( 221657 )  2024/10/12 23:53:59  
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理想論としてはわかりますが、ウクライナが核兵器をロシアに渡さなければ今の戦争は起きなかったという見方もあります。ロシア、中国、北朝鮮のような国が核兵器を持っている以上、抑止力としての核は必要でしょう。 

 

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核廃絶。素晴らしい事です。 

ですが、世界から核兵器が無くなる事は絶対にありません。 

この様な方々は理想ばかりで現実を見ようとする方はいません。 

戦争や紛争を話し合えば回避出来る。 

この様な方の話し、主張はここで完結するんです。 

話し合いで決裂したら?という発想は存在しません。ロシア、ウクライナを見ても話し合いで回避、解決。ここで思考停止です。 

核を持つ国が持たない国に核をちらつかせ武力行使。 

核を使わせない為には… 

日本に核を使うならこちらも使う。 

そうなればあなたの国、国民に甚大な被害者が出ますよ!それでもつかいますか? 

これが抑止力です。日本が核を持てないならアメリカ核の傘に入るか、核を共有するかしかありません。 

絵空事で平和を語る時代ではありません。 

 

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核の議論については、理想論や感情論よりも現実問題として受け止め、話し合う必要があるように思います。ウクライナのようにいざ事が起きてからでは手遅れたがらです。 

 

戦後80年が経過し、ここ10年は機械学習の進化によりテクノロジーは圧倒的な速度でスケールアップしており人も然りだと思います。こういった話しはその波を乗りこなす現役世代と、年配の方の場合は未来志向で現実的な考えをロジカルに説明できる方に限定したうえで議論を進めた方が良いように思います。 

 

未来を生きる現役世代にとっては、安全保障は待った無しの問題です。いつまでも生産性の乏しい議論をするのはいい加減辞めにしましょう。 

 

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核兵器廃絶はかなり難易度が高いと思います。 

無防備だとならずもの国家から攻められる可能性が高くなっている実情を踏まえると、核兵器共有が最善策かと思います。 

核兵器廃絶を訴え続けるためにも、保有はせず、共有することで日本の役割は果たせるかと思います。 

 

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最初から相手の意見を全否定してしまう。いくら被爆者団体だからと、この姿勢で相手を説得できるだろうか? 

 

対人地雷全面禁止条約を推進し、同じくノーベル平和賞を受賞した「地雷禁止国際キャンペーン」では各国政府代表と話し合う時には「相手の意見を最初から否定せず、その考えも理解した上で話すこと」この姿勢を徹底したという。 

 

核共有は立派な核抑止の一つであり、その考えを「論外」としか考えない人と話し合うような政府は、日本だけでなく世界にもそう多くは無いだろう。 

 

最初からケンカ腰で「相手を説得しようという気が本当にあるのか?」その姿勢には疑問を感じざるおえない。 

 

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長年の功績を称えた平和賞、おめでとうございます。しかしながら国家憲法また戦後の平和維持はアメリカの強制統治によるものと思います 

、平和を訴える戦時下の国々は何故に叶わないのでしょうか、泣き叫ぶ子供達と被団協の違いが理解できません、情勢が緊迫するなかそろそろ現実を知るべきでは、理想論で国民を危機に晒すのはあまりにも無責任論と言わざるを得ない、一か八かでなく慎重に考えてほしいものです 

 

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理解は出来るし核兵器が廃絶されれば一番だとは思うがそれで戦争がなくなる訳でもないし核兵器が仮になかったとしてもそれに代わる化学兵器や生物兵器が登場してたと思う。結局、人類が存在してる以上兵器はなくならないし戦争もなくならない。核兵器を持つ事で現状維持が出来るなら逆にそれが平穏な世界なのかも知れない。使うための兵器ではなく均衡を保つための兵器なら持つ事もあながち間違いではないと思う。 

 

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核を持つことと使うことは全く別の問題。世界から核がなくなるのは理想だが、現実は不可能です。そこに目を背けることはできない。米国より先に日本が原爆を持っていれば広島に落とされずに済んだかもしれない。矛盾するかもしれないが平和賞受賞を機会に核保有国にもさらに積極的に禁止を訴えてください。 

 

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今回のノーベル平和賞受賞をそれほど喜んではいられない。被爆者だから廃絶一辺倒でいいのか、韓国は核の保有を賛成する国民が60%以上とか、日本も核を保有する事での抑止は確かにある。現に、ウクライナとロシアの戦争に米軍が直接関わらないのは関ロシアと全面核戦争になる事を恐れているからで、核保有の有効性はあると思われる。 

 

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全世界の一般国民が思ってる事と、各国の首脳陣が思ってる事に乖離がある。 

また絶対兵器を持ってる国は手放さないし、無い国は領土防衛の為(の威嚇)に欲しがる。 

 

仮に核兵器を廃絶しても、新たな絶対兵器が生まれてしまう。 

兵器はあくまで手段であり、人間が威嚇や侵略を行う精神を持ちうる限り無くなる事は無いだろう。 

 

全世界の人間が殴られても笑って許せるような精神を持たない限り、争いは無くならないし、兵器も進化していく。 

故に絶対兵器は無くならないし、戦争も無くならない。 

 

正直、今の世界情勢で核が使用されていないのは奇跡的だと思うよ。 

一般人の自分としては核兵器で脅し合いのチキンレースなど迷惑でしかないのだから。 

 

 

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平和を維持するのに必要なのは武力ではなく対話という人もいるが力がなければ対等に対話することはできない 

特に日本は中国・ロシア・北朝鮮と核を持っている近隣国に囲まれる中でどのように平和を維持するかは手段を選ばず真剣に考える必要がある、憲法9条は日本を縛るが敵国を縛ることはできないのだから 

実際に核共有をするかは別にして、論外と頭ごなしに否定するのではなく現状を認識した上で取るべき対策を検討していくべき 

 

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いざとなれば使うことができる立場にいる連中がそもそも手放す気がないのがなぁと言う話なんだよな。日本も結局核を否定すると言うならまずは自分たちが核の傘の下でそれを利用している状況から脱しないと廃絶を訴えるには大いなる矛盾なわけでやはり日本は日本で自国を自国の力で守れるようにならないといけないと言うのが一国として廃絶の立場を取るには必要なことではないかなと思うけどね。核による抑止を共有してるってことは結局核廃絶の道を阻むことに加担してるに等しいわけだし。でも自国を自国で守れるようにしようとするとそれを批判する連中がいるのもなんだかなーと言う話。しかも話し合いが通じない連中がそういうことしてるからなんだかなーって感じなんよねー。 

