( 228673 ) 2024/10/31 17:32:42 2 00 無教養キムタクまたも露呈…ラジオで「故・西田敏行さんは虹の橋を渡った」と発言し物議日刊ゲンダイDIGITAL 10/31(木) 11:03 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/cf8c15f2e6ef3ded8b917f382ed766a7df3e98f3 |
( 228676 ) 2024/10/31 17:32:42 0 00 木村拓哉(C)日刊ゲンダイ
木村拓哉(51)がラジオ番組で、17日に亡くなった西田敏行さん(享年76)に対して発した言葉が物議を醸している。
くすぶっていた木村拓哉&新垣結衣“身長差問題”は杞憂? 「教場0」で相まみえるシーン複数
木村は、27日放送の「木村拓哉 Flow」(TOKYO FM)で共演経験もある西田さんについて、「本当にたくさんの笑顔をありがとうございました。虹の橋を渡った向こう側ではきっと好きな音楽を聴きながら、大好きなお酒だったりとかを楽しんでいただきたいなと思いますね」と追悼した。
■「ペットの死に際して使われる言葉」
しかしこの「虹の橋を渡る」という表現が問題視されることに。通常、主にペットの死を表す際に婉曲表現として使われる用語で、X上では〈人間が亡くなった時に使う言葉ではありません。ましてや大先輩の恩人に向けて話すなどあり得ない〉などとあきれ声が上がっている。
「現代にゃん語の基礎知識2018」(自由国民社)などの著作があり、ペット専門誌にも携わるライターの鈴木美紀氏はこう話す。
「この表現が日本で広まったのは20年くらい前からだと思います。ストレートに“死ぬ”などというのではなく、ペットが亡くなって強いペットロスを感じている飼い主の心情によく合っているので広まったようです」
背景には、「ペットは家族」という考え方が浸透してきたことで、我がコとの絆を大切にする思いや、死でさえ飼い主とペットを分かつことはできないという気持ちがあるのではないかと鈴木氏は言う。その語源についてはこう話す。
「元ネタは、スコットランドに住むエドナ・クライン=リーキーという女性が、60年以上前に亡くなった愛犬メイジャーのために書いた『虹の橋(Rainbow Bridge)』という散文詩といわれています。本来は“飼い主を残して死んだペットは、最期の時の痛みや苦しみは消え去り、気持ちよくて快適な虹の橋のふもとで飼い主を待っていて、飼い主の死後、一緒に虹の橋を渡って天国に行く”という内容ですが、それが転じて、ペットが死ぬことを“虹の橋を渡る”と表現するようになったようです。現在は、犬でも猫でもペット一般に使いますが、人間に使うことは聞いたことがありませんね」(鈴木氏)
キムタクといえば、昨年、旧ジャニーズ事務所の創業者である故・ジャニー喜多川前社長の性加害が問題視された際、自身のインスタグラムに、敬礼ポーズとともに、「show must go on!」と投稿し、大炎上したことは周知の通り。
たしかに西田敏行さんには「虹をつかむ男」という出演作があるが発言の文脈的には関係ないはず。今回も気の利いた表現を使おうとカッコ付けたあまりにすってんころりん、自らの無教養を露呈してしまった。
◇ ◇ ◇
木村拓哉の立ち位置に似ていると言えば良いだろうか。関連記事【もっと読む】目黒蓮“おバカキャラ封印”でますます上がる俳優業のハードル 「何をやってもキムタク」化の不安…では、「誰を演じても本人」「無知ゆえの珍発言」で知られる目黒蓮について伝えている。
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( 228677 ) 2024/10/31 17:32:42 0 00 =+=+=+=+= 昔、キムタクが同い年の一般人と対話する番組があってたまたま観ていた。 その時、相手は生涯学習の仕事をしていて、聞かれたからその話をしていたのだが、キムタクは最後まで障害の話だと思い込んでいて全く会話が噛み合っていなかった。 スターと呼ばれるような人に知識を求めないが、ある程度の常識は持っていてほしいかな。
=+=+=+=+= 人の死や不幸があった時の立ち居振る舞いで、その人間の素養や本質が分かると云われる。その人への生前への想いや培った教養、ボキャブラリーの豊かさなどが咄嗟に必要となるからだ。言葉以外でも表情や口調などだけで読み取ることもできるから、俳優やタレントなど芸能人にとって、先輩は同僚への「弔意表明」は、その人の生前の功績を称えるとともに発したタレントの力量を占う試金石でもあるだろう。
木村拓哉の演技や意思表明の引き出しが少ないことは今更云うまでもなく、本人や周囲も薄々気付いているはずだ。だがそれならそうで、もしもの時に備えて「気の利いた」コメントのひとつやふたつは用意しておくものだ。そんな準備のお粗末ぶりに対する批判でもあるだろう。
まさか、準備を重ねて用意した言葉が、ペットを送るコトバだったのだとしたら、本人や家族のみならず、事務所の教育プロセスにも甚だ問題がありそうだ。
=+=+=+=+= 番組では西田敏行さんの愛犬である八兵衛についても触れられていました。 もう何年も前に旅立ってしまった八兵衛と再会し、共に虹の橋を渡ったという、心温まるお話しなんです。
ってことらしいですよ。 切り取りって怖いですね。
=+=+=+=+= 渥美清さんが亡くなって、追悼の意味合いで「虹をつかむ男」が制作された。その映画の主演が西田さん。 数ある西田さんの代表作の中でもとても追悼の意味が強く、また受け継がれる役者の夢や生き様のようなものを描いた映画でもある。
