( 228713 ) 2024/11/01 00:09:16 2 00 御嶽山噴火訴訟、遺族側が上告 請求棄却の高裁判決不服共同通信 10/31(木) 17:53 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/22d53ff598cbaca96366d96ba222c283431ee38e |
( 228716 ) 2024/11/01 00:09:16 0 00 最高裁判所=東京都千代田区
2014年9月の御嶽山噴火災害で、気象庁が噴火警戒レベルの引き上げを怠ったなどとして、遺族や負傷者ら32人が国と長野県に計3億7600万円の損害賠償を求めた訴訟で、遺族らは31日、一審に続いて請求を棄却した東京高裁判決を不服として上告した。
【画像】過熱報道で「市民を殺した」悔やむ元記者 雲仙・普賢岳噴火
22年7月の一審長野地裁松本支部判決は、山体膨張が起きた可能性があるとの意見が気象庁内であったのに、適切な分析をしなかったなどとし「レベル据え置きは違法」と指摘。ただ死傷との因果関係は認めなかった。
今年10月21日の高裁判決は「火山学の知見集積が十分進んでいなかった」とし、据え置きには合理性があると判断した。
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( 228715 ) 2024/11/01 00:09:16 1 00 このトピックでは、遺族側と学識者側との間での意見の食い違いが多く見られました。
多くのコメントでは、自然災害に対する予測の限界や自己責任の重要性が指摘されており、国や行政の責任を問うことには慎重な意見が多かったようです。
(まとめ) | ( 228717 ) 2024/11/01 00:09:16 0 00 =+=+=+=+= 遺族として何かを訴えたい気持ちは理解するが、どんな災害も完璧な予知などあり得ないと思います。 天候も火山も地震も津波も、それぞれが情報収集して個々に判断するしかない。
=+=+=+=+= 強制的に登山をさせられてとかだったらわかるけど、自分の趣味で山登りして天災に遭ったら、それを予見できなかったからって国や県に責任があるんだろうか。もし何月何日ころ噴火しますってわかってたらどこの自治体だって何が何でも登山中止にしてはず。地震だって、いまだにいつ起こるかわからない。台風だって進路を正確には予測できないのだから。
=+=+=+=+= 問題は実用域まで火山噴火予知ができているのかということ。 極端な話、安全に安全を見据えた上で噴火の可能性が極めて低いにもかかわらず「噴火の可能性が高いから登山は禁止する」と言って納得するのかということ。 火山の噴火がいつ起こるのかということが事前にわかれば、それはそれで言うことはない。 しかし今の技術ではそこまで進歩していないのが現状なのではないのか? 結果的に噴火し、多数の犠牲者が出たことは本当に痛ましいと思うが、予知できない自然災害に対してどのような対応が正解なのか逆に教えてもらいたいくらいだ。
=+=+=+=+= 登山もスキーも趣味です。 全ての予知は不可能です。 ある程度の活火山や天候などは予め分かることなのでそれらを留意しなから責任持って遊ぶと言う事です。 山登りもきちんと保険があります。遭難や怪我で救助を呼ぶ場合は保険適用されるみたですが、保険未加入は場合によって有料らしいです。 海や山や川など自然はとても良い反面危険との裏返しです。 遺族の気持ちも分からなくは無いですが、厳しい判決になるとは思います。
=+=+=+=+= ご遺族の深い悲しみは筆舌に尽くしがたいでしょう。が、活火山に登山するリスクは登り始めたと同時に享受すべき。噴火・噴石・有毒ガスなど素人でもリスクとして考えつく。亡くなられた人はどうしたって帰ってきません。せめて不名誉な記録が残らないようにしてあげて欲しい。そしてそのエネルギーを社会の為になる事に使って欲しい。亡くなられた方も社会の為になる事故に名を残したと言えるじゃないですか。もう一度考えて欲しい。
=+=+=+=+= この訴訟に関して色々な意見があると思います。 失礼な物言いになってしまいますが、地震が起きた場合も同様な主張も原告や弁護士はされるのでしょうか?同じ登山で例えるなら富士山が噴火して犠牲者が出た場合も同様な裁判が発生するのでしょうか?亡くなられた方には大変申し訳ないのですが、訴訟そのものに意味があるとは思えません。
=+=+=+=+= むかし阿蘇山火口に行きましたが、平時でも噴煙がもくもく出てやばい雰囲気。今は安全という判断でロープウェイも動いてるが、目の前で突然噴火する可能性はゼロじゃない。それを承知で行くんだから、火山に登る以上文句は言えない。自然災害の予知は、はっきり言って不可能ですよ。気持ちはわかるけど、これは最高裁まで行っても負けるでしょう。
=+=+=+=+= このようなトピックでは決まって「心中は察するが国を訴えるのはお門違い」といったおびただしい数の書き込みがなされる。だが阪神淡路大震災の時はそのような問題提起がされたからこそ行政も変わってきたのである。
一般に、災害における行政の責任は甚だ曖昧で、予防策さえ可能な範囲でちゃんとしてれば事後対応の遅れや手薄さは問われないことが多い。だからこの手の裁判が勝つことは滅多にない。現行法では行政に裁量権が認められすぎているとして災害対策基本法などの改正の動きもだいぶ前からある。特に事後的な義務を盛り込むべきであるというのが主旨だ。