 

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あの時初めて、人類は核攻撃の恐ろしさを知った。 

攻撃された日本はもちろん、攻撃した米国も、その他の国も知った。 

 

もうこの恐ろしい武器は人類からなくならない。 

だからこそ、持っていることが抑止になる。 

持っていないことが、相手に核攻撃を使うと言う恐ろしく誤った判断をさせることの一助になってしまう。 

 

綺麗事だけでは、大切なものを守れない。 

悲しいけど、これが現実と思う。 

 

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広島、長崎、なぜ米国は躊躇なく原爆を落とすことができたのか。考えればわかること。 

 

戦後昭和とは日本を取り巻く状況は刻一刻と変化しているのです。 

 

被爆直後の古き考え方で未来の子ども達や日本人が再び核攻撃されるようなことがあってはならないのです。 

 

ひょっとしたら自分が言っていることは現代では間違いかもしれない、、、と古き考え方をアップデートできない硬直した思考は、他人を不幸にするだけと心得られたい。 

 

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核廃絶の機運はこのままではないと思う。核保有各国は、自国が平和でいられる条件だと考えているからだ。可能性としてあるとすれば、どこかで核兵器が使用され、世界に核兵器による放射能汚染が広がった時ではないかと思う。その時に、ノーベル平和賞を受賞した、日本の被爆者団体の活動に本当の意味を感じることになってしまうのであろう。 

 

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核廃絶を唱えるのは良いのですが、その際「全ての兵器も同時に廃絶しなければならない」と言わないと意味がありません。 

核もそれ以外の兵器も非人道的であることは同じですし、全ての兵器は戦争につながりますからね。 

だから全ての兵器を無くすことには賛成ですが、核だけを無くすとなると、逆に世界規模の戦争が起きやすくなります。ロシアとウクライナの戦争を見ても、ロシアが核で威嚇していないと欧米諸国も直接参戦する可能性が出てきます。 

核が確実に抑止力になっているひとつの例ですね。好ましい例ではないですが、現実です。 

だから、「核廃絶」ではなく「全ての兵器を廃絶」と言わないと意味がないのです。 

 

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理想論を語り続けるのが正しいと思う人達もいて、現実的に考える人達もいる。それだけのこと。そのなかで妥協点を探り、実行するのが政治。とりあえず、戦争になったら、経済も、教育も、何もかもメチャクチャになる。これも現実。戦争にならないようにどうするか?話し合いだけで戦争に巻き込まれないなら、どれだけ幸せか、と思う私です。悲惨な経験を、後生に伝えていく活動は大事です。でも、後生の子孫たちに、悲惨な経験をさせないようにする選択は、現実的に考えるべきだと考えます。 

 

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核の恐ろしさを身をもって知ったからこその想いであろうかと思いますが、今は核がなければ当時の何倍もの悲惨さを味わうことになりかねません。 

そもそも話し合いで解決できなかったから先の大戦も起こったわけで、時代に即した平和の築き方をしなければならないと思います。 

 

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核廃絶を訴えるのは素晴らしいと思います。 

しかしその理想論の為に日本人が不幸になるのは違うと思う。 

アメリカ人は自分達を守るのに銃を持つ権利があると言う。それと同じでアメリカ人はつき詰めれば自分達を守るのに核を持つ権利があると言うでしょう。アメリカが手放す事がないのにロシアや中国が手放すはずがない。もうこれだけで永遠に核が無くなる事はないと考えるでしょう。そしたら現実と向き合ってどうしたら核を使わせないか戦争にならないかを考えたほうが平和的になるんじゃないでしょうか。 

 

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核廃絶は理想だとは思います。 

核廃絶を訴える運動も素晴らしいと思います。 

この運動は続けていくべきだと思います。 

 

しかし、現実は核保有国に国が脅かされかねない状況で、核の抑止力を必要とする世の中です。 

 

したがって残念ながら、核はなくなりません。 

日本も核の抑止力を必要としているからです。 

 

それが現実なのだと思います。 

 

政治は国民を守らなければなりません。 

 

日本を守れなければ、核廃絶を訴えることができないかもしれません。 

 

理想と現実をちゃんと仕分ける必要があると思います。 

 

 

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最初は石や棒だったろう。それが弓になり刀になり。いまやミサイルとなり、そのミサイルには核を搭載することができる。人類の歴史を振り返れば、争いの絶えたことは無いし、勝つのは新しい最も強力な武器を備えた側だった。核はいつか廃絶されるだろうが、それは核以上に強力な打撃を与えることのできる想像も付かない究極の兵器が開発される近未来でのことだろう。ともあれ、一度手にした強力な武器が使われずに済むとも思えない。広島・長崎以来の80年間、核は使われていないが、これは今までに人類がやって来たことを考えれば奇跡的なことだ。だが奇跡が続くとは限らない。科学技術の進歩を上回る、人類の意識や精神の次元の進化、本当の意味での(平和的な)新人類が誕生しない限り、人類の自滅への道が止まることは無いだろう。 

 

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被団協の核廃絶という主張は正しい。唯一の被爆国として日本は核廃絶を訴えていかねばならない。しかし、核廃絶を世界に訴えていくことと、核攻撃からの抑止として核の傘の下に入ることは矛盾していないと思う。 

唯一の被爆国だからといって核攻撃を再び受けないという保障にはならない。世界には核を持ち、核で威嚇する国がある。そんな国が日本の近隣に複数存在している。「核への抑止は核しかない」というのも悲しいかな事実である。 

日本は核廃絶を世界に訴えていくとともに、核攻撃を受けないリアルな戦略を持たねばならない。非核三原則の「持ち込ませず」は被現実的な概念である。話し合いでは解決しない問題はあるのだ。 

 

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今回の受賞は、各地で紛争がありよりヒートアップしないように、又世界が右に向かう傾向がある中で、敢えて日本の過去に注目させ且つ先の大戦での日本の行動を想起させ、日本での核保有に一定の釘を刺したというようにも思うんだよね。日本に武力を持たせてはならない的な思いがあるんじゃないかな。 

日米での地位協定や憲法改正には、国連などの承認が必要なんだと思う。つまり日本に対し容易に核保有や共有は認めないという意思表示が賞になっているように感じる。 

 

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個人的に核兵器は必要悪だと思っていますし、日本ももし持てるのならば戦略核を持つ事が理想だとは思いますが、欧州型の核共有をそのまま日本に持ち込む形で議論が進むのならばこれには猛烈に反対します。 

