( 235718 )  2024/12/19 14:33:54  
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渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆が死去、98歳

読売新聞オンライン 12/19(木) 9:39 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/1bc6028bcbccebefd9081200350e7b7302740c20

 

( 235719 )  2024/12/19 14:33:54  
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読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が98歳で肺炎のため亡くなった。

渡辺氏は長年読売新聞社に携わり、新聞業界の発展や報道文化の向上に貢献し、数々の栄誉を受けた。

彼は中庸で現実的な自由主義的保守路線を確立し、憲法改正試案を発表するなど、新たな境地を開いた。

また、日本新聞協会会長や読売巨人軍オーナーとしても活躍し、政界や社会文化に大きな影響力を持っていた。

(要約)

( 235721 )  2024/12/19 14:33:54  
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渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆 

 

 読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)氏が19日午前2時、肺炎のため、都内の病院で死去した。98歳。葬儀は近親者のみで営まれる。喪主は長男、睦(むつみ)氏。後日、お別れの会が開かれる予定。 

 

 渡辺氏は11月末まで定期的に出社し、役員会や社論会議に出席して大所高所から本社の経営や社論を総覧していた。今月に入って体調を崩し、病院で治療を受けていたが、亡くなる数日前にも社説の原稿に目を通して点検するなど、最後まで主筆として執務を続けた。 

 

 渡辺氏は東京都出身。東京大学を卒業後、1950年、読売新聞社に入社し、ワシントン支局長、編集局総務兼政治部長、専務取締役主筆兼論説委員長などを経て、91年に代表取締役社長・主筆に就任した。2002年の持ち株会社制移行に伴い、グループ本社代表取締役社長・主筆を2年近く務めた。その後、同会長・主筆を経て、16年から現職にあった。 

 

 全国紙としての基礎を確立し、発行部数を日本一、世界一に押し上げて「販売の神様」と称された故・務台光雄名誉会長の下で経営を学んだ。渡辺氏の社長在任中、読売新聞の発行部数は1994年、初めて1000万部を突破した。2001年1月には、1031万91部の最高部数も達成している。 

 

 渡辺氏は、読売新聞の論調として、中庸で現実的な視点に立った自由主義的保守路線を確立し、数々の「提言報道」で、言論機関としての新たな境地を開いた。特に1994年には「憲法改正試案」を発表し、自衛力保持や環境権の新設、憲法裁判所創設などを明記し、それまでタブー視されていた憲法論議に大きな一石を投じた。 

 

 99年から2期4年間、日本新聞協会会長を務め、活字文化の振興や、戸別配達維持による健全な販売競争の実現に尽力した。2000年には、54年ぶりに新たな「新聞倫理綱領」を制定。「人権の尊重」を新たに項目に立てるなど、すべての新聞人が守るべき基本精神をうたい、報道界の倫理水準向上に貢献した。また同年、読売新聞の報道・言論活動の方向性を定めた新しい「読売信条」で、世界の平和と繁栄に貢献する「国際主義」などを打ち出した。 

 

 

 1996年から約8年間、読売巨人軍オーナーを務めた。大相撲の横綱審議委員会委員長や、政府の財政制度審議会委員、有識者会議「情報保全諮問会議」座長などを歴任した。96年から98年までは政府の行政改革会議の委員として、当時の1府21省庁を1府12省庁に再編する報告書のとりまとめに尽力した。 

 

 中曽根康弘氏、安倍晋三氏、岸田文雄氏ら歴代首相と親交が深く、政界はもとより各方面に強い影響力を持っていた。 

 

 2007年には、言論・新聞事業を通じて社会文化に顕著な功績のあった新聞人に贈られる新聞文化賞を受賞。08年の秋の叙勲では、「多年にわたり新聞事業に携わり、業界の発展に尽力するとともに、報道文化の発展に貢献した」などとして、旭日大綬章を受章した。 

 

 また、1996年には、フランス政府から芸術文化勲章最高位の「コマンドゥール」を授与され、2007年には、第54回カンヌ国際広告祭の「メディアパーソン・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれた。 

 

 晩年にはNHKの長時間インタビューに応じ、内容は20年から21年にかけて、「昭和編」「戦争と政治」「平成編」と3回にわたって放送され、大きな反響を呼んだ。今年5月には若き日に執筆した「派閥と多党化時代」が復刊された。 

 

 

( 235720 )  2024/12/19 14:33:54  
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ナベツネ氏の訃報を受けて、様々な意見が寄せられました。

彼の長いキャリアと複雑な人物像が、多くの人々に様々な印象を与えています。

 

 

一部では彼のバイタリティや影響力を称賛し、新しい時代への移行を期待する声もありました。

一方で、球界再編における彼の言動や姿勢に対して批判する声もあります。

彼の権力や影響力が日本の社会やスポーツ界に与えた影響について、賛否両論の意見が寄せられました。

 

 

彼の長い歴史と複雑な人格は、様々な角度から捉えられ、今後もその功罪が議論されることでしょう。

 

 

(まとめ)

( 235722 )  2024/12/19 14:33:54  
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=+=+=+=+= 

 

98歳でまだ先月まで出社されていたんだねぇ・・・ 

 

凄いバイタリティ、っていうか。 

本当にパワーがあった人だったんだろうね。 

 

まぁでもこれで区切りがついたのでは。 

野球界においてもいろいろな意味で影響力が大きかったからね。 

でも、もう新しい時代に向けて進んでいかなければならないから。 

恐らくはその為の障壁になっていたのではないのかな。 

 

経営者の為ではなく、また固定的な野球観ではなくて、選手の為、ファンの為に未来に向けた改革をしていかないとならない。 

それが結果的により大きな経済効果を生むと思うんだよね。 

 

今後も野球を楽しんでいく為にも、これが大きな転換点となって欲しいね。 

 

▲9383 ▼858 

 

=+=+=+=+= 

 

ストレス無く、好きな事をやられてたイメージ。 

 

だから、長生きだったかな? 

