( 224347 ) 2024/10/20 16:42:25 0 00 =+=+=+=+= ドイツでは早くから海軍はUボートを最主力にして通商破壊に徹している。やはり日本海海戦の成功がこびりついて艦隊決戦に固執し過ぎた結果が大和なんだろうな。いずれにしても資源の無い日本は開戦するにしても早期決着しか道は無かった筈。見通しの無い戦争が敗戦に結びついた。
=+=+=+=+= 日露戦争での「勝利」は、ロマノフ朝末期のロシアの政情が不安定だったといういわば敵失によるものが大きいよね。長期戦にもつれ込んでいたら厳しかったと思う。山本五十六が昭和天皇の前で「1年やそこらなら暴れてみせましょう」と言った話を聞いたことがあるけど、資源をほとんど持たない日本はどっちにしても長期戦になれば戦争に勝てるわけもなかったはず。
=+=+=+=+= 大和型戦艦にかかった費用を空母と艦載機に割り当てたらという事を仰る方がいらっしゃいますが、大和型をキャンセルすれば航空機戦力が増やせるという単純な話ではないと思います。史実以上に航空機を増やす為には、史実以上に製造工場を建設し、そこで働く工員さんを育成しなければなりません。また航空機を操縦する搭乗員や、整備を行う整備員の育成も必須です。航空燃料や潤滑油の調達必要量も増大します。以上の事から大和型をキャンセルして航空機を作ればよかったという議論は、現実的ではないと思います。
=+=+=+=+= 建造費は日銀引受による公債発行。戦後、公債は紙切れとなりハイパーインフレが起きた。財務省が国債発行に慎重なのはその時の経験からだが、財務状況は戦前に近づいている。
=+=+=+=+= 九九式軽機関銃なら20万丁、九二式重機関銃なら10万丁、九六式十五サンチ榴弾砲なら、5000門。陸軍百個師団に軽機関銃、重機関銃の装備数を倍に増やし、師団砲兵に十五榴12門(一個大体)を追加装備出来た。
=+=+=+=+= 戦艦大和は、単純に軍艦一隻を作ったというわけではない。 意識しづらいが、船というのは最先端技術の塊でもある。製鋼技術、測距儀、水の抵抗を考えた形状、スクリュー、エアコン等。超大型船の建造技術の獲得は大きく、敗戦後もその技術があったからこそ、民間で様々な製品が生まれていった。 戦艦大和は、決して無意味な存在ではなかったと思う。
=+=+=+=+= 大和関連の創作物での活躍に浪漫を感じる一方で、エリートぶった海軍上層部に振り回された英霊や民間人のことを考えると、人間の盲目さの象徴でもあると思う。
普通に考えたら「こんなもん作ってどうすんだよ」と思ってしまう反面、戦後まで秘匿されてきた出自や、今も続く宇宙戦艦ヤマトブームなど、後世の創作作品に強烈なインスピレーションを与える存在感とか、不思議な力も持っているのかなと感じることがある。
=+=+=+=+= 興味深い記事。
たしかに、人造石油関連への予算が有効に機能し、 石油の供給への不安が減少すれば、 大陸での事変を継続しつつ、 欧州大戦の趨勢を見極め、 南方進出といった方向に進まなかったかもしれない。
あるいは、ソ連への侵攻を行い(いわゆる北進論)、 極東の兵力を欧州へ転用すること妨げ、 独軍を間接的に支援することもできたかもしれない。
いずれにしても、英米は、なんらかの形で共闘し、 残念だが、日独のいずれも、最終的には、敗戦の道を辿っただろう。
軍事費ではなく、民間の産業振興や技術開発など 長期的視野に基づき、国内へ予算を使うことが正解だったのではと思う。
=+=+=+=+= 日本は日本海海戦の大勝利を経験し、敵艦隊を艦隊決戦で撃滅する、という戦略を立て、そのために艦艇を揃え、機能も敵艦を屠ることに重点を当て、駆逐艦は雷撃能力を強化し、本来商船攻撃が任務であるはずの潜水艦もそのように作りました。 敵主力艦を減らすため水雷戦隊の夜戦能力を鍛え、大和、武蔵など射程外から砲撃できる巨大な主砲を持たせました。 日本海軍の機能が全て艦隊決戦に向けられました。資源を運ぶ船団を護衛するなんて発送はほとんどなかったのです。それをずっと続けてきたわけですから、途中での方向転換は難しかったと思います。
=+=+=+=+= 大和を作ったから今の日本があると思います。 戦後の日本は敗戦で物がなく食べ物にも乏しかった時に 復興するにはエネルギーが必要でした。 しかし 運ぶ船がなく わずか2年で 巨大なタンカーをいくつも作りました。 これは 巨大戦艦大和を作る事で得た技術 そんな風に呉の大和ミュージアムに紹介されていました。
=+=+=+=+= 逆に大和型戦艦が無かったら、どんな影響がでたのか。 アメリカは未知の巨大戦艦に怯えることなく、モンタナ級なんか不要でアイオア級戦艦の増備や重巡の充実を図ってたかも。 日本の造船技術も大きな発展をせず、戦後の造船大国の地位は無かったかも。
歴史にifはないと言いますが、戦艦を作らなかったことで得られなくなった効果も合わせて考えた方がいいかなと思います。
=+=+=+=+= 大和の予算を空母2隻と艦載機に回すという話ですが、空母があったとしても、空母が戦力になる為には優秀なパイロットが必要不可欠です。 珊瑚海で飛行甲板に大穴が空いたヨークタウンは甲板修理しミッドウェーに出てきたが、無傷の瑞鶴は出れなかった。 瑞鶴が出れなかったのは飛行隊が大打撃を受けた為ですが、同じくヨークタウンの飛行隊も大打撃を受けたものの交代要員の補充が出来たので出撃出来た。 艦載機パイロットが居なければ空母があっても意味が無いという事です。
