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漫画家の楳図かずおさんが死去 88歳 「まことちゃん」「漂流教室」などの数々のヒット作生み出す

デイリースポーツ 11/5(火) 11:54 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/79107333aba2d69bda282be86f004f4713d9f644

 

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漫画家、楳図かずお氏(本名・楳図一雄)が88歳で亡くなったことが報じられた。

和歌山県出身で、「へび少女」などのホラー漫画で知られ、「まことちゃん」なども人気を博した。

楳図氏は永遠に作品が読み継がれることを望んでおり、一般財団法人UMEZZから深い感謝のコメントが発表された。

彼は数々のヒット作を残し、最新作を2022年に発表していた。

(要約)

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楳図かずお氏 

 

 漫画「まことちゃん」などで知られる漫画家の楳図かずおさん(本名・楳図一雄=うめず・かずお)が10月28日に死去したことが5日、分かった。88歳。和歌山県出身。胃がんを患っていたといい、施設で療養中だった。葬儀は関係者で行った葬儀はすでに関係者のみで行った。 

 

【写真】楳図さんのおどろおどろしい世界感を美貌女優が再現「ぐわしっ!」 

 

 一般財団法人UMEZZは「生前、楳図は自分の作品が世界中の人々に届いて欲しい、永遠に読み継がれて欲しいと願っていました。また、自分の作品の芸術的価値を信じておりました。その志がこれからも皆様の心に留まり続けることを願っております。これまでご愛読、応援いただいた読者の皆様、お世話になりました関係者の皆様に深く感謝申し上げます」とのコメントを発表した。 

 

 楳図さんは1936年に和歌山県伊都郡高野町に生まれ、奈良県で育った。小学4年生で漫画を描きはじめ、高校3年生時に「別世界」「森の兄妹」を出版し、デビュー。「へび少女」などのヒット作により、“ホラー漫画の神様”と呼ばれた一方、ギャグ漫画「まことちゃん」が大ヒット。作中で主人公が中指と小指を折り曲げるギャグ「グワシ」が社会現象にもなった。 

 

 このほか、「漂流教室」「猫目小僧」「おろち」「洗礼」「わたしは真悟」「神の左手悪魔の右手」「14歳」など数々のヒット作を生み出した。2022年、27年ぶりの新作「ZOKU-SHINGO」を発表した。 

 

 2019年には文化庁長官表彰、23年には第27回手塚治虫文化賞・功労賞を受賞した。 

 

 

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楳図かずお先生に関するエントリーには、様々な時代や世代からの思い出や感謝のメッセージが寄せられています。

漫画作品を通じて多くの読者に感動やトラウマを与えた作家として、その独自の世界観や表現力が多くの人々に愛されていたことがうかがえます。

また、楳図かずお先生の豊かな作品群が時代を超えて多くの人々に長く愛され続けることが伝わってきます。

 

 

『楳図さんの作品で初めて読んだのは「アゲイン」でした。

』『まことちゃん大好きで何度となく繰り返し読んでました。

』『まことちゃんで笑わせて漂流教室で怖さと感動を与えたのは今でも思い出深いです。

』など、楳図かずお先生の作品に触れた一人一人の個人的な思い出や感想が、彼の独自性や影響力を示しています。

 

 

最後に、多くの読者が楳図かずお先生に敬意を表し、ご冥福を祈るメッセージで締めくくられています。

 

 

(まとめ)

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=+=+=+=+= 

今思うとコンプライアンス的に今では問題となる言葉や表現があったかも。でもそれで子供達は色々な事を学んで行ったのだよね。 漫画の世界は漫画の世界なのだから思いっきりまことちゃんみたいな作品がもっともっと世に出てくると良いなって思います。 長い間ありがとうございました。お疲れ様でした。御冥福をお祈りします 

 

=+=+=+=+= 

丁度2年前、大阪のあべのハルカス美術館で「楳図かずお大美術展」をやっていて、子供時代から母がファンで家に作品が何冊かあって慣れ親しんでいた(後に「まことちゃん」も一部ですが読みました)のもあって行きました。プロフィールや他の知らなかった作品、最近までもご活躍されていたのを知り、長生きして(しかも常に若々しかったのに驚き)頑張っておられるんだなぁと感心。しかも室内のあちらこちらにご本人の直接手掛けられた奇抜なデコレーションもあって楽しめました。 

長きに渡る精力的なご活躍、漫画家でありアーティストだった楳図氏を心から尊敬、感謝すると共に御冥福をお祈り致します。 

きっとあの世でも精力的に新しい作品に取り組まれることでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

小学校高学年の一時期、友達の影響で楳図先生のホラー漫画にドはまりしました。恐怖・呪いの館・怪・イアラ・・・貪るように読みました。対極のようなまことちゃんも大好きでした。トイレに連れて行ってもなかなかおしっこをしないまことちゃんと幼稚園の先生との攻防?を描いたあのシーンが忘れられない。最後の「その時私は勝った!と心の中で叫んでいた」という独白は今でもあらゆる場面で使わせてもらってます。 

ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

昔、まことちゃんが大好きでした。 

高校の時、夏休みの家庭科の提出物をまことちゃんの手作り人形にしたことがありました。 

模造紙にまことちゃんとまことむしのイラストを描いて、社会科の公害についての資料を作って提出したこともあります。なかなか好評でした。 

どちらも懐かしい思い出です。 

ご冥福をお祈りいたします。合掌 

 

=+=+=+=+= 

かなり前ですが、吉祥寺に住んでいた時、あの個性的なお宅を拝見したことがあります。 

当時、外観が景観に合わないとかって文句つける人も居ましたよね。 

気にしなけりゃ良いのに...と当時は思いましたけどね。 

 

