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「乗り通す人いるの?」200キロ超の長距離“普通列車”が今なお消えない理由 昔は“とんでもなく長い”列車も

乗りものニュース 11/10(日) 15:12 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/9a682ab9fc94c305038e12aea4f69c38c191356b

 

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上野東京ラインは200kmを超える長距離を走る列車もあり、かつては日本最長距離列車も存在した。

長距離普通列車がなぜ設定されるのか、それはかつての鉄道の歴史や需要に関連している。

長距離運行は需要の繋ぎ合わせや郵便輸送にも利用されていた。

しかし、国鉄改革や機関車列車から電車への進化、輸送需要の変化などにより、長距離普通列車の存在理由がなくなり、姿を消していった。

しかし、近年では新快速などの列車が進化し、大都市圏での拡大が見られる。

長距離普通列車は時代や環境の変化に合わせて形を変えて生き続けている。

(要約)

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上野東京ライン。200km超えの長距離を走る列車もある(画像:写真AC)。 

 

「青春18きっぷ」の大きな制度変更が話題ですが、このきっぷで乗れるのは特急や新幹線以外の快速を含む「普通列車」です。首都圏では高崎発熱海行きなど、湘南新宿ラインや上野東京ラインで200kmを超える長距離普通列車が多数運行され、グリーン車まで連結されています。関西でも兵庫県の西部から福井県の敦賀までを結ぶ長距離の新快速もあります。 

 

【おい信じられるか?】これが「かつての日本最長距離列車」の運行区間だ(地図/画像) 

 

 忙しい現代では新幹線や特急で先を急ぐ人が大多数と思われるのに、なぜこのような長距離普通列車が設定されるのでしょうか。その背景を探ってみます。 

 

 日本の鉄道の創成期は列車も少なく、種別も分かれていなかったので、長距離であっても昼夜走り続ける普通列車が設定されていました。これが次第に大衆化して、通勤・通学にも鉄道が使われるようになり、列車種別の分化が進み優等列車が設定されていきました。当時は蒸気機関車が客車を牽く、のんびりとした時代であったこともありますが、鉄道移動が主流でしたので、多少不便な時間帯であっても多くの乗客が利用していました。 

 

 また、当時は高価な機関車の数を増やせないため、輸送を集約して、機関車1両に多数の客車を繋げる列車が大半でした。ただ、この形態の運行は次のような“条件”がつきます。 

 

・蒸気機関車牽引列車の折り返しは、機関車を列車の反対側に繋ぎ変える機回しが必要になり、設備や人員が必要で事故のリスクも増える。 

 

・列車の系統(運行区間)を分割して乗り継ぎにするには、客車の数が多いので、駅の待合スペースも大きなものを建設する必要がある。 

 

 一方で、通勤・通学は朝夕に集中します。本来であれば、地域輸送ならそこだけ走る列車を設定しますが、上記の事情があるので、A地域で朝の通勤通学客を運び、そのまま方向を変えずにB地域まで走らせて、今度はB地域の夕方通勤通学客を運ぶ、といった複数の需要を繋ぎ合わせる普通列車が登場しました。 

 

 この場合、A地域からB地域までは回送同然ですが、どうせ走らせるならそのまま普通列車として運行してしまうのです。かつて“最長距離鈍行”として有名だった列車も、こうした性質のものでした。 

 

 

 かつて存在した日本最長距離の普通列車、「門司5:22発-山陰本線経由-福知山23:51着」の824レは、DD51ディーゼル機関車牽引の客車列車でした。約595kmを走破するこの列車へ、筆者は1980年代に2度乗車しています。 

 

 未明の門司からは高校生らが乗り込み、山口県の長門市辺りでガラ空きになり、鳥取県の倉吉辺りで下校の高校生を運び――といった具合でした。このような需要の繋ぎ合わせの列車でしたが、郵便輸送も行っていました。筆者は車掌に頼み郵便車から列車番号入り消印が押されたハガキを発送した記憶があります。 

 

 実はこの郵便輸送の方が、旅客輸送よりも大きな使命でした。郵便や荷物は乗り換えてくれませんので、長距離を通しで運行する必要があったのです。 

 

 このような長距離運行はマニア的には面白いのですが、乗り通す人はほぼおらず、運行が乱れれば影響は広範囲に拡がります。また、送った車両が返って来なければ、ダイヤ修復にも数日かかる場合も。安定運行にはデメリットがありました。 

 

山陰本線をゆくDD51牽引の客車普通列車。「レッドトレイン」とも呼ばれた赤い客車の列車がJR化後も走っていた(画像:PIXTA)。 

 

 古き良き時代の終焉は国鉄改革と共にやってきました。鉄道による郵便輸送や荷物輸送がトラックなどに切り替えられ、長距離列車の運行理由が消えました。 

 

