( 225008 )  2024/10/22 14:57:27  
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堀江貴文が「M-1グランプリの高視聴率は日本人の言語能力の低さを反映している」と断言するワケ

集英社オンライン 10/22(火) 11:02 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/a405e7f43a372d82fd88890f814c23bc51abc0e4

 

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堀江貴文氏は、M-1グランプリがつまらないと感じている理由として、「心地よい裏切り」が漫才の基本構造であり、言語能力の高い人ほどその裏を読んでしまい、おもしろさを感じなくなることを挙げている。

また、M-1では洗練された「心地よい裏切り」が求められるため、より予測しやすく感じられるそうだ。

彼は、一方で日本を代表する芸人が海外で大成功する理由として、M-1グランプリでは評価されないような新しい笑いを追求する芸人が今後のお笑い界を支えていくと考えている。

(要約)

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写真はイメージです 

 

いまや暮れの国民的イベントともいえる「M-1グランプリ」の予選が今年もはじまっているが、堀江貴文氏は「ぶっちゃけ私は、M-1はつまらないと感じている」「観客が爆笑していても私はまったく笑えない」と話す。いったいなぜか? 

 

【画像】西の漫才の聖地 

 

堀江氏の新著『ニッポン社会のほんとの正体 投資とお金と未来』より一部を抜粋、編集してお届けする。 

 

漫才の頂点を決める「M-1グランプリ」。テレビ離れが進むなかでも2023年大会では関西地区で28%、関東地区で17.2%という高視聴率を叩き出した大人気番組だ※1。 

 

優勝コンビは一夜にしてスターダムを駆け上がる。国民的イベントと言ってもいいだろう。 

 

でも前々から思っていたが、ぶっちゃけ私は、M-1はつまらないと感じている。観客が爆笑していても私はまったく笑えないのだ。私がひねくれているのだろうか。そうではないと思う。漫才の基本構造に原因があるのだ。 

 

漫才の基本構造は「心地よい裏切り」である。ボケが突飛な発言をし、観客の予想を裏切る。あまりにボケがぶっ飛んでいると理解が追いつかないため、突飛とはいっても理解できる範囲にとどめておく。 

 

ツッコミの役割は、その突飛な発言を訂正することだ。そして実はこのとき「ツッコんだ=さっきの発言はボケだった=ここがおもしろいですよ」と観客に示している。笑うポイントをそれとなく教えているわけだ。 

 

M-1で優勝する漫才師はできるだけ観客に伝わりやすい言葉を使い、観客の予想を巧妙に裏切るよう設計されたネタをつくっている。 

 

でもそうしたテクニカルな構造であるがゆえに、言語能力の高い人には漫才師の狙いがわかってしまう。つまり、セリフの続きやオチのパターンがある程度予測できてしまう。漫才の基本構造は、心地よい裏切りだ。ということは先の展開が読める人にとっては裏切り自体が存在しなくなるのだ。だから漫才がおもしろく感じられないのである。 

 

 

さらにM-1は漫才界の最高峰の大会であり、より洗練された「心地よい裏切り」を競う。でも洗練されていればいるほどテクニカルになり、その構造の分析や予想がしやすくなる。言語能力の高い人からすると、ますます楽しめなくなるのだ。 

 

お笑い好きなら、若手や売れない芸人のネタがつまらないと感じることがよくあるはずだ。それはたくさんのお笑いを見てきたことで培った経験値により、彼らのボケやオチが予測できるという理由が大きい。私にとってはM-1のファイナリストであってもそんな状態なのである。 

 

でもその一方で、相変わらずM-1は大人気。毎年爆笑をかっさらっている。裏を返すと、日本には言語能力の高い人が少ないという証拠なのかもしれない。その高視聴率は、日本人の言語能力の低さの反映だとも考えられる。 

 

誤解のないように言っておくが、私はお笑いが嫌いなわけではない。「そんなの関係ねぇ」で一世を風靡した小島よしおさんや、スピードワゴンの井戸田潤さんが扮するハンバーグ師匠のネタは大好きだ。 

 

彼らのネタは、M-1で評価される「心地よい裏切り」の構造とは違うが、それがよい。むしろ漫才の型にはまらない、自由な発想から生まれた予想できない笑いのほうが、私のような人間の好みには合う。 

 

芸人にとって、M-1グランプリはその後の活躍のために必要な場だとは理解している。しかし、M-1的なお笑いだけでは、お笑い界は頭打ちになるのではないかとも思う。 

 

実際に、日本の芸で世界に通用しているのは、M-1グランプリでは絶対に評価されないようなネタだ。 

 

たとえば、とにかく明るい安村さんが、イギリスの人気テレビ番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」の会場で大ウケしたことを知っている人も多いだろう。 

 

その後、アメリカの人気テレビ番組「アメリカズ・ゴット・タレント」(AGT)にも出演し、ここでも大爆笑をかっさらった。また、チョコレートプラネット扮するTT兄弟もAGTの会場を爆笑の渦に巻き込んだ。 

 

彼らの芸は言葉の壁を超え、世界に通用したのだ。今後、あえてM-1グランプリ的な笑いを追求しない芸人こそが、これからの日本のお笑いを支えていく気がしている。 

 

※1 日刊スポーツ「『M-1グランプリ』視聴率は関東17.2%、関西28.0% 昨年は30.1%」(2023 

年12月25日) 

 

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堀江貴文(ほりえ たかふみ) 

 

1972年、福岡県生まれ。実業家。ロケットエンジンの開発や、スマホアプリのプロデュース、また予防医療普及協会理事として予防医療を啓蒙するなど、幅広い分野で活動中。会員制サロン「堀江貴文イノベーション大学校(HIU)」では、1,500名近い会員とともに多彩なプロジェクトを展開。『ゼロ』(ダイヤモンド社)、『多動力』(幻冬舎)、『時間革命』(朝日新聞出版)、『203510年後のニッポン』(徳間書店)など著書多数。 

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堀江貴文 

 

 

( 225010 )  2024/10/22 14:57:27  
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堀江氏の意見に対して、「笑い」や「お笑い」に対する個人の感覚や解釈は様々であり、それぞれの視点から述べられたコメントが挙がっています。

一部では堀江氏の見解に賛同する声や、漫才の面白さを独自の視点で説明する声もあります。

また、意見の違いや個人の趣向によるお笑いの好みについても触れられています。

一部のコメントでは、漫才やお笑いにおいて「心地よい裏切り」や「間」、表現力の重要性が強調されています。

 

 

このように、お笑いに対する見方や楽しみ方は個人や環境によって異なり、言語能力の高低だけではなく、漫才の特性や文化との関連性など、様々な側面から考察されています。

 

 

(まとめ)

( 225012 )  2024/10/22 14:57:27  
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=+=+=+=+= 

