( 223798 ) 2024/10/19 00:25:52 2 00 ネイティブ発音で話したら学校で笑い者に…「流暢に話さずカタカナ英語にした」日本の“発音コンプレックス”はなぜ生まれるかABEMA TIMES 10/18(金) 19:52 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/a3e8119a9a8da5cae38deaff875dbc2834c216e2 |
( 223801 ) 2024/10/19 00:25:52 0 00 石田翔太さん
大学生の石田翔太さんは、高校の英語の授業で「発音」を笑われた経験を持つ。中学まで海外のインターナショナルスクールで過ごしたが、帰国後の高校1年での授業で笑われ、以降はわざと日本語に寄せた発音にした。日常会話でも、英単語が混ざると時に流暢な発音になり、「イキるな」と言われたこともあったという。
【映像】議員のネイティブ発音に笑いが起きた瞬間
最近では国会でも、議員が「NATO」をネイティブ発音しようとして、カタカナ英語に言い直し、笑いが起きる場面があった。なぜ日本では、英語を正しく発音すると、笑いが起きるのか。『ABEMA Prime』では、経験者とその原因を考えた。
石田さんの経験
石田さんは高校時代を振り返る。「流暢に話したら笑われた。最初はなぜ笑われているかわからなかったが、後から『格好付けている』『イキっている』と言われ、すごく傷ついた」。それ以降は「英語を流暢に話すのをやめて、カタカナ英語に持っていった。当時はずっとカタカナ英語になっていた」という。
気象予報士の米津龍一氏は、気象キャスターになる以前、アルゼンチンに1年間留学し、営業職でアメリカに5年半駐在した経験を持つ。アメリカでは、発音にコンプレックスがあり、笑われることもあった。しかし、発音を気にしていたら話せなくなってしまう、相手側が感じ取ってくれるなどの理由から、発音が全てではなく、気持ちが大切との結論に至った。
NATOに近い例として、「量販店のコストコは、英語だと“コスコ”。アメリカ人に住んでいて、日本に帰ってくると、コスコと言いたくなるが、周囲からは『なに言ってるの』といった反応をされる」と経験談を語る。
17年の専業主婦を経て、65歳で起業した薄井シンシア氏は、「日本社会では“出ている杭が打たれる”」と指摘する。「娘も海外で育ったが、日本に帰ると日本風に発音する。周りの日本人に合わせようとする意識があるのではないか」。
NATOの発音
なぜ笑いが起きるのか。石田さんは「嫉妬みたいな部分もある」として、「自分も英語を学んでいたとき、話せる人に対して憧れがあった。その感情が笑いや嫉妬につながっている」と考察する。
これに米津氏も賛同して、「しゃべれないことをコンプレックスに感じている人が多い」と語る。「英語が使える人間に対して、うらやましさや嫉妬をごまかすように、馬鹿にしたり笑ったりする感じではないか」。
しかし発音を笑う文化は、上達を阻む要因にもなる。石田さんは「挑戦しないと、失敗も成功もない。発音する機会がなければ、英語も上達しない。日本人が英語を話せるようになるために、もっと発音を練習できる、実践的な空間があるといい」と提案する。
米津氏は「日本人は文法にとらわれるが、外国人は逆に文法は適当で、遮二無二しゃべる」と、両者の違いを分析する。「学んだことを口に出さないと、身に付かない。どちらがいいかは決まっていないが、海外経験から『まず口にする』ことが重要だと感じる」。
馬鹿にされる背景
最近ではAIを活用した翻訳ツールなども普及している。しかし、石田さんは「ツールだけでは伝えられない部分がある」と考えている。「声のトーンでも意味は変わる。怒っているのか、悲しいのか、やさしいのか。感情がくみ取れるところに、人間が放つ言葉の良さがある」。
米津氏は「場面による」と説明する。「旅行では翻訳機での軽いコミュニケーションも有用だが、ビジネスでは現実的ではない。言葉を翻訳するだけでなく、気持ちが通じ合うことで、ビジネスが成り立つ。仕事に英語を活用したいなら、自分自身で話せる努力が必要だ」。
自動翻訳・生成AI
「EXIT」の兼近大樹は「日本的な風潮として、『笑っちゃダメ』がある。笑われることが恥ずかしいから、みんなに合わせる。子どもの時から『笑われてもいい』と教えて、笑われても楽しい、恥ずかしくない雰囲気やメンタルを作ることが重要だ」と提案する。
シンシア氏は「英語だけでなく、どんな言葉もしゃべれるまでは格好悪い。でも、この道を通らないと、絶対にしゃべれない。格好悪くなる覚悟で勉強した方がいい」と、言語習得の極意を語った。 (『ABEMA Prime』より)
ABEMA TIMES編集部
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( 223800 ) 2024/10/19 00:25:52 1 00 この文書からは、日本人が英語の発音や理解において苦労している様子が窺えます。
一方で、最近の教育の変化や環境によって、小学生から英語を学ぶ機会が増え、ネイティブな発音への意識も高まってきていることも示唆されています。
一部のコメントでは、外国語の発音に寛容な環境や尊重がある場面も見られますが、一方で適切なコミュニケーションや理解が求められているという声もあります。
(まとめ) | ( 223802 ) 2024/10/19 00:25:52 0 00 =+=+=+=+= 極論かもしれないが、こういう風潮が修正されないから日本人は中高6年間も(今は小学校でも?)英語教育をしているのに、まともに使える英語が習得されないのだと思う。実に非効率的で無駄で無益な島国根性だと思う。 カタカナはあくまで日本語であり、外来語を表記する手段であり、外国語ではない。 英語の発音は口語としての会話の手段としての必要性だけではなく、まだ知らない新しい単語を覚える時のための素地となるもので、正しい発音を基礎として習得していないと効率が非常に悪い。 万人が外国語を使えなくても問題はないが、ひとつでもツールとして、付加価値として習得できると、幅が広がる分野は無限大にある。
=+=+=+=+= これ、笑い事ではなく、特に小学生とかだとイジメに発展することもある。 海外駐在から帰国する際、その年代の子供がいる場合、ほとんどの人がそういう子供の受け入れに慣れた小学校目指して移り住む。(生徒の3割が海外生活経験者と言う公立もある) 似たような境遇の子供たちで切磋琢磨できるし、ネイティブ発音をからかう事なぞ無く、良い環境ではあるが、そのようなリスクは無くなるように工夫して欲しい。
=+=+=+=+= それは確かにあった。昭和、平成全盛期まではそういうのすっごくあったよね。