 さらに、機関車列車から気動車や電車へと「動力分散化」が進み、折り返しが容易になると、回送同然の列車を走らせる必要もなくなりました。動力が分散されると、1両あたりの単価が変わらないので、短編成化と増発が進み、運用が単純化されていきます。そうすると乗り継ぎも大きな単位ではなくなるので、列車系統の分割も進められました。 

 

 また、地方では鉄道移動が主流ではなくなり、昼間の輸送需要も減りました。鉄道による長距離輸送は、自動車に対して競争力があり速達性が活かされる新幹線や特急が担うようになります。このような複数の要因が重なり、長距離普通列車は姿を消していきました。 

 

新快速の敦賀直通は、長浜―敦賀間などを交流電化から直流電化に切り替えることで実現した。敦賀駅(画像:PIXTA)。 

 

 消え去るかと思った長距離普通列車ですが、大都市圏で拡大してきます。その先駆けは、JR西日本の新快速です。 

 

 1989年、京都・大阪・神戸の大都会と近隣の中核都市を高速で結ぶことで、都市間移動需要を拡大させる「アーバンネットワーク」戦略が打ち出され、直通運転の拡大や、新快速への新型車両投入、スピードアップが進められました。 

 

 これは大成功し、長距離通勤客も増え、郊外都市の開発も進みます。2006年には滋賀県と福井県が整備費用を負担した新快速の敦賀直通も始まり、滋賀県の人口を増やす要因ともなりました。 

 

 首都圏では超高密度の運行を安定させるため、系統路線の分離が定着していましたが、1996年の中央線を皮切りに「東京圏輸送管理システム (ATOS)」が導入され、東京から100km圏内の24線区・連動駅約205駅に広がり、各系統路線ごとだった運行管理が一元化されていきます。 

 

 こうして複数系統間を直通する列車の運行管理がしやすくなり、2001年に東北本線・高崎線と東海道本線・横須賀線を直通する「湘南新宿ライン」、2015年には東北本線・高崎線・常磐線と東海道本線を直通する「上野東京ライン」の運行が始まりました。 

 

 この目的の一つは、雁行する輸送需要の取り込みと思われます。東京駅や新宿駅などの「点」だけでなく、首都圏内には旺盛な移動需要が面的に広がっています。東京や上野で折り返して分断させずに列車を直通させると、この首都圏内の多様な移動、郊外から首都圏各地への移動など、様々な移動需要を重ね合わせ拡大を促進することができます。 

 

 不動産開発も見逃せません。郊外から都心へ広く直通できることから、上野東京ラインでは沿線価値の向上が謳われました。また、東北本線・高崎線・東海道本線の車両を共通運用することで効率化し、品川など都心にある車両基地の郊外移転と再開発を可能としました。 

 

 こうして大都市を貫通する長距離普通列車が進化していきましたが、近年はコロナにより、中央線快速の深夜が運休となり、旺盛だった夜間利用が減りました。また、新快速は野洲以東が日中1時間1本に減便されました。労働人口の減少が進み、さらに長距離普通列車の運行に影が落ちるかもしれません。 

 

 一方で、富士山回遊を狙い2024年には中央線で東京発大月行きの快速が増発されています。時代や環境の変化・技術の進化により、長距離普通列車は形を変えて生き続けています。 

 

山田和昭(日本鉄道マーケティング代表、元若桜鉄道社長) 

 

 

( 232335 )  2024/11/11 01:26:52  
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これらの投稿からは、昔の長距離普通列車に対する懐かしさやロマンを感じる声が多く見られます。

昭和から平成時代にかけて、日本各地で長距離普通列車が運行されていたこと、直通運転や直進報が都心部の列車の運行や車両基地に与える影響、湘南新宿ラインや上野東京ラインなどの列車の遅延についての指摘、短距離の乗り換えに対する不便な点など、様々な意見や思い出が共有されています。

 

 

(まとめ)

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首都圏の別系統同士の直通運転の先駆けは、横須賀線と総武快速線の直通運転だろう。 

 

両線が直通しているのは、横浜方面と千葉方面との移動の利便性を高めることよりも、両線の直通運転により東京駅での折り返し列車の本数を減らすことでホームを少なくすることができるので、東京駅の地下ホームを2面4線の最小限の設備にする目的が大きかった。 

 

この両線の直通運転により、普通列車のグリーン車の運行が横須賀線から千葉方面まで拡大して、 

その後に宇都宮・高崎、常磐線や中央線などにも普通列車のグリーン車が運行されるきっかけとなった。 

 

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「青春18のびのびきっぷ」発売され、門司~福知山「824レ」に乗りました。 

門司駅待合室で一夜を明かし、乗り込んだ客車は黒光りした木造車両。下関・長門市・出雲市といった拠点駅では、数十分もの長時間停車。私以外は全員降りてしまい、まるで「全取っ替え」状態。車掌の「お急ぎのところ誠に恐れ入りますが、しばらくお待ちください」を何度も聴きました。客車は切り離しと連結を繰り返し、終点の福知山迄行ったのは、3両だけの記憶があります。 