ペットの意味なワケがないでしょう。「寅さんやスーさんのいる場所は虹の向こう」っていうのは個々に刺さるかどうかはさておき、いいんじゃないの。こんなに役者として生きた人そういないんだから役柄で別れの言葉を送ったんでしょ。
=+=+=+=+= 確かに人間、しかも目上の方に使う表現ではないかな。でも「ペットが虹の橋を渡った」という表現は以前から間違っていると思ってた。虹の橋は、飼い主さんが来てから一緒に渡るのですよね。うちの猫は母に一番懐いていたから、私が行く頃にはもう居ないね、とよく話しています。
=+=+=+=+= ちょっと小洒落たかっこいい表現しようって思っただけで、あとは深く考えなかったんやろなぁ。 若い時は人間性が浅くても目立たないけど、50歳過ぎると思慮深く考えられない人は悪目立ちしちゃうよね。悪目立ちするオッサンってかっこ悪いからなぁ。 自分は思慮浅い、と自覚して、かっこつけたい気持ちを抑えて、皆の真似してみたらどうかと思う。おっさんになったら、控えめな人間性の方がオーラがあって、かっこつけるよりかっこいいと思われると思います。
=+=+=+=+= 普通の社会人です いわゆる中堅サラリーマンかな 私も虹の橋の意味は知りませんでした 普通は亡くなれば天国にってことで虹の橋を渡るとは表現したこともありません
でも、虹の橋を渡ったと言われたら、なんとなくイメージはできます メルヘンチックな表現だとも思います
少しずれますが、例えば、食事をして「おあいそ」と言って会計する客は結構います しかし、おあいそはお店の店員が使う言葉で、客が使うものではありません
正確な日本語が誤って理解され、誤った日本語が定着すらことは多々あります
虹の橋 ペットとは知らずに使ったのか、本人の創作かわかりませんが、騒ぐ問題でもないのでは 亡くなられた方を思う気持ちは変わらないと思いますが……
=+=+=+=+= ラジオでは10分以上に渡って西田敏行さんへの思いを丁寧に語っています。 その中のたった一文を切り取る事に何の意味もありません。木村さんの話を全て聞いて、このような感想しか出ない人にこそ問題があると思います。 そして、西田さんも生前はあらぬ噂に悩まされた方。このような形で取り上げられるのはご遺族にとっても不本意なのではないでしょうか。 言葉尻を捉えて騒ぐのではなく、静かに故人を偲ぶべきだと思います。
=+=+=+=+= 虹の橋を渡る…ネット界隈ではよく聞く言葉だな… 昔むかしの「魔法使いサリー」で、よしこちゃんの母親が亡くなっていて三つ子の弟たちが悲しむとかいう内容の話が合った。で、おかあさんは虹の向こう側にいて、編み物していたんだよね。そうか、死んだら虹を渡っていくんだ、ということを思ったもんだ。いつの時代からそういう表現を使用し始めたのかわからないが、悲しい出来事であることを「虹の橋の向こう」と表現するならいいのではないかなと思う。というか、いちいちこう言ったああ言ったって、どうでもいいじゃないか、取り上げることでもないべ
=+=+=+=+= 人間に使うのは初めて見たけど、そもそも亡くなった子たちは虹の橋のたもとで飼い主を待っていて、飼い主が来たら一緒に渡るんじゃなかった?先に渡っちゃったら飼い主置き去りなのに、皆虹の橋を渡りましたって言うよね。 コメント見たら、西田さん犬を亡くされてたのね。その子と一緒に虹の橋を渡ったというなら全然おかしくはないと思う。
=+=+=+=+= 今回意図的に使ったか否かは別として、人が亡くなったことを他の表現に置き換えるとすると「旅立ちました」、「天に召されました」 、「永遠の眠りにつきました」 、「星になりました」、「光の世界へ旅立ちました」 になるのでしょう...。しかし、一部に宗教色ぽく聞こえるのもあるので、人によってはこれを嫌がる人もいるでしょうから、やはり公共の電波で不特定多数の視聴者に伝えるなら、オーソドックスに「心よりご冥福をお祈りします」、「謹んでお悔やみ申し上げます」、「心よりお悔やみ申し上げます 」、「安らかにお眠りください」といったストレートな表現を使えば物議を醸すこともなかったのでは...。
=+=+=+=+= 西田敏行さんは天竺に向かわれたのです。 が、西遊記だと天竺は偽物だったので旅は再度始まります。 当時、再び始まった天竺への旅に西田敏行さんはいませんでしたが、 今回こそは、あらためて新しい旅を始めて頂きたいと願っております。
=+=+=+=+= 西田さんが犬を飼ってたことなどに絡めての発言などともありますが、結局話題になるほど誤解を生む表現を敢えて使わなくてもいいと思いますよ
使うなら誤解を生まないように丁寧に言葉を尽くさないとあかんと思います
個人的にはこういう比喩的フレーズを使うより、ベーシックにお悔やみを言う方が深い悲しみを表現できると思います
「残念だ」「さみしい」の方がその悲しみに寄り添えるように思います
=+=+=+=+= 最近の報道って本当にネットでのちょっとしたコメントとか取り上げてさも多くの人が言っているかのように表現するよね。しかもその人を潰しにかかるように。最近はキムタクもターゲットにしているのかわからないけど。報道や記者として恥ずかしくないの?そんな事を記事にして楽しいの?もっとニュースにすることあるんじゃないの?って思う。キムタクは別にこれと言って悪い事をしたわけでもないしこんなしょうもない記事を書いてる暇があればもっと政治の闇でもしっかり調べて記事にしなさい
=+=+=+=+= たとえそうであっても、本人はそうしたつもりで発言してはいないだろうし、そもそもペットに関して使うのワードもいつから始まったんだか元々無い(日本に)表現じゃないのかなぁ…何にしてもいちいち細かい事で騒がしいなと思うのは私だけでしょうかね…他に大切な事が沢山ありますから…西田敏行さんのご冥福をお祈りいたします。