「笑う」という行為は一種の負けを認める行為ですので、無駄にプライドが高い方ほどこういう「俺は賢いからこんな奴らの漫才じゃ笑えない」的なことを言いがちな気がします。今までも散々おかしなことを言って批判をされても自分の間違いを認めない人でしたし… 

 

対して一発ギャグ系の芸人さんは「しょうもなさ」「くだらなさ」で笑いを取るため(もちろん内部にはいろいろな計算やセンスがありますが)、一種の「見下した」形での笑いとなる為、そういうタイプのハードルをくぐりやすくなる傾向にあります 

 

自分の価値観・分析が絶対的に正しいことを前提としてお笑いファン全体をディスる傲慢な論理の飛躍から見ても、彼が高いのは言語能力ではなくプライドだけなのではないかと思います 

 

=+=+=+=+= 

最近はM-1グランプリや他の大会も習慣で見てる気がします。M-1等の大会で気になる面白いコンビいたらYouTubeで見たりDVDを買って見たりBSよしもとのDVDコレクションを録画したの見たり。お笑いにもう少し時事ネタや風刺があればなあと思う時もります。意外性や緊張感もたまには良いものです。NHKのLIFEすきです。漫才もいいけどコント番組も面白いです。 

 

=+=+=+=+= 

安村、小島はむしろ言葉が通じなくても笑いを引き込める芸であって、そのジャンルも楽しめばいい。 

M1はむしろ制限時間内に伝えたい言葉を選択して笑わせなければならない、とても能力が低いとは感じない。 

むしろ堀江さんは、誰かを爆笑させる能力て全く持ってないでしょうね。なぜなら批判するより難しいレベルだからです。 

 

=+=+=+=+= 

落ちがわかるからおもしろくない、というのはわかるが、それだけではないと思う。同じことを言っても間が良ければ面白いし、間が悪ければ面白くないというのはだれしも経験していると思う。 

 古典落語などその典型だろう。 

 名人が話せば面白いし心に沁みることもあるが、かけだしではまったく同じ文句を言っていても退屈である。話芸と言われるゆえんと思う。 

 確かに予想を超えるところに笑いがあるというのは慧眼と思うが、それは話の内容だけではなく反応やしゃべり方や間の持って生き方にも言える。 

 さんまや紳助は確かに面白く感じさせるテクニックを持っていると思う。 

 

=+=+=+=+= 

確かに「心地よい裏切り」は笑いのセオリーに含まれる。その意味では漫才の基本構造の1つに数えることができる。 

しかし、その手のナンセンスや観客が爆笑するネタは、記事にある「観客の理解が追いつかない」よりも「一部の観客が求める笑いではない」ということだ。 

お笑いコンテストの審査で爆笑を呼ぶ笑いを高評価していることが、笑いの質を決めている。同時にそれは、演者を相対評価することで絶対的な審査基準を持たない審査員の限界でもある。 

もちろん誰が審査員でも誰が優勝しても構わない。 

見ていて、優勝が「自分の思ったコンビではなかったなぁ」「あの審査員の点数は違うよ」と自分勝手な評価をするのも楽しみの1つだからだ。 

評価が異なる他の人の意見が聞けるのも面白い。 

何処かの国のように言論統制されていない日本だからこそ、様々な笑いが存在する。 

これは案外、貴重なことかもしれない。 

 

=+=+=+=+= 

予想に裏切られる新鮮さもあれば、自らの経験に重ねて思わず笑ってしまうこともあるだろう 

漫才は、裏切りと共感の抑揚があるからこそ面白いと自分は思っています 

 

この共感の部分は、相手が何を言いたいのかを理解し自分と重ねられるかがポイントになりますので、 

逆に言語能力が高い人ほど、漫才を楽しめるのではないかと、自分は思います 

 

=+=+=+=+= 

ボケによる破茶滅茶な言動をツッコミが常識で正していくような流れが、いわゆる漫才の王道であるといえるでしょう。確かに見ていて先が読めてしまうことはありますけど、その筋書きすら楽しむものなんだと思います。堀江氏の認識だと、ミルクボーイや笑い飯やマヂカルラブリーなんかの王道とは言えないネタがどう映るのか解説してほしいところです。そもそも、安村やハンバーグ師匠や小島よしおなどのいかにも子供受けしそうなリアクション芸の方が頭の良くない人でも楽しめるTheお笑いではないでしょうか。またツッコミの役割に関しては、ボケは具材を提供し、ツッコミは美味しく食べられるように調理するイメージです。ツッコミがボケに変えてくれる、みたいな。 

 

=+=+=+=+= 

漫才の面白さとは、オチがどうとかではないのですよね。 

どんな演者がどのような言い方で、また声の質、雰囲気など、すべての表現力の結集です。それは芸術であり、ある意味演劇的です。 

M1の面白さは、幅広い。芸人のその人生の裏にあるヒューマンドラマも含めてワクワクさせてくれます。漫才だけを見て楽しむのではなく、その人の生き様全てを感じるから、エンターテイメントとして価値があります。かといって、劇場の漫才が面白くないかと言ったら、そうではありません。そこは話芸です。テレビの漫才と劇場の漫才とでは全然感じ方が違います。いかに観客楽しませるかと言うことに関しては、芸人はプロです。漫才師から感じるエネルギーは、本当に元気がもらえます。 

観客は漫才の台本で笑ってるわけではありません。もっと深くもっと広い意味がそこにはあるのです。 

 

=+=+=+=+= 

自分たちの漫才を、M-1というフォーマットに合わせて如何に最適化できるかということを競っているように感じます。 

制限時間の中でいかに多くの笑いを詰め込めるかが勝負というような声も聞きますが、ある程度時間をかけて場の空気を温めていくタイプの漫才はM-1という舞台では不利になるのかもしれません。 

 

=+=+=+=+= 

M-1が一番好きな番組で、毎年これを楽しみにして、ワクワクしながら見てる自分としては、言いたいことは山ほどある。が、自分にはおもしろさがわからないコンビが優勝することもあるし、腹抱えて笑うコンビが優勝することもある。素人ながら判定が腑に落ちないこともあった。 

 

ひっくるめて自分は、プロの芸人の芸に楽しませて頂いてる。 

 

自分が専門でないことについて、とやかく言うと、その道のプロにしたら見当違いな指摘だったりもするので、そこのところは気を付けて欲しい。(茂木さんも) 

 

 

