( 222727 ) 2024/10/15 18:47:46 0 00 =+=+=+=+= 元々、芸事なんて毎回正確に評価出来るものじゃ無いのだから、審査員・視聴者の好みが出るのは当たり前。 その上で賞レースに出場する芸人さんや周りの芸人さん・視聴者が納得出来る評価を出せるかどうかっていう話だと思いますが。 その点で、以前は上記の人達の多くが納得する審査員が松本人志だったが、出なくなれば、その内代わりが出て来る。(番組が無くなる可能性も高いが)
=+=+=+=+= 組織論では、誰が居なくなっても問題なく機能するように作り上げるのが 基本である。芸能界は多少違うとは思うが新陳代謝を繰り返して今がある。 思えば、島田紳助さんが突然引退したときもいち視聴者から見れば概ね 滞りなく継承されたように見えた(紳助ファンは違って見えたでしょうが) 審査の件は大体は一定のレベル以上の演者で行われていたので 最後は審査員の好みで決まるのは致し方ないと思う。
=+=+=+=+= いろいろ言われるけど、飯塚は「こういうのが良いコントというコンセンサスを得てきた」というのを明確に説明しながら審査をしていたので基準にブレがなかった。たまたま「好み」というワードを使ったのを出演者が拾って返したのでトレンドワードになっただけで、むしろ審査は全体的に公正さを増したのではないか?
=+=+=+=+= 松本人志伝説の虚像が次々に明らかになってきた。 今回のキングオブコントの優勝者を見てもわかるように、同じお笑いでも様々な方向性がある。松本人志はある方向性の頂点にしか過ぎないのに、後輩や同僚がファンがマスコミがいつの間にか神に祭り上げてしまったのだろう。 松本が偉大という虚像により皆が萎縮し遠慮していた面があるのではないか。 こうして現場から消えてみると、松本人志も多くの芸人の一人にしか過ぎないことが実感できる。
=+=+=+=+= 松本は裁判に専念する休んだのが命取りになったね。裁判なんてすぐ決着が付くものじゃないし、しかも強要の性行為はしてないということで松本が裁判に勝ったとしても、即復帰という流れにはならない。お互い同意の性行為ならば不倫ということにもなってしまうからだ。 普通は弁護士がそこいらへんを把握してて、裁判起こしてもプラスにはならないと、最初の時点で松本にアドバイスするのだが・・・。
=+=+=+=+= まぁ松ちゃんがいれば他の審査員も自然と松ちゃん寄りになる可能性もあって、今の横並びの審査員がそれぞれの好みがあって、均して平均の審査になるだろうが、この面子が固まれば、審査員に選ばれやすい傾向もだんだん決まってくるだろうから、マンネリ防止には、審査員の顔ぶれも替えていくのが多様な笑いが見られていいかもしれない
=+=+=+=+= 松本さんが審査員してた時も、「僕は好きじゃなかった」って言ってた事ありましたよ、さらに周りの審査員も追随するような雰囲気も。 松本さんのような大御所と呼ばれる方に審査され優勝したら名誉な事だと思うけど、コントが上手な芸人の審査の方がコントに対する持論があって的確かもしれないですね。でも少なからず好みは出ると思うけどな。だめかな。
=+=+=+=+= 審査員の好みという言葉が一人歩きしているが、それはちょっとミスリードがあると思う。 確かに好みだが、一線級プロの審査員各々にそれぞれ審査基準があり、それがバラバラだから好みで決めているように見える。 評価軸が違うだけで、審査基準がないかのような言われ方は気の毒だなと思うわ。 もちろんそれを覆すほど理解を超えて面白ければ高い点数を付けるしかないと思うけど、理解の範疇なら評価軸に沿って採点するでしょ。
=+=+=+=+= 好みで言ったらダンビラムーチョみたいに、明らかに変わってる人が出てきて、それに対してツッコミを入れるっていう何も考えずに笑えるネタが好きかなあ。ロバートとかバイきんぐとかはそれで強かった気がするんだけど、最近は明確なツッコミ無しで物語として笑わせるネタが多い気がする。
=+=+=+=+= 審査するのは他の人でも出来る。 けどその人に審査されること、評価されることを出場者側が納得出来る人選かっていうのが大事で。 松本人志はそこら辺はやっぱりクリアしてるし、「コント」という点だけでいうと全国回ってあれだけ集客出来てる東京03の飯塚さんや、ネタなどの評価の高いシソンヌのじろうさんなんかは適任だと思う。 個人的にはあと設楽さん大竹さんあたりも審査員としていて欲しい。
=+=+=+=+= 松本不要というか、松本でなくても良いという処だと思う。芸人だって世代交代はあるし、若手の中にはもうゴッツを観ていてたとか皆が松本に評価されればOKなんて思ってる人らも少なくなってきてるのでは。 極論、野球なんなもONとかも過去のニュースや記録記事で凄い選手だったとは知っていても、今やこれからプロを目指す若い世代には直接憧れの対象にはならないでしょう。 特に芸能においては、どんなに大物や一世風靡した人でも代わりは次々と出てくるというのは今までもこれからも変わらないかと思う。
=+=+=+=+= 今、第一線級で活躍しているコント師の多くが、ラーメンズやバナナマン、東京03などの東京のコント師に憧れて影響を受けている芸人ばかりで、バカバカしいネタとか、下ネタやバイオレンス要素が多いコントよりも、ストーリー性や構成、演技力やオシャレ感などが重視されている傾向が強い。 今回の審査員も、全員主に東京で活躍している芸人で、秋山と山内、じろうは吉本だけど、それぞれ福岡と島根、青森出身で、関西色は薄い。 松本はバリバリの関西人だけど、コントにおいては今回の飯塚と同じく、掛け合いが少なかったり、小道具や暗転に頼るネタには低い点数をつけていた。 だから、今回松本がいようがいまいが、結果に大して影響が無かったというのはその通りだと思う。 M-1でいう志らくや、山田邦子みたいな審査員が何人かいればまた違った結果だったんだろうけど、それはそれで批判殺到だったと思う
=+=+=+=+= 芸能の全ては、時代ごとの流行り廃りで、芸人に対する絶対的な評価をその日その時ではできない。 そういう点では、今の旬やこれから受けそうな傾向を示す番組なら、この番組をやっていく意味があるのでは。 お笑いも多様性で、型にハマったものが次々出てくると、審査員がだれが一番適任なんてないのでは?