 

嫌いやったなー 

プロ野球界は、俺が仕切ってる感がすごいあった 

 

ご冥福をお祈りします。 

 

▲8676 ▼532 

 

=+=+=+=+= 

 

ご冥福をお祈りします。ただ、近鉄ファンだった自分としては球界再編時の失言が本音だったのではないかと思うところもある。何事も巨人第一だったからパリーグを無視して1リーグ制など言い出したのではないだろうか。球団を16球団にする事に反対していた重鎮の1人だったのでこれから野球界は動くのではないだろうか。2リーグ12球団も悪くないが現状CSが上位3チームを対象にしているのを見ると2リーグ16チームでも十分に楽しめると考える。 

 

▲113 ▼21 

 

=+=+=+=+= 

 

『フルタの方程式』で、古田さんに一言もらってほしい。みんなの気持ち、意見を纏めていただけるでしょう。 

最後の「昭和の傑物」。昭和は、良くも悪くも、というのがあって、戦争後の混沌とした時代を平和に導いた一人として、偉大な方だったと思う。 

スポーツ界でも権威、形を大事にしてきたから、その基本を超えて現在の隆盛がある。プロ野球の再編問題では悪い面が出たけど、あの頃のライブドアを参入させなかったのは正解だし、パ・リーグ各球団の努力と新庄効果でその後大いに発展した。 

一つの時代が終わった。 

 

▲26 ▼41 

 

=+=+=+=+= 

 

昭和から令和まで、報道と政治の間に立ち絶大な影響力を持ったフィクサーだった。 

功罪は当然にあって、これから多方面で検証されていくだろうが、今後も同じような立場の人間が現れるにせよ、渡辺恒雄氏ほど認知症を患うことなく健康に長命で、多方面に働きかけられるフィクサーはひょっとすると出てこないかもしれない。 

毀誉褒貶は絶えないが、戦後日本史を語る上で不可欠な人物の訃報に接し、哀悼の意を表する。 

 

▲58 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

この方がまだ現役バリバリの頃は、総理になれば真っ先に挨拶にいかなければいけなかったそうな。 

この人をおろそかにすると、批判的な記事を散々書かれ、社会から叩き落されるそうな。 

相撲協会もこの人には何も言えなかったようで、外国人力士は毛嫌いされていたそうな。 

 

ジャニーさんといい、業界の重鎮以上の大重鎮が亡くなられたことで昭和からの脱皮が、また1つ出来たと、世の時代の流れを感じます。 

 

▲6179 ▼269 

 

=+=+=+=+= 

 

自分は野球ファンなので、やはり球界での「ナベツネ」氏の印象が強い。 

 

球界のドンとして君臨し、巨人を中心とした球界を作り上げるも、球界再編問題で失脚。 

これも巨人がパ・リーグに参入をほのめかすなどナベツネ氏の思うがままに動くかと思いきや、「たかが選手が」発言で風向きが変わり、裏金問題で一線を退いた。 

 

その後はパ・リーグが盛り上がり、北海道や東北などに球団も移転し各球団が独自性を発揮する一方で、巨人が12球団の1つに埋没した。 

TVや新聞を駆使して巨人ばかり目に触れさせて、人気を獲得する方法も通用しなくなった。 

 

そして、セ王者を奪還しながら日シリ進出を逃した年に亡くなるとは、波瀾万丈な人生の一端だなと思う。 

 

かつては賛否両論あったし、現時点ではもう訃報が球界に与える影響は少ないだろうが、巨人以外、特にパ・リーグに人気格差を感じる時代を生きてきた野球ファンとしては時代の終わりを感じる。 

 

▲532 ▼68 

 

=+=+=+=+= 

 

最後まで全う職務を全うされたことは素晴らしいと思いますし、お亡くなりになられたことはご冥福をお祈りします。しかし、98歳までこの役職を務めることが会社にとってメリットなのかデメリットなのかは考えるべき事案だと思います。現実的に98歳の思考力よりも最先端の知識や今の時代に求められている情報提供を提案できる素晴らしいスタッフが山ほどいるはず。会社や今後のためにも勇気を持って、過去の経験だけでなく現状の能力を把握した上で、退ける経営も考えるべきだと思う。 

 

▲4846 ▼551 

 

=+=+=+=+= 

 

先月まで出社していた… 

 

長年介護職に携わっている者です。 

90歳を過ぎてご自身が経営している会社に出社される方は意外とめずらしくないです。老人ホームから出社される方、何人も見てきましたが側近が送迎し会社で過ごしている間は排泄や食事のお世話を周りの方がやっているようでした。 

この方がどうだったかわかりませんが、生涯現役というのも周りの援助があってこそ、てことも多いのだな、と感じています。 

 

▲2426 ▼135 

 

=+=+=+=+= 

 

引き際が大事だと思う。完全に時代の流れや昭和から取り残されていたにも関わらずメディア界に君臨していた。NPBが閉鎖的で中々改革出来ないのもこの人の影響があったと思う。Jリーグチームから会社名を外させスポンサーが多くついた改革実行した川渕チェアマンと先見性が違った。とは言え記者時代に政界のドン達と独自のパイプを作って時のスクープを数多く出されたことは記者の鏡だと思います。冥福をお祈りいたします。 

 

▲1412 ▼178 

 

 

=+=+=+=+= 

 

Jリーグスタートの時に、川淵チェアマンとナベツネがやり合い一歩も引かなかった川淵さんのおかげで、チーム名から企業名がなくなり、より多くの企業がスポンサーにつくことができるようになりました。 

そのためより地元に根ざすチームになり今の日本代表につながっていると思います。 

プロ野球再編の時も古田に言い放った言葉がきっかけで、ジャイアンツに頼らない自力で魅力あるチーム作りが始まりました。特にパリーグは大きく変わりました。 

 

その強烈な個性、及び古い価値観を捨てなかった(新しい感覚に追いつけなかった)スタンスのおかげで、サッカー、野球と生まれ変われたことはある意味功績ではなかったかと思います。 

 

全国新聞の主筆でありながら政財界とのつながりもあり、そのせいか読売は常に自民党に有利な記事を書いていたので、今後は公平中立な記事を書いてくれるようになるだろうと期待している。 

 

▲2652 ▼677 

 

=+=+=+=+= 

 

報道社会のあっては新聞の発行部数を世界一位にしたりその功績は素晴らしいと思います。野球界ジャイアンツに対しても絶対的支配下で君臨して来ました。コレだけなら素晴らしい人の生涯と締め括れますが、マスコミの取材方に多大なマイナス面を知ってか知らずか野放しにして個人の尊厳にまで立ち入り無作法の数々を放置して来た事を認識されていたのでしょうか?98歳の大往生。謹んでお悔やみを申し上げます。野球界のみならずマスコミ界もホッとした息抜きを感じますね。 

 

▲1579 ▼349 

 

=+=+=+=+= 

 

良くも悪くも多大なる影響力が各方面にあった方でした。新聞はじめメディアから政財界、スポーツ界にも及び時にはろうがいと言われる時期もありました。古き良き日本の礎を築いてこられた貢献は計り知れない。ただ90を超えてまで現場に顔を出していた分、少なからず革新的で、時代の早さを先取りする変化が起きにくかった環境でもあったので今後は読売グループはじめ、影響力があった各方面が大きく変わるチャンスでもある。ご冥福をお祈りいたします。 

 

▲40 ▼30 

 

=+=+=+=+= 

 

プロ野球再編の時に選手会長の古田さんを「たかが選手」と言ったことが2リーグ制堅持に繋がり、現在のパ・リーグの盛り上がりにもなりました。 

言動に批判の多い方で、功罪半ばするかたではありましたが、何かにつけて世の中に強い影響を与える方ではありました。 

ご冥福をお祈りします。 

 

▲2303 ▼689 

 

=+=+=+=+= 

 

