( 229725 )  2024/11/03 16:59:48  
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多くのコメントが、競争や自己成長についての意見を述べています。

一部では教育や社会の在り方に関する懸念や批判も見られます。

社会、教育、個人レベルでの競争や努力に関する考え方は多様であり、一概に肯定や否定することは難しいようです。

 

 

(まとめ)

( 229727 )  2024/11/03 16:59:48  
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もう何十年も前、体育・スポーツが得意な小学生の甥っ子が、運動会は嫌いだ、と言っていた 

例えば徒競走は何人かで手を繋いでゴールするとか。甥っ子としては足の速さを披露出来ないのが悔しいらしい 

確かにそこには切磋琢磨がない。他者と真剣勝負をして初めて自分の力を知るもの。特に負けることは自分に必要なものは何かを考える契機になり、良い勉強の機会になると思う 

「競う」ということも社会参加の重要な一面であると思う 

 

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難しい問題ですが、表面的には、それでヨイと思います。 

特に、小学生が相手の場合には。 

結局、人間は他人と比べることでしか、自分を認識することが出来ません。 

もし、猿と孤島で暮らしていたら、その人間は自分が何者なのか、一生わからないまま過ごすことになります。 

でも、競争というカタチで、マジで努力をしている子供は途中で、競争は他人とするものではなく、自分とするものであることに気付くでしょう。 

敵も味方も、自分自身なのです。 

それに気付かないと、他人の脚を引っ張ったり、他人を貶めることが、競争の勝者なのだと勘違いしてしまう。 

今のネット社会には、その手の言動が溢れていますね。 

残念ながら 

 

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競争は不可避ですよ。でも、「競争」って「競走」と違って基本足の引っ張り合いなんで。 

 

昔トルシエが日本代表監督だった頃、攻撃はまず敵役選手を置かずに練習して、ある程度こなせるようになったら敵役を置いて練習してた。公開されたものなのでたぶん基本的な約束事の確認だったんだと思うけど、すごく大事なステップだと思った。だって最初から足の引っ張り合いさせちゃったら、そこから理想的な形まで手探りで高めなきゃいけない。でも、理想の形を予め見つけてれば、足引っ張られても克服すべき課題が分かるでしょ。 

 

最初に理想教えるのは基本です。現実に直面しても、理想に対してどういう課題があるかがすぐに分かる。教育とは答えを教えることではなく、自分で答えを出せる環境を整えること。 

 

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以前の自分に勝つことが一番重視すべきと思います。他人と競争させればいつか疲れてしまいます。 

本人が頑張る気持ちは応援します。 

勝ち負けは結果だから、勝った事より 頑張って前より少しでも前進した事を認めるべきだと思います。 

受験を育てていると、頑張れば報われるより、置かれた場所で咲きなさいって方が本人に良いと本当に思います 

 

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難しいね。 

ただ学校ってのは、向き不向きがある。 

自分が嫌いな事でも強制的に競争させられる。 

会社は入社する前なら選べるし、 

イザとなれば転職出来る。 

社会に出ればある程度、自分のフィールドが選べる 

と思うよ。 

僕は氷河期世代で「定職に就くだけで満足」だった 

イヤな会社でも辞める訳にはいかなかったし。 

ある程度の理不尽を体験するのも必要。 

まあ難しいよ 

 

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勉強が得意な子、運動が得意な子、絵や字が上手な子、自分の同級生には色々な子がいたけどね。 

誰も「みんな一緒、みんな平等」なんて考えてなかったよ。 

それぞれが自分の得意なこと苦手なことを認識して、自然と身の丈を学んでいたと思う。 

 

もう10年以上前になると思うけど、「最近の小学校の運動会の徒競走は全員手を繋いでゴールして、みんな1等賞」と聞いて暗澹たる気持ちになったことがある。 

 

こんな綺麗事に囲まれて育つと、大人になって苦労するだけなんだけどね。 

 

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競争がないと自分の今の位置がわからない。下の方にも関わらず努力をしないとそのまま下にとどまる。自分の位置がわかると頑張りやすい。なにが悪いのかがわかる。昔は成績に順番がついたのではないか?今度は順番を上げようと頑張りやすい。能力差はあって当然だ。みんな同じであるわけがない。社会にはいろんな仕事がある。頭脳労働者ばかりだと社会が成り立たない。肉体労働者も必要だ。もしごみを集めるものがいなくなるとどうなるかを考えたらどうだ。街中ゴミだらけになる。人それぞれいろんな仕事があるということだ。すべてはなくてはならない仕事だということだ。 