門司を出る時は朝の通勤通学需要が、米子辺りから帰宅列車。私は客車の中で、寝たり食べたり飲んだり、と「生活」した気分でした。 

 

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首都圏の都心貫通の長距離運行の先駆けは横須賀線と総武快速線の直通ですね。 

それですでに200Kmほどの長距離運行は行われていました。 

都心で折り返さないことのメリットとしては、本数が多くても拡張する用地のない都心部では折り返さずに直進してくれたほうが、一本の列車がホームを専有する時間が短くて済むからですね。 

 

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昭和50年代中盤までは、上野発常磐線経由の旧型客車の普通列車仙台行、上野発長岡行、仙台発青森行などのとてつもない距離を走行する普通列車がたくさんあった。車両編成も今みたいに短い編成ではなくボックスシートが多かったので、普通列車で本格的な旅行気分が味わえた。 

 

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門司-福知山鈍行乗り通しました。門司で同じく乗り通すのだという中学時代の同級生と全く偶然に再会し、お互いマニアよのうと苦笑しつつ、福知山まで全く退屈することなく楽しい旅が出来ました。福知山から夜行鈍行「山陰」にも同乗、京都で別れました。乗り鉄人生で最も印象に残ってる思い出です。 

 

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東武線(本線系統)も様変わり 

 

浅草発 準急王国がそれだ。 

浅草発 館林・太田・伊勢崎・新栃木 行き6両が、主力列車だった。何れも、都心からの通勤圏からは外れた地域輸送を主とする地域まで乗り入れていた。 

 

今では、半蔵門線直通により 

田園都市線・半蔵門線内発 南栗橋・久喜行き が主力列車だ。 

 

東武浅草駅のホーム長・容量不足の問題があり、都心部を直通することで急行・準急系の10両化を達成、混雑問題に対処している。 

 

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中心駅をスルー運転し両端を伸ばすのは、車両運用の効率化の観点もある。今般の上野東京ラインは東京駅の折り返しをなくし、郊外の車両基地で車両整備出来ることで列車本数をコントロールしやすくなった。その副産物で田町の車両基地を減らし再開発の起爆剤にもなった。 

 

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私は東海道沿線の静岡県住まいですが、ちょっと前まで通称「大垣夜行」(ムーンライトながら)が有りました。JRが発足して37年になりますが、各JRで分割されてしまったので、複数の旅客会社を跨ぐ便は難しくなったのでしょうかね。この近辺では上野東京ラインかな?あと特急だけどサンライズ出雲瀬戸。あ、踊り子号もあった。 

 

時代のニーズと共に変化して行くでしょうから、ニーズが出来れば長距離普通列車も再興するでしょう。出来なければ無理でしょう。 

 

私の場合は沼津~宇都宮が普通列車の一番の遠距離かな?約250km、4時間半の行程。かつての東京~大垣の各駅停車も長かったねえ。その昔は夜行急行だったのかもですが、根室~函館なんてのもあって(約700km)12時間前後掛かったようですね。北海道内連絡はまだ無いですが、今時は長距離は新幹線ですよね。東京から新函館北斗まで最短4時間切るんだから、凄いな。 

 

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米子駅で1時間以上停車する列車がありましたが、今思えば荷物や郵便の積み下ろし作業していたのでしょう。国鉄民営化前は、汽車通の同級生たちは駅のキオスクで発売前日に雑誌を買っていました。今ではアウトですね。 

もっと昔始発は上り京都行き、下り下関行きでした。多分4時台発だったでしょう。のんびりした時代でした。 

 

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先月秋の乗り放題切符で、平日に上野東京ラインで宇都宮から熱海迄乗車しました。 

本題とはズレますが、私は地元では殆どバスや列車に乗る機会がありません。 

早朝の宇都宮では未だ空いていた車内が暫くすると、身動きも出来ないラッシュ状態に。  

ようやく空いてきたのは平塚辺り位からで、首都圏の学生さんや社会人の皆さんの長年の通勤通学への耐性の凄さに感服するばかりです。 

首都圏に遊びに行くときはラッシュ時は極力避ける様にしていますが、地方出身がある意味ラッキーだったかもしれないと思った次第です。 

 

 

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長距離普通列車にて旧国鉄時代はそんなに珍しいものではなかったです。 

大垣夜行をはじめ、門司発福知山行きや上野発仙台行きといった列車がありました。 

長距離普通列車には郵便・荷物車がほぼ決まって連結されており、郵便物や荷物輸送を担っていました。 

郵便物や荷物の積み下ろしで係員が線路上に出て作業をしていましたが列車数が少ないためできたこととみられます。 

門司発福知山行きや上野発仙台行きは旧型客車が運用されていたが、前者は50系客車化と気動車化による系統分割、後者は電車化による系統分割で上野~取手間は415系や103系の足枷になったいたようです。 

飯田線でも旧型国電時代は長距離普通列車の宝庫であったがこちらもクハユニといった郵便・荷物・客室合造車そしてクモユニといった郵便・荷物合造車が連結され同線の郵便・荷物輸送を担っていました。 

 

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35年程前になるけど、青春18切符で九州から東京まで旅行したことがある。 

その時は深夜に岐阜県の大垣市から新宿まで乗り換え無しで行ったんだけど今はなくなったのだろうか? 

