( 233435 ) 2024/11/14 02:49:52 1 00 今回のコメントは、教師の仕事に対する様々な視点や意見が含まれています。
一部のコメントでは、教員を尊重し、教員の仕事の専門性を理解することの重要性が述べられています。
全体的には、教員の仕事や環境に関する態度や理解についての意見が幅広く提示されており、教育関係者や教員に対する理解や尊重が求められていると感じられます。
(まとめ) |
( 233437 ) 2024/11/14 02:49:52 0 00 =+=+=+=+= 「教師は授業で勝負する」と随分昔から言われています。まずは、生徒に信頼されるためにも、魅力的な授業が第一でしょう。それ以外にも大切な事が山ほどあります。私たちの仕事は探せばきりがありません。無限にあるのです。だから私は「教員の持ち時間の上限を下げろ」と声を大にして言いたい。保護者からも生徒たちからも信頼される教員になるためには、仕事を減らすのではなく、仕事をする時間をまずは確保して欲しい。
=+=+=+=+= 中学娘の英語の先生が変わった時、めちゃくちゃ感動してました。 すごい、言われたことがクリアにわかる、わかりやすい!と。 去年の先生、何言ってんだかまるでわからなかったと。人柄は良かったから、みんな何も言わなかっただけどと。 いくら授業が良くても人柄に難がありすぎたらきついし、人柄良くても授業ちんぷんかんぷんでも困ると。今回の先生はさほどフレンドリーではないが言う事はもっともだし、授業わかりやすいのは最高だと。 授業わかりやすくて、普通に話が通じる先生が一番だそうです。 部活動は地域やクラブチームでいいから、授業研究ときちんとした休みをとって、いい精神状態で生徒とコミュニケーション取れる人がなってほしいです。
=+=+=+=+= 世界で優秀な教師が選ばれているが教科指導力だ。学校は勉強をするところだということが日本の学校にはない。学校でいろんなことをやりすぎている。日本の学校は学校ではなくて家庭になっている。親の仕事を教師がやっている。おかしなことだ。躾は教師の仕事ではない。親の仕事だ。親の仕事までもするから教師は忙しくなる。親にやらせればいい。日本は親に楽をさせ過ぎている。教師は余計なことまでやりすぎている。
=+=+=+=+= 教職員はサービス業ではなく、仮に「本当のサービス業だとしても」残業代はしっかり支給されなくてはなりません。 教職員は給特法で「ある程度の残業が有る」のを見込んでの措置だが、その残業代の計算が甘く「定額働かせ放題」になっております。 給特法の残業とは関係ない、部活の引率・修学旅行や遠足の下見・問題行動を起こした児童生徒等の対応には「残業・休日出勤手当」を支給してください。
=+=+=+=+= オーバーフィフの製造業です。 働き方が、変わって来ている事を強く感じます。 今までは、個人に対して仕事が割り振られ、能力が高い人ほど給料が良かったですし、昇給もしていました。 なので、この記事同様、サービス残業当たり前!個人の力で、何とか切り抜けるのが主流でした。いわゆる匠が、良いとされていました。 リゲインのテーマが懐かしいです。 ただ最近、仕事に対して人が割り振られるようになりました。 匠の様に個人の能力は無いけど、コミュニケーションを取って複数人で問題解決をするという方法です。人をまとめる事の能力が高い人が昇給するようになりました。 その為には、社員数の増加が必須です。今まで、1人でやっていた仕事を3人でする事になります。人口減ってるのに、この様な働き方でやって行けるの?と最近思っています。
=+=+=+=+= この方は過労死ラインで頑張って来た方ですね。 部活、授業準備に加えて学級経営、生徒指導ときたら、自分の時間はない。しかも、それだけやっても20代で手取り20万少々。間違いなく心をすり減らして生活してきたのですね。教員の友人の愚痴をよく聞くので、この方が話していない部分も見えてきますが、勤務時間は生徒がいる時間ですから、生徒に関わる時間となり、授業準備をする時間にはなり得ません。つまり授業研究は勤務時間外で自主的に行うものとなります。採点業務も同様です。保護者からのクレーム対応だって同様です。学校行事の準備だってあります。しかも、それらは全部サービス残業なんです。 教員の方々が求めているのは、先ずは人員を増やすことで個々の仕事量を減らすことだと聞きます。
=+=+=+=+= 教師は何で勝負するのか? 授業一択だと思います。ですから、それに勝負をかけられるだけの時間をください。そして、教員になりたいと思う未来のそして今の子どもたちに、ここでなら勝負をかけられると思わせるだけの環境や条件の整備を願います。
嫌なら辞めればいい
ある意味正論かもしれませんが、今も、目の前にかわいい子どもたちがいる以上、そして幸いなことにまだ健康ですので、ここで頑張りたいと思います。
=+=+=+=+= 何で勝負するかって、授業と人間性かな? 授業が下手な教員には、子供はついていきません。 授業を聞いて、分かった、発見出来た、面白いとなれば、子供は目を輝かせて聞いています。 そう、この先生は、私の為になる。「意味のある他人」と思わせる事が大事かな。 そして、授業が上手くても、言葉や態度が良く無ければ子供はついていかない。 「大人の理想のモデル」になり、こんな大人になりたいと憧れてもらえたら、効果は抜群! になると思います。
=+=+=+=+= サービス業というか、教育業です。とはいえ、学習指導、生活指導、事務作業、会計の取り扱い、医療知識及び実技、スポーツ知識及び技能、建築知識及び簡単な修繕技能、音楽的な知識及び技能など、数えきれないほどの様々な職種を扱っている仕事です。 ただ、小中学校では、本来は学習指導に専念したいけど実際には学習指導以外の業務が多すぎて十分にできない、という方が多いと思います。また、近年ではいじめ問題、不登校問題など、学習指導以外での生活指導や人間関係についてを学ばせることが多いです。学習だけなら家でも個別指導塾でもできます。 結局はよくあるフレーズですが。「生きる力を学ばせる仕事」だと思います。もちろんサバイバル知識・技能などではなく。
=+=+=+=+= このように教員の過酷な労働状況を広く世間に暴くことで文科省や教委の重い腰を上げさせるのもマスコミの役割ですが、教職の良き面の報道をせず、過酷な面のみの行き過ぎる報道を繰り返すことは教員志願者を減少させ、教育現場の質の低下も招くことにもつながります。 このことがかえって教員の労働状況を悪化させるのであれば本末転倒です。 報道機関は視聴率やクリック数だけを考えるのではなく、報道が与える影響を広く深く考えたうえでの公正で、適切な報道がされることを強く望みます。