 

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競争は本能的なものでもあり、否定する必要もないし、いたずらに煽る必要もないと思う。運動会やコンクールに出るとなれば頑張ればいい。 

ただし、それだけが絶対的な価値観ではない。何にでも競争を持ち込みたがる人もいるが、最高のフランス料理と最高の日本料理を勝負させても意味がないこと。価値観は多様だ。 

1つ言えることは、昨日の自分をライバルとする者は、それを乗り越える毎に勝者であり、こころの満足と未来への希望や勇気を得る。他人をライバルとする者は、こちらも発展・成長し、、希望や勇気を得るが、上には上がおり、ほとんどの場合永遠に勝者にはなれないだろう。 

 

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この話…小学校で話した事あります。 

学校ボランティアで体育の一部を教えている一般会社員ですが、学校との話し合いの場で伝えました。 

みんな平等は、それは良いと。 

勝ち負けで優劣を付けるのではなく、 

・勝ちたい気持ち 

・(負けて、成績伸びず)悔しい気持ち 

これは文字通り勝負をしなきゃ付かないよと。 

この中で敗者をいかに大事にするか、ケアするかが必要だと。 

 

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書かれていることは、肯定できる 

 

ただ、現在、義務教育である小中学校で、「競争しなくていい」という教育が、実際に行われているのだろうか 

 

私は、和田先生と同じ世代だが、少なくとも、私は、そのような教育は受けなかったし、私の娘も、そうではなかった 

 

学校で、先生が何を言おうが、子供心に、日本が、極めて苛酷な競争社会であることは、日々、ひしひしと感じているのではないか 

 

公立学校の場合、私立と異なり、裕福な家庭の子ばかりではない 

 

10歳にして、既に、世の中には格差があり、親ガチャがあることを、身をもって体感する 

 

今でもあるのかどうか、知らないが、仲の良い友達のお誕生日会に呼ばれて、プレゼントを持っていくと、格差を実感できる 

 

競争の勝者と敗者では、大人になってからの生活水準が全く違うことを、少なくとも、私は10歳で理解していた 

 

 

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これ、ゆとり教育前辺りの時代に、今は亡き母もよく言ってました。 

競争は必要だって。 

今では、その意味もよく理解できます。 

でも、相手を思いやる気持ちも助け合いも必要なんだよと。 

あと、家族や友達や仲間と遊んだり、会話交流したり、趣味を楽しんだり、休む時間も入れるバランスも必要だと。 

 

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向上心は進歩のエネルギー。 

プラスの競争は互いを高め合う。これを目指す分にはよい。 

勝ち負けに拘るなら足を引っ張る方が高いパフォーマンスが得られる(コスパがよい)。 

結果、後者の競争が繰り広げられ「出る杭は打たれる」を地で行く形となる。 

最終結論は、以上を前提とし、 

1.他人との競争ではなく自分との競争に勝つを目指すしかない。 

2.昨日よりも少しでも進歩・成長がみられることを確認する。 

3.フェアな方法での勝者を称える文化形成くらい。 

1と2はとにかく3は難しい。勝者は自分の優位を保持するためルール変更するし。 

 

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私は団塊ジュニア世代なので、人数が多過ぎて、進学にしても就職にしても競争せざるを得なかったです。が、我が子を見てると、みんな一緒とか、みんな仲良くとか、平等とか、この子達は本当に社会へ出て生きていけるのかと不安になるよう教育ばかり。幸い、少子化なので、私らの時ほど社会に出てから地獄絵図になるようなことは少ないでしょうが。精神的に打たれ弱くなるのは間違い無いでしょうね。 

 

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これは全くその通りだと思いますよ。 

子供の頃は、足が速いなど、運動神経が秀でた子は、かっこよく見える。 

足が遅い子は、凹むより、自分の得意分野でトップを目指せば、自己研磨できるしね。 

得意な物なんて、ゲームしかないなんて言う子ほど、勉強頑張れって思う。 

何故なら誰もが避けて通れない分野だし、幼い頃は理数文系、全部やらなければならないけれど、高校に上がれば大学受験の為に、理系文系別れるから、好きな方を選べば良いし。 