=+=+=+=+= 恐らくこの記事の通り、松本人志が審査員にいてもいなくても、結果はさほど違わないと思います。
ただ、M-1、R-1と違い、KOCは「松っちゃん主導」でスタートしたコンテストであり、エントリーした芸人も「松本さんに評価されたい」という思いが強くありますから「結果は同じ」というだけで、松本人志不要論につながるものではないと思います。
個人的には、コントの評価は漫才以上に好みの振れ幅が大きく、コンテスト向きではないコンテンツだと思います。ただ、KOCの上位進出者たちが出演する「キングオブコントの会」は爆発的に面白く、そういう意味では、優勝者に多少のブレはあれども、実力派コント師のテレビ披露の場として、今後もお笑いファンに必要な番組ではないでしょうか。
=+=+=+=+= 面白い面白く無いは個々で違って当たり前。その中でテクニック的な部分とかを評価していけば良い。いくら他の審査員が辛めの点数つけても松本が面白かったってだけで何故か救われる芸人が多くいたのも事実。だかやはりいい点とって優勝した者が一番面白くないといけない。
=+=+=+=+= M-1もそうだけど、基本的に審査員の好みでしょ?それはそんなコンテストでも同じ。ミスコンだって審査員の好みでしょ? 逆に松ちゃんがいたらって言うならそれこそいないほうがいいというか、IPPONのようにチェアマンとかで点数に影響のないポジションでいいんでは? 個人的には決勝の3組より点の低かったコンビやトリオの方が面白かったし、次も見たいと思った。玄人目線か素人目線かもあるし、自分で作ってるかどうかもあるだろうしね。だったらDボタンを使っての完全視聴者参加型にするとかであれば文句ないんだろうけれども・・・
優勝しても1年間はテレビに出ると思うけど、視聴者との目線の違いが視聴率などに出るんだろうから、そのまま売れるか埋もれるかで審査員の質も問われるのでは?
=+=+=+=+= 昨年までは如何に「松本さんに刺さるコントができるか?」が争点であり、インパクトを残せばニュースにもなりましたからね。 その時点で出場者の好みです。 純粋にネタを作り込むのか、松本さんに対してインパクトを残すのか?のみの考えです。
東京03の飯塚さんは昨年も居ましたし、今年だけ(から)採点スタンスを変えたようにも思えませんでした。そのため、特段「審査員の好み」は通常通りの印象でした。 ニッポンの社長辻さんとしては「松本さんに審査してほしくてやったネタが周りの審査員に刺さらなかった」結果を現したものだと思います。 しかし、今回の真意が本当に「松本さんに審査してほしかったから」であれば他の審査員にも失礼にあたるかとは思います。
本当に松本さんの審査が欲しければ、ご自身のYouTubeチャンネルに招いて、本当に見せたかったネタを審査して評価してもらうのが賢明かと。
=+=+=+=+= 結果そのものは松本がいようがいまいが大きく変わらないかも知れないが、芸人側の納得度という視点では影響はあると思う。 世間や週刊誌からどれほど批判されようが、お笑い芸人の松本リスペクトは一定以上にあるのは間違いない。 人生を大きく左右するコンテストの審査員は「自分たちが認めた芸人にしてほしい」という気持ちは当然あるものと思う。そこに松本以上の人間はいないのも間違いのないこと。
もちろん松本がいなくても明日は来るしテレビは放送されるし、笑いも生まれる。それは誰でも同じこと。 ただ、こうやって話題になるくらいだし、松本の影響力はまだまだあるのは間違いない。
=+=+=+=+= 審査する中の人が変わったら好みも変わるので結果が変わる場合もあると思うが。 何で審査結果なんか誰がやろうと変わらないと言い切れるのか? 変わる可能性もあるでしょうよ それと点差の付け方、開きの大きさ意識して審査ひといると結果に大きく影響するよ
=+=+=+=+= ファイナルステージはイマイチだったが、ファーストステージは10組とも面白くて、切り口もそれぞれ色々あって甲乙つけがたい印象だったので、点数が拮抗したのはすごくよくわかります。 個人的にはニッポンの社長とダンビラムーチョだったので、残念。 松ちゃんがいたらいたで、松ちゃん好みのコントに高得点つけるだけで、松ちゃんに褒められたらうれしいんだろうけどコンテストとしての影響力は審査員5人の5分の1というだけの話。 私は1回は復活してほしいと思っていますが。
=+=+=+=+= 好みという感情が評価(審査)に繋がるのは、本来はあまり良くない事なんやけどな(汗)そらゼロにするのは人間やし、中々無理やろけど。好みやない・嫌い・合わない、だけど悔しいけど客ウケとかもあるし、凄さを認めるってのが、ないと!僕は、その視点で観てるで。昔は僕もジャルジャル・天竺鼠系は拒否感があったけど、2・3年したら悔しいけど認めるになったし、今やどちらかと言うと歓迎の存在になってるからな。
