( 235033 ) 2024/12/18 03:41:18 2 00 戦艦+空母=最強? 日本海軍が生んだ「航空戦艦」の顛末とは 艦載機乗りは驚愕の“帰還方法”乗りものニュース 12/17(火) 16:12 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/b4476d2fed30427766fa98f9d09ea8cf2b5da6e8 |
( 235036 ) 2024/12/18 03:41:18 0 00 1943年8月24日、鹿児島県の佐多岬沖にて撮影された「伊勢」。航空戦艦への改装完了直前の様子(画像:アメリカ海軍)。
太平洋戦争の開戦から半年後、1942(昭和17)年6月上旬に起きたミッドウェー海戦は、旧日本海軍が作戦に投入した4隻の正規空母をすべて失い、回復不可能な大打撃を被ったことで、大戦序盤に獲得していた日本側の優勢を終わらせたことでよく知られます。
現在の日本では「日本海軍は大艦巨砲主義であり航空機の役割を軽視した」という主張が散見されます。しかし、この見解は現実とはかけ離れていると言えるでしょう。実際、日本海軍は航空戦の重要性を深く理解しており、戦略面においても航空機の役割を重視していました。実際、不足した洋上航空戦力を補うために、貴重な主戦力であるはずの戦艦「伊勢」「日向」を航空戦艦へ改装する計画に着手するという、一大決心に踏み切ったことからも明らかです。
当初は全通甲板を備えた完全な航空母艦に造り変えるプランもありましたが、早期に戦力化する目的から船体後部の第5・第6の主砲塔のみ撤去し、後ろ側だけに飛行甲板を設ける、即席の空母化改装で終わっています。こうして、戦艦の火力と空母の航空機運用能力を併せ持つハイブリッド艦、伊勢型航空戦艦が誕生しました。
伊勢型の艦載機搭載数は改装前の3機から22機へと増大し、新型の艦上爆撃機「彗星」を搭載することとなりました。「伊勢」「日向」の2艦合わせるとその搭載機数は44機であり、ミッドウェー海戦で失われた空母「赤城」の艦上攻撃機と艦上爆撃機の合計数に匹敵します。ゆえに、空母1隻分の打撃力を期待できるという目論見でした。
旧日本海軍の艦上爆撃機「彗星」(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。
しかし、これは単なる数合わせにしか過ぎません。そもそも、艦の後部にしか飛行甲板がない伊勢型では、「彗星」の発着が不可能です。これは空母としては致命的といえるでしょう。
そこで、伊勢型では「彗星」をレール上の滑走台車の上に置き、台車ごとカタパルトで加速、「彗星」は母艦の針路からやや斜めにずれた前方へ射出、台車を分離し発艦するという大胆なアイディアが試みられました。これなら全機発艦も数分で行え、全通飛行甲板を持つ空母と比べても遜色ないものだったと言います。
ただ、一方で発艦はともかく着艦だけはどうにもなりませんでした。そのため僚艦となる他の空母に着艦するという奇策が用いられることになりました。しかし、これは攻撃隊が何割か損耗して未帰投で終わることを前提にしたもの。空母の艦上機が減っていなければ44機と搭乗員88名は帰る場所を失い、危険な不時着水を余儀なくされることを意味しました。なお、仮に空母へ着艦できたとしても、もし空母の収容機数があぶれそうになったら、逐次海上に機体を捨てる必要があったでしょう。
かくしてカタパルト発進型「彗星」は制式化され、「彗星二一型」ないし「彗星二二型」という名称も与えられました。しかし、さすがに作戦遂行の都度、貴重な艦上爆撃機を使い捨てにするという運用は無駄が多すぎること、また「彗星」の需要が非常に大きかったことから、「伊勢」「日向」への「彗星」搭載は後回しにされ続けます。
1944年のレイテ沖海戦でアメリカ空母艦載機が撮影した「伊勢」(画像:アメリカ海軍)。
両艦に艦載機を運用する部隊として第六三四海軍航空隊が新編されたのは、大戦後半の1944(昭和19)年5月のこと。なお、「彗星」だけでなく急降下爆撃が可能な水上機「瑞雲」も搭載されました。また、僚艦の空母として「隼鷹」「龍鳳」が加わり、全機連続射出訓練が行われるなど、1944年秋にはいよいよ実戦の時を迎えることになります。
ところが1944年10月、基地航空隊を総動員しての一大航空決戦である台湾沖航空戦が始まると、第六三四航空隊はその戦力に組み込まれ、陸上の飛行場を拠点に活動する基地航空隊として奮戦することになりました。結果、二度と「伊勢」「日向」に搭載されることはなくなりました。
