( 230218 ) 2024/11/05 01:51:08 2 00 F1がまだ「めちゃくちゃ」だった頃の話 ひどいチームで溢れかえった80~90年代 歴史アーカイブAUTOCAR JAPAN 11/4(月) 18:05 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/bb0812ce20b953c39399a063f4163d086abfa695 |
( 230219 ) 2024/11/05 01:51:08 1 00 1989年、F1には40台のエントリーがありながら、最大グリッド枠は26台で、いくつかのマシンがレースに出場できないほどの混雑状況が起こった。 | ( 230221 ) 2024/11/05 01:51:08 0 00 1989年、上限26台のグリッドに対し40台がエントリーしていた。
アンドレッティは世界トップクラスのモータースポーツ企業であり、スター級の技術スタッフを集め、ゼネラル・モーターズをエンジンサプライヤーとして迎えることを約束し、2億ドルのエントリー料を支払う用意もあった。しかし、F1の反応は「出ていけ」だった。
【写真】今年の優勝候補? 好調なフェラーリ【メキシコGPのスクーデリア・フェラーリを写真で見る】 (15枚)
これは部外者を唖然とさせる状況であり、フェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズの輝かしい才能と、小規模チームの駄目っぷりが並存していた1980年代とは正反対だ。
このカオスのピークは1989年で、スターティンググリッドの最大許容台数が26台だったにもかかわらず、40台(2024年の2倍)がエントリーした。このため、一部のマシンがレースに出られないだけでなく、金曜日の早朝に行われた追加セッションで予備予選に通過できないマシンもあった。
なぜ過剰なまでにエントリーが殺到したのか。それは、安全上の懸念と競争力の格差から、F1がターボエンジンを禁止したことに起因する。当時ターボチャージャーの技術はまだ発展途上で、ひどいタイムラグに悩まされ、小規模チームにとってはコストが重すぎた。
自然吸気エンジンの方がはるかに低コストで、V8、V10、V12、W12、さらにはフラット12など、さまざまな形式のエンジンが製造されていた。これにより門戸が広がり、1989年には3チームが参加し、いくつかの弱小チームはエントリー台数を1台から2台へと増やした。
当時のAUTOCAR誌のオーエン・ヤング記者は、「ロジスティクスが大変なことになっている」と書いている。
「昨シーズンもパドックは呻吟していたが、今季はさらに悪化するだろう。予備予選に落ちたチームは、その日のうちにマシンやトランスポーターを撤去し、ピットパス(ピットへの入場券)も返還するよう求められると聞いている」
シーズンプレビューで有力チームを評価した後、小規模チームに対しては少々厳しいことを書かざるを得なかった。BMSスクーデリア・イタリア、オゼッラ、ミナルディ、リジェ、ラルース、コローニ、ユーロブルン、リアル、ザクスピード、マネートロン・オニクス、AGS、ファーストだ。
これらすべてのマシンを思い浮かべることができればオタク度は10億点、ドライバーの名前を挙げることができればその2倍の点数を差し上げる。
実際のところ、ファーストのマシンは思い出せないだろう。というのも、ファーストはFIAのクラッシュテストに不合格となったからだ。設計者曰く、「標準以下の部品で作られた」という。
ヤング記者はオニクスのローンチパーティーに出席した後、「わたしが知りたいのは、彼らがどうやってやりくりしているのかということだ」と疑問を投げかけた。
「彼らはセットアップに1000万ポンド(2024年現在の価値で2600万ポンド/約50億円相当)をかけ、ロンドンでの派手なレーザーライトショーに1万5000ポンドを費やし、スポンサーに今夏の最大の望みは2レースで予選通過することだと告げる。一体どうやって? 勢いよくやってきては、鳴かず飛ばずで去るチームを何度見てきたことか」
アンドレア・モーダは1992年のF1に参戦したチーム。
そして、オニクスの希望はリオで完全に打ち砕かれた。予備予選を通過したブラバム勢(アイルトン・セナのポールタイムに1.5秒及ばなかった)に、7秒、10秒の遅れをとったのだ。
実際には、オニクスのシーズンは、連続DNPQ(予備予選落ち)を遮るポルトガルでの奇妙な表彰台のおかげで成功だった。しかし、ユーロブルン・チームとザクスピードの鈴木亜久里は、そのシーズン17戦すべてで予選落ちを喫している!