でも平成の終わり頃から令和にかけて最近の時代変化もあるのか、小学校低学年から英語の授業も始まってきてるし、SNSでネイティブな英語とかもよく耳にしふれるようになったこともあるからかな、、授業でネイティブな発音で教科書を読んでも何も言われなくなってきてると思うよ。 ただ思春期な子は、あえてダリィ感出してカタカナ英語で話すことはあるかもね。それはもう思春期だからってことでいいと思う。ちゃんとやりたいこと、目標を見つけたら学ぶし変わるよ。
=+=+=+=+= うちの子、帰国子女でもないしペラペラでもないけど、ずっと習ってたからなぜか自信持ってて、おまけにどう思われても平気なタイプだから好きなように発音してるらしい。(英語の成績自体はそれほどでもない) 心の中では、たいしたことないのにカッコつけてるって思われてるのかもしれないけど、別にからかう人や笑う人もいないみたい。先生にも褒められたって喜んでた。すごいメンタルw もちろん、日本てなかなか難しい感じなのはよくわかるけど、学校によっては意外と大丈夫かもしれない。すごいね!って言ってくれる子もいるって言ってた。
=+=+=+=+= 早見優がデビューしたての時、司会から振られて英語で話をしたら、視聴者から、何様だといった投書がたくさんきたそうだ。いまでも英語をカタカナにした単語を、ネイティブに近い発音で言うと、なにかっこつけているんだと言う人がいるんですね。でも海外から帰ったばかりだと、どうしてもネイティブの発音になることがある。少しレベルが違うが、昔東海道線を各駅で旅行している時、自分が大阪に長くいて、かえって来るとき、アクセントが大阪っぽくなっていて、それが浜松ぐらいで関東のアクセントに戻るのを感じたことがあった。言語って、そこに住んでいると自然に話せるようになるし、聞けるようになるものではないですか。日本にしかいないと、日本語しか話せない。まあそれで良いのでしょう。でも他人をとやかく言わないで欲しいですね。
=+=+=+=+= カタカナ英語は、日本語として根付いてしまっている。普段の会話でカメラをキャメラと言ったら、ふざけていると思われても仕方ない。それで笑いを取っていたルー大柴という人もいるくらいだ。しかし、英語の授業で笑うことはないはずだ。中学生の時、発音の上手いツッパリがいたが、教師にも生徒にも褒められていた。
=+=+=+=+= 英語スクールの講師をしていますが、昭和の時代ならいざ知らず、未だに中高生の受講生の発音がカタカナ発音なのに絶望を感じています。今の中高の英語教師は留学経験者も多いと思うのに、なぜわざわざ正しくない、通じない発音を教えるのか。この年頃の生徒たちは発音矯正しなくても、聞こえたままに正しい発音ができる無限のポテンシャルを持っているというのに。発音が悪いから聞き取れないし話せない。スクールでは発音矯正に多大な時間を費やしています。中高でまともな発音を教えてくれれば、スクールではもっと他の、例えば理論的思考に基づいたパラグラフライティングとか、サイエンス系の読み物や音声で教養を深めることができるのに、と残念な思いでいます。
=+=+=+=+= 笑い者にされるのは論外ですが、元々の日本人の 気質として完璧に話せないと外国語を自分が話せる とアピールしないそうです。なので話せないのに ネイティブな発音で話そうとするのは恥ずかしい、 控えようという発想になってしまうのかもしれま せん。極論で海外は真逆の思想らしいです。 実際に私はアメリカのアパレル店で従業員に日本語 が話せるから聞いて欲しいと言われた事があります。 聞かされたのはニンジャ、テンプラ、オオサカ....。 外国語の取得はその位の心意気で良いのかもしれ ないです。日本国内の英語力を底上げしたいなら こういう環境は議論され改善されるべきです。 向上心がある人が潰されてはいけない。
=+=+=+=+= 外国生活が長い私ですが英語の授業でネイティブ発音すると笑われるのはよく分かります。 英語を含め多くの外国語に触れる機会が多かった私の目線で「おかしい」と思うのは外来語のカタカナ表記。 例えばヴァイオリン。「ヴ」は日本語にないのだから使わないでいいと思うのです。昔から日本ではバイオリンと言っていたのですし。「テレヴィ」や「ライヴ」とかも同じくどうかと思います。
=+=+=+=+= 英語じゃないけど、小学生のとき関東から関西に引っ越したら、しゃべるたびにからかわれたので、全くしゃべれなくなった。通信簿には毎回、「おとなしい、もっと積極性を」と書かれてた。大人になった今は、地元関西の人としゃべる時と、親とかとしゃべる時は、標準語と関西弁(主にイントネーション)を使い分けてる。
=+=+=+=+= テレビのバラエティ番組で、ネイティブで話す日本人に対してお笑い芸人が「腹立つわー」とイジって、周りが笑う。 正しく話しているだけなのに。 そしてイジられたくないから人前で上手に話す事をやめてしまう。 日本人が英語を苦手にする最大の原因はまさにそれだと思います。 私も、周りに知人がいなければ下手な英語でもどんどん話していけます。
=+=+=+=+= コストコとかは外来語つまり日本語になっているから、日本語の会話の中ではカタカナ英語っぽい発音でいい。でも、英語の授業で英語を話すときは、頑張ってネイティブ発音にすべき。
日本の電車の車内放送では、英語で案内する部分も駅名は日本語のネイティブ発音になっているが、これは良いことだと思う。Tsunamiとかsushiのように英語になっている言葉と違って、駅名はあくまでも日本語だから。
=+=+=+=+= 我が家の子も帰国生だったので、小学校、とくに中学校の時はわざとカタカナ英語っぽくしていたらしい。 友達はそんなに嫌なことを言わなかったらしいが残念ながら教師がいろいろと注文をつけてきたらしく、単語を区切って言わないとなにを伝えたいのかわからないなど。 高校になると、イキイキと楽しく授業を受けていた。帰国生も何人かいたり国際交流もあったので。 嫌な思いをするなら小学校で帰国後すぐに帰国子女クラスに入学させたらよかったかなと思ったぐらいです。
=+=+=+=+= いくつかのコメで指摘されているけど、これがリスニングが苦手な理由の一因になっているんですよね。
まあ日本語にはカタカナがあって、翻訳や当て字で新しい言葉を作らずに日本語化(カタカナ読み)しているのを否定しませんし、日常会話ではその日本語化した言葉(発音)でないと逆に通じにくい、違和感を与えてしまうでしょう。 でも英語の授業、英会話等のレッスンでネイティブの発音以外で学ぶのは本当に良くないと思います。
今は小学生から学校で習いますが、ここから徹底してほしい。 地道に10年、日本中で英語をネイティブな発音での学びを続けられれば、英会話やリスニング能力が確実に上がると思うし、 何よりも記事のように笑ったり馬鹿にする人のほうが時代遅れになるでしょう。