その後、「伊勢」「日向」は艦載機を搭載せずにフィリピンへ出撃。レイテ沖海戦の激戦をくぐり抜けてなんとか日本へと戻ることに成功します。
沈没を免れた両艦は、広島県の呉に停泊していましたが、終戦間際の空襲で共に大破着底します。結局「伊勢」「日向」から44機の艦上爆撃機が発進し、ほかの空母の艦載機などとともに航空戦を行うという当初の目的は、一度も実施する機会に恵まれることなく終わりました。
ちなみに、艦上爆撃機「彗星」は旧日本海軍の艦上機としては「零戦(零式艦上戦闘機)」に次ぐ2000機以上もの生産数を誇ります。そのような機種のなかで、「伊勢」「日向」搭載用のカタパルト発進型「彗星二一型」「彗星二二型」は、「彗星」ファミリーにおける特異なサブタイプとして位置づけられています。
関 賢太郎(航空軍事評論家)
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( 235037 ) 2024/12/18 03:41:18 0 00 =+=+=+=+=
伊勢、日向がレイテ沖海戦で見事にアメリカ艦載機の攻撃を避け切ったのは噴進砲と、艦長の考え出した対空操艦法にあったようです。 急降下爆撃のタイミングをずらすため速度を調整して急旋回、そして奮進砲で爆撃隊の一番機をひるませる戦法で避けきったようです。 あの猛爆撃の中を見事な操艦で、アメリカの提督にも熟練の乗組員、指揮官による見事な回避方法で回避されたと回顧録にあります。実際は乗組員はかなり入れ替わり、熟練とまでは言えなかったようですが。 惜しむのはやはり航空戦略としてはもはや機能しなくなっていた事でしょうか。 日本海軍はパイロットを損耗しすぎました。機体にも、作戦にも、精神論的にも全てにおいて人命軽視があり、結果熟練パイロットは大戦中期には失われていましたから。 レイテの時にはパイロットの数が足りないまでなってしまい、伊勢、日向は搭載することが叶わなかったのは悲しい日本の限界露呈ですね。
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伊勢型が航空戦艦の改装に選ばれたのは日向の5番主砲塔が演習時の爆発事故で損傷しており修理するくらいならという事情がありました 日向はミッドウェー海戦に5番砲塔が使えない状態で参加しています なおこの事故の際たまたまニュース用の映像を撮影しておりYoutubeでその状況を観ることができます
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機体を投棄したり付近の飛行場や僚艦に代替着陸(着艦)させるという方法は決して珍しいやり方ではありません。例えば潜水艦に搭載される零式小型水偵などは無理に収容していたら長時間浮上していなければならず潜水艦自体が危機に晒されるので機体を捨てて乗員だけ収容することが想定されていました。潜特型に搭載される予定だった晴嵐や速吸に搭載される予定だった流星も同様です。海外でも英国のCAMシップやMACシップで同様の航空機運用が行われていましたので収容を考慮しない艦載機運用は世界で広く行われていた方法です。
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航空巡洋艦は他国にも多くの例がありますが、航空戦艦があったのは日本海軍だけだったので、「どっちつかずのダメな艦」などとボロカスな評価も少なくありませんでした。
アメリカ海軍も航空戦艦を考えたことがあり、 フランス戦艦ジャン・バールをアメリカで修理する際、航空戦艦化が案のひとつとして挙がりました(結局はリシュリューの部品取りになった)。
また、1980年代にアイオワ級戦艦が現役復帰する際、迎撃強襲艦という改装案があり、後部主砲塔を撤去して格納庫と飛行甲板を設置し、ヘリやAV-8Bハリアーを搭載し強襲揚陸艦の機能を持たせるという計画でした。 現実にはトマホーク搭載戦艦となったのは周知のとおり。
ドイツ海軍も1942年のZプランで、7万トン・28cm砲6門の航空戦艦?を計画しています。
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本当ならば大改装を行い空母にすればよかったのだが、資材、人員、時間、技術の全てに余裕が無かったため、航空戦艦なる中途半端な艦を生み出してしまった。 配備されたらされたで搭載する飛行機を揃えられず、 レイテ沖海戦では対空砲を飛行甲板に並べ出撃することになる。 この飛行甲板が対空砲陣地と化したのが幸いしたのか、攻撃を躊躇するほどの猛烈な対空射撃が米海軍機から報告されている。