ユーロブランは1990年に撤退し、代わりにライフがやってきた。控えめに言って、笑い話にもならないほどひどいチームだった。ファーストの重量過多の旧型シャシーに独自のW12エンジンを組み合わせたが、その最高出力は他のエンジンの3分の1にも満たなかった。
ドライバーのゲイリー・ブラバムは、事前予選で35秒の遅れをとり、2度のDNPQの末にリタイアした。彼は後に、マシンにタコメーターが付いておらず、メカニックは他チームからタイヤ空気圧計を借りなければならなかったと明かしている。
極めつけは、1992年に婦人靴のセールスマンがコローニを買収したことだった。アンドレア・モーダは、まずエントリー料を支払わなかったとして出場停止となる。代表は公の場で批判的な態度を取ったドライバーを解雇。後任の1人はライセンスを取り消される。その後、カナダGPではジャッドへのエンジン使用料未払いでエンジンが足りなくなる。フランスGPではトラックが渋滞に巻き込まれて欠場。ドライコンディションでウエットタイヤを履いたドライバーを予選に送り出す。そして、代表が詐欺容疑で逮捕される。
「F1の信用を失墜させた」として追放されたのも無理はない。
その後、F1はエントリー料を引き上げ、適切なデューディリジェンスを行うようになった。賢明なやり方だ。ただ、今、少しやり過ぎてしまっているのは残念だ。
クリス・カルマー(執筆) 林汰久也(翻訳)
|
( 230222 ) 2024/11/05 01:51:08 0 00 =+=+=+=+= オゼッラの使用していた旧式アルファロメオ製エンジンは音だけは良く、ホンダやフェラーリより調子がいい時には速そうに聞こえましたからね。 パドックはコースの不調とは裏腹にチームスタッフが楽しそうにしていたのが印象的だった。 上位チームと下位チームの差がF-1とF-3なんて言われてましたけど、下位チームは資金不足に戦闘力不足に苦労しつつ楽しんでいた、そんな時代も懐かしいですね。
=+=+=+=+= ザクスピードからフルエントリーした鈴木亜久里は低レベルのシャーシーとヤマハエンジンに足を引っ張られ全戦予備予選落ちの屈辱を味わった。一方で91年には予選予選を突破したスクーデリアイタリアのレートが3位に入る大番狂わせもあった。日本のバブルとF1ブームと重なった、ある意味狂乱の時代と言っても過言ではない。
=+=+=+=+= あの当時はフォードかジャッドのV8積めばF1に出られると考えたF3000上がりのチームととにかくV12気筒エンジン作りたいエンジンメーカとがごったになって押し寄せて70年代のDFV時代再び!!って感じだったんだよな。 まさか3.5L時代の最適解がV10だとは誰にも読めず(ホンダですらミスった)ましてやニューウェイやバーンによってもたらされた空力マシン時代なんて彼ら以外のほとんどのチームが考えもしなかったでしょう。
89年からわずか数年の狂乱でしたがある意味楽しい時代でした。
=+=+=+=+= 懐かしいね。 スクーデリアちょっと風向きが良かった時期があったしリジェとかミナルディあたりは本戦走ってたやないですか。ザクスピードヤマハは鈴木亜久里が芋引かされたみたいなチームやったし、ラルースはランボのV12積んで鈴鹿で亜久里が表彰台に上がれたですやん。ホンマ懐かしいね。コスワースとかフォードの型落ちエンジン調達出来たらエントリーするみたいな時代でしたやん。 バブル期の日本も頑張って、レイトンハウス、フットワークとかバブル弾けてチームも弾けたみたいな時代でしたね。
=+=+=+=+= 良かったら、「“苦労人“モレノの忘れられないグランプリ:1992年モナコGP」という記事を探して読んでみて。いまだ地上最低と言われるコンストラクターと契約してしまったレーサーの回想録。ちょっといい話です。
少し前にリジェの回顧ムックが出たけれど、物故者が多い中一所懸命当時のことを思い出してくれたジャック・ラフィットにしろ、世紀の失敗作JS31でチームを追われたミシェル・テツにしろ、今でも亡き御大ギ・リジェのことを慕っているのが印象に残った。ギ・リジェは表舞台から去った後も亡くなるまでモータースポーツの現場に関わっていたそうで、根っからのレース好き親父だったんだと思う。
