で店が休む時、沢山持たせたり、クリスマスや子供の日は特別に良い物が入ってるみたい。 

 

=+=+=+=+= 

以前テレビで子供食堂を取り上げていました。その子供食堂を利用している人達にインタビューしていたのですが、皆さん若くて共働きで食事作る事がしんどい時があるからありがたいと言ってました。 

この場所がお母さん同士のコミュニティの場になるといいと、悩みとか相談できる場になるといいと言ってましたが、それはそれで良いと思いますが、もっと切羽詰まった貧困の家庭のお子さん達やお母さん達は利用しづらいだろうと思いました。 

お子さんの性格や年齢によっても利用しづらいと思います。 

元気いっぱいの共働きで利用するのはどうなんでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

ボランティアって、自分に余裕がないと出来ないですよね。 

ボランティアに頼る子ども食堂、運営している方々の善意ですが、存続出来るのでしょうか? 

これから年金も遺族年金も減る方向ですし、生涯働く事を政府は望んでいます。 

ボランティアする余裕もない寂しい世の中になりそうです。 

 

=+=+=+=+= 

都会に住む50代です。近所のこども食堂三か所(朝ごはん)でボランティアしていますが、貧困のために食べにくる子は1~2人。あとはただ友達とご飯食べたいとか、親が仕事の都合で早く家を出える日だからとか。同じ校区内に5か所も開催しているところがあり(日はかぶらないように調整)子供たちはお知らせをみてメニューで判断している。朝からクレープ(生クリームやチョコたっぷり)を開催している食堂はすごく人気がある。食育をテーマに開催している食堂の人は信じられない!朝からあんなもの食べさせて!と怒り心頭。 

一人暮らしの大人もどうぞと言ってスタートしたところは防犯上の懸念で子どものみに変更。 

ボランティアといえば子ども食堂!みたいなノリで 

爆発的に増えた気がする。フードバンクや企業から提供された食品や文具なども支援の必要な人には届いていない模様。 

地域性や目的も鑑みて把握する機関が必要に思う。 

 

=+=+=+=+= 

こども食堂の数がかなり増えている印象です。善意の活動で素晴らしいとは思いますが、そんなに沢山本当に困ってる子供が居るのかしら?と思うほど。 

モラルのない親や、そんな親に育てられた子供が、マナーの悪い事やずるいことなどせず、頑張ってくださってる方々の善意をありがたいと素直に受け止めて貰いたいものです。 

知り合いのお店はこないだ定期的にやってるこども食堂の活動が500回目だったと言っていました。 

ずっとやり続けるって並大抵のことでないですよね。凄いなぁと思います。 

私はフードバンクポストに食材の寄付位しかできません。 

 

=+=+=+=+= 

子ども食堂で節約目的で行く家族が居ます。 

節約の為ではなく、貧困や食べる物に困った人達な行く場所。 

あくまでボランティアや食材を提供してくれる人達が居るから成り立ってる事を忘れないで欲しい。 

これからは子ども食堂を利用する家族には参加型にしたらどうでしょうか? 

一緒に調理に携わり、協力し合って作る。 

そしてそれを頂く。 

当たり前の様に節約目的で食べに来る人達は何らかの方法を取るべきだとも思います。 

 

=+=+=+=+= 

子どもが同じスイミングに通っていたママさんですが、毎週決まった曜日に電話で子ども食堂のお弁当を注文していました。 

子ども100円大人300円って言ってたかな。 

習い事沢山していたし、小学校受験する予定のご家庭なので裕福だと思うんですけどね。 

習い事の帰りに夕飯受け取って帰れるからすごく便利なのって色んなママさんに言っていましたが、それってどうなの?とずっと思っていました。 

善意を必要なところへ届けるのって難しいですね。 

 

=+=+=+=+= 

祖母は長年保護司をしていて25年続けたことで国から勲章をもらった人です。祖母から教わったことはボランティア精神は相手に何かを求めないようにすることが大切であること 

 

自分がここまでやってるのに相手が思うように更生しない、制度を悪用される、そういうふうに考えるとボランティア精神はすり減って行くので、別途理性的な議論は必要ですが、あくまでもボランティアというのは一方的であることが大切だと思う 

 

 

=+=+=+=+= 

退職後にちょっとした飲食店をやりながら、この子ども食堂を、併設して居場所作りをしてあげたいなと考えてるけど、問題が山積みです。出来るだけ本当に困っている親子を支援したいけど簡単ではないなと思います。善意の協力を頂ける方がたくさんいらっしゃっる反面、一部で逆手に取ろうとする困った人たちがいるのも事実。まだ時間があるからより良い運営方法を考えてみたいなと思います。 

 

=+=+=+=+= 

善意を金儲けに利用しようとする人ってどこにも居るんですよね。例えば、アスリートや有名人なんかも大人からサイン求められたら断る場合があっても、子供なら、と善意でサインを下さる。しかし、その裏で親が操っていたり、子供でも歳上の中学高校の兄姉が操っている場合もあり、転売で金儲けに利用されたりする。それなら純粋な気持ちでサインを求めている大人の方が余程純粋だったりする。でも、一般的にはみんな善意で子供優先にご好意を下さる。なかなか難しいですね。 

 

=+=+=+=+= 

確かに、今の現代において、食事も食べられないくらいの貧困ということを、 

他人に知られることは避けたいと思って今いますよね。 

特に親は辛いと思います。 

 