=+=+=+=+= 

名漫画家がまたひとり逝ってしまったな。唯一無二だったと思います。 

でも時の流れの中で先生の感覚を求める需要が減っていきご本人がもうずいぶん前に「もうそういうのいらないから」って本当は思ってる担当さんの気持ちがわかっちゃったんですよ、もう求められてないなあって、みたく言って笑顔でしたが寂しそうだったのが忘れられません。間違いなく楳図先生はレジェンドだ。 

 

=+=+=+=+= 

以前、中央線でお見かけしました。写真の通り、普段着もツートンのボーダーロンTでした。躊躇しつつもご挨拶すると、物凄く丁寧な対応をしていただき、感激したのを覚えています。ありがとうございました。 

謹んでご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

「洗礼」は女性の美への執着を描いた恐怖漫画で子供のころよんで非常に怖くて美しかった思い出があります 

なんでおじさんが、あんな女性の美への執着を描けるのか驚きでした 

「漂流教室」は、子供たちだけで未来に漂流するという設定がまず面白くて、その時点で心をつかまれましたが、サバイバルホラーの先駆け的な要素もあり、後の漫画家・ドラマの作品にかなり影響を与えたと思います 

素晴らしい作家でした。ご冥福をお祈りします 

 

=+=+=+=+= 

兄が持っていた「まことちゃん」から始まり、小学生時代には自ら「おろち」を好んで読むようになりました。 

 

なにより好きなのは「漂流教室」。 

ホラーの枠には収まらない名作で、私は自分の子供にも読ませました。 

時代は変わっても、やはり彼らの心にも強く響いたようです。 

 

あのストーリー、あの発想、あの怪物デザインは楳図先生にしか生み出せなかったと思います。 

当時は実写技術が追いつかなかったけれど、今なら原作に近いものができるんじゃないかな。 

 

楳図先生、何十年にも渡り、数えきれない名作をありがとうございました。 

 

=+=+=+=+= 

楳図かずお先生と言えば、『14歳』をはじめとする怪奇漫画の第一人者として知られていますが、やはり、私の世代では週刊少年サンデーで連載された明るいギャグ漫画である『まことちゃん』を真っ先に代表作として挙げたくなります。主人公のまことちゃんの「サバラ!」、「ぐわし!」、「ぐわし戦闘機!」の指真似をよくしたものです。又、まこと虫やビジグソの下ネタには笑わされた反面、家族のまことちゃんに対するお仕置きとして百叩きや逆さ磔には恐怖したものでした。改めて楳図かずお先生のご冥福を祈りたいものです。 

 

 

=+=+=+=+= 

年末年始は1年で最も死人が多いという統計データがあると聞きますが、感覚的にも正月が近づくと訃報が増える感覚があります。 

 

吉祥寺の街を歩いているとしょっちゅう見かけたあの赤と白のストライプのセーター姿。散歩する楳図さんをよく見かけましたが、最後に見たのは去年で、元々細い体が更にお痩せになっていたので心配はしていました。ご冥福をお祈りします。 

 

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昔、吉祥寺駅前で楳図かずおさんがお知り合いの方と歩いていたのを見かけた事がある。その時も写真の通りの赤と白の横縞のボーダーシャツでお気に入りなんだろうなと思った。子供の頃、漂流教室を読み、とても強烈な内容で今でも憶えている。年齢を感じさせない感じで、マンガから飛び出たようなマンガ家楳図かずおさんの姿は、テレビでも面白そうな方だなと昔から思っていた。 

お亡くなりになられた事に驚いている。御冥福をお祈りします。 

 

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昭和の巨匠が又1人居なくなりました。88歳。大往生ですね。小学生の頃にまことちゃんが連載されていました。まことちゃんのグワシ!をやりたくてしかも漫画では左手でやっていたのですが右利きなので左手ではできず、なんとか頑張って右手で出来るように頑張りました。今でもグワシは出来ます。まことちゃん、猫目小僧など独特のタッチで描かれる漫画でしたが好き嫌いが分かれる漫画でもありました。御冥福をお祈りいたします。 

 

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学生の頃近所のおばさんから、楳図かずおさんの「怪」と「ミイラ先生」のコミックをもらって読んでました。 

怪は顔の半分に別の顔が人格を持って…ミイラ先生も子供の頃はトラウマレベルでした。幽霊よりも怪物みたいなものが多くて、読んでてドキドキしました。ご本人はとても愛嬌あって楽しい方で、まことちゃんとホラー漫画のギャップが凄い。 

ここ数年はテレビでお見かけしても、かなり痩せてらして体を壊してるのではないかと心配になりました。 

ご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

ご高齢でありいつの日かこういう時が来るのだろうと思っていた。だがまさか楳図先生が本当に世を去る事になったという気持ちが強い。先生が手掛けた多くのリアリティある作品は購読者の度肝を抜かせて頂いた。楳図かずお先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 

 

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70歳の女性です。 

遥か昔、小学生の頃、私がマーガレット、友人が少女フレンドを買い、読み終わると直ぐに交換してました。 

少女フレンドには楳図かずおさんの「猫目の少女」今で言う怪奇、ホラー系の漫画でした。 

猫目で生まれてしまった少女の怖いけど悲しい物語が、毎週楽しみでした。 

マーガレットには水野英子さん、少女フレンドには楳図かずおさん、後に両者共漫画界の大スターに大飛躍なさいました。 

子供ながらも交換して読むとは考えたもんだと懐かしむと同時に、楳図かずおさんが88歳になられてたと知り、自分も歳を取るはずだわと、月日の過ぎる速さを噛み締めてます。 

楳図かずおさん、貴方は私の子供の頃の記憶には欠かせない存在でした。 

どうか安らかにお眠り下さい。 

御冥福をお祈り申し上げます。 

 