あと、オゼッラのケータリングの料理はやたら美味かったというエピソードは大好き。
で、スーパーアグリの話は……。
=+=+=+=+= 70年代後半から80年代前半にF1にハマっていたな。
はっきり年は覚えていないが、ラウダとハントの一騎打ちの時代からロータスのアンドレッティが勝ちまくる頃で、ウルフなんかが新規参入していきなり勝ち捲ったのを憶えている。
自分が好きだったのはブラバムのワトソンで予選では馬鹿速いのに本戦ではアルファフラット12気筒の不安定さと燃費の悪さでいつもリタイアしていた。 村上もとかの「赤いペガサス」でワトソンが出て来た時は嬉しかった。 ケンとポールを争った後、やはり本戦ではリタイアしていたが。
中々勝てなかったブラバムだが、エンジンをアルファフラット12からフォードV8に変えてラウダをエースドライバーに迎えてチャンピオンになった。 チームメイトのワトソンは相変わらず予選で速くても本レースではラウダより下位だったが。
という年寄りの中学生時代の思い出。
=+=+=+=+= メチャクチャとは失礼な。1チーム追加するのにも既存のチームが足を引っ張って阻止する現在よりよっぽど楽しかったよ。 リジェは実績があったから、ここに混ぜちゃいけないのでは?タミヤのプラモデルにもあったよね。 ザクスピード・ヤマハは一度ミッションの組み間違いがあって、亜久里さんが「ミッション組むの 難しくないでしょ!」って怒ってたのが印象深い。
=+=+=+=+= ユーロブルンはユーロレーシングとブルンモータースポーツのジョイント体制。 後者はスポーツカーレースでポルシェ使いの一角として名を馳せたチームだったのだが…
1989年のER189は有名なイェーガーマイスターカラーだったりするね。 見た目だけなら速そうなんだけどなぁ。
=+=+=+=+= ロベルト・モレノもコローニでしたっけ。予備予選を戦っていましたよね。タルキーニ、ギンザーニ、シュナイダーなどなど個性豊かなドライバーが溢れてました。あの時期にF1見られて最高でした。 もちろん亜久里も。オニックスもレベルの違う走りを見せましたよね~
=+=+=+=+= 確かにフォードかジャッドのエンジンとシャーシがあればとりあえず参戦出来るみたいな感じで滅茶苦茶ではあったけど見てて面白かった
エンジンもV8からV10とV12までが一緒に走ってて 音を聞いてるだけでも楽しかった
ただリジェを他と同列扱いはちょっと酷い気が・・・ 70年代からあるチームで表彰台に何度も上がってるチームなんだけど
=+=+=+=+= 百花繚乱、玉石混交 まぁ、それでもあの頃のF1は面白かったけどね 箸にも棒にも掛からないのがいるかと思えば、たまに光る走りを見せるのもいる 遅いけどデザインが面白いのとか、カラーリングが決まってるのとか、 レギュレーションの抜け穴探しに血道をあげてるとしか思えないような、とんでもない仕掛けを持ち込むのもいた どちらが良いと思うかは人それぞれだけど、今のF1とはだいぶ違うね
=+=+=+=+= 個人的には、この時代のF1が一番好きだ。 予備予選なんかも面白かったし、予備予選から這い上がったマシンが上位に食い込んだり、トップチー厶とバトルしたりとなかなか見どころもあった。
=+=+=+=+= ユーロブルンは1台で20チーム39台ですね。全チーム覚えてます(^^; 予備予選13台4台通過、シード26台と合わせ30台で予選、4台予選落ち。亜久里は全16戦予備予選落ちの大記録(^^; この年はWSPCも全戦参加が義務付けられたのでトヨタ、日産、マツダもシリーズ参戦。36台が参加。凄い時代だった。
=+=+=+=+= 日本で84年に活躍したステファン・ヨハンソンがオニキスで散々な成績だったのは残念だ。フェラーリ、マクラーレンと渡り歩けたが88年にリジェに行ってから下降線になってアメリカに戦場を移してしまった。マイケルアンドレッティは93年にF1に行ったが成績は散々だったことを未だに根に持たれているのかな?
