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演説へのヤジと選挙妨害、どう区別できる? 弁護士は「全く別物」と断言

毎日新聞 10/22(火) 11:01 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/2e21de920b8ec82f31cb117e53ad9c15bd31ae37

 

( 224989 )  2024/10/22 14:34:15  
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つばさの党の選挙活動で起きた選挙妨害行為と、過去のヤジ事件との比較が行われた。

公職選挙法では、選挙活動を妨害する行為が自由妨害に該当するとされており、選挙妨害は選挙カーを追い回したり演説を妨害する行為とされる。

ヤジ事件では、安倍元首相にヤジを飛ばした2人は一部の警察官の行動を表現の自由の侵害だと認められたが、この行為は自由妨害とは異なると指摘されている。

小野寺弁護士は、選挙妨害とヤジは異なる行為であり、表現の自由と選挙の自由を守るためには、その違いを理解する必要があると述べている。

(要約)

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「増税反対」と叫び、制止される女性(左から3人目)=札幌市中央区で2019年7月15日、岸川弘明撮影 

 

 4月の衆院補選(東京15区)で、政治団体「つばさの党」の振る舞いが問題となった。「答えろよ!」などと拡声器で叫びながら他陣営を威圧し、候補者らは公職選挙法違反(自由妨害)の容疑で逮捕、起訴された。過去にヤジを飛ばした男女が警察に排除された事例との比較も注目されたが、選挙妨害とヤジはどう違うのだろうか。 

 

【写真まとめ】無所属候補の選挙カーに近づきヤジを飛ばすつばさの党の候補者(左手前) 

 

 つばさの党の事件では、「売国奴」などと大声で叫ばれ、選挙カーを追尾された他候補者らは、街頭演説を中止したり演説日時の事前告知を控えたりせざるを得なかった。 

 公職選挙法225条によると、「候補者などに暴行や威力を加える」「交通や集会の便を妨げ演説を妨害する」などが自由妨害にあたる。他陣営の選挙カーを追い回して交通の便を妨げ、大音量で選挙活動を妨害した点は、まさに要件に当てはまる。 

 

演説中に至近距離からヤジを飛ばす「つばさの党」関係者(右手前)=東京都江東区で2024年4月16日、白川徹撮影 

 

 つばさの党の行為の比較対象に挙がったのが、街頭演説をしていた安倍晋三首相(当時)にヤジを飛ばし、北海道警に排除された男女2人の訴訟だった。1審・札幌地裁判決、2審・札幌高裁判決ともに、一部の警察官の行動を表現の自由の侵害だと認定した。 

 逮捕されたつばさの党の一人はX(ツイッター)で「北海道のヤジも、俺らがやったヤジも全く同じ」と投稿。「道警ヤジ排除訴訟の司法判断が、選挙妨害の取り締まりを萎縮させる可能性はないのか」などと言及する一部報道もあった。 

 実際、道警ヤジ排除の事例は、自由妨害罪の行為と「全く同じ」なのだろうか。 

 男女2人の原告側弁護団の小野寺信勝弁護士は「答えは明確で、全く別物」と断言する。「原告も被告も『自由妨害にあたらない』との認識は一致していて、争いはなかった」と論点の整理を促す。 

 

 では、どう区別できるのか。小野寺弁護士は「聴衆の『聞く権利』に着目するとわかりやすい」と話す。 

 街頭演説は、投票の判断材料となる情報を得る重要な機会だ。公共の場のため、批判的な意見の聴衆も当然いる。批判に対する候補者の反応も一つの判断材料になるため、ヤジも聴衆の利益になり得る。 

 だが、そのために、演説を聞くことのできる環境でなくてはならない。演説を中止させるほどの騒音や暴言は、聴衆の聞く権利を損ねてしまう。 

 マイクで演説中の安倍元首相に「安倍辞めろ」「増税反対」と声を上げた原告の2人は、拡声器を使わずに肉声で主張した。「演説を聞こえなくするのは不可能な状況だった。『表現の自由』として守られるべき行為だ」と小野寺弁護士は指摘する。候補者などを批判するという意図が同じでも、その手段の違いをきちんと区別することが、表現の自由と選挙の自由の両方を守るポイントになってくる。 

 

 

原告の2人とともに記者会見する小野寺信勝弁護士(右端)=札幌市中央区で2024年8月20日、伊藤遥撮影 

 

 政治について意見を表明する権利は、憲法21条で定められた表現の自由だ。プラカードを持って街頭に立つ▽デモに参加する▽SNS(ネット交流サービス)で発信する――など。表現の方法は多様で、「ヤジ」もその一つに過ぎない。 

 こうした行為が単なる妨害と同一視される風潮に、小野寺弁護士は懸念を示す。「市民の政治活動は特別なことではない。特に政権与党は常に現状への批判を受けるものだ。公共の場での演説は批判に応答する場でもある。批判を妨害だと糾弾する社会は、自由な意思表明を萎縮させてしまう」と強調する。 

 

 街頭演説を巡っては、2022年7月に奈良市内で演説中だった安倍元首相が銃撃され死亡する事件や23年4月に岸田文雄首相(当時)が遊説先の和歌山市内で爆発物を投げつけられる事件が相次いだ。候補者や聴衆の安全を守るため、警備は不可欠。だが、警察の権限は法令に基づき執行されなければならず、表現の自由を侵してはならない。 

 小野寺弁護士は警備の難しさについて「もしも現行規定が曖昧で警備に支障があるのならば、そこを議論すべきだ。表現の自由を抑圧する形で解決すべきでない」と念を押す。 

 自由妨害とヤジの混同に不安をあおられることなく、「選挙の自由」と「表現の自由」の両方を守る公正な衆院選となることがのぞまれる。【後藤佳怜】 

 

※この記事は、毎日新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。 

 

 

( 224990 )  2024/10/22 14:34:15  
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この会話の中で、選挙演説やヤジに関する議論、表現の自由や選挙妨害、民主主義への議論が中心となっています。

ヤジを許容するべきか、選挙演説への影響や選挙妨害との違い、法的規制や倫理観などについて様々な意見や立場が出されています。

また、政治家や候補者に対する批判や聴衆の権利、選挙活動の在り方などについても意見が寄せられています。

 

 

(まとめ)

( 224992 )  2024/10/22 14:34:15  
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=+=+=+=+= 

昔、某政治家の選挙演説の話しを聞くためにとある場所に行ったらすごい人混みになってて警察官もいた。 

話しが始まるとあちらこちらから大声でのヤジが始まった。 

ヤジが大声なのとわめき続けるので目的の方の話しが全く聞こえない。 

近くにいた男性がうるさい!聞こえない!と叫び怒り出したがヤジをやめないので警察官が注意した。 

講演が終わり人が少なくなると近くのヤジ男性のところにヤジ軍団が6人、7人集まり出してお互いよくやったと褒め合いお笑顔で疲れ様の食事会に誘導してた。 

ヤジだけ聞かされた私の時間を返せ! 