だからこそ、こういう取り組みは、見えている課題だけではなく、 

それを拒んでいる現場感(本質)まで見に行く必要がありますよね。 

 

そうなった場合、 

貧困向けサービスというアプローチでは抵抗が生じてしまうので、 

それならまだ、孤食対策というワードで、 

みんなで楽しく食事をするというアプローチのほうが良いと思いました。 

 

=+=+=+=+= 

基本ボランティアと物資協賛型て子供食堂は賄えてると思うのだけど、児童クラブや学童保育とつなげる事がいいと思う。貧困とかひとり親家庭とか関係なく困ってるんだからのひとくくりでいいと思います。この先調理施設を併設した児童クラブにするか児童クラブに弁当的な物を届ける形にしていけば正しいボランティアの形を届けられるようになるのかと思います。少額で一般人が利用するにしても基本最低500円位は寄付という名目でも必要かと思います。 

 

=+=+=+=+= 

善意にタカる人ってどこにでもいますよね。本当に助けを必要としている人ほど、そういったサービスに結びつきにくいのが現状だと思います。誰かに助けを求められる人なら、とっくになんらかなサービスと結びついています。声を上げられない人ほど助けを必要としているのですが、歯がゆいものです。交流目的なら他にいくらでも場が用意されているのだから、子ども食堂を誰でも利用できる場にする必要はないと思います。 

 

=+=+=+=+= 

途上国の支援でも、「支援物資を売ってお金にする子ども」は悩みの種。 

ビスケットとかが支援物資の場合、敢えて割って渡して商品価値をなくすと言う例もあるくらい。 

 

親に命令されているのか、親を助けたいと自主的にやっているのかはケースバイケースだと思う。 

けれど、「その場だけ腹が膨れる食べ物よりお金を」と言うのは、特別その子どもがさもしいと言うわけではないことが意識される必要がある。 

 

=+=+=+=+= 

そもそもはたこ焼き一つ定価で買えない家庭があることが問題なのであって、「空腹を満たす」ためのこども食堂は根本的解決にはならない。 

ただ子供だけで飲食店に入るのはなかなか難しいので「一人で食べる寂しさを満たす」場所はあってもいいと思う。 

総じて共働きじゃないと生活できない社会を改善しなければ子供がしわ寄せを受け続けるんだろう。 

 

=+=+=+=+= 

今もあるのか判りませんが、前に「京都の王将の、とある店舗では、苦学生など困っている学生さんの場合は、皿洗いなどをすれば無料で食事ができる」というニュースを見たことがあります。 

 

助け合いの精神はとても大事ですし理解もできますが、現状の子ども食堂のシステムよりも、王将のシステムの方が良い部分があるのではないかと考えます。 

 

もちろん、子供達に本格的な皿洗いをさせる必要はありません。 

自分が食べた食器を下げたり、使用したテーブルを拭いたり、配膳を手伝ったり、作ってくれた人に「ありがとう」と御礼を言って頭を下げたり。 

そういった感謝の対価として、食事が提供されたとなれば、子供達にとっても教育の一面があると思いますし、「安く利用しよう」という勘違い家族も抑制できると思うのです。 

 

=+=+=+=+= 

以前勤めていた社会福祉法人で子ども食堂をしていた時の事。 

父・母・子2人の4人家族が来た。 

当時、発売間もなかったから新車であろうアルファードに乗り、発売したてのiPhoneを夫婦で2台持ち。 

我が子がカレーを食べてる最中は会話も無く、夫婦はiPhone触っていた。 

帰りにお土産でレトルトや乾麺、米等のセットを渡していたが、金銭的に余裕の見られない1人親の母親からは「これで食い繋げます。本当にありがとうございます。」と感謝もされた。 

4人家族の母親は、お土産の内容を横目でチェックしていたらしく乾麺を抜いたセットを職員が渡すと、 

「さっきの家族には渡していた乾麺が入っていない!」 

「差別だ!」 

「責任者を出せ!」 

「2セット渡せ!」 

と我が子の前で半狂乱で喚く喚く。 

見かねた父親が引き摺るようにして帰ったが、子どもの不憫さと他の方もコメントしているが子ども食堂の意義を履き違えている者も居る。 

 

=+=+=+=+= 

子ども食堂が増えることは、子供を最悪の事態から守る一つの手段ではあるが、喜ばしいことではない。特に行政は猛省すべきです。 

子ども食堂運営者は特に余裕があるわけではない中でお金を工面しながらやっている。 

行政ができないからやっています。 

また、本記事にあるように、節約したい気持ちはわかりますが、たとえば、子供にわたした昼食代でお菓子買って、食事は子ども食堂で済ますような子になってもらっては悲しいので、私的にはありえませんね。常に見本でありたいと思う。 

 

 

=+=+=+=+= 

個人的には子ども食堂の制度自体に歪みがあるって思ってるんだよね 

共働きじゃ無いと食べていけない家庭、片親の家庭とかそういう人のための制度だとは思うけど、 

日本の社会構造では善意だけじゃどうにもならない部分が出ると思う。 

 

個別にいろんな事情はあるだろうけど 

昔は親が共働きだったり片親でもその両親世代、もしくは近くに住む親戚が子供の面倒を見てくれたりご飯を作ってくれたりした家庭が多かった。 

 

偏見含むけど、こういうのも東京一極集中の弊害かなって気もしなくは無いんだよね。(片親なのは関係ないけど) 

 