=+=+=+=+= 

M-1では聴衆に向けてお笑いを提供する演者側に、見せる事の偏りがある気がする。 

漫才と云うカテゴリーで見れば、余りに短時間に処理する必要があるのかインパクトネタに偏り、早口で相手方に攻撃的に突っ込んでいくのがパターンとしてあるのかと。 

短時間である事、コント動作が多過ぎ、特定審査員へのおもねり等が漫才本来の楽しみを阻害してるような印象がある。 

何を以て正統派と言えるのかは判らないが、M-1演じられているのはコンクール漫才であって、演芸場で楽しめる様な漫才とは異種の芸になってるのだろう。 

アイドル人気投票とそう変わらんだろうね。 

M-1を以て若手漫才の最高峰を決めると云うのはおかし気な事と思う。 

舞台上で木戸銭を払って来てくれた客に、普通に笑って貰える芸を提供するだけの技量も持ち合わせているだろうに、M-1では別物の感がある。 

M-1戦法が言語能力の低下に拍車をかけて、笑えなくしてるのでは。 

 

=+=+=+=+= 

好みかなぁって思います。堀江さんが面白いと思っているものに対してつまらないって思う人がいるように。言語能力の低さとは関係ないと思います。 

もし関係があるとすれば、全体的に国語力が下がっていることもあり、社会全体的に言語能力が下がっている可能性はありますが。そうなると、すべてのものに影響しているかもしれませんが。 

4分間をどのように使うか、どうやって笑いを起こしていくか、緊張して失敗している漫才師さんもみられますが、そういうのも全部ひっくるめて良い大会だと私は思います。何度も見たくなるネタもありますしね。 

 

=+=+=+=+= 

俺もあまり笑えないですね。 

ただ俺の周りもあまり面白いって人もいません。 

 

あの場にいたら生の空気感で笑えるかも知れませんけど! 

 

ただこれは好みの問題で俺は「あーこういう人いるいる」とか「こういう事あるある」的な現実的な漫才が好みってのが大きい。 

 

ですからミルクボーイのコーンフレークのネタは最高に笑った! 

 

好みなんでしょうがないですね。 

笑えるって素敵 

 

=+=+=+=+= 

なかなか興味深い考察でした。 

確かにお笑いに精通している人ほどオチが予想できてしまうというのはあると思います。ただM-1で上位に入る方々はその予想を超えてくることがあるので、毎年楽しみにしています。 

 

言語能力の高い低いというよりも堀江さんの好みに合うかどうかの問題だと思う。あと海外でウケるネタとM-1でやるようなネタはジャンルが違うので比較するのは如何なものでしょう。他国の文化がいいもので、日本の文化が劣っているとは思わない。 

日本の言語・文化に根差したお笑いは日本人が楽しめばいいと思います。 

 

=+=+=+=+= 

うーむ、ちょっと本質からはズレた指摘に感じますね。ピン芸が世界に通用するのは日本語で会話して笑わせるタイプの芸じゃないからですよね。 

漫才の楽しみ方はオチが読めるか読めないかだけじゃなく、会話の切り口やテーマのセンス、選ぶワードのセンス、テンポ感、演者自身のキャラクターの魅力、はたまたなんの意味もないナンセンスさの爆発等々、本当に多種多様な要素があります。要素は無限かと。 

それぞれのコンビやグループでそれぞれの何らか突き抜けた魅力があって初めて人気漫才師になり、その彼らが何度も劇場に掛けて磨き上げて来たネタは珠玉の作品群なんですよ。 

どなたかも書いていらっしゃいましたが、最高に面白い漫才は同じ録画を何度も見ますし何度見ても面白いんですよね。 

 

=+=+=+=+= 

いい漫才師のネタは何度も見たくなるものですよね。あのコンビのあのネタが見たい、と思うものです。何度も見てるから話の展開もオチも知ってるのにまた見たくなる。そういうものだと思いますがね。よって、堀江さんの論理は当てはまらないなーと感じますね。個人的には。ちなみに古いネタだけどチュートリアルのBBQとチリンチリンと冷蔵庫のネタは未だに大好きなネタです。 

 

=+=+=+=+= 

漫才を定義づけするのは各々の解釈だし、そもそも定義づけせずとも楽しめればそれでいいと思う。 

私も思春期は関西で過ごし、いわゆるしゃべくりを基とした上方漫才がやはり好みである。 

 

ただ、M-1については一つだけ違和感を覚える。漫才とコントは別物だという事だ。審査員も明らかにフォローする言葉に苦戦している様相が伺えるし、正直視ている方も辛い。 

 

=+=+=+=+= 

プライドの高さから自分と感覚が違うものは下げて評価したくなる気持ちはわかりますが、おそらくホリエモンが共感力というものを持ち合わせていないことによって独自の観点でしか物事を見れず他人が面白いと感じることを理解できないだけなんだと思う。 

彼が面白いと評価する芸人は言葉が通じない外国人でも笑ってしまうような 

動きがある芸人で、大喜利とかが上手な芸人が知的に予想外の発言をして反射的に周囲の人が笑ってる様子とかは理解できないんだろう 

反射的に笑えないのはある意味可哀想だ、感覚でわからずわからない理由を自分のせい以外に置き換えて分析しなきゃいけないのも可哀想だ 

 

=+=+=+=+= 

単純に堀江さんの頭脳が、一般的なレベルを逸脱して、良いだけだと思います。 

 

堀江さんの性格上、同じレベルで話せない人は、排除してきたでしょうから、今、堀江さんと交流もっている方は、同じレベルで頭のいい達ばかり。 

 

だから、堀江さん基準で、M-1はつまらないと言っても、一般の人からみたら、充分面白く感じているわけで、 

 

たとえ日本国民が全員、年間100冊本を読むようになったとしても、M-1は面白いと感じる人が大多数のような気がします。 

 

=+=+=+=+= 

期待を裏切るのが笑いと定義づけているが、本当にそうだろうか? 

例えば落語は、話を知っていてオチも知っている人が、何度も同じ話を聞く人がいる。 

それは「知っている噺(はなし)だとしても、面白いから」だろう。 

歌なんて歌詞を知って何度も聞いても好きな人は何度も聞くだろう。 

それは、音・リズムや表情、場の空気、それら全部が笑う空気を作るからじゃない? 

