( 230324 )  2024/11/05 15:29:51  
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過去の民社党の歴史や思想を持つ荒木和博氏が、国民民主党について語っている。

荒木氏は、民社党から国民民主への遺伝子の継承や部分連合、国民民主の政策への期待などについて述べている。

(要約)

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民社党の党員証を大事に持っている荒木和博氏=東京都文京区(渡辺浩撮影) 

 

先の衆院選で国民民主党が改選前の4倍の28議席を獲得して躍進。自民党と国民民主は政策ごとに協力する「部分連合」に向けた動きを本格化させている。部分連合を、55年体制末期に国連平和維持活動(PKO)協力法成立で実現したのが民社党だ。「テーマによっては自民より右」と言われた民社のように、国民民主はなるのだろうか。元民社党本部書記局員で特定失踪者問題調査会代表の荒木和博氏に聞いた。 

 

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■国民民主に民社の遺伝子 

 

――民社党とは 

 

「昭和35年に社会党の右派が分裂して結成されました。当初の正式名称は民主社会党です。共産主義を否定し、資本主義の修正を目指す福祉国家路線で、防衛や行政改革、教育改革などでは自民よりはっきり主張しました。しかし自民と連立を組むことはなく、政権に参加したのは平成5~6年の細川、羽田内閣の10カ月だけです。新進党の結成に伴って6年12月に解散しましたから、来月で解党30年です。私は中学生から民社のファンで、大学卒業後の昭和54年から解党まで本部書記局員でした」 

 

――民社の遺伝子は国民民主にあるか 

 

「現職の国会議員でかつて民社党員だったのは、自民の山谷えり子、高木啓両氏、立民の渡辺周、熊谷裕人両氏、国民民主の川合孝典氏、日本保守党の河村たかし氏と、所属政党は分かれています。しかし解党後に民社の理念に共鳴していた人たちが今は国民民主に多く所属しています。また、民社は全日本労働総同盟(同盟)に支持され、国民民主はUAゼンセンなど旧同盟系労組に支えられていますから、民社の遺伝子の一部は国民民主に継承されています」 

 

――民社は共産党の宮本顕治元議長の「リンチ共産党事件」(共産党はスパイ査問事件と呼称)を追及するなど、「右」のイメージを持たれていた 

 

「私が取り組んでいる北朝鮮による拉致事件を国会で最初に取り上げたのは民社の塚本三郎委員長でしたし(政府は答弁せず)、国鉄の分割民営化は同盟傘下の鉄道労働組合(鉄労)があったから成し遂げられました。皇室への尊敬の念も自民よりありました。元号法制化には積極的に取り組みました」 

 

――そういう点では国民民主はマイルドだし、議員の思想にばらつきがある 

 

 

「民社には、共産党や社会党左派のマルクス・レーニン主義と対決する民主社会主義という思想理念がありました。国民民主には○○主義と呼べるものがありません。これは善しあしではなく時代状況の違いでしょう」 

 

■自公民、PKO協力法で部分連合 

 

――民社には、社会、公明と一緒に自民に対抗する「社公民路線」と、自民に協力する「自公民路線」があった 

 

「大雑把に言えば自民と連携して政策を実現しようという流れと、元々社会党だったのだから労働者の党としてまとまるべきだという流れがありました。これは派閥対立というより、どちらも選択肢だったということでしょう。しかし現実には自民が強くて、連立も閣外協力もできる余地がありませんでした。ただ、平成元年に自民が参院で過半数割れした後、大内啓伍委員長時代の3年には湾岸戦争に90億ドル追加支援する補正予算案に自公民で賛成し、4年には社会党が牛歩戦術で抵抗する中、PKO協力法を成立させました。あれは部分連合でした」 

 

――自公民ならぬ「自公国」を実現するとしたら、国民民主にとって「部分連合」「連立」「閣外協力」のどれがいいのか 

 

「『年収の壁』の引き上げやガソリン税の一部軽減、消費税減税など、自分たちがやるべき政策を実現できるかどうかで、選択肢を判断すればいいと思います」 

 

――国民民主は民社のようになれるか 

 

「自分自身にとって所属政党は民社だけで、国民民主の党員ではありませんから無責任な意見ですが、民社は小さいながらも政策のデパートでした。国民民主は経済だけでなく幅を広げ、総合的な政策を進めてほしいですね。民社には民主社会主義研究会議(民社研)に中道系、保守系の錚々たる学者が集まっていました。ああいうブレーン軍団が国民民主にもあったほうがいい。党員教育も必要でしょう。玉木雄一郎代表には、政策力を強化して、民社がなし得なかった、政権に対する影響力発揮を期待しています」(聞き手・渡辺浩) 

 

あらき・かずひろ 昭和31年、東京生まれ。慶応大卒業後、民社党本部に入り、中央党学校事務局、青年局などで勤務。解党時は全国青年部副部長。北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)事務局長を経て、特定失踪者問題調査会代表。拓殖大海外事情研究所教授。元陸上自衛隊予備陸曹長。 

 

 

 
 

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