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<コモンエイジ>祭りの「消滅」100件超す 都道府県の無形民俗文化財アンケート

毎日新聞 11/6(水) 6:00 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/eeb14778626a066bd250b583d65440fe6cda71da

 

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過去に都道府県が指定した祭りや行事のうち、担い手不足などの理由で解除や休止になっているものが、全国で102件あり、その大半が高齢化や若者人口の減少が原因とされている。

伝統的な行事や祭りは貴重として評価されており、国や自治体が保護しているが、人口減少社会の中で民俗の継承が難しい状況が浮き彫りになっている。

(要約)

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法被姿でダイナミックに「男踊り」を披露する踊り子たち=2024年8月12日午後、三村政司撮影 

 

 都道府県が指定する祭りなどの無形民俗文化財のうち、担い手不足などによって指定を解除したり休止状態になっていたりするものが31県で計102件に上ることが毎日新聞のアンケート調査で明らかになった。大半は高齢化や若者人口の減少が原因で、人口減少社会の中で民俗の継承がいかに難しいかが浮き彫りになった。 

 

【写真まとめ】あなたの地元にもある? 日本全国各地の祭り 

 

 ◇解除9件、休止93件 

 

 伝統的な行事や祭りは、特に貴重であると評価されたものについては国や自治体が指定文化財として保護している。毎日新聞の調査は都道府県指定の無形民俗文化財が対象。指定を解除した件数、指定を維持しながらも祭りなどが開催できずに休止状態になっている件数を尋ね、全都道府県から回答を得た。 

 

 回答によると、現行の指定文化財制度が始まった1975年以降、指定を解除していたのは4県で計9件。千葉県は伝承団体が消滅した「伊能の歌舞伎」(成田市)など6件、埼玉、愛知、大分3県は各1件あった。都道府県の指定から国の指定への「格上げ」に伴う解除や、いったん解除後に再指定したものは対象から外した。 

 

 休止は30県で計93件。県別では、多い順に熊本11件▽高知8件▽福井7件▽宮城、千葉、奈良、和歌山の各5件――だった。奈良、和歌山、徳島、岡山4県は個別名称を「非公表」(岡山は一部)とし、三重県は実態について「分からない」と答えた。 

 

 休止とした時期は多くが2000年代以降で、理由は子どもや若者らの担い手、後継者不足がほとんど。祭りの運営などに必要な資金不足を理由とする回答もあった。【山下貴史、畠山嵩】 

 

 

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祭りや地域の伝統行事が少子高齢化や過疎化などの影響で存続が困難になっている様子が伝えられています。

参加者や担い手の減少、やり手不足、若者の興味不足などさまざまな要因が挙げられています。

また、地域の経済的な理由や環境の変化、社会の変化によって祭りが廃止される地域もある様子が垣間見えます。

 

 

一方で、文化や伝統を大切にしたいという声や、記録や写真、動画で祭りや行事を残すことの重要性も言及されています。

現代の社会やライフスタイルの変化によって、伝統行事や祭りの在り方が模索されている様子もあります。

 

 

祭りや地域の結びつき、文化の継承などに関する懸念や議論がある一方で、個々の地域や行事に対する異なる立場や意見も多様に存在していることがうかがえます。

祭りのあり方や地域コミュニティの維持に向けて、様々な視点や提案がなされていることが伝わってきます。

 

 

(まとめ)

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うちの近くの神社では、年に一回、神輿を担いで歩く神事があるのだが、参加したい人が集まらず、毎年自治会長が人を集めるのに苦労している。 

毎年開催から、3年に一回に変更したらという案や、もういっそのこと無くしたらいいのではという案も出ている。 

記事中の写真のような見物客が集まる大きな祭りはともかく、地方ではどこも似たような状況だろう。 

 

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そもそも人がいないので担うもなにもない。規模を縮小するか、合併してやるかしかないと思う。うちの市内は人は少ないと思うが、若い人たちがいままでのやり方を変えて新しいお祭りを開いている。驚くほど人が来る。伝統は残しつつ、新しい要素、若者が行きたくなるような要素を入れるのはすごくいい。(お祭りに地元周辺関係のアイドルが来ます。そのおかげでファンの方が全国から集まるんですよね。それはそれでいいと思う) 

 

=+=+=+=+= 

そりゃそうなりますよね。 

全国的に産まれる子供自体が少なくなってきてますし、仕事内容が完全なる歩合制なら、祭りの為に休んでられないといった所でしょうから。 

 

 

ある専門職の施設が地元で新しくオープンする為、面接にいった知人の話では、12万で昇給なしと言われたそうで、昇給が確定されるなら、県外での施設仕事を辞めたのにと愚痴ってました。 

 

ガソリン代の高騰で車で通うのも大変なようで、地元で新しく出来るならと期待していたそうです。 

でもまあ。利用者の獲得が難しいから、おいそれと昇給を約束は出来ないのでしょうけどね。 

 

=+=+=+=+= 

子供を都会に送り出してしまえば当たり前の事ですよ。 

定年後に子供が帰ってくるでは遅すぎますし、解決策にはなりません。 

抜ける期間が生じますから。 

残った者で出来る訳ないんです。 

今に始まった事じゃありませんよ。 

50年前からこうなる事は予測出来ていた事だと思います。 

現役世代に責任があるとかではなく、無くなっても仕方がないと諦めた結果、現在纏った数で表出しているだけです。 

無理矢理残す必要は無いと思います。 

主旨変わってきますし。 

外部がものを言うものでは無いので地元の決断を受け入れれば良いと考えます。 

 

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江戸時代から続いている祭もありますが、江戸時代末期の日本の総人口は今の半分以下(推定3,400万人)です。 

地方の人口流出による少子高齢化や人口減少というより、親と子に孫と一緒に暮らしている世帯や、近所でいつでも会える暮らしている世帯が減ったからだと思います。 

伝統だからと固くならず、誰でも気軽に参加して楽しめるような祭でなければ残らないと思います。 

 

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他の祭りはわかりませんが、うちの近隣の祭りは一か月前から練習とやらで毎晩太鼓や鐘の音が9時まで鳴り響く。当日は町内から出るのも苦労するほどあちこち通行止め、ハッピ来てれば中高生の原付3人乗りや飲酒、喫煙もお構いなしの無法地帯。最後に残るのは通った後のごみの山。 

 

一刻も早くなくなってほしい 

やりたいのならルールを守って、ごみ片付けまできちんとやれよ 

 