=+=+=+=+= 

こども食堂は貧困対策もありますが、地域のこども達のコミュニケーションの場になっている場合も多いです。そのため貧困だから行く的なイメージは必ずしも無いので行きやすいと思います。 

 

トラブルや思い違いなども多少はありますが、なんとか継続的に続けてほしい事業です、 

 

=+=+=+=+= 

子供食堂の目的からズレてきている時点で、子供や付き添い親は誰でも利用可能にしてるところは廃止すべきです。 

利用にも審査を儲けるしかないと思います。 

利用時に氏名・住所・TELを記載や、最悪世帯主の年収証明を確認させてもらい、(例え:年収240万以下のみ利用可能)食券制度にして、食券には通し番号を割り振り家庭が分かるようにする。食券使用時には世帯主の氏名・住所・TELを記入する。 

それくらい厳しくしないと、いくらでも他人の善意を無にする人達は増えると思います。 

 

=+=+=+=+= 

貧困や食事にありつけない人等のネガティブなことを、支援者やマスコミがずっーと言っているから、恥ずかしいと思う人は痩せ我慢しちゃうかな。 

上手く食育やお手伝い、学習等を絡めて、食べるだけにならない工夫はあってもよいのかなと思う。 

私の地域にも何箇所かあるが、絶えず食糧支援を募ったり、作り手が「困っている人助け」みたいなのをアピってマスコミやタウンペーパーに取り上げられるから、単に食べるだけだとミジメになると思いますね。 

 

私なら、痩せ我慢しちゃうかな。 

 

=+=+=+=+= 

母子家庭で育ちました。私は,うちが貧しいことを友達に知られたくなかったです。市からセーターが配られたのですが、同じクラスの男子が同じデザインのセーターを来ていました。私は袖を通しませんでしたが、妹は着ていました。 

貧乏だと知られたく無い気持ちを持つ人は、親だけでなく子供もいると思います。 

おかげさまで今は,子ども食堂の支援をしています。 

 

=+=+=+=+= 

私達も地域食堂をしていますが、開催日は学校をとおして安心メールで配信するのと、回覧板で告知して予約してもらってます。実際に来られてる方々は普通の子どもや大人が多く、生活に困られている方は、メールも来ない、町内会にも入れなく回覧板も来ない、電話もなく予約もできない。民生委員にも伝えますが、守秘義務があるからと、連絡してくれない。どうしたものでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

地域の公民館で”こども食堂”の運営に携わっています。 

開催のお知らせは「校区限定」にしており、役所や民生委員・児童委員、地域の各種団体のメンバーで運営し、来場者には居住地区や学年を聞く程度にとどめて、食事や会話及びゲームなどをしています。 

規模は小さいですが無料バザーも行っており、ご家庭で使わなくなったモノを提供してもらい、持ち帰り自由にしています。 

今のところ、転売の事実は確認できていませんので無いと思われます。 

テレビや新聞等では報道されませんが「失われた30年」の現実がここにあるようです。 

夫婦共働きでも、満足に食事を摂れない子どもがいる現実。 

これは自己責任とばかりは言えない、政策の失敗だとも思えます。 

 

=+=+=+=+= 

数年前、取引先の不動産会社が運営するカフェの定休日に店舗を借りて子ども食堂してました。でも本当に貧困家庭の子は来ず、一般的家庭の親子が「安いランチ」食べに来る感覚で来られて、おしぼりは?、追加注文出来るのか?、また1Fに空席があるのに2Fの席がいいと言われて、わざわざ2Fに食事運んだり、等々普通のカフェ感覚であれこれ注文されたり。貧困家庭の手助けにと始めましたが、そんな子達はほとんど来ず、結果自分たちが疲弊して数ヶ月で止めました。  

ホント今の道徳心の薄い日本人相手の慈善事業は大変ですよ。 

 

=+=+=+=+= 

昔1時間働いたら食事代無料にしてた店があってすごくいいなと思った。学生の子とかお金ない子にいっぱい食べてもらう、みたいな感じで。子供食堂もお金あるなし関係なく一緒に何か手伝いや一緒に作るみたいなイベント的なやり方したら人との関わりや経験もでき引け目も感じにくくいきやすいかも。本当に困ってたら気持ちが沈んで逆にいけない気がする 

 

=+=+=+=+= 

子どもの貧困対策を目的として行うと、本来の対象者でない人が利用する姿ばかり気になってしまう。 

 

むしろ地域交流の場とか地域のたまり場と考えると、たとえ裕福な家庭が一食を浮かすために利用したとしても、そこで地域の人と交流ができたのなら、本来の目的にかなった利用になる。 

そういう利用のされ方が広がると、貧困世帯の子どもも気軽に利用できるようになる。 

 

そのくらい緩やかな気持ちでやらないと続かないと思う。 

 

 

=+=+=+=+= 

何かしらのボランティアをしたらチケットを渡すとかにならないかな。 

例えば草むしりでもゴミ拾いでもいいから言葉は悪いが働いた事への「報酬」としてチケットを出す。 

働く事の大変さも分かるし、ボランティアによって喜ぶ人もいる。 

小さな事でいいと思う。 

ボランティアをしたから食事が出来るというのは施しではないのだから。 

 

=+=+=+=+= 

救援系のボランティア活動は大別すると2種類あると思います。 

1つはボランティア活動をしたい人の自己実現の場。 

2つはあくまで緊急的な救援であると自覚し、問題解消による救援終了を目指す場。 

以前、活動している方に「子どもの貧困や貧困の連鎖の解決に向け、行政に働きかけたり何らかの相談・支援機関につなげたりもしているのですか?」と尋ねたところ「そういうことはしない」「政治的な動きには関心が無い」と言われビックリしたことがあります。 

