( 220471 )  2024/10/09 17:54:27  
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記者団の取材に応じる石破茂首相=2024年10月8日午後、首相官邸(画像:時事) 

 

 今週、石破政権が発足したが、その評価は散々だ。まだ始動もしていない政権がここまでたたかれるのは珍しいだろう。政権が注視され、批判されるのは常だが、石破茂氏と長年付き合いがあり、同氏との共著『軍事を知らずして平和を語るな』も出した筆者(清谷信一、防衛ジャーナリスト)から見ると、見当違いの批判も少なくないように思える。 

 

【画像】「えっ…!」これが「自衛官の年収」だ! グラフで見る 

 

 現在、石破政権の地盤は盤石ではない。最大派閥の旧安倍派など、党内には多くの反対勢力が存在する。おそらく、今回の選挙後に党内の粛清を行い、党の結束を高めた後に、石破氏らしい政策が出てくるのではないだろうか。政権に対する評価は選挙後にすべきだと筆者は考えている。 

 

 2002(平成14)年、小泉内閣時代、石破氏が防衛庁長官を務めていたとき、防衛庁への意見を募集していた。その際、筆者が防衛省の海外見本市の視察に商社が同行するのは公平性の観点から問題があるとメールしたところ、驚くことに石破氏サイドからコンタクトがあった。ちなみに、その後、防衛省の視察に商社のアテンドが禁止になったが、いつの間にか復活している。 

 

 石破氏が筆者に興味を持ったのは、筆者が中心となってまとめた自衛隊の装備を検証する本で多くの問題を指摘していたからだ。石破氏は、その批判が本当かどうか防衛省のスタッフに調べさせたが、結果は 

 

「ほとんど本当です」 

 

というもので、筆者はがくぜんとした。その際、石破氏は以前から筆者に会いたいと考えていたとおっしゃっていた。それ以降、取材以外でもさまざまな意見や情報の交換を続けている。 

 

CUT(Concept Uncrewed Turret)搭載デモンストレーター(画像:清谷信一) 

 

 気高い安全保障を語る政治家は多いが、そのためには具体的な軍事の組織や装備に関する知識が必要だ。筆者は安全保障に関する知識を「首から上の知識」と呼び、具体的な兵器や装備に関する知識を「ヘソから下の知識」と位置づけている。本来、政治家はこの両方の知識を持っているべきだ。 

 

 防衛省が政策を決定し、実行するためには予算化が必要だ。この予算には上限と優先順位があるため、検証し、最終的に了承するのは政治家の仕事だ。しかし、そうした作業を行える政治家は日本にはほとんどいない。 

 

 他国では、政治家は納税者の代表として国防省や軍の予算の使い方を監視し、詳細に検証するのが一般的だ。例えば、米国ではF-22戦闘機の配備が1996年から750機の予定だったが、開発の遅れや冷戦の終結、さらには開発費や調達費の高騰により、最終的に187機に削減された。 

 

 また、米陸軍の装甲車両群を一新するはずだったFCS(Future Combat System)も将来的な運用に合致せず、価格の高騰からキャンセルされた。このような決定を下すのは政治家であり、軍隊自体はこのような見直しを行えない。したがって、政治家には一定の専門知識が求められる。 

 

 軍隊や自衛隊は官僚組織であり、自らの決定が間違っていた場合でもそれを認めることができない。その典型的な例が、袴田事件などの冤罪(えんざい)を何十年も認めない検察だ。かつての昭和の陸海軍も、自らの都合で政府を支配し、予算を決定した結果、国土を焦土にして敗北した。 

 

 このような悲劇を防ぐために、軍隊や自衛隊は国民が選んだ政治家によって統制される文民統制(シビリアンコントロール)が必要だ。文民統制を行うには、政治家が軍事に関する知識を持っていることが不可欠である。 

 

 

EMBT ADT 140(画像:清谷信一) 

 

 ところが、軍事に詳しいと 

 