 

=+=+=+=+= 

日本の政治は、国民の声を軽視した政策運営が続いています。実際、岸田政権が続いていた場合、大規模な社会不安や暴動が起きる可能性があると、アメリカ政府が懸念していたという報告があります。その助言を受け、岸田元首相は早急に退陣する選択をしましたが、政権交代後も大きな期待が持てない状況です。石破氏には新たな展望を期待していたものの、彼は岸田政権の路線を引き継ぐ方針を示しており、このままでは、再び国民の不満が爆発するリスクが高まる可能性があります。日本の政治家たちは、国民の生活や将来にもっと真剣に向き合う必要があるのではないでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

法的な問題はクリアできても、道義的な問題はクリアできないだろう 

表現の自由があるとはいえ、面と向かって候補者や弁士にヤジをカマすのも選挙への妨害以外の何ものでもない 

声の大きさや拡声の手段なんかで線引きしようとするいかにも杓子定規的な発想をしているようでは健全かつ公明正大な選挙は実現ならないだろう 

文句があるなら自ら立候補して聴衆に訴えるなど、政治参加の風土を醸成する世の中にするべきではなかろうか 

 

=+=+=+=+= 

目に余る妨害行為をニュースなどで見て、民度の低い人も増えた印象もあります 

ただ、政権与党が「ルールを守る」なんて小学生みたいな当たり前の事を大々的に打ち出す始末です 

(子供が遅刻や居眠りしませんと言ってるのと同レベル) 

政治の幼稚化とでもいうのか、今回の選挙で有権者は政策や考え方をよく吟味して投票行動に繋げる必要があると思います 

 

=+=+=+=+= 

ヤジを表現の1つとして認めるのはどうなのか。 

候補者が話している内容にかぶせて大声で聞こえるヤジは、候補者の声が聞こえたとしてもその邪魔になることは確かだ。 

子どもには人が話をしているときはさえぎってはいけない、と教えているのに、子どもには、大人になったらいいんだよ、と伝えるのか? 

どう見てもマナー違反であり行儀の悪い行為を、国会で大の大人たちがやっているのもどうかと思うし、街頭でのヤジも品の無さでは同じであるのに、これらすべてを適正な行為というのは疑問である。 

 

=+=+=+=+= 

今回の選挙にもある都内選挙区から立候補している候補者だから名前は伏せるけど、令和4年6月23日参議院選挙期間中に、池袋駅前で、日本第一党の演説の側で、既存有名政党の党公認候補のA氏が、自身の選挙カーから拡声器を使い、事実と異なることを流布し「世にもめずらしいヘイト団体」などと罵声を浴びせ、選挙妨害を行った(自身の車中からの動画が当時上がっていた)のは記憶に新しい。 

 

=+=+=+=+= 

一般聴衆からの質問タイムを1時間は設けてほしい。 

そうすることでヤジとは区別してくれたら。 

一方的に演説を聞くだけでは、その候補者の何もわからないですよ。 

ツッコミをいっぱい入れて、きちんと説得力のある意見で返せるかを見たいです。 

演説は候補者ペースの一方的な、さも、素晴らしい話しか聞けない。 

たいして勉強していないタレント候補とがいそうですよね 

 

=+=+=+=+= 

演説を聞いたことに憤慨してその場で言葉がでるのと、最初から聞く気もなくて反対を表明するために集まって反対だのわめくのとは雲泥の差がある。 

 

活動家のそれは前者に装い、後者を実行している。そしてこの判断基準も後者ではなく前者を前提に話をしているのである。 

見極めは出来ないため結局前者で判断するか、立法でもして一切やめにするかしかないわけだが。 

活動家が自分の信条を訴えるのは結構だが、そのために妨害するし、違法すれすれだろうが(人によっては明確に違法行為までする)なんだろうがする。それが正しいことだって、そう信じておしつけているんだから本当に始末悪い 

 

=+=+=+=+= 

そもそもこの記事も、犯罪と制止行為を同列に扱っていること自体が間違いである。 

札幌の件は警察も選挙妨害とは捉えておらず、排除の根拠は警察官職務執行法である。 

裁判所も当時の状況から「今回の件は排除するまでもなかったんじゃない?」と判断したまで。 

ヤジも声量や内容、周囲への刺激の度合いによっては排除されるし選挙妨害にもなる。 

「ヤジなら良い」という無責任な記事はやめてもらいたい。 

 

=+=+=+=+= 

単純に言うと 

ヤジとは発せられた言葉に対してツッコミを入れるがそのものの行為を邪魔はしない 

妨害とはそのものの行為を悪意を持って暴力的に辞めさせようとする 

対立する相手側からの行為が多いのだが最近はそういう事とは全く関係なくただ大声で怒鳴り騒ぎたいだけだったりSNS等でのバスリたいだけ目的が多い気がします 

妨害行為に対しては取り締まりを強化すべきだと思う 

 

 

=+=+=+=+= 

日本は民主主義による表現の自由が認められている国家である。 

依って然るべき批判や意見は有権者の権利として本来与えられている。 

但し法治国家における明らかな選挙妨害行為は法律上で認められないことをきちんと自覚する必要がある。 

 

=+=+=+=+= 

選挙演説を聞く人の中には、その候補者の言っていることを聞いて投票先を判断しようとしている人も多いだろう。 

スピーカーを使わないヤジであっても、大声で叫べば言葉を聞き取れなくなる人は当然出るし、そうなれば有権者が候補者の演説を聞く権利と候補者が施策などを有権者に伝える権利が侵害されることになる。 

 

選挙期間中は、これらの権利は厳に確保されるべきであるし、そもそも政策を聞く場所では、最低限のマナーを守ってほしいとも思う。 

さらにエスカレートしてこのような行為が組織的に行われて、それがまかり通るとなると日本の選挙制度が地に落ちていくのではないかとも危惧する。 

 

私自身、演説を聞くときには、一旦候補者の話をしっかりと聞きたいと思うし、これらの妨害行為を抑制する何らかの法整備をしてほしいとも思う。 

 

=+=+=+=+= 

ここのところ、分断というか不寛容なお方が増えているような気がします。 

思っていることは発表することで増幅され、「自分の気に入らないもの=間違ってる=世夜中から消えてなくなるべき」みたいにまで膨れ上がる。 

SNSは匿名性で何でも言える便利なもの。そこでひたすら発表し続けることで、自分の意見の正当性をかたくなに信じてしまい、反対意見の妨害や威圧にまで至ってしまう。 

そう言うものが簡単に大量に見える嫌な時代になったもんだと萎えてしまいます。 

 

=+=+=+=+= 

弁護士がマイクと肉声の違いを指定していたが、肉声でもすぐ隣でわめかれたら演説は聞こえない。地声の大きさも個人差があるでしょう。 

この弁護士の担当した事件はセーフなのかも知れないが、ヤジと妨害は「全く別物」ではなくグレーゾーンがあるのが実態。 

翼の党は明らかにアウトだが、ギリギリのところで妨害を狙ったヤジをしている場合もあるだろう。 

演説する側や聞く側にも表現の自由知る権利はある。演説へのヤジは保障の程度を一段下げて考えるべきだろう。 

 