=+=+=+=+= コンプライアンス的なのも変わってるし、笑いの評価の基準も変わってきてる。
多様性って言うのかね。お笑い界も最近はそういうとこがあるし、そういう意味では松本云々よりも、この手のコンテストイベントの在り方自体が変わる必要のある時なのかも知れない。
=+=+=+=+= そもそも、 明確な評価基準を設けてない中で審査をしてるのであれば、審査員個人の評価になってしまうのは必然的なことで、自分が面白くないと思った人も、他の人からしたら面白い。 様々な意見があって当然だと思う。
=+=+=+=+= まあ今回の騒動がなかろうが、そもそもあと数年で審査員は引退してたでしょう。中田敦彦が昔騒いでたけどそんなの自分自身が分かっていたはずですよ。
それをテレビ局や芸人側から求められていたので続けていただけ。
和牛や麒麟みたいに「面白い」と一言言われて売れるような人もいますし、未だにNSC生に尊敬される芸人1位ですから。
笑い飯さんや三四郎さんのように「絶対必要」と言う人もいますしね。
ただの視聴者の僕らが決めることではない。
僕個人としては、人の目を気にしながら審査する人より松本さんや今回の飯塚さんのようにしっかりと意見を持って点数に差をつける人の方が好きですね。
=+=+=+=+= 今回の審査ではっきりした飯塚の言う好みは主に3つ ・下ネタは使わない方がいい ・セットを壊すのは嫌い せっかく大道具さんが苦労して作ってくれたものなのに ・1人がちゃんと出てこないままなのは残念 いずれも理不尽な好き嫌いではなく理にかなっている 出来れば他の審査員もこれぐらいはっきりして欲しかった 特に山内と秋山 結果的に決勝進出や優勝が飯塚によって決まった感があるが それはほかの審査員が無難な94 95点あたりに点数を固めたからで飯塚を責めるべきでは無い
=+=+=+=+= 松ちゃんが居てもいなくても全ての番組は成立するし、そんなん当たり前なことで、どこの世界でもこの人がいなくなったら大変なことになるーって言っても代わりの人がかならず出てくる。 ただ、居た方が、居ない方がって話になると居た方が良いって人材はいてるよね。 松ちゃんはその代表的な人材。 出演してる芸人も、松ちゃんに評価されたいと思ってる人達は少なくないんじゃないかなって思うけどな。
=+=+=+=+= 音楽も多様化、お笑いも多様化でいい。 松ちゃんを見て芸人目指した人がいるし、 そうじゃない人もいる。 選択肢は多いのがいいんじゃないかな。 むしろ若年層を取り込みたいなら、審査員もある程度若返りは必要だと思う。
=+=+=+=+= KOCでの、浜ちゃんのベテランの進行を再確認するほど、かまいたち等の今の主力の進行はダウンタウンにはまだまだ遠く及ばないことが良くわかる。
不要といってしまえば、別にテレビは誰が居ようと番組を作り続けるだけなので、居なくたってどうにかするに決まってますが。
かつてのダウンタウンの実力を観てきたからには、不要だといっても「替えが効いていない」ことは明らか。
=+=+=+=+= まぁ芸人さんの仕事としてはそもそも水物みたいなもので、国の歯車として欠かせないものであるという認識は江戸時代においても認識はされていない訳ですよね。 だからこうして1人居なくなったとして寂しくは思えど、そこまで生活に影響はないのかなと思いますね。
=+=+=+=+= 自分たちは不要どころか売るためにバンバン名前使ってるのにね。そもそも審査員の好みってほど得点差がなかったわけで、それはむしろKOCの今後の課題だろう(そういう意味ではM-1はまさに審査員の好みが如実に出る大会といえるし、それが盛り上がり要素のひとつでもある)。ネタのレベル自体は高いのでこのままでもいいと思うけどね。
=+=+=+=+= 松ちゃんが必ず必要な番組があるとすれば、松ちゃんが制作に大きく関わっている番組だけで、出演しているだけの番組であれば必要性はない。 視聴率の問題まで踏まえて考えるなら、ダウンタウンや松ちゃん主体の番組には必要であるが、審査やゲスト的な番組には必要はない。 つまりは、松ちゃんの必要性って?と考えた場合、 ①ファンが求めている。 ②ファンの多さから制作サイドが求めている。(視聴率) の2点だと思う。総合的に考えると、まだまだ必要性は高いと思うけどな。
=+=+=+=+= 審査員の好みって話はKOC以外でも言われますが、審査員見てネタ変えるみたいな話も聞きますので審査員は非公開で最後に登場とかでもいいのかもと思います。審査員に注目が集まっても趣旨とは違いますし。