 

逆に言えば堀江貴文は、そういう共感性・感受性能力が低くて楽しめない可能性も。 

知能レベルが高くても、他人の感情を理解するのが難しい人は沢山いるからね。 

それには、ネガティブな単語で表現する事になるから、ここでは言及を避けるが。 

 

 

=+=+=+=+= 

仰る通り。 

 しかし興行は集客が肝要。言語能力の高低より資本の還流が優先される。M-1は儲かるから復活したし、継続される。 

 また時代の変化もある。かつて通信技術が未開の頃は意思疎通の手段が限られていた。蓄音機や無線技術等の音声による隔地間の通信が確立されたのは、19世紀以降、本格的には20世紀に入ってからだし、それ以前は手紙が主流だったのではないか。 

 さらに20世紀末から今日に至るまで、ラジオからテレビ、ネットへと通信技術は目覚ましい速度で進化を遂げた。今日では多対多でリアルタイムの双方向通信すら容易だし、音声に加え映像の送受信も可能だ。 

 そうすると、像(≒イメージ)の方が重要になるのではないか。普通、言語能力が低いより高い方が多くの情報量を交わせるが、イメージの交換はその情報量を凌いでいる可能性が高い。 

 つまり、低い言語能力はイメージでカバー。昨今の潮流は歴史的必然かもしれない。 

 

=+=+=+=+= 

最近のM-1の漫才は、テクニックとボケ数重視のコンビが多くて、先が読める人にはつまらなく感じるのには同意する。先が読めても間や言い回しなんかで面白いコンビはいるけど、テクニックとかじゃなく純粋に面白いコンビに出て来て欲しいとは思う。 

 

=+=+=+=+= 

例えばミステリーで意外な展開と称し、いきなり出てきた人物が犯人になることはあり得ません。「予想外」なことは起こしてはいけないんですよ。「心地良い裏切り」は、(わずかだがしっかりと)予想できた裏切りが予想通りにできた時に最も発生します。M1があれだけの大会になっているのは視聴者との共犯関係がしっかりと築けているから。むしろ言語能力高いですよ。 

 

ただM1は視聴者を審査員として育ててしまった。M1の功罪はそこにあるように感じます。初回以降、審査コメントがどんどん長くなったのは、そこにニーズがあったからでしょう。 

 

けっきょく視聴者は、自分が好きなものを識者(?)に肯定してほしいんですよね。だから審査員と同じ意見になれば嬉しい。そうでなければ批判の矛先は審査員に向いてしまいます。なんなら最近のお笑いファンはネタ選びにまで文句を言いますよね。 

 

そんなM1がお笑いか?といわれると複雑ですが。 

 

=+=+=+=+= 

漫才自体は言語だけで成り立って 

いるのではない 

動きやリズム、テンポ、間など複雑に 

絡みあっていて読めるから面白くない 

読めないから面白いは単純だろう 

ご自身で矛盾したことを言っているが 

小島よしおやハンバーグ師匠は 

いわゆる定番で皆んなが期待したことを 

やり人は分かってて笑っている 

M1の魅力は漫才それだけでは無く 

それに関わる人間ドラマにもあるだろう 

何年も下積みをした人間がチャンスを 

掴んだとか新人なのに決勝に残れたとか 

その構造を楽しんでいるファンもいる 

高校野球に近いのが人気の一端でもあると 

思う 

 

=+=+=+=+= 

予想がつくから面白くないとの事ですが、私は面白い漫才って何回見ても面白いんですよね、先がわかっていて予想がついてても。 

 

あと若手などの漫才が面白くないのは、自然体ではなく棒読みが多いからからかなと個人的には思います 

 

=+=+=+=+= 

言語的経験値の低い若い人や幼い人も見るし、その層をターゲットにしたネタもあるので、大衆の言語能力の低さの根拠にはならないと思いましたが。 

 

なんば花月などに行くと若手も替え歌などで高齢者向けのネタをやってますので、テレビゴールデンの漫才を見てうまくネタがつかめないときは、私は自分がテレビのターゲットではなくなったのだなあと思っています。 

 

=+=+=+=+= 

言葉遊びネタで有名な若手漫才師がいます。テレビではまだほとんど見ませんが、配信すればだいたい延長、単独ライブはランキング入りとそれなりに評価されてるコンビ。M-1は準決勝進出が最高で、それをきっかけにフリーから吉本入りしたとか。 

で、彼らのネタは独特なため、熱心なファンがいたりもします。 

 

で、M-1敗退した後に行ったライブに来た自分たちのファンが「M-1つまらないですよね」「センスないよね」って言ってるのを聞いて、悲しくなったそうです。 

 

「(M-1敗退した)俺達だけでなく、俺達のファンもセンスないのかよ……」と。 

 

「自分のセンスこそが正しい」と、大衆が評価するものを否定する人より、「大衆に評価されるものこそがセンスが良い物」と認識しているこの漫才師の方に私は共感しますね。 

 

そもそも、多くの人が良いと言う物を上から目線で否定する人ってのは、ちょっと拗らせた中学二年生みたいですよね。 

 

=+=+=+=+= 

いや、予想外の裏切りは要素のひとつであって、漫才の一番の肝は間とタイミング。 

これが上手ければ予想通りであっても笑える。 

だから練習や舞台の場数が重要なんだと思う。 

 

最初は拙い感じの若手芸人がだんだん面白くなっていくのは、やっぱり場数を踏んでいくから。まぁ、これはお笑いに限らずどんな分野でもそうなのかもしれないけど。 

 

=+=+=+=+= 

結局M1もエンタメでありTVショーであり、M1で優勝できる者が笑いの頂点かと言われると違う。 

笑いのツボは人それぞれ違くて、万人に受ける笑いは絶対ない。 

逆に一定の層にウケる笑いは作り出せる。 

M1で優勝できるネタを準備して、それを披露する、それがM1であり、それを承知で見て、面白いと思うかどうか。それだけだと思う。 

 

=+=+=+=+= 

漫才ではないけど、初期のすべらない話は、何度聞いても同じところで笑ってしまうトークがある。 

 

何回も聞いてるので、話の中身や展開もわかっているけどね。 

 

トークや漫才もそんなもので、同じネタでも何回も聞きたくなる話って、誰しもあると思います。 

 

先が読め過ぎるとつまらないってのもわかるが、本でも映画でも、それだけじゃないですかね。 

 

小島さんとかホリエモンも好きな芸人いるみたいだけど、それだってすでに内容知っていながら、また見たいんじゃないですか。 

 

 

=+=+=+=+= 

ホリエモンの言うことは非常によく分かる。創作したものだから展開が予測できることが多い。まだコントのほうが突飛な発想が多い印象がある。小職は相手の返答の予測がつかないフリートーク番組が好きである。 

 

=+=+=+=+= 

>でもそうしたテクニカルな構造であるがゆえに、言語能力の高い人には漫才師の狙いがわかってしまう。つまり、セリフの続きやオチのパターンがある程度予測できてしまう。漫才の基本構造は、心地よい裏切りだ。ということは先の展開が読める人にとっては裏切り自体が存在しなくなるのだ。だから漫才がおもしろく感じられないのである。 

 

全くその通り。 

お笑い芸人の体験談なんかも「辻褄が合わない」白ける話が多い。 

 

最も白けたのは「運動音痴の芸人」を集めてスポーツをやらせる番組。 

学生時代の体育の時間を通して千人は見てきたであろう人の中で、一人も見たことのない「ケッタイな動き」をする人が、お笑い芸人からわんさかと出てくる不思議。 

 