受験は誰もが挑まなくてはならないんだから、将来の選択肢を広げるためにも、若いうちは勉強頑張った方が、後々後悔しないよ。 

 

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Z世代の論考を読むと、この記事と密接なはなしがたくさん見つかる。Z世代の特徴はやはり競争を避けたがる、という点に現れているのだ。われわれ昭和の世代で厳格な競争社会で受験もなにもかも勝ち抜いてきた世代からすると生ぬるいのだが、Z世代はそもそも「実際の社会に【競争】を見出そうとしない」「既存の競争そのものを競争と認知しない」という特徴があり、これが昭和世代との乖離を決定的にしている。ふつうに勝つか負けるか、数字で競って現れるし、競争じゃないか、とわれわれは思うが、Z世代はそこに興味関心すらもっていないようだ。相手に勝つ、敵のアイデアを超える、ということを、競争だとは思わない、と言われてしまえば、もうそれまでだ。乖離そのもの、だ。 

 

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戦後の日本では、子どもたちもその姿を見て独立を目指し、競争を重ねるのが当たり前でした。父は戦死母は工場や職場に働きに行き、子どもたちは「家族を支えなければ」「親を楽にさせなければ」という責任感を妹たちも家事や弟妹の世話を家族の一員としての役割を果たしていたのです。 

 

現代では、「子どもがかわいそう」という視点から競争の重要性が軽視され、「個性を大事に」「平等」という理想が、学問や労働の意欲が低下し、経済力や競争力にも陰りが見え、グローバル社会では、日本だけが競争を避けていても、他国は厳しい競争の中で必死に製品を生み出し、市場に参入してきます。 

 

競争から逃げ、日本の若者が社会の中で役割を果たそうとしなければ、他国の支援を期待することすら難しくなります。米国が日本の未来に対して責任を負う理由はなく、「競争しない日本のために自国の若者が血を流す理由はない」と考えられてもおかしくありません。 

 

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外的な基準で競争させられるのと、自分の内面から自発的に挑戦するのとでは、モチベーションや人格形成において違うと感じる。むしろこれからは後者の事を競争ではなくチャレンジと呼べないかな。日本の論文数の低下は大学予算削減、独法化の影響であって、本筋とは無関係なような。。 

 

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一部プロのスポーツ選手や自営業の人は別にして、日本って無駄な競争が多い! 

社員同士で競わせたり、店舗同士で競わせたり 

競わせるより協力してやった方が絶対良いのに 

まず競わせるとマイナスの感情、相手に失敗しろとか良い結果が出ない時に、やったとなる様な事をしてるからダメなんだよ 

こう言う目に見えてマイナス感情って結構大きいと思う 

 

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競争は必要、温室反対派です。なんでも勝った負けた、出来る出来ないがあるのに、手つなぎは無しでしょう。 

ただ、劣等感を持ってもそれを大きくしないように、誰にでも自慢できる所があるということ気づかせる、というか思わせるのがいいと思う。 

小さい子なら、Aちゃんは◯◯が上手いね、という所をひとりにひとつ先生が見つけるだけで、親が毎日言うだけで、競争がそんなに負担にならないと思う。箸の持ち方、机のきれいさ、手の挙げ方、もうなんでもいい。 

大きくなればあの子はなんでもできるって感情にぶつかるから。その時に、あの頃先生はわざとらしかった、とか思ってもいいのでは? 

じゃないと、できる子は周りから言葉では、本気では、褒めてもらえない、というか既になってますよね。大人が面倒がってはだめかな。 

 

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競争のない世界というのは基本的にないし、何もかも平等な世界はない。 

大切なのは、競争を否定することではなく、競争して勝った者の振る舞いを教えることではないか?  

 

敗者を馬鹿にしたり見下したりするのではなく、その頑張りを讃え共に更なる成長を誓う姿勢。 

負けん気が強いことを否定しないし、それはそれで良いことだと思う。しかし、それも他者を貶めないことが前提だ。 

勝つためには何をしてもいいという考えはよくありません。 

まさに、この一言に尽きる。 

 

きちんとルールと他者の尊厳を守りながらする競争は、子供の成長に必要だ。 

 

 

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日本というのはダブルスタンダードな社会です。今の学校では傷つく子どもを減らそうという意図から、競争が極力避けられるようになっています。 

 