=+=+=+=+= 審査員松本の一人居るか居ないかで優勝などの結果はそりゃ変わらないと思うけどね。ただ今時点では「松本が評価した」と言う事実が芸人にとっては大きく変わってくるのは確かだと思う。例えば松本が居ない場合は準優勝はただの準優勝。居る場合は松本が票を入れた準優勝はまた評価も変わってくるんじゃないかと思います。それが良いか悪いかは別として。
=+=+=+=+= 僕の周りでは松ちゃん必要論の方が多かった。 おんなじ点数しかつけない人ばっかりの中、飯塚さんだけがちゃんと審査してて年長者として、あの席に座るものとして責任負ってた。
今までは松ちゃんがその役割やってたんだよ。 出る側の芸人も点数低くても松ちゃんの意見で救われてたコンビとかもいたよね。
あと浜ちゃんがちょっと空回りしてた。 いつもなら松ちゃんのツッコミが入ったり被せボケとかで落ちてたのにあの審査員たちだと落とせなかった。
不要とか言ってるのはそんなにバラエティ観てない人たちでしょ。 そういう人たちにとっては誰がいなくなっても不要とか言ってるはず。
=+=+=+=+= こういう悪意でいっぱいの記事を出すには格好のタイミングなので意外でも何でもない。そもそもこれまでも松ちゃんの見方で審査結果が大きく影響されてた訳ではないし、M1最終ステージでは松ちゃんの選ぶコンビ以外が優勝したケースも複数回あって、それを自虐ネタにしてたくらい。審査員長なんてそんなもんです。 ただ、番組を面白く回していけるメインMCでダウンタウンの穴を埋められるコンビが出てきてるかというと、それは今のところないでしょう。ジョンソンでの大コケしたかまいたちでは、やっぱりダメだということはお笑いの日を見ていて再確認できた
=+=+=+=+= 審査員の好みなんて、どの大会でも多分にあるでしょう。M-1然り。R-1なんて、ハッキリ、バカリズムさんあたりは、こう言うネタ好きじゃないって言ったりするけど、大会の大きさで、そこを問題視するかしないかは違う気がする。
=+=+=+=+= 審査委員の上位と下位の点差は5点以内くらいに収まってしまっていて、高めに点数がつく印象でしたね。もう少し、点数をばらけさせても良いように思いました。
笑にはそれぞれの好みやツボがあるので、色々仕方ない部分はあるのかと思います。
=+=+=+=+= 松本人志氏が社会全体として必要か不要かはわからない。ただ、このような賞レースには必要だと私は感じる。人間は承認欲求が大なり小なり必ずあり、その中で芸人として、松本人志氏に認められたいと思うことは多数派だと思う。
また、「評価する側」と「評価される側」で双方の「納得」が今回の争点だと思う。松本人志氏は笑いにおいて「納得」させる力を持っている。これは非常に大切なことで、改めて審査員松本人志の偉大さをしみじみと感じた。
=+=+=+=+= キングオブコントもM-1グランプリも 松本人志氏が作ったものだから やはり創設者がいないというのは残念ですね 出てる芸人達も創設者の松本氏に 認めてもらいたいというのがあるので あと東京03の飯塚氏はコントには 哀愁がなきゃいけないと言っていたが それだと哀愁のない 面白いコントは受け付けないって 事になってしまうのが懸念されますね
=+=+=+=+= 何組も同じ点数つける審査員はいらん。 それは松本人志であってもそう。
例えば5つの項目で絶対評価で点数をつけてるなら、別に構わん。 おもろいか、おもろないか。 好みか、好みじゃないか。 では、点数の振り幅がない。
ネタの構成や掛け合い、独創性、会場のウケ、審査員個人のウケ、費用のかけ方の5項目で各項目20点満点で絶対評価なら、同じ点数でもいい。 しかも点数もバラける。
売り出し中の若手がロングコートダディの最終決戦のネタのセットを作れますか? ゴールデンだからこそ、できるネタでしょ。 金かけたからオモロイは違うと思う。 費用がかかっていないネタを評価したいなってなってもいいはずです。
=+=+=+=+= 審査員1人100点なのだからこれまでも松ちゃんは優勝に影響するわけではなかったはず。また審査員の好みも今に始まったことではないのに何故取り上げられてるんだと思った。いつもより際立ってたのかな。私はニッポンの社長のコントを繰り返し見てはクスクスして楽しい日々。「声小さいねん!」。何かドリフにも似た風情だなーと思った。
=+=+=+=+= 松本の毒つくギャグは昔から好きだったけど、元々審査員とかキャラと合ってないし、やりたくなかったんじゃないかな? 不要論については、残念だけど同意する部分あるなぁ。今の時代にハマるギャグでは無いし、歳もあるから隠居気味な今が丁度良い塩梅じゃないかな。