=+=+=+=+= うちはペットもいないし、虹の橋の話も知らないが、そもそもそれがペットの飼い主に使う言葉になっているなんて、流行り言葉の一種なんですよね?それに今では亡くなったペットと一緒に埋葬する方もいるようですが、元々は人間とペットは一緒に埋葬なんてしていなかった。それもこれもペット好きな飼い主が作り出した事。社会の一般常識のようにメディアまでが取り上げるのはどうかと思う。知っている人が正で、知らない人が誤と決めつけているような記事はどうなのか。 虹の橋を渡ろうが、天国に行こうが極楽浄土に行こうがそれは信じる人の常識でしょ?見てきた人はいないわけで、押し付けは良くない。しかも悪気があって言ったわけでもない。最後に私はキムタクファンでも、キムタクの肩を持つわけでもない。なんならアンチですが。
=+=+=+=+= 忘れもしない10年ほど前、周りから慕われていた身内が亡くなった時、それまで降っていた雨が止んで、とてもきれいな虹がかかりました。 あの虹はご先祖様が迎えに来て、そして渡っていくんだ と残された私たちは思い、感謝をもって送り出すことができました。 確かにペットが亡くなった時に使う言葉だと思いますが、こういうケースもあります。
=+=+=+=+= 擁護するわけではないけれど…
身近に動物がいると、仲間の飼っていた動物の場合も含め、割と多くの死に接する機会があり、普段から『あぁ、だれだれちゃんも虹の橋を…』という風に考える機会があると、そうは多くない、人の場面でも同じような表現が頭をよぎってしまうのではないかと推察されます。
適切な表現は大切なのだけれど、哀悼の意を込めて悪く言っているわけではないので、やっちゃったね、くらいで流してあげてもいいのではと思いました。
=+=+=+=+= 私は葬儀の仕事をしております 御葬儀後にご自分の親が逝去された時よりも一緒にいたワンさん,ねこさんがご逝去された時のほうが比にならぬほど落ち込んだ、立ち直るのに時間がかかった というお話をたびたび耳にします それはワンさん、ねこさん人間と同じかそれ以上の存在だからかです としたら”虹の橋を渡る”を人間に使うのは全然間違えではないはずです キムタクさんはそんな体裁を気にする間もなく文章にしたはずです 本当に哀しいから。
=+=+=+=+= 木村さんと同年代だけど、お世話になった方や人のお悔やみに虹の橋は使わない方が良いけど、言いたい事は伝わる。木村さんくらい人気になると、周りが気を遣うから若い時に常識やマナーを教えてくれる人がいなかったんじゃないかな。学ぶ機会がないと大人になって恥をかいたり失言したりしてしまう。自分で調べたり、勉強して常識やマナーを身に付けるしかないよね。
=+=+=+=+= 虹の橋はペットのみに使われる表現ではないと思うんだが。 あの世に行くルートに動物専用があるとは初めて知ったよ。 文学的でロマンチックな表現じゃないか。地獄の入り口で判決待ちよりずっといい。 他人に常識だの知識だの云々偉そう言って気持ちよくなるのは結構だが、そいつは言うに足る常識や知識を持っているのかね? ストレス解消はもっとマシな方法でやったほうが良いと思うんだが。
=+=+=+=+= キムタクのことは好きでも嫌いでもありませんが・・・
″虹のかなたに”の映画では、もう何年も前に旅立ってしまった愛犬(ゴンだったかな・・・)と再会して、一緒に虹の橋を渡ったということでした。実生活でも愛犬(八兵衛)を亡くされている西田さんですから、キムタクはそれを踏まえて「虹の橋を渡った。」と表現したんじゃないですか。
そうだとしたら、彼のことを無知とか無教養と言っている側にも、発信前の慎重さや知性・教養・礼儀作法が求められる話ではないかと感じます。
=+=+=+=+= 「虹の橋を渡る」の詩をよく読めば分かることですが、ペットは死んでそのまま虹の橋を渡るのではありません。虹の橋のたもとで待っている、と書いてあります。ペットが勝手に渡ってしまうのではありません。飼い主が来るまでずっとただただ待っているのです。そして飼い主と再会して、一緒に虹の橋を渡ると書いてあります。 別に木村拓哉さんの肩を持つわけではありませんが、この「虹の橋を渡る」発言の前に亡くなったペットの話をしていたのなら、文脈として全くおかしくありません。「虹の橋」はペットと飼い主が一緒に渡るのです。これが元詩の内容です。 この記事は単に世間の流言飛語に惑わされた無責任な悪意あるライターによる記事であると言えます。
=+=+=+=+= 俳優さん達には、ある程度の教養は必要だと思います。年齢を経るにつれそれが身に付く方もいると思うが、芸能界のある意味狭い中では、周りのマネージャーを中心に一般常識、教養、その俳優さんの苦手分野をフォローしていくと本人の利点と共にもっと魅力的な人になると思います。ときに苦言も言える人は大切。 でも今回の件では、少しカッコ付けたのかな。
=+=+=+=+= これ、切り取りらしいですね。そもそもペットの死について「虹の橋を渡る」から間違った使い方をされているので「キムタクは無教養」となるのでしょうけど。本来「亡くなったペットは虹の橋のふもとで飼い主さんを待ち、飼い主さんが亡くなるとそこから一緒に虹の橋を渡る」というのが正解。西田さんは愛犬を亡くされているので、キムタクは「愛犬と合流して一緒に虹の橋を渡りました」と(いう意味で)言ったらしい。教養がないのはどっちなのかって思いますね。
=+=+=+=+= 公的な立場としてコメントするならば、分かりやすく明確な言葉を述べた方が間違いがなくて良いんじゃないでしょうか。 詩的だったり抽象的な表現は受け取る方によっては、自分の意図した事と全く別に受け止められることもあると思います。 こういった言葉は、親しい内々の場で使うのが正解かと。
