( 235274 ) 2024/12/18 17:50:04 1 00 兵庫県知事選やテレビ番組を巡って、オールドメディア(新聞やテレビ)について注目が集まっている。 |
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11月17日投開票の兵庫県知事選で、パワハラ疑惑などをめぐり知事不信任決議を議決された斎藤元彦氏が返り咲きを果たした。序盤の劣勢を挽回した斎藤氏には「SNSの拡散で追い風が吹いた」「新聞・テレビというオールドメディアの報道に有権者が嫌気をさした」といった分析がなされている。そんな中で、11月30日にTBSで放送された「報道特集」が物議を醸している。司会の村瀬健介キャスターは、知事の疑惑を告発した後に亡くなった元県民局長に対する公益通報者保護について、斎藤知事から「人ごとのような回答しかありませんでした」と強く批判。「本当に恐ろしいことが起きている」とも述べた。しかしこの報道は本当にフェアなのか。そんな中で今度はフジテレビはPR会社社長宅に突撃取材し批判されている。一体なぜこんなことが起きているのか。経済学者の竹中平蔵氏が解説する。「果たしてそんなテレビ局が公共物である電波を渡すにふさわしいのでしょうか。電波の数は減らせる」。竹中氏が疑問に感じる理由とはーー。
兵庫県知事選などを巡り今、「オールドメディア」という言葉に注目が集まっています。オールドメディアという言葉自体は新聞やテレビなどを指す言葉として使われているようです。とくに最近では兵庫県知事選を扱ったTBSの報道特集に関して「偏っている」とSNSで話題になったり、フジテレビは話題となったPR会社社長宅に突撃取材を試みたことに視聴者から疑問があがったりしています。たしかに私も普段から「報道特集」は全然報道やってないように感じますし、フジテレビの自宅突撃取材は「本当に必要だったのか」と疑問に思うところがあります。
ただ「オールドメディア」という言葉自体には違和感を覚えます。本来「メディア」と「ジャーナリズム」というものは分けて考えなければなりません。実は通信と放送とはもともと別のものでした。放送は1対n(不特定多数)ですが、かつて通信(電話などは)1対1のものでした。だから通信には秘匿性が求められ、一方で放送には公共性が求められています。有限の電波を各テレビ局に割り当てている裏にはジャーナリズムの役割があるのです。
メディアというのは本来であれば通信です。ただ通信には公共性は必要ないです。私が電話で何を喋ろうとそこに公共性は必要ありません。今は通信も1対nになっていますが、インターネットメディアなどが「いいね」を獲得するために大谷翔平選手の愛犬の写真を紹介したとしても、それも問題はありません。
一方で先述の通り有限の電波を割り当てられている以上ジャーナリズム精神と公共性を本来は失ってはいけません。ジャーナリズム精神というのは権力にも媚びないし、大衆にも媚びないことです。ところが今のメディアではそれこそ面白おかしく誰かを「ターゲット」に設定しては、「あいつは悪いヤツだ」と視聴者を煽っています。
本来大衆から独立していかなきゃいけないジャーナリズムを背負ったテレビが、大衆にすり寄っているのが現状です。昨今問題になっているようなテレビの報道姿勢は「いいね」をとりにいったテレビのなれの果てのように思えます。ジャーナリズムに「いいね」は必要ないのです。それは大衆に媚びているということですから。
今テレビは自らの役割を放棄しているのです。ただ「いいね」の数でいえば、テレビよりもSNSの方が多いでしょう。だから人々はテレビから離れていくのです。つまりテレビは自分で自分の首を絞めています。YouTubeと同じことしていたらYouTubeには勝てません。
テレビに必要なのは「独立」です。大衆からも権力からも距離を置く必要があります。昨今は明らかに大衆よりですが、一方でフェアに権力を監視しているかといえばそれも疑問を抱きます。テレビ局は総務省から電波を分け与えられている「利権団体」でもあるわけですから。政府にも大衆にも両方に媚びているように感じます。
それではアメリカだとどうでしょう。アメリカは日本の放送局に比べてもはっきりと政治スタンスを表明します。例えばFOXは共和党を支持していますし、それ以外は民主党を支持しています。これはある意味独立しているからできることです。政府、大衆と関係なく自分たちの判断、意見を言うことができている証であります。
ではなぜ日本のテレビは悲惨な状況に陥ってしまったのか。一つの問題としてあげられるのはメディアのクロスオーナーシップです。日本の民放キー局は基本的に新聞社の子会社です。つまりテレビは新聞と競争関係にありません。これはアメリカとの大きな違いです。
だからこそ起きたのがジャニーズ問題です。テレビ局と芸能事務所の癒着により、長年知っておきながら知らないふりをした性加害問題を、新聞も報じてこなかった。もし新聞にテレビとの利害関係がなければ大問題として扱う話でしょう。やはりテレビのジャーナリズムは崩壊しているのです。
そもそも電波を新聞社に割り当てたのは田中角栄です。これは誰かよくわからない人に公共電波を任すよりもすでにある程度実績と信頼がある新聞社にジャーナリズムを担わせることに安心感があったからだという意見もありますが、やっぱりある程度新聞社を手名付けるために電波を割り当てたのではないかと思っています。そう考えると日本のテレビ局はそのスタート時点からして癒着から始まっています。
クロスオーナーシップの問題点はもう一つあります。それは経営者の理解不足です。私の総務大臣時代(2005年~2006年)のことです。これからは放送と通信の融合の時代だと考え、キー局の社長全員と1対1で会いました。しかし、会ってみてわかったのは、放送と通信の融合についてちゃんと理解できている人は、ある一人の社長を除いて誰もいませんでした。キー局の社長とは新聞社出身の方が務めるものだったのですね。当然放送に対する理解度も十分ではないのです。
当時このままではテレビ局の経営は悪くなると感じましたが、まさしくその通りになりました。地方局では統廃合が進んでいますし、キー局も若手社員が多く離職しています。
この状況を打開するためには、放送法は改正するべきだとも思っています。テレビ局の電波に対する独占意識は是正する必要がるのではないでしょうか。アメリカや韓国など諸外国では、電波を公共物ととらえ、テレビ局の自社制作番組だけで構成するのではなく、放送事業者ではないものがつくったコンテンツを、一定量流すことを法律で定めていました。アメリカではフィンシン・ルールといいます。これによってコンテンツ産業の成長を促すこともできます。私は日本版フィンシン・ルールの導入もテレビ各局に提案しましたが、それも拒否されました。自分たち以外のコンテンツ産業を排除したのです。そしてNHKは今も海外ドラマや野球中継を、公共電波を使って放送しています。日本のテレビ局には公共意識は米韓と比べると低いと言わざるをえません。
果たしてそんなテレビ局が公共物である電波を渡すにふさわしいのでしょうか。彼らの特権となってしまっている電波ですが、もし電波のオークションをすればもっといいコンテンツを出せる会社が入ってくるかもしれません。そして、こんな高い電波払えないと撤退するところも出てくるでしょう。
技術が高まって圧縮できるようにもなったので、空いた部分を通信に割り当てる、といったこともできます。
最終的にそれを決める判断は総務省にあります。国が決断すればできるのです。「技術的にこんなに電波いらないでしょ」と冷静に、今の国民のニーズにあった電波の利用方法を実施してほしく思います。
またNHKの規模縮小は必要です。先述の通りプロ野球中継をするのであれば、もっと電波の数を減らしていいはずです。そして民法も独立性がなく、どこも安上り同じような番組ばかり放送している現状からしてこんなにたくさん必要ないのではないでしょうか。
竹中 平蔵
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