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伊勢と日向が一番活躍したのは、 終戦間際のシンガポールからの輸送作戦だと思います。 米軍の潜水艦攻撃により南方からの資源輸送を絶たれた日本は、石油などの天然資源が枯渇しつつありました。 そこで、伊勢と日向をシンガポールに派遣して、航空機を搭載する格納庫に、石油などの天然資源を搭載して持ち帰る作戦。 結果は、大成功。 輸送船一隻分ほどの量ですが、当時の日本にとっては貴重な天然資源でした。
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確かに航空戦艦という発想は斬新でしたが切羽詰まった戦況と時間のなさがそれを許してくれませんでした。しかし、そのハンデを差し引いても伊勢・日向の2隻はレイテ海戦で見事、栗田艦隊の囮役を果たしたばかりでなく、当艦隊の主力である空母〈瑞鶴〉が撃沈された中で、航空機の代わりに搭載された噴進砲という今で言う〈多連装ロケット〉で敵機を多数撃墜して帰還した上にB29等の本土空襲で大破着低したものの、結果的には長門・榛名とともに〈終戦まで生き永らえた戦艦〉の仲間入りをしました。終戦時に生き永らえたのはこの伊勢・日向と金剛型の榛名と長門型の長門だけ。彼等はあの大和・武蔵亡き後も立派に本土防衛の任務を全うしたばかりでなく、戦後も解体されたり水爆実験の標的にされるまでの間、戦災者の仮住居としても機能していて、戦後の日本に僅かながらも貢献を果たせたのは日本人として誇っても良いと思います。
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航空戦艦は対空噴進砲を搭載していたので生き残ったとどこかで読みました。 どこまで効果があったのかは分かりませんが、多くの航空機と空母を失った結果、駆逐艦から戦艦まで対空攻撃能力を強化しており、航空戦艦は特に対空攻撃が通常の戦艦より強力だったと。
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伊勢型が完全な全通飛行甲板を持たぬ「航空戦艦」改装を受けたのは、当時の日本における大型艦建造能力の限界も影響している。大和型戦艦・翔鶴型空母各2隻を含むマル3計画が概成した後、日本海軍は更なる艦艇建造を企図しマル4計画・マル5計画等を立ち上げたのだが、この段階で大型艦を建造可能な設備が不足したばかりか、工員も資材も足りない事態に陥った。辛うじて空母は『大鳳』を繰り上げ竣工にこぎつけたものの、雲龍型は建造準備に手間取り、ボイラーやタービンについては代用品を充当せねばならぬほどだった。 そこへミッドウェー海戦にて空母4隻を喪失…という悲報が入り、急ぎその戦力的空白を埋めねばならなくなったのだから、もう大変。1年以内でやれそうな案を考えたら、伊勢型戦艦の5・6番砲塔撤去案が最も現実味があった、というわけだ。
▲2 ▼0
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兵器というものは性能がいいのはもちろんだけれど、それよりも頑丈で整備が容易で大量生産できるものがいい。あと汎用性。 航空戦艦を一隻や2隻作っても戦況が変わるはずもなく何のためにやっているんだか。やむにやまれぬ状況で迷走しているとしか思えない。 特型潜水艦もそうだと思う。攻撃機が3機で何か戦況が変わるか? そんな資材があるなら他に回した方がいい。
▲1 ▼5
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改装前は強力な兵装と扶桑型より強力な防御力で砲撃戦でもかなり期待された艦でしたが、改装後の姿は米軍からは両棲類と揶揄されていたようですね。しかし改装後も北号作戦とかそれなりに活躍出来た艦だと思う。
▲34 ▼4
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この方式は現在の艦艇でも例え小型艇でも無人の水上艇型のドローンなら 偵察や観測にも利用出来るんじゃないですかね。 これは相手にも言えるのでこれからは遠距離の漁船から自爆ドローンが 飛んでくるという可能性もあるかもしれないね
▲5 ▼6