=+=+=+=+= 登山者です。活火山に登るときは今日は噴火の日でも仕方ないと思って登ります。地球は生きてるのです。人智の及ばないのが自然災害です。ご遺族が悲しみのあまりどこかに怒りをぶつけたくなるのは仕方ない。 あの紅葉の休日の昼間に噴火が起きなければこんなに被害者は出なかったでしょう。それも神の業です。 被害者の皆様の安らかな眠りを、 そしてご家族の心の安寧をただただ祈ります。
=+=+=+=+= 自然現象の予測には限界が有るし、御嶽山には一応注意を促す予報も出てたの考えると、勝てる公算は低いでしょうね。山に登ると言う事は、それなりのリスクは伴うものでしょうし
=+=+=+=+= 大雨特別警報とか避難指示とか出ているのに全員は避難しないですよね。 警戒レベルあげても、多分大丈夫と思う人もいるはずだから、絶対助かったということはないと思います。 その場所に行かないこと、その場所に住まないことが命を守る1番だと思います。
=+=+=+=+= 亡くなった遺族からすれば、ただ山を登っただけで危険情報のタイミングがという気持ちがあるのでしょうが、そもそも活火山に行くという事はいつ噴火してもおかしくないという事です。まして東日本大震災であれだけの被害があった後ですから、可能性としては噴火以外の災害も考えられますし、気象庁としても余震活動を重視していたとおもいます。ある程度は「かもしれない」の予測は出来ますが、相手が自然なので空振りだったり被害が大きかったりするのは仕方がなく、あとは自らの判断と責任で自然と向き合うほかないとおもいます。
=+=+=+=+= 天災を国費で賄ってたら、それこそ増税増税になりそう。。。 何かのせいにしたい気持ちもわからなくはないですが、正直、運が悪かったとしか言いようがないかと。 自分もいつどうなるかわからないので、明日もしものことがあってもいいと思えるような生き方を常にできたらな、と思いました。
=+=+=+=+= 噴火が夜間ならばほぼ被害はゼロだっただろう。また、冬場でも大きな被害は無かっただろう。天気の良い9月の休日、正午ごろという最も人が多い時間帯に発生したのが不運でした。
事故にあって、お亡くなりになったのは大変残念だが、誰かに強制されて山に登った訳でもないし、噴火は政府が起こした訳でもない天災なんだから、行政を訴えてもどうにもならないと思うけどね。
気温や風速、衛星からの観測も含めて、データがかなり集まるようになった天気予報でも確実に当たらないのに、データがほとんどない地震や火山活動のなどでは、予測ははるかに難しいと思う。
=+=+=+=+= 遺族としてはやりきれない思いは尽きないと思いますが、やはり完璧な予測は出来ないのが現状と思います。 もっと言えば、山登りはあくまでも自己責任で行うものではないでしょうか? 何でも何となく厚かましく感じるのは私だけでしょうか。
=+=+=+=+= 遺族側に同情はするが、もし裁判で気象庁側が負ければ、富士山をはじめ男体山迄、活火山でいつか噴火する恐れがある山頂は全て立入禁止措置をするような気がする。草津白根山でも噴火も予知できず犠牲者が出た。人智を超えた自然の山だから、登山は素晴らしいと思っている。
=+=+=+=+= あの噴火の同じ時間に遠くは無い他の山の山頂でランチしてました。皆さんスマホ見たり寛いでいましたが、噴火のニュースは1時間後でも山頂の登山者は誰も知る事無く平和な快晴の山を楽しんでいた。帰ってから報道に触れて自然の営みは恐ろしいと思いながらもニュースすら今でも都会以外は流れないのかと実感した。噴火予知して規制厳しくする浅間山は過去に地域が壊滅した惨事を経験しているからこその対応です。経験則の無かった山で噴火注意報出てどれだけの人が従うのか?自分は臆病だから登らないし、9月過ぎたら富士だって登らない。難しい裁判ですね。
=+=+=+=+= 自然災害はいつ起きるかわかりません。それに、警戒レベルを上げるのを怠ってたわけではないと思います。登山者は、活火山に登山をするのはそれなりのリスクがあるのはわかっているはずです。 例えば、スマホなどで地震警戒アラームが鳴り響いてから地震が来るのって数十秒だったと思います。 火山だって同じだと思います。警戒レベルが低かろうが警戒すべき状況であって安全ではないんです。ご遺族の方々は大切な人を失って悲しい気持ちではあると思います。しかし、それと同じくらい職員の方々もこのような状況を防げなかったと残念な気持ちで一杯だと思います。 ご遺族の方々には、自然と向き合うということは、時として危険と隣り合わせになるということをご理解頂きたいですね。
=+=+=+=+= 気持ちは分かるが何でもかんでも他責はダメ。自然相手の場合は特に。事前に情報を確認したり最終的に判断を下すのはあくまで自分達ですべきこと。今回の場合も一応注意情報は出ていたのだから、それでも大丈夫と考えて登山をしたのなら厳しいかもしれないが自己責任と言われても仕方がない。地震予知や火山噴火の予知はまだまだ難しい。そして仮に予知精度が上がったとしてもどう行動するかの最終的な判断はやはり自分達が行うことに変わりはない。いたずらに裁判などして自分達の心を更にえぐるような真似をするよりも、今はただ心静かに亡くなられた方のご冥福をお祈りすることをおすすめしたい。
=+=+=+=+= 適切な分析って 登山者もしないといけないんじゃないかな? 自分で選んだ趣味なんだから。 自分の命は自分で守らないといけない。 情報を鵜呑みにしないで、真実は自分で見つけないといけないよ。
=+=+=+=+= 遺族の気持ちも理解出来るが、これに関しては予測不可能な災害も沢山あるし結局は自分の身は自分で守るしかないんだよなあ。出来ることがあるとしたら、災害に対する備えを出来るだけ多くの人に広めることだね。