=+=+=+=+= 元教員です。 私も英語科で、初年は野球部顧問でした。 似たような経験をしてますので、気持ちはよく分かります。 確かに土日も朝早くから夕方まで、毎日部活で、休みはほとんど無かったです。 当時教頭からは、教員は、公務員で会社員とは違う。給料やボーナスがちゃんと毎回、満額でるのだから、勤務外でも部活など、奉仕活動はしっかりやって結果を出しなさい。 そういう仕事だ と、言われたのを記憶しています。
ただし自分の学生のときの顧問は、試合以外、日頃の練習には全く来ませんでした。 試合も終わったら直ぐ解散でした。 でも後にその顧問の先生は、教頭、校長になってます。 何が正しいとは 最終的には、管理職の考え方や姿勢なのかな?と思いました。
ただし、私個人は、教員も週1日くらいは休んで、学校以外の資格や上位の学位を目指すなどの勉強もした方がいいと思います。
=+=+=+=+= 24年間教師をして中途退職したが、県教育委員会や管理職から教師はサービス業ですとハッキリ言っていたことを思い出す。 授業や実習の指導がきっちりできて生徒が食いついてきてくれた時は、今日は良かったと思えた。さらに研鑽しようと思えた。しかし、管理職の中には無茶苦茶な校内人事をする人もいる。有無も言わさずに転勤と同時に担当専門教科を変える、さらにやったこともない運動部を持たせるなども。どっちつかずの中途半端の極みになることを平気でさせる。 ここで述べてある内容を読んでいると、腹立たしく感じた部分もあった。何で勝負するのか?人の気持ちや予定も気にせずに試合計画たてる配慮の無い人間に偉そうに言われたくないし、尊敬には値しないと自分は思った。底辺の学校で働けば様々な事が学べますよ。成長させてくれます。そうしたところを経験して論じてみてほしい。
=+=+=+=+= 高校の現職です。 一方向の報道に思うことがあります。 30年以上前の現場には、教員にも向けられる暴力や、1日12時間以上の勤務実態はけっこうありました。 乱闘の返り血を浴びたり、府中の医療少年院へ面会に行ったり、その一方で部活や大学入試問題の補習をやったりと、仕事の内容は違えど「大変さ」はそれほど変わっていない気がしています。 むしろ気になるのは、この10年くらいで教員が「病んでしまう」事例が、しかも30代以下の若い世代にも及んでいるということ。 MARCHクラスの入試問題も自力で解説できない、保護者との対話も捌けず、前例踏襲型の思考停止など、教養というか人間力というか、「教師の質」の低下が、問題を顕在化させている面もあるような気がするのです。
=+=+=+=+= 現役教員です。とても共感できる記事でした。「何で勝負するか?」これは「人間性」しかありません。生身の人間相手ですから人間性なくして生徒との関係は築けません。生徒との関係が築けなれば良い授業は成立しません。授業が成立しなければ生徒は耳を傾けません。生徒が耳を傾けなくなれば保護者は不信感を持ちます。よって、教員に一番大切なことは子どもの安心安全を第一に考え、人権感覚に富んだ人間性です。理想を述べればこうなりますが、教員が集まらない昨今の状況を考えれば贅沢は言ってられません。
=+=+=+=+= 生徒との信頼関係、保護者との信頼関係はすごく大事。しかし、今はそれを構築する場はどんどん削がれている。さらにマスコミを中心とした教員バッシング。それに洗脳された保護者や生徒。 授業なんか機械で出来るという人もいる。 人間が教えるから意味があるという人もいる。 私は後者だ。しかしその前提として生徒や保護者との信頼関係ありきだ。悪事ばかり報道され、いいことは報道されない。いじめ発覚ともなればここぞとばかりの報道。以前学校で事故があり生徒が後に死亡した。最初は多くのメディアがいじめを疑って押し寄せた。しかし、そうでないとわかると一気に退散。そういうメディアの風潮にも今のブラックと言われる現場をつくった一因があると思う。その結果、教師は生徒や保護者に昔のように踏み込めなくなった。触らぬ神にたたりなし。そうせざるを得ないのが現状。そうすることが身を守ることになる。夢も希望もない。
=+=+=+=+= 結局はどんな職業でも「立ち行かないぐらいの人手不足」にならない限り周りは本気で動かない。 それが無くてはならない職業であるほどそれが成り立つ。 全ての人にとって「他人の職業の苦労は他人事」というのが基本であり本質。 自分に不利益が降り掛かってこない限りは別にどうでもいい。 例えば医療の現場で人手不足や劣悪な労働環境が問題視され暴動やストライキが頻発するようになったところで、健康で病院にかかる予定もない人間にとっては対岸の火事。 多少の同情や問題意識はあっても「本気」にはなれない。 それがひとたび病気や怪我で自分の治療にも不都合が表れた段階でやっと「本気」になれる。 つまりは実害が世間一般に浸透しない限り、世間が本気で味方をしてくれることは無い。 そうなるには壊滅的な人手不足が必要。 何とか回せてしまっているうちは、教員という職業は貧乏クジでしかない。 耐えられないなら転職が一番の解決方法。
=+=+=+=+= 辛く悩ましいのは理解出来ます。そして前向きに努力されている姿勢も、素晴らしいと思います。 視線を切り替えると、教員以外の職でも、本業とは何かと思いながら長時間勤務している方は数多います。自分の強みを見つけ伸ばさないと生き残れない私学の教員や予備校や塾も参考にされては如何でしょうか。
=+=+=+=+= 私は岐阜県の教員ですが、先々月、先月ともに残業時間が100時間をこえています。管理職にも限界を伝えていますが、なにも手をうたれることもなく、このまま死んでいくのではないかと思ってます。パワハラも相まって、状況はますます厳しさを増しています。私一人死んだとて、それでも、きっと管理職は、仕事は命令していない、自主的だ、と言い張るでしょうね。
=+=+=+=+= 教師の本務一番大事な仕事は授業です。その授業を分かりやすく楽しくする為に教材研究は時間をかけたい。しかし、昭和の頃からメディアや専門家は、子供が絡んだ事件事故問題が起きると、教師の定数や勤務時間を無視して、対応すべきと理想論を振りかざして、教師の責任追及をしてきた。結果、教師は毎日5·6時間の授業を行いながら、イジメや不登校、虐待にアレルギー、発達障害やギフテッド、子供のルーツや多様性に対応しないと責任追及され、時には辞職に追い込まれる。しかも、時間外の対応は自主的活動=教師が勝手に働いている事にされ、対応し続けた結果教師が壊れて過労死や突然死や休職や離職になっても、要求したメディアや専門家や委員会や文科省は何の責任=公務災害を認めずに、教師の自己責任にするという無責任な働かせ方を要求し続けている。これこそが、教師のなり手が減る原因だと思うのだが?