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楳図かずおさん。大晦日の笑ってはいけないシリーズでは笑いの死角として出演していたのを覚えてます。特にダウンタウンの浜ちゃんの独特な似顔絵には高笑いしてしまうほどでした。ご冥福お祈り申し上げます。 

 

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想像力・表現力が秀でてる人だからなれる漫画家 

コンプライアンスという名のもと 

揚げ足を取りみたいに何とでも批判・否定できる世の中に 

あまり影響されなかった時代に楳図さんが活躍できたのは良かったと思うし 

私もそういう作品に触れたことで色々な想像力や思案で 

個性が作れたことは良かったと感じてる。 

お疲れ様でした。御冥福をお祈りします 

 

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本当に心から先生の作品を愛しています。 

小さな頃から集めた単行本、大人になってからは再版した作品、同じ物もたくさんあります。 

先日もビレバンでまことちゃんシールなど買い求めて喜んでいたばかりなのに。。。 

悲しいです。寂しいです。 

素晴らしい作品を残して下さって有り難うございました。ずっと大切にします。 

先生のファンキーながらも繊細なところが大好きです。 

そんな私も60歳になりました。長いお付き合いです 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。 

 

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寂しいですね 

大人になってからは、「イアラ」シリーズと言われてる短編をよく読みかえしてます 

定規で引いたようには行かない、そんな人の心の機微が感じられて 

ただのホラー漫画家ではなかったと思っています 

展覧会で新作を見られたのも思いがけず楽しかったし、感謝しかありません 

 

 

=+=+=+=+= 

吉祥寺で何度かお見かけしました。本当にあの赤白ボーダーで歩いていらっしゃった。ルミネのポスターにイラストが使われていた時期に「楳図先生のイラストだなー」とボーっと眺めながら歩いていたらポスターの前をご本人が横切った時は驚きました。吉祥寺以外でお見かけしたのはあれが最初で最後。 

お元気なイメージでしたがもうそんなご年齢でしたか、、。ご冥福をお祈りします。 

 

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赤いストライプの服を着た人といえばウォーリーを探せのウォーリーと楳図先生のイメージでしたね。 

 

まことちゃんで笑わせて漂流教室で怖さと感動を与えたのは今でも思い出深いです。 

 

今年はマンガやアニメ関連で亡くなる方が多いですが楳図先生まで亡くなられるのは本当に寂しい限りです。 

 

ご冥福とお悔やみを申し上げます。 

 

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1974年に小学館初の少年漫画レーベル・少年サンデーコミックスがスタート。 

それまでは曙出版や秋田書店がサンデー連載作品のコミックス刊行を事実上代行していて、自社レーベル発足には小学館社内からも慎重論があったが、連載中から人気作品だった漂流教室か満を持して選ばれた。 

結果、漂流教室の大ヒットにより少年サンデーコミックスの礎が築かれて今日に至る。 

 

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子供の頃から当たり前のように見てきた有名人がどんどん亡くなっていくのは本当に寂しい 

志村けんさんが亡くなった時もそうだけど、先日の西田敏行さんなど、知らない人が珍しいくらいの人が亡くなっていくのは自分の年齢も改めて考えさせられる 

大切に生きようと 

 

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日本漫画界が生んだ天才の一人。50代の大人で子供のころ彼の漫画にトラウマを受けていない人はほとんどいないだろう。それほど偉大な存在だった。 

 

個人的には水島新司と絡むエピソードが面白かった。チャンピオン編集部が強引にサンデーから水島を引き抜いたのに怒った楳図がチャンピオンと別れてサンデー優先になった。その結果、水島新司はドカベンの大ヒットで野球漫画の代表格になり、楳図は漂流教室、まことちゃんなど方向性を変えた漫画で大ヒットした。 

 

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心のこもった言葉ですね。長年にわたって先生の作品と共に過ごし、その独特のファンキーで繊細な作風を心から愛されてきたのが伝わります。作品を通じて生まれた思い出や感動は、ずっと残り続けるものですし、先生への感謝の気持ちがあふれています。これからも大切にされる作品たちが、先生の存在を感じさせてくれるのは素敵ですね。心よりご冥福をお祈りいたします。 

 

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子どもの頃から怪談やホラ-物が好きなので楳図先生の本はもちろん好んで読んでいました。夢見る少女漫画が好きな友人達からは「気持ち悪い」と言われた事もたびたび。でも、楳図ファンならあの独特の雰囲気や面白さをわかってくれますよね。 

今はホラ-映画を見てもあまり恐怖心すら起きない年になってしまいましたが、あの頃ドキドキしながら読んだ梅図漫画の思い出は忘れません。 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

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若い人にはピンとこないかも知れないが、今でもギャグ漫画とかでキャラが驚いた時に楳図かずお調になる技法はよく使われているので、見ればああこの絵の人か!とわかると思う。そういう独特の絵柄の偉大な漫画家でした。 

 

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名作の数々がありました。子どもの頃、先生のシリアスな絵に大変惹かれました。 

 

漂流教室、あの結末は大好きですが、もしもあの祈りが成功した結末があったならどうなだったかなと、ずっと想像しています。 

そして最終巻の最後の話、全然関係ないようで、よく見ると跡地が出て、エピローグにもなってるんですよね。 

元の時間軸ではそのまま日常(まあまあ非日常なストーリーですが)が流れていることが表現されており、一気に余韻が増したのを覚えています。 

 

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子供の頃からずっと大ファンです。 

特に「おろち」が好きです。人間の内面の怖さを見事に表現している名作です。「わたしは慎吾」の扉絵の数々もハートに刺さりました。男女二人の子供がいろんな場所でポーズとっている不思議な絵。思わずじっと眺めてしまいます。センスが良くて。 