=+=+=+=+= ゼロ戦の開発時、製造工場から組み立て試験をする飛行場までの運搬は牛車だった。 道路状態が悪く車両では部品が破損する可能性があるためだ。 フォードは日本と車の合弁企業設立を提案したが、日本は断った。フォードは技術を得られるのにと呆れた。その後航空機や車両などでエンジン開発に苦しんだのはご存知の通り。 ドイツから石炭から石油の製造技術を導入したが、目標の一割も製造出来なかった。 日本はインフラも基礎技術も低く、一部の突出した技術のみで第二次世界大戦を戦った。 大和の三番艦の信濃が実戦に活かされることもなく、潜水艦に沈められたのも象徴的だろう。
=+=+=+=+= そもそも航空機が主力になり得る事が確認できたのは大和完成の約1週間前の真珠湾、マレー沖海戦であって、それまでは戦艦こそが海戦の王者であり、最大の抑止力だった。 大和建造は決して的外れではなかったし、航空機の実力が確認されてからは信濃を空母に変更するなど日本なりにシフトチェンジはしていたよ
=+=+=+=+= 資源が無いから南方に補給路伸びてアメリカの潜水艦に狙われた 大和型に強力なレーダーと射撃管制装置が有ればと思う主砲で長距離対空防御が出来れば日本の戦闘機が上がれない高空を飛ぶアメリカの戦闘機を多少防いで戦略が変わったかも知れない レーダーやソナー技術が有ればと思います
=+=+=+=+= 大和型2隻ではなく、翔鶴型2隻作った方が戦局に大きく寄与したはずです。これは山本五十六が主張していたことです。もし、開戦時に翔鶴型2隻が連合艦隊に加わっていたら、日本の機動部隊は米空母に対し、かなり優位に立ちました。恐らくミッドウェー海戦と、その後の南太平洋海戦で、米空母を全て撃沈して太平洋から一掃できたはず(史実でも米空母を損傷させ短期間、太平洋から一掃しています)。 ただし米国は、その後にエセックス型空母と護衛空母を大量生産して送り出してくるので、マリアナ沖海戦の頃は、史実と同じような展開になってしまいます。 やはり太平洋戦争は、山本五十六が考えていたように短期決戦、早期講和以外、どうしようもない展開になります。日本がやるべきは、近衛公や吉田茂が考えていたようにシンガポールを攻略したあたりで和平工作し、占領地を返還、中国、仏印からも撤兵して三国同盟を脱退、停戦することでした。
=+=+=+=+= 戦艦1隻作るのに国家予算の約1割を使う日本が、それを個人で買える人間が居るアメリカに戦いを挑んだ。 もう「無謀」「蛮勇」なんて言葉も通り越した感じです。
今となっては後知恵だけど「なぜ戦争を避けられなかったのか?」(逆立ちしても勝ち目の無い事は政府も軍部も分かっていた)「どうすれば戦争せずに済んだのか?」の方が、あの戦争の是非よりも重要だと思います。
=+=+=+=+= 真珠湾攻撃で対戦闘艦戦では航空機が有効と実証されるまで世界中の国は大艦巨砲主義で、そのことを大和を建造する前に解っていたら、日本海軍は航空母艦と艦載機とその搭乗員の増産と増員をしていたでしょうね。 それに見合うように空母の護衛艦を増産して航空母艦を中心とした連合艦隊を作っていたと思う。これだとかかる予算は大和建造と同じか、予算が増大したと思います。当時のアメリカ国内の世論を考慮に入れても、結果は条件次第ですが、早期の和平が実現したか、敗戦したが大敗で負けてはいないと予想します。
=+=+=+=+= あの~ 4番艦まで起工していたのですよ。 3,4番艦だけ止めておいて、他の予算に使うのが現実的です。 アメリカだって戦艦は造っていたのだし、ロンドン条約明けをターゲットにどの国も新戦艦を造り始めていたのに、日本だけ造らない方が不自然。 技術開発にも役立った訳だし、造って正解だと思います。
=+=+=+=+= 航空機の時代だと航空機を増産しても搭乗員の育成ができただろうか、非力な戦車を何両増産しても意味あるのか、ドイツみたいにその戦艦が港に存在するだけで脅威となったような環境でもないし、空母に切り替えた信濃もすぐに沈められた、それに他の兵器への切り替えという固定した思考でなくもっと他に予算を回すことを考えたらどうか。
=+=+=+=+= 戦艦大和、武蔵を作らず他の戦力に投入しても結果は同じ、敗戦した。
小説紺碧の艦隊の引用があるので記事を書く方には分かると思うが、世界最大最強の戦艦にすがったのだ。
世界最大規模の連合艦隊を編成しその旗艦には世界最大の戦艦をあてた。
日本海軍の象徴であり、日本の象徴だった。
単に戦艦、兵器の一つだけでなく戦争遂行、必勝の守り神だったのだ。
しかし、フィリピン近海での武蔵沈没から敗戦色は濃くなり沖縄防衛への切り札、水上特攻作戦で大和は沈み連合艦隊は壊滅した。
米国の合理的思考に守り神はない。
そう言えば米軍艦艇のシルエットは無機質だ。対し日本海軍艦艇、航空機には美しさがある。
無用な価値観なのか必勝への祈りなのか答えを見つけたい。
=+=+=+=+= もしも、通商破壊を重視して中型潜水艦を大量建造していたら?と考えたことはあります。 主力として建造された巡潜型・海大型シリーズ(「伊」級)よりも小さい、海中型シリーズ(「呂」級)の規模を、現実よりももっと多く。 ただ、とにかく太平洋はだだっ広いから、「呂」級が単独行動するには航続距離問題が付きまといます(日本側基地から遠く離れた米国側島嶼・沿岸部まで出張らないといけない)ので、容易ではないんですよね。