=+=+=+=+= 英語学習の本で「発音できない音は聞こえない」というような本があって、読んでは居ないけれどタイトルが目から鱗で、それから発音も重要視して勉強したので日本人のわりに発音が良いと言われるし、リスニングスキルも比例して上がった。 日本人が英語を言語として使えないのは、ただのペーパーテストの為の知識として勉強しているから。 知識がきちんとある人が発音を勉強したらすぐ話せるようになります。 それから、英語圏の子どもの学習法を日本の英語教育に全く、まーったく取り入れていないのは意図的だと思いますね。あれがあれば勤勉な日本人はすぐ英語を習得してしまうのをGHQは分かって恐れていたと思う。
=+=+=+=+= 日本語であっても、関西では関東のアクセント、イントネーションで話されるとかなり疎外感が出ると思います。英語もそれと同じです。英単語がカタカナで日本で一般に話されているならば、そのカタカナで発音しないと違和感を持たれるのは普通では。もちろん、ネイティブ相手では、ネイティブの発音を刷ればいい。使い分ければいいだけの話。また、英語の授業やネイティブ相手できれいなネイティブ流の発音ができることに対して「いきっている」と批判する人の言葉を聞く必要はありません。
=+=+=+=+= 現在はどうだか知らないですけど、自分達の学生の頃はまともに英語の発音が出来るのは中学の時に一年の内短期間学校に来ていたAETの外国人の先生くらい。英会話スクールに通っているような人もいなかったし生徒も日本人英語教師も皆カタカナ英語。その中で突然流暢な英語を話す生徒が現れたら違和感が凄いですし、笑いが起きるのも悪い意味ですが致し方ないかなと思います。 自分は大学は英文科に進みましたが、外国人講師の授業もかなりありましたし、英語のみの会話しかしていけない講義もありました。その中で流暢に英語を喋れる学生もそこそこいましたが全く違和感がありませんでしたよ。特にペラペラの子は皆から尊敬の眼差しで見られていましたね。 要は環境。皆で本物の英語を覚えたいという環境がその中学や高校にあれば流暢な英語で笑いが起きる事はありません。しかし、言うは易しでそのような環境を普通の中高で構築するのは至難の業ですね。
=+=+=+=+= 中学ならまだしも高校だとすると学校のレベルによるのかな、そういう場合もあるし、反対に尊敬されるところもあるだろうし、その比率はどうなのか、どこにその差が出るのかが興味深いです。クラスの雰囲気の主導権を持っている人がどう反応するかもあるかもです。そこで先生がどう介入するか、笑いにならないように逆にお手本にするように指導できないかな。 日本と発音が違って理解されないのはどうしたらいいのかな、アメリカはこうですって、あまり自慢げに言うと逆効果でしょうし、人の心は難しいです
=+=+=+=+= アラフォーの私達は中学から英語がはじまり、思春期真っ只中に「はい、じゃあ英語で隣の人と自己紹介をし合いましょう」なんて言われて小っ恥ずかしくて本当に嫌だった。 その延長で流暢に話す子をちょっと笑う風潮にあったと思う。 でも今の小学生はそんな恥ずかしさがない低学年から英語に親しむ事が始まるから我が子を見てるとニコニコしながら学校で習った英語をなかなか良い発音で教えてくれる。 良い方に変わって来てるなぁ、と思う。 小学生から学校で英語を習った子供たちが増えていけば世界が変わるんじゃないかな?
=+=+=+=+= アメリカに駐在していた身からすると、インド人の独特の発音は凄いなあと思いました。聞き取るのが難しいなと思っていたら、現地のアメリカ人も難しいことがあると言っていました。でも、インド人はみなハングリーで発音などお構いなしに、自分の意見をぶつけてくる人が多く、凄い人種だなと思いました。 日本の場合、日常的な英会話をする機会が乏しいので、きちんとした英語が話せる=特別な経験をしているという妬みみたいな部分もあるのかもしれませんし、異質な感覚もあるのかもしれませんね。日本も外国人の居住者が増えているのでこういう感覚もそのうちなくなっていくのではないかと思います。
=+=+=+=+= 本格的な発音ができるならばそれも良し
カタカナ発音で堂々とスピーキングができるなら、今はそれもまた良しで
どちらの形でも、許容して自信を持たせる事が大切だと思う。
プロゲーマーのときどさんの英語のスピーチやインタビュー聞いているとだいぶカタカナなんだよな。立場があるからっていうのもあるけれど、あれで通じているなら、カタカナ英語発音でもいいじゃないって思ってしまう。
=+=+=+=+= 英語教師の発音がカタカナ英語だからね。でもこれ、英語だからっていうのもあるよね。 たとえばドイツ語やスペイン語をネイティブなみの発音で話すと感心はされてもあまり笑い者にされるなんてないのでは? 日常の中で普通に耳にし会話の中に頻繁に取り入れられる言語ならではのことでしょうね。
=+=+=+=+= 私も、小学生の時、母親が海外出身だったからか英語の発音は我ながらとてもよかったです。英語の先生にも褒められました。が、友達には私が英語を話すたびに笑われていました。次第にカタカナ英語でわざと話すようになり、今ではもうあの頃の発音はできません。高校生になった今、クラスの人気者がいつも英語をちゃんとした発音で話しているのですが、みんなはふざけていると勘違いして笑っています。こういうのが、小中だけでなく、高校になってもなくならないのです。
=+=+=+=+= 私はNY生まれの日本人です。日本の学校では授業中はネイティブ発音で、友達との会話はカタカナ英語で話してました。理由としては授業中は、英語の勉強してるんだから、正確な発音なのは当然で、友達と話している時は、ネイティブ発音では友達に通じないからです。最初にそういう説明をしてからはじめたので、笑われる事はなかったです。たまに、英語圏生まれなんだから、英語できて当たり前だからずるいと言われたりしましたが、私は国語も現代文は満点だったので、言われなくなりました。(古文は苦手でした。)
また、私が通った公立はフランスやアメリカ、フィンランドやノルウェーなど海外育ちの子もいたので、そんなにびっくりされなかったのだと思います。
=+=+=+=+= バラエティ番組でも昔からありますからね。 発音が良かったらお笑い芸人のMCが「えwなんて言うた?w」という感じで笑いにします。真似しておどけてみせたり、トークの流れであとでその方にまた同じフレーズを言わせてまた笑いにしたりパターン化したり。 「単語の発音がいい」が脊髄反社的に「笑うリアクションが正しい」と国民にお笑い芸人さんたちによって刷り込まれているところもあると思います。
=+=+=+=+= 小学校低学年でアメリカから帰国した我が子も公立小学校の英語の授業ではカタカナ英語にしてました。英会話学校にいくと帰国子女の子達みんなそうしてるとのこと。でもスクールではみんな普通に話してました。浮かないようにいじめられないように、みんな切り替えていたようです。