=+=+=+=+= 

「間」(タイミング)や言い方という繊細な違いがわからない人なんじゃないかな、この人って。全く同じ言葉を使っていても、間が悪かったり、言い方が合っていないとつまらなくなりますよね。そういう、非言語的要素が漫才や演劇、映画やドラマには大きく影響します。そういう部分をうまく認識できないのかもしれないです。いわば、漫才の台本をただ読んでるみたいに聞こえているんじゃないかと。ある意味、総合的な言語能力が低いのかもしれません。 

 

=+=+=+=+= 

正直言ってお笑いは殆ど面白くないと感じているので、全然見ていない。 

なんかの日本一とかいうようなものがあるという時、世間の潮流がどういうものなのかを知識として入れておきたいので、検索してみる程度 

 

それでも面白いと思ったこともない 

 

堀江氏のいう安村さんが世界に通用したと言うのも、正直言って世界のお笑いのレベルが低いと言うこともあると思う 

 

日本のお笑いはいろいろな制限の中で日本の中で通用するようなお笑いだろうが、別の観点から見ればそう言う点では高度なお笑いになっているかもしれない 

 

堀江氏の基準が世界で通用するかどうかで書かれているので、彼の理屈は一応通っている 

 

飯が食えるかどうかと言う基準では世界基準の方が正解なんだろうが、正直言って日本基準も世界基準もどちらも面白いとも思わないな 

 

=+=+=+=+= 

相変わらず他分野に関しては表面的にさらった薄っぺらい分析ですね。 

ちょっと前に漫画はこれからカラーで縦読みが主流になるって豪語してましたがどうなりましたっけ?(もちろん縦読みにも面白い漫画は沢山ある) 

結局その分野の表面で起きてる波の波形みたいなものを知ったかぶりで話すけど海そのものに対する専門知識が無いのを露呈してるだけ。 

 

=+=+=+=+= 

自分たちだけの「自己満足」のようなものを芸と勘違いしている出演者もいて全くもって、笑えない、よく勝ち進んできたなぁと思う出場者もいるが、ホリエモンの指摘している事は自分は賛同しかねる。 

次来る事をわかっていて、「そうそう!それそれ!」と自分の代弁、共感、予定調和、それも漫才の面白さだと思うので。 

 

=+=+=+=+= 

漫才って台詞回しだけじゃなくてコンビのボケ、ツッコミ時の 間 仕草 表情 も笑いを誘う要因の一つではないでしょうか? そして生放送だし緊張と笑いの相互作用も高視聴率に繋がってるんじゃないでしょうか。 

 

=+=+=+=+= 

>実際に、日本の芸で世界に通用しているのは、M-1グランプリでは絶対に評価されないようなネタだ。 

 

落語、漫等等々日本の話芸は日本語の妙味で存在している。漫才も同じ。 

古典落語を英語で行っても面白くならないし英語文化圏の人々に理解されないだろう。 

要するに日本人の言語能力の高さが漫才の面白さも支えているのであり堀江さんの指摘は全く的外れだと思う。 

 

堀江氏は兎に角逆張りの発言にのみ特化しているので本質を理解しない功利主義者だと思う。 

彼の理論からすると落ちが判って聞く古典落語など説明のしようが無いし、MIのネタを心底笑っている漫才師の先輩方も言語能力が低いとなる。 

 

=+=+=+=+= 

自分の言語能力の高さを主張したいのだろうけど、本当に言語能力が高ければただ台本を読んでいるような感想じゃなくて、抑揚とか感情とか間とかそういうのも楽しめるんじゃないですか? 

感覚的なおもしろさは分かんないんですかね。 

ただ「オチが見えちゃうんですよー」じゃなくて、この人がこのトーンでこの間で言うからおもしろいとか、このコンビのコントラストを上手く使ってるなとか、そういう楽しみ方ができないのはかわいそうだなと思いますね。 

伝統芸能とか芸術とかも分からなそう。 

 

=+=+=+=+= 

つまり関西は関東より言語能力が低いということか。新喜劇なんてだれがどんなネタをするかみんなわかっててそれを喜んで見ている。言語能力というより文化の違いだろう。ボケとツッコミというベタなコミュニケーションを好むことが好きな人と言語能力は関係ない気がするけど。まあこの人は要するにm1よりR-1のほうがレベルが高いといいたいのかな。 

 

 

=+=+=+=+= 

茂木さんとか堀江さんとか頭のいい人は笑いとはこういうものだと平気で解説するけど面白さというものは文化や年齢、コミュニティなど様々なもので違ってくるのでそんな簡単に定義出来るものではないと思う。 

間違ってる大きな根拠として茂木さんも堀江さんも全く面白くないもの。 

 

=+=+=+=+= 

M1は若手の大会なので漫才の最高峰というわけではないだろう。M1にはM1の間があり、ゆったりした普通の漫才の面白さとはまた違う。サッカーとフットサルくらい違う。自分も含めおじさんになってくるとM1のような元気のいい漫才ではあまり笑えなくなってくるというのはある。 

 

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エンターテインメントってだいたい、予測できるものが受ける。漫才もそうだ。予測できないものは難解だとして忌避される傾向にある。これは言語能力が高いかどうかではなく、好みとか、心地良さの問題。そもそもホリエモンは安村や小島よしおに心地良さを求めてるだけだろ? コミュニケーションで笑わせるのではなく、勝手におもろいことやってるってのが良いってことやん。比較対象にならん。また、新人のコンビがおもしろくない場合があるっていうのは、予測できるからではなく、予測できないからだ。型から外れると、つまり漫才の文法から外れると笑えなくなる。映画のカメラワークと同じだ。ホリエモンの特徴として1人でしゃべるのは得意だが、対談となると、ケンカするか、ただ聞いているかどっちか。やりとりがおもしろかったためしはほとんどない。そんなことも彼の好みに関係しているのではないか? 

 

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結局のところ単に鈍いだけだと思いますよ、ただそれを認めたくないから屁理屈をコネて逆に感覚が鋭いと言っているだけでは? 

構図概念わかっているのであれば一度ネタを書いてみては?もしくは手っ取り早く同じ構図の「IPPONグランプリ」に出場する事をお勧めします。 

 

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ホリエモンは笑いの構造については理解が深い事はわかった 

だが、M-1のネタを見て「先が読めてしまう」というのは受け入れがたい。本当かそれ? 

 

コンビにもよるが、M-1決勝でやるようなネタはかなりアップテンポで会話を繰り広げていくものが多い。あのスピードの中で「次はこう言うだろうな。どうせこういうオチだな」なんて考えられるか? 