=+=+=+=+= 

閑静な住宅街で誰1人演説を聞きに外に出てる人もいない中、家の中にいて聞こえるのはボリュームを上げすぎたからかマイクのピー音と何を言ってるのか聞きとれない大声だけ。 

それが終われば、今度は名前を叫んでよろしくお願いします!と車で住宅街をぐるぐるまわる。 

受験生や夜勤の人、病気の人、休みだった人が、音量のせいで我慢を強いられる。 

そこに考えが至らないのは、何を言おうが現役世代を無視してると思って、その候補者だけは入れないでおこうと思ってる。 

そんな選挙の前だけ名前を叫んで大騒ぎしてる人を見て、子供らは、ああいう大人は落ちたら何の仕事をするの?とか聞いてくる。 

候補者になれるだけ恵まれた方が多いのか分からんけど、庶民の生活なんて分からないのかな。 

選挙のあり方を変えて欲しいと思う。 

大統領選とかなら意味があるけど、総理大臣はなー。 

 

=+=+=+=+= 

表現の方法は多様で、「ヤジ」もその一つに過ぎない? 

本当にそうか? 

表現の方法にもやり方に度が過ぎるものは不快感しか感じないと思うけどな。 

どうあれ先日の襲撃事件を含めこうした愚かな輩に厳しい刑罰を与える仕組みが必要だと改めて感じる。 

 

=+=+=+=+= 

言い出したらきりのない事かもしれないけど、 

例え肉声のみだったとしてもすぐ近くの人に関しては演説が聞こえなくなる可能性は十分にあるでしょう。 

また、そういったヤジの存在に嫌気がさして場を去ってしまう、あるいは立ち止まることをためらってしまうような選択が促されたとすれば、聞く権利を妨害したことになるのではなかろうか? 

規模の大小の違いであってこれを全くの別物とまで言ってしまうのは詭弁ではないかと。 

 

=+=+=+=+= 

与党に意見するのは勇気がいるし怖いことです。「こんな国ではいけない」と自分を奮い立たせ行動を起こすことは誰でもできることではありません。すごいです。 

ですが民主主義国家である以上、選挙妨害はいけないと思います。どんな候補者でも、国民の代表になりたいという想いや考えを主張する権利はあるはずです。それが立候補です。 

 

立場に関わらず、立候補者もバッシングに徹してしまいご自身の政策が伝わらず文句を言っているだけの人に見えてしまうことがあります。もったいないと感じます。 

いくら裏金選挙と言われても、政策を主張し合い、より信用できそうな方に投票されるべきです。 

 

ただ、萩生田議員の演説会場で裏金○○○○万円など掲示を出す方がいたのは胸がスッとしました。演説を妨げず、かつ問題点を指摘し続けるというアイデアと勇気は称賛されるべきものです。それが嫌ならちゃんと説明して嫌疑を晴らせばいいだけなので。 

 

=+=+=+=+= 

街頭における政治家の演説は、基本、 

その内容を聞く、聞かせるためのものではありません。 

5分や10分、誰かの演説を聞いたところで、 

その政治家がなぜそのような主張をしているか、 

その背景は何なのかが分かるはずもない。 

 

ではなにをしに我々はそこへ行くのか。 

それは、 

民主主義とはなんやねん、この政治家は民主主義を 

どう考えているのか?民主主義という枠のなかで、 

市民はこの政治家をどう扱っているのかを観察する場です。 

あるいはその政治が人間としてどうなのか?を 

自分の人生経験と照らし合わせて、評価する場です。 

政策うんぬんは、 

もっと落ち着いた集会や、ネットや、読書で知るべきもの。 

 

したがって政治家に対するヤジというものは、 

その政治家が民主主義をどう考えているかを知るよい機会。 

人間としてどうなのか? 

顔をしかめるのか? 

警官を呼ぶのか? 

街頭における演説は、勉強ではなく体験です。 

 

=+=+=+=+= 

拡声器を使わなくても、ヤジをいう人の近くにいる人にとっては堪らないだろう。というか、聴こえないのでは? 

表現の自由と知る権利のバランスを取る一つの案としては、支持者や聴きたい人たちの邪魔にならないようヤジをいう連中用の場所を設けて、そこ以外でのヤジは原則禁止(距離的に離れてるとかは例外)にするとかだろうか。 

 

 

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一言二言、自分の声でヤジをとばすくらいなら、許される範囲だとは思う 

しかし、拡声器などで大声で叫び周りの人達に不快感を与えたり、暴れたり、追いかけたりして、周りに恐怖心を与えたら、それはもう犯罪だと思う 

候補者には何を言っても何をしても良いと言う考えは有ってはいけないと思う 

 

=+=+=+=+= 

ヤジと選挙妨害の線引きがどうこうという話がありますが、そもそもとして選挙演説に対するヤジ行為そのものを一律で禁止していいのではないでしょうか 

選挙演説はその演説を聞いてる聴衆に向けて候補者が自分の主張をし、国民がそれを聴ける機会です 

人それぞれ考え方はいろいろなので、演説してる人の考えが意に沿わないこともあるでしょうが、人が発信してる演説中にそもそもヤジを飛ばす必要性がない 

異なる自分の意見を主張したいなら立候補するなりSNSで発信するなり別の機会で主張すればいい 

 

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弁護士もよく理解してないのか。芦部の憲法読んでないのかな?表現の自由は民主的な政治過程を担保する権利として権利の中でも最も重要(ダブルスタンダード)と習ったはず。すなわち候補者が演説する内容はまさに表現の自由の保護法益そのもので最も重要。そこからすると北海道のはもっと正面から憲法の表現の自由の意義から争って欲しかったがつまらない論点で争点がボケていて持ってき方が不味かったと思う。やじで候補者の演説が聞けないという人がいれば程度は問わず選挙妨害の疑いありとかかるべき。少なくとも当方は候補者の言い分が少しのやじで聞こえなくとも正当な民主的な権利が行使できず国民の代表として選べない。すなわち民主主義の根幹が疑われることになる。ここは裁判官も同じ教科書で勉強しているので共感できるはず。 

 

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逆の視点で見れば、発信方法に(事前にわかっていたとしても)ゲリラ的な街頭演説を選択されると、少人数で対象の安全を確保するような警備はできない。あんなに危うい、見ていてハラハラするような街頭演説そのものを変える努力をすべきなんじゃないか? 