一言に「核共有」と言えば聞こえは勇ましいですが、例えばドイツなどがどういった形でそれをやっているかもっとメディアが詳細を広く公に伝えるべきです。 

まずNATOの同盟国ですら共有されるのは戦術核で基本的には戦地で起爆する事を想定したもの。運搬は同盟国が行うけど権限は勿論米国にある。ヨーロッパの大陸の中で領土が敵対国家と地続きの国と日本のような島国では同じ方法を取っても得られる抑止力は全く違うと思います。 

もし日本がそのまま欧州版核シェアリングを模倣したら、それは泥棒に入られたら泥棒もろとも自分たちで家ごと燃やすための最終手段にしかならないと思います。 

 

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理想として核兵器の廃絶は目指すべきで今回の平和賞は世界的に良い方向へ進むきっかけになれば嬉しい。 

 

でも残念ながら核兵器が戦争の抑止力になっている現状で持たない・持っていない国が話し合いで解決出来るか?となると難しいのかなと思う。 

 

やられたらやり返せるがやらないのが抑止力に繋がる気がする。 

守る為の力を持つのも考えるべき状況になってきたのでは? 

 

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確かに核廃絶は素晴らしいことですが、現実問題として世界中に核はあり、とりわけ日本は世界有数の核保有国に囲まれています。日本ではタブーのように言われますが、核保有も含めて国民全員が柔軟に議論し、対応しなければいけません。理想論を語るのもいいですが、それだけでは平和を守れないと言う現実を受け止めるべきでしょう。 

 

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世界からすべての核廃絶ができるならその方が良い。 

できるなら、ね。 

 

ロシアがウクライナに攻め込み、現代でも領土をもぎ取る事が可能であると知らしめている。大国に対しては国連が無力である事も証明されている。 

 

味を占めたロシアがウクライナの一部を得るだけで満足する保証はない。 

中国がロシアのマネをしないと言う保証はない。 

 

ウクライナが核を保有したままだったらロシアに攻め込まれる事は無かっただろう。 

だからこそ、攻め込まれない策として、核保有も真面目に考えなければならないと思う。 

 

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究極的には核兵器は廃絶しないといけない。 

しかし抑止力としての側面が現実として存在することから目を背けてはいけない。 

核兵器を廃絶することイコール世界から紛争を無くすことに繋がるものでなければその意味が薄れる 

 

石破氏が党首討論でこういう内容のことを話していた。 

 

その通りだと思う 

 

被団協の方々と決して対立する立場となる意見ではないと思う。 

核廃絶は人類の課題です。 

 

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急がば回れという言葉があるが、核共有は核兵器廃絶への一歩かもしれない。自国の核を無条件で手放す国は無い。核共有で加盟国に対する攻撃には必ず核報復する条件にしておけば自国の核を放棄して加盟する国が増えるかもしれない。結果的には地球上の核の絶対数を減らせるかもしれない。すべて理想論ではあるけれど、闇雲に保有国に対して手放せと説得するのは限界があると思う。 

 

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理想と現実は紙一重です。 

理想としては世界がせーので核を廃棄してくれることですが、現実はそうもいきません。 

この世に核がなければ広島と長崎の惨劇はなかったことは確かです。 

しかし、現実に核はあります。 

見方を変えれば、日本に核があれば広島と長崎の惨劇はなかったかもしれません。 

世界が同時に核を放棄することが難しいことを考えると、日本も核を持ってその抑止力で広島と長崎の惨劇を防ぐことが現実的だと思います。 

被爆者の辛さは日本人としてよく分かりますが、被爆者がいくら惨劇を訴えても世界は核を放棄しません。 

 

 

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核根絶は現実的に出来ないよ。棍棒、銅製武器、鉄製武器、銃器、爆弾、戦闘機、ミサイル等々、少しでも相手より強い武器を求め続け核に至った。核を無効化するシステムもしくは核より強い武器でも登場しない限り核は無くせない。悲しいが、それが人類という種なんだよ。けれども使わないことは可能、それを維持し続けるように努力し続けなければならない。この方のようにその恐ろしさを伝え根絶を訴える人の存在も使わない為には必要だと思います。時間とともにどんな悲惨な事も 

忘れていくのも人類ですから。 

 

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田中さんは、中学1年の13歳の頃に長崎市の自宅で被爆し、親族5人を亡くされています。地獄の光景を目の当たりにされ、原爆の恐ろしさ悲惨さを嫌というほど体験されたであろうことは容易に想像できます 

そして、核や原爆について学びたいと東京理科大学理学部物理学科に進学され、卒業後には東北大学工学部に勤務し、定年まで研究・教育に取り組んだ方です 

またそれと並行して被爆者運動に参加され国内外で被爆証言や被爆者支援を求める活動をされてきた方です 

半世紀にわたり悲惨しかない核と戦われてきた92歳の方が、なぜ語気荒く怒りを表明されるのでしょうか?重みのある言葉と私は受け止めます 

 

戦争体験もないであろう、映像の中だけでしか原爆を知らないであろうと思われる人々が、机上の知識だけでもっともらしい事をいくら言っても敵わないと私は思います 

ダメなものはダメ、嫌なものは嫌と言い続けなければ悪の心に負けてしまうと考えます 

 

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某ハリウッド映画で核ミサイルが一斉に発射されるシーンがあります。あれを観た時、正直、恐怖を感じました。今となっては核兵器廃絶は不可能に近いでしょうが、努力は必要でしょう。まあ、人類が地球の癌で在り続ける限り、核でなくても別の方法で地球を汚し蝕んでいくでしょう。人類は滅ぶか地球外に生活基盤を築くべきです。 

 

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核なんか無くなればいいけど、アメリカがもはや銃が出回りすぎて銃規制が出来ないのと同じで、そう簡単に廃絶出来ないだろうと。 

特に北朝鮮やイランなんかが持ちたがるのも、通常兵器で勝てない国では、戦車や戦闘機を最新の物を多数揃えられなくても、核ぶち込むぞという脅しが出来るから、交渉のカードとしても最強かつリーズナブルだから。 

核を持ってる国から身を守るにはどうしたらいいかですよね。 

話し合いで解決なんて、こっちも対抗するカードがあって漸く出来るわけで。 

 

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非核国ウクライナの現況を見れば、核保有国の脅威は明らかであり、露中北に囲まれた日本ほど危険な国は有りません。  

 

