( 220451 )  2024/10/09 17:32:15  
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東京・板橋区大山にある「丸鶴」は元カリスマホストで、タレントの城咲仁さんの実家。城咲さんが今、家業を手伝う理由とは?(写真:城咲仁さん提供) 

 

 元カリスマホストで、タレントの城咲仁さんの実家が町中華を営んでいることをご存じだろうか。 

 

【画像12枚】「丸鶴」名物のチャーハンや、鍋を振る城咲さんの様子 

 

 東京・板橋区大山にある「丸鶴」である。1966年創業で、この秋に58年を迎える老舗だ。店主は岡山実さん。 

 

 チャーハンがとにかく人気で、営業中に行列が途切れることはない。都内でチャーハンの旨い店と言われたら間違いなく名前の挙がってくるお店だ。 

 

 なぜ城咲さんが今、実家の町中華で働いているのか。城咲さんと、ご両親のライフヒストリーを伺った。 

 

■調理はほぼ父のワンオペの人気店 

 

 城咲さんはそんな「丸鶴」のひとり息子として生まれた。 

 

 幼い頃から繁盛店で、平日はほとんど地元のお客さんが多かったが、週末の金曜日、土曜日は宴会が多く、各地からお客さんが集まっていた。近所に出前も行っていて、従業員3人がバイクと自転車を使って近所に出前をしていた。 

 

【画像12枚】しっとりチャーハンの聖地として知られる板橋区大山にある「丸鶴」。名物のチャーハンと、鍋を振る城咲さんの様子 

 

 「メディアに出るようなお店ではなかったですが、口コミで広がっていたように思います。私の友達もよく家族で食べに来ていましたし、平日は部活帰りにみんなで『丸鶴』に集まっていました。陸上部や柔道部などみんな『丸鶴』に集合して、うちのオヤジがタダで食べさせていました」(城咲さん) 

 

 かつてはメニューがとてつもない数だったが、調理はほとんど父のワンオペで、適宜母がフォローするという形だった。 

 

 「当時からこれだけ人に愛されているというのは凄いなと思って見ていました。しかし一方で、飲食店の厳しさを子供ながらに感じていました。オヤジは営業中にはなるべく包丁を使うなと言っている人で、やれることはすべて事前の仕込みで行います。営業が終わってからすぐに次の日の仕込みを始め、翌日も朝早くから仕込みをしていました」(城咲さん) 

 

 その中で、飲食店には当然売り上げの浮き沈みがある。一生懸命仕込みをしていてもすべてが売り切れるわけではない。営業が終わった後に余った食材を捨てているのを見るのが本当に辛かった。 

 

 バブル時代には、宴会がダブルヘッダーで行われることもしばしば。フル回転でお店を回していたが、バブル崩壊とともに、味が落ちたわけでもないのに客足は遠のいていった。 

 

 「小学生ぐらいまではこの店は自分が継ぐんだとなんとなく思っていましたが、そのうち自我が芽生え始めて、少しずつ心が離れていきました。うちの両親は働くのが好きで、1週間のうち半日ぐらいしか休んでいませんでした。ゴールデンウィークやお盆も営業していて、自分がいざ大人になって家族を持った時にこの生活がしたいかと思うと、それは違うなと思ったんです。尊敬はしていたけどその人生は選べなかった」(城咲さん) 

 

 

■父の言葉でホストの世界へ 

 

 高校3年生の頃、進路をどうするかという話になり、初めて父から「お前店を継がないのか?」という言葉が出た。早く社会に出たかった城咲さんは拒否反応を示し、ここから親子の仲が一気に悪くなった。 

 

 こうして城咲さんは高校時代から夢だったバーテンダーになるべく、家を出た。21歳まで2年半、バーテンダーの修業をした。 

 

 ここで転機が訪れる。城咲さんが当時組んでいたバンドのメンバーが、一緒に住んでいる家で自殺をしたのである。 

 

 「彼も地方の名家の生まれで、後継ぎを迫られていました。彼は亡くなる直前、私の働いていたショットバーの端の席に座り、最後ビールを飲んでそのまま死んでいきました。そんな彼の姿を目の当たりにし、私は半年間働けなくなり、そしてお金もなくなりました」(城咲さん) 

 

 お金がなくなり、住む場所もなくなった城咲さんは実家に戻るしかなかった。 

 

 そこで引きこもりの生活をしていると、ある日父から「腐ったなお前」と言われた。この言葉にスイッチが入った城咲さんは、知人のホストクラブの経営者に連絡をし、気づいたらスーツを着て歌舞伎町に足を向けていた。 

 

 その日は金曜日でとても店が忙しい日で、その日から手伝うことになった。バーテンダーでお酒を作りながら人と喋ることが得意だった城咲さんは、ここだったら一気にお金が取り戻せるかもしれないと考えた。色のない世界に一気に色が入ったような気がしたという。 

 

 ここからの城咲さんの活躍は既知の通りである。 

 

■妻・ちかえさんの素朴な疑問が城咲さんを動かした 

 

 城咲さんが父の「丸鶴」のことを考え始めたのは自身の結婚がきっかけである。2021年の春にタレントの加島ちかえさんと入籍した。ちかえさんは素朴な疑問を城咲さんに投げかける。 