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私は祭りは好きな人だけでやったら良いって思う人。あれは宗教の一環。大昔からの伝統で無形文化遺産がどーのこーのとありますが、維持運営が難しいのは過疎化の影響と信仰心の薄れもあると思います。宗教はビジネスだと私は思いますので、神社側がなーんにもしなくても勝手に毎年祭りが開かれるって胡坐をかいていた責任は大きいと思いますよ。 

私の地域の神社は地域の年配の人を毎年「担当」って任命してます。担当に選ばれた人は2か月に一回ぐらいボランティアで各家を回って寄付を募ってます。寄付と言う名の強制。神主も一緒に回って頭下げてたらわかるのですが、神主は任命するだけで後は何もしません。そりゃ潰れて当然でしょ。 

 

=+=+=+=+= 

経緯としてはコロナ禍という災害を経て、物価高騰に対応出来ない老人政権のせいで全てが後手後手で何も変えたくない無駄に頑固な政治が 庶民を不況に陥れた。 

それ故 開催費も無く大きな祭り以外の町内会等の祭りは自ずと不可能となった。 

つまり、政府主導でこの国を植民地化していた岸田政権の結果としてこうなった。 

 

野党は再三対策を講じていたが検討という先延ばしにして有耶無耶にしてばかりだった。 今後の政治で良くなればまた町内会等の祭りが再開出来る可能性はあるので 玉木代表始め【マトモな】人物が政治の舵取りをしてもらいたい。 

その意味では少なくとも自民党は関わって欲しくない! 

 

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なくなるのは寂しいとは言え、継続するにはお金も人も時間もかかる。どれ一つとして今余裕のあるものなどない。そんな中で何ができるだろう。せめて、動画や写真を残し資料を作って、いつの日かまた再開できる日がくれば、それを見れば大丈夫なようにすることも一つ。全く口伝が無くなるよりはマシ。上手に眠らせることも、別の形の残し方だとも思う。 

 

=+=+=+=+= 

後継者不足もあるでしょうが、神事自体が現代のスマホ社会や、個人主義の世の中に合わなくなっているのでしょう。 

現実の神社仏閣より、スマホや漫画の主人公やポケモンみたいなモノの方が身近でしょうし。 

蘇民祭りも最近無くなったみたいですが、あの髭の圧倒感のあるポスターにクレームが付くようになって20年近くは経つのですから、そうなったら終わりでしょうね。あとは個人や少数の有志で慎ましく行っていくのだろう。 

 

 

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最後に映像とか文書で詳細な記録残して、VRとかで体験できるようにしたら面白いかもね。 

地元のお祭りは結構大きくて毎年交通整理やら不自由が多かった。その不自由が回覧で回ってきたり、実際に迂回したりすると、「今年もこの時期が来たなぁ」と感慨深かった。あの頃は不自由を楽しめる余裕があった気がする。 

 

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公務員ですが、地元の祭りと言うのは地元の(特に若手)だけでなく行政にとっても非常に負担が大きいです。特に、地域をあげてのイベントとなると我々も相応に人手がかかります。 

はっきり言って、町会だけですべてがまかなえるなら勝手にやればいいですが、実際は諸々の届け出や万一の消防関係の準備などうちらも動くんです。 

それに地域の祭りといっても、最近はイベント要素が大きくなり、金儲けの手伝いをするのもばかばかしいです。 

我々の代で、こういったものは簡素化していきたいと考えています。 

 

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子供の頃。正月に畑でバカでかいワラ?の山が組まれて燃やすドンド焼き?というものがありました。 

ダルマやお札などのお焚き上げの意味もありましたし、長い棒にモチを刺して焼くみたいなのもありました。 

町内の定年退職した人たちが和気あいあいと準備してたのも印象深いです。 

今はもう無いのですが、楽しかったなぁという思い出です。 

 

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祭り自体が寂しくなったのは過疎、少子化の影響もあるだろうがそれだけではない。とにかく田舎は忙しい。自治会の行事が目白押し、行政の仕事を自治会が肩代わりしていることも多い。休みの日くらい自由が欲しいのだ。正直神社、寺より自分の時間が大切だ。祭りの保存に躍起になっていることこそが若者の田舎離れを加速させていることを理解するべきだ。定年後「田舎暮らしに憧れて」と移住される方も多いが「いいとこどり」では田舎の暮らしは理解できない。聞くたびに辟易する。 

 

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うちの近所の氏神様では1年に何度も何度もお祭りが開催されます。それを支えるのは氏子の皆様と、町内からほぼ強制的に選出された年行事という役職の人たちです。この年行事というのは毎月1日と15日に氏神様とその他の社の複数の神社にお神酒を上げる業務も課せられます。 

お祭りと言っても、神主さんが来て祝詞をあげるだけの簡便なものから、折詰弁当が付くものまであります。コロナ前までは御膳とビールで宴会だったそうです。 

少子高齢化で人口は自然減、外国人は増える、流入人口でどうにか人口維持できている地方都市ですが、今後はこのシステムを維持するのは不可能だろうと思います。 

私自身も、こんなことなら寺社仏閣の無い新興住宅地に家を買えば良かったよかった思っています。つまり古くからある街には町内会業務の他、いろんなしきたりが付きまとうからです。 

墓じまいならぬ、神社じまいは無いものですかね~? 

 

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祭を継続して行うには、人と金と時間が最低限必要です。 

一億総活躍とか言って全員が働いたら時間が作れません。 

税率が3割超えたら資金が無くなる人が出始めます。 

永年雇用が消え、短期雇用と派遣が主流なら人口増加が加速します。 

毎年80万人以上が死亡し、出生が70万人を下回り、人も金も時間も 

無い人が半数を超えた今の状態では次々と利益が目に見えて獲得できない 

祭などは消えて行くでしょう。伝統文化を継承し続けようと思ったら、 

人と金と時間的余裕が必ず7割以上の人達に確保できている状態を 

維持する必要がありますが、日本の政策を見る限り収益性のある祭以外は 

消えていくしかないというのが実情だと思います。 

 

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既に全国的に有名な伝統的お祭りでも地元の担い手がいないので祭りの時だけでも地元を離れた若者を呼び戻してなんとかかんとかやり繰りしたり、山車を引いたり踊りを踊ったりするのも人数不足で近隣に応援を頼んだり外国人の希望者を参加させたりでなんとか凌いでいる。 