=+=+=+=+= いやいや大和型を最大限活かす方法もあったのですよ。秘密にせず、アメリカに情報を流したり、ハワイまで遠洋航海とかしておけば、アメリカ世論は、こんな戦艦あるし、反戦にだいぶ傾くし、対抗して役に立たない戦艦を多数作り始める。 そして石油さえあれば、戦争しなくて済むと日本の立場を大体的にPRすれば、ルーズベルトの思惑に反して、戦争は起きなかった可能性があります。
=+=+=+=+= 当時の日本にとっては戦艦建造が1番進んでた様にも思えるし
航空機もハッキリ言えば戦争する前から消耗してる様なもんだし性能も高々しれてる 空母運用も論外になる
潜水艦にしても現代の様な静寂性の高い潜水艦でなく能力も乏しい 何より数も人も十分用意出来ない
海洋国家であるから陸上兵器は問題外
例え大和建造してなくて、他のモノ造ったとしても あんまり影響与えるモノはなかったと思う
日本の大和型戦艦の運用は残念過ぎたけど 理には叶ってた様にも見える
=+=+=+=+= いちいち検証していたらきりがないのでマル三計画の予算に絞ってるのだろうけど、大和型を建造しない=建造費が浮くという単純な話ではないよね。 まず第一に給兵艦「樫野」が不要になるし、「信濃」用だけど横須賀第6ドックは数億円かかってる。佐世保第7ドックもそうだし、呉の第4ドックや三菱長崎の第2船台は大和型用に随分改装してるからその辺の費用がごっそり浮く。大型艦の建造場所が4か所しかないから大和型2隻の代わりに翔鶴型2隻だけともあるけど、大和型が起工から進水までに30か月以上かかるのに対して翔鶴型は約20か月で進水してるから、その分早く次の艦を起工できる。 また、96艦戦や97式中戦車を量産しても型落ちで太平洋戦争には役立たないとも指摘してますが、生産ラインが充実すればその後の新型の機体や車両の増産も容易になるんじゃないかな。
=+=+=+=+= 戦争は総合力だから、どれか一つに集中すればいいわけでない。戦闘艦艇を効率よく運用するには補助艦艇も必要で護衛する兵力もいる。戦車は重戦車を開発に向かなかったのは、輸送能力が低いからで日本は線路の幅が狭いので当然戦車の幅に制限があり、輸送船のクレーンの能力、港湾施設が絡み簡単には大型化できない。戦車に予算を集中すればほかの兵器に輸送部隊に予算が回らない。航空兵力は燃料の質の問題があり高出力化に遅れが出ていたし。まぁどちらかというとどんな戦略を立てるか、政治方針となるのか道筋を立てて予算をどうする開発費の分配はとかそっちが確立してからだろうね
=+=+=+=+= 戦争の回避はありません。何故なら開戦の10年前にアメリカは日本との開戦を決意し、準備を始めていたからです。 むしろ、昭和天皇の意向で、日本側が更に開戦回避の交渉をしてきた事に驚いていたほどです。 大和以外の戦力振り分けですが、伊400型潜水艦と搭載機の晴嵐部隊を早期配備して後方撹乱を図りつつ、南方戦線にバランス良く艦隊を編成する事ぐらいでしょうかね? それでも勝目があるワケではないのですが・・・。 渤海の油田を発見して採掘できていれば、大きく違っていたでしょう。
=+=+=+=+= 金剛級戦艦の後継戦艦を作るって案も一応あったけど、ドイツの戦車が徐々に肥大化したのと同じで欧米列強が超戦艦を建造するという考えから大和級建造が選ばれた。実際米国は大和級の情報を掴んだ上でアイオワ級を建造して、5万トン級のモンタナ級も設計したので現実にはこのたらればは成立しなかった。
=+=+=+=+= 他の艦艇を作っては?というIFは結局のところ『焼け石に水』なのだけれど、 予算を戦車や人造石油に…という海軍以外の用途に使えば?との考察は面白い。 しかし、チハが増えても高が知れているし、人造石油は採算ベースに乗せれなかった。
軍備を程々に、国内のインフラ整備に回せば海外への進出(侵出?)をする必要もなくなり…という気もするが、そうなると戦後の「海が死ぬ」ような公害問題が早い段階で出てくる気がする。
=+=+=+=+= 松本零士先生の「鉄の墓標」で4式中戦車を見た少年兵が「こんなのが沢山あればなぁ」と羨ましがるのを技術将校が「もう日本に鉄は無いよ」「戦艦とか沢山作ったからなぁ」と量産は無理であることを伝えるシーンがありますが、もし大和に使った鉄を全て4式戦車につぎ込んでも焼け石に水って事はわかる。なお、平和利用ならば大和の建造費用で東海道新幹線の工事費が賄えたそうです。
=+=+=+=+= 他に予算を回す事は「戦争の回避」には有効だったのかもしれないが、「戦争に勝つ」事は到底無理だろう。米国は最終的に核を手にしたわけだから。 その予算を核保有に回そうにも、記事には大和型2隻で2億円とあるが、マンハッタン計画は20億ドルなので桁が違いすぎる。 結局、米国とは国力の差が違い過ぎるので、長期化した時点で日本に勝ち目はなかった。
=+=+=+=+= 大和やったかどうか、というのは、具体的に大和型のコストがどう使えたかということよりも、航空主兵思想への切り替えという部分ですよね。山本長官はそれでも航空戦力の拡充にかなり尽力したようですが、それでも「航空主兵」までは行きませんでした。あれは米国が真珠湾攻撃を受けたことで結果的に「後出し」になったためにすんなりできたことで、これを「戦前の日本でできてたら」というのはあまり現実的なIFじゃないと思います。
実際にあり得た兵器絡みのIFで一番戦局に影響したと考えられるのは、「五式戦の前倒し」です。三式戦不振の時に一旦軍から検討が示唆されたんですが、メーカー側が三式戦の立て直しにこだわって拒んでるんですよね。この時点でもし試作(ハ四〇の金星への換装)だけでもやってたら、海軍も零戦の後継機に苦心してたので、下手するとその後の航空戦の様相が一変してた可能性はあると思います。
