( 227476 ) 2024/10/28 17:35:04 0 00 2012年の反日デモの様子。現在も反日投稿が相次ぐ(写真:AP/アフロ)
新聞社で10年ちょっと働き、未婚で息子を出産。日常生活に疲弊を感じ、追い詰められる中で息子とともに日本を飛び出すことを決断した、経済ジャーナリストの浦上早苗さん。向かった先の中国での日々や出会った人々との交流を記録した『崖っぷち母子、仕事と子育てに詰んで中国へ飛ぶ』を上梓した浦上さんが、中国での反日感情を巡る問題を語ります。
【写真】2012年の尖閣諸島領有を巡るデモでは一部が暴徒化。スーパーも被害に遭う
■中国での反日教育のリアルな状況
深センの日本人小学校児童の殺害事件を機に、中国人の反日感情について聞かれることが増えた。
筆者は中国の大学院に留学し、その後別の大学で教鞭を執った。その間、小学生の息子を現地の小学校に通わせていた。
広大な国土に、日本の10倍の人口が暮らし、省が違うだけで文化や発展度合いがまったく異なる中国全体の反日感情を語ることは難しいが、中国の教育現場にさまざまな立場で身を置いた一個人の経験から、反日教育や反日感情のリアルな状況を紹介したい。
中国政府が「反日教育」をカリキュラムとして実施しているという話は聞いたことがない。とはいうものの、日中戦争(中国では「抗日戦争」と呼ばれる)は小学校低学年の授業で取り上げられる。
国語だったか道徳だったか、息子の小1の教科書に日本軍と戦った八路軍の英雄物語が掲載され、「日本軍を追い返したぞ」と喜ぶ人民たちの挿絵が添えられていた。ただ、日本軍が中国を侵略したのは史実だし、日中戦争は中華人民共和国の建国と切っても切り離せない歴史の1ページだけに、教科書で取り上げること自体は理解できた。
深セン日本人学校の事件が起きた9月18日は、旧日本軍が南満州鉄道の一部を爆破し、満州事変の発端となった柳条湖事件の発生日と重なった。中国で「国恥日」と呼ばれるこの日は、筆者や息子の通学路にある建物の電光掲示板に「918を忘れるな」とサインが流れていた。
テレビをつければ八路軍が日本兵と戦う「抗日ドラマ」がしょっちゅう放送されている。中国に住み始めたときは「日本軍への敵意はこんなに強いのか」とおののいた。
■国に貢献したい一方でアニメが好き
ただ中国生活に慣れてくると、別の側面も見えるようになった。
抗日ドラマは日本の「時代劇」のようなジャンルとして定着しているだけでなく、コメディありカンフーあり、果ては日本兵と中国人将校の恋愛ありと、史実から完全に離れてエンタメ化していた。
そして若者は抗日ドラマではなく、日本のアニメやドラマを通じて日本のイメージを形成している。筆者が日本語を教えていた大学では、学生がECサイトで日本の制服風の上下をクラス全員分購入し写真撮影をしていたし、日本でアニメや映画の舞台を巡る聖地巡礼が大流行した。
人民解放軍に入って国に貢献したいと夢を語る男子学生は、アニメ『進撃の巨人』の「心臓を捧げよ」ポーズをしてみせた。
中国の国際的な存在感が高まる中で成長した今の20~30代は、母国に誇りを持つ愛国者が多い。だからといって、共産党を信仰しているわけでもない。
大学時代に努力して共産党員になった30代の女性は「就職に有利と言われていたし、親も『大きなチャンスをもらえた』と喜んだので党員になった。でも実際にはメリットがなくて、党員になるために費やした時間がもったいなかった。共産党を嫌いというわけではないが、特段の感情がない」と淡々と話した。(過去記事:「共産党100周年」中国の若者達が語る党への本音)
選挙権がないから政治は他人事だ。日本に対しても旅行先、留学先、転職先というように、自分の人生を豊かにするための選択肢の1つとして捉えている。
若者に限らず今の50歳くらいまでの中国人は超現実主義で、何事も進学や就職、昇進・昇給にプラスになるかに基づいて判断する。
筆者が中国の博士課程に在籍していた2010年代前半、共産党の思想の基盤にもなっているマルクス主義に関する必修科目がそれまでの倍に増えた。授業を担当する教員は「最近資本主義がはびこっているから、政府の方針で基本思想の教育を強化することになった」と説明した。
だが、政府が思想教育に躍起になっても現場ではあっという間に骨抜きにされる。筆者が期末のレポートに四苦八苦していると、中国人の同級生が「マルクスは中学生のときからやっているから対策はばっちり」と、レポートのテンプレートがぎっしり詰まったUSBを貸してくれた。「共産党宣言が短いからお勧めだよ。資本論は長いからやめたほうがいい」と言い添えて。
■尖閣問題のさなかに日本語の授業