昔のクッション性ゼロに近いベンチシートでリクライニング機能は無く、スペースも狭かったので座ってるだけでも前の人の膝に自分の膝が当たるくらいの状況で座り続けてなくちゃならなかったのでとにかく辛かった思い出しかない。 

今となってはよく行ったもんだなあ。と思い出す。 

 

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首都圏からだと国鉄時代の東京から静岡、浜松、大垣。 

上野から一ノ関、長岡、原ノ町、平。 

新宿から長野といった列車の方が長距離普通列車という感じで。 

現在の上野東京ラインの列車は走行距離はそれなりに長いけど、長距離普通列車のイメージではないですね。 

 

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岡山在住ですが、京都と博多を結んだ快速ムーンライト九州(ふるさとライナーだったかな?)にはお世話になりました。上り、下りともに岡山で日付が変わるので、午前零時過ぎに乗車し、下りは小倉あたりで夜が明けて阿蘇の温泉につかって午前零時前に帰着。上りも午前零時過ぎに乗車し、大阪で乗り継いで那智勝浦の温泉につかって午前零時前に帰着。いずれも18きっぷ一枚でOKのいい時代でした。古い話ですが、九州からの帰りに、後楽園球場であるXJAPANの解散コンサートに行くという若い女性のグループと乗り合わせたこともありました。 

 

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実は今の上野東京ラインが出来る前に、一度115系電車で富士→上野まで乗ったことがある。当時は東海道本線も80系と111系全盛期だったが、こんな電車がよく運用されているなと、不思議に思っていた。その電車は確か高崎まで行っていたと思う。今の上野東京ラインで231・233系が当たり前に走っているのを見ると、隔世の感がある。 

 

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山陽本線で、岡山から姫路まで行ける快速が昔ありました。ところが、いつの頃か、岡山から東へ向かう快速がなくなりました。岡山駅から兵庫県の、確か網代という駅まで各駅停車で、網代から先は快速へ乗り換えるという方法になりました。 

新幹線を使って欲しいということですね。JR西日本さんもなかなか商売上手です。 

ちなみに、広島方面に向かう快速は、岡山駅から出てます。 

 

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首都圏の上野東京ライン、湘南新宿ライン、横須賀・総武快速線、関西の新快速などの150㎞超える長距離列車は、長距離における事故やトラブルの影響のようなデメリットよりも、都心部での折り返し不要による車両基地や待機場所削減等のメリットを取ったのでしょう。 

 

不動産開発云々と本文にありますが、例えば北側に勤務の人がわざわざ列車が繋がっているという理由で南側に住宅を買う訳ではないと思うんだけどなぁ・・・・・ 

 

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上野東京ライン、湘南新宿ラインの開業で首都圏も長距離列車増えたよね。まぁ自分も赤羽から東京以南使うことが多かったので短距離利用だけど東京、上野を挟んだスルー長距離運転してくれる恩恵は結構受けてる。 

 

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ちょっと長いけど、実際に乗車した筆者ならではの勉強になる記事。 

 

>車掌に頼み郵便車から列車番号入り消印が押されたハガキを発送した 

 

なるほど。当時は国鉄職員も国家公務員みたいなものだったから、そんなこともできたのか。 

 

>実はこの郵便輸送の方が、旅客輸送よりも大きな使命でした。郵便や荷物は乗り換えてくれませんので、長距離を通しで運行する必要があったのです 

 

なるほど。これだけの長距離を運行してたのは旅客よりも、郵便物や手荷物輸送のためだったんだな。 

当時もしSNSがあったら、超長距離列車の乗車ポストであふれてたんだろうか? 

 

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最近仙台から東京までひたちで移動してみたり、伊香保の帰りに高崎から新宿まで普通列車のグリーン車を使ってみたりしましたけど、時間に余裕があるならそういう旅もいいものですよ。新幹線や高速バスより車窓観光も楽しめますし、そういうゆったりとした時間の過ごし方が中々できなくなってきてる世の中なので。 

 

 

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関西の新快速は特急より速いと言われた時期もあり実際的に速かった。 

今は、停車駅が増えて以前の様に特急よりは無くなったけれど、それでもアーバンネットワークで作られたダイヤは便利で、滋賀や兵庫の端の赤穂辺りからでも大阪が通勤圏でいられる。 

多分、関西以外の人は分からないと思うけど兵庫の西端って大阪の隣たけど思っている以上に遠い。 

 