 

 「『丸鶴』ってあんなに凄いお店なのにこのままでいいの?  お店を継げるのは仁さんしかいないんじゃないの?」 

 

 城咲さんは社会に出て、外で食事をするようになって、改めて父の料理の味の良さに気づいたという。 

 

 テレビやYouTubeに出て「丸鶴」のチャーハンがとんでもなくバズっているのも知っていた。しかし、父は体調を崩していた。 

 

 「ここから『丸鶴』を残さなければいけないかもと思い始めたんです。これは恩返しとか過去の報いとかではなく、こんなにお客さんに大事にされているものを放っておいていいのかという思いでした。 

 

 

 私が調理場に毎日立つことはできないので、お店にたまにしか来ることができない人のために冷凍チャーハンを作ろうと思い立ちました」(城咲さん) 

 

 ここから城咲さんは父のもとで40日間チャーハンの修業を行った。 

 

 「丸鶴」のチャーハンは味が濃くてコショウが強い。父には、誰が食べても美味しいというのは家庭料理で、好き嫌いが出るぐらいのインパクトがある料理こそが外食なんだという哲学があった。苦手な人がいるのも当たり前だが、それ以上にハマってしまう人がたくさんいるのが「丸鶴」の味だった。 

 

 味は常に進化していて、57年の歴史の中で15年前にやっと理想の醤油ダレが完成した。いつ来ても「また美味しくなってない?」と言われるべきという考え方なのである。 

 

 「丸鶴」の醤油ダレは継ぎ足しで完成したチャーシューを煮込んだタレ。毎日肩ロースを24本も煮ていて、この量がなければ「丸鶴」の醤油ダレは完成しない。チャーハンは一日200杯以上出ているという。 

 

 こうして修業の後、「丸鶴」の冷凍チャーハンは完成した。このチャーハンは工場で作っているのではなく4人の職人が鍋をふるって手作りしているものである。 

 

■60周年まであと2年、励ましながら父の肩を押す 

 

 今月の10月19日、20日には「板橋区民まつり」に出店することが決まった。城咲さんが学生時代に遊んでいた公園や学校で行われるお祭りで、そこで実家のチャーハンを出せる喜びをかみしめている。 

 

 父からは「年内で店を辞めたい」という声もあった。現状は体調が悪すぎてお店には2時間しか立つことができない。しかしあと2年で60周年、そこまでは頑張ろうと城咲さんは父の肩を押す。 

 

 「長男のワガママとしての2年です。今のオヤジは目標がないと頑張れないと思うので、60周年を目標にしました」(城咲さん) 

 

 店の後継ぎについては常に考えているが、父ほど鍋をしっかり振れる人がいないのが現状だ。従業員は頑張ってくれているが、「丸鶴」は今でも混みすぎでキャパオーバー。このまま受け継いでもらうのは難しいと考えている。 

 

 「お客さんがひっきりなしに来てくださるのは、この景気が悪い中本当に嬉しいことです。ですが、オヤジが57年命を懸けてやっていることを簡単には継げないと思っています。今はオヤジをサポートしながら、オヤジがやれるところまで付き合おうという考え方です。今は少し見守ってほしいです」(城咲さん) 

 

 

■満身創痍のなか、父は鍋を振り、倒れ込む 

 

 城咲さんはホールと洗い場を手伝い、父と従業員が休憩の時に鍋を振っている。 

 

 父は調理に入ると使命感が生まれ、体の痛みを忘れるという。そして鍋を振り終わると目がうつろになって倒れ込んでいる状態だ。 

 

 「これだけ命を懸けて町中華をやっている人はいないと思います。医者からも止められていますが、これだけ『丸鶴』命の人から仕事を奪ってしまうのが怖いんです。 

 

 オヤジからしたら『丸鶴』こそが『生きる』ということであり『夢』でもあるんです」(城咲さん) 

 

 思うように鍋が振れないのが不甲斐ない。みんなが働いているのに自分は座っているのが耐えられない。父はそう語る。「俺の店なんだから俺が鍋を振らないとダメだろ」といつも言っているのである。 

 

 城咲さんはなんとか60周年まで頑張ってもらい、区民まつりの盛り上がりを見てもらって活力にしてもらいたいと考えている。 

 

 「もし私の活動に賛同してくれる職人の方がいればぜひ働きに来てほしいです。技術も惜しみなく教えます。『丸鶴』のこれからをよろしくお願いします」(城咲さん) 

 

 60周年の後、もしお店がなくなってしまったとしても、区民まつりで1年に1日は食べられるチャーハンにして行きたい。城咲さんはそう考えている。 

 

■その他の写真 

 

中華料理 丸鶴 

東京都板橋区大山西町2-2 

◼️第53回板橋区民まつり 

【日時】2024年10月19日(土)11:00~17:00/10月20日(日)9:00~16:00(無くなり次第終了) 

【場所】SDGs広場(南)•大山公園 

【アクセス】東武東上線大山駅より徒歩8分 

 

井手隊長 :ラーメンライター/ミュージシャン 

 

 

 
 

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