プロ野球ファンとしてはいいイメージのない方の方が多いはず。それでもこの年齢まで仕事をする、貫き通すということは本当にすごいことで、他の方もおっしゃっている通り、生きる力に満ち溢れた人であったのだと思います。 

球界の悪役ポジションであった故人がいなくなった今後の球界が、どのように変化していくのかが注目ですね。 

 

▲299 ▼31 

 

=+=+=+=+= 

 

いい意味でも悪い意味でも昭和を代表するモンスターの一人です。 

自分の意見が絶対正しいという前提で讀賣新聞さえも自らの手足として利用してました。 

特に巨人に対する思い入れは相当であり球界の盟主を名乗り毎年優勝する事がプロ野球のの為だと信じ込んでましたね。 

近年は影響も少なくなってプロ野球界も巨人が絶対的な存在ではなくなりました。 

昭和が遠い過去になりつつありますね。 

 

▲346 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

昭和や戦争、プロスポーツの黎明期をよく知っている方が亡くなられるとは1つの時代が終わったと同時に、時が進んでいることを実感します。 

スポーツ関係で多くの貢献されてきた方という認識ですが、戦後、色々な苦労をされてきたということも聞いたことがあります。 

1か月前は職場に出社していたなんて、本当に最後までバイタリティが豊富な方だったんだと思い、見習う部分でもあるのではいかと思います。 

ご冥福をお祈りします。 

 

▲4 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

年齢的には、いつお迎えに来られてもおかしくない年齢でしたからね… 

ご冥福をお祈りします。 

 

2006年の球界再編の折には、稀代の悪役ぶりを発揮して、世間の、とりわけ野球ファンの反感を買いました。 

「たかが選手が」は、選手たちへのリスペクトを欠いた暴言でしたが、オーナーたちの本音が透けて見え、同時に世間の風向きが一気に選手寄りに傾いた瞬間でもありました。 

 

晩年、NHKのインタビュー番組がありましたが、政治記者時代のことを鮮明に記憶していたので驚きました。戦争体験においては、毅然と国や政府の批判をしていたのも痛快でした。 

 

▲647 ▼186 

 

=+=+=+=+= 

 

この世代は本当にパワフルで生命力に満ち溢れている人が多い印象。 

率直に悪い表現ですが、いろんな意味で障壁となっていた方の印象がありますので、1つの時代の終焉ということで、各分野で良き方向に進展して欲しいものです。 

ご冥福をお祈りします。 

 

▲66 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

読売新聞という一つの社会の公器たる報道の一角を担う首魁として叩き上げの一記者から成りあがって死ぬその時まで主筆であり続けた氏の強烈な上昇志向や戦後日本政治を見続けてきた眼力は他の追随を許さないものはあった。 

一方で傲岸不遜で独善的なキャラクターは時にハレーションも起こしまことに毀誉褒貶の多い人物でもあった。 

激動の戦中・戦後を駆け上り一つの王国とも言えるナベツネワールドを作り上げた強烈な手腕は今後出てくるかは中々思いもよらない。 

今は只永の眠りについた故人の冥福をお祈りいたします。 

 

▲27 ▼6 

 

 

=+=+=+=+= 

 

以前、読売新聞の企画だったと思うが各界の著名人が「自分の訃報記事を書く」という企画をやってて、そこでこの人は 

『庭の柿をついばみに来たカラスを追い払おうと脚立に登ったところ、足を踏み外して転落して亡くなる』 

という記事を書いていた。 

色んなことがあり、その色んなことを巻き起こしてきた人だったが、その時のユーモアは今でも覚えている。 

 

▲834 ▼285 

 

=+=+=+=+= 

 

私の父も長生きで『死んでたまるか!俺にはまだまだやりたいことがあるんだ』という生命力というのか死への恐怖というのか生への執着のようなものが全身から溢れています。 

 

強烈な負けん気の強さや「俺がやらなくて誰がやる」的な使命感、責任感のようなものもあると思います。 

 

そういうものが人を突き動かしていくのかな…とあらためて感じました。 

 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

▲21 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

若い頃から大嫌いだったなあ。 

生まれてから物心ついたころから、世の中はこういう社会を牛耳る人間が支配してる世界だって知らされた時には絶望感すらあった。 

 

嫌な時代が少しでも変わればよいなと思う。昭和からすれば令和はかなり風通しがよくなった。若い世代で能力がある人が成功できる世の中になってほしい。 

 

それくらい彼は政界も芸能も影響力を与えた人だった。 

 

▲104 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

私の高校(当時は旧制中学)の大先輩です。中学では、軍国主義的な校長や教員に反抗し、図って「鉄拳制裁」をしたこともあると言う。東大では共産党に入党し、いろいろ活動したが、やがて意見が対立し、分派活動をして、除名。東大新聞会の経験を活かして新聞記者となり、戦後日本の政治に深く関わる。まさに、波乱万丈の生涯でした。 

 

▲23 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

確かに、スポーツ界において「対抗側をまとめさせる存在感のある悪役」というのは物語の「軸」や「対立の構図」を生む重要な要素ですよね。プロ野球のストライキの際、ファンが一丸となったのは、まさに「共通の敵」が明確だったからこそであり、その出来事が後のパ・リーグの地域密着戦略にもつながったのは間違いありません。あの時のパ・リーグの改革(球団の経営戦略の見直し、観客動員の強化)は、今のプロ野球の活気の一つの原点になったとも言えます。 

 

サッカーでも似たような構図がありますね。強大なライバルや象徴的な「悪役」的存在がいることで、ファン同士の団結力が高まり、物語が生まれる。日本代表の試合でも、強豪国との対戦が「宿敵物語」を生む要素になるため、ファンはより熱狂します。 

 

最後に巨人がセ・リーグ優勝を果たしたのは、物語の一つの「区切り」になったかもしれませんね。 

 

▲400 ▼164 

 

=+=+=+=+= 

 

スポーツ界への影響力は凄かったね。ある意味対抗側を纏めさせるという能力もあったわ。ストの時のプロ野球ファンを一つにさせたのやあれがあったからパリーグは地域に根づいたとも言える。サッカーもそうだよなぁ。 

言葉は悪いが存在感のある悪役で、彼が居たからストーリーがあった部分もある。 

最後に力を振るった巨人がセリーグ優勝できて良かったね。 

 

▲126 ▼63 

 

=+=+=+=+= 

 

御冥福を祈ります。でも、この人がもっと柔軟な考え方でプロ野球界をまとめていたら、もっと早くパ・リーグの明るい未来があったのかなと。あの発言があったから今の球界になったのかなと思うし、もし、パ・リーグの為にセ・リーグとして観客動員に貢献出来る何かをしないといけないって早く考えていたら、違う未来もあったような気がします。 

 

▲4 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

巨人のイメージもありますが、政界にも影響を与えた人ですよね。政界をある意味自民党一党の物の考えて、自民党の中に好き嫌いを作り、読売新聞で世論を誘導していくのがこの人のやり方でした。 