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20年くらい前に島根県に転勤になった時。出雲空港からJR出雲駅まで移動したのが19時頃。100キロくらい離れた浜田駅まで一番早く着く列車を聞いたら30分後に出発する鈍行だと言われ、2回くらい聞き直しました。次の特急よりも早く着くと。学生さんとかで賑わっていたのも束の間、1時間もしないうちに完全貸切りとなりました。島根県在住時は2時間間隔の特急への乗り遅れや目的地での寝過ごしをやらかし、よく路頭に迷いました。 

 

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直通運転で長距離になったせいで、例えば栃木で起きたホーム確認の影響で東京の通勤が乱れるという状況。乗り換え無しで遠くまで行けるのはいいけど、リスクの高い通勤時間帯は区間を分けて運用したほうがいいように思うんだけどね。 

 

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私の知る範囲で言うなら東海道本線、東京発 

浜松行。 

 

行き先表示がまだ幕式ではなく鉄板みたいな 

もので人が差し替えてました。 

 

時代的には冷房車がメインだった時代ですが 

何故だか、その浜松行は前照灯の大きな旧型 

(113系?)の扇風機車両だったのを覚えてい 

ます。 

 

なにしろ東京発浜松行という遠距離運行車が 

扇風機車でしたからね、なんで?って不思議 

でした。 

 

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山陽線は岡山ー下関直通、360km位走破する列車が21世紀入っても多数運転していました。残った理由は使用車両が115系4連で統一されていた事が理由だったとか。そんな山陽線も227系導入などで強烈に寸断されてしまいました。 

 

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都心のターミナル駅で折り返さずに済む効果もある。 

折り返しをすれば、それぞれの方向にホームが必要。 

そして当然だが、目的地が先にあっても全員降車する。 

ラッシュ時は短時間で折り返しの列車をさばく必要があり、 

その点で時間のロスが大きい。 

 

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この門司発福知山行きの各駅停車、昔、種村直樹さんが監修した「鉄道旅行術」(だったかな?)に特集の記事があって、筆者が最初から最後まで乗り通して、ついでに停車毎に全駅のホームにある駅名標の写真を撮ってその記事に掲載していた。 

当時国鉄だから、鳥居型の駅名標がほとんどであったが、今みたいにスマホでお手軽に撮れるものでもなく、停車時の短時間に、下車しホームで駅名標を探して撮影するので、うたた寝もできず、早朝から深夜まで終日苦行だった、ということが書かれていた。 

 

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青春時代には金無く時間的余裕があったので長距離でも利用してました。近年は歳を重ね長時間が耐えられなくなり乗らなくなりましたね。私的に一番の魅力はゆっくり風情を楽しめるところでしょう 

 

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福知山駅では昭和50年代まで「門司」やら「浜田」やら「出雲市」やら 

とんでもなく遠い所へ行く客車列車がDD51に引かれてやってきていました。 

パタパタの行先表示板でそれらを見て、いつかは乗って行ってみたいと 

思っていた小学生でしたけど、次第に興味は薄れて大人になり 

気が付いたときはもうすでに客車普通列車は廃止されていて 

残っているのは寝台特急出雲のみでした。 

 

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戦前の時刻表には、京都〜鹿児島(山陽、鹿児島線)があります。 

古くは、上野から青函連絡船経由札幌(特定の一二等寝台車両のみ)もあったかと。 

あるいは1960.1970年代の修学旅行専用とか。 

コンテナ列車の長距離も捨てがたい。 

 

 

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私鉄だと、東武東上線・西武池袋線から副都心線、東急東横線から横浜高速鉄道みなとみらい線と、4社に跨がる長距離の直通列車がありますね。 

 

中華街に行ったあとに、その日のうちに川越で小江戸散策に一本で行くことが出来ます。 

 

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普通列車ではないですが南九州の蒸気機関車を撮影した帰りに宮崎から[急行、高千穂]に乗り沼津まで帰ってきたときは約24時間乗りっぱなしでした。 

風呂に入って髪を洗ったらススで真っ黒、鼻の中も真っ黒でした。交通網が今より発達していなかった半世紀前はこのような長距離列車はいたる線路を走っていました。 

️高千穂は門司で桜島と併結し終点の東京を目指します。あと、国鉄ファンは蒸気機関車をSLとは呼びません、あしからず 

 

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今もあるか不明だが、夜遅く東京発、大垣行きという普通列車。友人が飲み過ぎて藤沢で降りるはずが、目が覚めたら名古屋だった、とか。千葉と新戸塚を往復した男もいた。自己責任ではあるが、ほんと、長距離列車はリスクも高い。 

 

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60年近く前、京都での学生時代に実家に戻る度に京都駅で見たのが京都発鳥栖(佐賀県)や都城(宮崎県)、近い所でも大垣(岐阜県)行きの鈍行ホームだった。  

発車前の車両には客も結構いたように記憶しているが乗る理由も暇もないので乗らなかったが「近郊の1、2県を跨ぐだけならまだしも何故そんな遠方まで?」と不思議でならなかった。 

記事の最長距離以上だと思うが比較対象が違うのかな。 

 

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>>A地域からB地域までは回送同然ですが、どうせ走らせるならそのまま普通列車として運行してしまうのです。 