=+=+=+=+= 誰々がいなくなったら、芸能界は大変なことになる、とか、あの番組はどうなるんだとかよく言われるけど…。松ちゃんがいなくてもテレビ番組は普通に流されていき、そのうち出なくても皆が慣れていく。 大御所に気を使っての発言や、特定の取り巻きや大口の取引先とかCM等の契約が問題になるだけで、実質的には「代わりはいくらでもいる」ってことなんだろう。
=+=+=+=+= そりゃ、審査員に選ばれてる方々はコントの第一線で活躍されてる方々なので審査結果は問題ないでしょうね。 ただ、物事には「付加価値」というものが少なからず存在する。 「松本人志」は審査内容よりも、その存在としての価値がお笑い界においては大きい物なんだから同じ評価でも誰がそれを評価するかが大事。 ラブレターズは今後もっと売れるかもしれないし、そうでもないかもしれない。 それは分からないけど、松ちゃんがKOC2017で優勝したかまいたちよりも、誰よりも高得点を付けたにゃんこスターがすぐにブレイクしたのは「あの松本人志が高得点を付けた」という付加価値があったからだと思う。 それを考えたら「不要」と考える人はいないだろう。
=+=+=+=+= その時その時の「間」の取り方とか、繰り返し2回を3回にするとかの臨機応変さ、トチッたリカバリーの仕方とか 基本的な事はクリアしてる連中のトップクラスが出てるんだから そりゃ後は好みになるのは仕方ない
でも仮に俺が出るなら 0から1の笑いを生み出し、評価されて来た松ちゃんに自分のネタの分析やら審査されたいので不必要ではないな
=+=+=+=+= なんか漫才やコントを評価してるのを聞いてると面白い芸であっても冷めてしまいます。あくまでも芸人の客は審査員やなく視聴者なので良かったか悪かったかは視聴者投票でいいのでは?と思います。見るときは録画してネタだけ見て審査員のコメントやら採点は飛ばしてます。
=+=+=+=+= 別に松本人志が2票持っているわけじゃないし、今までも逆張りしてることもあったから結果にそこまで大きな影響はないでしょ。 それよりも芸人の中には松本人志もしくはダウンタウンに憧れを抱いている人はいるでしょう。 だからダウンタウンが出演しているショーレース大会で松本人志に審査してもらうということを重要視している芸人さんは結構いるんじゃないですかね。
=+=+=+=+= 松本人志は単にお笑いの審査ができるという理由ではなくNSCからダウンタウンという新世代のお笑いスターが登場したことにより漫才の子弟制度という古いしきたりがぶっ壊れ、多くの勘違いした若者芸人が粗雑乱造されその責任者として審査に立ってるから意味があるんだよ、特にM-1の発起人として担がれたのはそういう意味合いが最も強い。
=+=+=+=+= 不要かどうかで言えば仮にM1やキングオブコントがなくなっても楽しみが減る人はいても生活に支障をきたすことはないでしょう。 結局はなんとかなるんだからそれを〝不要〟だと捉えるのは違うんじゃないかな。
=+=+=+=+= これも私の好みに過ぎない話だが、さまぁ~ず、バナナマン、松本人志で審査員をやっていた頃の方が面白かった。
なんか今は「審査員としてちゃんとしなきゃ」という雰囲気がある気がして、評価もコメントも凄く慎重で公正だ。 悪いことではないのだが。 ただお笑いなんて元々主観的なもので、好みで審査されるのも当然だと思う。 その場の勢いをどう感じたかとか。
表現が難しいが、もし今にゃんこスターが出てきても、準優勝は無理そう。 でもにゃんこスターが準優勝してしまう大会の方が面白い気はする。
=+=+=+=+= 松ちゃんがいた方が、これまで通りの「らしい」審査結果になったようには思います 松ちゃんは松ちゃんで、おじさんが脱いだり女装するタイプの芸や、情けないおじさんの役、シュールなネタが、はっきり好みだからね ただ、一世を風靡したレベルの重鎮審査員がいないのが審査への納得感を薄れさせている気もして、あそこにうっちゃんに座って欲しい
=+=+=+=+= 松本氏に限らず審査員の〇〇がいないから成り立たないショーレースなんて無い、というかあってはならない。 主役はあくまで参加者なんだから
むしろ松本氏が復帰したら参加者より松本氏に注目がいってしまう(現役時代もその傾向があった)から、逆に審査員として不適切だと思います。
スポットライトは参加者と勝者があびるべき
=+=+=+=+= じゃあ審査員全員が好みで選んでいる事がオープンに なった場合に、視聴者が納得感があるのかどうかで 今後のお笑いコンテストの権威というかブランド力が低下しないか があると思いますけどね。
そういう意味で松本さんがいろいろ説明するくだりや 採点方法のロジックが明らかになっている過程が見えているほうが その説得力に納得感があったのは確かだし コンテストの出演者のクオリティが保証されて今後活躍の場も 確保しやすいと思うんですけどねえ。
