( 228448 ) 2024/10/31 02:17:13 2 00 「クマがかわいそうだから殺すな」と抗議するのと同じ…クジラが「海の靖国問題」と呼ばれるようになった背景プレジデントオンライン 10/30(水) 18:17 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/ff87c6da60cc4f9585533ed133efe171db451783 |
( 228451 ) 2024/10/31 02:17:13 0 00 古式捕鯨蒔絵(太地町くじらの博物館所蔵)(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
捕鯨をめぐる議論は、擁護派と反対派の意見が平行線をたどっている。一橋大学大学院の赤嶺淳教授は「擁護派は捕鯨を『日本の文化だから』と主張し、反対派は存在しない『スーパーホエール』論を振りかざしている。交わらない捕鯨をめぐる議論には大事な視点が抜け落ちてしまっている」という。18年にわたり捕鯨現場を取材し『鯨鯢の鰓にかく 商業捕鯨再起への航跡』(小学館)を書いたノンフィクションライターの山川徹さんが聞いた――。
【写真】2024年8月3日、約100人の人々がレンヌに集まり、シーシェパードの創設者ポール・ワトソンの釈放を要求
■捕鯨は「日本文化」ではない
――捕鯨論争でひんぱんに耳にするのが、捕鯨を容認する側の「捕鯨は日本文化だから継続すべき」と考え方です。
意外に感じる人が多いかもしれませんが、捕鯨が日本文化と語られるようになったのは、ここ30年程度です。
確かに、日本では江戸時代から捕鯨を続けていました。しかし捕鯨を行っていたのは、和歌山県の太地町や、千葉県房総半島南部、高知県、九州北部から山口県などのごく限られた地域でした。正確には、捕鯨や鯨食は、日本文化というよりも、地域文化、もしくは地場産業です。「全国民的な日本文化」とは決して言えません。
その意味では、江戸時代から捕鯨を続けてきた地域には、捕鯨や鯨食は伝統文化として根付いていると言えるでしょう。
では、戦中の中断を挟みながらも、1934年から2018年まで南極海に船団を送り込んで続けた母船式捕鯨は日本文化と言えるのか。
江戸時代から続いた古式捕鯨とは異なり、南極海での商業捕鯨は長く見積もっても90年ほどの歴史しかない経済行為です。あるいは32年続いた調査捕鯨は水産庁の主導で実施されました。日本沿岸で行われてきた捕鯨と南極海での大規模な母船式捕鯨を一緒にして、日本文化と語るにはムリがあるのではないでしょうか。
■「日本は鯨をキレイに使ってきた」わけではない
日本文化論の最たるものが「欧米人は油だけ取って肉を捨てたが、日本人はクジラを余すところなく利用してきた」という誇張された言説です。
しかし現実には、日本が戦前に行った南極海での捕鯨では、欧米と同様、鯨油の生産が重視され、鯨肉の一部を捨てていました。
また、1980年代になると鯨類の生息数の減少が国際問題になり、商業捕鯨の継続ができなくなりました。そこで日本は、商業捕鯨の再開を目指して、鯨類の生態や生息数を確認するための調査捕鯨に舵を切ります。
当初、調査捕鯨では鯨体をすべて利用しなければならない決まりになっていましたが、やがて鯨油などの原料になる骨などの部位は捨てるようになりました。海の汚染を防ぐマルポール条約によって加熱などの処理をした部位の投棄が禁じられたからです。令和になり、日本のEEZ内で行われる商業捕鯨でも、在庫の調整のために内臓など需要が少ない部位を捨てています。
――調査捕鯨時代の2000年代、反捕鯨団体が、捕鯨船から鯨体の一部を投棄される写真を示して「クジラをムダにしている。日本はまたルール違反をしている」と批判していました。
捕鯨論争は、建設的な意見交換と言うよりも、批判のための批判になっていましたからね。2000年代だとすれば、マルポール条約が発効したあとですから鯨骨などは加工せずに捨てなければならなかったはずです。
■反対派が作り上げた「スーパー・ホエール」
――容認派は捕鯨を「日本文化」と主張し、捕鯨に反対する人たちは「クジラは特別な動物だから保護しなければ」と訴えます。しかしクジラと一括りに言っても、90近くの種が存在します。多様な人間とのかかわり方、さまざまな特徴を持つ種がいるのに、捕るか、護るか、と問題が抽象化されている気がします。
とくに捕鯨に反対する人たちは、クジラを「The Whale」と単数で語る傾向にあります。「クジラは世界最大の動物であり、大きな脳を持つ。人なつっこくて、歌を歌いもする。そんなクジラが人間によって脅かされている」と。
しかしこの特徴をすべて兼ね備えた種のクジラは存在しません。世界最大の動物はシロナガスクジラで、大きな脳を持つのはマッコウクジラです。人なつっこいのはコククジラで、歌うとされているのはザトウクジラ。絶滅に瀕しているのは、セミクジラです。
独り歩きしてしまった架空のクジラ像は、1990年代初頭にノルウェーの人類学者・アルネ・カッランが、反捕鯨の主張を否定するために提唱した「スーパー・ホエール」という概念です。
実際に数が回復して、持続的に利用できる種がいたとしても「スーパー・ホエール」だからすべての鯨類は捕っていけないという理屈になる。
その点を踏まえれば、捕鯨や鯨食の地域性や、鯨類と住民とのかかわりの多様さを無視し、なんでもかんでも日本文化に落とし込んで単純化させる言説は「逆スーパー・ホエール」とも言える現象かもしれません。
■捕鯨が「海の靖国問題」になってしまった
――南極海の捕鯨まで日本文化に含まれてしまった背景にはどんな事情があるのですか?