=+=+=+=+= 時代や環境の影響も大きいんだろう。記事の人は「首都圏に住む若い人」だから、帰国子女が珍しくなく希少性が薄れてるので、周囲の人にも発音を笑えるだけの(ある意味での)心の余裕があるんだと思う。
逆に、中高年の自分が地方の学校で初めて帰国子女を見た(同じクラスになった)のは高校1年の時で、その時は輝かしい存在感にただただ圧倒された。 「入学したばかりなので、英語で自己紹介してもらいましょう。ひとり数分でいいですから」の課題だった。彼女は出席番号の関係で先頭に近い順番だった。
で彼女が英語でべらべらしゃべり始めた瞬間、自分は完全に絶望したな。中学では英語は得意だったので、あんな事態にならなければ、高校でも英語を頑張れたと思う。 でも彼女のスピーチを聞いて、「自分が英語を勉強して中途半端に英語を使えるようになっても無意味だ」と一瞬で諦めた。他の科目も同時期にぜんぶ諦めたので、言い訳ではあるけど。
=+=+=+=+= TV番組でトマトをネイティブに発音したら、それをずっとからかわれた方が出てた。 苦手だったトマトが余計に嫌いになり見るのも嫌になるトラウマになったと。 けど実家の家業がトマト農家でかなり長い人生トマトのからかいのフラッシュバックが闇になってたらしい。けど家業の傾きから一念発起しトマトの品評会?で金賞を取るぐらいのトマト農家になってる。(食べれないけど) 息子の通う子ども園では年小さんからネイティブの外国人指導者が週一での活動が組み込まれているので、ネイティブ発音に抵抗感は減るのかも…。 日本は変な意地で足の引っ張り過ぎてアジアの中で遅れてる。(私は全く英語が話せませんが…)
=+=+=+=+= フォニックスを教えています。低学年くらいから始めて、小学3年生くらいまでは意欲的でとても良い発音ができているのに、小学生高学年くらいから正しい発音やリスニング力を削いでしまうのがローマ字とまさにこれ。 本人たちはやはり笑われたりするのが気になるとのこと。もったいないと思いつつ、どうすべきかいつも頭を悩ませています。
=+=+=+=+= 半世紀近く前、 中高大と約10年間英語の授業があったが、半分以上の先生が英会話ができなかった。
喋れない先生に習っても、喋れるようになるはずないわな。笑
また、語学修得能力に関わる遺伝子と言うものもいくつか発見されている。
日本の場合、古代から近代までの長い間、外国語を修得する必要が無かったために、遺伝子の淘汰が行われなかったのかもしれない。
=+=+=+=+= カタカナ英語だと外国の方に通じないですね。 中学の時に短期留学でアメリカの方が授業にきました。英語教師が英語で話しかけましたが全く通じず。結局帰国子女の先輩が通訳してましたね。 他にも「私、英会話教室で英語しか話してはいけないクラスに通ってます」って人が同僚にいたけど、外国の方に話しかけられても全く通じない。ちょうど帰国子女の大学生バイトさんがいたので対応してもらいました。
=+=+=+=+= mixで海外在住が長いこともあり、気持ちはよく分かります。 英語を極めることが目的なので授業はいつも通り正しい発音をしていましたし、楽しく会話することが目的なので友だちと話す時はカタカナ英語を使っていました。 両方できるなら、相手がより理解しやすい言い方に変えるのも大切なコミュニケーションだと思っています。 日本の英語教育はもっと日常会話に重きをおけばいいのになと感じます。
=+=+=+=+= 良くわかります。 もう40年以上前、親の転勤先のアメリカから帰って来た帰国子女です。 大学で入ったテニスのサークルでは"nice shot"と言っただけでザワついたり会話の中でふと英単語を口にするとカッコつけている様に思われたり。先輩から「アメリカン」とあだ名で呼ばれていた時もあり帰国子女なりに気を遣っていました。 今でもファストフードでオーダーする時など気をつけています。
=+=+=+=+= 自分もこれあったなあ。ネイティブでベラベラ喋れれば良かったのかもしれないけど、自分の場合は中途半端にそれっぽい発音だったのが余計恥ずかしかった記憶がある。完璧に出来ないのであればあえて下手に振る舞った方がマシだという雰囲気があったな。 日本で生活していると中途半端な英語を聞く機会がほとんどないのも悪影響だよね。スポーツ選手や芸能人なんかもそうだけど、下手な英語でも自分の言葉で話す場面がもっと放送に乗るようになれば良いのにな。
=+=+=+=+= 本来、発音が上手くなるようにみんなで頑張るべきなのに、こと英語の授業においては、発音できない人の方が何も言われないのに、発音が流暢な人ほど馬鹿にされるという意味不明な構図が成り立っていますね。 古典のようなもの、実践で使う気のない生徒が多すぎだと言うことでしょうか。コミュニケーションのためではなく、受験のために仕方なくやってるのが根本的な原因だと考えます。
例えば、大学の第二外国語で中国語を勉強していましたが、時々すごく発音の良い人がいました。誰もその人を笑いません。コミュニケーションのために勉強している人の集まりだと、そういう雰囲気になるのです。
=+=+=+=+= 日本で話す英語が、ネイティブの発音でないといけないなら、 海外で使われている日本語も「日本人が話す日本語」にしてほしいです。 育ってきた言葉によって聞き取れる音が違うのだから、それぞれの国の人が聞き取りやすいように変わってしまうのは、しょうがない部分もあると思う。
ただ、馬鹿にしたり笑いものにしたりするのは、違うかな。
=+=+=+=+= カタカナ英語を撲滅する方法は実は簡単で、NHKや民放のニュース番組で、横文字はすべてネイティブ発音で読み上げればいいだけです。テロップも勿論、ネイティブ表記にする。 国営放送のアナウンサーが英語をわざわざカタカナ読みして、カタカナ読みテロップを表示しているのですから、国策で英語ができないように仕向けているのでしょう。
=+=+=+=+= まあ、外国語が必要なら学べばよいが、アメリカなどで日本企業名を日本語発音しているかと言えば、そんなことはなく、ナィコンとかトゥヨータとか、日本人の名前もナォーヤイノゥェイだし。日常会話の中の可笑しさというのは感情なので別問題で、日本で「マッドゥーナルいこうぜ」は普通に違和感があって笑ってしまうと思う。海外でも日本人のわかりにくいカタカナ外国語を笑うだろうし。 実は和製外国語というのは結構オリジナル言語に近い発音に寄せているという検証動画を見たことがある。まあ何にしても伝わればいいのだ。
=+=+=+=+= 日本人の真面目さが裏目に出てるパターンだと思う。ちゃんとしなきゃ、間違ってはいけないって気持ちが先にあるから話せない人が多い。そして自分なりに話すと笑う人がいる。 何故かポイントで人をバカにする人が多いのも日本人の特徴。 留学から一時帰国した時話すとオォー!となるけど、ずっといると笑う対象になる。