個別に政策を支持するのではなく、記者時代のコネクションのある派閥を支持し、そこから総裁を作ることを目指しました。また、有力者が自身の読売新聞社内まであいさつに来るか、来ないかも重要視しました。 

有名なところでは中曽根、竹下両氏の蜜月、田中派と清和会嫌いであり、中曽根、竹下氏亡きあとは宏池会を自民党の主流にという考えがありました。 

小沢氏、田中真紀子氏への厳しい姿勢は記事にも、世論にも影響を与えたのでないでしょうか。 

 

▲100 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

力と金と権力を隠さず、帝王でもあり、ボスキャラでもあった。 

その揺るがない意志は新しい時代を作るのに寄与し、また旧世代の象徴でもあったと思う。 

良くも悪くも時代の傑物であったのは疑う余地もない。 

 

阪神ファンの私にとっては最高峰のヒールであったが、汚名を受け止めてなお最後まで強くあってくれたことを賞賛したい。 

 

ご冥福をお祈りする。 

 

▲13 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

巨人は当時は読売新聞の広告塔だったが今となれば独立したグループ会社の1つ。今年は巨人が2試合残してやっとの想いの優勝できたことは花道となったと思う。1つの時代が終わったと思う。かつては巨人の成績によって野球中継の視聴率が左右されたと言われるがビジター球団(ytv:阪神 CTV:中日など)の地元ではその球団が勝っている方が視聴率がいい傾向にはある。 

ヴェルディこそサッカー版巨人を目指していたがj2降格や読売グループの経営悪化で事実上頓挫した事は有名な話。入れ替えなしで20クラブチームが1番面白いと思うが。3部制60クラブチームはプロという言葉を安売りしている様に見える。 

FYCSHD設立も地方系列局の経営統合こそ次の時代に移行するという意味で。 

 

▲1 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

生涯を仕事人として新聞業界の発展、努められた方で、新聞社としても偉大な方を失いました。また、経営者として考え方や意志がはっきりしておりリーダーとしての資質もお有りだったのでしょう。また、歯に衣着せぬ物言いもありその内容には賛否両論もありましたが、やはり考え方や意志がしっかりしておられるから芯が一本通っておられたと思います。こうした事になり只々、残念であり言葉もありません。ご冥福をお祈り致します。 

 

▲3 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

死去の一報で言うのも不謹慎かもしれないけど… 

 

プロ野球は段階的に8+8の16球団にしてもよいのでは常々感じてます 

リーグ6球団で3球団がプレーオフというのはあまりにもいびつです 

 

あとプロアマ協定の見直し 

プロ経験者が学生すら指導できないって全く意味がわからない 

昭和の遺恨が令和でも受け継がれるのは異常です 

 

忖度も含めナベツネさんが構えている以上議論することさえタブーだったのであれば動き始める可能性があります 

御冥福を祈りつつ、新たな時代に変わってほしいと願います 

 

▲18 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

たかが選手が発言をはじめ、打つ手すべてが褒められたものではなく賛否あるが、巨人ファンからしたら頑張ってくれたオーナーだろうし、他の11球団のファンからしたら、炎上商法の先駆けではないが、ラスボス的な存在感で、ある意味でプロ野球を盛り上げに一役買ってた名物オーナーだった。 

 

球団に関しては好敵手ともいえた、中日の白井文吾元オーナーと、同じ年に逝去されたことには何か運命的なものを感じる。 

 

ご冥福をお祈りします。 

 

▲2 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

良くも悪くもさまざまなところに大きな影響を与えた人でした。 

現代のメディアを常に引っ張った人だと思います。これからメディアはSNS勢にオールドメディアの落胤をおされ代表格の方も亡くなってどうなるのか注目したいと思います。 

最後に今までメディアに貢献されて常に一石を投じられた渡辺恒雄さんにご冥福をお祈り致します。 

生涯にわたるお勤めお疲れ様でした。 

 

▲9 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

私の年代から観て威厳と信念の頑固者。これだけの財界での地位を築き上げた人だからこの世の人のために尽力されたのだろうと思います。しかしながらメディアを通して見る聞く印象は剛腕な生き方に違和感はあった。読売新聞グループ総帥、メディアの報道はこのところの表立って問題点を感じSNS、インターネット時代になり活字媒体を見ることが激減TVを観ることも減りスポーツ観戦は民放各社で観ることも少なくなってきた。ナベツネさんの死とともに報道メディアの一つの歴史を終えたように感じました。ご冥福をお祈り申し上げます。 

 

▲144 ▼64 

 

=+=+=+=+= 

 

私がこの人を知ったのが長嶋巨人の晩期だったこともあり、良くも悪くも「権力者の代表」という印象が強い。 

表舞台にあまり姿を表さなくなったのは時代か老化か。 

現代では支持されないこともあるだろうけど、戦後を駆け抜けたこの人の努力と才気は凄まじかったのだろう。 

お疲れ様でした。 

 

▲4 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

正直この人のおかげで日本の野球を一切見なくなった。プロもアマも。 

あの一言がなければとか、このやり方なら好きな野球はなくなってしまうんじゃないかとかいろいろ思った。 

でも経営では確かに小を生かして大を殺す事も出来ないからってのもあったのかと今なら少し感じることがある。それでもあまり真似したくないのが否めない。 

ただ数十年にわたり言論界、野球界で大きな存在であったことには最大限の敬意を払いたいと思う。ご冥福を祈ります。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

バンカラ学生から戦後共産党に入党、すぐに幻滅し離脱。その後読売に入り、当時冷戦構造下でアメリカ政策に従順な極東国として日本を従わせるために、表に出ない資金を使いながら政財界やマスコミへも影響力を行使するころに頭角を現した人。巨人オーナーでマスコミにぎわしていたのは彼のほんの一部分。ご冥福をお祈りします。 

 

▲31 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

球界の盟主的な存在感は昭和の終盤頃の顔で、その頃はもう既に渡邊帝国なる読売グループのドンとしての立場を築いたあとのお話。 

 

彼の全盛期は若い頃の政治記者として自民党の内部に影響力を持って総裁選や権力闘争の影で暗躍していた事がメディア及び各財界への影響力を駆使して登り詰めた人物評だと思います。 

 

▲19 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

球界の盟主というプレッシャーの中で読売巨人軍は苦しんでいます。 

 ドラフト制がプロ野球界の隆盛のために考えられたのに旧態依然と盟主に拘り、ドラフト後は他球団の四番打者、エースピッチャー等を漁りまくり何とかプライドを保とうとしてずっと苦しんできました。 

 事件としては空白の一日を利用しての江川の阪神からのトレード。 

 長嶋さんのように「読売巨人軍は永遠です」というような子供じみたメッセージを残されこれも現役選手、監督にプレッシャを与え続けている。 

 渡邊さんは、中曽根と組み憲法改正をもくろんだり、他の球団には全くない「◯◯軍」要するに巨人軍を公に用いたり、功績はあるのだろうけど問題の多い人でした。ゆっくりお眠り下さい。 