私は阪神・淡路や東日本など大震災ボランティアで炊き出しや救援物資の配布・支援の経験がありますが「本当はもっと抜本的な被災者支援こそ求められているのだろうに」と個人の微力を痛感し、悔しく涙した思い出があります。いまは抜本支援の側の仕事をしています。 

もしボランティアも利用者も、お互いに「自己実現の場」でしかなければ、そういった問題も起きやすいのかも・・・と思いました。 

 

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我が家には子供が3人おり、子供食堂を月に一度利用させて頂いています。 

就学援助を受けられる世帯年収の為、大変助かります。 

ここで知り合ったボランティアの大学生のお兄さんに子供達はすごく懐いています。 

娘は将来大学生になったら、同じようにボランティア活動をしてみたいと言っていました。 

私も子育てが一段落したら、ボランティアとして協力したいです。 

 

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子ども食堂を運営している者です。物価高、一人親世帯の増加など様々な原因で参加する子どもの人数は増えています。全てがボランティアの善意に頼る子ども食堂は毎回綱渡り状態での運営です。 

そもそも、子どもがいて困るような状態になる社会を問題にしなければ根本的な解決になりません。 

公助共助自助の共助にばかり頼っていては私自身も困ります。 

 

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やっぱり子ども食堂は「寄付で成り立っている」事を踏まえると寄付者が寄付する動機として趣旨的に考えるとシングル親の世帯や、低所得者世帯等 

「子供がスーパーの弁当やおにぎりを買うのにも困る世帯」に 

 

『こども食堂が利用出来る子供の親の所得制限』を設定した方が良いと思う 

何でもそうだが、一定の金がある世帯は食べ物を寄付してもらう所=こども食堂を利用しなくとも親が金渡して飯買ってこいって言える親の層、そういうこども食堂の寄付主体運営の趣旨=社会福祉的要素が強い事踏まえたら 

 

こども食堂利用者の保護者の所得制限をかけて本当に生活に困っている人の為の食堂にしないと、所得層関係なく利用可能にしていてはこういう寄付者への背信行為をする子も出てきちゃうと思う 

 

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私も知人に誘われ子供食堂の活動に参加したことがあります。 

しかしそ私が参加した子供食堂は貧困の子供を助ける場ではなく、 

ボランティアの参加者が楽しむサークルのような雰囲気でした。 

 

開催の日時、曜日、場所に規則性はなく、ここに貧困で食事が 

ままならない子供が来ることはあり得ないと感じました。 

 

活動に疑問を感じそれ以来一切かかわっていません。 

いろいろ疑問を感じます。 

 

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他の方のコメントにもありますが、最近はなんのための食堂と思うところあります。 

残念ながら、私のいる職場でも同様のクレームがありました。 

実際に職場の隣の施設で行われている子ども食堂は予約制ではなく「早い者勝ち」なので、開始時間に家族で車で来て、ランチ利用しています。大人1食300円子ども無料なので食費は浮くでしょうね。 

そういう現状を見ていると、助成金をもらってまで開催する必要あるのかな?と正直思います。 

むしろ、大学でも取り入れてるように、小学校給食のシステムを使い、小中にはモーニングタイムを作り、働く両親や貧困の子ども関係なく子どもが平等に夏休み関係なく無償で朝ごはんや給食を取れるところに助成してほしいです。炎上承知で言うと、家庭単位への助成よりもどんな親元に生まれたとしても平等に権利を受けられるところに助成してほしい。本来、家計は親の工夫によって多くの子どもは健やかに育ってるから。 

 

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うちは子供食堂に食材を提供しています毎回100人くらいの利用があり作ったものがすぐになくなるっとスタッフさんが言ってましたまたいらなくなった衣類やオモチャなんかも提供したりしています大変喜んでくれていますこれからもできる範囲で応援したいっと思ってます 

 

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保育園の園長をしている方が子供食堂反対ですと言ってました。悪用する人が多いからです。している方も、作るのはめんどくさいから、子ども食堂でタダで食べています。忙しいから、面倒だからと言い訳するばかりです。国からも子供手当を支給されています。高齢者など苦しい方もたくさんいる中で、子供ばかり優遇されている社会は不公平です。 

 

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善意で成り立つ子供食堂。今は貧困、生活困窮者じゃない子供や家族が子ども食堂を利用している。食費の節約していると記事で、家族で子ども食堂に行く。週に2回は無料の子ども食堂。家族4人で3万円でやりくりする工夫と。食費の節約の目的のため。堂々と記事にしていた。子ども食堂にいる大人も子供も生活困窮者や貧困世帯ではないと言うこと。独身ですが、私も子ども食堂を利用すれば食費の節約にもなる。善意の子ども食てす。自分だけいい思いをするために利用するのは非常識。人として、やってはいけない。子ども食堂を利用する大人や子供にも食後は皿を洗う。食堂の掃除。上げ膳据え膳で無料、安く食べて帰らせない。それくらいしてもらっても、バチはあたりません。 

 

 

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当り前だけど炊き出しも子ども食堂も場当たり的な措置に過ぎず、やらないよりはした方が良い緊急措置で、長期的な視点に立てば逆の効果を生み出す可能性も ボランティアの食事目当ての人たちが増えてしまう それでも救える子どもがいるのであればと言うことだろうが 本当に救うべき子どもはそこに来ているだろうか? 