米大統領が代わるたびに揺れ動く日米安全保障条約は、日本有利に機能する可能性が低く、本当に核の傘に守られているのか疑念に思います。 

政府はトマホーク1000発の敵地攻撃能力だけでなく、核搭載可能な原潜を製造保有し、日本有事の際に備えるべきだと思います。 

 

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核兵器とは別のより強力な兵器が出てきて、核保有より圧倒的に生産・保有コストが低いなら、数は減る。そして一時的にはいくつかは貧困国へと流れるものの、コストに見合わないためいずれは限りなくゼロに近い数になりうるかと思います。 

ただ、核兵器以上の兵器がない以上、抑止力は必要という理屈で無くならない。これは人間が地球上で繁栄している以上、変わらないのが現実と思います。 

 

ただ、個人的にはこんな人を不幸せにするものは無くなってほしいです。 

 

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核廃絶という理論は素晴らしいですし、日本を含む世界が目指すべきでしょう。それに異論がある人はおそらくいない。しかし核保有国(中国、ロシア、北朝鮮)から敵対国となっている日本としては、相手国が核保有で軍事的な恫喝を続ける限り、核戦力を何らかの形で保有して対抗するのも安全保障上の観点からは合理的。だからこそ日本は批准していないし、批准すべきではない。結局のところ、「飲みに行って話し合えば解決」みたいなトンチンカンな考えに過ぎない。理想を語るのは大事だが、それに向けた過程を考えれば、別に核共有は誤った理論ではない。日本がまた核兵器を使われないためにも、日本は核拡散禁止条約に「現段階では」批准すべきではないのだ。それがわからないなら、中ロ北のスパイだと思われても仕方がない。 

 

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核兵器の脅威が脅威足る理由は被爆者の皆様がそれがもたらす惨禍を世界に向けて発信したからだと思います 

「なんかよく分かんないけどすごい兵器」ぐらいの認識だったら世界の人々はもっと気軽に核兵器をぶっぱなそうとしていて下手したら3発目の核兵器が炸裂していた可能性もあると思います 

世界の人々の記憶から核兵器のリアルが薄れるにつれて核兵器を使ってしまえという論調は次第に強まってしまうことは容易に予想できるため今後も核兵器の悲惨さを伝えることには大いな意義ある思います 

 

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シンプルに思うのですが、核兵器を持たなければ平和を維持できないとまことしやかに語られますが本当にそうでしょうか?世界三大核保有国、アメリカ・ロシア・中国って、世界で一番戦争している国々じゃないですか?何が平和維持かと思います!少なくとも、核を持たない日本は少なくとも70年以上にわたり戦争していません。これは、理想や幻想ではなく事実なんですよ!だから、今回のノーベル平和賞は、とても価値のある賞だと思った。 

 

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私は、陸海空軍その他の戦力の不保持に交戦権の否定しているにもかかわらず、どのようにして日本を守るのかの記載すらない憲法9条の改正、陸海空軍の保有にも賛成で、中国やロシアに北朝鮮の脅威に備える為、それによる通常戦力の強化も必要で有ると思っています 

しかし、核兵器の共有も保有にも、賛成することは出来ないです この気持ちは、生涯変わることは有りません 

 

 

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抑止力のため核を保有するべきとの考えの意味はわかります。しかし相手と対等になるということは逆に言えば、そちらも武器を持ってるのだから使われても文句は言えないし卑怯でもない、ということにもなります。もし使われた場合はやり返すのでしょうか? 

 

平和的なアピールを声高にして、少しずつでも紛争の無意味、武力の縮小を訴え続けなければ、いずれ核戦争やそれ以上の兵器による破滅が待っているでしょう。 

 

日本は唯一被爆した国として、核廃絶を世界に訴え続けるべきです。世界で唯一のその特権を放棄してどうするのでしょうか。 

 

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核兵器廃絶運動を半世紀以上続けてこられたことには敬意を表しますが、 

じゃあ通常爆弾の高性能爆薬で吹き飛ばしたり破片で切り裂くのはいいのでしょうか? 

 

銃弾で身体を破裂させるのも非人道的であり 

全ての武器の廃絶こそ人類の理想だと思います。 

 

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現実を見ない理想など、夢幻の如く也。 

夢への実現の第一歩は、夢から覚めることだ。 

 

第二次大戦を戦った方々の多くは、おそらく抑止力のための核は必要だと言うと思うけど。 

それこそ、その手に武器を携えて、戦場で敵と戦った方々なら尚のこと、抑止力こそ大切だと言うと思うけどね。 

 

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核の被害を二度と出さないことが大事なのであって、その方法の一つに各共有であり、核廃絶も同様。 

 

核廃絶より核共有の方がよほど現実的なわけで、被爆者だからって新たな被爆者が生まれるかもしれない発言をして良いわけじゃない。 

 

例えばウクライナが核を共有していたらロシアは打ち込むのに躊躇するだろうが、現実は共有していないのでそろそろ打ち込まれる可能性はゼロとは言えない。 

 

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単純に、国家として核兵器を頑なに排除し続けた場合と、共同運用という形で間接的にでも核武装した場合と、どちらが未来において他国から核攻撃を受ける確率が低くなるか、という視点を持てば、現状においての答えは自ずと出るはずでしょう。 

 

また、声を上げ続けることはもちろん大事ですが、少なくとも現時点で全世界の核廃絶は不可能と思います。 

 

「政治のトップ」が国民と国土を核攻撃から守るために「各共有」を検討することを論外とするということは、現状では逆に国民国土を核攻撃の危険に晒すことを是とすることになるのだという考えを、どうかご理解頂きたいと思います。 

 

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刀は現在武器ではなく美術品である。 

火縄銃はイベントでしか使われないし戦艦は記念艦以外現存していない。 

兵器が廃絶されるのはそれが戦術乃至戦略的に価値を失った時。 

核兵器より効率的に人命を失わせる新たな兵器が開発された時、核兵器はその存在価値を無くし、廃絶されることでしょう。 

効率的とは安価で大規模な殺戮を行えるという意です。 

 

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従来の核保有は核の抑止力の為にという前提の上に均衡が成り立っていたが、露のウクライナ侵攻辺りから、プーチンは戦略核兵器を使用すると恫喝して来ている。  

これに影響を受けた北朝鮮の金正恩も、核保有を従来の抑止力の為の保有から、兵器としての使用への変容を口にし出して来た。  

これは極めて危険な変調であり、徹底的にこの強権国家の核の使用を止めなければならない。  

今回の日本被団協へのノーベル平和賞の授与は、そうした強権国家の核保有国へ、核の使用の脅威の再認識を通じて、核は絶対に使用してはならない兵器であるという強い認識を持たせる為の強いメッセージであったと確信する。 