結局、皆んな同じ様なレベルでいような。仲間だよな?裏切らないよな?的な思考がベースにあるからそうなるのかなと思う。 それを突破した人はその時は変人扱いだけど、成果を出したり人より秀でている人になると私は思う。
=+=+=+=+= 自分が小学生低学年の頃、英会話教室に通ってたのだがそれを聞きつけた近所のオバサンが「英語習ってるんだーすごいねーリンゴは英語で何ていうの?」と聞いてきた 「エァポウ」と言ったら、リンゴは「アップル」て言うんだよと大爆笑してた オバサンが持ってた缶コーヒーが溢れそうだったから「カッフェが溢れ…」と言った所で輪をかけて大爆笑した 自宅に帰った自分は母親に教室もう辞めると告げるのだった
=+=+=+=+= 2歳から英会話教室に通って英語の発音がネイティブっぽくなった結果、笑われたと言うか揶揄われた経験がある。 (大体は運動ができるだけの連中) よく言われたのは「apple」って言ってだった。 でも個人的には気にしなかった、むしろ 「この人たちはこんな事も出来ないんだ」って思えば何にも感じることはないからね。 耳で聞き取って、正しく発音する。 しかも勉強していけば発音や音の並びとか法則性が見えてくる楽しさもある。 そういう馬鹿にしてくる奴には永遠に分からない言語の楽しさを理解できる。
=+=+=+=+= これは英語以外の母国語をもつ島国と言う立地的な要因と日本の英語教育の問題。
日本語は英語と比べると一つの文の単語の並びが逆で、他国語に比べて発音の種類が少ない。 なので”日本語”の理解の中では普段発音しない・聞きなれない音があるからそれを使うと違和感だったり理解が進まない部分がある。 そしてその違和感が日本語の集団の中で異質となり笑われたりするようになる。
学校の授業も文法であったり単語の綴りであったりと、ペーパーテストで点を取る為だけの死んだ英語を重要視し教えているのだから仕方がないし、なんなら教えている先生ですらカタカナ英語である。(わかりやすく教えるために敢えて使っているのかも知れないが)
ま、なんにしても世の中グローバル化だ何だと叫ばれて久しいが、未だに日本国内にいて英語が話せない事で困る事はほぼないし、普段から英語を使う人などは限られている。 それはこれからもずっと続くよ。
=+=+=+=+= 日本の学校教育は、実用を考えたものではなくて、教育要項に従い教え、授業に混乱を起こさず問題なく卒業させることが目的ですからね。 英語を外国人のコミュニケーションツールと捉えたなら教え方は変わるはずですが、それは目的ではないですね。 ちなみに私はLondonの発音をランデルンと習いましたよ。さすがに変だなと思いましたが。 さらに言えば、国語を自身の考えを伝え、相手の意見を理解するための学問ならば、もっと日本人同志のコミュニケーションもスムーズになるのにと思うのですが。 結局社会や会社で学ばなければならず、学校教育の多くが無駄で不合理なものになっていますね。
=+=+=+=+= 英語の授業であくまでもネイティブ風に発音したら皆が笑っている中、1人の男子生徒が「発音違うぞ」と教えてくれた。英語教師さえ笑っていたのにそいつだけは真面目に教えてくれた。真面目だけが取り柄でなんの面白味もない頭でっかちな奴だけど、卒業後10年経つが、いまだに連絡を取っているのはそいつだけ。ちなみに俺はいまだに英語は話せない。所詮日本の英語教育なんてそんなもんだし、社会に出てからも英語が必要な状況に身を置いていなかったからさ。日本語だろうと英語だろうと自身が身を置く環境によって必要性は変わる。日本語風英語が必要ならそうすりゃいい。されどお前が英語を話せることに変わりはない。他の連中はただ笑うだけで英語が話せる訳じゃないのだから。なにを負い目に感じる必要があるのか。お前は海に生きる魚で、他が川でしか生きられない魚なだけさ。気水域でたまたま邂逅しただけでお前の住む世界はもっと広いじゃないか。
=+=+=+=+= これは完全に担任の先生の責任。 日本語でも方言があるように、英語でも世界中で違う発音をしており、この子は、いきっているのではなくで、子供の時に習ってきた英語がこういう発音であり、みんながならっている発音とは違うし、先生の発音とも違う。この子が先生より発音が優れていることは間違いなくても、波風立てないようにしないといけないと思う
=+=+=+=+= 友達に日系アメリカ人がいるが,彼は,英語はもちろん流暢な本場のものだが,日本語を話すときは,カタカナは日本語の英語発音に変える.よく使い分けれるねって聞くと,「日本語だから」と答えていた.本来,バイリンガルとはこういうことだろう.
ところで,アメリカでも日本語っぽい発音は,Japanese-Englishと言われる.恥ずべきことではなく,Chinese-Englishや,Mexican-Engish,Indian-Englishもある.もし,メキシコ人とインド人と英語で話すと,日本の英語教育がいかに役に立たないか思い知る. そもそも,所謂日本人の習っている英語は,British-Englishで,アメリカ人はAmerican-Englishを話しているので,だれも気にしてはいない.親しくなると,その発音は伝わりにくいのでこうした方がいいよって教えてくれるのでその時に直せばよい.
=+=+=+=+= 英語ではないですが、小学生から読書が好きで似た様な友達に囲まれていたのですが 高校に入り 同じクラスの人に 話し方が面接みたいで真面目すぎ〜みたいな陰口を言われていたのが聞こえてしまい、なるべくバカっぽく話す様に気を付けたところ 本当の自分がわからなくなってしまい、おばさんなのにいまだに マジで?とかヤバ!とか言ってしまいます。LINEでも、真面目すぎにならない様に気を付けています。
=+=+=+=+= 昭和の話だけど、親戚がアメリカで生まれて地元の公立校に通って育ったので、完全なネイティブ。年子の兄弟で中学高校で日本に帰国。1人は先生から、自分よりも発音が良いから代わりに教科書を読めと、その年ずっと教科書を読まされた。しかしもう一人は先生から存在を完全無視され続けた。自分よりも発音が良いのが面白くなかったらしく、1年間で1度も当てられることがなかった。やり方の是非はなんとも言えないが自身のプライドよりもネイティブを良しとして肯定してくれる教師と、プライド優先でネイティブの生徒の存在を無視する教師。同じ時代でもそれぞれ両極端だが、前者の方が人柄は良い先生な気がするし、頑張ってネイティブに近い発音をしてみようという空気がクラスに醸成される気がするが、陰険な後者の授業ではネイティブを笑いカタカナ英語を話す空気になりそう。 結局いつの時代も、教師の授業の仕方によるところが大きいのじゃないかな?