もっと小さな地元の昔ながらのお祭はそこまで無理してもできないだろうし、 

地方ほど少子高齢化と過疎化が進んで実施したくてもできない所は多い。 

今後もどんどん増えるだろう。 

それと新興住宅地のような所は元々お祭りがないし近隣のお祭りに参加したいと思わないと人が増えても人手不足となってしまう。 

悲しいかなお祭りもどんどん集約されていくんだろうね。 

 

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今の住んでいる地域の祭りは、他の県から転入した事もあるかもしれませんが、「好きな人や参加したい人で勝手にどうぞ」という感じです。 

祭りの前には何人かで各個人宅をまわり、寄付のお願いにきますし、祭りの最中には、交通規制のないところでも祭りの衣装を着た人が、我が道と言わんばかりに道路の真ん中で渋滞気にせず話をしているし。 

運営費は住民税とは別に地区会費を集めているのだから、そこから予算増やせばいいし、祭りの時の祭りに参加している人のモラルが一部の人と信じたいですが、悪くて関わりたくないと思っています。 

人手不足もあると思いますが、人手不足に拍車をかけている事をやっていないか、少ない人でコンパクト化できないかなど、再考の時期にきているように思います。 

 

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それぞれいろいろな事情があると思いますが、写真や動画などで準備から様々なことを記録しておいたほうがいいと思います。 

地元放送局とか自治体に協力をお願いすれば自分たちでやらなくても記録を残すことはできるかもしれません。 

 

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武士や公家由来の祭りは別として、日本の祭りは春の五穀豊穣祈願の行事と秋の収穫祭で、起源は稲作の始まった弥生時代と理解している。農業従事者人口が減少し、それにリンクして祭りが減ってきているのだから仕方がないが、食の安全保障の観点からは祭りの担い手減少=農業従事者の減少は由々しき事態だと思う。 

 

 

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少子高齢化のシワ寄せはこういう所にも出てくる、その場しのぎの経済のために移民ばかり受け入れ根本的な対策は何もしないのでは日本の文化は壊滅状態になる 

 

祭りを守るための地元以外の人へも募集を広げたり、活動をしっかりやらないとダメだし、資金不足に関してはクラウドファンディング等はどんどん利用した方が良い、こういう現状を知らない国民は多いし、知れば文化を守るために協力したい人はたくさんいますから 

 

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だいたい祭りの為に帰らなければならないとか、継承しなければならいとかで 

祭りの準備やら演目の練習やらさせられる祭りの番組を見るが、かわいそうと思った。 

祭りの目的自体も曖昧な処もあるし。 

見物客が大勢来る処であればまだ考える余地もあるかも知れないが、 

地元民の為だけにこれを開催しつづけていくのはどうなのか? 

強制となった時点がやめ時という事だと思う。 

神様への感謝は祭りの大小では無いと思うよ。 

 

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ハロウィンより、祭りのほうが楽しいなー 

 

お祭りの伝統を守り、運営をデザイン再設計して開けば再興できると、思います。 

 

簡単ではないですが、広域参加や相互協力でできないかなー  

 

五穀豊穣への祈りなど私たちの生きるための暮らしに必要なお祭りを大切にしたい。 

 

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今はフェスやライブ(リアル、バーチャル含む)があるので人が集まる催しが減ってる訳ではなく、地域コミュニティ形成のために行われた祭りという本来の目的が時代の変化で需要が無くなり、淘汰されてきているということでしょう。ネットで世界と繋がれる時代に、性格の合わない隣近所と無理に関わり合う必要もないですから。それに後継者不足というのも少子化や人口流出が原因のように書かれているが、継承するメリットがあるなら名乗り出る人はいるはず。それがいないのはメリットがないから。故に誰もやりたがらないのは当然。それを途絶えさせたくないと思う人がいるなら、その本人がやればいいのにと思う。 

 

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人口減少、さらには都市部集中で地方のこういったお祭りや行事などは、今後も次々と姿を消していくだろう。未来の人たちに伝えるため、そしていつかの復活を期待して、祭りや行事の詳細を動画や解説書のような形で残しておいていただけるとありがたい。 

 

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町内のドブ掃除の不参加負担金数千円の徴収でさえ、 

「法的根拠はあるのか云々」だとか言われ、しまいには 

町内会退会をちらつかされる時代に、 

ボランティアの際たる祭りなんか、やり手が減ってくるのは 

当然だろうと思います。 

 

伝統行事の存続にも廃止にも賛成ではありませんが、 

町内会長、役員に人も報酬もらってやってるわけではなし、 

存続させるも廃止させるも、 

時代の流れに従って粛々と対応するしかないのではないでしょうか。 

 

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人手不足は等価に見合わないから人手不足となるわけです。 

仮に百年間続いた伝統の祭りは何が原因で等価に見合わないと思われてしまっとのか? 

どんな原因で何時から思われたのかそこを分析しないといけないと思うよ。 

それでも原因が解っても現代社会のポリシーで解決方法は無いと判断したら速攻で終わらしても良いとは思うよ。 

 

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少子高齢化もあるけれど,うん,ずばり,私みたいな人が増えているからでしょう。祭りは楽しみたい(観客)けど,参加する方(運営)には回りたくないという人です。 

 

私は秋祭りが盛んな地域で生まれ育っているので,祭りの雰囲気は嫌ではないです。夜な夜な続く笛や太鼓の練習の音や掛け声も,あーもうそんな時期かぁと季節の彩りを感じます。神輿の練り歩きで交通規制があったり,担ぎ上げで停止させられても,見られてラッキーと思う方です。祭りで仕事休む人がいても,まぁ祭りだしなと思えるほどに刷り込まれています。 

 

しかし,一方で半強制参加や祭りカースト的な序列,酔っぱらいのおっちゃん,意味不明な花代徴収などに苦労した世代でもあります。こういった祭りの良さを下げる風習に辟易する人が多いはずです。 

 

なので,どの世代もが協力して楽しめる形で残ってほしいなとは思います。 

完全になくなるとやっぱり寂しいです。 

 

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居住地の盆踊りは、昔は、13,15,17と3日あったのが、人口減と、そもそもの参加者減から、数年前から14日だけになった。それでも参加者減に歯止めがかからず、コロナ禍を境に、休止になった。 

歌は他の自治区でも歌われているものだし、何より踊りが雑(やる気の感じられない踊り)に見えて、存続が不安視されていた頃から、こんな踊りなら、残さなくても良いと密かに思っていた。 

 

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たとえ地域の人口が変わらなくとも、第一次産業や宗教に由来するものは利害関係者の減少に合わせて縮小したり無くなっていくと思います。その催しの利害関係者ではない地域住民を巻き込めれば続けられるでしょうが、本来の形からは変わっていくでしょうね。 