私は、反捕鯨国の主張や、シーシェパードなどの反捕鯨団体の抗議活動に対するカウンターパンチだと考えています。
1990年代前半、南極海での商業捕鯨が再開される可能性がありました。しかしIWC(国際捕鯨委員会)で、反捕鯨国に反対され、再開は頓挫してしまいます。そんななか日本の捕鯨を正当化する言説として「捕鯨文化論」が登場しました。いろんな偶発性が重なったものと考えていますが、1980年代に危機をいだいた関係者が、広告代理店などを巻き込んで鯨食文化を喧伝していたことも少なからず影響しているはずです。
日本は、国際世論や反捕鯨陣営に対抗するために、反論しにくい「文化」を持ち出したわけです。その結果、日本各地に点在していたいくつもの小さな捕鯨文化や、太地や和田浦の歴史が覆い隠されて、ないがしろにされてしまったのではないかと感じます。
たとえば、和田浦ではツチクジラという種類を捕獲しますが、ツチクジラ漁と南極海の捕鯨はなんの関連性もない。鯨肉を食べるという共通点だけで、果たして日本の捕鯨文化とひとまとめに語っていいのか。
文化と位置づけてしまうと、捕鯨がひとつの産業として社会にどれだけ資するのか、どんな問題を抱えているのか、検証する機会が奪われてしまいます。一方で捕鯨反対派は「スーパー・ホエール」だから捕鯨はダメだと譲らない。
交わることがない議論が延々と続き、一般の人は触らぬ神に祟りなし、と捕鯨に対して関心を失ってしまった。ある反捕鯨の識者が、捕鯨問題を「海の靖国」と評しました。靖国神社も、戦争責任や歴史認識の問題、諸外国への配慮などいくつもの問題が複雑に絡まり合っています。反捕鯨の識者と私とでは、捕鯨に関する考え方は異なりますが、「海の靖国」は言い得て妙だなと感じました。
■捕鯨と食料安全保障
――2019年に日本はIWCを脱退し、日本のEEZ内で商業捕鯨を再開しました。令和のいま、捕鯨を続ける意味や意義をどうお考えですか?
私はこの夏にデンマークのフェロー諸島で、400年続くヒレナガゴンドウという鯨類の追い込み漁を調査してきました。日本の捕鯨同様、シーシェパードからの妨害活動に遭うなど批判にさらされています。
批判や反対する人の主張は、次の3つ。これは日本の捕鯨や、太地で行われる追い込み漁への批判と同じです。
1つ目が、スーパーなどには十分な食料があるのだから、クジラを捕る必要がないこと。
2つ目が、残酷で非文明的なこと。
3つ目が、食物連鎖の頂点に立つクジラには水銀が蓄積するから健康被害の恐れがあること。
反発を受けながらも、なぜ、フェロー諸島では捕鯨を続けているのか。そこには、食の主権や、食の安全保障がかかわっています。
■フェロー人にとっては「離島で生き抜く術」
離島であるフェロー諸島には、週に1度、船でコペンハーゲンからの生活必需品や食料が届きます。
しかし今年の春、労働組合がストを起こし、船の運航を一時的に取りやめました。フェロー諸島では、食べ物や生活必需品が手に入らなくなった。島で都市生活を営む人は非常に困りました。フェロー諸島を調査するオックスフォード大学の大学院生は「物資不足で私たちは本当に大変な目に遭った」と話していました。一方で、「フェロー人は涼しい顔をしていた」というのです。
流通が機能する平時は、フェロー諸島の人々も、われわれ日本の都市生活者と同じで、スーパーなどの小売店で生活必需品を購入して暮らしています。ただ彼らがわれわれと異なるのは、有事に自給できる術(すべ)を持っていること。
フェロー諸島では、追い込み漁に参加した人なら、ヒレナガゴンドウの肉が平等に分配されます。老人や身体が不自由で漁に参加できない人にも分けられる。フェロー人は、そうして配られたヒレナガゴンドウを干し肉にしたり、飼育する羊をハムにしたりして、いざというときに保存食として利用してきた。それこそが、400年にわたって培われた離島で生き抜く知恵なのです。
■異なる環境で暮らす人びとへの想像力が欠如している
その話を聞き、思い出したのが、コロナ禍の日本です。
コロナ禍で冷凍食品が買い占められているというニュースを知り、近所のスーパーに様子を見に行きました。すると、本当に冷凍食品の売り場が空っぽになっていた。
食料自給の問題が浮き彫りになったのは、コロナ禍だけではありません。ロシアがウクライナに侵攻したら、小麦や食料油の値段が上がりました。今年の夏も気候変動や、インバウンドの増加によって米不足に見舞われました。
サプライチェーンが機能する平時、食料自給の必要性を意識する機会はほとんどありません。多くの人が、クジラを食べなくても、ほかに食べる物はいくらでもあると受け止めています。
しかしフェロー人たちの生き方を知った私は、島国である日本は、海の生物資源に依存しなければ生きていけないのではないかと改めて感じました。しかもフェロー人たちは、400年間、続けてきた自分たちの生き方に誇りを持っている。
それを都市生活者のわれわれが安易に「残酷だ」と批判するのは厳しい環境に住んでいる人を無視した極論だと言わざるを得ません。
クマが人を襲う被害に悩まされている秋田県に「クマがかわいそうだから殺すな」という抗議の電話が殺到したのは記憶に新しいでしょう。電話の主はいずれも「クマが出没した地域以外の人」だというのです。
死傷者が出ている秋田県の人にとっては「かわいそうなどと言ってられない」というのが本音でしょう。クジラも同じで、私は「自分とは異なる環境で暮らす人びとへの想像力が欠如している」点を危惧しています。捕鯨にも、その生活をしている人たちにしかわからない意義があるのです。
■量は少ないが、ゼロでないことが大切
――しかし、商業捕鯨を行う捕鯨会社・共同船舶が生産する鯨肉は1600トン前後に過ぎません。有事を支える食肉にはなりうるのは難しい。
確かにそれはそうなんです。ノルウェーやアイスランドからの輸入を合わせても、国内に流通する鯨肉の量は年間で2500トンほどですから。日本国民にあまねく行きわたらせたとしたら、1人16グラムほど。焼き鳥1本分にも満たない量です。その点では、捕鯨だけで、食の安全保障をまかなえるわけではありません。
ただ食の安全保障で重要なのは、選択肢をいくつも持つこと。
私は2021年に捕鯨母船・日新丸に乗り込んで日本の商業捕鯨の現場を調査しました。クジラを探す技術、クジラを捕る技術、クジラを解剖する技術(捕鯨の現場では解体を解剖と呼ぶ)、または鯨肉の質を見極める目……。特殊な技術や知識の累積で成立する捕鯨という産業を目の当たりにしました。