=+=+=+=+= これを無神経な失言として扱うには厳しすぎるんじゃないかなと思う。 西田敏行さんは過去に山田洋二監督の「虹をつかむ男」という映画に出演されていて、その映画のポスターの西田さんは虹を背景にとてもいい笑顔をしている。キムタクにとっての西田さんはそういうイメージで無意識に西田さんと虹と関連付けて出た言葉だったんじゃないかという推測もできる
=+=+=+=+= 言葉って誤解と誤用でも時代によって変わっていくものだと思う。 違和感がある言葉も世代によっては当たり前と認識され、変わっていくものでしょう。 今回の件は確かに間違いだとしても、よっぽどじゃなければ目くじら立てて責め立てるまでの事じゃない気がするなぁ。
=+=+=+=+= 昔、石坂浩二さんが「役を演じるということは、己に少しでもその要素が無くては演じられない」とおっしゃったのを思い出します。 私は華麗なる一族で鉄平を演じた木村拓哉さんをリスペクトしています。あの演技は見事でした。 日本語は奥深く難しく、誰でも間違うことはあり得ます。 ケチを付けてニュースにして、銭を稼ぐ商売の方がどうかと思うのですよ。
=+=+=+=+= 何かの事象を表す言葉が無かった時代に使われていた単語が、現代になって差別用語に該当するとして使用を控えるようになった流れは理解できる 障害とかね
また、世代間の常識のズレから、出来婚が授かり婚に表現が変わっていったのも時代の流れかな?と理解できる
ペットが亡くなった経験もあるので寂しいなぁ、という心情も理解できる
理解できないのはロスに浸って悲嘆に暮れて、言葉遊びでしか気分を持ち直せない人達って、親族を無くしてもそこまで悲劇の主人公に成らないのになぜ?って言うことと、ペットロスの悲しさをお前なんかに理解できないだろう、っていう薄暗い心情が見え隠れするイミフな批判と、便乗するアンチキムタクかな 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い的な批判で騒がせて欲しくない キムタクはどうでも良いが、表現がそこまで悪いと思えないし、単純に荒らしが西田敏行の訃報を利用するなと言いたい
=+=+=+=+= ただの揚げ足取りにしか聞こえない。 その人がどんな気持ちで言葉にしたかを、もっと考えてから、記事にすべきだと思う。 もし、お星様になったとか、天竺へ旅立ったとかも、もしかしたら国や宗教によっては禁句かも知れないし、明からさまに地獄に行ったとかの表現で無ければ、その人の感情を察して受け止めるくらいの心の広さも必要だと思う。 悪友同志なら、地獄で会おうくらいの表現をしても、周りが察してアイツらしい表現だとか、強がりを言いやがってくらいで済むのに、俺が知ってる言葉の表現だと無知な奴だと決めつけるのは、いかがなものかと思いました。
=+=+=+=+= 虹の橋を渡る?それがペットに対して使われるとか、私長い事生きてるけど全然知りませんでした。 うっかり言ってしまいそうなワードなので知れて良かった。 木村さんのおかげで1つ学べました。ありがとうございます。
=+=+=+=+= 私はキムタクと同年代でペットも飼ったことあるけど、人間には使わない言葉とは知りませんでした。 意味は分かるし、逆に気持ちが伝わるような綺麗な表現のように思います。 明らかに悪意のあるような言い方にしてしまったのなら批判も仕方ないとは思うけど、批判してる人達だってキムタクが悪意を持って使った表現とはこれっぽっちも思わないでしょ。 使い方を知ってる人にとっては違和感はあるでしょうけど、だこらってそんなに叩くことかなぁ。 別にキムタクのファンではないけど、こんなことで批判受けるなんて可哀想だなーと思う。 まぁ批判も覚悟で芸能界に居るのだろうし、こんなことで話題になるなんてビッグな証拠ですね。 こうやってしょっちゅう揚げ足取られて批判されていると逆に応援したくなる。
=+=+=+=+= 正直キムタクのファンでもなんでもないですし、虹の橋を渡るという表現も初めて聞きました 記事に書いてある通り、本来は“飼い主を残して死んだペットは、最期の時の痛みや苦しみは消え去り、気持ちよくて快適な虹の橋のふもとで飼い主を待っていて、飼い主の死後、一緒に虹の橋を渡って天国に行く”というのなら ペットは虹の橋を渡るのではなく待っていて、飼い主とともに天国に行くために虹の橋を渡るんだし、間違ってないのでは?西田さんも生前ペットを飼っていらっしゃったようですし。
=+=+=+=+= 「虹の橋を渡る」という表現、ペットを飼った経験がないので割と最近まで知りませんでした。ネットでそう書いてる人をみて、ん?これはワンちゃんが亡くなったという意味かな?と文脈から分かったけど。(亡くなる、も動物に使う言葉ではないと思いますが、死んだ、というのも直接的過ぎて使いにくい言葉だし、虹の橋~は婉曲表現としてしっくり来たのでしょうね)いわゆる正式な日本語と言えるほど万人に浸透してる言葉ではないと思うから、この件だけで無教養と決めつけるのはちょっとどうかな、と思う。
=+=+=+=+= 特に木村氏のファンでもないので庇うわけではありませんが。 正直、下手に発言できないなとちょっと怖いなと感じました。 虹の橋を渡る=ペット用語 って私も知らなかったし。 悪意があった訳でないなら、こんなにしつこく叩かなくてもいいのになとも思う。 これに限らずだが、こういう事して相手が気に病んで自 殺とかしてしまったらどうするんだろう? 責めまくった人たちは責任取れるのだろうか? 他人に対して無知無知言うの、そんなに楽しいかな? 個人的にはこういうことがイジメの温床なんだと思うけど。 日本人の体質なのだろうか?