 

10年前の楳図カーニバルで先生とハイタッチした時の力強さに、ずっと長生きして頂きたいな…と思いましたが、こういう日はきてしまったのですね。 

先生の作品は、家の本棚に今でも多く保管しています。これからも読みます。ずっと永遠です。 

 

 

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いつも包帯を巻いてるお母さんが、心底怖かった…主人公に少年少女が多く、子供のころ読んだ恐怖のストーリーは今も忘れない。 

漂流教室は、愛と勇気の冒険譚だが、常に哀しみも感じさせる画風で、感動的だった。 

どれも読むたびに深く余韻が残る名作ばかり。 

私生活では、都内ではほとんど全て歩いて移動されると話されていて驚いたものです。 

 

楳図先生、ありがとうございました。 

 

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楳図さんの作品には少年サンデー連載のまことちゃんが最初でした。子供の頃お年玉で少しずつ単行本を買い揃えた事が懐かしい思い出です。楳図先生といえばやっぱり漂流教室ぬきでは語れません。また1人昭和の偉大な方が永眠された事、時代の流れと移り変わりをひしひしと感じてしまいます。楳図先生ありがとうございました。 

 

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楳図かずおの漫画といえば「恐怖」「まだらの恐怖」「赤んぼう少女」など、どれも子供の頃夢中になって読んだ。「おろち」や「イアラ」「洗礼」「漂流教室」など、人間の矛盾した内面を描いた作品も好きだった。そんな楳図さんも88歳、昭和を代表する作家だったと思います。「恐怖」は最高でした。御冥福をお祈りします。 

 

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おろちという漫画で、子供の頃に父親をひき逃げされて目撃したけど子供だから信じてもらえず、 

その後一生懸命その人の歌声を真似るように練習し、大人になってその歌手の付き人になってそして。。。 

 

とか、 

 

自宅で強盗に襲われて首にキズをつけられた赤ん坊は実は。。。 

 

とか子供心に凄い漫画だなって、何十年も覚えている 

 

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今から30年位前、八王子の会社に就職していたとき、中央線の高尾行の 

社内で見かけて声をかけたのを覚えています。 

ちょうどビッグコミック?で「14歳(フォーティーン)」を連載している 

頃でした。 

「頑張ってください」と声をかけ、握手してもらった時の握る力が思った 

より強かったことを記憶しています。 

 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

=+=+=+=+= 

まことちゃん大好きで何度となく繰り返し読んでました。それより昔に出された恐怖もの作品も当時は子供心にトラウマになるくらいインパクトがあり、なかなか寝つかれない夜があったことをぼんやりと覚えています。 

かなり前ですが、一度だけミーハー根性丸出しで楳図先生の赤白ボーダー柄のお屋敷を見物しに行ったことがあります。とても素敵なお家で、ここで楳図ワールド作品が誕生してるのか…と感慨に浸りながら眺めていました。 

 

また久しぶりに楳図先生の漫画が読みたくなりました。 

 

どうぞ安らかに。 

 

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当時、「まことちゃん」の決め台詞である『グワシ!』はかなり真似する人も多かった記憶が有ります。楳図かずおさんと言えば、「漂流教室」「猫目小僧」も代表作品として頭に浮かびます。 

 

「漂流教室」「猫目小僧」の世界観は、他のホラー漫画の作者と違う表現力が 

おどろおどろしい怪奇の世界を逆に魅力的に感じさせる雰囲気が有りました。 

 

「猫目小僧」はテレビ東京でアニメ作品として放送されましたが、その作品の手法が画期的だった為、当時のアニメクリエーターの方々の苦労も大変だったのでは。楽しみに毎週見ていましたが、視聴率が伸びなかった為なのか12話で終わってしまった事は残念に思いました。 

 

改めて、楳図かずおさんのご冥福をお祈りいたします。 

 

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子どもの頃、少女漫画に連載されてたへび女は少女漫画と思ってなめて読んだが怖かったな。 

又時代劇の漫画で肉面?だったかな怖くて読めなかったし半世紀以上たったが今も読めないほど怖い話だし画像も見たがおぞましかったよ。 

画像も黒を全面にだした異常な暗さで不気味だったな。いまのホラーより余程怖かったよ。 

後半はコメディータッチに作風が変わったがまさに恐怖漫画の元祖、巨匠だったよ。 

 

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「漂流教室」は衝撃的な作品だった。 

小学生のころ、盲腸炎にかかった主人公を小学生たちが人体図鑑を片手に手術をするというシーンはトラウマ級のショッキングな場面で、これは一生忘れられない。 

今から思うと、ドンピシャリ時代の一歩も二歩も先を行くディストピアな暗澹たる未来を鮮烈に描いた作品だった。 

かと思えば、「まことちゃん」でエキセントリックなギャグをかましてくれるし。エレキ片手に黄色い声援を浴びていたロックスターが楽屋に戻り、つけまつげを取りかつらを取りと進むうちに、実はよぼよぼのじいさんだったというオチには爆笑した。 

独特のテリトリーと幅広いジャンルを縦横無尽に横断した稀有な才能だったと思います。 

合掌。 

 

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小学1年生の頃、まだ学校のトイレが裸電球ぼっとん便所で、下から手が出てくるんじゃないかと怖くて鍵閉められず、友達と交代で喋りながらドア押さえ合っていました……お弁当も芋虫いるんじゃないかと……私の日常ホラーの原点は楳図かずおさんです。ご冥福をお祈りします。 

 

 