ふだん鯨肉を食べないから捕鯨は必要ない。そう考える人も多いのでしょうが、一度、捕鯨の技術が途絶えたら復活は難しい。捕鯨をやめたら鯨肉は生産できなくなってしまいます。
ゼロか、わずかでも捕り続けられる技術と設備を維持するのか。量的な問題以上に、食の多様性を守るために選択肢を持つことが大切だと感じるのです。
■ヒトが雑食である以上避けられない
――日本文化だから捕鯨を続けるのではなく、生きるために必要な食の多様性や選択肢を守るための捕鯨ということですね。
もちろん動物の権利や動物倫理の観点からすれば、捕鯨に限らず、動物を利用し、消費することへの是非について考え続けなければなりません。草食動物は草さえあれば生きていけます。肉食動物は、ほかの動物を食べて命をつなぐ。
われわれヒトは雑食だから、植物も動物も必要とします。ヒトは多様な食に、もっと言えば、生物多様性によって生かされていると言えます。生物としてのヒトが、雑食である以上、植物だけではなく、動物を食べるという行為から離れることはできないのです。
---------- 赤嶺 淳(あかみね・じゅん) 一橋大学 大学院社会学研究科 教授 一橋大学大学院社会学研究科教授。専門は東南アジア地域研究・食生活誌学。ナマコ類と鯨類を中心に野生生物の管理と利用(消費)の変容過程をローカルな文脈とグローバルな文脈の絡まりあいに注目し、あきらかにしてきた。著書に『ナマコを歩く 現場から考える生物多様性と文化多様性』(新泉社、2010)、『鯨を生きる 鯨人の個人史・鯨食の同時代史』(吉川弘文館、2017)『生態資源 モノ・場・ヒトを生かす世界』(山田勇・平田昌弘との共編著、昭和堂、2018)、『クジラのまち 太地を語る 移民、ゴンドウ、南氷洋』(英明企画編集)などがある。訳書にアナ・チン『マツタケ』(みすず書房、2019)などがある。 ---------- ---------- 山川 徹(やまかわ・とおる) ノンフィクションライター 1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『それでも彼女は生きていく 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社)などがある。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。Twitter:@toru52521 ----------
一橋大学 大学院社会学研究科 教授 赤嶺 淳、ノンフィクションライター 山川 徹
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( 228452 ) 2024/10/31 02:17:13 0 00 =+=+=+=+= こういう議論が、そのうちビーガンが増えたら同じようになるかもですね。食は文化とか好みとかかなり個人に依存する判断基準なので平行線になりがちですし。反捕鯨は観光資源で利用している産業の影響はどれくらいあるのでしょうね。本来は人間以外は基本は同じく物なので人権はない(ペットや高等な動物は動物愛護がありますが)ので、書いている通り、持続可能かを分析して種類によって対応をわけるのが今の基本的な考え方のはずですが、政治闘争になってしまってどうしようもないですね
=+=+=+=+= 世界的にはクジラは食料ではなく、ホエールウォッチング等の観光資源と捉えている人の方が多いですからね。食べる動物ではなく、観る動物。 日本で言えば動物園で観る動物、ゾウやキリン等に近い感覚でしょう。
またクジラは日本に生息する生き物ではなく、海に生息する世界の生き物なので余計に反発は強いでしょう。 超デカイ水槽とかで養殖される分には誰も文句は言わないでしょうね。非現実的かもですが。
一部のクジラの種類は個体数が増え過ぎてて逆に問題になってるとも聞くので、そう言った種類の捕鯨なら、まぁ食べても良いんじゃないかな。昔、南アフリカでも増え過ぎたゾウが問題になり、食べたって話もあるからね。個人的にはそんなに食べたくはないけどね。
=+=+=+=+= 単純に商業捕鯨は費用対効果が悪すぎる。
仮に1頭1000万円になったとしても捕獲枠的に考えても30億円は難しい。以前の記事でも、共同船舶の所英樹社長が考えている商業捕鯨で得られる売り上げは良くても28億円のようだったから、28億円の売り上げの為に51億円の税金を投入するのは費用対効果を考えればやらない方がいい。
さらに固定費を考えればなおさらだ。
商業捕鯨廃止して純粋に51億円で捕鯨関係者に生活保護とかさせた方が効率的。
年間2000トンの鯨肉を生産するとした場合、1年間で国民一人当たり20gも食べない肉。
食の安全保障とか言っても、そもそも日本は肉類以外でも食糧自給率が低い国。鯨にアホみたいに金を使うのが食の安全保障になるはずがない。
廃れた業種は多くあっただろうが、捕鯨が無くなるのがかわいそうだからというのが商業には見えん。
=+=+=+=+= 日本でも特定の地域の文化を 日本の文化じゃないという話になれば、 京都の着物の文化も 日本の文化じゃないって話のように思えて、 一部地域だから日本文化じゃないということ自体が 違う気がして、そこからして納得できる話には思えない。 クジラを捕まえることが文化と言うよりも、 クジラを利用して食や工芸品にまで 幅広く使われてこその文化だと思いますけどね。 近海から、世界に至るまで進出して広げることで、 文化は深く大きく広がり、 絶滅するような捕獲を続けた人たちがいたことも 事実であるのは確かで、 それは、文化じゃなく破壊でしかない。 そうならないための、IWCだったわけですけど、 単に、捕鯨反対団体になって、 それは捕鯨文化を潰そうとするだけ。 クジラを守らなければ海は守れないのはその通りだと思うし。永続的に捕鯨が出来ることで、この地球を守ることにつながるように考えることは大事だと思う。
=+=+=+=+= 日本の捕鯨船は海外への寄港を拒否されてるが、シーシェパードはツバルで警察をやってますから。国際司法裁判所で敗訴した日本は、ロシアと同じように思われてますよ。そもそも遠洋捕鯨が広まったのは戦後。もとから日本の文化とは言えない。ロシアに軍用でイルカを販売していたというのは結局どうなったんでしょうね。