=+=+=+=+= 虹の橋ってそもそも北欧神話からきてるんじゃなかったっけ?神様がいる世界へ繋がってる橋。主に小さな家族の別れに際して言われるけど、話の由来を辿ればそんなに無教養でもないんじゃなかろうか。 表現としては、故人とは不釣り合いなポップさがあるようには感じるけど。
=+=+=+=+= ネットなどで『虹の橋』という表現を度々見るので、何に対して使うのか、どのようなシチュエーションで使われているかは理解しています。
ただ、ネットや海外の文学に疎い人は知らなかったり、適切でない使い方の人がいることもあるだろうなとは思います。
=+=+=+=+= キムタクさんだけでなく、アイドルを職業としてきた方たちの中で知識が豊富、勉強ができる、頭が良いという人は昔から極わずかだと…。それは勉強等する時間を削ってアイドルをしていたからだと思うので、それはそれでいいと思います。 最近はクイズ番組でものすごい活躍されてる方もいらっしゃいますけど、アイドルや若い俳優かさんで、そういう方の方が珍しいと思います。
ただキムタクさんは自分を知らないのか、勉強があまり得意でないとか知識が偏っているとか認識していないようで…
=+=+=+=+= アイドルがイベントで使用する生誕祭だって本来は故人の誕生日に対して使う言葉であるのに、今や生きている人の誕生日おめでとう会に使われる言葉になってしまった。時代とともに言葉は変わっていく。
=+=+=+=+= 自分は生き物を飼うといった趣味が皆無だからか、虹の橋を渡る、がペットの死に対し使う言葉だと、つい先ほどまで知らなかった。 言葉に関しては、本当に知っているか知らないか、でしかない。 知識人でも、ある言葉の意味や書き方を間違ったまま覚えてしまい、長年それで使っていた、なんて例は幾らでもある。 ただ、いつでも学ぼうとする姿勢は大事。
=+=+=+=+= >本来は“飼い主を残して死んだペットは、最期の時の痛みや苦しみは消え去り、気持ちよくて快適な虹の橋のふもとで飼い主を待っていて、飼い主の死後、一緒に虹の橋を渡って天国に行く”という内容
だとしたら「橋のたもとで待ってたペットとともに、飼い主も一緒に同じ虹の橋を渡っていく」という内容なんでしょ。 ペットと一緒に「虹の橋を渡っていく人」がいるんだから、虹の橋を渡る行為は、人に対して使っても全然おかしくないんじゃないの。西田さんの愛犬で、先に行って待ってた子がいるんだし。
特定の誰かが何か言うと、そのことについて何とかして批判しなければならない使命感に燃えてる記事って変なの。
=+=+=+=+= 大人でも言葉の使い方を正しく知らないはある。ただ、人が亡くなったときにかける言葉や使う言葉は相手に失礼がないか、気を悪くしないか、一歩踏みとどまって確認すべき。いまはスマホでちょっと調べられるんだから。
=+=+=+=+= 何か違和感を感じます。 今まで旧ジャニが何を言っても拍手喝采もしくは(失言なら)ダンマリのメディアが、ちょっとした間違いを揚げ足取りの様に報道するのにお隣の国で有名な「溺れてる犬の頭を叩く」という感じがして違和感と不快感を感じます。
木村拓哉さんが西田敏行さんの死を悲しんでる事には違いないはず。 逆にそれを知ってて表現した訳じゃないのなら叩く必要は無いと思います。
=+=+=+=+= 子供の頃からアイドルとしてここまで来たから多少一般常識的な事を知らない面は確かなあると思う。あと台湾統治時代にあった霧社事件を題材とした映画セデック・バレで現地民の言伝えで立派な生きた者は亡くなった時に虹の橋を渡れる、みたいな話が出て来たと思う。記憶違いかも知らないが…。だからキムタクの言った言葉自体はまるっきり見当違いではないかもと思う。日本人としてはそういう表現をするかどうかはわからないので、誰かえらい人教えて…。
=+=+=+=+= 虹の橋よりも気になるのが、また「だったり」の乱用。最近これ使う人がほんとに多い。カジサックの影響なのか? 複数挙げる必要ないし、他のを思いついてもいないくせに無理に「いろんなことがありますよ」と押し付けるような手法に感じられます。
=+=+=+=+= 昔からの言葉遣いや風習と違って、最近のマナーを知る知らないってのは教養とは関係ないと思う。 自称マナー講師があれこれ好き勝手に言ってるのもたくさんあるからね。 教養の一部に含めるのはせめて辞書に載るとか世の中に広く認知されてからだと思う。
=+=+=+=+= 虹の橋を渡るっていいですよね でも正確には飼い主が虹の橋に来たら一緒に渡るから待ってる状態なんですよ もし西田さんが愛犬を亡くしてたら素敵な表現だと思います
=+=+=+=+= 教養がなく難しい物事は理解出来ないので、常にマネージャーが身の回りの事をやっていると聞いた事があるからこの記事を観ても何の不思議はない。 金があるのならマネージャーに任せたら良いと思うし、能力が無い方が下手に自分の意見を飾ろうとするとボロが出る。 特にこういった場面ではシンプルな表現で表す方がが1番良いと思う。
=+=+=+=+= 番組では西田敏行さんの愛犬である八兵衛についても触れられていました。 もう何年も前に旅立ってしまった八兵衛と再会し、共に虹の橋を渡ったという、心温まるお話しなんです。
↑というコメントを見かけました。記者様の方こそ取材が足りないのでは?
=+=+=+=+= お悔みのときの言葉って、 とにかく少な目の方がいいものと ずっと思ってきた。 もちろん、テレビ、ラジオなど一般でない方の場合は それは大変だと思うけど。 今回は、何か変な「シッ タカ」という感じか。 数多くの映画、テレビに出演されたのを 観させていただき、いつも感動をいただいておりました。・・とか、 それだけで良かったのに。
=+=+=+=+= ペットを飼っている人間だって全員がそういう表現を知ってる訳じゃないだろうし、他でも虹を渡るなんて言葉は使うでしょ。昔、天地真理の「虹をわたって」という歌もあったよ。木村だから敢えて突っ込まれた感じだし一部の知ったかぶりが騒いでるだけにしか思えない。 私はむしろ動物に対して「亡くなる」という表現する事に違和感。家族同然だからという思いで使ってる人もいるでしょうけど、人間の死に対して使う尊敬語。こっちの方が言葉の間違いとしては恥ずかしいと思う。
=+=+=+=+= と言っても、最近生まれた造語の用法なんざようわからんやろ。本人は恐らく直接表現避けたくて詩的に映える言葉を使っただけ、元ネタの本は知らんけどその作者もたまたまペットに使っただけやろ。天に登る表現や虹を橋に見立てる表現はそれ以前からある話。虹の橋についてはどっかの国の神話か昔話か何かじゃなかったかな。 まぁ、こんなのは個人同士の親交度合いにもよるし、死を惜しむ気持ちを表明してるんだからいちいち叩くのに使うほどかね。 木村拓哉が大学で文学教えてるとかならまだしも、若い頃からダンスと歌と俳優とで練習に時間費やして日本で知られる人にまでなったんだからそら教養面が年齢に比べて若干疎くなる理由もわかる。自分の分野で結果出してるんだから、言うほど記事にして小馬鹿に批判するほどでもないだろうに。 同じ年齢になったとして同じくらい何かなせるとは到底思えない人達がくだらない事でマウントとってる場合かと。
=+=+=+=+= 不適切だという気持ちもわかるけど、元ネタを見るとペットに限定した表現ではないんだよね。 決して貶める意図は無いと思うし、本来の追悼の思いはしっかりあると思う。
もちろんカッコつけすぎて、伝わらない表現を選ぶのはやめたほうが良いとは思うけどね。
=+=+=+=+= この話題の本質ってなんなんやろうね。 日本語を「正しく」使うことなんだろうか。木村氏は正しく使えていない、という点を皆さん非難なさっているの?