核の本当の恐ろしさや、人類として絶対に使用してはならない兵器であるという認識は、時間の経過と共に風化しつつある恐怖が世界を覆いつつある。 

唯一の被爆国として、核の本当の脅威の発信は今後も続けなければならない宿命なのではないだろうか。 

 

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核共有あるいは核保有という考え方、意見に対して 

論外だの怒り心頭だのと感情論を展開するのはいかがなものか。 

自分達の意見のみの排他的な考えを絶対とする偏った考え方を 

する団体であることを残念に思う、ノーベル平和賞受賞を大喜びしていたが 

名誉のために活動していたのかと、驚いています。 

自分達の活動の意義をもう一度考えた方が良いのではないかと思います。 

 

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核というものほど、現代においてまた人類において「両刃の剣」ということばが当てはまるようなものは他にちょっと思いつかない。 

それは、兵器のことだけでなくエネルギー供給の手段としても、である。 

人類には核を完全にコントロール出来る技術がまだない。 

自分を守るつもりで自分に恐ろしい刃を向けてくる可能性もある。 

 

核兵器が抑止力と盛んに言われるが、それが永遠にそうである、いかなる状況においてもそうであるという保証はない。 

現実に原子爆弾を使った者の存在はあるのだし、相手が核を持っていれば絶対に人間は核のボタンを押さない、とは言い切れない。 

核などというものでなくても自分の主張を通すために犯罪を犯す人間というものは人間社会では後を絶たない。 

 

未来における多くの人の命や人類の存続そのものに関わってしまうかもしれない代物について、少なくとも「持つべきだ。」という無責任な断言は自分はできない。 

 

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日本が実際、核を持たないで共有という事であれば、それは今の現状を考えると仕方ないと思う。アメリカに依存する形にはなるが、過去の戦争で多くの人の命が失われた事実はアメリカにも責任がある。また、中国という存在は日本にとってもアメリカ、世界各国にとっても脅威でしかなく協力は必要だと思う。 

 

 

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日本が実際、核を持たないで共有という事であれば、それは今の現状を考えると仕方ないと思う。アメリカに依存する形にはなるが、過去の戦争で多くの人の命が失われた事実はアメリカにも責任がある。また、中国という存在は日本にとってもアメリカ、世界各国にとっても脅威でしかなく協力は必要だと思う。 

 

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核廃絶は素晴らしい。 

しかし、それが実現する前に日本が核攻撃されてなくなっていたら日本国民にはなんの意味もない。 

悲劇を繰り返さないと言うのは、核を使わせないという意味だけではなく、日本国民に2度と核の被害を受けさせないという意味もあるはず。 

ウクライナの悲劇を現実的に受け入れるべきだ。 

 

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核廃絶というが、世界中の国が一斉に核を廃絶するなどという事はないだろう。 

最初に廃絶した国は、丸腰に近くなるので、そこを狙って攻め込まれるだろう。 

そもそも、広島、長崎の被爆者(特に亡くなられた方々)は、すべての人が核廃絶を願っているのだろうか? 

原子爆弾で悲惨な死に方をした被爆者の中には、未来を託した現代の日本人に平和な世の中が未来永劫続く事を望むよりも、何とかして、原爆を落としたアメリカなどに自分たちの「仇」(かたき)をうってほしいと願う気持ちもあるのではなかろうか。 

もちろん、平和的な考え方ではないが、日本人であるならば武士道の考え方からしても決して間違った思想ではないと思う。 

仇を打つというのはやり過ぎだとしても、核廃絶うんぬんよりも、日本人の命を守る事が最重要なのは当たり前だと思う。 

核廃絶で日本人が安泰に暮らしていけるのかが疑問である。 

 

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生き馬の目を抜くような国際政治を生き抜くには現実を受けて止めることが重要。日米安保体制はやむを得ない。これが有ったから、日本は軍事費分を経済成長のための資金に回せたんですよね(歴史的事実です)。これによって豊かな日本が生まれ、社会運動に従事できる人が生まれたという逆説的現実。 

でも。非核という理想があるからこそ、未来に変化が生じる可能性がある。よって今は、現実も理想も並び立たせることが大事。 

 

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核兵器は抑止力ではあるが、それを盾に廃絶の運動は無意味だと言うのは、あまりにも無慈悲だと思う。 

 

核があるから、核戦争というみんな無いだろうと思っている事も、可能性がゼロではなくなってしまう。 

今も一歩間違えばそうなる可能性だってある。 

 

理想論だとはわかっていますが、廃絶を呼びかけるのは続けるべきだし、人類、地球を守るうえで、やめてはいけないことだと思う。 

 

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核の恐怖を後世に伝えることは誠に素晴らしい活動ではあるし、世界で唯一の被爆国である日本がこうした活動を行うことに意義がある。 

しかしながらそうした活動とは裏腹に世界中に核は拡散している。こうした現状を考えると、むしろ日本が核の被害を再び被らないためには、核の共有なり、もっと言えば核保有そのものをタブー化せずに考える時期にきたような気がする。合理的に考えて、核を保有している国としていない国のどちらかに核を落とすとなったら、確実に狙われるのは核を保有していない国だ。核の抑止力はかなり強力で、核保有国同士が戦後において全面戦争になったことはない。必ずどこかでブレーキが掛かる。 

私個人としては日本は核の抑止力を持つべきだと考える。 

 

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例えば米国が核を放棄したら、世界秩序はどのように変わるのでしょうか。 

核を保有する限りどの国も同じではなく、米国が核を放棄すれば明らかに独裁国家の侵略を許すことになります。 

日本が独裁国家の侵略を受け、言論の自由や思想信条の自由を奪われ、民族の文化を抹殺され、人の命を軽んじる教育が施されることの方が核兵器により命を奪われるよりましと考え得るかどうかというところが論点だと思います。 

結局、独裁者に征服されても良いという覚悟ができない限り、全世界一斉放棄しか廃絶の道はないと思います。 

はっきり言ってしまえば、独裁国家という下らない国が世界から廃絶されない限り、廃絶によるリスクは大き過ぎるということだと思います。 

 

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核兵器廃絶を理想とする考え方は大変よく理解できますが、核共有を怒り心頭と言われると少し引っかかりますね。核兵器は戦後伝えられる通り通常兵器とは桁違いの威力と悲惨さを持っていますが、だからこそ簡単に捨てられるものではないでしょう。ウクライナ・ロシア、中東での事の背景は置いておくにしても状況が極まればそれなりに力ある国家が戦争を沢として選ぶことがわかっているのですから、突然の暴力にいかにして対応するかは非常に重要だと感じます。 

 実際に出来るかどうかは置いておいてもそう言った安全保障の観点についても発信していただかないと、「核共有は間違っている」と一方的に言われても団体の理念に国民全員で殉じることを強制されているように感じます。 

 

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核の廃絶は、必要だ。 

しかし、核廃絶の問題と現に多くの国が核を所持しているなかでの抑止力とは別の問題だろう。 

核拡散防止条約などを締結していない国や条約を破棄する国がある現実を見ると、世界中の全ての国が同時に核を廃棄しなければ国民の生命や身体を守ることはできないだろう! 