=+=+=+=+= この場合、溶岩の噴火に比べて 水蒸気爆発なので 微妙な地殻変動とかの異常があまり現れにくいです。下手をすれば水蒸気爆発は いわゆる普通の温泉地でも小さいものなら起こりえることです。 つまり、登山規制を出すにはあまりに難しいと考えます。 それでも行政の責任を問うというなら、(今回以後はすべからく)行政は今 噴火しそうで心配な山は すべて登山禁止にすれば良い。 さらに、火山でなくても土砂崩れだとか鉄砲水だとかそんな土石流も含めて危険のある山は 気象庁や国土交通省や警察や行政が訴えられないように、全部登山禁止にすればよい。遭難しても放っぽって置く・・・・・・そうするとまた訴えられる? 日本には登れる山なんてなくなる。
=+=+=+=+= 登山で有料で踏み込むはその許可者にも多少の痛みを負う、は有ると思うが この場合は無償登山なので自己責任だと思う、民間の保険を利用すれば良い 飛行機に乗るときに契約する保険と同様です。大きな登山はしないが火山指定山は2年に1回は行くがNETで火山情報を参考にする。生まれが桜島の近くだから霧島連山指宿も危険地帯なので情報を取る。阿蘇山、雲仙もそうです、自治体もツキきりで案内出来ないと思う行くときは家族に事故に遭わない様にもしもの時にはの話をしていく。日本は震災火山国なので行きたいのはよくわかるが、自分の身は自分で守るが一番だと思う。
=+=+=+=+= 噴火警戒レベルはあくまでも目安であって、天気予報のような予報では無いと思います。つまりは、事前に動きを予想してこうなると想定するものでは無い事からも、ご遺族の方にとっては納得の行かない判決となってしまったのでは無いでしょうか。また、噴火警戒レベルの判断材料も10年前はまだまだ判断基準や警戒を要する範囲が公表されていないとの事ですので、その辺の内容が曖昧だった事も噴火警戒レベルを迅速に引き上げられなかった要因かなと思います。
=+=+=+=+= 気持ちは理解できます。
ただ、山。 そして火山。
自然の前には人間の力なんて無力。 山に登ることを決定したのは登山者達。
もしも、この裁判でご遺族側が勝訴してしまったら。 国や各行政機関は少しの自然異常があったら規制をかけまくる事になるだろう。 1番身近な場所で言えば高速道路。 台風が近づいて来たら、大雨予報が出たら直ぐに高速道路を閉鎖するだろうし、暑い夏が続けばタイヤのバーストによる事故防止の為に高速道路を閉鎖するようになるだろう。
海も荒れたら、事故防止のために船の出航を見合わせる事となります。
お気持ちは理解できます。 でも、あらゆるリスクを想定して、自己責任で自然に立ち向かうべきだと思います。
=+=+=+=+= 気持ちはわからないでもない。でも未来を予測するのは難しい。この先も噴火はどこかしらであるだろう。登山はそのようなリスクを知って、自分でも色々調べた上で行くものなのだろうね。亡くなった方や怪我をした方は本当に可哀想だけれど。
=+=+=+=+= 御嶽山には毎年登ってて、その年も噴火の2週間ほど前に登りました。 御嶽山の噴火前から地震活動はあったのは知っていたし気になったけど、確かに規制や注意喚起などはなく、平時と変わらない様子だった。
ただ、注意喚起などはなくても登山前からそういう情報を得ることはできたし、ハッキリ言って登山は自己責任なので国に責任を求めるのはお門違いだと思う。
たまたま噴火を逃れたから言えるかもしれないし、被災された方は本当に気の毒だけど、御嶽山の様な火山を登山するなら自己責任という覚悟がないなら登るべきじゃないと思います。
=+=+=+=+= 御嶽山は昭和54年にいきなり噴火するまで死火山、休火山と言われていた山。それからも目立った活動がなかったが、活火山として「平常」のレベル1の状態だった。そして又いきなり噴火した。御嶽山は事前の兆候が少なく、噴火も突如として起こる特色の火山なのだと思う。データも少なく、当時は噴火の兆候をレベル2にする判断が出来る程、把握するのは無理だったと思う。
=+=+=+=+= 木曽出身です。御嶽山はデータが少なく、噴火の兆候を掴むのは難しいです。 人類が有史依頼目撃した御嶽山の噴火は、
・私の世代(アラフォー)が生まれる数年前の噴火(死火山の定義が見直される) ・私が木曽に住んでいた20年間で2回小規模な噴火があった。 ・10年前の小規模な噴火がおきた。
と4回しかありません。 (10年前の噴火はタイミングが悪く行楽シーズンで山にいる人が多いタイミングだから不幸な結果になったけど、噴火の規模は小さく町は火山灰で汚れた程度だった)
10年前の噴火も火山活動が活発化していて、これ以上活発化するなら基準に従って警戒レベルを上げようとしていた所で、沈静化が始まり活動が弱まってきたから警戒レベルを上げなかったのです。
でも、こういうタイミングで噴火したから、信頼できるデータはまだありません。
気持ちは分かるけど、気象庁を責めるのはできないと思う。
=+=+=+=+= すでに書かれているとおり、自然災害を100%予知し、被害をなくすことなどできない。自然を甘く見てはいけない。そして、山に入る以上はそれらを踏まえて相当の心づもりと自己責任の覚悟が求められる。それができないのならば、うかうかと山に入ることはやめるべき。厳しいようだが、犠牲になられた方々もそのあたりは十分に分かっていらしたと思う。それでも起きるときは起きてしまうのが自然災害だ。誰かに責任を負わせることで少しだけ気持ちが軽くなると思われるのかもしれないが、それは、間違っている。