=+=+=+=+= 教師の仕事は多岐にわたりますが主たる仕事は授業です。
そのために教員の処遇改善はしていくべきです。 マスコミで教員のマイナスイメージ報道が多く、教員を目指す学生がますます減っています。 これでは日本の教育は、どうなっていくのでしょう。
教員になりたいと思う環境を整えないといけません。
教員はとてもいい職業だと思います。
授業は黒板とチョークの時代ではありません。 今は、ICTを効果的に使い、講義型の授業でなく、対話しながら、子どもが主体的に深い学びとなる授業をされています。
そのためには、準備が必要です。
授業だけでなく、子どもに寄り添い、導いていくことも日々されています。
昨日は、高校でキャリア教育講演会があり、人生の先輩として、これからの生き方の参考になる話をしました。
アンケートによかった、素晴らしい!などの感想があり、その声が嬉しく、やりがいを感じました。
=+=+=+=+= これからの良い教員はモチベーターであるかどうかだと思います。教科書をなぞったような授業をする先生はAIがいくらでも代われるし、部活しか能がない教員も替えがききます。AIや指導員で替えがきかない教員は、自身の教科のやる気を上げられる人(これが最上級でしょう)、その次にクラスの子どもたちのやる気を高められる人(学級経営が上手い人、これがその次に評価される)となります。この2タイプのみが必要で、それ以外の人たちは能力不足として辞めてもらうか、必要な研修を受けてその能力を身につけてもらうかすると良いでしょう。
=+=+=+=+= 元小中教員です。
勝負する、という言葉を選んでいる時点で前時代的な考えです。かつて社会から尊敬されていた時代ならまだしも、今の教員はただの労働者です。
定められた学習指導要領に従って、できるだけ子ども全体の能力を底上げして、子どもそれぞれが自分で選べる道を少しでも増やす手助けするだけの存在です。
大半の人間にとって、仕事は生活の糧を得るための手段にすぎません。こういった教員が誰しも全人教育ができる・望んでいるかのように妄執する自称識者・管理職が今の教育現場の荒廃を加速させました。
思いあがりも甚だしいです。
=+=+=+=+= 先生たちの教師としての権限をもっと尊重してほしい。だって、教員免許をもった教育のプロの方々です。だけど、「ICTを使った授業」、「観点別評価」「探究活動」、「会話重視の英語の授業」…現場の先生たちではなく、学校外の方々の注文が多く、本来先生たちが考えるべき教育活動を減らしている気がします。実際子どもの様子を見ている現場の先生たちが、必要だと考える教育活動をもっと増やしてほしい。ついでに、通知表のABCが、いまだに何のためなのか理解できません。子どもに聞いてもわかりません。よっぽど点数の方がわかりやすいと思うのですが。
=+=+=+=+= 学校現場の勤務改革が叫ばれているが、研究会や研修はぜんぜん減らず、さらには市町村の教育長の考え方が勤務改革に向かっていないから、学校現場の忙しさは全く解消されない。 教育委員会は市民や保護者の顔色をうかがうばかりで、現場教員の苦労なんか、口先ですら理解していない。 国は学校現場を助けるつもりなら、どっちでもいい研究会や研修会をうんと減らして、一番大切なのは、市町村教育委員会の古い考え方を修正することだ。教育委員会からは今日も明日も無理難題ばかりが降ってくる。その結果、残業ばかりが増える。何も変わらない。
=+=+=+=+= 学校現場で「教職員はサービス業」というフレーズが聞かれるようになったのは、私の周辺では20数年前だったと思います。比例するように、その頃から保護者や子どもの理不尽さが目立つようになっていったという実感とあります。ただそれは、従来は教職員が高圧的だったり融通がきかなかったりというイメージが強かったので、それはもう時代に即していないという戒めの意図があったんだと思いますけどね。
=+=+=+=+= 学校生活を保証することを教員の視点と子どもの視点の両面でみることだと思う。この感覚が子どもとの土俵に立つためのスタートラインだと思っている。 今の子どもは、課題意識を持っていないように見える。それは何も考えていないのではなく、子どもが考える余裕がないくらい大人が求めることに対して応答することに忙しいからである。まともな子どもなら無視をした方がいいと思うことが自然である。 何をしたいのか?分からない状態なのか?やりたいことがあっても学校生活でできないと諦めている状態ではないかな。
=+=+=+=+= 現役です。 授業準備や教材研究をする時間は、「ない」と言ってよいでしょう。今の現場は「いかに保護者からクレームがこないか」に終止していると言って過言ではないでしょう。つまり「学力をあげる」「児童生徒の人格を高める」等の崇高な目標に迫る「攻め」の教育ではなく、「子どものためと言いながら、自分が病まないため」に保身に走る「守り」の教育になっています。ひとたび保護者と対したら、教育委員会も管理職も担任を守りません。正しいことを言っても自爆するだけです。こんな社会に誰がしたのか。
=+=+=+=+= 「学校の先生は何で勝負する?」って塾の講師や外部指導者と教える技能を競ってるんですか?塾の講師や外部指導者はその教科や競技の専門的な技能を教えればいいと思います。学校の先生は学校生活(授業や部活、清掃、行事など)を通して、子どもたちが人として成長できるように教えていくことが大切だと思います。例えば、挨拶できるようになったり、苦手なことにも粘り強く取り組めるようになったり。そういう意味では、学校の先生が担っている仕事は多岐に渡るので、もう少し人を増やすなり仕事を精選するなりしてほしいですけどね。