 

 

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祭りとかイベントが無くなるだけでなく、その地域が過疎化でなくなるのですからね。もう、止めようはないですよ。祭りの数か月前から準備がはじまり、集会所で酒盛りがはじまる。あれば、今の若者には合わないと思うし、今の様に会社員とか時間に制約がある人には参加は厳しいと思いますよ。 

 

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いいことだと思います。 

そもそも祭りには迷信じみていて現代にはそぐわないものも多く、中には危険で命を落とすものもあります。 

各地域で「昔はこういう祭りがあった」ということを語り継いでいけば十分だと思います。 

 

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私は転勤族なので、いろんな地域のいろんな祭りを見たり、参加したりしてきましたが、確かになくなってきています。 

 

小学生時代を過ごした町に、大学生の頃に旅行で行ったら、懐かしい友人に会うことはできましたが、残念ながら地元の神社の祭りがなくなっていました。 

少子高齢化と、町民の関係性の希薄だそうです。 

 

道路を封鎖し、山車をみんなで引っ張って、町内を練り歩いていたんですけどね。 

いまでもその横笛のメロディは耳に残ってますし、さんざん叩いた太鼓のリズムも体に染み付いてるんですが。 

笛や太鼓の指導してくださった近所のおじいちゃん(40年前当時で70歳代くらい)の顔も覚えているんですけどね。 

 

自分もアラフィフと言われる歳になりましたが、だんだん寂しくなってきます。 

 

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人口増大は日本の国民の安寧と平和と労働力に絶対に急務だと凄く思います。 

自衛隊、警察、消防、救急や病院、自治体、その他企業や小売に人がいなければ存続ができないし日本も守れません。 

政府は無駄な子育て支援にお金を注ぎ込むのではなく根本の結婚活動で夫婦をたくさん作らないとまず無理だと思います。 

その為には企業が正社員を沢山雇わないとダメだし結婚したいと思わせなければダメだと思います。 

人口が多い国は大体20代で結婚して子育てをしてるとインドネシアの方に聞きました。 

子供が作りやすい体で尚且つ育児はパワーがいる為若い内に子育てするのが理想かもしれません。 

 

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少子化というよりも、東京の一極集中で地域から若い人がいなくなって担い手がいないのが原因と感じる。2000年代までは、地域に残る若者もいたが、2010年頃以降は極端に若い人が地域にいなくなった。東京の一極集中の弊害は、地域の土着の文化や多様性が失われることである。なぜなら、土着の文化は経済活動とは真逆に存在するので、利便性や経済を追求すると自ずと消滅してしまう傾向にある。 

 

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地元の神社の氏子です。地域に住んでいる人々はみなさん氏子のはずですが、宗教が違うだの仕事が忙しいだの理由をつけては参加されません。 

まぁそれは仕方ないとして、、振興住宅の主人が祭りの獅子舞がうるさいと文句を言って来られました。毎年のことなので止めるわけにはいかず、謝ってその場は治ったのですが、悲しい気持ちになりました。地域と共生するつもりの無い人は引っ越して来ないでほしいですね。トラブルの元です。まぁ変な人なのでしょう。犯罪が起きないか心配でもあります。治安の悪化ですね。 

 

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40代の私が子供の頃は、地域の祭は「免罪符」のようなもので、会社や学校は休みだったり半ドンになったり。大人は昼からお酒を呑んで子供は縁日で遊ぶ。 

平日なのにそれが当たり前の光景でした。 

地域全体が楽しんでいた感じでした。 

 

今は、平日に会社や学校なんか休めないし、お酒を飲むなんてもってのほか。縁日は高い。 

そして、若い人はおらず年寄りばっかり。 

 

昔の方が異常だったのかもしれませんが、単純に祭が面白くなくなった気がします。 

あと、祭に余力を割く余裕が、年寄り以外はないんですよね。 

毎日の仕事だけで精一杯。 

 

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町内会も年齢30以下の新規は有志じゃなかなか集まらない。継承という意味では廃れていくのも仕方がないのかもしれない。 

できることといえば記録を取る。 

晴れの舞台だけじゃなくて運営に関する様々な記録を残して後世へ遺すことが重要ではないか。人口はもう諦めて次善策を練る段階かと。 

 

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駐車場になる。みたいにね。 

そもそも祀るじゃないんだよ。 

慰霊碑じゃないけど、尊厳があるなら、 

いつまでも耐えないはず。 

永遠に残す。 

風化なんてしないよ。名曲、名画。 

初めから役目があったんだと思う。 

何かを引き寄せる為のね。 

その対象が減った事を意味するかなと。 

何を提供したいのか。 

与えたいのか、染めたいのかだよね。 

たこ焼きとか、お好み焼きとか、 

焼きそばとか、粉物の勧め。 

体に良いですか?と。 

精神的な麻薬によって、 

何を容認するんですか?と。 

そういう対象が減ったという事はと。 

 

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人が居ないのに、文化や伝統だけ大切に残したって意味が無いわけで。 

そもそもが当時の人々が必要としたから発生したものなわけでしょ。当時の人々の力で生まれ、維持されてきたもの。現代では必要性を感じない人が多くなった。では、消え去るのは当然の事では。その地域の人たちの熱や力が無くなっている事が根本的な原因であって、その状態で維持できると考える方がおかしいのでは。 

記録とかは必要だと思う一方で、自分たちで存続できないものを、文化や伝統だといってそのままの形で、行政や外部の者が必要以上に支えるというのは、とてもいびつに思います。もはやそれでは文化や伝統ではないと思いますし。 

 

 

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高齢化も問題だが、近年問題だと思うのは熱中症。夜でも気温が下がらないのに盆踊り大会や花火大会をしてもいいのか。 

警戒アラートで外出を避けるように言ってるのに祭りをする必要があるのか考える時期に来ていると思う。 

 

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神輿も山車もまとまった人数がいないと動かせないしね。祭り当日に帰省してくる若者をあてにしている他力本願な地域もあるでしょう。高齢者の多い過疎地域では祭りの存続は厳しいでしょうね。遠くないうちに、祭りの日は宴会のみになってしまうかもしれません。 

 

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各地方には、良いお祭り、悪いお祭りが色々あり、一概には言えないと思いますが、私の住む県には、神輿を激しくぶつける(遠くから激突させる)お祭りがあります。 

