( 226551 )  2024/10/26 15:35:42  
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「悠仁さま東大進学説」を陰謀論だと言い切るのは早計だ Photo:JIJI 

 

● 皇室特権であろうがなかろうが 悠仁さまは東大を目指す 

 

 秋篠宮家が「皇室特権」を使って悠仁さまを東京大学へねじ込もうとしている――。ちょっと前、ネットやSNSで拡散された、いわゆる「陰謀論」のひとつだ。 

 

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 今年8月、オンライン署名サイト「Change.org」に『悠仁様が東大の推薦入試を悪用し、将来の天皇として「特別扱い」で入学されることは象徴天皇制を根底から揺るがすこととなるため反対します』という呼びかけがなされ、1万2000票もの署名が集まったと話題になったので、ご存じの方も多いかもしれない。 

 

 署名騒動後、この「陰謀論」は収束した。「根も葉もない憶測だけで受験生を追いつめるのはいかがなものか」「東大の推薦入試はそんな甘いもんじゃない。大学受験をしたことがない人がイメージだけで騒いでいるのでは?」などの批判が寄せられたのだ。 

 

 しかし、ここにきて「陰謀論」がまた復活してしまった。筑波大学のアドミッションセンター入試(AC入試)の第2次選考に、悠仁さまの姿がなかったからだ。 

 

 筑波大学は一部メディアや皇室ジャーナリストから悠仁さまの進学先の「本命」とされていた。附属校に通っていることや、悠仁様が長年続けてきたトンボ研究の環境が整っていることから、生物学類のAC入試を受験するという話がまことしやかにささやかれていたのである。 

 

 そんな「本命」が消えたことで再び「東大推薦入試」が注目されてしまったのである。ただ、そこは宮内庁もある程度、予想をしていたようだ。「皇室特権」というネガイメージを打ち消す“カウンター”なのか、メディアにはこんな情報が流れている。 

 

 「悠仁さまは他の受験生と同様に一般入試で東大を目指すのではないか」 

 

 確かに、一般入試で東大に入れば誰も文句はない(それでも不正があったと騒ぐ人は一定数いるだろうが)。また、もし仮に不合格になって浪人生活を送ろうとも、それはそれで「ああ、やっぱり皇室特権なんてガセなのね」という陰謀論の打ち消しとなる。 

 

 このような東大ガチ受験説が流れている背景には、ネットやSNSで「悠仁さまの東大入学を強く望んでいる」と言われている母・秋篠宮紀子さまへの「攻撃」を宮内庁が和らげる目的といううがった見方もある。 

 

 9月11日、58歳の誕生日を紀子さまは、宮内庁記者会においてネットのバッシングについてどう思うのかという質問に対して、このように回答をされた。 

 

 「私たち家族がこうした状況に直面したときには、心穏やかに過ごすことが難しく、思い悩むことがあります」 

 

 娘の小室眞子さんの婚約時から、この家族がすさまじい言葉の暴力にさらされてきたのはご存じの通りだ。せめて長男の大学受験くらいは静かな環境で過ごさせてあげたい、という宮内庁の配慮があったのではないかというのである。 

 

 という話をすると、アンチ秋篠宮家の方は「学力もないくせに分相応に東大などを目指すからだ!」「そもそも未来の天皇陛下が東大を目指す必要など皆無!それよりも人間性や教養をしっかりと学んでいただきたい」などと厳しい声が飛んでくる。 

 

 お気持ちはよくわかる。しかし、どんな家庭にも外部の者にはわからない、それぞれの事情があるものだ。歴史を冷静に振り返れば、秋篠宮家の跡取りである悠仁さまが「東大一直線」になってしまう、それなりの理由が見えてくる。それは大きく分けると以下の3つだ。 

 

 

 1.昭和天皇から続く「生物学者の系譜」 

2.「山階芳麿の後継者」という自負 

3.母方・川嶋家の東大卒DNA 

 

 あまり知られていないが、日本の皇室は「生物学者」という顔を持っているのが「王道パターン」だ。 

 

 昭和天皇は生涯をわたって標本収集をしていたが、中でもライフワークだった変形菌類、植物、クラゲやイソギンチャクなどヒドロ虫類の研究では、多くの論文を発表している。 

 

 平成天皇も公務の合間に、ハゼ類を研究していた。日本魚類学会の会員としてこちらも同学会誌に多くの論文を発表している。 

 

 秋篠宮殿下も学生時代にナマズ研究を始めてから生物学の世界に魅了され、学習院大学卒業後にオックスフォード大学大学院で動物科を専攻。そのあと戦後の皇族で初の博士号(理学博士)をとっている。 

 

 ちなみに今上天皇は学習院大学文学部史学科を経て、オックスフォード大学で18世紀の水運について研究した「歴史学者」である。実はこれは天皇としてかなり「異端」なことだった。 

 

 1976年11月、昭和天皇は記者会見で、「ヨーロッパ中世や第一次世界大戦の戦後史など政治史に興味があったが、歴史を深く研究するといろいろ人に利用される恐れがあることなどから、生物学を選んだ」と述べているように、戦前の皇族が「歴史研究」をすることを危険ととらえる人が周囲にいたのである。 

 

 話を戻そう。曽祖父、祖父、そして父が生涯をかけて生物学研究に取り組んでみなそれぞれ各分野で論文を発表して、生物学の進歩に貢献しているような一族の4代目が、自然と同じ道を志す、というのは容易に想像できよう。政治家でも医師の世界でも「4世」などちっとも珍しくないではないか。 