=+=+=+=+= >教員としての業務があまりにも多岐にわたっていたため これに尽きます。先生の本来の仕事は授業であるはずで、それは諸外国を見てもそうなっています。しかし、文科省が教員の好意に付け込んで次々と学校に丸投げした結果、日本では授業以外の業務が雪だるま式に増えてしまいました。 先生たちは授業準備に十分な時間をかけられなくなり、また優秀な賢い若者は教員という職業を回避するようになり(実際、レベルの非常に低い大学からでも簡単に教員になれるようになってしまった)、公教育で質の高い授業を提供できなくなってきています。これは、国の未来に暗い影を落とすことは確実です。
=+=+=+=+= 学校の本分は、教科指導で、躾は家庭の仕事とよく言われるが、公共性や社会への貢献など、多くの価値観を学校を通じて共有し、理不尽と思うことも含めてマナー化していることが、社会の安定や安全安心につながっている側面がある。 他国並みに学校の仕事を減らせば、今以上に価値観は一気に多様化し、社会に摩擦が起こりやすくなる。それに耐えられる個人が育っていない日本では、何が起こるやら心配なところです。トランプの様に幸せを目指すのは当然と言い切ってしまうと、善と善が対立し、トラブルと不快の連続かもしれません。まぁ、良いとこ取りは出来ないということでしょうか。
=+=+=+=+= 大いに賛同できることもありました。 しかし、「じゃあ学校の先生たちはいったい何で勝負するんですか?」という問いに返せない時点で、疑義が生じ、その後の展開があまりにもドラマ仕立てのような演出くささを感じましたので経歴をご確認させていただきました。 やはりと言いますか、何と言いますか、公立の経験は6年半程なのですね。正直、そこからだと思います、酸いも甘いも噛み分けるのは。 発信はありがたいと思いますが、他の教員もこう発信しようみたいなスタンスは申し訳ないですが、私には鼻につきました。
=+=+=+=+= 教師の専門性は、国語、数学、美術、音楽などの教科の教育です。子どもたちが、毎日の暮らしの中で出あう不思議や感動とそれぞれの教科の授業でとりあげる素材をリンクして、興味関心を育み、子どもたちにもっと学んでみようという思いを起こさせることです。
部活とか生活指導は、教育課程にはいっていない付録です。給食もそうです。私学では給食ありません。これは給与の対象ではなく、学校を管理している自治体が勝手に教師を使ってやっているわけです。それを文部科学が見て見ぬふりをしている。教育現場がブラックになってしまった責任は、学校の管理者である自治体と文部科学です。
=+=+=+=+= 先生は先生。 お客様なら嫌われないようにするのも仕事だけど、教員は嫌われてなんぼ。
だって、ダメな痛いところを突く場面がいっぱいあるから。
でもね、不思議と嫌われないんだよ。その場では無視したり、悪態ついたりするんだけど、卒業する頃にはうまく行ってる事が多い。
時には生徒と本気(と見せかけて)でケンカ(うまく表現できないが)することもある。生徒がキライなのは逃げる大人。教員であれば経験とテクニックを駆使して、横綱相撲(時には保護者とも)をすればいい。
サービス業じゃないな。どっちかといえばアドリブを聞かせる芸人みたいなものかな。芸風を持つと、色々便利だよ。
=+=+=+=+= とある企業に勤める知り合いが、ある時から人事に配属されて、しみじみと言っていました。「人を教えるって難しい」と。加えてその人は、「学校の先生はもっと大変だ。だって、教育に関わっているわけだから、『教え』かつ『育む』ことをしなくちゃいけないわけでしょ?」と言ってました。なるほどね、確かに教えるだけなら塾屋さんと同じこと。だけど「育む」ってなると精神をけずってするようなもの。言うこと聞かない生徒、モンペ、たくさんいますもんね。
私は教師にはなれないなぁと痛感したエピソードでした。もっと教員(教師)をリスペクトしなきゃ。大の大人で教員をあしざまに言う人って、ひょっとして精神年齢を中高生あたりに戻してものを言ってないですか?そりゃぁひどい人に当たっちゃったかもしれないけど、それですべての教員を語れるわけじゃないのでね。
=+=+=+=+= 教師は何で勝負するか、それは人間性だと思う。中学卒業して35年教師3年目の授業もそんなに上手でない先生だったが定期的にクラス会が開いて呼びたくなるほど情熱を持った担任だった。こんな先生を目指せる環境を作ってあげてほしい。
=+=+=+=+= 教員には自分の時間はなく、日曜だろうが夜だろうが、生徒保護者のためにいつでも喜んでする。そんな教師像を作ったのは、マスコミであり金八先生です。金八先生のやることは、学活と家庭訪問です。授業のシーンはほとんどありませんでした。 教師の最も大切な仕事は授業です。今、その授業の準備をする時間はなく、授業以外のことばかりに時間が使われています。きびしい現実です。
=+=+=+=+= 「数学を専門的に教えたいなら塾講師になればいい」はあまりに短絡的すぎる。塾で教える授業と学校で教える授業は目的が違う。学校では生きる力を育む。学校教育では、「関数を教えたい」「図形の性質を教えたい」のではなく、それらの学習を通じて大切な見方や考え方を学んでいく。教員は授業第一。部活動は教育課程外の活動であることを忘れてはいけない。
=+=+=+=+= みなさん、「サービス業」という言葉の意味を誤解してらっしゃるようです。教育関係の職業はれっきとした「サービス業」です。形のある商品を製造したり販売したりしているわけではありませんので。公立の学校の教員は、行政サービスの一環を担っているわけで、「サービス」という言葉を勘違いしている人が多いようですね。この記事の趣旨を伝えたいのであれば、別の言葉を使うべきです。