=+=+=+=+= カタカナって便利だけど日本語英語の単語も多いから、間違えた覚え方にはなるよね。最初から似せた発音と表記にすればよかったのにとたまに思う。 ケーキをケイク、イケアはアイキア、キャベツはキャベッジとか…少しは通じやすくなるよね。
=+=+=+=+= ネイトーは完全なるアメリカ英語で、他の国はナトーって呼んでる場合も多いから、からかわれるかもね。アメリカだと、イケアはアイケア、ゴディバはゴダイバだしちょっと独特な言い回しすることも多い。 とはいえ、発音をからかわれる筋合いはないし記事にもあるように一種の嫉妬のようなものも働いてると思う。
そもそも小学校〜高校までかなりの長い期間英語の勉強をしているのにほとんどの人が英会話ができないという教育の仕方に問題があるのでは。全員スピーキング必須、高校卒業までに英語がしゃべれるようになれば発音が自分ごとになるから、からかわれることも少なくなると思う。
=+=+=+=+= こんなに若い方でもそうなのですね。私の頃はカッコいい発音や巻き舌英語だと気取ってると言われてしまいましたが。今の子は幼稚園から英会話習ったりディズニーの番組見たり、クラスに1人や2人は外国人がいたりで普通にネイティブっぽい発音の子が沢山いるのだと思っていました。
=+=+=+=+= カタカナは便利かもしれないが、無くなるべき存在なのかもしれないと思う事は有る。
トカゲとかカゲロウ・バラとか、漢字が難しいからカタカナで表記するのは問題ないと思うのだが、外国語の発音、しかも日本語に寄せた発音をカタカナで表記するのは日本人の英語が低い原因の一つだと思っていたりする。
=+=+=+=+= 日本人の「100%正しくなければならない、99%までは0%と同じ」っていう、悪しき習慣のなせるわざ…
でも、こういう頭カチコチになってる人ほど、日本で習うのは単なる一訛りのアメリカ英語に過ぎないってこと、理解していない気がします。 世界中に公用語が英語の国は沢山あり、それぞれの発音がネイティブと言えるのに、日本ではアメリカ英語(せいぜい含めてイギリス)が正しいと思われてしまう。
学校教育でそれらを網羅するのはもちろん無理だが、様々な訛りがあることは教えるべきだし、日本人の話す英語も「日本語訛りの英語」というだけの話だから、発音など気にせず恥ずかしがらず「喋って喋って喋りまくる」事を教えるべき!
文法や綴りと違って、発音はとにかく話続けて口周りと舌の筋肉を慣らさないと上達しませんから…
=+=+=+=+= 自分の場合は茨城弁を使うことに誇りを持っているんだけど、流石に都内で本気出しても誰にも伝わらないから、茨城感を3割くらいに抑えて喋っている。 ふいに「俺、訛ってないかんね!」と全力茨城弁を出すと皆笑ってくれる。
言葉は相手に伝わらないと意味がないけど、笑われるからという理由で流暢な英語の発音を引っ込めるのはもったいない。 笑いたいヤツには笑わせておけばいいんだよ。
=+=+=+=+= 理解出来なくもないところはある。例えば、英会話の中に「うどん」という言葉があるときに、それを日本人が日本人に向かって英語アクセントで「Udon」と言っているようなおかしさと恥ずかしさの感覚を多少感じてしまう。 カタカナ英語はそれとは違うのだろうが、それでも日本語として定着してしまったカタカナ英語だとやはり同じ感覚を感じる。
たぶん、これがいろいろな国出身の人がいて日本語が通じにくい英語クラスなら違うんだろうなとは思う。
また、学校の英語学習という点では、自分の学生の頃を思い出すと、This is a pen.を勉強しているレベルの時に、ネイティブで話す人が同じ生徒として入ってきたら、おいおい、とは思ってしまうので、英語がネイティブレベルで出来るのであれば、生徒側(教わる側)になるのではなく先生の補助などになってもらった方がお互いの為になると思う。
=+=+=+=+= 当初、ネイティブのような発音しなくても文法とか読み取りとかしっかりしてればそのうち聞き取れると思ってた。大橋巨泉のような話し方でも行けると。でも、ネイティブ並の発音ができるようになると聞き取り力が変わるということに最近気づいた。 こんな風潮が早くなくなるといいと思ってる。
=+=+=+=+= 「ネイティブ発音で話したら笑い者」?それはネイティブ英語では無く、ネイティブ・アメリカ語だったからでは?日本の英語学習ではみれば、アメリカ英語の発音は訛りと感じる。アメリカに行きたい学生以外はカタカナ英語でも良いので、使える機会を増やすことを考えれば良いと思う。
=+=+=+=+= 笑い者にするのとは全く違うが、英語の発音を頑張った結果、目の敵にされるというのを中学の英語教師から受けた。 ネイティブの発音に近づけるようにラジオ講座とか聞いて発音練習をした甲斐もあってか、英語の弁論大会で賞を貰ったりしたし、ELTの先生からは発音を褒めて貰えたりした。 一方で英語教師は生徒の前で発音をELTの先生から直される場面もあり、それもあって逆恨みされたのか、やたら私に対して当たりがキツかった。 弁論大会で賞を取った時は凄いブスっとした顔で全く心のこもってない「おめでとう」を言われたな。
=+=+=+=+= 発音(個々の音の響き)と言うより音節感覚(音のまとまりが長かったり短かったりする)と強いところが長くなるなどのアクセント。日本語のような音のまとまりの長さが比較的一定な「等時拍リズム」の中に入れるとそこだけ際立つので全体が聞き取れなくなる。 それからアメリカ英語は、イギリス英語にくらべて、綴りと発音の乖離が大きく、かつ音の脱落や転化(いわば訛)が多く不明瞭に聞こえる。
=+=+=+=+= 都心下町の生まれ育ちだけども もう50年位前になるが英語の先生が 神田の生まれでやたらと江戸弁で 英語云々よりもそっちの話し方が良くて 授業が楽しみだったなぁ 話が脱線して戦時中の話しや進駐軍の 話しが楽しかったなぁ
それに担任の先生は予科練上がりで やたらと厳しかったが生徒からは 人気が有ったよ
=+=+=+=+= カタカナ英語こそが日本人の英語力を低下させる最大の原因。
日本には英単語は溢れているのに全てカタカナ英語という日本語だから、カタカナ英語+ネイティブ発音の英語の二通りの英語を覚えなければならくなる。
このグローバル社会で諸外国と渡り合うには英語は必須の言葉になる。 そんな中で、ただでさえ日本人は英語が手くそなのに、そこでカタカナ英語で会話なんてしたら、逆に外国人から嘲笑される。
英語のネイティブ発音をバカにする日本人こそ、日本の国際競争力を落とす一員になっていることを肝に銘じてほしい。
=+=+=+=+= 50年ほど前ですが、中学に母親が英語教師でめっちゃ発音の良い友人がいて、みんなその発音を聞いて「おおー!」って感心していて、毎回その子が本読みを当てられるのを皆でワクワクして待ってた記憶があります。そんな風なクラスの雰囲気だといいんですけどね。
=+=+=+=+= 流暢な発音をなぜ笑うのか意味がわからなかったが、読んで納得です。確かに流暢だとカッコ良過ぎて笑ってしまう。バイクでもクルマでもカッコ良過ぎると笑ってしまいます。猫でもインコでもかわい過ぎると笑ってしまいます。ポジティブに捉えてもらえればと思いますが、以後は注意します。