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伊勢型の記事は何度も見ましたが今回は航空軍事評論家の執筆ですね。 先日の信濃の記事は大半が4か月前の記事のコピーでした。 ただ、書かれている内容は一般的に言われている事ですね。 どうしても22機って書かれますが実際の運用は18機、艦爆2中隊。これはマリアナ沖海戦で翔鶴型から発艦した数と同じ。 隼鷹型が彗星の運用に不向きな為、隼鷹型2隻との運用を想定していたと見るのが妥当だと思います。 どうしても彗星の着艦の事を問題視したがるのですが、実際は発艦したフネに必ずしも戻る訳ではない。降りられる飛行甲板を見つけて降りるのが実戦というもの。 むしろ問題は瑞雲の方で戦艦時代のクレーン1基、しかも飛行甲板上。洋上回収は難しそう。 戦時日誌の6月末(摘要)で彗星の記載は6機。最終的に何機揃ったのか分かりませんが芳しくないですね。 他の方の指摘もありますが毎度載せる写真の伊勢は鹿児島でなく伊予灘の筈です。
▲0 ▼0
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残存空母も最後は囮として使い潰されていきます。 航空戦艦も結局のところ、航空兵力を期待しての実戦には投入されず、無用の長物として終わってしまいましたね・・・ 真珠湾攻撃から約半年、ミッドウェー海戦で敗北するまでが日本海軍の『華』でした。 航空兵力の力を真珠湾攻撃やマレー沖海戦で証明したものの、一騎当千の熟練パイロットに頼った戦果であり、パイロット、機体共に消耗戦、長期戦に耐えられるだけの余力が無いままアメリカとの戦争に踏み切ったのが全ての間違いだったと思います。 正直、ミッドウェー海戦で敗北した時点で短期決戦は幻に終わり、『真珠湾攻撃は卑劣な奇襲攻撃』として、アメリカ政府のプロパガンダに利用された以上、日本に勝ち目は無かったでしょう。 尚、絶対国防圏が破綻して直ぐに日本が無条件降伏に動いていれば、失われずに済んだ命がどれだけあったのかと思わずにはいられません・・・
▲12 ▼3
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苦し紛れだけど、浪漫はある。でも現実は辛い。そんな感じですね。ツッコミどころ満載ではあるけど強行しちゃうのが相当追い込まれてたってことなんでしょうね。艦隊決戦への一縷の望みみたいなのも含まれてたりするんでしょうか。何しろ実際にやってみたらどうだったかってのはとても興味があるし、やってみて欲しかった。
▲46 ▼13
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日本は最後まで火薬で射出するカタパルトでしたね。搭乗員はカタパルト発進する時に危険手当で六円ついたそうです。それをもじって「ポンロク」ポン〜と出て六円だからだそうです。三途に川の渡し賃だって言う人もいたそうです。
作戦がカタパルトで艦載機発進させて陸上基地に帰投させる。とか水上機を出すとか色々と迷走してたと思います。
IFはいけませんが、米軍みたいに油圧式のカタパルトがあれば米軍の様に小型タンカーに飛行甲板つけて射出も出来たかもね知れないし、既存の空母に装備して訓練も出来たでしょうね。
▲14 ▼3
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搭載機は後回しにされたのではなく、 彗星12型から搭載するエンジン、熱田32型の生産が進まなかったから
1943年後半から熱田21型から32型へと切り替えが行われるが、 発動機加熱で検査合格せず、首なし機体が並んで発動機待ちになる だから機動部隊も配備と補充が進んでいない 急遽また21型の生産継続となるけど、この空白期間に伊勢日向の搭載機調達が入ってしまってた
この状況で搭載機の半数を瑞雲へと変更するけど、 こちらも同じく発動機加熱で検査合格せず配備待ちになる
どちらも開戦後に新工場で量産開始したけど工員の質が落ちてて必要精度が出せて無かった事が原因だ 工場側は工員の質に寄らず複合工作機を製作使用して問題を回避しようと色々やってはいるんだが、すべては遅きに失し終戦となる
▲19 ▼3
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ガキの頃に伊勢(だったか?)のプラモデルを作りながら「カッコイイ!」と思った事を思い出しました。戦艦+空母=最強と思ったもんです。 知るにつれて中途半端で特に空母としては使い勝手が極めて悪い事を知りガッカリしたもんです。 こんな物を企画だけでなく本当に作ってしまうあたりミッドウェーでの4空母喪失は帝国海軍にとって理性が飛ぶ程に衝撃的だったんですね。 後知恵満載ですが伊勢・日向を空母改造(ついでに信濃も)する資材で戦闘機を作った方が良かったのでは?とは思いますが搭乗員が居ないよね。。。とも思ってしまい残念な気分になります。