 

▲0 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

厳しい時代の中で引っ張ってくれた功労者の一人であることは間違いなし、巨人の事は彼の仕事のごく一部に過ぎないでしょうが巨人は独立採算制ではないし身売りしたくても価値があまりないだろうし保有を続けるしかないでしょう?ただし、売却したとしてもジャイアンツブランドの価値は変わりないしブランド力を保った業績は後々評価されるはず。 

 

▲2 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

プロ野球に対する情熱は世界中の誰よりもきっと良くも悪くも熱いものがあったよな!阪神ファンからしたら悪の大ボスダースベイダーみたいな人と少年時代は見ていましたが、大人になってナベツネさんの本意がわかるようになったと思う。東北の震災の時も中断しないでどんな時でもプロ野球は人々に希望を贈る!と言っていた時は良くも悪くも感動した。あっちの世界でも野球を楽しんでほしい。合掌。 

 

▲40 ▼41 

 

=+=+=+=+= 

 

権力に群がる全ての悪を煮詰めたような人間だという印象でした。 

その強烈なキャラクターは昭和生まれの人々からことごとく嫌われておりましたね。 

日本中から嫌われながらも一時代を築き上げた野球界のドンの冥福をお祈り申し上げます。 

 

▲3 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

この方の存在に依って、松井秀喜さんは日本球界への復帰を拒絶され 

また、存命中は大谷翔平選手は日本ではプレーしないと宣言させた人ですからね。 

 

総合的に功罪として、功95罪120って感じで晩節を汚したんじゃないですか。 

 

それでも、戦後の混迷期を立て直す一助で有ったのも事実ですのでお疲れ様でした。 

 

▲584 ▼210 

 

=+=+=+=+= 

 

球界再編の時にはなんて奴なんだと思っていました。 

それでも巨人ファンの私としては問題発言も含めて色々と楽しませてもらいました。 

高齢になってもその影響力が衰えることはないのですからさすがです。 

 

もしかすると読売新聞は営業方針とか現代風に大きく変えるかもしれないですね。 

オールドメディアが何かと取り沙汰される昨今、何とか良い方向に変化してほしいです。 

 

▲201 ▼76 

 

=+=+=+=+= 

 

「たかが選手が」「モガベー」など数々の迷言を残した印象。 

これでセリーグ、いやプロ野球界も少しは変わるのかも。セリーグもDH制にしてくれないかな。やっぱり攻撃が途切れるのが面白くない。メジャーも両リーグともDH制になったことだし、改革してもいいと思う。 

 

▲9 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

土曜朝のジャイアンツ応援番組が終わると聴いた時、ナベツネさんの影響力が失われているのかと思いましたが、それどころでは無い状況だったのですね。 

昨今の日本テレビの不祥事もそういったタガの弛みから起きているようにも思えます。 

好きな人物ではありませんでしたが、主筆として報道内容に責任を持つ姿勢は評価出来たと思います。 

 

▲14 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

20年前のプロ野球スト問題。この件がナベツネが世間に認知されたハイライトだろう。一見、傲慢チキに見えもするし、そう受け取られるだろうし、なんなら世間一般層にはオーナー陣が悪く見えるように自ら悪役のボスを買って出たのかもって今思えばそう思える。けど、20年経ち良くも悪くもプロ野球は確かな発展をしてきて、当時の出来事で彼らのような悪役が存在がしていた事実が、より、今の野球界を光輝かせてくれていることも揺らぎのない事実であろう。謹んでご冥福をお祈りします。お疲れ様でした。 

 

▲4 ▼17 

 

=+=+=+=+= 

 

死ぬまで代表取締役主筆だったってのがすごいね、しかも98歳まで生きて。 

この人のNHKの特番見たけど学生時代は共産主義に傾倒していたってのもびっくりだった、だが共産主義者の貧しい人民を飢えさせてさらに支持を獲得するやり方に疑問を抱いて結局真逆の右側に行ってしまった。 

その後の有力自民党政治家との交流やその中の権力争いが実に生々しく、日本政治の裏も表も精通していたのだろう。 

逝去後の回想録が出れば買って読みたいね。 

ご冥福ををお祈りします。 

 

▲37 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

読売新聞の憲法改正試案は結局日の目は見ていないけど、あれは時代を画する衝撃だった。当時は憲法改正という言葉を発するだけで右翼、軍国主義のレッテルを貼られ、表現の自由を擁護するはずの護憲派によって議論は完全に封じられていた。そうした中でもともと保守系であるとは言え、読売新聞というメジャー新聞社が正面から憲法改正論議を提起したことは今の若い人では想像できない大きな衝撃があった。あれから30年以上経ち、日本の社会状況も変わり、国際状況はさらに厳しいものになっているが、改正論者を軍国主義よばわりする護憲派は一切議論に応じようとせず、憲法の神格化とタブー化に余念がない。 

 

▲33 ▼13 

 

 

=+=+=+=+= 

 

読売新聞=渡邉恒雄氏 

…というくらい強烈なインパクトをお持ちでした。巨人のオーナー時にプロ野球再編問題があり、当時の古田選手会長に「無礼なことを言っちゃいかんよ。たかが選手が。」という発言が今でも記憶に残っています。 

歴代首相と懇意にされ、幾つものパイプを作ってこられたことは本当に凄いと思います。 

心からご冥福をお祈りいたします。 

 

▲21 ▼36 

 

=+=+=+=+= 

 

大往生でしたね。 

ここまで職務を全うしてきたことは賞賛いたします。ご冥福をお祈りします。 

 

しかしながらこの方の思想の中にある読売至上主義、野球至上主義のおかげで、私は野球を見なくなりましたし、他のスポーツの発展の妨げにもなっていたことが多々あることを思うと、グループ内の残された方達で全く新たな視点での活動をして欲しいと思います。 

 

▲17 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

憎まれ者ナントカって言葉が本当にピッタリな、見事なご長寿でした。 

しかし、その憎まれ者がいてこそのプロ野球の盛り上がり、一体感が産まれたのは間違いないとも思います。 

 

自ら憎まれ者を買って出てくれた重責はあったのかなと思います。 

 

今度こそ、色々な重責から解放されて下さい。安らかに・・・。 

謹んでご冥福をお祈りいたします。 

 

▲9 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

御冥福をお祈り申し上げます。 

長く読売グループのトップとして指揮された方ですが、晩年は報道機関、出版社、新聞社、情報産業が時代流れからSNS、インターネットサイト社会に大きく舵を変えています。駆け出しの若かりし頃はバリバリの左翼系思想の方で何かと物議を醸し出した方です、 