こどもという視点に拘れば、教育費や学校関係費 給食費や塾の代金など そういうもろもろのコストにお金が掛かりすぎることが大問題なのであって、少子化の根本的な部分でもある 

食べさせる それ以前に 社会のシステムが間違っていないか?という観点も必要だと思います 義務教育だけでもまるっきりゼロ円で学校に通えるべきで、衣服やランドセル程度以外の支出は公金で賄うべき  

貧困にあえぐ家庭や子どもに食事を与えるのは ある意味残酷な行為だと思います、何故ならそれでは貧困から脱出できない 一生トラウマが残るだけ 

 

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東南アジアなどの地域で、貧困といわれるとイメージがつきます。しかし、日本で貧困と言われても、正直ホームレスのイメージしかないです。元々貧困だったか、原因があって貧困になったか、でも自分はイメージ変わってしまいます。私は特に秀でた能力はないけど、現在は貧困ではありません。コミュニケーション能力は高いと周囲から評価はして頂いているみたいです。結婚はしていないに願望もないです。親の責務怠慢が高いんじゃないかなと思います。安易に危険な相手と結婚したとか、生活教養(対処対応能力)が勉強準備不足、修行期間的なものがなく子供ができてしまったなど、親としての責任意識が低いと思う事はあります。社会が子供を見るといっても、責任所在は保護者である事に変わりようはないと思います。 

 

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貧困世帯もその理由は様々で、親がネグレクトでご飯が食べられない子がいたり、働き詰めで食事を作ってやりたくても作れず規則正しく食べられない子もいるでしょう。子どもも様々で物怖じせず一人でこども食堂へ行き食べられる子もいれば、お腹が空いていても知らない人が大勢いる所へ行けない子もいると思います。貧困はデリケートな面をクリアしない限り転売を思いつく年上の子が現れたり、本当に食事が必要な子どもが食べられるようにならないのでは。運営は善意だけでは限界で、公的支援が必要な部分があるように感じます。 

 

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金銭、物品、食事をただでもらうだけでは、貧困の連鎖から抜け出す方法がいつまでも身につかない。 

多くの方が指摘するように皿洗いなど運営を手伝ってもらうとか、将来のためになったり生活改善につながるような仕組みとセットでないと、本当の意味での支援にはならないと思う。 

 

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こども食堂はどんな人が利用する? こども食堂は、子どもはもちろん大人が利用しても問題ありません。 経済的に困っているかどうかも関係なく利用できます。 大人が食事をしてお金を払うことで、そこで得た利益を子どもの食事を用意する費用に当てることができ、支援に繋がるからです。2023/10/03 

 

従業員、家賃、設備維持費、光熱費、食材費等、 

協賛業者がボランティアで賄っているのだろうか。0-300円のメニューで利益を出すにはいったい。 

これは見かねた人達による活動であって、本来国や自治体の義務的仕事だと思うが。 

 

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皆さんのコメントは正論ばかりだと思うのですが、事の本質は、善意に依存するのはおかしいと言うのはそうなのですが、そもそも倫理観ある人はあまり来ないです。今後の子供食堂のあり方として、教育とセット。例えば、30分ぐらい何故子供食堂があるのか?どのような思いで皆さんは運営しているか?その辺の動画なりを見せて、感想を述べてもらいそれをクリアしたら、格安で食べ物渡すとか、一手間加えた方が良いと思います。 

 

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悲しい事ですが善意が悪用される時代です。男性が女性にAEDを使って救護したら訴えられ、お年寄りに席を譲ったら「年寄り扱いするな」と怒鳴られる。 

それでも善意を貫き通したい気持ちがあるなら、その都度ルールを設ける以外ないと思います。このタコ焼きの例で言うならその場で食べるルールにするとか。それでも防ぎきれないorコストが見合わないとなったら終わりでしょうね。善意を持った人が食い物にされる事だけはあってはならない。 

こうしてどんどん精神的に生きにくい時代になっていく。 

 

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こども食堂はこれだけ社会問題化してるのだから行政がきちんと介入して基準会員制にするとか考えないとダメだろ。会員証も基本は保護者用だけど、ネグレクト対策で子ども自身で取得できる物とで分けるとか。勿論情報や手続きのサポートは学校が担うとして。本当に必要な人に届いて欲しいよね。 

 

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不思議なのは、学校内ですら居場所が無いとこぼす子供も多い中で 

こども食堂でも和気藹々や繋がりを強要する所が多い点ですね 

当然そういった場では食事の時は込み入った会話を求められますので 

話しにくい食べにくい子供も出てくるでしょう 

大人の何気ない「今日は何して遊んだ?」の会話も怖がる子供は多いです 

 

もちろん病気や虐待の早期発見の意味では繋がりを持つ事は必要ですが 

現実的には心理的圧迫の要因にもなっているでしょう 

 

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こども食堂の趣旨も意義も分かりますが、「その場でいただく」のが基本ではないでしょうか。 

お弁当等を廉価で提供して持ち帰るシステムでは、貧困ではなく単に節約したい家庭が利用したり善意を踏みにじる転売行為があったりの「不正利用」が罷り通るのは避けられないと思います。 

 

 

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こども食堂の運営にとやかく言える立場ではないけれど、ある程度の年齢に 

なったら働かないもの食うべからずで運営の手助けをさせる必要もあるのではないか?と思います。親のプライドの貧困を隠す=施しを受けるのは嫌と考えるならば、釣り合いが取れない手助けだったとしても少しは言い訳にはなると思います。そんな簡単な話ではないでしょうけれど、みんなで一緒に仕事をすることで協調性も醸成できるのでは? 