=+=+=+=+= 噴火警戒レベルが噴火予知とは関係ないことも承知ですが、そもそも登山者は噴火警戒レベルをそんなにアテにしてないんですよね、参考にはするけれど。大雨災害とかでも避難勧告が出るのを待って避難する、出てなければ安全だっていう判断では自然には勝てない。御嶽山は近年にも噴火している活火山だということは当然承知の上で登山をしている筈です。自分も重々承知で登ってます。警戒レベルを上げなかったばっかりに犠牲になったという見解は正直無理があると思うんですけどね。そもそも登山は大小あれど危険を伴う行為なので、些細な危険すら避けたいのであれば少なくとも活火山なんて登るべきではないと思うんですけどね。これがおかしいとなると、国は噴火の可能性のある山の警戒レベルをことごとく上げて登山禁止にすることになりかねないですよ。
=+=+=+=+= 亡くなった方がいる遺族に対して失礼な言い方になりますが。。。 噴火があってもすぐに逃げず動画を撮っていたりその場にとどまって命を落とされたかと思います。 台風などと違う噴火となるとどこかに責任を求めるのは正直違うんじゃないかな?と思います。噴火する活火山は他にもありますし。登る側にも安全についてを考える必要があると思います。 私は山登りはしないので天候でどうだとか詳しいことはわかりません。 ただ、焚火キャンプや旅行に行くときはその時期の天候や周辺状況などは必ず調べます。キャンプ先に熊の情報はありませんでしたが、隣県で出没情報が出ていたので去年は行かず様子見、今年はテントではなく万が一を考えてコテージを選択したりしています。家族が亡くなったことでどこかに責任をぶつけたいのかもしれませんが、噴火以外にも台風や地震など災害はいろいろあります。いつも突然です。それをすべて完璧に予測城は無謀です。
=+=+=+=+= 遺族側の悔しいという気持ちも理解できない訳ではないですが、実際問題として科学的に確実で明確な予知・予測ができる訳ではない以上、国や県を訴えるのは違うのではないかと感じます。 可能性の話で言うならば、噴火警戒レベルが上がっていたら絶対に登山を中止していたと断定できる訳ではないので、やはり訴えるのは無理があるのではと思います。
=+=+=+=+= 例えばしょっちゅう噴火していてデータが蓄積されている山ならともかく、1979年に有史以来初めて噴火、本格的なデータ取りはそこから始まった。そして今回の2014年の噴火までに正確な噴火日時が分からないくらい小規模な噴火が2回あっただけの山だからねえ。 しかも1979年の噴火でも噴火による人的被害はなし。(噴火後の関連地震では人的被害は出たが) 当時のレポートでも直前まで異常は感じられなかったということだし。
元々、御嶽山って3000m級の山なんだけど、七合目までロープウェイや車で登れちゃうから、往復6時間くらいだから紅葉の時期なんてハイキング気分で登る人がいる山なんだよね。
=+=+=+=+= 線状降水帯とか地震による津波警報時など命に関わる避難に対しても強制的には行なっていないし、指示に従わなくても罰則もない。それぞれ自主的に身を守るように努めている。山にはたくさん危険があるし、低体温症、熊、落石、落雷など命に関わるものが多い。自ら死に近づく事で自然の偉大さや命の尊さも感じる事ができるが、それは自己責任で行っているはず。死ぬ覚悟もあって偉大な危険地に立ち入ることが許されるている。 山での事故死や災害死も行政の責任だと言うのであれば全ての山は入山禁止にするしかない。それは登山を愛する人にとって死に等しいのでは?
=+=+=+=+= 不法行為があれば損害賠償は認められる。一言で言えば、行政に過失がある場合。そこを争っているのだが、そことは別に災害対策基本法を見ると、「被災者」は生き残った人だけを対象にしている点に少し違和感がある。死んでしまったらもう無視なのか、という点に冷たさを感じる。
遺族の人たちは少し角度を変えて動いてほしい気がする。 例えば、「見舞金」があってもいいような気がする、が、じゃあ「病死」「事故死」とどう違うのか、という疑問もある。しかし、議論はしておくべきかなという気がする。
=+=+=+=+= 噴火予知の精度はまだ低い。天気予報の精度には程遠い。現状、明らかに噴煙あげてる状態でもなければ警報は出さないでしょ。 そして地震予知はまったくできてない。地震が起きてその影響で火山噴火に至る可能性もある。そう考えたら、もし国の責任が問われるのなら火山は全て登山禁止にするしかない。 もちろん、富士山もね。8合目から上は常時立ち入り禁止。
海水浴も原則禁止。いつ地震が起きてその影響で津波が来るか解らないから。 ハザードマップの水害範囲は全域居住禁止として立ち退き要請するしかないね。いつ大雨が降るか解らないから。 予測できないことでも国の責任が問われるのなら、国はそうするしかなくなる。
=+=+=+=+= 晴天予報だったので外出したものの、雨天となり、滑りやすい靴をはいてたがために転倒し負傷した場合と比較してみた。
訴えの主旨を十分理解できいないため原告側どうこうは特にコメントはないが、気象庁の法的過失が認定されたら気象庁としては今後登山や避難に関してより保守的なスタンスをとるしかないだろう。(極端な話 全登山禁止としておけば責任は負わない) 本件を踏まえて予報精度向上を求められることはあっても、法的責任を負わせるのは難しいと思われる。
=+=+=+=+= 火山のあるところは風光明媚で温泉などもあり観光地になっているところが多い。誰かを恨んだり厳しい規制を望むのではなく、御嶽山の噴火では不幸にも亡くなられたが好きな登山をして貴重な経験をしたのだと考えられないだろうか。亡くなった方本人にとってはそれが幸せな結末だったのかもしれないのです。