=+=+=+=+= 私は笑われることはなかったけど、先生もカタカナ発音だったからカタカナ寄りにした。特に辛いわけでもなく、ただ使い分けていたという感じ。 でもこれって形を変えて大人になってもあることで、カタカナ英語に慣れすぎて、例えば日本語を話せるスペイン語圏の人がカタカナ英語を違う風に言うと笑う。ローソンのことをラウソンって言っても仕方ないじゃない、日本人だってマクドナルドとか言っちゃうんだから。アブリルラビーンとか言っちゃうんだから。だから外国の人のカタカナ英語を絶対笑っちゃダメだと思うんだ。 ただ、英語は国によって発音が違うからカタカナ英語は日本の英語としてそれはそれで私はありだと思う。伝えるためのものであって発音の正しさは重要じゃない。でも違う発音の人を笑うことは非常に恥ずかしいと思っておいた方がいい。
=+=+=+=+= 自分とは違う発音だと「ん?」と思ってしまうのはたしか。 大阪メトロに太子橋今市という駅がありますが次の駅の英語のアナウンスで「タイシバシ、イマイチィ〜」と流れるといつも笑いそうになります。 流暢な英語の発音をされたら、自分には到底真似できないので凄すぎて笑ってしまいます。 悪気はなく。こういうのが傷付くって言われてるのですよね。申し訳ないです。 どうか気にされませんように。
=+=+=+=+= 小学生のローマ字の授業はホントにやめてもらいたい。うちの子にもローマ字授業を受けてほしくなかったが、避けられず、そこでまずローマ字の読み方と綴りを刷り込まれてしまった。結局これをその後に英語の知識で上書きしなければならないのに。そしてローマ字をみんなでやるもんだから、一歩進んだネイティブ発音とかを妬んだりするのかもしれない。 カタカナも使い方によっては微妙。自分が中学生の時には先生の指導があったかどうかは忘れたが、英語の教科書にカタカナで延々と読み方を書いているクラスメイトがたくさんいた。ほとんどがそうだったかと思う。 百歩譲って例えばwhatをワットと書くなら少しはネイティブに近いが、カタカナではどうやっても表せるものではない。 最初に英語に触れる時の刷り込みを大切に教育プログラムを作って欲しいと思う。
=+=+=+=+= 帰国子女でも外国に長く住んだ人でも、英語の発音を現地の国民が話す発音で話したら、違和感があるのは当たり前です。私も含めて、アメリカに10年以上住んで英語がベラベラでも、日本人同士の会話では日本語のカタカナ英語発音で話します。それは、日本語を話す母国の日本人があえて、会話の中の英単語を現地ナマリで話す意味もないし、違和感だけなのです。第一、日本語のイントネーションで話している会話の中で例えば「インターナショナル」と明白に日本的に発声するところを、「インtoなーshuナル」のように発音したら、不自然に思われるし、聞いていて気持悪いです。英語が完璧にできる日本人でも現地人発音は違和感があるから、日本的発音にしたほうが良いでしょう。
=+=+=+=+= 息子が高校生の頃、友達に帰国子女の人がいて、英語の発音がネイティブだったので、その人をすごく褒めて感心したら、そうやって受け入れてくれたことがすごく嬉しいと言われたと言っていた。 その友達は中学ではそのことが原因でいじめられたと言っていた。 私も息子も尊敬できることなのに、それを笑うなんて…と2人でびっくりしたことがあった。 悲しい事に、これが妬み嫉みというやつなのかなぁ?
=+=+=+=+= 原理的には「カタカナ英語」の存在があることが問題に繋がっている。
カタカナ英語とは何か? その認識がまず必要である。 そしてその有用性が問題となる。 カタカナ英語で得することがあるならそれには存在理由がある。 得することがないなら無意味である。
その認識を持てるか持てないか? 私は13歳の時点でそれを理解していた。
=+=+=+=+= 以前はよく島国根性とか言われていましたが、最近ではあまり聞かれなくなったと思っていました。少なくとも仕事を始めればそんなことを言っている場合ではなく、外国人を相手に商売をしたり一緒に仕事したりするから英語も使うのが当たり前になりつつある、という認識だったのですが、学校がまるで島国根性丸出しのようで、なるほど子供たち(の多く)の状況は昔からあまり変わっていないんですね。考えてみれば、会社でも「俺は国内専門」と海外関連の業務を避けたり、英語ダメだからと逃げたりする同僚が少なくなかったとも感じており、そういう方のお子さんなら「笑い者にする側」になっていてもおかしくないかもしれません。
=+=+=+=+= 小学校のころ、近所の子たち数人で英会話を習っていた。 先生は今思えばアメリカ帰りで、発音もネイティブに近かったと思う。 doctor はダークトゥァー、appleはアポー。 中学に進学したら授業はカタカナ英語だったので、ダークトゥァーとは恥ずかしくて言えなくなった。 実際英語で会話しようと思ったら、カタカナ英語の発音では通じない場面がたくさんあるのにね。
=+=+=+=+= アメリカ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアに住んでいました。 それぞれの国々で英語を必死で覚えたので発音がえらいことになってしまいました。日本語で言うと東北弁、関東弁、関西弁などがごっちゃになっている状態です。相手の英語によってつられること多し。(ただし、カナダ訛りが強いといわれる)通訳になってみたらこれが意外に役に立っています。英語の通訳はいろいろな国々の英語を聞き取れた方が役に立ちます。どこの生まれかと聞かれること多し。そりぁ日本語だっていろいろな地方の言葉を混じって話されたら???となるわ。
=+=+=+=+= 学校の授業ではなく、英会話スクールに通って、何のために英語を話せるようになりたいのだろうか? 英語はあくまでもコミュニケーションや情報収集のための手段でしかないのに、目的になってないか? もちろん英語で話せないより話せた方がいいが、何のために英語が話せるようになりたいか、その目的意識が薄いと思う。
=+=+=+=+= 「量販店のコストコは、英語だと“コスコ”。アメリカ人に住んでいて、日本に帰ってくると、コスコと言いたくなるが、周囲からは『なに言ってるの』といった反応をされる」
これって、「発音コンプレックス」じゃなくて、話者の聞いている人に対する思いやりだと思います。
例えば、Costcoは、アメリカでは「コスコ」って言いますが、それをそのまま日本人の会話に使っても通じないのは当然だと思います。それで、「日本ではコストコって言うんだよね。アメリカではコスコっていうからついそれが口がでちゃう」とかのフォローがあると周りの反応も違うと思うし。ただ学校の英語の授業で米語に近いような発音をするだけで笑われるってのはどうかな。 その話者の態度とかも影響してくるのではと思うんですが、それを「ネイティブ発音=笑いもの」と繋げてしまうのは極端すぎるように感じるし、記者の私見が偏っているように思います。
=+=+=+=+= 昔から人を馬鹿にすることで笑いを取ったり自分を落として笑いを取ったりっていうのが当たり前にあったから、普通に有り得る話だと思う。
肯定するのを極端に嫌う文化な気がする。 認めあえる文化になるといいですよね。
かく言う自分も極端な肯定を連発してる人を見るとどうかと思ってしまうけど。