 

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働かざる者、食うべからず 

 

安く食べられた分は 

洗い物、掃除、ふきんや雑巾の洗濯、野菜の皮むきets 

何かの形で補填させた方が良いと思う 

 

如何ともし難い、どう足掻いても無理な事に手を貸すのは別として 

個人的には”可哀そう”と言って代わりにやってしまうのは 

苦労と工夫と経験のチャンスを奪うので良くない事だと思っています。 

 

手伝われても、むしろ仕事が余計に増える事が多そうで 

経営の改善には繋がらないかもしれないけど 

働く事でご飯が食べれる様に成る 

という体験を小さい頃から沢山して欲しいです。 

 

無料ビジネスが流行り出して無料でゲームが出来る様に成ってから 

明らかに子供の労働と対価に対する感覚が変わってきて 

それに慣れ過ぎた結果、無料の裏側を殆ど気にしてない気がします。 

 

無料に成るには必ず理由が有る事を 

こういう場でこそ経験して欲しい 

そうすれば、少なくとも転売とかは無くなる気がします。 

 

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そこまで子供の「食」に困って、かつ「貧困」の領域に達しているのなら、他の特に実技の科目を減らすか無くするかをしてでも農業実習をカリキュラムに組み込んで、そしてそれを主要教科化するべきではないか。 

そして現在の遊休地や休耕田を国が買い取って農地化して、国や行政が主導となって農業畜産を運営してさらに基幹産業化させて、将来の農業関係への就職をしやすく出来るようにして(同時に働き盛りの健常者の生活保護を廃止して、こちらへの以降の推進と、刑務作業も同様に変更)、少しでも経済回転の活性化と食料自給率向上をはかるべきではないか。 

また学習科目では既存の家庭科も主要科目化して、調理実習も強化するべきではないか。 

おそらく生きていく上ではるかに役に立つだろう。 

 

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うちの近所に変わった子ども食堂ある。 

来てるのがほとんど、お金に困っていない、むしろ裕福な方じゃない?っていう親子連れ。 

子どもは100円で食べられる。 

正直、意味あるのかなって思ってる。 

場所も辺鄙なところで、多分、困ってる子はここまで来ないだろう… 

場所だけでも変えたら、幅広い層に届くんじゃないかと思うんだけど、何か制約でもあるのかな?と思ってる。 

大人の事情が、いつも子どもたちを阻むのかな。 

 

=+=+=+=+= 

善意って基本的には余裕がある事が前提。 

社会的にも個人的にも。 

現状のフードバンクを見れば提供出来るものが少なくなってきている。 

子供食堂も例外ではない。 

このままではいずれ善意にも限界がくるかもしれない。 

『子は宝だから社会的に支えよう』 

その気持ちは分かるんだけど金が無ければ支える事は出来ないし、そうなってしまえば綺麗事。 

じゃあ金を稼ぐのは誰? 

といえば基本的に大人(社会人)なんすよね。 

現状の社会人が余裕が出れば自然と社会に金が流れるし善意の輪も広がると思う…が 

現状の社会において社会人に余裕があるでしょうか? 

余裕が無ければ自分優先だし自分に投資するでしょう。 

子供食堂における利用者のあり方も大事だろうけど 

このままの社会ではいずれ限界だと思いますよ 

 

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ただ安くするのではなく、何かしらの仕事をしてからのたこ焼きにすればいいのでは?  

皿洗いでも、ゴミ拾いでもなんでもいいからやらせてみたらどうだろう。 

自分も何かの役に立っているんだという気持ちを持てた方がもっと意義のあるたこ焼きになるような気がする。 

 

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まだ子供食堂に来れる子供や親はまだしも 

本当に貧困で来れない子供 助けを求められない親などに もっと援助が進めばいいと思います。善意でのたこ焼きを転売する 安くしろと迫る親なんて 無視していいと思います。子供が家で待ってるからとか ルールも守れないなら販売する必要も無い。貧困だ大変だと言うが昔に比べれば 今は恵まれてる 

子供食堂や援助を受けてるシンママで つけ爪して iPhoneもって アルファードに乗ってる人を知ってます。 

 

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子供ならまだ仕方ないなと思いますが… 

 

社長が6人家族の弁当を毎週子ども食堂に買いに行っていると雑談で本人から。 

250円でびっくりするほど内容が良いからと多めに買って、次の日お昼ご飯に持ってきていたときに聞きました。 

 

子供に教育費たっぷりかけて外車乗っててもこんな人います。 

 

材料持ち寄り、休みの日に労力提供してる人の善意をなんだと思っているのかと。 

会社では、経費に細かくコピー一枚一円単位の節約を熱く語るのに。 

 

どこでやってるんですがと聞いた私は、メロンやみかんたくさん貰った時に時に果物引き受けてくれるかな?人が足りないならお手伝いでもと思ったのですが、ぜひ買いにいってみて!と言われて脱力。 

 

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殆どの子ども食堂は、ボランティアで運営されていると思う。 

十分な資産や年金があるのであれば良いが、 

そうでない人や、まだ年金を納めて行かなくてはならない人は、 

何時迄もは続けられないと思う。 

 

社会に必要な物だと自治体が判断するならば、 

専従しても将来困らないように、運営者を遇して欲しい。 

 