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知る人ぞ知る楳図かずお先生は ウルトラマンも書いているんだよな 先生らしくホラーだが。特にバルタン星人の回はオリジナルテレビとは違うホラーだが、それも良かった。それでもちょっとギャグっぽい所もありガハドンとの戦いの時にウルトラマンがガハドンの口の中にパンチしてガバ!ドン!って吹き出しになっていたのが笑えた。先生お疲れ様です。ゆっくり休んてください。御冥福をお祈りいます。 

 

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楳図先生の作品で初めて読んだのは「アゲイン」でした。「まことちゃん」のお爺さんが薬で若返る話でしたが、何十年も経った今でもしっかり覚えています。ウルトラマンの漫画も描かれていましたね。 

私の友人には先生の作品が原因でニワトリが大嫌いになった人もいます。ロックが大好きで「ビチグソロック」等レコードも出されていましたね。 

本当に沢山の思い出があります。 

楳図先生、長い間ありがとうございました。 

ゆっくりお休み下さい。 

 

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個人的には漂流教室の印象が凄く強烈だった気がする。得体の知れない虫に襲われるのが生徒の生み出した幻想だったり、生徒だけでの手術のシーンとか強烈で忘れられない。本当の想像力豊かな作家だったと思う。数々の素晴らしい作品をありがとうございました。 

 

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手塚治虫を直に見聞していた、恐らくは最後の世代。漫画以外にも、クイズダ-ビ-に何度もゲスト回答者として出演し、珍回答で笑わせてくれた。70を過ぎてイタリア語の習得を始めるなど、学習意欲が旺盛であった。新築した自宅のデザインを巡って近所から訴訟を起こされる(最終的に勝訴)など、何かと話題に事欠かなかった。大往生と言って良いのでは? 慎んで御冥福をお祈りします。 

 

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9月に父が亡くなり、先に父親を亡くした中学時代の友達と電話で色々な話をしていました。 

今ならそれがサブカルだったと理解できるのですが、当時はそのような呼び名も知らない純心な時代です。 

友達も私も漫画や音楽が大好きで好みが違うからこそ貸し借りして、お互い良い刺激を与えていたのだと知りました。 

そこで共通したのが楳図かずお先生の漫画です。 

中学時代は二人共熱心には読んでなかったと思いますが、先のまことちゃんブームもあり何処かで読む機会もあったのでしょう。 

同じ本を読んでいたことが分かり、子供の頃はこうやって思ってた、でも大人になって同じ作品を読んだらまた感想が違っていたと、そのような話になりました。 

深く考えさせられる何かが、楳図かずお先生の作品にはあったのです。 

ご高齢になられてどうしておられるかと思っていたので残念でなりません。 

父と同世代の楳図かずお先生の御冥福をお祈りいたします。 

 

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最近までお元気そうだったのに… 

もっとも尊敬する漫画家さんが亡くなってしまった。 

以前吉祥寺に住んでいたのでお姿はよく拝見していました。写真で見るあのまんま、白と赤のボーダーシャツを着て早足で吉祥寺の街を散歩されていました。 

梅図さんは唯一無二の天才でした。『漂流教室』も『わたしは真悟』も漫画史に遺すべき大傑作です。『洗礼』も『14歳』も『神の左手〜』も『まことちゃん』も大好きでした。全ての作品が至宝です。 

近年やっと海外でも鬼才として知られるようになってきていたのに残念です。 

心よりご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

ずいぶん前です楳図先生と吉祥寺駅で何度か出会いました 

「楳図先生ですよね」と声をかけてもそそくさと「違います違います」と言われて相手にしてくれなかった。 

でも彼は改札を通った後、階段上の私に対し振り向きざまにいつも「サバラ!」とあの手をやってくれて、これは本当に嬉しかったです。 

小声でひょろっと痩せていて控えめな人柄、独特な服装なのですぐ見つかりました。 

いつもサバラで「グワシ!」ではなかった 

心からご冥福をお祈りいたします 

 

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うわぁ、楳図先生亡くなってしまいましたか...すごいショックです。 

私の大好きな漫画家であり、漫画界の巨匠でした。楳図先生は存在自体がもうマンガのキャラの様な方で楽しませてもらいました。先生の作品は数知れず、おろち、洗礼、まことちゃん、漂流教室、私は真吾、自分は特に14歳が大好きでした。 

 

楳図先生。長年我々読者を楽しませてくれてありがとうございました。 

ご冥福をお祈り申し上げます。向こうでもロックな人生を送って下さいね。 

楳図先生、サバラッ 

 

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小学校の時、学級文庫に楳図先生の恐怖シリーズが置いてあって震え上がって読んでいました。 

我が家にはまことちゃんが全巻ありますし、大人になっても楳図先生の漫画が大好きで尊敬していました。 

唯一無二の昭和を代表する巨匠のお一人でしたね、 

残念ではありますが、感謝してご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

もうだいぶ前になりますが、JR中央線の吉祥寺あたりで見かけました。赤と白のストライプの上下を着て、座席で股を開いて座っていました。子供の頃読んだ「怪」とか「恐怖」というタイトルだったと思いますが、怪談物の漫画が死ぬほど怖かった思い出があります。ご冥福をお祈りいたします。 

 

 

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私が保育園に行ってた頃、漫画本があった所にめちゃくちゃ怖いホラー漫画本があったのを覚えています。凄く怖いんだけど、恐る恐るつい読んだりしてました。特にヒィ〜とか人が怖がっている描写はとても迫力がありました。大人になってから作者が楳図かずおさんだとわかりました。幼い時の思い出をどうもありがとうございました。 

 

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自分が幼少から小学生だった時分は、ドラえもんと並んでまことちゃんは、めちゃくちゃ影響を受けた漫画です。物凄く好きだった…!あと大人になってからはアゲインを読んだのですが、それもまた良い作品で大変感慨深くなったのを覚えています!…お亡くなりになったのは正直信じたくありませんが、楳図先生のご冥福をお祈りしたいと思います。楳図作品は永久に残ります。天国でもグワシをやっていって下さい!有難う御座いました!! 