 

そりゃあ文字に起こして国語のテストみたいに「次はなんていうボケがくるでしょうか?」とか聞かれたらある程度は予想ができるかもしれないけど、漫才ってその辺りも考えさせないくらいのスピードで会話が進むし、それもまた技術の一つだ 

 

もちろん漫才は「話芸」なので海外では通用しないだろう 

 

だが、それが芸の優劣をつけるわけではない。少なくとも私は安村やTT兄弟よりもM-1決勝戦の方が笑える 

 

海外向けのネタが日本のお笑いを支える、というのも抽象的で良く分からないな 

 

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ホリエモンの一番好きな芸人は小島よしおとハンバーグ師匠らしい。 

これが一番面白いって思ってる奴にさもそうであるかの如くお笑いを語って欲しくないわ。 

安村やTT兄弟とか例に出しているが、形態模写や考えない笑いが好みで漫才などの思考を少しでも巡らせる笑いはただ単に好きじゃないって事だろ。 

芸人でもないただの一般人がお笑いに警笛を鳴らすとかって何様だよって感じだよ。 

これがもし松ちゃんとか重鎮が言っているのであれば興味深い内容だけどね。 

 

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ホリエモンに漫才の導入を見せてどういう展開になるか当てるゲームをして欲しい。 

フリを見せてどういうボケをしてどういうツッコミがくるかも予想するゲームをして欲しい。 

多分、全然当たらないと思う。 

 

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ピン芸が好きで、海外が受けるネタが優秀!といいたいのはわかった。お笑いなんて見る人によって笑いのツボは違うんだから、そこに能力の高低はいらないんだよなあ。自分が笑えないことをロジカルに話すのもいいけど、小島よしおとハンバーグ師匠の笑いが好き!でいいやん。。 

 

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「M-1は全てのネタが多くの方にとっておもしろいイベント」という前提は間違っていて、おもしろいネタはせいぜい年に2、3個やけどな。おもしろいネタがない年もある。 

 

そして実際にポイントを切り出して、「この後のボケ・ツッコミは何でしょう」の予測クイズをさせてみたい。 

 

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あれこれ考えずに、純粋に漫才を楽しみます。 

そこに論理や分析など、難しいことは不要。 

日頃疲れた頭と体を癒やしたいから、面白いものを見て、単純に笑いたいんだよね。ストレス解消には、お笑いと、泣けるドラマがいい。 

 

 

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言ってることは間違ってないが、お笑いへの理解も浅ければ、見てもないM-1の論評をつらつらと吐いてるので的外れも甚だしい。 

確かに優等生すぎる漫才は、数を見れば見るほど既視感が出てくるのでお笑い好きにはハマりにくい側面はある。 

ただそんなお笑い好きが集まる予選を通り抜けてのM-1決勝なので、そんな型通りの漫才師なんて出てこない。 

ツッコミが追いつかないぐらいの裏切りがあったり、ツッコミ自体が裏切りの役割を果たしていたり、そもそもツッコミが存在しなかったり。 

 

多様なお笑いを理解するつもりも無いくせに、プライドだけ高い人のお笑い論評は聞いてられない。 

 

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言いたいことは分かりますが、受容は出来かねますね。 

オチや展開が読めることは多々ありますが、話し方やその瞬間の空気感はそのお笑い芸人だからこそ具現化できるものであって、 

私はそれを見ながらゲラゲラしてますね。 

まぁ、サイエンス(論理的推論による展開の予想)とアート(その芸人の個性)の話じゃないですか。 

これを言語能力と結びつけてしまうあたり、まさにサイエンス人間らしい思考回路。 

あと、内心「俺ならもっと上手くやれるな」とか思ってたり、他人が注目集めていることに我慢できなかったりなんじゃないんですか。ひねくれてますよ。 

 

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>「ツッコんだ=さっきの発言はボケだった=ここがおもしろいですよ」と観客に示している。笑うポイントをそれとなく教えている 

 

これは確かに当たっている。 

ツッコミが上手いとボケがより引き立つし面白くなる。 

ただボケが上手すぎて笑わせるタイプもいます。(昔のダウンタウンとか) 

 

>小島よしおさんや、スピードワゴンの井戸田潤さんが扮するハンバーグ師匠のネタは大好きだ。 

 

これは単純に好みの問題(自分は面白いとは思わない) 

自分はフリートーク漫才が大好き。 

何気ない会話を聞いてたら面白かった。というスタイルが好きだが、これも好みの問題。 

 

堀江さんって別に笑いの専門家じゃないし、ここまで偉そうに言われても、違和感&嫌味にしか感じない。 

 

笑い=娯楽なので、それぞれ自由でいいのでは? 

 

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漫才はある種の縛りプレイだと思う。 

面白いものを追求すれば漫才では決してない。2人または3人でセットや道具を使わないという制約を課して何処までいけるかという興味はあるが、純粋な面白さでは大したことない。競歩がマラソンより遅いのと同じ理屈。漫才を神聖化している人もいるのが不思議。 

 

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言葉が通じないんだから海外ではそういう系統しかうけないのは当たり前 言語能力が高いのならどんな相手ともしっかりコミュニケーションがとれるからあちこちで揉めたりしないと思うけどね 自分と同じレベルの人間としかわかり合えませんというのでは言語能力が高いとはいえない 

 

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たまにこういう人いるね。 

「皆が好きな〇〇を私が好きになれないのはなぜだろう」と疑問を持ち分析する人。ドラゴンボールの人はちゃんと全巻読み、好きになれない理由を多数挙げて分析していたね。 

翻ってホリエモンは一貫してこれしか言わないね。M-1決勝組限定でも彼の論に当てはまらない芸人は結構いるのに、「オチが読めるから」だけで強引に一般化している。自分の専門分野(例えば「脳科学」)からの独自のアプローチでもない。 

前出のドラゴンボールの人同様、まずは過去映像全部見てから言ってほしい。嫌いなものを長時間見るのは苦痛だろうが、批判や論評というのはそういう仕事ではないだろうか? 

別に専門外の人が批評しても全然構わないとは思うが、好きな人も多いジャンルを頭ごなしに否定するのだから、それなりの説得力がないと。「批判を受ける覚悟」だけでは全然足りないよ。 

 

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笑いのツボは十人十色です。自分に分からない笑いに対して、それを面白いと思う人は言語能力が低いと決めつける方が、偏った考え方じゃないかなぁ。少なくとも言語能力と笑いの嗜好は関連性はないと思いますがね。 

 

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まあ、今のM1グランプリは短い時間の中での目新しさによる瞬発力を競うだけの代物になっているからねぇ。 

私はゆっくり時間をかけたしゃべくり漫才が好きなので最近あまり興味なくなっているのも事実。 

 

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面白いね。まあいってもホリエモンだよ。一定のビジネス感覚等、特殊能力の持ち主であることには間違いないよな。ただそういう人って自分の管轄外の分野には全くはまらない事が多いのよ。どこかの脳科学者もそうだろ(笑) 歴代王者のネタよりハンバーグ師匠なんだよな。その段階で聞く耳持つ必要ゼロだよ。ちなみに安村だけど知り合いの外国人殆ど言ってるわ。あれは腹の出た東洋人がやってるから面白いんだってな。サムライデリカテッセンみたいなもんなんだろうね。 