=+=+=+=+= 潜水艦だ。乗組員の数も勿論あるが、ホテル大和と揶揄され呉で何もできなかった大和に対し、同じマル3計画(海軍第三次軍備拡充計画)で建造され、帝国海軍では一番の撃沈数を誇る伊号第十潜水艦。この艦は、坊ノ岬沖海戦で数機の米軍機を撃墜したに過ぎない大和の1/10の建造費用で撃沈・撃破が13万トンとも言われる 「艦隊決戦こそが全てで潜水艦はその補助に過ぎない」という石頭な海軍首脳部が如何に時代遅れで愚かであったか、それは戦果を見れば火を見るより明らかである。30年も昔の日本海海戦の成功体験から彼らは抜け出せなかった シーレーン防衛と通商破壊こそが、もしかしたら講和に持ち込めるチャンスであったのかもしれないのに
=+=+=+=+= 予算云々を語るならば、第三次海軍軍備補充計画…いわゆるマル3計画全体を論じる必要があろう。とかく大和型戦艦ばかりに焦点が集まるが、計画全体の建造予算額からすれば13%程度。計画立案前でさえ、国家予算の3割以上を軍事費に充てていた国情を考えるならば、5~6年にわたり国家予算の2割近くを新規建造費に充てたこの計画そのものが、無謀に過ぎたのだ。加えて、民生向けの予算が圧迫されたり、民生部門への工業資源割り当てが減らされたりして、地味に国民生活への悪影響も出ていた。ぶっちゃけ、マル3計画を推進しなければ、太平洋戦争そのものを回避できた可能性もあったのだ。 そう考えると、省部互渉規程「改悪」や大角人事によって、軍拡路線を抑え込んでいた条約派軍人が次々と追放された頃が、歴史のターニングポイントだったかもしれないね。
=+=+=+=+= >1万トン級の高速油槽船が多数存在することで、太平洋戦争開戦前に大量の石油を輸入・備蓄できたと考えられます
当時石油の輸入先は米英蘭経済圏でしたが、北部仏印武力進駐に続く南部仏印進駐によって全面的な経済制裁を受けたことから、いくら高速輸送船を大量に保有していたとしても難しかったのでは。また国内に大規模な石油備蓄施設が少なく、備蓄といっても限度があったでしょうね。
マル三計画による大和型戦艦と翔鶴型空母の比較はその通りで、1隻あたりの建造・維持コストはほぼ同等でした。また記事の通り建造当時の艦載機は低速複葉機が主流で、到底戦艦の敵ではないと考えられたのも当然だったと思います。
マル三計画が始まったのは昭和12年、すぐに日中戦争が始まり、陸軍が厖大な人命と莫大な国費を費やして泥沼化した時代でした。
=+=+=+=+= 大和級をやめる。 艦隊決戦構想を捨てると言うことなのだろうか。 そこまで踏み込むなら話は大和級に留まらない。 酸素魚雷の水雷戦隊も甲乙丙型巡潜も甲標的もいらない。 当然、各々旗艦軽巡阿賀野級、大淀級もいらない。 基地航空隊計画の後の中攻、銀河、雷電の開発も不要。 一大改変になる。 それとも艦隊決戦構想のままで予算をこれらの内どこかに振り分けるのか。 ちょっとあり得ない。大和級建造は必然だったと思う。
=+=+=+=+= 大和を造らず、他の戦力を選択すれば、とか言っても、枝葉末節の議論である。
国力が余りにも日本は劣っていて、話にならない。後に明らかになったことだが。 「欲しがりません、勝つまでは」とか、お寺の鐘やあらゆる金属類を供出していた頃、米国では物が溢れ、映画では「オズの魔法使い」や「風と共に去りぬ」とか映画史に輝く名作を国民が楽しんでいた。 言い訳が日本にあったとしても、参戦を決めた政府と軍部の責任は追及され続けねばならない。
=+=+=+=+= 運用だと思うな 大和型が30ノット以上の速力あれば 空母機動艦隊に随伴護衛の囮に使えるし 諸島攻略戦なら夜間に艦砲射撃の雨を降らせれる
日本海海戦は外国から借金してイギリスの 当時世界最先端の戦艦を購入など頑張って(無理して)日本の主力艦隊を全て投入した決戦でしたからね。 太平洋戦争開始時にハワイに全艦艇、陸戦隊、陸軍上陸部隊をハワイ諸島占領に集中投入していたら勝てたと思いますよ。 海軍に敵国に内通者が居たので負けたんだよ日本はね。
すごい大物だけここには書けません。 (ヒント 国葬)
=+=+=+=+= 大和は1937年11月4日に呉海軍工廠で起工 1941年12月16日に就役。 武蔵は1938年3月29日に三菱重工業長崎造船所で起工 1942年8月5日に就役。
太平洋戦争は1941年12月8日~1945年(昭和20年)8月14日
大和型の構想は1933年に検討が始まっているから それ以前に大艦巨砲主義から航空機優先主義に 国として軍として方針転換が為されていないとダメな話。
最低限、この辺りの知見が無いと話になりませんね。
「もしも」の話は楽しいですが 後知恵で歴史を語って批判するのは ちょっと話が違うかなと思いますよ。
=+=+=+=+= 船団護衛をうまくやれない海軍ではなく、陸軍に予算を配分したがよかった。 陸軍なら輸送船団をを守る為に、自前でコルベットを揃えたはずだ。 艦隊決戦とやらだけ海軍さんにまかせればそれでよい。
=+=+=+=+= そもマレー沖海戦までは航空機が作戦行動中の戦艦を沈められるわけないって考えられてたしなあ、これを実例で覆しちゃったのが日本なのも皮肉だが 山本五十六を中心としつ航空主兵論が強まりつつあったとはいえ、世界中のどこにも用兵のノウハウがなく、役に立つかたたんかわからん空母だけ作るよりは、空母も作るには作るけどそれはそれと条約明けの各国新戦艦の対抗馬も作らんとねってなるのはしゃーないのだろう、長門型は超弩級を改修して新戦艦並みの装甲厚にしているとはいえ改修によるものだから1枚板の装甲じゃないし