がしかし、人柄か政財界、著名人との交友関係が幅広く左翼系リベラル系の枠を超えて、人望があった希有な存在の方です。 

がしかし、巨人に入団した江川騒動問題、 

著名な右翼系政治家との軋轢問題、数々の軋轢があり瞬間湯沸かし器と呼ばれた方で 

あり、意味一目置かれた方でした。 

 

▲1 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

子供の頃、桑田のフォームが好きでずっと巨人を応援していた。読売新聞という読んだこともないメディアの1経営者がなにゆえここまで権力を持っているのか子供ながらに不思議で仕方なかった。 

 

今や巨人は1球団にすぎないし、野球中継もほぼ見ることはない。ニュースで結果を聞き、ホームラン打ったシーンの切り取り動画を見るだけ。 

 

イチローが日本にいるときは東京ドームに足を運んできたが、そのあとは足が遠ざかる。 

 

球場に数年に一度足を運ぶが、知ってる人は監督ぐらいであまりいない。そんなスポーツになってしまった。 

 

良くも悪くも野球というものに貢献した人物だったと思う。ご冥福をお祈りいたします。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

98歳まで生きるとは凄いですね。 

政財界に影響力があってフィクサーの一人でしょう。一つの時代が終わったかも知れませんが逆に新しい時代が来たら良いなと思っています。 

なので悪い方に影響が出なければと思っています。 

個人的には好きな人ではありませんが、それでも心よりご冥福をお祈りします。 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

半世紀ほど前、私が学生の頃、父親がM商事の船舶課長で「ナベツネ」の親友という同級生がいました。 

 

内容は忘れてしまいましたが、当時、政治(経済)的大問題があり、その父親の「予言」どおりに決着したことが忘れられません。 

 

当時は、株に関心もなかったのですが、もし、当時、資金とその情報があったら、簡単に大儲けできたのにと思います。 

 

▲13 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

若いころに左翼に傾倒した後で右寄りの代表的な新聞の主筆となったのだから、そもそも民主的な思考を持っているはずもない人物ではある。 

 

同時に、世界で民主主義国家をしのぐ勢いで広がっている「独裁的な思考を持つ個人が国家や組織を導く体制」を、民間企業の中でそれも民主主義の代表的な存在である新聞社の中で徹底的に実践してきた人物でもある。 

 

ある意味で旧来型でありながら、ある意味で近未来の世界を予感させてきたという点で唯一無二の存在。情報の源として新聞が大きな貢献を果たしてきた時代に思うがまま権勢を振るうことができたことは、この人にとっては幸せなことだっただろう。 

 

この時期の逝去は新しい時代を迎えようとしている新聞業界を象徴している。新聞の行く末は、このような大きな存在の人たちがどのような後輩を育ててきたのかということにかかっている。本当の評価はその後になる。今はとりあえず、ご冥福をお祈りします。 

 

▲24 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

渡辺さん自身のことはよくわかりませんが、1番気になるのは98歳になってまだ読売新聞の主筆ということです。 

お元気なのは結構ですが、日本を代表する新聞社なのに全然新陳代謝が進んでいないということ。 

他の企業もそうですが、戦後日本が活性化したのは急激に世代交代が進んだことも要因の1つ。 

若い現役世代の代表ともいう人たちが、主要な産業に従事していない証拠とも言えるのではないか。 

 

▲7 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

監督よりも、球団人事に口を出す名物オーナーだった。ビジネスとしての非情さと、人としての温情もある人だった。 

長嶋から王、桑田、清原、落合、松井、この人の影響力でその後の野球人としての人生に図りし得ない運命があった。 

スタインブレナーもそうだったが、新聞の見出しになるような辛辣なコメントをする個性的ななオーナーがいなくなった。 

ご冥福をお祈りします。 

 

▲10 ▼32 

 

 

=+=+=+=+= 

 

これで日本のプロ野球も大きく変われるかも知れない。 

球団がもっと増える事を願う。 

堀江貴文さんが押している日本を東と西に分け、社会人野球も加えての 

「全日本で一番強い球団」を決める「大日本シリーズ」 

選手の移動負荷も軽減され絶対いいと思うアイディアだと思うが。 

 

▲24 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

DayDay.を観ていたら、ニュース速報で流れてきてびっくりしましたし、98歳なのも驚きました。  

 

人物としてはよく知りませんが、ナベツネの愛称だけは知ってますからね。 

そして、生放送なのに特に何も言わないのは動揺しているか、映像を集めている最中なのかな? 

 

今年はナベツネの下の世代である戦前に生まれた父が亡くなったので、親の世代や戦争を知る世代が少なくなるのは寂しく、日本人としては残っている方々には戦争の悲惨さを語り継いでほしいものです。 

 

▲73 ▼37 

 

=+=+=+=+= 

 

個人的に頑固なイメージで、あまりいい印象はなかったです。 

それでも長い間、第一線でやってこられたパワーは凄い。生まれ持った何かがあったんでしょうね。 

でも、多くの人が陰で泣かされてきたんだろうなと思うと、こういう人にはなりなくない人No.1です。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

共同通信が「暗黒のファイル」で命を賭して追跡した3人の一人(今の共同通信にはこれだけの骨がある記者は皆無)。まあ、本命は元関東軍参謀の瀬島隆三(関東軍司令部でソ連のシベリア抑留を承認したとされる人物)だが、瀬島、中曽根、渡辺は盟友と言っていい仲。中曽根との仲は正力松太郎の指示だったらしい。「あんな陣笠野郎に」と不満たらたらに議員会館に行ったが、自民党タカ派の青嵐会を作る中曽根と意気投合。3人が東京ドーム貴賓室で観戦する姿が見られた。まあ、戦後も「たかが」プロ野球団に「軍」付けで呼んでいた球団のオーナーではある。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

プロ野球の発展に貢献した功績を称えるコメントが多いですね。 

しかし野球がいまだに根強い人気を保っているのは、サッカーをはじめとする他のスポーツの発展が経済的支援や報道量の差で抑え込まれてきた背景があります。そして渡辺恒雄氏がそれを主導してきたのは間違いないでしょう。 

彼の死によってそのプロセスが明るみに出ることについて興味があります。 

 

▲174 ▼93 

 

=+=+=+=+= 

 

社会の渡辺批判に疑問を持っていた。2004年の騒動の時に、渡辺氏は「たかが選手が」と言ったが、球団合併は経営に関することで、選手が口出しする問題ではないという意味だとすると、これは正しいということではないか。裁判でもその考えは認められた。チームに企業名を入れるべきでないという方針にも自分は疑問を持った。東アジアにはよくあるし、経済的基盤が弱いスポーツには他でもあること。欧米崇拝という感じがした。日本と比べて欧米の方が企業の宣伝に関わることを毛嫌いするんじゃないかと思う。Jクラブは儲からなくて困っており、地に足のつかない理念より実利が大事。中曽根氏も長寿だった。 

 

▲4 ▼43 

 

=+=+=+=+= 

 

