( 232716 )  2024/11/12 02:05:36  
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衆院選で議席数を大きく伸ばし、玉木代表の不倫報道でも、むしろ声援が強まっている印象の国民民主党。躍進の背景には、「ソフトなポピュリズム」路線のポジショニングがある(写真:共同) 

 

先日の衆議院選挙で大きく議席数を伸ばした国民民主党。11日には、玉木雄一郎代表に関する不倫報道が写真週刊誌に掲載(同日に会見を実施し、事実関係をおおむね認める)されるなど、色んな意味でニュースの中心となっています。 

イメージ低下につながることもある不倫ですが、玉木氏の場合は、ネットを見る限り声援のほうが多い状況です。なぜ、国民民主党は躍進したのでしょうか。新著『人生は心の持ち方で変えられる?  〈自己啓発文化〉の深層を解く』も話題の評論家、真鍋厚氏が解説します。 

 

【画像4枚】動画内にて、「ハニートラップを防げるか?」について語る玉木氏 

 

 国民民主党が台風の目になっている。 

 

 衆議院選挙で選挙前の4倍にあたる28議席(小選挙区11議席、比例代表17議席)を確保し、比例代表の党派別得票数では、公明党や日本維新の会を抜いて617万票を獲得し、前回の2.4倍になった。少数与党に転落した自民党と公明党の命運を左右するバイプレーヤーになりつつある。 

 

 国民民主党の躍進は、直接的には、これまであまり重視されていなかった生活実感に根差した「実現が比較的困難ではない政策」を前面に打ち出したことが大きいが、国民の側に軸足を置きつつも、露骨な対立図式を作らないという「ソフトなポピュリズム」路線のポジショニングが好評を得ているからだと思われる。 

 

■ポピュリズムには2種類ある 

 

 政治学者の水島治郎は、ポピュリズムには2つの定義があるとし、「固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴える」タイプと、「『人民』の立場から既成政治やエリートを批判する政治運動」タイプを挙げている(『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』中公新書)。 

 

 前者は、近年では2017年の希望の党やそれに端を発した枝野フィーバーによる立憲民主党の躍進など、後者は、れいわ新選組、参政党、日本保守党などの台頭が当てはまる。 

 

 後者のポピュリズムは、具体的には、自らが「人民」を直接代表すると主張して正統化し、広く支持の獲得を試みる、「人民」重視の裏返しとしてのエリート批判、「カリスマ的リーダー」の存在、イデオロギーにおける「薄さ」に特徴がある(前掲書)。 

 

 これらを踏まえると、国民民主党は、SNSなどを効果的に駆使し、国民の代弁者として「手取りを増やす」政策を中心に掲げ、その政策の中身について懐疑的だったり、歪めた解釈を行なったりするメディアや政党などを手厳しく批判している点において、前者だけでなく後者のポピュリズムの要素もいくつか兼ね備えているように見える。イデオロギー色も薄い。ただし、党首のカリスマ性があまりない部分だけが異なっている。 

 

 

 これは、ポピュリズムの2つのタイプを上手く結合させた「ハイブリッド型のポピュリズム」といえるだろう。 

 

 つまり、「103万円の壁」の見直し(非課税枠を年収178万円まで引き上げることなど)を事実上のシングルイシュー(単一論点)政策とし、「固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴え」ながら、「人民」重視の裏返としての(政策の妥当性に疑問を投げかけるような)メディアや政党などへの批判を展開していく絶妙なスタンスである。 

 

■政党優先ではなく「政策優先」 

 

 実際、国民民主党は「政策優先」であり、政権交代のような「政党優先」の立場を取らない姿勢を貫き、そのこと自体も様々な場で積極的にアピールしている。 

 

 11月6日の政務調査会の議員懇談会で、玉木雄一郎代表は「誰とやるか、どこと組むかではなく、何を成し遂げるかが大切」「われわれは政権の延命に協力する気はありません。ただただ国民に訴えた政策を1つでも2つでも実現していく」と述べており、同様の発言はインターネット番組などでも行っている。 

 

 このような自分たちの党利よりも国民目線の政策実現を目指すスタイルは、後者のポピュリズムにありがちな「既得権益という名の敵」を作り出して排撃する傾向を抑制し、交渉と駆け引きという政治のリアリズムへと引き戻す性質を持っている。 

 

 11月8日の外国特派員協会における記者会見で、玉木代表が主張した「対決より解決」という言葉には、党勢を拡大したり、自分たちの名を売ったり、政権を奪取することが目的ではなく、国民の生活を改善する減税や家計支援を着々と進めていくことが目的であることがよく表れている。 

 

■対立色の中和が、日本人にもマッチ?  