2012年には尖閣諸島の領有権を巡って日中関係が悪化し、成都で大規模な反日デモが発生した。
その頃筆者は、息子が通っていた現地小学校の校長から、総合学習の時間に日本語クラスを開いてほしいと依頼された。
日中関係が緊張し、「日本人と分かったらタクシーで乗車拒否される」という噂も流れていた時期なので、日本語なんか教えたら保護者から苦情が来るのではと心配したが杞憂だった。息子の担任教師には、「あなたが授業を代わってくれるから、その時間に自分のやりたいことができる」と感謝された。
同じころ、警察に引っ越しの届け出に行くと、女性警察官に「尖閣問題をどう考えているか」と聞かれた。「国と国はいろいろ問題があるけど、私は中国人の友人とうまくやっているし、政治のことは気にせずやるべきことをやるしかない」と答えたら、警察官は頷きながらパスポートを返してくれた。
国同士の関係がどうであっても、生活に特段の変化はなかった(尖閣諸島のごたごたのときは、日本語を大声で話さないように多少は構えたものの)。
そんな話を中国で暮らした経験がある人にすると、「大連は特殊だからね」と返ってくることがある。
筆者が生活していた大連は日本企業が集積し、非常に親日的な都市として知られる。外にいるときに急に雨が降ってきて息子と2人で雨宿りをしていると、隣に立っていた知らない女性がタクシーを止めて「方向が一緒なら乗ってください」と同乗させてくれたこともあった。
その女性は運転手に「この人日本人だから、タクシーを自分で捕まえられないと思って、見るに見かねて声を掛けたのよ。子ども連れだしね」と話していた。
■反日感情は個人による
たしかに大連は特殊かもしれないが、結局は反日感情は個人によるとしか言いようがない。
親日都市の大連にだって「日本人お断り」と垂れ幕を掲げたレストランがあったし、「犬と日本人は近づくな」というサインをつけたバイクに遭遇したこともある。
東日本大震災が起きたときは、息子の学校の保護者が参加するグループチャットに不謹慎な書き込みをする人もいた。
東京電力が昨年8月に福島第1原発の処理水放出に踏み切ったとき、どこで会ったかも覚えていない中国人から「お前は汚染水放出について何も思わないのか」とメッセージが来た。
それでも、筆者は中国人からリアルに敵意を向けられたことはほとんどない。むしろ2010年代後半の訪日旅行大ブーム以降は、プロパガンダに影響されず、自身の経験を基に日本を語る中国人が増えていると感じることが多い。
昨年、四川省の奥地でタクシーに乗ったとき、運転手が「5年前に日本に旅行して富士山を見た」というので、こんな地域に住むタクシー運転手も日本に遊びに行く時代になったのか、と感慨深かった。チベットに隣接するそのエリアは、日本に行くにも飛行機で6時間ほどかかり、東南アジアの方が圧倒的に近いからだ。
日本人学校の児童が襲撃される事件が相次ぎ、中国に関わる日本人は普段可視化されない猛烈な敵意・悪意を認識し、衝撃を受けている。筆者もその1人だ。SNSの反日・嫌日投稿が事件の引き金になったとの説もささやかれている。
日本での生活が長いある中国人女性は、「SNSに反日投稿をする人の相当数は、注目を集めるためにやっているのでは」と語る。
この女性は2010年代前半から後半にかけて、中国メディアの日本語版の運営に従事していた。当初は中国の国営メディアと配信契約を結び、政治経済記事を翻訳して公開していたが、ヤフーニュースなどのプラットフォームに記事を配信するようになると、「中国の民度ヤバい」といった中国人や共産党を嘲笑・否定する記事のアクセスが伸びることに気づき、「嫌中」「反中」コンテンツの量産に傾斜していった。
それだけでは収まらず「嫌韓」「反韓」にも手を伸ばし、配信した記事がヤフーニュースのコメントやSNSで荒れるほど、トラフィックが流入し、多くの広告収入を得ることができた。
■対立を煽ることがメディアの利益に
女性は「対立を煽ることが運営するメディアの利益になった。SNSで反日コンテンツを発信する人の多くは承認欲求を満たしたり、ストレスを発散したり、何らかの利益を得たいと考えているのではないか」と推測し、こう付け加えた。
「発信するほうは政治的意図なくやっているけど、そういう発信に影響されて日本への敵意を強める人はいるだろうね。私たちは嫌中、嫌韓コンテンツをたくさん配信してSNSのフォロワーも獲得したが、ある時プラットフォーマーに『有害な影響を与える恐れがある』と配信契約を切られ、メディアとして立ち行かなくなった。社長も私も今は別の仕事をしている」
浦上 早苗 :経済ジャーナリスト
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