 

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候補者同士の場合先に演説する方の演説が中断され収拾がつかないくらいに発展した場合は排除対象や場合によって検挙対象とするしかないと思うよ 

聴衆からのヤジにしても拡声器などを用いたり聴衆同士でいざこざに発展するようなら制止を求める求めるべきだろうし場合によっては排除や検挙するしかない 

表現の自由を言うが無制限に認められているわけでもないし相手の権利を侵害していいというわけでもない 

 

=+=+=+=+= 

ヤジは判断が難しいですね。 

むしろ少し離れたところで、サイレントにA4サイズぐらいのパネルを胸の前に持って立ってるぐらいとかの方が効果あるのでは?これだとデモ行進扱いになっちゃって道路使用許可とか必要になるのかな。 

 

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自分は駅近のマンションに住んでいる基本夜勤の人間。 

選挙期間中は拡声器で日中演説をするからとにかく寝られない。 

自分にとっては演説は騒音以外の何物でもない。 

選挙妨害よりも睡眠妨害の方がはるかに自分にとっては問題だ。 

 

投票する人は元々誰に入れるか決めているだろうし、比較したいのならば政見放送を聞けばいい。政見放送ができない無所属の人に便宜を図るのならば、地区センダーなどで討論会をすることを義務化すればいい。 

 

いずれにしてもゲリラ的に駅前で演説をして睡眠を妨害するのをやめてほしい。 

 

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言いたいことはよく分かったけれど「全く別」というほどには区別できないという感想を持ちました。 

 

ようするに、気に食わないからヤジるのだし、気に食わないから選挙妨害するわけで、やはり「程度がはなはだしいか、そうでもないか」というグラデーションの問題に帰着していて、今後も判断は困難を強いられると思う。 

 

程度が「それほどでもない」ものを逐一獄にしょっぴいていては、自由な批判活動を封じられてしまう反面、野放図にヤジらせるがままでは演説者の表現の自由や聴衆の聞く権利を奪ってしまうという、調整が悩みどころですね。 

 

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選挙妨害は法的に定義され、逮捕者も出ている。ヤジだけで逮捕されたとは聞いたことはない。それより選挙カーの音量、どうにかならないか。たぶん基準はあるだろうが、病院近くでの大音量は当局から注意してほしい。 

 

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警察が警備するから問題なのであって、民間の警備員が警備するのであれば、どんなヤジでも排除しても侵害にはならないはず。 

聴衆を選択する権利もあるわけなので、それにそぐわない輩を排除するのは当然のこと。 

当然ながら、そんな事をしていたら演説を聞く人は増えないわけなので、排除する行為は自分に不利益となる。 

演説者が不快だと感じたなら、徹底的に排除すればいい。 

 

 

=+=+=+=+= 

選挙の演説を聞くために集まってる人や支援者も大勢居る。 

 

コンサート会場や演劇なんかで野次を飛ばしてる人が居たら 

警備員に追い出されるでしょ? 

 

街頭なら野次飛ばしても排除されなくて 

公会堂みたいな所で候補者が演説していて野次飛ばす人が居たら追い出すでしょ? 

 

コンサート会場みたいに進行を妨げたり他のお客さんに迷惑掛かる行為をする人には一律で罰則を与えるようにすべき 

 

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ヤジはやはりヤジだと思う、表現の自由が意味する表現は他人の迷惑にはなってはならない。 

反対立候補者の演説の場でワザワザ騒ぐ必要があるのだろうか? 

日本に民主主義が根ざすにはまだまだ時間が必要なのだろう。 

現在必要なのは「反対」の意思表明では無くて、「コレだったら賛成」の方だ。 

こうしてSNS投稿するのは表現の自由に当たるだろう。 

まあ一方で政党などと言った権力集団に太刀打ち出来ないもどかしさもある。 

ネット時代においては、そろそろ代議員制を廃止し、全員参加型の政策議論の場とオープン国会に移行しても良いのだと思う。 

 

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穿った見方として。 

演説の妨害もしくは、それに近い行為をする方々が、例えばですよ、社会的身分も高く、金も潤沢に持っていたなら、選挙演説の妨害もしくはそれにしても近い行動を起こすのだろうか?という疑問があります。自分が思うようにならない何かしらに不満があって、それが乱暴な行為、行動へと走らせるのでは? 

その人たちが大金持ちなら、そんなことはしないでしょ?もっと楽しいことに時間とエネルギーを使うのでは? 

 

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ガキの頃から「人の話はよく聞け」と教えられてきた。大人になると忘れてしまう連中が居る。民主主義のシンボルとも言える選挙において、訴えを妨害する事は、本来あってはならないはずだ。ヤジを飛ばすという行為を表現の自由とするのは大間違いだ。ヤジに対しては進行を妨害するだけの迷惑行為であるから、街頭でも議会でも制限するべきだと思っている。相手の主張に被せるように大声で妨害する行為を単なるヤジで済ませるべきではないと強く感じる。 

 

=+=+=+=+= 

街頭演説は、投票の判断材料となる情報を得る重要な機会だ。公共の場のため、批判的な意見の聴衆も当然いる。批判に対する候補者の反応も一つの判断材料になるため、ヤジも聴衆の利益になり得る。 

  

マイクで演説中の安倍元首相に「安倍辞めろ」「増税反対」と声を上げた原告の2人は、拡声器を使わずに肉声で主張した。「演説を聞こえなくするのは不可能な状況だった。『表現の自由』として守られるべき行為だ」と小野寺弁護士は指摘する。候補者などを批判するという意図が同じでも、その手段の違いをきちんと区別することが、表現の自由と選挙の自由の両方を守るポイントになってくる。 

 

 

マイクを使おうが、使うまいが、聴衆が演説を聴く権利を阻害している事には変わりない! 

少なくとも聴衆は、候補者の演説に興味があるからこそ、足を止めて集まるのだ。 

 

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ヤジも選挙妨害もそうそう変わらない。これらの「表現の自由」を尊重するあまり,候補者の「表現の自由」を損ねているという視点,そして候補者の主張を聞こうとする聴衆の権利を損ねている視点を持たなければならない。候補者への反論は今やYoutubeでもnoteでもできる。そっちで大いにやればいい。自分の権利を押し通すあまり他人の権利を顧みないことがあってはならない。 

 

=+=+=+=+= 

ヤジもモラル、というか…。特に与党=権力を持ってる側にはツッコミのヤジを入れたくなるとは思うし、為政者も『生の声』を聞く機会だと思ってもらいたい。でも、最近の妨害するため、言論を封殺するためのような行動は認められるべきではないと思う。そしてそういう行動が見られる機会が増えた、ということは日本人が心身ともに貧しくなったのかなぁ…と思ったりもする。 

 

=+=+=+=+= 

50歩100歩だね。 

法的には50歩なのか100歩なのかを論ずることに意味が有るかもしれないけど(何歩以上逃げたら違法になる、みたいなイメージ)、一般的な道徳観からするとヤジも単なる妨害行為でしかないと思うよ。 

それに、大声で叫ぶ人が近くにいたら怖いから、聴衆は落ち着いて演説を聞くことが出来ないと思う。 

 

=+=+=+=+= 

今の日本、政治家特に自民のやりたい放題、なぜこの様な事になってしまったのか、それは国民が何に対してと声を挙げない、つまり声を上げるのは一部の人、だから政治が腐敗しだしても止めることも出来ない、政治家の天国と言うことになる。 