現状では核廃棄を訴え、世界全ての国に核兵器廃棄の組織を作り運動していくしかないだろう。 

 

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最終的な目的は世界平和に向けた核の廃絶だとしても、それに至るまでのステップとして核共有は一つの選択肢として捨ててはいけないような気もしてます。 

 

ウクライナを見てもそうだし、結局みんなが持ち始める、または共有することで核保有の意味が無くなったら、廃絶に向かうのも目的に向けた一つの登り方ではないだろうか。 

 

 

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ヨーロッパ人が日本の当該団体にこの時期になぜノーベル平和賞を与えたか、に非常に興味があるのです。 

核兵器はもとより戦争も廃絶したいと思ってるのは白人もアラブ人も北朝鮮も同じです。そう思いながら日々一生懸命に軍事力強化しなければならない彼らの心根をよく考えるべきなのでは。 

彼らが言う「人類の課題」を達成するにはどうするのか、具合的に示して欲しいです。 

 

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核廃絶は人類の課題。それは核を保有したいとかアメリカの傘の下にいたい日本人とかもいる。でも、一度使えばやはり大量に多くの胎児や赤ちゃん等の民間人を殺す。赤ちゃんは核兵器を使用してなどと表現はしない。また核兵器を廃棄しろとも言わない。どちらにたいしても言葉を知った人のみしか言えない。だから人類の課題である。特に今回ノーベル賞平和賞を被団連の方が受賞したので、日本の政治家は民衆の代弁者でもあるのでそれを鑑み少数意見も吟味し批准するよう行動を示すように要望したい。 

 

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核兵器を自前で作るよりは共有したほうがこれ以上増えなくてよいのでは。共有することによって、核抑止力が強く働き安易な攻撃はできなくなる。そもそもアメリカの核の傘の下にいて核兵器はというのも無責任ではないか。核兵器なんてないにこしたことはないしなくなってほしいが、全世界の核が一斉にという条件が付くかと思います。 

 

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各共有しても意味がない。 

そんなもの飽和核攻撃食らえば何の意味も持たない。 

 

核廃絶とか絵空事は論外だが、各共有も絵空事という面では大差ないのよね。 

 

日本の場合、ロケット技術や核濃縮の技術、そしてプルトニウムなどを保有してるので潜在的に核保有しかねない国と認識されてるだけで一定の抑止力になっている。 

 

これを上回る抑止を求めるなら、核兵器を持つより原潜を持った方が意義深いだろう。 

 

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理想が現実と一致できないことはいくらでもある。原爆資料館を尋ねたすぐ後になら抑止力としての核であっても受け入れ難い気持ちを持つ。しかし日が経てば世界の現実が勝る。抑止力が必要不可欠であると。でもいつか核は抑止力ではなくなる日が来る。核は必ず兵器として使用される。 

 

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核だけが問題視されるが、紛争の優位・不利は明らかに核を保有しているか否かで決まる。核の保有国は戦争を仕掛けて優位に立つという構図は変わらいないであろう。平等性を考えれば、全ての国が1発だけの核を保有してもいいようにも思える。ただし使用すれば、取り返しがきかない。 

核に関して最も責めを負う国は米国である。使用してしまった唯一の国だから。もし、本当に核が紛争の抑止力になるならば、一国一発までは認めてもいいような気もする。例えば、NATOがウクライナに対して、核の提供をしますと言えば、ロシアの反発は必須だが、ロシアの小麦がほしいからの植民地化は避けられる可能性はある。核を保有するが、使わなければいい。使った国は滅びるくらいの制裁をすべきだ。でも、米国は健在なので皆が核を脅しに使い、非保有国は屈した状態になるだけが現状ではないかな。ピンポイントで命中確実な核があればもっと紛争を抑えられるかも。 

 

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原子爆弾により日本を甚大な被害を被りました。多くの人が犠牲になりました。原爆資料館に残された資料は目を背けたくなるような凄惨な物でした。感情論としては日本に核を持って欲しくない。しかし核の傘が強固な抑止力になることも事実です。日本が核を持つか否か。真剣に議論が必要ですね。 

 

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広島の原爆資料館には過去に2度行きました。核兵器がもたらす深刻な結果や残虐性を考えると、個人的には核兵器禁止条約を日本も批准すべきだと思う。こんな恐ろしい爆弾が一般市民の暮らしの上に投下されてはたまらない。 

核兵器を容認する人達は、どこか人ごとで、自分は被害者にならないことを前提にしているのではないかな。なかなか進まない廃絶の訴えと並行して「自分の頭上に核兵器を使われない権利」を国際社会に訴えて賛同者を増やして行くことはできないものだろうかとも思う。 

 

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でも、核ミサイルと言うのを作られた保有している以上それを手放すのは出来ない 

それをすれば他国からの攻撃や今までの緊張が解かれ一気に攻められてしまう 

他の所は攻められたくないからと作ってしまう…作るのは簡単だけど持ってしまった以上他国との睨み合いはずっと続き牽制しているのが今 被害者だから反対って言うのは簡単だけど保有国が(一斉に)廃棄しないと捨てた所から狙われ新たな世界大戦が始まってしまう そもそも生物は生まれた以上争いの無い暮らしは出来ない何かが何かを消費して生きながらえてるのだからそれを皆争わなくなったら生きられなくなるだけよ? 