=+=+=+=+= いやひどいチームじゃないでしょ (文を読んでないけど) 夢があって、先は誰もわからないから 大金をはたいてマシンを作り上げ、有望と思えるドライバーを連れてきては勝利の野望を抱いた幾多の星の瞬きのように消え去ったチーム達だ。 セナが見出されたのはベネトンの前進、トールマンでの活躍だった。今のザウバーやウィリアムズ、ハース、RBのような役割を持ったチーム。 そもそも、先を見えるように「してしまった」のはテレメトリーを持ち込んだ我が同胞のホンダで、ドライバビリティの向上としてのパドルシフトはフェラーリだった。それ以降は今皆が見ている展開です。セナやプロスト、マンセルの活躍がキラ星が爆発するように見れたのは光栄でした。
=+=+=+=+= 懐かしいですなぁ F1参加のハードルが低かったせいなのか毎年新規参入チームが有って毎年2月位に出るF1特集の本を買ってエントリーリストを見るのが楽しみだった ドライバーの移籍とか、あとチームのスポンサーとかも やはり当時のマシンを改めて見てみると日本の企業が数多く参入してますな 車も多種多彩で賑やか 今も良いけど、やっぱり想い出も込みで この頃が忘れられない
=+=+=+=+= 〉これらすべてのマシンを思い浮かべることができればオタク度は10億点、ドライバーの名前を挙げることができればその2倍の点数を差し上げる
頑張れば20億点頂けそうな気がしますが、1点いくらで換金してもらえますかね? 楽天ポイントでもいいですけど…?
まぁ挙がった中でもスクーデリアイタリアはじめ、そこそこの実績を残したチームも含まれているので、全部一括りにされるのはお気の毒な気もしますが。
ただフェラーリ張りにエンジンもシャシも自作し、比較的長い期間参戦していたにも関わらず、ザクスピードチームは一向に成績上がりませんでしたね。 最後はヤマハ製エンジンでしたが、ドライバーの鈴木亜久里氏曰く「ギヤボックス内のギヤ並びが逆で使い物にならなかった」等、散々な体制だったとか。
いくら門戸を広げても、KEの小島社長が仰っていた「DFVとヒューランドがあれば何とかなった」'70年代とは違いましたね。
=+=+=+=+= 70年代には6輪タイレル(ティレル言われだしたのはもっと後)とか、90年代には走るシケインとまで言われた女性ドライバーとかいろいろカオスな時代でしたが、今よりずっと面白かったです
=+=+=+=+= 記事にもあるコローニ。エンジンはスバルの開発した水平対向12気筒エンジン。そして開幕戦アメリカグランプリ予選で5分という信じられないタイムを叩き出し・・・・見事に予備予選落ち。因みにこの時のポールポジションはマクラーレン・ホンダのゲルハルト・ベルガー。タイムは1分28秒664だった。
=+=+=+=+= 当時のF1カーはフェラーリとかが例外的だっただけでほとんどはタバコの柄のデザインでしょう。そりゃタバコの銘柄は沢山あるんだからスポンサー探すのも今よりかは楽でしょうよ。最近主流のエナドリ広告はタバコに比べれば銘柄少ないですからね。
=+=+=+=+= こういう弱小チームがときたま良いパフォーマンスを魅せるのが良かったんだよ。88年か89年か忘れたが、AGSのタルクィーニがモナコでトップチームを追いかけ回していたのは覚えている。中盤でリタイヤしたが。
=+=+=+=+= オタクと言う程では有りませんが、 音速の貴公子・セナや、 ヒゲのおじさん・マンセルとか、 憎らしい程に強かった、シューマッハとか、 あの頃は、本当に面白かったです。 そして、個人的には、 日本一早い男・星野一義さんのファンで、 是非、F1に行ってもらいたかったですが、 当時は、諸々な大人の事情で叶わず、 とても、残念でなりませんでした。 更に国内になりますが、 過日亡くなられた、高橋国光さんも、 マシンを降りると、とても優しい方で、 大好きなドライバーの1人でした。 あの頃は、懐かしい事ばかりです。(^^;;
=+=+=+=+= Autocar の Eoin Young 記者は、当時ものの記事だと「イアン・ヤング」あるいは「イワン・ヤング」とカタカナ表記されるのが主流でした。
日本は外国人名のカタカナ表記について、基本的に本人確認か現地発音に基づくものを採用するので、てっきりイアンが正しいと思っていました。