=+=+=+=+= 靖国問題?問題でもなんでもない、周辺国の外交的嫌がらせに過ぎません。 そんなものとは、根本的に違うでしょう。 食の安全保障を考える時、日本近海のクジラを食べずに多くの食料を輸入するのはどうかと思います。 農業を効率化して、自給率を上げる努力も必要です。 肉類は国内生産で不足する分を輸入にだけ頼らず、近海の鯨類もバランス良く取り入れるべきです。 牛・馬・豚・羊は食べていいが鯨はダメとかいうのは、まるで宗教のおし着せのようなものです。 かつての捕鯨国も含めて捕鯨国が捕鯨の国際協調のために作った国際捕鯨委員会が国際反捕鯨委員会になってしまったのだから捕鯨を推進する日本が脱退したのは至極当然のこと。 一頭すら鯨を殺すことは許さないという国とは相容れないのだから、話し合いの余地はありません。
=+=+=+=+= 私は、ビーガンではないけど豚肉や牛肉、鶏肉は一切、食べない、というより美味しいとは思わない。しかし、鯨肉だけは不思議に美味しいと思うから不思議だ。毎日でも食べられるかもしれない。海洋性哺乳類は、地上の動物とは肉質が違うのかもしれない。しかし、絶対、鯨肉を食べたいという欲求はない。だから、捕鯨は無くても困らない。
=+=+=+=+= 「海の靖国問題」って言い方は初めて聞きました。反対派の言葉なんですね。 「国際的に揉めている」って方の意味でしょうか。クジラさんに「死んで靖国神社で会おう」って、鯨を拝む碑があるのかと。靖国神社にあるかどうかはわからないけど、クジラさんを拝む碑は、どこかにはあると思います。
=+=+=+=+= 普段鯨食べてますか? 週に何度も食べるほどではないでしょうが(牛肉や豚肉だって毎日は食べない場合もあるでしょう)、月に1度でも食べますか? スーパーで売れ残ってる半額のものでも構いません。別に女川やら館山やら太地町まで鯨買いに行って、塊肉を買ってこいとは言いませんが、殆ど食べないひとや、まともに食べたことの無い人が多いのでは? 焼酎にも日本酒にも合います、旨いですよ鯨。生肉は好みあるでしょうが、コロが好きな人も居るでしょうし、ベーコンはスーパーでも見掛けるし、竜田揚げとかまだ食べる機会もあるかもです。 会津から新潟への山間部ではそういう食文化なのか塩鯨がいっぱい小さなスーパーに並んでます。 捕鯨賛成の人はもっと食べましょうよ。私みたいに酒のつまみで冷凍肉買ってきてよく食べる人は少ないでしょうが、やはり需要がなくては話になりません。
=+=+=+=+= 思うのですが、無理してまでクジラに固執することないんじゃないかと。なんでこれだけ批判を受けていてもなお、鯨を捕らなければならないのか。 昔ならともかく、今は色々な種類の肉が流通している中で、もう鯨を捕る必要がないように思います。 もし、これで文化だから、とか豚や牛は良いのかと言うのなら、中国でしたっけ、犬肉食も文化だから仕方がない、と開き直るのと同レベルじゃないかと思うのです。和歌山県太地町のイルカ漁は言うに及ばず、捕鯨全体を見直しても良い時期に来たのだと自分は思います。
=+=+=+=+= 一部の地域であっても、捕鯨で生計を立ててる日本人がいるなら、それは日本の文化だ。アイヌの人たちの文化は日本の文化じゃないなんて言わないのと一緒だと思う。うなぎは絶滅しそうなのに残酷だとは言わないし、同じ哺乳瓶だと言うなら牛や馬や鹿や熊だって食用に販売されてる。
=+=+=+=+= 捕鯨問題で日本が叩かれていたのは、そもそも守るつもりもない条約に批准したことが原因。 捕鯨を続けるなら、捕鯨を禁止する条約にサインしなければよかったのに、批准したのに約束を守らないから、猛烈な批判を浴びた。 今の夫婦別姓もそうです。 日本の文化継承を盾に現状を維持するなら、仲間に入らなければいいだけ。仲間に入ったのにルールを守らないから叩かれる。 逆に批准しないことを批判されるなら、それは文化の違いで突っぱねればいいだけ。
個人的に選択的夫婦別姓については、賛成です。
=+=+=+=+= 今となってはクジラより人類のほうが多い。食料の消費量も、全体では比べ物にならないぐらい人類が大量に消費している。 今は反捕鯨を謳う国が多いが、一度食糧難でも起きれば、海洋資源争奪戦のライバル兼タンパク源として狩られることになるだろう。 そうなる前に、漁獲量への影響や、もしクジラが絶滅してしまった場合のシュミレーションを行い、共存可能な頭数などを改めて示してほしい。
=+=+=+=+= 給食で食べて不味かった! それからまずいものと思って食べてないって方、たくさんいらっしゃいますね。
私は小学校の時に食べたクジラの竜田揚げの美味しさが忘れられず今でも毎月のように市場で購入して刺身や揚げ物で食べてます。
昔不味かった、と言う方はおそらく当時の輸送や冷凍技術が不完全だった、もしくは学校の給食という都合上、過剰な加熱が為されていたのが理由だと思います。
更に、昔はクジラは安いもの扱いで処理も疎かであった可能性もあります。 しかし、現代のクジラは高級品! 扱いもかなり改善されてきているはずです。 なんだかんだ昔から食べ続けてきた食材です。 是非、専門店や現地のお店で食してみてほしい。不味い、と言うにはまずは今のクジラを食べてみてからでも遅くないですよ!
=+=+=+=+= この鯨肉問題でいくらの税金が使われていると思いますか。捕鯨関連予算は、主に農林水産省が所管しており、調査捕鯨、販促、関連施設費などがある。調査捕鯨には年間で約50億円以上。鯨肉消費イベント。食べない鯨肉を保管する冷凍施設や加工場の費用など。職員、農水省天下りを含めると合計で年間100億超える。日本文化はこうして作られているさ。
=+=+=+=+= その国の文化を研究していれば日本文化をどうのこうの言うのは間違っていると分かるはず。自分たちがかわいいと思うからとか、知性ある動物だからだとか言われても??? 人間と同じように同じ動物の中にも賢いものとそうでないものがいると思う。 それは一部の国の人間が判断しているものであって他国から見ればそうではないのかもしれない。 いずれにせよそれを生業として生きている方々に対してもう少し思いやりのある考え方はできないものだろうかと思っている。
=+=+=+=+= 捕鯨が文化として成り立っている地域で生まれ育った身としては、捕鯨は日本文化ではないなんて暴論でしかない。
俺は相撲を見に行った事もないし、ねぷた祭りもだんじり祭りも行った事はないが、それらは確実に日本文化の一部だと認識している。自分に関わりが薄いからといって文化の多様性を認めないのはおかしい。
=+=+=+=+= クジラやクマはかわいそうであると、声を上げている人に聞いてみたい。 『牛』や『豚』や『鶏』は、かわいそうでないのか?
彼らの主張は『頭が良い生き物は殺すな』という。
逆を言えば『遺伝的に劣る生物は殺しても良い』ということに繋がるのではないか?