 

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子供の頃に読んだ怪奇漫画は本当に怖かった。トラウマになるほどだった。大学生の頃「わたしは慎吾」を読んで非常に感銘を受けた。今でもあのラストは素晴らしいと思う。その他、素晴らしい作品の数々をありがとうございました!ゆっくりお休みください。 

 

=+=+=+=+= 

初めて読んだのが『まことちゃん』じゃなくて『漂流教室』、現代に取り残された馬内守也の場面。 

恐ろし過ぎて読めず、友だちがグリバタケッケちゃんの話をしてくれても、あの恐ろしいコマが頭に浮かび、恥ずかしながら成人後に好奇心に勝てず、恐怖と闘いながら『わたしは真悟』を手に取るまで楳図作品をマトモに読むことが出来なかった。 

それからは、たくさん読みました。楳図先生の歌も聞きました。 

外見・内面も含めて「人間」というものについて、深く考える切っ掛けにもなりました。 

今は、『わたしは真悟』のラストの虹のように、私たちを見守ってくださるのでしょうね。 

楳図先生、本当にありがとうございました。 

 

=+=+=+=+= 

個人的にはまことちゃんよりも、ホラー系が大好きでした。まだらの恐怖は子供の頃読んで本当に怖くて寝られなくなった。筋肉少女帯の歌にも「たまみちゃん」が出てきますよね、なんとも言えない独特のホラー世界、本当にありがとうございました。今も大切に本は持ってます。 

 

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まことちゃん、強烈やったなあ、、 

あのホラー絵での繊細な絵タッチそのままで超オゲレツギャグ見たときは衝撃と面白さでトラウマになりました笑。それまでこんなの見た事なかったから!自身でもロックバンドを組んで映画化の時は主題歌担当したりしてね。多才でイカれててマジ最高でした。 

ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。 

 

=+=+=+=+= 

吉祥寺に行くと楳図かずおさん歩いているんですよね~。何度かお見掛けしましたがいつも赤いボーダー長ティー来ていました。 

ホラーと笑いは紙一重というし、非常識なギャクと鬼気迫る美少女キャラとすごくやさしいお人柄。 

唯一無二の日本の自慢できる大漫画家さんでした。 

どうぞ心安らかにお眠りください。 

 

=+=+=+=+= 

多くの日本人にとっては幼少期のトラウマとなった恐怖漫画、「まことちゃん」の大ヒットとTV出演でのご本人のポップな姿、人柄をもって語られる事が多いが、 

そのせいで稀に見る偉大なアーティストであり世界的規模での天才だとの認識が十分に広がっていないのは残念な事だ。 

かつての「まことちゃんハウス」の騒動もその天才性が広く認知され正しく敬意を集めていたなら起こらなかっただろう。 

 

27年ぶりの新作発表となった「ZOKU-SHINGO」もその芸術性を認めたフランスの漫画賞での表彰がきっかけになったと言う。 

その価値を掬いあげ新作のモチベーションを与えた彼の国には感謝するばかりだが、それがもっと早く日本でなされなかったのか、楳図作品を敬愛する一読者として悔しさと申し訳なさがある。 

残念ながら先生は旅立たれたが、残された作品群が広く長く読まれて、メッセージを与え続けることを望んでいる。 

 

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61歳ですが、小学生の時に読んだ「のろいの館」の赤ん坊少女タマミちゃんが強烈すぎて、生涯のトラウマです(敬意をこめて)。 

貸本屋さんで「恐怖」「おろち」シリーズを借りて読んだ日なんか、夜電気を消してからが本当に怖かった。でも、エンディングは人のやさしさや悲しみを描くシーンが多く、子供ながらにジーンときていました。 

漂流教室は名作・壮大すぎてコメントができません。 

 

もう先生のような漫画家は現れないと思います、同じ世代を生きて先生の漫画と出会えたことに感謝します。ありがとうございました。 

 

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漫画で夢中になったのは、課長島耕作と楳図かずおさんのおろちだ。おろちは9歳の時に少年サンデーで見てたちまち虜になった。第一話の姉妹は、二時間ドラマや映画にもなったし、第二話の骨、第三話の秀才は最後の結末が思いもよらないどんでん返しで本当にすごい作品だった。子供向けの怖い漫画とお笑いのまことちゃんのようなドタバタが人気だけど、私はおろちの作品にある人間の愚かさ、醜さ、儚さが第十話まで全ての物語に描かれて本当に稀有な漫画家だと思っていた。素晴らしい作品をありがとうございました。 

 

 

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楳図かずおさんの漫画は、独特な怖さがありました。怖い漫画の中では1番、好きです。また、楳図かずおさんの漫画を読みたいと思っていましたが、年齢的にも難しいのだろうなと思っていました。楳図かずおさんの漫画を初めて読んだのは50年程前だと思います。御冥福をお祈りします。 

 

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>生前、楳図は自分の作品が世界中の人々に届いて欲しい、永遠に読み継がれて欲しいと願っていました。また、自分の作品の芸術的価値を信じておりました。その志がこれからも皆様の心に留まり続けることを願っております。 

 

「まことちゃん」流行当時、小学生だった自分は指を3本立てる「ぐわし!」にチャレンジした事もありますが、実を言うと下ネタばかりで子供ながらにあまり面白さが分からず好きではありませんでした。 

しかし中学生以降読んだホラー系サスペンス系はストーリーも面白く、独特の絵やセリフで描く人物描写も他にはない個性があり何か人を惹きつける魅力があったように思います。 

楳図漫画は独特の画風で一言で言えばおどろおどろしい感じですが、それでも人間の欲望や身勝手な矛盾、善悪の判断が難しい人間の心情、人類が抱える未来への課題など、ストーリーやテーマが面白い作品は海外でもウケると思いますけどね。 

どうでしょう? 