20年くらい前、東海道線の東京駅発静岡行きの始発列車はムーンライトながらで使用した373系を使用していて、オールリクライニングで快適だったのはいい思い出。 

 

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私鉄でも相直が多くなり、長距離鈍行がある。例を挙げれば休日には西武飯能からみなとみらい線元町・中華街までの各停がある。 東武南栗橋から東急中央林間までの列車もあるが、それは東武側は急行運転になるから長距離鈍行と言うのは微妙だが。 小田急伊勢原からJR取手までの列車も一部が優等列車になる 

 

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昭和20年代 30年代までは、東京、大阪間は学生、庶民は普通列車でしょ。急行列車は急行料金が必要だし、特別急行なんて特別な人しか乗れなかった。43,10でL特急ができてから乱発になった。それでも昭和50年代まで 

鹿児島本線、山陰本線、紀勢本線、根室本線には寝台車付長距離普通列車があった。 

 

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おやおや、もう少し昔には京都までだったんですよ。それも一日2本で京都を朝10時頃と夜10時頃発車だったと覚えています。 

 

人気列車で10両以上の編成だったと思いますが始発でほぼ満席でしたね。 

もちろん蒸気機関車の牽引で歩くようなスピードで発車し、停車の時は前後にガタンガタンという衝撃で目が覚めたものです。 

 

終点まで行ったことはありませんが大山や松江や出雲大社に行くのは大変便利でした。山陰線では急行も米子くらいしかなかったですね。 

 

 

貧乏学生だったので、夏休みに京都へ帰省したときに高校時代の友人達とよく旅行しました。まぁ長閑な時代だったんですね。 

 

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824ㇾには乗った。超早朝に下関駅前のビジホをチェックアウトして乗った。 

俺が乗ったときは50系客車で出雲市までだったけど。 

 

当時は小荷物があったんで、荷物車を連結する必要があって、小荷物の積み替えがめんどくさいんで、超距離の普通列車を設定する必要があったのだ。 

 

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子供の頃、年に数回上野ー平を普通列車(客車含む)利用して居ました。水戸での30分近く止まって駅そば食べたり、あの頃の各駅停車の旅楽しかった。残念でならないのが仙台迄乗って見たかったです。 

 

 

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自分はかつて長距離普通列車の被害者。もちろん自業自得。新橋でしこたま呑んで戸塚までの帰り。最終だか一本前だかの東海道線に乗って起きたら大垣?なんてことがありましたね。小田原はしょっちゅうで、今思えばよく無事で済んだもんだと。 

 

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青春18で高崎熱海乗ってますよ。 

いずれも日帰りで 

1 熱海の商店街の温泉入って起雲閣見て伊東の東海館の温泉入浴 

2 三島の柿田川湧水見て世界遺産韮山反射炉跡 

3 三島神社の桜見て島田の大井川に掛かる木製の橋 

4 伊東から伊豆急乗って熱川のバナナワニ園 

熱海じゃ無いけど箱根も節約で小田原経由 

昔はsuica グリーン席安かったけど今は高い。 

熱海で駅弁「小鯵の押し寿司」楽しみ。 

子育て終わったら乗ろうと思っていたムーンライトが無くなってしまって残念だわ。 

 

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昭和国鉄時代の高校生の時に少ない小遣いで、長野発松本諏訪甲府経由新宿行の各駅停で東京へ行きました。 

篠ノ井線で特急しなのに抜かされ、中央東線で特急あずさに抜かされて6時間くらい経て着きました。 

 

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客に合わせているのではなく、会社側の都合なのでは? 

うちの近所の某5方面の直通度合いを見てるとそれがよく分かる。 

まあ一部の方面によっては電圧の関係の縛りもあるだろうしな。 

それでなくたって今日び新幹線も飛行機もあるんだから嬉々とその長距離鈍行やらを乗りとおすのは余程のもの好きなんじゃないかねえ? 

 

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昔存在していた普通客車列車。 

天王寺〜紀勢本線〜名古屋500km 

京都〜山陰本線〜下関680km 

門司港〜日豊本線〜西鹿児島480km 

大阪〜北陸本線〜新潟490km 

上野〜奥羽本線〜青森750km 

函館〜函館本線根室本線〜釧路680km 

これ以外も400〜500km程度の列車は多くあります。昭和の後期頃までですが。 

 

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乗り換えは必要だが、もう20数年前の自分が大学生の時、知り合いが近鉄名古屋から難波までをひたすら近鉄の普通を乗り継ぐ旅をした。本人曰く、青春18きっぷで東京から名古屋まで乗りとおすよりキツかったとの談だった。 

 

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滅多に電車乗らないが先月は横浜に行くのに湘南新宿ライン乗ったが遅延。今日は東京行くのにやはり遅延。今日は1時間近く電車内でした。年に数回しか乗らないのに運が悪いのか結構ある事なのか。今日は線路内に人が入った為の安全確認ってアナウンスしてたがそいつは罰せられるのだろうか。どんだけの人数に影響すんのかわかってんのかな。 