=+=+=+=+= まず戦争を始めたのが間違い。 明治維新以降中央集権化を強化し、人口増大と軍事拡張、領土拡張を進めたことが良くなかった。 この失敗が大戦の敗戦と基地問題や国防に関する制限、今も進む少子高齢化問題の出発点にもなっている。 そもそも、身の丈に応じた国土防衛にしっかりと専念していれば良かった。
=+=+=+=+= 僕の居住地に、計画倒れとなった鉄道路線があるので、知人たちと、もし対米戦争を中止し、大和武蔵を建造しなければ、線路通っていたのにねーと話すことがある。当時、鉄道増設政策がとられていたら、鉄道の電化も進み、石炭を軍用優先で使えたから、戦争遂行能力もむしろ向上したんじゃなかろうか。
=+=+=+=+= 大和は大和として戦略として間違ってなかったらもっと活躍出来てたはずなのに。
大和が出撃してた時点で米軍は艦載機攻撃主導に移り変わりつつあったのに、日本軍は作戦の柔軟性に思いっきり欠けてた事により、大砲主導主義に固執してしまった。
=+=+=+=+= 軍部特に海軍は中国との戦争が始まる前のかなり早い時期から将来的にはアメリカと衝突する可能性が高いとして作戦計画を作っていた。アメリカ太平洋艦隊か西進してきても潜水艦や航空機による攻撃で少しずつアメリカ艦隊の戦力を減少させて、日本近海で連合艦隊が迎え撃ち、艦隊決戦で最終的にこれを打ち破るというものだった。 大和型戦艦の建造はその作戦計画に基づいて決定されたものだ。しかし時代は既に航空機優勢になっていることを知っていたのは他ならぬ日本海軍であり、戦艦や巡洋艦を中心とした艦隊決戦構想がもう時代遅れになっていることも海軍幹部の多くは薄々感づいてはいた。なかには山本五十六や大西瀧治郎のように公然と大艦巨砲主義を否定して航空戦力重視を唱えた人もいる。 しかし海軍のような巨大組織は硬直化した官僚的思考に囚われて、なかなか基本戦略の変換ができないままついに戦争に突入してしまった。
=+=+=+=+= 戦前の日本の勢力圏から護衛艦を必要とするのは朝鮮・満州との航路と、あとは対ソ連の北方程度で史実の整備数で十分。 大量の海防艦を建造した時点で「何処で使うんだ(東南アジア侵略目的しか考えられない)」となり、少なくとも英国との関係悪化は早々に進み、史実以上に太平洋戦争不可避となるでしょう。
=+=+=+=+= 船の値段だけで比較するのは無意味 建設用のドック建設に治具の作成に機密保持コスト(大和は建造~進水後暫く存在が隠匿されていた)、配備してからも維持コストも必要 他の船を作っても維持コストは必要だけど二隻だけの特別あしらえの艦と複数同型艦がある艦種では維持費も人員の育成コストも異なる 大和は建造費じゃなくて戦時の多くの期間母港にいて維持費だけが浪費され続けていた事が揶揄されている 建造費が高くても八面六臂していれば問題はない
=+=+=+=+= 海軍左派の大西瀧次郎中将あたりは、大和型建造計画を 「金剛型一隻で何百もの航空機が建造でる。その戦力は金剛型を遥かに凌ぐ」と来るべき航空戦力優勢の時代を指摘して反対したが 結局、大和型の建造が決まったわけでな 確かに大和型建造よりも、戦闘機や爆撃機建造を優先した方がもう少しまともな戦いも出来たかも知れないが この当時はまだまだ艦隊決戦の考えが主流であり、大西中将のような考えは少数派だった 実際、アメリカだって日本の大和型建造に対抗してさらに大型のモンタナ級の建造の計画を進めていたわけであり 日本だけ遅れていたってわけでもない むしろ時代を先んじた考えが出来た。大西中将などの考えが稀有だったわけでありな
=+=+=+=+= どうなんでしょう。たらねばってとこかな。 とにかく負けた。負けてよかったのか。勝っていたらとうなっていたのか。なぜ、負けたのか。戦後復興で奇跡と言われたけど、格差が広がり凶悪な犯罪も増えたし、こういう時は自然に国の歴史を振り返ってしまいます。
=+=+=+=+= 「建造施設を考えなければ86隻が建造できます。」というのは駄目。「建造施設」も考えるのがシミュレーションで、翔鶴級空母への変更では考慮しているではないか。 しかも海防艦より松級駆逐艦の量産の方がよい。 ドイツでも人造石油は44年なら、技術の劣る日本ではもっと遅くなる。 そもそも大和級戦艦だけを止めるというシミュレーションがナンセンス。建造計画は戦略と戦術に基づいて策定されるからだ。 「97式戦艦」とは笑える。旧日本海軍は戦艦を年号形式で呼称した事が無い。おそらく草創期を除いて、戦闘艦を呼んだ事も無いだろう。 軍事に疎い安藤昌幸氏らしい間違いである。
=+=+=+=+= 大きくて足の遅い戦艦より空母と飛行機を優先すべきでした。空母と共に行動できないと対空防御できない、しかし資源の無い日本ですからミッドウェー作戦の成否が後の戦局を左右したのは歴史からよくわかります。
=+=+=+=+= 大和型は出し惜しみせずに使われていたらどうなっていたのか気になります。 一方、金剛型は老朽艦であることからか出し惜しみされずガンガン使われたおかげで活躍しました。