なので私利私欲に走る大物政治家に取ってはこれ以上やりやすい国はないと、本当にそれでいいのかと選挙があるのだが、自民を応援する昔からの地盤、自民なら商売しやすい、つまり国の恩恵を受けてきた産業、さらに政治家に癒着する大手企業など、利益を生むためには政治家も利用すると言うことなのである。 

その様な国は他にもあるが、この国はそれに対しても声を上げようとしない、つまり政治家の天国であると言う事、本来のあるべき政治の世界を正す為に選挙があるのだけれど、それも機能しない今の選挙、今回も自民に有利なものになるのか、国民の審判がどちらを選ぶのか待ちたい。 

 

=+=+=+=+= 

選挙妨害行為なのか、言論・表現の自由なのか。 

枠に嵌めようとすれば反発しますし、網の目を縫おうとする。 

適時状況判断で良いのではないでしょうか。 

安倍元首相の痛ましい事件を教訓にセキュリティ強化もしないといけませんね。 

 

 

=+=+=+=+= 

スタジアムでのヤジが試合妨害になったということは聞いたことがない。 

では、国会答弁中のヤジは? 

これは、議長の裁量だろう。 

街頭演説でのヤジは? 

これは、公職選挙法で認められた範囲での行動を阻害するものであるが選挙妨害とは違う。 

立候補者がそこを選んで、やりたくてやっているのだから、選挙妨害にあたらない。場所を変えればいいだけのことである。 

ただ、暴力や違法行為をした場合は別の罪で問われることになるだろう。 

まあ、ヤジを飛ばされる側にもそれなりの原因があり当事者の主観で邪魔と感じても仕方のないことである。 

地方に行くと、選挙カーや街頭演説を騒音と感じる時がある。学校で授業を受けている子供たち、赤ちゃん、夜勤の人、病気の人にとっては、あの無機質なエンドレステープは苦痛でしかない。 

主観で選挙妨害と捉える人間は、個人の表現の自由の制限し、力で民衆をねじ伏せる人物だとも受け止めることができる。 

 

=+=+=+=+= 

選挙となると妨害は付き物ですが、重大な妨害が投票当日に起きます。 

投票券を集めての代理投票で、当然に公職選挙法違反。 

長年選挙事務を担当したけれど、宗教団体の某政党とイデオロギー系の某政党は1投票所あたり数人の要員を用意し繰り返し投票する。一応は服装を変えたりして変装はするけれど、こちらもバカではないから、しっかりと露見している。 

本来は摘発する権限は有しているが、行政にもこれら政党所属の職員は多いし立会人も関係者が入るから、摘発した例は無い筈です。 

だが、重大な妨害行為であって、民主主義への冒涜です。 

 

=+=+=+=+= 

大音量のライブでも隣がコールし始めたら歌手の声が聞こえない事もある 

街頭演説だったら大声で叫ぶタイプの政治家なら兎も角として、語り掛ける口調の政治家だったら野次でかき消されてしまいます 

聴衆全員の邪魔にはならなくても近くに居たら野次は邪魔になります 

平時の「政治活動」の時の野次ならば「言論の自由」を優先して良いだろうけど、 

「選挙運動」の時の野次は「言論の自由」が「聴く権利」を阻害する可能性もあるので、罪にまでは問えないにしても、なるべくならば控えて欲しい 

声出さずに後方でプラカード掲げるだけでも「言論の自由」は守られるのではないでしょうか?? 

 

他人に迷惑を掛ける事は「言論の自由」を悪用した暴力でしかありません 

 

=+=+=+=+= 

われわれ有権者は選挙において 

候補者の主張を聞いてそれを元に 

してどの候補者に投票するかを 

判断することになる。 

 

候補者の主張を聞くと言うことは 

選挙において投票と並び、われわれ 

有権者がゆるされている少ない機会。 

 

その機会を何の権利もない者が 

聞く機会を妨害している。 

 

候補者側からしても広範な有権者に 

自分の主張を伝え、評価してもらう 

数少ない機会。 

 

その機会を何の権利もない者が 

主張の機会を妨害している。 

 

ヤジのような選挙における妨害行為が 

間違っている証拠が、都知事選に 

おける他候補者の演説を妨害した 

つばさの党代表の逮捕だろう。 

 

自分にとって気に入らない主張で 

あっても何者も有権者の聞く権利、 

候補者の主張する権利を邪魔しては 

ならない。 

 

候補者の批判をするなら、自分が 

候補者となって公衆の前で主張を 

行うべきだ。 

 

公正公平な選挙を希望する。 

 

=+=+=+=+= 

演説へのヤジも問題ではあるが、国会でのヤジもまた問題ではあると思う。 

 

ヤジに関しては国会で確かヤジを飛ばしたことに対して謝罪を拒否した総理大臣がいらしたので、ヤジは問題ないとそれをきっかけに思われたのかもしれませんね(確かこの出来事の後に北海道でヤジを飛ばして捕まった?方がいらした気がします) 

 

国会だろうが選挙中だろうが、ヤジは無くなって欲しいですが……国民の意見を聞いていない、聞く気がない。そう思われた結果のヤジならば、今後も増えそうな気もします。 

 

=+=+=+=+= 

総理大臣に向けて投げられただけで総理大臣は無傷だった爆弾と、総理大臣に命中して暗殺に成功した弾丸くらいには、別物だろうな。あとは殺意の有無の違いか。 

 

間接民主主義を支持してるんなら、国民がどの政治家を選ぶかの選挙で、他の選手の妨害する必要はないだろうけどな。自分の推しを応援するだけでいい。 

 

裁判所の判断には従う以外ないけど、これで警察が護衛や除外に委縮して、総理大臣の暗殺を防げなくなるんじゃ、民主主義も何もあったもんじゃない。 

 

民主主義下、普通選挙で選ばれた政治家が政治を行うのを支持するのが民主派で、それ以外の方法で政権をひっくり返そうとするのが反民主派だからな。 

 

=+=+=+=+= 

人生に行き詰っていると日々感じている人のなんと多いことかと思う今日この頃でありますな。時代は、便利さ、効率を追い求めるのとは反対に、人は生きづらさを感じる度合いは、増すばかりですな、、、その捌け口を、政治に向けて癒そうとしているんでしょうが、それは、お門違いでありますな、、、、政治家に向けてもしょうがないことであります、人の道には表裏があります、どんな人にも組織にも、ありますので、それを認めることで、人間は大きく前進することができるのですわ、、、それを認めずして、独裁国家、権威主義政治に走ると、人々の自由は、無くなってしまう、、、人間社会の表裏を、はっきり認めて突き進む他ないのであります、、、所詮、表裏の無い人間は、この世にはいませんよ。 

 

=+=+=+=+= 

昔の国会の野次などは、発言する人への合いの手や鼓舞の意味合いが強かったと、日テレコメンテーターの橋本五郎さんが仰っていたことが思い出されました。何もかもルールが無い訳ではないのですね。何事にも品格と知識と思いやりを持ってという奥ゆかしさがないと、周りも不快になるし、逮捕にまで至るのではないでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

そもそも野党が正直、与党以上にレベルが低い。批判しかしない。「与党はこういう政策を考えておられるようだが、それはそれでいいと思う。しかしながら、こういう点に問題があると思うんです。私たちの党ならこうします。いかがでしょうか、考えてみてください」で野党はいいと思う。批判だけなら誰でもできる。それだけは止めてほしい。 

 

=+=+=+=+= 

原告は、札幌の裁判の時には拡声器の有無なんて争点にしてなかったと思うけど? 