=+=+=+=+= 教員はコンビニではなくて、個人商店の寄り合いみたいな商店街みたいなもんです。教科も、部活も、得意とする分野も。だからいろんな生徒に様々な教師が関わる意味があり、自然とチームワークが求められるのだが、役人も世間も、教員個人がコンビニのごとくビールからパンツまで、言えば出てくるように考え、頑なにそこを顧みない。だから人事評価制度なんてものを持ち込み、全員を何でもありの便利屋に仕立てる。餅は餅屋。昔の人の言は結果正しいね。
=+=+=+=+= 退職高校化学科教員である。
教員の仕事とは生徒の前にハードルを置いて、飛び越えさせることだ。 快適な空間と時間を用意することではない。 サービス業なら、契約前に約款を提示する。 世間では、約款にない業務は責任外だが、 約款を結んでいない教員の責任は無制限だ。 教員は学校以外の仕事を知らないから世間知らずの無知蒙昧と言われる。 自分を犠牲にして果てしない仕事をしてきたが、 世間を知って賢くなったら、みんなが困ったわけだ。
別の話題で「私はこれで勝負する」と書き込んだら、 「何と勝負をしてどう勝つのか」というとんちんかんな非難。 「生徒と遊ぶのが担任の仕事」と書いたら、 生徒とカラオケにでも行くとでも思ったような罵詈雑言を浴びた。
何を言っても大丈夫な相手に、非難、罵倒、人格否定。 それも、400字しか書けないところに50字も使わずにだ。 結局、教員は人とも思われていないのだ。
=+=+=+=+= 「お客様を教える」という切り口が、近頃の苦難を的確に表していて、感銘を受けました。 さらに、「もう一度僕たち教員に、授業者としての誇りを取り戻させてもらいたい。……一人間として最低限度の生活を営むための時間やゆとりを与えてもらいたい」この部分は、人間としての最低限の生活すら営めないで人生を奪われている多くの教員の叫びそのものだと思います。
教員に、せめて最低限の人権を与えてほしい。
=+=+=+=+= 同僚の教員の中には管理職でさえ、教員はサービス業ですといってしまっている者も多い。残念な人達だと閉口するが、生徒のことをしっかり考えていますと言うことだろう。 やはり教員は生徒を圧倒する知識、教科や進路先をはじめとする諸問題に対しての見識は大切だと思う。そこを磨かずして、愛想を振り撒くことで誤魔化すのは、負けだと思っている。
=+=+=+=+= 教師は授業と学級経営で勝負するのです。それが仕事です。なのに授業準備や学級経営は自発的活動だから勤務時間外でも仕事じゃないとか、1時間の授業準備は数分なんて判決がでたりとか、周りが教師の仕事を仕事と認めてない。それが今の現状ではないでしょうか。
=+=+=+=+= 仕事で利益をあげるためのプラスアルファの仕事をするのは当たり前だと思います。さて教師は何で勝負するかというと教え子の姿です。学校自体が生徒の進学就職を通し実力ある社会人を出すことが宣伝になるのが理想的です。生徒の募集できれいなキャンパス学食などはいりません。
=+=+=+=+= 教員はサービス業と忍耐業です。
どれだけ生徒を楽させて好き勝手やらせて良い思いにさせて帰らせるか。
だから、授業中スマホをいじろうが、寝ていようが、掃除をサボろうが、あいさつしないだようが、言うとこきかないだろうが、怒らずに黙認です。逆に褒めないと生徒は機嫌悪くなります。
もし、怒ってもしたら、保護者が出てきて、管理職から怒られます。
学校の正義は、生徒をどんだけ楽させて、好き勝手やらすかです。教員の仕事はサービス業と忍耐業です。
=+=+=+=+= サービス業などという言葉は私の高校職場では聞かれない。 保護者の過度な要求は確かにある。混乱を招いている。 何で勝負するのかは「授業」であることは管理職も含めてみなそう思っている。しかし、片方で部活動をやりたい教員もたくさんいる。そういう人ははやれば良いし、授業の方も普通にはやってる。 高校の場合は学校によって大きく労働条件・環境に違いがある。小中と異なり、生徒も多様になっている。苦悩はないとは言わないが、この見出しに対する回答は「授業」である。
=+=+=+=+= 学力差、所得差のある公立では授業を成立させるための土台作りでひと苦労です。学級経営がうまくいってこその授業です。 ここが、塾や私立との大きな違いです。 簡単に「授業で勝負」とはいきません。スタートラインに立つまでの難関が多いのです。
=+=+=+=+= 教師がサービス業であるなら、顧客は子どもではないし、当然保護者でもない。未来社会に対してのサービスと認識して仕事をしています。よって、未来にマイナスとなる言動に対しては、保護者からの要望であっても受け入れられません。このスタンスを貫いています。
=+=+=+=+= サービス業とは、物を作ったり売ったりする仕事ではない、と言う意味を、安価または無料で働く仕事、と勘違いしている人が多い。 よい授業とは、その教師が学校や書籍等で学んで来たこと、今毎日学んでいることの積み重ねからできていて、もちろん、人格や工夫や上手さなどとも相まって生まれて来る。たくさんの有形無形の積み重ねがなくては、成り立たないものであろう。 それから、今の学校は業務があまりにも多く、教師同士で学び合い、補い合い、共有し合う余裕が少なくなってきているようだ。
父親の悪口、母親の悪口を聞かされる子どもが幸せになりにくいように、教師の悪口や批判を聞かされるのも、まずい。保護者は教師にもの言うべき時はしっかりと子どもを守るために勇気を出してほしいが、軽々しい、浅はかな、からかいのような批判は子どもを駄目にすると思います。
=+=+=+=+= 筆者に問いたい。
マスコミの皆さんが「教育=サービス業」の風潮を作っているという自覚はあるのでしょうか?