=+=+=+=+= 審査員の好みというより、全員があまり差をつけずに採点した結果、合計点が拮抗してしまったように思います。 松本さん不在と絡めることがあまり適切ではないかと思う。
=+=+=+=+= 逆に、やっぱり松ちゃん必要だなって思ったなぁ。 正統派なものから、にゃんこスターみたいなぶっ飛んだものにも高評価したり、どの審査員よりも笑いの受ける幅が広くてフラットに審査してくれるから、だからこそ長年M-1とKOC掛け持ちで出来ていたのかなと。 個人的には、飯塚さんは小道具使うのが好きじゃないとか正統派なコントへのこだわりが強すぎて、受ける幅の狭さが毎年気になる。
=+=+=+=+= 「松本人志がいないなか、なんとか無事に番組を撮り終えた」のがなぜ松本人志不要論に繋がるのか意味がわからない。
第一、今大会は審査員の点数付けが無難できちんと差がついていないのが問題になってるじゃないか。 ラブレターズの優勝に異論はないが、なんだか締まらない大会になってしまったのは否めない。
飯塚さんはきちんと審査基準を設けてそれに基づいて点数をつけていたが、それ以外のメンバーは決勝進出の3組が同点だったりと「意図的に差をつけよう」ということを放棄しているように感じた。
松本人志不要論どころか、ますます松本人志の存在感が浮き彫りになったと感じたけどな。
=+=+=+=+= 芸能界における松本の役目も一区切りついた感じか。お笑い、芸人の立場をここまで持ち上げたのは、ほかでもないダウンタウン松本の功績で、芸人は松本に足を向けて寝られないのも当然だろう。 松本自身、ほかにやりたいことがあれば別だが、このタイミングの引き際もあるかもしれない。他人がとやかく言うことではないが。
=+=+=+=+= 笑いのセンスが子や孫に受け継がれることはほぼ皆無だしお笑いの松本は彼で終わり。こういう芸人がいたことも令和キッズには常識の範疇外になるでしょう。政治家や相撲取りならあの大政治家の、横綱のとかありえるんだけど。チャップリンみたいな後世に残る笑いとも違うし。
=+=+=+=+= これは間違ってると思う。まっちゃんが正しいとか絶対に出て欲しいとかじゃないけど、採点で100点とか出したらその芸人は絶対に話題になるから、他の芸人の採点と同じとは思わない。やはり、まっちゃんが認めた芸人って言われて多少はテレビに呼ばれるだろう。それが面白い芸人かは置いといて
=+=+=+=+= 評価するだけなら、松ちゃんが居なくてもそんなに変わらないと思う。
ただ、松ちゃんがいる事で救われる芸人は多くなると思う。 負けたけど、松ちゃんは高く評価してくれた。みたいなね。
=+=+=+=+= 公平性を考えるなら「チャットGPT」にたらふく学習させて判定させることだ。 機械に感情はないだろうからね。 顔を見ただけで笑ってしまったり、笑いのツボなんて個々によって変わるものだと思っている。
松本人志が審査員に向き不向きとかいるいらないとかそんなのは後回しで、個人の人としての行いのほうが大事じゃないかな? 一時代を築いた芸人として濁すことなく汚すことなくしてもらいたいね。 松本本人が審査されてる状態だからな
たむらけんじの関係もだし、九州での飲み会、またそれに関わる、同席者やアテンド係もまだいるわけで、この訴訟が終わればチャラみたいな感じになってるのも気になってる
そんな簡単に復帰とかにはならないと思うよ
=+=+=+=+= 松本氏不要論はラブレターズの今後にかかってる気がする。すごく売れれば不要論が加速するし、中途半端にしか売れなければ松本氏の審判がなかったからと言われる。ホントはそんなことは関係ないんだけど、そうなると本人たちは辛いだろうから頑張ってほしい。
=+=+=+=+= 持ってる点数は一緒ですが、若手の「松本さんに刺さりたい」という気持ちはネタ作りに反映されるでしょうし、他の審査員の「松本さんは何点つけるんだ?」という駆け引きもあるでしょうから、影響はないとは言い切れないかと思います。
=+=+=+=+= 不要って言い方したらなんだって不要でしょう。 そもそもキングオブコントだって不要と言われれば不要だし、この記事だって不要だと思う。 お笑い界に関して言えば今までの歴史や功績を含めたらほとんどの芸人が松本人志より不要だろうし、逆に不要論が出る時点で他の芸人よりは影響力があると言うことなんだろうけど。
=+=+=+=+= コンプライアンスが重視される時代、「事実無根」と主張しながら記者会見すらなし。最低でも一般人が捉える事実無根では無くなっています。民放はスポンサーの意向が強いのにスポンサーが敬遠する女性問題。無理に復帰してもらう必要無いのでは?