それはまさに『優生思想』そのものだと思う。
そしてその様な時代は終わりを告げたはずなのにまた現代で繰り返す。 人間というのは学ばんな。
=+=+=+=+= 昔食べた、オノミの刺し身、鯨肉すき焼きは本当に美味かった。でも最近はそんなに感激しない。マグロ、牛肉に慣れたせいかな。将来の食料確保の観点から捕鯨は冷静に議論を進めて欲しいね。
=+=+=+=+= 油を採るだけのために捕鯨しまくって個体が激減して一部の人が「鯨かわいそう」って言い始めたんでしたっけ?それでもって食文化のあるところやなんかにも捕鯨するなと強要し始めたんだと記憶してますが…。 全部欧米のエゴじゃなかろうかと思うんですけどね。 で、今鯨の個体数が増えすぎて海の生態系に影響が出ている、と。
=+=+=+=+= 捕鯨に反対する理由に論理的なものは一つもなく、完全に情緒の世界観でものを言っている。その情緒が何故牛や豚に向かわないのかを理解する方が難しい。捕鯨を日本の文化としてどうのこうの言うつもりはないけれど、人間である以上は他の魚と同じように適度に必要なだけ獲ることのどこが悪いのかと思います。
=+=+=+=+= >しかし捕鯨を行っていたのはごく限られた地域であり、日本文化というよりも、地域文化、もしくは地場産業。「全国民的な日本文化」とは言えない
コレはどうなんだろう この理屈がアリなら、相撲や歌舞伎や日本画なんかに対しても同じこと言えてしまわないか 食文化でも、味噌や醤油ですら地域によって違いがあるし、それを使った料理だって全国で全く同じってわけじゃないから、「日本食とされるものは全国民的な日本文化ではない」みたいな言いがかりつけることだって可能になってしまう
文化ってのは地域の特色があって当然のもので、全国津々浦々に同じように普及している「全国民的な日本文化」なんてもんは、そもそも存在するものなのか
=+=+=+=+= クジラと牛、豚とは どの様に違うのでしょう 鶏はどの様に違うのでしょう イルカはどの様に違うのでしょう 牛、豚、鶏は食料と誰が決めたのでしょう 自分たちが食べないから 可哀そうだから なら 牛、豚は、鶏は食べても可哀そうでないのか? マレーシアではウミガメも食べます 日本人からすれば 可哀そうでも 現地人にとれば 歴史ある食料です 難しい問題ですが 動物を差別して食べるのはどうでしょうか?
=+=+=+=+= 科学的根拠に基づいて話をすれば、実際に頭数が減っている時期を除けば、本来は反捕鯨国の言い分なんてほとんど意味をなしていないことが多い。完全に感情論だけでものを言うことに対するとどうしようもない。だから、国際捕鯨委員会を脱退して、科学的根拠に基づいて対応している関係者を支持します。 文化について出てきましたが、国連は少数民族や地域文化も大切にしているはず。だから地域の文化であっても、日本文化のひとつとしても差し支えない。日本以外での東アジアでの肉食文化についても、感情論だけでほぼなくなった。牛豚馬羊は食べてよくて、他はダメとか誰が決めたんだ?神か?宗教上の異端とでも言いたいのだろうか。 ほんとそういう感情論での話しかできない人たちは嫌い。
=+=+=+=+= 捕鯨が嫌がられるのは 体を傷つけ 弱らせて 長時間恐怖と苦痛を与え続ける狩りの仕方が嫌がられているわけで ビーガンなどが一定の社会的な立場を得た時代なので 日本の文化にケチを付けるな程度の論調では対抗できないと思いますね。
=+=+=+=+= 昭和40年代までの大阪では、どこの市場でも「鯨屋さん」があり鯨は日常の食材でしたね、豚カツよりも鯨カツのほうが好きでしたね。 鯨は大阪の文化だと思ってます。 嫁は奈良人ですので鯨を食べません。 なじみがないんでしょうね。 そこで、不思議で仕方ないことがあります。 私は鯨肉も好きなんですが、鯨のベーコン・おばけ・ころ(わからない人は調べてください)が大好きで、バシバシに捕鯨が禁止されてたはずの30年前でも比較的安価で食べてました。 ところがどんどん値が上がり、商業捕鯨OKとなった今でも無茶苦茶高い。 なんで? どうか専門家の方、ご教示を。 ちなみに、たまに近所のスーパーで鯨肉が販売されてますが、アイスランド産です。 それでもまとめ買いして冷凍庫にほりこんでます。
=+=+=+=+= 子供の頃当たり前のようにクジラを食べてました。それが今は探さないと食べられない。反捕鯨の主張なんて食文化として海産物を食べない国を巻き込んで作り上げた詭弁に過ぎません。なんでも欧米が正しいなんて惑わされてはいけない。日本は島国なんです。海産物を食べることに対してもっと誇りを持つべきです。
=+=+=+=+= 日本人からするとクジラはかわいそうで、家畜は問題ないのかという感じでは?菜食主義の方もいるでしょうが、基本的には人は生き物を食う動物だということでしょう。他の魚類はいいけどクジラやイルカ食うなというが、牛や豚も一緒なのではと思ってしまう。
=+=+=+=+= 商業捕鯨は飯のタネ、反捕鯨もメシのタネ。 商業捕鯨は食料としてのタネ、反捕鯨は金のタネ。 本当に鯨を思ってるのはどちらなんでしょうね。 間違いなく言えるのはもう鯨は間引きしないと他のお魚系は減るってこと。 ただでさえ減ってる漁獲量は減るばかりだよ。
=+=+=+=+= なんか賛成も反対も近寄りたくねえな、という感じで忌避していた話題ですが、この記事にある「失われた技術は容易には取り戻せないので、細々とでも捕鯨文化は残すべき」といつのは腑に落ちました。その線での議論なら有意義に感じます。文化やら知能やらは相手の反論を封じるためだけで議論にならんもんね。良い記事でした。
=+=+=+=+= 私は鯨の肉が好きで、たまにスーパーで刺身を買って食べます。焼いて食べるのも美味しい。良質なたんぱく質で健康にもいい。 食に溢れた今の世の中、鯨肉が無くても困りはしませんが、「牛や豚の肉を食べていればいい」という話でもないと思います。
=+=+=+=+= 捕鯨は、釣り竿で糸を海に垂らせば出来るものではない
捕鯨船や捕鯨の為の人員も、一度無くなってしまったら復活する事は非常に困難
輸入に頼らず食料を確保する手段は、一つでも多く残しておいた方が良い
=+=+=+=+= 日本の一部での捕鯨であっても、それは日本文化。 なんで全国でやらないと日本文化にならないんですかね。 地域のお祭りも無形文化ですが、特定の地域の文化だから日本文化では無いんですかね。 不思議な話ですね。
=+=+=+=+= 確か当初は、日本の一部の沿岸捕鯨を認めてもらえれば、日本もIWCの捕鯨禁止に反対ではなかったが、欧米、特にアメリカが自国のエスキモーの捕鯨は認めさせるのに日本の沿岸捕鯨は認めないという、不公平なダブスタンダードを突きつけてきたのが発端だったように記憶している。
もはや全てどうでもいい話ですけどね。
=+=+=+=+= テニスの鯨筋ガットや鯨の竜田揚げなど,子供の頃には世話になった。こういうものを知っているのは50歳代以降だろうか。確かに鯨筋でなくてもテニスはできるし,鯨肉などに依存しなくてもタンパク質には事欠かない。しかし,選択肢としてこういうものを残しておく自由はあってもいいと思う。なんだか外圧に屈して廃れていくようで情けない。