でも、いまの Web 検索で調べると、イアンと読ませる Eoin さんはむしろ少数で、多くはオーウェンと読むとか。
さて、本人確認でイアンとなっているのか、Eoin の読みを日本側で推測したのか。
それこそ、Autocar 日本版なだけに、元スタッフの名前の正しいカタカナ表記の確認など朝飯前なのか。
些末な話に思われるでしょうけれど、案外と気になります。
=+=+=+=+= 懐かしい。 あの時のF1は見ていて楽しかったし、コスワースやジャッドのV8エンジンを積んだ弱小チームの活躍にワクワクしてた。 フジテレビの中継では弱小チームも、ちゃんと取り上げてたしね
=+=+=+=+= 現在よりこの頃の方が断然面白かった。リジェとラルースの政治的闘争とか、ユーロブルンで苦労したモレノがベネトンで涙の表彰台とか、嵌ったときのレイトンハウス、コローニの3万円個人スポンサーとか。 この頃思うと、今の日本人はF1レースさえリアルに見られない貧乏な国になったものだ。
=+=+=+=+= って、歴の長いチームは新参者排除の方針だからね。 ましてFは特別分配金(特別報酬)貰っているからね。 最下位チームは分配金すら貰えないんだから、弱小チームは消えるだけ。 見る方としては予備予選あった方が面白かったけどね。まさかの珍事もあったしね。 今はお互いに潰し合いレースみたいな感じだし。 本当の意味でのプライベーターチームは皆無だし。 企業の投資ゲーム、政治色も濃くなってきた感あるしね。 レースじゃなくて『興行』だよね。
=+=+=+=+= スクーデリア・イタリア、ミナルディ、リジェ、ラルースは混ぜないであげてください。 特にリジェはフランスGPの開催サーキットを変えるほどの政治力があったんですから
=+=+=+=+= ザクスピードのマシンは、エンジンとシャーシ共に走らず、鈴木亜久里から 「駄目、全然駄目、全部駄目」 ってピットのインタビューで答えてた記憶がある。
=+=+=+=+= マックスの親父だったかな? 給油で燃えてそれ以降ピットクルーは耐熱スーツが義務化されたけど、昔ながらのサングラスして半袖短パンの方が好きだね。
=+=+=+=+= プライベーターに毛の生えた程度のチームや、とにかくF1で走らせたいと情熱だけはあるチーム、何か怪しげなチーム、参戦の敷居が低い事もあり色々あってカオスな状態。 ドライバーも個性豊か。 だからこそこの時期はF1が面白かった。
今はなぁ…。 なんか応援したくなる様なネタチームやドライバーが居ない。
=+=+=+=+= マシンそのものもそうですが 昨今の電子デバイス満載のパドック はもうどうでもいいや あの頃のアナログ世界が 半端なく楽しかった!
=+=+=+=+= 鈴木亜久里… ザクスピードでの全戦予備予選落ち その後のラルースでもマシントラブル 92年からフットワーク無限に乗っても成果は乏しくパッとせず 90年の鈴鹿で3位表彰台 あれくらいだったね (もっともアレもトップ連中が軒並み潰れての結果だったしね)
=+=+=+=+= この年代で一番記憶に残っているのは、やはりライフだな。 W12を引っ提げて参戦して来たものの、マトモに走る事すら少なく 何処かのGPでは、コースに迷い込んで来た犬より遅かったwとかの記事も有ったしw 幅広なW型エンジン覆うカウルの不 細 工さもナカナカ…
=+=+=+=+= 今よりドライバーもマシンも個性もあったし88年〜90年くらいは面白かったよ。 スポンサーもタバコばかりじゃなく日本の企業が多かったし華やかだった。
=+=+=+=+= 昔はオーバーヒートするからってエンジンのカウルを外してサーキット場を走行していました。もちろん稀な例ですが、いろいろ楽しい時代でした・・。
=+=+=+=+= >ドライバーの名前を挙げることができればその2倍の点数を差し上げる スバルコローニに乗って、去年のF3000のほうが速いとのたまったベルトランガショー アンドレアモーダが2台エントリーしてしまったせいで、予備予選を毎回とりあえず走ってくるだけのペリーマッカーシー 文中のオニクスのスポンサーを買って出たマネートロンのあの髭オヤジの名前が出てこないが、ドライバーはガショー ライフのW12でまさかのカムバック、ブルーノジャコメリ
…これで何点?