何年かに一度は、死者も出ます。 

昔からケンカ神輿祭りでしたが、情緒や風情がありました。 

今は、色んな所からヤカラが集まり、ただ騒ぎたいだけの下品なお祭りに成り下がっています。 

こんなお祭りは、本当に無くして欲しいです。 

 

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ニュースでも報道されるような大規模な祭は地域の「収入源」だから人も金も心配無い。 

元々、祭は五穀豊穣や大漁祈願、1年の感謝を神仏に報告するもの。 

農耕と漁業が主流で民衆の半分以上がそれに従事しており、先祖の仕事を継いで行くのが当たり前の時代なら小さな村落でも人手は足りたでしょう。 

楽に稼げて天候に左右されない仕事があれば人々はそちらに生活基盤を移すのが当たり前。 

商売繁盛の都会での祭ならまだしも小さな村々の「収穫祭」的な祭は消滅するのは運命でしょう。 

また「性差別」「コンプラ」等々で関係無い外野の声を真に受けてマスコミが煽り消滅した祭もありましたね。 

 

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伝統文化ってわけではないけど、地元でも中学になったとき(もう20年前)に祭りがなくなった。 

それまでは小規模ながら 

ステージでビンゴ大会(扇風機などの景品があった)。 

屋台(フランクフルト・焼きそば・かき氷・ヨーヨーつり等が5台ほど)。 

花火(100発程度)。 

とやってたのが会費も集まらないので今年からもう中止ですって一切やらなくなってしまった。 

 

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全国で過疎化が進んだりして、様々な祭が開催出来ない時代が近づいているのは確か。都会に出た人が帰省しやすい日程にしたり、女性参加やボランティア受け入れたり模索が続く。また動物を使う祭は調達が難しくなった、虐待と言われたりする時代背景もあるだけに。馬より調達が難しいのが牛で、昔は農耕用に飼われていた牛がいなくなった。代表的な祭は、2003年以降休止になっている京都三大奇祭の一つ、太秦の牛祭り。哲学者の故梅原猛ら復活を望む人が多かったが、このまま消滅してしまう感じか 

 

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花火大会なども、実行委員会の人たちが手伝ってくれる人をなんとか集めてやってるけど、大変だよなっていつも見て思ってる 

「伝統だから」で悩んだり苦しむ必要はないよね 

すべての祭りを無くしてしまえば、無くて当たり前になると思うで 

それが今の人が選ぶ道なんだから 

 

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自治会が獅子舞を神社に奉納していました。やりたくもない世話を住民でおりあいをつけながらしておりました。花代やお祭り時の寄付金は強制で集金(宗教に関係なく)に来るのに、収支報告はあいまいでしたし、獅子舞を踊る人たちらが、勝手にそのお金を使って飲み食い以外に遣っていました。不審に思っていた人らは上から抑え込まれてましたが、コロナがきっかけで、祭りに参加したり、花代や寄付金がなくなり、奉納もなくなりました。不審がっていた人は多くいて、何も言えない状況から脱せたので、獅子舞奉納が無くなった事に問題提起する人もいなく 今となっては 住民のお荷物だったのだと気づかされました。 地方のまた人口の少ない地区では 無くなってホッとしている世帯が多いと思います。 

 

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6年前の旧正月、三番叟サンバソウ門付けの調査に四国山中に出かけたら、ある集落の神社に×時ころに行なうというので行ったら、村人が誰も来てなく人形遣いがそれではみなさんに福を授けましょうといって、フィールドワーカーの我々が民俗の担い手になりました。東北のある集落では嫁の来手がないので外国人花嫁を迎えて存続をめざしたが、いまでは外国人花嫁も高齢化して日本語を忘れて母語だけを話せる人も現れて故国に帰るなど、結局日本人が見捨てた農山漁村は廃村になるしかないのだなと感じることが多いです。大都市圏の周辺でも小学校長と話していると6年後の入学者数がすでに分かっている。1学年4クラス→2クラス→1クラス確定しているなどと聞きます(大阪梅田から私鉄で1時間圏内等にも)。同年代が一斉入居する団地がそのまま高齢化しているんですね。民俗学者には対処しようがありません。これどうして国政選挙の争点にならないの? 

 

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神輿は危険だからやめよう 

祭りの準備は時間も手間もかかるからやめよう 

役員なんてなったら大変だ! 

 

と、うちの自治会では数年前に祭りも地蔵盆もなくなりました。 

 

毎年の子供会ハイキングも、昨年から商品券の配布に代わった。 

ハイキングでは参加者が集まらず、みんなでどこかに行く…より、好きなものに使える商品券が良いという意見が多数だったと聞いている。 

 

ところが、朝夕の「子供の登校見守り」には老人会から人を出せ!と言ってくる。「共働き家庭が増えて保護者は立てない。高齢者は時間がある人が多いでしょう…」と。しかし、1人1本の飲料提供は子供会は拒否(予算がありません)。 

今夏、見守りに立っていたご老人が熱中症で救急搬送された際、保護者が放ったひと言は「そんな年寄りを立たせて、子供の安全を守れるんですか?」だった。 

 

こんな奴らが親なので、今後も良き伝統や歴史は失われていくと考えている。 

 

 

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これは仕方ない 

私の地域にも最近無形文化ユネスコとかに登録された祭りがあるけど、一軒に一人強制参加 

更に一軒に2万費用が発生だと 

数ヶ月前から練習に駆り出され、休日も丸2日潰されるのに参加費2万 

むしろ2万払ってほしいぐらいだよ 

めちゃくちゃ不満出てるからね 

みんなびっくりするだろうけど、お稚児さんに選ばれたら自腹で50万する着物2着用意、神輿に振る舞う酒やツマミも自腹なんです 

 

今回国から補助金が出たから、お稚児さんの衣服代は賄えたそうですが、行列に並ぶ人の衣装は自腹 

なぜ自腹かと言うと、完全再現が補助金が出る条件らしく、行列に並ぶ人の衣装にポリエステルが使われているので却下らしいw 

そんなことしてるから、住民に費用負担がかかりますますやりたいって人がいなくなるんですよ 

 

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消滅した祭りの数はもっとあると思う。 

子供の頃、住んでた田舎で4年に一度、太鼓叩きという祭りがあったが、もうやってない。 

祭りの前1~2ヶ月ぐらい皆が公民館で太鼓の練習をして、祭りの当日にリヤカーで太鼓をうちならしながら練り歩く祭りで、結構楽しみにしていた。いろんな地区(当時は部落と言っていた)の山車(リヤカー)が練り歩いていた。江戸時代とかずっとやってたらしくて、なくなったのは残念です。太鼓の練習、うるさいもんね。仕方ないか。 