公立の小中学に限って言えば、ダブルスタンダードにならざるをえないだけだと思う。 

競争を促せば、敗者の子の親が学校にクレームをつけたりと、悪手なのは目にみえてる。ただでさえ人手不足な状況下で、学校側がそんな手を打つ訳がない。学校に生徒の将来云々まで求めるのは酷。逆に言えば、学校は毒にも薬にもならない理想論を吐くダブルスタンダードな場だと親が子に教えれば良い。 

 

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社会に出ると理不尽な競争社会だからね。 

 

競争させないとか傷つけないとかいった教育は、マイナスに傾く可能性が高い。 

こんなはずではなかった、言われてきたこととは違う、となり打たれ弱くなるか、社会に敵対心を生んでしまうか。 

 

中学受験は競争させているようで、公立中学のいろんな理不尽さを避けさせているようにも見える。 

 

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能力差はあるし競争は必須で結果を受け止める必要がある、これが大前提。 

その上で結果はモノサシのひとつに過ぎないし散々な結果に終わったからと言って別にたいしたことではないという考えが大事。 

前者しかないとランキングしか見ない人間になるし後者しかないと口だけ人間になる、なんにせよ社会は結果出していない人の意見なんて誰も聞かないから結果出すのは前提やな。 

 

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半分正しく、半分間違っています。 

人に負けたくないという意識を強く持つ人が仮に人に負けたときに、それでも再チャレンジして次は勝とうと努力を続けられる前提であれば、競争する気持ちは肯定できます。 

 

しかし、こういう意識を強く持ちすぎる人は、勝ち続けた挙げ句にちょっと負けた瞬間、簡単に挫折してしまうことがある。自分の努力が足りなかったとは認めず、他者や競争の仕組みそのものに不満を抱き、それを逃避の口実にするということが多い。 

 

競争心をことさら否定する必要はありませんが、それが強まり小さな勝負に拘りすぎるような幼稚な競争心は否定されるべきです。大切なことは、負けても腐らず戦い続けられるメンタルを作ることです。だから、「そんな勝負に拘らなくてよい」という言葉が正しい判断となる場面も少なくないのです。 

 

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昔から日本には『出る杭は打たれる』と言うことわざがあるが、最近の世の中はもっと顕著になっている気がする。 

SNSの影響もあり、目立たないように気をつけて若い人たちは生きているように見える。 

実際、我が子も自分の意見を主張するのが苦手だ。 

 

英検受験のサポートの仕事をしているが、英検の問題には自分の意見を英語で述べる設問がある。 

子供達に教えていて、そう言った問題にまず引っかかってしまうのが、日本語でも意見が出てこない事。 

英語はズバッと結論を言ってから詳細を述べる言語なので、YESかNOかの立場をはっきり決めないと英作文は書けない。 

彼らが大人になり、少子化が進み国外へ物を売ったりする必要のある将来では、記事の中にもあるように『優しいだけ』の日本人は競り負けてしまうだろう。 

海外のように、日本もディベートを教育に取り入れた方が良いとは思うが、そもそもディベートを教えられる大人がいない… 

 

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別に人間は『競争』するために生まれた訳でも、『競争』するために生きている訳ではないぞ。 

 

アメリカの例を取れば、彼らの教育には、『自己実現』、『自己充足』、『自己評価の高さ』を徹底的に叩き込まれる。常に「自分自分自分自…」と他者より上に立つ事が求められる。特に都会では顕著だろう。 

 

その結果……非常に『生き辛い』人生に終始する。他人=競争相手の敵になるからだ。そんな世界に生きていたら心が荒むのは当たり前である。 

 

一方で、第一次産業(農業林業漁業等)に従事している人は、人生に生きがいや幸福感を感じる人間が多い。そんな世論調査がアメリカで発表された。 

 

まぁ、そういう事だ。 

 

近代あたりまでは人間の欲望を否定していたが、現代は逆に肯定している。こう言った思想や哲学の流れを現代人は知らない。智慧がないから視野狭窄に陥り誰もが落とし穴に突っ込んでいく。 

 

現代こそ仏教の『諸行無常』が必要と思う。 

 

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東大法学部卒を自慢する総理大臣として日本政治に君臨した宮沢熹一を見てからずっと思うことがある 

なぜこれほど熾烈な受験戦争を勝ち上がってきた優秀な人間がバブル崩壊とはいえ単純な信用収縮に対応できなかったのか? 