=+=+=+=+= もともとKOCにしてもM-1にしても,松本の審査に興味あって見てたわけでなく、どんな面白いコントや漫才が見れるのかを楽しみにして見てたので何にも影響はないです。M-1も審査員に加えて視聴者人気票もやれば公正性もでていいと思います。
=+=+=+=+= 遅かれ早かれ、松本さんが審査員から外れる日はいつか来るわけで、“松ちゃんいないから〇〇の賞レースは終了”とはいかないでしょう。
来年以降がどうなるのか、年末のM-1がどうなるのかなど、抜けるタイミングを考慮せざるを得ない時期が早まっただけですね。
=+=+=+=+= 100点満点でなのに殆どの審査員は90点台しかつけませんから、意味ないんですよ。 好き嫌いでつけた根拠のない1点台の誤差で優勝が決まる。 審査員毎に10組を面白い順に順位をつければ済む話。1位10点から10位1点で計算すればブレなくてよろしいのでは? それと松本がいてもいなくても点数も順位も変わらないのであればなおのこと居た方が締まるだろうね。
=+=+=+=+= >審査の中身そのものは、プロの芸人なら、誰がやってもそんなに大きく変わるわけではないと思います
そんな事は分かってるよ。別に松ちゃんだけ200点持ってるとかいうわけじゃないんだから、そりゃ1人入れ替わったくらいで点数に大きな影響はないだろう
そうじゃなくて、松ちゃんが審査してるっていうことに価値があるんだよ。特にKOCに出てくるような芸人達は松ちゃんが何点つけるか、どんなコメントをしてくれるのかってのがあの場を目指す一つの大きなモチベーションなんだよ
見てる側だって松ちゃんが何て言うかが気になるんだよ。で、毎年やっぱり的確かつ分かりやすくネタの面白さを言語化してくれるのは松ちゃんなんだよ。だから松ちゃんのコメントは印象に残るし今でも覚えてるものもある
今年のメンツも良かったとは思うけど正直コメントで覚えているものは一つもない
お笑い評論家なのにそんな事も分からないのか・・・
=+=+=+=+= お笑い自体が社会が回るかという観点で要・不要に分けたら不要なものですからね。でもなくてもいいかというとあった方がいい。松本人志にしたっていなくても成立するけど出場芸人にとっても話題性とか他の番組への影響とか考えると芸人のリーダー的な位置の人間がいた方がいいよねってところじゃないですか。
=+=+=+=+= 飯塚さん以外、好みを前面に出した採点少なかったから、松ちゃん居たら結果が変わっていた可能性はあると思う。 でも、ロコディの2本目を評価するタイプとも思わないから、やっぱりラブレターズだった可能性が高いとも思う。
=+=+=+=+= フィギュアスケートみたいにわかりにくい 「演技」を無理矢理「競技」にするものは採点が曖昧 お笑いは笑いの数である程度予測はつくので大きなズレはないと思う。 しかし前半のロングコートダディは忖度されてるなーという得点だったしニッポンの社長はウケてた割に点数低かったなーという印象。 その辺りが審査員の好みだろうから、それ含み楽しめればいいじゃんと思いますわ。
=+=+=+=+= 視聴者としては居た方が盛り上がる。 やっぱりエポックメイキングみたいな所が有るので、参加してる芸人さん達も松本さんに見て評価して貰えるみたいな部分は名誉として実在すると思う。
=+=+=+=+= 松本さんが居なくても番組は成り立つのは主役は審査員ではなく出場する芸人だから。ただこのKOCは松本さんが考案したコンテストだし、松本さんに評価して欲しい芸人さんがいるから番組としては成り立っても不要であるわけではない。視聴者には関係ないという人はいるだろうけど主役は芸人さんだから。
=+=+=+=+= 松本は、本人はいくら「まぁまぁ」と言ってたって、わけのわからないラスボス感がありすぎて、松本が出てくると、みんな松本のお付きみたいになって、太鼓持ちをしなければならない。 松本が帰ってきたら、せっかくのびのびとやってたのに、また「松本っさん、松本っさん」と言わなきゃいけなくなることに目の前真っ暗になってる人もいるんじゃない。
=+=+=+=+= 松本に限らず芸能人の代わりなどいくらでもいると言えるしいないとも言える。唯一無二と思われていた大山のぶ代のドラえもんでさえ今は別の人が演じているのだから。要は視聴者が受け入れられるかどうかであって、必要か不要かなど他人に言われる筋合いはない。ましてこの様な記事を見れば世論を「松本不要」に持って行きたいのだろうなという記者の意図が見えて気分が悪くなる。
=+=+=+=+= そもそも、審査員の好みってそれ自体おかしな話で、観客及び視聴者の好みは置き去り。それに、審査員や小うるさいMCのために演じているわけではないと思うし、審査員5人は少なすぎ。 演芸界の未来のために賞レースは必要だとは思うが、番組自体のあり方を 考え直す時期ではないのだろうか。
=+=+=+=+= 昨日、録画してある水ダウのあのちゃんの回をまた見た。 そしたら、その時のもう一つの説は松ちゃんと同じ採点する金の卵を探すものだった。 結局、松ちゃんと全く同じ点数をつける人はいなかったのだが、実際の審査員の採点結果とその時の300人以上の芸人の採点結果は決勝に進出する3組はまったく同じだった。 結局、文句をつけてる人は、結果が自分の好みと違った人でしょ。