 

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核共有しようが単独保有しようが攻めようと思えば攻められるでしょ だって核兵器は実際に使えないですし ウクライナに国内に攻め込まれてるロシアはウクライナに核使わないですし、核持ってるイスラエルにイランはミサイルを撃ち込んでる あのロシアですらも核兵器を使用すればどういった事態になるか分かってる 日本が核共有しても無意味だし、それを口実に攻め込まれる懸念すらあると言える 

 

 

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ノーベル平和賞の団体に反論するのは心苦しいが、日本はアメリカの核の傘の下にいるせいで戦後の平和がが保たれてきた。ウクライナ戦争とガザ戦争をみたら分かるが、ロシアが不法な侵略をしても国内を攻撃されないのはロシアが核を保有しているため。イスラエルがイランやレバノンをどんどん攻撃できるのは、2つの国が核を保有していないからだ。理想と現実は誓う。日本は中国、北朝鮮、ロシアと三方を権威主義の核保有国に囲まれているため、国を攻めらせないためにも強い軍事力は必要だ。一番効果が高いのは日本も核を保有することだと思う。 

 

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ノーベル平和賞の多くは、あくなき理想の追求。 

ほかの方も言っておられますが、理想と現実を正しく理解することは大切。 

遠い将来、核廃絶に辿り着くまでに、通過しないといけない状況があるかもしれない、ということも許容しないと、絵に描いた餅になってしまう。 

で、日本国に、政府にどうこう言う前に、世界各国を冷静に俯瞰して、どの国に働きかけるべきか考える、そのほうが大事。 

 

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そりゃあ核兵器なんか無いに越したことは無いが、日本に隣接するロシア、中国、北朝鮮のような国が核兵器を保有して、実際に他国を侵略するような戦争をやってるのだから、理想論だけでは国民の生命、財産を守り抜く事はできないと思います。日本に核兵器や正規の軍隊、スパイ防止法が有れば、北朝鮮の日本人拉致も起こらなかったと思います。ちゃんと鍵を掛けたり、防犯システムをしっかり行わずに、口先だけで「防犯!」「防犯!」と言ってても埒が明かないという事です。まずは「核シェアリング」から検討して頂きたいです、それは二度と日本人が「被爆」なんて悲惨な経験をしない為の備えです。 

 

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核は絶対無くならないし 昔の世代の悲しい出来事は分かりますけど 

これからの世代の人間達 子供達の為に侵略されて酷い目に合わない様に核武装は必要だと思います。 

これからもずっと新しい世代の人が主役になって行くのだから 昔の価値観は次の世代に合わないなら変える必要が有ると思います。 

核が無くなるなんて綺麗事でしか無い 

惨たらしい平気なのは分かってます 

でも、抑止力も無ければ 次の世代が訪れずに日本が無くなる事もあるだろーし。私は核武装して欲しいです 少しでも侵略されて酷い扱い受ける事の無い様に 

 

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戦争の生き証人で、我々より戦争の悲惨さを理解されている方なのだろうとは思うけど… 

これだけ変化の激しい時代に、御老体が総理相手に間違ってるから説得したいって高慢だなと感じました。ノーベル賞取ったからって調子に乗らないでほしい。 

 

核廃絶を訴えたいなら先ず核保有国に訴えてください。現実に核が存在する世の中で、核を持っていない日本は核の傘に入る以外核から防衛出来ないと思います。 

 

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おっしゃることはわかりますが、この考えは核を持つロシア一国にすら通用しない考えであることは明白です。ロシアはウクライナが核を持っていたとき「アメリカやイギリスとロシアが安全を約束するから核を手放してほしい」と甘言を弄し核を手放したウクライナを騙し討ちで攻め込み、思うように戦争が進まないとNATOを牽制するため核を持たないウクライナに核を使用の脅しをロシア大統領自らかけ続けています。残念ながら最早国際社会の現実を知り受け入れねばなりません。話せばわかると言うのは、最早永遠に空論で、日本も単独で核を持たなければ安全も安心も無い現実をロシアは世界中に見せつけたのです。 

 

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「持てる国」の通常兵器による攻撃で「持たざる国」の民間人がどれほど命の代償を支払う羽目に陥っているか、その目にちゃんと映っているか? ノーベル賞お膝元である欧州の人々は、持たざる国の市民の命をどんな方法で守れているというのか? 核による威圧の前で、中途半端な通常兵器支援を継続することしかできていないのでは? ノーベル平和賞の価値を貶める意図はないが、選考しているノルウェーはNATOの核共有システムのメンバー国でもある。 

それが今現在の世界の実相だろう。人類にとって理想は大切だが、現状では、その理想にしがみつけばつくほど生命リスクは高じると断ぜざるを得ない。 

 

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核兵器は使えば人類の破滅かもしれませんが、その可能性は常にあります。いくら理想論を言っても、現実を変えることはできません。私はこういう運動は好きではないのです。無責任な理想論と、バランスオブパワーの現実論は、永久に平行線でしょう。自分たちの理想に酔いしれて、無責任なことを言っているのが分からないのでしょうか?何か特別な権利でもお持ちとお考えなのかもしれません。話し合いですべて解決できるのなら、まずは身近に原水禁と原水協があるのか教えてください。 

 

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核兵器なんてもの無い方が良いに決まってますが。 

 

ロシアや中国、北朝鮮、インド、パキスタン、そしてアメリカが核を廃棄出来るのなら良いですが、残念ながら核を保有して廃棄を達成出来た国は一つもありません。 

(ウクライナ等は旧ソ連の核を廃棄した形なので話は違います) 

 

先ずは日本がどうこうよりも、上に書いた何れかの国ででも核が廃絶出来るようにするのが先かなと。 

 

核共有して本数を減らし、結果核兵器を所有(保持ではなく)する国を減らすと言うのも核廃絶に向けて良い動きでは無いかと思いますが(例えば中国が北朝鮮と核共有) 

 

考えは高尚で、手段としては理想的なんでしょうが、非常に実現性に乏しい様に思います。 

 

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核がない世界は素晴らしいです。ですが、現実世界では現在日本に敵対する国が核を持っているのです。 

日本の戦国時代にある一国が武力を放棄したらどうなったでしょうか。間違いなく攻め落とされ消え去ったことは間違いなしです。江戸時代を経て明治時代になり海外の武力を前にして日本を統一しようという動きの中で初めて武力を放棄することができたのです。 

世界が武力で統一でもされない限り武力が撤廃されることなど起こり得ないでしょう。より強力な兵器が出現しない限り核がなくなることもないでしょう。 

かつて核の犠牲になりその被害を知っている我々は、再び核の被害に会わない為にも抑止力として核を持つ選択肢を捨てるべきではないと思います。 

 