 

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人口が東京に集中しているのだから、地方の祭りも東京に集約すればいい。 

ハロウィンなんてやる暇がないくらい、たくさん祭りができる。 

経済効果もあるだろう、若者も多い、参加したい外国人も多いはずだ。 

その地を離れてしまっては本末転倒ではあるものの、それでも残したいという 

 

自治体や団体はそれなりにあるように思う。 

記事にもあるように、田舎の祭りは少子高齢化によって衰退している。 

そして、これまで祭りを担ってきた老人達も祭りを面倒くさがるようになっている。 

現代の若者が地域の輪に入りたがらず、自分の時間を重視するように、老人もまた同じように孤立する人は多い。 

今の地方は未来の日本の縮図だと思う。 

 

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大昔は村祭りくらいしか娯楽がなかったものね。よくいう五穀豊穣の祈念や感謝、の建前だけでなく男女の慣れの目の場、という意味合いもあると、手塚治虫の「火の鳥」にもそんなシーンがあったな。 

そんな出会いの場が、一年365日ダンスができるような世の中になったら、そりゃそうだよね。 

 

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時代と共に変化していくのは当然ですね。 

古代はあらゆる集落で「祭り」はあったのでしょう。 

邪馬台国の卑弥呼だって巫女さんでしょ。 

いつの時代だって変わって来たんだと思う。 

自分の子どものころだって民俗学の本の中だけで語られている祭りはいくらでもあったんじゃないかな。 

観光客が集まるような大きな祭りだけが残っていくのは仕方がないですね。 

 

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文化は変わるものであり、古い文化には無くなるものもあって当然だと思います。 

その代わりに、ハロウィンみたいな意味はないけど騒げるような新しいお祭りができているわけです。 

都会型の祭りが今後は主になってくるでしょうね。 

 

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滅びていく祭りがあると同時に、新しく始まっている祭りもたくさんある。 

 

祭りは、その属する組織の盛衰によって盛んになったり寂れたりする。 

 

多分いつの時代も、滅びていく祭りと新たに始まった祭りはあったんだと思うし、別に悲しむことはないんじゃないかな。 

 

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残念ながら、これから祭りが消えていくのは仕方がないことです。 

人がいないのだから。 

後世に残すのであれば、動画や写真をしっかり保管して、いつでもアクセスできるようにすればよいのではないだろうか? 

祭りが無くなっても、この街で昔こんなことをしていたんだという無形文化を残せれば。 

 

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祭りの中には高度経済成長を背景に背伸びして 

戦後に伝統芸能として登録された祭りも数多く存在しています 

当然伝統芸能自体は本物ですが他地域の亜流や伝播といった例も多く 

深堀りすれば演目・台本も本流とほぼ同じケースも少なくありません 

 

そうしたものが登録に走った理由は「街起こし」です 

地元文化が乏しい所で何とか盛り上げようと必死に考えた結果なのでしょう 

 

そうした文化も整理統合の時期に来ているのかもしれません 

明らかに無理をして祭りを続けてきた結果ですからね 

 

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そういえばうちの実家の祭りも自然消滅してしまったな。 

10月の第2日曜日か何かに行われていた祭りで、神輿を子供たちが担いで村の中を練り歩き、自宅に親戚を招いて酒や料理をふるまう風習。 

 

神輿は重いので、少子化のあおりで担ぎ手がないので、ずいぶん前からトラックの荷台にのせて担がずに、子供はトラックの上で太鼓をたたくみたいな感じになってたし、昨今飲酒運転が叫ばれる時代で酒飲む人も減ったし、コロナで親戚集めて飲食ってのが完全に消滅した感じですね。 

 

でもまぁ、これはこれでいいじゃないんでしょうか。私は人見知りするタイプなのでそういった人付き合いのない方が幸せですけど、そういったのが好きな人はさみしさを感じているんでしょうかねぇ。 

 

 

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結局ね、豊かな時代に地域のコミュニティと言う価値観が合わないのよ。 

 

人が独りでは生き辛い時代に、相互扶助として始まったのが集団生活。だからコミュニティの結束を高め、強い結び付きにより生活基盤を安定させる為にイベントを実施した。貨幣経済が広がってからは、お金の不安を助け合う為に様々な「講」が導入された。 

 

んで、現代社会。 

人が独りで生きて行ける時代になった。生活基盤としてライフラインは公的な有料サービスが提供される、お金の不安は個人が保険を掛けて対処する、そこそこの収入さえあれば、生きて行くのに困る事は少なくなった。 

 

そんな状況の中で、人が集団生活を続けるデメリットの方が大きくなっていると思う。 

 

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人手不足もそうだけど、全て少子高齢化に起因する。 

四十年前から分かっていて、社会の教科書にも載っていたくらい問題視されていたのにも関わらず、何の対策もせずに冷遇すらされてきた氷河期世代。 

 

氷河期世代を逃したら、もう人口が増えないというのは素人でも分かること。 

でも何もせず酷い扱いをしてきた、行政や企業、団塊の世代の罪は重い。 

 

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人口減少ですからね。 

 

無形文化財とかでない地元で昔からある祭りでも、人口減少により参加する町内会が減ってる。 

うちの町内会もそうなりそう。 

 

寂しいのはあるが、これまで通りに同じ内容で続けるのは無理なのが現実。 

 

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ドライに捉えれば、魅力あるコンテンツでは無くなっただけであり、ラジオからテレビ、テレビからインターネットに人が流れている現象と似たようなことではないか。 

人を惹きつけるためにどうすべきかを考えることよりも、これらの行事を残すことが目的と化してしまっているように思える。 

頑なに文化やその様式を保とうとしすぎて、時代とともに変遷するニーズを捉えることから目を塞げば、そのコンテンツ自体が消えてしまうだろう。 

どんな業界でも、生き残っている企業は競合他社の存在やディスラプトの脅威に晒されながら日々進化し続けることに汗水垂らして必死になってなんとか存続しているのだ。 

一度動いてしまった人の流れを再び呼び戻すことは並大抵の努力では難しい。 

 

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祭りに人生をかけている人もいるが、人それぞれ。ただし消滅は自然の流れ。以前いた職場で祭りの衰退を嘆いて賛同を求められたが、成り行きだからやむを得ないと言ったら目を剥いて怒鳴ってきた奴がいた。頭の中が祭りで沸騰しっぱなしなんだろうと他の人に言われ、頭から湯気を漂わせながらその場を出ていった。 