 

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私の中では子供の頃読んだ「まことちゃん」後に 

テレビで楳図さん観る様になったと記憶しています。 

テレビで観る優しそうな楳図さんと作品とのギャップ差が、 

当時不思議でならなかったです。 

自分が成長後、楳図先生は改めて奇才の人なのだと思いました。 

ご冥福をお祈りします。 

 

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子供心に怖くて遠慮しがちな作品ばかりだったな 

 

ねがいを見た時はもうダメ! 

夜中トイレに行けなくなくて何回おねしょして親に怒られたか。 

今でも無理。 

 

この人なんでこんな漫画ばかり書くんだろと思っていた時にたまたままことちゃんを恐る恐るみたら、あれ?怖くない。 

 

今まで恐怖漫画に出て来る様な絵の人がコミカルに描かれていて、しかも作者が絵になってハガキを紹介したり、グワシの等級みたいにしたり、読書も一緒に楽しめるライブ感あり大変楽しめてありがとうございました。 

 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

サバラ! 

 

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小学生の頃に家にあった楳図かずお先生の作品をよく読みました。 

"まことちゃん"はヤバい幼稚園児なイメージが強かったですが、それなりに楽しめました。 

他に印象に残っている作品は、"奪われた心臓"ですね。この作品を読んで、怖くてドナー登録ができなくなりましたね。 

良くも悪くもトラウマ級の作品を世に送り出した、奇才と呼ぶに相応しい漫画家でした。 

ご冥福をお祈りします。 

 

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職場が吉祥寺ということもありまして何度か先生を見かけて声かけしたことあります。そのときはやはり具合よくなかった感じでした。今までお疲れさまでした。すばらしい作品の数々を残してくれてありがとうございました。先生とまことちゃんは永遠に僕の心の中で生き続けます! 

 

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大昔?週間少女フレンドと週間マーガレットという2大少女雑誌の中で 

楳図かずお先生の「ヘビ少女」と古賀新一先生の「題名は忘れましたが白蛇館?のような恐怖シリーズ」で長く連載されていたと記憶しています。どちらも迫力があり鬼気迫る絵と物語だったと懐かしく思い出しました。 

 

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私が楳図さんの作品を初めて読んだのは「恐怖」で当時小学生でした。それからどっぷり楳図ワールドにはまり、「おろち」「漂流教室」「洗礼」ほか、たくさんの作品を読みまくりました。どれも傑作、しかも絵がとても美しくて何度読み返しても飽きないです。ご冥福をお祈り申し上げます。 

 

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「ねこ目の少女」を怖いよと姉に無理やり見せられたのは昭和40年の小学2年の時。(ひとみちゃんが猫になってやってくる・・)楳図先生が有名になった「まことちゃん」以降の作品のファンも多いことでしょう。私はそれ以前の作品が頭から離れません。雑誌少女フレンドやティーンルックを恥ずかしくて購入できなかったために単行本を見つけた時は感激したものでした。楳図先生、ありがとうございました。いつか、吉野のお茶漬けと大台の一本足を見つけに行きたい・・。 

 

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昔、お住まいの駅で偶然拝見し、本当に赤い縞々のシャツ着てました。ホラー漫画と言えばの方ですが、ただ怖いだけでなく、人間の本質や自然に対する畏怖、というものを教えてくれました。私生活は破天荒なイメージですが、とても尊敬していました。ご冥福をお祈りいたします。 

 

 

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私が小学生だった40年以上前ですが、当時は恐怖系のマンガが流行ってて、楳図かずおさんの作品は最高傑作でした。あの独特なマンガを書けるのは楳図かずおさんしかいません。当時は怖かったですが楽しめました。 

御冥福をお祈りします。 

 

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またしてもずっと勝手に慣れ親しんでいた方が亡くなった。 

当然いつか亡くなるのは分かってるけど実際に起きるとダメージが大きい。 

まことちゃんなんて子どもの頃ハマりにハマった漫画でお腹を抱えて笑ったし、グワシは何百回手をつりそうになりながら練習したか··· 

かと思えばヘビ女を読んでしまいトイレに行けなくなったり··· 

辛くて悲しいけど、楳図かずおさんの功績はそれだけ大きかったって事。今頃天国に向かっているはず。 

作品は永遠に残ります。どうか穏やかにお休みください。 

 

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散歩が好きな方のようで、よくご自宅のある吉祥寺界隈で見かけました。西荻窪に行きつけの喫茶店があったようで、プライベートでも、いつもこのボーダーシャツを着ているから目立つんですよね。 

 

代表作はまことちゃんはじめ、数あれど、私は漂流教室が一番好きな作品でした。 

 

心よりお悔やみ申し上げます 

 

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吉祥寺に行った時 

楳図かずおハウス見に行きました! 

あのカラーリングからは想像出来ないくらい 

門だったりドアだったり一つ一つに 

重厚感のある高級な造りで感動しました! 