▲46 ▼7
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空母化は最低限とした伊勢と日向。しかしそれでもマリアナ沖海戦にはまにあわず。搭載する予定だった飛行隊も他に転用され無用となった飛行甲板に対空火器を並べてレイテ沖海戦に参加。これが意外な効果を発揮し小澤艦隊の空母は全滅するも伊勢と日向はほぼ無傷で帰還しています。その後は格納庫スペースに貨物を積載し輸送任務に従事。最後は燃料欠乏の為に係留されていた呉軍港内で攻撃を受け大破着底し敗戦を迎えています。
▲34 ▼5
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母方の祖父が日向に乗っていたと子供の頃に聞きました。他には鈴谷と鬼怒。 いつの頃の日向かは分かりませんが軍歴を調べる手段があるとか聞いたけどなかなか手が付けられずに30年経ちます。 来年は調べて見ようかと思います。
▲26 ▼2
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既に退役した米国のアイオワ級戦艦4隻(アイオワ、ニュージャージー、ミズーリ、ウィスコンシン)において、1980年代の近代化改装の際には航空戦艦化する構想もありました。
これは艦後部の三番砲塔を撤去して増設した飛行甲板でのハリアーの運用も想定していたようですが、残念ながら(?)実現はしませんでした。
▲13 ▼1
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本題とはズレますが、筆者も苦言を呈している > 日本海軍は大艦巨砲主義であり(略) がなぜまかり通るのか謎 むしろ、航空攻撃の効果を熱心に研究してたからこそタラント空襲の戦訓を即座に取り入れ、真珠湾攻撃とマレー沖海戦の戦果に繋がったわけで
もちろん、当時の日本海軍に根強い大艦巨砲主義が存在したことは確かですが、そんなこと言ったら戦中に合計6隻の戦艦を就役させたアメリカ軍や、戦後に戦艦を就役させた英仏はどうなるんでしょうね
単に結果論、しかもその中から都合のいい要素だけ抜き出して賢しらに論じようとする向きには正直辟易します
▲0 ▼0
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確か最上という航空巡洋艦もあつた。艦爆というより水上偵察機搭載かな。伊勢型はアニメのヤマトの地球空母のモデルになっている、発艦するのもコスモタイガーの雷撃仕様だった。アニメでは活躍している。ヤマト2ご覧あれ
▲1 ▼1
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『ミッドウェー海戦は、旧日本海軍が作戦に投入した4隻の正規空母をすべて失い、回復不可能な大打撃を被ったことで』 真珠湾作戦の帰途に97艦攻を哨戒に出しましたが全機未帰還でした、ミッドウェーでは索敵の不十分が指摘されますが、パイロットの間では『哨戒に出されると帰還出来ない』ことが知られていたのでしょう。合掌。
▲0 ▼2
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航空戦艦も航空巡洋艦もいいとこどりのようでどっちつかずの存在だったかと。 それには技術が追い付かなかったのでしょうね。
ただ後に巡洋艦や駆逐艦、護衛艦にヘリを搭載するようになるのですから発想は間違ってはいなかったと。
▲8 ▼3
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「日本海軍は大艦巨砲主義であり航空機の役割を軽視した」という主張が散見されます。しかし、この見解は現実とはかけ離れていると言えるでしょう。
ここまでの下りで素人が書いてるんだろうなぁとしか思えない。 旧式戦艦を空母に改造する話になったのはミッドウェイで主力4隻を失ったからで、本当に航空機の役割を重視してるなら開戦前にやっていないといけない。 記事にも書かれている通り、飛行甲板を全通に出来なかったのは工数を減らす為であり、それでも空母としては間に合わなかった。 慌てて泥縄式に改造した挙げ句、主砲が減っただけの無駄骨になったのは先を正しく見通せなかったからで、大艦巨砲主義が強かった証です。