 

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JRの上野東京ラインや湘南新宿ラインは直通化による利便性よりも都心部の車両基地を郊外に移した副産物。 

JRは運転整理が下手くそだから異常時の時は影響が広範囲に及ぶ。 

 

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18きっぷ1回分余っていたのでずっと気になっていた沼津~宇都宮の上野東京ラインを1度乗り通したことがある。 

普通車じゃキツいだろうけどグリーン車があるから快適だった。 

これからは余った18きっぷは無効にしてしまうしかなさそ。 

 

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長距離列車は自社線内のみ復活の傾向だけど、結局は特急との兼ね合いで中央線なんかは高尾より先は相変わらず渋い。 

沼津始発の東京方面への長距離列車は削減されたし。 

 

東海がここに来て熱海ー浜松を増やしたのは意外だった。 

 

 

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元々、各地域の中心駅を跨ぐ列車は多かったけどね。 

関西の新快速は周知の通りだが、名古屋圏の快速(浜松・豊橋~大垣・米原)や福岡圏の快速(門司港・小倉~大牟田など)、札幌、静岡、新潟、岡山、広島など。 

施設の関係上東京は仕方なかったが、今は直通もしている。 

分断されてるのって仙台くらいじゃないか? 

 

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首都圏ではないですが腰をやってしまったのは糸崎〜下関ですね。確か5時間6分だったか。400km走破する宗谷が5時間10分なのでほぼ同じですが普通車なのでキツかったですねぇ。 

ただ若いときは東京発博多行きなどの汽車も多く、あれよりはマシですが… 

 

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首都圏だと高崎・宇都宮〜小田原・熱海・沼津と上野や新宿をスルーできるパターンと高尾〜松本および水戸〜原ノ町のように拠点を1つ跨ぐパターンがある 

 

20年前までは上野発原ノ町行なんて普通列車もあったんだけどな 

 

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九州の夜行鈍行は郵便の他に北九州で印刷した全国紙やブロック紙の次の日の朝刊を運ぶ役目もあった。なので遅くに印刷された福岡近県版と記事の内容が違ったりしていた。客車も連結していたのは製鉄所みたいに24時期勤務の通勤需要もあったからな。 

 

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北陸新幹線が敦賀延伸してから、敦賀から新快速という乗り方が増えましたね。大阪以西に行く場合、長時間にはなりますが乗り換えがなく便利です 

 

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50年位前には 上野<東北本線>福島<奥羽本線>青森 上野夕方発、青森夕方着と言う700キロ越の普通列車に乗った覚えが有る 

もっと長距離列車が有ったかを調べる気力は無いが、824レが日本最長距離の普通列車でないのは確かです 

 

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高崎線の人が熱海に行けて良いだろう 

しかもグリーンもある 

熱海の人も新婚旅行で 

熊谷や高崎に行ける 

他人が何か言うのがおかしい 

大宮にも行ける 

大衆の楽しみだろう 

 

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この列車がなくなると聞いて、大阪から夜行急行に乗って、福知山まで乗りました。その後、待合室で時間をつぶし「だいせん」で大阪に戻った思い出があります。 

 

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最近購入した53.10ダイヤ改正の時刻表で確かめたら門司発5:20分の824レがいた。この列車の載ってる山陰本線を見てて気になったのは客車列車ならば通過するけどディーゼル車は止まる駅があること。何なんでしょうね、これ。 

 

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首都圏以外はブツブツ分断されすぎて、県内移動なのに何回乗り換えなきゃ行けない?なレベルになってます。 

国が株主なのだから、もう少し短距離乗り換えについて指導してもらいたい。 

 

 

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首都圏以外はブツブツ分断されすぎて、県内移動なのに何回乗り換えなきゃ行けない?なレベルになってます。 

国が株主なのだから、もう少し短距離乗り換えについて指導してもらいたい。 

 

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西岸良平の鎌倉ものがたりは横須賀線は東京発着で描かれているが、私の知っている横須賀線は品川から地下に潜りそのまま千葉方面に行き、MS分離なんてものがあったことを知ったのは大人になってからだ。 

 

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埼玉県本庄駅⇆熱海 

居酒屋トレインと呼んでます。 

18切符でなくても、 

休日おでかけパス(小田原⇆熱海は別料金)で利用。 

グリーン車乗って、行き帰り飲んで、 

熱海で温泉入ってランチ食べて、 

最高の1日ですよ 

 

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もう客車鈍行そのものがなくなった時代に育った世代としては、ホントこの手の話を聞くと、体験できた世代をうらやましく感じる。 

 

もっとも今や優等区分の客車列車すらなくなってしまい、より若い世代では想像すら難しくなっていくのだろう・・。 

 

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学生時代、東京からの帰省に大垣行きをよく利用していました。 

通路に寝ないといけないほど、今考えると劣悪な環境だったけど、当時はなんともなかった。 

若かった‥のかな? 