原告が拡声器の有無でヤジと妨害の線引きを言い出したのは「つばさの党」事件以降でしょう。 

そもそも、原告2人のうち1人は敗訴してるじゃん。つまり、拡声器なしでも妨害とされたわけ。なので、原告視点だけで「全く別」と断言するのは明らかに言い過ぎでしょう。 

 

 

=+=+=+=+= 

ロシアの大統領、中国の国家主席、アメリカの前大統領(現候補者の1人)、日本の亡くなった元首相、それぞれが同様に「国を愛する、国民を守る」と言ってますね。 

でも、全員に傲慢さを感じます。 

しかし、それを支持する国民も多いでしょう。 

 

私は日本という国が映画「香港、裏切られた約束」のようにならなければ良いと思います。 

 

=+=+=+=+= 

日本は暴動が起きにくい秩序ある国民性を有していることに胡座を掻いたような国民生活軽視の政策?を次々と施行していることをもっともっと問題視すべき時代ではないのでしょうか!?… 

国民の生活が守られないような政治が続けば、米国が懸念している様に、いよいよ国民の怒りが沸点に達しても不思議ではないと思えてなりません。 

既に首相官邸突撃等の事件にもなってしまっています…残念至極。 

今の人口減少に見合った議員定数削減見直しの議論すら全く議題とならず、むしろ増税一直線…、取れる処から絞り取ろうとしている政策?には辟易してしまいますね! 

 

=+=+=+=+= 

国民がホントに国や裏金自民党や財務省に反発するのは当たり前です、国民は生活に困っている方が70%ぐらい多くいることもあります国の政策がよくならないと捌け口はどんどんエスカレートします今は国民の負担をさせない普通に生活できる体制作りが重要課題になります増税や値上げや便乗値上げなどはやめるべき…現状をみてください若者がお金欲しさに犯罪に走っています皆、困っている証拠がはっきりわかります 

 

=+=+=+=+= 

故安倍晋三氏の「こんな人たちに負けるわけにはいかない」との言葉を思い出します。 

 

自分は必ずしも安倍氏の基本的主義には組しませんが、それでも秋葉原のこの件については、行動と掲示物から判断して組織的に集まってきたと判断される勢力が、安倍氏を妨害しようとしたことが、憤りとともに強く記憶に残っています。 

 

リベラル、民主、自由、これらの言葉を掲げる人は、自分が憎む主張をする人たちに対しても妨害はしないでください。 

 

日本は自由民主主義で成り立っているのですから。 

 

=+=+=+=+= 

日本の刑罰は被害者に冷たく、加害者を保護する傾向にあると思う。 

拡声器がなくたって隣でバンバン叫ばれたら、演説は著しく聴きづらいですね。聴衆が立ち止まってるのは演説を聴くためでしょ?それを阻害されたら腹立ちますよ。 

聴くのを邪魔されたからと訴えれってことじゃないでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

ヤジを飛ばす必要って本当にあるのかな?国会や選挙の場面で、感情的になって大声を出すよりも、冷静に意見を交わすことの方が大事だと思うんだよね。相手の話を聞いて、自分の考えをまとめる方が、もっと建設的な気がする。確かに言いたいことがある時もあるけど、穏やかに話せば相手にも伝わりやすいし、争いを避けられるよね。選挙なんて特に、みんなが落ち着いて話を聞ける環境が大切だと思う。 

 

=+=+=+=+= 

投票行為によって政治に参加することと、ヤジによる妨害、暴言をネットの世界に拡散することは別物。高齢化社会の日本なのだから、落ち着いた民主主義国でありたいと思いますね。 

経済的に厳しくなってきても、精神まで健全さを失ったら寂しいです。 

 

=+=+=+=+= 

街頭演説は議論の場ではない 

候補者が一方的に聴衆に訴える場であり、聴衆から何かをふっかける必要がそもそもないので、言論の自由を持ち込む所ではない 

 

で、演説が聞こえるかどうかのみで判断するのもおかしい 

聴く側が不快に思う環境は排除するのは当然で、ヤジは不快さを増すことはあっても和らげることはない 

肉声だろうが拡声器だろうが、全面禁止で何も問題ない 

 

=+=+=+=+= 

明確な区分をするとすれば、その目的が何かって事でしょうね。 

妨害するために演説自体を潰したいのか、どうにかして不平不満を訴えたいのか。具体的には、聴衆としてちゃんと話を聞きながら、湧き上がってきた疑問に対して声を上げるのと、最初から一切話を聞く気もなく、ただ邪魔する為だけに行動する者の差です。 

しかし現実的に、その違いって有力者がどう判断するかだけになってます。 

今話題の斎藤知事だって、自分は「誹謗中傷で公益性なんてない」と言い、別の人は「それって公益通報なのに、告発された側が告発者探して懲罰を加えるっておかしくない?」と、話が平行線をたどり続けてる訳で。 

おそらく斎藤氏が知事に復帰すれば、この件は誹謗中傷でおしまい。 

パレードにまつわるマネロンや選挙活動でのおかしな資金の流れなどは、裏付けも取らずにデマとして処理されるでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

れいわ新選組の山本太郎なんかはヤジに対してもマイクを渡すもんな 

 

てか仕事でクレーマーの相手をする人ならわかると思うけど、誠意ある対応をしたら最後は「ありがとう」って言って帰っていく人もいる 

仕事では一番やばい人はサイレントクレーマーだと言って文句(意見)さえも言ってくれない人が一番のアンチだって教えられて、クレーマーはビジネスチャンスだって言われるぐらい 

 

 

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この文面では、拡声器を使うか使わないかで批判と妨害を分けている気がしますが、与党なら批判されて当然とまで言っており、与野党で表現の自由が変わることにこの弁護士は疑問はないのかと思います。 

 

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選挙妨害とヤジは違うそれまで取り締まったら選挙で言った事を詐欺などで取り締まるのかとなる、一般人がヤジは表現の自由などから見たらしょうがない、候補者とか政党など団体が相手方に付きまとったりするのは嫌がらせを越えてるけど、基本嫌らな行かないのが普通だけど、日本人は政治に疎い、あの人だからとかあの家の系統だからあの人がいいと言ってるからだとか人任せ、昔から国民が国を変えた事無いからだろう、 

 