=+=+=+=+= なにかのせいにせずにはいられない気持ちには心から同情します。 けれども、故人と同様に山をやる者としては、本事件は到底国家賠償相当とはいえないと申し上げたい。 これからの防災対策の礎として、ご遺族の提訴は価値あるものではありますが、そんなことのために提訴されたわけでもないかと存じます。 なんというか、勝手な憶測ですが、挙げた拳の下ろし方、下ろしどころに困惑されているのかもしれないとも感じます。 お天気で晴れというものは何をもって晴れと指すのか、意外と知らない方も多くいます。 天気予報で晴れと言っていたのにいちにち曇ってた。こんなことなら、といった言葉を出した人も多くいるでしょう。でも天気予報は間違ったことをいっているわけではありません。 今はとても便利なアウトドアお天気サイトがあります。お天気がAだからと鵜呑みにしてはいけないのがアウトドアです。科学的情報をどうとるかは自己責任なのです。
=+=+=+=+= 誰かの責任にしないと気が済まない風潮。何の落ち度もなく家族を失ったお気持ちはわかる気がしますが、それが誰の責任かということとは別問題と思います。火山の噴火も、地震の発生も、100万年単位で動いている地質学の時間と、高々100年にも満たない人間の能力など、比較にならないのでは?普賢岳の火砕流のように、警告していても逃げずに、関係者まで犠牲になることだってあります。子供のころに教わった、休火山という概念がなくなったように、火山の生命からしたら人間の活動なんて最近のお話。富士山が宝永の噴火から300年経っても、ほんの居眠りかもしれません。
=+=+=+=+= 相手は大自然の火山です。 いつ噴火するかなんて本当に運ですよ。 残念ながら登っておられた方々はその時に遭遇された。気持ちの整理がつかずに憤りなどあるのでしょうけど上告はやり過ぎではないですか。 ご本人様達は望んでいるんでしょうか。 亡くなった方々が安らかに眠れるように早く遺族が穏やかになれますように。
=+=+=+=+= 最近台風や大雨の予報、緊急地震速報の範囲が 問題になった事例がいくつかありましたが いつどこで起こるか分からない地震や 向こうから移動してくる悪天候と違い 活火山はあえて自ら近付かなければ 危険に晒される可能性は大幅に減らせますし 活火山でなくとも登山自体リスクを負います
ご遺族にとっては大切な人を亡くした事で 行き場のない悲しみやぶつける先のない怒り それらを向ける先としての裁判は勝っても 負けても悲しい結果でしかないように 思いますよ
=+=+=+=+= 趣味で登山を行なっていたのなら、遺族の方には大変申し訳ないですが責任は御本人の判断に帰するものが多いと個人的には思います こういう書き方をすると、其の為の情報を得ようとしていたのに判断材料となる情報を流さなかったのが原因だ、という反論になるのでしょうけど、そもそも火山情報を信用しすぎていませんかね 自分も釣りが好きなこともあり、行くときは天気予報は当然として、他の情報も参考に出掛けます でも情報は結局情報でしか無く、いざその場で釣りを始めたら五感を研ぎ澄まして身の安全を確保する以外方法がないのです 川を流れる水の様子が何かおかしい、あの雑木林の奥から動物の鳴き声が聞こえる、遠くで雷のような音が聞こえた気がしたetc 趣味である以上、結局判断は自分が下すしかありません 特に火山や地震など予知が不可能なモノに関しては、絶対ではありません なので正直言えばそこに責任を求めるのはどうかと思います
=+=+=+=+= 遺族の気持ちがわからないでもないけど、どこまで国や県が責任を持たなければいけないのか。趣味の登山を楽しむ以上、自然の怖さを忘れず、もしかしたら事故に遭遇して命を落とす事になるかもしれないと覚悟してやるべきだと思う。
=+=+=+=+= 自然災害被害に対しての損害賠償請求には個人的に違和感がある。何よりも御嶽山に40年以上通っている者として、被害者の方々が我々がます山に入らない時期に入られた事に違和感がある。御嶽山は江戸時代から登拝目的で入る山であり、登山を楽しむ山ではない。登拝目的の方の被害者は恐らくいない。地元の旅館にも被害者情報を確認した。まあ今は時代的に登拝する人がいないので、秋山シーズンを楽しむ一般登山者に経済的恩恵を期待せざろう得ない実態がある。言っている意味が多くの方は分からないであろう。時代は代わっても山は神の山のままである。
=+=+=+=+= この訴えがまかり通るなら、地震や台風で亡くなっても訴えられるって事ですよね。 訴えるのは自由ですが、普通に考えて、国や気象庁に責任があると思ってる人はいないし、遺族の方は残念ですが、無理やり誰かを悪者にしようとするのは間違ってると思う。 自然災害による事故と受け入れるしかないでしょう。火山に登る時点で覚悟してないといけないという事です。
=+=+=+=+= 被害者には申し訳ないが国に落ち度があるとは思えない。 しょうがなく裁判を起こしました感がする。 少なくとも山に登るのはリスクが高い事ぐらいは分かるだろう。毎年山で救助を求めるのが多いのが分かるだろう。 家から一歩出たら様々な事故が起きる可能性がある。裁判を起こしてムダな時間をとるよりも傷害保険に入っておいた方が労力が少なくて良いとおもうが。
=+=+=+=+= 地震が起きて被害が出た場合はある程度の補助や激甚災害指定などの方法がありますが、登山は趣味ですし遭難保険なんてのもありますから基本は個人負担です。 弁護士が手数料もらっておしまいでしょう。 お亡くなりなった遺族の方の無念もわかりますが自然災害ですし、強制的に登山させられたのではないので難しいと思います。