=+=+=+=+= 

昔から、魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるほうが遥かに大事という言葉がある 

まさしくそうで、 

無料で子供に食事を、女性に生理用品を与えたりしても、一時的な満足で、全く何の解決にもなっていない 

自己満足ではない、本当に大事な支援とはを考えて欲しい 

 

 

=+=+=+=+= 

こども食堂ではないんだけど、小学校の子どもまつりでPTAで焼きそば屋台を出して50円で売っていたら、昼時に近所の高齢者が来て、4つ5つとまとめ買いして、持ち帰り用のレジ袋をくれと言う。 

子どもや地域の人が楽しめる学校でのイベントという趣旨なので、まとめ買い&持ち帰りというのは想定外だった。 

翌年から事前に子どもにチケットを配って、持ち帰りやまとめ買いを禁止にした。非常識な人はどこにでもある程度いて、そういう人が善意の活動をやりにくくする。 

 

=+=+=+=+= 

私個人的には、「子ども食堂」ってどうなのかな…と思ってしまう。いちどボランティア募集してたので覗きにいきましたが、「想定している助けたい子たち」がどれくらいの割合で来るんだろう、という感想でした。公費補助も入ってるだろうし、ほとんどが善意の摂取でしかないような気がします。 

 

=+=+=+=+= 

ウチの身内に農園と小さな直売所を経営している家族がいます 

時々子ども食堂の運営スタッフが野菜だなんだを貰いに来ますが、基本無償提供はしてません、何故ならその運営スタッフ側の態度も厚かましく非常識だからです、「我々が善意でやってるんだ!それに賛同できないって心の狭い人」みたいな態度だからなおさらです。 

 

子ども食堂とか善意でとか言ってるけど、もらう側の態度、意識も低いのであれば、もうやらなくてよいのでは?って思います。 

 

=+=+=+=+= 

子ども食堂運営者です。 

周辺でも、子ども食堂が増えてきました。 

反面、閉鎖している所も。その理由に、儲からないからやめた!の言葉に、ビックリしました。子ども食堂を事業としてやっている団体に驚きです。そもそも、利益を追求しての子ども食堂が成り立つわけはなく、考えが間違っている団体が増えている気がします。 

 

=+=+=+=+= 

私自身の思うことですが、本当に貧しい家の子供は行かないんじゃないかと思う。 

私も子供時代は貧し暮らしでした。 

友達に知られたくないと、思ってたから。 

家の近所にもあるのですが、開催日になると、10万以上はする、電動自転車に乗る親子が入っていきます。 

寄付金やお手伝いの方たちの趣旨とは違う使い方。 

なんだかなぁと。 

 

=+=+=+=+= 

一方的に与えるんじゃなくてボランティアに参加させるとか下級生の宿題を見てやるとかのギブアンドテイクで行った方がいいと思うんだが。一方的に施しを受ける形だと恥ずかしく思ってしまうのも無理ないと思う。ギブアンドテイクなら、貧困親も10円にしてあげられるのではないだろうか。よほど異常な思考じゃない限り、自分のものも切り詰めて子供に食べさせている親も多い。そんな親にも支援は必要だと思うから、つきそいの親も10円にしてほしいという希望も自分的に無下にはできない。 

 

=+=+=+=+= 

自助努力できるように教えるのが躾であり、その自助努力をしないことに反抗する姿勢に対しては厳しい態度をとることが優しさではないのでしょうか。 

 

口を開けている雛鳥にエサを与えるやり方ではお子様に仕事する意識が身につきません。 

 

努力した結果でもご飯がいただけないから行くのであり、働くことに意識がなければ難しいと思います。 

 

弱いフリをしたら、恵みをいただける意識を助長しない環境つくりが大切です。 

 

=+=+=+=+= 

子供食堂で利用する子どもにお手伝いさせれば、という意見が散見されるが、お手伝いを教えると労力と時間が倍かかる 

何度か教えてやっと少しできるようになったかなと思ったらばったり来なくなったり 

ましてや食中毒なんて出たらボランティア精神が負債を負うことになりかねない 

子ども食堂の理念は主催者によってそれぞれ 

孤食を防ぎ家族以外の人と交流することで社会性を身につける、貧困家庭児への支援、食糧の有効活用、宣伝効果など 

まーできる人がやればいい、ただ期待すると虚しくなるよ、ボランティアなんだから例え悪口を言われても気にしないぐらいの気持ちでやらないと自分が病むよ 

 

=+=+=+=+= 

私は利用した事がないのですが、子供でも社会勉強の場として提供を手伝ってもらうというのはだめなのでしょうか? 

中学生なら職場体験学習を行う学校もありますし、お小遣い程度の少額を報酬で渡して働いてもらうという場も見たことがあります 

 

=+=+=+=+= 

中学生が10倍の値段で転売 

「同じく10円にして」と言う親が現れる 

 

もうこの時点でこの活動、やめるべきだと思うな。 

 

頼ってはいけないんだよ。 

自分の産んだ子の衣食住をさ。 

あてにしてはダメでしょうし、子にもそれを 

覚えさせちゃいけないと思う。 

 

無料で、もしくは低額で 

食事を済ませる必要があるのだったら家庭内で 

この予算でやろう!と 

子供と計算して一緒に買い物行って決めたらいいと思う。 

 

子育ては 頼れるところは頼るべき 

だけど食に関しては親が踏ん張るべきで 

他人がボランティアで支えるものじゃないと思う。 

 

 