=+=+=+=+= 太平洋方面の多くの戦いで日本海軍の暗号を米側に事前に解読され、その結果多くの作戦で惨敗となっている。逆に米国海軍の暗号を日本側が事前に解読して有利な戦いとなったという事例を聞いたことがない。 真珠湾では外交暗号、ミッドウェイからは海軍暗号が盗まれるようになりその後も日本側の生命線となる海上補給路は暗号が筒抜けだったために米潜水艦に壊滅させられた。 要は戦艦の差で負けたというよりも情報戦で負けたと言っても過言ではない。 ハードで勝ってもソフトで負けるというのは現代の日本でも似たようなもの。 国民性でしょうかね。
=+=+=+=+= この議論って戦争がいつ始まる、って分かってないと正解は出ない話なんですよね
つまり大和型が計画された当時はまだ平時なんです 平時に大量の補助艦艇や必要以上の航空機やその搭乗員を教育育成する組織を大量に抱えて居てももて余すだけです
大和を造らなかったから大和型の維持費で破産しなかったけど、これらのコストで破産しました、では結果は何も変わりません
=+=+=+=+= 結局のところ、あの時期に何を作ろうが一緒だっただろうね。 作ったところで弾薬はない、燃料はない。 大和もマトモな航行用燃料がなく、巨大な特攻艦状態だったわけでしょ。 燃料だけで潤沢あれば、護衛艦含めて違った活躍をしていたでしょう。 あの巨砲による遠隔攻撃は、命中の有無を問わず敵としては驚異。 全ては登場する時期が悪すぎた、ということでしょうね。
=+=+=+=+= 面白い考察だと思う。人造石油とか非現実的だか面白いね。この考察で感じるのはこの戦争は全く勝ち目ない戦争で、例え停戦交渉が上手くいったとしても占領した地域があまりにも広く、その上強行派が多い軍部主導の政権なら各地の内戦に巻き込まれ泥沼の戦いになっていただろうね。下手を打つと日本も半分分割されて朝鮮の様な感じになっていたかもね
=+=+=+=+= 大和を造った事により、造船、精密機械の技術が向上したと言われている。 もし造船しないとなると、技術の革新が必要。 それと並んで、製造業の最新の機械が必要。 当時の日本は大量生産出来ず苦戦した。 戦争するとなると、大量生産できないと大変。
=+=+=+=+= どちらにしても負けていた。軍縮会議で英米に対し、10:10:7で辛抱してたら、米国の軍事力を押さえられたという意見もあった。しかし、それは屈辱として海軍も国民もよしとしなかった。軍縮ではなく軍拡へ進んで行って国は敗れた。米国や中国のような大国でない日本では軍備費増強もその枠を越えては失敗する。
=+=+=+=+= 仮に戦闘艦艇を作るなら潜水艦かな。100隻は作れたろうから、漸減邀撃作戦には有効だったかも。ただ、当時の石頭海軍ではあり得なかっただろう。 大和型の活用で有効だったと思うのは積極的にプロパガンダに利用する事だ。そうすると好戦的なローズベルトを米海軍が抑制した可能性がある。 アメリカも慌てて新型戦艦の建造を始めて、最終的にはアイオワ級レベルの艦を゙10隻位揃えたろうが、数年の時間がかかる。アメリカもその間は派手な対日挑発は手控えただろう。 そうなると日本もアメリカの挑発に乗った対米開戦はしなかった筈だ。アメリカも対独戦には踏み込めず、第2次大戦の結果までも変わったかもしれない。
=+=+=+=+= 大和を作ってなくても、帝国・拡大主義を掲げる欧米との戦争は避けられなかったんじゃ無いかな。大和型戦艦の造船技術は戦後の造船日本の礎となったので、戦後の経済発展は遅れたか無いと思ってる。
=+=+=+=+= 何をしても無理ゲーでしかない それは現代の日本でも同じだろうよ 資源が枯渇している日本では他国に依存しなければ生きてはいけない それは戦前の石油をアメリカに依存していた事と何ら変わらん
昔も今も日本に出来る事は他国との協力関係を継続して「八方美人」的な思考で他国間を渡り歩くしかない
戦前はABCD包囲網で貿易封鎖されて戦争に舵を切った。じゃ現代の日本は貿易封鎖されたらどの様にするのか議論する余地はあると思う。
=+=+=+=+= 考えてみよう。 この記事は予算から算出してるが、大和型の予算が過少申告されてるのは有名なので、より実態を反映してるトン数から考えると、大和型の建造をやめて空母を作ればおそらく翔鶴型4隻となる。 その4隻は真珠湾攻撃に参加しただろうから、実際の真珠湾攻撃の時に討ち漏らした例のタンカーや燃料タンクも破壊できてただろう。 すると…日本は勝てないまでも、太平洋で戦争を継続すべきかどうかアメリカに深刻な懸念を起こさせることにはなってたかもね。 仮にそうでなかったとしてもミッドウェーにも空母6〜8隻が参加して日本の被害は同じだったとしても米空母は全滅という結果になっただろう。 戦艦と空母全滅、ハワイ使用不能でアメリカは戦争継続を選んだだろうか? 他方面の影響として、新造空母4隻分(+搭乗員養成用機材)の艦載機を生産するために航空機の生産力が増大しただろうし、信濃の船台占拠なんてこともなかっただろう。
=+=+=+=+= 呉の大和ミュージアムに行ったとき1/10大和の前で中年男性が奥さんらしき女性に「日本がこんなものを作ってる時にアメリカは空母をたくさん作っていたから日本は負けた」と語っていました いやアメリカは10隻も戦艦作ってたし日本も必死で空母作って開戦時にはアメリカを上回ってましたよと言いたかった
=+=+=+=+= そもそも大和型建造をやめるという選択肢があり得ないようには思うが、翔鶴型1隻と護衛艦隊と燃料補給艦があれば、あと1隻くらい米空母を沈めることはできたかも? もちろん最終的な結果は変わらんす。