=+=+=+=+= ご遺族のご無念はわかりますが、今回の水蒸気噴火は予知が難しいと思います。判決は妥当かと思います。最高裁でも棄却されると思う。
=+=+=+=+= 何かに当たりたい遺族の気持ちはわかるけど自然災害に対して、国の管理対応が悪かったから訴えるは違うと思う。
噴火のレベルあげなかった事言ってるけど、レベル1は活火山であること留意であり、火口内で火山灰の噴出等見られ、この範囲に入ったら生命に危険がおよぶと書かれてます。
それを知っていて、誰にも強制されず趣味で登山してるんですよね。
=+=+=+=+= もしこれが過失が認められたら今後天災に対して必要以上に過敏反応起こしそう。 遺族の気持ちは分かるけど、人間や機械は完璧ではないし、ましてや自然相手に予知なんて不可能。 予知できてたら誰も苦労しないし誰も死なない。 天災に遭う可能性がある趣味をしている人は、ある程度覚悟の上で楽しむべきではないかと思う。
=+=+=+=+= 山川海は、危険な場所です。 自分で好き好んでいくのですから、そのリスクを負う覚悟がないといけません。
海で溺れたのは遊泳禁止にしなかったからだ、山で遭難したのは入山禁止にしなかったからだ、などと、他責にいくらでもできてしまいます。
お気の毒ですが、見苦しい真似はやめて、亡くなった方にきちんと向き合ったほうがいいですよ。
=+=+=+=+= 残された人達の気持ちのやり場って難しいのは分かるけど、私は最終的には自己判断、自己責任だと思うんだけどな。 何でもかんでも人のせいにすることに疑問を感じる 普段から歩きスマホしないちゃんと周り見て進行する レジャー行くときは天気その他自分で調べられる事は調べて、相応の装備をして出掛ける 私はそういう風にして生きてるし、親しい人にもそう心掛けてってお願いしてる。
=+=+=+=+= 噴火警戒レベルというものが何段階あるのかすら知りませんが、 果たしてこれが少しの段階上がったからと言ってわざわざ行った目の前の山を登らないで帰宅するという選択をしたかどうか。
何かのせいにしたいという遺族の気持ちも分からなくもないが、訴えて勝訴して解決するような問題でもない。
自分の家族が登る山の噴火警戒レベルなど私だったら調べもしないでしょう。
じゃ、自分の家族が被害者だったらと考えると複雑だけどなんでも訴えればいいというものではないと思う。
=+=+=+=+= 大自然の中に身を投じれば、何かしらの天災リスクは付き物だし、まして活火山に登るのであれば噴火の可能性は常にあるからなぁ。 ご遺族の気持ちも分かるし、犠牲者の方々に落ち度があったとは思わないが、こればかりは誰かのせいにはできない事象でしょうね。
=+=+=+=+= 遺族感情と最悪不運な亡くなり方を考えれば上告にはなると思います。 最高裁までやり尽くしたという遺族の思いと理不尽な事象、係争過程の中で、少しでも気持ちの整理が出来るような展開になる事をお祈り申し上げます。
=+=+=+=+= 2週間前に御嶽山に登山してお亡くなりになった方へ手を合わせてきました。
悲しい事故でしたが活火山はリスクを承知で登るものだし、 今回の訴訟が通ってしまうと、政府はあらゆるリスクに対して慎重にならざるを得ない為、私達の活動が制限されることになります。 それは良くない事だと思います。
=+=+=+=+= 個人の意思で登山するので、国が止めさせることはできないし、もし国が入山をすべて禁止するって事になると、登らせろって人が出てくる。 噴火予知を告知できない事が責任なら、親族が危険な登山を辞めさせられなかったことも責任で、だれも他責にすべきじゃない。結局、自分の責任において自由に行動するのが一番じゃないのかな。道路あるいてても、つまずいて転んで死ぬこともあるんだから。すべて、誰かに責任があってその補償をしなくてはいけないって事なら、歩くな、動くな、自由に活動してはいけないって話になってしまうよね。
=+=+=+=+= 遺族には可哀想だけど、これが認められたら登山関連は全て国や機関が責任を負うことになってしまう 例えば富士山に軽装備で登った外国人が怪我をしたら訴えてきたりね 「前例を作る」というのはそういう事 慎重に進めてほしい
=+=+=+=+= 南海地震が予知できなかったのと同様に火山の噴火も現在の人間のレベルでは予知は不可能
火山が煙を出しはじめたら全速力で逃げないと助からない
ましてスマホで火山の噴火をゆっくり撮影とかあり得ない
火山の怖さを知らなかったということであり誰かに責任があるとかいう話ではないと思います
=+=+=+=+= これを認めると登山が事前審査とか許可制になったり、やがては登山自体禁止になったりするよな 柵や立札が壊れてたとか人災じゃないんだから悲しい気持ちは分かるけど、それとこれは分けないと。。。
=+=+=+=+= 富士山登るのだって今、噴火したらって思うし。噴火したら関東一円は大パニックになるのは必然だけど住んでいる。地震国の日本でそこまで考えたらきりが無いし予測不可能な事が多すぎるし・・この訴えが通ってしまったら全ての休火山、活火山は入山禁止にするしかないし。周辺も住めなくするしか無くなる。 気の毒だとは思うけど運が悪かったんだと思う。
=+=+=+=+= 地震予知よりも、火山噴火予知の方が難しい。 そもそも50年前は、活火山と休眠(死火山)しか区分け無かったし。 榛名山は昔は死火山だったと…。 今は、榛名山、富士山ふくめて全て火山。 ここ最近の死者の出ている火山噴火は、栃木県群馬県境の白根山と御嶽山。 両方とも突発的水蒸気爆発。 遺族側の請求を認める根拠を示せる科学者がいるのだろうか?