では、翻って「言葉を使うことの正しさ」とは何? 木村氏は誰にこの言葉を伝えようとして、その受け手はどういう風に受け止めると皆さんは想像するの? 「オレはペットじゃねぇよ」と怒り出すのだろうか?
僕はそうではないと思う。言葉はそれだけで伝え切ることは難しく、相手側の汲み取る行為と合わさってはじめてコミュニケーションが成立すると思うけどな。
僕はペットを飼ってないし、飼う人の気も知れない人間だから「虹の橋を渡る」ということが人間に使っていけない言葉だとは全く知らなかった。
形式と中身は整合していることが多いのかも知れないし、整合しているべきだ、という考えも分かる。
でも、整合していなくてもいいんだよ。伝えたい相手に伝われば、それで十分なんだ。
=+=+=+=+= 大物アイドル、俳優、ミュージシャン、、、大物と呼ばれる人材でいるのであればやはり一般常識や教養は大事ではないでしょうか?芦田愛菜さんみたく子役時代から業界にいても沢山本を読んだり自分磨きを怠らず努力をしてきっちり教養も身に着け今も活躍されてる方もいらっしゃいますしね。
=+=+=+=+= 最近の芸能人は一般常識とか節度ある行動とか求められて本当に大変やなぁ 大体一般人と同じ感性持ってるやつなんか一般人から見ても面白く無いで?少々ぶっ飛んでるぐらいの方が見てて面白いのよ 歌舞伎なんか結構な爺さんが若い愛人を妊娠させるなんて結構あったやろ?法に触れるとかや無い限り生暖かく見守ったろうや
=+=+=+=+= 若い頃から芸能界で秀でた才能を発揮してきた人。もう少し多めに見てあげても良いかと思いますが。
我々凡人には無い才能を伸ばして来たのですから。例えば大学教授と呼ばれる人の中にも本当に専門バカで自分の研究分野以外は中学生レベルなんて人もいます。しかし一つ事に集中して秀でる事もまた多くの人に役立つ研究であったりします。
芸能人で尚且つ優秀な方もいますが、ごくわずかな方々ですよね。人は誰も完璧ではないし。
=+=+=+=+= むかしお笑い芸人さんのライブで、貴重品をきじゅうひんと言ってて、それが何度も何度も言うもんだから、自分で台本?書いてないのかと笑えなくて困ったことがあった 最近は若いレポーターが神社でゴリエキゴリエキ言っててこれまた他の情報が霞んでしまい…
木村さんのことを悪く言う気はないし、読み間違い勘違い、揚げ足を取るようで悪いけど、やっぱり気になります。。
=+=+=+=+= 細かいねぇ。 その人を偲んで言ってるんだから良いじゃないですか。 単に最近は動物に多く使われてるってだけで、人に対して言う人だっていますよ。
まぁ一応キムタクもタレントで言った事がすぐに広まるんだから、ちょっとした世間の知識と気を付ける事は必要かもね。
=+=+=+=+= 悪意はないんだと思います。変な部分もある人だけど、良くも悪くも格好良さにこだわるので、イジメのような格好悪いこともしないでしょうし。西田さんを馬鹿にする意図も、そんなことをする理由も無いと思います。
ただそれは「木村さんの心」で、西田さんの関係者やファンが、「西田さんは虹の橋を渡った」という表現を聞いてどう思うかは別の話です。
木村さんのファンは必死に擁護して語源を調べたりとかしてますが、そういう問題ではないと思います。やっぱり不適切ですよ。そして何をしても絶賛するファンの存在が木村さんにとって良いのか疑わしいです。
=+=+=+=+= 結構遠回しにトークをするのを見受けられるのでキムタクは話が色々まわりくどいとも言われたりしますね。 色々な方々と接しているし、気の利いたプレゼントを渡したりもしているので教養はあると思いますよ。
=+=+=+=+= 近年キムタクへの風当たりが強いが、取り立てて記事にするほどのことかと思う。確かに西田さんに失礼にあたる表現かもしれないが、故意ではないんだし誰しも思い違いや言い間違い、失言はあるでしょう。記者や非難してる人はそんなに完璧な日本語を普段からはたして話せてるんですかね。「情けは人の為ならず」を相手のためにならないということではなく、いずれ自分に返ってくるという真意を理解できて使っているかと同じようなことと思うが。いろんなことわざの本質を分からずに使ってる日本人は多いよ。
=+=+=+=+= 「虹の橋を渡る」という表現は私も初めて聞きました、20年前ごろから広まったとのことですので比較的新しい言葉なのですね。実際に私の周囲の人もこの表現を知らなかったので、一部のペット好きの人たちの間だけでそのような意味があるということなのかもしれません。 言葉の意味というのは変遷していくものですし、新しい言葉であればなおさらその意味はまだ不確定なものだと思います。ネット上の個人がつぶやくならともかく、文章を生業とするメディアが、あたかもこの言葉はこういう意味だと決めつけて鬼の首を取ったかのように記事にするのもくだらないなと思います。 キムタクさんがどのような趣旨でこの表現をされたのかわかりませんが、彼らしい美しい表現だなと思いましたけどね。
=+=+=+=+= この表現は知らなかったので勉強になりました。