ロッテファンですが、自分が子供の頃、この人はワンマンで金で他チームから巨人へいい選手を強奪する悪いイメージがあったが、結果、「横綱が負ける取り組み見たさ」にアンチ巨人もテレビで巨人戦を観ていたように思える。 

道楽で野球をやっていた当時のロッテのオーナーと違ってこの人の野球への取り組みは真剣だったと思う。ご冥福をお祈り致します。 

 

▲182 ▼87 

 

=+=+=+=+= 

 

渡辺恒雄君のご冥福をお祈り申し上げます。 

有言実行の生涯現役は、流石というかお見事でした。 

しかしながら、「たかがスポーツ選手の分際で」をはじめとする、晩年における多くの失言については、残念としか言いようがありませんでした。 

立場ある人間の影響の大きさ、引き際の大切さを改めて考えさせられました。 

どうぞ安らかに。。 

 

▲55 ▼34 

 

=+=+=+=+= 

 

98歳なら、老衰って人も多いと思うんだけど 

亡くなられた原因が肺炎って、 

肺炎にならなければまだまだご活躍されていたのかと思うと 

凄いな。 

最近は新型コロナ、インフルエンザ、マイコプラズマ肺炎等が流行っているから、高齢者はお気をつけください。 

安らかに。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

最近tverで放映されてた山崎豊子原作の運命の人でナベツネがモデルと思われる方が好意的に描かれてました。 

個人的にはプロ野球選手をたかが、と、切り捨てる発言したり良い印象が全く無い方ですが、憎まれっ子世に憚るのたとえ通りに98歳まで長生きされてビックリです。 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

▲128 ▼64 

 

 

=+=+=+=+= 

 

元旦のこの方の社説を読むと正月を感じていた昭和の人間としては寂しい。 

功罪相半ばするかたでしたが、共産党に入党したり、大野伴睦の番記者として政治の裏側を自分の目で見て感じてきた方の経験に基づく文章は、考え方の相違に関わらず説得力は凄かった。 

これからは好きなだけ葉巻を楽しみながらゆっくりと。 

 

▲10 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

いつか来ると分かっていたけど、やっぱり寂しいな。 

齢90を超えてなお、世の中に対する怒りを持ち続ける気力。喧嘩を直接売られても楽しめてしまう胆力。 

規格外の傑物であった。 

ネットという草葉の陰から投げつけられる石なんぞ屁でも無かったであろう。 

いい機会だ、ナベツネの自伝でも伝記でもいいから読んでみることを勧める。 

20世紀最後の大悪漢の人生はどんなドラマよりも面白いぞ。 

 

▲18 ▼31 

 

=+=+=+=+= 

 

コメントを見ると、やはり巨人関連に関することが多く、世間的に印象が残っているのはこちらなんですね。 

 

但し、自分が思う彼の真骨頂は政治記者としての功績です。政界を取材するところから、政界そのものに首を突っ込んでいくところは、学生時代の経歴(東大細胞)からしてもさもありなんと思いますが、こんな方は今後なかなか出ないでしょう。 

 

戦後政治の香りがする最後の巨星がついに逝くといった印象です。ご冥福をお祈りします。 

 

▲17 ▼27 

 

=+=+=+=+= 

 

渡辺恒雄さんは長く読売新聞社、読売ジャイアンツを支えてこられた功労者といってもいいでしょう。来年は阿部監督、コーチ、選手一丸となってリーグ連覇、日本一をつかみ取り、いい報告が出来ればいいですね。渡辺恒雄さんのご冥福をお祈りいたします。 

 

▲2 ▼26 

 

=+=+=+=+= 

 

私はずっと巨人ファンです。1番松本2番篠塚3番クロマティの時代からです。 

その後、ナベツネさんは沢山の選手を金で引っ張ってきました。世間は批判的で巨人ファンをやめたという人も多かった。 

私はそうやってチームを強くする為に全てを賭けるナベツネが逆に大好きでした。 

巨人でKKが見れたのも落合が見れたのもナベツネのお陰かなと。ピッチャーもバッターも他チームの4番やエースクラスが集まってくるから見てて楽しかった。沢山優勝しましたね。読売新聞を取ったことも買ったこともなかったけど。 

ありがとうございます。 

ご冥福をお祈りします。 

 

▲4 ▼18 

 

=+=+=+=+= 

 

既にプロ野球界とは無関係になっていた(オーナーでは無くなっていた)けど、死去の1ヶ月前まで出社されていたのは凄いモノです。 

 

年齢的にはいつ亡くなってもおかしくありませんでした。 

しかし、98歳になっても仕事場へ行く体力や忍耐は認めざるを得ません。 

ご冥福をお祈りします。 

 

▲81 ▼70 

 

=+=+=+=+= 

 

心からお悔やみ申し上げたい。巨人というプロ野球人気チームを支えてもらった。巨人ファン以外の方も関係なくプロ野球人気を確立したのは昭和においては巨人・阪神でありそれが基礎になっている。又、将棋においても竜王戦のスポンサーとして最大の賞金額を付与されている。他にもゴルフのJTトーナメント等スポーツ・文化面において多大なサポートをされており挙げればきりがないだろう。最近表に出てこられないので危惧はしていたし、最近読売の記事が 

おかしい方向に行っていると思っていて渡辺さんはどうしてるんだと勝手にいぶかしんでいたこと恥ずかしく思います。氏の体調不良により影響力が失われていたのだと記事を読んで納得しました。昔の読売の記事は他の朝日毎日などとは違いもっと中立的だったのがおかしくなっている。惜しい人が亡くなられてしまった。後の読売の人間が頑張るしかない、渡辺氏の志を受け継いでいってほしいです。 

 

▲6 ▼25 

 

=+=+=+=+= 

 

いろんな悪い印象はあったけども、例えばDeNA参入に向けた南場さんの話には真面目に取り組んでいたり、三木谷氏の妨害工作があったとの噂話もある中で公正に考えてくださっていたのだと最近では感謝の気持ちも生まれていた矢先です。ご冥福をお祈りします。 

 

▲30 ▼19 

 

=+=+=+=+= 

 

善きにつけ悪しきにつけ、とにかく印象深くて、多方面に活躍された人物でした。バイタリティーとパワフルさは時には世の中を混乱させましたが、一方では冷製に世間を見続けていて、先見の明もありました。長い間お疲れ様でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。 

 

▲2 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

訃報に際し、このようなことを書くべきではないかもしれませんが、私が子どもの時に『アンチ巨人』となったのは、この方の存在が大きかったです。とにもかくにも恐ろしく、しかし覆せない力を持っていた印象がありました。 

だけど、成長して様々なスポーツを見るようにもなって、「自分のグループの利益を考えれば当たり前のことか」と思うように。レアル・マドリーのペレス会長とか、自分のチームを強くするために尽力するというのは、当たり前の運営ですしね。渡辺さんは影響力が強すぎて、その範疇を超えている部分もありましたが、理解できる部分もありました。 

 