なぜ東大に入れるほどの優秀な人間が世界レベルで活躍できずに、専ら国内の庶民を侮蔑して悦に入るだけ、インターネット上で学歴を自慢するだけの存在になってしまうのか? 

せっかく東京大学なるエリート養成機関に入ったのになぜ人間の基本的価値観や国家のあり方を学ぶことなく、個人収入資産の最大化だけを究極の目標にしてしまう人間になってしまうのか?等々 

昭和時代に熾烈な競争を勝ち抜いた人たちが上記程度の浅い思考しか持てずアメリカ様に全面依存する国家社会しか作れなかったのなら、親殺しまで起きた受験戦争は本当に日本に必要だったのかと疑問に思っている 

 

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お、珍しく正論!その通りです!競争原理は資本主義の原則でもあり、人類の本能でもあるため、永遠に無くなることはない!縄文時代や江戸時代を持ち出す人いるが、もう時代は代わってグローバル競争の最中!教育で教えることは5つ!①継続は力なり②得意分野を徹底的に活かして伸ばす!③平等とは結果ではなく機会なので結局努力するしかない ④パフォーマンスは量✕質(工夫や数値管理が大切) ⑤デイリーやウィークリーのルーティンを3段階くらいのスケジュールで習慣化する! 

 

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見出しからして社会をどういう風に捉えるかが時代遅れ。 

すでに競争で勝ち抜かないといけないようなご時世ではないし、そんな感覚で経営してたら会社の方が先につぶれる。 

精神論と自己欲求で社畜洗脳してた時代ではない。この記事のライターは本質的にはインセンティブがないと動けない古代種なのかなって感じるが、若者はおそらくもっと「責任感」や「使命感」みたいなものを持ってる。(当然個人差あり) 

 

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学校での競争で数値化できる 

ものは、 

学業、運動能力くらいだろうか。 

学校の役割をこの2つにしぼれば、 

競争社会の縮図として機能させることができそうだ。 

教師も楽でよいし、人手不足も解消する。 

 

 

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勝ち方負け方を知らないで育つと、勝った時への敗者への心配りとか、勝者への尊敬の念とか、そういう慎み方を理解できないで育つ。 

叩ける人間は口汚く叩き、勝者へは陰謀論やら吹聴し、勝利は偶然だと妬む。 

みっともない大人が増えているし、その子供もそう育つでしょうね。 

とにかく勝負しないで育った人は品位が残念。 

 

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競争させない教育とは、まさに社会主義そのものです。日本は今でも社会主義的な資本主義国家だと言われていますからね。隣国に吸収合併される前提の布石なんだろうかと危惧しています。 

 

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みんな一緒に、とかみんなと同じ、では将来的に困るのは本人。ある程度の競争・劣等感、焦りは必要。 

 

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競争じゃなくて、努力すればええんちゃう?自分がやりたいことを見つければ、努力するでしょ。 

 

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資本主義社会では競争が当たり前です。 

 

大人になったらのほほんとした社会など在りません。 

 

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勝敗より、諦めない強さが必要。勝敗はその結果に過ぎない。 

 

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理Ⅲを出たのにねえ・・・ 

 

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私は、男性が全てを支配しようとする今の社会を終わらす必要があると思う。男性は体力があり、それをいいことに競争的な社会を維持し女性を劣位にしようとします。その為、様々に意地悪な仕組みを作り、弱い人を苦しめ、劣った人が負けるような仕掛けを維持しています。そういうのも、全部、女に対する男の優位を作りたいからです。 

 

必要なのは、男性が女性の気を引く理由で、恐怖や焦りを利用した悪い仕組みを止めることです。男性は女性を自分の元へ引き寄せるために、戦争や災害、犯罪の恐怖さえ利用してきました。俺が守ってやるというのです。その為に恐怖を拡散したり、助長するのは止めないといけないんです。もっと簡単に楽に楽しく皆が生きられるようにしないと人類は必ず滅びます。そのためにAIやロボットが育ってきています。彼たちに活躍の場を与え、人間はもっと楽しく穏やかに過ごすべきです。 

 

奪い合わなければ、世界は豊穣で豊かです。 

 

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このオッサン、何かにつけて東大臭を放つよなぁ。それに、なんか人間として気持ちが入ってない、単なる自慢屋に思える。あかんわ 

 

 

 
 

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