=+=+=+=+= 小学生向けの塾で英語を担当していた時、発音記号に沿った指導をしていたら上の講師から注意されたことがある。 いわゆるカタカナ発音で話してやらないと、子供がわからないだろう?とのこと。 唖然としてしまった。 塾では、高価な機材まで生徒に買わせてネイティブの発音を流しているのにである。 日本人の英語が身に付かない原因の一つのように感じた一件であった。
=+=+=+=+= 日本語由来の企業名などは別にネイティブに合わせる必要はないと思う。nikonをナイコン、TOYOTAをトーィオーラと発音しなくても良い。けど、記事にもあるようにCOSTCOをコストコと呼ぶのは変だ。IKEAはオリジナルはイケアに近いが、英語圏ではアイキーア。こういうのは微妙だな。
=+=+=+=+= 首相がアジア版NATOの提案をするとか、やめるとかいう話題がありました。 テレビ報道でNATOをどなたかがネイトーと発音した時に失笑が聞こえました。 すぐにナトーと言い直したようです。 米英などでナトーといっても通じませんね。カタカナ英語でネイトーといえば通じるわけです。日本では気をつけないとね。
=+=+=+=+= 折角ネイティヴの発音を聞く機会があるのにもったいない話。 自分はそういう環境にいなかったので仕事で海外部門に移動して から英会話習得のためのお金が相当かかった。 もちろんアジアンイングリッシュでもたいていのことは足りるけど 相手の話を聞き取るにはネイティヴを知らないと苦労する。
=+=+=+=+= 羨ましさや嫉妬って感覚は違うかな 確かに「イキってる」って感覚に近い気はする。 特に一昔前は生の英語に触れる機会自体が少なかったわけだし ALT(外国語指導助手)もいるにはいたけど
まぁそれも周囲の慣れで、その子が帰国子女ってわかればむしろそっちが正しいて感じるべきなんだろうけど
=+=+=+=+= ネイティブな発音を笑う、か。 その場に居合わせる機会がないので分からないけれど、それが本当ならば、なんとも変なコンプレックスの表し方だね。 それがカタカナ英語ばかりの日本人特有のものだ、と言われたら私としては心外なのだけれどね。 私も英会話は苦手だ!と自信を持って言えるのは悲しい。昔のテストの為の英語教育、その賜物世代なのだけれど笑 ネイティブな発音の人に「それが正しい発音なんだよ」と教えてもらえたなら、私ならば感心しかないけれどなぁ。
=+=+=+=+= まあわかる。私は純ジャパから国内で鍛えていったから、最初は小っ恥ずかしくてジャパ発音だった。かなり上達してからも自慢してると思われたくなくて。ただ、途中からジャパ発音に切り替えるのが億劫になって、最近は英語は英語発音のままで通しているし、そのことでなんとも思わなくなった。若い帰国子女とかなら意識してジャパ発音と使い分けられるのだろうけど、歳を取ると使い分けるのがしんどくなるんよね。しかし、未だに若者は英語下手なんですね。もう諦めて成人したのにセファール一定以下は全員AI翻訳デバイスを耳と喉に埋め込めばいいのに。
=+=+=+=+= 学校の先生自体が大してしゃべれないから当然そうなる。 言語として似たところがない英語を学ぼうと思ったら、英語漬けにならないと無理でしょうね。 英語の教科書なのに日本語多すぎ問題、教科書薄すぎ問題、いろいろありすぎる。 いまのようなやり方だったら小学校から始めてもあんまり意味ないよね。 とりあえず韓国の英語の教科書並みに分厚くしないとダメだろう。
=+=+=+=+= あれおかしかったよね笑 先生に続けて皆で発音する時とか、先生は流暢に発音してるのに、なぜかそれを真似しないでカタカナ英語で話すんだもんな。 俺は先生の発音通りに喋ってたから、最初の頃は「みんな耳がおかしいのかな?」と思っていたよ。そのうち「ああ、わざと平坦に発音してるのか」と気付いたけどさ。 まあ、笑われたりしたことは無かったので、環境には恵まれていたのかな。
=+=+=+=+= 上手な英語を笑う日本人のこの感覚はなんか時代遅れ感が拭いきれない。
以前もサッカーのロナウドが来日した際に、日本人の子供が必死に覚えていた外国語でロナウドに質問したら、会場にいた記者等がケラケラ笑って、それを見たロナウドがなぜ笑うんだ?と苦言を呈したこともあった。 外国人からみたら、一生懸命やっているのにバカにする対象にするこの感覚は意味わからなかったんだろうね。
日本のこの気質は嫉妬とか、みんな同じでいようという集団意識から来ていると思う。 なんというか精神的に凄く幼いと思う。
=+=+=+=+= 英語を英語らしく発音は別に違和感はないんだけど、英語からではなく日本に入ってきている名前、例えばヨーロッパのブランドとかを英語風に発音する人。それがほんの数年アメリカに行ってただけの駐在妻とかだったりすると、違和感感じちゃうんですよね。好きなようにいえばいいはずなんだけど、なんかね。
=+=+=+=+= 流暢な英語で笑われるって、高校だと偏差値が低い学校よね。 ある程度のレベルの学校だと、モロ日本語みたいな発音だといちいち指摘されたり、周りから「聞き取りづれぇ」て煙たがられるよ。
偏差値が高い学校なら、イジメなんてしているヒマねえし、みんな前向きで充実する。 やはり受験はがんばって偏差値が高い学校に行くべきだよな。
=+=+=+=+= 本気で英語を習得したいと思ってる人はネイティブの発音を聞きたがるんだろうけど、大部分の日本人は本気で英語をマスターしようなんて考えてないから、別にネイティブの発音なんてどうでもよいと思っちゃうんじゃないの?
日本で暮らしてる分には多くの日本人にとって英語を必要と感じないし、
研究者とか賢い人は、独学で英語を身につけるし、わざわざ学校で英語教育に力を入れる必要もないと思う
=+=+=+=+= 分かる〜小学校で英語習う様になる前に個人的にちょっと習ってて、耳コピで話してた時は発音良かったけど、中学に入った途端発音悪くなった。日本語発音版の英語も喋らないといけないみたいな。シンガポールで会ったアメリカ育ちのシンガポール人で、10-12才くらいでシンガポールに帰ったらシングリッシュじゃなくてアメリカ発音だからめっちゃいじめられたって。これは国の問題というより中学生くらいの年齢で「自分と違うもの」に対する嫌悪感がピークになるのかもしれない(個人の感想です)。こんなんだったら学校に居るALTもあんまり意味無いと思う、どっちの感じで発音したらいいの?みたいになりそう。
=+=+=+=+= 日本語でも方言や故郷のイントネーションで話すと笑う人いますもんね 同調を求めすぎなのかも
逆に、米国帰りの人がコスコのこともですが、IKEAのことを「アイケア」なのに、だから日本人は・・・と言っていたのですが。 本元のスウェーデンでは日本で使われているイケアの方が発音は近いそうで。 日本国内で国内の商業施設の話をするのなら日本式カタカナで表現した方が通じますよね。 コストコは日本ではコストコと登記されているそうなのでコストコでよろしいかと。 私は現地ではお店へ行くまではクスコだと思っていました(そう聞こえていたので)。
オーストラリア人と英国人とカナダ西海岸と東海岸の人とルームシェアをした時、皆トマトの発音が違っていて中学で習ったトマトの発音は米国式の少数派だったのだと知った次第です。 その場で通じる言葉や発音を理解出来るようになれたら良いなーと考えた次第です。
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