=+=+=+=+= 怪しい環境団体に勧められて昆虫食を広めようとするより、今も流通経路の残っている捕鯨や海洋資源に活路を見出す方が、食料自給の発想としては正しい。イデオロギー化した動物保護団体の話がどこまで科学的根拠を持ち、経済的に妥当なのかは冷静になって検証したい。冷静になれない相手なら話し合い以外の対処法で解決するしかない。
=+=+=+=+= 昔は日本だって犬を食ってた。しかし今は犬は友達だから食うなんてとんでもないということになってる。欧米から始まったイルカ、クジラは友達だから食うなんてとんでもないという考えが世界の主流になったら、それが時代の変化だということで受け入れるべきだと思うがね。
=+=+=+=+= 反捕鯨団体ときっちり約束を交わせば良い。日本は捕鯨をしない、シーシェパードは海の生き物を一切食べない、海を守るために木材伐採も許さない、クジラが増えすぎて、イワシなどの小魚が減っても捕鯨は一切許さない。イルカが海水浴場で人を襲っても、イルカを追い立てない。日本はマグロも問題視されているから、漁業で世界と戦うのは難しいかも知れない。私はあと10年ほどしか寿命が無いので、鯨肉を食べることはもう無いでしょう。食の変化を受け止め、地産地消の地場産業も変わって行くことも、ある程度受け入れる必要もある。クジラが一段落すれば、シーシェパードはサンマや鰯に矛先を変えるかも知れない。
=+=+=+=+= 出身地の愛知県にもかつて知多半島で捕鯨していた記録がありますし、 三河湾に浮かぶ篠島には鯨浜と呼ばれる場所があります。
今はしてないといっても、全国津々浦々そういうところはあるんでしょう。 なにも3ヶ所だけでしていたのではないですね。
=+=+=+=+= ネアンデルタール人は肉食に偏り過ぎて滅びた。 と言う研究が有ります 現生人類は雑食性に依って生き残ってきました
筆者の人間は雑食性で動物食も植物食も必要で 捕獲技術伝承が『食料安全保障』に必要との主張には同感です
しかし▷和歌山県の太地町や、千葉県房総半島南部、高知県、九州北部から山口県などのごく限られた地域でした。正確には、捕鯨や鯨食は、日本文化というよりも、地域文化、もしくは地場産業です。「全国民的な日本文化」とは決して言えません。(記事抜粋)
には賛同は出来ません 地域文化こそが日本文化です 日本全体に行き渡っている文化などは無いと言って過言では有りません そのような文化は存在しないと考える方が妥当です 『多様性の尊重』でしょう? 多様性は生命存続の手段で人間も同じです
ちなみに反捕鯨は畜産国が畜産物を輸出する為の手段です なのでオージービーフの国々が強行に反対しています
=+=+=+=+= クジラを食べる文化があれば食べない国もある 禁忌としてヒンズー教は牛がダメだったりイスラム教は豚がダメだったり、ユダヤ教は特に厳しいと聞いたことがある 日本は牛肉を食べない代わりに他の動物を食べたり海産物を食べてきた 他国他人の文化風習を政治的なことで辞めさせてほしくない
=+=+=+=+= 多様性の時代だ。 ならば世界は日本の捕鯨を認めるべきだ。
多様性を謳いながら、少数派である他国のやり方を非難するのは多様性を認めないのと同じ。 つまりは虚構であり嘘だと言う事になるし、そもそも差別だろう。 だったら、牛も豚も鳥も野菜でさえ食うな! 全て命がある。
太地町で食べたクジラは美味かったし、これからの食料として大きな存在になる。 三ちゃん農業が衰退するからだ。
=+=+=+=+= 欧米人特有のおせっかいで、キリスト教を押し付け広めようとしてた文化に似ている。宗教がある国には豚がだめとか牛がだめとか意味不明。知能が低ければ殺していいとかも意味がわからない。鯨を食べるかとうかは各自の自由。ビーガンも自由。海も大きないけすでの放牧に似ている。牛は自然の草を食べているが鯨も自然の魚を食べている。人間の生き方を制限すると幸せになると神が決めたとは聞いていない。
=+=+=+=+= 最終的には捕鯨を肯定してはいますが、その前がやたら屁理屈並べた記事ですね。日本全国で行われていたわけではないから、捕鯨は日本文化ではないという謎理論。それなら伝統工芸や伝統芸能でも、盛んな地域はたいていが限られていますがそれらは日本文化とはいえないのでしょうか。 一部に捨てていたところがあったからといって「日本人は鯨をキレイに使っていたわけではない」と一部をもって全部を否定。欧米人よりはキレイに使っていたのは事実でしょうに。論理の組み立て方がかなり強引で、結論が捕鯨肯定でもあまり同意できる内容ではないですね。
=+=+=+=+= この記事この記者は迷走していますね。 捕鯨や鯨肉食に反対ではないのに、捕鯨は一部地域でしか行われていなかったので日本の文化とまでは言えないとしてますが、クジラの髭は江戸時代非常にポピュラーな材料として重宝され幅広く使われていました。 例えば文楽やからくり人形などは日本文化ではないのでしょうか? サンマも鮭もカジキなども一部の地域を母港とした出漁や水揚げしかされませんが日本の漁業や食の文化には入らないのでしょうか? 一部と意味ではアメリカなども先住民だけですが、今でも捕鯨は認められています。 先住民はアメリカ人でも文化でもないとされているのでしょうか? 日本は堂々と捕鯨文化を守るべき権利として主張すれば良いのです。
=+=+=+=+= うちは貧乏だったから、鯨ばかり食っていたから当初は食えなくなると困るだったけど、今は食わなくていい。 ただ可哀想だから...ってよく分からない、牛や豚だって可哀想だと本気で思うけど、肉だけ見たら美味そうが勝つ 。
=+=+=+=+= 元々クジラを食べない人たちが「クジラは知性があるのだから捕鯨や鯨食は野蛮だ」などと言われると腹が立つ。 ならば「食べてはいけない知性と、食べて良い知性に線引きは出来るのか?」などと訊きたくなる。 私の考えは単純で「人間を食べてはいけない」と言うもの。 だから、人間以外は何でも食べて良い訳で、鯨も犬も虫も食べることに反対しないが、私自身はこれらをただ食べないだけ。
=+=+=+=+= 欧米諸国は概ねこの手の問題にメンタリティーを出してきます。 じゃあ一体牛や豚は哺乳類ではないと言うのか? もはや好き嫌いのレベルより低級な感情論です。 毅然と反論し世界に発信しなければいいようにされてしまう。
=+=+=+=+= 何で捕鯨問題になると小難しい理論を持って相手を論破しようとするでしょうか。 欧米が騒ぐのは環境問題では無く「クジラを保護教」という大金を巻き上げる"新興宗教"にすぎません。 仮にクジラが神聖な生き物だとしたら初めから捕鯨そのものをしていないはずです。単に鯨油に価値が無くなり、新興宗教を立ち上げた方が良いと判断したにすぎません。
=+=+=+=+= 一部と言っていますが、今80半ばの人間の小学校の給食には出ていました。別に捕鯨地域でもなんでもないですが、子供の頃から食べていた鯨肉。文化ではないと言いますが、少なくとも今90前の人間は給食で食べた経験があるのではないでしょうか。
=+=+=+=+= 闘牛は野蛮とスペインを責め、キツネ狩りは野蛮と英国を責め、フォアグラはガチョウを虐待しているとフランスを責める。そしてハリウッド女優は毛皮を諦める。 リングリングサーカスは廃業したし、日本の水族館のイルカのショウも文句言われそうだし、競馬の騎手がムチを使うのを禁止するどころか、競馬が野蛮なんて事になるかもね。乗馬もアウトなの?