 

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若手不足に加えてコロナ禍で多くが休止した事でもうこのまま辞めてもいいんじゃないか?って地域も多いと思う。あれば多少は盛り上がるけど無かったら無かったでその期間普通に過ごして来たしな。逆に4年に1度とかにすれば希少性も相まって盛り上がるかもな。残るのは他地域からも名前が知れ渡ってる大きな祭り。徳島阿波踊りや青森ねぶた祭、岸和田だんじりなどなど。 

 

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「伝統」「歴史」「文化」を盾に次世代に伝承するのは今後益々困難になっていくのではないでしょうか。現在の若者に訴えるには、「腹落ちのする理屈」が無ければ納得して伝統を継承することは無いのでは。祭りとは異なりますが、消防団などの人員減少も同じような理由ではないでしょうか。 

「伝統」「歴史」「文化」に胡坐をかき、時代に合わせた変革を怠った結果、 

消滅するのもやむを得ないのでは。 

しかし、完全に廃止することも容易ではないように思います。地域の人々がなんとなく継続してきただけに、会社組織と異なりステークホルダーが誰なのか、どのような会議体で決定を下すのかも不明確でしょうし。 

そう考えると岩手の蘇民祭がきちんと幕を下ろせたことは立派な事のようにも思えます。 

 

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アシモフのSF「ファウンデーションシリーズ」 

銀河帝国の滅亡を予測した一派。どうやっても滅亡は回避できないとの結論を出し、対策を打ち出した。それが、図書館の設立。銀河帝国が持つ知識を収集保存しておき、滅亡後の復興を助けようと考える。 

 

半世紀も前から少子高齢化が予想できていたのに、どうやっても回避できそうにない日本の未来を重ねてしまう。消えゆく祭りも映像その他詳細なアーカイブを今のうちに残しておく必要がありそうだ。 

 

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かって、地域の祭りは、楽しみで大勢が参加したし、祭りを盛り上げる若い担い手たちも多かった。それが今や、少子高齢化で、担い手は強制動員するしかないし、田舎の自治体だと、地域の住民でもない地元の役場の職員が駆り出されたりしている。これだと全然楽しくないし、祭りなのか強制ボランティアなのかわからない。地域に人がいてこその祭りでしょう。地域から人がいなくなれば、悲しいけれど、祭りも消えていくしかないですよ。 

 

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うちも地方ですが、色々無理をして続けてきましたが、 

コロナ禍を期に一気に終わってしまいました。 

 

・・・と言うよりも、積極的に「開催しない」ですね。 

 

20年前、年寄りがやってた奉納舞を、 

一気に若返らせて、中学生にやらせて話題にもなったし、これで将来安泰だ、みたいになりましたけど、中学生が地元に残るわけがなく、残ったやつらももう40半ば。一番忙しいやつらなんですよ。 

 

舞ったって見る人が来るわけでもないし。 

 

 

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公園で遊ぶ子供の声が五月蠅い、保育所が近くに建ちそうなら五月蠅いから反対して排除、盆踊りも五月蠅いから廃止等・・・・ 

ごく普通だったものがどんどん無くなる。 

人口減もだけど生活そのものが大きく変化してしまったことも一因ですよね。 

大切なものを失くしてしまうのはさみしいこと。 

文化的なものは一度失うと復活は不可能に近かったり。 

人口減で文化財どころか自治会等の存続が厳しいとこも多い状態。 

まぁ自治会については昔ながらのやり方を変えようとしない年配者が多数なせいもあるのだけど・・・ 

もう、その地域の人たちがどうしたいのか?なとこへ行きついてしまってるんだろうね。 

 

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大した娯楽も無かった時代は、祭りや出店などの人の賑わいがワクワクしたと思う。 

神事としてだけでなく非日常の楽しみの要素が薄れてしまったからには、存続させていくだけでも厳しいと思う。 

 

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消滅、子供の頃、田舎の祭りは自治会別に日がズレてたので親戚でお互いに行き来して神社に行きご馳走を頂きました。いつの頃か同じ日に統合されお客様も無く、子供の減少もあり出店も来なくなりました。宮司さんが日当を出して饅頭屋さんを呼んでます。寂しいご時世になります。 

 

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少子化の影響もあるんだろうけど 

行事への参加を強制するばかりで 

人間関係が築けていないところもある 

 

ウチの田舎はひどかった 

古い人と若い人との関係が非常に悪くなっている 

子どものころから優しくしてあげるだけでもだいぶ違ったとおもう 

 

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その地ならではの伝統が残っていた地方から若い労働力を吸い上げ続けているのだから、廃れていくのは時間の問題だった。 

また人口密集地では多様な生活スタイルが有り、勤務シフトの関係で日中イベントを騒音と感じる者が出てくる可能性も増え、色々とやりづらい世の中でも有るのだろう。 

 

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中学生や高校生が地元の公立校に行かず別の町の私立に行き、他県で就職したりすれば地元アイデンティティは薄れていく。 

親も都市へ電車通勤すれば地元との関係性は薄れる。 

祭りは、農村共同体に基づいていて、それが壊れれば消滅していくのだ。 

お隣さんは知らない人では祭りなんてやれないだろう。 

日本人がクリスマスやハロウィンをあんなに祝うのは、地元と全く関係なく、濃厚な人間関係とは無縁でお手軽だからだろう。 

会社が新たな共同体となり、一緒に旅行に行ったり、冠婚葬祭に参加したり、飲み会を開いたりしていたが、それも嫌われなくなりつつある。 

根のない日本人はどんどん己となってゆく。 

己=俺関係ないよ。である。 

 

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正に日本の文化伝承の危機だろう。古来より地域独特に根付いて来た日本の財産とも言うべき文化はどんな高価な骨董品よりも価値あるものである。祭りはその土地の人々が肌を付き合わせ吐息を身近に感じ、絆と一体感を深めて行くものだった。 

 例は悪いが、戦時中の隣り組などは地域一体感の最たるもので、老いも若きも一つの目的に向かってその方向がたとえ間違っていたとしても皆んなが同じ方向を目指したことは事実である。様々な要因でこうした人と人との直のふれあいの機会がどんどん無くなり、顔も見えない希薄なネット社会の繋がりとは言えない繋がりだけで果たして潤滑な人間社会は形成されるだろうか。ただただ憂いを感じてしまう。 

 