=+=+=+=+= 

本当に必要な人や家庭には利用してもらいたい。 

けど、「安くて助かりますぅ〜」とか言って、勤め人の家庭がどんどん来るのもどうかと思う。 

与えられるのは当然と思っている人がいるなら、考えを改めて、ギブアンドテイクの気持ちで子ども食堂の運営を手伝ってあげてほしい。 

そうすれば、転売も減るんじゃないかと思う。 

 

=+=+=+=+= 

善意の活動におんぶする親子がいる一方で、恥ずかしさから利用出来ない本当の貧困層、、 

実は問題はそこではなくて、 

そうした有志の善意に一番依存してるのは、どうやら国のほうではないかと分かってくる。 

一見麗しい光景だが、 

いちばん望ましいのは、子ども食堂みたいな活動は不要な社会になることではないかと。 

シングル親でも、そうで無くても、親の貧困はそのまま子どもの貧困といえる。 

子ども食堂は確かに一時的な助けにはなるが、問題の根本的解決にはならない。 

 

=+=+=+=+= 

こども食堂なる民間の行動はやはり民間ではなく公に任せるべきだと思う。 

だって、この善意が社会の活力になっているとは思えないから。 

マイナンバーカードを使ってフードスタンプで必要な人に必要なだけ食事を行き渡らせる仕組みにすべきだ。 

 

=+=+=+=+= 

個人的には、かねてより「子ども食堂」の活動自体が懐疑的だ。 

「子どもの貧困」がその背景にあると言われて久しいが、正直、今の社会で一食にもあり付けない家庭なんてあるのだろうか。 

自分らの頃は、男女雇用機会均等法も制定前だったから、特に「母子家庭」は本当に貧しい食生活で、1食あたり食パン1枚とか栄養失調の子どもとな普通にいた時代だけど、社会保障が以前より手厚くなってる昨今、そこまで貧困な家庭がそれほどあるとは思えない。 

その割に全国におびただしい数の子ども食堂運営組織があって、そもそもそんなに必要なのかと思っている。 

そんな感じだから、その「善意」につけ込む家庭も出てくるのでは。 

子ども食堂はもっとコンパクトに縮小し、「本当に生活困窮している」家庭のみ無料で良いと思う。 

 

=+=+=+=+= 

子供達をボランティアとして「利用」する、という意見が多いですが、個人的には反対です。デメリットの方が間違いなくうわまります。 

個人的には、金持ちだろうが貧困だろうが、集まって食事をする機会を失わせてはいけないと感じています。 

そして、子ども食堂の理念と転売は禁止ときちんと伝える。 

子供は馬鹿ではありません。これはやってはいけない、といえば、特に今の子供はルールをきちんと守ります。 

転売について1つだけ意見があります、子供は親や大人を見て育ちます。つまりは、大人の側が問題であることが殆どでは無いのでしょうか? 

311の頃の食料品や水など、コロナのマスクなど、大人の側はしっかり対応できていましたか?私も含め、大人の側の対応が重要なのではと考える次第です。 

 

=+=+=+=+= 

子ども食堂が全部いいようにはならないのは運営者も勉強不足が否めない。自治体の補助金があるとのことだが運営の仕方がまずく税の使い方に不公平が出ている。 

月1回レベルなら参加費100円でみんなで作って食べたほうが後ろめたい気持ちにはならない。仕事をしている大人まで無料か格安で食べられるならだれでも食べに来ていいと思う。そうなると運営者の当初の理念は空中分解する。改めて振出しに戻り考えるべき。 

 

=+=+=+=+= 

こういう活動を支えるのに 

親のしつけが何よりも大切 

我が子に本気で集団ルールの尊さを教え込んで欲しい。子供なので締め付けばかりでなく自由にさせることも大切。そのために自らがオンオフを使い分ける大人になる必要がある。 

 

=+=+=+=+= 

恐らくそうやっている親を見て育ってしまったのだろう。貧困と格差が進んだ悲しい結果ですね。身も心も貧しい人は本当に身近に増えていて、会社でも期限切れ間近の食酒菓子を1人◯個迄、ご自由にどうぞと置いとくと数量制限無視して持っていかれるので本当に一瞬で無くなります。他人の事を考えられない人が増えて何とも寂しい気持ちになるな、と思う。 

 

=+=+=+=+= 

こども食堂を利用できる条件って決まっているのでしょうか?貧困世帯だけではコミュニティが狭くなるのもわかるけど、経済的に余裕がある世帯の子供が利用するのも違う気がする。親の怠慢を補うのではなく、必死に働いて頑張っても追いつかない子供たちやその親を救うための活動であるべきでは?そんな子どもたちがこんな事をするとは思えない 

 

=+=+=+=+= 

掲げた理想通りには、やっぱりいかないもんなんだろう。 

考えうる対策をしたとしても、すり抜けてまた問題として出てくるだろうし。 

私はお腹空いた子供に食べさせるが大前提なら、そこまで反対ではないんだけど、食費を浮かせたい、親も一緒に食べれてでラッキーは、どうなの?と思ってしまう。 

事情があるとか、しょうがないとか、その前に子のために最大限努力してるの? 

不平不満だらけだけど、申請出来るもの貰えるお金貰ってそれなの? 

子のためなら恥も外聞もでは、やらないの? 

疑問に思う事が多すぎて、支援しすぎるのもどうなのと思ってしまう。 

あとトレンドや流行りのように、こども食堂が増えるのもどうなの?って思ったり。 

 

 

 
 

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