先生たちの尊厳を貶めるような論調しか見たことがない。
ごく一部の常識を待ち合わせない保護者の不満を、保護者全体の意見、世間の常識のように記事にし、先生を悪者にする。
子どもの通う学校には誠実な先生はたくさんいらっしゃいます。そういう先生たちの様子も報じてください。先生たちの頑張りが見える報道をたくさんしてください。
先生という仕事がブラックなイメージでしか報じられないからこそ、優秀な人材は先生という仕事を敬遠するのです。
先生に優秀な人材が集まらなければ、われわれの子供たちに皺寄せが来ます。
記者の皆さん、ご自身の子どもさんが、学校で憂き目に遭遇する可能性があるのですよ。
=+=+=+=+= そもそもなんだけど、労働者に対する敬意が無いことが問題なんだと思う 労働の対価を得るというのはたしかにそうなんだろうけど、それによって助かる人がいる、誰かの幸せにつながるって側面もあって、それに感謝のきもちを抱くっていうのも労働の価値だと思う そこが抜けてたり薄れてるから、お金だけ稼げたらいいって方に人が流れてるように思う
=+=+=+=+= トラック運転手、介護職、保育士、そして教師、アニメーター。 いくら困難を訴えても、まあ「文句言いながらもやっている」内はなんも変わらない。地域のバスみたいにリアルに廃線・減便になって初めて「どうする」と考えだす。子供が減っているのにそれを超えるスピードで先生が足りなくなる。過労で人が死ぬ。そうなって初めて政治やら行政が動き出す。学校を指導しだす。そういうもの。
=+=+=+=+= まず、残業代はきちんと払うべき。サービス業務だろうが何だろうが、働かせてんだから。 次に、管理職にも問題がある。自分たちの業績や保護者・地域に正当なことを言う勇気がないから、教職員にトップダウンで仕事を押し付けてる。 管理職の評価に、その学校の職員の管理職への評価アンケートも含めるべきだ。 ブラックな仕事環境は、管理職がキチンと正しく仕事をしていないことを示している。
=+=+=+=+= 「学校の先生は何で勝負する?」 教科・科目で採用されている。授業で勝負するのが当前。 「塾の講師と何が違う?」 学校の教師は、単に受験で良い成績を取る技術や知識を教えるだけではない。自分自身の体験や経験に即した人として、子供が生きる上での「智慧」を授業を通して授ける主体が教師である。そこに到達できない人が教師の壁にぶつかるだけの話。そこに到達するために自分自身の人としての研鑽を妥協せずに出来る人がプロの教師となる。 「部活で勝負?」 部活動は教育課程外の活動であり、そこで生徒と人間関係を作ることはあったとしても、それは所詮、教師の本業とは似て非なるもの。本業以外に精魂を傾けることは本筋から外れることになる。所詮、あだ花だ。 これから教師を目指す人に忠告しておく。1時間の授業に魂を込めて智慧を授けられる教師になることだけを考えよ。それをするために自分を厳しく磨く覚悟をして教員になること。
=+=+=+=+= 教員の他にもサービス業と言われたことでやることが非常に多岐にわたって職業として敬遠されているものがある。 鉄道員、特に駅員である。 元々は専門職なのにサービス業にしてしまったが為に経営陣が「誰でもできる」と勘違いし、今やサービス業の中でもキツい職業と成り果ててしまった。 その結果が東京圏における無人化であり、あれほどのマンモス駅である大手町駅ですら東京メトロは無人化を押し進めている。 サービス業、サービス業と教員を追い詰めた先にどんな未来が待っているか… それをわからない奴が昨今の教員の大変さを助長させているのだ。
=+=+=+=+= <教員が・・・労働者の権利を主張するのではなく、「私たちにちゃんと仕事をさせろ!」と「子どものプロ」としての義務と責任を追求した方が世論もついてくるだろう。>この末語がひっかかる。 「プロとしての仕事」と「労働者の権利」をわざわざ対立させる必要はない。両立させてこその「教育労働者たる教師」であろう。確かに、公教育は「広義の教育サービス」である。しかもあえて言えば、教員は、授業を主軸とした学校生活全般での指導者でもある。ただし、学習活動の主体者は児童生徒であるかぎり、一方的にサービスを享受する立場にはない。指導者の働き方や学習者の達成の仕方の評価では、主軸が疎かにならぬよう軽重のバランスが求められるということである。決して他方が否定されるような対立構造ではない。記事の執筆者の「公教育」論の書籍は極めて斬新で鋭く大いに参考となる。それだけに、「わかりやすい単純化」はむしろ不要だ。
=+=+=+=+= 小学校8年、中学23年やりました 中学では顧問で、県大会優勝、関東大会優勝、全中3位が最高成績ですが やりきった感は全くありません 朝練7時から始まり、終わりが6時位でしたが、まだ足りないと感じました 生徒指導主事として、約15年やりました 自分の力不足感は否めません 生徒のために全精力を注ぎました。 待遇なんて、微塵も気にしたことはありません。 教え子や保護者とたまに飲みます。 怒鳴り飛ばして、めっちゃ叩きのめしたこともあります(手は出してません) 何でこんなにやりづらくなったのか? 私の時代が良かっただけなのか?分かりません。 が生徒のために全精力を傾ければ道は拓けると思うだけです。 教師は誰かがやらなければならない仕事の最もだと思うからです。
=+=+=+=+= 日教組が力を持っていた頃から、教員はなんだかんだ文句ばかり言っている。 何十年も経ているし時代も大幅に変わったが、文句言うのは変わらない。 待遇を上げようが、業務を減らそうが同じことじゃないのかな。
教員に限らず文句が多いヤツは工夫が無くて、やる気に乏しい。 デキるヤツは文句言ってる暇があるなら、色々工夫してどんどん仕事を片付けるよ。それでも不満があるならさっさと転職していくし。
=+=+=+=+= 保護者のニーズという表現が使われるようになった頃から、どんどん要望が多くなり、 学校が学びの場所から託児の場へ変わってきたように思います。学校や職員へのリスペクトはありません。定年まで、病まないようにしようと思います。