=+=+=+=+= この記事を書いている人は「本質的」な事が何も分かっていない。
こう言った賞レース的な審査は、お客の為ではなく舞台に上がる芸人の為の大会。
普段のテレビのお笑い番組やバラエティー番組は、お客へのサービス...つまりお客を楽しませる事に全力を傾けるけど、賞レースは自分達の為に競い合って、その様子をお客が楽しむ。本質的には逆なんですよ。
なので、主人公になる芸人さん達は、お客にウケなければ勝てないけど、評価して欲しい人は誰もが認める、その世界の絶対的な存在の人なんだよ。
つまり芸人さん達は「松本人志」に見てもらって自分達が一番だと認めてもらいたいんです。
なので視聴者が松本不在を好むか芸人さん達が松本不在を好むかでは、まるで違う。
僕は和食の職人だけど、やはり賞レースがあるなら自身が憧れている最高の料理人に認められたいと思うから。
=+=+=+=+= 初審査員なのにもかかわらず、じろうさんが1組目に96点を入れたのは凄いなと思った。初めてで1組目、様子をみる点数を普通ならつけてしまいがちなところなのに、この人はブレがないな、すごく信用できるなと思いました。
=+=+=+=+= 松本はもうテレビには戻らないんじゃない?ゆっくりした生活送るんじゃないかな。 紳助みたいにね。世代交代の良いタイミングって思ってるよ。週刊誌やスポーツ誌は必死に落魄れたようにさせたいみたいだけど、サラリーマンなら定年の年だし、落魄れも何もないよ。今までよくお笑いを引っ張ってきてお疲れ様で良いんじゃない?
=+=+=+=+= 今更の不要論もおかしな話。 元々いてもいなくても良かったわけで、吉本の力でたまたま色々なところに突っ込んで、それなりに演ってただけでしょう? それなりも大変だと思うけど、そのそれなりを全て実力と勘違いしてたから間違いが起こった。 その二の舞を作らないようにするのが、これからの吉本の使命です。
=+=+=+=+= 松本人志に限らず、人材の代替はいくらでもいる。 どの人も日々の努力でそのポジションを守っているだけに過ぎない。 ただコレで終わるほど松本もユルくは無い。 いずれ復帰した時に今の境遇を如何に面白くトークに繋げるか?を考えているはず。
=+=+=+=+= 松本が面白いかどうかは別にして、芸能人として、技量を鍛錬で磨き上げたものは、何もないと言っていい。吉本やテレビが持ち上げた神輿に乗っただけだ。 漫才ならオール阪神巨人みたいな技術に裏打ちされた人が他人を審査しても納得できるが、祭り上げられただけの人間には、審査したり批評する能力はない。
=+=+=+=+= 本当に公正を期すなら審査員の数をめちゃくちゃ増やして一人当たりの点数の価値を下げれば平均化はすると思う。ただ審査員一人一人の責任感も薄れていくから点数の付け方も雑にはなってしまうかもね。
=+=+=+=+= 「松本不要論」もいいけど、「医学不要論」うつみさとる著 がいいよ。神奈川15区。河野太郎氏と同じ選挙区です。
医療費は、昭和30年人口6000万人で2700億円。 現在1億2000万人で180倍の約45兆円。
なんで?
病気にならない医療教育、 病気にならない食、 そしてストレスがたまらない過度にお金の心配をしなくていい経済的豊かさが、
本当の健康のためには必要ではないでしょうか?
=+=+=+=+= 厳密な意味で「必要」な芸人さんなんていないと思う。 そりゃあ、演者同士なら影響はあるかもしれないけど、視聴者の立場ならいなくなったらなったでいつまでも引きずらない。戻ってくればその時にまた盛り上がるくらいだと思う。
いなくなった理由は違うけど、紳助や志村けんがいなくなったって世間的にはそこまで影響なかったしね。 せいぜい3ヶ月(ワンクール)過ぎるまで。
=+=+=+=+= 記事の内容より、「文学的な香りのするネタ」の一言が面白かった
コント、よ? 笑わせてなんぼの話で、文学的な香りも何も、そういった部分を意識し始めた時点で見る側とのズレが大きくなっているとしか思えない
芸人さんもサービス業だからさ どのサービス業も同じだけど、顧客の求めているものが最上のサービス 見る側が求めているのが文学的な要素だとか思ったら最後、本来必要な笑いの部分に向き合えなくなるような気がするね
=+=+=+=+= 特にお笑い賞レースは審査員がメインじゃないから、 誰かが入れ替わっても大差ない。 全とっかえだったら、優勝する組が変わるかも知れないが、 番組の本筋は変わらない。
それは松本がメインMCだった他の番組も同じ。 大吾は普通に回してる。 まつもtoの方は、中居がメインに回ってニノ、ムロが入って問題なし。 どちらも番組の色は変わっただろうけど、 内容はゲスト次第という本筋は変わらない。
さらに水ダウなんて企画メインなんだから、 完全に居ても居なくても大差ない。
=+=+=+=+= 色んな好みの方がいること前提に、ネタづくりをしていくしかないよね。複数用意して、審査員に好かれるようなネタを選ぶとか。 あとは運も味方に付けるほどのストライクを打てれば。
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