=+=+=+=+= 日本は昔から捕鯨国じゃ無くて、最近でも有る、近くに来たクジラを獲ってただけ。 良く捕れるの場所が有名なだけ そもそも漁師が遠洋に出る様になったのは、戦後だ
=+=+=+=+= 自分達にとってあまり関係のないブームを作って保護したら良いのでは?と個人的には思う。
あと子供を巻き込まないでほしい。 給食で鯨が出て食べたけど別に自分の県の文化でもなく、鯨は嫌いじゃないし鯨肉自体好きじゃない。大人になってから微妙な心境になった。
特別丁寧に扱う生き物を作れば、 自分達はこんなに丁寧に動物に優しくしてるのに、と他国の遅れをマウントが取れる。 今時はタコもそうらしいが。それがブームというものでは?
=+=+=+=+= 神様になったつもりで殺していい悪いを決めるなら、人間同士殺し合うんだから人間は鯨に及ばない生物か? とかの哲学?はまぁ、置いといてだ。
流石に絶滅は問題だとは思うが、獲らないのもどうなんだ? そこも人間がコントロールするつもりになること自体何様だという話になる。
はっきり言えばいいんだよ。 愚鈍な家畜である牛豚鶏は殺していいんだからそれを食え。と。 殺すために育てるのはよくて、生きるために殺すのはいけない。 なんでだ?
人間が溢れて生態系を壊していること自体は見ていないのに目先の心配だけ。 世界が壊れても鯨だけ生き残ればいいんだろうか。
=+=+=+=+= クジラの南蛮漬けとかよく食べていたけど、最近はそんなに美味しいと思わないし、殆ど食べなくなったから市場から消えても問題ない。 クジラ食に関しては既存の価値観とか伝統を守る事に重大な意味は感じない。
=+=+=+=+= 食べていい、ダメな線引きは誰もできないでしょ。 鯨以外にも、カンガルーや犬や猿なんかも 他国で食べてるでしょ。馬や豚だって知能高い はずで、知能の高い低いで線引も無理。 絶滅させない、肉を廃棄する程必要以上に とらないとか、違った方向から警告するなら 分かるけど。
=+=+=+=+= その昔欧米が油を取るためだけにクジラを乱獲を散々して置いて今更捕鯨反対だなんていい加減にしろや、身勝手も良い所でバファローもタダタダ毛皮を取る為だけで乱獲しまくり絶滅危機まで減らし身勝手欧米人行動は今後何処まで横暴な態度をしまくるのか、我慢も限界がアルゼよ。
=+=+=+=+= 鯨も重要な食糧なのですから、捕鯨技術の継承は必要でしょ。いつ、食糧危機が発生するのかは分からないのですから。 意味不明な理由で反対する人達は食糧安全保障を考えた事が無いのね。
=+=+=+=+= 日本人が鯨からタンパク源を摂る割合を減らせれば、その代わりに輸入牛肉とかがの消費量が増えるからって話ですよね。 ただ、まさか日本がIWCを脱退するとは思ってなかった。資金源と捕鯨の抑制の両方を失い、困るIWC。
=+=+=+=+= 食べる人が多くて市場があるなら、資源が保護できる範囲で穫れば良い。無駄なく使うとか、苦痛を減らすのは現在社会では当然の配慮だろう。アイヌやネイティブアメリカンの文化では当たり前だった感覚だろうが、西洋文化で無くしちゃったんだよね。 ただ、今の日本に鯨市場は無いよ。一部の思い入れだけで公費使って国のイメージ下げるだけなら辞めとけ。
=+=+=+=+= 日本の文化なら日本の領海でやれ。海外に持ち込むな。 あと、人間は雑食でたんぱく質の摂取が必要だけど、現代日本じゃ鯨肉が新たなたんぱく源として普及するかってーと、実現性はフェイクミートや昆虫よりはるかに低いだろ。
商業捕鯨は否定しないけど、捕鯨やりたさにエビデンスに乏しい屁理屈をごり押しし続け、結果日本の国際的信用を地の底まで落とした水産庁はちょっとは反省して、ね?