 

 分断を煽るポピュリズムではなく、国民のニーズに即した公平な仕組みに変えるための協調を呼びかけるポピュリズムである。 

 

 政策の障害になっている政治勢力の排除や、善と悪の戦いといった舞台を求める「強いタレント性」がないことが、むしろ対立色を中和している面があるだろう。 

 

 このようなハイブリッド型のゆるいポピュリズムは、好戦的な言動や極端な改革を嫌う日本のマジョリティとかなり相性が良いだろう。 

 

 

 政治学者のシャンタル・ムフは、行き過ぎた不平等の是正や差別の解消などの公平性の実現などを目指すポピュリズムについて、排外主義や人種主義、反グローバリズムなどに走りがちなものと区別して、現在の民意にそぐわない政治体制を軌道修正する「民主主義の回復」を志向するものとして歓迎している。 

 

 ムフのいうポピュリズムは、社会において「自由と平等の原理」が徹底されていないことを問題視するもので、「立憲主義的な自由-民主主義的枠組みの内部で、新しいヘゲモニー秩序を打ち立てることを求める」ものだからだ(『左派ポピュリズムのために』山本圭・塩田潤訳、明石書店』)。 

 

 一部の経済人や政治家たちが唱道する経済政策によって社会が破壊され、多くの国民が疲弊し、それでも何も変わらない危機的な状況、民意=主権者の声が政治に反映されているとは言い難い現状に対して、もう一度「人民による支配」という民主制の根本に「原点回帰」しようと試みる運動といえる。このようなポピュリズムは「民衆こそが正義でエリートは敵」とする「反エリート主義」とは似て非なるものである。 

 

■ポピュリズムが必ずしも悪いわけではない 

 

 前出の水島は、ポピュリズムの比較研究において、ポピュリズム政党の進出が民主主義に明らかな悪影響を与えるとはいえず、特にポピュリズム政党が野党にとどまる場合は、どちらかといえばプラスの影響を与えるとする議論を紹介している。 

 

 「ポピュリズム政党が進出することは既成政党に強い危機感を与えるが、それは既成政党に改革を促す効果を持つ。ポピュリズム政党の批判の矢面に立たされた既成政党は、その批判をかわし、支持層のポピュリズム政党への流出を防ぐため、自らの改革を迫られるからである。その改革は、党の政策内容から、党自体のあり方にまで及ぶ」という(前掲書)。 

 

 そして、「既成政党はそれまで軽視してきた――それゆえにポピュリズム政党から無策を批判された――政策を正面から取り上げるとともに、旧態依然とした党のイメージの払拭に務めざるをえない」ことになるからだと説明している。 

 

 まさに、今回の国民民主党がキャスティングボートを握ることによって急浮上した「103万円の壁」問題そのものである。11月8日の会見で国民民主党の榛葉賀津也幹事長は、「103万円の壁」について、「非常に多くの若者がこれをやってほしい」と悲鳴にも似た声があったことを話している。 

 

 

 政治学者の吉田徹は、「ポピュリズムはなるべく『人々』とダイレクトな結びつきを作ろうとする」「リーダーと国民の直接的な対話や結びつきを重視するからこそ、ポピュリスト政治家はメディアを手段として最重要視する」(『ポピュリズムを考える 民主主義への再入門』NHKブックス)と指摘したように、とりわけ後者のポピュリズムはSNSなどのメディアを活用して人々と直接つながろうとする。 

 

 だが、票数を稼ぐためのコミュニケーションではなく、国民のニーズを把握するためのコミュニケーションであることがうかがえ、この点においても国民民主党のバランス感覚は興味深い。 

 

 このように状況を分析すると、日本のポピュリズムも新しい段階を迎えたといえるかもしれない。 

 

 特に2019年以降、新興政党を危惧する声が聞かれるが、実のところ少数派の不安や不満が国政政党という正式な回路を持つことによって、かえって過激化や地下活動を抑止する安全弁として機能する面がある。これは馬鹿にならない。 

 

 ポピュリズムの効能もまったく同じであり、結局のところ、わたしたち一人ひとりの有権者が実地で学習していくしかないのだ。 

 

真鍋 厚 :評論家、著述家 

 

 

 
 

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