 

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お笑いは面白くない。昔ドリフ見て笑ったけど、本を読むことが嫌いだったし、当時はテレビが娯楽の中心だった時代であり、他にすることがなかったから仕方なくドリフを見てただけ。そういう惰性的に生きている人が笑うのだと思う。で、大して面白くないのに、会場笑いに釣られて笑うだけ。虚しいだけよ。脳のチャンネルを低俗ではなくて崇高に合わせていると、お笑いを面白く感じなくなるし、面白いと錯覚していた原因もわかる。幼い頃に怖いと思ったお化け屋敷が、大人になるとタネや仕掛けが見えて面白くなくなるのと同じ。ここで言う崇高というのはいわゆる高尚ではない。「人間の義とは」や「芸術とは」等の方向性に追究していくものです。そこに深みのある面白さがあり、ガハハと嘲笑するような面白さはない。 

 

 

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そこまで分析できているのなら言語能力の高い人に鉄板の漫才ネタを1本書いてみて欲しかった。 

まあ個人的には言語能力が低いと言われようが小さなことでも大笑いできる方が幸せだと思います。 

 

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この理論が完全に成立するには「以前見たことあるネタは面白いわけがない」が必須だと思うが、同じネタでも面白いので、一理あっても十分条件ではないと思われる。 

 

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イヤイヤ、さすがにM1決勝まで来るメンツになれば2~3組は完全に読めない「そう来るかw」っていう裏切りで組み立ててくるよ。 

 

8組9組居たらアリ理論じゃないけど当然同じように2~3組は全く想像通りか範疇のボケしてきて全く笑えないってのは確かだけどね、大昔の笑い飯なんかがそうだけど順位に関係なく「面白い漫才」見せてる芸人は何組かは必ず居るよ。 

 

=+=+=+=+= 

堀江さんは、自分が面白いと感じるポイントが皆と共通という仮定のもと「言語能力が低い」と論じていますね。 

しかし、まずはその仮定が正しかどうかを証明しなければ論理は破綻します。 

 

私は「心地よい裏切り」がない「お約束」の漫才でも笑えます。 

 

私には、堀江さんは【「私がつまらないと感じるM-1を多くの人が楽しんでいる」→「楽しんでいる人の能力が低いからだ」】というロジックでこの文を書いたように感じられます。 

 

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これは難しいわ。 

 

「心地よい裏切り」なんて言うと分かった様ではあるけど、そんなこと言ったら、芸術でもスポーツでも何なら学問でも、人が面白いと思う感情は全部そうだ(笑) 

 

もちろん目の肥えた人は、経験値が高くて想定してる範囲が広く、裏切られることが少ないだろうが、それが言語能力なんて大袈裟なものなのかね、よく分からないな。 

 

=+=+=+=+= 

M1の視聴率なんて関西でもせいぜい30%。見てる全てが堀江氏の言う通りで、この視聴率を利用した場合、つまり最大の見積もりですら、全体の30%がそれに該当するだけ。30%をもって「日本人の~」というのは無理がある。 

 

あと「日本の芸で世界に通用している」。これ他にも言う人いるけど、世界に通じることがどれだけ重要なんだろう?言葉・文化を超えるつもりの笑いと、そのつもりがない笑いは必然的に違う。異なるものを比較をして極論を展開するというのは論理力の低さを反映しているんじゃないのかな? 

 

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M-1決勝にいくネタはある程度の世代や生活スタイルの共通認識や感受性が必要な、狙いどころの精度が高いものが多い気がするので、そういったところにいない堀江さんはピンとこないんじゃないかな。私もついていけないネタはあるし。 

 

=+=+=+=+= 

実際に、日本の芸で世界に通用しているのは、M-1グランプリでは絶対に評価されないようなネタだ。 

ゴッドタレントとか見てると外国人って途中で立ったり声上げたり騒いだりで盛り上がり方が日本人と違うから漫才の会話の間とか大事な部分の邪魔になって合わない 

言語能力とか言ってるけど同じ会話でも話す人が違うと受ける方の印象は全然違う、会話を情報としか捉えてないから漫才師の表現の部分無視した意見になってるんじゃないかと思う。 

 

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この人頭はいいけど、笑いのセンスはないと思う。 

論理立てて一見まともな事言ってるようでもやはり畑違いの分野では見当違いの事を言ってる事もある。 

 

例え言語能力が高くても漫才においての次の展開やボケ方の種類など数限りなくあってその全てが自分の予想通り、なんて事があるわけがない。 

結局はホリエモンも言っている通り予想の裏切り度合いの好みの問題であって、観客のレベルが低いだとか自分のレベルが高いからだというのはお笑いというものを根本から分かっていない。 

 

=+=+=+=+= 

意外、ホリエモンも海外ウケに弱いんだ。  

と思ったが、自身の過去の武勇伝が通用して話を聞いてもらえる日本国内での営業を継続するには、日本にケチをつける芸風の維持が必要なんだと思う。 

百田さんみたいになるのも変だからこのまま頑張ってほしいですね。 

 

 

=+=+=+=+= 

意外、ホリエモンも海外ウケに弱いんだ。  

と思ったが、自身の過去の武勇伝が通用して話を聞いてもらえる日本国内での営業を継続するには、日本にケチをつける芸風の維持が必要なんだと思う。 

百田さんみたいになるのも変だからこのまま頑張ってほしいですね。 

 

=+=+=+=+= 

自分はそう思いません 

 

ホリエモンが心地よく裏切ってくれた事が無いし 

好みの問題もあるし 

いちいちM-1グランプリおもんないとか、国民の言語能力が低いとか 

さしたるエビデンスも無く語られてもなぁ 

 

結構良いこと言うなぁと思うことあるが、外す時は凄まじく外す人だと思う 

 

=+=+=+=+= 

まあ実際、子どもの頃は漫才で笑えたのに大人になってから笑えなくなったということがあるな。同じ漫才師で最初は笑えたのに二回目三回目以降は違うネタでも笑えないとか。ミルクボーイやウエストランドは優勝ネタは面白かったが最近は飽きてしまった。 

 

=+=+=+=+= 

漫才は間合いとアドリブだと思う。基本台本通りだからね。また、安村さんとかハンバーグ師匠は漫才じゃないからね。独自のピンネタで、一応はお笑いのカテゴリーだけど、本質は大道芸だと思う。 

 

=+=+=+=+= 

確かにそうかもしれない。高校の頃はM-1などのネタも面白かった。最近は、真空ジェシカとかランジャタイとかで大笑いしてしまう。大人になったはずなのに、幼稚だと思ってた笑いで笑ってしまうのは、実はこれが原因かもしれない。 

 