自己責任は極力使いたくないが、 登山事故はあらゆる自然災害が絡んでくるし。
=+=+=+=+= 地震予知もそのうち現実味を帯びてくればこの様な訴訟が起こり得るという事ですね。 研究している人達はそんな結果の為に研究しているわけじゃないです。 少しでも被害を減らす為、です。
自然災害を全て防ぐというのはまだまだ人類には難しい事だと思います。
=+=+=+=+= 気持ちはわかります。 ただ自然災害であり火山性の余震や ガスの噴出などが確認されていれば 注意喚起や立ち入り禁止も出来たと思うが自分の意思での登山ですし そこまでは予知はできなかったのではと 思います。残念で悔やまれる気持ちはわかりますが。
=+=+=+=+= 気象庁の予報はあくまでも自己判断の材料とするべきではないだろうか。予報は予報であり方法論が確立しているわけでもない。これで気象庁に責任をもとめるのなら、気象庁は予報を出せなくなってしまう。そうすると判断材料が減ってしまい多くの人にはデメリットになってしまうのだが、それでいいのだろうか。
=+=+=+=+= まあ当事者でないと、こういう訴訟に対して疑問符を持つのは確かだろうけど、実際に取り残されるものになったり当事者になったりした時のことを考えると、こうして裁判を起こしていろいろ踏ん切りつくまで争うというのはある意味救いになるだろうとは思う。
いつ誰がこういうことに巻き込まれるかも分からんし、それに私たちが巻き込まれた時、やり場のない感情を吐露できたり、「なぜ?」という思いを最後まで追求できるのは国としても重要なことだから。 こうやって裁判を起こせること自体、日本が民主主義国家であり、民の権利を重んじてくれているという証でもあるから、最後まで納得するまでやり切ればいいよ
=+=+=+=+= 2009年にイタリアで309人が死亡したラクイア大地震。その数日前に、群発地震は大地震につながらないと発表した国家委員会の科学者たちを、死亡者拡大につながったとして一審は有罪にした。 地震大国の日本でも予知と呼べるような精度は無い。しかし他国に比べ莫大な国の予算を費やしている以上は、責任という考えは絶対に必要である。
=+=+=+=+= やるせない気持ちはわかりますし何処かにぶつけて納得したい子持ちも理解しますが、予測が難しい自然災害が相手ですので流石に言いがかりかと存じます。 自然相手のものは、常に命の危険があるものとして考えなくてはいけませんね。
酷い災害で未だに記憶に残っています。 亡くなられた方に黙祷を捧げます。
=+=+=+=+= 遺族が怒りの部付け所がないっていうのはわからんでもないけど、現在の科学水準で火山が噴火するかどうかを正確に判断するなんてとても無理だし、仮に警戒レベルが1あがったからといって当日行った人が行くのをやめたかというとそれもわからないし そもそもあそこは活火山ですから、基本的にはリスクがあることを前提で行くべきとこだと思うんですよね
=+=+=+=+= 自然災害を完璧に予知するなんて不可能。 警戒レベルをちょっと引き上げても「せっかく準備したから」と思って登ったと思う。 ちょっとレベルが上がっただけで計画を止めるくらい危機感の強い人は活火山には登らないと思います。
=+=+=+=+= 自然災害で訴訟は難しいのでは? それなら津波被災や豪雨被害者も裁判ができる事になりますよね 強制的に御嶽山を登頂してこいと言われたならまーと思いますが登山は少なくとも趣味を兼ねて山登りしてると思いますしね… 被害者家族の気持ちも理解はできますが裁判は違うと思います。
=+=+=+=+= 登山が大好きな人、山が、自然が、大好きな人達なら、万が一のことも頭の片隅にあったかもしれない。遺族の気持ちもわかるが、訴訟をして得られるものとは? 亡くなられた人のことを忘れないこと、供養し続けること、大切なことは訴訟以外にも沢山あるはず
=+=+=+=+= 身内の逝去て悲しみに暮れているのは十分理解出来ますが、こうまでしてしまうのはなぁ、、、何だろ
とことん究極的に穿って見ると、身内の死を無駄にしたくない、賠償金、、、?って考えてしまったのか?と頭を過る。
どうにも、日本国民は「自己責任」という概念かが希薄なのかな? そして、自己てはなく行政に責任を負わせようとする割には、いざとなった場面で出される行政の指示には従わないと言う、、、
全て自己責任、万が一の救助とかの費用は「自己責任故全額自己負担」とすれば、行政が管理しなければならない危険箇所の管理費用も減り、万が一の際の費用も抑えられ、いいことずくめでは無いのだろうか
=+=+=+=+= 遺族の方たちがこんなことをして当日そこへ登山に行き、噴火で亡くなった方たちが喜ぶでしょうか?自然災害の余地というのは人間が自然を100%コントロールできるようにならないと無理なこと。山菜取りでクマに襲われて亡くなった人達の家族がその自治体に対してクマがでるから入山禁止にしなかったということで裁判をしているのでしょうか?それと同じかと。禁止にしてもそれを無視していく人もいますから何が目的で裁判を起こしているのかわかりません。これ以上上告とかすると、自衛隊反対のプロ市民達と同じで意味わからなくなりますよ。登山自体を禁止にでもしたいのですかね・・・
=+=+=+=+= 被害者の方々は確かに気の毒だが天災の一種で地震よりはもしかしたら予見も可能かもだが?活火山に登山するならば安全性は必ずしも担保されないと個人的には思う。 キツイ言い方だが娯楽の登山な訳で危険の予知を公的機関に丸投げは如何なものか? 最近も地震の影響で東南海地震予測地域に注意喚起で観光地は閑古鳥。 観光客も観光地も結局は自己判断に丸投げされた。 地震、津波の被害も保障など殆ど無い。
=+=+=+=+= 原告は自然災害の多い日本で何を言っているのだろう。 しかも自発的に活火山に行っておいてだ。雪山で吹雪で遭難したら吹雪が起きると警告しない国が悪いのか? これは訴えが認められると類似の物は以降全て認められるから山登りだけではなく類似の行為は全て禁止か制限されてしまう。なので棄却されてしかるべき。
=+=+=+=+= このケースは難しいよね いくつかの前兆はあったけどそれは数年前にあった噴火とは違うパターンだし、実際の噴火もマグマの噴出は見られない水蒸気爆発によるものだと現在の科学技術ではそういった噴火を予測できない。 とはいっても遺族にしたら異常があった以上何らかの入山規制を強めるべきだったという意見も心情的には十分納得できる。 裁判所としても国を断罪することは難しいし、と言って遺族の心情も十分理解できるから落としどころをどうするか?