これからも取り壊さずに保存し続けて欲しいです。ご冥福をお祈りします 

 

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子供の頃、楳図かずおの恐怖漫画をむさぼるように読んでました。人間の心の闇を描かせたらこの人の右に出る人はいないんじゃないかと思わせられます。 

絵も独特で怖かった… 

『おろち』シリーズは家宝です。 

先生、安らかにお眠りください。 

 

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子供の頃、姉の少女漫画雑誌に怖い漫画がよく掲載されていた 

幼心にも怖く印象に残っていた 

小学校高学年になってから梅図かずおの名を知り、その漫画が氏によるものだと知った 

おろち、漂流教室、まことちゃん 

ずいぶん楽しませてもらった 

 

長じて引っ越すと楳図さんは同じご町内になった 

そのため、よくお見かけした 

時には1日2回すれ違った 

 

何年か前、アトレが新装開店する時に随分と協力されていた 

 

地元の暗黙の了解は、見掛けても声を掛けないことだった 

ボーダーハウスを建てる前からの事務所兼住居が某マンションにあり、そこも存じ上げていたが他言はしなかった 

そんな無粋なことをしないことも暗黙の了解の一つだった 

 

ボーダーハウス騒動の時によそ者が流入して来て、楳図さんに声を掛けていて、うんざりさせられた 

 

もうユザワヤの袋をぶら下げて歩く楳図さんが見れない 

ご冥福をお祈りします 

 

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なんかつい最近まで「うちの近所を歩いてた」的なXでコメント見たような 

お身体を悪くされていた印象がないですね。 

 

ギャグホラーの先駆者として新たな漫画ジャンルを確立されたと思います。 

あの世でもはじめちゃんを描き続けてください。 

 

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鬼才奇才がよく似合う人だった 

異才が光る数少ない人 

死やグロなどを確固たる作品として表現できた人 

今のコンプライアンスなどでは表現しづらいけど 

こういう人はそういう界隈で認めて守らないといけないとも思う 

また大きな存在が去っていったことは悲しい 

 

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画風についても、ジャンルについても、その道の「祖」と言っても過言ではないお方でした。 

小さい頃に古紙回収にあった、氏の漫画を読んで「しまいました」が、絵的に精神的にも衝撃を覚え、今でも残っています。 

ご冥福をお祈りします。 

 

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悲しいなあ…悲しい。またひとつ、昭和人間の心に穴が空いてしまった…。 

楳図かずおさんの作品は、子供の頃から大人になるまで、ずっと身近にあった気がする。楳図さんの御自宅がある街で働いていた時は、ちょくちょく店に寄ってくださっていた。小さなサボテンがお気に入りだった。あの街では楳図さんが歩いているのが当たり前で、皆、親しみを感じていた。 

心より御冥福をお祈りいたします…。 

 

 

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吉祥寺で働いていたとき、何度かお見かけしましたが、いつもあの赤白ボーダーをお召しになって、颯爽と歩いていらっしゃいました 

一度くらい話しかけてみればよかったなあ 

 

多くのすばらしい作品をありがとうごぞいました 

どうか安らかに 

 

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自分的には赤んぼう少女とかへび少女とかの少女マンガに載っていた作品が心底怖くて独特な世界観にページをめくるのが怖さでドキドキだった。 

漂流教室など多くの作品と共に芸能人さながらの梅図先生のキャラクターにたくさん楽しませていただいた。 

 

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子供の頃に雑誌で読んだ短編の「ねがい」が一番印象的でしたね。 

今でも凄く印象に残っています。 

同じ絵柄で「まことちゃん」のようなギャグ作品も描けるんだから凄いと思っていました。 

ご冥福をお祈り申し上げます。ありがとうございました・・ 

 

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子供の時に読んだ蛇女や猫の呪シリーズが怖かった…あの頃はトイレが外だったので母親にいつもトイレについて行ってもらって、夜も寝れないことが度々あった。 

あれから数年、まことちゃんのケタケタ笑いで泣いてる子供らも泣きやんだ(笑) 

少年サンデーを子供らと一緒に楽しめた時間をありがとう。 

楳図さんゆっくりおやすみなさい。 

 

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本当に残念。小学生の頃に読んだマンガは本当に怖かった。何故こんなマンガが少年雑誌に載るのか不思議だった。でも、これがマンガの奥深さなんだ、て分かったのは大人になってからだった。まことちゃんにもびっくりした。高校生だったから、きっと怖い話が待ってると身構えたりした。漫画文化をささえた巨人だね。謹んでご冥福を申し上げます。合掌。 

 

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吉祥寺での目撃談を聞くたびに羨ましかったが私にもその日は突然訪れた。仕事終わりに訪れた東急の書店の外国語学習コーナーにいらっしゃった。少し目を離したらいなかった。なんかまるで神様を見たような気がした。へび女とオロチが大好きでした。今までおつかれさまでした。ありがとうございました。 

 

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新しく連作絵画を製作中だというニュースを知り、楽しみにしていました。 

六本木で開催されていた展覧会にも行き、そのエネルギーに圧倒されました。 

また作品をたくさん描いてくださるんだろうな…と思っていたのですが…。ご冥福をお祈りします。 

 

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私にとって一番印象に残った楳図作品は「洗礼」です! 

脳の交換から起きる人の様々な変身 

「異常と思うことが、君の異常なのかもしれない!」 

自分が思う常識を根本から覆す話を小学生の頃の見て 

大変驚き、価値観を変えられました 

楳図かずお先生のご冥福を心からお祈り申し上げます 

 

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吉祥寺に仕事で通ってた頃、駅前で時々見掛けてました。 

初めて遭遇した時は、ホントに赤白ボーダー着てるんだー…と眺めていました。 

ホラーは苦手で作品はあまり読んではなかったけど、たまに読んではいました。 

ご冥福をお祈り申し上げます。 

 

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スピリッツで神の左手悪魔の右手、を読んだ時の衝撃は凄かった! 

ホラーな絵本を現実にさせる為に凶行に及ぶ男の話だったんですが 

単行本に載ったのを見たら当時のビッグコミックスは巻頭の何ページかを着色する様になってて迫力が激減していたのを訃報を見て思い出しました。 

 

 

 
 

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