=+=+=+=+= 日本は周り海だから戦車を増産というともう本土で戦争することが前提になってしまいますよね。それよりも航空機や潜水艦の「特攻機」をさらに増産して兵士が不足したら学生まで乗っけてた気がします。
あくまでも「if」のお話ですけど、当時をざっと勉強した限りはそういう流れになりやすい軍だったのではないかなと。
=+=+=+=+= 記事は敗北主義者の妄想に過ぎない。総力戦の時代において海軍力の増強のみで、圧倒的な物量に勝る敵国に勝ち得るとは思われない。開戦当時は政党財閥の金権主義を力で打倒した陸海軍が跋扈し、マスコミによる偏った宣伝に染まるか、憲兵や特高警察に弾圧された一般市民が、少し前までの文化生活を懐かしみながら苦しみあえいでいた時代。英米との外交によっていくさを避けることは望むべくもなかった。陸大にメッケルが来ず、海大がマハンを知らず、老荘思想や孫子に触れてたら、と思う。
=+=+=+=+= タラればは戦争ではあまり意味がないように感じますが。翔鶴型が2隻増えたとしてもアメリカはエセックス級を17隻程終戦までに就役させているのですから焼け石に水です。もしタラればを言うなら、真珠湾攻撃が無かったらどうなっていたかでしょう。
=+=+=+=+= 戦略戦術とか資源配分の問題ではないんですよね。
中国との戦争に勝てない・終わらせられないのに、中国との戦争を続けるために中国より数十倍・数百倍強いアメリカと戦争を始めるという政治的判断の大失敗なんだから、予算の1割の用途の割り振りなんか考えても結果に影響はなかったとしか
=+=+=+=+= 大和型建造予算の表向き計上額だけでは足りずほかの予算を架空計上してますので空母2隻だけでなくそれ以外の駆逐艦や潜水艦も数隻建造できたと思います。
=+=+=+=+= いかに日本が大鑑巨砲に固執してたかわかる象徴的な戦艦だよね。 たらればは好きじゃないけどその予算を日本初のジェット機橘花と航空レーダーの早期実用に注いでいたら何かが変わってたかもね。
=+=+=+=+= やめていても、やはり資源不足はどうしょーもなくガソリンや鉄穀物等あらゆる物が不足してる中で、よくぞここまで小さな国が大国に歯向かって戦ったと思いますよ。日本も原子爆弾を作る計画も進んでましたが、濃縮ウランが手には入らす作れなかった。やはり結果は何しても負けることになってたと思います。
=+=+=+=+= 「戦艦大和を作らなかったら~」とかアメリカはそんなちんけな事はしない。真珠湾やマレー沖海戦で航空機の有用性が全世界に知れ渡った。しかし、アメリカは空母も造るし計画されていた戦艦も造り続けた。降伏文書調印で有名な戦艦ミズーリが就役したのは1944年だ。 日本に戦艦があるならこれ以上の戦艦は用意する。空母が必要なら空母も全力で作る。これがアメリカです。
=+=+=+=+= 第二次大戦に加わらず、傍観していたら、日本はここまで発展していなかったというのが大方の意見です。戦争に敗れ、西側の一員としてアメリカの援助と技術支援で1950年代60年代に大きく伸びました。
=+=+=+=+= こういうタラレバはよくあるが、とどのつまり石油が有るか無いかに辿り着く 当時の日本の1年間の石油消費量を半日で生産出来るアメリカに叶う訳が無い あえて出来るならシーレーンを強化してわざわざ東南アジアから物資を輸入するかなあ
=+=+=+=+= どちらにしろ、物量もそもそもそれを作る、維持する、動かす、資源もない日本は負けていた。それは今も同じ。 日本が武力で勝つ事が出来るのは局地戦くらい。 始まって直ぐに敵の中枢を叩けく短期決戦なら何とかなるかもしれないけどかなり厳しい。大規模で広域戦いを仕掛けられ長引けば負け確定。
=+=+=+=+= 大和を建造せずに航空機を増産する、が1番現実的かな。 もっと言えば、国内に飛行場をたくさん作って、パイロットの育成を増やすのが理想的。 例え型落ちでも数が無いと話にならない。 イギリス軍やオーストラリア軍も、終盤まで旧式の戦闘機を使い続けてた。
=+=+=+=+= 戦艦「大和」をやめていたら。 宇宙戦艦ヤマトというアニメあるいは映画が出来なかったでしょうねえ。 馬鹿にしているように感じられましたらお詫び申し上げます。しかし、戦艦大和は沈んだが、それを復活させて地球の危機を救うという話は、大和愛をお持ちの方、特に元日本軍所属だった方なら十分溜飲が下がる内容だったのではないでしょうか。 しかも「宇宙戦艦ヤマト」は意外と海外受けが良い。特に、当時の敵国、アメリカではすこぶる人気で、こう言っては何ですが、大和を沈めたアメリカに報復として対価(弁償?)を稼ぐことができた、とする見方もできます。 命を懸けて日本に平和をもたらしてくださった兵士たち、それはもちろんアメリカ兵も含みます。その方々に感謝するにはこういう平和的な利用方法もまた現代的で良いのではないでしょうか。
=+=+=+=+= もし海防艦を作ったらではない、実際は海防艦の予算を名目にして大和型に必要な予算を架空請求紛いで調達したのだから。従来「海防艦」は老朽化して二軍級に任務軽減した装甲巡洋艦など転用していたが、時代の要請もあって新造することになり「占守」型が誕生した。実際は1000トンに満たない設計だが、サバ読んで予算を水増し建造数も4隻で打止めにした。予算会議の時に資料の印刷ミスで計画トン数を一桁(実際は三桁なのに四桁)間違えた事もあり、海防艦ならそんなモノだろうとすんなり承認されたとも伝えられる。他の方のコメにもあるが、大和型の建造にはドック外周に目隠し用の壁を作ったり(海側は隠しきれず、航空母艦鳳翔を係留して代用)、呉でしか製造できない主砲装置一式を他の海軍工廠に輸送する為だけに給兵艦(輸送艦)樫野も新造しており、艦そのものの予算だけでは建造不可能であった。