・軍事オタク 

・軍事マニア 

 

と呼ばれ、あたかも趣味で軍事をもてあそんでいるかのように危険視される。しかし、医療や法律に詳しい政治家が「健康オタク」や「法律オタク」と呼ばれ、危険視されることはないだろう。このような偏見が軍事に対して存在するのではないか。以前、国会で 

 

「重要なことなので官僚に答弁させます」 

 

と発言した防衛庁長官がいたが、軍事の知識が皆無な政治家が防衛省や国のトップに立つことが果たして適切なのだろうか。 

 

 厚労省や法務省の管轄業務では、在野に医師や弁護士といった専門家が多く、情報も公開されているため、セカンドオピニオンを得やすい。しかし、防衛省の場合、「専門家」の多くは 

 

・防衛省や自衛隊のOB 

・防衛産業の経営者 

 

といった「身内」にあたる人たちだ。さらに、軍事には機密事項が多く、防衛省や自衛隊は、民主国家の「軍隊」としては情報公開が極めて低いレベルにある。調達した外国製の兵器に関する情報を、メーカーが公開しても、それを軍事機密のように扱って国民には隠そうとする。実際のところ、日本の情報公開レベルは中国や北朝鮮に近いのが現状だ。 

 

 防衛省や自衛隊にとって、政治家や大臣が無知なほうが都合がいい。 

 

「神輿(みこし)は軽くてパーがいい」 

 

とよくいわれるように、自分たちの決定に口を出されないほうが楽だからだ。だからこそ、石破氏のように細かい部分まで知っていて問題点を指摘する政治家は、疎まれる存在となる。 

 

 一方で、自民党の国防族や国防部会の多くの政治家は軍事の知識が乏しく、防衛省や自衛隊の説明をそのまま受け入れ、防衛費を増やせば国防が万全になると信じている。彼らには、防衛費が適切に使われているかどうかを検証する能力がないのだ。 

 

 確かに石破氏は「乗り物オタク」といわれることがある。兵器だけでなく、 

 

・鉄道 

・国産車 

 

にもマニア的な知識がある。しかし、当然のことながら趣味と仕事はきちんと分けて考えている。私情や趣味を仕事に持ち込むことはせず、職業人としての責任を果たしている。 

 

 

P-1(画像:海上自衛隊) 

 

 しかし、世の中の「軍オタ」や軍事マニアは 

 

「好き」 

 

を基準に判断している。彼らは防衛省や自衛隊が大好きだ。特に戦車や戦闘機、さらには国産兵器を好むため、それらが本当に高性能でコストに見合っているかどうかを冷静に疑うことができない。彼らは国産兵器が当然のように高性能で、たくさん調達するべきだと信じ込んでいる。そして自分たちが防衛省や自衛隊と 

 

「一体化」 

 

しているかのような感覚を持ち、疑問を持たずに信じてしまう。まるでアイドルを応援するファンと同じで、趣味と現実の国防を分けて考えることができないのだ。 

 

 われわれ記者を含め、情報に関わる職業では、まず疑うことから始めなければ事実にはたどり着けない。しかし、彼らは国産兵器を盲目的に称賛し、装備にかかる費用や予算の優先順位を問題視しない。彼らには予算には限りがあることを理解せず、国産兵器の調達コストが他国の数倍でも気にしない。本来、コストが何倍もかかる時点で、その兵器は問題があるはずだ。 

 

 このため、自衛隊に本当に必要なものは何か、優先順位はどうかといった視点で国産兵器に厳しい意見を持つ石破氏は、「軍オタ」たちには不人気だ。例えば、石破氏が防衛庁長官だったときにP-1(哨戒機)の開発に反対したことは、今でも批判されている。当時、石破氏はP-1が 

 

・低性能 

・高価格 

 

になると予想していたからだ。しかし、内局や海上幕僚監部(海幕)に詰め寄られて、最終的には開発を認めざるを得なかった。官僚たちが一斉に反対することで、大臣は孤立無援化し、予算化を認めざるを得なくなるのだ。 