▲5 ▼12
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こういう艦を本当に成り立たせるとしたら WWⅡ時代にはまだ無かったアングルドデッキを使った ソ連時代のキエフ級みたいなスタイルでの造りで カタパルトかスキージャンプくらいしか思いつかない
▲5 ▼5
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変わり種兵器好きとしてはヨダレダラダラしてしまう航空戦艦「日向」「伊勢」 高性能艦上爆撃機「彗星」を満載して出撃する勇姿を夢想してしまいますが、記事のごとくそんな機数は無く、あったとしてもそもそもが超無駄で非現実的な運用思想 めでたく全機帰還しても耐えられるように着艦用の空母に空きをつくっておけばいいというなら、最初から空母だけで運用したほうが使い勝手がいいという悲しさ 艦載機のアテが絶望的になってから後部甲板に対空機関砲をいっぱい設置したようですが、この「対」航空戦艦としての姿のほうが運用上マシだったという意見もあるようです
しかしなんで良く考えずに現実に造っちゃったかなあ 格好は良いんだけどなあ
「海鳥」よろしく垂直離着陸オートジャイロでも発明、実用化されていれば、ちょっとはいい方向に向かったのかも知れません(んな無茶な)
▲7 ▼2
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>日本海軍は航空戦の重要性を深く理解しており…一大決心に踏み切ったことからも明らか 逆だろう。理解していないからドロ縄で足掻かなければならなかった。 爆装彗星の射出は代表的な呉式二号射出機では不可能。 完成在庫となっていた大型射出機があってこその発案。 大和級他に搭載予定で開発、間に合わなかったものの流用で5本〈3本との説もある)が保管されていた。 ただ、あくまで艦載機用で爆装彗星の運用方法は固まっていない。 下駄履きの瑞雲の共用なら尚更。 彗星は搭載予定で生産したものの目途が立たず転用されたにではないか。 どちらにしても射出機があったばかりに資源と労力、時間を無駄にした。 空母化信濃、潜水空母伊400級、そして航空戦艦は悪足掻きでしかなかった
▲4 ▼5
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乗り物ニュースさんは本当に伊勢型が好きですね。 伊勢型の航空戦艦改装後の兵装について、搭載する航空爆弾が「500キロ爆弾44発、250キロ爆弾22発で3出撃分」という記録があるけど、50番積めるのは彗星だけで記事の通り彗星は1回出撃したら再出撃不可。どう考えても50番は44発いらないと思うのだが・・・。 それはともかく、前回の伊勢型の記事でも書いたけど写真のキャプション、 「鹿児島県の佐多岬沖」じゃなくて「愛媛県の佐田岬沖」じゃないの? 呉で工事した艦艇の公試は伊予灘や宿毛湾沖でやるもので鹿児島沖なんて聞いたことない。
▲2 ▼0
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第六三四航空隊の彗星は1944年10月にフィリピンに進出、地上基地から活動しており、CVL-23 プリンストンを仕留めた彗星は、所属部隊不明ながら、この部隊の所属機の可能性があったのではなかったかと…。
▲2 ▼0
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射出するだけで着艦はできないので空母との連携が不可避 wowsなどではこの伊勢の他にも架空の航空戦艦が多数登場してる 筑摩IIみたいな航空巡洋やHALFORDのような駆逐艦からも射出という とんでも仕様まであるけどw
▲0 ▼1
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旧ソ連がこれによく似たものを作ったな キエフ級空母といってさ。 巡洋艦に飛行甲板を付けた異様な艦艇だった。 旧海軍の伊勢は、切迫する戦況の中で、空母建造や改修の時間も十分にないから 苦肉の策であんなのが出来たのだがな ソ連のキエフ級は何かわからん
▲3 ▼0
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万が一砲撃戦になった場合、装甲の薄い空母部分に着弾したら航空燃料や爆弾が誘爆してミッドウェーの再現みたいになると思うのだが、その辺はどう考えてたのかな?海中投棄するにしてもそんな時間的余裕あるのか?