これで、あくまでも生涯一社員なわけですし、すごい傑物だったと今になって思います。 

 

評価は人それぞれでしょうけど、間違いなく野球界への影響は計り知れないですね。印象に残り続けると思います。 

 

▲17 ▼5 

 

 

=+=+=+=+= 

 

球団のみならず、政財界を操る昭和最後のフィクサーでもあった。逸話としては都内にある某ゴルフクラブ場で、御大がコースを廻る時は貸切クローズにして密談ゴルフをしていたとの事。いま、これだけの事を出来る実力はそうな居ないと思いますが、昭和、平成、令和と3つの時代を見て何を思うのでしょうか。 

 

▲32 ▼23 

 

=+=+=+=+= 

 

ご冥福をお祈り致します。 

 

大変な努力をされてこられたと思うし、多くの功績もあるとは思うのですが、個人があまりにも強大な権力を持つことの弊害の方がよほど大きかった気がします。 

 

それにしても今年は著名な方の訃報が本当に多い… 

時代が変わっていくことを実感します。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

渡邉恒雄が持っていた影響力は、巨万の富や個人的なカリスマ性ではなく、「巨大なメディア装置のトップに居た立場」によるもので、言い換えれば、「読売新聞という洗脳装置(当時の視点)」の操作権を持っていただけとも言える。 

 

1.立場依存の力 

彼個人が何か特別な資産を築いたわけでもなく、読売新聞という既存の仕組みを利用して影響力を行使していた 

 

2.一方的な時代背景 

情報を発信する側(読売新聞など)と受け取る側(国民)の力関係が極端に不均衡だったため、彼のような人が「権力者」として君臨できた。 

 

3.現代との比較 

今はSNSやネットで個人が自由に情報を発信し、チェックもできるため、あの頃の「トップにいるだけで権力者」という仕組みが通用しない。 

 

結局のところ、渡邉恒雄の影響力は「時代が与えたもの」であり、彼自身が作り出したものではないかと。 

 

とういことで、ご冥福をお祈りいたします 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

最近あまりお見かけしないと思ったけど、そうですか。 

自分は阪神ファンやから悪いイメージもあるけど、心底巨人と野球を愛されてらした最大の巨人ファン。 

 

選手は選手としての寿命があり、時には球団を選べないシチュエーションも多いし、親会社も含めて球団関係者のほとんどはサラリーマンで転勤、転属もある。 

ある意味同じ視点でずっと愛し続けていられるのはファンだけ。 

やんちゃで好き勝手な放言数知れずだったとは思うけど、生涯「究極のファン」だったのではと思う。 

厳しい時代で厳しい競争もあっただろうけどいい位置まで登りつめられた。 

 

NPBを見守っていて欲しい。 

お疲れ様でした。 

 

▲1 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

御大、お亡くなりになられたか。 

ジャイアンツのオーナーとして傲慢な側面ばかりが強く印象付けられているかと思うが、ご本人の語るところでもあってが、各球団の歴代のオーナーで唯一野球協約の内容を熟知されていた方かと思う。現にフジテレビがベイスターズを保有しようとした時に協約に抵触すると咎め、ストップをかけたと記憶している。さらには、ドラフト。あれは、独禁法違反だとも申されていた。まさしく、自分もその通りだと思っている。 

 

また、物議を醸した記者に放ったコメント数々もサービス精神の一端、もしくはご自分も記者経験があることからの一定の配慮ではなかろうか。 

 

とかく、嫌われ者となり、実際に嫌われる要素も多分に合ったのだろうが、巨大なメディアの主筆にまで登りつめたその能力は甚大であったのかと。 

 

心よりご冥福を申し上げたい。 

合掌 

 

▲7 ▼25 

 

=+=+=+=+= 

 

まず何より、ご冥福をお祈り致します。 

 

98歳ながら、ずっと現役でいられるそのパワーに、驚きとともに頭が下がります。 

様々な分野に影響力を持ち続け、老害の象徴とも言われた方が亡くなり、読売新聞はじめNPBなどがこれからどう変わるのか。 

見守りたいと思います。 

 

▲8 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

たかが選手が。みたいなこと言ってうちの親父がキレてたなあ…熱狂的な巨人ファンだったけどそれ以降全く観なくなってしまった。最近まで大谷大谷だったし野球は変わらず好きみたいだけども。 

 

98歳とは大往生ですね。日本の野球界の一つの時代が終わったって感じですかね…たかが選手なんて言葉が出て来ないような良い方に変わって行くことを望みます。 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

逝去の記事でこんなことを書くのは申し訳ないのですが、いろいろと悪しき昭和の象徴ともいえる方でした。昨今は世間のマスコミ離れが印象的で、皆さんの本音はSNSやYouTubeで数え切れないほど発信され、それはマスコミが誘導したい世論とは真逆のものが多いことがわかった一年でした。そして、何だか氏の死去によりそれが明確になったような、個人的にはそんな感想を抱いてしまいます。 

それほど凄い方の逝去。でも、その裏で数え切れないほどの人が悔しい思いをされてきたと思うと、弔いの言葉は書けませんね。 

 

▲56 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

新聞記者として巨人だった。 

影響力が大きく新聞社に勤めながら内閣の組閣にも関わるブレーンのような存在だったという記事も読んだことがある。 

Jリーグでは企業名を入れる入れないで揉めたけど後に川淵さんは渡辺さんと敵に回せたことで理念が知れ渡ったこと、Bリーグでは企業名を入れることの意味も分かったというからJリーグの時も渡辺さんの考えも企業の立場で考えたら当然のことであり主張が間違ってなかったことも認めている。 

それだけ時代が動くことに大きく関わった人で世間の敵でもあり味方でもあった。 

おそらく今後、渡邉恒雄という人物は研究対象になるんだと思う。 

 

▲42 ▼32 

 

=+=+=+=+= 

 

新聞・テレビ・プロ野球界の巨星落つ…という印象ですね。 

 渡辺氏はかつて日本のナンバー3だった読売新聞を、世界最大の部数に押し上げました。巨人軍ばかりかプロ野球全体の中興の祖で、かつ民放界を黎明期から支えた人。原発行政の推進者でもあり、文字通り戦後の高度成長を支えました。 

 いわば「保守の巨魁」そのものですが、実は学生時代は左翼青年で、多くの俊英が集う「東大新人会」(共産党細胞)で活躍した時期も。敗戦後の日本で、経済・政治・歴史・哲学の幅広い領域をカバーした思想は、マルキシズムしか無かったためインテリを惹き付けましたが、多くの人が正気に返って転向。渡辺氏も例外ではありませんでした。 

 共産党と言えば、幹部のワンマンぶりや高齢でも知られますが。「ミスター共産党」だった宮本顕治氏すら晩年は引退しており、同じ没年まで主筆の要職に留まった渡辺氏は、お元気かつ大変ユニークでした。ご冥福を祈ります。 

 

▲0 ▼2 

 

 

 
 

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