=+=+=+=+= 我が子達が通う、それぞれ学校の先生方には、お世話になり感謝しています。 子どもたちを家庭と学校双方で育んでいきたく、学校の校務の お手伝いを出来る範囲でさせて頂きます。奇譚無くお申しください。 それがPTAですし「親」になる事で学校に対する理解をしています。 それでも解決出来ない問題がお有りなら学校の管理職に言う等して頂きたいです。 いきなりマスコミにネタとして売り込まれると、最終的に、子どもたちの活動を萎縮させたり制限されたりする事に繋がるので、迷惑です。
=+=+=+=+= 教師はエゴサへの耐性で勝負する。少々何を言われても凹まないメンタルの持ち主が大成する職業です。 私はお豆腐メンタルなので、定年を待たずに辞職します。 こんな仕事やってられません。 年金繰り上げと退職金の切り崩しで清貧な暮らしで心の平静を取り戻すつもりです。
=+=+=+=+= 教員は、公務員として国の学習指導要領を推進して、国が求める教育を国民に施して、日本国民を育成する。 のが事故じゃないですかね。 そこに教師個人の思想は、あまり必要ありません。 思想はいらないけど、個性は反映されるべきですけど。、
=+=+=+=+= 余計な(生徒)指導なくしませんか?服装、髪型、アクセサリー、通学方法、置き勉…、そろそろ自分で判断させましょうよ。入試の時にその格好で、髪型で行くけ?とかいう教師いるけど、そんなの自分で判断できますって。我々大人だって状況に応じて服装や態度変えるじゃないですか。ツーブロックが世に出てきて学校で「ツーブロック禁止」と聞いた時、腰抜けそうになりました。理由は?この例のように、子どもたちが、保護者が納得できる理由がない決まり、校則が多過ぎて、明らかに余計な指導、仕事を増やしてますよね。大人が子どもたちを管理するためだけの決まりはホントしょうもない。共感してくれる先生方いると思います。
=+=+=+=+= なんでたかが教師を聖職者扱いするの? 公務員なので営利団体ではないからある程度は仕方が無い。「教員はサービス業」と割り切るしか無い。教師は子供の成長を促す者では無いし、進学率も気にしなくていいい。小中学校は、日本で住むための知識を児童や生徒に教えるのが本来の仕事でしょ。塾とはりあったり、親に「いい人」とみられたいと思うから、余計な仕事を増やす。 しかも、授業準備は、本来教師の専門なので自己啓発として自宅で学習するだけだと。民間企業で仕事の専門的知識を残業代貰いながら働いているやつはいないよ。 自分達の作業全般を模造紙に書き出し、そこから無駄作業と無駄時間を省いて仕事すれば? 頭の中で出来ない出来ない言っているから、出来ることも出来ないんじゃん。もう少し、効率考えないと。
=+=+=+=+= 教員だってサラリーマンですから。第一に考えたいのは家庭のこと、自分のことです。一般企業で働く人で、土日も休まず仕事して、家庭のことより仕事優先という人は今の時代、そうそういないと思います。教員だからといってすべてを犠牲にして尽くすことを求められるという風潮は如何なものかと思いますけどね。はっきり言って異常です。
=+=+=+=+= サービスは料金を払った人に対して行われる。 つまり、児童生徒への教育は納税者(私立はプラスして保護者)の望む社会人に育てるために行われる。時には生徒や保護者と意見の対立があっても社会の要請に沿った対応をするのは当然。的外れのクレーマーにもそれをはっきり伝え、家庭の価値観を学校に合わせてもらうべき。
=+=+=+=+= 国から 教育予算が増えないと 解決しません 先進国の中で比較 予算は少ない国 でも 世界一の学力を 求められています。 予算が少なくても 教師の創意工夫や予算以上の働く時間を求められます。
=+=+=+=+= 授業はそんなに印象にはありませんが、生き方を教えてくれた先生は印象に残っています。授業のことは正直言って覚えてないかな。行事とか怒られたこととか、自分の面倒を見てくれてたことを覚えています。
=+=+=+=+= 完全退職してからはもう思い出さないことにした。残りの人生を自分のために楽しみたい。時給で寿命を切り売りしてまで、退職後働き続けるのは嫌だから。それでも夢の中のシチュエーションは学校になることが多い。小学校から60年も学校通いを続けていたのだから仕方がない。
=+=+=+=+= 教員は完全なサービス業です。教員の「員」の字は「店員」「銀行員」「工員」「事務員」「郵便局員」「駅員」、、、、、と、とっくに「士業」や「師業」から外されました。いつまで自分は教師あるいは師範だと思っているのでしょうか。日本には「師」という概念はあっても、教育公務員にはその概念が当てはまりません。単なるサービス業としての「員数」でよばれる職業に政府がしたからです。
師範学校を潰して教員養成学部とし、教育学部もなくしてきました。人を育てる面白さに気づいても尊敬も名誉もありません。地べたを這うサービス業が今の教員のおかれた立場であり、安心安全な託児所として、できて当たり前できて当然との認識です。
教えることが好きなら、「教員」になるものではありません。私塾の「教師」やお華やお茶の「師範」を目指してください。尊敬されたいなら「医師」や「弁護士」や「コンサルタント」等を目指してください。
=+=+=+=+= 〉今日の教員は、生徒や保護者に口では「先生」と呼ばれつつも、時にはサービス業の店員のように扱われ、サービス業のようにお客様の言う通りにすれば、「もっと先生らしく」と求められる。
この風潮を作ったのはメディアと金八
〉「じゃあ学校の先生たちはいったい何で勝負するんですか?」
本来部活は教員の業務に含まれず、確実に時間外労働となるものを無理やりお願いされているだけに過ぎない。こんなセリフは1日中生徒を見なくて済む責任を負わなくて済むモノの浅い考え。
=+=+=+=+= 生徒が落ち着いていれば 勉強もするようになります 「教師は授業で勝負する」よりも 「教師は生徒指導で勝負する」だと思います 荒れた学校では いくら上手な授業をしても まともな授業になりません 荒れた学校にいた時に 痛感しました