=+=+=+=+= 高速油槽船の場合で、86隻を建造したとしてどこから購入しようと言うんだ? 禁油政策を実行されたから南方資源を求めて戦争に突入したんだが? どこかが輸入させてくれてたらそもそも戦争なんかしてないよ それでも太平洋の西半分を支配する一極としての存在を欧米が許すはずもないけどね
=+=+=+=+= どこまで行っても「アメリカと戦争したのが負けフラグ」なんだよね 日本の乏しいリソースをどう割り振ったとこで、アメリカの物量の前に負けが決定しているっていう
兵站軽視だとか大艦巨砲主義だとかは些細な話よ 例えば軍用機の生産数では、枢軸国の生産数をアメリカ一国で大きく上回ってる(日独伊合計15万機程度に対してアメリカ単独で25万機ほど)し 太平洋戦争が始まってから就役させた正規空母が30隻、戦艦が8隻 完全に詰んでるのよ
=+=+=+=+= たらればだからいくらでもいえる話だけど、当時の政府、軍部より現代人の方が「優れてる」とは思えない。歴史を知っているというだけで後の人から見れば我々の方がよっぽど愚かかもしれない。
それと歴史はどこかで収束するという見方もある。大和がなくて空母がいっぱいあっても、やはり日本は負けたのかもしれない。
=+=+=+=+= でもさ、大和の存在しない日本海軍は考えられないなぁ。アジアやヨーロッパ海軍国では全く太刀打ち出来ない最強クラスの戦闘能力を誇る大和型を建造したからこそ日本海軍は米海軍と並ぶ超一流海軍になれたんだからさ。
=+=+=+=+= みなさんのコメントを見させてもらって、大和と作ったことに意味があると言う意見に、私も賛成です。 言わば、大東和戦争は欧米列強による差別から始まったと考えています。 日清、日露戦争で辛くもですが勝利した日本を潰そうとしたことに対して、当時の日本の指導者達が先見を見誤った事による惨事です。 起こるべくして起こった、避けられない戦争。 しかし、日本人はその戦争から立ち直り今の日本を、築いたと思います。 まあ、今は先人達の財産を食いつぶしているだけですが。
=+=+=+=+= 戦後出てきた話で、戦艦大和の価値は数千兆円なんてことも。大和はいわば日本の技術のデモンストレーションだった。太平洋戦争末期には出しどころのない代物で仕方なく出したものの出番無く散ってしまったが、存在そのものに意味もあった、のかも。
=+=+=+=+= 一方マンハッタン計画は1,000倍の2,200億円 アメリカと開戦した時点で敗戦必至。 2億は諜報や外国でのロビー活動費し可能性低いが、侮れない形で武力衝突回避に尽力するがマシな方かな。武力や生産力に投入しても短期じゃ焼け石に水。
=+=+=+=+= 大艦巨砲主義は、航空機(及び航空母艦)の優越性が実証されるまでこの時期のあらゆる国家が陥っていた錯覚。 役に立たなかったと言うのは結果を知る(加えて戦時中を知らない)ものの傲慢。 日本だけを批判する理由はないだろう。第一、それならアメリカがアリゾナを建造したのは沈められるためだけだったと言うことになるはずだ。
=+=+=+=+= 【そもそも勘違いを軍人や政治家】過去の戦争での勝利は勘違いをさせていた▲それを軍の上層部はイケイケドンドンの人間が多過ぎた。山本五十六など少数の人間は明らかに敗戦を予想していた。それが軍の圧力で山本五十六が押し切られたがせめても勝ち運は奇襲攻撃あるのみとそれだけは必死な思いで軍上層部を説得した。※その時に出来れば戦争を最大で1年間限定として欲しかった。真珠湾攻撃だけでなく首都のワシントンなども最低でも3ヶ月集中攻撃をするべきであった。南雲中将の手腕は誤算であった。
=+=+=+=+= 先の大戦に学ぶなら、交戦は最前線で行うのでは無く、敵本土を攻撃してこその停戦協議。
今度のウ露、イーハマス、中国台湾を見ても一方的である、敵の都市文化施設を上空から攻撃出来てこその交戦停止機運、戻って米国本土攻撃は一切出来なかった旧軍部、ミッドウェイ戦でその戦力新兵器情報で既に敗戦覚悟の五十六でした(半年)。
=+=+=+=+= 「歴史」というという結果を知っていば幾らでもタラレバは出てくる。しかしそれは現代の価値観に依る過去の断罪。当時の世界は大艦巨砲主義真っ盛り。アメリカ海軍もイギリス海軍も帝国海軍依も多数の超弩級戦艦を保有しその気になれば次々と「量産」出来る国力と建艦能力を示していた。対する大日本帝国は何れも米英に遠く及ばず。そこで考えたのが米英の構想する新型戦艦の更に上を行く超々弩級戦艦の建造。それが大和型戦艦。正に帝国の命運を掛けた国家プロジェクトだった。それを嘲笑う事は出来ない、と思う。
=+=+=+=+= >石油に余裕があれば、強引な南方侵略でアメリカと対立することなく、ドイツが負けそうになるまで第二次世界大戦を傍観できた可能性がありますので、
敢えて言えばすでに昭和7年に満州国建設、8年に国際連盟を脱退している。軍部は天皇の統帥権をタテに取って絶対的権限を持っている。 軍部は平和主義者で無いことは明らかで、石油備蓄が楽勝だったらますますやりたい放題になって結局戦争になったんじゃないか。
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