 

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核がない世界は素晴らしいです。ですが、現実世界では現在日本に敵対する国が核を持っているのです。 

日本の戦国時代にある一国が武力を放棄したらどうなったでしょうか。間違いなく攻め落とされ消え去ったことは間違いなしです。江戸時代を経て明治時代になり海外の武力を前にして日本を統一しようという動きの中で初めて武力を放棄することができたのです。 

世界が武力で統一でもされない限り武力が撤廃されることなど起こり得ないでしょう。より強力な兵器が出現しない限り核がなくなることもないでしょう。 

かつて核の犠牲になりその被害を知っている我々は、再び核の被害に会わない為にも抑止力として核を持つ選択肢を捨てるべきではないと思います。 

 

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核廃絶は人類の課題だし、その活動を後世に引き継いでいくのも大切と思う 

しかし世界は変わってきているし、どうもいい方向に変わってきているとは思えない 

20~30年後の日本に生きている人は今の50~60歳より下の世代 

核廃絶も核共有も彼らの世代が考えて決めればいいと思う 

被団協といえ、そこまで未来に干渉は出来ない 

 

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日本が唯一の被爆国であり、その被爆者がいる事が事実。保有国の核兵器が抑止力になっている事も事実。何かの映画のようにアメリカが保有国に核兵器を使用し保有国が一斉に発射し、互いが自爆させない限り核兵器はなくならない。しかし原発がある限り核兵器は作ることができる。廃絶を謳うことは理想であると思うが、抜け出すということは、核以上の兵器を持つ国が現れるという未来。 

 

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核廃絶を訴えながら抑止力としての核保有も念頭に置いておかなければならない。ダブルスタンダードのような考えではあるが、 

不適切な国家から世界を守るためには核の抑止力も必要であると言う事は否定できない。リプライでも言われている通り、ウクライナが核保有国であったとしたならば、ウクライナの多くの善良な市民たちは戦火に巻き込まれて亡くなっていなかった。 

 

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人類の滅亡までに間に合うかどうかは微妙なところですが 

普通に考えれば核廃絶は可能です。 

 

核兵器は確かに威力は大きいですが、小規模破壊には使いにくく 

残留放射能の影響等で色々面倒な兵器であり、使うと全世界から袋だたきに 

あいかねない、余りお勧めできない兵器です。 

従ってもっと小回りがきいて便利に破壊・鏖殺できる兵器が開発されたら 

急速に置き換わっていくでしょう。 

昔あれほど戦場を席巻した火縄銃が使われなくなったように・・・・。 

 

核廃絶は核を超える新兵器により可能ですが、平和になるかは別問題。 

人間そのものは基本的に昔から変わっていませんので。 

 

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日本も核を持つべきと主張する方もかなり多く居るのですが、日本は戦争をしない国ということを世界に示すべきで、核など絶対に保有してはならないと思います。 

どこかの国が核を使えば、攻撃された国も核で応戦し、地球そのものが汚染されて人類は滅びる可能性すら有ります。 

第三次世界大戦は核戦争になるでしょうから絶対に核の使用は避けなくてはなりません。 

原発の核処理すらできないのですから、地球規模で核汚染されたら本当におしまいだと思います。 

ロシアだけでも1000発以上の核を保有しているのですから日本が核を持っても抑止力にはならないと思います。 

ロシアが一斉に日本に核攻撃をしてきたら全部を迎撃できるはずもなく、日本は終わります。 

数発の核に抑止効果は有りません。 

日本は核廃絶を訴え続けるのが正解だと思います。 

 

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動物の世界を観て、「何のために生まれてくるのか?」と、問い続けて出た答えは、「捕食されるため…」であった。少なくも、人間を除く動物は、例外でもなければ、老衰の前に必ず食物連鎖の中に生涯を終える。 では、人間はとなると、それを避けるために、群れを作り、武器を使うことで万物の霊長として君臨するようになった。 が、それは所詮、人類程に知能が発達しなかった動物との関係においてのみであることを、今の世界情勢は証明している。 人類同士の間では、未だ人類の思考は、知的レベルの低い動物達と同じレベルにあると言わざるを得ない。縄張り争いから始まり、あらゆる勢力保持、拡大から身を守り、世界を高度な知的共存に持って行くまでは、愚鈍な権力者達が未だ支配するこの世界にあっては、真に知的レベルの高い者が、最強の兵器を所有することが、恐らくは、平和への近道なのだろうと思う。 だが、それが決して米国ではないとも 

 

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核が抑止力になる、と常識のように言われますが、地政学の世界では核がどうのこうのではなく、地政学上の対立が前提にあって武力という手段があります。 

日本は海に囲まれた場所にあり、地政学上の対立は中国と北朝鮮くらいのものです。米軍基地が各地にあり、核のない日本の軍事力も非常に強力と言われています。本当に中国と北朝鮮が日本に攻めてくるでしょうか?その場合何が目的になるでしょうか? 

発生確率は極めて低く、仮に攻めてきた場合は、米軍により自国が極めて重大なダメージを追うことになります。そうなると核が必要な理由はなんでしょうか?核が抑止力と常識に流されて思考してばかりで、何も理解して発言していないのです。核という壊滅的な兵器を家の中で持っている方がよほど危険度は高いです。 

 

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核共有は、石破さんが引っ込めてしまった日米地位協定の改正が大前提です。あれをやらないと実現は無理。ドイツとイタリアはすでに地位協定を改正し、法的に米軍と対等に近づいているから核共有が出来たのです。 

 また核共有とは、日米による核兵器共同管理のことではないので念のため。在日米軍が核兵器を使うかどうかという場面で、日本政府も意見を言えるという権利に過ぎません。 

 だから核共有が実現したところで、別に日本を巡る核抑止力が強くなるわけではないのです。アメリカ政府と米軍に対する、日本の法的地位が向上するだけですね。もちろんそれだって大したことで、そこまでやってやっと戦後が終わるとも言えるのすが。 

 

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被団協が今迄活動してきた所以を、全く理解して居ない人が存在する事が根底に有る。 

 

全員が原爆被害者であり、皆が受けた災難を他の人に被害が及ばない事にしようと核の盾に成る積りで運動して居り、原爆被害者が如何に辛い思いをして生きてきたかを真面目に考えて見る必要が有る。 

 

原爆炸裂時に、瞬時に死亡した人のみでなく、火傷を負い長年苦しんできた被爆者の気持ちを、真摯に受け止める必要が有る様に思う。 

 

 

 
 

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