 

 海幕は、機体、エンジン、システムすべてを新規に開発する方針をとった。米国ですら既存の双発旅客機である737をベースに開発していたにもかかわらず、海幕はエンジンを4発にし、整備コストを大幅に引き上げた。海幕は石破氏に対して 

 

「4発のほうが双発に比べて生存性が高いです、長官にはそれがおわかりになりませんか」 

 

と詰め寄ったが、石破氏は 

 

「現場は信頼性の低い4発のよりも信頼性の高い双発がいいといいっていたのだが」 

 

と筆者に後に語っている。 

 

 確かに、同じ信頼性なら双発よりも4発のほうが信頼性は高い。しかし、信頼性の低い4発ではその理屈は通用しない。さらに、4発にすることでコストが高騰し、P-1の整備用パーツを十分に確保できないことも予想されていた。当時のP-3Cですら予算不足で部品を取り合う「共食い整備」を強いられていたので、それよりも維持費が何倍もかかるP-1ではなおさらだ。そして、現実にそのとおりになっている。 

 

 

C-2(画像:航空自衛隊) 

 

 P-1は、空自のC-2輸送機と同時に開発することで、開発費を抑える狙いがあった。しかし、実際には機体構造がまったく異なるため、共用できたコンポーネントは少なかった。例えば、カヤバが担当していたアクチュエーター関連も、最初は共用化を目指していたが、結局は別々に開発されることになった。 

 

 さらに、P-1やC-2の開発時期には飛行艇US-2の開発も重なっていて、層の薄い日本の航空産業には過剰な負担がかかっていた。その結果、P-1とC-2の開発費や調達費は高騰し、開発も大幅に遅延。当初、両機種の調達単価は100億円以下と見込まれていたが、P-1の初年度の調達費は157億円、来年度の概算要求では 

 

「421億円」 

 

と、当初の4倍以上に膨れ上がった。C-2に関しては、本年度と来年度の要求はなく、令和5年度には297億円となっている。両機種とも、維持整備の費用は他国の機体の5~7倍以上にもなるとされ、常識的な財政感覚では到底容認できない。 

 

 P-1の稼働率はわずか3割程度と非常に低い。主な原因はエンジンと光学電子センサーの信頼性の低さにあり、劇的な改善は難しく、現場ではほとんど絶望的な状況になっている。実際、前海幕長の酒井良氏も、離任前の会見で筆者の質問に答え、P-1の低稼働率が問題であることを認めている。この点で、石破氏の判断は正しかったといえるだろう。 

 

 しかし、海幕はそのP-1をベースに電子戦機を開発しようとしている。数機しか調達されない電子戦機の稼働率が3割なら、実戦ではほとんど使えないはずだ。それにもかかわらず、官僚組織である海幕はP-1の失敗を認めようとはしない。これを止めることができるのは、政治の力しかないだろう。 

 

 石破氏が防衛庁長官だった時代、米国と共同開発した国産戦闘機F-2の調達数が98機から94機に削減された。この件について、軍事マニアたちは「石破氏が独断で決定した」と思い込んでいるが、それは事実ではない。確かに最終的な決断は石破氏だったが、これは航空幕僚監部(空幕)からの提案だった。 

 

 マニアたちは信じないかもしれないが、F-2は本来、 

 

「安価な支援戦闘機」 

 

として開発されたにもかかわらず、調達コストや維持費が双発のF-15Jよりもはるかに高くなったため、削減が決まったのだ。しかも削減されたのは減耗予備機であり、総作戦機数には影響はなかった。 

 

 そもそも、「たかが長官」が単独で削減を主張しても官僚組織は動かないという現実を、マニアたちは理解しようとはしない。 

 

「ぼくの大好きな航空自衛隊が国産戦闘機を削減するはずがない」 

 

と、ただ信じ込んでいるだけなのだ。 

 

 

 
 

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