=+=+=+=+= なんだか記事内容が食糧問題からの提言なのに、コメントの多くは”捕鯨は日本の文化だ!”という肯定派と、”別に自分は鯨肉食べんでもよい”という無関心派と、”欧米から嫌われるからやめよう”という否定派に分かれていますね。
まず筆者が否定したことなのに、やれやれ…
=+=+=+=+= IWCに限らず国連傘下の団体は、戦勝国の利益誘導が存在意義でしょう。こういう記事では、国連ではなく戦勝国連合と表記すべきです。 中国、ロシアなどの独裁国家が常任理事国として、武力による自国の侵略を正当化するような戦勝国連合に大義は有りません。ウクライナもチベットもウイグルからも手を引いてから言うべきこと。クジラが可哀想などとの戯言で、戦敗国の日本に因縁をつけて、利益誘導を図る組織なんか無視で良いです。
=+=+=+=+= 他に生き物はそう多くない南極海で鯨に出くわすと船に近寄って挨拶するんだよね あの姿を見たら知性を感じるしそれ殺してしまうのかと思った
牛だって屠殺の時は涙を流すらしいしでもそれを人間は食べずにはいられないし
いつか動物殺さんでいい世の中になったらいいね
=+=+=+=+= イヌイットは自分たちが食べる分しかシロイルカを捕獲しない食文化を持っていて日本の掲げる食文化とは異質だと思いました。
=+=+=+=+= 捕鯨反対と騒ぐ欧米人の価値観なんてオブラート並みのものよ。自分達は何種類もの動物を絶滅させてきた。それこそ見境なしにね。何種類もいるクジラより、絶滅危惧種になってしまったラッコは誰のせいなのかね。
=+=+=+=+= え、捕鯨を禁止した理由ってアメリカとかオーストラリアが日本に牛肉を売りつけたかったからでしょう? 日本国内で産出できるでっかい食肉が邪魔だったのかと。
そういえばシーシェパードを主に支持しているのってどこの国でしたっけね。
=+=+=+=+= 子供のころクジラをよく食べた記憶あります。 たいしておいしいと思わなかったし、国を挙げて商業捕鯨をしなくても全然かまわない。 日本がそこまでこだわる理由がよくわからない。
=+=+=+=+= コメ見てると「日本の一部でも日本文化なのだ!」てのはまあいいけども、、、 そういう人、まさか昆虫食拒否しないよね? ヤフコメ民はコオロギ食ってえと「強制されるりゆうは、ないっっ!」「ぜったいに、いやだっっ!!」「あんぜんせいが、かくにんされていなひいいいっっ!!」と連呼してたけど、イナゴやザザ虫食う地域がある以上、「昆虫食は日本文化だから守らなくてはいけない!」になるわけだ
=+=+=+=+= あの動物は可愛いから殺すな、賢いから殺すな つまりそれ以外の動植物は殺しても問題ないって事か。 生きる価値があるかの基準は人間が決めると 最も悪魔に近いものは人間だろうと誰かが言ったが本当みたいだ
=+=+=+=+= >2つ目が、残酷で非文明的なこと。
こういう幼稚な論理を強要されると反発する人は多いだろうね。 カスミでも食って生きてる仙人に言われるなら、すみませんというしかないが。 殺すつもりで太らせて生産性を高めるために狭いところに押し込めてコストをかけないよう掃除よりクスリを与えて最後は工場で殺すのほうが残酷ではないか。
=+=+=+=+= まぁ!欧米の身勝手な言動ですな!日本は何かと欧米には弱い姿勢であるから、舐められている!他の国は欧米には相手にしていないけどね!日本は他の経済のことがあるから、いつも低姿勢で対応しているが、打開する方法はないのかな!?
=+=+=+=+= 将来の需要を調べるためにも一度学校給食に提供してみたら?1年だとかなりの苦痛だから半年ほど。いま鯨を欲してるのって戦後の食糧難で鯨を食べてきた年代ばかりだろ。
=+=+=+=+= 韓国に於ける犬食にしても然りだけど、鯨食批判にも通底する根本には、地球資源を扱う際には白人側が信奉する価値観が優先されるのだという、度し難い差別的思想に他ならないじゃないか シーシェパードが日本捕鯨船団に再三再四に渡り仕掛けた、環境保護活動なんて範疇を遥かに逸脱したテロ行為は、自らの主張以外は絶対に是認しない排他的なモノ 極論すれば、クジラに対する愛情や執着さえ奴等は稀薄だと思う 根底にあるのは有色人種食文化への蔑視
=+=+=+=+= 相撲なんかほぼほぼ両国でしかやって無いよ? 部活にしたって一部の学校にしかないよ? 相撲は日本文化じゃないの? 歌舞伎なんか俳優300人くらいで上演もほぼほぼ東京だよ? 歌舞伎見たことある人なんか田舎にゃほとんどいないよ? 歌舞伎は日本文化じゃないの?
=+=+=+=+= 論点が整理されており、非常に良い文章でした。わかりやすかったです。安全保障の観点からも、捕鯨はなくすべきでないと思いました。
=+=+=+=+= クマがかわいそうとか、クジラがかわいそうとか 思うなら ベジタリアンってことかなぁ? 確かにベジタリアンならそう思うよな 納得だよっとw
かわいそうと思うところもw 自己中でってことにならないといいけどw
=+=+=+=+= 捕鯨が日本文化じゃないというが、全国民的な日本文化って何があるのか、どれも自己満足のローカル文化だろ、それを世間じゃ日本文化という認識でいるんだ、定義があるなら言ってみろ。
=+=+=+=+= どっちもどっち 捕鯨を擁護する側も、反対する側も、どちらも『自分達が正しい』と決めつけている事が問題解決を難しくしている。 個人的には宗教戦争と同じ嫌悪感がある。
=+=+=+=+= 白人連中だってほんの前までクジラを獲り放題に獲りまくってたんだから そもそも日本に開国を要求したのだって捕鯨船補給の為 資源不足食料不足に悩まされたらどうせまたルール変更して乱獲しだすでしょう
=+=+=+=+= クジラやクマの捕獲に反対する人たちは、普段の食事に牛肉や豚肉、鶏肉は食べないのか? 『クジラを守れ!』『可哀想だからクマを殺すな!』ってデモをしたあとで打ち上げで焼肉店に繰り出しているのでは? 偽善者でしかないよなぁ!
=+=+=+=+= クジラなんて40何年生きてて一度も食べたことがないし、別に食べたいとも思わない。捕鯨を日本文化みたいな大枠でいう言説には違和感があったのを見事に指摘している。
=+=+=+=+= 鯨を取ることが文化ではなく、食文化って話やぞ 我々中高年は小学生の給食で鯨を食べてきたんだから そこは否定してはいかんのでは?
=+=+=+=+= 50代以上だと、小学校の給食で鯨が出ていたと思う。 私も記憶にあるが、とにかく不味かった。 なので、別に鯨を食べたいとも思わない。
=+=+=+=+= 鯨はクマのように集落に現れて危険を及ぼさない。クマは食用のためではない。 クマとは目的も意味合いも違う。
=+=+=+=+= いやいや捕鯨は日本の文化でしょう いくらかの地方で盛んに行われていたから 日本の文化で無いとは乱暴な議論ですね ビックリしました
=+=+=+=+= 文化は作られたもの、無くなるのもまた文化、クジラだけに焦点当てすぎ、どれだけの文化が消滅した事か。
=+=+=+=+= クジラは家畜ではない。世界の者の財産ではないか?全世界の者が共有しているということだ。本来ならクジラをとってもいいかどうかは世界の者に聞く必要がある。
=+=+=+=+= 手術後でとても腹が減っています。 反捕鯨の人たちのコメント見てたら、ますます食べたくなって来ました。 明日、退院したら鯨肉食べに行こっと。
=+=+=+=+= クジラは知能が高いから可愛そうだ、タコも知能が滝から可愛そうだ・・・ と言っている欧米人は、パレスチナ人を大量に殺すための武器を供与しています。
自分が食べない、あるいは関係ないことに関しては無責任なんです。
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