 

 そう聞くと、「いやいや、だからといってわざわざ東大を目指さなくていいのでは? これまでの天皇のように公務をしながら好きな分野の研究すればいいわけだし」という意見があるだろうが、「これまでの皇室の常識にとらわれない自由な子育て」を掲げる秋篠宮家にとっては、「大きなお世話」だ。我が子が東大を志すというのなら、前例など無視して全力で支えるだろう。そこに加えて、秋篠宮殿下には生物学の道を選んだ我が子に、最高の環境を提供しなくてはいけないという強い「モチベーション」もある。 

 

 それが2の「山階芳麿の後継者」という自負である。 

 

 

 この人物は昭和天皇の従兄弟にあたる旧皇族なのだが、実は「皇族生物学者の先駆者」というもうひとつ別の顔も持っているのだ。 

 

 学習院中等科、陸軍士官学校に入った山階芳麿は1929年、東京帝国大学理学部動物学科で学んだ後、自宅の山階侯爵邸内に「山階家鳥類標本館」を設立。鳥類の研究に取り組んで、北海道大学から理学博士号を授与されている。この標本館が1942年、現在も続く「山階鳥類研究所」のルーツだ。 

 

 そんな山階博士から「皇族生物学者」のバトンを受け継いだのが、秋篠宮殿下であることは、あまり知られていない。 

 

 戦後、鳥類研究の分野で国内外から高く評価されていた山階博士は亡くなる3年前、「山階鳥類研究所」の総裁に、弱冠20歳の若者を迎える。 

 

 そう、この当時、学習院大学法学部政治学科2年に在籍していた礼宮こと、秋篠宮殿下である。自然文化研究会というサークル活動をしていた礼宮は1986年、山階鳥類研究所の総裁に就任する。実はこれが秋篠宮殿下の最初にして最長の公職である。 

 

 ご存じのように、皇室の方々はさまざまな団体の「総裁」についているが当然、多忙を極めるがゆえ、その多くは「名誉職」に過ぎない。しかし、秋篠宮殿下が1986年から現在まで38年にわたって総裁を務めている、この山階鳥類研究所は「別格」だ。式典参加はもちろんのこと、月1回のオンライン会議も参加している、という報道もあるほど力の入れようだ。 

 

 これは秋篠宮殿下がご自身を、「山階博士の後継者」という自覚ゆえのことではないか、と個人的に思っている。 

 

 秋篠宮殿下は野鶏が人に飼いならされて改良され、ニワトリとなった過程について数々の論文を発表、理学博士号を持っている。これは山階博士が戦後、文科省から委託を受けて取り組んだ「ニワトリの増殖」や、肉質のいいニワトリの品種改良などの研究を、引き継いでいるようにも見えなくない。 

 

 このような関係性ならば秋篠宮殿下も当然、山階博士が学んだ「東大」を目指す。悠仁さまがお生まれになった翌年の2008年、秋篠宮殿下は東京大学総合研究博物館で特招研究員を2年務められ、山階鳥類研究所との共同研究「生き物の文化誌」を進めた。 

 

 

 ちなみに、2016年になると長女の眞子さんも同じく東京大学総合研究博物館特任研究員に就任する。前年まで、留学していた英国レスター大大学院で博物館学の修士学位を取得していたからだ。 

 

 20歳から本格的に生物学の世界に入った秋篠宮殿下からすれば、同じく生物学の世界を志す子どもに早いうちから「一流のアカデミズム」で学ばさせたいと思うのは親として当然だろう。しかも、それは自分自身や親はかなわなかったことだ。 

 

 上皇さまも秋篠宮殿下も昭和天皇の影響もあって幼い頃から、生物学に興味を持っていたが「皇室は学習院」という慣例に従い、学習院大学法学部に進学している。もちろん、ここで学べたこともたくさんあるだろうが、両者が生涯をかけて取り組みたいという学問ではない。「息子には自分や父と同じようなまわり道をさせたくない」と思うのは、自然の感情だ。 

 

 このような父の思いに加えて、母である紀子様の「東大」への好意的な思いもあるというのは容易に想像できる。それが3の「母方・川嶋家の東大卒DNA」である。 

 

 秋篠宮殿下と学習院大学在学中に出会ったということで、学習院イメージが強いが実は川嶋家は代々、東大卒だ。 

 

 紀子様の祖父、川嶋孝彦氏は佐賀中学から一高、東京帝国大学法学部に進んだ学歴エリートで、内務省に入省。内閣官房総務課長を務め、最終キャリアは内閣統計局長だ。その息子である川嶋辰彦氏は、都立戸山高校から東京大学経済学部に入学、大学院を経て米ペンシルベニア大に留学して博士号をとっている。 

 

 祖父も父も東大を経て成功をおさめてきたわけだから、我が子の幸せを願う母親としては、同じように東大を経た人生を歩んでもらいたいと思うのは当然ではないか。実際、名家や旧家では「東大卒や医学部が当たり前」なんて話は珍しくない。そこにはもちろん「世間体」もあるが、子どもを同じような成功ルートにのっけてあげたいという親心もあるのではないか。 

 

 歴史の観点から秋篠宮家と東大の関係性を見てきたが、最後に個人的な感想を言わせていただくと、国民に寄り添う素晴らしい天皇になることに、あまりどこの大学とかは関係ないのではないかと思う。 

 

 

 
 

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