=+=+=+=+= 

お笑いファンなら当たり前の「オチが読めたら笑えない」論をよくもここまで冗長に語れるものだ。だからこそ常連組の評価は下り坂になるし、新しく知名度のないコンビが爆発したりする。それこそがM-1なのに、一般的なお笑い論を持ち出されても世の中の裏側に気づいちゃった中学生みたいだなあという感想しかない。 

 

そもそもM-1は「4分間の超高速競技漫才」という特殊性を持つ。あのハイテンポの中で、次のオチを即座に予測して笑うよりも前に冷めてしまうなんて、さぞかし頭の回転がお速いこと。回転させるのに必死でまともにネタなんて聞けてないんじゃないかと思うぐらい。M-1決勝レベルの漫才脳をお持ちなのであれば、作家として漫才師にネタのヒントでもお与えになってはいかがだろうか。 

 

=+=+=+=+= 

この記事とか他のお笑いに関する記事読んで思うのが、何故そんな分析したがるんだろ?。M-1でも言ってる通り、その日一番おもしろいコンビが勝ちなだけで、それだけなんだけどね。見せ算が話題になった時も、賢い人らが見せ算を分析したり…いやいやそんなんいらんねん。年々、こうでないと!とか分析とか難しく考えすぎてる気がする。 

 

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これ、M-1グランプリの批判ではなくて、漫才そのものへの批判よなあ。 

そもそもホリエモンは漫才の番組見てるんか? 

 

トップクラスの漫才コンビは、先のオチが予測できるネタなんかやってないと思うけどなあ。 

いくつか読めるオチもあるが、それは、次の大オチに繋げるフリであることが多い。ホリエモンはそれのことを勘違いしてるんじゃないかねえ。 

 

ホリエモンにオチが読めるほどの笑いのセンスがあるとは思えない。 

 

=+=+=+=+= 

面白い漫才は何回見ても面白いし、予想ができるからこそ面白いよー! 

言い方、間のとり方、やっぱ漫才師は凄い。 

 

堀江さん好きなのに、M-1に噛み付かれて悲しい。 

とにかく明るい安村とM-1戦士は、戦うフィールドが違うんですよっ。 

私はゴットタレントに出てる人たちの方が全然笑えない。興覚めする。 

 

=+=+=+=+= 

言語能力の低さというのなら言語能力の高い自分なら高度な漫才ができるということなので、堀江氏には一度でいいので、そこまで言い切った言語能力の高い漫才をやっていただきたい。余裕だろ。それと、話の後半で結局自分の好みの問題と言っているところが説得力にかける。 

 

 

=+=+=+=+= 

そういう意味では、笑わせに行ってないのに天然で面白いというのが、一番面白いのだが、それには再現性がない。 

笑わせに行ってるものは、完全な予測不能にはならないから、言語能力とは別に笑いにくいこともある。 

言葉遊び以外でも、ザコシとか普通に笑っちゃうけどな。 

 

=+=+=+=+= 

堀江には漫才の本質がわかってないようだ 

きっと芸人がこの記事を読んでもまったく共感できないと思う 

小島よしおや井戸田潤のような一発芸が好みと言ってるが 

あれは漫才ではない 

堀江がM-1をどう思おうが、今後も大衆には受け入れられるでしょう 

 

=+=+=+=+= 

セカンドを観て皆わかったんじゃないの? 

10年前後の若手や、TVを主戦場として舞台に立たなくなったベテランより、10年以上、舞台に立ち続けているベテランの方が面白い。 

TVにあまりでないし、出ても地方ローカルだから、視聴者は誰?となるが、場数を踏んだ確かな話芸がそこにある。 

 

=+=+=+=+= 

堀江貴文は猫ひろしを面白いと言っていたくらいのお笑いセンスだから、M-1を見ても面白さを理解できないんでしょうね。 

「竹中平蔵さんの素晴らしさを日本人が理解できないのは意味不明」と言っていたのもあり、色々と感覚がズレてる人のイメージしかないです。 

 

=+=+=+=+= 

ホリエモンの言ってることも分からなくはないけどさ。ある程度の展開やオチが予測出来たとしても、そこまでのテンポやリズムだったり間だったりむしろ心地よく観客を笑わせることのほうが漫才師としての力量なんじゃないの。まあ、自分の場合はそこまで斜に構えて観てないから予測出来たとしても面白かったら素直に笑っちゃうけどね。 

日本人の言語能力の低さが云々はあまり関係ない気がするね。 

 

=+=+=+=+= 

裏切りだけではなくて、あるあるのパターンとか、ボケが正論でツッコミが暴論になるような入れ替わりのテクニックとか色々ある。 

 

あのレベルの漫才が笑えないって人の答えとしては共感力が低いだけだよ。欠如してると言っていいくらいに。 

 

=+=+=+=+= 

そもそも笑いの感性は人それぞれなのに順位を決める必要があるのか? 

という議論は前からある。しかも結局は審査員の好みで一般人には理解し難い(?)テクニックなどの話に。そうなると視聴者は次第に置いてきぼりになる。 

だが結局はその視聴率が良いから無くならないし、けしかける。現実にはジャニーズ同様事務所のゴリ押し番組な感は否めないのだが。 

日本の言語能力の低さはお笑い番組だけではなくテレビ全般に渡っている。ニュースなどでも難しい言葉は用いなくなった。 

みんな小学校しか出ていないと思っているのだろう。 

 

=+=+=+=+= 

年齢によるよ。 

 

頭が柔らかくて、箸が転がっても笑える年齢と、 

ドリフターズが面白い年齢には40ぐらい開きがある。 

 

それに、英語が聞けるからと、アメリカンジョークが面白いとは限らない。 

 

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堀江さんがM-1で笑えないのは、言語能力が高いからではない。 

予備知識がM-1の視聴者と違うからだ。 

 

「予想を裏切る」というからには、前提として必ず予想が存在する。 

漫才師は観客の最大公約数が持つ知識を前提にネタを作るのだが、観客の知識を予想として利用し、それを裏切るポケを考えるわけだ。 

特にM-1はテレビ番組なので、テレビにまつわるネタが多用される。 

 

堀江さんにはこういった予備知識がない。 

彼らがテレビを観たり映画を観たり漫画を読んだり音楽を聴いたりする間に、堀江さんはビジネス書を読んだり富裕層の友達と会話をしている。 

漫才の前提となる知識が不足しているのだ。 

小島よしおやハンバーグ師匠の笑いは裏切りの笑いではなく、安心の笑いだ。 

最終的には同じところへ帰ってくるので、知識がなくても笑える。 

アメリカの笑いも、多様な価値観がベースにあるので、知識の前提を必要としないものが好まれる。 

 

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まあ堀江さんみたいなハイレベルな人向けには作ってないんだと思います 

堀江さんはあえて上から目線でこういうの書いて反感買いながらも注目してもらいたいって人ですよね 

まあ堀江さんの芸風ですね 

 

 

 
 

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