ついでながら、葬式で「故人も草葉の陰から○○」と言う表現は不適切だそうです。草葉の陰とはあの世とかお墓の下の意味なので、まだ埋葬もされず、あの世にも着いていないから。四十九日や三回忌などでは使用しても良いようです。
でも個人的には、野垂れ死にして骸骨が野原に放置されているイメージが思い浮かぶので、使わないようにしています。
=+=+=+=+= これは焚きつけられそうだな…と思える事象や投稿を見つけては 世間から叩かれるような形でアップして 世間を煽って叩かせる…みたいなことを商売としている人間がいる。 今や社会は落ち目になった有名人を叩くという「娯楽」が浸透してきている… どこかでちょっと弱っている者が居ると 「こいつ弱ってるぜ」と誰かがアナウンスする… するとどこからともなく大勢の人が集まって 寄ってたかって殴る蹴る… 事実であろうがなかろうが… 殴る蹴るできる場が求められている。 次々と新しい相手を殴る蹴るする刺激に 次第に病みつきになる。 提供側は問題を掘り下げるために提供している訳では無いので 旬が過ぎればまた次の生贄を提供する。 だからこの国では一定の時間が経てば、どんなに重大な社会問題でも風化していく(Jの件などその典型)。これがこの国のマスメディアの仕事であり、正体である。単なる金儲け…
=+=+=+=+= 西田敏行氏にも先に旅立った愛犬八兵衛がいたから、虹の橋のたもとで西田さんを待ってて、きっと西田さんと一緒に虹の橋を渡ったんだと思います、というのが木村氏のお話の全容のようで、ならば何も解釈違いではないし、むしろ本家の内容そのままで教養があるし、故人への深い愛情も感じられるお話なのですが。切り取りと印象操作の極みと感じる記事です。
=+=+=+=+= あー、たしかに虹だと登ったかと思ったらそのまま地面に降りそうだもんな。 と思ったらペットの表現なんだ。ペット飼ったこと無いから知らんかったわ。 初がペットに対する表現ってだけで、 別に人に対しても問題ないんじゃない?って思ったけどダメなのか。厳しいなぁ。
=+=+=+=+= 西田さんに先に亡くなったペットがいたという話があるそうで、キムタクはその子と一緒に虹の橋を渡ったと言いたかったんだろう、という意見もありますね。
キムタクもペットを飼っているようだから「虹の橋を渡る」という言葉は知っていたんでしょうが
語源〈亡くなったペットが虹のたもとで飼い主を待っていて一緒に渡る)まで知っていたとはちょっと思えません。。。
=+=+=+=+= 何だか言葉狩りみたいで嫌な感じだな。 「虹」って比喩的表現として昔からよく使われていて、不可能な目標を言うと虹を掴む様なものとか、目標に達成したら虹を掴めたとか小説とかに虹を引用した例えがたまに出てくる。 「虹の橋を渡る」がペットの死を意味する婉曲的な表現だとしても、西田さんは虹色に明るい人だったから全然変だとは思わない。
=+=+=+=+= 三途の川を渡るのに舟で渡るか虹の橋で渡るか自由だろう。ペットも舟で渡るかもしれないじゃ人間だって橋をつかうな人もいるだろう。木村が「西田さんも舟で渡り好きな音楽を聞きお酒を」と発言したら正解なのかよ?そもそもマスコミが得意な切り取り発言にいちいち反応するなよ。私は三途の川は舟でなく橋で渡りたいです。我が街には『虹かけ橋』の名前の橋がありますよ
=+=+=+=+= 別にキムタクを擁護するつもりはありませんが… 30年以上前に千葉で祖父が亡くなりました。 まだ子どもでしたが、身近な人の死を初めて経験しました。
翌日の朝だったか、告別式の朝だったかに一瞬虹が出たそうで、祖母や母が「良かった」と涙ぐんでいました。 天国へ行く橋だと教えられました。
その後49日まではこの世にいると聞き、虹を渡って天国に行ったんじゃないの?と混乱したのを覚えています。
虹が天国への橋というのは全国的なものか分かりませんが、地域によってはそういう考えだったりするのかも?
木村さん、千葉県出身ですよね。
=+=+=+=+= 【詩は、死んだペットの魂が、虹の橋のたもとにある一面に緑の草原が広がる楽園に行き、そこで元の飼い主を待っていると、うたっている。そして彼らの飼い主がまた世を去った日、この場所でペットと人々は再会し、虹の橋を共にわたって、天国へと入って行くと信じられている。】
となっているのだから、人間も虹の橋を渡るのだから、人間に使ってもいいのでは?
=+=+=+=+= そもそも虹の橋はペット専用ではなく天国に繋がる橋であり、意味合いとしては『三途の川の渡し船』と同じです。近年たまたまペット用語として広まっただけなので、人に当てはめても全く問題ないと思います。
=+=+=+=+= >虹の橋を渡った向こう側ではきっと好きな音楽を聴きながら、 大好きなお酒だったりとかを楽しんでいただきたいなと思いますね
人それぞれに感じて、それぞれな表現が有ります。 西田敏行さんの自由奔放な明るさを、 尊重した表現だったのだろうと思う。 間違った表現法だとは思いませんよ。
何故なのと思うのは、 雲の上の人の発言(地位や人気で)に対する、 切り取りで難癖を付ける風潮止めましょう。
日本語を誤った方向に無理矢理、誘導する行為は間違っています。
=+=+=+=+= 記事を見て西田さん主演の映画を思い出してしまったではないですか?