 

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上野東京ラインで黒磯駅発伊東行き 伊東発黒磯駅行きが最近まで有ったが、宇都宮線が南線と北線と系統分離して北線がワンマン電車に成った為に無くなってしまった。 

 

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昔、松戸駅で旧型客車をみたことがある 

調べた所、上野発の仙台行きらしい 

当時は子どもだったので乗れなかったが、今なら大金出しても乗りたい 

こんなのロマンの塊じゃないか 

 

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511 512 大阪ー青森 青森ー大阪 かなりの長距離鈍行列車。今は新幹線昔は乗り換え無しで鉄道での長距離が可能だった。あちこち景色を眺め駅弁などの食事をするが当たり前だったが今は物足りない。汽車旅という言葉が今はゼロに近い。 

 

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昔は普通列車の長距離はザラでしたね。急行になると青森から大阪のきたぐに、上野から青森の津軽や八甲田とか沢山ありましたね。貧乏学生だったからよく利用しました。 

 

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新幹線の無い時代に青森から東京へ修学旅行。朝イチに青森出発して東京着は夕方。2泊3日の行程が片道10時間。見学は1日だけ。枕投げと、車中のトランプしか思い出ないわ。みんなとワイワイするのが一番の思い出になるんかな? 

 

 

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直通運転は混雑する大ターミナル駅での折り返しを減らすためでもある。東京駅や大阪駅で乗り換えが発生すると混雑や遅れの原因にもなる。 

 

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あんまり遠距離の直通運転はやめて欲しいです。 

特に湘南新宿ラインや上野東京ラインは埼京線&相鉄を絡めていつも遅延します。 

 

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824レ懐かしいね。 

 

乗ったことはなかったけど、時刻表でよくみてたよ。あと函館発の41レとかね。 

 

長距離鈍行は味がある。長時間停車で駅をウロウロしたり食事したり… 

 

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長距離運用は運用上の都合だからなにも普通列車に限らない 

当然始発から終着まで乗り続けることは考慮されていない。 

 

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どんなに遠くても実家に帰る時は、必ず各駅停車を乗り継いで帰省してます。各駅停車は、融通が利くし便利だと思う。 

 

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過去には「門司~福知山」より長距離の普通列車もありましたね。 

 

「上郡~青森」とか、「門司~東京」 とか、1,000㎞を超えるものが。 

 

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乗り通しではないけど、大学生のときに愛知県から仙台まで青春18きっぷで行った。初めて椅子に座る方が立ってるよりも辛いと思った。 

 

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>富士山回遊を狙い2024年には中央線で東京発大月行きの快速が増発されています。 

 

インバウンド金持ちで溢れてる富士回遊を増発できないから、やむなく大月行を増発して富士急行に繋げています。 

 

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黒磯発熱海行き普通電車とか前あったな。青春18キッパーにとっては乗り得したいから快速に乗ってできるだけ遠くに行きたい衝動に駆られるから全線乗り通す人はその道のヒマ人あたり。 

 

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類似かもしれませんが、私も出雲市から京都までの普通山陰と言う、客車列車に乗ったことが有ります、ほぼ各駅でしたね。懐かしい 

 

 

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こういう記事がでると、鉄オタの皆さんがワラワラと湧いてきて色々知識を披露してくれるので、読んでいて楽しいし勉強にもなる。 

 

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今の長距離は、折り返すための転線するダイヤ的な制約や駅の配置などを解消するために直通させちゃったのでは。 

 

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>こうして大都市を貫通する長距離普通列車が進化していきましたが、近年はコロナにより・・・ 

>労働人口の減少が進み、さらに長距離普通列車の運行に影が落ちるかもしれません。 

 

京葉線のダイヤ改悪騒動を思い出す。 

あの時コメに溢れた、そんな遠隔地に家を建てる方が悪い、嫌なら都内に引っ越し直せ、自業自得、と言う嘲笑の声は忘れられない。 

 

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JR東日本にしてみれば、都心を途中駅にすることで車庫を郊外にすることができるメリットも大きいと思う。 

 

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台湾は昔と比べて通勤電車タイプ(区間車)が増える度に減るどころか長距離を走るのが増えてきた印象。 

 

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無くなったけど、根室本線の滝川〜釧路8時間は一度乗った。 

長時間停車があったから多少休憩出来たけどキツかったな 

 

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50年ぐらい前はけっこうあったね。 

上野発青森行き片道25時間とか急行になるが 

東京発鹿児島行きがたしか28時間ぐらいだったかな。 

 

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根室本線もあの台風が無ければ、未だに滝川発釧路行の普通列車が走っているような気がする。 

 

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西日本の新快速に2時間座るのは快適だと思うが、東日本のクロスシートに2時間座るのは苦行だと思う…だからグリーン車があるのか? 

 

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基本、上野東京ラインは熱海から宇都宮高崎ですが、早朝は沼津発があるのでその事ですね。 

 

 

 
 

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