▲3 ▼4
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何で攻撃機を載せるのかな?爆弾搭載するから当然離着艦は大変なはず。防衛用の戦闘機を載せる発想は無かったのかな?着陸は無理でも離陸は彗星よりはマシだろ。攻撃は戦艦の役目、戦艦の防衛に戦闘機。
▲9 ▼17
=+=+=+=+=
伊勢型の22機搭載というのは積むだけならいけるかもしれないけども実際運用出来たかどうかは諸説ありますね 米軍分析だとカタパルトに2機、飛行機甲板に3機、格納庫に8機の計13機だそうで
▲0 ▼1
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沈み行く国で沈む事も許されず断末魔の姿のまま刃折れ矢尽き屍をさらしたまま終戦を迎えた2隻の航空戦艦、終の場の近くを通る度に悲しさと空しさを感じる。
▲1 ▼0
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制空権がある程度あればなぁ・・・・対潜哨戒の旗艦として活躍できそうだったのにね。 潜水艦を叩いて輸送船団のシーレーンが確保できれば。
▲0 ▼0
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艦のサイズに対する飛行甲板の広さの比率
後にヘリ搭載巡視船が 伊勢・日向の縮小コピーみたいな姿で 登場したね。 (海自のヘリ搭載護衛艦は水上機搭載の軽巡洋艦に近い姿)
▲13 ▼1
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レイテ沖海戦で、全空母を失ったあと集中攻撃を受けたものの、その全てを回避した伊勢の奮闘ぶりも記載して欲しかったな。
▲5 ▼0
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艦これアーケードをプレイしてるんですが、伊勢型航空戦艦(ゲームでは伊勢改二)は、反則級の性能と活躍を見せてくれます。
▲14 ▼1
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ロマンはあるけど、戦艦としても空母としても中途半端 似たようなのではモスクワ級やキエフ級は対潜航空艦としちゃ、まぁ分かるんだがな
▲3 ▼2
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個人的に、旧ソ連海軍の大型ヘリコプター巡洋艦・モスクワ級の艦容を写真で見た際には、まるで伊勢型航空戦艦の再来かと思ったものです。
▲1 ▼0
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ドローン搭載の航空戦艦かな。戦艦砲はレールガンに置き換えないと無理だなー 大型対艦ミサイル搭載のモスクワは欠陥だったからなー
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潜水空母伊400よりマシか? どちらにせよ中途半端はダメの見本に終わった。もぅこんな発想出たところで帝国海軍はオワリ。生還した人は運が良かった。
▲0 ▼3
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砲塔用の大型薬莢も積んで航空燃料のガソリンと爆弾魚雷も大量に積んでと爆弾が海に浮かんでるようなもの やっぱり非現実的すぎ
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古本屋で乗組員だけiに配布されたの「軍艦 伊勢」上下巻があったため、思わず買ってしまった。 遺族が整理されたのだろう。
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思えば、宇宙戦艦ヤマトも航空戦艦だよね。一体、あれだけの数の戦闘機を、艦内のどこに格納してるのか、子供心に疑問だったっけ。
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近代ならヘリコプター母艦,これからならドローン母艦として使えそう,ただ路駐があると3番4番主砲は撃てなそう
▲3 ▼2
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無茶な設計 しかし今なら可、垂直発着可能な戦闘機やオスプレイなら運用可能 少しいや大分早すぎた
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空母の戦闘力を爆上げした、ガミラス帝国の戦闘空母が最強かもです。
▲1 ▼0
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靖国神社の遊就館に 当時の本物の彗星爆撃機が あるので迫力がありますよ!
▲2 ▼0
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下駄ばきの水戦なりだったら クレーンで回収する事もできたでしょうけどね。
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こんな古い戦艦に飛行機の搭乗員と整備員を乗せるスペースが有ったのか?
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戦艦に積んでいたのは火薬式カタパルトでしたね。
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こんだけの改装をしてよくもバランスを崩さないもんだな
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ごめん 記事の内容というか この記事の書き方にイラッとする
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完成当初から、 「♪窓際戦艦、ヤーマートーー」
▲0 ▼6
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魔改造?!
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