まあ「虹の橋」といえば愛犬、愛猫といった感じになるのだろうけど、 西田さんある意味”国民のペット”と言わんばかりに、 時にはいじられ、時には愛され、時には共感が持てる方でしたから。
キムタクはあまりラジオじゃないと思うんだよね!おそらくファンの方でも聴いてみたいという方それほどではないかなと思ったり。 長年他局に出てきた中居のほうがラジオ向きという印象がある。
=+=+=+=+= 木村拓哉さんに好意的な印象はひとつもありませんが、ここでこうやって揉めることを西田敏行さんは望まれないのではないでしょうか。 西田さん、いつもニコニコ穏やかな素敵な印象でしたから。
=+=+=+=+= 木村さんは今回のコメントに限らず、語彙力がなく常識外れな発言を度々されて来た人です。SMAPの時には周りのメンバーがフォローしていましたがソロになった現在は隠しようがなくなりましたね。 とはいえ、芸能界ではスーパースターにまで上り詰めた人なのだから得意な分野で頑張ればいいのであって、どうして毎回常識外れのコメントを上げるのでしょうかね。無言の美学、または大人としてもっと普通の表現でいいと思います。
=+=+=+=+= 無教養なのは事実であってもネガティブな記事にすることじゃないだろう。インテリな木村拓哉なんて見たことないし見たくないぞ。 人前で見るキムタクはいつもキムタクなんだよ。カッコつけたり味付けを追加しちゃうんだよ。ドラマでも追悼でもキムタクはキムタク。若い頃はそこがカッコ良くもダサくもうつったし、誰も注意せず賞賛されてきた。時代は変わり年齢的にも社会的にも取り残されたのか分からないけどキムタクは変わらないだろう。真偽はともかくポジティブな記事にしてあげて欲しいな。
=+=+=+=+= いい言葉だと思います。 おかしいと思う人は古典日本人で考えが硬い。 いろんな角度から見たら、皆んなから愛されて虹を渡ることは素晴らしい意味もあります。
=+=+=+=+= 今に始まった事じゃないというか。 何十年も前、キムタクがブレイクし始めた時に、久米宏の夜のニュース番組に柴咲コウとゲストで出てて、イキって小難しい言葉を使って話してたけど久米宏にちょっと何言ってるか分からないですけどってバッサリ切られてたのは永遠に覚えてる。 誰もキムタクに知識や教養があるなんて思ってないから大丈夫です。 あ、夫婦で思ってないです。
=+=+=+=+= この坊主憎けりゃ袈裟まで憎い現象、怖すぎます。未だキムタクファンの姉によると、これはラジオでの発言。彼は八兵衛なる西田さんの愛犬にも言及しており、しかも、この虹を渡るなる表現は、もともとスコットランドの詩人によるもので、飼い主が逝去した際に、そこで再会し天国でまた共に暮らす、という内容がもとになっているので、むしろキムタクの表現の方が正しいのだそうです。彼女、憤慨してました。
=+=+=+=+= 騒ぐこと無いでしょう。人は皆 死ぬのです。火葬され骨壺に納められるのです。天国でも、地獄でもありませんよ。虹の橋 表現に違和感がある。どうでもよいことでしょう。それこそ表現の自由です。けっして亡くなった人を冒涜している言葉には聞こえませんよ。逆に違和感があるとした人に違和感があります。
=+=+=+=+= 元ネタに沿って考えるなら、ペットが死んだ時に虹の橋を渡ったと表現するのはおかしい。 飼い主が死ぬまで渡らずに待っているはずなんだから。 そしてペットも人間も渡るものだから、人に使ってもおかしくはない。 彼の発言に関するニュースを振り返ってみると、こういう時に一般的な表現は使わないだろうということは伺えるので、らしいんじゃないかなとは思う。 何も考えずにご冥福とか言ってる人よりはマシだろう。
=+=+=+=+= 綺麗な言葉に聞こえるからこういう言葉を使う人が増えてるけど、正直故人をペット扱いかよって思ってしまう。こういう言葉は聞いたことがあるから使うのではなく、知識としてちゃんと調べてから使うものです。ことがことだけにね。はっきり言って50歳を過ぎてこの発言は恥ずかしいです。
=+=+=+=+= >人間に使うことは聞いたことがありませんね」(鈴木氏)
聞いたことが無いのは、単に無知なだけでしょ。だいたい記事でも引用した原典に飼い主が「一緒に虹の橋を渡って天国に行く」と書いてるとおりで、昔から昇天の情緒的な描写として人間が虹を登っていく表現はあるよ。 つか、ペットに用いるのは人間に使われていた婉曲表現を援用したに過ぎない。元が援用なんだから、あなたが知ってるかどうかは論拠にならない
そもそも、いわゆる「天国への階段」が虹のアーチで祝福されているだとか、階段そのもののステップが虹の各色なんてのもあって、通俗的な表現だし
まあ、ジャニの事件で禁断ワードをSNSにあげてやらかしたようなキムタクだからと叩けばアクセスを稼げるんだろうけど、今回ばかりは木村が気の毒だ
=+=+=+=+= 確か虹の橋の所で先に亡くなっちゃった子が飼い主を待ってて、飼い主が亡くなったらそこで合流して虹の橋を渡るんじゃなかったっけ。 だから、あぁ西田さんもペットを飼っておられてやっと会えて虹の橋を渡ったんだなぁって思ったんですけど…。 っていうか、何でもかんでもあら探しして追悼の言葉まで揚げ足取りにいってさ、そっちのほうが西田さんに失礼だと思うんだけどなぁ。
=+=+=+=+= 「この表現が日本で広まったのは20年くらい前からだと思います。ストレートに“死ぬ”などというのではなく、ペットが亡くなって強いペットロスを感じている飼い主の心情によく合っているので広まったようです」
私は、この言葉を知らないし、当然使った事もない が、聞けば意味は分かる 使われだして、たかが20年位、人の死には使うものではない、なんて言う方がおかしい
=+=+=+=+= radiko+FMで聴いたけど西田敏行さんの話題の中に死んだペットの話なんて出てきませんけど? 最後の方に虹の橋が突然出てきた。 コメントに認めたくない書き込みがあるが、この記事は言葉を切り取ったのではない。
土曜日まで聴けるみたいです。 それより視聴者をクルーと呼んでメールの名前を呼び捨てにしていたのに違和感。ずっとこれでやってきているんでしょうけど。 大阪のライブ参加者のメール紹介で56歳って年齢を言ってたけど、いいのかな〜と思った。 ファンの高齢化が進んでる実態が・・・
=+=+=+=+= まあキムタクらしくカッコいい言い回しにしたかったが選択した言葉が良くなかったというだけですよね。今は発言した言葉がいつまでも残るので有名人は発する言葉に気を付けないといけないので気の毒ですよね。自分も普通の会話のなかで間違った言葉を普通に使っていることもあるし彼も人間ですから間違った使い方することもあるでしょ。カッコつけしいなのは今に始まったことではあるませんしそんなにキムタク叩きしなくても良いのでは?
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