=+=+=+=+= 

たとえ会話であっても割って入る事はマナー違犯と親から教育された。 

先ずは相手の話しに耳をかたむける。 

演説、講演などは個人の主義、主張であり権利でもあると思う。 

ヤジを飛ばすぐらいなら聞かなければいいし聞き流せばいい。 

 

=+=+=+=+= 

この記事にある通り、演説が聞こえるか聞こえないか、そこは表現の自由の範疇なのか、それとも選挙妨害になるのか、とても大事な線引きだと思う。 

そこを感情論で一緒くたにして、北海道の判例のせいで選挙妨害が出てきたのだとする主張は、むしろ選挙妨害の悪質さを矮小化してると言えるでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

コロナ前なら、聞く権利>ヤジでした 

 

今は、逆の考えです 

日本は今、とんでもなく恐ろしい全体主義に向かっています 

ウクライナは自衛戦争に非ず 

露を潰したい米英ユダヤ勢力に、鉄砲玉として使われたに過ぎません 

 

この構図が見えていないと、今、日本がどれほど危ないルートに入っているかわからないと思います 

対中あるいは対北朝鮮で鉄砲玉役になる為に、着々と戦争準備だけしてるのが現政権です(米国傀儡政権と言ってよい) 

地方空港の複数が、軍事転用する法整備済みなのを知ってる人、このコメント欄でどれくらい居ますか? 

 

WW2前から最中、インテリほど、対米戦争で勝てないと理解してました 

しかし戦争反対と言えば非国民で、中には思想犯で拷問死した活動家や思想家、一般人は沢山居ました 

 

ヤジやデモすら許さない社会とは戦時統制下と同じになっていくと言う事 

権力者を街頭で批判出来ないのはとても危険です 

 

=+=+=+=+= 

当選した途端に人の話を聞かない態度、聞かなくてもいい制度にも問題はある。 

異を唱えたい時や解決してもらいたい問題は選挙に合わせて起きないんだから。 

そんな普通の仕事ならよくある事をしようとしない政治サイドがおかしい部分も多い。 

それがデジタル化した庶民の意見表明と噛み合わないからこう言う事が特に最近起きるんだ。 

 

=+=+=+=+= 

色々引っかかるな。 

肉声だったらヤジ扱いで問題無し、というのは違うだろ。 

肉声だろうが演説が聞こえないようであれば妨害行為だし、 

そもそも妨害目的で大声をだしている自体ダメ。 

 

与党は批判されても仕方ない的なコメントもあったが、 

それは何も与党に限定されない。野党も同じように批判にさらされる立場。 

与党と野党で分けて話をしたら、与党へのヤジは良いけど野党へのヤジはダメ、みたいなおかしな理屈になりかねない。 

あえて与党と野党の扱いを変える理由は無い。 

 

選挙の自由も表現に自由も大切という話は分かるが、 

襲撃暗殺事件とヤジを並べて議論するのはおかしくないか? 

ヤジをする権利を守るために襲撃の危険性に目を瞑る、なんて事はあり得ないだろ。 

 

そもそも、ヤジを表現の自由扱いする必要はあるのか? 

ヤジ自体禁止で良いのでは? 

まあ国会の場から変えていってほしい話だけど。 

 

=+=+=+=+= 

ヤジと選挙妨害は同一のものだと思っています。 

 

演説は聞きたくなければ立ち去るべきであり他の人が聞いているのを妨害するのは駄目だと思います。 

 

聴衆の反応にヤジを含めているところが痛い。 

一般人の感覚からはかけ離れた弁護士の判断基準がよくわかりました。 

 

=+=+=+=+= 

「がんばれー」や「応援してるぞ」はよくて「ふざけんな!」はダメというのは道理は通らない。前者も後者も野次だけど、話してとしては、前者は当然応援される声だから嬉しいし。後者は腹立つ。聞きやすさという意味ではどっちもおなじだけど。 

記事にある通り、選挙演説が不可能になるかどうかが基準でいいと思うけどなぁ。野次が邪魔だというのに異論はないのだけれど、それを公権力で排除や法規制をするというのは違うと思う。 

つばさの党のような事案は摘発されてしかるべき。 

 

=+=+=+=+= 

弁護士センセイの小難しい話は大変結構ですが、そもそも演説に対してヤジを認めている現状がおかしいと思います。「聴衆が聞きとりやすいように演説は静かに聞くこと」が成熟した民主主義国家における国民の姿ではないでしょうか。 

おそらく「市民」とやらは静かにしていられないのでしょう。穏やかでないですなあ。 

 

 

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弁護士センセイの小難しい話は大変結構ですが、そもそも演説に対してヤジを認めている現状がおかしいと思います。「聴衆が聞きとりやすいように演説は静かに聞くこと」が成熟した民主主義国家における国民の姿ではないでしょうか。 

おそらく「市民」とやらは静かにしていられないのでしょう。穏やかでないですなあ。 

 

=+=+=+=+= 

弁護士の見解などあてにしないほうがいい。 

職務は弁護人の有益となることだから。 

そんなもん訴えられるほどのヤジなんて選挙妨害に決まっていると個人的には思う。 

聞く権利や表現の自由以前に、選挙人の発言を妨害してるじゃない。 

演説現場ではない場所で意見なんていくらでも言えるのだから。 

悪い政治家もたくさんいるけど、被害者保護より先に人権保護が来る時がわけがわからない。 

被害が出た時点でまずは加害者でしょう。 

法律はわからないよ。 

 

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なんか国会議員の役割がだんだんわからなくなってきたのですが、、、選挙になると、地元、地域の発展のためがんばります!なんて聴き心地よい演説してますが、本来は、国威強化、国民のために必要な国家運営のため議員立法を策定し、適切な予算配分で日本国の将来のために地域から選ばれた代表者としての役割を担うのが国会議員では? 

 

その実現のためには、地元に不利益、デメリットになるかもしれないのに、地元の陳情をきくのが国会議員?? そんなの区議会議員や市議会議員、県会議員にまかせれば? 

 

=+=+=+=+= 

弁護士でも見解が分かれる。この弁護士のように別物と断言する人もいるが、同じだとの見解を主張する弁護士もいる。本人はヤジと思っていても選挙妨害になる可能性があるから気を付けないといけない。 

 

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昨日、とある候補の選挙カーが見通しの悪い山道入口にカーブで停車しつつウグイス嬢が候補者名を一生懸命アナウンスしてましたが、流石に危ないので注意喚起でクラクション鳴らしたら『ありがとうございます』と。 

 

唖然としました。選挙期間中は候補者は当選したい一心でモラルの秩序もないんでしょうか 

 

=+=+=+=+= 

確かにヤジは選挙妨害ではない。その点はこの記事の通り。ただ現実的にはヤジはエスカレートし、政策的な批判に留まらず、感情的に候補者本人を否定したり侮辱したり、と言う方面に発展しやすいので、選挙違反ではなくても、名誉毀損だったりに抵触する可能性は出てくると思うし、なにより見ているだけでも不快だ。 

そのヤジと選挙妨害のギリギリの狭間を狙うものも出てくる可能性もあるし、節度を持った行動が求められていると思う。 

 

どうしても政治的なヤジは左派の方が圧倒的で、毎日新聞がこう言う記事を書けば「左派の活動の肯定」のようにも読めてしまうし、ヤジに対してももう少し厳しく接する必要があるのではないか。これは法律論ではなく、成熟した社会におけるモラルだ。 

 

=+=+=+=+= 

ヤジが云々言っている人は、なぜ路上でやる演説を聞きに行くのかな? 