=+=+=+=+= ニキラウダとマリオアンドレッティが競ってた頃は面白かったなあ、F1。312T2とロータス。ロータスの1 2フィニッシュもあったなあ・・・
=+=+=+=+= アンドレア・モーダ、あのロベルト・モレノが乗ったけど、エンジンは燃えるし全く走れなくて悲惨でしたね。
=+=+=+=+= ランボ っていうランボルギーニのワークスチームもありましたね 円盤みたいな形してましたよ
=+=+=+=+= 玉石混交入りやすく出やすいF1の方が、今みたいにガッチガチの閉鎖ムラよりはいいように思うんだがなぁ
=+=+=+=+= 70年代から参戦して 何勝もしているリジェを オニクスとかと一緒にするのはどうなんだ?
=+=+=+=+= 鈴木亜久里のザクスピードヤマハ時代の ドキュメントをYouTubeで見たけど、 あれは酷かった…
SFライツのチームとかの方が よっぽどスマートにやってるよ、 というくらいのレベルだった。
=+=+=+=+= 80〜90年代は良くも悪くも、涙あり 笑いありのいろんなチームがあって面白かったw
=+=+=+=+= あとタキ井上だっけ?実力ないのになんでかスポンサー騙くらかしてドライバーになったなんてのもいたな。国内のF3000どころかF3でも通用せんレベルやで。
=+=+=+=+= コジマのエンジンはその昔、カンナムジャパンで使ったDFVをオーバーホールして載せてたらしいよ。
=+=+=+=+= 「ただ、今、少しやり過ぎてしまっているのは残念だ。」 アンドレッティは通してやっても良いと思うけど・・・
=+=+=+=+= はちゃめちゃだったけど、変なチームがたくさんあってそれはそれで見ていて楽しかったけどなあ
=+=+=+=+= ミナルディ、リジェ、ラルース、ザクスピードあたりは覚えてるな ダラーラはスクーデリアイタリアなのか
=+=+=+=+= V8、V10、V12が一緒に走ってた頃は面白かったな
=+=+=+=+= 毎回、鈴木亜久里選手は予備予選落ちでしたってニュースで言っていて、顔も知らなかった。
=+=+=+=+= 確かに90~91くらいは会社でOLがF1の話してるメチャクチャな時代だった
=+=+=+=+= 誰だっけ? ニキ・ラウダの愛人。 確かこいつのせいでデーモン・ヒルはシートを失った。
=+=+=+=+= オニクスのヨハンソンが3位に入った時は驚いた。
=+=+=+=+= 最高に面白かったのも80〜90年代だったけどな。
=+=+=+=+= レイトンハウスとフットワークは入れないの?
レイトンブルー、好きやったのに...
=+=+=+=+= 出場チームが多かったので木曜日の予備予選が懐かしい!
=+=+=+=+= スバルもエンジン参戦したけど、数戦で撤退しましたね。
=+=+=+=+= レース界に、ワークスイーターと言う言葉が有った時代!
=+=+=+=+= ステファン ヨハンソン、今何してるかなぁ。
=+=+=+=+= 逆に面白かった時代
=+=+=+=+= この「底辺チーム」が殺到し予備予選なんてものをしなければいけなかった時代のF1は当時のレース雑誌でも笑いものにされていて結構面白かった。六田昇氏の「F」連載時が丁度その頃だったからあの頃の狂乱ぶりが垣間見られる。フォンドメタルとかアンドレアモーダーとか、1シーズンで消えてなくなるチーム。ロベルト・モレノも「F」でギャグキャラで出演してましたね。
|
![]() |