=+=+=+=+= でもね、僕が思い返すと教師は、自分で勝手に、忙しいくしている側面もありました。生徒を学校に縛り付ける為に、休みの日も部活動、朝、もう少しゆっくりしていれば良いのに遅刻した生徒を正座させて、長い時間お説教、朝礼終わったら早く解散すれば良いのに頭髪だの服装の検査。自分たちは、生徒の為に一緒懸命働いてるアピールありましたが、はっきり言って迷惑なだけ。もっと、授業に集中して欲しいかったです。忙しいから、授業準備に時間割けないと言う教師いたけど、本末転倒です。
=+=+=+=+= 根本は教員が楽をする方に流れたからです。 ジャージ、スウェットなど家でダラダラするような格好で登校し、授業をする。 事なかれ主義で、文句を言う親、生徒はなあなあで言うことを聞く。 なにか問題があれば、教育委員会と一緒になって隠蔽する。 授業は手抜き、特に今は映像見てねではい終わり。上手いこと言いくるめて定期テストも無くす。 挙げればキリがないですが。教員になる人はでもしか教師の頃からろくな人材が集まって無いことが問題です。
=+=+=+=+= 若い頃、教師はサ一ビス業と苦笑いしながらベテランに言われて、はあ?と思いましたが、たしかに残業三昧でした。今よりベテランに余裕があり、助けてもらいながら、自身若くて乗り切れましたが、日本は教師がなんでも屋すぎだと思います。 本来家庭でやるべきことまで指導、なんて、若い先生はもちませんよ。だから、本当にすてきな若い方が辞退しちゃうんですよ。だから、質が落ちるんです。当たり前。
=+=+=+=+= なぜ、小中学校が義務教育になっているか、その意味を考えれば教師がサービス業でないことがわかるように思う。サービス業であるならば公立の学校もいらないし義務教育もいらないのでは。
=+=+=+=+= 自治体が運営する学校の教師はサービス業だろう 公務員なんだから 公共サービス 税金を使って質の高い教育を提供する ただし、子供や親はサービスを受ける側であるだけで、お客ではない そして、指導や懲戒もサービスの一環だ 必要な時にそれをしないのは、職務怠慢ということだ
=+=+=+=+= 私立学校の教員の業種は「サービス業」、公立学校は「公務員」です。 昭和の頃の国勢調査には業種欄があり(今はありませんが)、調査票の業種一覧表にはサービス業の欄に私立学校教員と書いてあって愕然とした思い出があります。
=+=+=+=+= 教師は何で勝負するのか。決まっている。授業だ。教材研究を重ね、年代の生徒に分かりやすく伝える。これが本業。この力が無い教員が多すぎる。時間が無いのも確かだが、その気が無い人が殆ど。勉強を教えたければ塾?何を寝言を。子どもの専門家?ただの逃げ口上。勉強しなさい。
=+=+=+=+= 保護者からはっきりサービス業でしょ!と言われました。保育士、学童、教師は全てサービス業で保護者のメリットになるようにサービスを提供するのは当たり前と言ってました。 一部かと思ったらほとんどの保護者がそう思ってのが怖い
=+=+=+=+= 教員の仕事は教える事だけじゃないでしょ。甘えすぎ。 教える以外は「雑用」なんて言う表現を平気でするじゃない。イヤなら辞めたらいい。民間の会社の方がもっともっと厳しいよ。甘いねん、特に公務員の教師は。 だから教員採用は、ちゃんと民間の会社で苦労した人を採用してほしい。 採用条件に「民間企業で10年以上働いた人」というのを入れたらいいのさ。60越えて民間企業引退した人でもええと思うよ。今の60や70はメチャクチャ元気やし、少なくとも常識はあるから。ヘンなエロ事件も起こさへんし。
=+=+=+=+= プライベート時間皆無でサー残で働いたことを美談にしないで頂きたい。 部活はまぁ置いといて…本当に評価されるべきは定時内の時間で楽しい授業を作る力。定時内なんて絶対に無理ですけどね。
=+=+=+=+= 大臣が変わるごとに下知される見通しもない思いつきの制度など糞食らえだ。教員は本業の学習指導に専念するべきだ。登下校の治安が不安なら地域の組織に協力を仰げばいい。教師は何でも屋ではないんだよ。集金などは振込にすればいい。部活動などお守りも不要。やりたい者は校外でやればいい。繰り返して言うが、教師は何でも屋ではない。
=+=+=+=+= サービス業というなら学校業務のサービスの内容をハッキリさせる必要があるのでは。普通一般のサービス業ならそれはサービスの業務外と明確にして断っても文句はでない。
=+=+=+=+= 昭和までの義理人情や権利と義務な責任がはっきりと確立していた時代までは聖職として先生と一つ上の棚に位置してましたが 今は義務や責任は全く脳ミソに存在しないモンスター親子や金輪寺住民からのカスハラ対応に正道を言い返すこともご法度のサービス業。 管理職は上ばかりを見てアレやコレやと足かせを増やすが大事な時に振り向いて助けを求めても逃げていないのが現状。 正に奴隷制度の職場です。
=+=+=+=+= もうこれは、学校が、とか先生が、とかいう枝葉の問題ではなく、この国の公教育そのものが根本的に問われているのだ。戦後80年の教育の結果が、今急激に顕在化してきている。
=+=+=+=+= 授業以外は削れるものは削ること。そう言うと、これは必要、あれも必要などと言い削れない文部省内の官僚たち。何故か?自分達の天下り先がなくなるのだろうなあと思ってしまう。すなわち授業以外はやめることだろう。すると分かるだろう。
=+=+=+=+= >教員が「私たちの仕事を減らせ!」と労働者の権利を主張するのではなく、「私たちにちゃんと仕事をさせろ!」と「子どものプロ」としての義務と責任を追求した方が世論もついてくるだろう。
違うよ。自分が本来すべき仕事をしたいから、無駄な仕事を減らせと言ってるんだよ。逆だよ。逆って結構大きな違いだよ。
=+=+=+=+= 教員はまずは授業 授業ができない教員は生徒から舐められる 友達のように接してくれて楽しいと思ってるうちはダメ それは楽なだけで指導者じゃない 知識と技量で勝負だよ
=+=+=+=+= ヤクザの子供から上級国民の子供まで面倒を見る立場の先生達ってだけで気苦労が計り知れないって容易に想像できます。自分も高校の教員免許状持ってますが、教師にならなくて本当に良かったと思っています。
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