=+=+=+=+= 確実に噴火が予測できたなら行政も止めるでしょう。それがわからないレベルだったんですから、自己責任で登山すべきじゃないでしょうか。なんでも他人のせいにしているように思えます。こういう風潮が続いて行政側が萎縮するのが心配です。そうなったら火山の可能性がある山は全て登山を禁止することになりかねません。
=+=+=+=+= これは無理があると思う。
私は噴火1週間前に、ここに登っていますが、ものすごく硫黄臭くて、鼻がもげそうでした。
以前に登った時は、それほどではなくて、山小屋の方に聞くと、最近はかなりひどいと言う事で、危険を感じ、頂上まで行かず、予定変更して、そそくさと下山しました。
そして1週間後に噴火。
やっぱり異常な匂いだと思った。
強制的に登らされてる訳でなく、好きで登ってる限りは、自己責任はある程度あるかと思う。
=+=+=+=+= これを認めてしまうと、今後訴訟回避のためとりあえず予報を出すということになり、予測するという本質かた遠ざかってしまうので、誰かの責任にしたい気持ちはよくわかるが、認めるわけにはいかない。 この延長線上に地震予測もあるので、全体的に判断しても認められないですね。
=+=+=+=+= 「活火山への登山は全面禁止」とのお達しが出たら 猛反対されるでしょうに。
自然の中に入るのは危険が伴うものですよ 海、川、山、それぞれ危険がある それを承知した上でレジャーをしたのならば それは個々の責任だと思います。 地震も噴火も予知はできない。
=+=+=+=+= 上告棄却だろうね。もう主張は出尽くしているだろうし、これ以上は争う余地がないのでは。 これは無理だよ。これが認められたら、自然災害のたびに類似の訴訟が起きてしまう。行政はかなり安全側の対応とならざるを得ず、立入禁止どころか、火山島などは居住制限まで出かねない。
=+=+=+=+= 昔は、火山学者及び気象庁職員が、担当火山の近くに住み頻繁に火口近くや変形やガス具合観てたのに、止めてしまったとNHKで見ました。昭和の噴火についての本を読みました。死火山が噴火した事覚えています。火山の定義がこれにより変更されました。キチンと観測していれば、何かしら異常感じたはず。ある意味、カメラに頼り過ぎた怠慢だと、個人的には思う。
=+=+=+=+= 災害が起きる。予測の出来ない例のない大きな。その度に残された者は誰かに責任をなすりつける。311の時も。旅立った人たちの魂は喜ぶだろうか?石巻の学校の先生も生徒と共に亡くなった。火山の噴火など誰にも予知など出来ない。国に責任を取らせる?それは税金から支出される。強盗に遭えば警察が取り締まらないから悪いというのと同じに感じる。堤防の決壊で人が死ねば避難勧告が遅いとか何だかんだと理由をつける。そうした全てに国はお金を支払い続けるのか?一つ認められれば続々と雨後のタケノコが出る。裁判官の質も低下しているのか?検察の質は明らかに低下している。最後の砦たる裁判官には公平公正な裁きを期待する。
=+=+=+=+= 自然災害に関して言えば台風をもってしても完全な被害想定は現在の科学的知見では不可能です。ましてや大地震、火山噴火に至ってはその予兆、噴火の予知は難しいです。阿蘇山にしてもあれだけ監視していますが噴火はいきなり起こります。
=+=+=+=+= やるせない気持ちは分かるけど、登山は自己責任が基本だと思うよ。活火山で、登山する異常リスクは承知の上では?第三者目線にはなるけど、気象庁が安全ですって言った訳でないのだから、あくまで危険の予報を出すだけの機関なのだから。これがまかり通るなら、台風などでも責任を追うことになるよ。
=+=+=+=+= 国を訴えたい気持ちは理解します。しかしながら、自然災害や不慮の事故について、なんでもかんでも国が賠償していたら、行政は萎縮してしまい、警報、注意報、避難指示乱発の世の中になってしまいます。こうなると、国民は警報等に麻痺してしまうし、行政も警報等を発することが仕事かのように誤認してしまいます。また、国の賠償金は国民の血税から支弁されます。こうした点も踏まえる必要があると思うのは私だけでしょうか?
=+=+=+=+= あの日の御嶽の噴火を予見出来たら入山規制していたよ。誰も予想出来なかった。私も噴火するなんて思いもしなかった。だからみんなあの素晴らしい秋晴れの中、山に登ってしまった。そして、不幸にも噴火してしまった。それだけだと思う。
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