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聞けば、あの博多山笠も舁き手が足りないところが多いらしいですね。現に、自分の友人も鹿児島生まれの佐賀育ちなんですが、毎年参加しています。 

外様の参加がないと成り立たなくなりつつあるのは事実なんでしょうね。 

地域のコミュニティ自体が衰退していく中で、伝統的な祭り、行事を残していくには、もはやその地域だけでは難しいように思います。 

 

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地元の若い人は別の地域に家を建て地元を離れ、逆に別の地域から私の住んでいる地域に引っ越してくるといった様子なので、そういった方々が地元の祭りに参加するはずもなく…。 

神輿の担ぎ手も年々減少し、祭りも盛り上がらず数年前から祭りは無くなりました。 

 

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祭りの無い場所においては人と人の繋がりは希薄で、社会としての活気も無くなる。 

先人たちはそのことをよく知るがゆえに、今日まで紆余曲折ありながらも祭りを継続して来た。 

結果日本は世界一の祭り大国となり、いまや多くの外国人がそれを見にやってくる、まさに日本の宝。 

失って始めてその価値が分かるのが祭り。安易に無くすことは愚かな判断。 

形を変えてでも残す事こそ肝要。 

 

 

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お祭りが宗教的意味合いの強いものであれば、檀家なり氏子なりで支えないといけないよね。 

 

無宗教のひとから金を取ったり参加を強要するのはまちがっている。無宗教のひとは邪魔をしないことで微力ながら応援してるわけで。 

 

宗教的意味合いのない祭りは人口減少とともに消えていく運命よね。 

 

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子どもに祭りの良さを教えたいから47都道府県の祭りに連れて行く予定! 

目標です。楽しいし、人間の温かみを感じてもらえたら嬉しいなと!生きてる実感を与えたい!ハロウィンみたいにみんなで面白い仮装で参加可能にしたらいかがかと! 

日本を盛り上げよ!青森の次は秋田!! 

秋田はご飯も美味しいし、女の子もかわいいよー!祭りには歴史があるから是非本で調べてみてください! 

 

祭り 

 

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そもそも論として。祭りってその地域での 

仕事(野良仕事が主)からの息抜きとして 

継承されてきたものだから、昔は仕事の 

邪魔にならない時期にやっていたり(秋)、 

それ自体が楽しみでやっていた。 

 

今は365日仕事に従事させられていて余裕がないし 

そんな気軽に休めるような現役世代はいない。 

「伝統の継続」という義務感だけで続いてるだけで 

息抜きどころか完全に負担になってしまっている。 

続くはずがない。 

 

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確かに、若い者の参加が少なくなったのが最大の要因でしょうね。 

 

花代と称して寄付を募っても、このご時世で煙たがられるw 

地の方ならば、まだ寄付もしてくれるが、新興住宅地の方達のほとんどは参加しない。 

まぁ小さい頃から参加して居ない方からすれば、自治体で騒がしくするだけの集い。に映るからね。 

 

それに費用が掛かりすぎるw 

参加者の飲食代も有るが、祭りへの維持管理にも莫大な費用が掛かる。 

いくら同じ自治体に住んで居るからと言っても、参加しない・鬱陶しいと思って居る方からすれば、祭り自体が無くなっても何も影響は無いのも事実。 

 

それに 新型コロナの影響で一気に参加する人が減ったのも要因の一つだね。 

 

高齢者社会に まっしぐらの日本では、多人数参加型の行事は廃れて行く一方です。 

 

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祭には行きたいけど、催す側になりたくない人がかなり増えたのと、祭自体への苦情の声が届きやすくなった結果かな。 

地区には人口増えたけど、祭りなくなったし、人口減少というよりやりたくない人が増えただけな気がする。 

 

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日本の伝統的な行事や文化などの独自のアイデンティティーが多様性とかいうワードでどんどん消されている。当然、不易と流行と言う言葉があるように、 

時代と共に変わる必要があることは変わって行くべきかと思うが、不易の部分まで人手不足と多様性で失われるか、変わって行ってしまっている。 

日本も遠からず、アメリカの様に〇〇系日本人とか言って、ルーツの違う人種が入り乱れて、火葬も土葬も認められ、あらゆる宗教が対立しながら混沌とした国になる事は近い将来確実にくる。 

その時はもう日本ではなくなり、違った国家になっているのではないか。 

それを先導しているのが公明党である事は間違い無い。 

 

=+=+=+=+= 

新興宗教なら多くは本人が入信の意思を持って加わるのでしょうけれど、何だか氏神さまとやらは勝手に半強制的に頭数に入れられてしまうのが解せません。 

 

意思を持った信者の皆さんが、信者でない方々に迷惑を極力かけずに勝手にお祭りしてください。 

 

神輿やらお神楽やら地車やら、担ごうが舞おうが曳こうが、農産物の収穫量や天候やまして子孫繁栄には因果関係は全くありません。 

 

勝手にやればいいし、勝手にやめればいい。 

 

“観光が…”と言うなら、街並み整備とかテーマパークとか自然保護とか、或いは民間でイベントやフェスでもすれば良い。 

 

伝統なんてものは、それを利用して楽しんでる奴等に都合の良い前例でしかない。 

 

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これね、単に必要なくなってきたからなんですよ 

 

昔は娯楽の少ない中で、一年に一度なんていう特別な日が必要だった 

 

でも、今はその人なりの特別な日を自分と周りの人達で作れてしまう 

そうなれば、共同社会における特別な日の価値が薄くなり、徐々に参加される人も少なくなるというだけの話なんです 

 

大昔から少しずつ同じような形でイベントが廃れ、また起きての繰り返しをしているだけで、形が変わって行っているだけなんだと思いますよ 

 

だから寂しがる必要もないんです 

その人なりの特別な日を楽しめば良いんですよ 

 

=+=+=+=+= 

祭りを行いたいと思う人がいて祭りが出来る環境があって 

はじめて祭りを実施出来る。 

状況・時代によって消えていってしまうのは自然のこと。 

 

そんな中でも連綿と続いてきたからこそ尊いのでしょう。 

 

=+=+=+=+= 

例えばですが… 

田舎の若者は祭りよりイオンに行くほうが楽しいと思っている人が増えたように思います。 

 

準備や片付けとか面倒だし、時間束縛されて、年寄りに使われて…とか嫌がる人や苦手な人が増えているとも思います。 

 

大人も似たようなものなので、こうした参加型のものは廃れていくでしょうね。 

少し違うかもしれないけど、小学校のPTA離脱とかも同じように感じますね。 

 

 

 
 

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