そんなに演説が聞きたいなら、公民館や体育館でやる個人演説会に行けば良いと思うけど? 

 

公共の場所なら、支援者以外もいるのが当たり前。対立候補の支援者が居ればヤジられることもあるでしょう。 

 

ヤジられるのが嫌な候補者は、アメリカの大統領選挙の演説会を見習った方が良いよ。 

 

=+=+=+=+= 

ヤジと選挙妨害は違う・・・って、 

「ソ連・中国の核はきれいな核」と日本共産党が言ったのと似た詭弁な気がするけどな。 

 

国民が声を上げる手段(意見表明)が、 

政治家が選挙演説しているときに「声を上げること」しかないのならともかく、デモの権利も投票の権利もあるからね。 

なんか小さなコップの中で「いい・悪い」を論じているような気がしてならない。 

 

結局、ヤジってその人が政治家が「嫌い」ってことしか伝わらないのでは、と思う。 

 

=+=+=+=+= 

そもそも、投票率の低さの改善をしない日本政府が一事が万事、根本的な要因。 

立法に関わる者たちが民主主義を蔑ろにするから、民主主義国家全体の質が総じて低下する。 

 

日本政府、立法に関わる者が民主主義を重んじればそうはならない。 

 

=+=+=+=+= 

>「答えは明確で、全く別物」 

 

同じです。 

公職選挙法下ではヤジは選挙妨害です。 

妨害とは候補者の言葉を遮ることだけではなく、聞き手の聞く機会を遮る行為です。 

 

 

>「演説を聞こえなくするのは不可能な状況だった。『表現の自由』として守られるべき行為だ」 

 

そもそも演説者以外に表現の自由は与えられておりません。 

そうやって意図的に錯誤を与える行為は詐欺です。 

演説を聞こえなくする行為とは、演説する側だけでなく演説を聞く側もです。 

 

ヤジの傍にいた人は聞く機会を邪魔されたことでしょう。 

 

弁護士による法への蟻の一穴。 

 

 

=+=+=+=+= 

ヤジと選挙妨害は明確に違う・・・?本当にそうでしょうか 

ヤジにも聞く利益があるとは、かなり苦しい言い訳ですね 

そんなお上品なヤジなど覚えがないのですが、それなら例えば講演会や講習会、株主総会などでドンドン叫んでいいのでしょうか? 

スピーカーさえ使わず地声なら 何を言ってもOKと言うことでしょうか? 

やっぱりヤジも選挙妨害の一部だと思いますよ もちろん程度の問題で逮捕されるされないはあるかと思いますが  

選挙ポスターの前に一日中陣取って 敵対する勢力のポスターが見えないようにするのはどうでしょうか?やはり選挙妨害だと思う 

演説というのは、ヤジも無く聞く権利が先ずは最大限優先されるものだと思う 

アジテーションなどという戦法が一番カッコいいと勘違いしている人たちに勘違いを是正した貰ったほうがいい 妨害行為です 

 

=+=+=+=+= 

「ヤジ」は線引きの難しい問題ですね、「つばさの党」の行為は明らかに「自由妨害」ですが、北海道の二人の行為やニュースでよく目にする街頭演説等での「ヤジ」はどうでしょう?拡声器を使わず肉声のみなので一部の聴衆は聴きづらさを感じるでしょうが全員ではない、しかし十数人以上の集団になったらどうでしょう?聴きづらいと感じる人は増え演説をしている当人は威圧感に包まれるでしょう、これは「自由妨害」になるのでしょうか?たまたま見ず知らずの複数人がたまたま同時に声を挙げてと主張したらどのような判断になるのでしょうか?「こうしたらこうなる」と細分化出来ないもどかしさのようなものを感じます。 

 

=+=+=+=+= 

そう言えば小池さんへの明らかな選挙演説の妨害行為、誹謗中傷行為があり、小池さんは演説を中止し聴衆はまともに演説を聴くことができませんでしたが逮捕されたというニュースを聞きません。画像や動画に残ってるのになぜでしょう。 

選挙妨害した人達を早く逮捕してほしいです。 

 

=+=+=+=+= 

表現の自由が制限されるのは危険だという考えもあるけど、ヤジはどう見てもマナー違反だと思います。ヤジにも厳しく対応した方が社会は健全になると思います。 

 

=+=+=+=+= 

一般の人と政治団体に所属する者とではまた意味合いが違ってくるだろう 

 

討論会ではなく演説してるところで政治団体の者が「答えろ」と強要するのは普通に妨害以外の何物でもないと思うけど 

 

=+=+=+=+= 

正直、そっちよりの弁護士なのかなと思う。 

そもそも演説を聞きたいのであって大きな声のおっさんの話を聞きたいのではない。質疑応答の時間が有るならそれでも良いが、少ない時間で多くを回らなきゃいけない選挙期間では邪魔でしかないんじゃないかな。 

まぁ、法律がどうとでもとれる書き方なんだろうけど 

 

=+=+=+=+= 

>男女2人の原告側弁護団の小野寺信勝弁護士 

第三者でもない、公平な立場でもない人に話を聞いて何の意味があるんですか? 

こういう立場の人が「依頼者は悪いことをしました」なんて言うわけないんだから、この記事自体おかしいですよ 

ヤジと選挙妨害を全く別物と言うなら、裏金と不記載の違いについてきちんと報じるべきですね 

 

=+=+=+=+= 

ヤジならいいみたいな記事だけどちゃんと見てる人達にとってはヤジも十分迷惑な行為だろ。罪に問われないからやっても良いじゃなくて、周りの人の事を考えて自粛するよう呼びかけるのが本来のメディアのあるべき姿なのでは? 

 

=+=+=+=+= 

最近過激派の再来が疑われているようだが、丸棒とかが政治屋は年収5000万円で最低でも任期4年で2億稼げる、と考え300万~500万の供託金、その他含めて1300万くらいの投資で年収5000万、最低4年から6年で2億から3億の収入を得ることが出きる、と考えれば、投資には問題ないと考えるのが常で在ろう。    気を付けよう、甘いい言葉と暗い道。。。 

 

=+=+=+=+= 

エスカレートする可能性があるし、死傷事件もまだまだ起こるだろう。私は公示期間中だけ選挙チャンネルを作って、見たい人はいつでもいくらでも見れるようにすればいいと思う。余計な国税を費やす必要も無い。 

 

 

 
 

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